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ウォーターハウス『オデュッセウスとセイレン 』( Ulysses and the Sirens )1891
アドルノの否定弁証法は、音楽とのアナロジーでとらえるとわかりやすい。
哲学 カント ヘーゲル マルクス? アドルノ アイスラー?
| (弁証法)(唯物論的弁証法)(否定弁証法)
|____| | |
| | |
音楽 ベートーベン シェーンベルク マーラー
(ソナタ形式)
シェーンベルクについてもアドルノは書いているが(参照『新音楽の哲学』86頁)、マーラ
ー論が秀逸だと思う。新音楽(シェーンベルク等)以前の主観的音楽がアドルノの趣味と合致
するのだろう。
そのマーラー論を読むと、アドルノのヘーゲルに逆らいつつも魅かれている様子がよく分かる。
詳細な図だと(アドルノはアイスラーと対応させた)、
音 楽 | 哲 学
|
バッハ |ライプニッツ(モナド)
| |
モーツァルト(イタリア的) |
『ドンジョバンニ』 | (キルケゴール)
| |
| |カ ン ト
ベートーベン(ソナタ形式) |
前/後期 (地方ドイツ的)|ヘーゲル(弁証法)
| | |
| シューベルト |
| (ハンガリー的)|
| |
|_ワーグナー(唯名論的 |ショーペンハウアー
| ロマン主義)|
| |
|_ブラームス_____ |
|_ブルックナー(素朴)||
| ||
|_マーラー ||フロイト(自我=エス)
| ||
|ドビュッシー(印象派)||ベルグソン
| ||
| シェーンベルク___||マルクス(唯物論的弁証法)
| 後期/ジャズ |
| |
ストラビンスキー |ニ ー チ ェ /マッハ
(退行、野蛮?、 |
キュビスム)/ジャズ |
|
アイスラー |アドルノ(否定弁証法)
附録:
アドルノの音楽批判の原点にホメーロスがある。
アドルノは『啓蒙の弁証法』でオデュッセウスを論じ、セイレーンについて触れた部分では、オデュッセウスを精神労働、乗組員を肉体労働者としている。神話が啓蒙のはじまりでもあり、啓蒙の行き着く先が神話だとされる。
<オデュッセウスは歌声を聞く。だが、彼はマストにつけられたままだ。(略)自らは歌を聞くことがない仲間たちは、歌の危険を知っているだけでその美を知らない。オデュッセウスと自らを救うために、かれらはオデュッセウスをマストに縛ったままにしておく。(略)縛られている者はいわばコンサート会場にいる。のちの聴衆のように身じろぎもせず、じっと耳を澄まして。(略)こうして先史世界との離別に際して、芸術の享受と肉体労働とは別々の道を歩むのである。>
(岩波文庫『啓蒙の弁証法』p.74-5 及び『現代思想の冒険者たち アドルノ』p.153-4参照。同書p.115によると、ベンヤミンの掌編「フランツ・カフカ」におけるセイレーンについての記述がアドルノのモチーフになっている。)
ちなみに、スピノザは『神学政治論』で社会契約の重要性の一例として船員が約束を守って縄をほどかないエピソードを扱っていた。
動画は『オデュッセウス』(テリー・イングラム監督、2008年)より。原作に忠実なコンチャロフスキー版の方が出来がいいが、セイレーンのエピソードはこの映画にしかない(ただしこの映画は、耳栓用の蜜蝋がなくなるところなど原作に忠実なのは途中までですぐにホラー映画になってしまう。なお超大作のカーク・ダグラス版はセイレーンの描写はあるが残念ながら日本語版が出ていない)。
Ulisse e le sirene (Kirk Douglas - 1954)
VIDEO
さらに重要な作品として、Moses und Aronがある。
シェーンベルクの図像化禁止の主題にチャレンジした傑作を映画化。
その他参考動画: 「キルケゴール〜早くも『ドン・ジョバンニ』に、ワーグナーをまってはじめて音楽的に解放されることになるむき出しの自然の魔力を聴き取り、、、」(『キルケゴール(1933)』p42) 「ベートーヴェンは弁証法的なのだ。その意味がもっとも明瞭なものとなっている作品が、『熱情』の第一楽章である。」(『ベートーヴェン』p95) 「音楽にもとづく音楽を作るという傾向(略)、これらすべては、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』にそのモデルがある。」(『新音楽の哲学』p256-7) "He refuses to follow Briinnhilde to Valhalla when the Absolute denies him the happiness of individuation that is libelled by Wagner and Schopenhauer alike: If I must die I shall not go to Valhalla. Let hell hold me fast! " ("In search of Wagner"p142) 「フロイト理論における、自我に対するエスと超自我との了解という事柄は、マーラーにぴったりである。(略)第八交響曲の「過ぎ去りゆくものはすべてただ一つの比喩」の第一稿は、何十年もアルバン・ベルクの家にあったが、トイレットペーパーの上に書かれている。