防弾着なしに綺麗な公道を歩けることが「通貨の価値」の根源です
これからちょっとだけ遅い夏休みに入りますんで、かなり長いのを一つ。
…あ、いつも長いか。ですよね。
さて。
人は、国家の庇護の下で、そこで許される範囲において自由と欲求の満足を謳歌するしかありません。その点は「仕方ないだろ」です。私たちは一人では道路も電気も衣服も食料も作れないし、暴力などへの対処もできないからです。
そのことに関連して、「消費税を廃止したり財政赤字を放置すると、通貨への信認が無くなり、通貨が暴落して財政破綻に繋がる」とか何とかいう話に反論します。まずは以下の例をごらんください。
参考 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66073
[MMT(現代貨幣理論)が、日本経済を「大復活」させるかもしれない(小川 匡則) | マネー現代 | 講談社(1/6)2019/7/31
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66073]
※ゲンダイというURLだけで拒否反応を示さないように笑
経済学者のウォーレン・モスラーと、その2人の子供らの話。(様々に誇張・創作が入っています←)
ウォーレン(以下う)「おまいらgdgdしてねーで、ちょっとは家事を手伝いなさい」
子A(以下A)「お断りします」
子B(以下B)「断固お断りします」
う「断固言うたでこれwwwwww」
A「だってヌンドクセーし…」
B「働いたら負けだと思ってる」
う「なんか聞いたことあるそれ。いやね、ちゃんと報酬は出そうと思ってるんだよ?」
A「うむ聞こうか」
B「まずは応接室へ」
う「なんか、子育て大間違い感ハンパないんですけど…」
A「では父上、報酬の交渉に入ろうじゃありませんか」
う「交渉言うな。まあいい。報酬はだね、これを見なさい。私の名刺だ」
B「今回は御縁が無かったということで」
う「面接官か。ちょっと待てや。最後まで聞きなさい」
A「えー、もう不毛臭が半端ないんですけど…」
B「そんなもんで喜ぶトシでもありませんし…」
う「そんなもん言うなwwww いいかね、例えば皿洗いは名刺3枚。芝刈りは20枚など、家事の種類に応じて報酬の名刺の枚数は変わるんだよ。どうだ、面白いと思わんかね」
A「わーおもしろーい」
B「すごーい かわいーい」
う「語彙の無いおねーちゃんか。鼻ほじってんじゃねーわ。とにかく名刺は準備しておくから、しっかり頑張りなさい」
~ 数週間後 ~
う「あかん、お手伝い全くあれへん…orz おいA、B!!ちょっと来なさい!!」
A「おもしろーい」
B「すごーい」
う「まだ何も言うてへんわ!!それよりどういうことや、お手伝いがゼロ行進やないか。これは何か、松山商vs三沢をイメージしての狼藉か」
A「ちょっとなに言ってるのか分からないんですけど」
B「そもそも名刺ってのが、ねえ」
A「いらねえよなw」
う「そうか……分かった。よし。貴様らそこへ直れ。外を見なさい」
A「はあ、見ました」
B「庭ですが何か」
う「この美しい庭のある家に、これからも住み続けたいかね」
A「ええ、そりゃまあ」
B「とっても、心が洗われるよねえ」
う「全く洗われているようには見えないが、まあよい。それなら毎月、名刺30枚を稼いで提出すること。さもなくば今後はゴミ屋敷に住むことといたしたい」
A「いやいやいや、極端だよー」
B「えーやめようよー」
A「無茶苦茶だー」
B「権力の濫用だー 人権蹂躙だー」
う「うるさい。これは父親としての命令である。私の意思は固いから、そのつもりで」
A「戦えっ…!! 市民っ…!!」
B「許すなっ…!! 横暴っ…!!」
う「カイジやめえや。とにかくこれは決定事項だから。明日から自分たちでよく考えて、名刺を稼ぎたければ、何かお手伝いがないか私に聞きに来ること。いいね」
A「ええ~やだな~」
B「こんなのアリかよ~」
う「やらなきゃ意味ないよ」
A「こわいこわい!!なんかそれ聞いたことある!!」
さらに参考
http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=1075
その後、子供たちは見違えるように家事を手伝うようになりました。
ウォーレンの名刺は「紙きれ」ですが、子供たちは心から欲しがるようになった。理由は、「この素晴らしい家に住み続けたいから」です。
極めて重要な要素の一つは、ウォーレンが持つ強制力です。その気になればウォーレンは転居に踏み切ることができる。子供たちはそれを拒否できない。
