火曜日, 6月 25, 2019

内生的貨幣理論の再構築 内藤敦之

内生的貨幣理論の再構築 内藤敦之
https://nam-students.blogspot.com/2019/06/blog-post_25.html@


貨幣・信用・国家 ポスト・ケインズ派の信用貨幣論と表券主義 内藤敦之
https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/44/1/44_KJ00009509674/_pdf/-char/ja 全11頁
論文では,信用貨幣論と表券宅義の関係を貨幣本質論と中央銀行論の領域から,それぞれ検討し,信用貨幣と表券主義を統合したシステムにおける国家の役割を考察している。結論は以下の三点である。   第一に,信用貨幣論と表券主義は貨幣本質論においては,名目主義という立場を共有し,ともに商品貨幣説に対抗する見解となっている。信用貨幣論においても,表券主義においても,貨幣は名目的な存在であり,実物的な価値との内在的な関係は存在しない。このように,両者共に名目主義を採用している。名目主義は商品貨幣説に対抗する主張であるという点で重要である。というのは,商品貨幣説は,新古典派において採用されているだけでなく,貨幣数量説などの基礎となっているが,商品貨幣説にせよ,貨幣数量説にせよ,信用貨幣論とは全く,相容れない説であるからである。さらに,商品貨幣説を基礎とすることは,基本的には国家や社会を前提とせず,国家による貨幣の管理にも否定的である。けれども,現実には以下でも述べるように国家による貨幣の管理は必要であり,商品貨幣説的な貨幣観を採用する限り,国家と貨幣の関係のみならず,中央銀行の役割といった点も説明は困難となる.このため,そのような見解の基盤となっている商品貨幣説を批判することはポストケインジアンの貨幣理論の基盤を確立する上では欠かせない作業である。
 第二に,貨幣本質論の領域においては,信用貨幣論と表券主義は名目主義という立場を共有しているが,貨幣と国家,社会との関係に関しては,違いも存在する。信用貨幣論においては,貨幣が実際に流通し,使用されるためには,純粋に論理的な水準では,少なくとも社会が必要であり,国家は必ずしも前提とならない。これに対して,表券主義では,貨幣を制定する「権力」,あるいは何らかの機構としての国家が前提となっている。この点は,信用貨幣論と表券主義の違いである。しかし,信用貨幣論の貨幣本質論においては,国家は計算貨幣と結び付いている。すなわち,現実の制度的な水準では,計算単位を指定するのは国家であり,実体としての貨幣である「本来の貨幣」を指定するのも国家である。このように,ケインズが『貨幣論』で述べているように,現実の貨幣は全て表券主義的な要素を有しているのであり,表券主義は信用貨幣論に統合されている。
 第三に,信用貨幣論において国家の役割が強調されるのは,中央銀行論である。中央銀行の役割は,信用貨幣論と表券主義では異なった面を有するが,貨幣の管理及び政策面では,その機能は一致している。信用貨幣論においては,信用/債務関係から貨幣を説明し,貨幣は銀行が創造する。銀行が複数存在する場合は,決済システムとして中央銀行が必要となる。中央銀行は決済手段として自らの負債を提供するだけでなく,決済不能に陥ることを回避するための貸出を行う。これは信用貨幣に内在的な不安定性によるものであり,金融システム,あるいは経済全体に危機が及ぶのを回避する目的で行われている。この「最後の貸し手」としての機能が存在するため,中央銀行は公共性のある存在,すなわち,国家の一部の機構を成しているのである。また,中央銀行の目的は,国家との関係では,貨幣,金融システムの維持であるが,国家によって指定された計算貨幣と実体としての貨幣の管理がその果たすべき機能となっている。他方,表券主義においては,貨幣は国家が制定し,国家が前提となった理論となっている。ただし,貨幣の管理は,表券主義においても,中央銀行を通じて行われ,政策手段も信用貨幣論と同じく,短期利子率の操作となっている。この点は,中央銀行の役割として,信用貨幣論における金融システムの維持としての最後の貸し手機能だけでなく,短期利子率を通じての貨幣の管理が表券主義においても重要であるということを示している。すなわち,中央銀行は信用貨幣論と表券主義のそれぞれのシステムを結び付ける点としても機能している。

ホートリー、ケインズ


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*1:初出
*2:この人については以前このエントリで紹介した。
*3:ポスト・ケインジアンとの絡みでは、大月市大月短期大学内藤敦之さんという方が「貨幣・信用・国家--ポスト・ケインズ派の信用貨幣論と表券主義(Money, credit and state: post Keynesian theory of credit money and chartalism)」という論文を書かれている(ただしネットで中身を読むことはできない)。
*4:そういえば以前クラワーが「ケインズ学派にはキリスト教の宗派よりも多くの派があり、キリスト教の派閥よりも互いに憎しみあっているようだ」と皮肉っていたっけ…。

新表券主義者の時代? - himaginary’s diary
https://himaginary.hatenablog.com/entry/20091106/era_of_neo_chartalism

新表券主義者の時代?




