金曜日, 12月 06, 2013

「資本主義の世界史的諸段階」:メモ

                     (柄谷行人リンク:::::::::: 

資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
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経済政策  |帝国主義的 自由主義的 帝国主義的 自由主義的 帝国主義的 
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資本    商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム)
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国家    絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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対抗運動  |分散的   集積的   分散的   集積的   分散的   
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宇野経済学 |        段階論        |     現状分析
                          ロシア革命
                          国際連盟
商業資本、商人資本(G―W―G') 
           高利貸資本、金融資本(G…G')
    生産資本、産業資本(G - W ... P ... W' - G')

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変(彩色)。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。

「宇野経済学において、原理論で展開されるあたかも無限に繰り返すかの如く描き出される
資本の論理には始点も終点もないが、段階論として見た場合、資本主義は始点と終点をもつ。
宇野弘蔵においても円環的な時間と直線的時間が併存する。」
(佐藤優『国家と神とマルクス』文庫104頁)

むしろ柄谷は宇野の段階論と現状分析のなかに循環性を見出す。


以下転載

2013年11月23日 知の現在と未来:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/20131123.html
37:40〜39:00
「…社会主義運動が集権的であったのは実はロシア革命以後です。
つまりそれまではアナルコサンディカリズムが中心だった。ネットワークのようなものですね。
それはフランス、アメリカだけではない。
日本でもそうです。幸徳秋水、大杉栄に人気があったわけです。
ロシア革命以後はそうではなくなる。
資本主義国家でも社会主義者の要求を入れた福祉国家をつくろうとしました。それはまたフォ
ーディズムのはじまりでもあります。
つまり中央集権的形態はむしろ自由主義に固有なものである。
ゆえに対抗運動がネットワーク型になることを資本のポストフォーディズムへの変化と同様に
リニアな発展としてみるのは間違いだ。
むしろそれは現在が帝国主義的段階であることを意味する。
したがって今後にネットワーク型運動、マルチチュードの叛乱に期待するだけではいけない。
かつて帝国主義時代に対抗運動がどのようなものであったかを体系を通す?必要があります。」

主な参考文献(追加):
モーゲンソー『国際政治』(帝国と帝国主義の差異。帝国主義を国家間の関係で見た?)
ホブソン(岩波文庫だとホブスン)『帝国主義』(単純な内需拡大論だが、イギリスを見ていた点で、
ヒルファーディング『金融資本論』のドイツ、アメリカ偏重より評価出来るらしい)
カウツキー『帝国主義論』
レーニン『帝国主義―資本主義の最高の段階としての』
(1916年。その帝国主義観はヒルファーディングに従っている)
幸徳秋水『帝国主義』(1901年)
宇野弘蔵『経済政策論』(重商主義、自由主義、帝国主義という段階論)
アーレント『全体主義の起源2』
ウォーラーステイン 『近代世界システムII―重商主義と「ヨーロッパ世界経済」の凝集 1600-1750
デヴィッド・ハーヴェイ 『新自由主義―その歴史的展開と現在』
(レジュメには書名は未記載だが柄谷は「中国的特色を持った新自由主義」という言葉を引用した)
ネグリ&ハート 『マルチチュード ~時代の戦争と民主主義』

追記

柄谷の先の講演内容、特に「段階図」に関しては宇野弘蔵『経済政策論』の影響が大きい。
重商主義、自由主義、帝国主義という最初の枠組みがまず宇野の影響だ。

「…資本主義の世界史的発展段階の分析を媒介にして、いい換えれば、重商主義時代の商人資本、自由主義時代の 産業資本、帝国主義時代の金融資本の概念を媒介にして分析しなければならない。」(宇野弘蔵『『資本論』と私』285頁)

「重商主義政策の基礎をなす商人資本はイギリス羊毛工業に、また自由主義の基礎をなす産業資本はイギ リス綿工業にその具体的発現を見たのに対して、帝国主義の基礎をなす金融資本にドイツの重工業に具体 化されているといってよい。しかし重商主義、自由主義が、その世界史的過程をイギリスに典型的に代表 せられたのに対して、帝国主義は已に指摘したようにイギリスの資本主義的発展におくれて発展したドイ ツ、アメリカ等の資本主義の世界史的過程への参加によって出現したのであって、いわばドイツの進出的役 割に対してイギリスが防衛的立場に立つという、資本主義諸国の対立にその根拠をもっている。ここでは したがって単にドイツ重工業のみをとって金融資本の具体的発現とするわけにはいかない。…」 (第三編帝国主義、第二章金融資本の諸相『経済政策論』宇野弘蔵 弘文堂165頁)

ホブスンの評価などもアリギ経由かもしれないがドイツとイギリスを具体的に対比させた部分は宇野経由だ。
(アリギ『長い20世紀』262頁~、宇野『経済政策論』弘文堂225頁、岩波著作集236頁を参照。アリギは宇野を読んでいた?)
それは、ウォーラーステインからの影響より本質的かも知れない。
つまり、宇野のように原理論と段階論は一緒に出来ないと柄谷は考えている節がある。
(むしろ柄谷は原理と段階を無理やり一つ=一冊にしたとも言えるが、、、)

そして金融拡大の反復に関してはアリギを参照している。

「ジョヴァンニ・アリギは資本の蓄積システムのサイクルという観点から、初期の段階では、製造部門の生産拡大の傾向があり、末期には金融拡大の傾向が見られることから、初期には交易や生産に投資することによって蓄積しようとするために、生産拡大が生じ、末期には、金融だけで蓄積しようとするために、金融拡大が生じることを見出した。」(柄谷行人 長池講義 2009月7月 「歴史と反復」)
http://web.nagaike-lecture.com/?month=200907
http://web.nagaike-lecture.com/ L11~13
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/nagase(10-1-30)#_ednref2

ただしアリギはこのアイデアをブローデルから得ていると明記している。

「この秩序の[すべての]資本主義的発展は、金融的拡大の段階に達することによって、ある意味ではその成熟に達したように思われる。それは秋の兆しである」(『長い20世紀』邦訳35頁より孫引き。引用元はブローデル『物質文明・経済・資本主義3 世界時間1』邦訳318頁。ブローデル邦訳書の訳文とは少し違う。)

ちなみにアリギは反復の周期は短くなってゆくと考えているし、そこを強調する。
柄谷説がアリギ説のように周期が加速しないのは情報化が進んでも平均寿命が伸びて相殺するからだろう。

金融への着目はアリギは(反復への着目と共に)ブローデル経由だが柄谷はアリギを経由しつつもやはり宇野経由(の影響も大きい)だろう。
宇野がオランダを捨象している部分が柄谷には不満らしいが、柄谷の図もオランダを省いている。
(スペースがないからと講演では弁解していた。)
アーレントのブルジョアジー台頭理論に対応するところもありこの宇野の段階論である『経済政策論』は、
(面白さは原理論に負けるが)侮れない。
アリギも柄谷もウォーラーステインよりブローデルの影響が少ないと考えられる。
それは二人ともブローデルのように生活への興味があるわけではないからだ。


宇野弘蔵、またはマルクスとスピノザ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/blog-post_29.html

ヘーゲル『小論理学』と宇野弘蔵『経済原論』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_2835.html 

なお「交換図」に関しては柄谷は宇野のようなトリアーデは採用していない。


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126 Comments:

Blogger yoji said...


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世界資本主義|後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ       
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経済政策  |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報 
 &    |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
生産形態  | クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム)
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義 
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対抗運動  |型=分散的 |集積的   \分散的   |集積的   \分散的 
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命〜
資本主義の世界史的諸段階(『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

9:32 午後  
Blogger yoji said...


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覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
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経済政策  |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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生産形態  | クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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対抗運動  | 分散的  | 集積的  \ 分散的  | 集積的  \ 分散的  
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宇野経済学 |     段階論           ☆|     現状分析
                          ロシア革命〜
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

9:33 午後  
Blogger yoji said...



 絶対的
拡大十単純
 相対的
(時間)

 マルクス『資本論』 絶対的5~9、   商品と
 __________相対的10~13__貨幣~3
|資本の変態|(資本の |剰余|資本|拡大|単純|
|  と循環| 循環過程)価値|へ4|価値形態論1>>545
| 1~6 |1、2、3|協業~16一般的|貨幣|
|_二資本の流通過程__|__一資本の生産過程>>542,>>543
|     |  18~|時間|  | 資本の |
|資本の回転|社会的21|_労 賃_|蓄積過程 |
| 7~17|総資本20|17~20|21~25| 
|_____|再生産表式|出来高__|_____|
|     |    >>185    |資本|労働|
|  利潤 |     |生産過程 三位一体48|
| 1~20|     | 49  |  |土地|
|____三資本主義的生産の総過程への転化|__|
|     |     |競争の  資本家|労働者
|  利子 |  地代 |外観50 |_諸階級52
|21~36|37~47| 分配と |  |地主|
|_____|_____|_生産51|__|__|

9:44 午後  
Blogger yoji said...


     絶対的
(時間)拡大十単純
     相対的


 マルクス『資本論』 絶対的5~9、   商品と
 __________相対的10~13__貨幣~3
|資本の変態|(資本の |剰余|資本|拡大|単純|
|  と循環| 循環過程)価値|へ4|価値形態論1>>545
| 1~6 |1、2、3|協業~16一般的|貨幣|
|_二資本の流通過程__|__一資本の生産過程>>542,>>543
|     |  18~|時間|  | 資本の |
|資本の回転|社会的21|_労 賃_|蓄積過程 |
| 7~17|総資本20|17~20|21~25| 
|_____|再生産表式|出来高__|_____|
|     |    >>185    |資本|労働|
|  利潤 |     |生産過程 三位一体48|
| 1~20|     | 49  |  |土地|
|____三資本主義的生産の総過程への転化|__|
|     |     |競争の  資本家|労働者
|  利子 |  地代 |外観50 |_諸階級52
|21~36|37~47| 分配と |  |地主|
|_____|_____|_生産51|__|__|

9:45 午後  
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資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

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11:28 午後  
Blogger yoji said...


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 資本主義の世界史的諸段階
(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

11:34 午後  
Blogger yoji said...

                      (柄谷行人、リンク::::::::::)

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対抗運動  |分散的   |集積的   :分散的   |集積的   :分散的   
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命〜
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。

「宇野経済学において、原理論で展開されるあたかも無限に繰り返すかの如く描き出される
資本の論理には始点も終点もないが、段階論として見た場合、資本主義は始点と終点をもつ。
宇野弘蔵においても円環的な時間と直線的時間が併存する。」
(佐藤優『国家と神とマルクス』文庫104頁)

むしろ柄谷は宇野の段階論と現状分析のなかに循環性を見出す。


宇野弘蔵、またはマルクスとスピノザ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/blog-post_29.html

ヘーゲル『小論理学』と宇野弘蔵『経済原論』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_2835.html

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世界資本主義|後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
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経済政策  |帝国主義的 |自由主義的 :帝国主義的 |自由主義的 :帝国主義的 
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
 &    |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
生産形態  | クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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対抗運動  |分散的   |集積的   :分散的   |集積的   :分散的   
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命〜
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。

「宇野経済学において、原理論で展開されるあたかも無限に繰り返すかの如く描き出される
資本の論理には始点も終点もないが、段階論として見た場合、資本主義は始点と終点をもつ。
宇野弘蔵においても円環的な時間と直線的時間が併存する。」
(佐藤優『国家と神とマルクス』文庫104頁)

むしろ柄谷は宇野の段階論と現状分析のなかに循環性を見出す。


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覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
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経済政策  |帝国主義的 |自由主義的 :帝国主義的 |自由主義的 :帝国主義的 
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
 &    |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
生産形態  | クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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                          ロシア革命〜
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。

「宇野経済学において、原理論で展開されるあたかも無限に繰り返すかの如く描き出される
資本の論理には始点も終点もないが、段階論として見た場合、資本主義は始点と終点をもつ。
宇野弘蔵においても円環的な時間と直線的時間が併存する。」
(佐藤優『国家と神とマルクス』文庫104頁)

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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
 &    |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
生産形態  | クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。

「宇野経済学において、原理論で展開されるあたかも無限に繰り返すかの如く描き出される
資本の論理には始点も終点もないが、段階論として見た場合、資本主義は始点と終点をもつ。
宇野弘蔵においても円環的な時間と直線的時間が併存する。」
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生産形態  | クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命〜
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。

「宇野経済学において、原理論で展開されるあたかも無限に繰り返すかの如く描き出される
資本の論理には始点も終点もないが、段階論として見た場合、資本主義は始点と終点をもつ。
宇野弘蔵においても円環的な時間と直線的時間が併存する。」
(佐藤優『国家と神とマルクス』文庫104頁)

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経済政策  |帝国主義的 |自由主義的 :帝国主義的 |自由主義的 :帝国主義的 
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
 &    |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
生産形態  | クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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宇野経済学 |         段階論       ☆|     現状分析
                          ロシア革命〜
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。

「宇野経済学において、原理論で展開されるあたかも無限に繰り返すかの如く描き出される
資本の論理には始点も終点もないが、段階論として見た場合、資本主義は始点と終点をもつ。
宇野弘蔵においても円環的な時間と直線的時間が併存する。」
(佐藤優『国家と神とマルクス』文庫104頁)

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経済政策  |帝国主義的 |自由主義的 :帝国主義的 |自由主義的 :帝国主義的 
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
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生産形態  | クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。

「宇野経済学において、原理論で展開されるあたかも無限に繰り返すかの如く描き出される
資本の論理には始点も終点もないが、段階論として見た場合、資本主義は始点と終点をもつ。
宇野弘蔵においても円環的な時間と直線的時間が併存する。」
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資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。

「宇野経済学において、原理論で展開されるあたかも無限に繰り返すかの如く描き出される
資本の論理には始点も終点もないが、段階論として見た場合、資本主義は始点と終点をもつ。
宇野弘蔵においても円環的な時間と直線的時間が併存する。」
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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経済政策  |帝国主義的 |自由主義的 :帝国主義的 |自由主義的 :帝国主義的 
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
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生産形態  | クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変。
現代の集積的対抗運動の先駆はロシア革命。それ以後に関する考察を宇野は現状分析とした。
ただし1920年の国際連盟発足を柄谷はより高く評価する。
柄谷は、原理論とは区別したが、段階論と現状分析(状況論)は一つにした。
宇野の場合、循環は別途に恐慌論として原理論的に展開される。

「宇野経済学において、原理論で展開されるあたかも無限に繰り返すかの如く描き出される
資本の論理には始点も終点もないが、段階論として見た場合、資本主義は始点と終点をもつ。
宇野弘蔵においても円環的な時間と直線的時間が併存する。」
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ヘーゲル『小論理学』と宇野弘蔵『経済原論』:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_2835.html

1:48 午前  
Blogger yoji said...

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12114598677
ベストアンサー

kenchin_goron_part_2さん2013/10/08 19:53:51
柄谷行人が宇野弘蔵の影響を受けていることはあなたの指摘を待つまでもなく明らかなことであり、常識です。柄谷が東大経済学部に入学した時点で宇野弘蔵はすでに退官していましたが、それでも経済学部の教授たちはほとんどが宇野派でした。そのような環境の中、柄谷は宇野の著作のほとんどを熟読し影響を受けています。例えば柄谷は『マルクスその可能性の中心』において宇野を通して「交換」という行為を分析し、その非対称性を逆転するところに革命の可能性を見いだしています。しかしそこには何かしら語るべきことが語られる対象を越えてしまうような一種の転換がある。つまり宇野の『恐慌論』にある「「恐慌による商品価格の低落は、好況期と反対に一切の投機的活動を終熄せしめ、再生産過程は、恐慌による破産の後も縮小を続ける。」という記述からもうかがわれることでありますが、この発想自体が柄谷の『トランスクリティーク』の礎にもなっています。宇野経済学は、段階論と現状分析の中から原理を抽出したものであって、『社会科学と弁証法』では唯物史観の立場から「移行の原理」という手法を用いていることはあなたも承知しておられるとは思います。これはまさに、「カント・ディア・マルクス」「マルクス・ディア・カント」という二項対立的読解へとつながる流れへの源流でありますし、アソシエーショニズムとは結局のところコミュニズムであるということを暗に批判しつつ、かつ、近代社会の基本構造を《資本=ネーション=国家》の三位一体構造と捉えることを前提として、この構造がどのようにして超克されたのかという問題提起に至る思考の流れそのものに、私は柄谷が宇野を越えようとする強い意思を感じます。自身を「戦前」において思索することの必要性を常に説く柄谷がこのような意思を持つに至ることはある意味で必然であります。「非中心的な移動する思考」がこの必要性から導かれたものであることは柄谷の著作を注意深く読めば明らかなことではありますが、非経済的な要素、主としてイデオロギーに基づいた窮乏化法則や社会主義への希望的観測を捨象した宇野の思想がその源であると私は考えています。

3:55 午前  
Blogger yoji said...

   絶対的
 時間 | 法則
拡大__|__単純
 効率 | 総合
   相対的

5:26 午前  
Blogger yoji said...

   絶対的
 時間 | 法則
拡大__|__単純
 効率 | 総合
   相対的

宇野はこの象限図をトリアーデにしてしまう

柄谷はそこは受け継いでいない
マルクスに忠実だし、カントに近い

5:33 午前  
Blogger yoji said...

定本トラクリ
フォイエルバッハ、カント崇高論=剰余価値 334-5頁

ヘーゲル>マルクス国家観 423頁




ガンジー(マハトマ・).Gandhi,Mahatma,❸T.45,458,509,513(<◎N.35,38>)/❹A.170/◎N.39(『自叙伝』)
関心,❸T.68(没-性),135,181(日常的-を括弧に入れる),509
カント.Kant,Immanuel,
 ❶J.18,30@, 283,296@,297/❷M.14-7(-の批判),195/❸T.3,4(新-派,101),4(-派マルクス主義者),17,53(-主義者, ショーペンハウエル),59(:ラカン,フロイト),60(-の「転回」),63@,73(新-派,リッケルト),155(-的転回),197(新-左 派),197(-派倫理学),199(新-派,マールブルク派,ヘルマン・コーヘン),200(-の言葉),247(-的),480(-的転回) /❹A.29-30@,63-4@,67-71,96-7@,153 /❺H.194/◉W.102@(179@,181@,『道徳形而上学原論』*),180@(「たんなる理性の限界内での宗教」),181-4,221- 2@,223@(『世界公民的見地における一般史の構想』)/◎N.17,25,
 「永遠平和のために」,❸T.198/◉W.222@,
 『活力測定考』,❸T.91,92@,
 『啓蒙とは何か』,❸T.154,155@,195@,196@ ,198@,199@,478@/❹A.69-70@/◉W.223@(『世界公民的見地における一般史の構想』),
 『純粋理性批判』,❸T.53@,67,82@,84,200?/❹A.29-30@,63-4/❺H.147/◎N.17,25,
 『実践理性批判』,❸T.67,84,176@,181?,184,185@,
 『視霊者の夢』,❸T.17(『形而上学の夢によって解明されたる-』,74),74〜78,76@,
 『人生論』,❸T.144@,
 『人倫の形而上学』,❸T.337@,
 『一七六五年・一七六六年冬学期講義案内』,❸T.63,
 『たんなる理性の限界内での宗教』,◉W.180@
 『道徳形而上学原論』,❸T.3@,181?@,197@,339@/◉W.102@,179@,181@/◎N.25@,
 『人間学』,❸T.207@,335@,
 『判断力批判』,❶J.30@,296@/❷M,16@/❸T.61,64〜66,65@,66@,70,73,120,146,334@/❹A.31@,99@101-2@/❺H.148,
 『プロレゴメナ』,❸T.63,90@,468@,
 『論理学』,「緒論」,❸T.63@, 
 『〜書簡』,❸T.75@,467,470@,471@
 『美と崇高との感情性に関する観察』,❹A.96-7@
カントール.Cantor,Georg,❷M.147(連続体仮説)/❸T.96(無限集合論),102(連続体仮説),131
官僚,
❶J.231(柳田国男)/❷M.57(-機構)/❸T.227(行政権力),228(-と軍),231,420(官吏,422),514(-制, <◎N.64>)/❺H.22/◉W.53,61,119-,121-2(-制),123(-機構),125(軍・-機能),154(-制) /◎N.67(-化)

10:52 午後  
Blogger yoji said...

