土曜日, 11月 21, 2015

サルトル 「いま 希望とは」Sartre L'espoir maintenant : 朝日ジャーナル 1980

『存在と無』サルトル(L'Être et le néant,Jean-Paul Sartre) 1943
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/letre-et-le-neantjean-paul-sartre.html
『弁証法的理性批判』サルトル 1960
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_66.html
サルトル『倫理学ノート』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_11.html
サルトル 「いま 希望とは」Sartre L'espoir maintenant : 朝日ジャーナル 1980
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/1980041804250502.html (本頁)
サルトル(1905-1980)とドゥルーズ(1925-1995):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_77.html

サルトル 「いま 希望とは」Sartre L'espoir maintenant : les entretiens de 1980 
朝日ジャーナル1980.04.18/04.25/05.02

L'espoir maintenant : les entretiens de 1980
http://www.franceculture.fr/oeuvre-l-espoir-maintenant-les-entretiens-de-1980-
de-jean-paul-sartre-benny-l%C3%A9vy.html
[suivi de Benny LEVY, Mot de la fin] Peu de temps avant sa mort, Sartre faisait paraître dans Le Nouvel Observateur une série d'entretiens avec Benny Lévy (« L'espoir maintenant ») qui scandalisèrent tant par leur contenu que par leur ton. Dix ans plus tard, le moment vint de les donner vraiment à lire.

サルトル「いま 希望とは」
朝日ジャーナル1980.04.18/04.25/05.02

〈訳・解説〉海老坂 武
 以下に訳出したサルトル-レヴィの対談は、フランスの週刊誌『ル・ヌーヴェル・オブセルヴァトゥール』にこの三月、三回にわたって連載されたものである。創刊号(一九六四年一一月一九日号)の第一面にサルトルヘのインタビューを掲げて発足した同誌は、以後何回か彼の重要な発言を掲載してきているが、今回はおそらく、同誌の八〇〇号を記念してサルトルの参加を求めたのであろう。翻訳原稿にして約一五〇枚の大部のものであり、内容的にも、まもなく七五歳になろうとするサルトルが、さらにこの先、何を考え、どう生きようとしているのかをのぞかせている、奥行きのある対談といえる。…



 1/3

  迫り来る時を意識した生の価値への限りない願い

 レヴィ しばらく前からあなたは、希望と絶望ということを問題にしている。
これは著作の中でこれまでほとんど取り組んでこなかったテーマだが。
 サルトル ともかく、今と同じ仕方ではね。というのは、わたしはずっと、誰
もが希望を持って生きていると考えてきたからだ。つまり、自分の企てたことは
自分に直接関係するにせよ自分の属する社会集団に関係するにせよ、実現されつ
つあるし実現されるだろう、それは自分にとっても共同社会の人々にとってもよ
い結果をもたらすだろう、そんなふうに誰もが信じているとね。希望というのは
人間の一部をなす、とわたしは考えるわけだ。人間行動は超越的なんだよ。人間
行動はいつでも現在から出発して未来の対象「目的」を狙う。われわれは現在の
中でその行動を考え、これを実現しようと努めるのだが、人間行動はその目的、
その実現を未来に置く。そして、行動する仕方のうちに希望が存在するんだよ。
つまり、実現されるべきものとして目的を設定するという事実そのものがね。
 レヴィ たしかにあなたは、人間行動は未来にむけて目的を狙う、と言ってき
た。けれどもすぐそのあとで、こうした行動はむなしい、と付け加えている(注
①)。希望は必然的に裏切られるわけだ。カフェーのボーイ、人民の指導者(ヒ
トラーであれスターリンであれ)、パリの酔っばらい、マルクス主義の革命的活
動家、ジャン・ポール・サルトル、こういった人たちすべてが次の共通点を持っ
ているようだ。誰もが自分で多くの目的を立てるが、存在するかぎり、誰もが挫
折するという共通点を。
 サルトル 正確にはそんなふうには言っていない。誇張が過ぎる。たしかにこ
うは言ったがね。彼らは自分たちの求めているものをそのとおり手にすることは
ない。いつでも挫折がある、と。
 レヴィ 人間行動は未来にむけて目的を立てる、とあなたは主張した。けれど
も、この超越の運動は挫折にいたる、とも言っている。『存在と無』の中では、
目的を立てながらまったくの徒労に終わる姿を示してみせた。完璧な「くそまじ
めな精神』(注②)の持ち主でありながらね。(あなたの考えによれば)人間はな
るほど自分でいろいろ目的を設定する。けれど実際は、人間が欲する唯一の目的
は神になる(神として存在する)ことだった(注③)。自己原因になること、と
あなたは呼んでいたが。そこからもちろん、挫折が生じてくる。
 サルトル そうだな、その挫折という観念をわたしはすっかり棄てたわけじゃ
ない。それは希望という観念自体と矛盾するのだがね。『存在と無』の時代には、
わたしは希望について語っていないということも忘れないで欲しいな。希望の価
値という観念がわたしのうちにすこしずつ生まれてきたのは、もっとあとになっ
てからだ。希望というものを叙情的幻影(注④)とみなしたことは一度もない。
希望というのは、実現されうるものとして自分で定める目的を把握する仕方であ
る、といつでも考えていた。希望について語っていなかったときでもね。
 レヴィ 希望について語らなかったかもしれないが、絶望については語ってい
た。
 サルトル そう、絶望については語っていた。けれど、これまで何度も言って
きたように、絶望というのは希望の反対物ではなかったのさ。絶望とは、自分の根
本的な目的に到達することができない、したがって人間現実には本質的な失敗が
内包されている、という信仰だった。それに結局、『存在と無』の時代には、わ
たしは絶望のうちに、人間の条件とは何かということについての明晰な見解を見
ていただけなんだ。
 レヴィ いつかわたしにこう言った。「絶望について語りはしたが、あれはで
たらめだ。誰も絶望について語っていたし、それが流行だったからわたしも絶望
を口にしたんだ。みなキルケゴールを読んでいたのさ」と。
 サルトル その通りだ。わたしは自分では絶望したことが一度もなかったし、
どんな仕方であれ、絶望というものを自分に属しうる性質として考えたこともな
かった。だから、絶望という点に関してわたしに影響を与えたのは、たしかにキ
ルケゴールだったね。
 レヴィ そいつはおかしい。あなたはキルケゴールが本当には好きでないのだ
から。
 サルトル そう、けれどもやはり影響を受けた。キルケゴールの語る絶望は、
他人にとって現実性をもちうる言葉のように思われてね。だから、これを自分の
哲学の中で考慮に入れたかった。流行だったんだ。自分についての個人的な認識
に何かが欠けているような気がしてね。そこから絶望を引き出しえなかったの
で。しかし、他人がこれについて語っている以上、それは彼らにとって存在する
に違いない、と考える必要があった。けれどもね、こうした絶望は、あれ以来わ
たしの作品の中にもうほとんどみられないということに注意してほしい。あれは
一時期のことだった。こういうことは多くの哲学者において見られる。絶望につ
いても、どんな哲学的観念についてもね。彼らは初期の哲学の中であれこれの観念
について風聞で語り、これに重要な価値を与える。それからだんだんとそう語ら
なくなってしまう。その観念の内実が彼らにとっては存在せず、他人から借りて
きたものだということを理解するから。
 レヴィ 不安(注⑤)についても同じことが言えるかな?
 サルトル 自分では不安というものを持ったことがないね。これは一九三〇年
から一九四〇年にかけての哲学の中心概念の一つだ。これまたハイデッガーから
きたものだ。誰もが始終使っていた概念だが、そういったものはわたしの場合何
にも対応しなかったな。たしかに、悲嘆とか倦怠とか貧困とかは経験したが、し
かし……。
 レヴィ 貧困を……。
 サルトル まあともかく、他人にとっての貧困というのは知っていた。目にし
ていたと言ってもいい。けれども、不安とか絶望とかはなかったね。まあこの問
題は切り上げよう。こいつはわたしたちの研究に関係がないからね。
 レヴィ いや、あるよ。あなたが希望について語らなかったということと、絶
望について語っていたときも、実はそれはあなたの考えでなかったということ、
これを知るのはやはり大事なことだ。

  各人が一つの絶対的な目的を持っている

 サルトル わたしの考えはとにかくわたしの考えだった。ただこの考えを《絶
望》という項目に整理したとき、それはわたしに関係がなくなったということ
さ。わたしにとってもっとも重要だったのは、挫折の観念だった。この観念は絶
対目的とでも呼びうるものに関連している。要するに、『存在と無』の中でこう
いう形では語られていないことがある。それは、各人が、たえず自分の抱いてい
る理論的ないしは実践的諸目的をこえて、たとえば政治的ないしは教育的な問
題にかんする諸目的をこえて、こういったことすべてをこえて、各人が一つの目
的を持っているということ、超越的ないしは絶対的と呼びうるかもしれないよう
な目的を持っているといりこと、そしてこれら実践的諸目的のすべてはこの絶対
目的に関連してしか意味を持たないということだ。してみると人間の行動の意味
とはこの目的であって、この目的はそれに、人によって変化をするのだけれど
も、それが絶対的であるという点で特殊なわけだ。そして、希望というのは、こ
の絶対的目的に結びついている。真の挫折がこの目的に関連しているという意味
では、挫折もまた同様なんだが。
 レヴィ その挫折は避け難いものなのか?
   東京で講演するサルトル(一九六六年九月) 

 サルトル ここでわたしたちは一つの矛盾にぶつかるわけだ。わたしはまだそ
こから脱け出していないが、この対話を続けていくうちに脱け出せると考えてい
る。一方でわたしは、人間の生は挫折として示されるという考えを保持してい
る。やろうと試みたことを、人はうまくやりとげえないものだ、と。考えようと
したことを考え、感じようとしたことを感じることにさえ成功しないのだ。これ
は結局のところ、絶対的ペシミズムに行きつく。これは『存在と無』の中では主
張していないことだが、今回どうしても確認せざるをえないことだ。
 つぎに他方で、一九四五年来わたしはだんだんとそう考えるようになり、今で
はすっかりそう考えているのだが、企てられた行動のきわめて重要な特徴の一つ
は、さきほど言ったように希望だということ。そして希望という言葉の意味する
ところは、行動を企てれば必ず行動の実現を期待する、ということだ。そして、
さっき言ったことだが、この希望が叙詩的幻影だとは思わない。そんな行動の性
質自体のうちに含まれている。言いかえれば、行動とは同時に期待であるので、
原理的に絶対的かつ確実な挫折に運命づけられえないのだよ。ということは、行
動が必ず目的を実現するに違いない、ということではなく、未来のものとして立
てられた目的の実現の中に、行動が姿を現すに違いない、ということだ。しか
も、希望自体の中に、一種の必然性がある。いま現在、挫折の観念はわたしの内
で深い根拠を持っていない。それに反して、人間とその目的との関係であるかぎ
りの希望、仮に目的が到達されないとしても存在する関係としての希望、これこ
そわたしの思想の中で、もっとも現在的なものだ。
 レヴィ 例を一つあげよう。ジャン・ポール・サルトルの例だ。子供のとき彼
は書くことを決意し、この決意は彼を不滅に運命づける。この決意についてサル
トルは、自己の作品の’暮れ方‘において何と言うだろうか? あなたのなした
ものである一番根本的なこの選択は、挫折だったのか?     ’
 サルトル 形而上学の次元では挫折だとしょっちゅう言ってきた。つまりこう
言いたかったんだ。シェークスピアとかヘーゲルとかのタイプの驚異的な作品
を、わたしは書かなかった。したがって自分のやろうと思ったことに比べて挫折
だ、と。けれども、このわたしの答えはひどく間違っているようだな。もちろん
わたしはシェークスピアでもないし、ヘーゲルでもない。けれども幾つかの作品
を書き、これをできるかぎり念入りに仕上げた。何冊かは明らかに失敗だったし、
他の何冊かはもうすこしましで、他の何冊かは成功だった。そして、それで十分
なのさ。
 レヴィ ただ、あなたの決定に比べたとき、全体としては?
 サルトル 全体としては成功だ。わたしが常に同じことを言ってきたわけじゃ
ないことは自分でも心得ている。そしてこの点で二人の意見は食い違っている。
というのは、わたしは、自分の矛盾はたいしたことはなかった、ともかくも自分
はずっと一貫した線を守っている、と考えるからだ。
 レヴィ 《目標にむかってまっすぐ》というやつだね。その点であなたは、絶
対の領域に目的を立てたために必然的に挫折せざるをえなかったのだとは思わな
いのだ。
 サルトル そうは思わない。それに いやしい見方に徹すれば、わたしという 
人間は他人については挫折と考えながら、自分については決して挫折とは考え 
ない、と見ることもできる。わたしは人々がいかにして誤り、人々が自分では 
成功したと信じているときにさえ、いかにしてそれが全面的な失敗であるか、と
いうことを見てきた。わたし自身について言えば、そういうことを考えたり書い 
たりすること、とれには成功しているし、もっと一般的に、自分の作品は成功
だと思っていた。もちろん、そうはっきりと考えていたわけじゃない。はっきり
考えていたなら、(他人についてと自分についての評価の)この大きな食い違い
にやはり気づいていただろうからね。ただやはり、そう考えてはいたのだよ。
 レヴィ それにしても、カフェーのボーイ——最初のところで話に出たくそ
まじめな精神にあふれたあのボーイ——の存在欲望と、サルトルの不滅の欲望と
を区別するのは一体何なのか?(あなたの言う)いやしい見方は別にしてね。あ
るいはまた、こういう区別にはいやしい見方しかないのではないか?
 サルトル ものを書いているあいだ、書くのをやめるときまで、不滅の観念に
しょっちゅう身を委ねていたわけだが、あれは一種の夢想だったのだとやはり思
うな、不滅というのは存在するとは思うが、あんな風にしてじゃない。あとから
この点について説明してみよう。頭の中に思い描いた不滅を欲するその仕方で、
わたしはカフェーのボーイやヒトラーとそれほど違ってはいなかったが、自
分の作品に取り組むその仕方は違っていたと思う。その仕方は固有のものだった
し、倫理的なものだった。そのことの意味はこれから検討していくことにしよ
う。
 というわけで、行動に必然的に伴ってくる幾つかの観念、たとえば不滅の観念
は疑わしいし、いかがわしいとわたし考えている。わたしの仕事にしても、不
滅であろうとする意思に導かれたわけじゃない。
 レヴィ けれども、(カフェーのボーイとの)そういう違いから出発するこ
とはできないのか? あなたは作品を、読者と作者の間の高邁さの契約、信頼の
契約というふうに語っている(注⑥)。この契約を作家の仕事の最重要なことと
いつでもしてきた。
 サルトル 社会的な仕事の……。
 レヴィ その社会的仕事には、『存在と無』の中で語られているような、存在
することの欲望とすくなくとも同じぐらい根本的な欲望の表現がみられるのでは
ないか?
 サルトル そうさ。ただその欲望を定義する必要があると思う。こう考えても
いいかもしれない。くそまじめな精神という根本的な在り方とは違う別の在り方
がある、と。つまり倫理的な在り方だ。そして倫理的在り方とは次のことを予想
させる。われわれは存在を目的とすることをすくなくともこのレベルではやめ
る、われわれはもう神になることを欲しない、われわれはもう自己原因になるこ
とを欲しない、といったことを。
 レヴィ 要するに、その自己原因という観念は、はっきりとした神学的伝統に
依拠しているにすぎない。
 サルトル まあそうだ。
 レヴィ キリスト教からヘーゲルにいたるまでの。
 サルトル まあその通りだ。わたしの伝統とはまさにそれで、そのほかにはな
い。東洋の伝統もないしユダヤの伝統もない。わたしの歴史性からして、そうい
った伝統は欠けているわけだ。
 レヴィ ただあなたはその神学的伝統にたいして距離を取ったばかりのところ
だ。自己原因的存在、神というあの定義から抜け出して。
 サルトル そう。それにわたしたちが目指す倫理は、キリスト教の伝統には結
びついていないと思う。わたしたちが目指すもの、わたしたちが倫理の中で探究
すべき目的は、キリスト教によって提供されている目的とは確実に違っている。
 レヴィ 高邁さの契約は、いわば社会の欲望へと、わたしたちを送り返すだろ
う。社会の欲望というのは、くそまじめの精神によって存在する欲望と呼ばれて
いるものと、すくなくとも同じぐらい根本的ではないか。
 サルトル そう思う。ただその場合、社会ということが何を意味するのかをき
ちんと定義する必要があるだろう。それは第五共和国(注⑦)の民主主義、たい
しは疑似民主主義のことではない。人間相互の、そんなものとはまったく異なる
関係のことだ。それは、マルクスが考えていた社会——経済関係でもない。
 レヴィ マルクス主義を相手にしたあの骨の折れる論争(注⑧)の中で、あな
たは実は、今日人々が一致して社会の欲望と呼んでいるものを探し求めていたので
はないか。『存在と無』の自己欺瞞の弁証法を抜け出して。

