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月曜日, 8月 19, 2019

現代貨幣理論MMTを問う


現代貨幣理論MMTを問う


現代貨幣理論MMTを問う(上) 目新しい主張、軒並み不正確 
ウィレム・ブイター シティグループ特別経済顧問/キャサリン・マン シティグループチーフエコノミスト

経済教室
 
コラム(経済・政治)
2019/5/31付
日本経済新聞 朝刊

ポイント
○現代の国際経済下では成り立たぬ主張も
○ハイパーインフレ誘発なら多大なコスト
○日本も流動性のわな脱せばインフレ懸念

現代貨幣理論(MMT)はマクロ経済理論の一つで、歴史的にはジョン・メイナード・ケインズ、アバ・ラーナー、ハイマン・ミンスキーといった経済学者にルーツを持つ。最近再び脚光を浴びるようになったのは、通貨の増発による財政出動に理論的根拠を与えるとして注目されたからだ。

MMTの基本的な前提は独自の不換通貨を持ち、公的債務(国債)の大半が自国通貨建てで、かつ為替が変動相場制をとる主権国家は決して破綻しないというものだ。そうした国は公的部門のすべての赤字を通貨増発で手当て(財政ファイナンス)できるため、公的債務がどんなに膨張しても心配には及ばないという。

MMTによれば、財政支出を停止しなければならないのはインフレが行き過ぎた場合だけで、現時点で低インフレのほとんどの先進国は財政支出を控える必要はない。日本はまさにこの理論が当てはまるという。

日本が流動性のわなに陥り、金融政策が効かなくなっていることは明白だ(図参照)。現在のインフレ率も近い将来高インフレになる危険性も、財政支出や財政ファイナンスを打ち止めにすべき水準には程遠い。

◇   ◇

だがMMTには、金融化(金融の相対的重要性の拡大)が著しい現代のグローバル経済下では成り立たない主張が含まれている。

MMTは、主権国家の債務総額や金融政策の選択肢を考える際に、政府と中央銀行の勘定を「国家」として一体とみなすべきだとする。これは正しい。また国家はベースマネー(現金と準備預金)を発行する独占権を持ち、これを行使した際に生じる通貨発行益により国家の予算制約は緩和されるとする。これも正しい。

この分析から導かれる重要なポイントは、公的債務の持続可能性の評価に当たり指標として使うべきなのは、政府部門の総債務残高でも純債務残高でもなく、政府部門の純債務からベースマネーを差し引いた値ということだ。日本では2017年末時点で国内総生産(GDP)比67.4%となる。

国家の貨幣性債務は名目上の債務にすぎない。兌換(だかん)不能なので、銀行券の保有者は発行者(中央銀行)に金などとの交換を要求できないからだ。ここで注意したいのは、国家が発行したベースマネーはこの意味で国家の債務ではないが、後述するように通貨発行には通貨発行益などの経済的意義があることだ。

MMTの目新しい主張と言えるものは3つある。

第1に政府財政では、論理的に赤字が必ず黒字に先行するというものだ。納税者は税金納付時に政府の発行した通貨で払うからだという。だがこの理屈は、国家は民間部門に貸す(民間部門から証券を購入する)だけで、赤字にならずに経済に通貨を供給できるという事実を無視している。

第2に公的債務は将来世代の負担にはならないという主張だ。これは、財政赤字を手当てする目的で発行された公債が触媒の役割を十全に果たし、民間部門の需要を刺激し、金利を含む償還に必要な税収を生み出すことが前提になる。公的債務でファイナンスされた財政赤字が、民間債務でファイナンスされた投資と等しく生産的だという前提は相当強引だし、財政、金融、個人の選択に左右される。

第3に政府は1品目の名目価格を設定するだけで、あとは市場が相対価格を決めるに任せ、裁量的に通貨を増発してよいというものだ。この主張は貨幣的均衡と矛盾を来す。ここでは金本位制の前例が参考になろう。金本位制を採用した瞬間から、もはや中央銀行は自国の不換通貨を裁量的に発行できなくなる。

国家はいつでも通貨を増発して債務返済に充当できるから、自国通貨建ての国債のデフォルト(返済不履行)はあり得ないという主張は、財政ファイナンスがハイパーインフレを誘発すれば、デフォルト以上に多大なコストが生じかねないことを無視している。

ドルは基軸通貨だから米国は世界のどこからでも自国通貨で借りられる「超越的な特権」を持つという主張は、その特権が永遠には続かない事実を見落としている。過去にも1956年のスエズ動乱で、英国がこの特権を失った例がある。

Willem Buiter 49年生まれ。エール大博士(経済学)。元イングランド銀行金融政策委員

Willem Buiter 49年生まれ。エール大博士(経済学)。元イングランド銀行金融政策委員

MMTは、名目金利が実効下限制約(ELB)、すなわち事実上の下限に達している状況では、通貨増発による赤字補填は必ず流動性のわなによる均衡を導くと主張する。だが財政支出の結果として生じた赤字をファイナンスした場合には、不可避的に流動性のわなを招くとは言えない。

