日曜日, 3月 31, 2019

時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(や は ら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は 珮後 (はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。

時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(や は ら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は 珮後 (はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。



万葉集
梅花の歌三十二首幷に序

梅花(うめのはな)の歌三十二首并せて序

天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述※1(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

※1:「述」は原文では「手」遍+「慮」

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天平二年正月十三日に、大宰師の大伴旅人の邸宅に集まりて、宴会を開く。時に、初春の好き[良き]月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。のみにあらず、明け方の嶺には雲が移り動き、松は薄絹のような雲を掛けてきぬがさを傾け、山のくぼみには霧がわだかまり、鳥は薄霧に封じ込められて林に迷っている。庭には蝶が舞ひ、空には年を越した雁が帰ろうと飛んでいる。ここに天をきぬがさとし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。人々は言葉を一室の裏に忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあっている。淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれがら満ち足りている。これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。中国にも多くの落梅の詩がある。いにしへと現在と何の違いがあろう。よろしく園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。
-----------------------------------------------

この漢詩風の一文は、梅花の歌三十二首の前につけられた序で、書き手は不明ですがおそらくは山上憶良(やまのうへのおくら)の作かと思われます。
その内容によると、天平二年正月十三日に大宰府の大伴旅人(おほとものたびと)の邸宅で梅の花を愛でる宴が催されたとあります。
このころ梅は大陸からもたらされたものとして非常に珍しい植物だったようですね。
当時、大宰府は外国との交流の窓口でもあったのでこのような国内に無い植物や新しい文化がいち早く持ち込まれる場所でもありました。

この序では、前半でそんな外来の梅を愛でる宴での梅の華やかな様子を記し、ついで梅を取り巻く周囲の景色を描写し、一座の人々の和やかな様を伝えています。
そして、中国にも多くの落梅の詩があるように、「この庭の梅を歌に詠もうではないか」と、序を結んでいます。
我々からすると昔の人である旅人たちが、中国の古詩を念頭にして「いにしへと現在と何の違いがあろう」と記しているのも面白いところですよね。

この後つづく三十二首の歌は、座の人々が四群に分かれて八首ずつ順に詠んだものであり、各々円座で回し詠みしたものとなっています。
後の世の連歌の原型とも取れる(連歌と違いここでは一人が一首を詠んでいますが)ような共同作業的雰囲気も感じられ、当時の筑紫歌壇の華やかさが最もよく感じられる一群の歌と言えるでしょう。



令月(レイゲツ)とは - コトバンク

kotobank.jp/word/令月-660939

デジタル大辞泉 - 令月の用語解説 - 1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰(かしん)令月」2 陰暦2月の異称。

令月(れいげつ)の意味 - goo国語辞書

dictionary.goo.ne.jp>...>国語辞書>品詞>辞書>国語辞書>品詞

れいげつ【令月】とは。意味や解説、類語。1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰 (かしん) 令月」2 陰暦2月の異称。

嘉辰令月(かしんれいげつ)の意味・使い方 - 四字熟語一覧 - goo辞書

dictionary.goo.ne.jp>辞書>四字熟語>辞書>四字熟語

嘉辰令月(かしんれいげつ)の意味・使い方。めでたい月日のこと。よい日とよい月の意。 ▽「嘉」も「令」も、よい意。「辰」は日の ...



【備忘録 〜令和〜🖋】


調べてみた!

『令和』の語源はどこからか?_φ(・_・メモメモ


万葉集巻五 

梅花の歌三十二首、并せて序


「初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。」


初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す。


令月 

2月の意 

冬に枯れた草花が再び芽生え始める季節 

令和:復活


「令和」の典拠とされる『万葉集』が更に参照していたのは後漢の張衡の賦だろうが、この張衡という人、古代中国科学史では天文学の観測器具「渾天儀」を最初に作ったり、地震計を作った人としても知られている。巡り巡って、日本の年号の出典となってしまったというのは、何というか面白い。




https://www.kyotocity.net/diary/2019/0401-reiwa/

『萬葉集』(萬葉集)の「梅花謌卅二首」并序より。
「梅花歌三十二首」に序を合わせる、つまり、この後に続く歌の序文です。

梅花謌卅二首并序
天平二年正月十三日萃于帥老之宅申宴會也于時初春令氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香加以曙嶺移雲松掛羅而傾盖夕岫結霧鳥對縠而迷林庭舞新蝶空歸故鴈於是盖天坐地促膝飛觴忘言一室之裏開衿烟霞之外淡然自放快然自足若非翰苑何以攄情詩紀落梅之篇古今何異矣宜而賦園梅聊成短詠
『紀州本萬葉集巻第五』
「国立国会図書館デジタルコレクション」 より

1941年(昭和16年)の紀州本複写を底本として手打ちしたため、他本とは異なる箇所あり。
紀州本では「于時初春令氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香」となっていますが、「于時初春令氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香」。
この後、大貳紀卿らの歌に続きます。

江戸時代中期~の国学者である本居宣長の『萬葉集略解』より解説を引いておきますと、

梅花歌三十二首并序
目録に太宰師大伴卿宅宴梅花云云と有り。

天平二年正月十三日。萃于帥老之宅。申宴會也。于時初春令月。氣淑風和。梅披鏡前之粉。蘭薫珮後之香。加以曙嶺移雲。松掛羅而傾蓋。夕岫結霧。鳥對穀而迷林。庭舞新蝶。空歸故雁

帥老は大伴卿を言ふ。此序は憶良の作れるならんと契沖言へり。さも有るべし。鏡前之粉は、宋武帝の女壽陽公主の額に梅花落ちたりしが、拂へども去らざりしより、梅化粧と言ふ時起これりと言へり。此に由りて言へるなり。珮後之香は屈原が事に由りて言へり。傾蓋は松を偃蓋など言ふ事、六朝以降の詩に多し。對穀は宋玉神女賦に、動霧穀以徐歩と有り。穀はこめおりのうすものなり。さて霧を穀に譬へ、穀を霧に譬へて言へり。契沖は對は封の誤かと言へり。
『萬葉集略解』

太宰師として大宰府に着任していた大伴旅人宅での宴会。
ただし、この序文は山上憶良が作ったのであろうと、やはり江戸時代中期の国学者である契沖が言っている、としており、筆者である本居宣長も同意しています。
山上憶良は万葉の時代を代表する歌人の一人で、筑前守として筑紫に着任していました。
そのため、大宰府周辺で歌を多く詠んでいます。
また、本居宣長は「鏡前之粉」の話を引き合いに出し、宋武帝(南朝宋の武帝劉裕)の名前も挙げています。
このエピソードを見ると、万葉の時代の日本に南北朝時代の中国の話が伝わっていた可能性もあるでしょうね。