  ものを書く間の不滅の観念は夢想だった

  われわれは進歩を信ずる必要があるのさ

 サルトル たしかにそうだ。
 レヴィ 『存在と無』の終わりのところであなたは倫理的展望を切り開けると
思っている。ところがその後、倫理論が書かれないで、マルクス主義を相手と
した論争が始まる。このふたつのことは緊密に結びついていると考えるべきか。
 サルトル 緊密にね。
 レヴィ ヘーゲルとマルクス主義とによって定義されているような歴史の意味
によって、『存在と無』がゆきつく袋小路をもしかすると迂回しうる、とあなた
は思ったのだ。
 サルトル そう、ただし、大ざっぱに言ってのことだよ。それから今度は、ま
ったく別の方向に行く必要があると考えた。それがいまやっていることさ。倫理
の真の社会的目的を探るこの仕事は、今回みられるような、左翼のために原理を
再発見しようという考えと結びついている、と言っておこう。この左翼は一切を
放棄し、いまのところ壊滅状態で、おそまつな右翼を勝ち跨らせているのでね。
 レヴィ おそまつな上に下劣だ。
 サルトル 右翼と言うとき、それだけでわたしにとって下劣な連中ということ
さ。  
 この左翼はくたばるか否かのどちらかだ。だがくたばるとするならそのときく
たばるのは人間それ自体だ。くたばらないのなら、そのときはこの左翼のために
原理を再発見する必要がある。わたしたちのこの場での討論が、一つの倫理のス
ケッチとなると同時に、左翼の真の原理の発見になってほしいのだが。
 レヴィ わたしたちがいまおおよそ到達している第一の地点は、左翼的原理は
社会の欲望となんらかの関係がある、ということだ。
 サルトル その通り。それから希望とも関係がある。いいかい、わたしの作品
は挫折ぎ。自分が言いたかったことすべてを、自分が言いたかった仕方で言った
わけではないからだ。これまで生涯に何度か、このことがわたしを深く苦しめ
売。またそのほかのときは、自分の失敗を無視して、自分はやりたかったことを
やったのだと考えた。けれどもいま現在は、わたしはもうそのどっちとも思われ
ない。自分にできたことはほぼやって、それはそれなりに価値があったと思って
いる。未来はわたしの主張したことの多くを否認するだろう。そのうちの幾つか
は残るだろうと期待してはいるが、いずれにしても《人間》のゆっくりとした運
動があって、人間による人間の自覚の方へとむかっている。その場合、過去にお
いてなされているすべてのことが、その場を(歴史の中で)占め、その価値を持
つだろう。たとえばわたしのやったことが。これこそ、われわれがやったすべて
のこと、やるであろうすべてのごとに、一種の不滅を与えるものだ。言いかえれ
ぱ、進歩を信ずる必要があるのさ。そしてこれはおそらく、最後まで残っている
わたしのナイーブさの一つだ。
 レヴィ もしよければ、あなたと革命家たちとの討論に戻ろう。あなたは彼ら
の目的を分かち持つと言った。だが実は不信の念を抱き続けた。連中がああした
目的に到達しなければよいのだが、と。ほぼ今みたいな言葉でね。あなたの方は
同伴者でしかなかった。それが二股思考の方式を助長したのではないか?
 サルトル それはあまり正確な言い方じゃない。あれは二股思考といったもの
ではないよ。政党は必然的に愚劣だと思うからだ。(政党では)思想は上からやっ
てきて、下で考えられていることについて形をとるのだからね。これは思想をく
だらなくさせる最良のやり方だ。なぜって当然下部においてこそ思考は練りあげ
られるべきなのだから。上部からこれを先取りしてはならないのだ。二〇歳のと
き以来わたしは、政党という観念自体に嫌悪を催すのだが、これはそのためだ。
 政党は真理を持だないし、真理を持つつもりがないとい吼ことを認識する必要
がある。政党はなんらかの意図を持ち、一定の道を行くのだから。’わたしにとっ
て同伴者とはまさしく《党》の外で真理を考えようと試みる者のことだ。《党》
がこの真理を用いるだろう、と希望しながらね。
 レヴィ そうした同伴者的実践のありうべき結果は何だったか。ロマン・ロラ
ンは一九三〇年代のソ連、つまり強制的集産化、数十万の農民の清算、精神の夜
そういった時期のソ迪にやってきてこう言っている。「わたしはソ連において人
間精神の諸権利が見事に拡大されているのを見た」と。
 サルトル ロマン・ロランはすぐれた思想家じゃないからね。
 レヴィ ジャン・ポール・サルトルは一九五四年にソ連にやってきて、お膳立
てどおりちょっと見てまわり、ついで帰国してからパリの大夕刊紙(注⑨)に、
ソ連は最大限の自由がある国だと述べている。
 サルトル たしかにわたしはソ連についてよい方向に考えていた。あなたが思
っているほどじゃなかったが。けれどもそれは、ソ連について悪い方向に考える
ことを自分に禁じていたからだ。
 レヴィ まさか。同伴者には奇妙な知的習慣があるんだね。
 サルトル 同伴者が完璧だなどと言うつもりはないよ。そんなに単純なことじ
ゃない。じっさい、現在わたしは同伴者を擁護するつもりはないしね。困ったこ
とに、同伴者の思想は《党》のためにありながら、《党》によっては決して受け
入れられないからだ。
 レヴィ あなたが定義した意味での愚劣な党、それに同伴者、すなわち真理と
いう観念を持っているらしい知識人、この両者を足すと何が生じ、それがいかに
無残に失敗するかは、よくおわかりのはずだ。
 サルトル わかってる、わかってる。
 レヴィ だというのに、あなたはまだ同伴者の追悼演説のようなものをやろう
としてるように見えるが?
 サルトル いまや政党はだめになったと言ってるだけさ。いまから二〇年か三
〇年後に、左翼の大政党はいまあるようなものではもうなくなるということは目
に見えている。おそらくそのうちの一つか二つかはくたばってさえいるだろう
ね。何か別のものが生じ、そこにはもう同伴者は正確には存在しなくなるだろ
う。それは、前に説明したが、限定された、個別的な目的を目指す大衆運動とな
るだろう。そうした大衆運動では。同伴者という概念はもう意味をもたなくな
る。
 レヴィ つまり、あなたのお好きな同伴者はくたばるわけだ。二人で死亡証明
を作成しておきたいものだね。死んだのは何者か? 陰険な下種(げす)か、阿呆か、信
じやすい間抜けか、とんでもないお人好しか?
 サルトル それほど悪くはない奴だ、とむしろ言いたい。必ずしも信じやすい
間抜けじゃない。場合によってそういうこともあったかもしれないが。《党》の
要求に屈するとき、彼は阿呆か、信じやすい間抜けになった。けれども、屈しな
いこともできたので、そのときは、それほど悪くはなかったのだよ。ただ念々
の方が事態を耐え難いものにした。入党が存在したゆえに、彼は同伴者だったの
だ。
 レヴィ はっきりさせておこう。その同伴者という人物は、この四〇年来左翼
思想を掘り崩してきた挫折全体の一部をなすものなのかい?
 サルトル わたしはそう思う。
 レヴィ あなたの活動のその側面について、今日どう思う?
 サルトル 同伴者になった時期はどくわずかだ。五一年、五二年に同伴者にな
り、五四年にソ連に行った。ほぼそのすぐあとで、ハンガリー動乱が起こって
《党》とは縁を切った(注⑩)。それがわたしの同伴者体験だ。四年間さ。それ
にこれは、わたしの場合、二義的なことだった。その時期には別のこと(注11)
をしていたのだから。
 レヴィ 二股思考の疑いがまた出てこないかな?
 サルトル 自分は《党》が考えることとは別のことを考える、とわたしは常に
言ってきた。それは二股行動じゃない。

 党はくたばり新しい大衆運動が生まれる

わたしはある時期に、《党》の疑似思想は真理を含み、がっちりした基盤に支え
られているに違いない。その愚かしい側面は表面的なものでしがない、と思い込
んでいた。じっさいには印象が深すぎたのだ。共産党は労働者の党だと称してい
たのでね。今ではこれは誤りだと思う。知識人には何かしがみつくものを見つけ
たいという欲求があって、わたしも他の知識人と同じようにそれを見つけていた
わけだ。
 レヴィ 知識人のうちにあるしがみつきたいというその欲求について話そう。
一体どういうわけで、しがみつきたいというその欲求が結局のととろあなたを導
き、そのほか多くの連中を導き、スターリニズムの岩にしがみつくようにしむけ
たのか?
 サルトル あれはスターリニズムじゃなかった。スターリニズムはスターリン
とともに死んだんだ。近ごろは何を指すのにもスターリニズムという言葉が使わ
れるな。
 レヴィ ー体どういうわけで知識人連中が、しがみつきたいという欲求を、す
なわちあの下劣な政党のうちに支えを、根拠を見いだしたいという欲求を待った
のか?
 サルトル 社会に未来を見つけなければならなかったからさ。この社会が糞だ
めでなくなる必要があったのだ。いまではいたるところでそうなってしまったが
ね。自分一人で、自分一個の思想で世界を変えられると思ったのではなく、前進
しようと試みている社会勢力を見きわめていったのさ。そして自分の場はその中
にあると思ったのだ。
 レヴィ 重要な一点について、もっとはっきり理解しうるのではないか? つ
まり、出発点に、完全に独立した知識人がいて、共産党のことを意に介せず、
『存在と無』を書いている。だが希望を根拠づけることができないまま、未来の
諸目的にむかっておのれを投企するあの超越性に肯定的な内容を与えることがで
きないまま………。
 サルトル できないのだが、そうしようともしていない……。
 レヴィ 独立した知識人はあの下劣な共産党の中に真理を見いだそうと必死に
なる。いやそうじゃなかった。彼は誰にも自分の行為を説明せずに、一つの思想
を練りあげる。けれども袋小路だ。そしてその抵抗力をとおしてあなたは一つの
内容を垣間見る。それ以前の結論が正しくはなかったのだと考える。そこで未来
に内容を与えるたかに、じっさいには、代表団に頼るのだ。
 サルトル そう、わたしには結合した人間たちが必要なのだ。一人では、ある
いはばらばらになった幾つかの単位では社会を揺り動かし、解体させることはで
きないだろうからね。闘う人々の集団を想定する必要があるのだ。
 レヴィ 結構、あなたはそれからすぐに、革命の思想、すなわち未来の思想の
中心点として、集団の問題、行動する多様な人問たちの結合の問題を提起するに
いたる。実践的聡体の理論をうちたてるべく、八〇〇ページ近くの本を書こうとする
(注12)。
 サルトル 完成しなかった本をね。
 レヴィ しかも、さらに八〇〇ページを必要としたはずの本を(注13)。ところ
で、その実践的総体の理論を仕上げるのに、あなたは、歴史の最終目的を提示し
てこれに訴えざるをえなくなる。その最終目的をマルクス主義から借りてくる。
労働者階級は人間の前史を完成する役割を負っている、と。というわけで決算を
してみよう。あなたが、最終目的の第一の定義から第二の定義へ、挫折という定
義からプロレタリアートによる歴史の完成という定義へと移っていることは明ら
かだね。
 サルトル 第二の場合にも、ぜったいに挫折を忘れずにだ。
 レヴィ たしかに『弁証法的理性批判』の中には挫折の観念がみられる。友
深にめぐりあえると期待するたびに、恐怖につまずくのだから(注14)。けれど
も事実は『弁証法的理性批判』における思考の運動の原理は、最終目的が存在す
るということだ。
 サルトル その最終目的について第三部が書かれるはずだった。ところが、あ
なたも知ってるように、書かなかった。
 レヴィ あなたが提示した二つの定義のどちらも、ーー第一の定義は、第二の
定義をするためにあなた自身が見棄てた以上、第二の定義はあえて言うなら、わ
れわれの時代が見棄てた以上ーー明らかに満足すべきものではないな。
 サルトル こんなふうに想定していたんだよ。行動の展開は一連の挫折となる
だろうが、そこから予想外の形で肯定的な何かがーー挫折の中にすでに含まれて
いたけれども、成功しようと欲していた者には知られていなかった何かがーー出
てくるだろう、と。また、こうした部分的、局部的な成功、作業にたずさわって
いる人々にはほとんど判読できない成功こそが、挫折を重ねていくなかで、進歩
を実現していくだろう、と。わたしはこんなふうに歴史をいつも理解してきたの
さ。           
 レヴィ 《行動》の挫折と意味とを思考すると同時に生きるということの困難、
道を誤る危険、そういうものを前にすると、目的という観念をむしろ放棄した方
がよいということもありうる。
 サルトル じゃ、なぜ生きるんだい?
 レヴィ あなたからその言葉が聞けてうれしいね。それにしても、この目的の
観念は今日どのようにして出てくるのか?
 サルトル 人間をとおしてだ。
 レヴィ はっきり説明してほしいな。
 サルトル 人間とは何かということが説明されうるだろう、という意味だ。ま
ず第一に、あなたも知ってるように、わたしの考えでは先験的な本質というもの
は存在しない。だから、人間とは何かということはまだ定まっていないのだ。わ
れわれは完成した人間ではない。われわれは、人間的関係に、人間の定義に到達
すベくあがいている存在だ。われわれはいま現在、闘いのまっただなかにいる。
そしてこの闘いはおそらく長い年月のあいだ続くだろう。けれどもこの闘いを定
義しておく必要がある。われわれは、人間として共に生きることを求め、人間に
なることを求めているのだ、と。したがって、まさしく人間的なものとなるであ
ろうーーもちろん、ヒューマニズムをこえて人間的なものとなるであろうーーこ
の定義とこの行動との探究、これをとおしてこそわれわれは自分たちの努力と目
的とを考察しうる、ということになる。言いかえれば、われわれの目的とは、各
人が人間となるような、また集団も同じく人間的となるような、そういう真の構
成された社会に到達することなのだ。
  『人民の大戦』誌事件に抗議するサルトル(1970年5月)

 レヴィ ー九三九年以前にあなたは、ヒューマニズムなど糞くらえ、と言った
 (注15)。その数年後あなたは、自分の変化について説明をせずに、「実存主
義はヒューマニズムか?」(注16)という講演をし、この問いにたいし「ウイ」と
答えている。さらにその数年後、植民地戦争が激烈だったころ、あなたは、ヒュ
ーマニズムは植民地主義のまとうパンティーだと述べることになる(注17)。最
後に、今日あなたは、人間をつくらねばならぬ、ただしこれはヒューマニズムと
は何の関係もない、と言っている。
 サルトル ヒューマニズムの中には、人間が自分白身にうっとりと見とれる側
面があって、それが大嫌いだったんだね。これは『嘔吐』の中の独学者が浮き彫りに
したはずのものだ。このヒューマニズムを、わたしは常に拒否してきたし、今で
も拒否している。あまりにも決めつけすぎたかもしれないが。いま考えているこ
とは、人間というものが真に、全体的に存在するとき、その同類との関係は、ま
たおのれ自身で存在する仕方は、ヒューマニズムと呼びうるものの対象となるか
もしれないということだ。つまり、ヒューマニズムとは、常に人間の存在の仕
方、隣人との関係、自分自身として存在する仕方ということになるだろう。けれ
ども、われわれはまだそこには至っていない。言ってみれば、われわれは人間以
下の存在、すなわち目標点にたどりついていない存在、その上その目標点にはお
そらべ決して到達しないだろうがその方向にむかっている存在なのだ。その場
合、ヒューマニズムとは何を意味しうるか?

