カール・テオドア・ドライヤー
生涯
出生の秘密
1889年2月3日、コペンハーゲンで生まれた。父はスウェーデン在住のデンマーク人、母はスウェーデン人。父は富裕な地主で、母はその家の女中であった。カールは私生児として生まれ、すぐに乳児院に預けられた。いくつかの施設を転々とした後、翌1890年にコペンハーゲンの植字工ドライヤー家の養子となった。養家はカールに対して極めて厳格であった。ドライヤーは次のように後述している。「彼らはわたしが飢えないでいることを感謝するよう絶えず強要した。厳密に言えば、わたしには何も要求する権利がないこと、わたしの生母はその死によって養育費の支払を免れ、結果的に彼らを騙したのだから、と」[1]。その後、17歳の時に事務員の仕事を見つけ、ドライヤー家を出た。以後、養家には二度と足を踏み入れることはなかった。
ドライヤーは18歳の時、生みの母であるヨセフィーナ・ニルソンの運命と自身の出生の秘密を探り当てた。ヨセフィーナの妊娠発覚後、父とその一族は彼女にスウェーデンを離れ、秘密裏にデンマークで出産することを強制した[1]。ヨセフィーナはカールを出産した後にスウェーデンに戻ったが、別の男性との間に再び男児を身ごもった。相手の男性に結婚を拒否されると、彼女は硫黄を使った民間療法の中絶を試み、貧困と孤独の中、硫黄の過量摂取による中毒で死亡した。不幸にまみれた母の死を知ったドライヤーは、男性や権力者の欺瞞によって生まれる社会の抑圧と不寛容が母を死に追いつめたと悟った。母とドライヤー自身の運命を決定づけた「社会の抑圧と不寛容」というテーマは、その後の作品に色濃く反映され、繰り返し描かれることになった。また、ドライヤーは自身の出生について多くを語ることはなかった。
映画への傾倒
ドライヤーはその後、ジャーナリストに転身。新聞に演劇評などを寄稿した。また、当時世間の大きな話題となっていた航空機に興味を持ち、報道記事だけでなく自らも気球の飛行に積極的に参加した。この時期に『怒りの日』や『奇跡』の原作となった戯曲の舞台を演劇評論家として鑑賞した。また、裁判記事も執筆し、毎日のように裁判所に通った。これによって中産階級の人々を知るようになった。
ドライヤーの関心は次第に映画へと傾き、ジャーナリストとして映画批評を執筆する傍ら、デンマークの映画会社ノーディスク・フィルムで働くようになった。ここで編集とサイレント映画の字幕の挿入を行い、映画技術を学んだ。これらの仕事についてドライヤーは「その仕事はまさに、素晴らしい学校のようなものでした。(中略)私はその学校で五年間学んだのです。私は今では自分の映画を、撮影がなされるつど、頭のなかで編集してゆきます。編集は演出の一部分をなしているのです。」[2]と述懐している。その後、脚本の執筆も行うようになり、1918年に第1作『裁判長』の製作に着手。翌1919年に同作を完成させた。
様々な国での映画製作
3作目の『サタンの書の数頁』(1920年)以降、ドライヤーは不況と映画界の凋落を招いていたデンマークを離れ、ヨーロッパの様々な国を渡り歩いた。これにより、これ以後に製作した『不運な人々』(1922年)はドイツ、『むかしむかし』(1922年)はスウェーデン、『グロムダールの花嫁』(1926年)はノルウェーと作品ごとに製作会社が変わるという事態に見舞われた。当時の世界の映画界はハリウッドのスタジオ・システムに見られるように特定のスタジオと独占契約を結び、同じようにそのスタジオと契約しているスタッフや俳優と一つのグループを形成しながらそのスタジオの希望に添うような作品を作り続けることが常識であった。ドライヤーはそのような常識から逸脱した状況での映画製作を余儀なくされた。