マーラーの隠された衝動は、上部構造を拒絶し、音楽文化の内在が覆い隠しているものへと迫ろうと欲する。」(アドルノ、邦訳『マーラー』p53-4) 「『変わり者のラヴィーヌ将軍』というドビュッシーの前奏曲の表題は、計画的にジャズの理念を先取りしているように思われる。」(『楽興の時』p148) 「この五重奏曲(シェーンベルクop.26)において、ソナタは自らの正体を知り尽くしてしまっている。」(『楽興の時』p214) 「「傑作という観念を馬鹿にしている『兵士の物語』」(『新音楽の哲学』p244) 「ストラヴィンスキーは実際、ニーチェのヴァーグナーに対する敵対関係の過程を最後まで突き詰めたのである。」(『新音楽の哲学』p247) 「『幸福な手』や『ヴォツェック』においては,部分衝動がはっきり名ざしで音楽によって記録されている。(略)これは、ジャズにおいて、「パロディーめいて」あらわれるのとおなじ音色なのである。」(『楽興の時』p158) 「『ヴォツェック』の第三幕に出てくる酒場のシーンは、旋律的・抽象的なリズムが主題的なものとなっている最初の例である。」(『新音楽の哲学』p114) 「階級的感覚を音楽そのものに、つまり作曲の態度に浸透させるという真に数少ない試み(略)〜ハンス・アイスラーの二十年代後半から三十年代前半へかけてのいくつかの作品、、、」(『音楽社会学序説』p115) 参考: 『音楽・メディア論集(1927-68)』p20(フロイト) 『楽興の時(1928-62)』p132(ジャズ,印象主義),148(ドビュッシー/ジャズ),p158(ベルク,ジャズの音色) 『キルケゴール(1933)』p42(モーツァルト,自然の魔力) 『新音楽の哲学(1949)』p86(シェーンベルク,唯物論),86(ブラームス),87(ワーグナー),90(ジャズ), 112(シェーンベルク), 203(ドストエフスキー),210(ムソルグスキー317),227(ユング),232(ショーペンハウアー), 233(マッハ),247(ストラビンスキー,ニーチェ),251(カフカ),267(印象派),276(ソナタ),277(ヘーゲル), 301(退行),307(シェーンベルク, 表現主義) 『In search of Wagner(1952)』第十章(ヘーゲル,ショーペンハウアー,ニーチェ) 『プリズメン(1955)』p210(バッハ=融合) 『不協和音(1956)』p284(ヴァーレーズ) 『マーラー(1960)』p44(ブルックナー),53(フロイト),95(ショーペンハウアー),129(ソナタ形式), 196(プルースト,ニーチェ) 『音楽社会学序説(1962)』p115(アイスラー),118(モーツァルト),243(ブロッホ,地方主義),276(イタリア),335(ベルグソン, ドビュッシー),357(ヘーゲル,ベートーベン),359(モナド) 『否定弁証法(1966)』p135(音楽,哲学),21,151,204(ライプニッツ=全体,同一性,統一) 『ベートーヴェン(1993)』p67(カント,へーゲル),102(ヘルダーリン) 『否定弁証法講義』p72(ニーチェ) 『道徳哲学講義』p132,252(ベートーベン),264(イプセン『野鴨』=カント定言命令),181(シラー×) 『アドルノ伝(2003)』p280(ワーグナー),371−2(アイスラー)
追加:
アドルノは「流行歌分析」("Schlageranalysen"1929年、邦訳『アドルノ 音楽・メディア論集』所収)で、珍しく具体的にポピュラー音楽を論じている。
以下、そこに登場する三曲。
『ヴィーデンにちょっといい宿があるんだ』
ZARAH LEANDER- "ICH WEIS AUF DER WIEDEN EIN KLEINES HOTEL"(EIN WIENER WALZER) EN VÅRSANTASI
アドルノは上の曲を「エセ印象主義」と手厳しく断じている(p118)。
『ヴァレンシア』ミスタンゲット
Mistinguett Valencia 1926
上の曲の歌詞はボードレールの「パロディ」(p127)だそうだ。
『奥さまお手をどうぞ』ジャック・スミス
Tango: 'I kiss your Hand, Madame' - Jack Smith
「インチキ臭い優雅さ」(p131)と、これまた手厳しい。
総じて歌謡曲における退化にも弁証法を適用させているアドルノの態度には賛否両論あるだろうが、上記の分析はかなり詳しいものでもあるので勉強になった。アドルノに批判的な中村とうよう氏あたりの意見も聞きたい。
上記は、歌謡曲だが、、、
アドルノの言説を分析/総合すると、ジャズはアドルノの記述順には以下の4つの現れ方をする(歴史的にはリズムが先と考えるべきだろうが)。
一つ目は音色として表れ(ドビュッシー、ベルク)、
二つ目はそれが大衆に対しては風俗として現れ(ドビュッシー)、
三つ目はシンコペーションとして現れ(ブラームスが先駆、シェーンベルク、ストラビンスキー)、
四つ目は時間の乖離、空間重視として作品構造を支配する原理となって現れる(シェーンベルク、ストラビンスキー)。
1と2、3と4で作曲者名の重複があるのが解りづらい原因だろう。
一つ目の音色に関しては、ドビュッシーに似たコードを使うジャズピアニスト、ビル・エバンズを聴くとよく分かる。
