日曜日, 2月 02, 2020

EBPM(Evidence-based Policy Making、エビデンスに基づく政策立案)

EBPM(Evidence-based Policy Making、エビデンスに基づく政策立案)は、我が国の 経済社会構造が急速に変化する中、限られた資源を有効に活用し、国民により信頼される行 政を展開することを目指すための取組である。

ごろぽん (@l23ir6w6r0Ic7tc)
EBPM定着の鍵は、ディセンティブ(=事業廃止に伴う組織利益の減少、事務/知識調達コスト)を上回るインセンティブ付与にあると私も思う。
果たして、政治家らがその定着の原動力となるだろうか。 twitter.com/yagena/status/…

安田 洋祐 (@yagena)
中身だけでなく、経済学者による関連論考をいくつか引用している点も素晴らしいですね。
“この資料の最大の問題点は、プログラムの数量的インパクトに対する言及が全くない点である。… これだけの資金投入を求める以上、投資に見合った政策効果が期待できることを国民に説得するのは政府の責務である” twitter.com/akondoutiss/st…

https://twitter.com/yagena/status/1223888403600564224?s=21
安易な「ポンチ絵」が、真っ当な政策を妨げる可能性について(川口 大司) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)
2020/02/02
https://gendai.ismedia.jp/articles/amp/70122?skin=amp

安易な「ポンチ絵」が、真っ当な政策を妨げる可能性について

「エビデンスに基づく政策」のために

氷河期支援プログラムの問題点

国会で令和2年度予算の審議が始まった。省庁など政府の各部署が行った予算要求を調整した結果が「予算政府案」であるが、予算政府案を作成する過程にはパワーポイントで作られた「ポンチ絵」がしばしば登場する。ポンチ絵の肝は、提案する事業を行うとどんな成果が期待できるのかをわかりやすく図示することである。
あくまでの一つの例であるが、ここでは、内閣府が行う「就職氷河期世代支援プログラム」を取り上げてみよう。いわゆる就職氷河期世代で、現在、不本意にも非正規雇用で働くものや長期無業者は合計100万人と推定されているが、そのうち30万人を3年間のうちに正規雇用にすることを目標に掲げるプログラムである。
いったいどのような方策が具体的に考えられているのかと思って資料を見てみると、そこには漠然と「社会参加支援が先進的な地域の取組の横展開」という方策が掲げられている。
それでは先進的な地域の取り組みとは何か。先進事例として愛知県豊明市、岡山県総社市、山口県宇部市、徳島県三好市の例を紹介した厚生労働省の資料が添えられている。このうち宇部市のひきこもり支援の事例を紹介する資料(上記リンク先の3ページ目・下の図)にポンチ絵の肝である施策と結果の間の矢印が登場する。
支援策には家族に対するアプローチと本人に対するアプローチがあるのだが、本人に対するアプローチを例にとると、アウトリーチ(行政などが支援の手を伸ばすこと)を経て居場所支援(プログラム)・個別面接を行い、このことが、彼らの段階的な社会参加をもたらし社会参加を促すとされている。山口県宇部市の現場でこのような事業に地道に取り組まれている関係者の方々には敬意を表したいが、中央官庁が作成する政策資料としては問題がある。

安易な「ポンチ絵」が、真っ当な政策を妨げる可能性について

「エビデンスに基づく政策」のために

「数量」がわからない

この資料の最大の問題点は、プログラムの数量的インパクトに対する言及が全くない点である。

たとえば100人のひきこもっている人に対して、アウトリーチをかけてどれだけの人々にアプローチできるのか。アプローチしたうえでプログラム参加してもらい、いったいどれだけの人々が最終的に社会参加ができたのか。
これらのミクロの数字がないと、いったいこの先どのようにして、この先進的な取り組みを横展開でスケールアップし、100万人の非正規雇用・無業者のうち30万人を正規雇用にするというマクロゴールにつなげるのか、その経路が見えない。
そもそもひきこもり支援はそれ自体が重要な政策で、その成果はマクロスケールの数量評価になじまないという考え方もあろう。この点について東京大学の近藤絢子氏はひきこもり対策と氷河期対策は分けて考えるべきだと指摘している。
令和2年度概算要求では「就職氷河期世代支援プログラム関連予算」として合計1344億円が要求されている(ただし新規事業はこの一部)。事業を行うのは、厚労省、農水省、国交省、文科省、経産省、総務省、内閣府と7省庁にわたっており、各省庁が様々な施策を行うことになっている(うち厚生労働省の資料はここで見ることができる)。
ただ、それらの政策効果を足し合わせてどう30万人という数字を達成するのかは不明だ。これだけの資金投入を求める以上、投資に見合った政策効果が期待できることを国民に説得するのは政府の責務である。

