水曜日, 2月 05, 2020

日本が自滅する日 石井紘基 2002

beautyaki (@j_sakkin)
当たり前に払っている税金がどんな風な仕組みでどんな流れでどんな風に使われているのか?私達の生きる資本主義ではお金の流れが全てです。それを知ることで本当の社会の仕組みがわかります。常に財源がないとされる一般会計、一方、国会審議されることなく使われる特別会計。国民の全てが知るべきです pic.twitter.com/yGplD5zTzo
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「骨太の方針 」は見当違いだ

小泉内閣の 「骨太の方針 」は 「経済再生 」および 「構造改革 」の二本柱で 、その全体が 「構造改革 」という組み立てである 。 「経済再生 」については 、効率性と社会性を重視した資源の移動を活発にするために 、市場と競争を重視するといったありきたりの考えを示したうえ 、具体的には不良債権の解消を 「第一歩 」とし 、 I T国家 、規制改革 、財政改革などを実施することと述べている 。 「構造改革 」に関しては 「日本経済の … …実力をさらに高め 、 … …発展を遂げるためにとるべき道を示すもの 」であり 、 「七つのプログラム 」として特殊法人等の見直し 、チャレンジャ ー支援 、地方の活性化 、公共事業計画の見直しなどが提示されている 。私はこの 「骨太の方針 」は非常な危険を孕んでいると思う 。勘違いの方向に思い切りアクセルを踏んだようなものである 。断固ストップし 、方向転換すべきであると考える 。というのは 、小泉政権の方針は 、経済政策における不良債権問題や産業活性化についても 、一部の特殊法人等の 「見直し 」といった発想においても 、基本的には従来の政府がとってきたものと変わらないからだ 。従来の姿勢と異なるのは公共事業の削減 、すなわち政府支出の抑制のみである (これについても小泉首相の言動は揺れている ) 。これではかつての橋本政権より危険な要因が強くなる 。デフレ圧力の下で政策的に失業 ・倒産を増大させ 、株式市場の動揺や国債の暴落など 、恐慌の条件をつくり出しかねない 。ま必要なことは 、従来の方針のどこに比重を移すかではない 。現在の国家経済構造に対するアンチ ・テ ーゼ (対案 )を掲げることである 。

そして 、そのプログラムを示すことである 。今日わが国が直面している事態を見れば 、大問題は既存の体制それ自体にあることがわかる 。既存の体制とは 、権力による経済侵蝕の構造 、すなわち官制経済体制である 。市場を市場でなくしてしまった官制経済体制にこそ日本経済低迷の原因があり 、そこにこそ日本再生のための問題を解く鍵がある 。銀行や企業活動の行き詰まりが解決されないのは 、不良債権処理への手際が悪かったからではない 。 (全民間の一 ・三倍の規模をもつ )政府系金融の肥大化と政府の過度の介入 ・規制による金融市場自体の自壊状況が原因なのだ 。そして経済活動 (市場 )全般への行政企業の大規模な進出 ・侵蝕による市場経済そのものの瓦解が原因なのである 。したがって 、日本経済の基盤の構築 、すなわち官制経済から市場経済への転換なくして 、ひとり銀行だけが蘇ることはないし 、 (民間の )経済が旧来の体制のままで息を吹き返すこともないのである 。以上 、小泉政権の 「経済再生 」と 「構造改革 」についての私の見解は二つに要約できる 。第一に 、金融事業本来のシェアと活動諸条件を政府系機関が占有している状況下で 、民間銀行の不良債権が 「優先的に 」解消されることはありえないということ
である 。


第二に 、不動産 ・建設 ・土木 ・運輸 ・通信をはじめ主要産業各分野が政府系行政企業に圧倒され国内に市場性が失われている状況下では産業の創出 ・改編も企業の不良債権解消も 、それ自体問題にならないということである 。経済再生は 、 “市場 ”に対してあれこれと世話やくことではなくて 、経済 ( =市場 )と政官権力の関係のあり方を根本から改める方策としての 「構造改革 」にかかっている 。


