http://www.freeassociations.org/
NAMs出版プロジェクト: 『世界史の構造』索引:作業中
http://nam-students.blogspot.jp/2010/10/blog-post_7190.html@NAMs出版プロジェクト: 索引(『世界史の構造』+『帝国の構造』):作業中
どこかで柄谷が予告していた通り、『世界史の構造』英語版p.130には日本語版第二部第四章1「呪術から
宗教へ」193頁に対応する部分にルトヴィン・ヘンスラーの主張したアジールについての学説がアニマに関
連して半頁ほど追加されている。その他、英語版序文や索引が新たについた。岩波現代文庫では追加されている。
There are, however, instances of magic filling an egalitarian function
even in state societies : we see this in instances of the right of asylum. Under
it, people are freed from social constraints. The right of asylum is universal
to state societies. It possesses an ethical significance that liberates people
from social constraints and limits. This does not spring up from humanism.
Ortwin Henssler argues that the right of asylum originated in magic, not
in some ethical significance.(5) But how could something magical in nature
acquire ethical significance? In my view, the right to asylum represents the
return of suppressed mode of exchange A (that of nomadic egalitarianism)
during the period when clan society transformed into state society. In
that sense, the right to asylum harbored an ethical significance from the
start. But it was manifested in the form of a compulsion, the return of the
repressedーas, in other words,a kind of magical power. State power is not
able to touch people who claim asylum because they possess a kind of anima.
ただし、国家社会に残った呪術的なものが「平等主義的」な機能を果たす例がある。それは「アジール」である。そこに入ると、人々はそれまでの社会的拘束から解放される。アジールはどんな国家社会にも普遍的に存在している。それは社会的な拘束や制限から解放させる倫理的な意義をもつのである。むろん、それはヒューマニズムにもとづくものではない。オルトヴィン・ヘンスラーは、アジールは元来、呪術的な起源をもつもので、倫理的な意味をもっていなかったという(4)。では、なぜ呪術的なものが倫理的な意義をもつのか。われわれの考えでは、アジールは、氏族社会が国家社会になった時点で抑圧されようになった遊動性が回帰したものである。その意味で、最初から倫理的な意義をはらんでいる。ただ、それは「抑圧されたものの回帰」として、強迫的なかたちであらわれる。すなわち、呪術的な力として。国家的な権力がアジールに逃げ込んだ者に手を出せないのは、彼らにいわばアニマが付いているからだ。
(5) オルトヴィン・ヘンスラー『アジールその歴史と諸形態』舟木徹男訳、国書刊行会。 [ 記号は4の間違い]
柄谷は外側にフラクタル構造を見つけようとしているが、
|
国連 |
____|_____
|国家|国民
|__|___
|資本|X
| |
内側に見つけるべきなのだ。
|
国家 | 国民
____|_____
|籤引|多重所属
資本 |__|___
|地域|∞
|通貨|
柄谷は外側にフラクタル構造を見つけようとしているが、
|
国連 | WHO
____|_____
|国家|国民
IMF |__|___
|資本|X
| |
内側に見つけるべきなのだ。
|
国家 | 国民
____|_____
|籤引|多重所属
資本 |__|___
|地域|(長池評議会)
|通貨| ∞
柄谷は外側にフラクタル構造を見つけようとしているが、
|
国連 | WHO
____|_____
|国家|国民
IMF |__|___
|資本|X
| |
内側に見つけるべきなのだ。
|
国家 | 国民
____|_____
|籤引|多重所属
資本 |_(長池評議会)_
|地域|
|通貨| ∞
訂正
ソクラテス
2
柄谷は外側にフラクタル構造を見つけようとしているが、
|
国連 | WHO
____|_____
|国家|国民
IMF |__|___
|資本|X
| |
内側にも見つけるべきなのだ。
|
国家 | 国民
____|_____
|籤引|多重所属
資本 |_(母体としてのデモ?)_
|地域|
|通貨| ∞
柄谷は外側にフラクタル構造を見つけようとしているが、
|
国連 | WHO
____|_____
|国家|国民
IMF |__|___
|資本|X
| |
内側に見つけるべきなのだ。
|
国家 | 国民
____|_____
|籤引|多重所属
資本 |_(長池評議会)_
|地域|デモ??
