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土曜日, 6月 01, 2019

「お金とは何か」日本史で考えると、その本質がこんなにクリアになる(飯田 泰之) | 現代ビジネス | 講談社

参考:
https://nam-students.blogspot.com/2019/05/focus-of-attention-metaphorical-claim.html



「お金とは何か」日本史で考えると、その本質がこんなにクリアになる 飯田 泰之

「お金とは何か」日本史で考えると、その本質がこんなにクリアになる(飯田 泰之) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64909
最新理論「MMT」と仮想通貨




飯田 泰之
明治大学准教授
プロフィール

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金融政策や財政政策の議論が盛んになされる現代、その考え方は「貨幣」をどう捉えるかによって大きく変わってくる。このほど『日本史に学ぶマネーの理論』を上梓した明治大学准教授・飯田泰之氏によると、日本史を振り返ることで、「貨幣とは何か」について理解を深められるという。

仮想通貨とMMT

近年の貨幣をめぐる議論では、全く性質の異なる、ふたつの貨幣論が注目を集めている。その一つがMMT(Modern Monetary Theory:現代金融理論)による貨幣・金融システム理解であり、もうひとつが仮想通貨の興隆を受けて盛んになった貨幣の自由発行論である。両者の理解は「そもそも貨幣とは何か」という、一定以上の年齢の読者には懐かしいテーマに帰着する。

貨幣は価格や価値の表示として、支払いの手段として私たちの経済のなかにこれ以上ないほどに浸透している。その浸透の深さ故に、現代経済の枠内で「貨幣とは何か」を考えることは容易ではない。これは言語を使って言語について考える困難さといってもよいだろう。貨幣とは何かを思考するためには、時に、現代の経済の枠から飛び出して――貨幣のない時代や貨幣が貨幣でなくなる可能性ある世界を考える必要がある。




取引の仲介機能を果たし、価値の単位となり、貯蓄の手段になる貨幣はどのように誕生したのか。経済学の入門的な講義では、原始的な社会では物々交換によって取引が行われ、その物々交換の不便さを解決するために特定の商品が交換の際の支払い手段となり、結果として世界の多くの地域で利便性の高い金属が貨幣の地位を獲得していったと説明される。これに類する説明を聞いたことがないという人は少ないだろう。

しかし、この種の「貨幣ツール論」は歴史的に誤りであるとともに、現代経済における貨幣の役割や財政・金融を理解する上で大きなミスリードの原因となっているかもしれない。





文化人類学者のデヴィッド・グレーバーは、貨幣のない世界における交換において負債の果たす役割に注目している1。例えば、漁師君が農家氏に魚をプレゼントしたとき、贈り物を受け取った農家氏には「いつかお返しをしなければならない」という負債が生まれる。収穫期に漁家君に相応の小麦をプレゼントしたとき、債権・債務関係が解消されるとともに、商品の(時間差での)交換が行われるというわけだ。

マルセル・モースが『贈与論』で示したように、贈与と返礼を通じた交換は歴史的にも地理的にも世界で広範に観察された現象である。ここでは負債、または負債感が交換の仲介役、つまりは一種の貨幣としての機能を果たしている。
日本で貨幣はどう根付いたか

負債が交換仲介機能を果たし得ることを確認すると、MMTにおける貨幣の位置づけを理解することができる2。

現代の貨幣、例えば紙幣や銀行の預金残高はなんら商品としての価値を持たない。このような制度の元で貨幣の価値を担保するのは、それが政府の負債としての性質を有しているためだ。現代の貨幣は、それによって税金を納めることができるという税金クーポンとしての性質をもつ。政府への支払いに用いることができる債券であるから、これを政府側から見れば負債というわけだ。

政府負債としての貨幣は社会にどのように供給されるのだろう。その供給は政府が貨幣という負債によって支出を行うとき――つまりは政府が貨幣を使うことによって行われる。

現代経済の中で納税手段としての貨幣(tax driven money)が政府支出によって供給(spending first)される状況に気づくのは難しい。すでに我々の経済・社会は貨幣の存在が浸透しきっているため、「最初の貨幣がどこから供給されたか」が見えなくなっている。このような視点、状況を観察するフレームワークを転換する3際には、「これまでにないタイプの貨幣」が社会に導入されたときの事例が参考になるだろう。


*1 グレーバー,デヴィッド(2016),『負債論 貨幣と暴力の5000年』,酒井隆史監訳,高祖岩三郎・佐々木夏子訳,以文社.
*2「MMTとは何か-L. Randall WrayのModern Money Theoryの要点」(朴勝俊,Economic Policy Report 2019-12,ひとびとの経済政策研究会)はMMTの主唱者による入門書を要約した内容でありMMTの概要を学ぶのに好適である.
*3 Mitchell, W.F. (2013),’ How to discuss Modern Monetary Theory,’ Bill Mitchell -billy blog, 2013.11.5.  (邦訳)にあるように,MMTの少なからぬ部分は新理論を提示するというよりも,現実の貨幣経済を理解するフレームワークとしての性質が強調されることが多い.


