火曜日, 3月 31, 2020

病という意味

日本近代文学の起源
#4
病という意味

 …「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす
ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病
原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体
(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、
神学的な枠組は医療の枠組に由来している。
 ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。
そして、病気を癒やすのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはある意味で
東洋医学の原理である。そして、西欧においてヒポクラテスの医学が神学・形而上学的な思考の
下に抑圧されていったのと類似したことが、明治時代のきわめて短い時間のうちにおこっている。
 たとえば、同じ結核という病に関して、『不如帰』が神学的な枠組を与えているのに対して、
正岡子規の『病林六尺』は、ただ病気は苦しいと率直にいうだけだ。それはニーチェの次のよう
な言葉を想い出させる。

 仏教は、くりかえしいえば、百倍も冷静で、誠実で、客観的である。仏教はもはや、おのれの苦を、
おのれの受苦能力を、罪の解釈によって礼節あるものたらしめる必要がない、――仏教はその考える
ところを率直にいう、「私は苦しい」と。これに反して野蛮人(キリスト教徒)にとっては苦それ
自体がなんら礼節あるものではない。野蛮人は、おのれが苦しんでいる事実をみずから認めるために
は、まず一つの解釈を必要とするのである…。ここでは「悪魔」という言葉は一つの恩恵である。
…(「反キリスト者』)

…フーコーは、フランスの場合、一八世紀における流行病の
状況およびその研究によって、医学が国家的な規模で情報収集、管理、拘束する必要にせまられ、
一七七六年政府によって王立医学協会が設立されたことに、その起源を見出している。このころに
二つの神話が形成された。その一つは国家化された医療であり、医者は一種の聖職者となる。もう
一つは、健全な社会を建設すれば病というものは一切なくなるだろうという考えである。したがっ
て、「医師の最初のつとめは政治的なものである(『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房)。
医学はもはやたんなる治療技術とそれが必要とする知識の合成物でなく、健康な人間と健康な社会
に対する知識をも意味し、「人間存在の管理の上で、医学は規範的な姿勢をとることになる」(同前)。
 このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの
は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、
且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。

149~153



ーーー


 たとえば、「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす
ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病
原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体
(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、
神学的な枠組は医療の枠組に由来している。
 …同じ結核という病に関して、『不如帰』が神学的な枠組を与えているのに対して、
正岡子規の『病林六尺』は、ただ病気は苦しいと率直にいうだけだ。それはニーチェの次のよう
な言葉を想い出させる。

 仏教は、くりかえしいえば、百倍も冷静で、誠実で、客観的である。仏教はもはや、おのれの苦を、
おのれの受苦能力を、罪の解釈によって礼節あるものたらしめる必要がない、――仏教はその考える
ところを率直にいう、「私は苦しい」と。これに反して野蛮人(キリスト教徒)にとっては苦それ
自体がなんら礼節あるものではない。野蛮人は、おのれが苦しんでいる事実をみずから認めるために
は、まず一つの解釈を必要とするのである…。ここでは「悪魔」という言葉は一つの恩恵である。
…(「反キリスト者』)

 もちろん、正岡子規の姿勢は、彼が仏教徒であるか否かとは無関係である。先に述べたように、
子規の姿勢は写生文、あるいはその根底にある「俳譜」の精神に由来するというべきである。同様に、
徳富蘆花がキリスト教徒だったということも大して問題ではない。重要なのは、『不如帰』という
作品が『病林六尺』からみて完全にねじまげられた構造をもつこと、そしてそのゆえに感染力をもつと
いうことである。
 オランダ人の医師がそれを異常に感じたのは、その当時の西洋の医学がすでに中央集権化された
ものだったからである。ミシェル・フーコーは、フランスの場合、一八世紀における流行病の
状況およびその研究によって、医学が国家的な規模で情報収集、管理、拘束する必要にせまられ、
一七七六年政府によって王立医学協会が設立されたことに、その起源を見出している。このころに
二つの神話が形成された。その一つは国家化された医療であり、医者は一種の聖職者となる。もう
一つは、健全な社会を建設すれば病というものは一切なくなるだろうという考えである。したがっ
て、「医師の最初のつとめは政治的なものである(『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房)。
医学はもはやたんなる治療技術とそれが必要とする知識の合成物でなく、健康な人間と健康な社会
に対する知識をも意味し、「人間存在の管理の上で、医学は規範的な姿勢をとることになる」(同前)。
 このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの
は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、
且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。