これは国家と国民に置き換えることができます。国家の強制力とは、例えば裁判所であり、警察であり、広く言えば「権力」です。子供たちは国民ということになります。
そして、もう一つ大きな要素があります。
子供たちは名刺を提出する(納税する)に際し、まずは先に名刺を受け取らねばならない(所得を得なければならない)ということです。反対に言えば、ウォーレン(政府)は、子供達(国民)から名刺の提出(納税)を受ける前に、最初に名刺を渡す(財政支出をする)必要があるということです。
そりゃそうでしょう。
子供たちが父親の名刺を最初から持っているはずもありません。
そして今回の場合、その支出(財政支出)のお題目は家事手伝い(公共事業)、となるのです。
ということは、ウォーレンは子供たちの名刺の提出(納税)を受けてから、お手伝いの内容を考える(公共事業の予算を計上する)のではない。そんなことは不可能です。明らかに、お手伝い(公共事業)に対する報酬(財政支出)が、先行するのです。
これは現実世界でも全く同じです。
我々は普通、「納税額の中で予算を組んで、足りない分は借金する」と思っていますが、全く違います。政府の支出の根拠は我々の納税ではないし、ましてや、政府の予算が納税額の範囲内である必要もありません。
ウォーレンの名刺は、我々が日常的に使う法定通貨です。名刺に本質的な価値はなく、その価値の源泉は税制なのです。繰り返します。最初に納税があり、それをもって予算を組む、のではない。順番は全く逆です。
(上記URLの原文ではこう書かれています ――― So
this sort of currency is what we call a fiat currency ? being made legal
by legislative fiat. It has no intrinsic worth and its value is tax
driven.)
話を続けます。
ウォーレンが課した「お手伝い制」において、実際に名刺が印刷されることは無いでしょう。別に印刷したければしても構いませんが、特に意味はありません。それよりは自宅のパソコンのエクセルか何かで、
「A 〇月×日 名刺5枚支給 今月累計21枚」
とか、
「B 〇月×日 今月分の名刺30枚提出完了」
…とでも記録すればよい。
ウォーレンが何枚の名刺を渡し、何枚の名刺を手元に置いているのかどうしても管理したければ、これもエクセルに、
「う 〇月×日 名刺100枚増刷」
とでも書けば済む話で、紙である必要はありません。手元に準備する枚数を多くしておきたければ、"0"のキーをポンと叩いて、
「う 〇月×日 名刺1000枚増刷」
これで終わりです。
この点も現実世界と全く同じです。
日銀は黒田総裁になってから「日本円」を400兆円ほど増やしましたが、何も一万円札を400億枚ほど印刷したわけではないし、また、物価が大幅に上昇したとか、ましてやハイパーインフレなどということには全くなっていません。なるわけがないのです。
ウォーレンが名刺の在庫をエクセルで「10000000枚」と入力しても、子供たちの仕事と報酬には特に何の影響もありません。同じことです。
次は貯蓄の概念を考えてみます。
子供達にも都合があります。夏休みには友達と遊びたいし、試験期間中は勉強に集中したい。だから子供たちは、今のうちにもっと手伝いをさせてくれ(公共事業を増やせ)と要求するのです。それで今月は名刺40枚を稼いだ。30枚提出すれば手元に10枚残る。来月は少し楽ですね。
では、その時点でウォーレンが保管する名刺の状況(政府の財政)はどうかというと、10枚の赤字を計上したことになります。財政赤字です。一方で、子供たちは名刺10枚分の黒字です。
これも、貿易を除けば現実の経済と同じようなことです。ウォーレン(政府)の赤字は子供たち(民間)の黒字なのです。もちろん逆も成り立ちます。政府黒字は民間赤字です。
「いや、それはおかしい!!」ではない。そもそもこれは「私の考え」でも何でもありません。単なる事実です。
また、手元の名刺が10枚減ったこと(財政赤字)によってウォーレン(政府)が困ることは何か、という点も考えましょう。ウォーレンの手元の名刺が減った。財政赤字です。それで何が困るのか。別に、何も。大事なのは子供たちが約束を守り、しっかりお手伝いをしてくれること。そうですよね。その約束はキッチリ守られています。で、何が不満なんですか。赤字がそんなに嫌なんですか。
「来月は遊びに行く予定があるから、今月のうちに40枚分働かせて」
