内的・手段的機能用件充足に対応。「パターン維持と緊張処理pattern-maintenance and tension-managemenr」を含む。これは、一方では諸部分の活動を適切に動機づけ、システム全体の活動を長期にわたって維持すると同時に、その仮定で蓄積されるシステムないの緊張を放出する働きを司る。
External problems Adaptation Goal-attainment - natural resources - political offices - commodity production - common goals ←自由 Internal problems Latency Integration (or Pattern Maintenance) - family - religious systems - schools - media 平等 ↓
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めていますので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返しながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明には重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類をしていますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ーの代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者 ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めています ので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、 交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返し ながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明に は重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類を していますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも 「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と 権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ー の代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
名前: 考える名無しさん E-mail: sage 内容: <ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者 ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めています ので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、 交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返し ながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明に は重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類を していますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも 「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と 権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ー の代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者 ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めています ので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、 交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返し ながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明に は重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類を していますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも 「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と 権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ー の代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者 ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めています ので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、 交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返し ながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明に は重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類を していますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも 「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と 権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ー の代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
http://www.bibalex.jp/Book/06/06079.html 書名:『断片化する理性──認識論的プラグマティズム』 原書名:The Fragmentation of Reason: Preface to a Pragmatic Theory of Cognitive Evaluation 著者:スティーヴン・P・スティッチ 訳者:薄井尚樹 概 要: 著者スティーヴン・P・スティッチはアメリカの哲学・認知科学者。プリンストン大学にて博士号取得。現在はラトガーズ大学教授、シェフィールド大学名誉教授。英米における哲学的認識論の伝統的な問題を捉えなおし、認識の目的は多様であるとする認識論的多元主義を提示する。
http://www.bibalex.jp/Book/06/06079.html 書名:『断片化する理性──認識論的プラグマティズム』 原書名:The Fragmentation of Reason: Preface to a Pragmatic Theory of Cognitive Evaluation 著者:スティーヴン・P・スティッチ 訳者:薄井尚樹 概 要: 著者スティーヴン・P・スティッチはアメリカの哲学・認知科学者。プリンストン大学にて博士号取得。現在はラトガーズ大学教授、シェフィールド大学名誉教授。英米における哲学的認識論の伝統的な問題を捉えなおし、認識の目的は多様であるとする認識論的多元主義を提示する。
原注三 純粋哲学におけるわたくしの区分がほとんどいつも三分法的となることを人々は気づかわしく思っている。しかしこれは事柄の性質にあることなのである。およそ区分が先天的に行なわれるべきものとすれば、それは矛盾律にしたがって分析的となるか、──そのとき区分は常に二分法的となる(quodlibet ens est aut A aut non A. およそいかなるものも、Aでなければ、非Aである)──それとも総合的であるかであろう。そして後者の場合に区分が先天的概念からなされるべきであるならば(数学においてのように概念に対応する先天的直観からなされるべきではなくて)、総合的統一一般にとって必要とせられるもの、すなわち(一)制約(二)制約されたもの(三)制約されたものとその制約との結合から生まれる概念、にしたがって、その区分は必然的に三分法でなければならない。
単著 The Structure of Social Action(1937年) 『社会的行為の構造』稲上毅、厚東洋輔訳(木鐸社 1976年) 総論、マーシャル/パレート論、デュルケム論、マックス・ウェーバー論1・2の五分冊) The Social System(1951年) 『社会体系論』佐藤勉訳(青木書店 1974年、現代社会学大系) Structure and Process in Modern Societies(1960年) Theories of Society(1961年) 『社会システム概論』倉田和四生訳(東洋書房 1978年、パート2の序論他の部分訳) 『文化システム論』丸山哲央訳(ミネルヴァ書房 1991年、パート4の序論のみの訳) Social Structure and Personality(1964年) 『社会構造とパーソナリティ』武田良三監訳 丹下隆一等共訳(新泉社 1973年、フロイトに言及) Societies: Evolutionary and Comparative Perspectives(1966年) 『社会類型 進化と比較』矢沢修次郎訳(至誠堂 1971年) Sociological Theory and Modern Society(1967年)(カール・マルクスへの言及を含む。未邦訳) Politics and Social Structure(1969年) 『政治と社会構造』新明正道監訳(誠信書房 1973-74年。下巻でAGIL図式を解説) The System of Modern Societies(1971年) 『近代社会の体系』井門富二夫訳(至誠堂 1977年) The Sociology of Knowledge and the History of Ideas(unpublished, in Parsons Papers, Harvard Archives, 1974-75年) 『知識社会学と思想史』油井清光監訳 土屋淳二、杉本昌昭訳(学文社 2003年) Social Systems and the Evolution of Action Theory(1977年) 『社会体系と行為理論の展開』田野崎昭夫監訳(誠信書房 1992年) Action Theory and the Human Condition(1978年) 『宗教の社会学―行為理論と人間の条件第三部』徳安彰ほか訳、『人間の条件パラダイム—行為理論と人間の条件第四部』富永健一ほか著訳、勁草書房 2002年、前者は、ルネ・C・フォックス Renee C. Fox およびヴィクター・リッツ Victor Lidz との共同執筆を含む。後者は単独執筆で、カント主義者を自称) 『社会システムの構造と変化』倉田和四生編訳 (創文社 1984年、1978年来日時の講演録) 共著 Working Papers in the Theory of Action(- with Bales, A.Shils) 1953年) Family, Socialization and Interaction(- with Bales, Robert Freed, 1955年) R・F・ベールズ『核家族と子どもの社会化』橋爪貞雄等訳(黎明書房 1970-1972年)、『家族』1981年改題 Economy and Society( - with N. Smelser, 1956年) N・J・スメルサー『経済と社会―経済学理論と社会学理論の統合についての研究』富永健一訳(岩波書店 1958年) The American University( - with G. Platt, 1973年) Zur Theorie sozialen Handelns( - with Alfred Schütz, 1977年) アルフレート・シュッツ、W.M.スプロンデル編『社会理論の構成 社会的行為の理論をめぐって A.シュッツ=T.パーソンズ往復書簡』佐藤嘉一訳(木鐸社 1980年)『社会的行為の理論論争』と改題 共編著 The present position and prospect of systematic theory in sociology (1945年).=「社会学における体系的理論の現状と将来」『ギュルヴィッチ、ムーア編二十世紀の社会学第4巻』(誠信書房 1959年) Toward a General Theory of Action ( - with Schills and Klucklohn, 1951年)=(E・A・シルス)『行為の総合理論をめざして』日本評論新社 1960年、作田啓一、永井道雄、橋本真共訳による部分訳。パターン変数への言及あり) The Principal Structure of Community, Structure and Process in Modern Society(1960年).=論文「コミュニティの基本構造」『都市化の社会学』(誠信書房、1978年所収) Death in American society ( - with M.Lidz, 1967年)=(ヴィクター・M・リッツ)論文「アメリカ社会における死」『自殺の病理』(岩崎学術出版社 1972年所収) American Sociology (a collection of essays edited by Talcott Parsons, 1968年).=『現代のアメリカ社会学』東北社会学研究会訳(誠信書房 1969年) そのほか参考文献
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めていますので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返しながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明には重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類をしていますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ーの代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
Talcott Parsons on Institutions and Social Evolution: Selected ... books.google.co.jp › books
Selected Writings Talcott Parsons Leon H. Mayhew. 4. HOBBES. AND. THE. PROBLEM. OF. ORDER. For present purposes the basis of Hobbes' social thinking lies in his famous concept of the state of nature as the war of all against all. Hobbes is almost entirely devoid of normative thinking. He sets up no ideal of what ... Talcott Parsons, Leon H. Mayhew - 1985 - プレビュー - 他の版 Talcott Parsons: Critical Assessments - 第 2 巻 - 213 ページ books.google.co.jp › books
... let me pay tribute to his recognition of the importance of the Hobbesian question—the "problem of order," ashecallsit—atthewerybeginningofhissirstbook,TheStructureofSocialAction.4 Parsons correctly credits Hobbes with being the first thinker to see the necessity of explaining why human society is nota"warofall againstall ... Peter Hamilton - 1992 - プレビュー - 他の版 Essays in Honour of Talcott Parsons - 115 ページ books.google.co.jp › books
With this statement of the problem, Parsons had no quarrel. Indeed, he argued that Hobbes “saw the problem with a clarity which has never been surpassed, and his statement of it remains valid today.” ( Parsons, 1937:93). But if Parsons was in agreement with Hobbes on the nature of the problem, he was in substantial ... Christopher Hart - 2010 - プレビュー Talcott Parsons: Despair and Modernity - 50 ページ books.google.co.jp › books
There can also be similar forms of coercion in the social system and within social systems: 'there must be some way of limiting resort to [this form] of coercion' (Parsons 1937: 240). Moreover, Parsons agrees with Hobbes that if there were no constraining force over such forms of control there would be continual conflict. Shaun Best - 2016 - プレビュー - 他の版 Talcott Parsons - 100 ページ books.google.co.jp › books
To answer this question, it is necessary to examine in detail two of Parsons's analytical moves. The Hobbesian problem. — The utilitarian tradition begins with Hobbes's concept of men as creatures of reason in the service of passion. John Holmwood - 2006 - スニペット表示
... let me pay tribute to his recognition of the importance of the Hobbesian question—the "problem of order," ashecallsit—atthewerybeginningofhissirstbook,TheStructureofSocialAction.4 Parsons correctly credits Hobbes with being the first thinker to see the necessity of explaining why human society is nota"warofall againstall ... Peter Hamilton - 1992 - プレビュー - 他の版
199 Comments:
カントのカテゴリーについて:
パースはカントの4つのカテゴリ-を、(量、質)(関係)(様相)といったように3つに区分けし直した(パース著作集『現象学』)。他方、岩崎武雄は(量)(質)(関係)といったように3つに区分けし直した。岩崎は(様相)における3契機は他の3つのカテゴリーに振り分けられると指摘している(『カント『純粋理性批判』の研究』、純理b223参照)。
岩崎の立論は説得力はあるが、「総合」という役割を(関係)というカテゴリーのみに振り分けることには弊害もある。パースのように記述論理学的見地から「様相」を重視する視点があっても良いだろう。
3か?4か?ーーーサッカーのディフェンスではないが、思考の状況及び「相手」次第ということになるのではないだろうか?
行動システムにはウェーバー、フーコーが対応する
体系は以下でいい
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、、、フロイト
、、カント
、スピノザ
下が土台
一番上にアソシエーションがくる
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医学はデリックシステムから伸びる塔
もしくは
フーコーの位置
ネーションの位置でもいい
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| | | | ヘーゲル | | |ボルツァーノ
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| |/(ス ピ ノ ザ )| |/(物理学) | |/
| |___________|_老子_アンチノミー______|____/
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| / 実 践 理 性 批 判 |☆ / 判 断 力 批 判 | /
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新明正道、作田啓一など
パーソンズ研究者はプルードンと接点が多い
社会学の中でも特筆す可きだ
http://d.hatena.ne.jp/keyword/AGIL
AGIL scheme
パーソンズが提唱したシステム・モデル。四機能図式ともいう。
特に、生命システム以上の、システムとしての「要求」(needs)充足をもつような実在に摘要されるモデル。
通常、こうしたシステムは、外に向かっては外環境(外界)に対して一定の関係を維持しなければならないと同時に、内にあってはその機能要素の分化と統合の問題を抱えている。
同様にまた、システムはその「要求」充足との関係において、目的そのものへの直接的な志向と目的達成のための手段の確保への志向との両方に対して、活動を調整しなければならない。
パーソンズは、この質を異にする二つの方向への機能的課題(要件)に対応する機能ベクトル軸を(1)外的-内的(external/internal)、および(2)充足的-手段的(consummatory/instumental)とよび、その組み合わせによって、任意のシステム内にはつねに四つの異なる機能分化した下位システムが存在するとした。
AGIL図式とは、四つの機能分化した下位システム(四つの機能用件に対応)の頭文字をとって命名されたものである。
■適応(adaption;A):
外的・手段的機能用件充足に対応。主として当該システムの活動のための始源を外界(環境)から調達する働きによって成り立ち、同時にシステム全体の外界への広義の適応(該環境の修正、制御、収奪などを含む)を司る。
■目標達成(goal-attainment;G):
外的・充足的機能用件充足に対応。これは調達された資源を動因、管理して、システム全体としての目標を達成するという活動から成り立つとされる。
■統合(integrarion;I):
内的・充足的機能用件充足に対応。これは、システム内の諸部分がよく統制され、勝手な行動を避けて全体として安定した一貫性を維持するように、すなわちシステムを機能障害や唐突な変化から守る働きをする。
■潜在性(latency:L):
内的・手段的機能用件充足に対応。「パターン維持と緊張処理pattern-maintenance and tension-managemenr」を含む。これは、一方では諸部分の活動を適切に動機づけ、システム全体の活動を長期にわたって維持すると同時に、その仮定で蓄積されるシステムないの緊張を放出する働きを司る。
http://en.wikipedia.org/wiki/AGIL_Paradigm#Systematic_depiction_of_AGIL_functions
Instrumental functions Consummatory functions
External problems Adaptation Goal-attainment
- natural resources - political offices
- commodity production - common goals
Internal problems Latency Integration
(or Pattern Maintenance)
- family - religious systems
- schools - media
CB
DA
(X)
【再掲】「パリのデモから考える」(スタジオジブリ小冊子『熱風』2012年2号 ...
2012年3月12日 ... 古市はこうした若者の状態をコンサマトリーという言葉で形容した。コンサマトリーとは 自己充足的という意味である。せっかくだからすこし学術的に説明しよう。コンサマトリー はタルコット・パーソンズという社会学者が用いた概念であり、インス ...
ameblo.jp/philosophysells/entry-11190461401.html
http://en.wikipedia.org/wiki/AGIL_Paradigm#Systematic_depiction_of_AGIL_functions
Instrumental functions Consummatory functions
External problems Adaptation Goal-attainment
- natural resources - political offices
- commodity production - common goals
←自由
Internal problems Latency Integration
(or Pattern Maintenance)
- family - religious systems
- schools - media
平等
↓
CB
DA
(X)
内的なものは平等で
道具的なものは自由
規律をパーソンズは外に求める
____内的__
/信託シ/社会的共同体
道具的 /ステム/___/ |自己完結的
/ 経済/ 政治/ 社会システム
/___/___/ |
| 外的| | |
____内的__
/信託シ/社会的共同体
道具的 /ステム/___/ |自己完結的
/ 経済/ 政治/ 社会システム
/___/___/ |
| 外的| | |
____内的__
/信託シ/社会的共同体
道具的 /ステム/___/ |自己充足的
/ 経済/ 政治/ 社会システム
/___/___/ |
| 外的| | |
内的平等
道具的自由
980夜『グレン・グールド著作集』グレン・グールド|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0980.html
フォーリーはフランシスコ・ザビエル大学で化学を教えていた教授で、カナダ人。このフォーリーが『草枕』の話をした。グールドはそれが気にいって自分の鞄からストコフスキーと共演したベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第5番』のレコードを進呈した。その返礼に英訳『草枕』があとから送られてきた。
アラン・ターニーの翻訳で、“The Three-Cornered World”(三角の世界)というタイトルになっていた。例の、「四角な世界から常識と名のつく一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」から採ったタイトルだ。
/道/逆説/物//
41. Following b
上士聞道、勤而行之。中士聞道、若存若亡。下士聞道、大笑之。 不笑不足以爲道。
故建言有之。明道若眛、進道若退、夷道若■。上徳若谷、太白若辱、廣徳若不足、建徳若偸。質眞若渝、
大方無隅、
大器晩成、大音希聲、大象無形。 道隱無名。夫唯道、善貸且成。
優れた才能をもってる人が「道」に耳をかたむけたとき、熱心にそれを行う。
普通の人が「道」に耳をかたむけたとき、それを信じるように見えるが信じていない。
最も劣った人が「道」に耳をかたむけたとき、大声で笑う。
笑わなかったら、それは「道」でないかもしれない。
だから、「建言」にある。
理解しないように「道」を理解せよ。
そこから出てくるように「道」の中に入れ。
困難があるかのようになめらかに「道」とともに動け。
最高の徳は、徳でないかのようである。
すべてを包む徳は、徳を欠いているかのようである。
厳しい徳は怠けたぶらつきのようである。
真の本質は空であるかのようである。
大いなる白は黒であるかのようである。
大いなる方形には隅がない。
大いなる容器はできあがるのがおそい。(*晩→免で、大器は完成しない意という説が今日では主流。)
大いなる音楽は音がない。
大いなる象は形がない。
「道」は隠れたもので、名前がない。
しかし、「道」はあるゆるものに援助を与え、成しとげるようさせるものである。
大きすぎる四角は角がない
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柄谷は蓮実との対談でパーソンズを批判している。
講談社文芸文庫48頁
パーソンズは「交換」という概念と一緒に批判される
交換と一緒に再評価されるべきだ
晩年のパーソンズの体系は、あくまで共同研究の場のためにつくられた。
http://yojiseki.exblog.jp/7753405/
パーソンズと柄谷行人:まとめ
以下、以前の書き込みをまとめたものです。
/////////////////////////
『人間の条件パラダイム―行為理論と人間の条件第四部 』(p264)富永健一作製の図↓
(AGILではなくLIGA図式になっている。)
http://pds.exblog.jp/pds/1/200712/18/41/a0024841_102315.jpg
_______________
| III |社会的 |
| 信託システム | 共同体IIi |
|ーーーーーー-+ーーーーーー| 社会システム
| IIa経済 |政治IIg |
|______|______|
_________ ↑
| IL文化システム | 社会システムIi|
|ーーーーーーーー+ーーーーーーーー| 行為システム
| IA行動システム | パーソナリティ|
| | システムIG |
|________|________|
_____________ ↑
|Lテリックシステム | 行為システムI |
|ーーーーーーーー ーーー+ーーーーーーーーーー| 生命システム
|A物理化学システム |有機体システムG |
|________ ___|__________|
社会システム/行為システム/生命システムの関係
以下は基本AGILシステム図。
__________________________________
| | |
| L Latency 潜在性 | Integration 統合 I |
|ーーーーーーーーーーーーーー+ーーーーーーーーーーーーーーーーー|
| | |
| A Adaptation 適応 | Goal Attainment 目標 G |
|______________|_________________|
柄谷行人の4つの交換図はパーソンズの社会システムに対応している。
> _______________
> |III |社会的 |
> | 信託システム| 共同体IIi |
> |ーーーーーー-+ーーーーーー| 社会システム
> | IIa経済 |政治IIg |
> |______|______ |
人間的× | ○
契 |
約 ステート | ネーション
×g | i
|
________|________
キャピタル | アソシエーション
○ a | l
|
柄谷行人の交換図↑はlとgがパーソンズと逆。igal図式と呼べる。パーソンズの場合、契約の有無ではなくmessage/codeで分けられる。)
追記:
パーソンズによれば、LIGA図式にはそれぞれのレベルに思想家が対応している。
カント、フロイト、マルクス、デュルケムの位置づけが以下のようになされている。
社会システム→ マルクス
行為システム→ デュルケム(=文化システム)、フロイト(=パーソナリティシステム)
生命システム→ カント(第一批判=物理化学システム、第二批判=行為システム、第三批判=有機体システム)
http://pds.exblog.jp/pds/1/200712/29/41/a0024841_028022.jpg
(追記:普通ならウェーバーはマルクスと並べられるだろうが、パーソンズはカントとつなげている。)
追記:
その後、パーソンズのテリックシステムはカントが遺稿(『判断力批判』ではない)で扱ったスピノザの哲学が対応すると考えるようになった。また、生命システム全体をスピノザ、テリックシステムをライプニッツ及び論理学と考えるとカント哲学との整合性はより高くなると思う。
柄谷の交換図を規準にすると、
| |ステート| ネーション
| フロイト |____|_____
| | |
| |キャピタ| アソシエーション
G判断力批判 |___I 実践理性批判_ル_|____
| |
| |
| | デュルケム/ウェーバー
| |
______________|________________________
|
|
|
|
A純粋理性批判 | L スピノザ
|
|
|
カントを規準にすると以下(略語のみ)、
スピノザ | 純理
|
______|____
デュル| |
__実理__| 判断力
ア キ|フロ|
ネ ス|イト|
追記の追記:
またまた一般の人には何のことか判らないだろうが、柄谷四つの交換図をさらに分節化してみた。
人格:
なし あり
契
約
| |原 | |
アジア的| 氏族的 |父殺し |自然状態 |
| |(儀礼) | |
____B_____ |____A_____ | な
| | | | し
古典古代| 封建的 |贈与 |トーテム |
的(農奴制) | | |
____|_____|____|______
| | | |
独占資本|ワーコレ | 原理 | イベント|
| |くじ引き| HP |
____C_____ |____D_____ | あ
| | | | り
株式会社| 協同組合|地域通貨|SNS |
|信用組合 | | |
先日長池講義で柄谷行人はエディプスコンプレックスによって、国家(B)またはアソシエーション(D)を共同体(A)の側から説明したようだが(「at」第14号参照)、フロイト自体が国家と家族をアナロジーで説明しているので、柄谷の説明を共同体(A)を分節化したものと解釈しても間違いではないと思う。
ちなみにアソシエーション(D)におけるSNSはトーテムに対応し、さらにその中の地域系/関心系/階層系は現代における各自のトーテムということになる。
イベント、HPは不特定多数に無条件で開かれる。
参考:
ミルの論理学
http://yojiseki.exblog.jp/10263714/
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
// /|\ __
\__ | \ l\\
法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
O 演 /法 段|遍 自\ 法 O
諸 の 論|的 然\ 諸
事 /法 法|自 の\ 事 自 因
物 O 論 の|然 類\ O 物 然 果
・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 O/_________提|__________\O 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の O | O の
事 | 事
実 | 実
J.S.ミル(John Stuart Mill, 1806 - 1873)は上の図における形式的な演繹法(図:左側)よりも、実質的な帰納法(図:右側)を重視
した(とはいえそれは理性による真の推理とは異なる)。
「我々は帰納による以外には『普遍』を知ることができない。なぜならば抽象的な思考
によって到達された概念を理解せしめ得るのは帰納によってのみである。」
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
_________________
| | |
| | |
| 国家 | ネーション |
| B | A |
| | |平
|________|________|
| | |等
| | |
| 資本 |アソシエーション|
| C | D X |
| | |
|________|________|
自 由
『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。
反時計回りが帰納
時計回りが演繹
ligaが帰納
agilが演繹
g i
a l
パーソンズのは基本はAGILシステム図。
________________________________
| | |
|L Latency 潜在性 |Integration 統合 I |
|ーーーーーーーーーーーーーー+ーーーーーーーーーーーーーーーーー|
| | G |
|A Adaptation適応|Goal Attainment目標|
|______________|_________________|
柄谷行人の4つの交換図はパーソンズの社会システムに対応している。
> _______________
> |III |社会的 |
> | 信託システム| 共同体IIi |
> |ーーーーーー-+ーーーーーー| 社会システム
> | IIa経済 |政治IIg |
> |______|______ |
人間的でない| 人間的
契 |
約 ステート | ネーション
な G | I
し |
________|________
あ キャピタル | アソシエーション
り A | L
|
柄谷行人の交換図↑はlとgがパーソンズと逆。igal図式と呼べる。パーソンズの場合、契約の有無ではなくmessage/codeで分けられる。)
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├┼┃ 【第19弾】 ┃★┤
├┼┃ ┃┼┤
├☆┃ 5000ポイントが当たる ┃┼┤
├┼┃ ┃┼┤
├┼┃ 5000ポイントが当たる ┃☆┤
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第8エンド
日本後攻スキップ2投目 赤=日本 黄=ロシア
|↓
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| | \_|_/ | |
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|↓
赤 スルー
第8エンド
日本先攻?スキップ2投目 赤=日本 黄=ロシア
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| | \_|_/ | |
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|↓
赤 スルー
アメリカ戦第4エンド
日本後攻 スキップ2投目 黄=アメリカ 赤=日本
赤|
赤
黄 赤
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| / _|↓ \ |
| | / |赤3 黄 | |
_|__|_黄|_/ 黄1|__|__|_
| | |黄\_/ | | |
| | 2_|_/ | |
| \ | / |
\ \___|___/ /
\ 黄| /
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アメリカ戦第4エンド
日本後攻 スキップ2投目 黄=アメリカ 赤=日本
赤|
赤
黄 赤
_____|_____
/ | \
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/ / | \ \
| / _|↓ \ |
| | / |赤3 黄 | |
_|__|_黄|_/ 黄1|__|__|_
| | | 黄_/ | | |
| | 2_|_/ | |
| \ | / |
\ \___|___/ /
\ 黄| /
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アメリカ戦第4エンド
日本後攻 スキップ2投目 赤=アメリカ 黄=日本
|
_____|_____
/ | \
/ ___|___ \
/ / | \ \
| / _|_ \ |
| | / | \ | |
_|__|__|_/ \_|__|__|_
| | | \_/ | | |
| | \_|_/ | |
| \ | / |
\ \___|___/ /
\ | /
\_____|_____/
|
イギリス=赤戦
第二エンド
日本後攻スキップ2投目 黄=日本
|
_____|_____
/ | \
/ 3___|___ \
/ 赤 | \ 赤
| / _|_ \ |
| | 1 / | \ | |
_|__|_黄|_/ \_|__|__|_
| | | \_/ | | |
| | \_|_/ | |
| \ | 2 / |
\ \___|__黄/ /
\ | /
\_____|_____/
|
イギリス(=赤)戦
第5エンド
日本後攻スキップ2投目 黄=日本
|
_____|_____
/ |赤 \
/ ___|___ \
/ / 赤| \ 赤
| / _|_ \ |
| | 1 / | \ | |
_|__|_黄|_/1\_|__|__|_
| | | \黄/ | | |
| | \2赤↓/ | |
| \ |黄3 / |
\ \___黄___赤 /
\ | /
\_____|_____/
|
イギリス(=赤)戦
第5エンド
日本後攻スキップ2投目 黄=日本
|
_____|_____
/ |赤 \
/ ___|___ \
/ / 赤| \ 赤
| / _|_ \ |
| | / | \ | |
_|__|__|_/1\_|__|__|_
| | | \黄/ | | |
| | \2赤↓ / | |
| \ |黄3 / |
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「スレッド立てすぎです」「しばらくスレッドが立てられません」
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「処理が混んでいます」「流量制限中」「いろいろ作業中」
「PROXY規制中」「変なホストです」
「このホストは書き込み禁止です」
「BBS名が不正です」「キー情報が不正です」
「フォーム情報が不正です」「このスレッドには書けません」
「ブラウザ変ですよん」「Sjisで書いてね」
「クッキーをオンにしてちょ」
「このスレッド大きすぎます」
「レス数が~。1000を超えると表示できなくなるよ」
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異常事態!