実体経済における投資と消費の反応によっては、クラウディングアウト(政府の支出増による民間投資の抑制)を引き起こしたり、供給サイドを刺激したりすることがあり得るからだ。

MMTは、財政ファイナンスがインフレまたは経済成長を促す過程で、金融仲介機能、投資の金融化、資産価格インフレが果たす役割を軽視している。通貨増発で賄った財政支出が投資に充当されるか、M&A(合併・買収)や自社株買いに使われるかにより、経済成長や経済的厚生(利益)に与える影響は異なる。また資産価格の上昇は、どの資産がどの程度値上がりするかにより不平等を引き起こす。

投資選択や不平等に関心を持つはずのMMT論者が金融仲介や金融商品の役割を軽視するのは解せない。

◇   ◇

MMTが最近注目されるのは、現在の低インフレと超低金利の組み合わせが、財政ファイナンスに関するMMTの主張にとって理想的な環境を形成しているからだ。筆者の考えでは、ELBと長期的な流動性のわなが併存する現状は特異な経済環境であり、この環境に限ればMMTの中心的な主張(通貨増発による財政出動の拡大)は成り立つ。

Catherine L. Mann MIT博士(経済学)。OECDチーフエコノミストなどを歴任

Catherine L. Mann MIT博士(経済学)。OECDチーフエコノミストなどを歴任

期限付き商品券を国民に配布するといったヘリコプターマネー政策も、今日の日本になら効果があるかもしれない。だが米国と英国は流動性のわなから脱しているし、ユーロ圏、いや日本でさえ、どこかの時点で金利がELBを上回るだろう。そうなったとき、巨額の財政ファイナンスが引き起こすインフレは日本にとって深刻な問題となろう。

米国のMMT論者は、雇用保障政策などの原資を財政ファイナンスで賄うことを提案するが、供給サイドの刺激や所得分配の観点から価値があるなら、MMTと関係なく実行すべきだ。

最後に財政ファイナンスの総額そのものよりも、所与の額に対してなされる財政選択の方がはるかに重要なことを指摘したい。財政選択とは、財政支出の変化の規模と、構成や租税構造の変化の詳細を意味する。

流動性のわなに陥った状況であれば、通貨増発による財政出動は景気変動抑制効果の点から望ましい。だがひとたび流動性のわなを脱したら、インフレを誘発せず通貨発行益を最大化することに細心の注意を払わなければならない。

現代貨幣理論MMTを問う(下) 政策の枠組み、日本と相違 宮尾龍蔵 東京大学教授

ポイント
○伝統的なケインズ経済学と多くの共通点
○政府・中銀、財政均衡や物価安定目指さず
○日銀は金融緩和策を財政に従属せず実施

米国を中心に「現代貨幣理論(MMT=Modern Monetary Theory)」を巡る論争が熱を帯びている。「自国の通貨を発行して借金ができる国は財政赤字を増やしても心配ない」とする主張は、主流派の経済学者や政策当局トップから「大惨事を招く」「全くの誤り」と痛烈に批判されてきた。

この論争が分かりにくいのは、批判する主流派学者もインフラ投資の拡大や医療保険の充実など積極的な財政支出を提唱する点だ。政策の内容だけをみれば、伝統的なケインズ経済学とMMTは共通点が多い。

われわれ日本人が困惑するのは、提唱者のステファニー・ケルトン米ニューヨーク州立大教授が「日本はMMTを実践してきた」と、最近の財政金融政策をMMT理論の実践と位置付ける点だ。政府・日銀は明確に否定するが、公的債務は膨張を続け、日銀による大規模国債買い入れや長期金利をゼロ%程度にコントロールする政策は、MMTの政策提案に重なってみえる。

MMTの理論は経済学の中にどう位置づけられるのか。そしてそれはどう誤りで、日本の財政金融政策の枠組みと何が異なるのか。議論の整理を試みたい。

◇   ◇

経済学の中の位置づけから考えたい。伝統的なケインズ経済学では、不況や失業を克服する手立てとして政府の介入を是とし、処方箋として財政金融政策を提唱する。簡単に確認すると、金利が短期・長期とも十分なプラス領域にあれば、金融緩和で金利を引き下げ、企業の設備投資や家計の消費支出、住宅投資などを刺激する。公共投資や減税などの財政の拡張はより直接に支出に働きかけられる。

一方、財政赤字は国債の増発と長期金利の上昇を招き、民間支出を締め出す恐れがある。ただし深刻な不況などの場合には、積極財政と金融緩和を同時に実行して金利上昇を抑制し、より大きな支出創出効果を目指すという選択肢もある。