と子供たちが言ってきたら、
「そうかそうか、偉いな。ちゃんと先のことを考えてるんだな」
と誉めてやり、エクセルに「名刺〇〇枚増刷」と入力すればいい。それだけです。
ここで「オレの手元の枚数が減るから嫌だ」などと言う親父は死ぬほどのバカです。
さて、いまのところ、この名刺の使い道はウォーレンに対する提出(納税)だけです。しかし、一定の枚数でお菓子を与えるとか、遊びに連れてってやるとか、何らかの権利を与える機能(消費の機能)を持たせたらどうなるか。(もちろんお菓子の生産者が存在しないなど、この辺りは実際の経済とは異なります。)
単純に考えれば、子供たちはより一層お手伝いを積極的にするようになるでしょう。本来なら30枚で済むところを、40枚、50枚と「稼ぐ」ようになります。さらには、いつ何時でも欲求を満たせるように「貯蓄」にも励むようになります。仮に、月末の提出(納税)後に、
Aが100枚 Bが80枚
の「貯蓄」を手元に残した場合、子供たちのその180枚分の黒字は、ウォーレン(政府)にとっては180枚分の赤字ですが、子供たちはその180枚の黒字で、お菓子を存分に楽しめます。
ここで、この180枚の財政赤字を「奔放かつ無責任なバラマキの結果」などと解釈すべきではありません。この180枚は、
「お手伝いの報酬の累計」-「ウォーレンへの提出分の累計」
という簡単な引き算を意味します。これを「バラマキ」というのは、子供たちのお手伝いを批判するのと同じです。
さて、次第に経済主体同士での取引が始まります。AとBが父親の名刺の交換を始めるのです。
例えば、お菓子を食べ過ぎて月末の30枚の提出が苦しいAは、Bから有利子で借りる。またはBが食べようとしているお菓子がなかなか珍しいもので、それを5枚で手に入れたと聞いたので「7枚で譲ってくれないか」と持ち掛ける。
ほかにも様々に考えられます。家の戸棚にお菓子がほとんど無い場合、子供たちはお菓子の「相場」を上げる。戸棚のお菓子がパンパンなら「相場」は下落する。
こうして、ウォーレン一家では「名刺」が通貨としての価値を持つようになりました。
しかしある日、仮に(というか、ほぼ全部「仮」です笑)ウォーレン・モスラーがトチ狂い、上記の「死ぬほどのバカ親」になったとしましょう。
------
私の名刺は、子供たちの行動に大きく影響するほど強い価値を持っている。子供たちは名刺提出のスケジュールを立て、お菓子と交換し、ある時は我慢しながら貯蓄に励んでいる。
それなのに何だ、私は180枚の赤字ではないか。こんな放漫経営、赤字の垂れ流しが許されるのか。
------
こうしてウォーレンは「財政赤字の削減」を目指し始めました。(ウォーレン先生ごめんなさい←)
ウォーレンの収入は、月末に2人から徴収する30×2=60枚の名刺です。そして、お手伝いは、今後は合計40枚分しか提示しない。
この時、一家にはどのような行動が見られるでしょうか。簡単に思いつくものを書き出してみます。
A・B「30枚って取り過ぎなんだよな~」(重税感)
A・B「もっとお手伝いさせて!!」(公共事業の要求)
B「ねえ~父上~次のお手伝いはこの私、私め、Bにお任せあれ~」と無暗に父の肩を揉み始める(官民談合的なやつ)
A「父上、庭の草刈りはBのヤロウにさせると名刺20枚のところ、このAなら15枚でやらせていただきます」(経費削減、労働力の叩き売り)
う「ちっ…この出費は痛いが、食後の皿洗いと掃除だけは引き続きやらせるしかないな…」(社会保障費の負担感、高齢者への嫌悪)
B「ああ腹減った…… なあA、そのお菓子売ってくれ、背に腹は代えられん」(貧困問題)
A「mjd!?!?じゃあ名刺3枚で売っちゃう!!ついでにこんなお菓子もあるよ、今なら名刺2枚で!!」(価格競争)
A・B「今日はお菓子食べるのやめておこう。また月末に30枚取られるし」(消費の減退)
う「なかなか名刺回収できないな…来月から35枚提出させるか」(住民税増税)
う「次回から、名刺5枚のお菓子は6枚にします」(消費増税)
う「糖分が多いお菓子は健康に悪い。10枚にします」(たばこ税増税)
う「名刺と引き換えの、お菓子の量自体を減らします」(実質値上げ)
A「このエクセルか…? よし、今月分の枚数をちょっと増やして…」(紙幣偽造)
B「あっずるい、オレもオレも」(共同正犯)
う「あっ、お前ら何を!!って逃げよった!!母さん、母さん、AとBを捕まえて!!」(指名手配)
う「よーしもう逃げられんぞ。ちょっと書斎まで来い」(逮捕・送致)
A「無理矢理やん!!自分で出頭させて!!」(煽り的なアレ)