掲示板やスレッドがみつからない、、、
スレッドが全部or一部消えちゃった、、、
書き込んでも上がらないスレッドがある、、、
ツールでログが読めない、、、
倉庫入りの過去ログって、、、
アクセス規制になったみたい、、、
ホスト名orIPが、、、
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http://nam-students.blogspot.jp/2014/03/2ch_24.html
http://yojiseki.exblog.jp/6653410/
晩年のパーソンズによるルーマン批判
タルコット・パーソンズはその実質的最終講議で、レベルの違うものを混同しているとして、かつて自らの弟子だったニコラス・ルーマンを批判している。普通ならルーマンは変数が多すぎると批判すると思うが、パーソンズの晩年のカントへの傾倒も宜なるかなと思わせる批判である。
以下引用です。
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めていますので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返しながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明には重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類をしていますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ーの代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
ところで、他にもいろいろ難点がありますが、重要なことは、「愛」と「真実」は、一般行為システムのレベルに属するとしても、「貨幣」と「権力」は一般行為システムのレベルではなくて、社会システムに属しているというふうに思われます。私が考えていることを簡単に説明するに当ってまず述べたいことは、そこで言及しているシステムが何であるかを注意深く確認することの重要性であります。ルーマンはすべてのことを社会システムとして処理しており、文化システムを社会システムとは別個なものとして論じていません。>
(T・パーソンズ『社会システムの構造と変化』1984年、創文社p.34より)
参考:
やはり以前にも紹介した以下の図を参照するとわかりやすいかも知れない。
『人間の条件パラダイム—行為理論と人間の条件第四部 』(p264)富永健一作製の図↓
(AGILではなくLIGA図式になっている。)
追記:
先日書いたエルニーニョに関する記事↓と照らし合わせると生命システムの位置づけには実感としてうなづける。
http://yojiseki.exblog.jp/d2008-01-06
追記の追記:
パーソンズのシステム図は、インド生まれの思想家、サティシュ・クマールの以下の説と響き合う。
以下、ナマケモノ倶楽部MLより。
http://shop.slowbusiness.org/index.php?main_page=product_info&cPath=87_92_115&products_id=505
●つながりを取りもどす時代へ 持続可能な社会をめざす環境思想
http://shop.slowbusiness.org/index.php?main_page=product_info&cPath=87_92_118&products_id=556
■3つの“S”
――Soil(土)、Soul(心)、Society(社会)
エコロジーとは何か。土と心と社会という3つの言葉で説明できます。一体であるはずのこの3つが、バラバラだとどうなるでしょう?
例えば、社会運動家たちはこう考えるかもしれない。「環境どころじゃない。社会にまず正義を実現しなければ」と。また、環境運動家たちはこう言うかもしれない。「木や森、山に川、海や動物たちがあっての人間だ。人間だけの平和には興味がない」と。
さらに、自己啓発やスピリチュアルな世界、宗教などに救いを求める人たちは言うかもしれない。「地球は放っておいても大丈夫。必要なのは自己の成長と発展だけだ。自分が幸せなら、おのずと平和はついてくる」と。
新しい世界を目指す運動が、バラバラでは困るでしょう。それらを結びつける必要があります。なぜなら、これら3つの運動はどれも、ホリスティックで持続可能な世界を目指しているのだから。同様に、土と心と社会は、一体で切り離すことができません。
ルーマン パーソンズ
社会システム 一般行為システム
貨幣 (A)貨幣 知能
権力 (G)権力 自我の能力
(遂行能力)
愛 (I)影響力 集合感情
(感情)
真実 (L)価値委託 集合表象
(状況の定義)
一般化されたメディアの対比
http://yojiseki.exblog.jp/6653410/
晩年のパーソンズによるルーマン批判
タルコット・パーソンズはその実質的最終講議で、レベルの違うものを混同しているとして、かつて自らの弟子だったニコラス・ルーマンを批判している。
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social
Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者
ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めています
ので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、
交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返し
ながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明に
は重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類を
していますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも
「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と
権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ー
の代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
ルーマン パーソンズ
社会システム 一般行為システム
貨幣 (A)貨幣 知能
権力 (G)権力 自我の能力
(遂行能力)
愛 (I)影響力 集合感情
(感情)
真実 (L)価値委託 集合表象
(状況の定義)
一般化されたメディアの対比
ところで、他にもいろいろ難点がありますが、重要なことは、「愛」と「真実」は、一般行為システムの
レベルに属するとしても、「貨幣」と「権力」は一般行為システムのレベルではなくて、社会システムに
属しているというふうに思われます。私が考えていることを簡単に説明するに当ってまず述べたいことは、
そこで言及しているシステムが何であるかを注意深く確認することの重要性であります。ルーマンはすべて
のことを社会システムとして処理しており、文化システムを社会システムとは別個なものとして論じて
いません。>
(T・パーソンズ『社会システムの構造と変化』1984年、創文社p.34より)
参考:
やはり以前にも紹介した以下の図を参照するとわかりやすいかも知れない。
『人間の条件パラダイム—行為理論と人間の条件第四部 』(p264)富永健一作製の図↓
(AGILではなくLIGA図式になっている。)
追記:
先日書いたエルニーニョに関する記事↓と照らし合わせると生命システムの位置づけには実感としてうなづける。
http://yojiseki.exblog.jp/d2008-01-06
追記の追記:
パーソンズのシステム図は、インド生まれの思想家、サティシュ・クマールの以下の説と響き合う。
以下、ナマケモノ倶楽部MLより。
http://shop.slowbusiness.org/index.php?main_page=product_info&cPath=87_92_115&products_id=505
●つながりを取りもどす時代へ 持続可能な社会をめざす環境思想
http://shop.slowbusiness.org/index.php?main_page=product_info&cPath=87_92_118&products_id=556
■3つの“S”
――Soil(土)、Soul(心)、Society(社会)
エコロジーとは何か。土と心と社会という3つの言葉で説明できます。一体であるはずのこの3つが、バラバラだとどうなるでしょう?
例えば、社会運動家たちはこう考えるかもしれない。「環境どころじゃない。社会にまず正義を実現しなければ」と。また、環境運動家たちはこう言うかもしれない。「木や森、山に川、海や動物たちがあっての人間だ。人間だけの平和には興味がない」と。
さらに、自己啓発やスピリチュアルな世界、宗教などに救いを求める人たちは言うかもしれない。「地球は放っておいても大丈夫。必要なのは自己の成長と発展だけだ。自分が幸せなら、おのずと平和はついてくる」と。
新しい世界を目指す運動が、バラバラでは困るでしょう。それらを結びつける必要があります。なぜなら、これら3つの運動はどれも、ホリスティックで持続可能な世界を目指しているのだから。同様に、土と心と社会は、一体で切り離すことができません。
名前: 考える名無しさん
E-mail: sage
内容:
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social
Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者
ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めています
ので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、
交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返し
ながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明に
は重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類を
していますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも
「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と
権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ー
の代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
ルーマン パーソンズ
社会システム 一般行為システム
貨幣 (A)貨幣 知能
権力 (G)権力 自我の能力
(遂行能力)
愛 (I)影響力 集合感情
(感情)
真実 (L)価値委託 集合表象
(状況の定義)
一般化されたメディアの対比
ところで、他にもいろいろ難点がありますが、重要なことは、「愛」と「真実」は、一般行為システムの
レベルに属するとしても、「貨幣」と「権力」は一般行為システムのレベルではなくて、社会システムに
属しているというふうに思われます。私が考えていることを簡単に説明するに当ってまず述べたいことは、
そこで言及しているシステムが何であるかを注意深く確認することの重要性であります。ルーマンはすべて
のことを社会システムとして処理しており、文化システムを社会システムとは別個なものとして論じて
いません。>
(T・パーソンズ『社会システムの構造と変化』1984年、創文社p.34より)
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social
Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者
ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めています
ので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、
交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返し
ながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明に
は重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類を
していますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも
「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と
権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ー
の代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
ルーマン パーソンズ
社会システム 一般行為システム
貨幣 (A)貨幣 知能
権力 (G)権力 自我の能力
(遂行能力)
愛 (I)影響力 >集合感情
(感情)
真実 (L)価値委託 集合表象
(状況の定義)
一般化されたメディアの対比
ところで、他にもいろいろ難点がありますが、重要なことは、「愛」と「真実」は、一般行為システムの
レベルに属するとしても、「貨幣」と「権力」は一般行為システムのレベルではなくて、社会システムに
属しているというふうに思われます。私が考えていることを簡単に説明するに当ってまず述べたいことは、
そこで言及しているシステムが何であるかを注意深く確認することの重要性であります。ルーマンはすべて
のことを社会システムとして処理しており、文化システムを社会システムとは別個なものとして論じて
いません。>
(T・パーソンズ『社会システムの構造と変化』1984年、創文社p.34より)
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social
Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者
ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めています
ので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、
交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返し
ながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明に
は重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類を
していますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも
「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と
権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ー
の代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
ルーマン パーソンズ
社会システム 一般行為システム
貨幣 (A)貨幣 知能 行動
権力 (G)権力 自我の能力 パーソナリティ
(遂行能力)
愛 (I)影響力 > 集合感情 社会
(感情)
真実 (L)価値委託 集合表象 文化
(状況の定義)
一般化されたメディアの対比
ところで、他にもいろいろ難点がありますが、重要なことは、「愛」と「真実」は、一般行為システムの
レベルに属するとしても、「貨幣」と「権力」は一般行為システムのレベルではなくて、社会システムに
属しているというふうに思われます。私が考えていることを簡単に説明するに当ってまず述べたいことは、
そこで言及しているシステムが何であるかを注意深く確認することの重要性であります。ルーマンはすべて
のことを社会システムとして処理しており、文化システムを社会システムとは別個なものとして論じて
いません。>
(T・パーソンズ『社会システムの構造と変化』1984年、創文社p.34より)
ルーマン パーソンズ
社会システム 一般行為システム
貨幣 (A)貨幣 知能 行動
権力 (G)権力 自我の能力 パーソナリティ
(遂行能力)
愛 (I)影響力 > 集合感情 社会
(感情)
真実 (L)価値委託 集合表象 文化
(状況の定義)
一般化されたメディアの対比
以下、パーソンズの体系(富永健一作成の図、『人間の条件パラダイム』所収より)
________
/信託シ/社会的共同体
/ステム/___/ |
/ 経済/ 政治/ 社会システム
/___/___/ |
| | | |
| | | |
____|___|___|___|
/ | / /| /|
/文化 | /___/_|_/ |
/システム |/ / |/ |
/_______|___/___| 行為システム
/ / / |
/行動システム /パーソナリティ/ |
/ / システム / |
/_______/_______/ |
| | | |
ルーマン パーソンズ
社会システム 一般行為システム
貨幣 (A)貨幣 知能 行動
権力 (G)権力 自我の能力 パーソナリティ
(遂行能力)
愛 (I)影響力 > 集合感情 社会
(感情)
真実 (L)価値委託 集合表象 文化
(状況の定義)
一般化されたメディアの対比
(T・パーソンズ『社会システムの構造と変化』1984年、創文社p.34より)
以下、パーソンズの体系(富永健一作成の図、『人間の条件パラダイム』所収より)
________
/信託シ/社会的共同体
/ステム/___/ |
/ 経済/ 政治/ 社会システム
/___/___/ |
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____|___|___|___|
/ | / /| /|
/文化 | /___/_|_/ |
/システム |/ / |/ |
/_______|___/___| 行為システム
/ / / |
/行動システム /パーソナリティ/ |
/ / システム / |
/_______/_______/ |
| | | |
生命システム
社会システム=愛?
パーソンズはこうしたカテゴリーを協同研究を円滑にするために確定した
パーソンズはこうしたカテゴリーをあくまで協同研究を円滑にするために想定したのだろう
想像力と判断力が対になる
経験主義と合理主義というよりも、想像力と判断力(分析哲学は主にこちらを扱う)が対になる。
その際、判断力がカテゴリー別に分けられてないと自分の興味外を荒らしと認定するようになる。
以下が参考になる
アリストテレスと違い下位概念は上位概念に従属しない
フーコー『ポール・ロワイヤルの文法』序文 井村順一訳より
表象→もの
↓
表象→もの
あるいはまた、
観念→(対象=観念→)対象
文庫版フーコーコレクション3:227頁
観念→(対象= 観念→)対象
(a1)(a2)(b1)(b2)
3:231
レベル 分化の基準 文法的カテゴリー
《論理学》 《文法》
観念(a) 0
対象=記号(a) 0
1/2 記号の数 単数・複数
記号のひろがり 定冠詞-不定冠詞
観念(b) 1 観念の性質 名詞-動詞
1と1/2 観念の拡張 固有名詞-普通名詞
対象(b) 2 対象の性質 実詞-形容詞
2と1/2 対象間の関連 前置詞
3:233
経験主義と合理主義というよりも、想像力と判断力(分析哲学は主にこちらを扱う)が対になる。
その際、判断力がカテゴリー別に分けられてないと差異を排除しがちになる。
http://1.bp.blogspot.com/_u3hakHag62c/TFtCdy3AVOI/AAAAAAAAAkQ/Q4T4NIc-tzY/s1600/a0024841_102315.jpg
パーソンズ体系
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レベル 分化の基準 文法的カテゴリー
《論理学》 《文法》
観念(a) 0
対象=記号(a) 0
1/2 記号の数 単数・複数
記号のひろがり 定冠詞-不定冠詞
観念(b) 1 観念の性質 名詞-動詞
1と1/2 観念の拡張 固有名詞-普通名詞
対象(b) 2 対象の性質 実詞-形容詞
2と1/2 対象間の関連 前置詞
実体
属性
様体
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http://en.wikipedia.org/wiki/Whitehead_link
経験主義と合理主義というよりも、想像力と判断力(分析哲学は主にこちらを扱う)が対になる。
その際、判断力がカテゴリー別に分けられてないと差異を排除しがちになる。
以下、パーソンズの体系(富永健一作成の図、『人間の条件パラダイム』所収より)
http://1.bp.blogspot.com/_u3hakHag62c/TFtCdy3AVOI/AAAAAAAAAkQ/Q4T4NIc-tzY/s1600/a0024841_102315.jpg
例えば戸田山『哲学入門』もパーソンズ体系と重なる。
社会システム
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第4章 表 象/ 第3章 情 報
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第2章 機 能/ 第1章 意 味|
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/人生の意味| /_第7章 道 徳 /
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/ 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /
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第1章 意 味/第2章 機 能/第3章 情 報/第4章 表 象/
第5章 目 的/第6章 自 由/第7章 道 徳/人生の意味――むすびにかえて
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_6340.html
論理学
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり道徳が先になければ信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべき)
哲学入門は記述は普遍的でも例は通俗的なものが多い。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき
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第4章 表 象/ 第3章 情 報
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第2章 機 能/ 第1章 意 味|
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第1章 意 味/第2章 機 能/第3章 情 報/第4章 表 象/
第5章 目 的/第6章 自 由/第7章 道 徳/人生の意味――むすびにかえて
そして情報の上に人間の社会が乗る。
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり道徳が先になければ(形式と内容共に)信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべき)
哲学入門は記述は普遍的でも例は通俗的なものが多い。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき
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第4章 表 象/ 第3章 情 報
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第2章 機 能/ 第1章 意 味|
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第1章 意 味/第2章 機 能/第3章 情 報/第4章 表 象/
第5章 目 的/第6章 自 由/第7章 道 徳/人生の意味――むすびにかえて
そして情報の上に人間の社会が乗る。
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は記述は普遍的でも例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
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第4章 表 象/ 第3章 情 報
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第2章 機 能/ 第1章 意 味|
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そして情報の上に人間の社会が乗る。
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(広義にはイメージ、狭義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は記述は普遍的でも例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
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第4章 表 象/ 第3章 情 報
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第2章 機 能/ 第1章 意 味|
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そして情報の上に人間の社会が乗る。
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(広義にはイメージ、
狭義には文化)は信用できるものではない(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)。
哲学入門は記述は普遍的でも例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
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第2章 機 能/ 第1章 意 味|
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そして情報の上に人間の社会が乗る。
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(広義にはイメージ=
狭義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は記述は普遍的でも例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
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第4章 表 象/ 第3章 情 報
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そして(広義の)情報の上に人間の社会が乗る。
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(広義にはイメージ=
狭義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は記述は普遍的でも例は通俗的なものが多く、解離している。
発生論をプラグマチズムに回収することは出来ない。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
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そして(広義の)情報の上に人間の社会が乗る。
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(広義にはイメージ=
狭義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は記述は普遍的でも例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
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そして(広義の)情報の上に人間の社会が乗る。
(発生論をプラグマチズムに回収することは出来ない)
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(広義にはイメージ=
狭義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は記述は普遍的でも例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
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そして(広義の)情報の上に人間の社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収する楊なことは出来ない)
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(広義にはイメージ=
狭義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は記述は普遍的でも例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
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そして(広義の)情報の上に人間の社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(狭義にはイメージ=
広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は記述は普遍的でも例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
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第4章 表 象/ 第3章 情 報
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そして(広義の)情報の上に人間の社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(狭義にはイメージ=
広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は、記述は普遍的でも事例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
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そして(広義の)情報の上に人間の社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(狭義にはイメージ=
広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は、記述は普遍的でも事例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
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そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
yoji said...