149~153



ーーーーー

 たとえば、「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす
ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病
原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体
(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、
神学的な枠組は医療の枠組に由来している。
 ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。
そして、病気を癒やすのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはある意味で
東洋医学の原理である。そして、西欧においてヒポクラテスの医学が神学・形而上学的な思考の
下に抑圧されていったのと類似したことが、明治時代のきわめて短い時間のうちにおこっている。
 たとえば、同じ結核という病に関して、『不如帰』が神学的な枠組を与えているのに対して、
正岡子規の『病林六尺』は、ただ病気は苦しいと率直にいうだけだ。それはニーチェの次のよう
な言葉を想い出させる。

 仏教は、くりかえしいえば、百倍も冷静で、誠実で、客観的である。仏教はもはや、おのれの苦を、
おのれの受苦能力を、罪の解釈によって礼節あるものたらしめる必要がない、――仏教はその考える
ところを率直にいう、「私は苦しい」と。これに反して野蛮人(キリスト教徒)にとっては苦それ
自体がなんら礼節あるものではない。野蛮人は、おのれが苦しんでいる事実をみずから認めるために
は、まず一つの解釈を必要とするのである(その本能はかえって苦の否認を、ひそかに苦を忍ぶ
ことを指示する)。ここでは「悪魔」という言葉は一つの恩恵である。強力な怖るべき敵がいたので
ある、――そうした敵で苦しむことを恥とする必要はなかったのである。(「反キリスト者』同前)

 もちろん、正岡子規の姿勢は、彼が仏教徒であるか否かとは無関係である。先に述べたように、
子規の姿勢は写生文、あるいはその根底にある「俳譜」の精神に由来するというべきである。同様に、
徳富直花がキリスト教徒だったということも大して問題ではない。重要なのは、『不如帰』という
作品が『病林六尺』からみて完全にねじまげられた構造をもつこと、そしてそのゆえに感染力をもつと
いうことである。
 オランダ人の医師がそれを異常に感じたのは、その当時の西洋の医学がすでに中央集権化された
ものだったからである。ミシェル・フーコーは、フランスの場合、 一人世紀における流行病の
状況およびその研究によって、医学が国家的な規模で情報収集、管理、拘束する必要にせまられ、
一七七六年政府によって王立医学協会が設立されたことに、その起源を見出している。このころに
二つの神話が形成された。その一つは国家化された医療であり、医者は一種の聖職者となる。もう
一つは、健全な社会を建設すれば病というものは一切なくなるだろうという考えである。したがっ
て、「医師の最初のつとめは政治的なものである(『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房)。
医学はもはやたんなる治療技術とそれが必要とする知識の合成物でなく、健康な人間と健康な社会
に対する知識をも意味し、「人間存在の管理の上で、医学は規範的な姿勢をとることになる」(同前)。
 このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの
は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、
且つ健康と病気を対立させる構造をもつていたのである。


149~153

9 Comments:

Blogger yoji said...

 たとえば、「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす
ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病
原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体
(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、
神学的な枠組は医療の枠組に由来している。
 ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。
そして、病気を癒やすのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはある意味で
東洋医学の原理である。そして、西欧においてヒポクラテスの医学が神学・形而上学的な思考の
下に抑圧されていったのと類似したことが、明治時代のきわめて短い時間のうちにおこっている。
 たとえば、同じ結核という病に関して、『不如帰』が神学的な枠組を与えているのに対して、
正岡子規の『病林六尺』は、ただ病気は苦しいと率直にいうだけだ。それはニーチェの次のよう
な言葉を想い出させる。

 仏教は、くりかえしいえば、百倍も冷静で、誠実で、客観的である。仏教はもはや、おのれの苦を、
おのれの受苦能力を、罪の解釈によって礼節あるものたらしめる必要がない、――仏教はその考える
ところを率直にいう、「私は苦しい」と。これに反して野蛮人(キリスト教徒)にとっては苦それ
自体がなんら礼節あるものではない。野蛮人は、おのれが苦しんでいる事実をみずから認めるために
は、まず一つの解釈を必要とするのである…。ここでは「悪魔」という言葉は一つの恩恵である。
…(「反キリスト者』)

 もちろん、正岡子規の姿勢は、彼が仏教徒であるか否かとは無関係である。先に述べたように、
子規の姿勢は写生文、あるいはその根底にある「俳譜」の精神に由来するというべきである。同様に、
徳富蘆花がキリスト教徒だったということも大して問題ではない。重要なのは、『不如帰』という
作品が『病林六尺』からみて完全にねじまげられた構造をもつこと、そしてそのゆえに感染力をもつと
いうことである。