  完成した人間になるべく闘っている存在

 サルトル もしも人々を有限の閉じられた全体と考えるなら、ヒューマニズム
はわれわれの時代に可能ではない。それに反して、こうした人間以下の存在が自
分たちの中に人間的であるさまざまな原理を有しているなら、つまりは、人間の
方にむかっている若干の萌芽、人間以下の存在自身より馬先に進んでいる若干の
萌芽を有しているなら、そのときは、人間と人間との関係を、今日重要とされて
いる諸原理によって考えること、その作業をヒューマニズムと呼ぶことができる
だろう。何よりも、他人との関係の倫理というものがある。これは、人間が真
に存在するようになっても、いぜんとして残る倫理的なテーマだ。したがって、
この種のテーマは、ヒューマニズムの主張を生み出しうるかもしれない。
 レヴィ マルクスもまた、人間は最後には本当に全体的になるだろう、と言っ
ていた。こうした理屈で、人間以下の存在は、総体的かつ全体的な新しい人間を
建設するための原料とみなされた。
 サルトル ああ、なるほど。だがそうなると、これはまったくばかげている。
人間以下の存在の中に、まさしく人間的側面があるんだよ。人間の方にむかうあ
の’さまざまな原理が。目的を獲ち取るために人間を物質であるかのように、ある
いは手段であるかのように利用することを、それ自体の内部で禁止しているさま
ざまな原理が、われわれが倫理の問題に取り組んでいるのはその点においてなん
だ。まさしくね。
 レヴィ あなたは昔、倫理にそのように訴えることを、形式的だとか、もっと
悪くはブルジョア的だとかと非難したんじやなかったのか? われわれはそうい
う(非難を投げつけて)ゲームをやってきた。ところがあなたはいま、禁止だと
か、人間的だとか、そんなことをロにする。そんなものはみな、昔だったらあな
たを吹き出させただろうに。だとすると何が変わったのか?

 サルトル わたしたちはこれからここで、たくさんのことを述べていくことに
なるわけだ。いずれにせよ、そうだ。わたしはふざけたかもしれない。ブルジョ
ア倫理うんぬんと言ったかもしれない。要するに、ばかなことを言ったかもしれ
ない。ただ、事実に即して事態をよく見きわめてみると、われわれの周囲にいる
人間以下の存在、またブルジョアとかプロレタリアといったわれわれの木質を考
慮に入れずに直接的にわれわれ自身がそうである人間以下の存在に即して事態を
よく見憑わめてみると、ヒューマニズムは具体的人間によってしか実現されえな
いし、生きられえない。またわれわれは一つ前の時代に生きていて、自分もそう
であるべき人間、われわれの後継者たちがそうなるであろう人間の方へと、急い
でむかっているわけだけれども、そういうわれわれはこのヒューマニズムを白分
たちの中にある最良のものとしてしか生きられないのだ。すなわち、われわれ自
身をこえて、人間たちの集まりの中に在ろうとする努力によってしか。そういう
人間たちは、こんなふうにわれわれの最良の行為によってあらかじめ描きうるか
もしれないのだがね。
 レヴィ 今日、《倫理》という言葉にどういう意味を持たせるのか?
 サルトル それぞれの意識は、どんな意識であれ、一つの次元、義務の次元を
持っているということさ。これはわたしの哲学作品の中で考察しなかったもので
それにごくわずかの人たちしかそういうものとしては考察していないものだ。義
務という言葉はよくないのだが、別の言葉を見つけるにはなかば作り出す必要が
あるだろう。こういう意味なんだよ。それが何であれ、わたしがあることを意識
する瞬間、またそれが何であれわたしがあることを為している瞬間、そのそれぞ
れの瞬間に、現実のかなたにむかう一種の請求官 (requitision)があるということ、
またこの請求によって、わたしの為したい行動がわたしの意識の一つの次元とな
っている一種の内的制約を伴うということだ。意識はすべてモれが為しているこ
とを為すべきだが、それは意識が為していることに非常に価値があるからではな
く、まったく逆に、意識が抱くどんな目的も、請求という性格を伴って意識のう
ちに姿を現すからで、わたしにとってはモれが倫理の出発点なんだ。
 レヴィ あなたはずっと前から、結局のところ個人は委任を受けている、とい
う考えに染まりやすかった(注⑩)。そして『家の馬鹿息子』の中ではカフカを
引用しながら、「しかし誰から委任を受けているのかはわからない」と付け加え
た。それでは、委任を受けている自由、しかし誰からかはわからないというそ
の考え、そこに請求を受けている自由と? 考えの概略が描かれているというこ
とか?
 サルトル 両者は同じことだと思う。アリストテレスの倫理でもカントの倫理
でも、古典的な倫理のほとんどすべてのうちに、一つの困難な問題がある。倫理
を意識の中のどこに置くか、ということだ。倫理とは出現するものなのか? そ
れともわれわれは始終倫理的に生きているのか? 倫理的ではないが、かといっ
て非倫理的であるわけでぢない瞬間は存在するのか? ちょっとものを食べたと
き、あるいは酒を一杯飲んだとき、われわれは倫理的と感じるのか、非倫理的と
感じるのか、あるいはそれは何でもないことなのか? また、人々が子供たちに
一日々の道徳として普通教える倫理と、例外的な状況の倫理との関係もまたわかっ
ていない。わたしの見るところでは、どの意識にもこの倫理の次元があって、こ
れは一度も分析されておらず、二人で分析をしてみたいものなのだが。
 レヴィ しかしあなたは初期作品の中ですでに、意識を倫理的なものと定義し
ていた。自由は価値の唯一の源泉である、と。今日あなたは自分の考えを曲げ
ているね。
 サルトル というのは、初期の研究ではーーそれにモラリストたちの大多数が
そうやってるわけだけどーーわたしは、相互性を欠いた意識、ないしは他者を欠
いた意識(この表現の方があたっている)の中に、倫理を求めていたからだ。
ところがいまは、ある瞬間に意識に生ずることのすべては、必然的に結びついて
いる、ときとしては面前の他者、いや瞬間的には不在の他者、だがいずれにして
も他者の存在によって生み出されさえする、と考えている。言いかえれば、意識
はすべて、おのれを意識として構成すると同時に他者の意識として、また他者
に対する意識としておのれを構成するように、いまでは思われる。そして、他者
と関係を持っているところから自己を他者に対するものとして考えるこの現実存
在、この自己自身、これこそがわたしが倫理意識と呼ぶものたんだ。
 寝ているとき、眠っているときでさえも、われわれはたえず他者の前にいる。
たとえわたしは一人で部屋の中にいても、他者はいずれにしても物の形で、呼
び声の形でそこにいる。机の上に散らばっている手紙とか、誰かの手で作られた
ランプとか、誰かに描かれた絵といった形で。要するに、いつでも他者はそこに
いてわたしを条件づけている。だから、わたしの反応はーーただ単にわたし固有
の反応ではなく、誕生以来他者によってすでに条件づけられているわたしの反応
はーー倫理的な性格をもった反応ということになる。
 レヴィ 対他存在をもう前と同じようには考えていないわけだ。
 サルトル そのとおりだ。『存在と無』の他者の理論では、各人をあまりにも切
り難しすぎた。他者に対する関係を新たな角度から示す幾つかの問いを出したの
だがね。閉じられた二つの《全体》ではなかったんだ。閉じられている以上は両
者がどうやって関係を持つかがわからないからね。まさに、各人の各人に対する
関係が問題で、その関係は閉じられた全休の構成に先立っていた、ないしは、そ
れらの《全体》が閉じられてしまうのを妨げてさえいたのだ。したがって、わた
しが検討していたことは、まさに、発展させるべきテーマだったんだ。

  みな私を年寄り扱いするが屁とも思わぬ

 けれども、わたしはやはり、それぞれの意識はそれ自身として、各個人はそれ
自身として、相対的に他者から独立していると考えていた。今日わたしがはっき
りさせようと試みていることを、あのころはまだはっきりさせていなかったんだ
ね。つまり、各個人がその他すべての個人に対して持っている依存関係というこ
とだ。
 レヴィ かつて自由は必要とされた。いまでは自由は《依存》している。そう
いう言葉を聞くと驚く人がいるかもしれないよ。
 サルトル それは依存関係だけれど、奴隷状態の依存関係のようなものじやな
い。というのは、この依存関係自体が自由だと考えるのだから。倫理において特
徴的なことはね、行動というのは一方で微妙な具合に強制されて姿を現すと同
時に、他方ではしないでもよいものとして与えられるということだ。したがって
また、行動をするときは選択をしているということ、自由な選択をしているとい
うことだ。この場合の強制は、決定をしないという点で、強制として姿を現し
ながらも、選択は自由になされるという点で超現実的たんだ。
 レヴィ 老いの経験があなたの考えを変えさせている原因か?
 サルトル 違う。みなわたしを年寄り扱いする。わたしは屁とも思わないがね。
なぜかって? 年寄りは年寄りだということを、自分では決して感じないから
だよ。老いを外から眺めている人において、老いが何を意味するかは他人をとお
してわかるが、自分の老いは感じない。だからわたしの老いとは、それ自体でわ
たしに何かを教えるといったものじやない。わたしに何かを教えるのは、わたし
に対する他の人々の態度だ。言いかえれば、わたしが他人に対して年を取ってい
ると、これはものすごく年を取っているということになる。老いとは他人が感じ
とるわたしの現実であって、彼らはわたしを見てあのじいさんと言っている。も
うじき死ぬということで親切にしてくれるし、うやうやしくもしてくれる。つ
まりわたしの老いとは他人なのさ。忘れないでくれよ、あなたは自分の個性を消
して、わたしに関する話をするという形でこの対話に参加しているけれど名、わ
たしたち二人で仕事をしているのだということを。
 レヴィ あなたの思想の修正にとって、その《わたしたち》、というのはいか
なる点で決定的だったのかな?
 サルトル もともとはね、誰か対話相手が必要だったわけだ。秘書になれるか
もしれないような相手を、最初は考えていた。わたしはもう書けないので対話に
頼らざるをえなかったのでね。そこであなたにこの仕事を提案したわけだ、けれ
どもすぐに、あなたは秘書にはなれないことがわかった。思索そのものの中であ
なたを受け入れねばならない、言いかえればわたしたち二人が一緒に思索しなけ
ればならない、ということが。そしてこれが完全にわたしの探究形式を変えてし
まったね。
 なぜならわたしはこれまで目の前にペンと紙をおいて一人で机の前に座り、一
人でしか仕事をしたことがなかった。それに対して今度は、二人で一緒に思
想を形成していく。ときとしては意見が一致しないまま。けれどもそこには交
換があり、これはおそらく、年を取ったときにしかその気になれなかったもの
だ。
 レヴィ まだましということかな?
 サルトル 最初はね。そのうち、この協力は、まだましというごとではもうあ
りえなくなった。いまわしいことか、さもなければ新しい何かか、そのどちらか
だった。つまり、自分の思想が他人によって薄められるということか、一つの思
想が二人で形成されるということか、そのどちらかだった。書くときには、著
作をとおして人々に提示する思想は普遍的だが、複数のものではない。普遍的だ
というのはね、各人これを読むことによって、いずれにせよこの思想をつくりあ
げるからだ。
 ところがそれは複数のものではない。何人かの人間の出会いによって作られた
のではなく、わたし一人の痕跡しかとどめていないという意味でね。複数的思想
には特権的な入りロがあるわけじやない。各人自分なりのやり方でこれに近づ
いて行く、もちろんそこには一つの意味しかないけれども、各人がそれぞれ違っ
た前提と違った関心から出発してこの思想をつくり出し、各人違った例をとおし
てその構造を理解するわけだ。
 作者が一人しかいないとき、思想はその痕跡をとどめている。作者自身が引い
た道にそって中に入り中を歩きまわる。その思想は普遍的であるのにね。二人の
協力からわたしにもたらざれたのはそういったことだ。つまり、二人が一緒につ
くりあげた複数的思想、その中に含まれて.いるすべてのことにわたしが先験的に
同意しているにもかかわらず、たえず新たなものをわたしに委ねてくれる複数的
思考だ。わたしから出てくる考えを修正しようとして、あなたが言うかもしれな
いこと、あなたからの反論、ないしはこの考えについての別の見方、こういった
ことは最重要だとわたしは考えた。なぜ最重要かと言えば、それは一枚の紙の背
後にいる想像の読者(わたしにとって読者とはいつもそうだった)とわたしを向
かいあわせるのではなく、わたしの思想が引き起こすであろう反応そのものとわ
たしを向かいあわせたからだ。そうなると今度はあなたがわたしにとって限りな
く興味ある人物となってきた。同様に、非常に重要なことが一つあった。あなた
は一五のときにわたしの本から出発して哲学を考え始めた。そしてそのことをよ
く覚えている。わたしよりもずっとよくね。そこで対談でこれが重要になる。あ
なたはときどき、わたしが一九四五年なり一九五〇年なりに言ったことにわたし
を連れ戻してくれる。わたしの現在の思想の中で、過去の思想を否定したり、過
去の思想に戻ったりするようなものがあるとき、それとわたしとを突き合わせよ
うとして。
 というわけで、結局のところあなたはたいへん役に立った。そのことは二人の
会話の中からはあまり感じられないがね。というのはいつものとおり、あなた
はわたしと二人きりでないときは、すこしひかえ気味になるからだ。その結果、
こうしたやりとりの中に、非常に頭のいい男をつかまえて一緒に仕事をしている
老人、だがやはり中心人物である老人の姿をどうしても見ることになる、ところ
が二人のあいだで起こっていることは、そういうことじゃない。またそういうこ
とをわたしが望んでいるのでもない。二人の人間がいて、年の違いは重要ではな
く、二人とも哲学史とわたしの思想の歴史をよく知っていて、倫理論に取り組も
うと協力している。その上、わたしがそれまでに獲得した考えの幾つかと、しば
しば矛盾するであろう倫理論だ。問題はそんなとこにはないのだがね。ただ二人
が実際にやっていることの中でのあなたの真の重要性が、討論からは感じられな
いのだ。
 レヴィ ゆがめるのは、第三者の読者の存在だね。
 サルトル それはわかってる。ただ、わたしたちが書くのは第三者の読者のた
めなので……。     (つづく)

注①このあたり、ヴィクトールは『存在と無』を念頭において語っている。
次に「カフェーのボーイ」が出てくるのもそのため。
注②「くそまじめな精神」とはサルトルに固有の用語で、自分を周囲の世界
や役割から規定する者のこと。不安の中で自由に自分を選ぶ精神とは正反対
の精神。
注③『存在と無』でサルトルは、人間の根本的欲望として、持つ、為す、在
るの三つのカテゴリーをまず設定し、最終的にすべてを在る=存在する欲望
へ、とりわけ神ないしは自己原因として存在する欲望へ、と還元している。
注④アンドレ・マルロオの『希望』から借りてきた表現。『希望』の第一編
は「叙詩的幻影」と題され、「自分の叙情を見つけだし」、必ずしも実現さ
れえない希望のために闘っている人間たちが描かれている。
注⑤angoisse 『存在と無』の中でひんぱんに使われている概念。キルケゴー
ルにおいては罪の前の不安であり、ハイデッガーにおいては無の把握として
の不安だが、サルトルにおいては「自由そのものによる自由の反省的把握」
とされている。
注(6)サルトルは文学作品を作家の自由にもとづく読者の自由への呼びかけと
考え、この自由の相互認知を高邁さ(générosité)の契約と呼んでいる。
注⑦現在のフランスの政体、一九五八年ドゴール政権下に制定された。
注⑧一九四六年の『唯物論と革命』以後、『共産党員と平和』(一九五二年)
を経て『弁証法的理性批判』(一九六〇年)にいたる一連の作品を指す。
注(9)一九五四年七月、ソ連旅行後、(当時の)『リベラシオン』紙に五日間
連載されたインタビュー記事を指す。
注⑩ハンガリー動乱について『スターリンの亡霊』を書き、ソ連軍のハンガ
リー介入を弾劾して以後、共産党とも次第に不仲になっていった。
注(11)『弁証法的理性批判』の仕事を指すのだろう。
注(12)『弁証法的理性批判』のこと。
注(13)『弁証法的理性批判』は第一巻のみが刊行され、予告された第二巻は未
完のままである。
注(14)友愛ー恐怖(テロル)は『弁証法的理性批判』の中の重要な概念。集団の各成員
は誓約によって友愛の関係を結ぶが、それは同時に他者に対する権利であり、暴力でもある。これが否定的に行使されると、粛清に通ずる恐怖(テロル)とな
る。そしてこの両者は誓約集団においては表裏一体の関係にある。
注(15)『嘔吐』を指す。
注(16)一九四五年の講演。
注(17)アルジェリア戦争当時の発言、『シチュアシオンV』参照。
注(18)常になすべきことがある、という使命の観念ー委任については、『言葉』
の中でくわしく語られている。