安易な「ポンチ絵」が、真っ当な政策を妨げる可能性について

「エビデンスに基づく政策」のために

その政策に、どれくらいの効果があるのか

エビデンスに基づく政策形成(EBPM)という言葉が聞かれるようになって久しい。もっとも、経済産業研究所副所長の森川正之氏の論文が示すように国民の間での理解が進んでいるとはいいがたいし、筆者自身も、EBPMの実行を設置目標に掲げた東京大学政策評価研究教育センターの活動を通じて、EBPMに対して否定的な見方をする人々が多いことも承知している。
しかしながらその目指すところは、「就職氷河期世代支援プログラム」を例にとれば、様々な事業を実行した際にそれぞれの事業でどれだけ正規雇用への移行が起こるかを計算し、その期待される効果をもとに政策を実施するかどうかを議論するということである。
たとえば「就職氷河期世代支援プログラム」の新規事業として、厚労省の「ハローワークにおける専門窓口の設置、専門担当者のチーム制による就職相談、職業紹介、職場定着までの一貫した伴走型支援」に13億円の予算を付けることが提案されている。
EBPMとは、この13億円で何人正規雇用の人を増やすことができるのかを推定し、その政策実行の是非を論ずることだ。13億円を使っていくつ専用窓口を追加し、何名の専門担当者を増やすことができるかはコストがわかれば計算できる。難しいのは、ハローワークへの専用窓口や専門担当者の追加が、正規雇用への移行をどれだけ増やすのかを因果関係の意味で推定することである。
〔PHOTO〕iStock
この「因果関係の推定」を行う中で役に立つのが過去の研究蓄積である。ハローワークへの専用窓口や専門担当者の追加が、正規雇用をどれだけ増やすのか、仮に就職氷河期世代を対象としたものでなかったとしても、過去の施策を評価した研究があれば参考になるはずだ。

安易な「ポンチ絵」が、真っ当な政策を妨げる可能性について

「エビデンスに基づく政策」のために

あるいは過去のデータが残っていれば、類似政策の効果を今からでも推定することができる。これは後から振り返って評価をするという意味で「後ろ向き評価」と呼ばれるものである。
また、今わからないにしても今後3年間の支援プログラム施策を打つ中で、どのようにデータを収集すれば政策効果が推定できるかを考えて、あらかじめデータを集めておくこともできる。これは前向き評価と呼ばれる手法であり、少なくともこれは今から行うべきだ。
「相関関係」と「因果関係」を見分けることは難しく、過去の研究の精査、データ収集の基本的方針の策定、実際のデータ分析に当たっては専門家の手助けが必要である。そのため、例えば13億円の1%にあたる1300万円をあらかじめ過去の文献調査、データ分析あるいはデータ収集・整理のために確保しておくことが必要である。
なお、このEBPM予算すら聖域視すべきではなくEBPMの実施によって本当に政策効果が向上したのかを評価することが必要だというエール大学の成田悠輔氏の指摘もある。

公共セクターにもデータ分析のマインドを

仮に就職氷河期対策というお題が官邸から降ってきて、それに合わせて各省庁が政策提案を行ったのが現実だとしても、概算要求に上がっている合計1344億円の事業すべてについて、それぞれの事業で何人の氷河期世代の正規雇用を生み出すかを概算し、それらを積み上げ何とか30万人という数字とつじつまを合わせることが政策の総合調整を担当する内閣府の最低限の務めだろう。
こんな作業であったとしても、その過程で氷河期対策事業において何がわかっていないかが明確になるだろうし、各事業で目標とすべき数字も出てくるだろう。さらにEBPMにおいては、つじつま合わせから一歩進めて、様々な事業のうちで何が効果を上げているかを判別し、それに基づいて予算配分をしていくことが求められる。

