(経済気象台)MMTに深い親近感
モダン・マネタリー・セオリー(MMT)をめぐって、経済学者の正統派と異端派の間でホットな論争が起きている。筆者はこの論争を興味深く見守ると同時に、MMTの側に深い親近感を覚えている。
MMTによれば、一定の条件を満たしていれば、財政赤字を恐れる必要はない。政府と一体となった中央銀行は紙幣を発行して、政府はそれを財政に用いればよい。均衡財政は間違っている。
簡略化しすぎて誤解を招く表現かもしれないが、つまるところ、このような理論だと筆者は理解している。
日本経済のバブル崩壊以降の長期にわたる現実、すなわち、政府の財政赤字は世界トップクラスだが、インフレも金利高騰も財政破綻(はたん)も生じていないという現実を説明できている。反論があるだろうが、あえてそう断言したい。
ポイントになるのは、財政赤字を恐れる必要がない一定の条件とは何か、である。MMTは「物的・人的生産能力の実物的限界」を超えない限り、ハイパーインフレも金利高騰も起きない、としている。
通貨をどんどん発行した南米ベネズエラはハイパーインフレに陥り、財政、国家、経済が破綻した。一方の日本は、なぜ「生産能力の限界」を超えていないのか、将来も超えないと言えるのか。
日本の現状では、財政赤字が所得の増加をもたらしてはいるが、それが投資や消費に十分まわらず、企業も家計も貯蓄だけを増加させている。
しかし、将来、団塊の世代が貯蓄を大幅に取り崩すと、この一定の条件が崩れる、とは言えないのか。経済学者の皆さんには、そこのところの解明をお願いしたい。(龍)
◆この欄は、第一線で活躍している経済人、学者ら社外筆者が執筆しています。
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