主流派経済学には政府の介入に慎重な新古典派経済学もある。景気減速や失業は人々の最適な行動の結果である一方、政府の財政出動には無駄が多く含まれ、経済の生産性や効率性をむしろ阻害する要因とみる。政府サービスは国防や法制度など必要最低限とし、小さな政府に通じる減税は容認しても、公共投資や社会保障など大きな政府につながる財政赤字は容認しないというのが基本姿勢だ。

MMTは伝統的ケインズ経済学との親和性が高いようにみえる。失業や需要不足を前提としたモデルで議論する点、公共投資や社会保障など積極財政を支持する点、金融緩和と組み合わせて金利上昇を抑制する点など、多くの面で共通する。

ではなぜローレンス・サマーズ米ハーバード大教授などケインズ派の重鎮たちがこぞってMMTを批判するのか。それは理論の背景で想定される政策レジームの違いにある。政策レジームとは、一連の政策が将来にわたり繰り返し実行される制度的な枠組みを指す。

表1は政府と中央銀行の政策レジームの組み合わせを表したものだ。主流派経済学では、政府は財政収支の均衡を目指し、中央銀行は物価の安定を目指すことが想定される(表1のA)。

新古典派では財政バランスを短期かつ厳格に守り、ケインズ派では中長期かつ緩やかに目指すといった違いはあるが、収支の帳尻という制約があることに変わりはない。中央銀行は政府・財政とは独立した法制度のもと、物価安定を目標として金融政策運営を行う。これらは現代の先進国に共通する政策レジームだ。

一方、MMTでは財政収支の均衡を目指さない政府と、物価安定を目指さず政府・財政に従属する中央銀行の組み合わせを想定する(表1のB)。政府は無規律・無制約に財政赤字の拡大を続け、中央銀行は物価安定でなく、財政をサポートするための金融緩和と金利抑制が義務づけられる。

MMTが異端で誤りとされる理由はまさにここにある。財政拡張や金融緩和という政策行動は同じにみえても、それを実行する政策レジームの組み合わせが異端なのだ。MMTの世界では、中央銀行は枠組みとしての財政従属に取り組む責任があるため、それが実行可能となるように中央銀行法や財政法は改正される。インフレ率をコントロールする責務は、中央銀行ではなく政府と議会が担う。

景気過熱や高インフレが懸念されれば、増税により抑え込むとMMT論者は主張する。しかしただでさえ増税は不人気であり、合意形成に時間がかかる。機動的かつ十分な増税ができなければインフレが高進し、「インフレ税」により人々の生活は圧迫される。

◇   ◇

政策レジームという観点からとらえれば「日本はMMTを実践してきた」との主張が誤りなのも理解できよう。政府と日銀による機動的な財政政策と大規模な金融緩和というポリシーミックス(政策行動の組み合わせ)は、MMTが想定するような政策レジームの下で実施されたものではない。

すなわち日本政府は中長期の財政再建を国際的な公約として表明している。膨張を続ける社会保障関連支出も、保険料引き上げ、年金のマクロ経済スライド、消費税増税などの取り組みを伴っている。決してフリーランチ(ただ食い)で運営されているのではない。

日銀は物価の安定を政策目標とし、その政策運営の独立性と透明性は日本銀行法により規定されている。国債引き受けも財政法で禁じられている。大規模な国債買い入れや長短金利をコントロールする政策は、政府と合意した2%の物価安定目標のもと、日銀自らの判断で実施してきた。

政策レジームは一連の政策行動が将来にわたり繰り返され、そして当局がそれにコミットするという意味を持つ。そのためには制度的な枠組みも必要となる。同じ財政赤字と金融緩和でも、日本は通常のレジームを堅持しているからこそ経済の安定が保たれている。

かつてデフレ脱却の処方箋として「ヘリコプターマネー」(貨幣発行でファイナンスされる減税政策)や「インフレが2%に達するまで財政再建を棚上げにして消費税増税を延期すべきだ」との議論(物価水準の財政理論)といった提案がなされた。それぞれが依拠するレジームは表1のBおよびCに分類できる。仮に各提案を実行すれば、法制度など枠組みの変更を伴う点に留意する必要がある。

MMTを巡る論争に意義があるとすれば、財政政策の選択肢を再考するきっかけになったことだ。主流派の学者の間でも、財政赤字や公的債務のメリットが見直されるようになった(オリビエ・ブランシャール前米国経済学会長の講演)。これまでの前提が近年変化し、安全資産である国債の金利が成長率を持続的に下回っている(図2参照)。

仮にこの状態が持続すれば、公的債務の国内総生産(GDP)比率の発散は抑えられ、財政政策の余地は広がる。MMTのようなフリーランチは仮定せず、しかし分断された社会の声にも応えていく知恵が主流派経済学にも求められる。

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