Friedrich von Hayek and Dr. Axel Leijonhufvud Part I & II (S1004) - Full...
18:23 Wieser, Mises, Menger ハイエクハイエクを語る35頁 Hayek on Hayek p.49
Friedrich von Hayek and James Buchanan Part I (S1029) - Full Video
https://youtu.be/DP8Ymod_ses?t=32m43s
32:43 『ハイエク、ハイエクを語る』
71頁 Hayek on Hayek p.69
Q5: I’d like to shift, if I could, to your basic political theory— political philosophy—position. I’d like to ask you a bit of intellectual history here, in terms of your own position. We both started out, more or less, as technical economists, and then became interested in more political-philosophical questions. Could you trace for us the evolution of your own thinking in that respect?
HAYEK: It really began with my doing that volume on collectivist economic planning, which was originally merely caused by the fact that I found that certain new insights which were known on the Continent had not reached the English-speaking world yet. It was largely Mises and his school, but also certain discussions by Barone and others, which were then completely unknown to the Englishspeaking world. Being forced to explain this development on the Continent in the introduction and the conclusion to this volume, which contained translations, I was curiously enough driven not only into political philosophy but into an analysis of the methodological misconceptions of economics. [These misconceptions] seemed to me to lead to these naive conceptions of “After all, what the market does we can do better intellectually.” My way from there was very largely around methodological considerations, which led me back to— I think the decisive event was that essay I did in about 1937 on “Economics and Knowledge.” Q5: That was a brilliant essay. HAYEK: I think that was the decisive point of the change in my outlook. As I would put it now, [it elaborated] the conception that prices serve as guides to action and must be explained in determining what people ought to do—they’re not determined by what people have done in the past. But, of course, psychologically the consequence of the whole model of marginal-utility analysis was perhaps the decisive point which, as I now see the whole thing—the market as a system of the utilization of knowledge, which nobody can possess as a whole, which only through the market situation leads people to aim at the needs of people whom they do not know, make use of facilities for which they have no direct information; all this condensed in abstract signals, and that our whole modern wealth and production could arise only thanks to this mechanism—is, I believe, the basis not only of my economic but also much of my political views. It reduces the possible task of authority very much if you realize that the market has in that sense a superiority, because the amount of information the authorities can use is always very limited, and the market uses an infinitely greater amount of information than the authorities can ever do.
はじめに
参考文献
Hayek, F. A.
◆Hayek, F. A. 1941 The Road to Serfdom=19921020 西山千秋訳,『隷属への道』 春秋社,382p. 3000 *(↓)
◆『貨幣理論と景気循環/価格と生産』
春秋社,ハイエク全集1 4500
◆『利潤,利子および投資』
春秋社,ハイエク全集2 4000
◆『個人主義と経済秩序』
春秋社,ハイエク全集3 5500
◆『感覚秩序』
春秋社,ハイエク全集4 4500
*◆1960 The Constitution of Liberty
Routledge & Kegan Paul(London)
=『自由の価値──自由の条件I』
春秋社,ハイエク全集5 4000
=19871110 気賀健三・古賀勝次郎訳,『自由と法──自由の条件II』
春秋社,ハイエク全集6,254p.(新装版19971110) 4000 *
=19870520 気賀 健三・古賀 勝次郎 訳,『福祉国家における自由──自由の条件III』
春秋社,ハイエク全集7,266+36p.(新装版19971210) 4500 *
◆1973
=19870610 矢島鈞次・水吉俊彦訳,『ルールと秩序──法と立法と自由I』
春秋社,ハイエク全集8,231p. 4000 松本331
1976 Law, Legislation and Liberty, volume 2: The Mirage of Social Justice, Routledge & Kegan Paul
=19871020 篠塚慎吾訳,『社会正義の幻想──法と立法と自由II』
春秋社,ハイエク全集9,269p. 4000 松本331
『自由人の政治的秩序──法と立法と自由III』
春秋社,ハイエク全集10 4500
◆Hayek, F. A. 1941 The Road to Serfdom=19921020 西山千秋訳 1941 『隷属への道』 春秋社,382p. 3000 *
◆1960 The Constitution of Liberty
Routledge & Kegan Paul(London)
=19861120 気賀健三・古賀勝次郎訳,『自由の価値──自由の条件I』
春秋社,ハイエク全集5,241p. 4000
=19871110 気賀健三・古賀勝次郎訳,『自由と法──自由の条件II』
春秋社,ハイエク全集6,254p.(新装版19971110) 4000 *
=19870520 気賀健三・古賀勝次郎 訳,『福祉国家における自由──自由の条件III』
春秋社,ハイエク全集7,266+36p.(新装版19971210) 4500 *
『自由の価値──自由の条件I』
第1部 自由の価値
第1章 自由と個別的自由
第2章 自由文明の創造力
第3章 進歩の常識
第4章 自由、理性および伝統
第5章 責任と自由
第6章 平等、価値およびメリット
第7章 多数決の原則
第8章 雇用と独立
「ある人の望ましい特性は、それが家庭環境の結果である場合に、そうでない場合よりも社会にとって価値が劣ると信ずるどんな理由がありうるのか。事実、一世代ではめったにに獲得されないが、二世代あるいは三世代の絶えざる努力によってのみ一般に形成されるいくつの社会的に価値のある特性が存在すると考える十分な理由がある。」([1960:90=(I)132]、第6章3「生まれつきと育ち」)
「これらの(機会の平等を求める…引用者記)要求の正当性について検討するとき、われわれが気づくことは、それらが、一部の人びとの成功によってあまり成功しなかった人びとのなかにしばしば生まれる不満、あるいは、あからさまにいえば、羨望にもとづいているということである。この感情を満足させ、社会正義という尊敬すべき外観でそれを偽装する現代の傾向は、自由にとって重大な脅威にまで発展しつつある。……もしも満たされない欲望が実際にすべて、共同社会への請求権をもつとするならば、個人の責任はなくなってしまう。いかに人間的であろうとも、羨望はたしかに、自由社会がとり除くことのできる不満の源泉の一つではない。おそらく、そのような社会の維持にとって不可欠な条件の一つは、羨望を奨励(p.136)しないこと、それを社会正義として偽装することによってその要求を承認しないこと、それを、ジェームズ・スチュアート・ミルの言葉を借りれば、「あらゆる感情のうちでもっとも反社会的かつ悪質なもの」として扱うことである。」([1960:93=(I)136-137]、第6章5「機会の平等」)
『自由と法──自由の条件II』
第2部 自由と法
第9章 強制と国家
第10章 法律、命令および秩序
第11章 法の支配の起源