わが国の経済成長率は公的支出の反映 
「骨太の方針 」は 、不良債権処理を行う 「集中調整期間 」は経済成長率がゼロまたは一 %程度にとどまらざるをえない 、と述べている 。この 「構造改革 」と経済成長率との関連には矛盾があることにも触れておかなければならない 。この辺の記述は 、 「集中調整期間 」中は高い経済成長が望めないことを 、あらかじめ断っておくつもりであるためのようにも見えるし 、逆に公共投資とは別の形で需要政策をとり続けることによって現状の国内総生産 ( G D P )水準の維持を宣言する意図のようにもとれる 。いずれにしても理解困難である 。後に G D Pと市場経済との関連において述べるとおり 、わが国の G D Pはほとんど政府支出の反映という性質を持っている 。したがって経済成長率を左右する要
素はほとんど公的支出にかかっている 。一方で小泉政府は 「新規国債発行を三〇兆円以内 」に抑えるほか 、公共投資予算等の削減を打ち出している 。また 、郵政をはじめ特殊法人等の 「民営化 」を実行すれば政府の予算支出はさらに減少するはずである 。全般に 、民営化を含め 、構造改革の成果は当面強い 「デフレ 」要因となる 。こう考えると 、 「成長率ゼロまたは一 % 」という期待はどこから出てくるのだろうか 。逆に 、政府予算規模の水準を維持するとすれば 、それは財政の構造改革との矛盾を来す 。はたせるかな昨年一一月五日 、 「骨太の方針 」からわずか四カ月で内閣府は平成一三年度の成長率見通しを 、プラス一 ・七からマイナス〇 ・九に下方修正した (もっともこれは予算規模の縮小からきたというより 、構造改革の迷走によるものであろうが … … ) 。もし本当に 「民需主導 」 、すなわち経済の資源を行政の分野から市場に向けて大規模に移転するのであれば 、わが国の中央政府支出 (二六〇兆円 )を当面の三年ほどのあいだにせめて米国の国家予算並み (一九〇兆円 )の規模に縮小するべきであろう 。そうなれば 、市場経済体制が形成されるまでの 「革命 」期間における G D Pは大幅に縮小し 、成長率は大幅なマイナスになるはずだ 。成長率は G D P数値の対前年度比であるから 、大規模予算の配分で国民生活が維持されるわが国のような官制経済体制下では 、成長率

は必ずしも経済の実態を反映するものではない 。したがって 、 「骨太の方針 」が成長率にこだわるのは自家撞着である 。財政規模の縮小は当面 、必然的にマイナス成長をもたらすのがわが国のシステムなのであるから 、そのことを明確にしたうえで改革に着手しなければ 、それは生きた市場のマインドに大きな打撃を与える 。この点について小泉氏は理解を欠いている 。小泉氏はむしろ 、構造改革の期間中は財政規模を大幅に縮小し 、それに連動して成長率が下がること 、そしてこれは景気の実勢を反映するものではないことを明確に主張すべきなのである 。 

「日本の構造改革 」を成功させるには
わが国経済政策の混迷を象徴している 「不良債権処理 」と 「景気回復 」をめぐる “論争 ”もまた 、わが国経済の特性への無理解から生じている 。与野党を含めた政界も経済界も言論界も 、当面の経済 ・財政の立て直しをめぐって大きく二つの議論に分かれている 。一方の陣営は 、経済問題の解決にとっての根本的課題は銀行の不良債権処理と考えている 。小泉政権の 「骨太の方針 」がその代表格である 。他方は 、不良債権処理を進める一方で不良債権が増大していく 、いたちごっこの状態の下では 、景気の落ち込みと地価の下落が続くだけなので 、公共投資による景気刺激で需要を喚起することが重要とみる 。しかし 、私にいわせれば 、これらの議論は 「景気回復が先か 、財政再建が先か 」 「二兎追うもの一兎をも得ず 」などの議論と軌を一にするもので 、日本経済に対する認識が近視眼的である 。後者の方から述べてみよう 。この立場が主張する政府の財政出動は確かに一般的には経済活動の触発剤になる 。しかし 、その際忘れてはならないのは 、この理論は市場経済体制下においてのみ通用するということだ 。ところが 、今日のわが国の官制経済体制下では 、経済対策としての公共投資等の予算はほとんど公的セクタ ーまたは行政システムを通って流通し 、余剰価値や付加価値を形成する 「市場 」を素通りし 、むしろ市場における生産 ・流通コストに負荷をかけてしまう 。財政出動によって刺激すべき 「市場 」がそもそも “寝たきり状態 ”なのだ 。