三つ目のリズムに関しては、本来はもっと身体論的な分析が必要だろう。これにはドゥルーズのリズムと拍子は違うという指摘が参考になる(アドルノは拍子しか見ていない)。
重要なのは四つ目で、これはドゥルーズの映画におけるイメージから時間への支配要素の断絶的移行の指摘に似ている。これは両者の力点の置き方が時期的に違うにしても、歴史的な視点の提示として貴重であろう。
まとめると、ジャズは全体の構造として、
リズム+世界観
_________
音色+大衆イメージ
といったように分子/分母が交互に更新すると考えた方がいいかも知れない。
一般にアドルノの理論としては二つ目が一般に知られている。
その結果エリート知識人の単なるジャズ嫌いと受け止められる。
参考:『楽興の時(1928-62)』p132,158(◯ジャズの音色),148(☆エキセントリック)、『不協和音(1956)』p78(*シンコペーション)、『新音楽の哲学(1949)』p90(△ジャズ)
なお、アドルノのテレビ出演はいくつかあるが『アドルノ伝』などの伝記を読んでも詳細がよく分からない。
ベケット論
0:22
「‥人間の切れ端、つまりそもそも自身の自我を失った人間。こうした人間はまさに現実に私たちが生きている世界の産物なのです。 」(『アドルノ伝』邦訳p.454より)
"Optimistisch zu Denken ist kriminell". Eine fernsehdiskusion über Samuel Beckett. ("Frankfurter Adorno Blätter III.")
1968年1月17日ケルンにて収録。
集団行動論
Adorno über Gruppenverhalten
Adorno says (he speaks in very long sentences with hardly no periods):
„ this corresponds exactly to the theory, which sociology has about the term of the „in-group versus the „out-group, where you strengthen the coherence of your own group by bringing up emotions/affects against the „out-group and besides you even have to strengthen your own group, to make it an efficient tool for the fight against the „out-group
-CUT, so that you can see the the back of the presenter-
„I believe that, to comprehend it, you have to remember, that the spectators on the playing fields/in the sports stadiums all over the world behave in a manner towards the foreign team, which are completely contradictory to the rules of hospitality, which usually still apply in a private frame, so that you can say that on sport events, people are xenophobic everywhere and forget about hospitality.
-CUT, in a soccer stadium, german national anthem is played-
feminine voice:
„there's an atmosphere in the stadium
„But it's a dangerous atmosphere among the mass of indivualized, that merge into one mass of people. The atmosphere can turn from one moment to the next into aggression.
参考:
「それぞれのサッカーゲームにおいて既に、それぞれの土地の住人は主人として接待する権利を軽蔑し、
恥知らずにもおのれのチームに歓声を上げるのです。」
(『批判的モデル集1介入』p209)
「アドルノは,(略)自集団と他集団との厳格な対置に注意を促す。」(『アドルノ伝』p346)
大衆音楽論
1965年ゲーレンとのラジオ討論(『アドルノ伝』p494)
Th. W. Adorno bei einer Vorlesung アドルノ講義 1968
Klärung welche Anarchie Marx ablehnte- nämlich die der anarchistischen Warenproduktion- nicht die Idee einer Freiheit von Herrschaft insgesamt.
マルクスは、商品生産全体の統制からの自由をめざすアナキズムを拒否した、、、?