|通貨| ∞
120年周期説だと日清日露戦争が反復することになる
汎アジア版NAMが廣松渉の遺言通りに必要になる
柄谷行人のように国家を交換様式の一つとして捉えるべきだろう
_______________________
| | |
| | |
| | |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| | |
| | |平
|___________|___________|
| | |等
| | |
| | |
| 資本 | アソシエーション |
| C | D X |
| | |
| | |
|___________|___________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。
世界史の構造p360で柄谷が引用した手紙は、平凡社プルードンセレクションからのものである。
『古代社会経済史(古代農業事情)』180^485(『支配の社会学II』の間違い),(209)^489,
『世界共和国へ』であったカリスマの記述93頁はなくなっている。
第2部 世界=帝国 85
序論 国家の起源 87
第1章 国家 93
1 原都市=国家 93
2 交換と社会契約 97
3 国家の起源 102
4 共同体=国家 106
5 アジア的国家と農業共同体 108
6 官僚制 116
第2章 世界貨幣 121
1 国家と貨幣 121
2 商品世界の社会契約 126
3 『リヴァイアサン』と『資本論』 131
4 世界貨幣 135
5 貨幣の資本への転化 140
6 資本と国家 147
第3章 世界帝国 156
1 アジア的専制国家と帝国 156
2 周辺と亜周辺 162
3 ギリシア 167
4 ローマ 175
5 封建制 179
第4章 普遍宗教 188
1 呪術から宗教へ 188
2 帝国と一神教 194
3 模範的預言者 200
4 倫理的預言者 203
5 神の力 212
6 キリスト教 216
7 異端と千年王国 220
8 イスラム教・仏教・道教 226
英語版は小さい193頁に対応する部分にアジールについてのヘンスラー説への言及が追加されている。
第2部 世界=帝国 85
序論 国家の起源 87
第1章 国家 93
1 原都市=国家 93
2 交換と社会契約 97
3 国家の起源 102
4 共同体=国家 106
5 アジア的国家と農業共同体 108
6 官僚制 116
第2章 世界貨幣 121
1 国家と貨幣 121
2 商品世界の社会契約 126
3 『リヴァイアサン』と『資本論』 131
4 世界貨幣 135
5 貨幣の資本への転化 140
6 資本と国家 147
第3章 世界帝国 156
1 アジア的専制国家と帝国 156
2 周辺と亜周辺 162
3 ギリシア 167
4 ローマ 175
5 封建制 179
第4章 普遍宗教 188
1 呪術から宗教へ 188
2 帝国と一神教 194
3 模範的預言者 200
4 倫理的預言者 203
5 神の力 212
6 キリスト教 216
7 異端と千年王国 220
8 イスラム教・仏教・道教 226
英語版は第二部第四章1呪術から宗教へ193頁に対応する部分にアジールについてのヘンスラー説への言及が半頁ほど追加されている。
参考:
Amazon.co.jp: アジール―その歴史と諸形態: オルトヴィン・ヘンスラー, 舟木 徹男: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4336052271/
ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1396517679&sr=1-1&keywords=%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%AB
網野善彦、阿部謹也に多大な影響を与えたアジール論の名著。待望の初邦訳!翻訳者による、アジールを現代へと接続するための画期的論考を付す。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ヘンスラー,オルトヴィン
1923年シュトゥットガルト生まれ。長年バーデン・ヴュルテンベルク州の司法行政に携わり、同州の司法省で判事および省庁ディレクターとして活動。63歳で定年退職を迎え、現在もシュトゥットガルトに在住
舟木/徹男
1973年石川県生まれ。1996年京都大学文学部卒業。2007年京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得満期退学。現在、龍谷大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
http://d.hatena.ne.jp/sasaki_makoto/20120425
2012-04-25 オルトヴィン・ヘンスラー『アジール』(国書刊行会)
舟木徹男「解題――アジールの近代――」
オルトヴィン・ヘンスラー『アジール――その歴史と諸形態』(舟木徹男訳、国書刊行会)
彼(ジャン・ジャック=ルソー)がアルプスの自然にはじめて美を見出した人物であることは有名だが(144)、「森に二十歩入れば権力から自由である」という言葉を残した彼はまた、アジールとしての「森」をこよなく愛した人でもあり、ブーローニュの森を散策して思索にふけった。
144.それまでは交通の巨大な障害物であるか、さもなければ土俗的コスモロジーに彩られた場であったアルプスの自然に「風景」の美を見出した近代の認識論的布置は、大人と区別された「子供」を見出したそれと同質のものであったことを柄谷行人は指摘している[柄谷2008:173]。
柄谷行人『定本 日本近代文学の起源』岩波現代文庫、2008(単行本は2004年)
ヘンスラー『アジール(避難所)』はドイツでの研究だというが、ナチス政権下でのユダヤ人虐待を考えると読むのが多少嫌になって来た。影響された網野義彦は確かに天皇制に批判的だったが、どちらかといえば流行思想の輸入と思われたのではないだろうか。
16分
柄谷行人「昔は無縁が良いって言ってたんですよ。皆、縁が嫌で都会に出て来た」
20分
