<黒澤は、彼自身の側で、行動イメージの別のアスペクトの限界に立ち向かっていた、、(『どですかでん』、そこにはスラム街があり、それを統一するものはただひとつ、自分を路面電車[あるいはその運転手]だと思い込んでスラム街を横断する白痴の水平運動。)>(シネマ1邦訳p.340)
Akira Kurosawa tribute with George Lucas, Steven Spielberg
映画音楽について――無声映画の伴奏音楽―― - Puis Sang-soo's Red Notebook https://sites.google.com/site/puissangsoo/home/report/about_cinema_music-1
1910年頃から劇場が巨大化するにつれて音楽への予算も増え、一流劇場はそれぞれ専任のオーケストラを置くようになり、作曲家にもスポットライトがあたるようになる。そして1913年にはJ.S.ザメニックが「キュー・シート」を一般化して、『サム・フォックス活動写真音楽集』を編纂して刊行し、これは1923年までに4巻が刊行されている。そのほかにもいろいろ刊行されているが、その中でももっとも著名なのがエルノ・ラペエが編纂した『ピアニストとオルガニストのための映画ムード』(Motion Picture Moods for Pianists and Organists)であり、それは370 pieces が含まれその多くは難しく、53項目にわたる索引がつけられていた。「これを活用するために楽長諸氏の適切な判断とアレンジの能力をもたなければならない」そうだ。あと特筆すべきはジュゼッペ・ベッチェ(Giuseppe Becce)の2巻もの『Allgemeines Handbuch der Film-Musik』(1927)であろう。このように映画音楽譜面集も年を追うごとに数を増やしていっている。
http://www.yebizo.com/jp/forum/roundtable/roundtable_03_02.html もうひとつ追加しておけば、《鳥》の3年後に刊行されたJ・J・ギブソンの『The Senses Considered as Perceptual Systems(知覚システムとしての感官)』(1966)にも、空中を飛翔する鳥の図が登場します[fig.3]。大気の流れ、空中を飛ぶ鳥の運動、そして大地の肌理とともに形成される光の流れ──鳥の視覚システムは光の流れを捉えます──が統合されて、鳥は飛翔することができる。
18 Comments:
どうやったらYouTubeを見せたい所から
ブログに貼り付けられるのか?途中再生のやり方(・∀・)
通常の埋め込みコード
hl=ja_JP&rel=0" type="application/x-shockwave-flash"
埋め込みコードの後半あたりにあるrel=0の横に
&start=を記入して下さい。
そして=の後に動画を始めたい秒数を書き込んで下さい。
5分後から見せたい場合は5分は300秒なので&start=300"と書き込みます。
すると下の参考例動画のように途中から再生できます。
スノッブ化と動物化とが同時に起ったのだ
コジェーヴの予測に反して
構造と力で紹介されたクラインの壺におけるメタレベルとオブジェクトレベルの交差が
それを予見していた
映画音楽について――無声映画の伴奏音楽―― - Puis Sang-soo's Red Notebook
https://sites.google.com/site/puissangsoo/home/report/about_cinema_music-1
1910年頃から劇場が巨大化するにつれて音楽への予算も増え、一流劇場はそれぞれ専任のオーケストラを置くようになり、作曲家にもスポットライトがあたるようになる。そして1913年にはJ.S.ザメニックが「キュー・シート」を一般化して、『サム・フォックス活動写真音楽集』を編纂して刊行し、これは1923年までに4巻が刊行されている。そのほかにもいろいろ刊行されているが、その中でももっとも著名なのがエルノ・ラペエが編纂した『ピアニストとオルガニストのための映画ムード』(Motion Picture Moods for Pianists and Organists)であり、それは370 pieces が含まれその多くは難しく、53項目にわたる索引がつけられていた。「これを活用するために楽長諸氏の適切な判断とアレンジの能力をもたなければならない」そうだ。あと特筆すべきはジュゼッペ・ベッチェ(Giuseppe Becce)の2巻もの『Allgemeines Handbuch der Film-Musik』(1927)であろう。このように映画音楽譜面集も年を追うごとに数を増やしていっている。
即興で演奏するピアニストは種切れになりやすく、オーケストラのほうも、スコアを完全に再現することができないところもあり、1911年頃にはアメリカのマックス・ヴィンクラーが「キュー・シート」という方式(「見出しと時間(30秒から3分)別に伴奏にふさわしい既成の旋律を分類した楽譜集」)を考案するが、最初のうちは、それは粗雑であまり当てにならなかったようだ。それと一線を画す「1908(明治41)年に、映画音楽史上にエポック・メーキングな出来事がフランスで生じた。」フィルム・ダールの映画の『ギーズ公の暗殺』に一流の作曲家であるカミーユ・サン-サーンスが映画のためにオリジナルに作曲したのである。その概観については言及されたが、ほとんど研究されることもなく、当時はその仕事を芸術的に評価するといったわけでなく、出来のよい「キュー・シート」がまたひとつ出来たくらいの認識にとどまっていたのであろう。しかし、伴奏音楽の洗練にいち早くとりかかったのは間違いない。