歸田賦
張衡
遊都邑以永久無明畧以佐時徒臨川以羡魚俟河淸乎未期感蔡子之慷慨感蔡子之慷慨從唐生以決疑諒天道之微昧追漁殳以同嬉超埃塵以遐逝與世事乎長辭於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮王睢鼓翼倉庚哀鳴交頸頡頏關關嚶嚶於焉逍遥聊以娛情爾乃龍吟方澤虎嘯山丘仰飛繊繳俯釣長流觸矢而斃貪餌呑鉤落雲間之逸禽懸淵沈之魦鰡于時曜靈俄景以繼望舒極盤遊之至樂雖日夕而忘劬感老氏之遺誡將廻駕乎蓬蘆彈五絃之玅指詠周孔之圖書揮翰墨以奮藻陳三皇之軌模苟縱心於域外安知榮辱之所如
『文選正文巻之三』
「国立国会図書館デジタルコレクション」 より

明治3年(1870年)の宝文堂版を底本として手打ちしたため、他本とは異なる箇所あり。
本によっては「倉庚」は「鶬鶊」。ウグイス(鶯)の意味。

張衡は後漢時代の人。
『歸田賦』(帰田賦)は南北朝時代の蕭統(昭明太子)が編纂したとされる『文選』に収められました。
日本の古人も目を通したかもしれませんね。





恥ずかしながら張衡を知らずwikiを覗いただけですが、あまりの経歴の持ち主に驚きました。

政治家として優秀で30代のうちに世界最初の水力の渾天儀(天球儀)、水時計、世界初の地動儀(地震感知器)発明をしたばかりでなく、文学にも才あり功績を収めているなんて超人じゃありませんか…すごい人だ…


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%A1%A1_(%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85)



張衡の切手(1955年発行)
張衡の地動儀(模型)

張 衡(ちょう こう、78年 - 139年)は、後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人。平子南陽郡西鄂県(現在の河南省南陽市臥竜区)の人。

目次

経歴編集

没落した官僚の家庭に生まれた。祖父張堪は地方官吏だった。青年時代洛陽と長安に遊学し、太学で学んだ。永元十四年(102年)、張衡24歳の時,南陽郡守の幕僚(南陽郡主簿)となった。永初元年(107年)には、29歳で洛陽を描いた「東京賦」と長安を描いた「西京賦」を著した(これらを総称して「二京賦」という)。当初は南陽で下級官吏となった。永初五年(111年)、張衡34歳の時、京官の郎中として出仕した。元初三年(116年)張衡38歳の時、暦法機構の最高官職の太史令についた。建光二年(122年),公車馬令に出任した。永建三年から永和元年(128年-136年)の間、再び太史令を勤めた。最後は尚書となった。

30歳くらいで、天文を学び始め、「霊憲」「霊憲図」「渾天儀図注」「算罔論」を著した。彼は歴史と暦法の問題については一切妥協しなかった為、当時争議を起こした。順帝の時代の宦官政治に我慢できず、朝廷を辞し、河北に去った。南陽に戻り、138年に朝廷に招聘されたが、139年に死去した。文学作品としては他に、「帰田賦」「四愁詩」「同声歌」がある。

張衡は力学の知識と歯車を発明に用いた。彼の発明には、世界最初の水力渾天儀(117年)、水時計、候風と名付けられた世界初の地動儀(132年)、つまり地震感知器などがある。地動儀は500キロメートル離れた地点の地震を感知することができた。ある日、地動儀の設置場所からみて西北方向の地震の揺れを感知したが、人々は少しの揺れも感じないことがあった。一部の人は地動儀の誤りを疑った。しかし数日後、甘粛から急使が来て、地震の発生のことを報告した。このことがあって以来、地動儀の正確性を疑うことはなくなったという[1]

そのほか、彼は円周率も計算し、2500個の星々を記録し、月と太陽の関係も研究した。著書の「霊憲」において月を球形と論じ、月の輝きは太陽の反射光だとした。「霊憲」には以下の記述がある。

月光生于日之所照,魄生于日之所蔽;当日則光盈,就日則光尽也。

また続いて以下の記述があり、

当日之冲,光常不合者,蔽于地也,是謂暗虚,在星則星微,遇月則月食。

張衡が月食の原理を理解していたことがわかる。

月の直径も計算したとされ、太陽の1年を、365日と1/4と算出した。小惑星1802 張衡)には、彼の名がつけられている。なお、彼の天文の研究や地震計の発明には、2世紀に入り、後漢に天災が多発しだした時代背景がある。

関連項目編集

張衡を扱った作品に1983年中国映画「張衡」がある。

脚注編集

註釈編集

出典編集

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  1. ^ 今村明恒「地震漫談 (其の30)、千八百年前の地動儀」 、『地震 第1輯』第8巻第7号、日本地震学会、1936年、 347-352頁、 doi:10.14834/zisin1929.8.347、 ISSN 0037-11142014年9月1日閲覧。

外部リンク編集



歸田賦(帰田賦)と萬葉集(万葉集)に見る「令和」 新元号の発表直後にどこぞで指摘したことですが、こちらにもいちおう。

『萬葉集』(萬葉集)の「梅花謌卅二首」并序より。
「梅花歌三十二首」に序を合わせる、つまり、この後に続く歌の序文です。

梅花謌卅二首并序
天平二年正月十三日萃于帥老之宅申宴會也于時初春令氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香加以曙嶺移雲松掛羅而傾盖夕岫結霧鳥對縠而迷林庭舞新蝶空歸故鴈於是盖天坐地促膝飛觴忘言一室之裏開衿烟霞之外淡然自放快然自足若非翰苑何以攄情詩紀落梅之篇古今何異矣宜而賦園梅聊成短詠
『紀州本萬葉集巻第五』
「国立国会図書館デジタルコレクション」 より

1941年(昭和16年)の紀州本複写を底本として手打ちしたため、他本とは異なる箇所あり。
紀州本では「于時初春令氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香」となっていますが、「于時初春令氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香」。
この後、大貳紀卿らの歌に続きます。

江戸時代中期~の国学者である本居宣長の『萬葉集略解』より解説を引いておきますと、

梅花歌三十二首并序
目録に太宰師大伴卿宅宴梅花云云と有り。

天平二年正月十三日。萃于帥老之宅。申宴會也。于時初春令月。氣淑風和。梅披鏡前之粉。蘭薫珮後之香。加以曙嶺移雲。松掛羅而傾蓋。夕岫結霧。鳥對穀而迷林。庭舞新蝶。空歸故雁

帥老は大伴卿を言ふ。此序は憶良の作れるならんと契沖言へり。さも有るべし。鏡前之粉は、宋武帝の女壽陽公主の額に梅花落ちたりしが、拂へども去らざりしより、梅化粧と言ふ時起これりと言へり。此に由りて言へるなり。珮後之香は屈原が事に由りて言へり。傾蓋は松を偃蓋など言ふ事、六朝以降の詩に多し。對穀は宋玉神女賦に、動霧穀以徐歩と有り。穀はこめおりのうすものなり。さて霧を穀に譬へ、穀を霧に譬へて言へり。契沖は對は封の誤かと言へり。
『萬葉集略解』