第12章 アメリカの貢献=立憲制
第13章
第14章
第15章
第16章
「もし他人を嫉妬して、あるいは自分たちの考え方に関する根深い習慣をさまたげるものを嫌って、われわれがある種の活動の遂行を抑制しなければならぬとすれば、それは自由擁護論をすべて無意味にするであろう。」(p.21)
『福祉国家における自由──自由の条件III』
第3部 福祉国家における自由
第17章 社会主義の衰退と福祉国家の興隆
第18章 労働組合と雇用
第19章 社会保障
第20章 課税と再分配
第21章 貨幣制度
第22章 住宅と都市計画
第23章 農業と天然資源
第24章 教育と研究
追論 わたしはなぜ保守主義者ではないか
◆『ルールと秩序──法と立法と自由I』
春秋社,ハイエク全集8 4000
◆『社会正義の幻想──法と立法と自由II』
春秋社,ハイエク全集9 4000
◆『自由人の政治的秩序──法と立法と自由III』
春秋社,ハイエク全集10 4500
第1部 ルールと秩序
第1章 理性と進化
第2章 コスモスとタクシス
第3章 諸原理と便宜主義
第4章 法概念の変遷
第5章 ノモス──自由の法
第6章 テシス──立法の法
第2部 社会正義の幻想
第7章 一般福祉と特定の意図
第8章 正義の探究
第9章 「社会的」あるいは分配の正義
第9章補論 正義と個人の権利
第10章 市場秩序またはカタラクシー
第11章 抽象的ルールの規律と部族社会の情緒
第3部 自由人の政治的秩序
第12章 多数派の意見と現代民主主義
第13章 民主主義的な権力の分割
第14章 公的部門と私的部門
第15章 政府の政策と市場
第16章 民主主義的理想の失敗──概要
第17章 ひとつの政体モデル
第18章 権力の抑制と政治の退位
終 章 人間的価値の三つの源泉
「慎重に考えた後に、私がロールズの『正義論』についていわなければならないことは、私の直接の主題の追求に役立つことはないという結論に達した。なぜならば、われわれの間の相違は、実質上のものというよりは言葉の上のものであるように思えるからである。読者の最初の印象は違っているかもしれないが、この巻の後のところで(一〇〇頁〔一四一頁〕私が引用したロールズの言明は、私にとって基本的な点であることについてわれわれが同意していることを示しているように思える。事実、その節に対する注で指摘しているように、ロールズは、この中心的問題について広く誤解してきたように、私には思える。」([II5]、第2部まえがき)
「疑いもなく、ジョン・ロールズ教授が最近一冊の重要な書物にあてた問題である、政治制度の熟慮の上の設計と関連した正義の純粋問題も存在する。私が惜しみもしまた混乱とみなす事実は、この関連で彼が「社会的正義」という用語を採用していることであるにすぎない。しかし、その問題に進む以前に、細目まで定められた体系とか望ましい事物の分配を正義に適うとして選び出すという仕事は、「原理的に間違いであるから放棄しなければならないし、いずれにせよ、それは明確な答を出すことができない」ことを認める著者となら、私は何の基本的な論争点をもたない。「むしろ、正義の諸原理は、そこに携わる人々が制度や結合活動に対して何の不平ももつべきでないというのであれば、そうした制度や結合活動が満たされなければならない決定的な制約を定める。もしこれらの制約が満たされていれば、結果はしての分配は、それが何であれ、正義に適うものとして(少なくとも正義にもとらないとして)受け入れられることになるであろう(44)。」私が本章で議論しようとしてきたことは、大なり小なり、このことなのである。」([II141]、第9章「社会的」あるいは分配の正義、末尾)
「(44) John Rawls, "Constitutional Liberty and the Concept of Justice", Nomos IV, Justice (New York, 1963)p.102.……私は、ロールズ教授の最近の著作A Theory of Justiceが主要な論点についての比較的明快な言明を含むことに気付かなかった。その論点が、なぜこの著作が社会主義的要求に支持を与えるものと解釈されるのか──私には誤りに思えるが──を説明するのかもしれない。」([II248])
「偉大な社会において、あたかもそれがある人間の作為であるかの如く、もしAがBより多くをもつならばそれは道徳的正当化を必要とする主張することは馬鹿げている。このことは、これを妨げるのに必要な精密で複雑な政府装置とこの装置が全ての市民の努力を指示し、そうした努力の成果を要求する権力をもたなけばならないことを考えれば、明らかである。」([II245]、第9章注28)
「事実、絶対的貧困が、なお、深刻な問題となっている多くの国々では、「社会的正義」に対する関心が、貧困を排除するための最大の障害の一つになっている。……市場の諸帰結を「社会的正義」の方向に「矯正」しようとする試みは、おそらく、新しい特権とか移動への障害とか努力の挫折(p.192)といった形態で、それらが多くの貧困の緩和に貢献してきた以上の不正義を、生み出してきたことであろう。
こうなってしまったのは、そもそもは最も不運な人々のためになされた「社会的正義」に対する訴えが、自分たちは受けるに値すると思うだけのものを得ていないと感じる構成員からなる別の集団、特に、自分たちの現在の地位が脅かされていると感じている人々の集団によって、取り上げられたという事情の結果である。」([II192-193]、第11章「抽象的ルールの規律と部族社会の構造」の「最も不運な人への配慮から既得権益の保護へ」)
◇Rawls, John
●『市場・知識・自由──自由主義の経済思想』
第1章 真の個人主義と偽の個人主義
第2章 社会における知識の利用
第3章 競争の意味
第4章 医学博士バーナード・マンデヴィル
第5章 デイヴィッド・ヒュームの法哲学と政治哲学
第6章 経済思想史におけるメンガー『原理』の地位
第7章 回想のケインズと「ケインズ革命」
第8章 自由主義
「自由主義は、異なる個人の相対的地位を決定することになるゲームの手続き、あるいはゲームの規則が正しい(あるいは少なくとも不正でない)ことを要求するだけであって、異なる個人にとってこのゲームの過程の特定の結果が正しいものであることは要求しない。なぜならば、こうした結果はまた、自由人の社会では、つねに諸個人の行為自体と、だれもそのすべてを決定もできなければ予見もできない多数の他の事情に依存するだろうからである。」(『市場・知識・自由』,根井[1999:40]に引用)
「ハイエクには……「真の個人主義と偽の個人主義」なる論文があり(ハイエク『個人主義と経済秩序』嘉治元郎・嘉治久代訳、春秋社、一九八七年)なる論文があり、そこで「消極的自由」の思想のみを自由主義の正統として、「積極的自由」を偽の自由主義、結局は設計主義、社会主義、全体主義へと導く誤謬として否定している。」(稲葉[1999:424])
「生き続ける自由とか雇われる自由といった積極的自由は、「自由の条件としての基本財」として社会的に保障すべきだとハイエクは主張する。」(橋本務[1994:234])
「ハイエクの消極的自由の範囲は、社会的進歩の函数になっている」(橋本務[1994:234])
「ハイエクのいう消極的自由は、政府の恣意的な権力行使のみを強制とみなし、一般的原則(例えば消費税)などを強制とみなさない。」(橋本務[1994:234])
「……ハイエクは、社会主義や福祉国家主義の根底にある平等主義は、嫉妬という感情に根ざすものであって道徳的に正当化できない、と論じる。そしてノージックもまた同趣旨の議論を提示している。ローカルな組織や共同体にあってはこの種の平等主義は、成員間のある程度の同質性を前提とする限りにおいて許容されるが、「偉大な社会」において平等主義を追求することは、個々人の間の差異、唯一無二性の否定につながる、とハイエクは論じる。それはそれぞれの個人がそれぞれに唯一無二の存在である、という事実を受け入れられない心弱さ、それに基づく弱者の強者への嫉妬を正当化する思想に他ならないのだ、と。
彼らによれば、国家はこのようなローカルな組織や共同体を超えた「偉大な社会」のルールの擁護者でなければならないから、平等主義を政策理念として採用してはならない。つまり、国家による経済的再分配政策としては、ただ最低限の生存の保障のみが正当化され、累進課税などによる積極的な再分配は正当化されない。福祉国家主義や社会主義は、、ミニマムの保障の域を超えた平等主義的再分配を求めるが、それは嫉妬に基づく根拠なき復讐心の発露に他ならない。(p.298)
しかしながら前章以来の議論を踏まえるならば、以上のハイエク的、そして本来のノージック的立論がことの半面しか見ていないことが容易にわかる。第一に、ミニマムの生活水準というものは自明ではない。……
……ハイエクの示唆によって、同じ道徳を共有していない他人を、同じ道徳の拘束を受けた仲間と錯覚し、ルール破りの咎を以て責める、という現象としてルサンチマンを理解することができる。」(稲葉[1999:298-299])
●文献(発行年順)
*◆落合 仁司 19871201 『保守主義の社会理論──ハイエク・ハート・オースティン』 勁草書房, Ⅵ+189 +x p. 1600 ※
◆Bottomore, T. B. 1989 『近代資本主義の諸理論──マルクス・ウェーバー・シュムペーター・ハイエク』 1989 小澤光利訳,亜紀書房 2060 千葉社3989共通
◆『現代思想』 19911201 19-12(1999-12) 特集:ハイエク──市場経済の論理 *
◆川本 隆史 19911201 「自由・秩序・所有──ハイエクとセンの対決」,『現代思想』19-12(1999-12)→川本[1995a:130-143]
◆Askew, David 19911201 「ハイエクの自由擁護論の限界──リバタリアンの言説を手がかりに」,『現代思想』19-12(1999-12):75-84(特集:ハイエク──市場経済の論理)
◆橋本 努 19911201 「ハイエクの迷宮:方法論的転換問題」,『現代思想』19-12(1999-12)
◆橋本 努 1994 『自由の論法──ポパー・ミーゼス・ハイエク』,創文社,272+32p. <57,100> *
◆橋本 努 1995 「フリードリッヒ・A・ハイエク──社会の自生的秩序化作用の利用」大田一廣/鈴木信雄/高哲男/八木紀一郎編『経済思想史──社会認識の諸類型』名古屋大学出版会1995.3.
◆渡辺 幹雄 199611 『ハイエクと現代自由主義』,春秋社
◆橋本 努 19970207 「書評:渡辺幹雄著『ハイエクと現代自由主義』春秋社1996.」『週刊読書人』1997.2.7.
◆橋本 努 200007 「現実認識とは何か――形相的理念型による啓蒙」『情況』「特集 マックス・ヴェーバー再考」2000年7月号、6-20頁、所収.
◆橋本 努 2000 「社会科学と主体――ウェーバー研究の根本問題」橋本努・橋本直人・矢野善郎編『マックス・ヴェーバーの新世紀』未来社、所収予定.2000.x.
◆田中 成明 1996 「リバタリアニズムの正義論の魅力と限界──ハイエク、ノージック、ブキャナン」 『法学論叢』138-4・5・6
*◆稲葉 振一郎 1999 『リベラリズムの存在証明』、紀伊國屋書店 *
◆橋本 努 1999 「ハイエクの進化論に関する考察」(1999年度、経済学史学会大会報告集、pp.150-154所収)1999.11.