11/3エントリに対し、Cruさんから「徴税を中央銀行発行の通貨で受け付ける国家権力の存在が裏付けなのかしらん?」というコメントを頂いた。
徴税を貨幣論の基礎に置く考えは、拙ブログで何回か紹介したビル・ミッチェルやカンザスブログの人たちの基本的主張と言ってよいだろう*1。実は11/3エントリで紹介したRoweの議論を読んだ時、小生も真っ先に彼らの議論を思い浮かべた。そこで、こういうことを言っている人たちがいるけれど、どう思います?、というようなコメントをそのRoweのエントリに書いてみた。
すると、Roweより先に、RebelEconomist氏*2が反応し、彼らの主張をChartalismと呼ぶことを教えてもらった(ただしRebelEconomist氏自身は彼らの主張に否定的とのことだったが)。
そこで、Chartalismでぐぐってみると、日本語では「表券主義」とか「貨幣国定説」と訳されていることを知った*3このエントリによると、Chartalismの語源はラテン語でチケットとかトークンを意味する「charta」であるとのこと。
また、Wikipediaのエントリでは、この学派について良くまとまった説明がなされている。その中のModern_Proponentsという項を見ると、ビル・ミッチェルやカンザスブログの人たち等の最近の主唱者は、Neo-Chartalismと呼称されるとのことである(カンザス一派の代表的人物であるL. Randall Wrayが自らそう名付けたとの由)。また、こちらの説明によると、カンザスブログの人たちは、今の米国の代表的なポスト・ケインジアンなのだという*4
Rowe自身からは、小生が紹介したミッチェルのブログエントリやWikipediaをざっと読んでみたけれど、かなりの部分は実はオーソドックスな主張なのではないか、という見解をもらった。
なお、後で気付いたが、Rowe中央銀行に関するもう一つのエントリ(ここ参照)でも、RoweはChartalismを勉強すべき、というようなコメントを書いていた人がいた。
それやこれやで、Rowe自身もChartalismに興味を持ち、それに関するエントリを書こうとしているようだ(直近のエントリでは、Neo-Chartalismについて書こうと思ったが、脱線してしまった、と書いている)。もし何か面白いことを書いたら、またここで紹介してみたい。