柄谷行人氏はアジールや網野義彦にそれほど興味あるとは思えないが、長池講義(2007年~)で会場の八王子という場所に関して高澤秀次、いとうせいこう氏がそれらに言及し始めたと思う。ヘンスラー『アジール』(国書刊行会)の訳書が出たのは2010年だという。
58分
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%AB
アジールあるいはアサイラム(独: Asyl、仏: asile、英: asylum)は、歴史的・社会的な概念で、「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などとも呼ばれる特殊なエリアのことを意味する。ギリシア語の「ἄσυλον(侵すことのできない、神聖な場所の意)」を語源とする。具体的には、おおむね「統治権力が及ばない地域」ということになる。現代の法制度の中で近いものを探せば在外公館の内部など「治外法権(が認められた場所)」のようなものである。
英語版p.130には第二部第四章1呪術から宗教へ193頁に対応する部分にアジールについてのオルトヴィン・ヘンスラー説が半頁ほど追加されている。
どこかで柄谷が予告していた通り、英語版p.130には第二部第四章1呪術から宗教へ193頁に対応する部分
にルトヴィン・ヘンスラーの主張したアジールについての学説がアニマに関連して半頁ほど追加されている。
その他、英語版序文や索引が新たについた。
There are, however, instances of magic filling an egalitarian function
even in state societies : we see this in instances of the right of asylum. Under
it, people are freed from social constraints. The right of asylum is universal
to state societies. It possesses an ethical significance that liberates people
from social constraints and limits. This does not spring up from humanism.
Ortwin Henssler argues that the right of asylum originated in magic, not
in some ethical significance.(5) But how could something magical in nature
acquire ethical significance? In my view, the right to asylum represents the
return of suppressed mode of exchange A (that of nomadic egalitarianism)
during the period when clan society transformed into state society. In
that sense, the right to asylum harbored an ethical significance from the
start. But it was manifested in the form of a compulsion, the return of the
repressedーas, in other words,a kind of magical power. State power is not
able to touch people who claim asylum because they possess a kind of anima.
There are, however, instances of magic filling an egalitarian function even in state societies :
we see this in instances of the right of asylum. Under it, people are freed from social constraints. The right of asylum is universal to state societies. It possesses an ethical significance that liberates people from social constraints and limits. This does not spring up from humanism.
Ortwin Henssler argues that the right of asylum originated in magic, not in some ethical significance. But how could something magical in nature acquire ethical significance? In my view, the right to asylum represents the return of suppressed mode of exchange A (that of nomadic egalitarianism) during the period when clan society transformed into state society. In that sense, the right to asylum harbored an ethical significance from the start. But it was manifested in the form of a compulsion, the return of the repressedーas, in other words,a kind of magical power. State power is not able to touch people who claim asylum because they possess a kind of anima.