……
◆根井 雅弘 19990520 『21世紀の経済学──市場主義を超えて』 講談社現代新書1451,171p. 640
◆Kresge, Stephen ; Wenar, Leif eds. 1994 Hayek on Hayek, University of Chicago Press=20000130 嶋津 格訳,『ハイエク、ハイエクを語る』,名古屋大学出版会,270+19p. ISBN:4-8158-0374-9 3200 ※ *
■言及
◆立岩 真也 2004 『自由の平等』,岩波書店
「ノージックに比べると、ハイエク、フリードマンといった人たち──ケインズ的福祉国家の誕生・成長の時代、本人たちの自己認識としては不遇だったが、政策の変更との絡みで前面に出ることになった人たち──は、やはり経済学者であって、こうした方が経済・社会がうまくいくという言い方をすることが多いのではあるが、その人たちであっても、国家による統制を批判し、個人の自由を賞揚する立場をとる。そして左翼は[…]」(立岩[2004:296-297])
「しかしニーチェがなんだかすごいのは少なくともハイエクの主張との親和性を読み取れる部分ではないはずなのにという感じ、もっと直観的に、ハイエクはニーチェに比べたらどうしてもたいしておもしろいと思えない感じが、ハイエクを読む前にあった──そして読んだ後に思ったのも同じことだった。」(立岩[2004:305])
「ハイエクについて。稲葉[1999]に出典は記されていないが、たとえばHayek[1976=1987](第11章「抽象的ルールの規律と部族社会の情緒」)あたりが対応するだろう。同様の文章もいくつかはある。(ただ彼が本格的に羨望を論じている部分はあまり見当たらない。またハイエクについて論じている文章にもあまり言及はないように思った。)「これらの(機会の平等を求める・引用者記)要求の正当性について検討するとき、われわれが気づくことは、それらが、一部の人びとの成功によってあまり成功しなかった人びとのなかにしばしば生まれる不満、あるいは、あからさまにいえば、羨望にもとづいているということである。この感情を満足させ、社会正義という尊敬すべき外観でそれを偽装する現代の傾向は、自由にとって重大な脅威にまで発展しつつある。…もしも満たされない欲望が実際にすべて、共同社会への請求権をもつとするならば、個人の責任はなくなってしまう。いかに人間的であろうとも、羨望はたしかに、自由社会がとり除くことのできる不満の源泉の一つではない。おそらく、そのような社会の維持にとって不可欠な条件の一つは、羨望を奨励しないこと、それを社会正義として偽装することによってその要求を承認しないこと、それを、ジェームズ・スチュアート・ミルの言葉を借りれば、「あらゆる感情のうちでもっとも反社会的かつ悪質なもの」として扱うことである。」(Hayek[1960:93=1986-1987:(I)136-137]、第6章5「機会の平等」、引用されているのはMill[1859=1967:305][=1971:158]──この訳では「嫉妬」)「そもそもは最も不運な人々のためになされた「社会的正義」に対する訴えが、自分たちは受けるに値すると思うだけのものを得ていないと感じる構成員からなる別の集団、特に、自分たちの現在の地位が脅かされていると感じている人々の集団によって、取り上げられたという事情の結果である。」(Hayek[1976=1987:193])
彼は、各人が各人なりに利を得ようとすることは肯定する。それが社会の推進力になるとも言う。それ自体はかまわないが、それが羨望になり、政府に対する要求に結びつき、「自由にとって重大な脅威」になるのが問題だと言うのだ。例えば社会が経済的発展を遂げる中でもっと得られてもよいと思う人たちが出てくる(Hayek[1941=1992:14-17])。ナチの時代のドイツに自分はもっとよい仕事につきもっと受け取ってもよいはずだと思う人たちがいる([150-151])。衰退傾向の産業に従事する人たちも要求する(Hayek[1976=1987:192-193])。人々の欲望の増大あるいは鬱屈があって、その「解決」が社会に持って行かれる。期待と実際との間に距離があり、それが政府への要求、過大な要求に結びつけられる。そのとおりのことがあったとしよう。言おうとしていることはわからないではない。
しかしそれはここで述べ、これから述べようとする立場に対しては効かない。例えば各人の仕事への配置と分配とは別である。仕事への適性に応じた配置は認められうる。また分配自体は特定の産業の保護や育成を支持することはない。そして繰り返すと、本稿で述べてきたのは、成功しなかった不満から立ち上がるような力を、減るものなら減らせばよいということだった。
彼はよく知られているように「計画」という発想を批判しいわゆる「自生的秩序」をもってきた。その意義はそれなりに認めてよい。計画主義に対する批判には同意できる部分がある。だが、私たちは、その種の批判を気にしながら、簡潔で機械的な分配の可能性について、様々な打算や利害が絡んで歪んでしまわない簡素な機構について考えてみようと思う。もう一つ、彼の論が、手を加えない方が(という言い方は不正確で、彼が認めるだけの規則を設定するだけの方が、ということだが)結局はうまくいくという、その帰結によって正当化しようという論である限り、その立場は相対的なものとなり、この程度の介入なら当座そう心配しなくても大丈夫、有効だという主張を現実には許容していくことになる(cf.Barry[1984=1987:344ff.]、Gray[1989=2001:141-142]、橋本[1994:207-209])。実際、彼自身がどうであったかはともかく、この種の主張は都合のよいところがそのつど取り出されて使用されるのである。リバタリアニズムからのハイエク批判についてはAskew[1991]。」(立岩[2004:316-318])
478:TAPE: CHITESTER II, SIDE TWO TAPE DATE: UNSPECIFIED CHITESTER: That's interesting. Is it important, in the sense of joy that one achieves, that there is external recognition of excellence? HAYEK: Yes, although I don't think I was ever guided in the choice of the subjects I worked on by the aim at recognition. But when it comes it's very pleasant. But I would not have very much regretted having spent my life on something which I still thought was important but had not found recognition. I might have found it an inconvenience if it didn't bring an adequate income; but it would not have been a major obstacle to me if I was convinced something would ultimately be recognized as important, perhaps after my death.
ALCHIAN: Did your parents have wine every night at dinner?
HAYEK: No. So far as they drank anything, it was beer rather than wine. I am not particularly fond of the Viennese wines, although I discovered since-ALCHIAN: Green wines? HAYEK: Up on the Danube [River], slightly north of Vienna, they produce some very good ones. But the famous Vienna Grinzinger and so on, and Gumpoldskirchner, I didn't particularly care for. In general, till fairly recently, 392 my preference
Friedrich von Hayek and Armen Alchian Part I (U1008) - Full Video
Friedrich von Hayek and Armen Alchian Part II (U1012) - Full Video
肝心の1と2の間の動画がない
DVD版にはあるのか?
Friedrich von Hayek - The Complete 16-part Series
https://www.bonanza.com/listings/Friedrich-von-Hayek-The-Complete-16-part-Series/579907886
以下が公式DVDか
https://www.gettextbooks.jp/search/?isbn=Freidrich+A+Hayek
https://www.libertyfund.org/books/the-legacy-of-friedrich-von-hayek-dvd
The Legacy of Friedrich von Hayek (DVD)
F. A. Hayek
In celebration of the one hundredth anniversary of Friedrich von Hayek’s birth, Liberty Fund and the Committee on Social Thought at the University of Chicago present The Legacy of Friedrich von Hayek, a DVD series of seven lectures from outstanding scholars of Hayek’s work. The host and moderator for the lectures is the Chairman of the Committee on Social Thought, Professor Robert Pippin.
This 7-volume DVD set includes the following:
- Austrian and Neoclassical Economics
- Hayekian Socialism
- Hayek, Practitioner of Social Justice
- Hayek, Radical Reactionary
- Hayek’s Legacy
- Hayek and the Fate of Liberty in the Twentieth Century
- Morality and Community in the Extended Market Order
ただし、インタビューでは以下のような価格論はわからない
《直角三角形を用いた迂回生産の図解 ハイエクは『価格と生産』で、有名な直角三角形の説明を用いている。LSEの講義では、黒板は三角形で埋め尽くされたという。資本は本源的生産手段ではないが、限定をつけず生産要素というときには含まれる。…》
ケインズとハイエク ─貨幣と市場への問い 2017.3 松原隆一郎
https://www.amazon.co.jp/dp/B06WPBHFNN/
#2
ケインズ 『貨幣改革論 』 (一九二三 )
…
p= λ p *
…
pは自国通貨で表した国内物価水準 、 p *は外国通貨で表した外国の物価水準 、そして λは外国通貨の価値で測った自国通貨の価値 、すなわち外国為替レ ートである 。この説が意味するのは 、両国通貨の交換比率はそれぞれの通貨の購買力の比であり 、物財の貿易によって決まって 、金融取引の影響は無視しうるということである 。
…
ケインズは通貨改革について結論を引き出す 。ポイントは 、国内での貨幣数量説 (基本方程式 )と外国為替にかんする購買力平価説は両立しないことにある 。 λが所与であれば (固定相場であれば ) p *は外国で決まるので pも所与になり管理できなくなって 、二式は両立しないのだ 。それゆえ λを基本方程式が決める pの現行水準に近づける平価切り下げか 、 pをに合わせて下げるデフレ ーションの 、一方しか選ぶことができない 。ケインズは 『インドの通貨と金融 』で 、すでに国内物価と貿易収支がともに金の流出入によって調整されるというヒュ ームの金本位制支持説 (正金配分の自動調節理論 )について 、通貨の大半が銀行預金になっており 、しかも金ではなく資本が移動 (国際的な貸付 )しているため機能していないと評していた 。同書ではそれに加え 、国内物価の安定と為替レ ートの維持は同時には追求できないことを論証したのである 。
《われわれの置いた仮定の下で,消費財と中間生産物に対して均衡状態にある需要の最初の変化が永続するということ,そして,消費財の産出量が増加しすべての種類とすべての段階の財の総収益が大きく増加しているにもかかわらず,生産要素に対する総支出もしくは総費用が,消費財の販売から受け取られる総額によって埋め合わされるために,貨幣量が不変であるという事実が,このような生産の増加に対してなんら根本的な困難をもたらさないということを確認しておけば,われわれの現在の目的は達せられる。》(Hayek,1931,p.54)
Hayek,F.A.(1931),P77CeSa71dProductLOT7,NewYork,Kelley(谷口洋志訳『価格と生産』,『ハイエク全集1』春秋社,1988年所収).
つまり,人々の自発的な消費財需要の節約と貯蓄の増加は,新たな生産構造の確立と維持に寄与しており,ひとたび到達された新しい均衡は再び,人々の消費性向が変化しない限りは持続するのである。ハイエクによると,利子率の低下は,生産要素価格に影響を与え,その結果,生産者の行動にも影響を与えることになる。例えば,以前自ら生産していた生産物の部品を他企業から買い入れることになるだろう。低次財の需要減少によって解雇された労働者や他の生産資源は,このように新たに発生した需要に対応する生産部門で吸収されると考えた。自発的貯蓄の場合には,生産構造の変化に応じて労働者が段階を移動するのでごく短期間しか失業が発生しないのである。
『貨幣論 』における貨幣の循環
図 5について説明しよう 。上部にある Eは生産要素にとっての全収入であり 、 〈生産要素の所有者 〉が保有している 。これをケインズは 「社会の貨幣所得 」と呼ぶ 。 〈生産要素の所有者 〉は 、次の段階でこれを消費財の購入 E - Sか 、もしくは貯蓄 Sかに当てる 。この選択は 、 「貯蓄率 」に応じてなされる 。 〈生産要素の所有者 〉は 、さらに貯蓄で 「証券 」を買うか 「銀行預金 」とするかの選択を行う 。これはフロ ー次元の選択である 。ここにストックとしての 〈現在資本の所有者 〉が登場し 、 「証券 」か 「銀行預金 」かの選択を同様に行う 。
次に登場するのが 〈銀行 〉である 。銀行は預金を受け入れているが 、その一部で 「証券 」を購入している 。この 「証券 」は 「投資 ( I ) 」の別名である 。かくして 、 〈企業者 〉は二方向から貨幣を受け取る 。 「消費財 」の販売と 、 「証券 」の売却とによってである 。 〈企業者 〉は 、こうして受け取った貨幣をもって新たに一部で 「投資財生産 ( C * 4 ) 」を 、残りで 「消費財生産 ( R * 5 ) 」を行う 。この比率が 「新投資率 」である 。 〈企業者 〉にとっての貨幣の受け取りと支払いの差額が利潤になる 。
投資財の生産から支払われた所得 (生産費 )が I ' 、消費財の生産から支払われた所得が E - I 'であれば 、図の下部においても社会の貨幣所得は Eとなり 、上と下が同額になって循環が完成される 。
この図において重要なのは 、上から下へと貨幣の持ち手が移り 、貨幣が流れていくということである 。その流れは 、時間の進行を反映している 。この循環に登場する経済主体は 、生産要素の提供者すなわち 〈生産要素の所有者 〉 、以前から資本を保有していた 〈現在資本の所有者 〉 、そして 〈銀行 〉 、 〈企業者 〉である 。彼らが貨幣と生産要素 、銀行預金 、証券 、消費財そして投資財を逐次交換することにより 、経済を循環させている 。
利潤は集計されない
だがもしケインズが基本方程式で言いたいことがこの図の通りなら 、疑問があるとハイエクは言う 。第一に 、この図には利潤や投資財 、消費財が集計量として出てきているが 、ハイエクの見方では先に述べた 「利潤 」は個別企業が得ようとしたものであり 、そのために企業は生産規模を拡大したり縮小したりという判断を行っている 。それならば 「 (ケインズが述べるようには ) 『総利潤 』が現在の受け取りと現在の支払いの差額の効果として生じる必然性は決してない 」 ( Ⅲ ) 。
ハイエクにとっては「貯蓄を伴わない投資」が問題だったが、ケインズにとっては「投資を伴わない貯蓄」が問題だったのだ、とスキデルスキーは評している。ただ、両者とも「貯蓄」と「投資」の定義が曖昧だったため、メッセージがうまく伝わらなかった、ともスキデルスキーは指摘している。
Q7 https://youtu.be/E55NlLaT71k Axel
37:20 UCLA 1983
HAYEK: Yes, but my approach is so completely different. Yes, in a sense, the problem is the same, but I no longer believe that that sort of division is of any practical possibility. But in a way I played with constitutional reform at the beginning and the end of my career.