このような状況の中、1924年にドイツで製作した画家を主人公にした『ミカエル』で耽美性を極め、翌1925年にデンマークに帰国して製作したある一家を描いた室内劇『あるじ』で興行的な成功を収めた。これによってフランスのソシエテ・ジェネラール・ドゥ・フィルム社から歴史劇の製作を依頼され、マリー・アントワネット、カトリーヌ・ド・メディシス、ジャンヌ・ダルクの3つの企画案からジャンヌ・ダルクの異端審問と火刑までを実際の裁判記録に沿って描く伝記映画に着手。1928年に『裁かるるジャンヌ』を発表した。1932年には自身初のトーキーとなった『吸血鬼』をフランスとドイツで製作。しかし、これらの作品は現在ではドライヤーの代表作として知られるが、当時は興行的には失敗に終わった。『裁かるるジャンヌ』はオリジナルネガが火事で消失し、その後に未使用のネガを再編集して製作した第2版も火事で消失するなど不運に見舞われた。また、『吸血鬼』では配給会社がナレーションを加えた上に全体を短縮し、ドライヤーを失望させた。
その後は『怒りの日』(1943年)、『奇跡』(1955年)、『ゲアトルーズ』(1964年)とほぼ10年に1作品のペースでの製作を余儀なくされた。しかし、『奇跡』はヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とゴールデングローブ賞外国映画賞を受賞。『ゲアトルーズ』もヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞するなど、いずれの作品も国際的に高く評価された。
実現しなかった企画
名前の表記
作風
生涯で14本の長編映画を監督し、いずれの作品も神秘性とリアリズムを併せ持つとされる。また、女性が主役の作品が多く、その中で彼女たちは女性の意志や表現を抑圧しようとする社会秩序に対して果敢に闘いを挑もうとするのが特徴である。
長編作品は脚色ものが多く、中でも戯曲の脚色が多数を占めている。台詞を圧縮して純化することにより、必要不可欠な言葉だけで構成し直すのがドライヤーの脚色法であった。ドライヤーは「台詞はいわばクローズアップで提示されるべき」だと考え[2]、本質的なもの以外の装飾を帯びた演劇的な台詞を削り取った。また、これはカットの連続性を損なわないためでもあった。
ドライヤーは固定のスタイルを持たないことでも知られ、常にその作品一本にしか有効ではないスタイルを探し求めた。例えば、『吸血鬼』ではどのカットを撮影する時もレンズに不自然な光を入り込ませるためにスポットライトを幕に当て、その反射光がカメラに向かうように細工して灰色の画面を作り出し[2]、さらにラストには白い光も加えて、それをもとに作品のスタイルを形作っていった。撮影前に行なわれる入念なリハーサルやカメラマンとの綿密な打ち合わせ、舞台装置の作成への積極的な関与など、画面を構成する要素の全てをコントロールすることを望んでのことであった。ドライヤーは度々誤解されるが、1シーン1カットのみの監督ではなく、モンタージュ派でもないとされる。作品や主題、アクションにおいて何をどのように表現するのか、あらゆる可能性を追求し続けたと言われている。このことについてドライヤーは「自分をある一定のフォルムに、ある一定のスタイルに限定してしまうというのは、きわめて危険なことなのです」と語った[2]。
影響
未完に終わった『メディア』の脚本は同じデンマーク出身のラース・フォン・トリアーによって1988年にテレビ映画として製作された。また、ピエル・パオロ・パゾリーニはドライヤーが生前に企画していたキリストに関する映画と『メディア』の映画化をそれぞれ『奇跡の丘』(1964年)、『王女メディア』(1969年)として実現した。
ジャン=マリー・ストローブは「最終的にドライヤーがカラー作品を撮ることができなかったこと(彼は二十年以上もカラー作品を撮ろうと考えていたのだ)やキリストについての作品を撮れなかったという事実(国家や反ユダヤ主義の起源に対する崇高なる反抗)は、我々がカエルの屁ほども価値がない社会に生きているのだということを思い知らせる」と述べた[3]。
フランソワ・トリュフォーはドライヤーへの追悼文の中で「カール・テホ・ドライヤーはこの世を去って、映画の最初の世代の王様たち、まず最初に沈黙を、ついで言葉を制御した偉大な映画作家たちの世代のあとを追ってその列に加わったのである」と語った。[4]。
監督作品
長編
- 裁判長 Præsidenten (1919年)
- 牧師の未亡人 Prästänkan (1920年)
- サタンの書の数頁 Blade af Satans bog (1920年) 別題『サタンの書の数ページ』