太宰師として大宰府に着任していた大伴旅人宅での宴会。
ただし、この序文は山上憶良が作ったのであろうと、やはり江戸時代中期の国学者である契沖が言っている、としており、筆者である本居宣長も同意しています。
山上憶良は万葉の時代を代表する歌人の一人で、筑前守として筑紫に着任していました。
そのため、大宰府周辺で歌を多く詠んでいます。
また、本居宣長は「鏡前之粉」の話を引き合いに出し、宋武帝(南朝宋の武帝劉裕)の名前も挙げています。
このエピソードを見ると、万葉の時代の日本に南北朝時代の中国の話が伝わっていた可能性もあるでしょうね。

歸田賦
張衡
遊都邑以永久無明畧以佐時徒臨川以羡魚俟河淸乎未期感蔡子之慷慨感蔡子之慷慨從唐生以決疑諒天道之微昧追漁殳以同嬉超埃塵以遐逝與世事乎長辭於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮王睢鼓翼倉庚哀鳴交頸頡頏關關嚶嚶於焉逍遥聊以娛情爾乃龍吟方澤虎嘯山丘仰飛繊繳俯釣長流觸矢而斃貪餌呑鉤落雲間之逸禽懸淵沈之魦鰡于時曜靈俄景以繼。


32 Comments:

Blogger yoji said...

85 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2019/04/01(月) 12:43:37.91 ID:lpphcyJM
リアル日本が元号まで「ゼロサムゲーム」な時代になってしまいそう
新元号の上に雨をかぶせると、零和→ゼロサム

9:13 午後  
Blogger yoji said...

【令和】中国・新華社通信「万葉集も中国の詩歌の影響。中国の痕跡消せぬ」…出典張衡の韻文「帰田賦」だと主張する声も

3:24 午前  
Blogger yoji said...

90名無しさん@1周年2019/04/01(月) 19:15:52.12ID:uYoTbcWs0
>>1
>『令』という漢字は、もともと『命令する』『~させる』という意味を持つ。

意味不明だなw
じゃあシナ人が見つけてきた万葉集の元ネタ

張衡による「帰田賦」の句
「於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮」

の「令月」をなんと説明すんだよ
紀元一世紀頃の言葉だぞw

3:27 午前  
Blogger yoji said...

162名無し募集中。。。2019/04/01(月) 19:18:34.04ID:tuj2zChT0
秋でなく春の理由は?(笑)

張衡先生の帰田賦みた?(笑)


なぜ、初秋令月じゃないんだろ?(笑)


初春令月←仲春令月

完全に中国後漢の大学者張衡先生でした。(笑)


万葉集

初春令月、気淑風和

張衡 『帰田賦』

仲春令月、時和気清

https://www.kyotocity.net/diary/2019/0401-reiwa/

3:32 午前  
Blogger yoji said...

2019.04.01 歴史・民俗学
歸田賦(帰田賦)と萬葉集(万葉集)に見る「令和」 新元号
何かの発表直後にどこぞで指摘したことですが、こちらにもいちおう。

『萬葉集』(萬葉集)の「梅花謌卅二首」并序より。
「梅花歌三十二首」に序を合わせる、つまり、この後に続く歌の序文です。

梅花謌卅二首并序
天平二年正月十三日萃于帥老之宅申宴會也于時初春令氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香加以曙嶺移雲松掛羅而傾盖夕岫結霧鳥對縠而迷林庭舞新蝶空歸故鴈於是盖天坐地促膝飛觴忘言一室之裏開衿烟霞之外淡然自放快然自足若非翰苑何以攄情詩紀落梅之篇古今何異矣宜而賦園梅聊成短詠
『紀州本萬葉集巻第五』
「国立国会図書館デジタルコレクション」 より

1941年(昭和16年)の紀州本複写を底本として手打ちしたため、他本とは異なる箇所あり。
紀州本では「于時初春令氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香」となっていますが、「于時初春令月氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香」。
この後、大貳紀卿らの歌に続きます。

江戸時代中期~の国学者である本居宣長の『萬葉集略解』より解説を引いておきますと、

梅花歌三十二首并序
目録に太宰師大伴卿宅宴梅花云云と有り。

天平二年正月十三日。萃二于帥老之宅一。申二宴會一也。于レ時初春令月。氣淑風和。梅披二鏡前之粉一。蘭薫二珮後之香一。加以曙嶺移レ雲。松掛レ羅而傾レ蓋。夕岫結レ霧。鳥レ對穀而迷レ林。庭舞二新蝶一。空歸二故雁一。

帥老は大伴卿を言ふ。此序は憶良の作れるならんと契沖言へり。さも有るべし。鏡前之粉は、宋武帝の女壽陽公主の額に梅花落ちたりしが、拂へども去らざりしより、梅化粧と言ふ時起これりと言へり。此に由りて言へるなり。珮後之香は屈原が事に由りて言へり。傾蓋は松を偃蓋など言ふ事、六朝以降の詩に多し。對穀は宋玉神女賦に、動二霧穀一以徐歩と有り。穀はこめおりのうすものなり。さて霧を穀に譬へ、穀を霧に譬へて言へり。契沖は對は封の誤かと言へり。
『萬葉集略解』

太宰師として大宰府に着任していた大伴旅人宅での宴会。
ただし、この序文は山上憶良が作ったのであろうと、やはり江戸時代中期の国学者である契沖が言っている、としており、筆者である本居宣長も同意しています。
山上憶良は万葉の時代を代表する歌人の一人で、筑前守として筑紫に着任していました。
そのため、大宰府周辺で歌を多く詠んでいます。
また、本居宣長は「鏡前之粉」の話を引き合いに出し、宋武帝(南朝宋の武帝劉裕)の名前も挙げています。
このエピソードを見ると、万葉の時代の日本に南北朝時代の中国の話が伝わっていた可能性もあるでしょうね。

歸田賦
張衡
遊都邑以永久無明畧以佐時徒臨川以羡魚俟河淸乎未期感蔡子之慷慨感蔡子之慷慨從唐生以決疑諒天道之微昧追漁殳以同嬉超埃塵以遐逝與世事乎長辭於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮王睢鼓翼倉庚哀鳴交頸頡頏關關嚶嚶於焉逍遥聊以娛情爾乃龍吟方澤虎嘯山丘仰飛繊繳俯釣長流觸矢而斃貪餌呑鉤落雲間之逸禽懸淵沈之魦鰡于時曜靈俄景以繼望舒極盤遊之至樂雖日夕而忘劬感老氏之遺誡將廻駕乎蓬蘆彈五絃之玅指詠周孔之圖書揮翰墨以奮藻陳三皇之軌模苟縱心於域外安知榮辱之所如
『文選正文巻之三』
「国立国会図書館デジタルコレクション」 より

明治3年(1870年)の宝文堂版を底本として手打ちしたため、他本とは異なる箇所あり。
本によっては「倉庚」は「鶬鶊」。ウグイス(鶯)の意味。

張衡は後漢時代の人。
『歸田賦』(帰田賦)は南北朝時代の蕭統(昭明太子)が編纂したとされる『文選』に収められました。
日本の古人も目を通したかもしれませんね。

3:32 午前  
Blogger yoji said...