B「暴れてないでしょ!!やめてあげて!!」(撮影する人)
つまりは(?)デフレ不況です。
この「お手伝い制」の目的は、子供たちが自律的に家事を手伝い、そのノウハウを学ぶことにありました。しかしウォーレンが何の意味もなく手元の名刺を増やそうとしたことで(PB・財政黒字化目標の設定)、そもそもの目的であったお手伝い自体が減り、住環境が悪化し、子供たちはお手伝いの仕方を忘れていきます。
今回の名刺の例では「財産移転」や「日銀当座預金」が表現し切れていないなど、言うまでもなく現実に即さない部分は多々あります。しかし、様々な示唆が得られるのではないでしょうか。
------
通貨とは誰もが価値があると思っているから価値がある、のではない、という認識、これが重要です。そんな妄想で通貨を把握するから、大前研一のように「いつか多くの国民が一斉に通貨を見放してハイパーインフレ」などと言いだす。そんなもん絶対にあり得ません。バカ丸出しです。
この例の子供達は、当初、名刺に価値があるとは全く思わなかった。しかしその紙きれを提出せよと「実効力をもって強制された」のです。そして、その代償は「素晴らしい家に住み続けること」という、何にも代えがたいものでした。
この「素晴らしい家に住み続けること」とは、我々の実世界では何を意味するのですか。
あなたは(残念に思う人も多いでしょうが)国家に生かされています。
例えば、申し訳ないけど津田大介さんだって同じです。『表現の不自由展』への来客は、会場まで公道を使います。公道自体は1円も生み出さず、私企業の私財による建設は不可能です。また、自動車で来場する人は燃料を使いますが、津田大介さんは国の後ろ盾なく独自に石油を確保し、それを精製してガソリンにすることは不可能です。来場者が丸腰で、防弾服も無しにノコノコ徒歩で来られるのは国家が治安を維持しているからであり、それは津田大介さんの力ではありません。
津田大介さんにもご自宅がありますが、そこが「津田大介宅」であると保障し、権利関係を明確にしているのも国家です。土地や建物の所有関係を明確にし、しかもそれを蔑ろにする無体なヤカラがいた場合は、訴えにより排除し、正常な社会を維持するのも国家です。津田大介さんがご病気で倒れ、救急車で運ばれることがあっても同じです。そこに「国家の儲け」はありません。こんな仕事は「公」にしかできない。直接的には全部タダ。国家が黒字を目指すことの異様さは、この点だけを考えても分かります。黒字になってはいけないし、なる必要も全く無いのです。
これらの環境を国民に与える主体が、国家です。そして国家は国民に責務を与えます。その責務の媒介となるのが「法定通貨」です。日本政府は税を日本円でなければ受け付けないし、反対に国の事業への対価も日本円で支払われます。我々が税を日本円で納めることは様々な公的サービスに繋がり、ひいては日常生活の全てに繋がっています。
いくら「私は日本円を信用しない」と言おうが、ほぼ100%の企業は給与を日本円で支払います。その理由は、日本円の紙幣に価値があると思っているからではなく、全ての人に絶対不可欠な「公共」に繋がっているからであり、その橋渡しが「税制」なのです。
ウォーレンは「お手伝い」をどんどんさせて、名刺をどんどん与えるべきでした。経済とはクソ学者がご高説を垂れるような高尚なものではありません。単なる調整役なのです。
子供たちの名刺の貯蓄が300や400枚になったら、お菓子食べ放題になったり、真面目なお手伝いをする気が無くなったりするでしょう。そこで「今後は毎月40枚提出せよ」と増税するのです。逆のパターンもあります。調整が上手く行かず、お手伝いのし過ぎで子供たちの生活に支障が出るようなら減税すればいい。子供たちが病気になったら、もちろん免税でしょう。
つまり、懸命にお手伝いをしたくなるように、かといってあまりに大変にならないように、程よいテンションを保つための調整役が「経済政策」なのです。
今の日本政府(特に財務省)が目指すのは、手元への名刺の回収です。回収することが正しい場合も確かにありますが、それは今ではない。
子供たちはお菓子を食べられないし、遊びにも連れて行ってもらえない。庭は草ぼうぼうになり、草刈りの仕方を忘れかけています。バカ親が意味もなく名刺をケチっているからです。今は草刈りをさせ、壊れた納屋の修理の仕事をさせ、子供たちを元気に動かすべきです。そして、報酬は大いに振るえばいいのです。
財政赤字?
だからそれで何が困るんですか?
あなた、自分の給料が増えるのがそんなに嫌なんですか?