安易な「ポンチ絵」が、真っ当な政策を妨げる可能性について

「エビデンスに基づく政策」のために

かようにEBPMの実践は骨が折れる作業である。しかしながら、東京大学の渡辺安虎氏が指摘するようにGAFAのようなプラットフォーム企業は地道なデータ分析を積み重ねて日々業務改善を図っている。また、個人向け作業服小売業のワークマンのように各社員にデータ分析の重要性を理解させ、日々の業務判断にデータ分析の結果を反映させることを徹底させ業績を向上させている例も報道されている。
公共セクターの職員にもこのような地道なデータ分析を積み重ねることが業務改善には必要だというマインドを浸透させるべきで、このような日常的なマインドがあったうえではじめて本格的なEBPMが生きてくる。
〔PHOTO〕iStock

トップの切実さが問われる

ナイーブなEBPM推進派の経済学者にたいして学習院大学の鈴木亘氏はもっと経済学者は政策形成の現場を知るべきではないかと警告を発している。特に行政官個人のキャリア展望を考えればEBPMは非常に大きなリスクになるというインセンティブ構造の指摘は重要だ。
もっとも行政官の持つインセンティブ構造——つまり、減点主義の公務員の世界では政策の効果の厳密な評価が行われるEBPMは歓迎されないということ——が変わりうることは、2009年の政権交代、内閣人事局の設置などの事例からも示唆されているように思われる。
結局のところ、組織人にとって最大のリスクは人事権者の意向に反する発言・サボタージュを公然と行わざるを得ないような状況に追い込まれることであり、EBPMがどこまで進展するかは各省庁、各地方自治体のトップがゲームのルールを変えるほど真剣に取り組むかどうかにかかっているといえよう。

安易な「ポンチ絵」が、真っ当な政策を妨げる可能性について

「エビデンスに基づく政策」のために

組織の風通しをよくする

適正な予算配分を達成するという本来の目的以外にもEBPMの定着が望まれる理由は様々あるが、組織の風通しを良くし、優秀な人材を公共セクターに引き付けるためにも重要だ。経験が不足する若手がベテランに物申せる数少ない機会がデータ分析に基づく発言だろうから、そのような機会があることは組織の風通しを良くすることにつながるだろう。
たしかに、複雑な目的関数を持つ公共セクターにおいては、データ分析にだけ基づいた若手の頭でっかちな提案を、経験豊富なベテランが却下することは頻繁に起こるかもしれない。しかし、少なくとも提案の機会があることは筋が通った仕事がしたいと思う良心的な若手を組織にとどめるのに役に立つはずだし、ベテランもよい提案だと説得されれば取り入れればよい。
また、優秀な若手の将来キャリアは公共セクターの中だけで閉じているわけではない。雇用の流動化が進む中でその傾向はより鮮明になってきており、人材を確保するためには公共セクターの仕事にもある種の「魅力」が必要となる。そのためエビデンスに基づくプロジェクト提案という汎用性のあるスキルを学べる場であるかどうかは、公共セクターの魅力を大いに左右するだろう。
政府は令和元年6月に発表した骨太の方針で、令和2年度予算編成にあたり「EBPMを推進し、予算の質の向上と効果の検証に取り組む」とした。国会においては予算政府案がEBPMを踏まえたものとなっているかという視点からの審議が必要であり、議員は政府予算案に登場するポンチ絵に対して、その根拠となったエビデンスを質問すべきだ。その質問が組織トップの意識を変え、行政官のインセンティブ構造を変える第一歩になる。

