月曜日, 12月 16, 2019

井原西鶴「三貫文は、世にとどまりて、人のまわり持ち」的な経済理論

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「三貫文は、世にとどまりて、人のまわり持ち」的な経済理論

時は鎌倉時代、青砥藤綱という武士が、ある秋の夜、鎌倉の滑川を渡った際に、ちょっとした拍子に、十銭ばかりの小銭を川中に取り落とす。

 藤綱は、人足を集めて三貫文を与えて、落とした小銭を探させる。すると人足の一人が、うまいこと見付け出す。
藤綱、喜ぶことかぎりなく、この男には、別に褒美をとらせて、「これをそのまま捨置かば、国土の重宝朽ちなんこと、ほいなし。三貫文は、世にとどまりて、人のまわり持ち」といって、立去る。人々は、「一文惜しみの百しらず」といって、藤綱の行為を笑う。
 念のため解説しますが、「一文惜しみの百しらず」というのは、落としたお金の千倍くらいの費用をかけて、落としたお金を探す愚をいっているのです。また、藤綱の「これをそのまま捨置かば、国土の重宝朽ちなんこと、ほいなし。三貫文は、世にとどまりて、人のまわり持ち」という発言は、「落としたお金を、そのまま捨て置けば、それだけ国の資産が失われるのだから、不本意である。一方、人足に支払われた三貫文という大金は、世に流通して無駄にはならない」という意味です。
 人足達は、思い掛けない利得に喜んで、酒宴を始める。その席で、小銭を発見した男が、あれは嘘で、本当は自分の手持ちの小銭を見つけたように装って差し出しただけだと、自分の悧巧さを自慢する。それを聞いた一人の人足は、その不正に反対して席を立つ。
 その後、ことの真相は、自然と藤綱の耳に入る。藤綱は、騙した男を見付け出し、厳重に監視を付けて、今度は丸裸にして、探させ続ける。季節は秋から冬に変わって、開始から九十七日目、ついに小銭全てを見付け出す。正論を吐いた人足も探し出されるが、よく調べてみれば、それは武士の出ながら、分けあって民家にいたものであることがわかり、これを機に、再び武士に取り上げられる。


これは、井原西鶴の「武家義理物語」の中にある「我物ゆえに裸川」という話です。

いたって短い話の割には、多岐に論点が及ぶようです。整理すれば、以下の三点に帰着するでしょう。
 第一は、「これ、おのれが口ゆえ、非道をあらわしける」とあるように、悧巧振りを自慢して自ら悪事を露見させた人足に対する、「口は災いの元」的な通俗的教訓。
 第二は、正論を吐いた人足について、さすがに侍身分のものは、身をやつしていても志が違うという、身分制秩序論。
 第三は、一見すれば「一文惜しみの百しらず」的な愚行にしか見えないことの背後に込められた、青砥藤綱の「三貫文は、世にとどまりて、人のまわり持ち」という、高度な経済理論。
 話しの流れは、西鶴の活動した時代の価値観を反映して、第一と第二の論点が中心になっているようです。しかし、私の今日的な関心は、第三の経済論にあるのです。
 この理論は、一見して、高度な資本の循環論であり、ケインズ的な財政積極策です。実際、日本の公共投資の相当程度は、必ずしも必要性がはっきりしていなくて、意味不明の藤綱の行動に近いものです。ところが、直接的な効果や意味とは別に、投下された巨額な資金が、「世にとどまりて」、国民間に「まわり持って」、経済の拡大的再生産につながることが想定されているのです。その限り、何ら藤綱の言説と異ならないわけです。