1 鉄チーズ烏 ★[] 2019/04/01(月) 18:30:03.19 ID:n0EXzjQH9
平成に続く新元号は1日、「令和」と発表された。

 出典は万葉集で、日本の古典に由来する元号は初めてだった。

 ツイッター上では著名人からはさまざまな反応が上がった。

 ジャーナリストの田原総一朗氏(84)は「これまではどちらかと言えば中国の古典からとっていた。日本の古典からとったのは新しいやり方で、前向きに捉えている」と新鮮な印象を語った。

 構成作家の百田尚樹氏(63)は「万葉集はすべて大和言葉で書かれています。ですから、私は万葉集から取ればいいとは思っていましたが、まさかそうなるとは思っていませんでした。『令和』、いい元号だと思います」とプラスに捉えた。

 ジャーナリストの江川紹子氏(60)は「私なんかは『令』の字からは『命令』とか『令状』とかって言葉が思い浮かんでしまうのだけど、若い世代には『れい』という音がウケるかも、という気がしなくもない」とコメントし「元号は漢籍から引くという長い伝統と慣例を破ってでも国書にこだわったようだけど、元をたどれば漢籍という…」と続けた。

 日本文学者のロバート・キャンベル氏は「『令和』ぱっと見で『和せしむ』と読み世の中が平和になるよう仕向けること、平和に『させる』心で感心もしたが、万葉集『梅花歌』序の季節感あふれる取り合わせだと分かり再度合点。文選『仲春令月、時和気清』(張衡「帰田賦」)へのオマージュを含めてナイスチョイス。と言って、和せしむもいいなと」と評価した。

 タレントの武井壮(45)は「令和元年新しい何かをスタートするのに相応しいな やったろうぜ」と気合。

 お笑いコンビ「とろサーモン」の久保田かずのぶ(39)は「やっぱりな」、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔(38)は「平成ノブシコブシもついでに終わりますように。。」とつぶやいた。


2019年04月01日 15時00分
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1330674/

5:23 午前  
Blogger yoji said...

大場健二
【台北だより 4/1, 2019】
新元号「令和」の典拠に関しては諸説あるが、儒家の五経《禮記・經解》における「發號出令而民說,謂之和;上下相親,謂之仁;民不求其所欲而得之,謂之信;除去天地之害,謂之義。義與信,和與仁,霸王之器也。有治民之意而無其器,則不成。」という主君が統治を行う方法を述べた箇所から採用、それを表向きは『万葉集』の大伴旅人による「梅花の歌32首」の序における「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」を典拠として発表することで、①日本の国文学を典拠としたことのナショナリズムをアピール、②「命令」の「令」+「日本」の「和」、③「昭和」の反復になっているというのが個人的な印象。

11:30 午前  
Blogger yoji said...

15名無しさん@1周年2019/04/02(火) 02:24:27.22ID:UwL8Ibwb0
■■■令和(『万葉集』巻5)

梅花謌卅二首并序。
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、
促膝飛觴、忘言一室之裏、開衿煙霞之外、淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。
詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。

■原文 梅の花の歌32首、並びに、序 

天平2年1月13日、帥(かみ)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(つど)ひて、宴会を申(の)ぶ。時に初春の令月、気淑く風和(な)ぐ。梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後の香を薫らす。
加以(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)は嶺に雲を移し、松は羅(うすぎぬ)を掛けて盖(きぬがさ)を傾け、夕岫(せきしゅう)に霧を結び、鳥はうすものに封(こも)りて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。
是に天を盖にし地を坐(しきい)にして、膝を促して觴(さかづき)を飛ばし、言を一室の裏(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。
若し翰苑(かんえん)にあらずは、何を以てか情(こころ)をのベむ。
請ひて落梅の篇を紀(しる)さむと。古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊(いささ)か短詠(みじかうた)を成(よ)むベし。



■梅の花の歌32首 序文 現代語訳

 天平2年1月13日、帥老(そちろう。大伴旅人のこと)の邸宅に集まって、宴会を開いた。
 時は、初春のよき月夜(十三夜)で、空気は澄んで風は穏やかで、梅は女性が鏡の前で白粉の蓋を開けたように花開き、梅の香りは、通り過ぎた女性の匂い袋の残り香のように漂っている。
それだけではなく、曙(朝日)が昇って朝焼けに染まる嶺に雲がかかり、山の松は薄絹に覆われて笠のように傾き、山の窪みには霧が立ち込め、鳥は薄霧に遮られて林中を彷徨う。庭には今年の蝶が舞い、空には去年の雁が北に帰る。
 ここに、天を蓋、大地を座として、お互いの膝を近づけて酒を酌み交わし、他人行儀の声を掛け合う言葉を部屋の片隅に忘れ、正しく整えた衿を大きく広げ、淡々と心の趣くままに振る舞って、おのおのが心地よく満ち足りている。
これを和歌に詠むことなくして、何によってこの思いを述べようか。
『詩経』に落梅の詩篇があるが、この思いを表すのに、昔の漢詩と今の和歌と何が違うだろう(何も違わない)。さぁ、庭の梅の風景を、今の思いを、いささか和歌に詠もうじゃないか。

11:42 午前  
Blogger yoji said...

19名無しさん@1周年2019/04/02(火) 02:25:19.02ID:J+L394Ks0>>35>>65
>>1
>>1
安倍総理も不勉強な国文学者の言うことを鵜呑みにしてしまったな。
「令和」の「令」という字に「良い」なんて意味は無いんだよな
「令」は「命令」という単語から連想するように、あくまで「言いつけ」というのが本義
加えて「冷」という漢字が使われる前には「冷たい」という含みもあった

初春の令月(れいげつ)にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き…(万葉集)

ここで出てくる「令月」というのは「冷たい月」という意味なんだよな
他にも古典で出てくる「令兄」や「令弟」などの「令」の字も
「言いつけ」あるいは「冷たい」のどちらかで説明がついてしまう
「良い」なんて意味は無いのに、浅はかな知識でこの漢字を解釈してしまったんだろうな。

20名無しさん@1周年2019/04/02(火) 02:25:25.95ID:v2oJUPGx0

65名無しさん@1周年2019/04/02(火) 02:30:58.97ID:rD41TdXz0
>>19
「令」の原義は身体を屈して天に祈る様だよ。
本来、命と同じ字だった。

そこに天からお告げが降りてくる
命令も宿命も運命も降りてくる。

それは厳粛で冴えわたる場面だから「冷たい」の意味も生じる。

11:43 午前  
Blogger yoji said...