我が国における公的な鋳造貨幣は富本銭(680年代)に始まるとされる。その発行目的は、当時増加していた都城や寺院の建設における人足への支払いにあったという説がある。まさに政府支出による貨幣供給(spending first)である。しかし、富本銭は取引の仲介に用いられる貨幣とはならなかった。

和同開珎銅銭(708年)も当初は価値の下落が続く。その理由の一つが納税手段としての貨幣(tax driven money)という性質の欠如だったのではないか。

保有する銭の量によって位階を与える蓄銭叙位令(711年)、さらには722年以降の銭による納税の拡大により、徐々に流通貨幣としての地位を得ていくことになる。また同時期に1日の労働に対する支払いを銅銭一枚と定めていたと考えられている点なども興味深い。政府に支払う手段を政府が供給したこと、(特定の)労働の値段を政府が定めたことでわが国初の本格的な貨幣が誕生した。





室町時代、米価はどうやって決まったか

また、ビットコインに代表される仮想通貨に関する議論では中世の銭貨が引き合いに出されることが多い。鎌倉期から戦国期にかけて、日本国内では宋や明で発行された銭、その模造品、さらには模造とさえいえない金属のメダル(鐚銭)が貨幣としての役割を果たしてきた。

商品としての価値をもたず、誰かの負債でもない中世銭貨は今日の仮想通貨に通じる性質を有しているように感じられる。貨幣が貨幣であるための条件は、商品価値でも政権による強制でもなく、人々がそれを貨幣として用いることそれ自体にあるという無限の循環論法に支えられている4――ここに仮想通貨が現在の貨幣にとって代わる通貨となる可能性を見出す者は少なくないだろう。

その一方で、仮想通貨を基軸とした経済体制には政策上の不安がある。現代の金融政策は、金利または貨幣量を調整することを通じて不況期や景気の過熱に対応している。一方で、仮想通貨の供給はこのような国内の経済状態とは無関係に行われる。そのため、仮想通貨の普及は重要な政策手段を失うことにつながりかねない。

*4 岩井克人(1993),『貨幣論』,筑摩書房


中国からの銭の輸入量が国内の貨幣量を決定していた中世において、その多くの時期において、経済規模に対する銭の量が不足していたと考えられる。そのため14世紀には、食糧生産が停滞していたにもかかわらず、継続的な米価の下落がみられる5。銭の不足が銭の価値を高めたのだ。

銭価値の上昇とは(銭単位ではかった)物価の下落、つまりはデフレである。米に代表される商品の価値が下がっても、負債の価値(借金の額)は変わらない。これが中小農民の没落を招いたことは想像に難くない。
外生貨幣説と内生貨幣説

もっとも、15世紀に入ると米価は上昇傾向に転じる。その要因は何だろう。ここでは2つの要因が考えられる。第一が1401年から開始される日明貿易による明銭の流入である。

そしてもう一つの可能性が、同時期における民間信用の拡大だ。室町時代の最適期ともよばれる足利義満・義持期には、割符とよばれる現代でいうところの手形取引の拡大が見られた。有力商人が発行した「この証書を持参した者に銭10貫(1万枚)を支払います」といった債務証書を直接の債権者ではない第三者が支払いに用いるようになったのだ。このとき、国内で取引に用いることができるマネーの総量は銭と発行された割符の総額となる。

割符の発行量、現代風にいうならば信用通貨の発行量はどのように決まったのだろう。銭の量が増加するとそれに伴って銭の預かり証である割符の発行量も増加するという理解を、今日の経済理論では、外生貨幣説と呼ぶ。

一方で、割符のような信用の発行量は実体経済の状況によって決まるとするのが内生貨幣説だ。経済が好調であると、銭そのものの量とは無関係に、資金の貸し借りが活発になり国内におけるマネーの総量が増加すると考えるのだ。


*5 深尾京司・中村尚史・中林正幸編(2017),『岩波講座 日本経済の歴史(1中世)』,岩波書店.

「貨幣の日本史」を楽しもう!

現代の貨幣が外生説に近い性質をもっているならば、仮想通貨の拡大は政府の金融政策手段を損なう由々しき事態である。一方で、内生説に従うならば、もともと政府は国内の貨幣量(現金+預金残高)をコントロールする力は持っていない。基軸通貨が円でなくなったとしても、政策手段を失うわけではないという結論になる6。

ただし、MMTの貨幣論は内生説に基づいているが、政府が独自通貨を発行する権利を重視している。国内の信用量は民間での貸借に限定されるものではない。むしろ政府支出による政府負債の増加が国内での信用貨幣の総量を決めることになるというわけだ。外生説なのか、民間の貸借に注目した内生説なのか、政府信用を中心とする内生説なのか――仮想通貨への評価は「貨幣とは何か」という問いに対する基本姿勢によって大きく変化しうる。

歴史的な事例を知ることは、現代の経済システムの中で現代の経済システムを考える困難から逃れる手段になり得る。そして歴史的な経験を,あえて現代的な理論によって解釈すると、そこから各理論の持つ時代を超えた性質が浮かび上がる。民間信用はどのようなときに崩壊するのか。貨幣発行による政府支出は打ち出の小槌なのか。現代の貨幣政策を考える上で欠かせない論点にも歴史は豊富な事例を提供してくれる。

そして、このような難しい話はさておいてもどこか先進的で、ある意味ガラパゴス的な日本の貨幣史は単純に面白い。近著『日本史に学ぶマネーの論理』(PHP出版)が世にも不思議な貨幣という存在を楽しみ、皆様の好奇心と想像力を喚起する一助となることができればと考えている。















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