国家が名刺を溜め込むことは、国民の名刺の放出を意味します。貯蓄以外の選択肢を奪い、また最悪なことに能力の喪失を招きます。
我々の能力や生活レベルは、安倍政権が、財務省が、「名刺的なもの」を至上と考えることにより、崩壊へと向かっています。だから私は常にこう言うのです。守銭奴と。
あなたは今日も、安全な場所で寝起きし、防弾着なしに公道を歩いて、何度かの食事にありつくことができましたか。それが「通貨の価値」の源泉です。
ちなみに、本記事はウォーレン・モスラーの本来の話から相当に逸脱しているので、興味のある方はちゃんと調べてください。←
通貨の価値を正しく認識した政策が求められる、
↓と考える方はポチっと頼みます
※ゲンダイというURLだけで拒否反応を示さないように笑
経済学者のウォーレン・モスラーと、その2人の子供らの話。(様々に誇張・創作が入っています←)
ウォーレン(以下う)「おまいらgdgdしてねーで、ちょっとは家事を手伝いなさい」
子A(以下A)「お断りします」
子B(以下B)「断固お断りします」
う「断固言うたでこれwwwwww」
A「だってヌンドクセーし…」
B「働いたら負けだと思ってる」
う「なんか聞いたことあるそれ。いやね、ちゃんと報酬は出そうと思ってるんだよ?」
A「うむ聞こうか」
B「まずは応接室へ」
う「なんか、子育て大間違い感ハンパないんですけど…」
A「では父上、報酬の交渉に入ろうじゃありませんか」
う「交渉言うな。まあいい。報酬はだね、これを見なさい。私の名刺だ」
B「今回は御縁が無かったということで」
う「面接官か。ちょっと待てや。最後まで聞きなさい」
A「えー、もう不毛臭が半端ないんですけど…」
B「そんなもんで喜ぶトシでもありませんし…」
う「そんなもん言うなwwww いいかね、例えば皿洗いは名刺3枚。芝刈りは20枚など、家事の種類に応じて報酬の名刺の枚数は変わるんだよ。どうだ、面白いと思わんかね」
A「わーおもしろーい」
B「すごーい かわいーい」
う「語彙の無いおねーちゃんか。鼻ほじってんじゃねーわ。とにかく名刺は準備しておくから、しっかり頑張りなさい」
~ 数週間後 ~
う「あかん、お手伝い全くあれへん…orz おいA、B!!ちょっと来なさい!!」
A「おもしろーい」
B「すごーい」
う「まだ何も言うてへんわ!!それよりどういうことや、お手伝いがゼロ行進やないか。これは何か、松山商vs三沢をイメージしての狼藉か」
A「ちょっとなに言ってるのか分からないんですけど」
B「そもそも名刺ってのが、ねえ」
A「いらねえよなw」
う「そうか……分かった。よし。貴様らそこへ直れ。外を見なさい」
A「はあ、見ました」
B「庭ですが何か」
う「この美しい庭のある家に、これからも住み続けたいかね」
A「ええ、そりゃまあ」
B「とっても、心が洗われるよねえ」
う「全く洗われているようには見えないが、まあよい。それなら毎月、名刺30枚を稼いで提出すること。さもなくば今後はゴミ屋敷に住むことといたしたい」
A「いやいやいや、極端だよー」
B「えーやめようよー」
A「無茶苦茶だー」
B「権力の濫用だー 人権蹂躙だー」
う「うるさい。これは父親としての命令である。私の意思は固いから、そのつもりで」
A「戦えっ…!! 市民っ…!!」
B「許すなっ…!! 横暴っ…!!」
う「カイジやめえや。とにかくこれは決定事項だから。明日から自分たちでよく考えて、名刺を稼ぎたければ、何かお手伝いがないか私に聞きに来ること。いいね」
A「ええ~やだな~」
B「こんなのアリかよ~」
う「やらなきゃ意味ないよ」
A「こわいこわい!!なんかそれ聞いたことある!!」
さらに参考
http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=1075
その後、子供たちは見違えるように家事を手伝うようになりました。
ウォーレンの名刺は「紙きれ」ですが、子供たちは心から欲しがるようになった。理由は、「この素晴らしい家に住み続けたいから」です。
極めて重要な要素の一つは、ウォーレンが持つ強制力です。その気になればウォーレンは転居に踏み切ることができる。子供たちはそれを拒否できない。
これは国家と国民に置き換えることができます。国家の強制力とは、例えば裁判所であり、警察であり、広く言えば「権力」です。子供たちは国民ということになります。
そして、もう一つ大きな要素があります。
子供たちは名刺を提出する(納税する)に際し、まずは先に名刺を受け取らねばならない(所得を得なければならない)ということです。反対に言えば、ウォーレン(政府)は、子供達(国民)から名刺の提出(納税)を受ける前に、最初に名刺を渡す(財政支出をする)必要があるということです。
そりゃそうでしょう。
子供たちが父親の名刺を最初から持っているはずもありません。
そして今回の場合、その支出(財政支出)のお題目は家事手伝い(公共事業)、となるのです。
ということは、ウォーレンは子供たちの名刺の提出(納税)を受けてから、お手伝いの内容を考える(公共事業の予算を計上する)のではない。そんなことは不可能です。明らかに、お手伝い(公共事業)に対する報酬(財政支出)が、先行するのです。
これは現実世界でも全く同じです。
我々は普通、「納税額の中で予算を組んで、足りない分は借金する」と思っていますが、全く違います。政府の支出の根拠は我々の納税ではないし、ましてや、政府の予算が納税額の範囲内である必要もありません。
ウォーレンの名刺は、我々が日常的に使う法定通貨です。名刺に本質的な価値はなく、その価値の源泉は税制なのです。繰り返します。最初に納税があり、それをもって予算を組む、のではない。順番は全く逆です。
(上記URLの原文ではこう書かれています ――― So
this sort of currency is what we call a fiat currency ? being made legal
by legislative fiat. It has no intrinsic worth and its value is tax
driven.)