証拠に基づく政策


曖昧さ回避政策に基づいた証拠づくり」とは異なります。

証拠に基づく政策(英 Evidence-based policy、略 EBP)とは公共政策学の多方面において用いられる用語であり、政策決定が厳格に立証された客観的な証拠に基づくことを意味する。この用語は、根拠に基づく医療という構想の公共政策学への拡張的な応用であると概念的にはみなされている。
さりながら、診療的意思決定と公共政策的意思決定との異同を考慮すると、証拠に基づく政策という構想の有用性や応用性については議論に争いがある。多角的で競合的な社会的利害関係における選択を含む政治的決定は文字通り政治的であり、政治的決定のこの性質は通常すべての当事者が目標に関して一致しうる(例:患者の治療という目標)診療的意思決定のそれと本質的に異なりうるものである。政治的決定における一連の合致した諸目標の欠缺という事実は、異なる社会的利益を志向した政治的主張に関連した証拠集が複数個存在するであろうことを意味する。したがって、政策立案者に対して「証拠に基づく」選択肢がただ一つ存在しうるという考えはすべてに妥当するものではなく、専ら最も単純な技術的演習にのみ妥当するものである。[1][2]
ある特定の種類の証拠を政策立案者が検討するにあたり「最適」であると推奨している者もいる。ランダム化比較試験などを例として、ある手法などが政策がもたらす諸結果をより良いものとするかどうかを判定する科学的に厳密な評価方法による証拠がその種類に含まれる。しかしながら、政策に関連する知識は計量分析的な研究によっては十分に提供されず、関連する証拠の収集にとり決定的な要素である方法と手段に関しての議論を招いている。例えば、人権、公共受容性または社会的正義に関連する政策は、ランダム化比較試験がもたらすものとは別種類の証拠を要請しうるし、あるいは、介入効果の証拠(これはランダム化比較試験が基本的に提供するようデザインされている[3])への考慮に加えて道徳哲学的推論を要請しうる。とはいえ概して、良質なデータ、分析手腕、および科学的知識の使用に対する政治的支援は、証拠に基づくアプローチの重要な要素であると考えられている。
単に一個または一種類の証拠は大半の政治的決定場面の現実に有効でないこと、および客観的な証拠それ自体は「何をすべきか」という規範的命題に言及しえないことから、多くの学者が「証拠に基づく」という用語を忌避するようになり、「証拠を参酌した」などの別の用語を利用している。この用語の変遷は、「証拠に基づく」という言葉にしばしば見出される潜在的な限界や還元主義的な発想を避けつつ、厳密性と良質性の観点から証拠の活用方法を改善したいという基本的な希求についての継続的な検討と表裏をなしている。とはいえ、「証拠に基づく」という表現は依然広く用いられており、政策に関連する厳密かつ良質な証拠の体系的な検討方法の確保や手段と目的の関係を倒錯した証拠の不正利用の防止などによって、証拠が的確かつ適正に活用されることへの願望を反映しているものとされる。[1]

数多くの方法論が証拠に基づく政策には存在しているが、それらはおよそ次の共通的な特徴を有している。
  • なぜその政策が有効であるとかんがえられるか、およびその政策が成功した場合にどのような影響をもたらすかについての理論を検討する。
  • 反実仮想を含む:その政策が実施されなかったとしたら、何が起きていたか。
  • その政策のもたらすと考えられる影響の尺度を採択している。
  • その政策のもたらす直接および間接的な影響両方を検討する。
  • その政策の結果に影響しうる外在的な要因に備えて不確実な要因と統制された要因とを区別する。
  • 第三者によって検討および再現されうる体裁である。
証拠に基づく政策に用いられる方法論の諸様式は、費用便益分析的な枠組みのカテゴリーに含まれ、政策が実施される場合の純利得を推算するためにあるといえる。政策にまつわる因果関係の中には定量化が困難なものも少なからずあるため、何らかの特定の価値を基準とする代わりに、広く便益が費用を上回るか否かに焦点が置かれるが大概である。[4]
証拠に基づく政策(英 Evidence-based policy、略 EBP)とは公共政策学の多方面において用いられる用語であり、政策決定が厳格に立証された客観的な証拠に基づくことを意味する。この用語は、根拠に基づく医療という構想の公共政策学への拡張的な応用であると概念的にはみなされている。
さりながら、診療的意思決定と公共政策的意思決定との異同を考慮すると、証拠に基づく政策という構想の有用性や応用性については議論に争いがある。多角的で競合的な社会的利害関係における選択を含む政治的決定は文字通り政治的であり、政治的決定のこの性質は通常すべての当事者が目標に関して一致しうる(例:患者の治療という目標)診療的意思決定のそれと本質的に異なりうるものである。政治的決定における一連の合致した諸目標の欠缺という事実は、異なる社会的利益を志向した政治的主張に関連した証拠集が複数個存在するであろうことを意味する。したがって、政策立案者に対して「証拠に基づく」選択肢がただ一つ存在しうるという考えはすべてに妥当するものではなく、専ら最も単純な技術的演習にのみ妥当するものである。[1][2]
ある特定の種類の証拠を政策立案者が検討するにあたり「最適」であると推奨している者もいる。ランダム化比較試験などを例として、ある手法などが政策がもたらす諸結果をより良いものとするかどうかを判定する科学的に厳密な評価方法による証拠がその種類に含まれる。しかしながら、政策に関連する知識は計量分析的な研究によっては十分に提供されず、関連する証拠の収集にとり決定的な要素である方法と手段に関しての議論を招いている。例えば、人権、公共受容性または社会的正義に関連する政策は、ランダム化比較試験がもたらすものとは別種類の証拠を要請しうるし、あるいは、介入効果の証拠(これはランダム化比較試験が基本的に提供するようデザインされている[3])への考慮に加えて道徳哲学的推論を要請しうる。とはいえ概して、良質なデータ、分析手腕、および科学的知識の使用に対する政治的支援は、証拠に基づくアプローチの重要な要素であると考えられている。
単に一個または一種類の証拠は大半の政治的決定場面の現実に有効でないこと、および客観的な証拠それ自体は「何をすべきか」という規範的命題に言及しえないことから、多くの学者が「証拠に基づく」という用語を忌避するようになり、「証拠を参酌した」などの別の用語を利用している。この用語の変遷は、「証拠に基づく」という言葉にしばしば見出される潜在的な限界や還元主義的な発想を避けつつ、厳密性と良質性の観点から証拠の活用方法を改善したいという基本的な希求についての継続的な検討と表裏をなしている。とはいえ、「証拠に基づく」という表現は依然広く用いられており、政策に関連する厳密かつ良質な証拠の体系的な検討方法の確保や手段と目的の関係を倒錯した証拠の不正利用の防止などによって、証拠が的確かつ適正に活用されることへの願望を反映しているものとされる。[1]