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(狭義にはイメージ=
広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は、記述は普遍的でも事例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
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そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
10:50 午前
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(狭義にはイメージ=
広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は、記述は普遍的でも事例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
社会システム
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ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン
/_IL/_II/ | ドレツキ
カミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味 チューリング
/_IA/_IG/ | ミリカン
| | |行為システム
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ネーゲル 人生の意味| /_第7章 道 徳 デネット ホンデ
/ L |/ /I |/チャーチランド、リック
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ラプラス 第6章 自 由 / 第5章 目 的 ギブソン
デネット A / G /
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そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
タイトル あなたは自由ですか? 決定論の哲学
叢書名 教養選書 ≪再検索≫
著者名等 テッド・ホンデリック/著 ≪再検索≫
著者名等 松田克進/訳 ≪再検索≫
出版者 法政大学出版局
出版年 1996.09
大きさ等 19cm 205,17p
注記 How free are you?
NDC分類 104
件名 哲学 ≪再検索≫
要旨 人間の選択や行為は因果的に決定されているのか?人間にとって自由とは、責任とは何か
?―自由と決定論という哲学上の根本問題を平易に説き明かしつつ今日の哲学的状況を明
快に浮き彫りにした「哲学入門」の書。自由と決定論をめぐる、両立論か非両立論かとい
う従来の単純な二項対立を脱却し、心と脳との関係、神経科学と量子論という新たな視角
から、独自の「生の哲学」の精髄を示す。
目次 序章 疑わしい二つの立場;第1章 真の結果と、そうでない結果;第2章 心と脳との
関係;第3章 因果的作用か、原初的作用か;第4章 人間の行為;第5章 神経科学と
量子論;第6章 決定論は自己矛盾をおかしているか;第7章 「狼狽」と「頑強」;第
8章 両立論と非両立論;第9章 「肯定」;第10章 処罰などの社会的慣習
内容 巻末:読書案内
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(狭義にはイメージ=
広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は、記述は普遍的でも事例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
>>665の図は以下であるべき。
社会システム
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ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン
/_IL/_II/ | ドレツキ
カミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味 チューリング
/_IA/_IG/ | ミリカン
| | |行為システム サール
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ネーゲル 人生の意味| /_第7章 道 徳 デネット ホンデ
/ L |/ /I |/チャーチランド、リック
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ラプラス 第6章 自 由 / 第5章 目 的 ギブソン
デネット A / G /
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そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(志向的記号。狭義にはイメージ=
広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は、記述は普遍的でも事例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
社会システム
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ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン
/_IL/_II/ | ドレツキ
ミリカンvs カミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味 チューリング
/_IA/_IG/ | ミリカン
| | |行為システム サール
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ネーゲル 人生の意味| /_第7章 道 徳 デネット ホンデ
/ L |/ /I |/チャーチランド、リック
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ラプラス 第6章 自 由 / 第5章 目 的 ギブソン
デネット A / G /
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そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(志向的記号。狭義には
イメージ=広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は、記述は普遍的でも事例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
社会システム
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ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン
/_IL/_II/ | ドレツキ
ミリカンvs カミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味 チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン
| | |行為システム サール
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ネーゲル 人生の意味| /_第7章 道 徳 デネット ホンデ
/ L |/ /I |/チャーチランド、リック
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ラプラス 第6章 自 由 / 第5章 目 的 ギブソン
デネット A / G /
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そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(志向的記号。狭義には
イメージ=広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は、記述は普遍的でも事例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
社会システム
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ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン
/_IL/_II/ | ドレツキ_
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味 チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン
| | |行為システム サール
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/ | / /| ドーキンス
ネーゲル 人生の意味| /_第7章 道 徳 デネット ホンデ
/ L |/ /I |/チャーチランド、リック
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ラプラス 第6章 自 由 / 第5章 目 的 ギブソン
デネット A / G /
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そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
タイトル 断片化する理性 認識論的プラグマティズム
叢書名 双書現代哲学 ≪再検索≫
著者名等 スティーヴン・P.スティッチ/著 ≪再検索≫
著者名等 薄井尚樹/訳 ≪再検索≫
著者等紹介 【スティッチ】1943年ニューヨーク市生まれ。現在はラトガーズ大学教授、シェフィ
ールド大学名誉教授。
著者等紹介 【薄井】1978年滋賀県生まれ。2006年京都大学大学院文学研究科博士後期課程研
究指導認定退学。主論文に「クワインの自然主義」。
出版者 勁草書房
出版年 2006.8
大きさ等 20cm 333,23p
注記 The fragmentation of reason./の翻訳
NDC分類 115
件名 認識論 ≪再検索≫
要旨 認識の目的は真理ではなかった!?認識論的多元主義を標榜し、分析哲学そのものの転換
を決定づけた名著。
目次 第1章 「まえがき」以上「序論」以下;第2章 うまい推論と志向的内容―われわれは
どれほど不合理でありうるのか;第3章 進化と合理性;第4章 反省的均衡と分析哲学
的認識論;第5章 われわれは本当に自分の信念が真かどうかを気にかけているのだろう
か;第6章 認識論的評価に関するプラグマティックな説明
内容 「認識論的多元主義」を標榜し、分析哲学そのものの転換を決定づけた画期的な名著、待
望の邦訳。現代の英米哲学を代表する哲学者が、分析哲学の古典的テーゼに無効を宣告し
た、現代哲学の最重要文献。
ISBN等 4-326-19950-4
書誌番号 3-0206057510
所蔵情報 ( 資料情報 | 予約情報 )
ララビアータ:戸田山和久氏の『哲学入門』(1)批判
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52368227.html
極めて特徴的なことに、カントについて著者があっさりとごく表面的に触れている個所がある。
カントの有名な『純粋理性批判』は、感覚を入力するとニュートン力学を出力するシステム(主観)を想定して、そいつはどんなサブタスクをやっているはずか、そのためにはどんな構造(アーキテクチャ)をしているはずかを考えた本だ(p-271)
ここには、カントにあった「批判」がきれいに抜け落ちている。なぜならカントは、ニュートン力学を出力する場合は正しい理性使用であるのに対し、神の存在証明を出力することは理性の不正使用である、と区別する基準を提出しているからである。つまり後者は、同じように感覚的経験を入力して、理性や論理を行使しても、その認識内容が我々の可能的経験を超越しているから、正当な理性使用とは言えないのだ。
一般に、一見合理的な顔をしていても、正当とは言えない科学が一部存在し、正当と言える科学が何故正当と判定できるのか、我々の合理性一般に遡って吟味しなくてはならない。これがカントの批判である。ニュートン力学の正当性を無条件に前提して、それを再構成したり跡付けたりすることではない。戸田山氏は、カントと違って、自然科学を頭から信じているようであるが、それがどうして正当であるのかを論証しようなどとは、てんから考えないのである。このことは、戸田山氏が頼りとする自然科学自体の内部にさえ、すでに大きな対立があるのに、奇妙なことである。たとえば、数学者の内部ですら、実在論と反実在論の対立に決着がついていない。
ララビアータ:戸田山氏『哲学入門』(2)進化論
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52368365.html
戸田山氏の本の扉には、戸田山氏自身のものかどうか分からないが、「神は死んだ(ニーチェもね)」という言葉が記されている。その軽薄さからして、いかにも戸田山氏自身がどこかで言いそうな言葉ではあるが、それに対して私は言いたい。「神は復活する(ニーチェもね)」
いったい戸田山氏は、一度たりともニーチェを真面目に読んだことがあるのだろうか?! カントすらまともに理解していない著者に対して、こんなことを言っても不毛だろう。たしかに無教養者を相手にしても、仕方がないのかも知れない。文明が衰退するときは、おしなべてこんなものなのだろう。
ララビアータ:戸田山氏『哲学入門』(3)内容
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52368742.html
言語のようには構文論的構造をもたないように思われる他の動物の認識を、戸田山氏はオシツオサレツ表象と呼ぶ。たとえば、犬が足音でその主人の家宅を察知するとき、彼は「その足音が主人のものであること」を知っている(少なくとも信じている)と言いたくなる。我々人間ならば、この信念の内容要素に登場する「主人」の意味理解と、主人を慕う気持ち(または恐れる気持ち)を区別しているだろう。したがって、主人を慕っていれば、玄関で出迎え、恐れていれば隠れるなどという、可能な行動の意味の説明の中に現れる「主人の足音」という意味理解は、まったく同じものと見なされる。つまり、「主人の足音」を、それが置かれ得るさまざまの文脈を通して、同一のものとして理解していると言ってよい。だからこそ、元の文脈(それを習得した文脈)から切り離して、さまざまの要素と合成可能な文脈(文)でそれぞれの理解を創り出すことができるのである。このような理解の構文論的構造が、人間以外の動物には欠けていることは容易に理解されるだろう。いわば文脈を引きずり、他の行動への感情的促しを理解そのものにとって切り離し得ない仕方で含んでいる表象を、オシツオサレツ表象と呼ぶのである。
オシツオサレツ表象も表象であるからには、内容をもっているわけで、この内容はなんらかの仕方で生き物の内部状態としてコード化されているはずだ。「獲物だ、運べ」と「巣穴だ、点検せい」は、それぞれ違う内部状態にコード化されているだろう。(p-246)
戸田山氏においても、人間の理解がオシツオサレツ表象に留まるのではなく、構文論的構造をもたねばならないことはよく自覚されている。しかし、そのオシツオサレツ性は表象の入力区分と出力区分を一体にしてしまうこと、とだけとらえているようだ。だからこそ、「獲物だ」の部分と「運べ」の部分が一体になった「獲物だ、運べ」のように、認識―行動一体のアフォーダンスを伴ったものとして、解釈されているのである。だが、この動物にこのような言語的意味を帰属することはどうして許されるのかという点は、まったく考察されていない。「獲物だ、運べ」と「巣穴だ、点検せい」とを区別するだけではなく、どうしてこのような内容をもつものとして解釈可能と言えるのであろうか?
そもそも「表象であるからには、内容をもつ」と決めつけるのが不正確なのである。戸田山氏の理論に内容の理論が欠けている以上は、このような内容の特定化・解釈がどうして可能かは、依然として不明である。
「志向性」は、戸田山氏によれば「について性」プラス「間違い可能性」ということでしかないらしい。
しかし、次のように記されているのだ。
自然界を情報の流れとして捉えることができる。そうすると、そこで起こる出来事について他の出来事についての情報を伝える(しかも解読者なしに)ものになる。ここに、「について性」という志向性の原型がすでにある。さらに、この世界に、本来の機能ということが意味をなす存在、つまり生きものを置いてみる。生き物も自然的情報の流れの中にあるのだが、その情報のうち、あるものを独特の仕方で利用する。ここに間違い可能性を含む正真正銘の志向性が発生する。(p-231)
ここで人間以外の生物において(つまり言語抜きに)、「正真正銘の志向性」が発生するとはっきり記されている。
動物が何か絵のような、または写真のような形で、「表象」をもつとしよう。その絵は間違い可能なのか? 三次元の物体を二次元に写すこと自体、間違いではないのか? その絵は、アナモルフォーズのように歪んでいるかもしれない。しかし歪んだ鏡に写された像は、果たして不正確、または誤っているのだろうか? 頭の中の神経刺激に写された風景は、これと同様「歪んで」はいないか? 志向性は、「aがfであることによって、アプリオリに説明できるfaの経験としての経験または知覚器官の正常性条件なるものが存在する」などといった仕方で(PeacockeのHolistic Explanation参照)、したがって言語に依存した形で定式化するしかないのである。
ところでp-228には「記号生産メカニズムの本来の機能は真なる表象を生み出すこと」と書かれている。「本来の機能」とは何か?悩ましい! 爬虫類の骨は中空になっている。その本来の機能は、低酸素濃度の環境で呼吸を容易にすることであった。しかしその同じ構造が、恐竜においては、巨大な身体を支えること(身長の三乗に比例する体重と二乗に比例するにすぎない骨の強度をどうするか?)であった。それが鳥類に進化した段階では、体重を軽くして飛ぶことを可能にするためである。いったいその「本来の機能」はどれなのか?
その点のずさんさは、ひとまず置くとしよう。ここで記号というのは、「自然記号」と区別される「志向的表象」のことらしい(p-229)。しかし、もしそれが言語を前提とするものでないとしたら、どうして「真なる表象」などと語ることができるのか? 言語ぬきに志向性や内容を特徴づけようとする試みは当然挫折せざるを得ないのである。
かくて議論は振り出しに戻る。言語はいかにして進化論的に説明されるのか? 言語はいかにして唯物論的世界観の中に描き込まれるのか? それ以前に、言語的意味とは何なのか?
表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(志向的記号。狭義には
イメージ=広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は、記述は普遍的でも事例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
社会システム
________
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン
/_IL/_II/ | ドレツキ_
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味 チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン
| | |行為システム サール
| | | |
____|___|___|___|
/ | / /| ドーキンス ペレブーム
ネーゲル 人生の意味| /_第7章 道 徳 デネット ホンデ
/ L |/ /I |/チャーチランド、リック
/_______|___/___|生命システム
/ / /
ラプラス 第6章 自 由 / 第5章 目 的 ギブソン
デネット A / G /
/_______/_______/
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
伊勢田氏による戸田山「哲学入門」の感想
Daily Life:『哲学入門』(2)
http://blog.livedoor.jp/iseda503/archives/1805753.html
p.234 第五章の冒頭。間違いうる表象を持つことの利点を考えよう、という問題が立てられる。そして「キミは現実に成り立っていないことがらを表象することがあるか」と突然戸田山さんは問いかけ、「目標を立てるときだ」という答えが与えられる。この一連の流れでわたしの頭の中は疑問符でいっぱいになる。「間違いうる表象」と「現実に成り立っていないことがらの表象」ってそもそも同じものなのだろうか。もともと現実に成り立っていないものを表象しようとしているんであれば、それは「間違い」ではないだろう。
そもそも前章で出てきた間違いうる表象の例は、外部の出来事が原因となって生物の内部で記号が生成され、それが「消費者」に受け渡されるという仕組みがあるときその記号は表象と見なしうる、という話だった。これと比べると、そもそも「目標を持つ」というのはこの意味での表象なのかどうかもあやしい。強いていえば、わたしが何かの刺激に触発されて目標を持ったのであれば、第四章の分析に従えば、「目標」はその刺激の表象であって、「現実に成り立っていないことがら」の表象ではない。外部からの刺激ではなく内的状態によって目標を持ったのなら、内的状態の表象だろう。
いずれにせよ、ここで唐突に出てきた「目標」が本当に表象なのかどうかちゃんと検討せずに話がすすむのが非常に気持ちがわるい。
http://blog.livedoor.jp/iseda503/archives/1805752.html
p.126 ここで戸田山さんは概念分析と理論的定義という二つの哲学の仕事のイメージを表にまとめ、ミリカンや戸田山さんがやろうとしているのは概念分析ではなく理論的定義だと言う。その前のページで、概念分析の役割は典型例を教えてくれることであって、あとはその典型例について理論的定義を行えばよい、というような役割分担も提示している。そして、この表によれば「直観」は「概念分析」の側だけに関わり、「理論的定義」にはかかわらない。
このあたりについてはいろいろ言いたいことがあるが、簡潔にすませる。「概念分析」と「理論的定義」をこんな風に対立させるのは「誤った二分法」というやつだと思う。理論的定義を評価する際の「理論の目的」の中には、「われわれの概念に十分に合致させる」も入ってくることがあるし、その比率の大きさによって、理論的定義の仕事は概念分析に近くも遠くもなる。
完全に新しく作られた理論概念の定義なら直観に訴える必要はないだろう。しかし、すでに存在する概念で表されているを物理世界に「描き込む」のが目的なら、ただ単に「あたりをつける」だけでなく、「理論的定義」なるものを構築する重要なステップで、われわれは直観に訴えざるをえないはずである。実際、たとえばp,60で「ロボットはわれわれと同レベルの十全な意味理解を持っている気がしない」「このロボットにはまだ心がない感じがする」。このあたり、戸田山さん自身が議論のけっこう重要なステップを直観に訴えている。128ページではミリカンの「機能」概念が「日常概念の大事なところはちゃんと保存している」ことが指摘されていて、ここでも戸田山さん自身が、理論的定義の評価の一つの側面として直観を利用していることが分かる。自分で提示した二分法に従うふりすらできていない。
(戸田山さんの言う意味での)概念分析の側面と理論的定義の側面の両方を備えた作業のイメージとしては、カルナップのexplicationという概念がある(わたしは「哲学的明確化」と訳している)。わたしはちゃんとフォローできていないが近年哲学の方法論についての議論は実験哲学の登場をうけてまた盛り上がっており、みんなどんどん先に行っている。まあ方法論の話をするならその最近の議論をフォローしてから、とは(わたしもできていないので)言わないが、さすがにカルナップより後退しているのはひどくないか。(簡潔にすまなかった)
p.379 「帰結主義は無傷で残る」ペレブームのハード非両立論でも道徳の大半は残るという話の流れで、ペレブームはこう主張しているそうだ。戸田山さんもそれを支持していそうだ。こういう議論を見るたびに、この人たちは倫理を他人事としてしか見ていないんだなと思う。社会現象としての道徳は決定論でも残るだろう。それは決定論的シミュレーションで道徳社会に類するものを再現できることからも推測できる。しかし、倫理学が扱ってきた倫理や道徳は、社会をそうやって外から眺めた評論家の視点で考えるものではなく、一人称の視点で、私は何をするべきか、私はどんな人間でいるべきか、私はどういう価値判断に基づいて行動すべきか、を考えるものである。ペレブームや戸田山さんはひょっとしたら何をすべきかで悩んだりしないのかもしれないが、私は何をすべきかで悩むし、悩むからこそ倫理学を必要とするのだし、悩むということ自体、いくつかの選択肢が目の前に開けていて、そのどれも選びうるという問題状況(つまりは何らかの意味で他行為可能性が保証されているということ)を前提としている。帰結主義だって例外ではない。帰結主義も規範理論である以上、帰結主義的判断の結果は行動の選択に何らかの影響を及ぼすはずだし、及ぼさないのだとしたら規範理論とは言えない。そして、帰結主義的判断が意味をなすには、自分が今別の規範理論を採用したとしたら別の行為をすることになったはずだ、という他行為可能性が前提として必要である。ハード非両立論を自分自身に当てはめたらこうした思考のすべてが意味をなさなくなってしまう。帰結主義は一人称的なハード非両立論と両立しないと思う。(ただ、そもそも一人称的ハード非両立論を採用する事自体、戸田山さんやペレブームのような悩みを知らない存在でないかぎり想像することすら難しいと思うのだが)。
p.381 ペレブームは「人間をいつも目的として扱い、単に手段として扱うな」という定言命法の一形態もハード非両立論の下で生き延びると言う。しかし、これが自由の概念に依存していないというのは、本当にカントを読んだ上で言っているのか疑いたくなる。カントが言うのと違う根拠から、カントと違う意味で「目的として」扱うという命令は残せるかもしれないが、それで定言命法が残ったとか言わないでほしい。
p.385 「何で悪いことをしたということが、そいつに苦しみを与えることの正当化になるのか、ちっともわからん」ペレブームが応報主義を批判している箇所。応報主義者なら、もちろん、「悪い」という判断自体が「罰を与えるべき」という判断を含意しているから、と答えるだろう。もしそういう含意がないものとして「悪い」という判断をとらえているんだとしたら、逆にペレブームは「悪い」という判断を何だと思っているのか。どういうメタ倫理学に依拠しているのか。
p.386 「応報主義はハード非両立論と両立できない。」これはペレブームではなく戸田山さん自身の判断らしいのだが、なぜここだけこういう判断をするのかはよく分からない。その行為が「その人のせい」ではないなら応報は成り立たないというのだが、戸田山さんが他のところで一貫して支持してきたやり方で、「デフレバージョン」を考えて、デフレな応報主義をハード非両立論と両立させればいいと思うのだが。
