アビ・ヴァールブルグ
Aby Warburg (1866-1929)
20世紀初頭のドイツ、ワイマール文化の成熟と相まって、後のヨーロッパ美術史研究に決定的な影響をもたらすことになるヴァールブルグ文庫の創設者。「アトラス・ムネモシュネー」と呼ぶ「記憶の地図」といった意味を持つ分類構造の考えは、ハイパーリンクの理念的原点となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アビ・ヴァールブルク
アビ・ヴァールブルク(1900年ごろ)
アビ・モーリッツ・ヴァールブルク(Aby Moritz Warburg, 1866年6月13日 - 1929年10月26日)はドイツの美術史家。
ハンブルクの富裕なユダヤ人銀行家の家庭に生まれ育つ。祖先はイタリアからドイツに移住したセファルディム。ボンとミュンヘンとストラスブールで考古学と美術史のほか、医学、心理学、宗教史を学ぶ。博士論文のテーマはボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』と『プリマヴェーラ』だった。
長男だったが家業の相続を嫌い、家督を弟に譲る代わりに、生家の経済的援助で好きな学問を生涯追究し続けた。フィレンツェで美術を研究する一方、1896年には米国に旅して、ホピ族に関する人類学的研究をおこなう。「蛇儀礼」がその論考である。
ヨーロッパに戻り、個人的蒐集物の保存と公教育に資することを意図し、ヴァールブルク文化学図書館(Kulturwissenschaftliche Bibliothek Warburg)を設立。
鬱病と統合失調症を患い、1921年、スイスのクロイツリンゲンにあったルートヴィヒ・ビンスヴァンガーの神経科医院に入院。1924年、医師や患者仲間たちの前で高度な学術的講義をおこなうことで正気を証し、退院を許される。
晩年の5年間は、ヴァールブルク文化学図書館で研究生活に没頭。精神病の再発を気遣いつつも、未完に終わった「ムネモシュネ・アラス」への主要論文を執筆。ハンブルクで心臓病のため死去。
ヴァールブルクの死後、ヴァールブルク文化学図書館は国家社会主義ドイツ労働者党の台頭を避けてイギリスロンドンに移転し、ロンドン大学附属のウォーバーグ研究所 (Warburg Institute)となった。
邦訳著作
『ヴァールブルク著作集』全7巻 伊藤博明・岡田温司ほか訳、ありな書房、2003~06年
1. サンドロ・ボッティチェッリの「ウェヌスの誕生」と「春」
イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究
2. フィレンツェ市民文化における古典世界
3. フィレンツェ文化とフランドル文化の交流
4. ルネサンスの祝祭的生における古代と近代
5. デューラーの古代性とスキファノイア宮の国際的占星術―付:図(1枚)
6. ルターの時代の言葉と図像における異教的=古代的予言
7. 蛇儀礼 北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ
『異教的ルネサンス』 進藤英樹訳、ちくま学芸文庫 2004年
「デューラーの・・・」と「ルターの・・・」の一部を所収
『蛇儀礼』 三島憲一訳 、岩波文庫 2008年
※以下は、「ヴァールブルク著作集―別巻」 ありな書房 、未刊:2010-11年に刊行予定
『ムネモシュネ・アトラス (仮)』 田中純、加藤哲弘、伊藤博明訳注
『イメージの政治学 (仮)』 各.図版多数
研究評伝
田中純 『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』 青土社、2001年
前田耕作・松枝到編 『ヴァールブルク学派 文化科学の革新』平凡社
「ヴァールブルク・コレクション」の別巻、1998年、詳しい書誌入り。
『アビ・ヴァールブルク伝 ある知的生涯』 晶文社 1986年
エルンスト・ゴンブリッチ/鈴木杜幾子訳
『残存するイメージ アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』
ジョルジュ・ディディ=ユベルマン/竹内孝宏・水野千依訳、人文書院 2005年