57:12 another footage
後半までテキスト通りにいかない
Friedrich von Hayek and Leo Rosten Part I (U1003) - Full Video
1:27 UCLA1983 p.71
HAYEK: You could describe it as Fabian. Well, there were, in fact, Fabians in Austria, too, but I didn't know them. The influence which led me to economics was really Walter Rathenau's conception of a grand economy. He had himself been the raw materials dictator in Germany, and he wrote some very persuasive books about the reconstruction after the war. And [those books] are, of course, socialist of a sort--central planning, at least, but not a proletarian socialism. They were very persuasive, indeed. And I found that really to understand this I had to study economics. The first two books of economics [I encountered], which I read while I was fighting in Italy, were so bad that I'm surprised they didn't put me permanently off economics; but when I got back to Vienna somebody put me on to Karl Menger and that caught me definitely.
☆
Nobel prize-winning economist : oral history transcript 1983
https://archive.org/details/nobelprizewinnin00haye
Friedrich von Hayek and Robert Chitester Part I (U1011) - Full Video ☆p.430~
TAPE: CHITESTER I, SIDE ONE TAPE DATE: UNSPECIFIED
CHITESTER: I'd like to start talking about something that—In the United States right now, there's a fad, and you may or may not be aware of it. Everybody's running. They're all out running marathons. The New York marathon a week ago had 11,000 people in that run. They go out and brutally throw themselves through twenty-six miles of activity. Do you have any reactions to those kinds of things in society? Why are people all over the United States running? Do you have a perception on that?
HAYEK: Oh, I can see [why], in general. I mean, it was conspicuous that the Americans did no longer walk. My wife used to say that they would soon lose the capacity to walk. I think some doctor discovered this, but why things spread like this, again, is a typical American thing. It's not only difficult to generalize about the Americans in space, but it's equally difficult to generalize about them in time. Every time we have come to the States, it has changed.
CHITESTER: Is that unique in the world?
HAYEK: I think it's unique among grown-up people. It's very common with the young. When I lecture to the revolutionary young people, I say the reason I have no respect for your opinions is because every two years you have 430 different opinions. And I think that is true to some extent of the Americans. This is, in a sense, a virtue. You change your opinions very rapidly; so if you adopt something very absurd one time, there's a good chance you will have forgotten about it next year. CHITESTER: Do you think that the running is
世界恐慌を予言した人たち~金融緩和がはらむ反動リスク|日経BizGate
2018/9/18
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO3466714028082018000000
世界恐慌に早くから警鐘を鳴らした「オーストリア学派」
ハイエクの先生であるルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは早くも1924年の段階で、オーストリアの大銀行が経済危機で破綻することを予見します。毎週水曜日の午後、教え子とウィーンの街を散策し、大手銀行クレジット・アンシュタルトの前を通り過ぎるたび、「そのうちにひどい破滅がやってくる」と話しました。ミーゼスは1928年に公表した論文でも「経済危機が遅かれ早かれやって来るのは明らかである」と述べます。
1929年の夏、ミーゼスはクレジット・アンシュタルトから高い地位を提供したいと打診されますが、断ります。理由を尋ねる妻にミーゼスはこう答えました。「破滅の時は近い。どんな形であれ私の名前が破局と関連づけられることを望まない」(ラース・トゥヴェーデ『信用恐慌の謎』)。
事実、同年秋のニューヨーク株暴落の影響が海外に波及した結果、クレジット・アンシュタルトはミーゼスの予言どおり、1931年に倒産します。オーストリアの金融不安はただちに隣国ドイツに飛び火し、多くの銀行が取り付け騒ぎに見舞われました。
ハイエクと同じくミーゼスの弟子だったフェリックス・ソマリーも、経済危機に警鐘を鳴らしました。スイスのチューリヒで投資銀行家になったソマリーは1926年9月10日、ウィーンで講演をします。当時景気は絶好調でしたが、ソマリーは好景気が銀行の崩壊を伴って収束を迎えるだろうと予測し、的中させます。
以上のようなオーストリア学派の警告はその後、経済学会の中でも評価されます。米国がすでに恐慌に突入した1932年、シカゴ大学で開いた会議で、ある経済学者はオーストリア学派が1920年代に発した警告の正しさを認め、「信用拡大がなければ物価は下落していただろうし、そうするべきだった」と述べます。今でいえば、デフレとの戦いがバブルとその崩壊という大きな副作用をもたらしたからです。
オーストリア学派の特徴は、現代の経済政策では当然とみなされている、中央銀行による通貨供給量の増大(金融緩和)を厳しく戒め、中止を求めるところにあります。
たしかにお金の供給量が減少すると景気が悪化し、経済活動は停滞します。国民や政府が中央銀行に金融緩和というカンフル剤を求めるのも無理はないように思えるかもしれません。けれどもオーストリア学派によれば、そうした政策は問題を先送りするだけで、経済が正常な状態に戻るのをかえって妨げてしまいます。
オーストリア学派の影響を受けた英経済学者ライオネル・ロビンズは、世界恐慌さなかの1934年に出版した著作で「倒産と資産売却を先延ばしにする方法は、状況をさらに悪くするだけである」と述べます。
短期の痛み先延ばしこそ経済に深刻な混乱をもたらす
市場経済はよく、短期の損得しか考慮しないと非難されます。けれども実際にはロビンズが言うように、短期の痛みを先延ばししようとする政府の対症療法こそ、信用バブルという副作用をもたらし、経済に深刻な混乱をもたらしかねません。利上げは短期では株価下落や景気悪化を招いても、長期では経済の持続的な成長に導きます。本当のリスクは利上げではなく、それまでの金融緩和にあります。
FRBは6月13日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で、3カ月ぶりの利上げを決めました。記者会見したパウエルFRB議長は、信用バブルが起きていないかとの問いに対し「家計に過剰な信用の増加は起きていないし、銀行資本はかなり高まっている」と否定的な見方を示しました。
パウエル議長の言葉とは裏腹に、FRBがこれまで行った大規模なマネー注入は信用バブルをすでに引き起こしている恐れがあります。それでも利上げそのものは、これ以上の副作用を食い止めようとする姿勢として評価できます。欧州中央銀行も年内に量的緩和を終了させる方針を表明しています。
一方、日本銀行は対象的に、7月31日の金融政策決定会合で、長期金利の上限を0.2%程度まで容認するなど低金利の副作用に配慮した微修正を加えながらも、2013年4月から続ける従来の異次元緩和を維持する方針を決めました。
金融緩和が長期にわたるほど、反動のリスクは大きくなります。「インフレ景気を維持することは不可能」というハイエクの警告をかみしめ、金融緩和頼みからの脱却を真剣に考えるときでしょう。
(木村貴)
ハイエクvsケインズ:スキデルスキーのまとめ
今日は再びソロスの新経済理論研究所(Institute for New Economic Thinking)の今年4月のカンファレンスに舞い戻り、その中のスキデルスキーの論文においてまとめられたハイエク対ケインズの主張の違いを紹介してみる(H/T VOX Watcherさん)。
●大恐慌の前に問題点をそれぞれ予言
ハイエクにとっては「貯蓄を伴わない投資」が問題だったが、ケインズにとっては「投資を伴わない貯蓄」が問題だったのだ、とスキデルスキーは評している。ただ、両者とも「貯蓄」と「投資」の定義が曖昧だったため、メッセージがうまく伝わらなかった、ともスキデルスキーは指摘している。
●大恐慌の分析
- ハイエク
- 貯蓄に支えられていない投資が問題なのだから、政府が資金を経済に流し込むのは逆効果。人々がもっと貯蓄するのが解決策。
- ケインズ
- 1927-8年の物価指数の安定が「利益のインフレ」を覆い隠していたことを認めると同時に、不動産や株式への投機が、企業の貯蓄に比べた投資不足の傾向を隠していたと主張。1929年までに米国企業が建て替えの必要の無い工場のために引き当てた準備金の蓄積は非常に巨額だったので、それだけで不況を引き起こすのに十分だった、と指摘。一旦金融市場が崩壊してしまうと、「心理的」貧困が人々の心に忍び込み、支出を止めさせてしまう、と説明。
自然治癒に任せるというハイエクの処方箋のアキレス腱は、政治的に受け入れ難かったことだ、とスキデルスキーは指摘している。
また、ピエロ・スラッファは、信用創造に支えられた生産と、自発的貯蓄に支えられた生産をハイエクのように区別することの愚かさを指摘した、という。というのは、信用が一旦創造されてしまえば、それを受け取った側での自発的貯蓄が可能になるからである。
さらにケインズは、ハイエクとケインズ自身の理論は異なる分野を扱っている、と指摘した。ハイエクの理論は「自然」利子率の変動を扱った動的均衡理論であるのに対し、ケインズの理論は市場利子率が「自然」率から乖離する状況を扱う不均衡理論である、というわけだ。
ハイエクの理論は、いわば今日のリアル・ビジネス・サイクル理論の先駆けだった、とスキデルスキーは評している。一方、ケインズは、「自然利子率」を、有効需要と唯一の完全雇用均衡と「不完全雇用均衡」の可能性、という組み合わせに置き換えることにより、理論を論争の泥沼から脱出させた、とスキデルスキーは指摘している。
●スキデルスキーによる今回の大不況への両者の見解の当てはめ
- ケインズ的見方
- 「投資を伴わない貯蓄」を問題視する「saving glut」解釈。即ち、東アジア諸国が貯蓄を積み上げたのに対し、それに見合うだけの「真の」投資が実は無かった。
- Interpreting the Great Depression: Hayek versus Keynes APR 2010
- PAPER BY Robert Skidelsky Emeritus Professor of Political Economy, Warwick University
- https://www.ineteconomics.org/research/research-papers/interpreting-the-great-depression-hayek-versus-keynes
- https://www.ineteconomics.org/uploads/papers/INET-C@K-Paper-Dinner-1-Skidelsky.pdf
- HISTORY | FINANCE | MACROECONOMICS DOWNLOAD PAPER This is not intended to be a purely historical paper. I am interested in the light the Keynesian and Hayekian interpretations of the Great Depression throw on the causes of the Great Recession of 2007-9 and in the policy relevance of the two positions to the management of today’s globalizing economy. In my recent book, Keynes-The Return of the Master, I committed myself to the view that the present crisis was at root not a failure of character or competence but a failure of ideas, and quoted Keynes to the effect that ‘the ideas of economists and political philosophers, both when they are right and when they are wrong, are more powerful than is commonly supposed. Indeed, the world is ruled by little else’. So any enquiry into policy failures –assuming that these were at least partly responsible for the two crisis –inevitably turns into an enquiry into the ideas in the policy-makers’ minds, which are in turn, at least partly, the product of the economic models in the economists’ heads. CONFERENCE
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- ハイエクと大恐慌 江頭進
われわれの置いた仮定の下で,消費財と中間生産物に対して均衡状態にある需要の最初の変化が永続するということ,そして,消費財の産出量が増加しすべての種類とすべての段階の財の総収益が大きく増加しているにもかかわらず,生産要素に対する総支出もしくは総費用が,消費財の販売から受け取られる総額によって埋め合わされるために,貨幣量が不変であるという事実が,このような生産の増加に対してなんら根本的な困難をもたらさないということを確認しておけば,われわれの現在の目的は達せられる。(Hayek,1931,p.54)
Hayek,F.A.(1931),P77CeSa71dProductLOT7,NewYork,Kelley(谷口洋志訳『価格と生産』,『ハイエク全集1』春秋社,1988年所収).