倫理論に取り組もうとしている二人の男

04.25 2/3 ////////////

 ル・ヌーヴェル・オブセルヴァトゥール誌から

 レヴィ ごく最近あなたは、左翼はもう存在しないと言った(注①)。もちろ
んあなたは、おそらく多くの人たちがひそかに考えていることを公然と言っただ
けだ。けれどもあれだけでは足りない。やはりもうすこしきめこまかに考えてみ
る必要があるだろうね。左翼の選挙民といりのは相変わらず存在するし、左翼の
政党も相変わらず存在している。だとすると、左翼はもう存在しないという断定
は何を意味するのか?
 サルトル まず第一に、左翼の選挙民は相変わらず左翼に、つまり左翼の政党
に投票をしているけれども、その希望を失ったということだ。彼らはもう、投票
をするという行為が、よりすぐれた意図に対応しているのだとは考えていない。
昔は、共産党に投票することは革命的とみなされる行為だった。いまでは逆に、
それが古典的な共和主義的行為とみなされることは明らかだ。共産党という名前
の一つの政党があり、人々はごく普通にこれに投票している。まるで別の政党に
投票するみたいにね。
 レヴィ そういうことは左翼急進主義の時代にわたしたちはすでに言ってきた
し、左翼政党の票集め主義も批判してきたんだが。
 サルトル ただ左翼急進主義もまた消えてしまったからね。つまり、一方には
左翼政党の票集め主義があって、そのため強烈で全面的な変革という観念自体
が、革命という観念が不可能になってい
るーーずっと前からわたしは、革命の最悪の敵は共産党だと考えている。また他
方には左翼急進主義の蜂起的な側面があるが、左翼急進主義自体は消えてしまっ
た。その結果いまでは、六八年(注②)の連中がストライキや街頭のデモ行進と
いう形でやったのと同じように、行動することはもうできない。ああいったこと
はいまでは何の意味もない。やろうと思えばやれるだろうし、バスチーユ(注
③)にむかうデモ行進にしてもいくらでも考えることができるが、ポリ公になぐ
られて、おそらく何人かは殺されるだろう。それでそのあとはどうなるか? 状
況はまったく変わらないだろう。昔はこういう行動は、左翼になにか満足をもた
らしたのだがーーこれが幻想だったかどうかは二人で議論すべきことだ。そして
それで終わりだ。周知のとおり、いまでは街頭のデモ行進にだんだん衝撃力がな
くなっている。デモの終わりは、散り散りに逃げたり、商店を荒らしたり(注④)、
警官に暴力をふるったり、警官に暴力をふるわれたり、監獄にぶち込まれたり等
等、相場がきまっている。政党はもう、社会党がそうであるように、指導者間の
権力闘争とか、社会主義の考え方の相違とかによって行動を妨げられているばら
ばらの運動としてしか機能を果たしていない。たとえばミッテランとロカール
(注⑤)だ。
 左翼の統一は、共産党が存在するということで一九二〇年(注⑥)以来すでに
強く脅かされてきたが、いまではその統一が破られているということを、すべて
こういったことは示している。一九一四年前には、左翼は政党というより大規模
な大衆運動だった。一時期指揮を取ることのできる、ただしまだ党の指導者では
ないといった人間がいてね。たとえばジョーレス(注⑦)は政党の指導者という
よりは運動の指揮者だった。いろいろなストライキや運動や下院での活動の指揮
をしていた。けれど彼一人じゃなかったし、必ずしもいつも皆の賛成を得ていた
わけではなかった。ゲード(注⑧)も彼と同じくらい重要な役割を持っていた。
すくなくとも初期においては。要するに、左翼は変化に富むと同時に、やはり統
一がとれていた。言いかえれば左翼は原理を持っていたんだ。
 レヴィ どんな原理を? 何を言ってるのかさっぱりわからないな。一九一四
 年以前のその左翼とやらは何に基づいているんだい? あなたの回顧的な心の
動きはちょっと神話的なんじゃないかな?
 サルトル 政治的統一はなかった。けれども、一九世紀のあいだずっと、それ
に二〇世紀の初頭は、一般的に左翼の人間が人間的な政治原理に結びついていて、
そこから発して思想や行動を考えているように感じられる。左翼とはそういうも
のでしかありえないしね。ところが、まさしく興味深いのは、左翼が形成されて
以来ーーつまり一七九二年ぐらいから(注⑨)一九世紀の終わりまでーーこの原
理は常に存在し、誰もがこれを参照し、それを信じているのだけれども、これは
曖昧なままであるということだ。人人の意識の水準では言葉にされず、明らかに
されない。自分は左翼だ、というだけなんだね。くたばってしまったこの不幸な
左翼の再建を目指して、本当に何かやろうというのなら、この原理を努めて表現
しようというのなら、この原理が本来いかなるものであったのか、どうしたらそ
れが新しい形で存在しうるか、こういったことを知るべきだろうな。わたしの考
えでは、左翼がくたばったのは、左翼の用いていた諸原則が、紙の上であれ人々
の精神においてであれ、一度として明瞭にされてこなかったからなんだ。
 レヴィ 明瞭さが足りなかったわけじゃないよ。マルクス主義が与えてきたい
ろいろな定義が……。
 サルトル マルクス主義にはマルクス主義の左翼的諸原則があった。そういっ
た諸原則は『資本論』の中に提示され、いろいろな作品の中に普通示されてき
た。だがそれはマルクス主義の諸原則であって、単に左翼の諸原則というのじゃ
なかったのだ。
 マルクス主義は、理論、厳密な理論として、ないしは厳密な理論たろうとした
ものとして姿を現している。演繹と分析とによって事実を研究しようと努力す
るものとしてね。けれども、それだけではなくて、マルクス主義はある環境の中
に、ある雰囲気の中にあったのだ。知的、感情的なね。この雰囲気は理論それ
自体よりも広がりを持ち、ある面ではこの理論によって裏切られてしまったのだ
が。この雰囲気、これが左翼だったのさ。マルクスが自分の説についてドイツ
の革命家たちと話をしに出かけていくとき、彼は革命家たちと議論をし、共同で
決議を採択した。彼らの意見の一致に重要な役割を演じたのは、彼らはそうは言
っていないけれども、まさに左翼の観念だったんだ。左翼的行動のなんらかの試
みにむけて共にあるという観念だった。
 レヴィ やはりその原理を名づけ、その集合体を示すところまで行く必要があ
るな。ところであなたは幾つかの要素を挙げている。これで十分かもしれない
ね。つまり、一七九二年というその誕生の日付と、一九世紀という、この集合
体が混沌とした中で開花した時期だ。答えは口先まで出かかっていると思う。つ
まり、問題となるのは九三年の反乱者たちの友愛(注⑩)だ。ミシュレと彼の一
七八九年七月一四日の描写であり(注11)、ヴァレスとパリ・コミューン
参加者たちの普遍的な友愛だ(注12)。
 サルトル 違うとは言わないが。ただね、友愛の定義はそんなに簡単にはでき
ないな。
 レヴィ 友愛は原理のように、参照すべきもののように機能した。ただしその
定義はあまり一定してはいなかった。
 サルトル その通り。ただそれは友愛自体が十分に発展させられなかったから
だ。友愛という観念自体の中に、この原理の発展をはばむものがあると思う。こ
う言ってよければ、九二年からパリ・コミューンにいたるまで、革命家たちは兄
弟だったと同時に兄弟でなく、兄弟であることをある意味で恥じていた。とはい
うものの、彼らは友愛ということを持ち出していた。そこでその点をはっきりさ
せる必要があるんだ。
 レヴィ なるほど。現在の崩壊から出発することによってね。崩壊したのは何
な‘のか? 一七九二年に生まれた左翼の概念のどの点にわれわれは今日達してい
るのか、これをやはりはっきりさせようじやないか。左翼急進主義の死はそれを
写し出す現像液だ。
 サルトル その崩壊には別の原因があると思う。一九一四年前に、それまであ
る意味で左翼であった諸勢力が政党に変形してしまったことだ。政党とは左翼の
死にほかならない。
 レヴィ 政党の観念に対するあなたの攻撃はとても曖昧だ。政党に対してきっ
ぱりノンと言うこともできるし、無条件に(過去に)後退することもできる。いま
あなたが抜き出している後退的発想のように。けれどまあ、一九一四年でストッ
プしないで、起源に、つまり一七九二年に戻ってほしい。
 サルトル それがね、まさしく一七九二年に政党はなかったんだ。
 レヴィ とはいっても、うじ虫は果実の中にいたんだよ。あなたが描き出して
いるのは、じっさいには、左翼急進主義を死にまで導いた運動そのものたんだ。
左翼急進主義は後退して考えようとしたんだ。共産主義的ないしはスターリン的
党概念のもっと以前のところまでさかのぼろうとした。それも、一九世紀のあの
感情的な集合体と、一九世紀全体をとおしてきわめて少数の左翼反対聚の潮流に
同時に依拠しつつね。そこでもちろん、左翼急進主義は、一七九三年の過激共和
派(サン・キュロット)とその急進性(徹底性)を参照しようとした。「人民の大義』誌と「デュシェ
ーヌ親爺」(注13)との共犯関係を思い出してほしい。崩壊したのはこれなん
だ。一九七三年の原始的情景に訴えることによって、政党の観念以前に後退しよ
うとする試み、まさにこれが死んだんだ。

  行動の「徹底性」という考えは間違っていた

 サルトル そう。しかしまさにそのために、左翼だと自称していた政党がもう
左翼ではなくなるわけだ。そのとき死んだのは、左翼の最先端だったのだから。
 レヴィ たしかにね。そこで、一七九三年の左翼の概念の中で何が時代遅れに
寿っているかを検討してみよう。われわれ毛叔は左翼の政党に対抗して、徹底性
忙訴文るべきだと考えていた。革命の当初の目的、つまり人民主権の目的を極限
にまで推し進めていた過激共和派と同じように。場末に住む過激共和派が街頭に
出て槍を高くかかげる。それだけで制度的な権力機関を正統性を欠いた状態に陥
れることができた。主権は街頭で賭け直されていた。権力は街頭にあった。国民
議会でも、ヴェルサイユ宮殿でも、チュイルリ宮殿でもなく。こうしたダイナミ
ズムのうちには何かゆがんだものがある。ところがわれわれ毛澱は、街頭に立
つ主権というこの考えに、なかなか異議を唱えられなかったのだな。
 サルトル ともかくわたしの場合、徹底性は左翼釣態度の本質的要素どといつ
も思われるんだ。もしもわたしたちが徹底性を排除するなら、左翼をくたばらせ
ることにかなり貢献することになるだろう。他方、これはわたしも認めることだ
が、徹底性は袋小路に通じている。
 言いかえればこうだ。一つの行動はいつでもその他の行動に囲まれており、そ
の他の行動というのはもちろんこの行動を変えるようにできているわけで、この
事実を考慮に入れない。で、これこれの行動は徹底的であらねばならない、そのぎ
りぎりの帰結まで展開されねばならないなどと主張するなら、わたしたちはばか
げたことを言っていることになる。
 レヴィ けれどわたしたちはそう言ってきたんだよ。あなたもわたしも。
 サルトル そう言ってきたわけだ。ただ間違っていたことを認めておく必要が
ある。ある行動がなされねばならないが、外部からのその他の行動による圧力
のために、すこし変化をしなくては、つまり、その他の人間とか、その行動と
は、もともと同じ発展の仕方をしていないその他の行動とかの協力を受け入れな
くては、その行動が同じ方向で持続しえない時期がやってくる。言いかえれば妥
協だ。そのとき、徹底性とはこう言ってよければ、追求される目的というより
社、この目的を追求しようとする意図ということになるだろう。カント的倫理な
らばそう言っただろうが、根本にあるのは意図であり、意図こそ徹底的でなけれ
ば々らない。ただ、だからといってね。目的は徹底的であれ、と意図的にかつ徹
底的に望んで、その目的の実現にむかってわれわれがついで、道を続けでいくな
かで、最初考えた手段とは別の手段を用いざるをえない。そういう可能性がない
ということではない。したがって、行動がその目的に到達するときは、出発点に
あった行動の姿とはいくぶん違っているということになる。
 レヴィ 要約をしてみよう。《徹底性》という言葉でわたしたちは何を言おうと
していたか? 熱い地点から出発して、その熱気を全社会面に広めようというこ
とだった。生ぬるい連中がいるならその連中には気の毒だが、穏和主義者はギロ
チンにかけろ、とね(注14)。いまではわたしたちはこう言う。熱い部門と冷た
い部門(注15)があるのだ、と。なにがなんでもーーということは実際には退廃
を招いてもということだがーー熱い部門を冷たい部門に浸透させるというのでは
ない。他方、わたしも同意するが、あなたはこう言っている。徹底性ーー熱い部門
の中心ーーは意図の中にあって、意図がこの部門の形成を活気づけた、と。これ
までほぼ見てきたところでは、この意図が友愛を指し示しているという点でも二
人の意見は一致するだろう。言いかえれば、いまわたしたちがやりつつあること
は、友愛と恐怖との間に必然的な関連があるという考えを放棄することだ。この
ことはもちろん、友愛ー恐怖の現象(注16)がこれまでになかったということを
意味するものではない。
 サルトル そういうことだと思う。ただ、恐怖なき友愛というものをうまく定
義し終えたら、いつかもう一度友愛ー恐怖の関係に戻ってくる必要があるだろう
がね。
 レヴィ 意図こそ徹底性の中心そのものであるというあの考えに戻ろう。
 サルトル 意図とは定義そのものから
して必然的に目的の把握のことだ。だから、意図が徹底的である、と言うこと
は、意図が徹底的な目的を把握している、と言うことにひとしい。ただ、徹底
主義(急進主義)が出てくるのは意図そのものからで、目的それ自体からじゃな
い。それはこういう意味だ。〈歴史〉の中でわれわれはひんぱんに、同じ目的を
追求しているように見え、団結していて、同じことを言っている諸個人なり社
会集団なりに出会うが、彼らは非常に異なった目的を追求しているのだというこ
とにだんだん気づかされる。それは意図が違っていたからだ。それが違う理由
は、さまざまな集団に共通した意図といったものがあるように見えるその陰に、
意図それぞれの真実というものがあるからだ。そして、すべての集団に共通して
いるのは多少とも曖昧な(目的)の定式化であって、目的それ自体ではないとい
うことに気づかされるのだ。
 レヴィ それは非常に重要なことだな、それでは、いろいろな革命の状況と
いうのはこれまでのところ誤解だったということになる。