https://ameblo.jp/chichukai/entry-12281336707.html

内生的貨幣理論の再構築

ゴールデンウィークの頃から、内藤敦之氏の「内生的貨幣供給理論の再構築」という書籍を何度も読んでいる。
ゴールデンウィーク前に何冊もの書籍をアマゾンでいろいろ注文したが、そのうちの一冊である。この書籍を選んだ理由を述べれば、貨幣に関する無理解や誤解が新古典派の問題点であり、貨幣の正しい理解を経済学の中心に据えることが必要との考えなので、参考になると考えたからだ。(雨龍氏に以前ご紹介いただいていたことは、コメントで指摘されて思い出した)
この書籍は、筆者の博士論文を元に加筆修正したものであるとのことである。指導者が経済学史、経済学説史を専門とするということがあってか、関連する経済学者の論文を読み、比較検討することによって作られている。筆者が自負するように、なかなか大変な量の作業をこなしており、価値のある論文であると思う。
過去の経済学者のあまり馴染みのない様々な業績にまで触れているために、なるほどと思えるような考えも多々あり、勉強になった。ただ残念なことにとても分かりやすいとは言い難い。経済学部生であればスラスラと、素人であっても苦労すれば読めるくらいにするべきだろう。時間をかけ素晴らしい作業をしているのだから、分かりにくいのはたいへん勿体無い。
分かりにくい原因は、馴染みのない様々な説が次々出てくることだ。それらに関して後で説明されているが、その時点ではぐぐっても分からないような単語ばかりなので、分からないまま進まなくてはいけなかったり、戻って読まなくてはいけなくなっている。であるから、ここではまず重要な語句の説明を簡単にしようと思う。
内生的貨幣供給:経済システムの内部で経済活動によって貨幣が生み出されるといった意味であると思われる(利子率などの他の要素によって影響される。独立した要素ではないといった意味も含む)。これに対して、金鉱の掘り出しや貨幣の代わりになるような商品の生産によって貨幣が増えていくような考え、政府、中央銀行からの恣意的なベースマネーの供給によって供給量が決まるというマネタリストの考えを外生的としている(ただし後者の恣意的な供給も実際に存在するのでP7『貨幣供給が内生か,あるいは外生かは必ずしも,最も重要な論点ではない』)
ポスト・ケインジアン:ケインジアンのWiki参照。『アメリカンケインジアンに特徴づけられる新古典派経済学の理論』『の前提に疑問を持ち、現実の』『構造を理論化し現実の経済の不均衡のメカニズムに迫ろうとする』人々。P48『近年,内生的貨幣供給論を中心とした理論を提示している』。
サーキュレイショニスト:仏伊において貨幣的循環を重視したマクロ経済学を展開しているグループ。この貨幣的循環というのは、景気の循環のことではなく、P5『信用から貨幣が生じ』、最終的に『貨幣が銀行へ還流し消滅する』という私が今まで書いてきた話と一致した考えであるようだ。
ホリゾンタリスト:P153『常に貨幣ストックが需要によって決定され』ると考え、P150『外生的な利子率と水平の貨幣供給曲線を主張』する内生的貨幣供給論の一派。P49『中央銀行の順応的な貨幣供給を強調する』。マネタリズムに対抗する。
ストラクチュラリスト:P49『金融市場の役割を重視する』立場である。ホリゾンタリストが主張するような中央銀行の順応的な貨幣供給はP180『商業銀行が不十分な準備しか保有していない』場合のものであり、『必要な準備はある程度は』創造されるという立場である。貨幣供給曲線は右上がり(構造的内生性による)とし、利子率においてP182『流動選好を重視』する。
名目主義:貨幣自体に価値は内在せず、貨幣は名目的存在であるという考え。
表券主義:P36『貨幣は特に国家の創造物であるという学説』。なお新表券主義においては、P36『税の支払いにおいて受領』されることを重要視している。
金融不安定性仮説:ミンスキーが唱えた「経済の不安定性は複雑な市場経済が生来的に備えている欠陥である」という理論。内生的貨幣供給を前提としている。
流動性選好、マネタリスト、景気循環貨幣の定義に関しては以前書いたもで省略。
上記をパラっと理解してから読めば、ある程度スラスラ読めると思う。


デフレ脱却こそが国債累積問題の解決策である:オピニオン:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)浅田統一郎
https://yab.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20120501.html?from=tw

デフレ脱却こそが国債累積問題の解決策である

 2012年5月現在、野田政権は財務省主導のもとで、「社会保障・税一体改革」、「増税しないと日本がギリシャのように財政破綻する」、「震災復興に増税が必要である」などと吹聴して日本とは全く事情が異なる他国の経済危機や我が国の大災害まで利用しながら、現在の5%から8%へ、さらには10%へと消費税率の大幅な引き上げを強行しようとしている。財務省と日銀の影響下にあるエコノミストは、この動きに追随している。しかし、現在のようなデフレ不況下で消費税を増税すれば、デフレ不況がさらに悪化してGDP(大雑把には国民所得と同一視できる)に対する国債残高の比率はさらに上昇するであろう。日本国債累積問題の真の解決策は、デフレ不況からの脱却であり、消費税の増税ではない。以下で、その理論的・実証的根拠を簡潔に提示する。

