金曜日, 12月 20, 2019

鬼ヶ城

歴史トラベラー「謎の桃太郎伝説」

こんにちは。
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今回は、まるで映画のようなお話です。
早いもので今年も残り1ヶ月・・・12月となりました。
が、時は・・・1857(安政4)年12月1日。
岩手県の釜石高炉(後の新日鉄・釜石製鉄所)が操業を開始し、日本の近代製鉄の幕開けとなりました。
そんな12月1日は、釜石高炉の操業開始を記念して、「鉄の記念日」なのだそうです。
で、そんな訳で、今回は『桃太郎』のお話をしたいと思います??
おいおい!どんな訳なんだ!と、ツッコミの一つや二つ頂くかも知れませんが、実は桃太郎は、製鉄と深い関係があると思われるのです。
いくら最近の子供達が、昔話に興味を持たなくなったと言っても、さすがに、桃太郎の昔話ぐらいは知っているだろうという体で、お話を進めていきます。
因みに、子供のいないおじいさんとおばあさんがいて、おばあさんが川で洗濯中に、大きな桃が流れてきて、その桃を拾って帰って、食べようとすると、中から男の子が登場!!
というのが、前半の部分…
犬・猿・雉の三匹の家来を連れて、鬼が島に鬼を退治に行く!! 
と、いう後半の部分では、明らかに別の昔話と思われます。
そんな中で、所々違う話が混じりながらも、全国各地に、桃太郎の昔話が伝わっていて、それぞれ、これが “桃太郎” のモデル!と言われるような人物の伝説が残っている訳です。が、
その中でも最も有力なのが岡山県ですね。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、岡山駅前には、“桃太郎の銅像 ”が立ち、そのルーツを主張し続けているようにも見えます。
そして、岡山が桃太郎のルーツだという一番の根拠は、岡山市にある吉備津神社です。
吉備津神社は、第10代・崇神天皇の時代に、天皇から派遣され、吉備平定を成し遂げた吉備津彦命を祀る神社で、その吉備津彦命の伝説をもとにしたのが、桃太郎のお話という訳です。
その吉備津彦伝説とは・・・昔、崇神天皇の頃 ー 250~300年頃、異国の鬼神が空を飛んで吉備の国(岡山県あたり)にやって来ました。
その鬼神は、百済(朝鮮半島)の王の子供で、名前は温羅(うら)。
背丈は、一丈四尺(約4m)ほどあり、気性も荒くて、力も強く、しかも、口から火を吹き、水を油に変えるなど神通力を持っていました。
そんな温羅は、吉備の新山に、鬼ヶ城という砦を作り、都へ向かう船を襲っては略奪し、道行く人や “猿” を襲っては食べたりという、悪行を繰り返していました。   
見かねた崇神天皇は、息子の五十狭斧彦命(いさせりひこのみこと)を温羅討伐に派遣します。
しかしながら、その戦いは激しく、五十狭斧彦命の放った矢は、ことごとく温羅の矢と空中でぶつかり、その度に地上へ落ちてしまいます。
そこで、五十狭斧彦命は、弓に2本の矢をつがえ、狙い通り、温羅の左目に命中します。
手傷を負った温羅は、“雉” に変身して逃亡・・・
追う五十狭斧彦命は鷹に変身します。
次に温羅が、鯉に変身して水中へ逃れると、今度は鵜に変身して追う五十狭斧彦命。 
ついに追いついた五十狭斧彦命は、見事に温羅の首を取ります。
しかしながら、胴と離れたにも関わらず、その首は大きなうなり声を上げて吠え続け“犬” に食われ、ドクロになってもなお、うなり声をやめないのです。
勝利して名前を「吉備津彦」と改め、そのドクロを吉備津宮にある釜殿の下に埋めた五十狭斧彦命は、ある夜、温羅の夢を見ます。
夢の中で温羅は…
「俺の嫁さんを、釜殿で奉仕させたなら、この国に幸いが起こる時に、その釜を荒々しく鳴らして教えよう」