   絶対的
 時間 | 法則
拡大__|__単純
 効率 | 総合
   相対的

宇野はこの象限図をトリアーデにしてしまう

柄谷はそこは受け継いでいない
マルクスに忠実だし、カントに近い

定本トラクリ
フォイエルバッハ、カント崇高論=剰余価値 334-5頁

ただし、

ヘーゲル複数的国家観>マルクス国家観 423頁




10:54 午後  
Blogger yoji said...

「貿易は、自由な国民の場合にはどこよりも大きい制限のもとにおかれ、
専制的に支配されている国民の場合にはどこよりも制限されることが少ない」
モンテスキュー『法の精神』第四部第20編12章「商業の自由について」より

リスト『経済学の国民的体系』邦訳77頁より孫引き

1:53 午前  
Blogger yoji said...

定本トラクリ422−4頁

立憲君主制であろうと、共和制であろうと、議会民主
主義を、個々の市民の意見が代表される過程と見るのは幻想である。それは、実質的に、官僚あるい
はそれに類する者たちが立案したことを、国民が自分で決めたかのように思い込むようにする手続き
である。そのことは、たとえ社会民主主義の政府であっても変わらないどころか、むしろそれ以上に、
官僚あるいはそれに類する者の立案にもとづくことになる。
 ところで、初期マルクスは、右のようなヘーゲルの考えを批判した。彼の考えでは、市民社会(社
会的国家)が基底にあり、政治的国家はその自己疎外感である。しかし、マルクスがそこでいう「市
民社会」とは、すでに諸「国家」によって区分され組織されたものである。市民とは国民なのだ。だ
から、たとえ政治的国家を解消しても、市民社会そのものに国家が残っている。シユティルナーが批
判したのはいわば、このことである。この時期、マルクスは、国家を他の国家を前提することなしに
考えていた。そのため、国家が市民社会に還元されない自律性をもつことを見ていない、実際、マル
クスはヘーゲルの『法権利の哲学』を批判したとき、ヘーゲルが指摘した或る重要か二点を見落とし
ている。それは、国家(主権者)は、むしろ外的に他の国家に対して存在するということである。ヘー
ゲルはいっている。《いままでのことは、内部に向けられての王権であって、それは、外部に向けら
れるもう一つの側面をももっている。ところで、かつての封建的君主制にあっては、国家は外部に向
けてはいかにも主権をもっていたけれども、内部に向けては君主のみならず、国家も主権をもってい
なかった。第一に、国家や市民社会の特殊な諸業務や諸権力はバラバラの自立した職業団体や教区の
形で組成されていて、したがって、全体は一つの有機的組織であるよりも、むしろ一つの集合体であ
った。第二に、それらは諸個人の私的な所有物であって、それゆえ、彼らが全体を考慮してなすべき
事態は、彼らの意見(思いこみ)や好みに任されていた》(同前、第二七八節)。

 マルクスは、フォイエルバッハ的な思考を放棄するとともに、初期の国家論を放棄している。その
ことは、『ブリュメール一八日』を見れば明らかである。彼は、そこで、国家を、君主、代表制、官
位機構などのすべての面において捉えなおしている。しかし、これは国家論として書かれたものでは
ない、また、その後にも、マルクスは国家をそれ自体として論じていない。その結果、マルクス主義
者は初期のマルクスの考えやエングルスの考えにもとづいて、国家について考えた。

2:20 午前  
Blogger yoji said...


          11?

 知識をもつためのこうした機会を公衆に与えることには、もっと一般的な面がある。つまり、
                                               22
こうして匪諭がはじめて真実の思想に達し、国家の扶態と概念と要件とを洞察するようになり、 4
したがってはじめてこれらについていっそう理性的に判断する能力を得るとともに、つぎにはま
た竹ビヤ竹光の職務、才能、徳、技能をよく知って、これを厚ぶようになる。このように議会が
公開されることによって、これらの才能の方もその力を仲ばす有力な機会を得るとともに、大い
なる配‥声を桔する機会を得るわけであるが、それと回じく、この公開はまた個々人や多数の衆の
慢心に対する矯正手段であO、彼らのための陶冶手段、しかも、最大の陶冶下段の.つなのであ
る,(目的、単ミル仰)
 ヘーゲルによれば、議会の使命とは、市民社会の合意を得るとともに、市民社会を政治的に陶冶し、
人々の岡焼への知識と尊重を強化することにある、しかし、これを、ヘーゲル白身の議会軽視、ある
いはブロシア民土工義の未発達の廿いにするヽ』とはできない。「発達」とは、まさに、このような
「陶冶」加進むことなのダ,普通選挙とともに、人民主権という考えが定着する。しかし、その人民
とはすでに田宮によって「陶冶」された国民なのである。シユティルナー加いったように、そこでは
各人はド権酋(几コイスト)ではありえない。立憲君主制であろうと、共和制であろうと、議会民主
主義を、個々の市民の意見が代表される過程と見るのは幻想である。それは、実質的に、官僚あるい
はそれに類する者たちが立案したことを、国民が自分で決めたかのように思い込むようにする手続き
である。そのことは、たとえ社会民主主義の政府であっても変わらないどころか、むしろそれ以上に、
官僚あるいはそれに類する者の立案にもとづくことになる。
 ところで、初期マルクスは、右のようなヘーゲルの考えを批判した。彼の考えでは、市民社会(社
会的国家)が基底にあり、政治的国家はその自己疎外感である。しかし、マルクスがそこでいう「市
民社会」とは、すでに諸「国家」によって区分され組織されたものである。市民とは国民なのだ。だ
から、たとえ政治的国家を解消しても、市民社会そのものに国家が残っている。シユティルナーが批
判したのはいわば、このことである。この時期、マルクスは、国家を他の国家を前提することなしに
考えていた。そのため、国家が市民社会に還元されない自律性をもつことを見ていない、実際、マル
クスはヘーゲルの『法権利の哲学』を批判したとき、ヘーゲルが指摘した或る重要か二点を見落とし
ている。それは、国家(主権者)は、むしろ外的に他の国家に対して存在するということである。ヘー
ゲルはいっている。《いままでのことは、内部に向けられての王権であって、それは、外部に向けら
れるもう一つの側面をももっている。ところで、かつての封建的君主制にあっては、国家は外部に向
けてはいかにも主権をもっていたけれども、内部に向けては君主のみならず、国家も主権をもってい
なかった。第一に、国家や市民社会の特殊な諸業務や諸権力はバラバラの自立した職業団体や教区の
形で組成されていて、したがって、全体は一つの有機的組織であるよりも、むしろ一つの集合体であ
った。第二に、それらは諸個人の私的な所有物であって、それゆえ、彼らが全体を考慮してなすべき
事態は、彼らの意見(思いこみ)や好みに任されていた》(同前、第二七八節)。

 マルクスは、フォイエルバッハ的な思考を放棄するとともに、初期の国家論を放棄している。その
ことは、『ブリュメール一八日』を見れば明らかである。彼は、そこで、国家を、君主、代表制、官
位機構などのすべての面において捉えなおしている。しかし、これは国家論として書かれたものでは
ない、また、その後にも、マルクスは国家をそれ自体として論じていない。その結果、マルクス主義
者は初期のマルクスの考えやエングルスの考えにもとづいて、国家について考えた。


たとえばグラム
シは、国家が階級支配のための暴力放流であるというエングルスの考えに抗して、それが同時にイデ
オロギJ的装置でもあることを強調した。したがってそれは、市民社会そのものが国宗(権力装置)で
あり、文化的ヘゲモニーの装置であるということである。これは、国家と巾民社会を分離することへ
の批判である。にもかかわらずそれは、田家をたんに内部的に見る立場にとどまっており、結局のと
ころ田家を市民社会に還元することに帰着する。ある自律性をもったものとしての国家を考えるため
には、それが他の国家との関係においてあることを見なければならない。グラムシ以後、国家を文化
的ヘゲモニーにおいて見ること、また、フーコー以後、権力を国家的中心ではなくあらゆる所に、と
いうより、踏作用のネョトワークにおいて見るべきだという考えが行きわたっている。八田においで
のみ国家を考えるならば、確かに権力に中心などない。そして、国家権力は「市民社会‥国家」にお
ける諾権力の網目に還元されるだろう。しかし、絶対主義田家が匪界資本主義において他の田家との
競作の中にあらわれたように、現在においても、国家はその内部でいかに汁会民主的であろうと、外
部に対しては覇権主義的である。
 私はすでに、経済を下部構造とし旧家やネーションを上部構造としてみる視点に反対し、それらが
経済的交換とは毀なるが広義の「交換」の諾タイプであることを指摘した(本書第二部第二章「3
資本の欲勤」参照)。「交換」の関係は四つに分けられる。第」に、贈すの互鯛網(農業共同体の内部)、
第二に、収奪と再分配(封建国家)、第三に、貨幣による交換、第囲‥に、アソシエjンョンである。ア
          j
   ‥ {
   者 

2:26 午前  
Blogger yoji said...

定本『トランスリティーク』柄谷行人422−4頁より

「…立憲君主制であろうと、共和制であろうと、議会民主
主義を、個々の市民の意見が代表される過程と見るのは幻想である。それは、実質的に、官僚あるい
はそれに類する者たちが立案したことを、国民が自分で決めたかのように思い込むようにする手続き
である。そのことは、たとえ社会民主主義の政府であっても変わらないどころか、むしろそれ以上に、
官僚あるいはそれに類する者の立案にもとづくことになる。
 ところで、初期マルクスは、右のようなヘーゲルの考えを批判した。彼の考えでは、市民社会(社
会的国家)が基底にあり、政治的国家はその自己疎外態である。しかし、マルクスがそこでいう「市
民社会」とは、すでに諸「国家」によって区分され組織されたものである。市民とは国民なのだ。だ
から、たとえ政治的国家を解消しても、市民社会そのものに国家が残っている。シュティルナーが批
判したのはいわば、このことである。この時期、マルクスは、国家を他の国家を前提することなしに
考えていた。そのため、国家が市民社会に還元されない自律性をもつことを見ていない。実際、マル
クスはヘーゲルの『法権利の哲学』を批判したとき、ヘーゲルが指摘した或る重要な一点を見落とし
ている。それは、国家(主権者) は、むしろ外的に他の国家に対して存在するということである。ヘー
ゲルはいっている。《略》(『法の哲学』、第二七八節)。
 マルクスは、フォイエルバッハ的な思考を放棄するとともに、初期の国家論を放棄している。その
ことは、『ブリュメール一八日』を見れば明らかである。彼は、そこで、国家を、君主、代表制、官
僚機構などのすべての面において捉えなおしている。しかし、これは国家論として書かれたものでは
ない、また、その後にも、マルクスは国家をそれ自体として論じていない。その結果、マルクス主義
者は初期のマルクスの考えやエングルスの考えにもとづいて、国家について考えた。…」

3:35 午前  
Blogger yoji said...


定本『トランスリティーク』柄谷行人422−4頁より

「…立憲君主制であろうと、共和制であろうと、議会民主
主義を、個々の市民の意見が代表される過程と見るのは幻想である。それは、実質的に、官僚あるい
はそれに類する者たちが立案したことを、国民が自分で決めたかのように思い込むようにする手続き
である。そのことは、たとえ社会民主主義の政府であっても変わらないどころか、むしろそれ以上に、
官僚あるいはそれに類する者の立案にもとづくことになる。
 ところで、初期マルクスは、右のようなヘーゲルの考えを批判した。彼の考えでは、市民社会(社
会的国家)が基底にあり、政治的国家はその自己疎外態である。しかし、マルクスがそこでいう「市
民社会」とは、すでに諸「国家」によって区分され組織されたものである。市民とは国民なのだ。だ
から、たとえ政治的国家を解消しても、市民社会そのものに国家が残っている。シュティルナーが批
判したのはいわば、このことである。この時期、マルクスは、国家を他の国家を前提することなしに
考えていた。そのため、国家が市民社会に還元されない自律性をもつことを見ていない。実際、マル
クスはヘーゲルの『法権利の哲学』を批判したとき、ヘーゲルが指摘した或る重要か二点を見落とし
ている。それは、国家(主権者) は、むしろ外的に他の国家に対して存在するということである。ヘー
ゲルはいっている。《略》(『法の哲学』、第二七八節)。
 マルクスは、フォイエルバッハ的な思考を放棄するとともに、初期の国家論を放棄している。その
ことは、『ブリュメール一八日』を見れば明らかである。彼は、そこで、国家を、君主、代表制、官
僚機構などのすべての面において捉えなおしている。しかし、これは国家論として書かれたものでは
ない、また、その後にも、マルクスは国家をそれ自体として論じていない。その結果、マルクス主義
者は初期のマルクスの考えやエングルスの考えにもとづいて、国家について考えた。…」

4:58 午前  
Blogger yoji said...



定本『トランスリティーク』柄谷行人333−4頁より

 フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用例値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

  それだから自然の崇高に関する適意は、消極的な適意でしかない(美に関する適意は積極的で
 あるが)、即ち構想力が自分自身の自由をみずから奪うという感情である、その場合に構想力は、
 経験的使用の法則とは異なる法則に従って合目的に規定されるからである。とは言えこれによっ
 て構想力は、自分か犠牲に供したところのものよりも大きな拡張と威力とを得るのであるが、し
 かしかかるものの根拠は、構想力自身にすら隠されているのである。(『判断力批判』上、同前)岩波文庫上188頁

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。

4:58 午前  
Blogger yoji said...




IIII,一一
 シェークスピアは貨幣についてとくに二つの属性をうきぼりにしている。
 (士貨幣は目に見える神であり、。切の人間的なまた自然的な諸属性をその反対のも
ずるものであり、諸事物の全般的な倒錯と紀州とである、それはできないことごとを口ぐりc‘
に親しくする。
 (2)貨幣は一般的な娼婦であり、人間と諸国民との一般的な取りもち役である。
 貨幣が.切の人間的および自然的な性質を紀倒さ廿また倒錯させること、できないことごとを
兄弟のように親しくさせること???神的な力j‐?は、人間の疎外された類的率質、外化されつつ
あり自己を譲渡しつつある類的本質としての、貨幣の本質のなかに存している。貨幣は人類の外
化された能力である。
 私か人間としての資格においてはなしえないこと、したがって私のあらゆる個人的な本質諸力
がなしえないこと、それを私は貨幣によってなしうる。したがって、貨幣はこれらの各本質諸力
のいずれをも、それがそれ自体としてはそうでないようなあるもの、すなわちその反対のものに
変ずるのである。(『経訪学二‥ツ‐9福』城塚ひ・川中心にハ訳、…百波文庫)
これはフォイエルバッハの『キリスト教の本質』における、神を人間の類的本質の自」」疎外として
みる論理を貨幣に適用したものだというのが通説である。したがって、「初期マルクスヘ帰れ」とい
う通勤がある一方で、アルチュセールをけじめとして、こっした疎外論を廃棄したところに後期マル
クスの画期的な転回があるともされる。しかし、私はそのいずれにも疑開をもっている。第一に、フ
ォイエルバッハの宗教批判は、ヘーゲル的な用語をもちいているけれども、本質的にヘーゲルとは違
う。なぜなら、ヘーゲルにおいて、自己疎外は、自こ本質が自己白身に対こし自己がそれに拝毀する
ような倒錯現象ではないからだ。フォイエルバッハの考えはむしろカントのサブライム論に出来する
というべきである。すなわち、崇高という感情は、ノ感性的に圧倒するような対象に直面したときに生
じるが、実は、対象から来るのではなく、感性的な有限性を乗り越える理性の烈風性を直観すること
から来る。にもかかわらず、それは対象そのものから来るように受け瑕られる。崇高とは、その意味
で、人間の本質的諸能力の「自こ疎外」である。だが、これは宗教とは違っている。

 フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用例値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

  それだから自然の崇高に関する適意は、消極的な適意でしかない(美に関する適意は積極的で
 あるが)、即ち構想力が自分自身の自由をみずから奪うという感情である、その場合に構想力は、
 経験的使用の法則とは異なる法則に従って合目的に規定されるからである。とは言えこれによっ
 て構想力は、自分か犠牲に供したところのものよりも大きな拡張と威力とを得るのであるが、し
 かしかかるものの根拠は、構想力自身にすら隠されているのである。(『判断力批判』上、同前)岩波文庫上188頁

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。


そのことはつぎのような一節において明白である。
 年若き人よ。高足してしまうこと(悦楽、耽溺、恋愛等等のことともについて)のないようにさ
れるがよい。それはこのような高足を全くもたずにすまそうとするストア的な考え方に従うので
はなくて、ますます増大する享楽をいつも前途にもっていようとする、洗練された千ピクロス的
な考えからいうのである。このようにあなたの生の感情の現八大所有額を倹約することは、享楽を
延期することによって、??よしんば生涯の最後に達し二所持現金の使用を概ね断念することに
なろうとも、??実はあなたをより富んだ人にするのである。享楽を意のままにすることができ
るという意識は、一切の観念的なものがそうであるように、かの、享楽とともに消尽し、かくし
て全休の量を滅少さ廿ながら感官を満足させるところの一切のものにも増して有効であり、かつ
その及ぶ範囲が広大なのである、(『人同学』第⊇列万d、坂出徳男訳、…バ波ネ叫)
 フロイトは「子ソキズムの経済的問題」について考えたが、ガントはいねば崇高における経済的問
題を考えたのである。その場合、披は、崇高を資本の蓄積欲勤になぞらえている。つまり、彼がいう
「享楽の延期」は、ウェドバーが「資本主義の精神」としてとらえたプロテスタンティズム、という

5:00 午前  
Blogger yoji said...

マルクスの剰余価値
カントの崇高論
フロイトのマゾキズム

5:00 午前  
Blogger yoji said...

宇野弘蔵の「恐慌」?

5:00 午前  
Blogger yoji said...