p.387 「このような抑止論は、より大きな見せしめ効果を期待して罰をエスカレートさせることに歯止めがきかない」これもペレブームが言っていることらしいが戸田山さんはとくにつっこんでいない。ここで想定されている抑止論は「帰結主義的」抑止論だということなのだが、帰結主義なんだったら、当然罰による苦しみはコストとして加算されるし、不相応に重い罰が与えられることが生む処罰システムへの不信感などのコストも考えなくてはいけないので、歯止めはきく。帰結主義とかよく分かっていないんだったら無理に論じなければいいのに。(ペレブーム自身の問題なのか、ペレブームはちゃんと論じているのにその論点を戸田山さんが理解できずにまとめているのかは分からないが。)
p.399 「自分には価値がある、自分の人生は生きるに値するという感覚は、意志的努力によっては手に入らない要因によって大きく左右される。」戸田山さんがついに人生の意味について語り始めた箇所。この主張自体には実はあまり異論はないのだが、その次に、心身の健康、天賦の才能、生まれ持った美しい容姿...と具体例を挙げ始めたところで強い違和感が生じる。戸田山さんの考える人生の意味の問題とは、「人生の意味は健康であること」とか「人生の意味は生まれもって美しい容姿であること」みたいな答えが出てくるような問いなんだろうか。戸田山さんは人生の意味の問いってどういう問いだと思っていますか?せめてまずは問いの概念分析をちゃんとやるところから始めましょうよ。
とりあえずわたしのコメントは以上。なんかネガティブな言葉がいろいろ並んだが、本書が良書であることにはまったく変わりはない。
http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20090122/1232629340
スティッチは、最初から一元主義ではなく多元主義の立場に立ち続ける。それは、認識システムに関して、規範に関して、価値に関して、それぞれそうである。
その上で、プラグマティズムを提案するのである。
それに対して、相対主義という批判が浴びせられるが、これに対しても相対主義であることが何か問題なのかとスティッチは切り返す。
目的に応じて、様々な推論や推論の評価があるのだ、と。
彼の考え方は、後期ウィトゲンシュタイン的なところがある。それは彼自身、影響を受けたと書いている通りである。
訳者解説によると、スティッチは心の哲学を専門にしており、この本を境にその哲学的立場を大きく変えたらしい。
具体的には、もともと消去主義的だったのだが、むしろ「開放的多元主義」へと変わっていく。
断片化する理性―認識論的プラグマティズム (双書現代哲学)
作者: スティーヴン・P.スティッチ,Stephen P. Stich,薄井尚樹
http://d.hatena.ne.jp/musashino10/20100413/p1
第四章でスティッチはグッドマン-ロールズの「反省的均衡」にはじまる認識プロセスの評価基準、またその継承としてのネオ・グッドマン流のプログラム、ゴールドマンの「正当化規則」などを検討し、その背後の前提を解き明かそうとしている。たとえばゴールドマンはわれわれが信念を正当化する規則を正当化規則(J規則)と名づけ、その役割を定めることによって「認識論の理論化」のための枠組みを与えている。しかしJ規則は理論家ごとに様々に存在しうるので、J規則の正しさを判断するメタ理論がなければならない。それは複数の「正しさの基準((ある特定の)J規則の集合が正しいための必要充分条件をみたす、条件の集合、つまり正しさの基準も相対的である)」の間の調停を意味する。ではその妥当性はどう判断されるのか。ここでゴールドマンが頼るのが概念分析(概念的説明)である、とスティッチはいう。(p.167)それは日常的、前理論的な直感との合致を目指している。そしてゴールドマンは「正当化についての日常的な考えの説明ないし概念分析」として「反省的均衡」を説明している、とスティッチはいう。
この見解、つまり正しさの基準としての概念分析をスティッチは「分析哲学的認識論」と呼び、これは多くの哲学者に前提されてきた間違いであるとスティッチはいう。
話を戻そう。更に続けて、いわゆる誤謬推理の例が示される。しかしここでスティッチは(正確にはニスベットという哲学者に帰せられるらしい)それらの推論はなぜ「下手な推論」といいうるのか、なぜ「私」は「下手な推論」とよい推論を区別しうるのか、という問いを提出する。(p.16)そしてグッドマンの反省的均衡が検討された後、「下手な推論は不可能」であるとする、ディヴィドソンとデネットの説が紹介される。そこではわれわれが信念をもちうるには、なんらかの合理性が前提されるというものであり、推論は信念を前提するのだから、不合理な推論は「概念上不可能」である、とされる。スティッチはこれに二章で反論している。
その第二章でスティッチがとる戦略を簡単にいうと、それは志向性とそうでない状態(志向的でない状態)を区別し得ないということだ。そのような区別はグランディのいう「人間中心原理」(p.85)に従う。(ディヴィドソンの寛容原理の基礎でもある)それはいわば感情移入によって計られる。
スティッチがグランディから離れるのは、人間中心原理が自己の無根拠から離れ、数学的な決定理論かそれに類似するものによって基礎付け可能なものとして提示されるときである。(p.87)それは決定理論により基礎付けを行う際に前提されるものとして、観察対象の「信念と欲求の志向的な特徴づけ」が必要とされるからだ。それらは志向的に同定可能でなければならないが、そこではすでに人間中心原理の判断が前提されている。つまり諸要素の同定に人間中心主義が前提される以上、それはその限界に限定されている(よって計算的に基礎付けは不可能である)。
このことから、スティッチは「われわれが下手に推論しうるとしてそれは限界を持つ」という観念を無化しようとする。なぜならそれははっきりとした境界線を引くことが不可能であるような、恣意的な基準でしかないからだ。言い換えれば、これは正しい推論はないということに帰結する。そしてそれこそ、本書でスティッチが主張しようとしたことである。
一章に戻ろう。p.23では認識論的多元主義について一つの区別が行われている。それは「記述的認識論的多元主義」と「規範的認識論的多元主義」を区別する。しかし私にはこの区別が今ひとつ理解できていない。しかしあいまいなまま説明を試みると、記述的な認識論は認識のプロセスがとりうる形が複数か単数かを論証しようとしており、対して規範的な認識論は「良い認識プロセス」が単数か複数かということが論題でないかと思われる。すると規範的な多元主義のほうは、正しい認識プロセスは複数存在する、という主張である。スティッチがとるのは規範的な多元主義である。
このことからわかるように、スティッチは認識論的相対主義をとる。相対性の中で判断する基準がプラグマティズムである。スティッチは認識論の内部では相対主義は悪いものではないのではないか、という論証を六章で試みるのだが、それは後に回そう。
スティッチは信頼主義を批判的に検討し、そこで「真なる信念」の価値を疑問視している。(p.39)信頼主義とは認識プロセスの正当化の基準を、プロセスが真なる信念を産み出すのに成功するか失敗するかに求める立場のことである。(認識プロセスについての理論は他に例えば、規範とそれから生じる命題との相互修正により直感に近似させてゆく、グッドマンの反省的均衡がある)信頼主義が説得力を持つのはそれが真なる信念のもつ価値に道具的に役立つからなのだが、スティッチは「真なる信念」自体に価値が無いと論証しようとする。それは第五章で検討される、本書のうちでもっとも独自で魅力的な部分である。ここを過ぎるとスティッチは相対主義の正当化を論証するのだけれども、それはたったいま後に回したばかりなのでここで第五章を簡潔にみておこう。
ここでスティッチが導入するのは「解釈関数」という概念である。それはわれわれがもつ心的命題の内容(真理条件)を現実世界のなんらかの対象に写像する方法である。理論上、解釈関数は無限に存在しうる。この差異をスティッチは[真理、真理'、真理''、…]という風に表記する。(例えばパトナムの双子地球は、互いに解釈関数の異なる世界であると解釈される。世界A=関数Aでは水はH2Oを指示し、世界B=関数Bでは水はXYZを指示する。)これによってスティッチは真なる信念の価値を疑問に付す。それは文化に相対化される。ただしここではやはりもうすこし慎重になったほうがいいだろう。ここは特に誤解を招きかねないからだ。
スティッチはタルスキの真理理論と指示の因果説を5-3で検討している。タルスキは「基底節」とよばれる主語と述語の集合を公理として(メタ言語で)定義し、それから真理条件を定めることを可能にする理論を唱えた。そして基底節の外延を与えるのが指示の因果説であり、それは命名行為から辿られる因果によって外延を確定することができると主張する。後は結合子や量化子といった心的文の要素を機能主義的に説明してやれば、(ひとつの)解釈関数が製作できることになる。それは命題と世界との関係を与えるだろうし、命題の真理条件を確定することで「真なる命題」を基礎付けることができる。
しかしスティッチはすぐさま、こうして構成された解釈関数はそれがとりうる(ありえた)すべての集合からすればあまりに小さな集合である、と語る。つまりそれはどういうことか。まず一つ、結合子と量化子についての意味論の不在がある。われわれは論理的に確定できる任意の計算記号を無数に作り出すことができ、それに対して適切な意味論を与えることができない。(詳しくはp.204~を参照)ところで意味論が存在しないということは、それについてわれわれは価値を感じられないということである。つまり可能的に存在する無数の解釈関数には、意味論をもたないものが無数に存在する。ではなぜわれわれは今この解釈関数を価値あるものとみなしているのか。(p.214)
ここで価値について内在的な価値と道具的な価値とが区別される。スティッチはこのどちらも否定したいのだが、まず内在的な価値をもつべきではない理由、言い換えればあまり保守的でないほうがいい理由が検討される。ここは相対主義の正しさの論証にもなっており、また想像が飛んで楽しい、いいかえればプラグマティズムの(楽観的)楽しみでもある。(p.217~)ともあれここでは内在的な価値への固執は潜在的な無限の解釈関数のもちうる可能性を遮断してしまう、という観点から、内在的な価値にこだわるべきではない、といわれる。
次は道具的な価値についてだが、これは実は論証する必要がないのではないか、と思われる。なぜなら道具的価値が最善であるということはどう好意的に見ても状況相対的なものを超えないからだ。しかしスティッチが想定している論敵は、道具的に最適である推論は、われわれがもつ直感であると主張する人であるように見える。しかしこのような人物がいるのかどうかは疑わしい。プラグマティストでなくとも、またはパラダイムという言葉を聞いたことが無くとも、次節(p.227~)においてスティッチが語ることに同意するのは、すこし歴史に目を向けるだけで充分だからだ。(つまりステレオタイプ化された論敵が想定されているのではないか、と思ったのだった)
まあそれは各人に判断を委ねるとして、ついに最後まで来た。プラグマティズムが相対主義的であるとして、それはそれほど悪いことなのかと問うのが第六章である。相対主義についての批判が検討され、再批判されるが、それを取り上げる余裕はない。(本当に余裕が無い)ここでスティッチのプラグマティズムが(第一章でも一度行われた、p.38)改めて定式化される。それは解釈関数を取替え可能な道具としてみなし、特定の解釈関数が道具的価値をアプリオリに持っていることは無い、ということから自然に導き出される立場である。それは実行可能な認識システムのなかで、プラグマティックにいって良いものを選択するべき、というものだ。(先ほどの「下手な推論」については、それよりもよい認識システムが実行可能であることを示すことで、それが下手な推論であることを示すことができる(p.285))
哲学入門
p.421
スティッチ「知識とは何かの必要十分条件を概念分析で与えようとする分析哲学的な認識論は不可能だし無用」
コーンブリスは知識という現象そのものを探究
p.125-6
新しい定義がやり直される
理論的定義
が
概念分析より重要
http://www.bibalex.jp/Book/06/06079.html
書名:『断片化する理性──認識論的プラグマティズム』
原書名:The Fragmentation of Reason: Preface to a Pragmatic Theory of Cognitive Evaluation
著者:スティーヴン・P・スティッチ 訳者:薄井尚樹
概 要:
著者スティーヴン・P・スティッチはアメリカの哲学・認知科学者。プリンストン大学にて博士号取得。現在はラトガーズ大学教授、シェフィールド大学名誉教授。英米における哲学的認識論の伝統的な問題を捉えなおし、認識の目的は多様であるとする認識論的多元主義を提示する。
その結果それまでの分析哲学において支配的であった、論理実証主義による言語や論理の分析を、プラグマティックな認識論へと転回せしめた。1990年に刊行された本書は、スティーヴン・P・スティッチの哲学的営為の代表的著作であり、分析哲学の方向性を転換させたと評価され、現代哲学を知るうえで重要な文献となっている。
表象には潜在的価値がある
情報には可能的価値がある
道徳がそれらを可能にする
意味は目的と重なる
機能は目的を持ち、逸脱する
情報には可能的価値がある
表象には潜在的価値がある
目的は意味と重なる
自由は決定論と矛盾しない
道徳がそれらを可能にする
人生の意味は哲学が与える
ララビアータ
田島正樹の哲学的断想
ララビアータ:戸田山和久氏の『哲学入門』(1)批判
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52368227.html
極めて特徴的なことに、カントについて著者があっさりとごく表面的に触れている個所がある。
カントの有名な『純粋理性批判』は、感覚を入力するとニュートン力学を出力するシステム(主観)を想定して、そいつはどんなサブタスクをやっているはずか、そのためにはどんな構造(アーキテクチャ)をしているはずかを考えた本だ(p-271)
ここには、カントにあった「批判」がきれいに抜け落ちている。なぜならカントは、ニュートン力学を出力する場合は正しい理性使用であるのに対し、神の存在証明を出力することは理性の不正使用である、と区別する基準を提出しているからである。つまり後者は、同じように感覚的経験を入力して、理性や論理を行使しても、その認識内容が我々の可能的経験を超越しているから、正当な理性使用とは言えないのだ。
一般に、一見合理的な顔をしていても、正当とは言えない科学が一部存在し、正当と言える科学が何故正当と判定できるのか、我々の合理性一般に遡って吟味しなくてはならない。これがカントの批判である。ニュートン力学の正当性を無条件に前提して、それを再構成したり跡付けたりすることではない。戸田山氏は、カントと違って、自然科学を頭から信じているようであるが、それがどうして正当であるのかを論証しようなどとは、てんから考えないのである。このことは、戸田山氏が頼りとする自然科学自体の内部にさえ、すでに大きな対立があるのに、奇妙なことである。たとえば、数学者の内部ですら、実在論と反実在論の対立に決着がついていない。
6:58 午前
yoji さんは書きました...
ララビアータ:戸田山氏『哲学入門』(2)進化論
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52368365.html
戸田山氏の本の扉には、戸田山氏自身のものかどうか分からないが、「神は死んだ(ニーチェもね)」という言葉が記されている。その軽薄さからして、いかにも戸田山氏自身がどこかで言いそうな言葉ではあるが、それに対して私は言いたい。「神は復活する(ニーチェもね)」
いったい戸田山氏は、一度たりともニーチェを真面目に読んだことがあるのだろうか?! カントすらまともに理解していない著者に対して、こんなことを言っても不毛だろう。たしかに無教養者を相手にしても、仕方がないのかも知れない。文明が衰退するときは、おしなべてこんなものなのだろう。
生物進化の歴史であれば、絶滅した種がよみがえることはないし、いったん断念された分岐点に、後から立ち返ることも不可能である。ミトコンドリアを取り入れた真核生物が、再びそれを放棄することはないし、いったん海に進出したクジラが陸に舞い戻ることもない。馬の先祖で中指だけが発達して蹄になったとき、彼らは比類ない速度を獲得した代わりに、物をつかむ指を失ったが、この失われた可能性を後になって環境が変わったとしても、取り戻すことはできない。
しかし、意味の歴史には、常に敗者復活の可能性が付きまとう。アリストテレスの自然学が、ガリレイの力学の前に否定されたとしても、まったく無意味になったりはしない。それはいわば思考の在庫の中で、厚い層を形成しており、いつか時代の要請のもとで、再び復活することもあろう。それというのも、我々の言語は一つの現象を浮き彫りにすることで、他の側面を抑圧してしまうからで、したがって、すべてをくまなく「一枚の絵に描き込むこと」(p-442)などできないからである。自分の中では明晰で整合的なつもりの思考の中に、思わぬ不整合が存在し得ること。観点や関心抜きの「一枚の完全な絵」は、それを描こうとする観点や欲望を隠蔽しているのに、それに気づきさえしないのである。なぜなら、このような観点や欲望自体は、その絵の中に描き込まれていないからである。
このように、テクストそのものが秘めている欲望を、そのテクスト編集の中に読み取る手法は、現代ではありふれたものに属するが(たとえば、聖書学における伝承史的研究――テクストの各エピソードを、それぞれいかなる階層がいかなる価値観に基づいて伝承したかを考慮して、テクストの中に秘められている亀裂を明らかにしていく研究、あるいは編集史的研究――各エピソードを、福音史家がどのような欲望から編集したのかを、テクストそのものから解明する研究)、もちろんそのような「文系的」諸学は、戸田山氏の関心を捉えるものではないらしい。
ここにある差異は、自然史と歴史との間にあるそれである。歴史には弁証法が存在するのに、自然史にはないのは、弁証法がもっぱら言語に関係するものだからである。結局、戸田山氏に欠けているのは、この弁証法の精神、すなわち哲学そのものである。
戸田山氏の本の扉には、戸田山氏自身のものかどうか分からないが、「神は死んだ(ニーチェもね)」という言葉が記されている。その軽薄さからして、いかにも戸田山氏自身がどこかで言いそうな言葉ではあるが、それに対して私は言いたい。「神は復活する(ニーチェもね)」
いったい戸田山氏は、一度たりともニーチェを真面目に読んだことがあるのだろうか?! カントすらまともに理解していない著者に対して、こんなことを言っても不毛だろう。たしかに無教養者を相手にしても、仕方がないのかも知れない。文明が衰退するときは、おしなべてこんなものなのだろう。
一般に、(人間における)意味の問題を進化論的に説明することには、大きな難があると言わざるを得ない。人間のみに関わる言語的意味は、何かの現象に注目し、それを浮き彫りにすることによって、他の側面を同時に隠蔽するという面をもっていた。つまり人間だけは、自分が理解したつもりになる意味そのものによって欺かれ得ることになった。つまり、何かが十分に見えないことによってではなく、何かとして見えすぎることによって、見えていたはずの意味が隠蔽されるということである。ギリシア人が繰り返し悲劇で描いてきたところである。
もちろん人間以外の生物界にも、対象の類別としてのパタンやパタン認識は存在している。食べ得るものとそれ以外のものの区別は、生きられた区別であり、生きられた意味である。しかし、生きられた意味は、ある特定の意味を浮き彫りにすることによって、他の意味を隠蔽することはない。カエルが黒い小さな動くものに反応するとき、それがハエでないかもしれない。しかし、それは対象の取り違えであっても、意味の隠蔽ではない。カエルは、それがハエでないと教えられても、舌を伸ばすことをやめない。つまりカエルにはそうとしか見ることができないのだ。それに対して、意味の隠蔽においては、それを示唆することによって隠蔽されていたものが発見される。つまり、隠蔽されていたものは言語を与えることによって浮き彫りになり、いままで見えていたにもかかわらず隠蔽されていたことが明らかになる。その意味で、意識と無意識とが反転する。
このことは、我々の意味理解には、繰り返し改定が必要となることを意味している。概念の再定義の運動――それをギリシア人は弁証法と呼んだ。一人の人には盲点として隠されていることが、もうひとりの対話者には気づかれることがあるという経験が、対話には起こることがある。わかったと思われていた知識の、再吟味と再定義の批判的活動こそ弁証法の本質であり、哲学そのものである。
生物進化の歴史であれば、絶滅した種がよみがえることはないし、いったん断念された分岐点に、後から立ち返ることも不可能である。ミトコンドリアを取り入れた真核生物が、再びそれを放棄することはないし、いったん海に進出したクジラが陸に舞い戻ることもない。馬の先祖で中指だけが発達して蹄になったとき、彼らは比類ない速度を獲得した代わりに、物をつかむ指を失ったが、この失われた可能性を後になって環境が変わったとしても、取り戻すことはできない。
しかし、意味の歴史には、常に敗者復活の可能性が付きまとう。アリストテレスの自然学が、ガリレイの力学の前に否定されたとしても、まったく無意味になったりはしない。それはいわば思考の在庫の中で、厚い層を形成しており、いつか時代の要請のもとで、再び復活することもあろう。それというのも、我々の言語は一つの現象を浮き彫りにすることで、他の側面を抑圧してしまうからで、したがって、すべてをくまなく「一枚の絵に描き込むこと」(p-442)などできないからである。自分の中では明晰で整合的なつもりの思考の中に、思わぬ不整合が存在し得ること。観点や関心抜きの「一枚の完全な絵」は、それを描こうとする観点や欲望を隠蔽しているのに、それに気づきさえしないのである。なぜなら、このような観点や欲望自体は、その絵の中に描き込まれていないからである。
このように、テクストそのものが秘めている欲望を、そのテクスト編集の中に読み取る手法は、現代ではありふれたものに属するが(たとえば、聖書学における伝承史的研究――テクストの各エピソードを、それぞれいかなる階層がいかなる価値観に基づいて伝承したかを考慮して、テクストの中に秘められている亀裂を明らかにしていく研究、あるいは編集史的研究――各エピソードを、福音史家がどのような欲望から編集したのかを、テクストそのものから解明する研究)、もちろんそのような「文系的」諸学は、戸田山氏の関心を捉えるものではないらしい。
ここにある差異は、自然史と歴史との間にあるそれである。歴史には弁証法が存在するのに、自然史にはないのは、弁証法がもっぱら言語に関係するものだからである。結局、戸田山氏に欠けているのは、この弁証法の精神、すなわち哲学そのものである。
戸田山氏の本の扉には、戸田山氏自身のものかどうか分からないが、「神は死んだ(ニーチェもね)」という言葉が記されている。その軽薄さからして、いかにも戸田山氏自身がどこかで言いそうな言葉ではあるが、それに対して私は言いたい。「神は復活する(ニーチェもね)」
いったい戸田山氏は、一度たりともニーチェを真面目に読んだことがあるのだろうか?! カントすらまともに理解していない著者に対して、こんなことを言っても不毛だろう。たしかに無教養者を相手にしても、仕方がないのかも知れない。文明が衰退するときは、おしなべてこんなものなのだろう。
(3)
田島正樹
意味という現象をどう理解するかという点は、フレーゲ以後の現代哲学を特徴づける決定的な点であろう。それまでの観念論や現象学の意味論は、意図や目的との関係で意味を理解してきた。つまり意味とは主体が目的のために機能として、または手段として、目的合理的に位置づけたものである。たとえばハイデガーは、日常的な用具存在(Zuhandensein)の意味を、現存在の時間的投企(Entwurf)の結果と見なしている。つまりそれによって将来何をするか、という目的合理的連関を理解することこそが、意味の理解に他ならないとされるわけである。このような意味の理論は、道具のようなものの意味を捉える場合には一定の役割を果たすものではあるが、言語の意味を含む意味一般の理解としては、とても役には立たない。
たとえばいわゆる意味志向(意図のような意識の作用)によって意味一般を理解しようとする現象学的な志向性の理論は、言語の意味の体系的連関を無視しているばかりか、意図(志向性)の特定のために、すでに言語を前提とせざるを得ない代物である。デリダは、フッサールの『幾何学の起源』への詳細な註釈において、数学に必要な厳密な意味作用を求めて、言語を還元することなどはできない、ということを明確に示した。つまり、言語の意味を、何を「言おうとしたいのか」(vouloir-dire)という意図によって基礎づけようとしても、その意図を特定化するためには言語に頼らざるを得ない。つまり、意図はすでに言語を前提せざるを得ないのだ。
すでによく知られているように、フレーゲはそのような意味理論とはまったく違った理論を提供した。すなわち、言語の意味を文の適切な使用がいかなる場合なのかの理解である、すなわち文の意味の理解とは、それがいかなる条件下で主張されたら適切または不適切と判断されるかを理解することであるという洞察。つまり、真理条件とか主張可能性条件といった意味論的価値(フレーゲのBedeutung)を、意味理論の中心においたのである。これらのことは今日では既に常識となっていることかもしれない。少なくとも、フレーゲやヴィトゲンシュタインから始まり、デイヴィドソンやダメットにまで共有された分析哲学主流の哲学者には、すべて共有された遺産となっている。
ところが戸田山氏は、このような伝統の根幹を放棄しているという意味で、分析哲学から逸脱しているのである。それというのも、戸田山氏のように意味を生物にとっての自然的機能の連続性において論じようとするなら、旧来の目的合理的理論に舞い戻ってしまうからである。
言語を前提とすれば、適切発話条件にかなった主張かどうかに応じたサンクションを与えることはたやすいことだ(事実そうやって我々は言語を学んできた)。しかし「適切発話」、「主張可能性」、「真」「偽」などの価値づけが、いかにして人間にのみ発生したのかの説明は、単なる適応という進化論的説明には不可能である。だが戸田山氏は、その説明を機能や目的合理性によってするしかない。しかしそれでは、フレーゲにはじまる言語哲学の中心的伝統をそこに繋げることができない。したがってこの本でも、意味の説明はすべてフレーゲ流の文脈原理、合成原理とは違って、もっぱら機能主義的・目的的合理性から与えられることになってしまう。本文中、意味の説明がそれ以外の形で説明される所は存在しない。ということは、言語的意味の理論を欠いているということである。
たとえばいわゆる意味志向(意図のような意識の作用)によって意味一般を理解しようとする現象学的な志向性の理論は、言語の意味の体系的連関を無視しているばかりか、意図(志向性)の特定のために、すでに言語を前提とせざるを得ない代物である。デリダは、フッサールの『幾何学の起源』への詳細な註釈において、数学に必要な厳密な意味作用を求めて、言語を還元することなどはできない、ということを明確に示した。つまり、言語の意味を、何を「言おうとしたいのか」(vouloir-dire)という意図によって基礎づけようとしても、その意図を特定化するためには言語に頼らざるを得ない。つまり、意図はすでに言語を前提せざるを得ないのだ。
すでによく知られているように、フレーゲはそのような意味理論とはまったく違った理論を提供した。すなわち、言語の意味を文の適切な使用がいかなる場合なのかの理解である、すなわち文の意味の理解とは、それがいかなる条件下で主張されたら適切または不適切と判断されるかを理解することであるという洞察。つまり、真理条件とか主張可能性条件といった意味論的価値(フレーゲのBedeutung)を、意味理論の中心においたのである。これらのことは今日では既に常識となっていることかもしれない。少なくとも、フレーゲやヴィトゲンシュタインから始まり、デイヴィドソンやダメットにまで共有された分析哲学主流の哲学者には、すべて共有された遺産となっている。