72名無しさん@1周年2019/04/02(火) 02:31:50.70ID:6+C9UELM0>>86
>>1
.
 >  新元号「令和」を決めるにあたり、政府は六つの原案を選び、
.
 >  有識者による「元号に関する懇談会」などに提示した。


> 英BBC放送は「秩序と調和(order and harmony)」を表すと紹介。


.

  『令和』は「order(秩序) and harmony」と訳される。
.
   つまり、それは“New World Order”「新世界秩序」、
.
「国民は和を以て新世界秩序の創成に協力しろ」という意味だ。


.

> 世界がものすごいスピードで変化をしていく中で、
> 変わるべきは、変わっていかなければなりません。

> 平成の時代ほど、改革が叫ばれた時代はなかったと思います。
> 抵抗勢力という言葉もありましたが、他方、現役世代は、

> そうした平成の時代を経て、変わること、改革することを、
> もっと柔軟に、前向きに捉えていると思います。


> かつては何年もかけて、やっと実現するレベルの改革が、
> 近年は着実に行われる様になってきたという印象を持ってます。

> そうした中で、一億総活躍社会をつくり上げることができれば、
> 新しい元号の下、日本人が、花を大きく咲かせることができる。
> そういう時代を国民の皆様と共に築き上げていきたいと思います。
.
【平成31年4月1日・新元号『令和』安倍内閣総理大臣記者会見より】


.

11:45 午前  
Blogger yoji said...

【新元号案】残る1つは「久化(きゅうか)」 6案すべて判明…英弘(えいこう)久化(きゅうか)広至(こうし)万和(ばんな)万保(ばんぽう) ★2

1002コメント234KB
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1ばーど ★2019/04/02(火) 12:05:57.71ID:lQi/WBRZ9>>86
新元号の選定作業で、政府が示した6つの原案すべてが明らかになりました。新元号に決まった「令和」以外は、
▽「英弘(えいこう)」、
▽「久化(きゅうか)」、
▽「広至(こうし)」、
▽「万和(ばんな)」、
▽「万保(ばんぽう)」の5つの案でした。

新元号の選定にあたって政府は、考案を委嘱した専門家から提出された候補名を、読みやすく、書きやすいなどの「元号選定手続」に定められた留意点に沿って絞り込み、1日、「元号に関する懇談会」などに6つの原案として示しました。

関係者によりますと、新元号に決まった「令和」以外の原案は、
▽「英弘」、
▽「久化」、
▽「広至」、
▽「万和」、
▽「万保」の5つの案でした。

「英弘」は日本の古典を、また「広至」は日本と中国の古典の両方を典拠、いわゆる出典にしているということです。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190402/k10011870221000.html?utm_int=all_contents_just-in_001
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190402/K10011870221_1904021100_1904021111_01_03.jpg
サムネイル読み込み中···


★1が立った時間 2019/04/02(火) 11:20:08.42
前スレ
【新元号】新元号案 残る1つは「久化」 6案すべて判明 英弘、久化、広至、万和、万保、久化
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1554171608/

11:16 午後  
Blogger yoji said...

1 ラッコ ★[ageteoff] 2019/04/02(火) 20:26:28.56 ID:6QgzWFsC9
「令和」に浮かんだ疑問
2019.04.01(月)

イチャモンつけるつもりはないが、「令和」という文字を見たとき、ちょっとした疑問が浮かんだので、勉強した。

万葉集の「初春令月、気淑風和」の一節は、支那の詩文集「文選」の「仲春令月、時和気清」と同じであり、安倍首相は国書から採ってきたつもりでも、実は漢書の由来でしたということになる。
平安時代の基礎教養が「文選」だったのだから仕方がない。

万葉集の和歌は「万葉仮名」であり、漢字は当て字で意味はない。和歌の序文が漢文で書かれており、万葉集の「梅花の歌」の序文は、支那の詩文集「文選」に収録されている詩の一部というわけだ。

そもそも漢字が漢族の文字なのだから、本当に日本に拘るなら、元号をひらがなにしなければならない。

さらに言うなら「令」は王冠の下に人が跪いている図だから、やっぱり君主か支配者の命令の意味である。
君主の命令だから、清らかで美しいという観念に結び付くのだろう。「令和」を見て、なんとなく冷たい感じがするのはやむを得ないのだ。

けれどもわしは元号が好きである。時代の記憶を封じ込めて区切りを付けられる。
西暦じゃだらだら時が過ぎるばかりで終末まで区切りが来ない。キリストの支配する時間枠に慣らされる必要もなかろう。
国書からの選出ではないが、「令和」を受容しよう。

ブログ | (※漫画家)小林よしのり公式サイト
https://yoshinori-kobayashi.com/17833/

<参考情報>
漢民族 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%B0%91%E6%97%8F
漢民族(かんみんぞく)は、中華人民共和国(中国大陸)、中華民国(台湾)、シンガポールで大多数を占める民族。人類の20%を占める世界最大の民族集団である。
中華人民共和国の民族識別工作では漢族と呼ばれ、中華人民共和国の人口の94%以上を占める。漢人ともいい、華僑として中国を離れ、移住先に定着した人は華人、唐人と自称することが多い。

<関連スレ>
『令和』発表に、小宮山洋子「騒ぎすぎ。元号を使っている国は日本だけ。世界共通の西暦の方が良い。改元ごとに西暦に換算するのは大変」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1554197394/
TSUKASA(歌手)「『令和』という元号…万葉集の梅の花の唄なんだそうですが、日本って桜なんじゃないの?なぜ梅なの?ピンと来ない」★4
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1554190862/
【新元号】デーブ・スペクターさん「令和、悪くないけど上から目線が安倍政権っぽい感じ」 ★2
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1554119926/
弓玉「個人的イメージとしては『令和』は幸せっぽくない元号名な感じがした。慣れるまでは、目にするたび『コマンド』が気になるかも」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1554152615/
【令和】元号が中国ではなく日本の古典から採用されたのは初 → 水蓮「『令月』は中国由来の言葉なので“日本そのもの”という訳ではない」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1554114500/
愛新覚羅ゆうはん「新元号『令和』の『令』は、人がひざまずいて神意を聞くという意味。正直、最初聞いた時は『ぽっかーん』となった」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1554096293/
新元号「令和」について、ギタリスト・山下俊輔「『令』だけ見ると結構縛られるイメージがあるかなぁ。変な方向にだけは縛らないでね」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1554090127/
【朝日新聞】元号、今や世界で日本だけ★4【平成→令和】
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1554086864/
【新元号】在日外国人記者「これはひどい。令和とは平和を命じるという意味。治安維持法だ。さすがは日本会議の安倍政権」★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1554128463/
【中国おこ】令和「しょせん、日本人にとって漢字はわが国からの借り物。漢字のなんたるかをわかっていない。その証拠がこの元号」★15
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1554183160/

<関連記事>
「令和」の元ネタは中国の古典なのに…(宮崎タケシ 前衆議院議員・元民進党)
https://blogos.com/article/368002/

5:40 午前  
Blogger yoji said...