定本『トランスリティーク』柄谷行人333−6
頁より

 フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用例値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

  それだから自然の崇高に関する適意は、消極的な適意でしかない(美に関する適意は積極的で
 あるが)、即ち構想力が自分自身の自由をみずから奪うという感情である、その場合に構想力は、
 経験的使用の法則とは異なる法則に従って合目的に規定されるからである。とは言えこれによっ
 て構想力は、自分か犠牲に供したところのものよりも大きな拡張と威力とを得るのであるが、し
 かしかかるものの根拠は、構想力自身にすら隠されているのである。(『判断力批判』上、同前)
                                   岩波文庫上188頁

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。
そのことはつぎのような一節において明白である。

  年若き人よ。満足してしまうこと(悦楽、耽溺、恋愛等等のことともについて)のないようにさ
 れるがよい。それはこのような満足を全くもたずにすまそうとするストア的な考え方に従うので
 はなくて、ますます増大する享楽をいつも前途にもっていようとする、洗練されたエピクロス的
 な考えからいうのである。このようにあなたの生の感情の現金所有額を倹約することは、享楽を
 延期することによって、——よしんば生涯の最後に達して所持現金の使用を概ね断念することに
 なろうとも、——実はあなたをより富んだ人にするのである。享楽を意のままにすることができ
 るという意識は、一切の観念的なものがそうであるように、かの、享楽とともに消尽し、かくし
 て全体の量を滅少させながら感官を満足させるところの一切のものにも増して有効であり、かつ
 その及ぶ範囲が広大なのである、(『人間学』第一篇二五d、坂出徳男訳、岩波文庫)

 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいねば崇高における経済的問
題を考えたのである。その場合、披は、崇高を資本の蓄積欲動になぞらえている。つまり、彼がいう
「享楽の延期」は、ウェーバーが「資本主義の精神」としてとらえたプロテスタンティズム、という
より、もっと本質的には、マルクスが「合理的な守銭奴」としてとらえた資本家の精神にほかならな
い。実際に消費する快楽よりも、つねに直接的交換可能性の「権利」を保持し、さらにそれを拡大す
ることから得られる快楽、近代資本主義は使用価値(消費)への欲望から説明される。しかし、資本の
蓄績のたえまない連動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」に
ある活動(死の欲動)として見られるべきてある。

5:13 午前  
Blogger yoji said...



 しかし、経済学に関して、ガント白身はアダム・スミスの「労働価値説」に立っていた。カントに
とって、貨幣は謎ではなかったし、崇高でもなかった。彼は「商品が如何にして、貨幣となるか」を
問うてつぎのように述べている。
 さて、それゆえに、貨幣と呼ばれるべき物件は、それ白身、それを駿造するために、あるいは
また、それを調達して他の人問たちに手渡すために、次のような分量の勤労が費やされたのでな
くてはならない、すなわち、この勤労は、次のような勤労に、つまり、それによって(自然的あ
るいはヘリ的屋特に属する)物品が取得されたはずであり、かつそれと前者の勤労とが交換され
るような勤労に、相等しいのでなくてはならない、
だが、最初には物品であったものが最後には貨幣となったということは、いかにしス円能であ
るかり・ 最初には単に⑤‥廷内の)山号のバ目使たちの身を飾ったり輝か廿か言リするために用いてい
た或る材料(たとえば、全、銀、鋼、あるいはタカラガイと呼ばれるこ性の美しい員殼、あるい
はまたコンゴにおけるようにマクーテと呼ばれる一種の趨、あるいはヤ不ガルにおけるように鉄
の権、そしてギニアの海岸においては黒奴ですら)の偉大にして権力ある浪昔者加、すなわち国
付加、自分の臣民だちから(物品としての)この材料で貢租を徴集し、そしてまた、この材料の調
達に費やす勤労がそのことによって刺激されるべき者たちに、(市場あるいは取引所における)彼
らのあいだの、また彼らとの取引関係一般の諸規定に従って、まさに回し材料で支払う場合が、
そうである。?—‐そういうことによってのみ(私の意見によれば)或る物品が臣民たち相九回にお
ける勤労の取引関係の、かくしてまた国富の取引関係の法定の手段、すなわち貨幣となりえたの
である。(『人倫の形面にに学』第一部、古潭倍三郎∴屯田幸雄訳、「今生」第」.巻、理・惣社)



 カントは、貨幣は、ある物品を生産する労働と他の物品を生産する労働の取引関係を示すものであ
ると考える。しかし披は、なぜいかにして違った労働が等置されるかを問うていない。職人の丁であ 、
ったカントは古典経済学者と回禄に、商人谷本あるいは重囲仁義を嫌っていた。彼が「佐竹的判断」
が拡張的であることをいったのは、利潤(剰余価値)がいねば半座過程においてあるべきであり、けっ  フ
       
して流通過程における差額をめずした「投機」(恐 弁)であってはならない

5:14 午前  
Blogger yoji said...

トラクリ335頁



  年若き人よ。満足してしまうこと(悦楽、耽溺、恋愛等等のことどもについて)のないようにさ
 れるがよい。それはこのような満足を全くもたずにすまそうとするストア的な考え方に従うので
 はなくて、ますます増大する享楽をいつも前途にもっていようとする、洗練されたエピクロス的
 な考えからいうのである。このようにあなたの生の感情の現金所有額を倹約することは、享楽を
 延期することによって、——よしんば生涯の最後に達して所持現金の使用を概ね断念することに
 なろうとも、——実はあなたをより富んだ人にするのである。享楽を意のままにすることができ
 るという意識は、一切の観念的なものがそうであるように、かの、享楽とともに消尽し、かくし
 て全体の量を滅少させながら感官を満足させるところの一切のものにも増して有効であり、かつ
 その及ぶ範囲が広大なのである、(『人間学』第一篇二五d、坂出徳男訳、岩波文庫)

5:15 午前  
Blogger yoji said...


 カントは、貨幣は、ある物品を生産する労働と他の物品を生産する労働の取引関係を示すものであ
ると考える。しかし披は、なぜいかにして違った労働が等置されるかを問うていない。職人の丁であ
ったカントは古典経済学者と回禄に、商人谷本あるいは重囲仁義を嫌っていた。彼が「佐竹的判断」
が拡張的であることをいったのは、利潤(剰余価値)がいねば半座過程においてあるべきであり、けっ
                      乙士ドーじ……                   
して流通過程における差額をめずした「投機」(恐 弁)であってはならないという意味に理解でき  337


るだろう、カントが考えていたのは、まだドイツにほとんど存在していなかった産業貢本制牛産では  338      
なく、独立小生産若たちのアソシエーションである。その意味で、彼が考えていた貨幣は、資本に転 
化しないような貨幣である。私はそれについて後に述べるだろう,しかし、今貨幣について考えると
き参照すべきなのは、カントの貨付設自体ではなく、むしろ『純粋理性批判』である。というのも、
貨幣ぱたんなる仮象ではなくて、いねば超越論的仮象であり、われわれはそれを容易に取り除くこと
はできないからである.

 とはいえ、カントが道徳の問題を、たんにド観的なレベルで考えなかったことにに注意すべきである。
完に述べたように、披は道徳性の根幹を「汝の人格ならびにすべての他者の人格における人間性を、
けっしてたんに子役としてのみ用いることかく、つねに回時に目的として用いるように行為せよ」と
いう定言的八四法に見いだしている。いいかえれば、カントにとって、他者を手段とすることは、肯定
さるべき大前佐々のだ。それは分業と交換のトに或y.する「社会的な」生活の回史的認識である。ス
ミスの往訪学は倫理学の.晶であo、披はエゴイズムを七日定した上でそれがもたらす諸矛盾を超える
べく「面憎」をもってきた。ハリ口ごも、市場往訪の弊害を反古する経済学者たちはスミスのいう「同
情」に立ち記ろうとする。∵ベカントはスミスのいう「道徳感情」を批判し、道徳性をア・プリオ
リな法則としてとらえようとし白土このことは、カントの倫理学あるいは「目的の国」という理念を、
たんに主観的なもののように見えさせる。しかし、それは、現実的・経済的基盤を矢いたものではあ
?
りえない。カントが「目的の国」を鉄壁的現今としてみたことは、石本則行済への批判をはらんてい
る。谷本則経済は「他者の人格における人開性を目的として扱う」ということを致命的に不可能にす
るからである。
 マルクスは未来について語るUAJを拒否した。『ドイツーイデオロギー』で、彼は、エングルスが
書いた文章にこう欄外に加筆している。昇ハ産主義とは、われわれにとって成就されるべきなんらか
の状態、現実がそれへ向けて形成されるべきなんらかの理想ではない。われわれは、現状を白楊する
現実の通勤を、共産仁義と名づけている。この連動の諸条件は、いま現にある前提から生ずる言花崎
自作平沢、今回出版)。だが、この現実を構成する力そのものは資本土成から来るのだ。コミュニスムは、
その意味で、谷牛王義の連動に付随し、石率王乳それ自体が生み出す対抗的運動としてある。それは  
カントの言葉でいえば、「構成的理念」‐L?現実がそれに向けて形成さるべきなんらかの理想—で
はない。しかし、それは.つの「鉄整的理念」?‐‐現実をたえず批判する根拠を与える理想 ‐であ
る。谷本主義を解明する’V一は、それゆえ、真に倫理学的な課題である。
○ノ

5:21 午前  
Blogger yoji said...


定本『トランスリティーク』柄谷行人333−6頁より

 フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用価値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

  それだから自然の崇高に関する適意は、消極的な適意でしかない(美に関する適意は積極的で
 あるが)、即ち構想力が自分自身の自由をみずから奪うという感情である、その場合に構想力は、
 経験的使用の法則とは異なる法則に従って合目的に規定されるからである。とは言えこれによっ
 て構想力は、自分か犠牲に供したところのものよりも大きな拡張と威力とを得るのであるが、し
 かしかかるものの根拠は、構想力自身にすら隠されているのである。(『判断力批判』上、同前)
                                   岩波文庫上188頁

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。
そのことはつぎのような一節において明白である。

  年若き人よ。満足してしまうこと(悦楽、耽溺、恋愛等等のことともについて)のないようにさ
 れるがよい。それはこのような満足を全くもたずにすまそうとするストア的な考え方に従うので
 はなくて、ますます増大する享楽をいつも前途にもっていようとする、洗練されたエピクロス的
 な考えからいうのである。このようにあなたの生の感情の現金所有額を倹約することは、享楽を
 延期することによって、——よしんば生涯の最後に達して所持現金の使用を概ね断念することに
 なろうとも、——実はあなたをより富んだ人にするのである。享楽を意のままにすることができ
 るという意識は、一切の観念的なものがそうであるように、かの、享楽とともに消尽し、かくし
 て全体の量を滅少させながら感官を満足させるところの一切のものにも増して有効であり、かつ
 その及ぶ範囲が広大なのである、(『人間学』第一篇二五d、坂出徳男訳、岩波文庫)

 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいわば崇高における経済的問
題を考えたのである。その場合、彼は、崇高を資本の蓄積欲動になぞらえている。つまり、彼がいう
「享楽の延期」は、ウェーバーが「資本主義の精神」としてとらえたプロテスタンティズム、という
より、もっと本質的には、マルクスが「合理的な守銭奴」としてとらえた資本家の精神にほかならな
い。実際に消費する快楽よりも、つねに直接的交換可能性の「権利」を保持し、さらにそれを拡大す
ることから得られる快楽、近代資本主義は使用価値(消費)への欲望から説明される。しかし、資本の
蓄績のたえまない連動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」に
ある活動(死の欲動)として見られるべきてある。

6:28 午前  
Blogger yoji said...

定本『トランスリティーク』柄谷行人333−6頁より

 フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用価値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

  それだから自然の崇高に関する適意は、消極的な適意でしかない(美に関する適意は積極的で
 あるが)、即ち構想力が自分自身の自由をみずから奪うという感情である、その場合に構想力は、
 経験的使用の法則とは異なる法則に従って合目的に規定されるからである。とは言えこれによっ
 て構想力は、自分か犠牲に供したところのものよりも大きな拡張と威力とを得るのであるが、し
 かしかかるものの根拠は、構想力自身にすら隠されているのである。(『判断力批判』上、同前)
                                   岩波文庫上188頁

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。
そのことはつぎのような一節において明白である。

  年若き人よ。満足してしまうこと(悦楽、耽溺、恋愛等等のことともについて)のないようにさ
 れるがよい。それはこのような満足を全くもたずにすまそうとするストア的な考え方に従うので
 はなくて、ますます増大する享楽をいつも前途にもっていようとする、洗練されたエピクロス的
 な考えからいうのである。このようにあなたの生の感情の現金所有額を倹約することは、享楽を
 延期することによって、——よしんば生涯の最後に達して所持現金の使用を概ね断念することに
 なろうとも、——実はあなたをより富んだ人にするのである。享楽を意のままにすることができ
 るという意識は、一切の観念的なものがそうであるように、かの、享楽とともに消尽し、かくし
 て全体の量を滅少させながら感官を満足させるところの一切のものにも増して有効であり、かつ
 その及ぶ範囲が広大なのである、(『人間学』第一篇二五d、坂出徳男訳、岩波文庫)

 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいわば崇高における経済的問
題を考えたのである。その場合、彼は、崇高を資本の蓄積欲動になぞらえている。つまり、彼がいう
「享楽の延期」は、ウェーバーが「資本主義の精神」としてとらえたプロテスタンティズム、という
より、もっと本質的には、マルクスが「合理的な守銭奴」としてとらえた資本家の精神にほかならな
い。実際に消費する快楽よりも、つねに直接的交換可能性の「権利」を保持し、さらにそれを拡大す
ることから得られる快楽、近代資本主義は使用価値(消費)への欲望から説明される。しかし、資本の
蓄績のたえまない連動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」に
ある活動(死の欲動)として見られるべきである。

6:30 午前  
Blogger yoji said...

定本『トランスリティーク』柄谷行人333−6頁より

 フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用価値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

  それだから自然の崇高に関する適意は、消極的な適意でしかない(美に関する適意は積極的で
 あるが)、即ち構想力が自分自身の自由をみずから奪うという感情である、その場合に構想力は、
 経験的使用の法則とは異なる法則に従って合目的に規定されるからである。とは言えこれによっ
 て構想力は、自分か犠牲に供したところのものよりも大きな拡張と威力とを得るのであるが、し
 かしかかるものの根拠は、構想力自身にすら隠されているのである。(『判断力批判』上、同前)
                                   岩波文庫上188頁

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。


 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいわば崇高における経済的問
題を考えたのである。

しかし、資本の
蓄績のたえまない連動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」に
ある活動(死の欲動)として見られるべきである。

6:31 午前  
Blogger yoji said...

定本『トランスリティーク』柄谷行人333−6頁より

 フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用価値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。

 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいわば崇高における経済的問
題を考えたのである。
…資本の蓄績のたえまない連動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」に
ある活動(死の欲動)として見られるべきである。

6:33 午前  
Blogger yoji said...

定本『トランスリティーク』柄谷行人333−6頁より

 フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用価値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。

 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいわば崇高における経済的問
題を考えたのである。

資本の蓄績のたえまない連動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」に
ある活動(死の欲動)として見られるべきである。

6:34 午前  
Blogger yoji said...

定本『トランスリティーク』柄谷行人333−6頁より

 フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用価値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。

 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいわば崇高における経済的問
題を考えたのである。

資本の蓄績のたえまない運動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」に
ある活動(死の欲動)として見られるべきである。

6:35 午前  
Blogger yoji said...

定本『トランスリティーク』柄谷行人333−6頁より

 フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用価値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

  それだから自然の崇高に関する適意は、消極的な適意でしかない(美に関する適意は積極的で
 あるが)、即ち構想力が自分自身の自由をみずから奪うという感情である、その場合に構想力は、
 経験的使用の法則とは異なる法則に従って合目的に規定されるからである。とは言えこれによっ
 て構想力は、自分か犠牲に供したところのものよりも大きな拡張と威力とを得るのであるが、し
 かしかかるものの根拠は、構想力自身にすら隠されているのである。(『判断力批判』上、同前)
                                   岩波文庫上188頁

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。
そのことはつぎのような一節において明白である。

  年若き人よ。満足してしまうこと(悦楽、耽溺、恋愛等等のことともについて)のないようにさ
 れるがよい。それはこのような満足を全くもたずにすまそうとするストア的な考え方に従うので
 はなくて、ますます増大する享楽をいつも前途にもっていようとする、洗練されたエピクロス的
 な考えからいうのである。このようにあなたの生の感情の現金所有額を倹約することは、享楽を
 延期することによって、——よしんば生涯の最後に達して所持現金の使用を概ね断念することに
 なろうとも、——実はあなたをより富んだ人にするのである。享楽を意のままにすることができ
 るという意識は、一切の観念的なものがそうであるように、かの、享楽とともに消尽し、かくし
 て全体の量を滅少させながら感官を満足させるところの一切のものにも増して有効であり、かつ
 その及ぶ範囲が広大なのである、(『人間学』第一篇二五d、坂出徳男訳、岩波文庫)

 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいわば崇高における経済的問
題を考えたのである。その場合、彼は、崇高を資本の蓄積欲動になぞらえている。つまり、彼がいう
「享楽の延期」は、ウェーバーが「資本主義の精神」としてとらえたプロテスタンティズム、という
より、もっと本質的には、マルクスが「合理的な守銭奴」としてとらえた資本家の精神にほかならな
い。実際に消費する快楽よりも、つねに直接的交換可能性の「権利」を保持し、さらにそれを拡大す
ることから得られる快楽、近代資本主義は使用価値(消費)への欲望から説明される。しかし、資本の
蓄績のたえまない運動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」に
ある活動(死の欲動)として見られるべきである。

6:35 午前  
Blogger yoji said...


定本『トランスリティーク』柄谷行人333−6頁より

「フォイエルバッハは、感性的で類的本質存在である人間が、その類的本質を疎外されたかたちで把
握しているのが宗教であり、そのように疎外された類的本質を取り返さねばならないと考えた。しか
し、このような宗教批判は、カントより後退している。第一に、カントはすでに道徳的なものとして
の宗教以外の宗教を否定していたからであり、第二に、崇高は、威圧的な自然への宗数的な「畏怖」
がなくなったときにしかありえないからである。したがって、崇高において見出される論理を宗教批
判に適用することはできない。崇高そのものがすでに宗教の否定だからだ。カントがいう崇高は、た
んなる自然的な対象にこそ見出されねばならないのである。つまり、崇高は人が充分に啓蒙され世俗
的になったときに成立する感情である。そうだとすれば、マルクスがフォイエルバッハの宗教批判を
世俗的な資本主義経済に振り向けたというのは事実だとしても、むしろ、マルクスの貨幣論は、カン
トのサブライム論から見たときによりよく理解されるはずである。さらに、フォイエルバッハの自己
疎外論と違って、カントの崇高論には文字通り資本主義への認識が含まれている。カントがいうよう
な、「没関心性」によって見出される美は、すでに、使用価値の質的差異に無関心な商品経済の所産
である、ところが、美はまだ使用価値=快感原則と切り離すことができない。崇高はむしろ使用価値
=快感原則と根本的に反するものとしてあらわれる。

 崇高においては、不快を通して或る種の快が得られる。カントはそれを「自分が犠牲に供したとこ
ろのものよりも、大きな拡張と威力」を得ることだと考える。それはまさに剰余価値の問題である。

 フロイトは「マゾキズムの経済的問題」について考えたが、カントはいわば崇高における経済的問
題を考えたのである。

資本の蓄績のたえまない運動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」に
ある活動(死の欲動)として見られるべきである。」

6:41 午前  
Blogger yoji said...