(1) 国債累積の数学法則

 本稿のような記事で数式が登場するのは異例のことであるが、「日本国債累積問題」が持つ逆説的な性質を解明するためには、以下で示される「国債累積の数学法則」を表す基本方程式(正確には近似式であるが)に言及せざるを得ない(詳細については、浅田[1]参照)。
△d=(G/Y)-(T/Y)-(△H/pY)+(r-π-g)d  (1)
 ただし、G= 実質政府支出、Y= 実質GDP、T= 租税の実質値、p= 物価水準、pY= 名目GDP、H= 中央銀行が発行する名目ハイパワード・マネー残高、B= 名目純国債残高(財務省が増税キャンペーン用に使用する「総国債残高」とは異なり、政府機関や中央銀行が保有する国債や政府が保有する資産を差し引いた政府の民間に対する純債務を示す)、d=(B/pY)= 国債残高比率(名目GDPに対する名目純国債残高の比率)、r= 長期国債の名目利子率、π=△p/p= 物価上昇率(インフレ率)、g=△Y/Y= 実質GDPの成長率、=g+π= 名目GDPの成長率であり、 は変化を表す記号である(たとえば、△d は単位時間あたりの の変化を示している)。(1)式は、国債の利子支払を含む政府支出(pG+rB) が租税(pT) 、民間引受けの国債の新規発行(△B) 、中央銀行によるハイパワード・マネーの新規発行(△H) のいずれかによって調達される、という中央銀行を含む「統合政府」の予算制約式から導出される。
 (1)式において、dにかかる係数(r-π-g) の値がマイナスであれば、 の増加が△d の減少を誘発して の累積的な増加を防ぐ「安定化効果」を持っているが、逆にこの係数の値がプラスであれば、 の増加が△d の増加を誘発して の累積的な増加を促進する「不安定化効果」を持っていることがわかる。従って、「ドーマー条件」(Domar condition)と呼ばれる
 長期国債の名目利子率=r<g+π=g 名目GDPの成長率 (2)
という不等式は国債累積を防ぐ「安定化要因」であり、逆の不等式は「不安定化要因」である。

(2) 数学法則に基づく「日本国債累積問題の逆説」の解明

 最近20年間の日本経済は、以下の事実によって特徴づけられる(浅田[1]およびダカーポ特別編集[2]における三橋貴明氏と高橋洋一氏の記事参照)。1989年から1992年にかけて日銀が極端な金融引き締めによって意図的に「バブル」を崩壊させて以来20年間にわたって、「サブプライム・ショック」や大震災の後も含めて日銀は名目マネーストックの増加率を1980年代の「バブル期」の5分の1程度に抑え続け、政府は名目公共投資を急速に縮小させ続けた。さらに、橋本政権下の1997年に、財務省主導で消費税を3%から5%に引き上げた。その結果、名目GDPは1997年以降全く増えなくなり、1997年に520兆円あった名目GDPは、13年間に40兆円も減って大震災直前の2010年には480兆円にまで落ち込み、税収入の総額は、消費税増税前よりも15兆円も減った。その間に年率1%前後で物価が緩やかに低下し続ける「デフレ不況」に日本経済は陥り、名目GDPに対する名目国債残高の比率は急上昇した。つまり、「政府が公共支出を切り詰めて増税し、日銀がマネーを絞ると、国債残高比率はむしろ増加する」という一見逆説的な結果が、過去20年間に日本で生じたのである(誤解を防ぐために補足すれば、このメカニズムと少子高齢化は無関係であり、また、国債は民間から見れば債務ではなく資産なのであるが)。
 以上で指摘された「日本国債累積問題の逆説」は、基本方程式(1)式を用いることによって、理論的に説明することができる。(1)式において、 の低下および消費税率の引き上げ自体は△d を抑える作用があるにも関わらず、それらに誘発された の低下および不況がもたらす所得税と法人税の急速な低下に起因する平均税率T/Y の低下、および日銀の消極的な金融政策に起因する△H の低下は、むしろ△d を上昇させるように作用した。さらに、このことによってデフレ不況が深刻化し、その過程で もπ も も同時に低下したが、2000年以後も は年率プラス1-2%程度を維持したのに対し、=g+π はしばしばマイナスにさえなり、 が年率プラス2%を下回った2000年以降、それまで満たしていた「ドーマー条件」(2)式が満たされなくなり、それ以降急速にdが上昇し始めたのである。
 「ドーマー条件」を再び満たすようにするためには、20兆円規模の震災復興資金の日銀引受けをはじめとする政府と日銀の協定に基づく積極的な財政金融政策のポリシー・ミックスおよびインフレ目標政策によって、年率プラス2%程度のインフレ率とプラス4%程度の名目GDPの成長率(OECD諸国の過去10年間の平均並みに過ぎない)を維持してデフレ不況から脱却することが必要である。デフレ不況下の消費税増税はGDPの縮小をさらに促進して、日本の経済先進国からの脱落に手を貸すことになるであろう。原発問題についても言えることであるが、誤った政策がもたらす破壊的な結果に対して、その推進者も追随者も誰一人として責任をとろうとしないのが、日本という国なのである。
参考文献
  • [1] 浅田統一郎 「国債累積と財政金融政策のマクロ動学:不適切なポリシー・ミックスについて」(渡辺和則 編『金融と所得分配』日本経済評論社、2011年12月 所収)
  • [2] ダカーポ 特別編集『消費税増税はなぜダメなのか?』(マガジンハウス、2012年5月)