21名無しさん@1周年2019/04/03(水) 06:50:36.07ID:lWeThpaD0>>61
「令」の成り立ち
https://okjiten.jp/k-686.gif
サムネイル読み込み中···



会意文字です(亼+卩)。

「頭上に頂く冠の象形」と「ひざまずく人」の
象形から、人がひざまずいて神意を聞く事を意味し、そこから、
「命ずる・いいつける」を意味する「令」という漢字が成り立ちました。

3:25 午後  
Blogger yoji said...

25名無しさん@1周年2019/04/03(水) 06:51:29.40ID:jLop5LwH0>>35>>78
政治の腐敗に嫌気が指して帰郷するという詩が帰田賦。
「私が決めました、きりっ」っやって安倍は見事に罠に落ちた。

3:26 午後  
Blogger yoji said...

78名無しさん@1周年2019/04/03(水) 06:56:14.36ID:NTsEnczf0
>>25
いや、だからそもそも万葉集って反朝廷の句も多いわけで、
そこに意味を見出そうとすること自体に意味がない。

だいたいこの序文を書いた大伴旅人自体が太宰府に左遷
されてるんだよね。で、万葉集を編纂したのは旅人の子供の
大伴家持。

3:29 午後  
Blogger yoji said...

107名無しさん@1周年2019/04/03(水) 06:58:34.87ID:4GkmZHvc0>>125>>143>>208>>464
> 英BBCは「『命令(order)』と『調和』(harmony)」と伝えた。

BBCの「order と harmony」は良い解釈だと思うが、
『命令(order)』って和訳したのはどこのバカ?
orderは不可算だと「秩序」とか「規則正しい」とか「ルール」とかの意味だっての。

3:31 午後  
Blogger yoji said...

【新元号】令和は「Beautiful Harmony」外務省が英語の趣旨説明 

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1すらいむ ★2019/04/03(水) 18:33:19.12ID:thu6VuG39>>11>>47
令和は「Beautiful Harmony」外務省が英語の趣旨説明

 外務省は、平成に代わる新元号「令和」について外国政府に英語で説明する際、「Beautiful Harmony=美しい調和」という趣旨だと伝えるよう在外公館に指示した。
 今月1日の新元号発表後、「令」を「order=命令、秩序など」と訳す外国メディアがあったのを受けた措置で、外国メディアにも個別に説明している。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

毎日新聞2019年4月3日 18時18分(最終更新 4月3日 18時18分)
https://mainichi.jp/articles/20190403/k00/00m/010/247000c

3:27 午前  
Blogger yoji said...

97名無しさん@1周年2019/04/03(水) 18:50:32.43ID:he8EbObP0
>>81
小学館 大辞泉
れい【令】
[音]レイ(漢) リョウ(リャウ)(呉) [訓]しむ せしむ

〈レイ〉
1 言いつける。命ずる。言いつけ。お達し。「令状/禁令・訓令・号令・司令・指令・辞令・勅令・伝令・発令・布令 (ふれい) ・命令」
2 おきて。のり。「条令・法令」
3 長官。「県令」
4 よい。りっぱな。「令色・令名」
5 相手の親族に対する敬称。「令兄・令嬢・令息・令夫人」

3:27 午前  
Blogger yoji said...

357名無しさん@1周年2019/04/03(水) 19:24:05.76ID:JPmmlst00
令は美しいもあるが立派とか良いの意味もあるのでfineが一番近いかと思う。

358名無しさん@1周年2019/04/03(水) 19:24:16.33ID:knizoLjN0
外務省
「クソ訳しにくい意味にしやがって・・・これならアホでも喜びそうだしこれにしておくか」

「ビューティフル・ハーモニー」

359名無しさん@1周年2019/04/03(水) 19:24:22.61ID:oEMNvo7Q0>>390
>>326
だよな、外務省がorderの意味を間違ってるだけだろ?w
orderは治安だから。
まさに、orderは適切な訳だよ。順序、秩序だから令の説明ともあう

3:29 午前  
Blogger yoji said...

372名無しさん@1周年2019/04/03(水) 19:25:45.04ID:J7P5AlLY0
elegantがしっくりくる

373名無しさん@1周年2019/04/03(水) 19:25:46.09ID:Ts99ZyqD0
やっぱり高麗の麗の字の意味なんだな
あからさまだから略字にしました

3:30 午前  
Blogger yoji said...

396名無しさん@1周年2019/04/03(水) 19:29:35.34ID:6tKNrOmN0
令=decreeだってよ
google翻訳はそう言ってる

で、decreeは 法令、命令、判決

397名無しさん@1周年2019/04/03(水) 19:29:40.56ID:vBscizjb0
excellentの方があってる気がするが

398名無しさん@1周年2019/04/03(水) 19:29:44.70ID:rq0xSw830
>>376
なるほど
でも、神的な意味も内包するからちょっと違う気もする
清らかさだけでなく清めみたいな、結構格調ある言葉なんだよね

399名無しさん@1周年2019/04/03(水) 19:29:47.45ID:sAV5rI0k0
頭に令って令名、令嬢、令室とか
冷凍の冷の感じから英語だとcoolがぴったりだろ
令和でcool japan

3:31 午前  
Blogger yoji said...

令するとは-辞書(コトバンク)
デジタル大辞泉
[動サ変][文]れい・す[サ変]命令する。言いつける。「天下に―・する」
大辞林 第三版
( 動サ変 ) [文] サ変 れい・す 命令を下す。申しつける。 「幕吏等諸藩に-・して/近世紀聞 延房」
辞書検索結果をもっと見る

3:32 午前  
Blogger yoji said...

137名無しさん@1周年2019/04/03(水) 23:05:59.01ID:tv6lHh+w0
>>94
good harmonyだよ
ちなみにWSJは令をauspiciousと解説している

7:24 午前  
Blogger yoji said...

166名無しさん@1周年2019/04/03(水) 23:08:52.03ID:oEMNvo7Q0>>276
令月の令だけとって意味とかいうからわからなくなるんだよ。
和もそうで、説明がおかしいんだわ。
令月風和でやくせばいいの。
The auspicious month pleasant wind
意味不明だけどな。

7:26 午前  
Blogger yoji said...

220名無しさん@1周年2019/04/03(水) 23:13:08.56ID:VxonEzmy0
>>200
ちょうどいい月、絶好の月ってこと。もちろん month ね

7:30 午前  
Blogger yoji said...