柄谷はマルクスとカント(及びフロイト)の連携を強調するが、
国家と資本を平行して捉える場合、スピノザが強調されるべきだろう

8:32 午前  
Blogger yoji said...



ヘーゲル論理学と資本論に関しては以下の33頁で率直に語られている。

社会科学と弁証法 (1976年)
宇野 弘蔵 (著), 梅本 克己 (著)

108頁にレーニンへの不満が書かれている

資本論、原理論

帝国主義論、段階論


という枠は同時に戦前に出来たのだろう

3:21 午前
yoji said...
レーニンは自然科学から階級闘争に跳んでしまう

3:22 午前
yoji said...
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/unobunko/genriron.html
50. ヘーゲル著 松村一人訳 『小論理学』 北隆館,1947 目次に『経済原論』の構想が書き込んである


本文に書き込みはないのか?

3:23 午前
yoji said...
松村一人訳のヘーゲル『小論理学』目次に宇野が書き込んだメモのファクシミリ版が『『資本論』と私』(2008年、お茶の水書房)に載っている。

106頁で原理は繰り返すとされる
佐藤優の要約通りに

ただし柄谷は段階論に反復を見た

3:33 午前
yoji said...
宇野の読んだ小論理学は筑波大学にある

3:34 午前
yoji said...
109頁

17,8世紀、商人資本のときに原始的蓄積

3:37 午前
yoji said...
段階論はタイプが重視される
ウェーバーはそれを原理の代わりに使ってしまう

3:38 午前
yoji said...
『『資本論』と私』(2008年、お茶の水書房)

191頁

恐慌の原理論的三要因
労働力商人
固定資本
金融関係

11:54 午後  
Blogger yoji said...


『『資本論』と私』(2008年、お茶の水書房)

191頁

恐慌の原理論的三要因
労働力商品
固定資本
金融関係

12:00 午前  
Blogger yoji said...

矢内原段階論と宇野段階論 馬場宏二
http://www.unotheory.org/files/news_II-1_baba.pdf


I.矢内原の先駆性
矢内原論文の出現以前に、資本主義の発展諸段階を、重商主義・自由主義・帝国主義と括る試みが 存在したろうか?無論、F.リスト以来のドイツ歴史学派~社会政策学派の流れの中では、歴史を経済発 展段階別区分して捉えることは常道であり、区分の仕方や段階の名称にも論者による差があった3が、そ してそれは当時の日本の社会科学の世界―特にドイツ志向の強い帝国大学―では当然のように講義さ れていたはず4だが、この歴史学派的段階論には資本主義という概念がなく、当然、資本主義内部の段階 区分という発想はなかったと見て良い。強いて言えば、20世紀に入ってドイツ語圏で「資本主義」なる 語を広めたW.ゾンバルトが、資本主義以前と近世資本主義を大別した上で後者を初期資本主義・高度資
1 桜井毅・山ロ重克・柴垣和夫・伊藤誠編『宇野理論の現在と論点』社会評論社、未刊。
2 矢内原忠雄「世界経済発展過程としての植民史」、初出、矢作栄蔵序、山崎教授還暦祝賀記念『経済学研究 第一巻経済編』昭和四年十二月日本評論社(文末に「昭和三年十二月二十五日」とある)、のち矢内原忠雄『帝 国主義研究』1948 年白日書院に収録、『矢内原忠雄全集 第四巻』。また、矢内原忠雄・揚井克己『国際経済 論』,1954 年弘文堂第一部(矢内原)第二章の下敷きになっている。


III.矢内原の段階論
ここで矢内原論文の概要をやや忠実に紹介する。本Newsletterの読者に宇野『経済政策論』の内容を 詳しく紹介する必要はあるまいから、矢内原論文を追う中で両者の差異を掴んでもらいたい。
さて矢内原の主題は、植民の歴史を世界史的観点から概括することである。まずその構成を見てお く。
一 概説
二 資本主義以前
三 重商主義
四 自由主義
五 帝国主義
六 日本の地位
冒頭の概説は、世界史的発展は地域間交流の進展による、地域間交流の重要な一つが植民だという 一般論であり、ついで資本主義以前について古代特にギリシャ・ローマ、中世イタリヤ・ハンザの自治 都市による著名な植民の実例を概観し、植民地のあり方が本国の構造を反映したものだと指摘する。そ の末尾に、中世末期にヨーロッパ人がインド・東洋へ進出した経済的動因は商業資本の興起であり、政 治的動力は重商主義的近代国家であったと指摘して資本主義時代に入る。ここから後、矢内原流段階論 が展開される。以下その展開を追う。
重商主義前期。1492年コロンブスの地理上の発見から、1588年スペイン無敵艦隊の全滅まで。新大 陸の発見と東インドへの到達があり、世界経済・世界交通の範囲は一挙に拡大した。その担当者はイベ リア半島のスペイン・ポルトガル両国で、それが世界経済政治の中心となった。発見したアメリカから の輸入は金銀特に銀、アメリカへの輸出は僅少だった。両国は当初法王区画線で勢力圏を分割していた が、1580年、スペインがポルトガルを合併して唯一の独占植民地国となった。
重商主義後期。1588年スペイン艦隊全滅から1776年アメリカ合衆国独立まで。オランダ独立、無敵 艦隊全滅等により、西葡両国の植民地独占は破壊され、代って蘭英仏三国が主たる植民国として争った。 スペイン継承戦争、七年戦争、ナポレオン戦争を経て、英国が覇者となった。これらの戦争は植民地領 有戦であり、当時における世界大戦であった14。これにプロシア、スエーデン、デンマーク、さらにロシアの拡大も加わった。オランダ、イギリス、フランスが有力な植民国となったのは、この三国におけ る資本主義の台頭が有力だったためである。重商主義時代は封建的経済政治から近代資本主義国家への 転換期であり、これに応じて植民活動の担当者も、西葡両国の国王個人から英仏両国の、国王の特許を 得た貴族、さらに商人の出資による特許会社へと代わった。オランダのごときは当初から商事会社が担 当した。イギリスやフランスから農民的移住が行なわれたのは、社会の資本主義化に伴って農村過剰人 口が生じた故である。国教統一に伴う宗派的不一致からも植民が行なわれた。植民地からの輸入は金銀、 砂糖香料等奢侈品であり、輸出は羊毛製品及び酒類であって、植民市場では激烈な競争が行なわれた。 また奴隷は当時最も重要な商品であった。
自由主義時代前期。1776年アメリカ合衆国独立から1823年モンロー主義宣言まで。自由主義時代は 産業資本の時代であり、その前期は産業革命期に相当する。本国で産業上政治上自由主義の気運を喚起 したが、植民地でも独占的経済政策に対する反抗が有力となり、ついにアメリカ合衆国が独立したばか りか、中南米のスペイン領植民地も1810年から1825年の間に相次いで独立した。独立諸国は再植民地化 を警戒し、共同で態度を表明した。1823年のモンロー主義宣言は諸植民地独立宣言の帰結であった。世 界の植民地は急減し、イギリスがフランス・オランダの植民地を併せて独占的植民国となったが、アメ リカ独立によって植民地領有の悲観論が盛んとなり、競争者がないことが領有熱を冷却させた。
自由主義時代後期。1823年モンロー主義宣言から1878年ベルリン会議まで。イギリスは資本主義発 達において独占的地位を有したため、貿易においても自由貿易を黄金律とし、植民地貿易・航海におけ る独占・特恵は1840~1860年に撤廃され、奴隷制も廃止された。本国における自由主義は植民地の任意 的放棄を唱える小英国主義を生んだが、任意的放棄はかつて行なわれたことがなかったばかりか、経済 関係の発達に伴って、自由主義後期には、さらに大面積の植民地獲得が行なわれた。イギリスはインド を征服し香港に至り、フランスはアルジェ・インドシナを獲得し、ロシアは東漸してウラジオストック に至り、アメリカでの西漸も急進した。小英国主義が唱えられる時代に植民地獲得が進むのは、イデオ ロギーと事実の間の矛盾であって、事実そのものの矛盾ではない。産業資本発展の初期には重商主義的 束縛を打破するために小英国的自由主義が唱えられるが、産業資本自体の発展がすすめば、増大する相 対的過剰人ロの排出、大量生産される商品の市場拡張、原料食料輸入のために、植民地拡張を遂行し、 経済的利益を実現するために政治的支配を行なう。かくして小英国主義は捨てられ、イデオロギーその ものが変化して、大英国主義、帝国主義が唱えられるに至る15。
帝国主義前期。1878年ベルリン会議16より1914年世界大戦開始まで。この帝国主義前期は、自由主 義後期の無意識的領土拡大が意識的計画的な帝国主義に転換した時期である。

6:12 午前  
Blogger yoji said...

IV.宇野説との異同
両者の異同を改めて総括すれば、資本主義の発展を重商主義・自由主義・帝国主義と括ったのは両 者同じである。それを主導する資本形態が商業(人)資本・産業資本・金融資本であることも同じである。 ただ矢内原の時期区分は宇野より遙に明快であって、各段階を前期後期と細分しているばかりか、区分 の画期は国際政治上の重大事件が発生した単一年である。
この差は、一つには矢内原の関心が植民史であるのに対して宇野の関心は資本主義の発展そのもの であることに由来しようが、もう一つには、宇野が『資本論』の彫琢―経済原論の把握―を最大の関心 事としていたのに対して、矢内原は『資本論』に相応の敬意を払い、レーニンやヒルファディングを適 宜利用しているという意味では広義のマルクス経済学であっても、宇野ほどに『資本論』に傾倒してお らず18経済原論の追求が深くないことに由来するであろう。この二つから、矢内原はヨリ政治史的時期 区分を採り、宇野は経済中心的段階区分に留めたものと解し得るであろう。しかし急いで付言するが、 宇野は経済史を描いたのではなく、経済政策論として、政治史的変化に深く注目していた。そのことは、 宇野各編第三章の政策論―宇野の意図に反して戦後には妙に軽視されたが、そこ―をすこし注意して読 めば明らかである。
重商主義論では、17世紀後半を中にして、前期が王権的特許政策、後期が議会的一般的な航海条令 (対蘭―馬場)と貿易政策(対仏―馬場)に区分され、これは明らかにクロムウェル革命を画期としてイギリ スが世界的覇権の獲得に乗り出した過程を反映している。
自由主義論では、まず産業資本の要求を反映したイギリスの自由貿易の自発的進展を述べた後、 1860年にその完成としての自由貿易国化と、フランスとの互恵通商条項を含むコブデン条約の締結によ って、いわば自動的に自由貿易網が世界に拡大する機構が出来た画期を示している。これが自由主義の 最盛期である。
これに対して帝国主義段階への転換は、1870年代以降のドイツ資本主義の発展によるとされており、 ドイツ主導の関税付条約網の拡大が転機とされている。
因に矢内原は、上記論文では画期としてベルリン会議を挙げたまま無説明に終わっているが、戦後 の『国際経済論』では、帝国主義の語源に触れ、フランス語のImperialismがナポレオン三世の拡張政策 延いては海外侵略の野心の意味になったと述べている19。
第一次世界大戦後の、矢内原の帝国主義後期は、宇野では現状分析としての世界経済論の対象だと され、段階論や経済政策論の枠外になっているが、初めから戦前が段階論、戦後が現状分析と分けてあ ったのではないことは、「『経済政策論』の成立」で述べておいたとおりである。矢内原の場合、彼の 人道主義的な植民地解放の理念から、戦後の状況が特に重要になったものと思われる。

6:20 午前  
Blogger yoji said...

一般に宇野は、結構多くの座談・対談・回想禄を残している20が、そこで特徴的なのは、東大経済 学部の学生時代に聴講した講義や担当教授について詳しく語っていないことである。それは専ら、マル クスを中心とする自らの体系の完成後の観点から、学問的に評価し得るものがあまりなかった、という 理由によるのであろうが、それでも「...政策論」の多い当時の講義から、経済理論と区別される発展段 階論の領域が存在すること自体は、学生時代からいわばインプリントされていたと推測して間違いない のではなかろうか。レーニン『帝国主義論』をロを極めて讃えるのは、レーニンがマルクス経済学に拠 りながら「段階」と唱えたことに、この基礎的素養が感応したためではないか。
自ら経済政策論を担当した時、経済政策が、いわゆる支配的資本のあり方によって定まるとする認 識は早くからあったであろう。留学の帰路に英訳のボグダーノフ21を読んでいる22から、資本主義が商業 資本主義、産業資本主義、金融資本主義と時期区分され、金融資本主義が帝国主義を導くというヒルフ ァディング流の認識も持っていた。具体的に如何なる構成として現れたかは、今のところ資料がなくて 確認出来ない。重商主義・自由主義・帝国主義の三段階構成になったのが1934年ころからだとすれば、 1929年に、内容的以上に形式的に共通性の高い矢内原論文が現れているのだから、かなりの影響を受け たと想定することは許されるであろう。矢内原の金融資本と帝国主義の関連付けは、レーニン『帝国主 義論』とヒルファディング『金融資本論』の重ね焼きのようなところがあるが、宇野の帝国主義論は、 株式会社論にしろ関税論にしろ、内容的にはレーニンより評価の低いヒルファディングに近いのである。

6:32 午前  
Blogger yoji said...


『世界史の構造』:書評

ネーション-ステート-キャピタルを同時に把握することが重要だ。玉野井芳郎‎、ポランニーから受け継いだ部分、ヘーゲルから受け継いだ部分、宇野弘蔵から受け継いだ部分、それらが交換様式の名の下に一望出来るのが画期的だ。

マルクスの生産様式を交換様式に読み替えるのは内在的かつ根本的なマルクス批判でもある(そもそも交換に注目したのは柄谷も指摘したようにマルクスのライバル、プルードンだ)。宇野弘蔵は流通を重視したがまだヘーゲルの論理に捕われていた。

ポランニーは国家が一つの交換であることに気付かなかった。柄谷は更にフロイトの抑圧されたものの回帰をネーションのレベルに持ち込む。宇野の段階論もある種の反復の中に解体される。

歴史に関する知識のある人は個々の要素が突出して見えるだろうが、自由と平等という二本の座標で上記すべてが収まってしまう。コロンブスの卵的な画期的な著作。
ヘーゲルの歴史哲学を超える作品をやっと人類は手にした。

4:51 午後  
Blogger yoji said...


『世界史の構造』:書評

世界を変革するためには、ネーション-ステート-キャピタルを同時に把握することが重要だ。本書では、玉野井芳郎‎、ポランニーから受け継いだ部分、ヘーゲルから受け継いだ部分、宇野弘蔵から受け継いだ部分、それらが交換様式の名の下に一望出来るのが画期的だ。

マルクスの生産様式を交換様式に読み替えるのは内在的かつ根本的なマルクス批判でもある(そもそも交換に注目したのは柄谷も指摘したようにマルクスのライバル、プルードンだ)。宇野弘蔵は流通を重視したがまだヘーゲルの論理に捕われていた。

ポランニーは国家が一つの交換であることに気付かなかった。柄谷は更にフロイトの抑圧されたものの回帰をネーションのレベルに持ち込む。宇野の段階論もある種の反復の中に解体される。

歴史に関する知識のある人は個々の要素が突出して見えるだろうが、自由と平等という二本の座標で上記すべてが収まってしまう。コロンブスの卵的な画期的な著作。
ヘーゲルの歴史哲学を超える作品をやっと人類は手にした。

4:52 午後  
Blogger yoji said...

資本論と私

109頁

17,8世紀、商人資本のときに原始的蓄積

6:56 午前  
Blogger yoji said...

285頁

どうしても資本主義の世界史的発展段階の分析を媒介にして、いい換えれば、重商主義時代の商人資本、自由主義時代の
産業資本、帝国主義時代の金融資本の概念を媒介にして分析しなければならない。

7:00 午前  
Blogger yoji said...

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/nagase(10-1-30)#_ednref2


まず柄谷は重商主義、自由主義、帝国主義という資本主義の世界史的発展段階をその構造の歴史的推移によって解明されるとした宇野段階論をベースに、景気循環を基軸商品の交代という観点からみた。つまり、重商主義段階は繊維産業、自由主義段階は軽工業、帝国主義段階は重工業、後期資本主義段階は耐久消費財、新自由主義段階はIT産業というように説明することができる。
ヘゲモニー国家は、製造部門での優位によって、商業部門や金融部門でも優位になるときに成立する。ウォーラーステインは自由主義(リベラリズム)とはそのようなヘゲモニー国家のみがとる政策であると考えた。そのようなヘゲモニー国家が成立する過程として、「ジョヴァンニ・アリギは資本の蓄積システムのサイクルという観点から、初期の段階では、製造部門の生産拡大の傾向があり、末期には金融拡大の傾向が見られることから、初期には交易や生産に投資することによって蓄積しようとするために、生産拡大が生じ、末期には、金融だけで蓄積しようとするために、金融拡大が生じることを見出した。」(柄谷行人『歴史と反復』)[iii]

[iii]『歴史と反復』http://web.nagaike-lecture.com/ L11~13

8:55 午前  
Blogger yoji said...


★貨幣の本位制度と金本位制
 ◇貨幣の本位制 
    単本位制:金本位制―金貨本位制(アメリカ)
             \金核本位制―金地金本位制(イギリス、フランス)
                   \金貨為替本位制(ドイツ)
    複本位制:金銀複本位制

http://mgu.ac.jp/~stanaka/dankairon.htm



(2)三段階論の方法について‥‥
宇野は、経済学を「原理論」、「段階論」、「現状分析」という三分野の体系として把握する方法、すなわち「三段階論」を提起した。
 「原理論」とは資本主義の最も純化した状態(純粋資本主義)を想定しその運動法則を解明するものであって、それは、基本的にはK.マルクス『資本論』によって示された理論をより一貫した方法をもって整備、純化する作業としてなされた。この結実が、流通表面の基礎概念としての商品、貨幣、資本を考察する「流通論」、その基底である資本の生産過程を解明する「生産論」、および生産過程で生産された剰余価値を個別資本の競争を通して分配する機構を解く「分配論」という三篇構成で示された『経済原論』(旧版・新版)に他ならない。 
 「段階論」、これは資本主義の世界史発展段階を明らかにするものであって、具体的には、遠隔地貿易と羊毛工業に基礎をおくイギリスの商人資本を主軸とする「重商主義段階」、産業革命を経て綿工業が主導的資本となるイギリス産業資本を支配的資本とする「自由主義段階」、およびドイツ重工業が主軸をなす金融資本支配の「帝国主義段階」と、資本主義世界をリードした支配的資本の形式から分類する三段の歴史区分とその解明をなしたものである。これによってレーニン『帝国主義論』の位置づけも明確となったのであり、宇野のこの議論は『経済政策論』によって示されている。
 つづいて「現状分析」であるが、この術語は宇野においては二重の意味で用いられている。つまり、いつの時代であってもその時代の分析は現状分析であるという一般的な意味の他に、第一次世界大戦およびロシア革命以降の分析は固有の意味で現状分析であるという。ロシア革命による「社会主義」の出現によって、資本主義はもはやそれ自身の自立的な運動を展開し得ないのであり、社会主義との対抗関係の中でしかそれはあり得ないという意味で、現代は現状分析の時代だというわけである。もっとも、周知のように90年前後には相次いで東欧「社会主義」やソ連が解体したのであり、この規定は再考をせまられている。

8:59 午前  
Blogger yoji said...