つまり,人々の自発的な消費財需要の節約と貯蓄の増加は,新たな生産構造の確立と維持に寄与しており,ひとたび到達された新しい均衡は再び,人々の消費性向が変化しない限りは持続するのである。ハイエクによると,利子率の低下は,生産要素価格に影響を与え,その結果,生産者の行動にも影響を与えることになる。例えば,以前自ら生産していた生産物の部品を他企業から買い入れることになるだろう。低次財の需要減少によって解雇された労働者や他の生産資源は,このように新たに発生した需要に対応する生産部門で吸収されると考えた。自発的貯蓄の場合には,生産構造の変化に応じて労働者が段階を移動するのでごく短期間しか失業が発生しないのである。
875 a[] 2019/04/25(木) 20:50:25.70 ID:uwvAdiDF
返信削除『ハイエク、ハイエクを語る』2000(Hayek on Hayek 1994)は8つのインタビューを再構成している。
Q6インタビュー(1978)を動画で確認できた。
Friedrich von Hayek and Jack High
1978年 59分
https://youtu.be/8K4nA2LfMY4
0:42 家系『ハイエク、ハイエクを語る』18頁、 原書Hayek on Hayek p.40
2:43 軍隊経験 16頁 p.38
https://youtu.be/8K4nA2LfMY4?t=13m10s
13:10 Keynes 184頁 p.126
17:13 Hicks 86頁 p.76
https://youtu.be/8K4nA2LfMY4?t=18m48s
18:48 景気循環 187頁 p.128
25:34 一般均衡理論 general-equilibrium analysis 191頁 p.130
https://youtu.be/8K4nA2LfMY4?t=29m38s
29:38 game theory 193頁 p.132
https://youtu.be/8K4nA2LfMY4?t=30m13s
30:13 Bohm-Bawerk 181頁 p.125
Hayek on Hayek
原書pdf
https://dl.epdf.tips/download/hayek-on-hayek-an-autobiographical-dialogue.html?hash=23cf98c8fe743ffe6a2f9c5a35683467&captcha=d5d608b2e6211d7b24868998ea08bac2
Title:
返信削除Nobel prize-winning economist : oral history transcript
Nobel prize winning economist
Creator/Contributor:
Hayek, Friedrich A. von (Friedrich August), 1899-1992, creator
Creator/Contributor:
Craver, Earlene.
Creator/Contributor:
Pacific Academy of Advanced Studies
Creator/Contributor:
University of California, Los Angeles, Oral History Program.
Abstract:
Hayek discusses with Craver and eight other interviewers his early years and education in Austria; his studies in law, economics, psychology, and political science; teaching at the London School of Economics; and his many publications, including The road to serfdom.
Date:
c1983 (issued)
Subject:
Hayek, Friedrich A. von (Friedrich August) -- 1899-1992
Hayek, Friedrich A. von (Friedrich August) -- 1899-1992
Keynes, John Maynard -- 1883-1946
Von Mises, Ludwig -- 1881-1973
London School of Economics and Political Science.
Economists -- Interviews
Austrian school of economics
Economic policy
Rule of law
Note:
Friedrich A. von Hayek ; interviewed by Earlene Craver, [and others], [1978].
Transcript of a 15.25-hour interview completed under the auspices of the UCLA Oral History Program and the Pacific Academy of Advanced Studies.
Audiotape and videotape recordings also may be accessed in the UCLA Dept. of Special Collections by special arrangement.
Duplicate transcript.
Original and related material in the University of California, Los Angeles, University Library, Dept. of Special Collections, University Research Library, Los Angeles, CA 90024-1575.
Quotation, publication, or reproduction permitted, subject to University policy. User must acknowledge the UCLA Dept. of Special Collections.
Political economist, educator, and lecturer.
Volume includes indexes.
Forms part of: Oral History collection, Dept. of Special Collections, University Library, University of California, Los Angeles.
Type:
Oral histories.
Physical Description:
xv, 501 leaves : port. ; 28 cm.
Language:
English
Identifier:
BANC MSS 84/58 c
Publisher:
California unknown place Los Angeles] : Oral History Program, University of California, Los Angeles
Copyright Note:
Quotation, publication, or reproduction permitted, subject to University policy. User must acknowledge the UCLA Dept. of Special Collections.
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Call Number: BANC MSS 84/58 c
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新自由主義とは何か あすを語る
返信削除著者名等
F.A.ハイエク/〔著〕 ≪再検索≫
著者名等
西山千明/編 ≪再検索≫
出版者
東京新聞出版局
出版年
1977.9
大きさ等
19cm 306p
NDC分類
331.72
件名
経済学 ≪再検索≫
件名
自由 ≪再検索≫
内容
F.A.ハイエク参考文献:p306
書誌番号
3-0190015172
https://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Resume%20on%20Hayek%20life%20and%20work.pdf
返信削除フリードリッヒ・A・ハイエク 社会の自生的秩序化作用の利用 Friedrich A. Hayek 1899~1992 大田一廣/鈴木信雄/高哲男/八木紀一郎編『経済思想史 社会認識の諸類型(改定増補版)』名古屋大学出版会2006(1999年の原稿を若干修正した)所収 橋本努 生涯と著作 一九世紀後半から二〇世紀にかけて、経済思想の中心問題は、資本主義と社会主義のどちらが優れた体制であるかを決着することにあった。社会主義に負荷的な経済学は、他ならぬマルクスによって体系的に構築された。これに対して、資本主義を擁護しつつ社会主義に対抗する学問体系は、ハイエクによって野心的に探究された。二〇世紀の経済思想にハイエクが中心的な位置を占めることは争われないだろう。ハイエクは、法学・政治学・経済学・心理学・方法論・哲学などの諸学を総合し、自由主義を中心に据えた壮大な思想体系を築いたのである。 ハイエクは、オーストリアの首都ヴィーンに生まれた。家系には学者が多く、父、弟、息子、娘はすべて自然科学系の学者である。また著名な哲学者ウィトゲンシュタインは従兄にあたる。ウィーン大学の学生であった頃のハイエクは、フェビアン主義という一種の社会主義に共感し、主に法学を学びつつも、オーストリア学派の経済学者F・ヴィーザーの下で経済学を研究した。しかしアカデミックな学問よりも社会的・実践的な関心をもったハイエクは、将来は外交官になるつもりであった。ところが、オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊(一九一八年)によって進路変更を余儀なくされる。そこで学者を目指すべく、二一年に法学博士、二三年に政治学博士を取得する。またこの時期に、E・マッハやM・シュリック(ヴィーン学団)の科学哲学などに関心をもったり、心理学に関する論文も書いている。ハイエクは将来、心理学と経済学のどちらの道を進むか迷ったというが、この心理学の論文は、約三〇年して、『感覚秩序――理論心理学の基礎研究』(五二年)に結実している。また学生の頃から、ハイエクはつとめて学際的な研究を心掛け、社会学者のA・シュッツなどとともに「ガイストクライス」という自主ゼミを開いたりしている。 一九二二年、L・ミーゼスの『共同経済』が出版されると、ハイエクはこれを読んで衝撃を受け、フェビアン主義から自由主義に転向する。以来、ミーゼスの下で経済学(とりわけ景気循環論)を研究し、二七年にはミーゼスの取り計らいもあって、新しく設立されたオーストリア景気研究所の初代所長に就任する。この研究所は、当初、わずか三人で出発したが、後にヨーロッパにおける中心的な景気循環研究所となっている。ハイエクは、景気循環研究所の運営を続けるかたわら、ミーゼスの景気循環論を発展させて処女作『貨幣理論と景気循環論』(一九二九年)を刊行、また同年二月、景気循環研究所の月例報告の中で、自らの景気循環理論にもとづいてアメリカに恐慌が差し迫っていると予測した。これがみごと的中し、ハイエクの理論は世界的に注目されることとなった。 三一年には、L・ロビンズの招きでロンドン大学(LSE)の非常勤講師(常勤は三二年から四九年まで)となり、また、同年末に『価格と生産』を出版する。英語で書かれたこの著作は、前年に出版されたケインズの『貨幣論』とともに大きな反響を呼び、当時の
