ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857 - 1913)
https://nam-students.blogspot.com/2019/03/ferdinand-de-saussure1857-1913.html@
NAMs出版プロジェクト: パレート最適:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_82.html
パレートからソシュールへ 村舘論考
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10487043_po_ART0010353408.pdf
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パレートからソシュールへ 村舘論考
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82
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人物
記号論を基礎付け、後の構造主義思想[2]に影響を与えた。言語学者のルイス・イェルムスレウ、ロマーン・ヤーコブソンのほか、クロード・レヴィ=ストロース、モーリス・メルロー=ポンティ、ロラン・バルト、ジャック・ラカン、ジャン・ボードリヤール、ジュリア・クリステヴァ、ノーム・チョムスキーなど多くの思想家が、その影響を受けている。
生涯
1857年11月26日、スイスのジュネーヴに生まれる。ソシュール家は、16世紀にフランスから移住してきた名家で、物理学や生物学などの自然科学を中心に、多くの学者を輩出して来た一家であった。たとえば、自然科学者オラス=ベネディクト・ド・ソシュールは曾祖父、有機化学者・植物生理学者ニコラス・テオドール・ド・ソシュールは祖父、弟には"アンティード"の筆名で活動したエスペランティストのルネ・ド・ソシュール(René de Saussure、1868年–1943年)がいる。
1870年からギリシャ語を学び、1873年にギムナジウムに入る。1876年にパリ言語学会に入会し、10代にして数々の発表を行って名声を高める。この頃、ライプツィヒに留学する。当時のライプツィヒを中心に活動し、従来からの印欧語族の比較言語学に批判的な青年文法学派の新しい言語学に触れその知識を得る[3]。
1878年暮れ、論文『Mémoire sur le système primitif des voyelles dans les langues indo-européenes[4]』(印欧語族における母音の原始的体系に関する覚え書き)を発表する。これは、ヨーロッパ圏の諸語の研究から、それらの祖となった印欧祖語の母音体系を明らかにしようとしたものである。この論文において、「内的再建」という半ば数学的な導出によりソシュールが提出した喉頭音仮説が、後にヒッタイト語解読によって実証された。そして、これが20世紀の印欧祖語研究に大きな影響を与えることになる。
ソシュールの言語理論
通時言語学と共時言語学
ソシュールは、言語学を通時言語学と共時言語学に二分した。従来の比較言語学のように、言語の歴史的側面を扱うのが「通時言語学」である。それに対して、言語の共時的(非歴史的、静態的)な構造を扱うのが「共時言語学」である。ソシュールは、その両方を研究の対象とする(ただし、生前の研究成果のほとんどは、印欧語の比較言語学的研究に関するものである)ことで、それまでのように言語の起源や歴史的推移を問題にするだけでなく、ある一時点における言語の内的な構造も研究対象にし、それによって言語を全的に理解しようとした。
ラングとパロール
共時言語学(記号論)においては、言語の社会的側面(ラング。語彙や文法など、社会に共有される言語上の約束事。コード)と言語の個人的側面(パロール、「今日は暑い」とか「私は鰻を食べたい」などといった個人的な言語の運用。メッセージ)に二分し、「ラング」を共時言語学の対象とした。
シーニュ、シニフィアンとシニフィエ
ソシュールは、言語(ラング)は記号(シーニュfr:signe)の体系であるとした。ソシュールによれば、記号は、シニフィアン(たとえば、日本語の「イ・ヌ」という音の連鎖など)とシニフィエ(たとえば、「イヌ」という音の表す言葉の概念)が表裏一体となって結びついたものである。そして、このシニフィアンとシニフィエの結びつきは、恣意的なものである。つまり、「イヌ」という概念は、"Dog"(英語)というシニフィアンと結びついても、"Chien"(フランス語)というシニフィアンと結びついても、どちらでもよいということである。
二重分節
まず、音韻について言えば、たとえば日本語では、五十音で音を区切っている。そして、「ア」の音は、「ア」以外の音(イ、ウ、エ、オ、……)ではないものとして意味を持つ。そして、音の区別の仕方は、言語によって異なる。たとえば、日本語の音韻体系においては、英語における「r」と「l」にあたる音の区別がない。つまり、本来ならば、無限に分類できるさまざまな音を、有限数の音に分類する。そして、各言語の話者族は、それぞれ独自のやり方で(つまり、普遍的ではないやり方で)音を区分けしている。これは、"言語の音声面での恣意性"と表現される。
一方、音韻だけではなく、概念も言語によって区切られている。たとえば、「イヌ」という言葉の概念は、「イヌ」以外のすべての概念(ネコ、ネズミ、太陽、工場、川、地球……)との差異で存立している。このように、人間は、「シーニュ」という「概念の単位」によって、現実世界を切り分けているのである。そして、その切り分け方は、普遍的ではない。たとえば、日本語では虹の色を「七色」に切り分けているが、それを「三色」に切り分ける言語もある。つまり、色を表す言葉の数によって、虹の色の区切り方が違うのである。また、日本語では「マグロ」と「カツオ」を別の言葉で表現するが、英語では両方とも"tuna"である。これは、それぞれの言語を話す人々は、どの差異を区別し、どの差異を無視するかということを恣意的に選択しているのである。そして、その選択がその言語に固有の語体系を作るのであり、その語体系は、その言語の話者族に、現実世界を与える。ソシュールは、この語体系の固有性を作り出す側面を"価値"と呼んでいる。価値は、話者族の恣意による。たとえば、英語のsheepとフランス語のmoutonは、意義は同じであるが、価値は異なる。ここにおいて、ソシュールは、「各民族語は、相互に異なる固有の世界像を持つ」という言語相対論を提唱した。