Motion Picture Moods for Pianists and Organists
http://theatreorgans.com/southerncross/Music.htm
坂本龍一がスコラで紹介していたサイレント映画用音楽の種本。
Motion Picture Moods for Pianists and Organists
Ernö Rapée
1924年
band, battle, birds, dances, doll, festival, firefighting, grotesqueなどがインデックス化されている。
坂本龍一がスコラで紹介していたサイレント映画用音楽の種本。
Motion Picture Moods for Pianists and Organists
Ernö Rapée
1924年
http://www.tagg.org/udem/musimgmot/RapeeCats2.jpg
band, battle, birds, dances, doll, festival, firefighting, grotesqueなどがインデックス化されている。
映像の修辞学/ロラン・バルト著(蓮實重彦・杉本紀子訳) [本]
「映画について」はルイス・ブニュエル監督の「皆殺しの天使」を例に引き、
映画冒頭の『私ブニュエルはこの作品には何の意味もないと申し上げておきます』
という通告がまさにこの映画の定義であるとしながら、映画における「意味の宙吊
り」技法について考察を加えていく。
The Exterminating Angel Trailer
http://www.youtube.com/watch?v=ERHL5nzEMmM
参考:
<『皆殺しの天使』では、悪しき反復の法則が、、、、部屋の中に招待客をとどめる
のに対し、良き反復は、それらの限界を消滅させて招待客を世界に開く、、、、>(ドゥルーズ邦訳シネマ1、233頁)
1の隠れたテーマは狂気
2のテーマは系列
世界自体が狂った後、系列的認識(ヒューム、ニーチェ、スピノザ)によって生き残ろうとしているような気がしてならない
ぐわぁーーーー。こんばんは。
nyanko_tokidoki_lionさん 2012/04/09 21:13:00
ぐわぁーーーー。こんばんは。長い灰色の線、観させて頂きました。駄目男でも何か一つ貫けば良い人生になるって事か・・・・?と思いました。若い知事相手に喧嘩した所なんか、最初と随分違いますね。なんとか真面目に生きていれば、いい人生を歩めるのかな、と思いました。彼の生き方は地味ですが真の仕合せなんじゃないかな、っと思いました。真の制約は自由なのか!としみじみ感じました。小学生の作文みたいな文ですいません・・・。
良い映画を紹介して下さり、有難うございました。
(しかしショックです。なんで消えちゃったんでしょう。ショックすぎてカレー残しちゃいました・・・笑)
補足
あ、この映画が一番言いたかった事は自分なんてくだらなくていいんだって事ですね!!ありがたや・・・・。長い灰色の線ってどういう意味ですか?点が集まれば線になるって奴ですか!?長い=歴史って事ですか!?灰色・・・黒でもなく白でもなく・・・善悪の見分けなんかつかないって事ですか!?
怒涛の質問すみません・・・(笑)
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nur_wer_die_sehnsuchtさん
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2012/04/10 01:36:16
小学生だったのか・・・・
あの映画は人生というものの本質を描いている名作なんだよ。
ああ、タイトルもわからんかったか。あれは陸軍士官学校というものが舞台だけど、要は陸軍の指揮官となる士官を養成する学校だ。非常に優秀な人間しか入れないのな。
そこでは必ず分隊行進をさせられるんだ。規律を覚えさせるには絶好の訓練だから。それでみんなグレーのズボンを履いてるんだよ。それが訓練によって一直線に並ぶ。それが「長い灰色の線」ということだな。人間が規律によって美しくなる、という比喩だよ。
主人公はもう、どうしようもないクズだったじゃない。辛いことは一切嫌で、なまけてばかりで。辞めちゃおうかと何度も思うよな。
しかしあの偉大な親父や、素晴らしい奥さんとか。優れた教官や頑張ってる士官候補生達、校長もいいよな。そういう仲間達に囲まれているうちに、段々とわかってくるんだよ。彼らを貫いている陸軍士官学校というものの規律、誇りというものが彼にも貫通していくんだな。
その成長と言うか、彼が本物の男となっていく様が非常に美しく描かれているわけ。
そして父親が死に、世話になった教官も死に、愛して已まない生徒達が死に、ついには最愛の奥さんまでもが死んでいく。それもまた人生なんだな。
しかしどうだよ。彼らは死んでないんだ。ちゃんとマーティを見て、彼が真面目に、懸命に生きている姿を見て喜んでくれているじゃないか。
人間は死者と共に生きねばならん、ということも見事に描かれているんだな。まあまだわからんとは思うよ。しかし本当にそうなんだ。
私なんて、友達は死者の方が圧倒的に多いよな。だから真面目に生きざるを得ないんだよ。私のようないい加減でダメダメな人間が、何とか世間の片隅に置いて貰えるのは死者のお蔭だよな。
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質問した人からのコメント2012/04/10 04:58:14
(涙)そういう意味か!いえ、実は、幼稚園せいです・・・・
にゃー。
回答有難う御座いました!!