  ユダヤ人の作家で活動家だったピエール・ゴーンの葬儀に出席した
  サルトルとボーボワール1979年10月 パリで

 サルトル 多くの場合ね。
 レヴィ とするとわたしたちが求めるものはこうなる。ある状況が単に誤解の
次元にある結合物にすぎないという考えを退けようと試みつつ、わたしたちが求
めるのは、真に、さまざまな意図の結合物であるような状況だ。言いかえれば、
徹底的であるとは、散り散りになっている意図を寄せ集めることを徹底的に続け
て、適切な統一化を果たすということになるだろう。
 サルトル その通りだ。できるかぎりね。
 レヴィ われわれ毛派は以前、自分たちには革命という目的があり、卵を割ら
ずしてオムレツは作れない(成功には多少の犠牲が必要である)以上、この目的
に達するためには汚れた手を持ってもかまわない、と思っていたが、それはおそ
ろしく間違っていたわけだ。こういう理屈のうちにはゆがみがある。汚い側面、
下らない.側面、血、こういったものがあることを否定するんじゃない。そうでは
なく、ゆがみは目的の中に、うじ虫は果実の中にあるということだ、目的の設定
においてこういう混同があったとなるとそれ以来、必然的に、目的と手段との統
一の問題に、派生的な混同が生じてくることになった。そしてこの第一の混同は
たしかに否定的な結果、さらには犯罪的な結果を伴ったかもしれないのだ。けれ
どももし、わたしたちがいまそう言いかかっているように、目的は、すなわち意
図の徹底的な設定は、いわゆる歴史を超えて……。
 サルトル 目的は超歴史的なんだ。
 レヴィ そう。
 サルトル そしてその意味で歴史に属さない。それは歴史の中に姿を現すが(か→が、訂正)、
歴史には属さないのさ。
 レヴィ 手段の行使、行動のテクニックの行使の問題が一つある。けれどもこ
の問題は、それが超歴史的な目的に従属するということの中で、今後考え直され
なければならないね。目的とはレーニンが考えていたように、権力奪取じゃな
い。根本的な問題は、目的の性質という問題だ。目的というのは正確にはどう理
解すべきか?
 サルトル そうだね。超歴史的という「意図」こそが徹底的な目的を把握して
いる現代の民主主義には統治する人民がいことが何を意味するか、いかなる目的に
ついてわたしたちは語りうるのか、こういったことをまずはっきりさせるべきだ
な。権力奪歌は歴史的な目的だったのだから。ある社会が発展していく中である
時期に権力の奪取が行われる。その場合これは、その時期その時期にルイ十八世
とかロベスピエールとかいう名前を持つ限定された連中を片付けることを意味し
ていた。常に変わらず反乱者や革命家たちが目指した最終目的、ただしはっきり
と名付けることち目にすることもできないまま彼らが欲していた最終目的、それ
はいったい何なのか? これをわたしたちは定義しなければならない。
 レヴィ その通りだね。だから、左翼という言葉の示すあの漠然とした感情的
集合体を特徴づけている友愛という語のうちには、わたしたちが取り入れるべき
要素があるのさ。つまり友愛の意図、友愛の真の経験の暗示を見るべきだ。この
協に関してわたしたちは、一七九二年の反乱者と自分だちとのつながりを認める
ことができる。けれども、この友愛の意図を、徹底化(急進化)、街頭に立つ主権、

おのれに不忠実な代議制的主権に対立する直接民主主義、こういった図式で考え
てはいけないので、これはだめなのだ。これ以後は、一七九三年の反乱者つまり
は左翼急進派が示したあの解決は誤った解決だとわたしたちは考える必要があ
る。そこで、この誤った回答の起源にある問題、民主主義の問題をまた取り上げ
る必要があるね。
 サルトル つまり、直接民主主義とか間接民主主義とかを考えずに民主主義そ
のものを検討することだな。民主主義をその全体において取り上げ、友愛と民主
主義との関係は何かを考察すること、民主主義を現に確立しておりこれまでも常
に民主主義の中にあった根本原理は何かを考察することだ。というのは、民主主
義というのはわたしとしてはーーあなたとしても同様だと思うが、権力の政治
的形態ないしは権力の生み出し方の政治的形態というだけではなく、生そのもの
であり、生の形態であるように思われるからだ。民主主義的に生きること、他の
いか希るものでもなくこうした生の形態こそ、現在のわたしたちから見て人間た
ちの生き方となるべきだと思うね。人々が現在民主主義の中で、民主主義的に生
きているのかどうかを知る必要があり、民主主義というのはどういう意味かを知
る必要がある。手始めに、この言葉を現在あるがままの形で取りあげ、民主主義
ないの観念をまずその政治形態においてーーというのはそれが一番簡単な形態だから
だがーー検討する必要があると思う。
 レヴィ それが一番簡単な形態だからではない。その形態しか存在しないのだ
よ。
 サルトル 民主主義という言葉には、ひとりでにすたれてしまった意味があ
る。語源的には人民の統治ということだ。ところが、現代の民主主義に統治す
る人民がいないことは明らかだ。なぜって人民が存在しないのだからね。《旧政
体》下にも一七九三年にも人民がいた。いまではもう人民がいない。というの
は、分業によって完全に個人化され、他の人間とは仕事の関係以外何の関係もなく、
五年か六年か七年に一度、名前の書いてある紙っ切れを取りに行ってこの紙
っ切れを投票箱に入れるという定められた行為をしている人間たち、そういう人
間たちの生き方を人民とは呼びえないからだ。人民の権力が存在するなどとは思え
ないな。
 一八世紀の、大革命の時代には、今日あるような生活の細分化がまだなかっ
た。いま人が投票をするとき、それは《恐怖政治》(注17)の時代やそれ以前
に暮らしていた人間の投票とは同じ意味を持っていない(訂正済み)。つまり
それは、自分の仕事とも個人的な関心全体ともつながりを
持たない断片的な活動なのだ。一七九三年に考えられていた投票とは全然こんな
ふうなものじゃない。それは生の特権的な行為じゃなかった。実際にそれは、そ
の行為のために政治をする、その行為のためにいわば存在する、そんな行為だっ
た。投票は変わってしまったね。だからわれわれは、フランス大革命とくらべて
前に進んでいるのではなく、落ち目の状態にあるわけだ。
 レヴィ 本当かな。逆にこうは言えないかな。普通選挙の経験はすでに古く、
それをとおしてわれわれは熱い部門から冷たい部門にいたる道程をすべて踏破し
たのだ、と。たしかに投票は熱い時点から始まった。いまでは冷たくなっている。だ
があえて言うなら、投票はすくなくとも、熱さと冷たさとの間の分節化を可能
にしたのだ。ところで、われわれはまさにそのことを、「選挙は間抜け狩り」(注18)
と叫んで否定してきたのだ。その点に誤りはないだろうか? たしかにいろいろ
な時期があったし、 いろいろな時期がある。たとえばポルトガルのカーネーショ
ン革命のすぐあとだ。あの最初の投票(注19)は熱い投票だ。四〇年近くのあい
だ、彼らは投票をしたことがなかったのだから。いまでは、投票が熱い状態から
冷たい状態にむかっていることをわたしたちは知っている。けれどもまさにその
点にわたしたちが解決したい問題がある。熱い状態から冷たい状態にむかうとい
う点に投票が最終的な解決でないこと、これはたしかにそうだと思う。なぜって、
熱い状態から冷たい状態にむかうわけだから、だんだんと熱を失うわけだからね。
これはその通りさ。ただわたしたちは、「熱くなれ、熱くなれ、なまぬるいのは
ぶっ倒せ」とわめくだけの贋の解決法は拒むことだ。普通選挙にはすくなくとも
一つの長所がある。数的統一性、系列の全休を示して見せるという点でね。《万人》
というカテゴリーなしには《友愛》はもう何も意味しなくなるわけだが、普通選
挙はこのカテゴリーをくすねてはいないのだよ。
 サルトル 投票がどうしても認められなかった人々のカテゴリーがあったこと
は了解しておこう。
 レヴィ 賛成だ。ただそこでね、まさしくよき徹底主義、よき徹底化の一例が
出てくる。一九世紀と二〇世紀の一部で行われた戦闘はすべて普通選挙を徹底化
させるためのもの、選挙の普遍性の完全な広がりを獲得するためのものなのだ。
万人という言葉により実効的な意味を与えようとして。
 サルトル もっともだ。ただこういう疑問が出てくるかもしれないね。万人と
はいったい何を意味するのか、と。たとえば、投票制度の意味は何なのだろう?
言いかえれば、投票から出でくるのは憲法であり法律であり、要するにあなたが
営ウたように万人である一種の仕方であるわけだが、だとすると投票箱に投票用
紙を入れに行くいろいろな人間同士の間にある関係とは何なのか? ところで、
投票の中に置かれたのは、人間相互のある関係、投票がこれから行われるべきも
のとしてある以上まだ投票とはたっていない関係だった。それは、各人が、各投票
者が、ある環境で、ある集団内で人間だちとともに生きているという事実だった。
こういったものがすべてすくなくとも一部は、たとえば思想の次元で彼を条件づ
けており、主要な一般理論を外から彼の内部に導き入れている。後に彼はこれを
投票をとおして表現するわけだ。であるから、投票以前に、人間相互の間の最初の
関係があるわけで、それがないなら投票は可能でなくなるだろう。投票に行く人
間たちとは、同じ地域の、同じ家族の人間たち、長年来共通の思想を持っている
人問だちなのだ。要するに、投票とはこういったことすべての表現でしかないの
 レヴィ マルクスがすでに言ったことをあなたは繰り返して言いたいというこ
とか。すなわち投票とは、ある根休的な表現から派生した、政治的人間の表現で
ある、と。根本的な表現とは、具体的社会関係の、生産関係の表現のことだ。
 サルトル ある意味ではね。ただし根本的関係が生産関係だとぼ考えないが。
たしかに投票にくらべれば生産関係は根本的だと思う。労働者地区というのがあ
り、それは団地としてつくられていて、普通は同じ職種の者がかたまっていて、
それが投票に行くことになる。けれども、こういうことはわたしにとって本質
的なことじゃない。人間たちのもっとも深い関係とは、生産関係をこえて彼らを
結びつけるものだ。彼らがお互いに対して単なる生産者とは別のものであるよう
Kせしめる何かしらだ。彼らは人間なんだよ。これこそ考察に努めるべきことな
んだ。人間であるとは何を意味するのか? 同じように人間である隣人との関
係において、法律や制度をつくり出すことができる、投票によって自分を市民と
なすことができる、これは何を意味するのか? マルクスがしているような上部
構造についての区別はすべてなんともあざやかな仕事だが、完全に間違ってい
る。なぜなら人間の人間に対する根本的な関係とはこれとは別のものだからで、
それこそいまわたしたちが見いだす必要のあるものなんだ。
 レヴィ あなたは『弁証法的理性批判』の中でそれを見いだそうとしたので
は?
 サルトル それを探してはいた。けれどそれとは別のこともね。とりわけ、第
二巻を書かなかったわけだ。あなたも知ってる通り、『弁証法的理性批判』から
脇道にそれてしまった。というのは、自分の内部でまだ熟していなかったからだ
と思う。困難をうまく切り抜けることができなかったんだな。理由はまさにこれ
だ。そして重要なのは、まさしく、もしも社会というものを『弁証法的理性批
判』の中で考えていたように、いまでも考えるなら、そこでは友愛にはほとんど場が残されないという確認がされることだ。逆に、社会というものを政治より
も、一層根本的な人間相互の絆から生ずるものとみなすなら、そのときは、人々
は友愛関係という根本的なある種の関係を持つべきであろうし、持ちうるし、持
っている、と考えられるのだ。
 レヴィ なぜ友愛関係が根本的なのか? われわれはすべて同じ父親から生
まれた息子だというのかい?
 サルトル いや違う。そうじゃなくて、家族関係がその他すべての関係にく
らべて根本的だということだ。
 レヴィ われわれは一家族をつくっていると言うのか?

  人間の人間に対する関係を見いだす必要
  人類を定義するのは人間相互の友愛関係

 サルトル ある意味では、われわれは一家族をつくっているのさ。
 レヴィ その根本的血縁関係なるものをあなたはどんなふうに理解してるの
か?
 サルトル それは、各人にとって誕生というのは隣人にとってもまったく同じ
現象であり、そのためある意味で、話をかわす二人の人間は同じ母親を持ってい
るとさえ言えるということだ。それは経験的に知られる母親ではたしかにない。
目もなく、顔もない母親だ。それはある種の観念なのだが、その観念はわたした
ち二人のものであり、それに他の誰のものでもあるのさ。同じ種族に属す名と
は、ある観点からするなら、同じ両親を持つということだ。この意味でわれわれ
は兄弟なのだ。それに人々が人類を定義するのはこういうふうにしてやるので、
生物学的特徴によってというよりも、人間相互の間に存在するある種の関係、つ
まり兄弟関係(友愛の関係)によってなのだ。同じ一人の母親から生まれたとい
う関係によってなのだ。わたしが言いたかったのは以上のことだ。
 レヴィ プラトンの『共和国』の中で、ソクラテスは正義の国家のありとあ
らゆる条件を規定し終えたところで(各階級にその揚が与えられ、普通ならすべ
てが終わっていた)、彼はこう付け加えている。「おや、おや……わたしはまだ
言うことがある。言いづらいのだが言わざるをえないだろう。さらにもう一つの
ことが必要たんだ。これらすべての人々に、自分たちが兄弟であると信じさせる
必要がある。白分たちすべてが同じ母親から生まれた息子だと信じさせる必要が
ある。そしてこの母親とは大地だと言おう。そう言っておこう。そしてそうだと
すれば、人々は、自分たちはすべて同じ大地から出てきており、したがって自分
たちはすべて兄弟だと信ずるだろう。たしかに各人の組織には別のまざり物が入
っていて、それによって、ある者が戦士になり、ある者が農夫になり、ある者が
司法官になるということが説明される。けれども、結局のところ彼らはすべて兄
弟なのだ」(注20)というわけで、母親の観念、あなたのいう母親というのは、
まことしやかな、ないしは厚顔無恥な欺蝸によって、ギリシャ人の意味での大地
になる危険がある。近代人の意味における大地、すなわち国家になるかもしれな
い。
 サルトル わたしはソクラテスのその言葉を、まったくまことしやかな欺瞞で
あるというふうに受け取ったことはないな。じっさい彼は、人間たちは兄弟だと
言おうとしているのだ。ただ彼はあるべき形でそれを言い表すことには成功して
いない。その言葉に与えるべきであった真理の形を定義することには。それで、
これを神話にしてしまっている。
 レヴィ よろしい。ソクラテスの意図を救い出せるわけだ。とはいってもやは
り、彼は最後の瞬間の困難につまずいて、そのため全体系が危うくなっている
ことに変わりはない。ともにある形式の最重要なもの、すなわち友愛に至ろうと
いうときに、思想は、神話へ転落しかねない危険から、いかにして免れうるの
か?
 サルトル これは神話ではないのだ。友愛というのは人類の成員相互の関係の
ことなのだ。
 数千年前、最初の社会的区分は部族で、そのトーテムによって特微づけられ
た。トーテムは部族全体を包括し、部族の成員全員にお互いの間Kある深い現実
性を示し、たとえば彼ら同士で結婚することをさせなくする何ものかだった。そ
して、このときの関係とは友愛の関係だった。つまり、部族についての重要な考
え方、たとえば彼らすべてを生み出したであろう、一匹の動物に発するその母胎
的統一、といったものこそ今日再発見すべきだと言いたいのだ。というのは、こ
れは真の友愛だからだ。ある意味で、おそらく神話だったのだろうが、それはま
た真理でもあったのだ。
 レヴィ あなたはソクラテスの思考の動きを繰り返しつつあるのではないか
な? すなわち、困難にぶつかって、神話に頼っているのではないか?
 サルトル 違う。そうは思わない。なぜなら、わたしがこの話で言いたいのは
こういうことなのだから。つまり、こういった神話が集団の成員によってつくら
れたのは、自分たち相互の関係、すなわち集団の関係を説明しようという目的に
のみよるということ。言いかえれば、彼らは自分ではつくっていると知らずに、
彼らすべてを生み出した一匹の動物をつくりだした。したがって、自分たちはす
べて兄弟だと言っているわけだが、それはなぜなのだろう?
 彼らがもともと兄弟だと感じていたからさ。だから、そうなると、作り話がこ
の友愛(兄弟愛)に一つの意味を与えたにしても、この作り話が友愛の意味を生
み出したわけではない。まったく逆なんだ。
 レヴィ けれどもわれわれの問題は、友愛というこの根源的な思考を言い表す
のに、神話に頼らないということだ。ソクラテスが陥った罠に陥らないようにす
るにはどうしたらよいのだろうか?
 サルトル 別に罠に陥りやしないよ。誰もが同じ一人の女——トーテムによっ
て表象されている女——から生まれたというかぎりで、部族の中で兄弟なのだ、
彼らはすべて一人の女性の性器から出てきたという意味で兄弟なのだ。それに結
局のところ、当時は女性の個性ということは想定されていない。それは単に生殖
をする性器と、授乳をする乳房と、子供を背負うかもしれない背中とを持つだけ
の女なのだ。この母親とは、それはトーテムの鳥であるかもしれないのだよ。
 レヴィ しかしあなたは、生物学的起源への参照を放棄しないことに賛成している。言いかえれば、いまわたしたちは友愛と言っているのだけれども、他のどん
なことでも言えるわけだ。たとえば、平等とね。ところでじっさいは、あなたは
友愛の観念に執着しているように、まさに思われた。以前みたいに、平等の観念
にではなくね。したがって、(友愛の観念に含まれる)この生物学的参照を引き
受けながらも、もはや生物学的ではない次元、神話的でもないような次元に展開
される思考形態を見いだしえなければならないのだ。
 サルトル そうだ。そこで、一人の人間と他の人間との間にある関係、友愛と
呼ばれるこの関係はいったい何なのか? それは平等の関係ではない。その関係に
おいては、行為は実践的領域にあるのに、行為の動機は感情的領域にある、そうい
う関係だ。言いかえれぱ、人間とその隣人が兄弟であるような社会における両者
の関係とは、まず感情的で、同時に実践的な関係だということだ。与え合うとい
う感覚を再発見する必要があるだろうな。なぜなら、感受性はもともと万人に
ほぽ共通しているのだからね。
 一人の人間を目にするとき、わたしはお互こう考える。あいつはわたしと同じ起源
の持ち主だ。わたしと同じように、言ってみれぱ人類という母親を起源にしている、
ソクラテス流に言うなら、大地という母親を起源にしている、と。ないしは……。