- 不運な人々 Die Gezeichneten (1922年)
- むかしむかし Der var engang (1922年)
- ミカエル Michael (1924年)
- あるじ Du skal ære din hustru (1925年)
- グロムダールの花嫁 Glomdalsbruden (1926年)
- 裁かるるジャンヌ La Passion de Jeanne d'Arc (1928年) 別題『裁かるゝジャンヌ』
- 吸血鬼 Vampyr (1932年) 別題『ヴァンパイア』
- 怒りの日 Vredens dag (1943年)
- 二人の人間 Två människor (1945年)
- 奇跡 Ordet (1955年) 別題『奇跡 (御言葉)』
- ゲアトルーズ Gertrud (1964年) 別題『ガードルード』
短編
- 母親支援 Mødrehjælpen (1942年)
- 田舎の水 Vandet på landet (1946年)
- 村の教会 Landsbykirken (1947年)
- 癌との戦い Kampen mod kræften (1947年)
- 彼らはフェリーに間に合った De nåede færgen (1948年)
- トーヴァルセン Thorvaldsen (1949年)
- ストーストレーム橋 Storstrømsbroen (1950年)
- 城の中の城 Et Slot i et slot (1954年)
参考文献
- ジョルジュ・サドゥール 『カール・ドライヤーの展開』 (『世界映画史 12』図書刊行会、2000年)
脚注
注釈
- 『フィルムセンター』51「デンマーク映画の史的展望」(東京国立近代美術館フィルムセンター/1979)には次のようにある。「この資料中のデンマーク人の人名や地名は、在日デンマーク大使館のベント・リンドブラード書記官の協力を得て、なるべく原音に近く表記した。そのうち、旧来の慣例といちじるしく違うものはつぎのとおりである。旧)カール・テオドル・ドレイエル、新)カール・テオドア・ドライヤー」
出典
- ^ a b 「異端者 魔女 聖者 罪人 Heretics, Witches, Saints, and Sinners 」ユッテ・イェンセン Jytte Jensen、NFC Newsletter 2003 No.51
- ^ a b c d e f 「カール・Th・ドライヤーに聞く」ミシェル・ドラエ(『作家主義』奥村昭夫訳、リブロポート、1985)
- ジャン=マリー・ストローブ 「カール・ドライヤーについて」 坂本安美訳 『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン No.22』1977年
- フランソワ・トリュフォー 「カール・テホ・ドライヤーの白のイメージ - 崇高なまでの美しさに達した映像」 山田宏一・蓮実重彦訳『キネマ旬報754号』1979年
16 Comments:
書名
Hammershøi i Dreyer / [commissariat, Anne-Birgitte Fonsmark ... [et al.] ; catàleg, coordinació, Marina Palà ; coordinació de textos, Rosa Puig]
出版事項
Barcelona : Centre de Cultura Contemporània de Barcelona : Diputació Barcelona , c2007
Catalan and English. 注記 36 col. pls. 49 figs. VOL [ISBN]9788498031386 VOL [ISBN]8498031389
http://opac.nmwa.go.jp/detail?bbid=0000043121
及びその英語版
Hammershøi, Dreyer : the magic of images / [editor, Annettte Rosenvold Hvidt ; authors, Jordi Balló ... [et al.]]