 オランダ人の医師がそれを異常に感じたのは、その当時の西洋の医学がすでに中央集権化された
ものだったからである。ミシェル・フーコーは、フランスの場合、一八世紀における流行病の
状況およびその研究によって、医学が国家的な規模で情報収集、管理、拘束する必要にせまられ、
一七七六年政府によって王立医学協会が設立されたことに、その起源を見出している。このころに
二つの神話が形成された。その一つは国家化された医療であり、医者は一種の聖職者となる。もう
一つは、健全な社会を建設すれば病というものは一切なくなるだろうという考えである。したがっ
て、「医師の最初のつとめは政治的なものである(『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房)。
医学はもはやたんなる治療技術とそれが必要とする知識の合成物でなく、健康な人間と健康な社会
に対する知識をも意味し、「人間存在の管理の上で、医学は規範的な姿勢をとることになる」(同前)。
 このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの
は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、
且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。

149~153

10:26 午前  
Blogger yoji said...

 …「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす
ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病
原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体
(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、
神学的な枠組は医療の枠組に由来している。
 ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。
そして、病気を癒やすのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。
…同じ結核という病に関して、『不如帰』が神学的な枠組を与えているのに対して、
正岡子規の『病林六尺』は、ただ病気は苦しいと率直にいうだけだ。それはニーチェの次のよう
な言葉を想い出させる。

 仏教は、くりかえしいえば、百倍も冷静で、誠実で、客観的である。仏教はもはや、おのれの苦を、
おのれの受苦能力を、罪の解釈によって礼節あるものたらしめる必要がない、――仏教はその考える
ところを率直にいう、「私は苦しい」と。これに反して野蛮人(キリスト教徒)にとっては苦それ
自体がなんら礼節あるものではない。野蛮人は、おのれが苦しんでいる事実をみずから認めるために
は、まず一つの解釈を必要とするのである…。ここでは「悪魔」という言葉は一つの恩恵である。
…(「反キリスト者』)

…フーコーは、フランスの場合、一八世紀における流行病の
状況およびその研究によって、医学が国家的な規模で情報収集、管理、拘束する必要にせまられ、
一七七六年政府によって王立医学協会が設立されたことに、その起源を見出している。このころに
二つの神話が形成された。その一つは国家化された医療であり、医者は一種の聖職者となる。もう
一つは、健全な社会を建設すれば病というものは一切なくなるだろうという考えである。したがっ
て、「医師の最初のつとめは政治的なものである(『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房)。
医学はもはやたんなる治療技術とそれが必要とする知識の合成物でなく、健康な人間と健康な社会
に対する知識をも意味し、「人間存在の管理の上で、医学は規範的な姿勢をとることになる」(同前)。
 このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの
は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、
且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。

149~153

10:27 午前  
Blogger yoji said...

 …「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす
ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病
原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体
(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、
神学的な枠組は医療の枠組に由来している。
 ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。
そして、病気を癒やすのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはある意味で
東洋医学の原理である。そして、西欧においてヒポクラテスの医学が神学・形而上学的な思考の
下に抑圧されていったのと類似したことが、明治時代のきわめて短い時間のうちにおこっている。
 たとえば、同じ結核という病に関して、『不如帰』が神学的な枠組を与えているのに対して、
正岡子規の『病林六尺』は、ただ病気は苦しいと率直にいうだけだ。それはニーチェの次のよう
な言葉を想い出させる。

 仏教は、くりかえしいえば、百倍も冷静で、誠実で、客観的である。仏教はもはや、おのれの苦を、
おのれの受苦能力を、罪の解釈によって礼節あるものたらしめる必要がない、――仏教はその考える
ところを率直にいう、「私は苦しい」と。これに反して野蛮人(キリスト教徒)にとっては苦それ
自体がなんら礼節あるものではない。野蛮人は、おのれが苦しんでいる事実をみずから認めるために
は、まず一つの解釈を必要とするのである…。ここでは「悪魔」という言葉は一つの恩恵である。
…(「反キリスト者』)

…フーコーは、フランスの場合、一八世紀における流行病の
状況およびその研究によって、医学が国家的な規模で情報収集、管理、拘束する必要にせまられ、
一七七六年政府によって王立医学協会が設立されたことに、その起源を見出している。このころに
二つの神話が形成された。その一つは国家化された医療であり、医者は一種の聖職者となる。もう
一つは、健全な社会を建設すれば病というものは一切なくなるだろうという考えである。したがっ
て、「医師の最初のつとめは政治的なものである(『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房)。
医学はもはやたんなる治療技術とそれが必要とする知識の合成物でなく、健康な人間と健康な社会
に対する知識をも意味し、「人間存在の管理の上で、医学は規範的な姿勢をとることになる」(同前)。
 このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの
は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、
且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。

149~153

10:30 午前  
Blogger yoji said...

