以下のサイトを参考にして『神曲』を図解してみた。
~図解・『神曲』~
『神曲』世界を図解しようと試行するページ
ちなみに、地獄から煉獄へ出るところで引力の方向が逆転している。「下へおりる」から「上へ登る」になる(どこかスピノザ『エチカ』の構成を連想させる)。
なお、スぺースの関係で煉獄と天国が重なってしまったが、本来はもちろん重ならない。小さな数字はそれぞれの界を構成する圏の数。天国篇では月から至高天へ到る星?の数。
さて、(ここからが本題だが)地獄篇28歌でマホメットが苦しんでいる場面をダンテが描いたために、『神曲』はイスラムを蔑視するべきでないと考える人々からは評判が悪いが、アヴェロエス(イブン・ルシュド)にも言及しているし(地獄篇5歌)、こうした物語の構造自体をダンテがイスラム文化から学んだものだと言う説がある。
より詳しく言えば、イスラムの凖聖典ハディースのマホメット昇天後の夜の旅、アル・ミーラージュ(Al-Miraj)からの影響があるという(『現代アラブ文学選』創樹社p306)。
アシン・パラシオスという学者が1919年に著作("La Escatologia Musulmana en la Divina Comedia"、『神曲におけるイスラム終末論』未邦訳、英語では以下。"Islam and the Divine Comedy")で発表した説らしいが、その指摘された影響源であるハディースには、ムハンマドの昇天、すなわち「夜の旅」は以下のように描写されている。
<私の精神が上昇したとき、私は天国につれていかれた。私は天国の門の前に置かれた。天使ガブリエルが門のところにいたので、私は中に入れてくれるようたのんだ。ガブリエルはこう答えた。「私は神の召使にすぎない。汝、もし門が開かれることを欲するならば、神に祈れ」。そこで、私は祈った。すると神がこういわれた。「私は、最愛の者たちにだけしか門を開かないであろう。汝と汝にしたがう者は、私の最も 愛する者たちである」。>
参考:
「スーフィー・イスラムの神秘階梯」ラレ・バフティヤルー著、竹下政孝訳平凡社
http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/sufi-kig.html
http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?hdn_if_lang=jpn&txt_docid=NCID:BA50160964
(中公文庫の牧野信也訳のハディースではガブリエルはジブラールと表記されている。)
イブン=アラビー(後述)などを参照するとさらにはっきりするが、これは『神曲』のコンセプトそのままであり、サイードの『オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)』などでは指摘されていないが、重要な指摘だと思う。
日本では以下の楠村雅子の研究がネット公開されている。
「ダンテとイスラム文学との接点」( 楠村雅子 「京都大学大学院 イタリア学会誌」)
以下上記サイトで公開されているpdf(8/11)より
「スペインのムルシアに誕生し、セビィリャで活躍したスーフィー教の神秘学者、イブン・アラビー(Ibn・'Arabi)は"メッカの天啓"一六七章、"幸福の魔術"の中で、哲学と理性に導かれた魂が人間、解脱、再生の遍歴をする様を描いている。彼はイスラム教神学者の伝統に則り、黄泉の構造を図式化し、それを前述の書に挿入した。
(略)
彼のこの宗教思想を図式化したものは同心円を七区分し、中心にくればくる程重い罪の刑罰を配したものである。ダンテのそれと比較した場合、区分数に差異が認められるが、構造面から見れば、両者が基本的に同質であることに疑いをはさむ余地はないと言えよう 。」
以下のサイトで、この説を最初に発表したアシン・パラシオスについて紹介されている。
koguma-blog
樺山紘一講演
ヘーゲルなども遵奉するトリアーデは新プラトン派経由だが、むろんその前にアラブ系の学者たちの研究があるのは歴史的事実だ。
とはいえ、最近河出書房から文庫化された『神曲』を読めばわかるが、こうした政治的な論争を超越してかつ世俗的(=身体的)なものとして『神曲』は屹立している。
3 Comments:
CiNii 論文 - ダンテとイスラム文学との接点
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002959144