間違いなく、酒宴を通じて消費経済に投下された三貫文は、景気浮揚効果をもたらしたでしょう。

しかし、いうまでもなく、藤綱は数百年も前に、ケインズを先取りしていたのではないのです。なぜならば、藤綱の行為において再生産されたのは、資本ではなく、武士支配を支える身分制秩序だったからです。人足に身をやつしていた侍が、再び正式の武士に取り立てられたのは、非常に象徴的です。
 西鶴の時代ともなれば、武士支配を国民経済の利益から正当化することは、もはや困難だったのだと思います。勃興する商業資本の成長のためには、桎梏と化していたのでしょう。この矛盾を背景にしてこそ、藤綱を欺いた悧巧な人足の意味が見えてくるのです。支配を実質的に内部から突き崩していく、したたかな庶民。ところが、西鶴の限界は、この逞しい庶民が敗北して、九十七日間も初冬の川に裸でつかるところにあります。西鶴が作品名としたのは、「我物ゆえに裸川」だったのです。
 実のところ、日本の公共投資も似たようなものだったのでしょう。九百兆円にも及ぶという巨額な公的債務の累積を残した割には、はたして、どの程度の経済効果があったのか。また、借金と並んで残された利用価値を疑問視される無数のハコモノ、道路、空港、港湾などなど、一体、何だったのでしょう。要は、旧態依然たる支配の秩序を守ること、それが目的だったのかも知れないではないですか。


私は、かつて、この西鶴の話と関連付けて、銀行の文化を批判したことがあります。いわく、「一円の神話」というのです。

 銀行の支店では、店を閉めてから、一日のお金の出入りの勘定尻合わせを始めます。この作業、恐ろしく厳格であって、一円でも合わなければ合うまで徹底的になされる。時には、夜遅くまで、大勢の行員が残って、一円の過不足の原因追求にあたる。日本の銀行経営の非効率の象徴として有名な、一円探しの残業です。
 一円探しは、経済合理性の見地からは、説明がつきにくい。もしも、過誤の問題に過ぎないならば、一方向に損失が累積することは考えられず、各店舗で生じる小さな過不足は、一日のうちでは店舗間で、同一店舗では時間的に、相殺してしまうはずです。少なくとも、毎日の勘定合わせの膨大な費用を正当化するような損失可能性は、想定しにくいでしょう。
 おそらくは、この一円探し、行内の不正や過誤を徹底的に予防しようとするところから生まれた、一つの行内文化の醸成努力の結果なのではないでしょう。確かに、一円といえども完全に合わせなければならないという規律の徹底は、不正や過誤をあり得ないとするような、銀行らしい風土を育くむのに必要だったのかもしれない。


しかし、元を正せば、そうした経営風土が必要だったのは、顧客の信頼に応えるためだったのでしょう。

ところが、環境が変化する中では、顧客の信頼に応えるということの具体的意味も変るはずです。一方で、一円探しのようなことの徹底化を通じて形成された行内価値観は、強力な支配原理になり、ほとんど神話化してしまって、容易には変えにくいわけです。
 例えば、成田空港の銀行の窓口で両替すると、いちいち、用紙へ記入させられ、しかも、窓口の行員と、後ろに座っている行員との二人を必ず経由するでしょう。こんなのは、日本の空港の銀行だけですよ。まさに、一円探し的な厳格さはわかりますが、顧客の利便性からは、どうなのでしょう。そんな手続きの必要性、あるのでしょうか。実際、最近では、成田空港でも、銀行でない両替所が簡単に両替してくれますよね。当然でしょう。
 結局、銀行の一円探しは、藤綱の小銭探しと一緒で、行内の支配原理の再生産になってしまって、変革対応力をそぐ格好になっているのではないか、それが、「一円の神話」における銀行批判の要旨でした。


しかし、日本の場合、銀行だけではなく、「一円の神話」的なものは、そこら中にあるのです。

投資の世界にだって、いくらでもあります。でも、どんどんと変貌を遂げていく投資環境の中で、旧態依然たる資産管理方式を墨守することは、実は、極めて危険なことなのです。
 もともと、このコラムは、そうした問題点を投資の本来の原点から再考していこう、というのが目的でした。7月29日「投資の常識への素朴な疑問に答えます」では、ハイリスク、ハイリターン、8月 5日の「再度、投資の常識への素朴な疑問に答えます」では、ベンチマークと、それぞれ、あまりにも普通になりすぎて、意味の内実が失われたような基礎概念に、批判を加えてみました。ご参照下さい。

以上


次回更新は、10/7(木)になります。