New Associationist Movement(NAM)の原理  第二版
柄谷行人
2001/07/01
http://nam21.sakura.ne.jp/nams/index.html
…もし匿名投票に
よる普通選挙、つまり議会制民主主義がブルジョワ的な独裁の形式であるとするならば、
くじ引き制こそプロレタリアート独裁の形式だというべきなのである。アソシエーションは中心
をもつが、その中心はくじ引きによって偶然化されている。かくして、中心は在ると同時に無い
といってよい。

10:41 午前  
Blogger yoji said...

日本近代文学の起源#4病という意味

 …「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす
ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病
原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体
(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、
神学的な枠組は医療の枠組に由来している。
 ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。
そして、病気を癒やすのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはある意味で
東洋医学の原理である。そして、西欧においてヒポクラテスの医学が神学・形而上学的な思考の
下に抑圧されていったのと類似したことが、明治時代のきわめて短い時間のうちにおこっている。
 たとえば、同じ結核という病に関して、『不如帰』が神学的な枠組を与えているのに対して、
正岡子規の『病林六尺』は、ただ病気は苦しいと率直にいうだけだ。それはニーチェの次のよう
な言葉を想い出させる。

 仏教は、くりかえしいえば、百倍も冷静で、誠実で、客観的である。仏教はもはや、おのれの苦を、
おのれの受苦能力を、罪の解釈によって礼節あるものたらしめる必要がない、――仏教はその考える
ところを率直にいう、「私は苦しい」と。これに反して野蛮人(キリスト教徒)にとっては苦それ
自体がなんら礼節あるものではない。野蛮人は、おのれが苦しんでいる事実をみずから認めるために
は、まず一つの解釈を必要とするのである…。ここでは「悪魔」という言葉は一つの恩恵である。
…(「反キリスト者』)

…フーコーは、フランスの場合、一八世紀における流行病の
状況およびその研究によって、医学が国家的な規模で情報収集、管理、拘束する必要にせまられ、
一七七六年政府によって王立医学協会が設立されたことに、その起源を見出している。このころに
二つの神話が形成された。その一つは国家化された医療であり、医者は一種の聖職者となる。もう
一つは、健全な社会を建設すれば病というものは一切なくなるだろうという考えである。したがっ
て、「医師の最初のつとめは政治的なものである(『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房)。
医学はもはやたんなる治療技術とそれが必要とする知識の合成物でなく、健康な人間と健康な社会
に対する知識をも意味し、「人間存在の管理の上で、医学は規範的な姿勢をとることになる」(同前)。
 このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの
は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、
且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。

149~153



New Associationist Movement(NAM)の原理  第二版
柄谷行人
2001/07/01
http://nam21.sakura.ne.jp/nams/index.html
…もし匿名投票に
よる普通選挙、つまり議会制民主主義がブルジョワ的な独裁の形式であるとするならば、
くじ引き制こそプロレタリアート独裁の形式だというべきなのである。アソシエーションは中心
をもつが、その中心はくじ引きによって偶然化されている。かくして、中心は在ると同時に無い
といってよい。

10:42 午前  
Blogger yoji said...

日本近代文学の起源#4病という意味

 …「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす
ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病
原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体
(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、
神学的な枠組は医療の枠組に由来している。
 ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。
そして、病気を癒やすのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはある意味で
東洋医学の原理である。そして、西欧においてヒポクラテスの医学が神学・形而上学的な思考の
下に抑圧されていったのと類似したことが、明治時代のきわめて短い時間のうちにおこっている。
 
…フーコーは、フランスの場合、一八世紀における流行病の
状況およびその研究によって、医学が国家的な規模で情報収集、管理、拘束する必要にせまられ、
一七七六年政府によって王立医学協会が設立されたことに、その起源を見出している。このころに
二つの神話が形成された。その一つは国家化された医療であり、医者は一種の聖職者となる。もう
一つは、健全な社会を建設すれば病というものは一切なくなるだろうという考えである。したがっ
て、「医師の最初のつとめは政治的なものである(『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳、みすず書房)。
医学はもはやたんなる治療技術とそれが必要とする知識の合成物でなく、健康な人間と健康な社会
に対する知識をも意味し、「人間存在の管理の上で、医学は規範的な姿勢をとることになる」(同前)。
 このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの
は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、
且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。

149~153



New Associationist Movement(NAM)の原理  第二版
柄谷行人
2001/07/01
http://nam21.sakura.ne.jp/nams/index.html
…アテネの民主主義において、権力の固定化を阻止するためにとられたシステムの核心は、
選挙ではなくくじ引きにある。…もし匿名投票による普通選挙、つまり議会制民主
主義がブルジョワ的な独裁の形式であるとするならば、
くじ引き制こそプロレタリアート独裁の形式だというべきなのである。アソシエーションは中心
をもつが、その中心はくじ引きによって偶然化されている。かくして、中心は在ると同時に無い
といってよい。

10:44 午前  
Blogger yoji said...