https://barrel.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=752&item
返信削除_no=1&attribute_id=19&file_no=1&page_id=13&block_id=135
ハイエクと大恐慌一理論と観察の狭間で-江頭進1.序理論と観察された現象の間のギャップをどのように埋めるのか,ということについて経済学者ほど困難な状況に置かれる人々は他にいないであろう。理論の説明力には必然的に限界があり,現象の観察能力はその手段に制限される。自らの理論と観察された現象が整合的でないとき,どちらを放棄すべきかということについて実際にはっきりとした態度を採りうる経済学者は少ないのではないだろうか。本稿は,F.A.ハイエクが大恐慌をどのように捉えていたか,というテーマを取り上げたものである。今世紀前半の経済学における最大の事件は,いうまでもなく世界恐慌とケインズの『一般理論』出版である。1929年のウォール街での株価暴落に象徴される世界恐慌は,多くの経済学者の人生をも変えた。さらに『一般理論』の登場は,従来の理論に無力感を感じていた若い世代の経済学者の方向を決定づけた。また,既にその地位を確立していた人々の中にも様々な形での対応を迫った。自らの理論を一変させなければならなかったフィッシャー,古典的な経済学からケインズ経済学の信奉者に「転向」したハンセンなどはその典型である。だが,中には自らの経済学の正当性を信じ続けた経済学者たちもいた。ハイエクもその一人である。ヒックスは,1930年代を通ずる経済分析の歴史の決定版が書かれることになった場合,このドラマ(これは-82-まさに一つのドラマであった)の主役の一人はハイエク教授になることであろう。-・ハイエクの新理論がケインズの新理論の第一の好敵手であった時期があったことはほとんど忘れられている(Hicks,1967;邦訳281頁)と書いた。しかしながら,ハイエク理論はケインズ理論に一掃された。だが,ハイエクは晩年まで自らの理論の正当性を信じていると思われる発言を繰り返している。ハイエクの『価格と生産』の元となったLSEでの連続講義が行われたのは,1931年2月のことである。ハイエクが経済理論家であったことに比べて,彼が実証家でもあったことはあまり知られていない。ハイエクの分析の主な対象はアメリカであった。ハイエクが,大恐慌をどう捉えていたかということについては研究者の間でも意見の分かれるところである。ハイエクは,大恐慌を予測していたとする説(Skousen,1991;1994;Laidler,1994),ハイエクは基本的なところで事実を捉え損なっているという主張,ハイエク理論は大恐慌の説明ではなく彼の自由主義的信条を支持するためのものだったする説(Seccareccia,1994)など様々である。本稿では,基本的にはハイエクの現状認識は当時としてはそれほど大きく誤ったものではないが,彼の理論ではそれがまったく反映されなかったという立場を採る。しかし,本稿は,彼の理論や観察の正否を検証することを目的としたものではない。むしろ,ハイエクの理論と観
Skousen,A/i(1991),Eco770mLCSO77Truzl,IlllnOIS,DowJones-Irwin(原田和明・野田麻理子訳『経済学改造講座』日本経済新聞社,1991年).Skousen,M.(1991),``TheGreatDepresslOn''lnBoeトteke,P.J.ed.,77LeEdgarCclmPn70花tOA7JSt77a71Eco7乙Om?CS,Vermont,EdwardElgar.Trautweln,H.(1994),"Hayek'sDoubleFallurelnBus1-nessCycleTheory・ANote''lnColonna,M.andHagemann,H.eds.,Morzeya77dBJl/SL′7~eSSCycle,Vermont
返信削除Vol.19-12,1991年).HICks,J.R.(1967),"HayekStory"lnC77tLC(1,I,EssaysL77/Mo77eFa77jTJ~eo77J,oxford,oxfordUnlVerSltyPress(江沢太一・鬼木南訳「ハイエク理論の再検討」,『貨幣理論』東洋経済新報社1973年所収).Laldler,D.(1994),"HayekonNeutl-alMoneyandtheCycle''inColonna,M.andHagemann,H.eds.,Mo7そeyCl/7LdB,LLS,l,rteSSCL/Cle,Vermont,EdwardElgar.Lawson,T.(1994)∴`R
返信削除経済学改造講座―正統派への「有罪」宣告 単行本 – 1991/12
返信削除マーク スコーセン (著), 原田 和明 (翻訳), 野田 麻里子 (翻訳)
5つ星のうち 4.0 1 件のカスタマーレビュー
Amazon カスタマー
5つ星のうち4.0不完全な訳書 - 原著の第18~21章が削除されています
2016年9月2日
形式: 単行本
この訳はオーストリア学派を主流派経済学と比較し、前者のもつ長所を解説した原書の第18~21章を削除しており、
原著者スコーセンの意図を無視した不完全な訳書である.
マレー・N・ロスバード著 吉田靖彦訳『人間、経済及び、国家 オーストリア学派自由市場経済学原理』下巻
(青山社、2001年)、853頁より
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貨幣理論 (1972年) - – 古書, 1972
返信削除J. ヒックス (著), 江沢 太一 (翻訳), 鬼木 甫 (翻訳)
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MISeS,L.(1949),Hum(mAct,Lm?,NewYork,YaleUnlV.Press(村田稔雄訳『ヒューマン・アクション』,春秋社,1991年).Seccareccla,NL(1994),"CredltMoneyandCycllCalCrlSeS:tlleVleWSOfHayekandFISherCompar-ed''1nColonna,M.andHagemann,H.edsHMo77eyClJ~CIB,LLS,L71LeSSC.ljCle,Vermont,EdwardElgar.
返信削除われわれの置いた仮定の下で,消費財と中間生産物に対して均衡状態にある需要の最初の変化が永続するということ,そして,消費財の産出量が増加しすべての種類とすべての段階の財の総収益が大きく増加しているにもかかわらず,生産要素に対する総支出もしくは総費用が,消費財の販売から受け取られる総額によって埋め合わされるために,貨幣量が不変であるという事実が,このような生産の増加に対してなんら根本的な困難をもたらさないということを確認しておけば,われわれの現在の目的は達せられる。(Hayek,1931,p.54)
返信削除Hayek,F.A.(1931),P77CeSa71dProductLOT7,NewYork,Kelley(谷口洋志訳『価格と生産』,『ハイエク全集1』春秋社,1988年所収).
つまり,人々の自発的な消費財需要の節約と貯蓄の増加は,新たな生産構造の確立と維持に寄与しており,ひとたび到達された新しい均衡は再び,人々の消費性向が変化しない限りは持続するのである。ハイエクによると,利子率の低下は,生産要素価格に影響を与え,その結果,生産者の行動にも影響を与えることになる。例えば,以前自ら生産していた生産物の部品を他企業から買い入れることになるだろう。低次財の需要減少によって解雇された労働者や他の生産資源は,このように新たに発生した需要に対応する生産部門で吸収されると考えた。自発的貯蓄の場合には,生産構造の変化に応じて労働者が段階を移動するのでごく短期間しか失業が発生しないのである。
ハイエク:ファビアンと言ってもいいでしょう。実はオーストリアにもファビアンズがいたのですが知りませんでした。私を経済学に導いた影響は、ウォルター・ラセナウの壮大な経済の概念でした。彼自身がドイツの原料独裁者であり、戦後の復興について非常に説得力のある本を書いた。そして[それらの本]は、もちろん、ある種の社会主義者であり、少なくとも中央計画主義者ではあるが、プロレタリア社会主義者ではない。とても説得力がありました。これを理解するには経済学を勉強しなければなりませんでした。最初の二冊の経済学の本[私が出会ったのは]は、イタリアで戦っているときに読んだのですが、あまりにひどかったので、いつまでも経済学をやめさせてくれなかったことに驚いています。;でも、ウィーンに戻ってみると、誰かがカール・メンガーのところに連れて行ってくれて、間違いなく気がつきました。
返信削除☆
ノーベル賞経済学者口伝1983
https://archive.org/details/nobelprizewinnin00haye
Friedrich von Hayek and Robert Chitester Part I(U1011)-フルビデオ☆p.。430潤オ
テープ:CHITESTER I、SIDE ONE TAPE DATE:UNSPECIFIED
返信削除CHITESTER:私は何かについて話し始めたいと思います-アメリカでは今、流行があり、あなたはそれを知っているかもしれないし、知らないかもしれません。みんな走っています。マラソンはすべて満員です。一週間前のニューヨークマラソンでは11,000人が走りました。彼らは外に出て、残忍にも26マイルの活動を通します。そういうことに対して、社会の中で何か反応はありますか?なぜアメリカ中の人が走っているのですか?それについての認識はありますか?
HAYEK:おお、一般的に[なぜ]を見ることができる。アメリカ人がもう歩かなくなったのは明らかでした。妻は、すぐに歩けなくなると言っていました。何人かの医者がこれを発見したと思いますがなぜこのように広まったのかは典型的なアメリカのことです。宇宙にいるアメリカ人について一般化するのは難しいだけでなく、それを時間内に一般化するのも同様に難しい。アメリカに来るたびに、それは変わりました。
CHITESTER:それは世界でユニークですか?
ヘイ:大人の間では珍しいと思います。若い人にはよくあることです。革命的な若者たちに講演するとき、私があなたの意見を尊重しない理由は、あなたが二年間に430の異なる意見を持っているからだと言います。そして、それはある程度アメリカ人に当てはまると思います。これはある意味で美徳である。あなたは、とても迅速に意見を変えます;だから、とてつもなくばかげたことを一度でもやったら、来年はそのことを忘れている可能性が高い。CHITESTER:ランニングは
37:20 UCLA 1983
返信削除HAYEK: Yes, but my approach is so completely different. Yes, in a sense, the problem is the same, but I no longer believe that that sort of division is of any practical possibility. But in a way I played with constitutional reform at the beginning and the end of my career.