「重商主義政策の基礎をなす商人資本はイギリス羊毛工業に、また自由主義の基礎をなす産業資本はイギ
リス綿工業にその具体的発現を見たのに対して、帝国主義の基礎をなす金融資本にドイツの重工業に具体
化されているといってよい。しかし重商主義、自由主義が、その世界史的過程をイギリスに典型的に代表
せられたのに対して、帝国主義は已に指摘したようにイギリスの資本主義的発展におくれて発展したドイ
ツ、アメリカ等の資本主義の世界史的過程への参加によって出現したのであって、いわばドイツの進出的役
割に対してイギリスが防衛的立場に立つという、資本主義諸国の対立にその根拠をもっている。ここでは
したがって単にドイツ重工業のみをとって金融資本の具体的発現とするわけにはいかない。」
(第三編帝国主義、第二章金融資本の諸相『経済政策論』宇野弘蔵 弘文堂165頁)

5:09 午前  
Blogger yoji said...

      
      (b)
       W1
   (a) |
    W  G
    |\/|
(c) |/\|
 W1 G↙ W
 |\/|  
 |/\|
 G ↘W1
 |
 W2

(『経済原論』著作集第一巻52頁より)
      

5:21 午前  
Blogger yoji said...

      (b)
   (a) 生
(c)  産 W1 
   部  /| 流
 面   / | 通
    W↘ G 市
   /|\/| 場
  / |/\| 
 W1 G↙ W
 |\/| / 
 |/\|/
 G↙ W1
 | /
 |/    消
 W2  費
   部
 面

(『経済原論』著作集第一巻56頁より)
      
岩波全書版では横書きになっている。


G——W
 \/↗
 /\↘
W——G——W1
    \/↗
    /\↘
   W1—G——W2
       \/↗
       /\↘
      W2— G

(『経済原論』岩波全書32頁より)

5:33 午前  
Blogger yoji said...

商業資本(G―W―G') 

      生産資本(G - W ... P ... W' - G')

高利貸資本(G…G')


商業資本(G―W―G') 

      産業資本(G - W ... P ... W' - G')

金融資本(G…G')

7:29 午前  
Blogger yoji said...

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E8%B3%87%E6%9C%AC

7:36 午前  
Blogger yoji said...

http://ja.wikipedia.org/wiki/産業資本

7:36 午前  
Blogger yoji said...

jfkxq420さん 2010/01/10 15:47:58
レーニンの帝国主義が解りません。レーニンはつまり、何故、第一次大戦が起きたと言ってるのですか? ニ~三行くらいで急所を教えてください。
補足
everさん:昔はそうでしたが、レーさんの言うのはその後の資本輸出とか金融なんとかでしょう? それと戦争との関係をお願いします。
回答数:2 閲覧数:354 お礼:知恵コイン0
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everyonesbeenbeginnerさん 2010/01/10 16:57:08
資本主義が発展すると国内だけでは商品を売り切れない。たから国外で売ろうと、どの国も「自分だけが商売できる場所」即ち植民地を求め、それが世界規模の争いとなる。


追記
「商品」が「資本」と置き換わるだけです。本質的には何も変わりません。

金融資本は「資本」を商品とするが、その生産力(=資本の集中)が国内需要を超えたら余剰分は国外に投資するしかない。それは遅かれ早かれどの国でも起こるので投資先の奪い合いとなり、あぶれた国は状況を打開するため戦争を起こすしかない。

8:59 午後  
Blogger yoji said...

http://note.masm.jp/%C4%EB%B9%F1%BC%E7%B5%C1%CF%C0/
レーニン著。1917年刊。資本主義の最高の発展段階としての帝国主義の経済的諸特質を分析し、この段階を「死滅しつつある資本主義」「社会主義革命の前夜」であると論じる。
cf.ホブソン『帝国主義論』

レーニン『帝国主義論』 †
 周知のようにレーニンの『帝国主義論』によれば-帝国主義は、次の五つの基本的標識を含むものとして定義された…
生産と資本の集積が、経済生活で決定的な役割を演ずる独占をつくりだすほどに高度な段階に達すること
銀行資本と産業資本が融合し、この「金融資本」を土台とする金融寡頭制が成立すること
商品輸出と区別される資本輸出がとくに重要な意義を獲得すること
資本家の国際的独占団体が形成され、世界を分割していること
最大の資本主義列強による地球の領土的分割が完了していること
「帝国主義とは、独占体と金融資本の支配が成立し、資本の輸出が顕著な意義を獲得し、国際トラストによる世界の分割がはじまり、最大の資本主義諸国による地球の全領土の分割が完了した、という発展段階の資本主義である」
1914年7月、第一次世界大戦が勃発すると、レーニンはポーランドのポロニンからスイスのベルンに逃れ、さらに1916年2月にはチューリヒに移り住んだ。かれが二月革命勃発の報に接し、いわゆる「封印列車」に乗って帰国するのは翌年三月のことだが - 『帝国主義論』が執筆されたのは、このスイス亡命中の1916年1~6月のことに属する。したがってそれは、革命前の著作として、ツァーリズムの検閲を十分に意識したものであった。帰国後に書いた序文のなかで、レーニンはいっている。
「私は、自分の仕事をきわめて厳重に、もっばら理論的な分析にかぎらなければならなかったばかりでなく、政治についてやむをえずわずかばかり論及する場合にも、非常に用心深く、暗示でもって、すなわちイソップの言葉でもっていいあらわさなければならなかった」
 イソップの言葉とは、いうまでもなくギリシアの奴隷アイソーボスの言葉を指し、またの名を奴隷の言葉という。アイソーボスはかれの寓話のなかで、主人公の動物たちに託してかれの思想を説いた。それは、支配階級の目をごまかすための一種の妥協にほかならなかった。
レーニンの 『帝国主義論』 にもどっていえば - かれのイソップの言葉は、たとえばさきに引いた帝国主義の定義の直後に、かれが次のような注意を付け加えていることにも認められよう。
「もしたんに基本的な純経済的概念を念頭におくだけでなく、さらに、資本主義のこの段階が資本主義一般にたいしてもつ歴史的地位や、あるいは労働運動における二つの基本的傾向と帝国主義との関係をも念頭におくならば、帝国主義はこれとは別様に定義することができるし、また定義しなければならない」
かれなりにいえば、帝国主義は社会主義革命の前夜であり、また労働運動における社会改良主義の傾向は、社会主義への完全な裏切りであり、帝国主義と客観的に結びついている。

9:01 午後  
Blogger yoji said...

 しかし、さきに掲げたレーニンによる帝国主義の定義は、必ずしも純経済的なものではなく―すでに金融寡頭制、資本の輸出、国際的独占団体、最大の資本主義列強、地球の領土的分割といった、政治的ないしは国家的な概念を含むものであった。
 『帝国主義論』のフランス語版およびドイツ語版への序文でいわれるように、その書の任務が「世界資本主義経済の総括的様相が、二〇世紀の初頭に、その国際的相互関係においてどのようなものであったかをしめすこと」であり、その結論が「資本主義は、地上人口の圧倒的多数にたいする、ひとにぎりの『先進』諸国による植民地的抑圧と金融的絞殺とのための、世界体制に成長転化した」というものであったかぎり、それが経済学的のみならず、政治学的な分析でもなければならなかったことは必然だろう。
ヒルファディング『金融資本論』
ホブソン『帝国主義論』
 レーニン 『帝国主義論』は一面において、これら二著の綜合の書であった。『帝国主義論』の第8章「寄生性と資本主義の腐朽化」でレーニンは、「マルクス主義者ヒルファディングの欠点の一つは、彼が非マルクス主義者ホブソンにくらべて、この点で一歩後退していることである」と書き ― 帝国主義の寄生性の把握について、ヒルファディングを批判した。しかしかれは、「帝国主義のもっとも深い経済的基礎は独占である」ともいい、この点については、ヒルファディングの議論を高く評価していた。
 帝国主義に関するかれの五つの基本的標識のうち、
生産の集積と独占/ヒルファディング
金融資本と金融寡頭制/ヒルファディング
資本の輸出/ホブソン
資本家団体の問での世界の分割/ホブソン
列強の間での世界の分割/ホブソン
それぞれ依拠するものである。
 しかし他面、それが独自の見地に立つものであった。
『帝国主義論』でレーニンは、第1章「生産の集積と独占」から理論的に上向して、第2章「銀行とその新しい役割」を経て、第3章「金融資本と金融寡頭制」で金融資本を、次のように総括的に定義した。
「生産の集積、そこから発生する独占、銀行と産業との融合あるいは癒着 ― これが金融資本の発生史であり、金融資本の概念の内容である」。
このレーニンの定義は、一見厳密ではあるが - たとえばそこでは、産業資本の集積による独占と銀行資本の集積による独占とが平行関係として外的に接合されているにすぎず、必ずしも両者の内的連関は明らかにされていなかった。それはレーニンの金融資本の規定が、マルクスの資本一般の規定とほ異なり、「発生史」として行なわれたためであろう。
 もっとも『資本論』そのものに内在しても - それが、マルクスのいわゆる「原罪の物語」として、本源的蓄積論を必要としたことはしられるとおりであろう。第一部第七篇「資本の蓄積過程」第24章の「いわゆる本源的蓄積」で、マルクスは述べている。
「資本の蓄積は剰余価値を前提し、剰余価値は資本主義的生産を前提するが、資本主義的生産はまた商品生産者たちの手のなかにかなり大量の資本と労働力とがあることを前提する。だから、この全運動は一つの悪循環をなして回転するように見えるのであり、われわれがこの悪循環から逃げ出すためには、ただ、資本主義的蓄積に先行する『本源的』蓄積、すなわち資本主義的生産様式の結果ではなくその出発点である蓄積を想定するよりほかはない」
 それはいわば、『資本論』 の外在的発端をあつかう歴史的記述であった。
 同様の記述はそれに続く、第25章「近代植民理論」などにもみられるが - レーニンの『帝国主義論』にもどっていえば、それはさきに引いた金融資本規定から「資本の輸出」を介して導き出される「世界の分割」についても、「資本家団体の間での」経済的分割と「列強の間での」政治的分割とが平行関係として並置されているといった、理論的欠陥を残していた (それは、前述の産業資本と銀行資本の関係に対応する)。
 しかしそれは、一応マルクス『資本論』の方法に準拠しながら、実際には帝国主義をめぐる一種の歴史的記述であり、マルクスが「資本の前史」として本源的事績を記述したように、レーニンは「資本主義の最高の段階」として帝国主義を記述したのだが、そこに、マルクス『資本論』に対する、レーニン『帝国主義論』の方法的限界を認めるべきであろうか。
 少くともかれが、既存の体系にとらわれず、マルクス主義の現代化をはかったことはたしかであろう。20世紀初頭において『帝国主義論』が提示した資本主義諸列強による地球の領土的分割の規定は、同じく一種の歴史的規定であったが、それは、世界再分割戦争の不可避性を析出するうえで重要な根拠となるものであった。かくて第10章「帝国主義の歴史的地位」で、レーニンは帝国主義を、次のように最終的に規定した。
「帝国主義の経済的本質について以上のべたすべてのことから、帝国主義は過渡的な資本主義として、あるいはもっと正確にいえば、死滅しつつある資本主義として、特徴づけなければならないという結論が生じる」

9:05 午後  
Blogger yoji said...

http://web.nagaike-lecture.com/?month=200907
第四回長池講義 柄谷講義要綱
2009/3/28
柄谷行人

第四回長池講義 要綱

 歴史と反復            

 昨年から、100年に一度の経済危機とか、1929年以来の大恐慌だというようなことが盛んにいわれるようになった。おまけに、「資本主義はもう終る」などという声まで聞こえてくる。しかし、そんな危機は古い話だといってきた経済学者やジャーナリストが突然そういい始めるのはおかしい。それまで自分らが言ってきたことの誤謬については一切述べず、まるでこれが誰も予期できなかった自然災害であるかのように。しかし、恐慌やその後に来る不況は、資本主義にとって不可避的なものである。倒産や解雇という乱暴なやり方でしか、資本制生産は自己調整する方法をもたないのだ。だが、だからといって、資本主義が自動的に終るわけではない。資本と国家は何としてでも存続しようとするからだ。

 また、恐慌―不況―恐慌という景気循環にも短期的なものと長期的なものがある。マルクスが『資本論』で考察したのは、約一〇年周期の短期的なもの(ジュグラー波)である。それとは別に、五、六〇年周期の景気循環(コンドラチェフの長期波動)がある。さらに、それよりも長いブローデルの「長期的サイクル」が指摘されている。それに対して、ジョヴァンニ・アリギは、こうした長期波動は、物価の長期的変動の観察にもとづくものだから、近代資本主義以前にもあてはまるものでしかない。それでは、資本の蓄積(自己増殖)のシステムに固有の現象をとらえることができない、と述べている(『長い20世紀』土佐弘之監訳)。

 だが、私の考えでは、長期波動は、世界資本主義における基軸商品が交替する大きな変化に付随するものとして説明できる。現在の恐慌、そして長引く不況は、そのような種類のものである。とはいえ、今回のそれは、一九三〇年代のそれとは違っている。それを見るためには、資本主義経済の反復性だけでなく、国家の反復性を考慮にいれなければならない。

 もちろん、大規模な信用恐慌や不況という点では類似性がある。そんなことは誰でもわかる。しかし、その中身はまるで違うのだ。たとえば、一九二九年の恐慌とその後の不況の時代には、アメリカが世界経済のヘゲモニーを確立する道をたどった。一方、現在は、アメリカの没落がはっきりしたが、それに代わるヘゲモニー国家が存在せず、競合しあうような状態に向かっている。その意味で、これはむしろ大英帝国がヘゲモニー国家として衰退し、ドイツ・アメリカ・ロシア・日本などが競合しはじめた時期、つまり、一八八〇年代に似ている。

 また、現在の不況は一八七三年の恐慌からはじまった慢性不況に似ている。この慢性不況は鉄鋼などの重工業生産が主要な産業となったために生じたといってよい。このことは、他方で、それまで軽工業(繊維工業)を中心にしてヘゲモニーを握った大英帝国の没落を招いた。巨大な資本投下を要する重工業は、国家資本主義的なやりかたでなければやっていけないからだ。しかし、重工業は設備投資の割合が大きいため、一般的利潤率の低下が生じる。また、労働者の雇用が繊維工業ほど多くないために、失業率が増大する。国内で過剰となった資本は海外に向かった。そして、列強が市場と資源を確保しようと争うようになった。それが「帝国主義」と呼ばれている。これが第一次大戦に帰結したのである。

 それに比べて、一九三〇年代の不況は深刻ではあったが、現在と違って、その先に展望があったといえる。というのは、自動車や電気製品など耐久消費財の大量生産・大量消費(フォーディズム)の時代がはじまろうとしていたからである。しかるに、現在、そのような展望はない。むしろその結果としての環境破壊に悩まされているのだから。現在の技術革新は情報技術にあるが、それは通信や運輸という領域における労働時間の短縮によって利潤率を高めようとするものである。しかし、それは設備投資が増大するわりに人手を減らす。その点で、重工業が中心となった時代と似てくる。つまり、利潤率が低下し、労働者の雇用が減り消費が減退する。ここでは、一九三〇年代には有効であった、ケインズ主義的な需要喚起策は機能しない。そもそも、新自由主義あるいはグローバリゼーションは、ケインズ主義的福祉国家ではやっていけなくなったからこそ、はじまったのである。

 さらにいうと、一九三〇年代の不況は、ニューディールによって克服されたとはいえない。ドイツや日本はいうまでもないが、アメリカでも実際には、軍事的ケインズ主義しか機能しなかった。日米戦争の開始によって、はじめてアメリカの景気は回復したのである。このような軍需による経済回復(失業問題の解決)が戦争に帰結するのは避けられない。もし現在が一九三〇年代に似ているというなら、そして、その教訓から学ぶというのなら、そのことを想起したほうがよい。つまり、ニューディールなどは一度もうまくいったためしがないということを。

10:32 午後  
Blogger yoji said...