ところが戸田山氏は、このような伝統の根幹を放棄しているという意味で、分析哲学から逸脱しているのである。それというのも、戸田山氏のように意味を生物にとっての自然的機能の連続性において論じようとするなら、旧来の目的合理的理論に舞い戻ってしまうからである。
言語を前提とすれば、適切発話条件にかなった主張かどうかに応じたサンクションを与えることはたやすいことだ(事実そうやって我々は言語を学んできた)。しかし「適切発話」、「主張可能性」、「真」「偽」などの価値づけが、いかにして人間にのみ発生したのかの説明は、単なる適応という進化論的説明には不可能である。だが戸田山氏は、その説明を機能や目的合理性によってするしかない。しかしそれでは、フレーゲにはじまる言語哲学の中心的伝統をそこに繋げることができない。したがってこの本でも、意味の説明はすべてフレーゲ流の文脈原理、合成原理とは違って、もっぱら機能主義的・目的的合理性から与えられることになってしまう。本文中、意味の説明がそれ以外の形で説明される所は存在しない。ということは、言語的意味の理論を欠いているということである。
ちなみに、読者にとっては、第3章情報の章は、すべて飛ばしてしまって差し支えないものである。(シャノン流の)情報理論の簡単な解説があるだけで、それが戸田山氏の進化論的理論枠組みの中に埋め込まれるわけではない。つまり、ここに情報理論の解説を求めるのでなければ(そんな読者がいるのか?)これだけで独立した遊び車にすぎない。
途中まで読み進むと、「情報の量の理論」から「情報内容の理論」が手に入るのかのように気をもたせているが(p-166)、もとよりそんな事が出来るはずはなく、読者は結局、肩透かしを食うだけである。
「情報内容」という表現も極めてあいまいであるが、通常の分析哲学の伝統では、内容とは、表象内容(representational content)または志向的内容(intentional content)と呼ばれるもの、信念や懐疑や予期や意図などさまざまの態度(命題的態度)の対象となるthatクローズで表わされる命題内容を意味している。
はたして情報が内容をもつとはいかなることか? もちろん電信のように、文を信号にのせて伝達することはできる。しかしこの信号は、それ自体が内容と言える分節化をしているわけではない。そもそも真理値(や主張可能性)に言及せずに、文という基本単位が切り出せるはずもない(また真理値への固有名の貢献という観点抜きに、主語と述語の分節さえできるはずもないp-268)。文単位の成立は、単なる情報を他の情報との全体論的比較におくだけではない。その真理値が付与されることで、さまざまの可能的文脈における真理条件が付与できる(合成原理)ということを意味している。(ちなみに、戸田山氏には、G.Evansにおけるような、周到な理論装置が存在しない。エヴァンズの場合、ラッセル的指示にとって構成的な情報は、それ自身、内容をもつことはできない。概念(内容)のレベルと情報のレベルとは、厳密に区別されているのだ。それは、真理条件的意味理論の内部の指示の理論の中に、うまく回収されるものなのである。)
情報そのものは、ある一定の記号列でどの程度の可能性の中から限定し得るか、そのランダム性の縮約の度合いを示すものでしかない。それ自体を内容と見なせないのは、モールス信号がそれ自体で内容をもたないのと同様である。内容は文としての分節化を前提するのであり、内容が情報をもつのは当然としても、情報がそのまま内容をもつとは言えないのだ。
言語のようには構文論的構造をもたないように思われる他の動物の認識を、戸田山氏はオシツオサレツ表象と呼ぶ。たとえば、犬が足音でその主人の家宅を察知するとき、彼は「その足音が主人のものであること」を知っている(少なくとも信じている)と言いたくなる。我々人間ならば、この信念の内容要素に登場する「主人」の意味理解と、主人を慕う気持ち(または恐れる気持ち)を区別しているだろう。したがって、主人を慕っていれば、玄関で出迎え、恐れていれば隠れるなどという、可能な行動の意味の説明の中に現れる「主人の足音」という意味理解は、まったく同じものと見なされる。つまり、「主人の足音」を、それが置かれ得るさまざまの文脈を通して、同一のものとして理解していると言ってよい。だからこそ、元の文脈(それを習得した文脈)から切り離して、さまざまの要素と合成可能な文脈(文)でそれぞれの理解を創り出すことができるのである。このような理解の構文論的構造が、人間以外の動物には欠けていることは容易に理解されるだろう。いわば文脈を引きずり、他の行動への感情的促しを理解そのものにとって切り離し得ない仕方で含んでいる表象を、オシツオサレツ表象と呼ぶのである。
オシツオサレツ表象も表象であるからには、内容をもっているわけで、この内容はなんらかの仕方で生き物の内部状態としてコード化されているはずだ。「獲物だ、運べ」と「巣穴だ、点検せい」は、それぞれ違う内部状態にコード化されているだろう。(p-246)
戸田山氏においても、人間の理解がオシツオサレツ表象に留まるのではなく、構文論的構造をもたねばならないことはよく自覚されている。しかし、そのオシツオサレツ性は表象の入力区分と出力区分を一体にしてしまうこと、とだけとらえているようだ。だからこそ、「獲物だ」の部分と「運べ」の部分が一体になった「獲物だ、運べ」のように、認識―行動一体のアフォーダンスを伴ったものとして、解釈されているのである。だが、この動物にこのような言語的意味を帰属することはどうして許されるのかという点は、まったく考察されていない。「獲物だ、運べ」と「巣穴だ、点検せい」とを区別するだけではなく、どうしてこのような内容をもつものとして解釈可能と言えるのであろうか?
そもそも「表象であるからには、内容をもつ」と決めつけるのが不正確なのである。戸田山氏の理論に内容の理論が欠けている以上は、このような内容の特定化・解釈がどうして可能かは、依然として不明である。
「志向性」は、戸田山氏によれば「について性」プラス「間違い可能性」ということでしかないらしい。
しかし、次のように記されているのだ。
自然界を情報の流れとして捉えることができる。そうすると、そこで起こる出来事について他の出来事についての情報を伝える(しかも解読者なしに)ものになる。ここに、「について性」という志向性の原型がすでにある。さらに、この世界に、本来の機能ということが意味をなす存在、つまり生きものを置いてみる。生き物も自然的情報の流れの中にあるのだが、その情報のうち、あるものを独特の仕方で利用する。ここに間違い可能性を含む正真正銘の志向性が発生する。(p-231)
ここで人間以外の生物において(つまり言語抜きに)、「正真正銘の志向性」が発生するとはっきり記されている。
動物が何か絵のような、または写真のような形で、「表象」をもつとしよう。その絵は間違い可能なのか? 三次元の物体を二次元に写すこと自体、間違いではないのか? その絵は、アナモルフォーズのように歪んでいるかもしれない。しかし歪んだ鏡に写された像は、果たして不正確、または誤っているのだろうか? 頭の中の神経刺激に写された風景は、これと同様「歪んで」はいないか? 志向性は、「aがfであることによって、アプリオリに説明できるfaの経験としての経験または知覚器官の正常性条件なるものが存在する」などといった仕方で(PeacockeのHolistic Explanation参照)、したがって言語に依存した形で定式化するしかないのである。
ところでp-228には「記号生産メカニズムの本来の機能は真なる表象を生み出すこと」と書かれている。「本来の機能」とは何か?悩ましい! 爬虫類の骨は中空になっている。その本来の機能は、低酸素濃度の環境で呼吸を容易にすることであった。しかしその同じ構造が、恐竜においては、巨大な身体を支えること(身長の三乗に比例する体重と二乗に比例するにすぎない骨の強度をどうするか?)であった。それが鳥類に進化した段階では、体重を軽くして飛ぶことを可能にするためである。いったいその「本来の機能」はどれなのか?
その点のずさんさは、ひとまず置くとしよう。ここで記号というのは、「自然記号」と区別される「志向的表象」のことらしい(p-229)。しかし、もしそれが言語を前提とするものでないとしたら、どうして「真なる表象」などと語ることができるのか? 言語ぬきに志向性や内容を特徴づけようとする試みは当然挫折せざるを得ないのである。
かくて議論は振り出しに戻る。言語はいかにして進化論的に説明されるのか? 言語はいかにして唯物論的世界観の中に描き込まれるのか? それ以前に、言語的意味とは何なのか?
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52151240.html
エヴァンズの「情報」観念ノート
エヴァンズの指示理論において、指示対象と名前の使用とを結び付ける情報というリンクが重視されているのは、エヴァンズに興味をもつ人々には広く知られていることであるが、この概念をどう位置付ければよいのか、いま一つ明らかでない。
エヴァンズはフレーゲの名前の意義(Sinn)理論がしばしば誤解されてきたことを指摘している。
フレーゲは、意味の理論を、文の真理がその構成要素からどのように決定されているかということを軸に、つまりその論理的構造を軸に作ろうとする。簡略に言うと、文の意味を理解することはその適切な使用条件(通常は真理条件)の理解であると見なす。そして、文がその意味論的に分析される部分からその真理値を決定されると見なされる限り、その諸部分が文の真理条件の決定に貢献する仕方を、その部分の意義と見なすことができる。つまり、フレーゲの理論では、意味へのアプローチはあくまで真理値(文の意味論的価値)の決定からなされるべきである。すなわち真理値に貢献する文の構成要素の意味論的価値の分析から為されるべきである。こうして、たとえば名前(単称名辞)の場合は、それが文の構成要素になるのは、一番単純な場合は述語に合わさって(つまり述語の項位置アーギュメント・プレイスに代入されて)文をつくる場合であるが、文の真理値に関与するのはその指示対象である。つまり名前の意味論的価値(Bedeutung)は、指示対象である。こうして、Bedeutung主導の意味理論が出来上がる。
しかし、文の真理条件として文の意義(Sinn)とそれに貢献するものとしての諸部分の意義を考えるとき、指示対象が同じである名前は、置き換えても真理値を保存するけれども、その理解内容からすると違いがあるのは明らかである。だから認知的文脈では置き換えによる真理値の保存は期待しえない。そこから、フレーゲによればBedeutungは同じだが、Sinnは違う二つの名前があることになる。典型的なのは「明けの明星」と「宵の明星」である。
これがフレーゲの意義理論であるが、ここからSinnは確定記述で表現できるような内容であるという誤解が生じた。「明けの明星」のSinn は「明け方に東の空に出る星」であり、「宵の明星」の意義は「夕方に西の空に出る星」である、というわけである。このような解釈をしてしまうと、指示対象をもたない名前にも意義があるという考えが容易に出てくる。ダメットやエヴァンズは、このような理解はフレーゲの言語哲学の根本に対する深い誤解に基づくものであると考えた。フレーゲによれば、意味の理論へのアプローチはあくまでもBedeutung主導であるべきだったからである。エヴァンズは、このような誤解を解くべく、指示体をもたない名前は無意味だとし、それを含む文は無意味だとみなす。(これに対して、指示対象をもつまともな名前を「ラッセル的名前」と呼ぶ)
さて、その上で名前の意義をどう理解すべきか? よく知られた理論としては、クリプキの「指示の因果説」がある。名前の指示体は指示対象から因果的に繋がりがあるものであるということ。これはもともと、誤解されたフレーゲの名前のSinn理論に対する反論として出されたものである。
これらのことは、専門家の内ではよく知られたことだし、わたくしがそこに付け加えたものは何もない(有りうべき誤解はともかく)。ここで書きたいのはこれらの点ではなく、エヴァンズが明示的には書かなかったことで、わたくしが重要だと感じていることである。
1)情報は、真偽を問えるような内容をもたない。つまり、何らかの内容を信号として運ぶ何らかの単位として考えられているのではないのである。したがって、エヴァンズにおいては、いわゆる「情報理論」における情報概念のようなものを考えてはならない。
2)情報が情報であるということが、単一の情報に書き込まれているとか、少なくともそれだけから見て取れると考えることはできない。
3)それゆえ、情報は単一で情報として存在できるものではなく、多くの情報との関係において初めて情報としての価値をもつ、と考えねばならない。たとえば、深夜に突然音が聞こえたというような情報は、一見単一の情報のように見えるが、それ以前には音が聞こえていなかったということを背景として情報として価値をもつだろう。また、ある音が聞こえたことは、それだけでは空耳かもしれないという疑いを免れない。その音を聞いた者が他にいたという情報と合さるとき、それぞれの情報がそれぞれ情報として信頼するに足るものになり得る。
4)つまり、情報に関しては、それが情報であるとか、それがどこからどのような経路を経て伝達されたものなのか、といったメタ情報が付随しているということ、むしろそのようなメタ情報の方が重要である場合があること。
5)さらに言えば、それぞれの情報は、多くの情報相互の関係とネットワークの中において、情報としての価値をもち得るということである。それゆえ、情報は情報ネットワークがある程度定常的であり、信頼できることを前提とする。
6)現実の情報は、必ず可能的情報との関係においてのみ意味をもつ。思考にとっては、現実的情報でなくとも、可能的情報だけで思考内容に貢献し得る。
エヴァンズはこの後、「ここ」のSinnの分析に向かうが、そこでは「自己中心的空間」の観念が導入される。この装置と彼の情報観念の関係に注目する必要があるだろう。自己中心的空間は、わたくしの考えでは、情報のネットワーク、あるいはむしろ可能的情報のネットワークとして導入されている。たとえば、「ここ」の理解には、実際にここから情報を受け取っている必要はない。真っ暗やみの中で、「すぐ目の前にドアがある」という思考内容は、実際にそこにあるドアから情報を受け取っている必要はなく、手を伸ばせばそこから何らかのそれにふさわしい情報を受けるだろうという可能的情報に対する予期、ないしは了解があれば十分だろう(この論点はエヴァンズのVarieties of Reference p-169にある)。つまりエヴァンズの自己中心的空間は、さながら蜘蛛が蜘蛛の巣を張って獲物がかかるのを待ち受けるように、情報に対する感知能力として、空間に張り巡らされたものと考えられているのである。だからこそ、それは常に主体の行為可能性と密接な関連をもった情報の整理能力(思想形成能力)と見なされるのである。
しかしここで、起こりがちな誤解を晴らしておく必要がある。それは、「ここ」のSinnが、「私」から与えられたものと考えるものである。すなわち、「ここ」の意味は「私がいる場所」であると見なすもの。もちろんここには、単称名辞のSinnを確定記述で述べることができるという記述主義的な誤り(俗流フレーゲ主義)がある。このように考えてしまえば、あたかも異なるBedeutung(指示対象)に対して単一のSinnが存在し得るかのように見なされてしまう。「私がいる場所」が、さまざまに異なる場所で有り得るのは自明のことだからである。またそれと同時に、指示対象がなくても、何かそこに考えられている意味内容(Sinn)があり得るとも、たやすく見なされてしまうだろう。このような「理解」が、Bedeutung主導のフレーゲの意味理論の精神と、まったく対立するものであることは言うまでもない。もちろんそれは、エヴァンズの承認できる立場ではない。
エヴァンズの場合、自己中心的空間と重ねられるものとして客観的空間の存在を認めている。したがって、「ここ」が実際に使われている限りは、単一の場所を対象として指示しており、それが異なる機会に使用される場合には、指示対象(指示される場所)が異なる以上、当然理解内容(Sinn)も異なると見なすことになる。「ここ」という言葉が共通していることから、理解内容も同一だと見なすことはできないのである(もっともそこに何か共通する構造がないというわけではない)。ある種の人々にはこの点が、エヴァンズに同意しにくいと思わせる点かもしれない。また、カプランなどアメリカの理論家たちとの違いでもある。しかしこの点に決着をつけるためには、指標句の問題を超えて、意味の理論一般の構造をどう考えるべきかという、より包括的なイデオロギー対立に踏み込む必要がある。
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表象は本来、道徳の上に乗っかるべきもの。
つまり(形式と内容共に)倫理、道徳が先になければ、その表象(志向的記号。狭義には
イメージ=広義には文化)は信用できるものではない。
(信用、信仰の問題が先であるべきだということ)
哲学入門は、記述は普遍的でも事例は通俗的なものが多く、解離している。
これは表象と道徳の位置づけが混乱しているから起こる。
社会システム
________
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン
/_IL/_II/ | ドレツキ_
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味 チューリング
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ネーゲル 人生の意味| /_第7章 道 徳 デネット ホンデリック
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ラプラス 第6章 自 由 / 第5章 目 的 ギブソン
デネット A / G /
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そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
社会システム
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ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
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そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
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ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン
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そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
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そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
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ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
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ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 /デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/チャーチランド
/_______|___/___|<生命システム>
/ / /
ラプラス/ 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G /
/_______/_______/
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
<社会システム>
________ シャノン
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン
| | |<行為システム> サール
| | | | フォーダー
____|___|___|___|
/ | / /| /ドーキンス ペレブーム
ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 /デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/チャーチランド
/_______|___/___|<生命システム>
/ / /
ラプラス/ 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G /
/_______/_______/
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
<社会システム>
________ シャノン
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン
| | |<行為システム> サール
| | | | フォーダー
____|___|___|___|
/ | / /| /ドーキンス ペレブーム
ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 /デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/チャーチランド
/_______|___/___|<生命システム>
/ / /
ラプラス/ 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G /
チザム/_______/_______/
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
<社会システム>
________ シャノン
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン
| | |<行為システム> サール
| | | | フォーダー
____|___|___|___|
/ | / /| /ドーキンス ペレブーム
ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 /デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/チャーチランド ライル
/_______|___/___|<生命システム>
/ / /
ラプラス/ 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G /
チザム/_______/_______/
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
<社会システム>
________ シャノン
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | | フォーダー
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ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 /デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/チャーチランド ライル
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ラプラス/ 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G /
チザム/_______/_______/
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
<社会システム>
________ シャノン
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
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/ | / /| /ドーキンス ペレブーム
ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 /デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/チャーチランド ライル
/_______|___/___|<生命システム>
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ラプラス/ 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G /
チザム/_______/_______/
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
<社会システム>
________ シャノン
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
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/ | / /| /ドーキンス ペレブーム
ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
/_______|___/___|<生命システム>
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G /
チザム/_______/_______/
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
<社会システム>
________ シャノン
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
____|___|___|___|
/ | / /| /ドーキンス ペレブーム
ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
<社会システム>
________ シャノン
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
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/ | / /| /ドーキンス ペレブーム
ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
https://opac.lib.city.yokohama.lg.jp/opac/OPP1500?ID=5&SELDATA=TOSHO&SEARCHID=0&START=1&ORDER=DESC&ORDER_ITEM=SORT4-F&LISTCNT=10&MAXCNT=1000&SEARCHMETHOD=SP_SEARCH&MENUNO=0
タイトル ハイデガーと認知科学
著者名等 門脇俊介/編 ≪再検索≫
著者名等 信原幸弘/編 ≪再検索≫
出版者 産業図書
出版年 2002.04
大きさ等 22cm 316p
NDC分類 134.9
件名 認知 ≪再検索≫ ハイデッガー マルティン
Heidegger Martin.