このように線引きの集まりを恣意的に作るという行為は、分節と呼ばれる。そして、人間は、「現実世界の認識の体系」と「言葉を構成する音の体系」という二つの体系を"分節"によって作りあげているのである。これを二重分節という。なお、線引きが恣意的であることを、後に"差異の体系"と呼んだ評論家がいるが、それでは力点の置き方が異なるため、ソシュールの意図からは外れることになる。
ランガージュ
ソシュールは、このように音韻や概念を分節し、言語を運用する人間の能力をランガージュと呼んだ。ランガージュを持つことによって、人間は「今日は暑い」とか「私は鰻が食べたい」といった個人的な言語を運用(パロール)することができるようになるのである。ソシュールは、「ランガージュは、人類を他の動物から弁別する印であり、人間学的あるいは社会学的といってもよい性格を持つ能力である」と述べている。
いわゆる記号論について
ソシュールの指摘によって、恣意的な関係性という意味の 「シーニュ」の概念が指摘された。そして、このことをきっかけに、同様の恣意性が、言語学以外のさまざまな象徴や指標でも見出された。そして、この概念は、(ダルシャナを知らなかった)ヨーロッパの人々にも、遅ればせながら意識されるようになった。また、「シーニュ」の概念は、言語に関する理論にとどまらず、他の論者・評論家たちからも類推的・拡張的に利用され、次第に記号論あるいは記号学と呼ばれる一連の論・評論へと発展していくことになった。
たとえば、後の記号論者には、あるブランドに特定のイメージが関連づけられる仕方は、おおむね恣意的なものであり、他の類似ブランドとの差異の体系を形成している、ということを指摘した者もいる。たとえば、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』もいる。
評論家たちは、映画や小説の作品を、作者の個人的な生い立ちや意図ではなく、同時代の関連作品との"差異の体系"として読み解こうとした。これは、「間テクスト性の分析」と呼ばれる分析方法であり、ロラン・バルトやジュリア・クリステヴァが使用した。しかし、これは、ソシュールの提示した概念に負うところが大きい。
講義ノートと原資料
ソシュールは、存命中一冊の著書も出版しなかった。しかし、ソシュールには、晩年の1906年から1911年にかけて、ジュネーヴ大学において、一般言語学についての講義を計三回行ったことがあり、そのときに後にソシュールの弟子になるバイイとセシュエがまとめた『一般言語学講義』(仏: Cours de linguistique générale)がある。ただし、彼らは、この講義をジュネーヴ大学の別の講義に出席したため、直接聴講しているわけではない。なお、直接講義を受けた学生による講義ノートが、エディット・パルクから第一回から第三回まで全て出版している。
1954年頃から、ジュネーヴ公共大学図書館では、ソシュールの講義ノート等の資料が収集され始める。そして、1957年にゴデルが『一般言語学講義の原資料』を、1968年にはエングラーが『一般言語学講義』改訂版を刊行する。
脚注
- ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年2月12日閲覧。
- ^ ジョルジュ・ムーナンの『ソシュール―構造主義の原点』大修館書店の原題がSaussure, ou le structuraliste sans le savoir「ソシュール、それを知らなかった構造主義者」となっているように、ソシュール自身が構造主義を標榜したのではない。
- ^ 千野栄一『言語学への開かれた扉』三省堂、1994年。ISBN 4-385-35601-7
- ^ 論文はガリカ(フランス国立図書館によるデジタル図書館サイト)で公開されている。[1]
参考文献
- 『一般言語学第一回講義』フェルディナン・ド・ソシュール、相原奈津江・秋津伶訳、エディット・パルク、2008年 ISBN 9784901188067
- 『一般言語学第二回講義』フェルディナン・ド・ソシュール、相原奈津江・秋津伶訳、エディット・パルク、2006年 ISBN 4901188054
- 『一般言語学第三回講義』フェルディナン・ド・ソシュール、相原奈津江・秋津伶訳、エディット・パルク、2003年 ISBN 4901188038
- 『言語學原論』フェルディナン・ド・ソシュール、小林英夫訳、岡書院、1928年。
- 本書では「ソッスュール」と表記。改版新訳の初版(1940年刊)以降は岩波書店より刊行。
- 『一般言語学講義』Cours de linguistique générale フェルディナン・ド・ソシュール、小林英夫訳、岩波書店、1972年。
- 『言語学原論』を改版新訳の上改題。
- 『新訳ソシュール一般言語学講義』フェルディナン・ド・ソシュール、町田健訳、研究社、2016年。
- Cours de linguistique générale の新訳。
- 丸山圭三郎『ソシュールの思想』、岩波書店、1981年 ISBN 4000012207
- 日本のソシュール解説として代表的なもの
- 丸山圭三郎編『ソシュール小事典』、大修館書店、1985年 ISBN 4469042439
- ソシュールの思想の用語解説、生涯、影響等が記載
- 「ソッスュール『言語学原論』を繞って」『本屋風情』岡茂雄著、平凡社、1972年、129~132頁。
関連項目
- シニフィアンとシニフィエ
- ラング
- ランガージュ
- パロール
- 共時論と通時論(特定共時性、通時性)
外部リンク
ーー
64 考える名無しさん[] 2019/04/18(木) 21:33:33.82 ID:0
返信削除“表現体(エクリチュール)とは、一種の《悟り》なのである。”
― ロラン・バルト 『表徴の帝国』 宗左近訳、ちくま学芸文庫 (1996) p14
66 考える名無しさん[] 2019/04/19(金) 00:06:54.23 ID:0
>>64の中では、
阿頼耶識や華厳についても触れいてる
返信削除ヴィルフレド・パレート
ローザンヌ学派
ヴィルフレド・パレート
生誕 1848年7月15日
フランス共和国 パリ
死没 1923年8月19日(75歳)
スイス セリニー
国籍 イタリア