ダンテは神曲の中で、地獄・浄罪界・天国を巡り歩き、煩悩に束縛された人間から霊魂の解放された解脱の世界へ、そしてさらに至福に到る再生を具現した。この霊魂の遍歴する黄泉の構想を綴るにあたって、ダンテはどのような示唆を何から得たのであろうか。この質問にダンテは黙して答えはしない。古来多くの学者が神曲の出典をヨーロッパ文化のうちに垣間見ようとしたが、十九世紀末から今世紀初頭にかけて、非ヨーロッパ文化にそれを求めようとする気運が生じた。スペインのアラビア学者、ミゲル・アシン・パラシオス(Miguel・Asin ・Palacios)は一九一九年、"神曲にみられるイスラム終末論"(La Escatologia Musulmana en la Divina Comedia)を発表した。彼はこの論文の中でイスラム文学のうちに見い出される黄泉の世界観と神曲のそれを比較し、神曲の出典がイスラム文化にあることを解き明かそうとしたのである。イスラム文学において彼岸の彼方を描く代表的な作品はコーランである。コーラン第一七章"夜の旅"の巻頭に、「神、アーラーはその僕をつれて夜を逝き、聖なる礼拝堂から、かの我らにあたりを浄められた遠隔の礼拝堂、エルサレムの神殿まで旅して、我らの神兆を目のあたりに拝ませようとしたもうた。」とマホメットの行った彼岸への旅を簡潔な文章で叙述している。この短かいコーランの一節は、簡略であにがゆえに多くの空想を生み出すことになった。そしてマホメットの生前から種々様々な教義的拡大解釈が試みられ、物語が創作された。これらの物語は口から口へと伝承されたが、やがて記述されるようになり、物語として編纂され、"アディス"(Hadiz)と題されたのは、九世紀のことである。ダンテが神曲のビジョンを示現したと言われる千三百年より遙か昔にイスラム文化圏で生まれた"アディス"が、どのような経路で、イタリアに伝播したのであろうか。またダンテにいかなる文学的発想のヒントを与えたと考えられるのであろうか。私はこの点について、ここで考察したいと思う。
イブン・アル=アラビー
イブン・アル・アラビー(1165年-1240年)
イブン・アル・アラビー(Ibn al-`Arabi(Abū abd-Allah Muhammad ibn-Ali ibn Muhammad ibn al-`Arabi al-Hatimi al-TTaa'i、アラビア語: ابن عربي1165年7月28日 - 1240年11月10日)は、中世のイスラム思想家。存在一性論・完全人間論を唱えてイスラム神秘主義(スーフィズム)の確立に寄与し、後世に影響を与えた。
イスラム教徒のセビリヤ王国の支配下にあったアンダルシアのムルシアでアラブ系の名門に生まれる。父はアウェロエスと親しく、イブン・アル・アラビーも後にその葬儀に参列するなど親交があった。青年期にセビリアで法学・神学・ハディース学を学ぶ。その頃、病床にあった彼は幻視体験をして、宗教的関心を高め、タサッウフと呼ばれるイスラム神秘主義の研究に没頭しながら、アンダルシア・マグリブ各地を遍歴して、スーフィー行者とともに修行した。1202年にカイロを経てマッカ巡礼を果たした彼はそのまま同地に滞在して、更なる研究に没頭する。1204年、彼はマッカにおける研究の集大成である『マッカの啓示(Al-Fūtuhāt al-Makkīyya)』を著した。
ダンテ・アリギエーリ(イタリア語:Dante Alighieri、1265年 - 1321年9月14日)は、イタリア都市国家フィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家。
ダンテ・アリギエーリ
Portrait de Dante.jpg
サンドロ・ボッティチェッリによる肖像画(1495年)
誕生
Durante Alighieri
1265年
フィレンツェ
死没
1321年9月14日(56歳没)
ラヴェンナ
墓地
ラヴェンナ・ダンテの墓(イタリア語版)
職業
詩人、政治家、哲学者
言語
イタリア語
ラテン語
国籍
イタリア
最終学歴
ボローニャ大学
ジャンル
詩、叙事詩、清新体
代表作
『神曲』
『新生』
配偶者
ジェンマ・ドナーティ(イタリア語版)
子供
3人?
親族
カッチャグイーダ(英語版)(ダンテの曽々祖父)
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ダンテの代表作は古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄(Inferno)、煉獄(Purgatorio)、天国(Paradiso)を旅するテルツァ・リーマで構成される叙事詩『神曲(La Divina Commedia)』であり、他に詩文集『新生(La Vita Nuova)』がある。イタリア文学最大の詩人で[1][2]、大きな影響を与えたとされるルネサンス文化の先駆者と位置付けられている[1]。
『神曲』La Divina Commedia 1307年頃 - 1321年
ダンテを代表する叙事詩。地獄篇、煉獄篇、天国篇の三部構成から成る。ダンテ自身が生身のまま彼岸の世界を遍歴していき、地獄・煉獄・天国の三界を巡るという内容である。
『饗宴』Il Convivio 1304年 - 1307年
序章と14篇のカンツォーネおよび注釈から成る全15巻の大作として構想されたが、第4巻で中断した。ダンテの倫理観が込められた「知識の饗宴」は、当時の百科全書として編まれたとされる。
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