出版事項 Copenhagen : Ordrupgaard , c2006 形態 131 p. : ill. (some col.) ; 25 x 25 cm. 注記 Published on the occasion of an exhibition held at Ordrupgaard, Copenhagen, Sept. 1, 2006-Jan. 7, 2007 and at the Centre de Cultura Contemporània, Barcelona, Jan. 24-May 1, 2007. 注記 Includes bibliographical references (p. 128-130). 注記 55 figs., 41col. pls. VOL [ISBN]9788788692556
http://opac.nmwa.go.jp/detail?bbid=0000043576
計二冊
個人的研究目的
(映画と絵画の比較研究)
2020年1月31日午前10時希望
よろしくお願い申し上げます。
虹はじめてあらわる (@nijihajimete)
2020/01/20 23:24
ハマスホイ展の関連書籍として「これは!」と思ったのがコロナブックスの『ヴィルヘルム・ハマスホイ 沈黙の絵画』。
敬愛するホイッスラーの影響や絵画に登場するモチーフの写真、何より彼の絵に描かれた部屋の間取りなど、余韻を楽しむのに最適。ショップ(レジ脇)にも置いてありました。 twitter.com/nijihajimete/s… pic.twitter.com/i7PKgEF7ax
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虹はじめてあらわる (@nijihajimete)
2020/01/20 23:36
北欧のフェルメールという呼び名は伊達じゃないぜと言わんばかりに影響を受けている絵ももちろん解説。
日本で初めてハマスホイを紹介した佐藤先生による監修です。
公式図録とセットで読めば、19世紀デンマーク絵画にかなり詳しくなるのでは…。情報満載なのに静けさを邪魔しないデザインも良い🙆♀️ pic.twitter.com/rrRecS2JxQ
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ハマスホイはホイッスラーの影響を受けている
フェルメールの影響も
フェルメール→ホイッスラー→ハマスホイ→ドライヤー
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ヴィルヘルム・ハマスホイ 沈黙の絵画 (220) (コロナ・ブックス) (日本語) 単行本 – 2020/1/26
佐藤 直樹 (監修)
商品の説明
内容紹介
日本にハマスホイの世界を紹介した第一人者の監修による、本邦初の作品集!
「北欧のフェルメール」とも謳われる、デンマークが生んだ孤高の画家ハマスホイ。
その静謐な画風になぜ人は魅かれるのか?
謎めいた室内画を描き続けた画家の、その隠された魅力に迫る決定版!
参考図版を含め、総作品数78点を収録。
◎目次
序章 ハマスホイ コペンハーゲンのスキャンダル
1章 時代のはざまで パリとロンドンに現れたデンマークの異端児
2章 メランコリー 誰もいない風景
3章 静かな部屋 沈黙する絵画
◎コラム
ハマスホイとコレクター 佐藤直樹
ハマスホイが会いたがった人物 ホイッスラー 河野 碧
暗示の絵画 ハマスホイと象徴主義 喜多崎 親
ハマスホイと写真 佐藤直樹
ノルウェーの美術史家アンドレアス・オベールによるフリードリヒの再発見 杉山あかね
ドライヤーとハマスホイ 小松弘
◎監修者
佐藤直樹(さとうなおき)
1965年千葉県生まれ。国立西洋美術館主任研究員を経て、2010年より東京藝術大学美術学部芸術学科准教授。
専門はドイツ/北欧美術史。編著書に『ローマ 外国人芸術家たちの都』(竹林舎、2013年)、
『芸術愛好家たちの夢 ドイツ近代におけるディレッタンティズム』(三元社、2019年)、
展覧会に『ヴィルヘルム・ハンマースホイ─静かなる詩情』(国立西洋美術館、2008年)、
『アルブレヒト・デューラー版画・素描展』(国立西洋美術館、2010年)、
『ヘレン・シャルフベック─魂のまなざし』(東京藝術大学大学美術館、2015年)などがある。
内容(「BOOK」データベースより)
デンマークが生んだ孤高の画家ハマスホイ。謎めいた室内画を描き続けた、その静謐さの魅力に迫る決定版!国内未発表を含む代表作54点を収録。
著者について
1965年千葉県生まれ。国立西洋美術館主任研究員を経て、2010年より東京藝術大学美術学部芸術学科准教授。専門はドイツ/北欧美術史。編著書に『ローマ 外国人芸術家たちの都』(竹林舎、2013年)、『芸術愛好家たちの夢 ドイツ近代におけるディレッタンティズム』(三元社、2019年)、展覧会に『ヴィルヘルム・ハンマースホイ─静かなる詩情』(国立西洋美術館、2008年)、『アルブレヒト・デューラー版画・素描展』(国立西洋美術館、2010年)、『ヘレン・シャルフベック─魂のまなざし』(東京藝術大学大学美術館、2015年)などがある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