話を続けます。
ウォーレンが課した「お手伝い制」において、実際に名刺が印刷されることは無いでしょう。別に印刷したければしても構いませんが、特に意味はありません。それよりは自宅のパソコンのエクセルか何かで、
「A 〇月×日 名刺5枚支給 今月累計21枚」
とか、
「B 〇月×日 今月分の名刺30枚提出完了」
…とでも記録すればよい。
ウォーレンが何枚の名刺を渡し、何枚の名刺を手元に置いているのかどうしても管理したければ、これもエクセルに、
「う 〇月×日 名刺100枚増刷」
とでも書けば済む話で、紙である必要はありません。手元に準備する枚数を多くしておきたければ、"0"のキーをポンと叩いて、
「う 〇月×日 名刺1000枚増刷」
これで終わりです。
この点も現実世界と全く同じです。
日銀は黒田総裁になってから「日本円」を400兆円ほど増やしましたが、何も一万円札を400億枚ほど印刷したわけではないし、また、物価が大幅に上昇したとか、ましてやハイパーインフレなどということには全くなっていません。なるわけがないのです。
ウォーレンが名刺の在庫をエクセルで「10000000枚」と入力しても、子供たちの仕事と報酬には特に何の影響もありません。同じことです。
次は貯蓄の概念を考えてみます。
子供達にも都合があります。夏休みには友達と遊びたいし、試験期間中は勉強に集中したい。だから子供たちは、今のうちにもっと手伝いをさせてくれ(公共事業を増やせ)と要求するのです。それで今月は名刺40枚を稼いだ。30枚提出すれば手元に10枚残る。来月は少し楽ですね。
では、その時点でウォーレンが保管する名刺の状況(政府の財政)はどうかというと、10枚の赤字を計上したことになります。財政赤字です。一方で、子供たちは名刺10枚分の黒字です。
これも、貿易を除けば現実の経済と同じようなことです。ウォーレン(政府)の赤字は子供たち(民間)の黒字なのです。もちろん逆も成り立ちます。政府黒字は民間赤字です。
「いや、それはおかしい!!」ではない。そもそもこれは「私の考え」でも何でもありません。単なる事実です。
また、手元の名刺が10枚減ったこと(財政赤字)によってウォーレン(政府)が困ることは何か、という点も考えましょう。ウォーレンの手元の名刺が減った。財政赤字です。それで何が困るのか。別に、何も。大事なのは子供たちが約束を守り、しっかりお手伝いをしてくれること。そうですよね。その約束はキッチリ守られています。で、何が不満なんですか。赤字がそんなに嫌なんですか。
「来月は遊びに行く予定があるから、今月のうちに40枚分働かせて」
と子供たちが言ってきたら、
「そうかそうか、偉いな。ちゃんと先のことを考えてるんだな」
と誉めてやり、エクセルに「名刺〇〇枚増刷」と入力すればいい。それだけです。
ここで「オレの手元の枚数が減るから嫌だ」などと言う親父は死ぬほどのバカです。
さて、いまのところ、この名刺の使い道はウォーレンに対する提出(納税)だけです。しかし、一定の枚数でお菓子を与えるとか、遊びに連れてってやるとか、何らかの権利を与える機能(消費の機能)を持たせたらどうなるか。(もちろんお菓子の生産者が存在しないなど、この辺りは実際の経済とは異なります。)
単純に考えれば、子供たちはより一層お手伝いを積極的にするようになるでしょう。本来なら30枚で済むところを、40枚、50枚と「稼ぐ」ようになります。さらには、いつ何時でも欲求を満たせるように「貯蓄」にも励むようになります。仮に、月末の提出(納税)後に、
Aが100枚 Bが80枚
の「貯蓄」を手元に残した場合、子供たちのその180枚分の黒字は、ウォーレン(政府)にとっては180枚分の赤字ですが、子供たちはその180枚の黒字で、お菓子を存分に楽しめます。
ここで、この180枚の財政赤字を「奔放かつ無責任なバラマキの結果」などと解釈すべきではありません。この180枚は、
「お手伝いの報酬の累計」-「ウォーレンへの提出分の累計」
という簡単な引き算を意味します。これを「バラマキ」というのは、子供たちのお手伝いを批判するのと同じです。
さて、次第に経済主体同士での取引が始まります。AとBが父親の名刺の交換を始めるのです。