   サルトルとかつての学生指導者ダニエル・ローンーベンディット
  (一九七四年一二月、シツットガルトで=WWP)

 レヴィ それじゃ、母親とは、人類とは、大地とは何なのだ? 話は相変わら
ず神話の中にとどまっている。神話的次元と手を切る方法があるのではないか?
 サルトル 神話的でないのは、現実的なのは、あなたのわたしに対する、わた
しのあなたに対する関係だ。人間のその隣人に対する関係、これを友愛と呼ぶの
だ。なぜなら、両者は同じ起源だと互いに感じているのだから。彼らは同じ起源を 
持っている。そして、未来においては共通の目的を。起源と目的をともにする、こ 
れこ彼らの友愛をつくりだすものだ。 
 レヴィ 真実の経験、思考可能な経験の話をしているのか?        
 サルトル わたしの考えでは、真に思考可能な全体的経験が存在するのは、万
人が自分のうちに持っている目的、大文字の《人間》が実現されるときだ。モの
ときにはこう言うことができるだろう。生み出された人間はすべて、母親なり父
親なりの性器によってではなく、数千年来とられてきた措置、そしてついに《人
間》に到達している措置の全体によって共通の起源を持つだろう、と。そのとき
は真の友愛ということになるだろうね。
 レヴィ わかるけど。それで、今日その最終項をあらかじめ示しているものは
何なんだい?
 サルトル まさしく、倫理が存在するとすればその事実だ。
 レヴィ 神話に頼らずに、われわれの現在の経験の中で、どうして友愛を語る
ことができるのか?
 サルトル 友愛は結局のところ未来にあるからだ。だから、常に過去のもので
ある神話に頼るにはもう及ばないのさ。友愛とは人間たちがお互いに対してそう
なるであろうところの関係だ。いつかわれわれの歴史全体をとおして、彼らがお
互いに感情的にも行動の面でも結びついていると思いうるときにね。倫理は欠く
べからざるものだ。それは次のことを意味する。人間たちは、ないしは人間以下
の存在は、共同行動の諸原則に根ざした未来を持っているが、同時に、彼らの周
囲には、物質性、つまりは稀少性(注21)に根ざした未来が描かれている。すなわ
ち、わたしが持っているものはあなたのものであると同時に、あなたが持っている
ものはわたしのものであって、もしわたしが欠乏するならあなたがくれる、あな
たが欠乏するならわたしがあげる。これが倫理の未来なのだ。次に人間たちには、
はっきりした欲求があるが、外部の状況は彼らがこうした欲求を実現することを
許さない。常に必要とする以下のものしか存在しカい。欲求犯対して必要以下の
食糧しかないし、この食糧の生産にかかわる人間自身が必要以下だ。要するにわ
れわれは稀少性という現実の事実によって取り巻かれている。われわれにはいつ
でも何かが欠けているのだ。
 したがって、どちらもともに人間的といえる二つの態度、けれども両立しがた
いように思われるので同時に生きるべく試みる必要のある二つの態度があること
になる。第一に、人間を実現し、人間を生み出そうとする努力があり、これと異
なる条件はすべて退けられる。これは道徳的な関係だ。次に、稀少性に対する闘
いがある。

  人間を実現する努力と稀少性に対する闘い

 レヴィ そこから『批判』によれば暴力が出てくる(注22)。まさに、あなたが
『地に呪われたる者』(注23)の序文の中で書いていることを思い出してほしい
んだ。あなたは植民地原住民についてどう言っている。「暴力の息子である彼
は、暴力の中から彼の人間性をたえず汲みあげてくる」と。「母の息子」とは書
いていない。違う。「暴力の息子」と書いた。エンゲルスの場合と同様、暴力が
産婆役なのだ。
 サルトル それは違うよ。
 レヴィ どうして違うのかわからないね。けれど、さしあたってわたしの問いは
こういうことだ。人類は暴力の中でこのようにおのれを生み出すことができる.0
か? わかってほしいが、これはあなたへの質問じゃない。暴力は存在するのか
しないのか? これも質問じゃない。ある場合には、暴力が必要なのか、あるい
は、そうではないのか? これも違う。わたしの質問は一つにしぼられている。
暴力はこのような蹟罪的役割を本当に持つことができるのか、暴力はこの時期、
あなたによって与えられていたあの創設的な機能を持ちうるのか?
 サルトル 『地に呪われたる者』の序文で語ったアルジェリアの例をあげるな
ら、わたしはまず第一に、暴力による解決策以外のいかなる解決策もまったく問
題になりえなかったことを確認するね。植民者たちは、アルジュリア人たちが受
け入れることのできるようなたった一つの解決策も検討しはしなかった。お互い
にまったく相対立する二つの観点があって、それは暴力しかもたらしえなかった
のだ。この暴力は、あなたも知ってるとおり植民者たちの送還をもたらし、彼ら
はフランスに帰ってきたわけだ。
 レヴィ 質問に答えてないじゃないか!
 サルトル まあ待てよ。たしかに、いろいろな段階を飛び越えさせ、いわゆる
人類に近づけさせる、のは暴力じゃない。暴力はただ単に、人間になることを許さ
なかったある種の奴隷状態をぶち壊すだけだ。暴力のおかげで植民地現住民の性
格、つまり奴隷的性格が消滅したときから、ある種の強制にもう忍従しない人間
以下の存在だけがいることになる。彼らは他の場所で、たとえば、アルジェリア
で他の強制を見いだすかもしれないが、こういったことすべてを超えて、積極的
市民に近づこうと試みつつある。もっとも、この積極的市民自体が、植民地化さ
れた人間以下の存在と同じぐらい、人間からは遠いのだがね。
 レヴィ あなたはこう悟っていた。「彼らの友愛は、彼らがわれわれに対し
て抱く憎悪の裏側である。彼らの誰もが殺しているという点で兄弟なのだ」と。
あなたはもうこの意見をとらないのか?
 サルトル もうその意見をとらないな。
 レヴィ 友愛の経験が現れるのは、敵を殺すという作業のうちにおいてかどう
かが問題だ。
 サルトル 答えはノンだね。しかし、実を言うと、暴力と友愛との真の関係が、
わたしにはまだはっきりとわからないのだよ。
 レーヴィ 彼らが兄弟であるのは暴力の息子としてなのか? あるいはこうなの
か? まず友愛を発見し、次に、その他の手段虻よっては超えられないある種の
障害にぶつかって、強制作用が生じ、そこで、それ自体として倫理的な目的性はな
いが限定されたいろいろな形の暴力、ただし友愛の経験から出てくる暴力を行使
する、ということなのか?
 サルトル 倫理にとって必要なことは、友愛の観念を、それがあらゆる人間
相互の間の唯一で明白な関係になるまで拡大することだ,この関係は第一に集団
の関係、正確に言えば、いずれにせよ家族の観念に結びついている小集団の関係な
のだがね。はるか昔においては、友愛とはこれだった。それは集団ごとに閉じら
れているわけだ。そしてまさに、この集団を、・すなわち友愛を内部に結びつけて
いるこ・の境界を打ち壊そうとする他者、‘ないしは他人たちの傾向こそが、暴力と
いう、まさしく友愛の反対物を生み出すのだ。いまなら以上のように言うだろう
ね。          (つづく)
 (Copyright co 《Le Nouvel Observateur》1980)

 注①『ル・マタン』紙(一九七九年一一月一〇日付)での発言。
 注②一九六八年五月の反乱のこと。学生反乱に始まり、労働者の全国的な規模
でのストライキに発展して、約一ヵ月の間、国家体制をゆるがした。
 注③一七八九年のフランス大革命は、当時監獄のあったパリのバスチーユヘの
行進をきっかけとして始まった。
 注④一九七〇年どろから、デモが解散したあと、あるいは警察に解散させられ
たあと、豪華な構えの商店がしばしば略奪の対象となった。
 注⑤ともに社会党の政治家。ミッテランは委員長、ロカールはこれの対抗馬で、
来年に予定されている大統領選挙の社会党候補者の椅子を争っている。企業の国
営化、工場の自主管理、党の近代化などについて考えが分かれている。前者が古
い勢力、後者が新しい勢力に依拠しているとも言えるし、前者が左派に位置し後
者が右派に位置しているとも言える。
 注⑥一九二〇年のトゥールの大会でフフソス社会党が分裂し、多数煮がフラン
ス共産党を結成した。
 注⑦ジャン・ジョーレス(1859‐1914)フランスの政治家、社会主義者。第一次
大戦前夜に暗殺された。
 注⑧ジュール・ヴァレス(1845‐1922)フランスの政治家、社会主義者。
 注⑨左翼という言葉がフランス語で初めて政治概念として用いられたのは、一
七九一年からである。
 注⑩一七九三年五月のパリにおける民衆蜂起を指すのであろう。その中心は
過激派と呼ばれる一派で、私有財産を否定し、物資を略奪してこれを分配したり
していた。
 注(11)ジュール・ミシュレ(1798‐1874)はフランスの歴史家。民衆的な立場に立
ち『フランス革命史』で知られる。
 注(12)ジュール・ヴァレス(1832‐1885)はフランスの作家、ジャーナリスト。パ
リ・コミューンに参加し、後に小説『パリ・コミューン』を発表した。
 注(13)フランス大革命期に発行されたアジピフの題名。「デュシェーヌ親爺」は芝
居K出てくる人物名で、大衆を代弁する人物とみられていた。毛派もそのスタイ
ルをまねて、歯に衣着せぬ大衆的言語のアジビラを多く出していた。
 注(14)穏和主義者(モデランチスト)という言葉はそもそもは大革命時代、ジロンド派に用いられた。
 注(15)熱い部門、冷たい部門という言い方は、毛派に固有の言い方。矛盾—闘争
が激しく燃え盛っている部門と、冷えた状態にある部門。
 注(16)前号の注(14)参照。
 注(17)一七九三年六月のジロンド派の没落から一七九四年七月ロベスピエール派
没落までの時期。
 注(18)サルトルも一九七三年三月の選挙について、この題名の文章を書いている。
 『シチュアシオンX』参照。
 注(19)一九七四年に軍部の無血クーデターにより、独裁政権が倒れた後、一九七六
年春に行われた大統領選挙ならびに総選挙を指す。
 注(20)レヴィがここで分析しているような言葉は『共和国』の中には見つからな
い。記憶違いか。(訂正:『共和国3』の中にある)
 注(21)人間の欲求に対して、これを満たす物質が決定的に足りない、という事実。
サルトルは『弁証法的理性批判』の中で、この稀少性に対する「灼熱的な闘争」の
うちに、歴史の原動力を見ていた。
 注(22)サルトルは『弁証法的理性批判』で、暴力を稀少性の枠の中での人間の行
動の構造として規定している。
 注(23)マルチニック島生まれの革命思想家、フランツ・ファノンの著書。
     (えびさかたけし・フランス文学者)