佐藤/直樹
1965年千葉県生まれ。国立西洋美術館主任研究員を経て、2010年より東京藝術大学美術学部芸術学科准教授。専門はドイツ/北欧美術史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
単行本: 126ページ
出版社: 平凡社 (2020/1/26)
言語: 日本語
ISBN-10: 4582635199
ISBN-13: 978-4582635195
発売日: 2020/1/26
梱包サイズ: 21.9 x 16.8 x 1.2 cm
小松によると
ポール・ヴァズが比較を指摘
Poul.Vad
指摘
Poul.Vad (~2003)
ヴィルヘルム・ハンマースホイ - 国立西洋美術館出版物リポジトリ(Adobe PDF)
nmwa.repo.nii.ac.jp/?action=repository...
-キャッシュ
Paul Vad, Hammershøi and Danish Art at the Turn of the Century, trans, by. Kenneth Tindall, New Haven and Lonodn, ...
ハンマースホイ - 独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索
search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=181707
-キャッシュ
絵画 :. ピアノを弾く妻イーダのいる室内. 1910年 油彩、カンヴァス 76 x 61.5. 右下に署名( ... 109, no. 336. 1992, Vad, Poul.
Vilhelm Hammershoi: and Danish Art at the Turn of the Century (英語) ハードカバー – 1992/8/26
Mr. Poul Vad (著), Kenneth Tindall (翻訳)
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Hammershøi, Vilhelm, 1864-1916.
Vilhelm Hammershøi, 1864-1916.
Copenhagen : Ordrupgaard ; New York : Guggenheim Museum, 1998
(OCoLC)607107394
関連の人物: Vilhelm Hammershøi; Vilhelm Hammershøi; Vilhelm Hammershøi
ドキュメントの種類 書籍
すべての著者/寄与者: Vilhelm Hammershøi; Anne-Birgitte Fonsmark; Mikael Wivel; Henri Loyrette; Robert Rosenblum
この著者についてさらに詳しく:
ISBN: 0810969130 9780810969131 0892072083 9780892072088
OCLC No.: 40050455
メモ: "Ordrupgaard, Copenhagen, August 15-October 19, 1997. Musée d'Orsay, Paris, November 18, 1997-March 2, 1998. Solomon R. Guggenheim Museum, New York, June 19-September 7, 1998"--Title page verso.
物理形態: 191 pages : illustrations (some color) ; 29 cm
コンテンツ: Foreword / Anne-Birgitte Fonsmark --
Foreword / Thomas Krens --
Vilhelm Hammershoi --
An Introduction / Poul Vad --
Vilhelm Hammershoi, at Home and Abroad / Robert Rosenblum --
Plates --
Catalogue --
App. Three Letters by Rainer Maria Rilke to Alfred Bramsen, with introductory note by Poul Vad.
責任者: [curated by] Anne-Birgitte Fonsmark, Mikael Wivel ; in collaboration with Henri Loyrette, Robert Rosenblum.