【リテラ】安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判

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1クロ ★2019/04/03(水) 23:40:12.31ID:7EsGp0fW9>>5>>8>>11>>40>>42>>71>>74>>75>>90
新元号発表の“政治パフォーマンス”が成功したとみたか、意気揚々の安倍首相。とりわけ「令和」の出典が『万葉集』だと強調し、「初めて国書を典拠とした」と触れ回っている姿は、この宰相の中身がどれほど阿呆かを満天下に知らしめている。発表当日の1日に生出演した『ニュースウオッチ9』(NHK)ではこう宣った。

「『令和』というのは、いままで中国の漢籍を典拠としたものと違ってですね、自然のひとつの情景が目に浮かびますね。厳しい寒さを越えて花を咲かせた梅の花の状況。それがいままでと違う。そして、その花がそれぞれ咲き誇っていくという印象を受けまして、私としては大変、新鮮で何か明るい時代につながるようなそういう印象を受けました」

「中国の漢籍を典拠としたものと違って情景が目に浮かぶ」って……コレ、ヘイトじみた“日本すごい”言説という批判以前に、めちゃくちゃ頭が悪い発言だろう。そもそも「令和」の二文字の並びだけ見れば情景もクソもないし、政府の説明によれば「令和」は『万葉集』の梅花の歌の序文を典拠としたというが、それだって中国由来の漢文調で書かれたものだ。

 しかも、すでに各専門家や多くのメディアも指摘しているように、「令和」にはより古い中国古典からの影響が見てとれる。たとえば岩波書店文庫編集部のTwitterアカウントは1日、その“大元ネタ”についてこう投稿していた。

〈新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』の補注に指摘されています。 「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五」)とある。」〉

 張衡(78~139)は後漢の役人・学者だ。本サイトも確認したが、その張衡が残した「帰田賦」(きでんのふ)は6世紀の『文選』に収録されており、そこにはたしかに「於是仲春令月、時和気清」とある。万葉集の成立は8世紀とされるが、当時は漢文・漢詩の教養が当たり前であり、「帰田賦」を参考にしたのは確定的だろう。

 “新元号の大元”である「帰田賦」はこのあと「原隰鬱茂。百草滋榮。王雎鼓翼、倉庚哀鳴…」と続いてゆく。『新釈漢文大系』(81巻、「文選(賦篇)下」明治書院)がつけている通釈はこうだ。

〈さて、仲春の佳い時節ともなれば、気候は穏やか、大気は清々しい。野原や湿原に植物は生い茂り、多くの草が一面に花をつける。ミサゴは羽ばたき、コウライウグイスは悲しげに鳴く…〉

 なんのことはない。大元になっている漢籍そのものが、自然の情景を描いているのだ。それを「中国の漢籍を典拠としたものと違って情景が目に浮かぶ」などとのたまうとは……。漢文の教養なんてなにもないくせに、知ったかぶりをして恥をさらす。まったくこの総理大臣は救い難い。

2につづく

LITERA
2019.04.03 11:40
https://lite-ra.com/2019/04/post-4640.html

2クロ ★2019/04/03(水) 23:41:14.49ID:7EsGp0fW9
■安倍首相は自分への皮肉が込められた元号を知らずに自慢していた!

 いや、それだけではない。ネット上ではいま、「令和」の大元が張衡の「帰田賦」であることが確定的になったことから、「張衡の『帰田賦』は安帝の政治腐敗に嫌気がさして田舎に帰ろうとしている役人の心情を綴ったもの」「安の字を持つ帝の腐敗に役人が嫌気をさす、というのは安倍政権で起きている構図そのものじゃないか」といったツッコミを浴びせられている。ようするに、安倍首相は自分への皮肉が込められた元号を知らずに自慢しているというのだ。

 本当だとしたら、こんな間抜けな話はないので、本サイトも検証してみた。すると、細部では解釈が間違っているところがあるものの、「帰田賦」の作者である張衡が、権力の腐敗に嫌気がさして田舎に引っ込んだ役人であるのは事実だった。

『後漢書』の「張衡列伝」によれば、張衡は現在の河南省南部に生まれた。年少から文才に秀で、天文、陰陽、暦算などに通じた学者肌の役人となった(実際、科学者としても評価されている)。「才は世に高しと雖も、而れども矯尚の情無し。常に従容として淡静、俗人と交わり接することを好まず」との評に従えば、いつも落ち着きを払い、決しておごることのない人物だったらしい。

 だが、張衡の清廉な精神は腐敗した権力によって阻まれてしまう。当時は、宦官勢力が外戚勢力との権力闘争に勝利しており、張衡は皇帝に意見書を提出するなどしてその腐敗した宦官専横の体制を是正しようとした。だが、そうした抵抗は失敗に終わり、張衡は自らの立場を危くしてしまった。

 ただし、相手は、ネットで言われているような「安」の字を持つ安帝ではなさそうだ。『後漢書』によれば、張衡は安帝(6代皇帝)のときに都・洛陽に呼ばれて大史令という官僚知識人の地位をあたえられる。順帝(8代皇帝)の頃に再び大史令となる。前述の意見書を上奏した相手は順帝であり、「帰田賦」もその時代に書かれたものだ。

3につづく

3あなたの1票は無駄になりました2019/04/03(水) 23:41:56.44ID:6eyWfhsH0
 

  _ノ乙(、ン、)_リテラ必至だなw

4クロ ★2019/04/03(水) 23:41:58.96ID:7EsGp0fW9
■「令和」の大元の作者が「法を遵守する者が災難に遭う」と批判

それはともかく、張衡は実権力者であった宦官勢力に睨らまれ、136年に首都・洛陽から河間(現在の河北省あたり)へ移り行政官を務めた。『後漢書』によれば、2年後に辞職願いを上書するも徴され、再び都の官職に就いたのち引退する。139年、62歳で没。その頃に書かれた隠居の書が「帰田賦」だ。張衡はこのなかでその心情をこう語っている。

〈まことに天道は微かで見定めがたいものである以上、いっそかの漁夫を追って隠棲し、彼の楽しみを見習おうと思う。塵の如き俗界を離れて遠く立ち去り、世間の雑事とは永久に別れることにしよう〉(『新釈漢文体系』通釈より、以下同)

さらに、地方転出の前年にあたる135年に書いた「思玄賦」には、朝廷の腐敗やそれに媚びる役人を厳しく糾弾する記述がある。こちらも『文選』におさめられているので、紹介しよう。

〈世の風俗は次第に変化し、規範に順う正しい行為を消し去ってしまった。ヨモギを大切そうに宝箱にしまうくせに、蘭やヨロイグサは香りが良くないと言う。美女の西施を捨てて愛さず、駿馬に荷車を引かせたりする。邪な行為をするものが志を得て、法を遵守する者が災難に遭うご時世である。天地は無窮で永遠だが、それに比べて人の世は、何と無原則であることか。しかし私は、志を低くして、とりあえず認められようとは思わない。舟無くして黄河を渡ろうとするような状態だ。巧みな笑顔で媚びへつらうようなやり方は、私の願い下げとすることだ。〉

 安倍首相のために平気で法や文書をねじ曲げる官僚だけが出世する、いまの安倍政権の姿と重なる。そして、張衡はこの腐敗と忖度にまみれた朝廷で官吏として働くことの苦悩をこう書いている。

〈人々に邪悪な行為が多いのを見るにつけても、自分だけ法に従うことが、かえって身を危うくするのではないかと恐れるのだ。心中にこのような煩悶を重ね、我が心は乱れる。ああ誰に向かって、この思いを告げたらよいのか。〉

 これも、良心が残っている官僚たちがいまの安倍政権下で抱えている苦悩そのものだろう。

4につづく

2:28 午後  
Blogger yoji said...