要旨 認知科学へのハイデガー哲学のインパクトを概観し、新しい認知観の展望を拓くアンソロ
ジー。古典的計算主義批判だけでなく、身体的主体と環境との相互作用に注目する。
目次 1 ハイデガーから認知科学へ(心をつくるか、それとも、脳のモデルをつくるか。分岐
点に戻る人工知能;現存在の開示性;認知と感情―ハイデガー的アプローチ;意識の「世
界内存在」と「空間性」―フッサール・ハイデガー・ギブソン);2 世界内存在の認知
科学(認知は計算でないとすれば、何だろうか;表象なしでやれるのか?;主体と環境の
相互作用としての認知;理論と背景的条件)
内容 内容:ハイデガーから認知科学へ 心をつくるか、それとも、脳のモデルをつくるか。分
岐点に戻る人工知能 ヒューバート・L.ドレイファス/著 スチュアート・E.ドレイ
ファス/著 畠山聡/訳. 現存在の開示性 ジョン・ホーグランド/著 森本浩一/訳
. 認知と感情 門脇俊介/著. 意識の「世界内存在」と「空間性」 村田純一/著.
世界内存在の認知科学 認知は計算でないとすれば、何だろうか ティム・ヴァン・ゲ
ルダー/著 中村雅之/訳. 表象なしでやれるのか? アンディ・クラーク/著 ジョ
セファ・トリビオ/著 金杉武司/訳. 主体と環境の相互作用としての認知 信原幸弘
/著. 理論と背景的条件 山田友幸/著. 索引あり
ISBN等 4-7828-0143-2
<社会システム>
________ シャノン
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
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/ | / /| /ドーキンス ペレブーム
ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
yoji さんは書きました...
<社会システム>
________ シャノン
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
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/ | / /| /ドーキンス ペレブーム
ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
序
表象=実物の代わり
p.30
yoji さんは書きました...
<社会システム>
________ シャノン
ミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ vs ミリカン
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
____|___|___|___|
/ | / /| /ドーキンス ペレブーム
ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
yoji さんは書きました...
<社会システム>
________ シャノン
ドレツキvsミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ vs ミリカン
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
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/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
yoji さんは書きました...
<社会システム>
________ シャノン
ミリカンvsドレツキ 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ミリカン vs ドレツキ
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カミンズvsミリカン 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
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/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
<社会システム>
________ シャノン
ドレツキvsミリカン 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ vs ミリカン
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
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ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
2:132.起源論的説明vs.因果役割的説明
<社会システム>
________ シャノン
ミリカンvsドレツキ 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
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/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
序:017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132.起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
<社会システム>
________ シャノン
ミリカンvsドレツキ 第4章 表 象/ 第3章 情 報 ドレツキ
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
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ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
序:017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
<社会システム>
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ミリカンvsドレツキ 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン→ドレツキ
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
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ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
序:017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→情報内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
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ミリカンとドレツキ 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン→ドレツキ
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
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/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
序:017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→情報内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
5:271
5:295
7:381
カント
論争におけるアンチノミーの整理は、
二元論ではないものの著書の意に反してカントに似てくる
特に第七章にいたっては
ただ田島正樹も批判した進化論への過度の依拠は、カントではなくヘーゲルに似てくる
現実が合理的という態度に帰着する
進化論は当初から円環モデルという多様性の認知を内包していたことが見直されるべきだろう
今日の科学哲学のいう多様性は狭いものだということを体現してしまっている
本書を図解すると以下になる、
<社会システム>
________
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
重要トピック、
序:017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→情報内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
論争におけるアンチノミーの整理は、
二元論ではないものの著書の意に反してカント(5:271、5:295、7:381に言及あり)に似てくる
特に第七章にいたっては
ただ田島正樹も批判した進化論への過度の依拠は、カントではなくヘーゲルに似てくる
現実が合理的という態度に帰着する
進化論は当初から円環モデルという多様性の認知を内包していたことが見直されるべきだろう
今日の科学哲学のいう多様性は狭いものだということを体現してしまっている
本書を図解すると以下になる、
<社会システム>
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論(=030発生的観点)をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
重要トピックは以下、
序:017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→情報内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
論争におけるアンチノミーの整理は、
二元論ではないものの著書の意に反してカント(5:271、5:295、7:381に言及あり)に似てくる
特に第七章にいたっては、、、
ただ田島正樹も批判した進化論への過度の依拠は、カントではなくヘーゲルに似てくるのではないか?
つまり現実が合理的という態度に帰着する。
進化論は当初から円環モデルという多様性の認知を内包していたことが見直されるべきだろう。
今日の科学哲学のいう多様性は狭いものだということを体現してしまっている。
本書を図解すると以下になる(369にある図はカテゴリー錯誤052)、
<社会システム>
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論(=発生的観点030)をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
重要トピックは以下、
序:017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→情報内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
論争におけるアンチノミーの整理は、
二元論ではないものの著書の意に反してカント(5:271、5:295、7:381に言及あり)に似てくる
特に第七章にいたっては、、、
ただ田島正樹も批判した進化論への過度の依拠は、カントではなくヘーゲルに似てくるのではないか?
つまり現実が合理的という態度に帰着する。
進化論は当初から円環モデルという多様性の認知を内包していたことが見直されるべきだろう。
今日の科学哲学のいう多様性は狭いものだということを体現してしまっている。
本書を図解すると以下になる(369頁にある図はカテゴリー錯誤052頁)、
<社会システム>
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ミリカンとドレツキ 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン→ドレツキ
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スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論(=発生的観点030)をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
重要トピックは以下、
序:017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→情報内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
論争におけるアンチノミーの整理は、二元論ではないものの著書の意に反してカント(5:271、5:295、7:381に言及あり)に似てくる。特に第七章にいたっては、、、
ただ田島正樹も批判した進化論への過度の依拠は、カントではなくヘーゲルに似てくるのではないか?
つまり現実が合理的という態度に帰着する。
進化論は当初から円環モデルという多様性の認知を内包していたことが見直されるべきだろう。
今日の科学哲学のいう多様性は狭いものだということを体現してしまっている。
本書を図解すると以下になる(369頁にある図はカテゴリー錯誤052頁)、
<社会システム>
________
ミリカンとドレツキ 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン→ドレツキ
/_IL/_II/ |
ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
____|___|___|___|
/ | / /| /ドーキンス ペレブーム
ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論(=発生的観点030)をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
重要トピックは以下、
序:017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→情報内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
論争におけるアンチノミーの整理は、二元論ではないものの著書の意に反してカント(5:271、5:295、7:381に言及あり)に似てくる。特に第七章にいたっては、、、
ただ田島正樹も批判した進化論への過度の依拠は、カントではなくヘーゲルに似てくるのではないか?
つまり現実が合理的という態度に帰着する危険がある。
進化論は当初から円環モデルという多様性の認知を内包していたことが見直されるべきだろう。
今日の科学哲学のいう多様性は狭いものだということを体現してしまっている。
本書を図解すると以下になる(369頁にある図はカテゴリー錯誤052頁)、
<社会システム>
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ミリカンとドレツキ 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン→ドレツキ
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
| | |<行為システム>
| | | |フォーダー
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ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
/ L |/ /I |/ チャーチランド ライル
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論(=発生的観点030)をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
重要トピックは以下、
序:014唯物論支持。017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→情報内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
論争におけるアンチノミーの整理は、二元論ではないものの著書の意に反してカント(5:271、5:295、7:381に言及あり)に似てくる。特に第七章にいたっては、、、
ただ田島正樹も批判した進化論への過度の依拠は、カントではなくヘーゲルに似てくるのではないか?
つまり現実が合理的という態度に帰着する危険がある。
進化論は当初から円環モデルという多様性の認知を内包していたことが見直されるべきだろう。
今日の科学哲学のいう多様性は狭いものだということを体現してしまっている。
参考文献にあった『ハイデガーと認知科学』を読めばわかるが、表象批判は機械論的なもので、ドゥルーズ444と同じだ。極度の現代哲学忌避がわかりにくさを生んでいる。
書評:哲学入門 (ちくま新書) [新書] 戸田山 和久 (著)
哲学入門 (ちくま新書) [新書]
戸田山 和久 (著)
本書をT・パーソンズの体系に沿って図解すると以下になる(369頁にある図はカテゴリー錯誤052頁)、
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ミリカンとドレツキ 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン→ドレツキ
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
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ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論(=発生的観点030)をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
重要トピックは以下、
序:014唯物論支持。017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→情報内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
論争におけるアンチノミーの整理は、二元論ではないものの著書の意に反してカント(5:271、5:295、7:381に言及あり)に似てくる。特に第七章にいたっては、、、
ただ田島正樹も批判した進化論への過度の依拠は、カントではなくヘーゲルに似てくるのではないか?
つまり現実が合理的という態度に帰着する危険がある。
進化論は当初から円環モデルという多様性の認知を内包していたことが見直されるべきだろう。
今日の科学哲学のいう多様性は狭いものだということを体現してしまっている。
参考文献にあったゲルダー他著『ハイデガーと認知科学』を読めばわかるが、表象批判は機械論的なもので、ドゥルーズ444と同じだ。極度の現代哲学忌避がわかりにくさを生んでいる。
参考:
ララビアータ 田島正樹の哲学的断想
ttp://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52368227.html
ttp://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52368365.html
ttp://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52368742.html
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書評:哲学入門 (ちくま新書) [新書] 戸田山 和久 (著)
哲学入門 (ちくま新書) [新書]
戸田山 和久 (著)
本書をT・パーソンズの体系に沿って図解すると以下になる(369頁にある図はカテゴリー錯誤052頁)、
<社会システム>
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ミリカンとドレツキ 第4章 表 象/ 第3章 情 報 シャノン→ドレツキ
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ミリカンvsカミンズ 第2章 機 能/ 第1章 意 味|チューリング
スティッチ /_IA/_IG/ | ミリカン サール
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ネーゲル/人生の意味| /_第7章 道 徳 / デネット ホンデリック
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ラプラス / 第6章 自 由 / 第5章 目 的 /ミリカン ギブソン
デネット/ A / G / パピノー
チザム/_______/_______/ ゲルダー=反表象主義
そして(広義の)情報の上に政治経済といった人間社会が乗る。
(両者を逆にして発生論(=発生的観点030)をプラグマチズムに回収するようなことは出来ない)
重要トピックは以下、
序:014唯物論支持。017二元論批判
1:080目的論的意味論vs.
2:132起源論的説明vs.因果役割的説明
3:166情報量→情報内容
4:200志向的記号と自然的記号
5:239志向的表象
6:298決定論と自由
7:375決定論と責任
論争におけるアンチノミーの整理は、二元論ではないものの著書の意に反してカント(5:271、5:295、7:381に言及あり)に似てくる。特に第七章にいたっては、、、
ただ田島正樹も批判した進化論への過度の依拠は、カントではなくヘーゲルに似てくるのではないか?
つまり現実が合理的という態度に帰着する危険がある。
進化論は当初から円環モデルという多様性の認知を内包していたことが見直されるべきだろう。
今日の科学哲学のいう多様性は狭いものだということを体現してしまっている。
参考文献にあったゲルダー他著『ハイデガーと認知科学』を読めばわかるが、表象批判は機械論的なもので、ドゥルーズ444と同じだ。極度の現代哲学忌避がわかりにくさを生んでいる。
p.125-6にある、新しい定義がやり直されるという「理論的定義」が「概念分析」より重要だという指摘や、p.421にあるスティッチから得た「知識とは何かの必要十分条件を概念分析で与えようとする分析哲学的な認識論は不可能だし無用」という見解が重要だろう(その延長でコーンブリスは知識という現象そのものを探究するという)。スティッチは特に著者に分析哲学からプラグマティックな認知科学(情報、生命進化、人工知能)への転向を促したという。
参考:
ララビアータ 田島正樹の哲学的断想
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52368227.html
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52368365.html
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52368742.html
http://www.bibalex.jp/Book/06/06079.html
書名:『断片化する理性──認識論的プラグマティズム』
原書名:The Fragmentation of Reason: Preface to a Pragmatic Theory of Cognitive Evaluation
著者:スティーヴン・P・スティッチ 訳者:薄井尚樹
概 要:
著者スティーヴン・P・スティッチはアメリカの哲学・認知科学者。プリンストン大学にて博士号取得。現在はラトガーズ大学教授、シェフィールド大学名誉教授。英米における哲学的認識論の伝統的な問題を捉えなおし、認識の目的は多様であるとする認識論的多元主義を提示する。
その結果それまでの分析哲学において支配的であった、論理実証主義による言語や論理の分析を、プラグマティックな認識論へと転回せしめた。1990年に刊行された本書は、スティーヴン・P・スティッチの哲学的営為の代表的著作であり、分析哲学の方向性を転換させたと評価され、現代哲学を知るうえで重要な文献となっている。
カント
判断力批判
9 判断力による悟性の立法と理性の立法との結合について
原注三 純粋哲学におけるわたくしの区分がほとんどいつも三分法的となることを人々は気づかわしく思っている。しかしこれは事柄の性質にあることなのである。およそ区分が先天的に行なわれるべきものとすれば、それは矛盾律にしたがって分析的となるか、──そのとき区分は常に二分法的となる(quodlibet ens est aut A aut non A. およそいかなるものも、Aでなければ、非Aである)──それとも総合的であるかであろう。そして後者の場合に区分が先天的概念からなされるべきであるならば(数学においてのように概念に対応する先天的直観からなされるべきではなくて)、総合的統一一般にとって必要とせられるもの、すなわち(一)制約(二)制約されたもの(三)制約されたものとその制約との結合から生まれる概念、にしたがって、その区分は必然的に三分法でなければならない。
http://blog.goo.ne.jp/masaoonohara/e/6bbb0bf9a75681ddd0f4a2356471527b/?cid=955704b5587b81a53cd2bd7752af2ec9&st=0
カントJIS+2D22「永遠平和への道」 資料
1.『永遠平和のために』目次
第1章「この章は、国家間の永遠平和のための予備条項を含む」
第1条項「将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。」
第2条項「独立しているいかなる国家 (小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない) も、継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない。」
第3条項「常備軍は、時とともに全廃されなければならない。」
第4条項「国家の対外紛争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。」
第5条項「いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。」
第6条項「いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。例えば、暗殺者や毒殺者を雇ったり、降伏条約を破ったり、敵国内での裏切りをそそのかしたりすることが、これに当たる。」
第2章「この章は、国家間の永遠平和のための確定条項を含む」
第1確定条項「各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。」
第2確定条項「国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。」
第3確定条項「世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されねばならない。」
第1補説「永遠平和の保証について」
第2補説「永遠平和のための秘密条項」
付論1「永遠平和という見地から見た道徳と政治の不一致について」
付論2「公法の超越論的概念による政治と道徳の一致について」
三分割でも四分割でも二項対立が基本だ。その意味で「二重性」(例:価値と価格)がキーワードで
ある『資本論』の再構成、理解の準備段階には、二元論化がふさわしい。以下試作。
~『資本論』各巻構成表式~
第1巻=価値論、流通論
本源的蓄積、不変資本、可変資本、剰余価値、価値形態論
\ (絶対的) (使用価値) (地代)_差額地代
\固定資本 流動資本 | |
第2巻が間をつなぐ (利潤) |
/(再)生産論 | |
/ (相対的) (交換価値) (利子) 絶対*地代
第3巻=価格論、分配論 |
地代______利潤_____利子____________|
*名称が逆。ここに貨幣形態を固定的に捉えることに端的に示されるようなマルクスの倒錯がある。
資本主義社会それ自体の倒錯と言うべきなのだろうが…
ボックス
右足2 左足3
左足1 右足4
武野紹鴎
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社会的行為の構造 全5冊揃 - 古本買取・販売|奈良 駱駝堂