状態でも社会で平等主義的機能を満たす魔法のインスタンスは、しかし、があります。
私たちは、亡命の権利の場合にこれを参照してください。その下に、人々は社会的な制約から解放されます。亡命の権利は国家社会に普遍的である。それは社会的な制約と限界から人々を解放する倫理的な意味を持っています。これはヒューマニズムから跳ね上がるません。
Ortwin Hensslerは亡命の権利はなく、いくつかの倫理的な意味では、魔法の発祥と主張している。しかし、どのように自然の中で不思議な何かが倫理的な意味を獲得するだろうか?私の見解では、亡命の権利は氏族社会が国家社会に転換期間中の為替A(遊牧民平等主義のそれ)の抑制モードのリターンを表しています。その意味では、亡命の権利は、最初から倫理的な意味を抱いて。しかし、それは強制の形で明らかにした、のリターンつまり、魔力のようなもので、ようー抑制した。国家権力は、彼らがアニマの種類を持っているので、亡命を主張人々に触れることができません。
どこかで柄谷が予告していた通り、『世界史の構造』英語版p.130には第二部第四章1呪術から宗教へ
193頁に対応する部分にルトヴィン・ヘンスラーの主張したアジールについての学説がアニマに関連
して半頁ほど追加されている。その他、英語版序文や索引が新たについた。
There are, however, instances of magic filling an egalitarian function
even in state societies : we see this in instances of the right of asylum. Under
it, people are freed from social constraints. The right of asylum is universal
to state societies. It possesses an ethical significance that liberates people
from social constraints and limits. This does not spring up from humanism.
Ortwin Henssler argues that the right of asylum originated in magic, not
in some ethical significance.(5) But how could something magical in nature
acquire ethical significance? In my view, the right to asylum represents the
return of suppressed mode of exchange A (that of nomadic egalitarianism)
during the period when clan society transformed into state society. In
that sense, the right to asylum harbored an ethical significance from the
start. But it was manifested in the form of a compulsion, the return of the
repressedーas, in other words,a kind of magical power. State power is not
able to touch people who claim asylum because they possess a kind of anima.
どこかで柄谷が予告していた通り、『世界史の構造』英語版p.130には日本語版第二部第四章1呪術から
宗教へ193頁に対応する部分にルトヴィン・ヘンスラーの主張したアジールについての学説がアニマに関
連して半頁ほど追加されている。その他、英語版序文や索引が新たについた。
There are, however, instances of magic filling an egalitarian function
even in state societies : we see this in instances of the right of asylum. Under
it, people are freed from social constraints. The right of asylum is universal
to state societies. It possesses an ethical significance that liberates people
from social constraints and limits. This does not spring up from humanism.
Ortwin Henssler argues that the right of asylum originated in magic, not
in some ethical significance.(5) But how could something magical in nature
acquire ethical significance? In my view, the right to asylum represents the
return of suppressed mode of exchange A (that of nomadic egalitarianism)
during the period when clan society transformed into state society. In
that sense, the right to asylum harbored an ethical significance from the
start. But it was manifested in the form of a compulsion, the return of the
repressedーas, in other words,a kind of magical power. State power is not
able to touch people who claim asylum because they possess a kind of anima.
どこかで柄谷が予告していた通り、『世界史の構造』英語版p.130には日本語版第二部第四章1「呪術から
宗教へ」193頁に対応する部分にルトヴィン・ヘンスラーの主張したアジールについての学説がアニマに関
連して半頁ほど追加されている。その他、英語版序文や索引が新たについた。
There are, however, instances of magic filling an egalitarian function
even in state societies : we see this in instances of the right of asylum. Under
it, people are freed from social constraints. The right of asylum is universal
to state societies. It possesses an ethical significance that liberates people
from social constraints and limits. This does not spring up from humanism.
Ortwin Henssler argues that the right of asylum originated in magic, not
in some ethical significance.(5) But how could something magical in nature
acquire ethical significance? In my view, the right to asylum represents the
return of suppressed mode of exchange A (that of nomadic egalitarianism)
during the period when clan society transformed into state society. In
that sense, the right to asylum harbored an ethical significance from the
start. But it was manifested in the form of a compulsion, the return of the
repressedーas, in other words,a kind of magical power. State power is not
able to touch people who claim asylum because they possess a kind of anima.
『アジール -その歴史と諸形態』 Formen des Asylrechts
translator:舟木徹男(Funaki Tetsuo) Publisher:国書刊行会(Kokusho Kankohkai)
commentary:舟木徹男(Funaki Tetsuo) 2010/6
ISBN978-4-336-05227-8
オルトヴィン・ヘンスラー
FROM MODES OF PRODUCTION TO MODES OF EXCHANGE
Friday, April 18 2:00 – 6:00
Fredric Jameson Introductory Remarks: from Kant to Modes of Production
I. On Karatani Chair, Leo Ching
Ken Kawashima Transcritique alongside the Parallax: On capitalist crisis (Kozo Uno), unemployment and race
Viren Murthy Karatani’s “Trinity”
Phil Wegner Karatani’s Dialectic: Absolute Formalism and Utopic Figuration
II. Wang Hui Karatani in Beijing: Some notes from the Seminar on The Configration
of World History
Chair, Michael Hardt
Saturday, April 19 9:00 am – 6:00 pm
!