例えば、お菓子を食べ過ぎて月末の30枚の提出が苦しいAは、Bから有利子で借りる。またはBが食べようとしているお菓子がなかなか珍しいもので、それを5枚で手に入れたと聞いたので「7枚で譲ってくれないか」と持ち掛ける。
ほかにも様々に考えられます。家の戸棚にお菓子がほとんど無い場合、子供たちはお菓子の「相場」を上げる。戸棚のお菓子がパンパンなら「相場」は下落する。
こうして、ウォーレン一家では「名刺」が通貨としての価値を持つようになりました。
しかしある日、仮に(というか、ほぼ全部「仮」です笑)ウォーレン・モスラーがトチ狂い、上記の「死ぬほどのバカ親」になったとしましょう。
------
私の名刺は、子供たちの行動に大きく影響するほど強い価値を持っている。子供たちは名刺提出のスケジュールを立て、お菓子と交換し、ある時は我慢しながら貯蓄に励んでいる。
それなのに何だ、私は180枚の赤字ではないか。こんな放漫経営、赤字の垂れ流しが許されるのか。
------
こうしてウォーレンは「財政赤字の削減」を目指し始めました。(ウォーレン先生ごめんなさい←)
ウォーレンの収入は、月末に2人から徴収する30×2=60枚の名刺です。そして、お手伝いは、今後は合計40枚分しか提示しない。
この時、一家にはどのような行動が見られるでしょうか。簡単に思いつくものを書き出してみます。
A・B「30枚って取り過ぎなんだよな~」(重税感)
A・B「もっとお手伝いさせて!!」(公共事業の要求)
B「ねえ~父上~次のお手伝いはこの私、私め、Bにお任せあれ~」と無暗に父の肩を揉み始める(官民談合的なやつ)
A「父上、庭の草刈りはBのヤロウにさせると名刺20枚のところ、このAなら15枚でやらせていただきます」(経費削減、労働力の叩き売り)
う「ちっ…この出費は痛いが、食後の皿洗いと掃除だけは引き続きやらせるしかないな…」(社会保障費の負担感、高齢者への嫌悪)
B「ああ腹減った…… なあA、そのお菓子売ってくれ、背に腹は代えられん」(貧困問題)
A「mjd!?!?じゃあ名刺3枚で売っちゃう!!ついでにこんなお菓子もあるよ、今なら名刺2枚で!!」(価格競争)
A・B「今日はお菓子食べるのやめておこう。また月末に30枚取られるし」(消費の減退)
う「なかなか名刺回収できないな…来月から35枚提出させるか」(住民税増税)
う「次回から、名刺5枚のお菓子は6枚にします」(消費増税)
う「糖分が多いお菓子は健康に悪い。10枚にします」(たばこ税増税)
う「名刺と引き換えの、お菓子の量自体を減らします」(実質値上げ)
A「このエクセルか…? よし、今月分の枚数をちょっと増やして…」(紙幣偽造)
B「あっずるい、オレもオレも」(共同正犯)
う「あっ、お前ら何を!!って逃げよった!!母さん、母さん、AとBを捕まえて!!」(指名手配)
う「よーしもう逃げられんぞ。ちょっと書斎まで来い」(逮捕・送致)
A「無理矢理やん!!自分で出頭させて!!」(煽り的なアレ)
B「暴れてないでしょ!!やめてあげて!!」(撮影する人)
つまりは(?)デフレ不況です。
この「お手伝い制」の目的は、子供たちが自律的に家事を手伝い、そのノウハウを学ぶことにありました。しかしウォーレンが何の意味もなく手元の名刺を増やそうとしたことで(PB・財政黒字化目標の設定)、そもそもの目的であったお手伝い自体が減り、住環境が悪化し、子供たちはお手伝いの仕方を忘れていきます。
今回の名刺の例では「財産移転」や「日銀当座預金」が表現し切れていないなど、言うまでもなく現実に即さない部分は多々あります。しかし、様々な示唆が得られるのではないでしょうか。
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通貨とは誰もが価値があると思っているから価値がある、のではない、という認識、これが重要です。そんな妄想で通貨を把握するから、大前研一のように「いつか多くの国民が一斉に通貨を見放してハイパーインフレ」などと言いだす。そんなもん絶対にあり得ません。バカ丸出しです。
この例の子供達は、当初、名刺に価値があるとは全く思わなかった。しかしその紙きれを提出せよと「実効力をもって強制された」のです。そして、その代償は「素晴らしい家に住み続けること」という、何にも代えがたいものでした。