と、言ったのです。
以上が、吉備津彦の伝説で、今でも吉備津神社では、毎年10月19日に、お釜の音で占う『釜鳴り神事』というお祭りが行われています。
否、こっちがルーツでしょうけどね☺️
ただ、犬は首を食っているので良いとして、雉は敵だし、猿は被害者・・・
この温羅退治に、吉備津彦に同行した3人の武者は…
犬飼武命(いぬかいたけるのみこと) = 犬飼部
留玉臣命(とめたまおみのみこと) = 猿飼部
楽々森彦命(ささもりひこのみこと) = 雉飼部
であったことから、動物に例えられたという話もあるようです。
そして、桃太郎に登場する “きびだんご”
このきびだんごの “きび” が「吉備」ではないかというのも、この吉備津彦が、『桃太郎』のモデルの最有力候補に挙げられる訳でもあります。
しかしながら、この桃太郎の話は、第二次世界対戦(太平洋戦争)の中には、プロパガンダとして使用されたという、悲しい歴史も持っています。
神国・日本の子である桃太郎が、鬼畜米英を退治する物語として、国民(特に子供)の戦意を向上させる道具となったのも事実です。が、
正義のヒーローは、紙一重で侵略者になる可能性も、秘めている訳です。
この桃太郎のモデルではないかとされる吉備津彦も、実はヤマト政権から派遣された侵略者であるかもしれないのです。
いや吉備津彦伝説は、たとえ崇神天皇(あるいは垂仁天皇)の時代ではなかったとしても、古代にあった戦争をモチーフにした伝説であることは確かでしょう。
吉備の国という名称でも分かる通り、この地方が、元々別の政権であったことは明らかであり、それも “出雲” と並ぶくらいの大国であっとも言われています。
では、古代の政権は何が目的で吉備の国を攻めたのでしょうか?
それが “鉄”・・・製鉄技術です。
岡山県総社市には、古代に大国であったことをうかがわせる数多くの遺跡が確認されていますが、中でも、1989(平成元)年工業団地の造成中に見つかった久代・板井砂奥製鉄遺跡。
現在では、工業団地の一角に、遺跡公園が整備され、一部の遺跡が復元されているそうです。
ここには、6世紀の後半か、ら約100年にわたって、計60基の製鉄炉と16基の炭窯があったそうてす。
もちろん、製鉄でできた鉄を加工する、いわゆる鍛冶屋の鍛治炉も、総社市ではたくさん見つかっています。
原料となる鉄鉱石と製鉄技術は、武器や防具はもちろんのこと、様々な道具に使用され、膨大な富を生み出したに違いないのです。
古代ヤマトにあった王権は、軍事転用もできる技術の支配と、その利益に目をつけたのでしょう。
大陸からやってきた温羅・・・
口から火を噴き、水を油に変える・・・まさに製鉄の様子を思い描いてしまいます。
この当時、製鉄の技術は、明らかに列島よりも朝鮮半島の技術の方が優れていました。
そして、列島の人々は、鉄と最新の進んだ技術を求めて朝鮮半島へ渡ったのです。
言い換えれば、温羅とは、そんな朝鮮半島から列島へと渡り、製鉄技術によって一大王国を築いた存在だったのでしょう。
そしてもう一つ、敵役である鬼について触れなければなりません。
のイメージと言えば、角があり、牙があって、金棒を振り回すほどの大男を思い浮かべることでしょう。
その昔、オニ(鬼) = カミ(神) = モノ(物)は、かつては同義語であって、やがて時が流れ、『日本書紀』に鬼についての記述があり、朝廷の体制に従わぬ「まつろわぬ者」= 鬼(モノ)と見なされて、葬られる存在だったとあります。
古代人にとって、神々しい「鬼」という存在は、時代の経過とともに、“意にそぐわぬ者” という言う意味にも取れたのです。
ところで、「一本ダタラ」という妖怪をご存知でしょうか?