III. The Political Dimension Chair, Mark Driscoll
Arif Dirlik History and Politics in Karatani's Structure of World History
Kanishka Goonewardena Marxist Intercourse and Kantian Anarchism in the Struggle for Communism:
From Verkehr to Verkehrung
Takushi Odagiri A Binary of the Everyday
IV. History and Globalization Chair, Negar Mottahedeh
Harry Harootunian World History, Kyoto Philosophy and the Problem of the Present
Chris Hill Modes of Production, Modes of Exchange, and World Pictures
V. Modes of Production (I) Chair, Ralph Litzinger
Marilyn Ivy Anthropologies of the Archaic: Gift, Reciprocity, Sacrifice
Joel Wainwright On Plunder, State, Capital, and X
Gavin Walker Perversion and Transition: On Modes of Production and Modes of Exchange
VI. Modes of Production (II) Chair, Rey Chow
Manu Goswani The World in World-Republic
Kristin Ross Cooperatives and the Commune-form after the Paris Commune
Naoki Sakai Transactions for the Community
VII. Kojin Karatani Neoliberalism as a Historical Stage
Chair, Harry Harootunian
著作集第一巻で三枝はマルクス『経済学批判』序言↓を論じている。
<…‥わたくしの研究にとって導きの糸として役立った一般的結論は、
簡単につぎのように公式化することができる。人問は、その生涯の社会的生産において、一定の、
必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸カの一定の発展段
階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっ
ており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、
一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、
政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのてはなくて、逆
に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。(社会の物質的生産諸力は、その発展があ
る段階にたっすると、いままでそれがそのなかで働いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法
的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生涯諸力の発展諸形態
からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。)経済的基礎の変化に
つれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。このような諸変革を考察
するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革
と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の
諸形態、つづめていえばィデオロギーの諸形態とをつねに区別しなければならない。(ある個人を
判断するのに、かれが自分自身をどう考えているかということにはたよれないのと同様、このよ
うな変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識
を、物質的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説
明しなければならないのである。一つの社会構成は、すべての生産諸力がそのなかてはもう発展
の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産
諸閔係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとって
かわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる課題だけであ
る、というのは、もしさらにくわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条
件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生
するものだ、ということがつねにわかるであろうから。)大ざっぱにいって、経済的社会構成が進
歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生産様式をあげる
ことができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵
対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形
態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある精算書力は、同時にこ
の敵対関係の解決のこめの物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって。人間社
会の前史はおわりをつげるのである。>
(マルクス『経済学批判』岩波文庫13~15頁より。『世界史の構造』4-5頁参照)
柄谷は引用に際してカッコ内を省略したが、三枝は二番目のカッコ内を重要視する。
正誤表
472頁
(18)
第六篇三七章→第六篇六章
正誤表
472頁
(16)
照明→証明
(18)
第六篇三七章→第六篇六章
473頁
(21)交換のはたらき→世界時間
490頁
(4)
交換のはたらき→世界時間
497頁
(11)
三頁→九頁
『世界史の構造』正誤表
頁数
203 ブッダの生まれたのは前463(諸説あり、これも間違いではないが)ではなく、前563。
261 『ブリュメール18日』発表は1851年ではなく1852年。
472 照明→証明?