http://rakudado.net/?pid=52759961
社会的行為の構造 全5冊揃
1 総論
2 マーシャル・パレート論
3 デュルケーム論
4 M.ウェーバー論(Ⅰ)
5 M.ウェーバー論(Ⅱ)
タルコット・パーソンズ著/稲上毅・厚東洋輔・溝部明男訳/木鐸社/Ⅰ1989・Ⅱ1986・Ⅲ1989・Ⅳ1986・Ⅴ1989
四六・カバー/Ⅰ202頁・Ⅱ265頁・Ⅲ239頁・Ⅳ246頁・Ⅴ216頁/Ⅰ4刷・Ⅱ1刷・Ⅲ2刷・Ⅳ4刷・Ⅴ1刷
並上 本体良好
社会的行為の構造 総目次
序文
第二版への序文
第一部 行為の実証主義的理論
第一章 緒言
1 問題の所在
2 理論と経験的事実
3 残余範疇
4 理論、方法論、そして哲学
5 概念の諸類型
付論・「事実」という概念について
第二章 行為の理論
1 行為体系の単位
2 功利主義的体系
3 行為の実証主義的理論
4 経験主義
5 行為理論における個人主義
付論A・「規範的」という概念について
付論B・行為理論体系の諸類型についての図式的概説
付論C・行為理論の関係からみた非主観的範疇の内容
付論D・心理学と生物学の関係について
第三章 行為理論における個人主義的実証主義の歴史的発展の諸段階
1 ホッブスと秩序の問題
2 ロックと古典経済学
3 マルサスと功利主義の不安定性
4 マルクスと階級対立
5 ダーウィン主義
6 極端な実証主義への他の道筋
7 効用
8 進化
〔以上第一分冊〕
第二部 実証主義的伝統からの行為の主意主義的理論の形成
第四章 アルフレッド・マーシャル―欲求、活動および経済学の研究範囲の問題―
1 活動と効用理論
2 生産要素の供給
3 実質費用
4 自由な企業
5 社会進化
6 「自然の秩序」
7 経済的動機
8 経済理論の研究範囲の問題
第五章 ヴィルフレード・パレート〈その一〉―方法論と主要な分析図式―
1 方法論
2 論理的行為と非論理的行為
3 残基と誘導論理
4 非論理的行為の二つの構造的側面
第六章 ヴィルフレード・パレート〈その二〉―構造的分析の拡充と検証―
1 パレートと社会ダーウィン主義
2 行為体系の「論理的側面」
3 社会的効用の理論
4 社会体系の非論理的側面
5 再び経済理論の地位について
第七章 ヴィルフレード・パレート〈その三〉―経験的一般化と結論―
1 イデオロギーの問題
2 社会変動の循環
3 力の果たす役割
4 一般的な結論
〔以上第二分冊〕
第八章 エミール・デュルケーム〈その一〉―初期の経験的研究―
1 社会分業論
2 自殺論
3 職業集団と社会主義
第九章 エミール・デュルケーム〈その二〉―社会学的実証主義の方法論―
1 功利主義のディレンマ
2 「社会的」要因
3 集合表象
4 倫理と社会類型
第十章 エミール・デュルケーム〈その三〉―社会統制論の展開―
1 拘束の意味変化
2 倫理的諸困難
3 制度の役割
第十一章 エミール・デュルケーム〈その四〉―最終局面・宗教と認識論―
1 宗教的理念
2 儀礼
3 認識論
第十二章 第二部の要約―行為の実証主義的理論の解体―
1 実証主義の出発点
2 マーシャル
3 パレート
4 デュルケーム
〔以上第三分冊〕
第三部 理想主義的伝統からの行為の主意主義的理論の形成
第十三章 理想主義的伝統
1 方法論的背景
2 資本主義の問題
3 マルクス
4 ゾンバルト
第十四章 マックス・ウェーバー〈その一〉―宗教と近代資本主義―
A プロテスタンティズムと資本主義
1 資本主義の原理的性格
2 資本主義の精神
3 カルヴィニズムと資本主義の精神
付論・理念の役割について
第十五章 マックス・ウェーバー〈その二〉―宗教と近代資本主義(続き)―
B 比較研究
1 中国
2 インド
3 宗教の体系的類型学
4 プロテスタンティズムと資本主義―図式的要約―
第十六章 マックス・ウェーバー〈その三〉―方法論―
1 客観主義
2 本質直感主義
3 自然科学と社会科学
4 理念型と一般化された分析理論
5 経験的証明の論理
6 説明の適合性
7 行為と意味の複合体
〔以上第四冊〕
第十七章 マックス・ウェーバー〈その四〉―体系的理論―
1 社会的行為の諸類型
2 行為の方向付けに関する諸様式
3 正統的秩序、カリスマそして宗教
4 儀礼
5 嗜好の問題
付論・「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」に関するノート
第四部 結論
第十八章 経験的に検証された結論
1 行為の構造に関する要約的定式化
2 検証された結論
第十九章
1 経験主義と分析理論
2 行為の準拠枠
3 行為体系とその単位
4 分析的要素の役割
5 行為理論の一般的地位
6 行為科学の分類
7 社会学の位置
解説
参考文献一覧
人名索引
事項索引
〔以上第五分冊〕
労働の需要 生産要素市場 労働の供給
お金の流れ------➡︎D S⬅︎---------
|賃金・地代・利潤 E_\/ 労働・土地・資本|
|(=GDP) 均衡点/\ |
| -------⬅︎S D➡︎------- |
| |生産へ 戦い 所得(=GDP)| |
| |の投入 | |
⬆︎ ⬇︎ マクロ / ⬇︎ ⬆︎
\ /自然 / \ /人間
企\業 死 / 家\計 生命
/ \ / ミクロ / \
⬇︎ ⬆︎ ⬆︎ ⬇︎
| |(GDP=) 財・サービス 購入された| |
| | 収入 市場 財・サービス| |
| -------⬅︎D S➡︎------- |
|販売された財 E_\/均衡点 |
|・サービス /\ 支出(=GDP)|
---------➡︎S D⬅︎---------
財の供給 食事 財の需要○○
上の図はあくまでキャピタルという交換様式内の営為だが、
命を媒介にした自然と人間の関係をも対応させ得る。
この場合、反時計回りに自然から奪い、時計回りに自然に帰る。
三種類の消費を考えたパーソンズの図式に似てくる。
この行為システム内の労働・土地・資本の上に社会システムが乗る。
さらに生命システム内の労働・土地・資本にあたる場がこの全体を支える。
文化システム論
著者名等 タルコット・パーソンズ/〔著〕 ≪再検索≫
著者名等 丸山哲央/訳 ≪再検索≫
出版者 ミネルヴァ書房
出版年 1991.12
大きさ等 20cm 164,5p
注記
Theories of society./の翻訳(部分)
NDC分類 361.5
件名 社会学 ≪再検索≫
件名 文化 ≪再検索≫
要旨 人間活動に不可欠な象徴的側面を、社会学の文脈で理論化しようとした。それは、マンハ
イムやマルクスの理論を修正した、パーソンズ流の「知識社会学」であり、同時に、社会
科学全体に共通する文化の基礎理論でもある。
目次
序章 文化のシステム;
第1章 文化のシステムの諸次元;
第2章 文化の基盤としての言語;
第3章 文化システムと社会システムの関係;
第4章 文化理論の諸相;
第5章 文化システムの機能分化;
第6章 文化の累積性の問題;
第7章 「知識社会学」と文化の社会学
内容 文献表:p159-162
ISBN等 4623021475
書誌番号 3-0190380354
単著
The Structure of Social Action(1937年)
『社会的行為の構造』稲上毅、厚東洋輔訳(木鐸社 1976年)
総論、マーシャル/パレート論、デュルケム論、マックス・ウェーバー論1・2の五分冊)
The Social System(1951年)
『社会体系論』佐藤勉訳(青木書店 1974年、現代社会学大系)
Structure and Process in Modern Societies(1960年)
Theories of Society(1961年)
『社会システム概論』倉田和四生訳(東洋書房 1978年、パート2の序論他の部分訳)
『文化システム論』丸山哲央訳(ミネルヴァ書房 1991年、パート4の序論のみの訳)
Social Structure and Personality(1964年)
『社会構造とパーソナリティ』武田良三監訳 丹下隆一等共訳(新泉社 1973年、フロイトに言及)
Societies: Evolutionary and Comparative Perspectives(1966年)
『社会類型 進化と比較』矢沢修次郎訳(至誠堂 1971年)
Sociological Theory and Modern Society(1967年)(カール・マルクスへの言及を含む。未邦訳)
Politics and Social Structure(1969年)
『政治と社会構造』新明正道監訳(誠信書房 1973-74年。下巻でAGIL図式を解説)
The System of Modern Societies(1971年)
『近代社会の体系』井門富二夫訳(至誠堂 1977年)
The Sociology of Knowledge and the History of Ideas(unpublished, in Parsons Papers, Harvard Archives, 1974-75年)
『知識社会学と思想史』油井清光監訳 土屋淳二、杉本昌昭訳(学文社 2003年)
Social Systems and the Evolution of Action Theory(1977年)
『社会体系と行為理論の展開』田野崎昭夫監訳(誠信書房 1992年)
Action Theory and the Human Condition(1978年)
『宗教の社会学―行為理論と人間の条件第三部』徳安彰ほか訳、『人間の条件パラダイム—行為理論と人間の条件第四部』富永健一ほか著訳、勁草書房 2002年、前者は、ルネ・C・フォックス Renee C. Fox およびヴィクター・リッツ Victor Lidz との共同執筆を含む。後者は単独執筆で、カント主義者を自称)
『社会システムの構造と変化』倉田和四生編訳 (創文社 1984年、1978年来日時の講演録)
共著
Working Papers in the Theory of Action(- with Bales, A.Shils) 1953年)
Family, Socialization and Interaction(- with Bales, Robert Freed, 1955年)
R・F・ベールズ『核家族と子どもの社会化』橋爪貞雄等訳(黎明書房 1970-1972年)、『家族』1981年改題
Economy and Society( - with N. Smelser, 1956年)
N・J・スメルサー『経済と社会―経済学理論と社会学理論の統合についての研究』富永健一訳(岩波書店 1958年)
The American University( - with G. Platt, 1973年)
Zur Theorie sozialen Handelns( - with Alfred Schütz, 1977年)
アルフレート・シュッツ、W.M.スプロンデル編『社会理論の構成 社会的行為の理論をめぐって A.シュッツ=T.パーソンズ往復書簡』佐藤嘉一訳(木鐸社 1980年)『社会的行為の理論論争』と改題
共編著
The present position and prospect of systematic theory in sociology (1945年).=「社会学における体系的理論の現状と将来」『ギュルヴィッチ、ムーア編二十世紀の社会学第4巻』(誠信書房 1959年)
Toward a General Theory of Action ( - with Schills and Klucklohn, 1951年)=(E・A・シルス)『行為の総合理論をめざして』日本評論新社 1960年、作田啓一、永井道雄、橋本真共訳による部分訳。パターン変数への言及あり)
The Principal Structure of Community, Structure and Process in Modern Society(1960年).=論文「コミュニティの基本構造」『都市化の社会学』(誠信書房、1978年所収)
Death in American society ( - with M.Lidz, 1967年)=(ヴィクター・M・リッツ)論文「アメリカ社会における死」『自殺の病理』(岩崎学術出版社 1972年所収)
American Sociology (a collection of essays edited by Talcott Parsons, 1968年).=『現代のアメリカ社会学』東北社会学研究会訳(誠信書房 1969年)
そのほか参考文献
自分が中心に主体化するとき三分割が、
客観視して自分が第三者になるとき四分割が主流になる。
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自分が中心に主体化するとき三分割が、
客観視して自分が第三者になるとき四分割が主流になる。
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ハドロンの分類図
SU(3)の図
晩年のパーソンズによるルーマン批判 : 関本洋司のブログ
http://yojiseki.exblog.jp/6653410/
晩年のパーソンズによるルーマン批判
タルコット・パーソンズはその実質的最終講議で、レベルの違うものを混同しているとして、かつて自らの弟子だったニコラス・ルーマンを批判している。普通ならルーマンは変数が多すぎると批判すると思うが、パーソンズの晩年のカントへの傾倒も宜なるかなと思わせる批判である。
以下引用です。
<ここ数日、私は『社会科学における一般理論の探究』(Explorations in General Theory in Social Science)という論文集の中の非常に興味のある論文を繰返し読んでいます。それはドイツの社会学者ルーマン(N・Luhmann)という人の論文です。彼の業績は、近年、多くの人々の注目を集めていますので、業績は知らなくても、彼の名前は皆様のうち何人かは御承知のことと思います。さてルーマンは、交換の一般化された媒体に接近する問題を取り上げようと試みています。ここ数日間、これを読み返しながら、私はルーマンが行為の一般理論の異なったサブシステムの区分に失敗しているため、彼の説明には重大な困難がひそんでいると確信するように成りました。例えば、彼は一般化されたメディアの分類をしていますので、私は次の時間に、それについていくつかのことを述べるつもりですが、そのなかでも「貨幣」、「権力」等についてはすでに御存知のことと思います。彼はこれに属するものとして貨幣と権力を認めていますが、協同者と私が用いて来た他の二つのカテゴリーー「影響力」と「価値委託」ーの代わりに、彼は「愛」(love)と「真実」(truth)(図)を用います。
ところで、他にもいろいろ難点がありますが、重要なことは、「愛」と「真実」は、一般行為システムのレベルに属するとしても、「貨幣」と「権力」は一般行為システムのレベルではなくて、社会システムに属しているというふうに思われます。私が考えていることを簡単に説明するに当ってまず述べたいことは、そこで言及しているシステムが何であるかを注意深く確認することの重要性であります。ルーマンはすべてのことを社会システムとして処理しており、文化システムを社会システムとは別個なものとして論じていません。>
(T・パーソンズ『社会システムの構造と変化』1984年、創文社p.34より)
参考:
やはり以前にも紹介した以下の図を参照するとわかりやすいかも知れない。
『人間の条件パラダイム—行為理論と人間の条件第四部 』(p264)富永健一作製の図↓
(AGILではなくLIGA図式になっている。)
追記:
先日書いたエルニーニョに関する記事↓と照らし合わせると生命システムの位置づけには実感としてうなづける。
http://yojiseki.exblog.jp/d2008-01-06
追記の追記:
パーソンズのシステム図は、インド生まれの思想家、サティシュ・クマールの以下の説と響き合う。
以下、ナマケモノ倶楽部MLより。
http://shop.slowbusiness.org/index.php?main_page=product_info&cPath=87_92_115&products_id=505
●つながりを取りもどす時代へ 持続可能な社会をめざす環境思想
http://shop.slowbusiness.org/index.php?main_page=product_info&cPath=87_92_118&products_id=556
■3つの“S”
――Soil(土)、Soul(心)、Society(社会)
エコロジーとは何か。土と心と社会という3つの言葉で説明できます。一体であるはずのこの3つが、バラバラだとどうなるでしょう?
例えば、社会運動家たちはこう考えるかもしれない。「環境どころじゃない。社会にまず正義を実現しなければ」と。また、環境運動家たちはこう言うかもしれない。「木や森、山に川、海や動物たちがあっての人間だ。人間だけの平和には興味がない」と。
さらに、自己啓発やスピリチュアルな世界、宗教などに救いを求める人たちは言うかもしれない。「地球は放っておいても大丈夫。必要なのは自己の成長と発展だけだ。自分が幸せなら、おのずと平和はついてくる」と。
新しい世界を目指す運動が、バラバラでは困るでしょう。それらを結びつける必要があります。なぜなら、これら3つの運動はどれも、ホリスティックで持続可能な世界を目指しているのだから。同様に、土と心と社会は、一体で切り離すことができません。
3は4のひとつ見えないかたちという説を柄谷が対談で紹介していた
2015?
すばる』 2016年2月号?
インタビュー
「批評にできること」 聞き手 高澤秀次
(『すばる』 2016年2月号)
連載エッセイ
「思想の散策10 山人の動物学」
(『図書』 2016年6月号)
熊野純彦『マルクス 資本論の思考』
https://www.amazon.co.jp/dp/4796703268 2013/9 せりか書房
「とほうもない商品のあつまり」
…熊野純彦東大教授の「マルクス 資本論の思考」は、こんなふうにはじまる。
《....永山の目に飛び込んできたのは、まずはこういう一節であったはずである。〈資本制的な生産様式が支配している社会の富はひとつの「とほうもない商品のあつまり」として現象し、個々の商品はその富の原基形態として現象している。私たちの研究は、それゆえ商品の分析からはじめられるのである〉......》8頁まえがき
http://www.mishimaga.com/book/2013/11.html
…「とほうもない商品のあつまり」、これだけで本書の勝ちである。「全世界を獲得」しているとは言えないが…
そもそもこれまでが、ようそけいたい、げんきけいたいなど日本語になっていない訳語が多すぎた。熊野のハイデガー翻訳より和語の採用がバランスとして成功している。
宇野ヘーゲル関係、柄谷、経済表、転形問題など、各巻のツボを押さえている。
宇野を批判しつつ宇野のトリアーデを採用していることに危惧があったが成功している。
要するに参照し易いのだ。
ちなみに「全世界を獲得する」ためにはプルードン、ゲゼルの理解が欠かせない。
熊野純彦氏『マルクス 資本論の思考』|せりか書房のブログ
http://ameblo.jp/sericashobo/entry-11573726538.html
【目次】
はじめに――同盟綱領・再読――
序論 資本論をどう読むか
第Ⅰ篇 資本の生成
Ⅰ・1 商品と価値
Ⅱ・2 価値形態論
Ⅲ・3 貨幣と資本
第Ⅱ篇 資本の運動
Ⅱ・1 生産の過程
Ⅱ・2 流通の過程
Ⅱ・3 再生産表式
第Ⅲ篇 資本の転換
Ⅲ・1 利潤
Ⅲ・2 地代
Ⅲ・3 利子
おわりに――宗教批判・再考
あとがき
ただ本書は目次がよくない。
上記よりは詳しいがそれでもシンプルすぎて項毎の興味深いトピックを伝えていない。
人名索引はあるが項目索引がないのも勿体無い。
106(1:3:2)
1:3:1
W─G(亜麻布─貨幣)、すなわち、W─G─W(亜麻布─貨幣─バイブル)のこの最初の段階は、同時に、G─W(貨幣─亜麻布)であり、W─G─W(小麦─貨幣─亜麻布)というもう一つの運動の最後の段階である。
W─G─W(小麦─貨幣─亜麻布)
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W─G─W(亜麻布─貨幣─バイブル)
X
W─G(バイブル─貨幣)
W─G(バイブル─貨幣)
X
W─G─W(亜麻布─貨幣─バイブル)
X
W─G─W(小麦─貨幣─亜麻布)
1:3:1,103頁関連
http://blogs.yahoo.co.jp/kodawattenanbo/27861513.html
第3章「貨幣または商品流通」第二節A「商品の変態」で 一商品の総変態はその 最も単純な形態では、四つの極と三人の登場人物とを前提する とあるが、この「四つの極」「三人の登場人物」とは 具体的には何か…
http://shihonron.exblog.jp/d2009-08-18/
第17段落
一つの商品の総変態は、四つの極と、3人が必要である。
① リンネルW - 貨幣 G ②
① 貨幣 G - W 聖書 ③
★四つの極とは、1行目のリンネルと貨幣、2行目の貨幣と聖書のことであり、三人の登場人物とは①リンネル生産者(リンネルを売り、聖書を買う)、②小麦生産者(小麦を売り、リンネルを買う)、③聖書生産者(聖書を売る)の三人である。
もしくは、
第17段落
一つの商品の総変態は、四つの極と、3人が必要である。
①1リンネルW - 貨幣 G 2
②
3貨幣 G - W 聖書 4③
★四つの極とは、1行目のリンネル1と貨幣2、2行目の貨幣3と聖書4のことであり、三人の登場人物とは①小麦生産者(小麦を売り、リンネルを買う)、②リンネル生産者(リンネルを売り、聖書を買う)、③聖書生産者(聖書を売る)の三人である。
W─G(バイブル─貨幣)
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W─G─W(亜麻布─貨幣─バイブル)
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W─G─W(小麦─貨幣─亜麻布)
W─G(バイブル─貨幣)
X
W─G─W(亜麻布─貨幣─バイブル)
X
W─G─W(小麦─貨幣─亜麻布)
W─G(バイブル─貨幣)
X
W─G─W(亜麻布─貨幣─バイブル)
X
W─G─W(小麦─貨幣─亜麻布)
W─G(亜麻布─貨幣)
W─G─W(亜麻布─貨幣─バイブル)
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W─G─W(小麦─貨幣─亜麻布)
G─W(貨幣─亜麻布)
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複数のステートの共存を可能にする。
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複数のステートの共存を可能にする。
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アソシエーション
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複数のステートの共存を可能にする。
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カントのカテゴリーについて:
パースはカントの4つのカテゴリ-を、(量、質)(関係)(様相)といったように3つに区分けし
直した(パース著作集『現象学』)。他方、岩崎武雄は(量)(質)(関係)といったように3つに
区分けし直した。岩崎は(様相)における3契機は他の3つのカテゴリーに振り分けられると
指摘している(『カント『純粋理性批判』の研究』、純理b223参照)。
これはヘーゲルに近いとも言える。
岩崎の立論は説得力はあるが、「総合」という役割を(関係)というカテゴリーのみに振り分ける
ことには弊害もある。パースのように記述論理学的見地から「様相」を重視する視点があって
も良いだろう。
社会学理論における文化概念の変遷:文化と社会の相互浸透をめぐるパーソンズ文化理論の今日的意義 単行本 – 2019/3/19
白石哲郎 (著)
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商品の説明
内容紹介
本書は、ドイツ文化社会学、機能主義的社会学、文化論的転回に着目し、それぞれの「文化概念の特性」を時系列に考察するとともに、機能主義的社会学を代表するパーソンズが構想した文化理論の今日的意義を明らかにする。
また、文化概念の特性を「関係的性質」つまり文化の役割、作用を社会構造との関連のうちに捉えることで文化決定論に陥りがちな文化論的展開を乗り越える可能性も論究する。
[目次]
はじめに
序 章 本書の目的と構成
第1章 ドイツ社会学における文化概念の特徴と限界
1 M. ウェーバーにおける文化概念——文化の存立根拠(価値理念)
2 ジンメルにおける文化概念——「主観」と「客観」の関係
3 ドイツ文化社会学における文化概念——「観念」と「実在」の関係
4 ドイツ文化社会学が孕む限界
第2章 パーソンズ文化概念を特徴づける初期の統合的性格
1 フランス社会学を源流とする機能主義的発想
2 秩序問題に向けられたパーソンズの社会学的関心
3 デュルケムからパーソンズへの継承関係——行為理論
4 デュルケムからパーソンズへの継承関係——文化理論
5 パーソンズ文化概念の統合的性格——継承関係の核
第3章 中期以降におけるパーソンズ文化概念の性質的変遷
1 パーソンズ文化概念の「性質的変遷」——1950年代後半
2 パーソンズ文化概念の「性質的変遷」——1960年代前半
3 パーソンズ文化概念の「性質的変遷」——1960年代後半
4 パーソンズ文化社会学の可能性と課題
第4章 文化論的転回と機能主義的社会学——パーソンズ以降の文化理論の一断面
1 文化論的転回の反機能主義的側面
2 一般的考察——文化論的転回
3 文化論的転回とパーソンズ社会学の相違
4 文化論的転回以降の機能主義的社会学
第5章 中期におけるパーソンズ文化理論,その潜在的有効性——「文化の社会理論」の構築へ向けて
1 文化論的転回の陥穽——解釈学的アプローチが孕む問題点
2 カルチュラル・スタディーズにおける文化概念
3 「文化の社会理論」の鍵概念——「脱領土性」
4 物質論的転回の特徴と問題点——文化論的転回に対する反動的潮流
5 「文化の社会理論」の準拠モデル——ドイツ文化社会学の検討
6 パーソンズ文化理論再考——「文化の社会理論」の構築へ向けて
7 「文化の社会学」の再構成——準拠モデルとしての有効性向上のための一試論
8 社会学説史におけるパーソンズ文化理論再検討の意義
補 論 「多元的な闘争」は現代における「神々の闘争」か
あとがき
参考文献一覧
索 引
著者について
[著者]*本情報は刊行時のものです
白石 哲郎(しらいし・てつろう)
現在 佛教大学社会学部非常勤講師。
愛媛県出身。松山大学人文学部卒業。
佛教大学社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。
登録情報
単行本: 280ページ
出版社: ミネルヴァ書房 (2019/3/19)
言語: 日本語
ISBN-10: 462308518X
ISBN-13: 978-4623085187
発売日: 2019/3/19
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マイナスの倍数をイメージすると0倍も単なる通過点とわかる
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水槽から水を抜くイメージ
性愛はパーソンズで分析出来る
女体へのパーソンズ4機能分析の適用(文化システムとは別と考えた方がよい。生命システム内/有機体システム)
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| 耳(会話を含む) | 唇 |
| L Latency 潜在性 | Integration 統合 I |
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| 胸 | クリトリス/子宮 |
| A Adaptation 適応 | Goal Attainment 目標 G |
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柄谷交換図だと、
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| A Adaptation 適応 | L Latency 潜在性 |
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柄谷交換図で言えばXACBの順が正しい
全体として性愛はXではなくA
ミトゥナとはインドのカジュラーホーのパールシュバナータ寺院などに存在する男女交合像である。
>カジュラホ寺院群のセックス彫刻