3/3 ///////////

『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』誌から

  暴力と友愛との真の関係がまだわからない

 レヴィ あなたの本の中には、暴力の倫理への深い傾向があるけれど、それを
あなたはどう説明する? たとえば、『地に呪われたる者』の序文で暴力をあ
のように称賛したのはどうしてか?
 サルトル この場合には、アルジヱリア戦争とインドシナ戦争がその理由だと
言おうか。この二つの戦争はわたしにひどく嫌悪感を抱かせたからね。というの
も、あなたも知っているように、一九のときわたしはたった一度政治に反応した
だけだったが、それは植民地化(注①)に対するむかつきだったのだから。植民
地化かち説け出しうるための唯一の道と見たのは暴力だった。正当と呼んでいい
暴力、植民地原住民の植民者に対する暴力だ。
 レヴィ でもあなたは度を越している。《意識の透明》、《生の統一》(注②)、
つまり本質的なことすべては、銃口によってえられるなどと! われわれ毛派
も、『人民の大義』の社説では言い過ぎだったが、あえて言うなら、それは無理
もなかった。活動家の愚かさということになる。けれども、あなたの場合には何
に駆り立てられて?
 サルトル そのころわたしは、ファノンと会っていた。彼はおそろしく暴力的
な男でね。そのことがきっと表現の仕方に影響したのだろう。それから、われわれ
が不愉快な立場に置かれていたということもある。何といっても、われわれはフ
ランスを敵に回しアルジェリア人たちと一緒に闘っていたのだし、そのうえ味方
をしていたにもかかわらずアルジェリア人たちはわれわれにあまり好意を持って
くれなかった、という具合でね。そのことでわれわれはかなり特殊な状態に置か
れていて、それが、この文章の中に現れている。不快感にさいなまれ、次第に荒
荒しい気持ちになり、その方が容易だということできっぱりとした態度をとる、
そんな状態だった。フランスはわたしにとってやはり存在しているのさ。自分の
国を敵に回すのは愉快ではなかったのだね。
 レヴィ それにこの文章について、いつだったかあなたは、まず下書きをし、
次に徹底して文体をかたよらせながら、いっそう暴力的なものになるよう推敲し
たのだ、と言っていた。とするとあなたは、母親がピアノをひいている間、剣を
片手に居間で戦(いくさ)をしているプールーちゃん(注③)にまた戻ったというわけだ。
 サルトル 幼いプールーは自分自身のために悪漢と闘っていたという意味で
ね。これは忘れては困る。
 レヴィ 『地に呪われたる者』の序文を書いている新たなるパルダイヤン(注
④)。
 サルトル 確かに、少しそんな感じがある。
 レヴィ レジスタンスに関する文章の中ではあなたは暴力を買えてはいないけ
れど……。
 サルトル 車両を爆破したレジスタンスの活動家も、ものを書いていた連中も
同じだったんだ。アルジェリアの場合には、その両者は別だ。それが違いさ。
 (レジスタンスのころは)わたしが鉄道を爆破しようがすまいが、いずれにせよ
皆同じように巻き込まれていたのだ。
 レヴィ ドイツ軍の占領下、敵はまるで獣だった。なぜあのときあなたは、
再生的暴力(注⑤)の倫理学を練り上げなかったのか?   ・
 サルトル あのときはわれわれ自身、直接的にであれ間接的にであれ暴力を振
るう人間になっていた。それにあのころ、前にも言ったように、フフンスは何とい
っても戦前からすでに暴力に対する深い嫌悪で固められてしまっていたので、わ
れわれは、「暴力は素晴らしい、暴力を振るうのは正しい」などと好んで言う連中
の仲間には入れなかったのだ。暴力を行使するときには、殺人を犯したり爆弾を
しかけたりするのは余儀なくやること、必要悪のようなものど見なさなければな
らなかった。
 レヴィ 必要悪と見なしていたのがどうして考えが変わって……。
 サルトル アルジェリア人たちを実際ほど暴力的ではないと思ったり、そう願
ったりするなら、わたしは他のフランス人たちと妥協していたことになったろ
う。わたしはフランスにまた取り込まれてしまっていただろう。だからアルジヱ
リア人を、フランスによって虐待され十字架にかけられて.いる人々、フランス人
は不当であるが故にこれと闘っている人人として見る必要があったのさ。たしか
にわたしはフランス人だし、集団的責任というものがある以上、他のフランス人
と同様、彼らに対して不当なのだが、しかし同時にーーこの点でこそ自分を他の
フランス人の大部分から区別するのだがーーわたしは、フランス人に対する闘い
に苦しんでいるあの人々を認めたのだ。
 レヴィ 言葉の暴力に訴えたのは、国中でわが身に鞭を打つ必要があるから?
 サルトル 部分的にはそうだ、部分的には、確かに。
 レヴィ 現在われわれの問題は単純だ。革命の観念がテロリズムの観念と一
致してしまったらおしまいだ。革命の観念に、できれば意味を与え直したいが、
そのためには友愛ー恐怖と手を切らなければならない。もちろん、革命の観念
をすっかり捨て去ることを選ぶこともできる。革命の観念を、きわめて高くつい
た叙情的幻想と見なすこともできる。これに対して二つの異議がある。第一に、
さまざまな蜂起が現に起こっているという事実亦らの異議。第二の異議は、蜂起
の正当性にかかわっている。この正当性は、われわれが社会の欲望と呼んでいた
ものに由来する。人類の統一は社会の現状の中で実現されるという幻想に抗して
ーーこの幻想の方は全然叙情的ではないけれどーー蜂起は深い真の問題を提起し
ている。つまり統合という問題だ。人類の企ての統一性を実現すべきなのだ。カ
ントが倫理的共同体という観念を人間たちの全体という理想に帰している(注
⑥)のが正しいとするなら、そのときは蜂起は倫理的秩序への訴えかけというこ
とになる。忘れられていた人々の声が聞こえるのだからね。
 サルトル その考えを詳しく展開してくれよ。
 レヴィ 蜂起という行動を分析し。そこからいくつかの要素あるいは契機を取
り出して考えてみてはいけないだろうか。友愛は第一に、長い成熟期を経て現
れる。事件は、人間的なものとして生きられる関係が誕生することのうちに存す
る。もちろんここで七月一四日からわれわれがみな学んだことを念頭に置いても
かまわない。けれど、もっと最近のところでは、フーコーが、テヘランの街頭に
一般意志(注⑦)をいわば見たと言っていた。この時点では、何らかの暴力的形
態を用いることは、帝王切開のような手術に似通っている。つまり、誕生に対す
る障害物の除去ということだ。友愛から生まれる事件が、暴力に訴えることによ
って主として支えられている、と言うならば、それはいわば子どもが生まれるた
 めに必要なのは男女の結びつきと胎児の成熟ではなく、本質的に重要なのは
鉗子(かんし)手術だと言うことにひとしくなるだろもちろん、蜂起行動のさなかに何らか
の転換が生じるということがある。一九六八年の五月の反乱のときには、それがは
っきり見られた。そうなるともう、事件の意味をつくるのは出生、誕生では
なく、対決となり、ジョルジュ・バタイユが与えた意味での社会的でもありエロ
チック(注③)でもある亀裂(裂け目)となる。以上が聖なるもの、かつ友愛-
恐怖の契機なのだ。
 サルトル あなたは、他者が--敵のことだが--常に行動していることを忘
れている。あなたがのべた二つの契機のおのおのが姿を現してくるその仕方を誘
発しているのは他者の行動なんだよ。
 レヴィ 《誘発する》という語には注意してもらいたいな。第一の契機におい
ては、デモ隊の人々にとって機動隊員または兵卒ーーどちらでもいいのだがーー
は実質上、他の人々と同じく兄弟だ。確かに、取り除かれるべき障害になりき
っている限りでは、彼は迷える兄弟だ。彼を本当に兄弟だとは思わないこともで
きる。しかし、いずれにしても、事件において本質的なことは、こうした友愛の
形成なのだ。それは蜂起の巨大な力をもたらす。奇跡も同然の力をね。この時期
には、憎悪がほとんど全面的にないことが観察される。繰り返すけれど、兵士に
対する憎悪もね。実際それに反して、第二の契機、聖なるものの契機においては
亀裂が本質的なものに、なって、そう、反乱者に向かって発射する警官
へと一種のつながりができる。ある意味では、反乱者は敵を必要としているのだ。
亀裂があるためには両方の唇が互いに他を必要とするようにね。とすると実際に
は、反乱者に必要な統一、彼らが一体になることを可能にする統一を与えている
のは、抑圧の激しさだということになる。もはや、そもそも兄弟同士なのかそれ
とも兵士を攻撃する限りでしか兄弟同士でないのか、よく分からなくなる。敵の
方でこちらに統一を与えているのだろうか? それともこちらが積極的統合を企
てたのだろうか? 二つの事柄がそれ以後区別がつかなくなるのだ。
 したがって、反乱の統一が対決のおかげでつくられる、という考え、一丸となっ
た敵である《他者》に立ち向かうことによって自分たちの兄弟関係がうちたてら
れる、という考えは明らかに、先ほどわれわれが批判した過激化(徹底化)をもた
らすだろう。それは反乱者の一種のマキャベリズムで、反乱の兄弟たちの隊を強
化するために敵を挑発しようとするだろう。しかし、この隊という観念がすでに
友愛の経験の退廃を示してはいないかな? いくつかの分派ができて互いに非
難し合い、惰性的になり、長い間隠されていた問題が解決できなくなる。そのと
きにこのうえなく見事な武器が用いられる。つまり《他者》への憎悪ーー一七八
九年の貴族とか(現在の)イランのアメリカ人とかへの憎悪だ。実際には、統合
の積極的な企ては停止しており、旧権力によって生み出されたこうした消極的な
統一の形態に頼ることは、この停止を包み隠すことだ。革命政治が堕落した姿で
連用される場がここにある。

   暴力の契機は準備中の本で取り上げよう

 サルトル それが第三の契機なんだな。
 レヴィ そう。この点でレーニン主義はよい例だな。レーニン主義は積極的経
験を引きあいに出す。それが舞台の下手(しもて)さ。けれどもレーニン主義は(舞台奥で
は)全面的に消極的統一に基づいて作用している。つまり、レーニン主義にとっ
ては権力の統一を複製して鉄の統一を築くことが大事なのだ。積極的統合の企て
が苦しくなってくると、そのときレーニン主義は恐るべき効果を発揮する。
 一九六八年にわれわれはこれとは違うことを目にしたのではなかったかな?
人間集団を政治権力の空白という場で考察せねばならない、ということを? こ
れはどういう意味だろう? 権力を否定することか? もちろんそうではない。
権力は絶対的な悪であり、したがって権力から遠ざかるべきだ、と考えること
か? 断じてそうではない。そうではなくて、権力の空白とは政治的な意味での
権力の下に、ある空隙が作られたことの認識、こうした権力には根拠がないとい
うことの認識にすぎない。だがこの認識は重要なことなのだ。これこそ蜂起の第
一の契機のすばらしい啓示をなすものだ。これこそデモ隊の人々に「すべては
可能だ」と言わせるものだ。そして、すべてが可能だというのはある意味で本当
なのさ。どうやってこの啓示が政治的熱狂の中に沈んでしまわないようにする
か? おそらくこう答えるべきだろう。その啓示を絶対化しないことだ、とね。
蜂起とは人間の統合の長い企ての一契機、友愛の経験の一面にすぎないのだ。
母親に対するわれわれの関係の一面、とあなたなら言うかな。
 サルトル あなたがのべた、暴力の現れる三つの契機にわたしもほぼ賛成だ。
ただ、最初の二つの契機、いや第三の契機も、もっとつきつめてのべてもらいた
いな。だがそれは、倫理思想の研究にあてているあの本(注⑨)の中でやること
にしよう。さしあたっては無条件に賛成しておこう。留保すべき点は本の中での
べるつもりだから。
 レヴィ 革命的群衆に対して、ユダヤ人にはある種の警戒心があるけれど、そ
のこ、との意味に、今までおそらく十分注意が払われてこなかった。この警戒心
の中に隠れている真実をおそらく十分に問いただしてみなかった。ユダヤ人、特
にキリスト教社会にいるユダヤ人は、革命的群衆の裏にユダヤ人虐殺者の一群を
感じとることがありえたのではないだろうか? われわれが、いま批判を試みてい
るいわば堕落について、ユダヤ人は体験をしてきているのではないだろうか?
 サルトル ー九一七年の共産党には相当な数のユダヤ人がいたことを忘れては
いかんよ。ある意味では、革命を導いたのは彼らだとも言えるのだ。してみると、
そこにはあなたの言っていることの趣旨には完全にはそわないものが何かある。
 レヴィ わたしが言っているのはもちろんユダヤ人、ユダヤ人のままである
ユダヤ人のことなんだよ。群集が自分たちを神秘的な団体と思い込むとき、ユダ
ヤ人は自分が脅かされていると知る。自己の体験のために、ユダヤ人は大衆を純
粋な抵抗機関と考えることができない。逆に、革命運動の中で真実の友愛に属す
るものと、聖なるものやテロリズム的脅威に属するものとを区別することができ
る。そこから、わたしたちは、こういう結論へと導かれないだろうか。つまり、ユ
ダヤ人の体験は革命を考え直すために重要であり、この体験の価値を全面的に取
り上げねばならない、と。ユダヤ人はわれわれの問題に二重に関係している。ま
ず革命という観念の源に、ユダヤ人は、さまざまな堕落があるにもかかわらず、
救世主思想を認めるに違いない。それから他方、ユダヤ人はこの思想の堕落の苦
しみをなめた証人として最良の立場にいるということ。したがって、一つの仕事
が課される。この思想を本来の形で理解し、その意味を復活させるということ
だ。

 

 サルトル 間違ってはいないと思う。 
 レヴィ この点から見ると、現在の知的状況は危険だ。あちこちで救世主思想 
がわれわれの諸悪の根源にされているみたいなのでね。心新右翼yは救世主思想
を標的にするのが商売だ。最も重大なのは、左翼でも同様にあらゆる救世主思想
を攻撃することがよしとされていることだ。しかし、救世主思想とは何なのか、
ヘブライ人の救世主思想とは本来何なのかを連中は考えたことがあったろうか7
ありはしない。知っているかのように振る舞っているだけだ。知らないというこ
とを、大急ぎで知らねばならないということを、いつになったら認めるつもり
か? 下劣な反ユダヤ主義の根底に無知があるのだということを、連中はこれ以
上忘れていられるのか?
 サルトル 救世主思想は、『ユダヤ人問題』を書いていたときにはわたしにと
って意味がなかった。それがいまわたし今メシア思想が豊かな意味を帯びてきたのは、
一つにはわたしたちの重ねてきた対話のおかげだよ。対話をとおして、救世主思
想があなたにとって何を意味するかが理解できた。
 レヴィ 『ユダヤ人問題』のころあなたは、挑発的な言い方で言うなら、ユダヤ
人とは反ユダヤ主義者の作り出したものだと考えていたね。とにかく、ユダヤ人の
思想、ユダヤ人の歴史などは存在しないと考えていた。その考えは変えたかな?
 サルトル 変えていない。その考えは、たとえばキリスト教世界におけるユ
ダヤ人のあるがままの姿の表面的な記述として持ち続けている。街角のいたると
ころで彼がたえず反ユダヤ主義の思想につかまり、それが彼を食い荒らし、彼の
かわりに考えようとし、彼自身の最も深いところまで彼を捕らえている、そんな
ユダヤ人の外面的記述としてね。確かにユダヤ人は反ユダヤ主義者の犠牲さ。た
だ、わたしはユダヤ人の存在をそこだけに限定してしまった。けれど、知ってい
てそうしたんだよ。いまでは、ユダヤ人たちに降りかかった反ユダヤ主義による
被害の向こうにユダヤ人の現実がある。キジスト教徒のと同様、ユダヤ教徒の深
い現実があると考えている。もちろん、キリスト教徒の現実とは非常に異なった
現実だが、全体としての考え方に関しては同じ型の現実だ。ユダヤ人は運命を持
つものと自分をみなしている。どうしてこのように考えるようになったのかを
説明する必要があるだろうな。
 レヴィ それをいま、聞こうとしていたところだ。
 サルトル (ドイツの占領からの)解放後、前より多くのユダヤ人と付き合う
ようになったためだな。それ以前は、確かにユダヤ人の知り合いはいたが、彼ら
と親しい関係を持ってはいなかった。その後、クロード・ランズマン(注⑩)を
知り、彼はわたしの一番いい友人のひとりになった。それから、アルレットを養
女にした。彼女はユダヤ人だ。それでわたしは、よくアルレットと一緒にすごし
てきて、彼女がどのようにものを考えるかわかっている。そして、あなたと出会
った。わた.したちは共同で仕事をしてきたし、もっとくつろいだ、もっと日常的
な生活の時間もまた一緒にしている。だから、ユダヤ人の考えていることについ
ての見方が、前より豊かになっているのさ。主としで変わったのはそこのところ
だと思う。結局のところ『ユダヤ人問題』を書くまで、わたしは反ユダヤ主義
『ユダヤ人問題』は資料も読まずに書いにまず敵意を抱いていた。だから、『ユ
ダヤ人問題』は反ユダヤ主義者への宣戦布告なのさ。それ以上のものではないよ。
 レヴィ ー七のとき『ユダヤ人問題』を読んだのだが、そのとき、この本は反
ユダヤ主義と闘いたいというわたしの願望を見事に正当化するものとして作用し
た。けれどもそれと同時にあなたは、もしこの闘いに勝った攻ら、発見したいと
夢見ていることが発見できるのだと、わたしに確信させてくれた。つまり、わた
しはひとりの人間であってユダヤ人なのではない、ということを。この本はま
た、ある形の(ユダヤ人としての)自己否認を暗に正当化してい,たね。当時そう
考えていたわけじゃないが。これはお忘れなく。
 サルトル ありうることだね。あなたがそういうふうに感じたのなら、他の人
人もそう感じたかもしれないと思う。それはまさしくユダヤ人の.現実が(この木
に)欠けていたからだ。注意してもらいたいのだが、このタイプの現実は、キリ
スト教徒の現実にしたってそうだけれど、結局、形而上学的で、当時わたしの哲
学の中にどくわずかな場しか占めていなかったのだ。自己意識というものをまず
考えて、その意識からわたしは、内部からやってくるような個別的性格をすべて
取り去り、そうしたのぢに外部から個別的な性格を意識が見いだすようにした。
このように形而上学的、主観的な性格を奪われたために、ユダヤ人はわたしの哲
学の内部ではユダヤ人として存在しえなかったのさ。いまでは、わたしは人間に
ついて別の見方をしている。ユダヤ人の現実が内側においていかなるものたりう
るかを知りたいという興味を持つようになった。ただこういうことがあるんだ。
ユダヤ人を本当に内部かも理解するというところまではいけないのだね。それに
は自分がユダヤ人でなければならないだろうから。
 レヴィ それでは、どうしてギュスターヴ・フローベールの場合にはそれがで
きたのさ。
 サルトル それは、ギュスターヴ・フローベールがユダヤ人のだれかれより
も、はるかに多くのこまかな事実をわたしに委ねてくれたからだよ。ユダヤ人に
ついての重要な事柄の大部分は外国語で書かれている。特に、ヘプライ語、とき
にはイディッシュ語でね。      
 レヴィ そんな障害はたぶん乗り越えられただろうに。
 サルトル ヘブライ語を知らないからといって、それはフランス人にとって決
定的な障害ではない。習いさえすればい
いんだからね。しかし、習いは既めてから自分にとって重要な本を読めるようにな
るまでに、すぐに相当な時間がたってしまう。つまり、わたしはユダヤ人の現実
について、認識の最先端まで行けないのだ。けれども、わたしをユダヤ人の現実
の認識へと導いてくれるかもしれないいくつかの原理、道の始まりを思い描くこ
とはできる。
 レヴィ けれども『ユダヤ人問題』を書いたとき、あなたはちゃんと資料を集
めたのでは?
 サルトル 集めなかった。
 レヴィ 集めなかったって?
 サルトル 全然ね。わたしは『ユダヤ人問題』を、何の資料もなしにユダヤ人
関係の本も何も読まずに書いたんだよ。
 レヴィ だけどいったい、どうやって。
 サルトル 自分が考えていることを書いたのさ?      
 レヴィ だけど何に基づいて?
 サルトル 何にも。やっつけたいと思っていた反ユダヤ主義に基づいてかな。
 レヴィ 本などいくらでも見られただろうに。たとえば、この間あなたが読ん
だ、バロンの『イスラエル史』、あれを読んでいたら、あなたは、ユダヤ人の歴
史などない、なんて書く羽目におそらくならなかったのではないか?
 サルトル バロンを読んでわかったが、この本を読んでいても当時のわたし
の見解は揺すぶられはしなかったろうね。
 レヴィ それはどういうこと?
 サルトル ユダヤ人の歴史などない、と言ったとき、わたしは一定の形態のも
とで歴史を考えていたからだよ。フランスの歴史とか、ドイツの歴史とか、アメ
リカの、つまり合衆国の歴史とかいうふうにね。ともかく、領土を持ち、他の国々
との関係を持つ、主権を伴うある種の政治的現実の歴史だ。ところが、ユダヤ
人の歴史がある、と言いたければ、歴史というものが別のものでありうると考え
ねばならなかった‘のだ。ユダヤ人の歴史を、単にユダヤ人たちの世界中への分散
としてだけでなく、さらにこのディアスポラの結びつき、ちりぢりになったユダ
ヤ人たちの結びつきとして理解しなけれぱならなかったんだよ。
 レヴィ してみると、ユダヤ人はその深い現実性によって、(われわれが)歴
史哲学と縁を切ることを可能にしうるわけだ。
 サルトル まさしくね。ユダヤ人の歴史がある場合とない場合とでは、歴史哲
学は同じではない。ところで、ユダヤ人の歴史はある。明らかにね。
 レヴィ 別の言い方をすれば、ヘーゲルがわれわれの風景の中にでんと据えた
歴史(注11)は、ユダヤ人を切り捨てようとしたが、そのユダヤ人の方で、ヘー
ゲルが押しつけようとしたこの歴史からわれわれをのがれさせてくれるというこ
とだ。
 サルトル まったくその通り。というのは、ユダヤ人の歴史が存在するという
ことは歴史的時間の中限ユダヤ人たちの現実の統一があることを証明しており、
この現実の統一は歴史的領土に基づいた結集ではなく、行為とか書物とか、祖国
という観念をくぐらない絆、あるいはここ何年来かしか祖国という観念をくぐっ
ていない絆に負っているのだからね。
 レヴィ あなたの考えでは、ユダヤ人の現実の、この統一はどこからくるの
か?
 サルトル それがまさしく、わたしの理解しようと試みたことさ。しかし、よ
く考えてみると、ユダヤ人において本質的なことは、数千年来ユダヤ人が唯一神
との関係を持っているということだと思う。ユダヤ人は一神論者だ。そしてそれ
が、ユダヤ人を複数の神々を奉じていた他の古代民族すべてと区別してきたもの
だし、ユダヤ人をこのうえなく本質的かつ自律的にしたものなのだ。その上、
《神》とのこの関係は非常に特殊だった。もちろん、神々の方は人問たちと関
係を持っていた。ジュピターは人間たちと関係を持ち、女たちと寝ていた。つま
り、人間に変身したいときには変身したのさ。だから、そこには、何ら新しいも
のはない。
 新しいもの、それはこの《神》の中で人間たちとの関係に入った部分なのだ。
ユダヤ人たちを特徴づける関係とは、彼らが《名》と呼んでいたもの、すなわち
《神》との無媒介的な関係だ(注12)。《神》がユダヤ人に語りかける。ユダヤ
人は神のことぽを聞く。こうしたこと全体をとおして、存在する現実的なもの、
それはユダヤの無限なるものとの最初の形而上学的関係なのだ。それが古代のユ
ダヤ人について第一の定義だ、と、わたしは思う。つまり、《神》との関係によ
って全人生をいわば決定され、規制された人間ということさ。そして、ユダヤ人
たちの歴史全体がまさにこの最初の関係に存するのだ。
 たとえば、ユダヤ人たちの人生を著しく変えた大事件、概して彼らを苦難の
人々、追放者または殉教者にした大事件、それはキリスト教の出現だ。つまり、唯
一神を奉ずるもう一つの宗教の出現だ。したがって、二つの一神教があり、第二
の一神教はーー第一の一神教から着想を得、聖書を聖典にしているにもかかわら
ずーーやはり常にユダヤ民族を敵視していたのだ。