472 注(18)は第三巻第六篇三七章ではなく、第三巻第一篇六章。
473及び、490
ブローデルの著書の副題は「交換のはたらき」ではなく「世界時間」。 TOP
アサビーヤ(عصبية 'aṣabīyah)は、アラビア語で「集団における連帯意識」または「部族主義」を意味する。特に、イブン・ハルドゥーンが歴史を動かす原動力として重要視したことで注目されるようになった。いわく、連帯意識の強い集団が、連帯意識の弱い集団を征服する。
アサビーヤは、アラビア語で「絡みつく、縛る」という意味を持つ عصب('aṣaba)から派生している言葉であり、ほかに「神経過敏」という意味も持つ。
関連項目 編集
歴史序説
参考文献 編集
『イスラム事典』、平凡社、1982年
『歴史序説』(全4巻)、森本公誠訳、岩波書店〈文庫〉、2001年
この項目は、歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。
イブン・ハルドゥーン[注釈 1] (アラビア語: ابن خلدون, 英語: Ibn Khaldun, 1332年5月27日 - 1406年3月19日)は中世のイスラーム世界を代表的する歴史家、思想家、政治家。イスラーム世界最大の学者とも呼ばれる[2]。
イブンハルドゥーン
609年周期
再びエジプトに帰還した後には何度か大法官を務め、六度目の就任の直後に病を得て歿した。
思想 編集
王朝を招く主因として、アサビーヤ論を展開した。アサビーヤ論については、著書『歴史序説』に詳しい。
評価 編集
アーノルド・J・トインビーは、イブン・ハルドゥーンをトゥキディデスやマキャベリと並べ、アラブの天才としている[25]。G・サートンは、彼が中世最大の歴史家であり、マキャベリ、ヴィーコ、コント、クールノーらの先駆だとした[26]。
2006年までチュニジアで発行されていた10ディナール紙幣に肖像が使用されていた。
主な著書 編集
كتاب العبر (kitāb al-ʿibar, 『歴史』(『イブン・ハルドゥーンの書』、あるいは題名の最初の単語をとった『イバルの書』と呼ばれることもある)[27])
التعريف بابن خلدون ورحلاته شرقا وغربا (at-taʿrīf bi-ibn ḫaldūn wa-riḥlatu-hu ġarban wa-šarqan, 『自伝 西また東』)
『宗教学概論要説』
『マグリブ事情』
『諸問解明を励む人の治癒』
日本語訳書
『歴史序説』 森本公誠訳、岩波文庫全4巻、2001年
岩波書店〈イスラーム古典叢書〉全3巻、1979-87年
脚注 編集
注釈 編集
^ 全名はワリー・アッ=ディーン・アブー・ザイド・アブドゥッラフマーン・イブン・ムハンマド・イブン・ムハンマド・イブン・アル=ハサン・イブン・ジャービル・イブン・ムハンマド・イブン・イブラーヒーム・イブン・アブドゥッラフマーン・イブン・ハーリド(ハルドゥーン)・アル=ハドラミー(ولي الدين أبو زيد عبد الرحمن بن محمد بن محمد بن الحسن بن جابر بن محمد بن إبراهيم بن عبد الرحمن بن خالد (خلدون) الحضرمي)。
^ 公文書の決まった場所に特定のフレーズを大きく特殊な書体で記す官職である。(森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、82頁)
^ 後に冒頭の序論と第1部である「歴史序説」が独立した書物として広く読まれた。
出典 編集
^ a b 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、195頁
^ 私市編『アルジェリアを知るための62章』明石書店 2009、 72頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、73頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、75頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、76頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、76頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、79-80頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、80頁
^ a b 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、83頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、83-84頁
^ a b 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、84頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、84-85頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、87-88頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、88-89頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、89頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、90頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、90頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、92頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、92-93頁