http://www.yebizo.com/jp/forum/roundtable/roundtable_03_02.html
複数の持続に関連してまず参照しておきたいのは、やはりベルクソンの『持続と同時性』(1922)です。そのなかでベルクソンは、川の流れ、船の動き、鳥の飛翔、それを川岸で見ている知覚者の意識という複数の持続が統合されたり、分割され直したりする場面を描写しています。こうした多様な持続をわれわれはひとつの知覚に包括することもあるし、その全体を分割してひとつの流れは知覚の注意の外に出しておくこともできるというのです。統合や分割をすれば持続の質は変化してしまう。しかし、統合されたもの、分割されたものもまた、単純なものになってしまうのではなく、ライプニッツの「機械」のように、やはり多様な密度を保持した持続の群れです。なお、この一節はダーウィンの『生きるための闘いにおいて恵まれた品種の保存、すなわち自然淘汰による種の起源について』(1859)の終章を彷彿させます。川岸に茂る無数の異なる植物や動物が、相互にどれだけ異質でありながら、同時に相互にどれだけ複雑に依存し合っているか、それを驚きとともに川岸から眺めている知覚者をダーウィンは描写しているからです。こうした密度のある環境を、ダーウィンにしてもベルクソンにしても捉えようとしている。そして、ベルクソンはこうした密度のある環境を、統合したり分割したりする知覚の働きを強調したのだと思います。さらに辿れば、ドゥルーズは『シネマ1』(1983)のなかで、ベルクソンの『持続と同時性』をヒッチコック監督の《鳥》(1963)に繋げています。鳥たちの場所から統合された環境を分割してきた人間たち、逆に、人間たちの位置から統合された環境を分割しに襲来する鳥たち。そして、ドゥルーズは鳥的世界と人間的世界が未決定の関係に入る「休戦」状態のときに、どちらの位置から統合されたとも言えないような、持続の全体が再形成されると論じるのですが、人間的持続と鳥的持続を共存させた密度のある環境が実在するからこそ、こうした持続の分割・統合の変転を生むことができる、僕はそう言い換えておきたいと思います。
http://www.yebizo.com/jp/forum/roundtable/roundtable_03_02.html
もうひとつ追加しておけば、《鳥》の3年後に刊行されたJ・J・ギブソンの『The Senses Considered as Perceptual Systems(知覚システムとしての感官)』(1966)にも、空中を飛翔する鳥の図が登場します[fig.3]。大気の流れ、空中を飛ぶ鳥の運動、そして大地の肌理とともに形成される光の流れ──鳥の視覚システムは光の流れを捉えます──が統合されて、鳥は飛翔することができる。
アリストテレス
運動と時間
自然学
4
1988
英語版序文
スミス夫妻
Mr. & Mrs. Smith (Alfred Hitchcock, 1941) - Trailer
https://youtu.be/bZ4ie3xm1cE
http://www.tagg.org/udem/musimgmot/RapeeCats2.jpg
http://www.google.co.jp/search?q=Motion+Picture+Moods+for+Pianists+and+Organists+Ernö+Rapée&hl=ja&tbo=d&tbm=isch&tbas=0&source=lnt&sa
=X&ei=jErwUOOUIoW4kgWggYGIDA&ved=0CB4QpwUoAA&biw=1024&bih=672#biv=i|86;d|VforlATX3p-lJM:
http://2.bp.blogspot.com/_ih16YeSiQ-0/SSCcPo5tf0I/AAAAAAAAA24/tCYxr2_Vzcg/s1600-h/erno+rapee.jpg
追記:
2017年2月
【1時間目】クロニクル、クロニクル!展 関連イベント 福尾匠講義「5時間でわかるドゥルーズ『シネマ』」 【1時間目】
https://www.youtube.com/watch?v=yDPV9vtvoNA
資料
http://www.chronicle-chronicle.jp/wp-content/uploads/2016/12/d46dd50bdccd3ea1de10d79dcf29d252.pdf
記号と事件
『運動イメージ』について
ドゥルーズ──視線の概念が本当に必要かどうか、疑わしいと思いますね。目ははじめから事物のなかにあるのだし、イメージの一部にもなっている。つまり、目というのはイメージの可視性のことなのです。…
目に相当するのはキャメラではなく、遮蔽幕(スクリーン)のほうです。
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