 私が過去を参照するのは、たんなる類似性からではない。資本と国家がそれぞれもつ反復性を見出すからだ。国家と資本の世界史的段階と反復性を簡単にまとめると、図のようになる。ここで、「帝国主義的」と「自由主義的」ということについて、一言説明を加えておく。これらは通常の意味とは異なっている。先ず、自由主義的とは、ヘゲモニー国家がとる政策の傾向である。ヘゲモニー国家は生産・商業・金融の三つの面で優位に立つ。ウォーラーステインによると、そのようなヘゲモニー国家は、近代の世界経済の中で三つしかなかった。オランダ、イギリス、そして、アメリカ(合衆国)である。また、それらが三つの面すべてにおいて優位に立つ期間は短い。ただ、生産部門でヘゲモニーを失っても、商業や金融の部門では長く維持する。オランダやイギリスもそうであったし、一九九〇年以後のアメリカもそうであった。アメリカの衰退は一九七〇年代にはじまっていたが、金融の部門における優位は揺るがなかった。アメリカが絶頂期にあるかのように錯覚した人が多かったのはそのためであろう。たとえば、ネグリ&ハートは、アメリカが唯一の「世界帝国」となったと主張した。しかし、一九九〇年以後にいよいよ明瞭になったのは、アメリカのヘゲモニーが失われ、多数の帝国(広域国家)が乱立するということであった。

 つぎに、「帝国主義的」とは、ヘゲモニー国家が衰退したが、それにとって代わるものがなく、次期のヘゲモニー国家を目指して、熾烈な競争をする時代である。一九九〇年以後はそのような時代である。いわゆる「新自由主義」は、アメリカがヘゲモニー国家として「自由主義的」であった時代(冷戦時代)が終わって、「帝国主義的」となったときに出てきた経済政策である。「帝国主義」時代のイデオロギーは、弱肉強食の社会ダーウィニズムであったが、「新自由主義」も同様である。事実、勝ち組・負け組、自己責任といった言葉が臆面もなく使われたのだから。しかし、アメリカの没落に応じて、ヨーロッパ共同体をはじめ、中国・インドなど広域国家(帝国)が各地に形成されるにいたった。

 では、アメリカの没落とともにはじまる、この「帝国主義」のあとは、どうなるのか。つまり、どの国がヘゲモニー国家となるのか。ウォーラーステインと同様に、近代世界システムの変遷を、ヘゲモニー国家の交替という観点から見たアリギは、中国がそうだという。アリギの考えでは、ヘゲモニー国家は、ジェノヴァ、オランダ、イギリス、アメリカという順におこった。それぞれ、初期の段階では、「生産拡大」の傾向があり、末期には「金融拡大」の傾向が見られる。アリギはこれを、資本の蓄積システムのサイクルという観点から見る。初期には交易や生産に投資することによって蓄積しようとするために、生産拡大が生じ、末期には、金融だけで蓄積しようとするために、金融拡大が生じる、というのである。

 しかし、基軸商品の交替という観点から見ると、この次に、今までのようなヘゲモニー国家が生まれることはありそうもない。それよりも、資本主義経済そのものが終わってしまう可能性がある。中国やインドの農村人口の比率が日本並みになったら、資本主義は終る。もちろん、自動的に終るのではない。その前に、資本も国家も何としてでも存続しようとするだろう。つまり、世界戦争の危機がある。

 そのように見ると、一九九〇年以後の状況が一八七〇年以後の状況と似ていることがわかる。この類似は、東アジアの文脈で見ると、もっと切実である。たとえば、現在東アジアで進行している事態は、一九三〇年代との比較で考えられてきた。確かに、中国・台湾、韓国・北朝鮮、ロシア、そして日本の間の関係において、戦前の問題が今なお大きな影を与えていることは疑いがない。しかし、それだけを見ていると、現在がいかに戦前と異なるかを見落とすことになる。たとえば、ロシアはソ連ではなく、旧ロシア帝国のようになっている。また、中国は戦前のように帝国主義的侵略にさらされて分裂している状態ではなく、今や政治・経済的に巨大な存在となっている。だが、それは一二〇年前の中国を考えれば、驚くほどのことでもない。

 当時、清朝は世界帝国であった。その周辺国である日本が旧体制を倒して開国したのに対して、朝鮮の李朝は親日的な開国派を弾圧し、清朝を宗主国として鎖国を維持しようとした。それが日本と清朝の対立、すなわち、日清戦争に帰結したのである。日本は近代国家・産業資本主義の体制を確立し、帝国主義的に転換しつつあった。とはいえ、この時期、清朝は巨大であるだけでなく、近代化した軍備をもっていた。ゆえに、日清戦争に際して、日本は清朝を非常に恐れていたのである。日清戦争の後に清朝が日本に譲渡したのが台湾である。現在の東アジアを見ると、日本、中国、台湾、韓国、北朝鮮、ロシアという構造になっているが、それは一二〇年前に形成されたものであり、しかも、それは一九三〇年代には無くなっていたのである。

 昨年来、私は、今後日本はどうすればよいかと、何度も聞かれた。私は「国家と資本」の立場からものを考えることはない。せいぜいいえるのは、日本が日清戦争の時期と同様に、アジアにつくか「脱亜」に向かうかという岐路に再び立つだろう、ということである。過去の日本が「脱亜」を選んで失敗したことはいうまでもない。だからといって、今度は「入亜」だ、というべきではない。私自身は、そのどちらでもあり、どちらでもないようなあり方を志向すべきだと考える。

  1750-1810 1810-1870 1870-1930 1930-1990 1990-
世界資本主義 後期重商主義 自由主義 帝国主義 後期資本主義 新自由主義
ヘゲモニー国家   英国   米国  
傾向 帝国主義的 自由主義的 帝国主義的 自由主義的 帝国主義的
資本 商人資本 産業資本 金融資本 国家独占資本 多国籍資本
世界商品 繊維産業 軽工業 重工業 耐久消費財 情報
国家 絶対主義王権 国民国家 帝国主義 福祉国家 地域主義
図:近代世界システムの歴史的段階

10:32 午後  
Blogger yoji said...

マルクスには恐慌待望論があるように
レーニンには戦争待望論がある
革命は他人の不幸頼みなのだ

11:01 午後  
Blogger yoji said...

矢内原段階論と宇野段階論 馬場宏二
http://www.unotheory.org/files/news_II-1_baba.pdf


I.矢内原の先駆性
矢内原論文の出現以前に、資本主義の発展諸段階を、重商主義・自由主義・帝国主義と括る試みが 存在したろうか?無論、F.リスト以来のドイツ歴史学派~社会政策学派の流れの中では、歴史を経済発 展段階別区分して捉えることは常道であり、区分の仕方や段階の名称にも論者による差があった3が、そ してそれは当時の日本の社会科学の世界―特にドイツ志向の強い帝国大学―では当然のように講義さ れていたはず4だが、この歴史学派的段階論には資本主義という概念がなく、当然、資本主義内部の段階 区分という発想はなかったと見て良い。強いて言えば、20世紀に入ってドイツ語圏で「資本主義」なる 語を広めたW.ゾンバルトが、資本主義以前と近世資本主義を大別した上で後者を初期資本主義・高度資
1 桜井毅・山ロ重克・柴垣和夫・伊藤誠編『宇野理論の現在と論点』社会評論社、未刊。
2 矢内原忠雄「世界経済発展過程としての植民史」、初出、矢作栄蔵序、山崎教授還暦祝賀記念『経済学研究 第一巻経済編』昭和四年十二月日本評論社(文末に「昭和三年十二月二十五日」とある)、のち矢内原忠雄『帝 国主義研究』1948 年白日書院に収録、『矢内原忠雄全集 第四巻』。また、矢内原忠雄・揚井克己『国際経済 論』,1954 年弘文堂第一部(矢内原)第二章の下敷きになっている。


重商主義前期。1492年コロンブスの地理上の発見から、1588年スペイン無敵艦隊の全滅まで。
重商主義後期。1588年スペイン艦隊全滅から1776年アメリカ合衆国独立まで。
オランダ独立、無敵 艦隊全滅等により、西葡両国の植民地独占は破壊され、代って蘭英仏三国が主たる植民国として争った。 スペイン継承戦争、七年戦争、ナポレオン戦争を経て、英国が覇者となった。


自由主義時代前期。1776年アメリカ合衆国独立から1823年モンロー主義宣言まで。自由主義時代は 産業資本の時代であり、その前期は産業革命期に相当する。本国で産業上政治上自由主義の気運を喚起 したが、植民地でも独占的経済政策に対する反抗が有力となり、ついにアメリカ合衆国が独立したばか りか、中南米のスペイン領植民地も1810年から1825年の間に相次いで独立した。独立諸国は再植民地化 を警戒し、共同で態度を表明した。1823年のモンロー主義宣言は諸植民地独立宣言の帰結であった。世 界の植民地は急減し、イギリスがフランス・オランダの植民地を併せて独占的植民国となったが、アメ リカ独立によって植民地領有の悲観論が盛んとなり、競争者がないことが領有熱を冷却させた。
自由主義時代後期。1823年モンロー主義宣言から1878年ベルリン会議まで。


帝国主義前期。1878年ベルリン会議16より1914年世界大戦開始まで。
帝国主義後期。1914年第一次世界大戦開始以後

1:11 午前  
Blogger yoji said...

資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
_________________________________________
      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
______|______|______|______|______|______
世界資本主義|後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
______|______|______|______|______|______
覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
______|______|_____________|_____________
経済政策  |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
______|______|_______\_____|_______\_____
資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
______|______|______|______|______|______
世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム)
______|______|______|______|______|______
国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
______|______|______|______|______|______
対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
______|______|__1848_\_____|__1968_\_____
宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命
                          国際連盟
商業資本、商人資本(G―W―G') 
           高利貸資本、金融資本(G…G')
    生産資本、産業資本(G - W ... P ... W' - G')

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変(彩色)。

1:13 午前  
Blogger yoji said...

16 ベルリン会議について、矢内原は不思議なことに全く説明しておらず、画期とした理由が判らない。宇野 も取り上げていない。有力な政治史家は、露土戦争に勝ったロシアがバルカン半島に強い影響力を持つに至 ったのにオーストリア=ハンガリーとイギリスが反発して戦争の危険が生じたのを、関係四国にドイツ・イ タリー・フランスを加えた諸国でロシアの膨張を抑制した、「19 世紀後半におけるヨーロッパ協調の最も代 表的な例」(岡義武『国際政治史』1955 年岩波書店、127 ページ)と述べており、自由主義から帝国主義への 画期と捉え得るかどうか疑問が残る。

1:15 午前  
Blogger yoji said...


重商主義前期。1492年コロンブスの地理上の発見から、1588年スペイン無敵艦隊の全滅まで。
重商主義後期。1588年スペイン艦隊全滅から1776年アメリカ合衆国独立まで。


自由主義時代前期。1776年アメリカ合衆国独立から1823年モンロー主義宣言まで。
自由主義時代後期。1823年モンロー主義宣言から1878年ベルリン会議まで。


帝国主義前期。1878年ベルリン会議16より1914年世界大戦開始まで。
帝国主義後期。1914年第一次世界大戦開始以後

1:19 午前  
Blogger yoji said...

矢内原段階論と宇野段階論 馬場宏二
http://www.unotheory.org/files/news_II-1_baba.pdf

重商主義前期。1492年コロンブスの地理上の発見から、1588年スペイン無敵艦隊の全滅まで。
重商主義後期。1588年スペイン艦隊全滅から1776年アメリカ合衆国独立まで。


自由主義時代前期。1776年アメリカ合衆国独立から1823年モンロー主義宣言まで。
自由主義時代後期。1823年モンロー主義宣言から1878年ベルリン会議まで。


帝国主義前期。1878年ベルリン会議より1914年世界大戦開始まで。
帝国主義後期。1914年第一次世界大戦開始以後

1:20 午前  
Blogger yoji said...

http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2013/02/post-0343.html
これまでの社会主義論では、国家との仲立ちに「党」が介在して、そうでないものは無政府主義ということになって、社会主義にあらずとされた訳だが、党主体の社会主義の経過と現状をみれば、そうである限り社会主義は国家主義と縁が切れない。かつて社会主義とは「党」が介在することが当たり前のように考えられていた訳だが、それは謂わば後知恵で、レーニン主義以前はそうではなかった。例えば、堺利彦の社会主義など、1914年に書かれた「大杉君と僕」という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派は(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

日本の社会主義運動は平民社に始まり、やがて三つの流れになったと書く訳だが、その三つの流れは対立している訳ではない。「幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である」訳で、堺利彦にあっては、社会主義と無政府主義は濃淡のボカシをもって連続しているのである。

同様に、「表の左端なる無政府的個人主義者中の、宗数的文芸的なる逃避者耽溺者(日本現時文芸家の多数)を取って考える時には、表の右端なる個人主義の下に付記したる、平和無害なる独善独楽家とすこぶるよく相似ていることを発見する」というふうにつながっている。永井荷風の『断腸亭日乗』を読んでいたら、永井荷風が銀座のカフェで辻潤にからまれて逃げ出すという話があったが、堺利彦流に解釈すれば、永井荷風と辻潤はそうちがう訳ではない。私はどちらも好きである。

宇野弘蔵の『「資本論」五十年』上5頁 によれば、宇野弘蔵の社会主義入門は、中学から高校にかわる頃に大杉栄の『生の闘争』に堺利彦が書いた「大杉君と僕」という序文を読んでからということで、そこには「社会主義鳥瞰図」が添付されており、宇野弘蔵の『「資本論」五十年』はここから語りだされている。

4:46 午前  
Blogger yoji said...

社会主義鳥瞰図(堺利彦『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より)


     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_    /政友会              |
           \_資本家主義____|  | 同志会              |
           /          |  | 国民党              |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| / \中正会              |
                       /                    |
国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派___ロイド・ジョージ          |
      \                                     |
       労働組合主義__非政治派______________________   |
              \政治派____                   |  |
                      \_____英国労働党_安部     |  |
                      /            _ゾラ   |  |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
    \                                    |  |
     \_マルクス派、正当派、非提携派、非入閣派_____堺___ゴルキー  |  |   
     /                       \           |  |
    /                         \_リープクネヒト  |  |
共産主義   直接行動派、シンデカリスト、非議会派_____/          |  |
                        |\_______________|  |
無政府共産主義__クロポトキン________大杉                   |
                        |                   |
個人的無政府主義ーースチルネル、ニイチェ_   |                   |
          トルストイ、イブセン \__|___________________|
          日本現時文芸家の多数_/

6:51 午前  
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社会主義鳥瞰図(堺利彦『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より)


     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_    /政友会              |
           \_資本家主義____|  | 同志会              |
           /          |  | 国民党              |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| / \中正会              |
                       /                    |
国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派___ロイド・ジョージ          |
      \                                     |
       労働組合主義__非政治派______________________   |
              \政治派____                   |  |
                      \_____英国労働党_安部     |  |
                      /            _ゾラ   |  |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
    \                                    |  |
     \_マルクス派、正当派、非提携派、非入閣派_____堺___ゴルキー  |  |   
     /                        \_リープクネヒト  |  |
共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派_____/          |  |
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無政府共産主義__クロポトキン________大杉                   |
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個人的無政府主義ーースチルネル、ニイチェ_   |                   |
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http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2013/02/post-0343.html
これまでの社会主義論では、国家との仲立ちに「党」が介在して、そうでないものは無政府主義ということになって、社会主義にあらずとされた訳だが、党主体の社会主義の経過と現状をみれば、そうである限り社会主義は国家主義と縁が切れない。かつて社会主義とは「党」が介在することが当たり前のように考えられていた訳だが、それは謂わば後知恵で、レーニン主義以前はそうではなかった。例えば、堺利彦の社会主義など、1914年に書かれた「大杉君と僕」という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派は(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

日本の社会主義運動は平民社に始まり、やがて三つの流れになったと書く訳だが、その三つの流れは対立している訳ではない。「幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である」訳で、堺利彦にあっては、社会主義と無政府主義は濃淡のボカシをもって連続しているのである。

同様に、「表の左端なる無政府的個人主義者中の、宗数的文芸的なる逃避者耽溺者(日本現時文芸家の多数)を取って考える時には、表の右端なる個人主義の下に付記したる、平和無害なる独善独楽家とすこぶるよく相似ていることを発見する」というふうにつながっている。永井荷風の『断腸亭日乗』を読んでいたら、永井荷風が銀座のカフェで辻潤にからまれて逃げ出すという話があったが、堺利彦流に解釈すれば、永井荷風と辻潤はそうちがう訳ではない。私はどちらも好きである。

宇野弘蔵の『「資本論」五十年』上5頁 によれば、宇野弘蔵の社会主義入門は、中学から高校にかわる頃に大杉栄の『生の闘争』に堺利彦が書いた「大杉君と僕」という序文を読んでからということで、そこには「社会主義鳥瞰図」が添付されており、宇野弘蔵の『「資本論」五十年』はここから語りだされている。

6:52 午前  
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堺利彦「社会主義鳥瞰図」(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より)


     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_    /政友会              |
           \_資本家主義____|  | 同志会              |
           /          |  | 国民党              |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| / \中正会              |
                       /                    |
国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派___ロイド・ジョージ          |
      \                                     |
       労働組合主義__非政治派______________________   |
              \政治派____                   |  |
                      \_____英国労働党_安部     |  |
                      /            _ゾラ   |  |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
    \                                    |  |
     \_マルクス派、正当派、非提携派、非入閣派_____堺___ゴルキー  |  |   
     /                        \_リープクネヒト  |  |
共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派_____/          |  |
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無政府共産主義___クロポトキン_______大杉                   |
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個人的無政府主義ーースチルネル、ニイチェ_   |                   |
          トルストイ、イブセン \__|___________________|
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これまでの社会主義論では、国家との仲立ちに「党」が介在して、そうでないものは無政府主義ということになって、社会主義にあらずとされた訳だが、党主体の社会主義の経過と現状をみれば、そうである限り社会主義は国家主義と縁が切れない。かつて社会主義とは「党」が介在することが当たり前のように考えられていた訳だが、それは謂わば後知恵で、レーニン主義以前はそうではなかった。例えば、堺利彦の社会主義など、1914年に書かれた「大杉君と僕」という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派は(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

日本の社会主義運動は平民社に始まり、やがて三つの流れになったと書く訳だが、その三つの流れは対立している訳ではない。「幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である」訳で、堺利彦にあっては、社会主義と無政府主義は濃淡のボカシをもって連続しているのである。

同様に、「表の左端なる無政府的個人主義者中の、宗数的文芸的なる逃避者耽溺者(日本現時文芸家の多数)を取って考える時には、表の右端なる個人主義の下に付記したる、平和無害なる独善独楽家とすこぶるよく相似ていることを発見する」というふうにつながっている。永井荷風の『断腸亭日乗』を読んでいたら、永井荷風が銀座のカフェで辻潤にからまれて逃げ出すという話があったが、堺利彦流に解釈すれば、永井荷風と辻潤はそうちがう訳ではない。私はどちらも好きである。

6:55 午前  
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堺利彦「社会主義鳥瞰図」(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より)


     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_    /政友会              |
           \_資本家主義____|  | 同志会              |
           /          |  | 国民党              |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| / \中正会              |
                       /                    |
国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派___ロイド・ジョージ          |
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       労働組合主義__非政治派______________________   |
              \政治派____                   |  |
                      \_____英国労働党_安部     |  |
                      /            _ゾラ   |  |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
    \                                    |  |
     \_マルクス派、正当派、非提携派、非入閣派_____堺___ゴルキー  |  |   
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共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派_____/          |  |
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無政府共産主義____クロポトキン______大杉                   |
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          _スチルネル、ニイチェ_  |                   |
個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|___________________|
         \_日本現時文芸家の多数_/

7:03 午前  
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堺利彦「社会主義鳥瞰図」(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より)


     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_    /政友会              |
           \_資本家主義____|  | 同志会              |
           /          |  | 国民党              |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| / \中正会              |
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国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派___ロイド・ジョージ          |
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       労働組合主義__非政治派______________________   |
              \政治派____                   |  |
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                      /            _ゾラ   |  |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
    \                                    |  |
     \_マルクス派、正当派、非提携派、非入閣派_____堺___ゴルキー  |  |   
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共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派_____/          |  |
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無政府共産主義____クロポトキン______大杉                   |
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個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|___________________|
         \_日本現時文芸家の多数_/


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これまでの社会主義論では、国家との仲立ちに「党」が介在して、そうでないものは無政府主義ということになって、社会主義にあらずとされた訳だが、党主体の社会主義の経過と現状をみれば、そうである限り社会主義は国家主義と縁が切れない。かつて社会主義とは「党」が介在することが当たり前のように考えられていた訳だが、それは謂わば後知恵で、レーニン主義以前はそうではなかった。例えば、堺利彦の社会主義など、1914年に書かれた「大杉君と僕」という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派は(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

7:04 午前  
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堺利彦「社会主義鳥瞰図」
(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より。本来は縦書き)


     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_    /政友会              |
           \_資本家主義____|  | 同志会              |
           /          |  | 国民党              |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| / \中正会              |
                       /                    |
国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派___ロイド・ジョージ          |
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       労働組合主義__非政治派______________________   |
              \政治派____                   |  |
                      \_____英国労働党_安部     |  |
                      /            _ゾラ   |  |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
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共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派_____/          |  |
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無政府共産主義____クロポトキン______大杉                   |
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個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|___________________|
         \_日本現時文芸家の多数_/


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これまでの社会主義論では、国家との仲立ちに「党」が介在して、そうでないものは無政府主義ということになって、社会主義にあらずとされた訳だが、党主体の社会主義の経過と現状をみれば、そうである限り社会主義は国家主義と縁が切れない。かつて社会主義とは「党」が介在することが当たり前のように考えられていた訳だが、それは謂わば後知恵で、レーニン主義以前はそうではなかった。例えば、堺利彦の社会主義など、1914年に書かれた「大杉君と僕」という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派は(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

4:36 午後  
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堺利彦「社会主義鳥瞰図」
(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より。本来は縦書き)


     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_    /政友会              |
           \_資本家主義____|  | 同志会              |
           /          |  | 国民党              |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| / \中正会              |
                       /                    |
国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派___ロイド・ジョージ          |
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       労働組合主義__非政治派______________________   |
              \政治派____                   |  |
                      \_____英国労働党___安部   |  |
                      /            _ゾラ   |  |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
    \                                    |  |
     \_マルクス派、正当派、非提携派、非入閣派______堺___ゴルキー |  |   
     /                        \__リープクネヒト |  |
共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派_____/          |  |
                        |\\______________|  |
無政府共産主義____クロポトキン______大杉 \______オスカァ・ワイルド  |
                        |       \アナトル・フランス  |
          _スチルネル、ニイチェ_  |                   |
個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|___________________|
         \_日本現時文芸家の多数_/


http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2013/02/post-0343.html
これまでの社会主義論では、国家との仲立ちに「党」が介在して、そうでないものは無政府主義ということになって、社会主義にあらずとされた訳だが、党主体の社会主義の経過と現状をみれば、そうである限り社会主義は国家主義と縁が切れない。かつて社会主義とは「党」が介在することが当たり前のように考えられていた訳だが、それは謂わば後知恵で、レーニン主義以前はそうではなかった。例えば、堺利彦の社会主義など、1914年に書かれた「大杉君と僕」という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派は(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

4:46 午後  
Blogger yoji said...