57:12 another footage
後半までテキスト通りにいかない
Friedrich von Hayek and Leo Rosten Part I (U1003) - Full Video
https://youtu.be/34Bre91Ey3Q
1:27 UCLA1983 p.71
HAYEK: You could describe it as Fabian. Well, there were, in fact, Fabians in Austria, too, but I didn't know them. The influence which led me to economics was really Walter Rathenau's conception of a grand economy. He had himself been the raw materials dictator in Germany, and he wrote some very persuasive books about the reconstruction after the war. And [those books] are, of course, socialist of a sort--central planning, at least, but not a proletarian socialism. They were very persuasive, indeed. And I found that really to understand this I had to study economics. The first two books of economics [I encountered], which I read while I was fighting in Italy, were so bad that I'm surprised they didn't put me permanently off economics; but when I got back to Vienna somebody put me on to Karl Menger and that caught me definitely.
☆
Nobel prize-winning economist : oral history transcript 1983
https://archive.org/details/nobelprizewinnin00haye
Friedrich von Hayek and Robert Chitester Part I (U1011) - Full Video ☆p.430~
https://youtu.be/YEgiIsyuxWo
TAPE: CHITESTER I, SIDE ONE TAPE DATE: UNSPECIFIED
CHITESTER: I'd like to start talking about something that—In the United States right now, there's a fad, and you may or may not be aware of it. Everybody's running. They're all out running marathons. The New York marathon a week ago had 11,000 people in that run. They go out and brutally throw themselves through twenty-six miles of activity. Do you have any reactions to those kinds of things in society? Why are people all over the United States running? Do you have a perception on that?
HAYEK: Oh, I can see [why], in general. I mean, it was conspicuous that the Americans did no longer walk. My wife used to say that they would soon lose the capacity to walk. I think some doctor discovered this, but why things spread like this, again, is a typical American thing. It's not only difficult to generalize about the Americans in space, but it's equally difficult to generalize about them in time. Every time we have come to the States, it has changed.
CHITESTER: Is that unique in the world?
HAYEK: I think it's unique among grown-up people. It's very common with the young. When I lecture to the revolutionary young people, I say the reason I have no respect for your opinions is because every two years you have 430 different opinions. And I think that is true to some extent of the Americans. This is, in a sense, a virtue. You change your opinions very rapidly; so if you adopt something very absurd one time, there's a good chance you will have forgotten about it next year. CHITESTER: Do you think that the running is
37:20 UCLA 1983
返信削除HAYEK:はい、でも私のやり方はまったく違います。はい、ある意味では問題は同じですが、その種の分割が実際的な可能性を秘めているとは私は考えません。しかしある意味で私は私のキャリアの初めと終わりに憲法改革をしました。
57:12別の映像
後半までテキスト通りにいない
フリードリヒ・フォン・ハイエクとレオ・ロステンパート1(U1003) - フルビデオ
https://youtu.be/34Bre91Ey3Q
1:27 UCLA1983 p.71
HAYEK:それをファビアンと表現することもできます。実のところ、オーストリアにもファビア人がいましたが、私はそれらを知りませんでした。私を経済学に導いた影響は、本当にWalter Rathenauの壮大な経済という概念でした。彼は彼自身がドイツの原料独裁者であり、そして戦後の復興について説得力のある本をいくつか書いた。そして、[これらの本]は、もちろん、一種の中心主義の社会主義者であり、少なくともプロレタリア社会主義ではない。彼らは実に説得力がありました。そして私は本当にこれを理解するために私は経済学を勉強しなければならなかったことがわかりました。私がイタリアで戦っていたときに読んだ最初の2冊の経済学の本[私が出会った]は非常に悪かったので、彼らが私を永久に経済学から遠ざけなかったのは驚きです。しかし、私がウィーンに戻ったとき、誰かが私をカール・メンガーに連れて行ってくれました。
☆
ノーベル賞を受賞した経済学者:口述記録簿1983
https://archive.org/details/nobelprizewinnin00haye
フリードリヒ・フォン・ハイエクとロバート・チテスターパートI(U1011) - フルビデオ☆p.430〜
https://youtu.be/YEgiIsyuxWo
テープ:CHITESTER I、片側のテープ日付:未指定
チーター:私は何かについて話を始めたいのです。今アメリカでは、流行があります、そしてあなたはそれに気付いているかもしれません。みんな走っている。彼らは皆、マラソンを実行しています。 1週間前のニューヨークマラソンでは、11,000人が参加しました。彼らは出かけて、残酷に26マイルの活動に身を投げました。あなたは社会のそのようなことに対して何か反応がありますか?なぜアメリカ中の人々が走っているのですか?あなたはそれについて認識がありますか?
HAYEK:ああ、私は一般的に見ることができます。つまり、アメリカ人がもう歩いていないことが目立ったのです。私の妻は、彼らはすぐに歩く能力を失うだろうと言っていました。私は何人かの医者がこれを発見したと思うが、なぜ物事がこのように広がるのか、これもまたアメリカの典型的なものである。アメリカ人を宇宙で一般化するのは難しいだけでなく、アメリカ人を時間内に一般化するのも同様に困難です。私たちがアメリカに来るたびに、それは変わりました。
チーター:それは世界でユニークなものですか?
HAYEK:私はそれが大人の間でユニークだと思います。それは若者と非常に一般的です。私が革命的な若者たちに講演するとき、私はあなたの意見を尊重しないのは、2年ごとに430の意見があるからです。そしてそれはある程度アメリカ人にも当てはまると思います。これはある意味では美徳です。あなたはあなたの意見を非常に急速に変えます。ですから、あなたが一度非常にばかげたことを採用するならば、あなたが来年それを忘れている可能性があります。 CHITESTER:ランニングは
Blogger yoji said...
返信削除https://barrel.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=752&item
_no=1&attribute_id=19&file_no=1&page_id=13&block_id=135
ハイエクと大恐慌一理論と観察の狭間で-江頭進1.序理論と観察された現象の間のギャップをどのように埋めるのか,ということについて経済学者ほど困難な状況に置かれる人々は他にいないであろう。理論の説明力には必然的に限界があり,現象の観察能力はその手段に制限される。自らの理論と観察された現象が整合的でないとき,どちらを放棄すべきかということについて実際にはっきりとした態度を採りうる経済学者は少ないのではないだろうか。本稿は,F.A.ハイエクが大恐慌をどのように捉えていたか,というテーマを取り上げたものである。今世紀前半の経済学における最大の事件は,いうまでもなく世界恐慌とケインズの『一般理論』出版である。1929年のウォール街での株価暴落に象徴される世界恐慌は,多くの経済学者の人生をも変えた。さらに『一般理論』の登場は,従来の理論に無力感を感じていた若い世代の経済学者の方向を決定づけた。また,既にその地位を確立していた人々の中にも様々な形での対応を迫った。自らの理論を一変させなければならなかったフィッシャー,古典的な経済学からケインズ経済学の信奉者に「転向」したハンセンなどはその典型である。だが,中には自らの経済学の正当性を信じ続けた経済学者たちもいた。ハイエクもその一人である。ヒックスは,1930年代を通ずる経済分析の歴史の決定版が書かれることになった場合,このドラマ(これは-82-まさに一つのドラマであった)の主役の一人はハイエク教授になることであろう。-・ハイエクの新理論がケインズの新理論の第一の好敵手であった時期があったことはほとんど忘れられている(Hicks,1967;邦訳281頁)と書いた。しかしながら,ハイエク理論はケインズ理論に一掃された。だが,ハイエクは晩年まで自らの理論の正当性を信じていると思われる発言を繰り返している。ハイエクの『価格と生産』の元となったLSEでの連続講義が行われたのは,1931年2月のことである。ハイエクが経済理論家であったことに比べて,彼が実証家でもあったことはあまり知られていない。ハイエクの分析の主な対象はアメリカであった。ハイエクが,大恐慌をどう捉えていたかということについては研究者の間でも意見の分かれるところである。ハイエクは,大恐慌を予測していたとする説(Skousen,1991;1994;Laidler,1994),ハイエクは基本的なところで事実を捉え損なっているという主張,ハイエク理論は大恐慌の説明ではなく彼の自由主義的信条を支持するためのものだったする説(Seccareccia,1994)など様々である。本稿では,基本的にはハイエクの現状認識は当時としてはそれほど大きく誤ったものではないが,彼の理論ではそれがまったく反映されなかったという立場を採る。しかし,本稿は,彼の理論や観察の正否を検証することを目的としたものではない。むしろ,ハイエクの理論と観
2:55 午前
Blogger yoji said...
