月曜日, 2月 03, 2020


経済清談

問者は東洋経済主幹石橋湛山氏〔一八八四〜一九七三〕


問 今の我が国の財政支出は縮小する望みがないと思うのであります。また縮小することが必ずしも国民にとって善いとも存ぜぬのでありますが。

高橋 御尤もの論と思う。ただ必要なのは、無駄使いをせぬことだ。歳出を減らすと云うたって、空論なら幾らでも出来るが、実際に今日の事情を考えたなら、口で説くように出来るものではない。歳出は多くても善い、ただその金を効果があるように使え、無駄に使ってはならぬと云うのが、私の始終云うている事だ。

問 無駄に金を使わないと云うことは、御説の通り、全く肝要な事だと存じます。が兎に角歳出は減らないと致しますと、そこにも記して置きましたように、自然今日の歳入では不足する、所謂赤字が無くならぬと云うことになります。この点はどうなりますか。

高橋 エエと、ここに君は、我が国民は大いに生産を盛んにし所得を増加し、膨脹する国費の負担に堪える力を養う以外に、財政処理の途はない、と書いている。これもこの通りだ。生産と云うのを広い意味に取って国民が皆働くと云うことで……そうして各々働いて所得を得て、それをまた無駄なく使いさえすれば好い。

問 国民が大いに生産に努力する、そして所得を増加します。そうすれば政府の歳入も自然増収が殖えて参りますし、大増税も出来ると云うことになります。

高橋 結局そこへ行く……広い意味において、国民が皆稼ぐ外に方法はない。ただ海外貿易が今日は自由でないから、そこに困難はあるのだが……。



借金が殖えても富が殖えれば心配はいらぬ

問 第三の問題は如何でしょう。

高橋 これについては私はこう云う考えを持っている。君たちはどう思うか?今日までの経済学は、二百年以前の英国から起って来た。これは当時の英国の経済事情を背景にしたものだ。だが、このマンチェスター経済学を、私は、いつも動かざる真理だとは思っていない。

そこで今までの考えだと、財政は常に収支の均衡を保たなければならぬと云う。けれどもどこの国を見ても、初めはなかった借金が段々殖えている。戦争とか天災とか、思わぬ事件がどこの国にでも、次ぎ次ぎに起るからだ。しかしそう借金が殖えて行く結果はどうなったかと云うと、一面産業は大いに進歩し、国の富も殖えたので、国債の増加も苦にならない。十分、その重みに堪える力が出来て来たのだから赤字公債と云うものもそう理窟通りに気に懸けることはない。場合によっては、借金をしても進んだ方が善い。また已むを得ず借金をしなければならぬ場合もある。しかしその結果、国民の働きが増せば、ここに富が出来る。前の借金くらい何でもない。




国防は不生産か

高橋 総ての場合必要なのは、前に云うた無駄をせぬ事だ。ところでここに議論がある。国防は不生産的だ、無駄使いではないかと云うのだ。

問 確かにここは問 題と思います。

高橋 しかしだ。なるほど国防は直接生産はしない。が国防に使う金は、大いに生産に関係を持っている。国防のためには、材料も要る、人の労力も使われる。それらの人の生活がこれによって保たれる。だから拵えた軍艦そのものは物を作らぬけれども、軍艦を造る費用は皆生産的に使われる。それから船が出来た後で、またこれを維持して行くには、石炭なり、油なり、人なりが入用だ。やはり人を養う働きをする。国防は無論生産に関係がなくとも、それはそれとして必要であるが、しかしこれを不生産的と見るのは穏当ではなかろう。


ルーズヴェルトは理論に走りすぎた

高橋 アメリカで、ルーズヴェルト大統領の今までやって来た事は、理論に走りすぎて失敗した、と私は思っている。ブレーン・トラストのような、理論に囚れた考えでそれがただちに実現が出来ると思ってかかれば、やり損うにきまっている。しかしルーズヴェルトという人は実際家なのだ。そこで新聞にも見えているが今度は実際主義に帰ったようだ。

問 理論に走りすぎたと申しますのは?

高橋 例えばアメリカには失業者が沢山にある。これを救済しなければならない。それから農産物の価を高くしなければならない。そ