概要:
https://www.worldcat.org/title/vilhelm-hammershi-1864-1916-danish-painter-of-solitude-and-light/oclc/40050455
Vilhelm Hammershøi, 1864-1916 : Danish painter of solitude and light
著者: Vilhelm Hammershøi; Anne-Birgitte Fonsmark; Mikael Wivel; Henri Loyrette; Robert Rosenblum
出版社: Copenhagen : Ordrupgaard ; New York : Guggenheim Museum, 1998.
エディション/フォーマット: 紙書籍 : English : English language edすべてのエディションとフォーマットを見る
概要:
"This book - the catalogue accompanying a widely acclaimed exhibition at Ordrupgaard, Copenhagen, the Musee d'Orsay, Paris, and the Solomon R. Guggenheim Museum, New York - reveals the mysterious, melancholy world evoked in Hammershoi's works." "Hammershoi's originality was recognized by his peers, but his work was too controversial to gain much support in Denmark during his lifetime. However, it was appreciated by collectors and institutions in England, France, Germany, and Italy, where it became known in exhibitions from the 1890s until his death. Frequently compared to Vermeer in his extraordinary use of line, light, and shadow, Hammershoi punctuates his hallmark interiors and landscapes with a mood of concentrated solitude. His remarkable portraits of friends and family become psychological studies, often revealing the isolation and loneliness of long, dark Scandinavian Winters."--Jacket. 少阅读些
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Hammershøi, Vilhelm, -- 1864-1916 -- Exhibitions.
Hammershøi, Vilhelm, -- 1864-1916
Hammershøi, Vilhelm, -- (1864-1916) -- Catalogues d'exposition.
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Vilhelm Hammershøi, une introduction
Poul Vad
Lorsque Carl Th. Dreyer réalisa en 1918 son premier long métrage, Le Président,
il conçut une composition d’image et une scénographie qui devaient beaucoup
aux toiles de Hammershøi. Dreyer trouvait chez le peintre une synthèse entre
intensité des sentiments et ordonnance classique et ascétique qui correspondait
à ses propres aspirations créatrices, telles qu’elles allaient s'exprimer de plus en
plus clairement dans son œuvre – sans doute de la façon la plus manifeste dans
son tout dernier film de 1964, Gertrud, qui, pour un Danois, est presque
impensable sans référence à Hammershøi. On peut dire que le cinéaste fut le
plus important et peut-être le seul véritable successeur du peintre, ce qui révèle
indirectement la position isolée que celui-ci eut, et a en un certain sens gardée,
au sein de l'art danois - et sans doute de l'art au niveau international.
Lorsque Dreyer tourna Le Président, Hammershøi était mort depuis deux ans, au
sommet de la célébrité. Cette même année fut organisée à Copenhague une
exposition à sa mémoire qui est restée la plus grande jamais réalisée. Mais
Hammershøi ne mourut pas seulement en grand artiste, il était également consi-
déré comme un phénomène à part dans l'art danois et européen. Au beau milieu
de la percée de la modernité, son apparent conservatisme faisait de son art une
sorte de mutation, difficile à contourner – et pourtant, après sa disparition, l'on
se mit très vite à lui dénier toute importance réelle, ne lui attribuant tout au plus
que quelques lignes dans les ouvrages d'histoire de l'art et ne le nommant qu'avec
une sorte de respect contraint et détaché.