^ a b 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、93頁
^ a b 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、94頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、94-95頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、95頁
^ 私市編『アルジェリアを知るための62章』明石書店 2009、 p.72
^ アーノルド・J・トインビー 『歴史の研究』6巻 154頁
^ G・サートン 『古代中世科学文化史』5巻 395頁
^ 森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、200頁
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参考文献 編集
森本公誠『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫、2011年)、元版・講談社〈人類の知的遺産22〉、1980年
田村実造等訳『イブン・ハルドゥーンの「歴史序説」(上下)』
アジア経済研究所「アジア経済調査研究双書:第107-08集」、1964-65年
A.-A.マレク/柏木英彦訳『イブン・ハルドゥーン』
『シャトレ哲学史2-中世の哲学』より、(山田晶監訳、白水社、1976年、新装版1998年)
オルテガ・ガセット 『現代文明の砂漠にて』(西澤龍生訳、新泉社)にも論考が有る。
私市正年編 『アルジェリアを知るための62章』 明石書店、2009年4月。ISBN 4-7503-2969-7。
外部リンク 編集
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イブン=ハルドゥーンは『歴史序説』(岩波文庫第一巻440,442頁)で王朝は
三世代120年以上は存続しないと述べている。
これは柄谷行人がウォーラーステインの影響で述べた120年周期説と奇妙に一致する。
柄谷は産業資本から金融資本、あるいは自由主義から帝国主義への移行を述べているので、国家が
王朝のように三世代で徐々に堕落するという話をしている訳ではないが、興味深い一致だ。
経済決定論だとコンドラチェフの波のように60年周期がせいぜいだが国家が介在すると周期が倍になる。
heuristic=発見的仮説と柄谷は説明している(『政治を語る』)。
参考:
『世界史の構造』163頁
『帝国の構造』240頁
《王朝の三世代論
彼はこのような定理に立って 、王朝の三世代論を説く 。それは一世代約四十年とみなし
王朝の寿命は概して三世代を越えないというもので 、強い連帯意識に支えられている第一世代 、
奢侈と安逸から連帯意識が弱化する第二世代 、完全に連帯意識を喪失した第三世代の計百二十年
からなる 。その間 、王朝にみられる現象として 、田舎的生活様式から都会のそれへの変化がある 。
またイブン=ハルドゥーンは三世代論に並行して 、王朝五段階論を説く 。それは王朝の勃興から
滅亡までの発展過程を 、王朝の樹立 、人民に対する完全な支配権の確立 、王権の安泰 、伝統
主義への満足 、浪費と荒廃 、の五段階に分け 、最後に王朝は滅亡に向かうという 。そしてこの
支配王朝が崩壊への道をたどり始めたときには 、その結果として新しい国家が勃興しつつある 。
その勃興形態に二つあり 、第一は地方の有力者が遠隔地の支配権を握る場合である 。第二は 、
人心を得るためになんらかの理由を宣伝したり 、人心をゆさぶるほどの武力や団結力をもつなど
して 、支配王朝に反乱を起こす謀反者の場合である 。この二つのうちイブン=ハルドゥーンが重視
しているのは第二の場合である 。》
イブン=ハルドゥーン (講談社学術文庫) Kindle版
森本公誠 (著)
都会的を金融化と解釈してはどうか?
第二の反乱例は1848,1968年を想起させる。対抗運動の考察においてもイブン=ハルドゥーンは先駆的だった。
クイズ
この絵は何?
https://2.bp.blogspot.com/-PjcEnA7U1og/ViguObkmEQI/AAAAAAAAzVY/bVb4Mv5pHUw/s1600/a0024841_034537.jpg
正解はイブン=ハルドゥーン『歴史序説』冒頭で紹介されている14世紀当時の世界地図。
(上下逆)
引用閉じる[26] ^ G・サートン 『古代中世科学文化史』5巻 395頁
古代中世科学文化史 5 第一四世紀の後半
著者名等 G.サートン/著 ≪再検索≫
著者名等 平田寛/訳 ≪再検索≫
出版者 岩波書店
出版年 1966.10
大きさ等 22cm 440,60p
注記 Introduction to the history of science./
の翻訳
NDC分類 402
件名 自然科学-歴史 ≪再検索≫
岩波現代文庫版『世界史の構造』は、アジール(2:4:1,第二部第四章第1節〜目次Chapterが
通し番号になっているので英語版だとこの章番号表記を使いにくい〜)に関する部分以外に、
ギリシア(2:3:3文庫版177~189頁)に関する部分も全面的に改稿、加筆されている。
アーレントの引用(181頁)など、全体の主題と重なるし、『哲学の起源』の要約的な箇所もある。
個人的には179頁で緩やかな連合体の象徴としてオリンピアの競技会を挙げたのが印象的だ
った。
宣伝文にもある通り、文庫版2015.1は単行本2010ではなく、英語版2014に依拠している。
また、柄谷の幾つかのアイデアの元ネタがアーレントで、
アーレントの元ネタがトクヴィル(『アメリカのデモクラシー(民主政治)』)だから、
単行本にはなかったトクヴィルへの間接的的言及(181頁)は重要だと思う。
NAMs出版プロジェクト: 索引(『世界史の構造』+『帝国の構造』):作業中
http://nam-students.blogspot.jp/2014/12/blog-post_15.html