数多くの方法論が証拠に基づく政策には存在しているが、それらはおよそ次の共通的な特徴を有している。
  • なぜその政策が有効であるとかんがえられるか、およびその政策が成功した場合にどのような影響をもたらすかについての理論を検討する。
  • 反実仮想を含む:その政策が実施されなかったとしたら、何が起きていたか。
  • その政策のもたらすと考えられる影響の尺度を採択している。
  • その政策のもたらす直接および間接的な影響両方を検討する。
  • その政策の結果に影響しうる外在的な要因に備えて不確実な要因と統制された要因とを区別する。
  • 第三者によって検討および再現されうる体裁である。
証拠に基づく政策に用いられる方法論の諸様式は、費用便益分析的な枠組みのカテゴリーに含まれ、政策が実施される場合の純利得を推算するためにあるといえる。政策にまつわる因果関係の中には定量化が困難なものも少なからずあるため、何らかの特定の価値を基準とする代わりに、広く便益が費用を上回るか否かに焦点が置かれるが大概である。[4]



Policy-based evidence making

"Policy-based evidence making" is a pejorative term which refers to the commissioning of research in order to support a policy which has already been decided upon. The name has been suggested as the converse of evidence-based policy making
As the name suggests, policy-based evidence making means working back from a predefined policy to produce underpinning evidence. Working from a conclusion to provide only supporting evidence is an approach which contradicts most interpretations of the scientific method; however, it should be distinguished from research into the effects of a policy where such research may provide either supporting or opposing evidence.
In July 2006, Rebecca Boden and Debbie Epstein published a paper in which they wrote:
This need [for evidence] has been reified in the UK and elsewhere, as routines of "evidence-based policy"-making have been hardwired into the business of Government. Intuitively, basing policies that affect people's lives and the economy on rigorous academic research sounds rational and desirable. However, such approaches are fundamentally flawed by virtue of the fact that Government, in its broadest sense, seeks to capture and control the knowledge producing processes to the point where this type of "research" might best be described as "policy-based evidence".[1]
The term "policy-based evidence making" was later referred to in a report of the United Kingdom House of Commons Select Committee on Science and Technology into Scientific Advice, Risk and Evidence Based Policy Making issued in October 2006. The committee stated:
[Ministers] should certainly not seek selectively to pick pieces of evidence which support an already agreed policy, or even commission research in order to produce a justification for policy: so-called "policy-based evidence making" (see paragraphs 95–6). Where there is an absence of evidence, or even when the Government is knowingly contradicting the evidence—maybe for very good reason—this should be openly acknowledged. [emphasis in original][2]
The term has also been applied outside the strictly scientific arena, for example in a position paper for the Arts and Humanities Research Council.[3]