La disparition du peintre, en 1916, donna lieu à d'importants articles dans les
journaux danois et fut annoncée dans la presse allemande et française. Au cours
Vilhelm Hammershøi travaillant sur le portrait d'Ida (cat. 52)
30 Strandgade, 1907, photographie, Copenhague, Det kongelige Bibliotek
ヴィルヘルム・ハマーショイ、紹介
ポール・バッド
Carl Th。Dreyerが1918年に最初の特集を作成したとき、The President、
彼は多くの責任を負う画像構成とシーンを設計しました
ハマーショーイの絵画に。ドレイヤーは画家の中で、
感情の強さと対応した古典的および禁欲的な秩序
彼らがますます表現されようとしていた彼自身の創造的な願望に
彼の作品でより明確に-おそらく最も明確に
1964年からの彼の最新作、Gertrudは、デーンにとってはほぼ
Hammershøiを参照せずに考えられない。映画製作者は
最も重要な、おそらく唯一の本当の画家の後継者、明らかに
間接的に、この人が持っていて、ある意味で保持している孤立した位置、
デンマークのアート内-そしておそらく国際的にアート。
ドレイヤーが大統領を撮影したとき、ハマーショーイは2年間死んでいた、
有名人のサミット。この同じ年はコペンハーゲンで開催されました
彼の記憶への暴露は、これまでに行われた中で最大でした。しかし
ハマーショーイは偉大な芸術家として死んだだけでなく、
デンマークとヨーロッパの芸術における現象としてのデレ。途中で
近代性のブレークスルーの、彼の明らかな保守主義は彼の芸術を
ある種の突然変異、回避するのは難しいが、その消失後、我々は
せいぜいそれを帰属せずに、本当に重要なことをすぐに否定し始めました
美術史作品のほんの数行だけで、
一種の制約された独立した敬意。
1916年の画家の失Theは、
デンマークの新聞とドイツとフランスの新聞で宣伝されました。中に
ヴィルヘルム・ハマーショイがアイダの肖像画に取り組んでいる(cat。52)
30 Strandgade、1907、写真、コペンハーゲン、Det kongelige Bibliotek
Hammershøi i Dreyer
5つ星のうち4.0 秋の展覧会を待ってみましょうか
2008年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハンマースホイとドライヤー。世紀転換期の画家と、ひと世代下の映画監督。二人のデンマーク人の関係(基本的には前者から後者への影響)をテーマに、2006年から2007年にかけてコペンハーゲンとバルセロナで行われた展覧会の図録。
本文はカタラン語で、後ろにごく小さな活字でスペイン語訳と英訳が掲載されています。
造本のラフさが少し気になりますが、お手軽な価格ですし、持ちやすい大きさで、内容も悪くない。一応おすすめです。ただ、今はひとまず、この秋に東京で行われるハンマースホイの大規模な回顧展の図録を待ってから判断した方が良いような気がします。
本書で図版として収録されているハンマースホイの作品は36点ですが、日本での出品は約90点。また、展覧会初日には本書にも寄稿しているコペンハーゲンの美術館長フォンスマークさんがまさに二人について講演されるとのことで、東京展でも本書のテーマはある程度カヴァーされているようです。
現在同展はロンドンで開催中でその 図録 も書籍化されていますが、いかんせんお値段が(笑)。しかも東京展は英国のものより規模が大きく展示方法も異なるとのことなのでこれもやはり日本版の図録をまず待つのが良いかと。
これだけでは西洋美術館の宣伝になってしまうので(笑)、本書についてもう少し。豊富に盛り込まれたドライヤーの作品の写真、充実した文献リストは価値が高い。4本ある論考は、単純な影響や表面的な類似の指摘にとどまらず、例えば写真というテクノロジーの視点から両者を眺めるなどより高度な考察を加えたものもあり、読み応えがあります(ただ個人的には、耳に聞こえない周波数の轟音が常に鳴り響いているような異様な運動感・強度を持つドライヤーの画面と、空気までが石化したようなハンマースホイのそれとの間には類似よりも断絶が大きすぎるという印象が強く、どうしても説得されませんでしたが)。
もっと少なく読む
出版社 : Institut De Cultura De Barcelona; Multilingual版 (2007/1/30)
発売日 : 2007/1/30
言語 : スペイン語, 英語
ペーパーバック : 158ページ
ISBN-10 : 8498031389
ISBN-13 : 978-8498031386
寸法 : 16.51 x 1.27 x 22.86 cm
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