>https://lh3.googleusercontent.com/-43uEdTOWPw4/WlFNurmcG5I/AAAAAAABYvY/P23PnI0siagLi8haL4cRcJgkk7LM6sbQwCHMYCw/s640/blogger-image-1903751463.jpg
世界遺産であるカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院のミトゥナ(交合)像などもカーマ・スートラに
基づく
『ヨーガ・スートラ』(佐保田鶴治訳)などによると、ヨガは基本的に実在論であり、
編纂された経典には仏教唯識派への反論が見られるという。そして同じヴァーツヤーヤナが
『カーマスートラ』4c~5cの作者として知られる。
カーマ(性愛)は、ダルマ(聖法)、アルタ(実利)とともに古来インドにおける人生の
三大目的とさるてきた
『カーマ・スートラ』は、7部35章に渡って書かれており、その内訳は以下の通り。
第2部は赤裸々に性行為について綴ってあるため、特に有名である。
導入部(全四章) 一般的な愛について。
性交について(全十章) 接吻、前戯、性的絶頂、 88手の体位のリスト、 オーラルセックス、
スパンキング、 変態性欲、三人婚、インド版九状(玉茎の動かし方)、性器の種類と大きさ。
妻を得るには(全五章) 求愛 と 結婚
妻について(全二章) 妻の適切な行為
人妻について(全六章) 主に婦女誘惑の方法。
娼婦(妓生)について(全六章) 妓女必須の64芸に巧み。特に演劇に詳しいことを求める。最高位はガニカー。
他人を惹き付けるには(全二章)
当時のインド社会や人びとの生活を知るうえでも重要な歴史資料である。
参考:
カーマ・スートラ ─まんがで読破─ ヴァーツヤーヤナ / バラエティ・アートワークス
電子書籍ストア Booklive! http://booklive.jp/product/index/title_id/150798/vol_no/001
理趣経より
勧請帰命毘盧遮那 。仏無染 。無着真理趣生生 。値遇無相教世世 。持誦不忘念弘法大師増法楽 (回向のときは過去聖霊成正覚 )大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅蜜多理趣品大興善寺三蔵沙門大広智不空奉詔訳
角川ソフィア文庫
理趣経
以下、理趣経より
妙適淸淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
慾箭淸淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
性愛はパーソンズで分析出来る
女体へのパーソンズ4機能分析の適用(文化システムとは別と考えた方がよい。生命システム内/有機体システム)
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| 耳(会話を含む) | 唇 |
| L Latency 潜在性 | Integration 統合 I |
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柄谷交換図だと、
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| クリトリス/子宮 | 唇 |
|Goal Attainment 目標 G | I Integration 統合 |
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| 胸 | 耳(会話を含む) |
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柄谷交換図で言えばXACBの順が正しい
全体として性愛はXではなくA
『ヨーガ・スートラ』(佐保田鶴治訳)などによると、ヨガは基本的に実在論であり、
編纂された経典には仏教唯識派への反論が見られるという。そして同じヴァーツヤーヤナが
『カーマスートラ』4c~5cの作者として知られる。
カーマ(性愛)は、ダルマ(聖法)、アルタ(実利)とともに古来インドにおける人生の
三大目的とされてきた
性愛はパーソンズで分析出来る
性愛 へのパーソンズ4機能分析の適用(文化システムとは別と考えた方がよい。生命システム内/有機体システム)
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柄谷交換図だと、
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| クリトリス/子宮 | 唇 |
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| 胸 | 耳(会話を含む) |
| A Adaptation 適応 | L Latency 潜在性 |
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LIAGの順、
柄谷交換図で言えばXACBの順が正しい
全体として性愛はXではなくA
欲望の位置付けには理趣経などを読むといい
『ヨーガ・スートラ』(佐保田鶴治訳)などによると、ヨガは基本的に実在論であり、
編纂された経典には仏教唯識派への反論が見られるという。そして同じヴァーツヤーヤナが
『カーマスートラ』4c~5cの作者として知られる。
カーマ(性愛)は、ダルマ(聖法)、アルタ(実利)とともに古来インドにおける人生の
三大目的とされてきた
世界遺産であるカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院のミトゥナ(交合)像などもカーマ・スートラに
基づく
>カジュラホ寺院群のセックス彫刻
>https://lh3.googleusercontent.com/-43uEdTOWPw4/WlFNurmcG5I/AAAAAAABYvY/P23PnI0siagLi8haL4cRcJgkk7LM6sbQwCHMYCw/s640/blogger-image-1903751463.jpg
性愛はパーソンズで分析出来る
性愛 へのパーソンズ4機能分析の適用(文化システムとは別と考えた方がよい。生命システム内/有機体システム)
________________________________
| 耳(会話を含む) | 唇 |
| L Latency 潜在性 | Integration 統合 I |
|ーーーーーーーーーーーーーー+ーーーーーーーーーーーーーーー |
| 胸 | クリトリス/子宮 |
| A Adaptation 適応 | Goal Attainment 目標 G |
_______________________________
柄谷交換図だと、
________________________________
|B クリトリス/子宮 | 唇 A |
|Goal Attainment 目標 G | I Integration 統合 |
|ーーーーーーーーーーーーーー+ーーーーーーーーーーーーーーー |
|C 胸 | 耳(会話を含む) X |
| Adaptation 適応 A | L Latency 潜在性 |
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柄谷の論理構造を時系列にするとABCXだが
LIAGの順、
柄谷交換図で言えばXACBの順にジグザグに進のが正しい
(蓮實重彦は性器中心主義を批判している)
全体として性愛はXではなくA
欲望の位置付けには理趣経などを読むといい
以下、理趣経より
妙適淸淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
慾箭淸淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
加藤鷹は女体に神秘はないとスピノザのようなことを言っている
フーコーがギリシャではなく東洋を分析したら面白かっただろう
仏教には興味あったようだがインドを分析して欲しかった
パゾリーニはフーコーに先駆けていた
『ヨーガ・スートラ』(佐保田鶴治訳)などによると、ヨガは基本的に実在論であり、
編纂された経典には仏教唯識派への反論が見られるという。そして同じヴァーツヤーヤナが
『カーマスートラ』4c~5cの作者として知られる。
カーマ(性愛)は、ダルマ(聖法)、アルタ(実利)とともに古来インドにおける人生の
三大目的とされてきた
(世界史の構造単行本229頁にダルマに関して記述があるがカーマとアルタについてはない)
世界遺産であるカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院のミトゥナ(交合)像などもカーマ・スートラに基づく
>カジュラホ寺院群のセックス彫刻
>https://lh3.googleusercontent.com/-43uEdTOWPw4/WlFNurmcG5I/AAAAAAABYvY/P23PnI0siagLi8haL4cRcJgkk7LM6sbQwCHMYCw/s640/blogger-image-1903751463.jpg
性愛はパーソンズで分析出来る
性愛 へのパーソンズ4機能分析の適用(文化システムとは別と考えた方がよい。生命システム内/有機体システム)
________________________________
| 耳(会話を含む) | 唇 |
| L Latency 潜在性 | Integration 統合 I |
|ーーーーーーーーーーーーーー+ーーーーーーーーーーーーーーー |
| 胸 | クリトリス/子宮 |
| A Adaptation 適応 | Goal Attainment 目標 G |
_______________________________
柄谷交換図だと、
________________________________
|B クリトリス/子宮 | 唇 A |
|Goal Attainment 目標 G | I Integration 統合 |
|ーーーーーーーーーーーーーー+ーーーーーーーーーーーーーーー |
|C 胸 | 耳(会話を含む) X |
| Adaptation 適応 A | L Latency 潜在性 |
_______________________________
柄谷の論理構造を時系列にするとABCXだが
LIAGの順、
柄谷交換図で言えばXACBの順にジグザグに進のが正しい
(蓮實重彦は性器中心主義を批判している)
全体として性愛はXではなくA
欲望の位置付けには理趣経などを読むといい
以下、理趣経より
妙適淸淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
慾箭淸淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
加藤鷹は女体に神秘はないとスピノザのようなことを言っている
フーコーがギリシャではなく東洋を分析したら面白かっただろう
仏教には興味あったようだがインドを分析して欲しかった
パゾリーニはフーコーに先駆けていた
Ryouji Ishizuka (@ISHIZUKA_R)
2020/09/12 17:22
ここから経済学が始まったというようなことをパーソンズは言っていた。つまり、社会秩序が存在することを予め想定し、その秩序(均衡)がどのようにして成り立つのか、を説明する学問としての経済学。ホッブスの場合は政治学。しかし、自然法の発見も、国家の導出も論理の飛躍があるという印象。
https://twitter.com/ishizuka_r/status/1304696779292594178?s=21
Talcott Parsons on Institutions and Social Evolution: Selected ...
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Selected Writings Talcott Parsons Leon H. Mayhew. 4. HOBBES. AND. THE. PROBLEM. OF. ORDER. For present purposes the basis of Hobbes' social thinking lies in his famous concept of the state of nature as the war of all against all. Hobbes is almost entirely devoid of normative thinking. He sets up no ideal of what ...
Talcott Parsons, Leon H. Mayhew - 1985 - プレビュー - 他の版
Talcott Parsons: Critical Assessments - 第 2 巻 - 213 ページ
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... let me pay tribute to his recognition of the importance of the Hobbesian question—the "problem of order," ashecallsit—atthewerybeginningofhissirstbook,TheStructureofSocialAction.4 Parsons correctly credits Hobbes with being the first thinker to see the necessity of explaining why human society is nota"warofall againstall ...
Peter Hamilton - 1992 - プレビュー - 他の版
Essays in Honour of Talcott Parsons - 115 ページ
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With this statement of the problem, Parsons had no quarrel. Indeed, he argued that Hobbes “saw the problem with a clarity which has never been surpassed, and his statement of it remains valid today.” ( Parsons, 1937:93). But if Parsons was in agreement with Hobbes on the nature of the problem, he was in substantial ...
Christopher Hart - 2010 - プレビュー
Talcott Parsons: Despair and Modernity - 50 ページ
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There can also be similar forms of coercion in the social system and within social systems: 'there must be some way of limiting resort to [this form] of coercion' (Parsons 1937: 240). Moreover, Parsons agrees with Hobbes that if there were no constraining force over such forms of control there would be continual conflict.
Shaun Best - 2016 - プレビュー - 他の版
Talcott Parsons - 100 ページ
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To answer this question, it is necessary to examine in detail two of Parsons's analytical moves. The Hobbesian problem. — The utilitarian tradition begins with Hobbes's concept of men as creatures of reason in the service of passion.
John Holmwood - 2006 - スニペット表示
Talcott Parsons: Critical Assessments - 第 2 巻 - 213 ページ
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... let me pay tribute to his recognition of the importance of the Hobbesian question—the "problem of order," ashecallsit—atthewerybeginningofhissirstbook,TheStructureofSocialAction.4 Parsons correctly credits Hobbes with being the first thinker to see the necessity of explaining why human society is nota"warofall againstall ...
Peter Hamilton - 1992 - プレビュー - 他の版
『社会的行為の構造』 T.パーソンズ,1937 ― 社会秩序はなぜ存在するのか | 読んで為にはならずとも
http://tamenarazu.work/2019/03/09/parsons/
『社会的行為の構造』 T.パーソンズ,1937 ― 社会秩序はなぜ存在するのか
2019年3月9日2019年5月28日
「ホッブズ問題」とパーソンズ
パーソンズはシカゴ学派の後に社会学界に登場したアメリカの社会学者である。彼は、エスノグラフィーを重視するシカゴ学派とは対照的に、理論研究に重きを置いた。パーソンズがその生涯をかけて取り組んだテーマは「社会秩序」の問題である。この問題は、特に近代以降においては「ホッブズ問題」として提起され続けている。ホッブズ問題とは、個人が自己の利益を合理的に追及しようとすれば、必ず自分以外の他者との闘争が起こり、社会秩序が不可能になるという命題だ。かの有名な「万人による万人の闘争」という言葉で知られるとおりである。
社会において、全ての個人は何らかの目的を持ち、それを達成するために合理的に行為しようとする。この時、各個人が持っている目的が全く異なるものであったなら、あるいは全ての人に行き渡るだけの量があったなら、闘争は起こらずに済んだ。しかし、人が欲するものは大抵の場合他人が欲するものと同じものであり、大抵の場合その量は限られている。例えば、お金や権力や恋人などである。
「個人の自由と平等」は近代社会の基底理念であるが、この理念の下に個人が合理的に行為するならば、必然的に闘争は避けられない。「万人による万人の闘争」は、ある種構造的な問題なのである。
論理的に考えれば、社会は必ず闘争状態に陥る。この問題にパーソンズは取り組むわけであるが、ここで、パーソンズの問いは本質的には「いかにして社会秩序は可能か」というものではない、、。逆である。「論理的に考えれば社会秩序など不可能なはずだ。しかし、それではなぜ社会は成り立っているのか」という問いが、パーソンズの出発点である。
確かに社会秩序は歴史的に何度も危機的状況に陥ってはいるが、しかし、いかなる種類の社会秩序も全く存在しないということはおそらくないはずだ。一体それはなぜなのか、それを解き明かすことによって社会秩序の謎を解明し、そしてそれによってより善き社会を目指すというのがパーソンズの基本方針である。
『社会的行為の構造』の主題
「社会的行為の構造」においても、扱われるテーマは社会秩序についてである。そして、パーソンズはこの問題について「個人の行為」という側面から考察していく。本書の主題は、「社会秩序を可能にしている個人の行為の構造はどのようなものか」といったところであろうか。
その方法は、当時のヨーロッパ思想の二大潮流である実証主義的理論と理想主義的理論の両者を検討するというものであった。具体的には、実証主義論者の代表としてマーシャル、パレート、デュルケームが、理想主義論者の代表者としてウェーバーが取り上げられ、彼ら4人が展開した理論の検証が行われる。そして、パーソンズは対立するこの2つの理論を総合することによって、「主意主義的行為理論」を新たに提示するのである。
新たに提示すると言っても、主意主義的行為理論は全く新しく生み出されたアイデアではない、とパーソンズは述べる。当時を代表する立場の異なる4人の学者たちの理論は、後年になるにつれて次第に主意主義的行為理論に収斂していったとパーソンズは分析するのである。それでは、実際に主意主義的行為理論について見てみよう。
「主意主義的行為理論」
まず、一般的に主意主義とはどういう意味だろうか。主意主義とは、人間の精神を知性・感情・意志の3つに分けたときに、そのうちの「意志」の優位を認める考え方である。「知性」に優位を置く場合は主知主義、感情に優位を置く場合は主情主義と呼ばれる。これに従って、パーソンズの「主意主義的行為論」も、人間は自らの「意志」を最も重視して行為すると考える理論であると言えるだろう。
それでは、次に「行為」とはどのような概念なのだろうか。パーソンズは、行為は基本的に4つの要素から構成されていると考える。(1)行為者、(2)行為の目的、(3)状況、(4)規範的志向の4つである。このうち、(3)状況は、行為者の主観から見て、コントロール可能な状況とコントロール不可能な状況の2つに分かれる。前者は「手段」、後者は「条件」とパラフレーズできる。
以上のような図式に従うならば、行為者は、自分自身が定めた目標に向かって、特定の条件下で適切な手段を選択しながら、なんらかの規範に依拠しつつ目的達成に向かって努力する存在であるとすることができるだろう。
以上のような「行為」の構造からもわかる通り、パーソンズは明らかに目的の定立に重点を置いている。目的の設定は、本質的に個人の意志による選択だ。このような個人は自分自身が定めた目的に向かって努力する存在であるという行為理論は、明らかに主意主義的性格が込められていると言うことができるだろう。
「主意主義論的行為論」から「ホッブズ問題」への解答
それでは、ホッブズ問題へ戻ろう。主意主義論的行為論は、個人の意志による目的設定を前提とするものであった。しかし、個人が自由に目的設定を行い、その達成に向けて努力するのであれば、先に見たように「万人による万人の闘争」という帰結に陥るほかはない。
ここでパーソンズは、人々の目標設定とそれを追求する行為には、ある種の体系が存在すると主張する。つまり、人々は自らの意志によって行為はしているが、その意志には予め「共通の価値体系」が内面化されているのである。したがって、人々は自らの意志によって行為してはいるが、各個人は共通の価値体系を共有しているため、各自の目的追及もある程度体系的に行われ、社会秩序が可能になっているのである。
「ある社会に属する成員の行為は、かなりの程度までその成員に共通した究極的目的の一つに統合された体系に方向付けられている、ということである。もっと一般的にいえば、究極的目的と価値態度という二つの形態をとった価値要素は、かなりの程度までその社会の成員に共有されている、ということである。この事実こそ、社会体系がその均衡を保っていくための本質的条件である。」
パーソンズ 『社会的行為の構造』
「(社会)成員に共通した究極的目的の一つに統合」されているということは、つまり個人は目標設定にはすでに社会的な価値観が入り込んでいるのである。個人が設定する目標は、個人目標ではなく、本質的に社会的な目標だということである。例えば、「友達をつくる」「恋人を作る」「家族を持つ」などは、その目標自体がすでに社会的なものであることがわかるだろうか。
このように、社会秩序は個人に予め「共通の価値体系」が内面化されていることで成立しているのである。逆に言えば、個人が「共通の価値体系」を全く無視した原理に基づいて行為しようとする時、社会秩序は崩壊する。実際に、パーソンズがこのような秩序論を構想した時代は戦間期の世界恐慌の時代であった。アメリカ社会だけでなく西欧世界全体が揺れ動き、まさに社会秩序が危機に瀕していたのである。いや、危機に瀕していたと言うよりも、社会秩序は事実崩壊したと言ってよい。人類史上最悪の戦争である、第二次世界大戦の勃発がそれを物語っている。
本書の理論では社会秩序について説明しきれていない部分が数多くあるとはいえ、パーソンズが提起した理論の意義は大きい。
参考文献)
T.パーソンズ (1976) 『社会的行為の構造/総論(第1分冊)』 稲上毅,厚東洋輔訳,木鐸社
T.パーソンズ (1989) 『社会的行為の構造/M.ウェーバー論(Ⅱ)(第5分冊)』 稲上毅,厚東洋輔訳,木鐸社
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この記事を書いた人
橋本航己
気ままな関西の大学生
どうも、橋本航己と申します。現在関西在住の大学生をやっております。自分の見たこと聞いたこと読んだこと考えたこと、気ままに趣味で書き連ねております。
石塚
https://drive.google.com/file/d/1ldVhTxnJYjYOKRg8EKbl47xfkCOM_kWi/view
上掲の拙稿を書いたときには、パーソンズの「ホッブス的秩序問題」が問題意識として背後にあった。新古典派経済学にいたる経済学が成立するためには、自然状態から均衡的秩序が自生するというパーソンズに言わせれば「幸運な誤謬」が必要だったのだと。
本来あるべき自然(均衡)利子率というような→
https://www.google.co.jp/amp/s/www.philosophyguides.org/amp/howto/how-to-think-about-hobbesian-problem/
「ホッブズ問題」の考え方
社会学で歴史的に重要視されてきた問題に秩序問題があります。これはアメリカの社会学者タルコット・パーソンズが『社会的行為の構造』でり、トマス・ホッブズが『リヴァイアサン』で示した自然状態を対象として提起されたものです。いわゆる「ホッブズ問題」として知られています。
秩序問題の概説は、こちらのページが詳しいです → ホッブズ問題(Hobbesian problem)
「ホッブズ問題」は別にホッブズにとっての問題ではない
パーソンズはホッブズが「万人の万人に対する闘争」という自然状態を解決して社会秩序を作るためにリヴァイアサンという制度を考え出した、と考えていたようです。
が、ホッブズを実際に読んでみると、パーソンズはあまりホッブズの意図をきちんと受け取っていないと言わざるをえません。ホッブズは『リヴァイアサン』の冒頭で次のように問題を規定しています。
「どのようにして」またどのような「契約」によって人工人間はつくられるか。「主権者」の「権利」およびその正当な「権力」あるいは「権限」は何か。
権力の正当性の根拠を見て取り、それに基づいて平和な社会を構想すること。これがホッブズにとっての問題でした。
社会に秩序を生み出すことであれば、原理的には何も難しいことはありません。絶対的な軍事力を置いて、秩序に逆らうものを抹殺できる仕組みを作ればいいのです。ちょうどタイのように、利己的に振る舞う派閥勢力を調停し社会に秩序を回復させるとの名目でクーデターを起こせば、秩序は強制的に作り上げることができます。
秩序があろうと平和が脅かされるようでは元も子もありません。いくら安定的な秩序だろうと、それが不当な権力に支えられているのであれば意味がありません。ホッブズにとって秩序は平和な社会のための条件にすぎませんでした。デカルトをパクって言うと、いわば「方法的秩序」なのです。
石塚
https://drive.google.com/file/d/1ldVhTxnJYjYOKRg8EKbl47xfkCOM_kWi/view
上掲の拙稿を書いたときには、パーソンズの「ホッブス的秩序問題」が問題意識として背後にあった。新古典派経済学にいたる経済学が成立するためには、自然状態から均衡的秩序が自生するというパーソンズに言わせれば「幸運な誤謬」が必要だったのだと。
本来あるべき自然(均衡)利子率というような→
虚構を求める人々の営みが経済学という壮大な体系を構築する原動力になったのだろう。
自然的秩序、均衡などはない、と言い切ってしまえば、人々の探究心を突き動かしていた動因が崩れさってしまう、と言ったら言いすぎかな。
経済学批判の構制と射程 .pdf - Google ドライブ
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