Skousen,A/i(1991),Eco770mLCSO77Truzl,IlllnOIS,DowJones-Irwin(原田和明・野田麻理子訳『経済学改造講座』日本経済新聞社,1991年).Skousen,M.(1991),``TheGreatDepresslOn''lnBoeトteke,P.J.ed.,77LeEdgarCclmPn70花tOA7JSt77a71Eco7乙Om?CS,Vermont,EdwardElgar.Trautweln,H.(1994),"Hayek'sDoubleFallurelnBus1-nessCycleTheory・ANote''lnColonna,M.andHagemann,H.eds.,Morzeya77dBJl/SL′7~eSSCycle,Vermont
125頁
が、
返信削除かなり早く損を取り戻している。
オーストリア学派は不況を予想していた
ミーゼス、ハイエク、ソマリーらオーストリアの経済学者たちが、株式市場の崩壊と恐慌を完全に予
想していたという事実は、歴史的にみて面白いものの、ほとんど知られていない事実だ。彼らはこれら
事件がいつ起こるか、その日付を特定しようとしていたわけではないが、恐慌は避けられないと考え
ていた。オーストリア学派は、マネー増加によるインフレは生産と消費のバランスを崩すものであり、
こうした事態を正せるのは恐慌しかない、と教えていた。ミーゼスらは、消費者物価が安定していよう
がいまいが、景気の収縮は起こるとしてフィッシャーの物価安定を重視する考え方を退けた。オースト
リア学派は、マネタリストたちのように110年代後半の物価安定にだまされることはなかったのであ
る。
ミーゼスはすでに二四年の段階で、オーストリアの銀行、クレディット·アンシュタルトは倒産する
だろう、と予見していた。実際、クレディット·アンシュタルトは三一年に倒産し、欧州を大規模な不
況に追いやった。ミーゼスの生徒であるパークのタイミングはもっと正確だった。オーストリア景
気研究所の所長であったハイエクは二九年初めに、研究所の月報に発表したいくつかの論文の中で、連 不
邦準備理事会がインフレを助長するような政策をやめることを決めたので、米国の景気は数カ月以内に
崩壊しようと述べた。また、オーストリア学派は各国が金本位制を採用すれば、インフレが長期間続く 第
ような事態を避けられると主張した。
ハイエクはこう記している。「金本位制の下では、連邦準備理事会は、あえてマネーサプライを増
加させ続けようとはしないし、実際、できもしない。なぜなら金本位制の下ではマネー·サプライを増
返信削除加できる範囲が自動的に制限されるからだ。したがって、金本位制の下では、インフレを伴なった好景
気はあまり長くは続かない」。
12
(注6)
ウィーン大学で、ミーゼスとともに経済学を学んだスイスの銀行家で、かつ外交官でもあるフェリッ
クス·ソマリーは恐慌が起こる以前からひどく悲観的であったという。実際、同時代人たちによれば
ソマリーは株式市場が崩壊し、不況下で低迷を続けること、一九一八年の平和条約の結果として、第二
次世界大戦の勃発は避けられないことを予見していた。二六年にはすでに、株式ブームが終焉し、財政
が破たんし、銀行が倒産すると予想していた。二八年、ある経済学者のグループに対して、一次産品価
格は上がり過ぎてはいないが、株価は上がり過ぎていること、また貸出金利と株式利回りとの差が大き
く開いているのは、株式市場崩壊を示す紛れもない兆候であると警告した。
彼のスピーチの受けは良くなかった。彼は後にこう語っている。「そこに集まっていた人々は少なく
とも十数人の経済理論を代表する人々だったが、われわれの世代にとって、最大の株式市場の崩壊が近
いことをほんの少しでもわかっている者は、ひとりもいなかった」。株式市場崩壊後もソマリーは、悲
観的な見方を続け、スイスの銀行のマネジャーであった彼は、英国、ドイツ、イタリアの
をすべて引き出した。しかし、三二年六月に出した「転換点か?」と題した小さなパンフレットに、世
界的な不況も底を打ったようだ、と書いた。株式市場はこの時点から回復し始めたが、不況はそれから
まだ数年続いた。
(注7 )
売ナ丶
銀行から預金
米国では、数ある学派の中で、E·C·ハーウッドやベンジャミン·アンダーソンらの健全銀行制度
学派が、連邦準備理事会のインフレ的な政策が危機をもたらすことになろう、と警告していた。株式市
経済の崩壊をはっきりと予見していた。
返信削除今日の洗練された数量経済モデルが、過去
に、
の経済の大混乱を予想できなかったものと同じ方法とデー
タに基づいているというのは、いささか心寂しい気がする。しかし、つい最近、また株式市場の崩壊が
ルを必要と
しているのである。いまこそ、大恐慌を予見した唯一の学派が開発した分析手法を、真剣に見直してみ
起こったことを考えれば、
これまで以上に新しいマクロ経済の予測モデ
経済学者は、
現在、
るときなのではないだろうか。
(注)
(1)
るためには、Irving Norton Fisher, My Father Inang Fisher (New York : Comet Press.
フィッシャーの経歴を知
1956),特にpp. 242.65.を参照。フィッシャーの大間違いにもかかわらず、新古典派の経済学者のほとんどがフィッ
シャーをr唯一ではないにしても、最も偉大な,最も聡明なアメリカの経済学者のひとり」とみなしている。Who's
who in Economics, 2nd ed., ed. Mark Blaug (Cambridge, Mass: MIT Press, 1986), p. 273.
(a) Harvard Economic Society, Weekly Letters,
especially November 2, 1929 (Cambridge, Mass: Harvard University
Press).
(c)
Economics Analysis of the Great Depression in America (New York : Garland Pub.
william E Stoneman. A History of the
lishing, 1979), p. 20. See
McGraw-Hill, 1929), pp.890-94, 909-10.
also wesley Mitchell, "A Review," Recent Economic Changes in the United States (New York:
況
Felix Somary. The Raven of Zurich, translated by A. J. Sherman (London : C. Hurst & Co. 1986), pp.146-47.
John Maynard Keynes, The Collected Writings of John Maynard Keynes, vol. XIII (London : Macmillan, 1973), pp. 52
(w)
(w)
第
59. Charles H. Hession, John Maynard Keynes (New York : Macmillan, 1984), pp. 238.39.も参照。
(6)フリードリッヒ·A· ハイエクとのインタビューGold & Silver Neusletter. June 1975 (Newport Beach, Calif.: Monex
International),ライオネル·ロビンズがハイエクのPrices and Production. Ist ed. (London: George Routledge & Sons,
1931)の前書きで、ハイエクが米国の恐慌を予見していたことに触れている。
返信削除(7)
ソマリーのスピーチと警告の原稿はソマリーの自叙伝The Raven of Zurich (London : C. Hurst & Co., 1986)に再録
彼は
14
一九五六年に死ぬ前に、
されている。しかし、ソマリーの予測の才をもってしても間違いがないわけではない。
米国はもう一度恐慌を経験するだろうと予測していた。
(8)
ノーウッドの著作は彼のCause and Control of the Business Cycle, 5th ed. (Great Barrington, Mass: American Institute
for Economic Research, 1957)に要約されている。The Annalistの編集者はパニックを引き起こすことを恐れて、大
規模な銀行倒産を示唆したハーウッドの文章を削除している"Jagdish Mehra, Keynes us. Ilanood . A Contribution to
Current Debate (AIER, 1985), p. 12を参照。
William J. Baumol and Alan S. Blinder, Economics : Principles and Policy, 4th ed. New York : Harcourt Brace Jovano
vich, 1988), pp.84-85
Friedman and Schwartz 4 Monetary History of the United States, 1867 1960 (Princeton, N
Press, 1963), p. 407.
(2
: Princeton University
Richard G. Lipsey, Peter O. Steiner, and Douglas D. Purvis, Economics, 8th ed. (New York: Harper & Row, 1987), p.
573に引用されている。
㈡
(A)
Lipsey, Steiner, and Purvis, Economics, p. 573.
) Stuart Chase, For This We Fought (New York : Twentieth Century Fund, 1946), p. 49第二次世界大戦中、貯蓄が演
じた重要な役割に関する見直し論的見方については、自著"Saving the Depression : A New Look at world War II.”
Review of Austrian Economics, 2 (1987), pp. 211-26.
(A)
Milton Friedman,
Prentice Hall, 1968, pp. 72.96.フリードマンによる「ビルト·イン·スタビライザー」
調されている。たとえば、Byrns and Stone, Economics, 4th ed., p. 147参照。
"Why the American Economy ls Depression-proof,
Dollars and Deficits (Englewood Cliffs, N. J.
の議論も最近の教科書で強
(2
Kathryn M. Dominguez, Ray C. Fair, and Matthew D. Shapiro
American Economic Review, September 1988, p. 605.
"Forecasting the Depression : Harvard versus Yale
.
返信削除Skousen,A/i(1991),Eco770mLCSO77Truzl,IlllnOIS,DowJones-Irwin(原田和明・野田麻理子訳『経済学改造講座』日本経済新聞社,1991年).Skousen,M.(1991),``TheGreatDepresslOn''lnBoeトteke,P.J.ed.,77LeEdgarCclmPn70花tOA7JSt77a71Eco7乙Om?CS,Vermont,EdwardElgar.Trautweln,H.(1994),"Hayek'sDoubleFallurelnBus1-nessCycleTheory・ANote''lnColonna,M.andHagemann,H.eds.,Morzeya77dBJl/SL′7~eSSCycle,Vermont
邦訳125頁より
オーストリア学派は不況を予想していた
ミーゼス、ハイエク、ソマリーらオーストリアの経済学者たちが、株式市場の崩壊と恐慌を完全に予
想していたという事実は、歴史的にみて面白いものの、ほとんど知られていない事実だ。彼らはこれら
事件がいつ起こるか、その日付を特定しようとしていたわけではないが、恐慌は避けられないと考え
ていた。オーストリア学派は、マネー増加によるインフレは生産と消費のバランスを崩すものであり、
こうした事態を正せるのは恐慌しかない、と教えていた。ミーゼスらは、消費者物価が安定していよう
がいまいが、景気の収縮は起こるとしてフィッシャーの物価安定を重視する考え方を退けた。オースト
リア学派は、マネタリストたちのように二〇年代後半の物価安定にだまされることはなかったのであ
る。
ミーゼスはすでに二四年の段階で、オーストリアの銀行、クレディット·アンシュタルトは倒産する
だろう、と予見していた。実際、クレディット·アンシュタルトは三一年に倒産し、欧州を大規模な不
況に追いやった。ミーゼスの生徒であるハイエクのタイミングはもっと正確だった。オーストリア景
気研究所の所長であったハイエクは二九年初めに、研究所の月報に発表したいくつかの論文の中で、連 不
邦準備理事会がインフレを助長するような政策をやめることを決めたので、米国の景気は数カ月以内に
崩壊しようと述べた。また、オーストリア学派は各国が金本位制を採用すれば、インフレが長期間続く
ような事態を避けられると主張した。
ハイエクはこう記している。「金本位制の下では、連邦準備理事会は、あえてマネーサプライを増
加させ続けようとはしないし、実際、できもしない。なぜなら金本位制の下ではマネー·サプライを増
加できる範囲が自動的に制限されるからだ。したがって、金本位制の下では、インフレを伴なった好景
気はあまり長くは続かない」。(注6)
(6)フリードリッヒ·A· ハイエクとのインタビューGold & Silver Neusletter. June 1975 (Newport Beach, Calif.: Monex
International),ライオネル·ロビンズがハイエクのPrices and Production. Ist ed. (London: George Routledge & Sons,
1931)の前書きで、ハイエクが米国の恐慌を予見していたことに触れている。
『経済学改造講座 -正統派への「有罪」宣告』 Economics on Trial
返信削除translator:原田和明(Harada Kazuaki)/野田麻里子(Noda Mariko) Publisher:日本経済新聞社(Nihon Keizai ShimbunSha)
1991/11
ISBN4-532-14070-6