和歌山県の熊野地方なので、伝承されている妖怪ですが、全国各地でも同様の伝承があるようのでご存知の方も多いと思います。
一本ダタラは、一つ目一本の足で描かれ、山中に住んでおり、地域によっては人を襲うとも言われています。
一本ダタラに関しては、諸説ありますがら今回はその一つをご紹介いたします。
ダタラという名称に関しても、諸説あるのですが、有力なのが、製鉄技報の一つであるたたら製鉄です。
たたら製鉄とは鉄が、大陸から日本に伝わってきた時代からの製鉄方法で、砂鉄や鉄鉱石を原料に粘土製の「炉」で鉄を製鉄する方法です。
因みに、映画『もののけ姫』に登場する “エボシ”と呼ばれる女性が率いている集落が、たたら製鉄を行っていましたね。
たたら製鉄の工程は、昼夜を通して数日間行われます。
1400°C以上の火力を維持するために、大量の風を送り込むのですが、吹子(ふいご)という人工的に風を送り込む道具を使っていました。
足で吹子を踏むことによって、大量の風を送り込むのですが、昼夜問わず、数日間行われるため、足を患うものが多かったようです。
また、火の様子も観察し続けなければいけないため、目を患い失明するものも少なくはありませんでした。
一本ダタラが、片目、片足という理由は、たたら製鉄の過酷さを表しているのではないかと言われています。
たたら製鉄には、大量の木炭と砂鉄、さらに水が必要になるため、従事する人たちは、それらが多くな場所に生活していました。
その生活拠点は、山内(さんない)と呼ばれており、100人から200人ほどの小さな村のような独自な社会でしたが、近隣の農村とも交流があったようです。が、
そんな独自な生活基盤を持った “たたら従事者” たちは、時として、奇異な目で見られていたのかもしれません。
自分とは異なる意識で、境界線の向こう側にいる存在として、なおかつ敬意や畏怖がないまぜになった感情が、一体化することで、一つ足一つ目の妖怪が生まれたと考えられています。
片足片目という異形への恐れ、あるいは神々しさに、国外の技術である製鉄を行う、良く分からない不思議な人たち・・・
さらに言えば、山や森は境界線の向こう側であり、妖怪がたくさん住んでいると考えられていました。
森林の多い山奥に住んでいたことも、要素のひとつともいえます。
そんな要素がミックスした結果、人々の前に、一つ足一つ目の妖怪が、生まれるようになったのではないか・・・一本ダタラの伝承は、こうした “たたら製鉄の独特さ” が生んだものなのかもしれませんね。
一本ダタラ
かつて日本列島において、縄文時代は争いの無い時代だったと言われています。
やがて、弥生時代となり、“コメ” が大陸からもたらされ、その “コメ” が貯蔵が可能であると分かると、それを持つ物と持たぬ物・・・
つまり、貯蔵出来る者は、どんどんと富み、そこに貯蔵出来ぬ者との間に、貧富の差が生じました。
そして、貯蔵出来る者が、人々を従えリーダーとなり、一つのコミュニティを築き、さらに集落となって「クニ」となります。
そんな「クニ」は、あちらこちらと出来上がり、時に食物を奪い合って、争いが起こったと言います。
その争いに使われたのが“鉄”です。
鉄は、稲作作業においても、これまでの木製農具よりも、はるかに作業効率の良い農具として重宝されたのですが、戦争の道具としても使用されました。
鉄は殺傷能力がありますからね~
この事が、前述した…
実はヤマト政権から派遣された侵略者であるかもしれない・・・
に繋がるのです!?
侵略者とは、言うまでもなく桃太郎こと、吉備津彦のこと・・・
要は、古代史の争いとは、ある意味において、食物=「コメ」の奪い合いであり、「鉄」の奪い合いでもあったのです。

戦前、日本はある資源を敵国であるアメリカに頼り、輸入をしていました。
そのある資源とは何か・・・石油です。
太平洋戦争とは、すなわち、ある側面において、石油利権の奪い合いでした。
油田の無い日本は、輸入に頼らざるを得ず、その大半がアメリカ頼りだったのですが、そのアメリカとの関係が悪化して、東南アジアへの進出となりました。
現代でも、世界のあちこちで争いを起こしている石油利権・・・
時代は変われど、人の心 = 欲は一向に、変わることはありません。
それは「歴史」が証明していますね。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。