この「素晴らしい家に住み続けること」とは、我々の実世界では何を意味するのですか。
あなたは(残念に思う人も多いでしょうが)国家に生かされています。
例えば、申し訳ないけど津田大介さんだって同じです。『表現の不自由展』への来客は、会場まで公道を使います。公道自体は1円も生み出さず、私企業の私財による建設は不可能です。また、自動車で来場する人は燃料を使いますが、津田大介さんは国の後ろ盾なく独自に石油を確保し、それを精製してガソリンにすることは不可能です。来場者が丸腰で、防弾服も無しにノコノコ徒歩で来られるのは国家が治安を維持しているからであり、それは津田大介さんの力ではありません。
津田大介さんにもご自宅がありますが、そこが「津田大介宅」であると保障し、権利関係を明確にしているのも国家です。土地や建物の所有関係を明確にし、しかもそれを蔑ろにする無体なヤカラがいた場合は、訴えにより排除し、正常な社会を維持するのも国家です。津田大介さんがご病気で倒れ、救急車で運ばれることがあっても同じです。そこに「国家の儲け」はありません。こんな仕事は「公」にしかできない。直接的には全部タダ。国家が黒字を目指すことの異様さは、この点だけを考えても分かります。黒字になってはいけないし、なる必要も全く無いのです。
これらの環境を国民に与える主体が、国家です。そして国家は国民に責務を与えます。その責務の媒介となるのが「法定通貨」です。日本政府は税を日本円でなければ受け付けないし、反対に国の事業への対価も日本円で支払われます。我々が税を日本円で納めることは様々な公的サービスに繋がり、ひいては日常生活の全てに繋がっています。
いくら「私は日本円を信用しない」と言おうが、ほぼ100%の企業は給与を日本円で支払います。その理由は、日本円の紙幣に価値があると思っているからではなく、全ての人に絶対不可欠な「公共」に繋がっているからであり、その橋渡しが「税制」なのです。
ウォーレンは「お手伝い」をどんどんさせて、名刺をどんどん与えるべきでした。経済とはクソ学者がご高説を垂れるような高尚なものではありません。単なる調整役なのです。
子供たちの名刺の貯蓄が300や400枚になったら、お菓子食べ放題になったり、真面目なお手伝いをする気が無くなったりするでしょう。そこで「今後は毎月40枚提出せよ」と増税するのです。逆のパターンもあります。調整が上手く行かず、お手伝いのし過ぎで子供たちの生活に支障が出るようなら減税すればいい。子供たちが病気になったら、もちろん免税でしょう。
つまり、懸命にお手伝いをしたくなるように、かといってあまりに大変にならないように、程よいテンションを保つための調整役が「経済政策」なのです。
今の日本政府(特に財務省)が目指すのは、手元への名刺の回収です。回収することが正しい場合も確かにありますが、それは今ではない。
子供たちはお菓子を食べられないし、遊びにも連れて行ってもらえない。庭は草ぼうぼうになり、草刈りの仕方を忘れかけています。バカ親が意味もなく名刺をケチっているからです。今は草刈りをさせ、壊れた納屋の修理の仕事をさせ、子供たちを元気に動かすべきです。そして、報酬は大いに振るえばいいのです。
財政赤字?
だからそれで何が困るんですか?
あなた、自分の給料が増えるのがそんなに嫌なんですか?
国家が名刺を溜め込むことは、国民の名刺の放出を意味します。貯蓄以外の選択肢を奪い、また最悪なことに能力の喪失を招きます。
我々の能力や生活レベルは、安倍政権が、財務省が、「名刺的なもの」を至上と考えることにより、崩壊へと向かっています。だから私は常にこう言うのです。守銭奴と。
あなたは今日も、安全な場所で寝起きし、防弾着なしに公道を歩いて、何度かの食事にありつくことができましたか。それが「通貨の価値」の源泉です。
ちなみに、本記事はウォーレン・モスラーの本来の話から相当に逸脱しているので、興味のある方はちゃんと調べてください。←
通貨の価値を正しく認識した政策が求められる、
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