日本近代文学の起源#4病という意味

 …「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす
ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病
原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体
(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、
神学的な枠組は医療の枠組に由来している。
 ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。
そして、病気を癒やすのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはある意味で
東洋医学の原理である。そして、西欧においてヒポクラテスの医学が神学・形而上学的な思考の
下に抑圧されていったのと類似したことが、明治時代のきわめて短い時間のうちにおこっている。
 

 このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの
は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、
且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。
(定本149~153頁)

New Associationist Movement(NAM)の原理  第二版

……もし匿名投票による普通選挙、つまり議会制民主主義がブルジョワ的な独裁の形式であるとするならば、
くじ引き制こそプロレタリアート独裁の形式だというべきなのである。アソシエーションは中心
をもつが、その中心はくじ引きによって偶然化されている。かくして、中心は在ると同時に無い
といってよい。

10:46 午前  
Blogger yoji said...

以下、『日本近代文学の起源』#4「病という意味」より
《…「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなす
ことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病
原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体
(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。逆にいえば、
神学的な枠組は医療の枠組に由来している。
 ヒポクラテスの医療において、病気は特定の、あるいは局部的な原因に帰せられるのではなく、
身心の働きを支配する各種の内部因子の間にある平衡状態がそこなわれたものとみなされている。
そして、病気を癒やすのは医者ではなく、患者における自然の治癒力である。これはある意味で
東洋医学の原理である。そして、西欧においてヒポクラテスの医学が神学・形而上学的な思考の
下に抑圧されていったのと類似したことが、明治時代のきわめて短い時間のうちにおこっている。

 このようにみるならば、蘭学者たちのなかから明治維新のブルジョア的イデオローグが出てきたの
は偶然ではない。医学を媒介としてではなく、医学そのものが中央集権的であり、政治的であり、
且つ健康と病気を対立させる構造をもっていたのである。》(定本149~153頁)

以下、New Associationist Movement(NAM)の原理  第二版 より
《…もし匿名投票による普通選挙、つまり議会制民主主義がブルジョワ的な独裁の形式であるとするならば、
くじ引き制こそプロレタリアート独裁の形式だというべきなのである。アソシエーションは中心
をもつが、その中心はくじ引きによって偶然化されている。かくして、中心は在ると同時に無い
といってよい。》

10:48 午前  
Blogger yoji said...

139
2

第4章 病という意味
139
 このような浪子の形姿は、典型的にロマン派のものである。ロマン派と結核の結びつきはよく指摘
されているが、スーザン・ソンタグの『隠除としての病い』によれば、西欧では一八世紀中葉までに、
結核はすでにロマンティックな連想を獲得していた。結核神話が広がったとき、俗物や成り上り者に
とって、結核こそ上品で、繊細で、感受性の豊かなことの指標となった。結核を病んだシェリーは、
同じ病いのキーツに、「この肺病というやつは、きみのように素晴らしい詩を書く人をことさらに好
むのです」と書いている。また、結核を病む者の顔は、貴族が権力ではなくなってイメージの問題に
なりかけた時代では、貴族的な容貌の新しいモデルとなった。
 ルネ・デュボスは、「当時は病気のムードがとても広まっていたため、健康はほとんど野蛮な趣味
の徴候であるかのように考えられた」(『健康という幻想』田多井吉之介訳、紀伊圏屋書店)といっている。
感受性があると思いたい者は、むしろ結核になりたがった。バイロンは「私は肺病で死にたい」とい
ったし、太って活動的なアレクサンドル・デュマは、弱々しい肺病やみにみせかけようとした。
 実際に社会的に蔓延している結核は悲惨なものである。しかし、ここでは結核はそれとかけはなれ、
またそれを転倒させる「意味」としてある。結核が、あるいは一般に病気がこのような価値転倒をは
らむ「意味」として存在したことは、日本にはなかった。のちにのべるように、それはユダヤ・キリ
スト教的な文脈においてのみあったのだ。西洋における結核の神話化は、たしかに近代におこってい

7:00 午後  

コメントを投稿

<< Home