群像に連載された「探究3」は連載時にはなかったプルードンの章が加筆されて、単行本の『トランスクリティーク』になった。
ただし、出版年月日は先になる『NAM原理』ではブラッシュアップされたにもかかわらずプルードンは脚注に名を出すだけに格下げされている。
マルクスの名前で看板を掲げたために、政治革命ではなく社会革命を目指すというNAMの原理の内実がおろそかになった。
NAM原理はプルードンの原理と言っても言い過ぎではなかったのに。
それはWEB上でNAM会員によって採択された原理第二稿のプルードンへの言及の拡大を見てもわかる。
組織としてのNAMはマルクス主義の延命装置として機能してしまったのだ。
追記;
『プルードン研究』(岩波書店)でも引用されていましたが、サルトルのプルードンへの言及をあらためて引用したいと思います。
ドゥルーズが晩年、サルトルを再評価していたのもうなづけます。
以下引用です。
「マルキシスムもまた競争相手の理論を吸収し、消化して、開かれたままでいなければならなかったにちがいない。ところが人も知るように実際につくり出されたのは、百の理論の代りに二つの革命的イデオロジーにすぎなかった。ブルードン主義者は、一八七〇年以前の労働者インターナショナルでは多数を占めていたが、パリ・コンミューンの失敗によっておしつぶされた。マルキシスムは敵対者に打勝ったが、その勝利は、マルキシスムがのり越えながらそのなかに含んでいたヘーゲル的否定の力によるものではなく、純粋に単純に二律背反の一方の項を押えた外力によるものであった。その光栄のない勝利がマルキシスムにとってどういう代価を意味したかは、何度いってもいい過ぎない。すなわち矛盾する相手が欠けたときに、マルキシスムは生命を失った。もしマルキシスムが最もよい状態にあり、絶えず戦い、征服するために自己を変革し、敵の武器を奪って己れのものにしていたとすれば、それは精神そのものとなっていたであろう。しかし、作家貴族がマルキシスムから千里もはなれたところで抽象的な精神性の番人になっている間に、マルキシスムは教会になったのである。」
サルトル『文学とは何か』第三章「誰のために書くか」(『シチュアシオン2』人文書院p141.加藤周一訳)より
5 Comments:
追記:
鎌田さんはNAMの前身であるMLに参加していて、そのままNAMに参加すればよかったのに、退会してから批判している。
内在的批判を大事にしなければ組織などは成り立たないのだし、鎌田さんの問いかけにいちいち対 応できるような、組織としてのNAMの意見を代弁できる人間などいなかった。情報公開と言ってもメルアドをさらすわけにもいかないし。
鎌田さんのNAMと日本軍とのアナロジーは時代錯誤だと思う。少なくともNAMは消費社会、情報資本主義に対抗したものだったからだ。
西部さんは、2002年のNAM代表選出くじ引きで候補から辞退している。1年くらい代表をしていればQのNAMへの借りもなくなっていたのに、その点では筋を通さなかったと思う。
Q-NAM論争と言っても、西部さんが柄谷さんの私信を公開したのがきっかけであって、(地域通貨は市民通貨という担保がある形との共存が望ましいという柄谷さんの主張以外に)内実はなかった。
柄谷さんの側も、Qを共同運営するというのは最初からQ側にその気がなかったのだから無理だと 認識すべきだった。地域通貨の名前が投票でQになった時点であきらめるべきだったのだ。
Qはその後、NAMかQかという二者択一でQを選んだひとたちを次々粛清していった。雇った用心棒が次々人を切るのだから西部さんも戸惑ったろう。鎌田さんは地域通貨には興味がないのだから、地域通貨に関心がある人をこれ以上犠牲にしてほしくない。
NAMはQとの関係が柄谷さんによって駄目になった後、代表の田中さんがやる気をなくして解散した。
田中さんにやる気があれば、Qのかわりにレインボーリングを採用したり、MLではなく完成していたというSNS?ウェブシステムを活用すれば存続できた。
真相は田中さんが、柄谷さんの作品であるNAMというものを残したくなかったということだ。そこま で田中さんは柄谷さんがQとの関係を悪化させたことに怒っていた。西部さんにせよ柄谷さんにせよ 文筆家は作品が残るからいいが、摂津さんにせよ田中さんにせよ翻弄されたひとたちはかわいそうだった。
シルビオ・ゲゼル「自然的経済秩序」序論
http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo1-0-jp.html
以下、同サイトより引用させていただきます。
プルードンが社会主義者に50年以上前に明らかにした、不断の重労働で資本家を
うまく攻撃でき放逐できるという方策は、今日当時よりも理解されていない。
プルードンは完全に忘れ去られてこそいないものの、誰も彼をきちんと理解して
いない。そうでなければ、資本家はいなくなっていたことだろう。
(中略)
プルードンは、彼の墓で決して安らかには眠っていない。彼は休んでいるだけだ。
しかしマルクスは急いでいる。プルードンが目を覚まし、人類の過ち博物館に
マルクスを落ち着かせるまで彼は落ち着かない。
>>5
パーソンズの理論に近くなりますが、アソシエーション内部もまた分節化
されるべきだと思います。
参考:『プルードン研究』p48作田啓一作成の図。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200703/12/41/a0024841_23552739.jpg
195 :追加訂正:2008/01/21(月) 05:33:20 0
>>193
>そもそもこの文章自体が何を言ってるのか、全く理解できないでしょう。
ゲゼルの減価式通貨に関してはTV版『エンデの遺言』がいいと思います。
プルードンに関しては、
『経済的諸矛盾の体系、貧困の哲学』も翻訳されていないので仕方ないですが、
ネット上に資料はあります。
http://www.grsj.org/colum/colum/prouhdon_kaheikaikakunitsuite.htm
プルードンの貨幣改革について
追記:
情報資本主義の現在は、少人数による起業を可能にするなどプルードンがアソシエー
ションを模索した時代に近くなっています(『トランスクリティーク』p437参照)。
winds-Qがオープンソースとしての理念をいつ放棄したのかが問題だと思います。高額取引者には独自にLETSをつくってもらうというのが処分の仕方としては適当だったと思いますが、それができなかったのは残念です。
現在、freeassociationのHPも閉鎖されており、同じことがNAMにも言えると思いますが、、、、
関本さんもいろいろ大変だったでしょう。お疲れ様でした。攝津正
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