Theodor_W._Adorno_-_Dokumentation_zweiter_Teil_1〜6より抜粋
音 楽 | 哲 学 |参照元:『否定弁証法』p21,135(兄弟),151 バ ッ ハ |ライプニッツ(モナド) |『プリズメン』p210『音楽社会学序説』p273(バッハ,普遍性), | ヘンデル | | 359/『否定弁証法』p204(ライプニッツ) ハイドン | | | /、バッハ=シェークスピア? | | | | モーツァルト(イタリア的) | |『音楽社会学序説』p115,276 、ゲーテ | 『ドン・ジョバンニ』| キルケゴール | 『キルケゴール』p42 |(ロンド形式/自然の魔術)| | | | | | ベートーベン前/後期 | |カ ン ト |『音楽社会学序説』p276(@地方、ドイツ的),357(カント) |(西北地方ドイツ的@| | | /『道徳哲学講義』p264(イプセン『野鴨』=定言命令) |/ソナタ形式)| | |ヘ ー ゲ ル(弁 証 法) |『新音楽の哲学』p277(ヘーゲル) 、ヘルダーリン | | | | |『新音楽の哲学』p276(ソナタ形式) 、イプセン | シューベルト | | | | (ハンガリー的) | | | 『音楽社会学序説』p280 | ムソルグスキー | | | 『新音楽の哲学』p210,317 | (ロシア) | | | | | | | ワーグナー(ロマン主義、魔術|ショーペンハウアー |『アドルノ伝』p280『マーラー』p95 、ボードレール | /唯名論的)| | 『マーラー』p87『新音楽の哲学』p87,232 | || | /『音楽社会学序説』p108(ショーペンハウアー?) |_ブラームス@*___|| |*シンコペーション『不協和音』p78『新音楽の哲学』p86 |_ブルックナー(素朴)|| | 『マーラー』p44 | || | |_マーラー______|| フロイト(自我=エス) | 『マーラー』p53(フロイト),129(ソナタ形式)、プルースト | || /ニーチェ/プルースト | 『マーラー』P143(シェーンベルク),196(ニーチェ) | || | ドビュッシー(印象主義) || ベルグソン? |『新音楽の哲学』p267『音楽社会学序説』p335、マラルメ? /ジャズの理念☆、音色◯ || |『楽興の時』p132(◯ジャズの音色),148(☆ジャズの理念) || | ストラビンスキー* ||ユング/マッハ/ニ ー チェ |『新音楽の哲学』p227,233,247(ニーチェ)、ドストエフスキー (退行、野蛮? || | |『新音楽の哲学』p203(ドストエフスキー),301 /キュビスム) || | |『新音楽の哲学』p90(△ジャズ) /ジャズ△ || (反体系)| 『否定弁証法講義』p72(ニーチェ) || | | シェーンベルク*_____||フロイト/マ ル ク ス| |『メディア論集』p20(フロイト)『新音楽の哲学』p86 表現主義、後期/ジャズ△| | (唯物論的弁証法)| | (唯物論),112,307(表現主義),90(△ジャズ) 、カフカ? | | | | ベルク◯___| | | |◯ジャズの音色『楽興の時』p132,158(ベルク) ヴェーベルン_| | ヘーゲル | |『不協和音』p235 ワイル? | ブレヒト | |『不協和音』p142(歌唱運動),175(プラトン,着想信仰) アイスラー |アドルノ(否定弁証法)_| |『音楽社会学序説』p115『アドルノ伝』p371-2 ヴァーレーズ |アンナ・フロイト(攻撃者への |『不協和音』p284 | 同化)| 文学関連参考書: 『ベートーヴェン』p51,96(モーツァルト,ゲーテ),103(ハムレット,ゲーテ),『ベートーヴェン』p102(ヘルダーリン),『道徳哲学講義』p264(イプセン『野鴨』=定言命令)、『Wagner』p90(ボードレール)、『マーラー』p189,196(プルースト、ニーチェ)、『新音楽の哲学』p203(ドストエフスキー)、『新音楽の哲学』p183(ベンヤミン『断片的,カフカ,ジョイス,プルースト』) 追記: ホ メ ー ロ ス | | ライプニッツ | バッハ | シェークスピア | | |_モーツァルト__ _ カント____ | | |_ゲーテ |_ _ベートーベン__ _| ヘーゲル___| | | | | ショーペンハウアー| ワーグナー | ボードレール | | フロイト | マーラー | プルースト | | ベルグソン | ドビュッシー | マラルメ? | | ニーチェ | ストラビンスキー| ドストエフスキー | | マルクス | シェーンベルク | カフカ? あるいは、 ホ メ ー ロ ス | | シェークスピア | バッハ | ライプニッツ | | _ _モーツァルト | ゲーテ____| | ___カント |_ _ベートーベン_| | | |_ _ヘーゲル | | ボードレール | ワーグナー | ショーペンハウアー | | プルースト | マーラー | フロイト | | マラルメ? | ドビュッシー | ベルグソン | | ドストエフスキー | ストラビンスキー | ニーチェ | | カフカ? | シェーンベルク | マルクス *音楽(悟性?)が文学(感性)と哲学(理性)の媒介となる。
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右の兄アロンは歌い横字幕
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