『シンボルの遺産』 フリッツ・ザクスル/松枝到訳 ちくま学芸文庫、2005年
著者は後継者の1人、ヴァールブルク文庫とヴァ-ルブルク回想の章がある、初版せりか書房、1980年。
『シンボルの修辞学』 晶文社・図像と思考の森 2007年 上記に同じ
エトガー・ヴィント/秋庭史典、加藤哲弘、金沢百枝、蜷川順子、松根伸治共訳
カルロ・ギンズブルグ/竹山博英訳 『神話・寓意・徴候』 せりか書房、1988年
第2章に、「ヴァールブルクからゴンブリッチへ」がある。
『記憶された身体 アビ・ヴァールブルクのイメージの宝庫』
1999年7月6日-8月29日 国立西洋美術館で催したオーストリア国立図書館所蔵
アルベルティーナ版画素描コレクションの解説図録
『死の舞踏 中世末期から現代まで』
2000年10月11日-12月3日 国立西洋美術館で催したデュッセルドルフ大学所蔵
版画素描コレクションの解説図録
Aby Warburg, Mnemosyne
http://www.medienkunstnetz.de/works/mnemosyne/
http://www.educ.fc.ul.pt/hyper/resources/mbruhn/
アトラス・ムネモシュネーはヴァールブルクが計画した壮大な図像の百科事典の試み。今のgoogle画像検索の先駆けか? 近年では画像の内容を自動検索する研究が盛んだが、当時は大変だったに違いない。研究者の田中純氏によれば以下の「A」がすべての画像の最初にくる。
最後の写真の左下に
以前紹介したジョットの壁画(「希望」の寓話画)がある。
ちなみに、ヴァールブルクの死の直前、1929年10月24日(木曜日)のニューヨーク、世界大恐慌がウォール街の株式市場の大暴落(「暗黒の木曜日(ブラック・サースデイ)」)に端を発し、全資本主義諸国に波及した。
4 Comments:
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和漢三才図会 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%BC%A2%E4%B8%89%E6%89%8D%E5%9B%B3%E4%BC%9A
和漢三才図会
アシカ(右)とオットセイ、38巻72頁
『和漢三才図会』(わかんさんさいずえ)は、日本の類書(百科事典)[1]。正徳2年(1712年)成立。
目次 [非表示]
1 概要
2 各巻構成
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
概要[編集]
編集者は大坂の医師寺島良安で、師の和気仲安から「医者たる者は宇宙百般の事を明らむ必要あり」と諭されたことが編集の動機であった。中国の『三才図会』を範とし、いわば絵入りの百科事典である。全体は105巻81冊に及ぶ膨大なもので、各項目には和漢の事象を天(1~6巻)、人(7~54巻)、地(55~105巻)の部に分けて並べて考証し、図(挿絵、古地図[2])を添えた。本文は漢文で解説されている。
三才図会をそのまま写した項目には、空想上のものや、荒唐無稽なものもあるが、博物学などにとり貴重な文化遺産といえる(博物学者南方熊楠は、全巻を筆写したという)。また著者が医師(もちろん漢方医)であるだけに、東洋医学に関する記事は非常に正確で、鍼灸師の中には、これをもっとも信頼できる古典と見る人もいる。
国立国会図書館や九州大学総合研究博物館では、本の複写がデジタル保存されていて、全項目の内容をウェブサイト上で閲覧することができる。(下記の外部リンクの項目参照。)
出版物としては島田勇雄ほか訳注<平凡社東洋文庫>全18巻が、最も手に取り易い。また東京美術に、高価だが1巻本の「原典復刻本」がオンデマンド版である。(元版は上・下巻で品切、1976年)
各巻構成[編集]
巻数 分類[3]
1 天部
2 天文
3 天象類
4 時候類
5 暦占類
6 暦択日神(暦日吉凶)
7 人倫類
8 人倫親族
9 官位部
10 人倫之用
11 経絡部
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