 ヘーゲルの歴史とは別の歴史があり得る
 メシア思想の目的がわたしの関心をひく

 レヴィ ちょっと。唯一神とのそういう関係とか、イスラエルのそういう運命
などということがどうしてあなたに関係があるのさ?
 サルトル いやわたしにとって意味があるのは《名》というわけでもない。重
要なことは、ユダヤ人が今まで形而上学的に生きてきたし今も形而上学的に生き
ているということだ。
 レヴィ では、あなたの興味をひいているのはユダヤ人の形而上学的な性格な
のか?
 サルトル、ユダヤ人の形而上学的な性格だ。それは宗教からやってきたものだ
が。
 レヴィ もちろんさ。それでは、あなだの興味をひくのはそのところなのか?
 サルトル そこだ。しかし、ユダヤ人が運命を背負っているという事実にも興
味がある。
 レヴィ それは同じことではないのか?
 サルトル 完全に同じことではないよ。運命を背負っているということには
明確な意味がある。ユダヤ教は、この世界の終末ということと、これと同じ瞬間に
おけるもう一つの世界の出現、この世界からつくられているが、物事が違った具
合に配置されているような世界の出現を想定している。わたしの気に入っている
テーマはもう一つあるな。ユダヤ人の死者たちはーーユダヤ人以外の死者でもそ
うだがーー蘇る、地上に戻ってくるということ。したがって、キリスト教の考え
方とは逆に、彼ら、現在死者であるユダヤ人たちは墓湯の生以外の生を持って
いないのだが、いずれ生者としてこの新しい世界に生まれかわってくるのだよ。
この新しい世界、それが目的なのだ。
レヴィ そんなことにどうして興味があるんだね?
 サルトル あらゆるユダヤ人が多かれ少なかれ意識的に目指す目的性、しかし
最終的には人類を統合するに違いない目的性、宗数的であると同様に実は社会的
であることの目的こそ、ユダヤ民族だけが……。
 レヴィ あなたが人間前史(自由の王国実現以前の歴史)の目的という観念に
どうして敏感でありえたかは想像がつくけどね。それをあなたはマルクスの中で
見つけたのだ。それは、あなたの個人的投企という考えに堅固さを与えたかもし
れない。しかし、何で、このユダヤ人の救世主(メシア)思想における目的が今日あなたの
関心をひくのかね?
 サルトル まさしく、その目的がマルクス主義的側面を持たないからだ。つま
り、ある目的が現在の状況から規定された上で未来に投影されるという側面、こ
の目的に到達しうるのは今日の幾つかの事実を発展させながら幾つかの段階を経
てであるという側面を。
 レヴィ その点を正確に言ってくれないか?
 サルトル そういう側面が全然ないのさ、ユダヤ人の言う目的(終末)には。
こう言ってよければ、それは人間たちがお互いのためにあるという相互的存在形
態の始まりなのだ。すなわち倫理的目的なのさ。あるいは、より正確に言うなら
それは倫理性そのものなのだ。ユダヤ人は、世界、この世界の終末ともう一つの
世界の到来とは、人間たちがお互いのためにあるという倫理的存在形態の出現で
あると考えている。
 レヴィ そうだ。しかしユダヤ人は倫理を引き受けるためにあなたが描き出し
たような世界の終末を待っているのではないよ。
 サルトル ユダヤ人ではないわれわれにだって倫理の探究ということがある。
最終の目的、すなわち真に倫理が他者の関係における人問たちの生き方に過ぎ
なくなる瞬間を見いだすことさ。現在、倫理というと、規則、命令といった側面
がなくなるだろう。これはしばしば言われてきたがね、倫理とは思考の形成の仕方、
感情の形成の仕方になるだろう……。 
 レヴィ そうだ。しかし、ユダヤ人は法の乗り越え、この言葉をまだ無邪気
に使えるとしてだけれど?’がありうると考えた。下からではなく上からのね。
この終末が準備され、そこで律法が廃止されるのは、今日さまざまな戒律を、’あ
らゆる律法思想をあなたが言うようにカッコに入れることによってではない。近
代の人間は、律法を下からかいくぐろうとした。侵犯によって、さもなければ法
の観念などすべて無効だと宣言することによって。
 サルトル まったくその通りだ。それに、わたしにとって救世主思想が重要な
ものであるのはそのためなんだよ。それはユダヤ人のみが考え出したものだが、
非ユダヤ人たち把よって他の目標のために使うこともできるだろう。
 レヴィ なぜ他の目的のために?
 サルトル 非ユダヤ人たちーーわたしもその一員だがーーの目標とは革命だか
らだ。では、革命ということから何を理解するか? 現在の社会を消滅させ、も
っと公正な社会をこれにとって代わらせ、そこで人々が互いに良い関係を結べ
るようにすることだ。このような革命の観念はもう、相当昔に発するのだがね。
 レヴィ 次の考えのうちのどちらかな。一つは……。
 サルトル 革命家たちは、人間的な人々を満足させるような社会を実現した
があるが、やがでそういう側面がなくないと望んでいる。ただ、彼らはその種 
の社会は事実に基礎を置く社会ではなくーーこういう言い方ができるならーー
権利に基礎を置く社会だということを忘れている。すなわち、人間同士の関係が
倫理的である社会だ。と’ころで、革命の最終目的としてのとの倫理という概念、
それを真に考えうるのは一種の救世主(メシア)思想をとおしてなのだ。もちろん、経済的
問題は大きなものとしてある。けれども、マルクスやマルクス主義者の考えと
は反対に、まさしくこうした問題は本質的なものではないのさ。経済問題の解決
はある場合には、人間同士の真実の関係を獲得するための一手段なのだよ。
 レヴィ 忘れないでほしいが、ユダヤ人は長い間贋の救世主(メシア)思想を経験してい
る。ユダヤ人と左翼の人間との結合は、左翼の人間を仮に定義しなおすとして
も、自明のことじゃまったくない。
 サルトル しかしそれでも、ユダヤ人の現実は革命の中にあり続けるべきだ。
それは。革命の中に倫理の力をもたらすはずだ。
 レヴィ 要するにーーというのは、もう話を終わりにしなくてはならないから
だがーーあなたは七五になってまたやり始めるのか?
 サルトル 実を言うと、わたしの人生で同じことが二度起こった。絶望の誘惑
ということだがね。最初は一九三九年から一九四五年にかけてだ。わたしは育春
の出ロにさしかかっていた。政治犯はかかわっておらず、文学に専念していた。
友人たち相手に暮らし、幸福だった。わたしの人生は輪郭が整いはじめていた。
そのときに戦争が突発し、少しずつ、とりわけ敗北とドイツ軍の占領ののちに、
わたしは目の前に持っていると思っていた世界が、完全に自分から奪われてしま
っていることを感じるようになった。悲惨と呪いと絶望の世界を目の前にしてい
たのだね。けれどもわたしは、周囲にはあれほど肪れていた絶望の可能性を拒否
し、絶望していない友人たちと結びついた。彼らは幸福な未来のために闘えると
考えていた。そんな未来が存在する可能性はまったくなかったのにね。なるほど
抵抗運動をすべきだったのだけれども、戦争の本当の運命はわれわれの外に、イ
ギリス人やアメリカ人の手中にあったのだ。
 その点で、わたしは自分が存在していないという感じを持った。フランス人の
だれもかれも、わたしも、日常のくだらない事柄に、言わば脅かされていてね。
それでもナチの権力の後退と戦争の終結を信じたのは、わたしが持っていたある
もののおかげだ。希望さ。希望はいつまでも負けてはいなかったんだね。そのう
ちに戦争が終わった。この時期からわたしは、必ずしも幸福ではないが、いろん
な論争とか守るべき主義主張とかが強く
絶望に抵抗し希望の中で死んでいくだろ今跡をとどめる人生を持つことになった。
思想の方はときとしてーー朝鮮戦争のようなときにはーー絶望に陥りそうになっ
たが、すぐに立ち直ったな。そのうちにもう一度、少しずつ何かが崩れだした。
一九七五年になっても、わたしはまだ六八年の五月反乱によって心を揺り動かさ
れてしまった人間、つまりぼ自分の思想と六八年の思想をあまり矛盾することな
く結びつけようとしている人間のままだった。それから、国際情勢が現在のよう
になった。すなわち、ほとんどあらゆる国家において、少なくとも支配者レベルで
は右翼思想が勝利をおさめてしまった。

  革命の最終目的としての倫理という概念

 レヴィ 右翼思想の中にはソ連もいれているのか?
 サルトル 当然だよ、アメジカもスウェーデンもだ。
 レヴィ スウェーデンも?
 サルトル そうさ、彼らの新政府は右だ。幾年もスウェーデンは左だったの
に。それにあれは奇妙な社会だったな。われわれマルクス主義的傾向の人間はあ
む体制を認めることができなかった。マルクス主義であらずに社会主義だったの
だからな。いかがわしいものに見えたのさ。要するに、今日ではあらゆる国家で
右翼が勝ち誇っている。他方、冷戦がまた起ころうとしている。アフガニスタンヘ
の侵略は特に気がかりな出来事だ、第三次世界大戦もありえないとは言えない。
それも、何より、すべてがつまらぬ原因、すべてが思考欠如の原因で。地球は
いま、一方では貧しい者たちのものだ。彼らは極端に貧しく、飢えのために死ん
でいる。それから他方には、少数の富める者たちがいる。彼らは以前ほど金持ち
ではなくなってきているが、それでもまだ、いかにも金持ち面をしている。
 いつか勃発するかもしれない第三次世界大戦、地球というこの悲惨な集合体、
こんなことで絶望がわたしを誘惑しに戻ってくる。いつまでたってもきりはな
い、目標なんて存在せず、あるのは小さな個別的な目的だけで、そのために争っ
ているだけのことさ、という考えがね。小さな革命は起こすが人間的な目的がな
く、人間にかかわる何かしらがない。あるのは混乱だけじやないか。一方でこん
なふうに事態は考えられるかもしれない。こうした考えは絶えず人を誘惑しに
くる。ことに、こちらが年をとっていて、まあ、いずれにせよ自分は長くて五
年で死ぬだろう、といったふうに考えられる場合にはーー実はわたしは1〇年と
思っているのだが、五年かもしれないな。とにかく、世界は醜く、不正で、希
望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしてい
る老人の静かな絶望さ。だがまさしくね、わたしはこれに抵抗し、自分ではわ
かってるのだが、希望の中で死んでいくだろう。ただ、この希望、これをつくり
出さなければね。
 説明を試みる必要があるな。なぜ今日の世界、恐るべき世界が歴史の長い発展
の一契機にすぎないのかを、希望が常に、革命と蜂起の支配的な力の一つであ
ったということを。それから、自分の未来観としてどういうふうにわたしがまだ
希望を感じているのかを。 (おわり)

 (Copyright《Le Nouvel Observateur》 1980)


 注①一九二四年に起こったモロッコのリフ族の反乱に対し、フランスが軍隊を
介入させ、鎮圧させた事件をさす。
なおこの事件はシュールレアリストたちの政治化を促した。
 注②いずれもファノンの『地に呪われたる者』への序文で使われている表現。
 注③小さいころのサルトルのあだ名。
 注④パルダイヤンは大衆作家ミッシェル・ゼヴァコ(一八六〇〜一九一八)の
英雄物語の主人公。小さいころサルトルはゼヴァコを愛読した。 
注⑤『地に呪われたる者』の序文で、植民地原住民の暴力を、新たな人間性をつ
くり直すものとして《再生的》という語を用いているところから。
 注⑥『道徳形而上学』を考えているのであろう。
 注⑦ディドロ、ルソーなどによってよく用いられた概念、この掛合は法の不備
を補う人民の正義の意志といった意か。
 注⑧エロチシズムはバタイユにとって重要な概念。日常性の否定、暴力、戦慄、
死、聖なるもの、といった概念と結びついている。
 注⑨準備中の『権力と自由』のこと。
 注⑩ジャーナリスト。サルトルが編集長をする『レ・タン・モデルヌ』誌の編
集委員。
 注11国家の組織が人間の自由によって、つくりあげられていくところに歴史の到
達すべき目標をみる、へーゲルの歴史哲学を考えているのであろう。
 注12《名》は、ヘブライ語で啓示された性格や本質という意味で用いられるこ
とが多かった。
  (えびさかたけし・フランス文学者)


訂正 四月二五日号のサルトル「いま希望とは」〈2〉のうち、次の部分を訂正します。
 一〇六ページ、三段目から四段目にかけて
 「それは《恐怖政治》の時代やそれ以前に暮らしていた人間の投票とは同じ意味
を持っている」を「持っていない」に。
 一一一ページ、注(20)を「レヴィがここで分析しているような言葉は『共和国3』の
中にある」に。    (編集部)*訂正済み