6クロ ★2019/04/03(水) 23:42:39.46ID:7EsGp0fW9>>70
■「令和」考案者・中西進氏は護憲運動にも関わっていた

 ようするに、「おれは国書を典拠とする元号をつけた初めての総理だ」と悦に入っている安倍首相だが、実際は、自らの政権とそっくりな不正と忖度官僚の跋扈を嘆いた中国の役人の言葉を元ネタとする元号をつけてしまっていたのである。

 そんなところから、この「令和」という元号名が実は「安倍首相への皮肉とを込めて提案されたものではないか」などという憶測までとびかっている。「令和」の考案者が護憲運動にも関わったことのある文学者・中西進氏であったと報じられていることもこの説の拡散に拍車をかけている。

まあ、さすがにそれはありえないだろうが、しかし、今回の新元号制定で改めてはっきりしたことがある。それは、安倍首相が押し出すナショナリズムがいかに浅薄でインチキなシロモノであるか、ということだ。「令和」の大元ネタがどうという以前に、そもそも日本の古典文学は、基本的に中国や朝鮮の影響下でつくられているものであり、いくら「国書典拠」を強調したところで、日本固有の文化、中国排除などできるはずがないのである。それを、皇室の伝統を排して「国書典拠」などというのは、無教養とバカのきわみといっていい。

 しかし、そのバカ丸出しのインチキが何の問題にもならずに、正論として通用してしまうのが、いまの日本の状況なのである。

 新元号「令和」の大元ネタの作者・張衡の「思玄賦」にはこんな一節がある。

〈折り合わないことなどは、本当の憂いではない。真に悲しいのは、多くの偽りが、真実を覆い隠してしまうことである。〉
(小杉みすず)

■主な参考文献
『新釈漢文大系』81巻(明治書院)
『後漢書』列伝7(岩波書店)
鈴木宗義「張衡「帰田賦」小考」(「国学院中国学会報」2005年12月号所収)
富永一登「張衡の「思玄賦」について」(「大阪教育大学紀要」1986年8月号所収)

2:30 午後  
Blogger yoji said...

16あなたの1票は無駄になりました2019/04/04(木) 07:50:42.96ID:O862lVs40>>20
ケイセイ会 ヘイセイ
セイワ会 レイワ

10:40 午後  
Blogger yoji said...

26名無しさん@1周年2019/04/04(木) 18:59:35.56ID:IM2x3fYT0
太平洋戦争終結から74年?
白村江の戦いから敗れて70年目が
この万葉集の序文である

4:09 午前  
Blogger yoji said...

38名無しさん@1周年2019/04/04(木) 19:03:10.04ID:8U+fBOP40
「文選」張衡の帰国賦を
万葉集の歌の花序が本歌取りして
同じ「令月」や陽気の説明の「和」を 使っているが
その季節表現の持つ意味は真逆w

「文選」張衡の帰国賦の方は、
腐敗した政治に絶望して故郷へ帰る詩で
政治の腐敗と対極な自然を「令月」で対比させてる

万葉集の梅の花の序の方は
梅の宴で32人が集まって歌を詠み合う
まさに和気藹々とした状況と調和する「令月」らの自然

同じような自然描写の表現を使っても、
中国の方は政治の腐敗に対し、日本は自然の美しさと連動した文化の喜びを表し、真逆w

何やら文選以来1,500年経っても
中国の政治腐敗は変わらないw
しかも
毛沢東のシナ共産党が発動した文化大革命は、
日本人が古来から尊敬してやまない中国文化を徹底的に破壊してしまった

今の中国人は毛沢東が死んで40年経つのに
未だこの事実を指摘出来ない

4:10 午前  
Blogger yoji said...

“「忖度」という言葉は『詩経』という中国古代の詩集の中に出てきます。「他人に心有り。予之を忖度す。」詩の原文の中では、徳を具えた聖人君子がよからぬ人の心を見破るという文脈で使われています”
メモ_φ(・_・ 「忖度」の意味が今の形へと変わったのは、誰かの忖度によるものなのだろうか?(違)

1:19 午前  
Blogger yoji said...

【ネトウヨ涙目】「令和」の考案者は中西進氏 複数の政府関係者が認める

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1クロ ★2019/04/20(土) 11:22:20.69ID:LnO9G7d29>>2
 政府は19日、新元号「令和」の選考過程で1日に開いた有識者懇談会、衆参両院正副議長への意見聴取、全閣僚会議の議事概要を公表した。「令和」以外の最終案やそれらの考案者は明らかにしなかった。だが、朝日新聞の取材に対し、複数の政府関係者が「令和」を考案したのは国文学者で、万葉集研究第一人者の中西進氏(89)だったことを認めた。

 中西氏は1970年に著書「万葉集の比較文学的研究」などで日本学士院賞を受賞。94年には宮中行事「歌会始」で天皇陛下に招かれて歌を詠む「召人(めしうど)」を務めた。2011年から富山市の「高志の国文学館」の館長。安倍政権下の13年に文化勲章を受章した。政府が新元号の典拠とした万葉集の研究で第一人者として知られているため、中西氏は元号発表直後から考案したと有力視されてきたが、取材では認めていない。

 政府は今年3月14日付で国文、漢文、日本史、東洋史の学者に元号の考案を委嘱。1日の決定過程では、中西氏が考案した「令和」を含む6案を有識者9人による「元号に関する懇談会」などに提示した。

 政府が公表した議事概要によると、懇談会の場では「令和」について、「我が国がもっている素晴らしい洗練された文化を象徴している」など賛同する意見が相次いだとされる。

 懇談会などの詳細な議事録は別途作成して、「令和」の次の元号が決まった後に国立公文書館に移管して公開する方針だ。

朝日新聞
2019年4月20日5時0分
https://www.asahi.com/articles/ASM4M536VM4MUTFK016.html

7:59 午後  

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