堺利彦「社会主義鳥瞰図」
(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より。本来は縦書き)


     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_    /政友会              |
           \_資本家主義____|  | 同志会              |
           /          |  | 国民党              |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| / \中正会              |
                       /                    |
国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派___ロイド・ジョージ          |
      \                                     |
       労働組合主義__非政治派______________________   |
              \政治派____                   |  |
                      \_____英国労働党___安部   |  |
                      /            _ゾラ   |  |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
    \                                    |  |
     \_マルクス派、正当派、非提携派、非入閣派______堺___ゴルキー |  |   
     /                        \__リープクネヒト |  |
共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派_____/          |  |
                        |\\______________|  |
無政府共産主義____クロポトキン______大杉 \______オスカァ・ワイルド  |
                        |       \アナトル・フランス  |
          _スチルネル、ニイチェ_  |                   |
個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|___________________|
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http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2013/02/post-0343.html
これまでの社会主義論では、国家との仲立ちに「党」が介在して、そうでないものは無政府主義ということになって、社会主義にあらずとされた訳だが、党主体の社会主義の経過と現状をみれば、そうである限り社会主義は国家主義と縁が切れない。かつて社会主義とは「党」が介在することが当たり前のように考えられていた訳だが、それは謂わば後知恵で、レーニン主義以前はそうではなかった。例えば、堺利彦の社会主義など、1914年に書かれた「大杉君と僕」という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

4:48 午後  
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堺利彦「社会主義鳥瞰図」
(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より。本来は縦書き)

     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_    /政友会              |
           \_資本家主義____|  | 同志会              |
           /          |  | 国民党              |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| / \中正会              |
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国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派___ロイド・ジョージ          |
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       労働組合主義__非政治派______________________   |
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                      /            _ゾラ   |  |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
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共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派/_______________|  |
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無政府共産主義____クロポトキン______大杉 \_____オスカァ・ワイルド   |
                        |      \アナトル・フランス   |
          _スチルネル、ニイチェ_  |                   |
個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|___________________|
         \_日本現時文芸家の多数_/


http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2013/02/post-0343.html
これまでの社会主義論では、国家との仲立ちに「党」が介在して、そうでないものは無政府主義ということになって、社会主義にあらずとされた訳だが、党主体の社会主義の経過と現状をみれば、そうである限り社会主義は国家主義と縁が切れない。かつて社会主義とは「党」が介在することが当たり前のように考えられていた訳だが、それは謂わば後知恵で、レーニン主義以前はそうではなかった。例えば、堺利彦の社会主義など、1914年に書かれた「大杉君と僕」という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

4:51 午後  
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堺利彦「社会主義鳥瞰図」
(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より。本来は縦書き)

     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_       /政友会           |
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国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| /    \中正会           |
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国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派_____ロイド・ジョージ        |
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       労働組合主義__非政治派______________________   |
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社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
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共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派/_______________|  |
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無政府共産主義____クロポトキン______大杉 \_____オスカァ・ワイルド   |
                        |      \アナトル・フランス   |
          _スチルネル、ニイチェ_  |                   |
個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|___________________|
         \_日本現時文芸家の多数_/


http://daruma3.cocolog-nifty.com/nh/2013/02/post-0343.html
これまでの社会主義論では、国家との仲立ちに「党」が介在して、そうでないものは無政府主義ということになって、社会主義にあらずとされた訳だが、党主体の社会主義の経過と現状をみれば、そうである限り社会主義は国家主義と縁が切れない。かつて社会主義とは「党」が介在することが当たり前のように考えられていた訳だが、それは謂わば後知恵で、レーニン主義以前はそうではなかった。例えば、堺利彦の社会主義など、1914年に書かれた「大杉君と僕」という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

4:55 午後  
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堺利彦「社会主義鳥瞰図」
(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より。本来は縦書き)

     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_       /政友会           |
           \_資本家主義____|     | 同志会           |
           /          |  ___| 国民党           |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| /    \中正会           |
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国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派_____ロイド・ジョージ        |
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       労働組合主義__非政治派______________________   |
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社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
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共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派/_______________|  |
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無政府共産主義____クロポトキン______大杉 \_____オスカァ・ワイルド   |
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個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|___________________|
         \_日本現時文芸家の多数_/


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1914年に書かれた「大杉君と僕」(堺利彦)という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

4:56 午後  
Blogger yoji said...

堺利彦「社会主義鳥瞰図」
(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より。本来は縦書き)

     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家_____________________
    /                                       |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_       /政友会           |
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国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| /    \中正会           |
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国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派_____ロイド・ジョージ        |
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       労働組合主義__非政治派______________________   |
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                      /            _ゾラ   |  |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派______ジョーレス_/_ショウ  |  |
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共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派/_______________|  |
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無政府共産主義____クロポトキン______大杉 \_____オスカァ・ワイルド   |
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個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|___________________|
         \_日本現時文芸家の多数_/


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1914年に書かれた「大杉君と僕」(堺利彦)という文章には、以下のように社会主義が解説されている。

「日本の社会主義運動に三派の別が生じていた。今でもボンヤリその形が残っている。
 一、温和派(あるいは修正派)
 一、マルクス派(あるいは正純派)
 一、直接行動派(あるいは無政府的社会主義)
 これを人について言えば、安部磯雄君は右翼に属し、幸徳秋水君は左翼に属し、僕自身は中間派に属していた。そのうち、幸徳君は殺されたが、安部君と僕とはほぼ昔のままの立場で続いている。そして今日、幸徳君の立場を継承している者は、すなわち大杉栄君である。・・・ すべて主義態度の範囲はそう明瞭に区分することのできるものではない。実際運動に当たっては、種々の便宜上、どこかに一線を画して、党派団体の区分をつけるけれど、理論の上から見る時には、あらゆる思想はみな濃淡のボカシをもって連続しているのである。この関係をやや明瞭に示すため、左に一つの表を作ってみる」

というふうにあり、上図のような「社会主義鳥瞰図」が載っている。

4:57 午後  
Blogger yoji said...

堺利彦「社会主義鳥瞰図」
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堺利彦「社会主義鳥瞰図」
(堺利彦「大杉君と僕」『生の闘争』序文、宇野弘蔵『資本論五十年』上6頁より。本来は縦書き)

     守銭奴__隠遁者__風流人__遊蕩家___________________
    /                                     |
個人主義___自由主義__旧自由党、改進党_      /政友会          |
           \_資本家主義____|    | 同志会          |
           /          |  __| 国民党          |
国家主義___帝国主義__藩閥官僚_____| /   \中正会          |
                       /                  |
国家社会主義_社会改良主義_____社会政策派_____ロイド・ジョージ      |
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       労働組合主義__非政治派_____________________  |
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                      /           _ゾラ   | |
社会主義   穏健派、修正派、提携派、入閣派_____ジョーレス_/_ショウ  | |
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共産主義/  直接行動派、シンデカリスト、非議会派/______________| |
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無政府共産主義____クロポトキン______大杉 \____オスカァ・ワイルド  |
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個人的無政府主義_/ トルストイ、イブセン \_|_________________|
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5:22 午後  
Blogger yoji said...

矢内原は帝国主義を無意識の意識化とうまい説明をしている

物自体が無意識なのだろう

4,157頁

8:13 午後  
Blogger yoji said...

表「世界資本主義の諸段階」は定本第5巻、52頁に初出。

全4段の簡潔なもの

11:18 午後  
Blogger yoji said...

宇野弘蔵.UNO Kozo,❸T.31,391,399(「世界資本主義の共時的構造」),441,498,502,504,
 『恐慌論』,❸T.502,
 『経済原論』,❸T.502,
 「資本主義の成立と農村分解の過程」,❸T.504

第五巻に宇野の名前はない

11:20 午後  
Blogger yoji said...

  __________アジア__________
 |2          |          3|
 |           |           | 
 |           |           | 
 |   帝国主義    |   アジア主義   |  
 |           |           |           
 |           |           |     
国|           |           |民
 |___________|___________|
権|           |           |権  
 |           |           |          
 |           |           |       
 |  ブルジョア国家  |   民主主義    |          
 |           |  (社会主義)   |          
 |           |           |          
 |1          |          4|          
 |___________|___________|
            西 洋

定本『歴史と反復』70頁参照。
1と3の位置を変えて座標を入れ換えた。

 _______________________
|           |           |
|           |           | 
|           |           | 
|   国家      | ネーション     |  
|   B       | A         |           
|           |           |     
|           |           |平
|___________|___________|
|           |           |等   
|           |           |          
|           |           |       
|   資本      | アソシエーション  |          
|   C       | D   X     |          
|           |           |          
|           |           |          
|___________|___________|
           自 由

『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。

11:32 午後  
Blogger yoji said...

表「世界資本主義の諸段階」は定本第5巻、52頁に初出。

全4段の簡潔なもの


明治維新、昭和維新、日本の文脈の説明がある

12:09 午前  
Blogger yoji said...

まだ120年周期説ではない

12:10 午前  
Blogger yoji said...

http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704318.html
長い20世紀―資本、権力、そして現代の系譜 [著]ジョヴァンニ・アリギ
2009年03月29日
柄谷行人(哲学者)



著者:ジョヴァンニ・アリギ、土佐弘之  出版社:作品社 価格:¥ 5,460
■米国の衰退、兆候は70年代から

 サブプライムローンの破綻(はたん)をきっかけにしたアメリカの金融危機と世界的不況は、不意打ちであるかのように見えた。人々はにわかに1929年恐慌を想起し、また、アメリカの没落を認めるようになった。しかし、1994年に出版された本書にはすでに、なぜアメリカが金融帝国に向かったか、そして、それがなぜアメリカの衰退の兆候でしかなかったかが告げられている。たんに混乱をあおるだけで何の洞察もない本や雑誌を読みあさるなら、せめて、こういう本に目を通すべきであろう。
 本書は、近代世界システムの変遷を、ヘゲモニー国家の交替(こうたい)という観点から見ている。それは、ジェノヴァ、オランダ、イギリス、アメリカという順におこった。それらを比較考察して、著者はつぎのような法則性を見いだす。初期の段階では、「生産拡大」の傾向があり、末期には「金融拡大」の傾向が見られる。著者はこれを、資本の蓄積システムのサイクルという観点から見る。初期には交易や生産に投資することによって蓄積しようとするために、生産拡大が生じ、末期には、金融だけで蓄積しようとするために、金融拡大が生じる、というのである。
 著者は、アナール学派の歴史家ブローデルを継承しつつ「近代世界システム」を解明してきた、ウォーラーステインの共同研究者であった。ゆえに、類似する点が多いのは当然である。このようなサイクルに関しても、似たようなことが指摘されてきた。コンドラチェフの長期波動(景気循環)や、それよりも長いブローデルの「長期的サイクル」が、その例である。だが、それらは、物価の長期的変動の観察にもとづくものだから、近代資本主義以前にもあてはまる。それでは、資本の蓄積(自己増殖)のシステムに固有の現象をとらえることができない、と著者はいう。
 恐慌(危機)はふつう「過剰生産」という観点からみられる。しかし、マルクスは「過剰資本」の危機をも考察していた。それは、資本が生産や貿易への投資では十分な利潤率を得られないときに生じる。そこから見ると、現在の危機が1970年代からはじまったことがわかる。アメリカは製造業において日本やドイツに追いつめられ、「過剰資本」の処理に苦しんで、世界各地にバブルをおこし、最後の住宅バブルで致命的な破綻にいたったのである。しかし、これは特に新しい出来事ではない。ジェノヴァ、オランダ、イギリスが没落しはじめたときにも、似たような現象があった。
 では、アメリカの没落のあとはどうなるのか。著者は、東アジアの経済にヘゲモニーが移ると予測する。本書では1980年代に構想されたせいで、日本が中心になっているが、「日本語版序文」では、それを修正して、中国を中心にしている。いずれにせよ、東アジアへのヘゲモニーの移動はスムースに起こるわけではない。アメリカやヨーロッパが抵抗するに決まっているからだ。今後に生じるのは、各地の帝国(広域国家)がせめぎあう、いわば、新帝国主義の時代である。
 評・柄谷行人(評論家)
     *
 土佐弘之監訳、作品社・5460円/Giovanni Arrighi 37年イタリア生まれ、米国在住の社会学者。現在はジョン・ホプキンス大教授。世界システム論の代表的論者の一人。

12:14 午前  
Blogger yoji said...

  ナポレオンの敗北 坂本龍馬 ヒトラーの敗北


矢内原段階論と宇野段階論 馬場宏二
http://www.unotheory.org/files/news_II-1_baba.pdf

重商主義前期。1492年コロンブスの地理上の発見から、1588年スペイン無敵艦隊の全滅まで。
重商主義後期。1588年スペイン艦隊全滅から1776年アメリカ合衆国独立まで。


自由主義時代前期。1776年アメリカ合衆国独立から1823年モンロー主義宣言まで。
自由主義時代後期。1823年モンロー主義宣言から1878年ベルリン会議まで。


帝国主義前期。1878年ベルリン会議より1914年世界大戦開始まで。
帝国主義後期。1914年第一次世界大戦開始以後

2:01 午前  
Blogger yoji said...

バッハの死 ナポレオンの敗北 坂本龍馬 ヒトラーの敗北 ジョン・レノン


矢内原段階論と宇野段階論 馬場宏二
http://www.unotheory.org/files/news_II-1_baba.pdf

重商主義前期。1492年コロンブスの地理上の発見から、1588年スペイン無敵艦隊の全滅まで。
重商主義後期。1588年スペイン艦隊全滅から1776年アメリカ合衆国独立まで。


自由主義時代前期。1776年アメリカ合衆国独立から1823年モンロー主義宣言まで。
自由主義時代後期。1823年モンロー主義宣言から1878年ベルリン会議まで。


帝国主義前期。1878年ベルリン会議より1914年世界大戦開始まで。
帝国主義後期。1914年第一次世界大戦開始以後

2:33 午前  
Blogger yoji said...

2011-01-16

十年前の「群像」を読んだ。柄谷行人と村上龍の対談。
柄谷行人, 蓮實重彦, 平野啓一郎, ほ, 東浩紀, 村上龍, 温故 | 01:15 |

 十年前の一月号には「群像」と「文学界」が柄谷行人の対談や鼎談を載せた。どちらも良い。NAM を始めた頃で、柄谷の発言は意気軒昂としている。それとはあまり関係無い部分を引用しよう。もちろん、NAM を始めたという文脈で語っていることではある。「群像」の「時代閉塞の突破口」で、相手は村上龍だ。

 自然主義は文学史の概念で、いろいろ議論はあるけど(略)、今まで君がやってきたようなこと、他の作家も皆やっていること、これを自然主義と呼んだほうがいい。要するに、ネガティブなことだけを描く。しかし、そのことが結果的に国家への対抗になっているのだ、と。私小説もそうです。自分の病理的な世界を書く、しかし、それが同時に世界の病理であり、その「鏡」になっているのだ、というわけです。だから、、何を書いても許されるし、くだらない自己暴露が妙に評価されたりする。石川啄木が「時代閉塞」と呼んでいるのは、大逆事件後の状況ではなくて、「時代の弱点を共有する」文学の状況です。本当はその「鏡」から出ることが大切ではないか。でも、出方が難しい。第一に、それは文学的に評価されないという覚悟をしないとだめです。あのころ、それをやったのは、みんなばかにするけど、武者野小路実篤ですね。たとえば、彼は「新しき村」をやった。君の小説だって「新しき村」ですよ(笑)。

 ずっと十年前の記事を読み続けてきて思うのは、いまを考える適当な材料だということである。「新しき村」の方がNAM より続いたなあと思わせるほか、東浩紀の「思想地図」が「文学的に評価されないという覚悟」にもとづくことを連想した。また、平野啓一郎が先月号の「新潮」に書いた「フィクションの倫理」の「純文学は確かに、社会に盛られた0・01%の毒である」なんてのも「ネガティブなことだけを描く」の一例だろう。ポジティブなものは価値を認められない。たとえば、「君の小説」は『希望の国のエクソダス』のことだ。村上には同時期に出た『共生虫』がある。谷崎賞を得たのは病んでる後者だったことを、二人は「自然主義」の風潮として挙げている。ポジティブとは、はっきり提示できる主題を持っている、ということだ。

柄谷 台湾の侯考賢の「非情城市」を見たときに、この人ははっきり主題を持っていて、この映画で台湾の運命を描いている。(略)とにかく、彼の主題は明白です。僕がその映画を見に行ったときに、パンフレットみたいなのを見たら、蓮實重彦が、ここのアングルは小津の引用だとか、そういうことしか書いてないんですよ。
村上 本当ですか。
柄谷 監督は明らかに、そのような主題なしにこの映画を作らなかっただろう。技術的な問題は映画監督なら当たり前のことですよ。しかし、蓮實重彦は主題など見るのは素人だ、おれはそんなバカではないという感じで書いていた。しかし、アングルがどうのこうのなんて、そんなもの映画をつくっている人間から見たらカスみたいな話ですよ。(略)小説でも同じことですが。日本の映画がなぜだめかというと、主題がないからだ、(略)。
村上 主題を否定することで、何かそこに価値があるという倒錯は至るところにありますね。

 柄谷が読んだ蓮實の文章は『映画に目が眩んで』に入ってるやつだろうか。だとしたら、ちょっと不当な気がする。むしろ、私が前回の更新で扱った『ゴダール・ソシアリスム』の時評にふさわしい。更新した直後にこの対談を読んでやっと自分の不満に納得のいった次第である。

 似たようなことを柄谷は講演か対談などで発言していたはずだ。何だったか忘れた。とにかく、批評家が小説に関して描写など技術的な点を論ずる必要は無い、技術的なことなら小説家の方がずっと詳しい、批評家の仕事は考えることなのだ、という話だった。渡部直己みたいなのを批判したんだろうか。私は、クラシック音楽の批評家が演奏や録音の技術について専門的なこと書いたのを読まされるのが不愉快である。


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5:09 午前  
Blogger yoji said...

イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724年4月22日 - 1804年2月12日)

カール・ハインリヒ・マルクス(ドイツ語: Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 - 1883年3 月14日)

5:23 午前  
Blogger yoji said...

柄谷 行人(からたに こうじん、1941年8月6日 - )

5:26 午前  
Blogger yoji said...

カントとマルクス、カラタニは
自由主義かや帝国主義への移行に際して体系で対抗した

11:19 午前  
Blogger yoji said...

189 『資本論』は資本主義経済が「信用の体系」だということを論じている 12/27(金)17:02 0
[試験のために読んだ]鈴木鴻一郎の『経済学原理』で、はじめてその体系性がわかったのです。

 ふつう『資本論』というと、第一巻・第二巻しか読まないですね。ルカーチもアルチュセールも、
第三巻を読んでいない。少なくとも精読していないということは明らかです。じつは僕もそうだった。
試験があるから、精読してはじめて『資本論』が体系的な著作であることに気づいたのです。

 第三巻は信用過程を論じています。第一巻・第二巻しか読まないと、『資本論』が、資本主義
経済が「信用の体系」だということを論じていることがわからないのです。ふつうは、第一巻を
読んで、資本は労働者から剰余価値を搾取しているというようなことで、資本主義を理解する。
そして、マルクスはそういうことを書いているのだと思う。しかし、その程度のことなら、マルクス
以前のリカード左派の人たちが書いています。彼らは「搾取」や「賃金奴隷」という言葉も使って
いた。マルクスの独自性は、そういうところにはないのです。

(略)

たとえば、ある商品が、実際に売れるまで待っていたのでは、つぎの生産ができない。だから、
売れたことにして、事を進める。その時に、手形が使われます。これが信用です。

 信用によって、交換が増大し拡大する、だから、資本主義経済は、根本的に信用にもとづく
のです。資本主義経済は、無数の信用の関係の網目からできている。そこに、いったんほころび
ができると、がたがたになる。それが「危機」(恐慌)です。信用にもとづくヴァーチャルな世界が
壊れるからです。もっとも、これによって資本主義が崩壊するわけではない。不況になるだけ
です。その間に不良企業が淘汰される。そして、徐々に好況に向かう。
190 社会主義は、倫理的な問題だ 12/27(金)17:04 0
一般にマルクス主義者は、恐慌は資本主義の崩壊、社会主義の到来をもたらすと考えますが、
宇野弘蔵はちがった。彼は、『資本論』に書かれているのは、恐慌の必然性である、しかし、
それは革命の必然性や社会主義の必然性ではないのだ、といったわけです。資本主義は、
「労働力商品」という特殊な商品にもとづくので、恐慌や不況を避けることができない。しかし、
宇野は、資本主義経済から社会主義が必然的に出てくるものではない、と考えた。
社会主義は、倫理的な問題だ。つまり、各人の自由な選択の問題だ、と。

 僕は、社会主義が実践的(倫理的)な問題だ、という宇野の考えに影響を受けましたね。
それをずっと考えてきた。宇野の考えはマルクスというより、カントから来ていると僕は思う。
そのことに気づいたのはだいぶあとで、僕が『トランスクリティーク――カントとマルクス』を
書きはじめた1990年ごろですね。

(略)

[宇野の『経済原論』は必須科目、左翼でない者もそれを学んで、官庁や大企業に行った]

 宇野がいったのは、君らは何をしてもよい、しかし、資本主義には根本的な弱点がある、
恐慌は不可避的だ、それを覚えておけ、ということです。宇野経済学を学んだ官僚や企業幹部
が、その後それをどう活かしたかは知りませんけど、市場経済万能論を学んだ人たちよりは
ましでしょうね。いまのように恐慌が起こると、途端にうろたえ、資本主義が終わる、なんていって
騒ぐ人がいますが、資本主義が自動的に終わることはない。国家と資本は何をしてでも生き
延びようとしますから。

11:19 午前  
Blogger yoji said...

カントとマルクス、カラタニは
自由主義から帝国主義への移行に際して体系で対抗した

11:19 午前  
Blogger yoji said...

http://d.hatena.ne.jp/kingfish/comment?date=20090605
柄谷行人 政治を語る―シリーズ/六〇年代・七〇年代を検証する〈1〉 (シリーズ/六〇年代・七〇年代を検証する 1)
作者: 柄谷行人,小嵐九八郎
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発売日: 2009/04
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3:06 午後  
Blogger yoji said...

「言語ゲーム」は疑似問題。日常会話とは運動であり、当事者はただ行うだけ。
成立しているもしないもない。
成立している、していないは外部からの観察(言語による描写)でしかない。

意味(概念)とは、
隠喩の運動の連続(時間)を外部から観察し事後的に平面へ投射する(無時間性)ときに現れる輪郭のようなもの。

「私」の意味も同様。運動では変化のみがあり「私」というような同一性は存在しない。
運動は差異と遅延。→デリダ的脱構築

(物理学は外部からの観察(描写)であり、運動も時間もない。→ゼノンのパラドクス)

柄谷はマルクスその可能性の中心で以下のようにこのことを指摘したのに、
トラクリではカントの物自体を繋ぐ事で否定神学(柄谷的脱構築)に逆戻りしてしまう。
東はこの柄谷の退避を非難するために郵便本を書いた。

>>
マルクスは、この概念をうちこわそうとするとき、概念そのものの成立の現場に立ちあっていたのである。
ニーチェはこういっている。「なおわれわれは、概念の形成について特別に考えてみることにしよう。
・・・すべての概念は、等しからざるものを等値することによって、発生するのである」
哲学的真理が「すりきれたメタフォア」であるならば、逆にメタフォアに思考することこそ思考することなのだ。
歴史的に累積されてきて「厳密さ」を笑うような場において、哲学が根こそぎ揺さぶられるのである。
(柄谷 マルクスその可能性の中心P20-21 )
168 12/28(土)08:36 0
柄谷がトラクリで採用したくじ引きは、優れて郵便的なもの。
デリダ中期の幽霊学ばかりに付き合っていては後期のデリダは読み解けない。

物自体=データを持った他者という柄谷の読みは、否定神学の亀裂を意味する。

ネットスターの反省会が反響を呼んでしまうように、、、

>「私」の意味も同様。運動では変化のみがあり「私」というような同一性は存在しない。
(略)
>柄谷はマルクスその可能性の中心で以下のようにこのことを指摘したのに、
>トラクリではカントの物自体を繋ぐ事で否定神学(柄谷的脱構築)に逆戻りしてしまう。
>東はこの柄谷の退避を非難するために郵便本を書いた。

4:44 午後  
Blogger yoji said...


柄谷行人 書評委員が選ぶ「今年の3点」 - 朝日新聞デジタル ((p)http://www.asahi.com) (p)http://t.asahi.com/dljf

 (1)忘却のしかた、記憶のしかた(ジョン・ダワー著、外岡秀俊訳、岩波書店・3150円)

 (2)褐色の世界史(ヴィジャイ・プラシャド著、粟飯原文子訳、水声社・4200円)

 (3)ゾミア(ジェームズ・スコット著、佐藤仁監訳、みすず書房・6720円)

200 :考える名無しさん :2013/12/29(日) 17:18:04.96 0
 (1)『敗北を抱きしめて』で知られるアメリカの日本学者の主要な仕事のエッセンスを、自身による解題を付して、年代順に配列したものである。本書によって、戦後の日本と米国両方の記憶と忘却を、一つ一つ吟味することができる。

 (2)「第三世界」は元来、発展途上国という意味ではなかった。前近代的として否定されてきたものを高次元で回復することによって、西洋先進国文明の限界を乗り越えるというプロジェクトを意味した。

 (3)東南アジア大陸部および中国南部の丘陵地帯には、まだ国民国家に統合されていない山地民が存在する。彼らは未開人ではなく、もともと平地にいたが、国家に抵抗して山地に逃れた人たちだ。彼らの世界はいま急速に消えつつある。

 (哲学者)



◆柄谷行人 今年は「柳田国男論」と「帝国論」を書いた。来年はその続きの仕事をします。

8:25 午前  
Blogger yoji said...

パースは1891年に西欧史の500年周期説を発表している


山下『思想の中の
152頁より

8:05 午後  
Blogger yoji said...

パースは1891年に西欧史、というよりローマ史の500年周期説を発表している


山下『思想の中の
152頁より

8:05 午後  
Blogger yoji said...


http://38870660.at.webry.info/201404/article_9.html

柄谷行人氏の発言 (現代思想2014年 3月号、討議;柄谷+丸川 より抜粋)
<< 作成日時 : 2014/04/19 04:14
トラックバック 0 / コメント 0
柄谷行人の発言
(現代思想2014年 3月号、討議;柄谷+丸川 より抜粋)


1、なぜ帝国か
2、互酬性を超える国家原理
3、二つの中国
4、帝国の原理
5、現代における儒教と帝国



1.なぜ帝国か

(1).私はもともと「世界史の構造」で、帝国について書きました。それはブローデルの見方にもとづくもので。世界=帝国と世界=経済を区別します。彼の考えでは、世界=経済は、世界=帝国の周辺、もっと正確に言えば、亜周辺に成立した。それが、ヨーロッパに世界=帝国が成立しなかったこと、それゆえ、世界=経済、資本主義市場経済が発展したことの理由です。資本主義的発展だけを見ていると、帝国はただ古い社会でしかありません。しかし、世界史の総体は、世界=帝国を見ないと分からないのです。

(2) 帝国の問題として考えたことがもう一つあります。それは第一次大戦のあと、旧帝国が崩壊したとき、帝国の輪郭を保ったのはマルクス主義者が革命を起こしたところだけだ、ということです。たとえば、ソ連や中国は言うまでもないし、それにユーゴスラビアも、ある意味でオーストリア帝国の遺産を継いでいます。なぜマルクス主義者がリードしえたのか。それは、民族よりも階級を重視したからですが、そもそも、彼らが旧帝国のなかで考えたマルクス主義者だったからです。かれらは民族問題をかんがえなければならなかった。マルクス自身は、民族問題について、あるいは、帝国の問題について考えなかった。彼にとって、帝国は政治的上部構造の一形態であり、また東洋の帝国は、たんに東洋的専制国家あるいはアジア的生産様式ということで片づけられる。

6:34 午前  
Blogger yoji said...

(3) 一九九〇年頃、ソ連が崩壊するとともに、それらが相継いで崩壊しました。ところが中国だけは存続した。それはなぜなのか。それを考えるようになったのは、数年前ですね。二〇一二年に汪暉が来日して東大駒場で一緒に講演したのですが、そのとき、私は帝国の問題について話しました。またその翌年に、「世界史の構造」の漢訳が出るのを合わせて、清華大学で講演したのですが、その問題がいつも頭にありました。汪暉さんや他の教授らが、私のクラスに毎回聴講にきましたし。しかし、私が中国の帝国に関して考えるようになったのは、中国の問題に関心があったからではない。中国の帝国の問題を考えないと、帝国のことが一般的に理解できないからです。

(4) 私がもともと帝国に関心をもったのは、そこに、近代国家(ネーション=国家)を超えるものがあると考えたからですね。ハンナ・アーレントはこう言っています。ローマ帝国には帝国の原理があった。近代の国民国家にはそれがない。だから、国民国家が拡大しても帝国にはならず、たんに「帝国主義」になるだけだ、と。私はそれに同意しますが、アーレントの議論がおかしいのは、ローマ帝国しか考えていないことです。帝国はほかにもある。アーレントはローマ帝国だけを別格に扱う西欧中心主義を免れていません。
実際は、ローマ帝国は、ヘレニズム帝国を、そしてヘレニズム帝国はペルシア帝国を受け継ぐものです。さらに、そのメソポタミア帝国も、エジプト、あるいはメソポタミアの代々の国家を襲うかたちで成立した。アッシリアやバビロニアなどメソポタミアの諸国家も、多数の都市国家を統合してできたシュメールを受け継いでいる。その証拠に、その後のメソポタミアの国家はほとんどシュメール語に由来する概念を使っています。シュメール語は、東アジアで言えば、漢語のようなものです。ところが、ここでは、中国においてあるような継続性の意識がない。一方、中国では歴代の記録がある。そして、中国の歴史にもとづいて考えると、メソポタミアの歴史がある程度わかります。
たとえば、いかにしてシュメールは国家となりえたか。武力だけでは、都市国家を統合することはできません。その過程に、一種の諸子百家の時代があったはずだ、と私は推測します。例えば、「目には目を」という言葉がある。これは旧約聖書よりももっと古く、シュメールから来るものです。これは「やられたら、やり返せ」という意味ではまったくない。「目をやられたら、目の分しか報復してはならない」ということです。「やり返す」、あるいは「倍返し」などは、互酬性の原理です。それによって復讐合戦が増幅する状態があった。それがいわば「戦国時代」をつくる。「目には目を」は、そのような互酬性を禁じるものです。が、このようなことを誰かたまたま思いつくわけがない。これは「思想」なのです。このような考えは、中国で言う法家のものですね。

(5) 西アジアでは、シュメールからローマ帝国にいたるまで、別の帝国ですから、それらを前代のこととして記録したり検討したりすることはしなかった。しかし、中国では、別々の帝国を、一つの帝国のなかでの別々の王朝として見ます。王朝が変わっていくなかで、新しい王朝が前のそれを受け継ぐ正当性を問う。それが歴史です。また専門的にそれに従事する史官がいた。だから、中国の歴史を参照すると、他の地域での帝国の連続性が見えてきます、その一方、中国の歴史を参照することは、中国を見るにあたって障害になります。というのは、それは本来、異質な外的なものがたえずはいってくることでできたものを、中華史的な同一性に還元してしまうことになりがちだからです。中国の帝国と言っても、その担い手から見ても、バビロニア帝国とローマ帝国ほどに違いがあるのに、それは見ない。あるいは、偶然的な要素として無視することになる。
とりあえず、中国の春秋戦国時代に関して述べておきたいのは、この時期にあった「思想」が重要だということです。マルクス主義では、思想は経済的下部構造、すなわち生産様式によって規定される観念領域(上部構造) ということになります。しかし、私は経済的下部構造を、交換様式から考える。すると、国家や思想というものが、たんなる観念的上部構造ではなく、下部構造と密接に繋がっていることがわかります。たとえば、互酬性(交換様式A)が支配的な状態では、絶えず抗争が増幅される。たんなる武力では、それを超える国家秩序をつくりだすことはできない。交換様式Aを超える必要があるのです。そのために、たとえば「目には目を」というような思想が必要となります。それが法家です。だから、春秋戦国時代は、思想家の時代です。これがなければ、秦漢帝国はない。今日は、儒家の話をしますけど、儒家は実際は、諸子百家の思想を包摂したものですね。そして、それは帝国を可能にしたとともに、むしろ帝国によって形成されたと言えます。

6:37 午前  
Blogger yoji said...

2、互酬性を超える国家原理

(1) 都市国家ということで考えるならば、一番目につくのはギリシャ、あるいはルネッサンス期のイタリアです。しかしこれらはその後に帝国にならなかった。実際、それらは、帝国にならないようなものであったからこそ、その面白さがあるのです。ところが、それらが目立つために、どんな帝国でも、その前段階に都市国家が競合するような時期、諸子百家が輩出した時期があったことが忘れられる。しかし、中国はその例外です。資料が残されたからです。春秋戦国時代の諸思想は多種多様ですが、その根底にあるのは老子だと思います。丸川さんが言うように、老子と孔子は違うし、儒家と法家は両極端なものとして存在してきました。書物としての「老子道教経」は孔子よりずいぶん後の時代、孟子のころに出たものですが、そうした史実とは別に、私は老子的な思想が先行したと考えます。司馬遷も、老子という人物は三人いると言ってます。本当はもっと多いでしょうね。仮にそれを老子1、老子2、老子3と呼ぶとうれば、老子1は孔子が教えをこうたような人物です。つまり、老子1とは諸子百家の全員にとって存在した存在、というより態度です。現にある社会制度を自明とはせず、それを根底から問い直す態度のようなものです。それは人を暴力によってではなく、説得によって動かすという態度です。その意味で思想が不可欠です。老子が言う無為は、武力と呪力による作為的強制をしないということです。すると、思想のあり方自体が無為ということになります。この態度は、すべての思想家が共有していたのです。その意味で、老子1が先行するといってよい。法家も例外ではありません。法家の思想は法によって統治しようというjことであり、暴力による支配をしないということです。互酬性の混乱を避け、安定したかたちで統治しようとするならば、法の支配でなければならない。
そのなかでもっとも重要なのは、権力者が法にしたがうことです。むしろ、そこから始める。たとえば、秦の宰相となった商()は、王の兄を、法を破ったことで鼻を削ぐ刑に処した。そうすれば、他の人も法に従うようになるからです。これが「無為」です。
もちろん法を貫くためには武力を使いますから、作為も一部では存在しますが、非常に少ない武力で足りる。基本的には法だけがあればよいとうのが法家であり、それは無為自然だというわけです。諸子百家はさまざまですが、根底には、そのような無為があります。
この諸子百家の争いは、ひとまずは法家の勝利で終わりました。そして、法家を中心に秦という帝国ができたのですが、これは二十年ぐらいしか続きませんでした。法による統治は不安定なものだったからです。そこで、漢の時代の初期には、老荘思想が導入された。つまり、レッセ・フェールの政策がとられた。レッセーフェールというのは重農主義経済学者のケネーの言葉ですが、彼はそれを無為のフランス語から取った。だから、無為=レッセー・フェールというのは冗談でも何でもない。その意味で、老荘思想が、今の真自由主義にも繋がっているともいえます。実際、毛沢東が自身がいうように秦の始皇帝のようなものであるとすれば、鄧小平が漢初期の董太后に対応するといえます。ちなみに、私は東大の駒場の講演では、この次は、武帝のようになるだろうと話しました。
老子は本当は統治あるいは権力の思想ではありませんでしたから、このような無為の思想は、老荘思想とはかなり違っています。しかし、同じことは、儒教についても言えます。孔子は、根本的には、非国家的な思想家です。だから、秦時代で儒教が弾圧されたのは当然です。しかし、漢の武帝の時代になって、儒教が取り入れられた。これは、董仲()を中心としたもので、新しい儒教です。すでに戦国時代に、孟子の思想は孔子とは違っていたし、さらに、荀子はもっと違っていました。むしろ法家に近かった。実際、秦の理論家であった韓非子は、荀子の弟子でした。要するに、法家であれ、道家であれ、儒家であれ、一派だけでは帝国を形成する原理にはなれませんでした。儒教といっても、諸子百家をすべてふくんだものとなっていた。逆に言えば、帝国の思想となることで、それぞれが皆変容した、といえます。だから、秦漢帝国という歴史的な契機をとって、それぞれの思想史を別々に考えるのは不毛です。

(2) 漢の時代の儒教は国家思想に変質していたと思います。その変化のきっかけは孟子のあとに出てきた荀子にあると思う。彼は性悪説を唱え、そこから'礼」を重視するようになった。荀子と法家の思想は非常に近いものがあります。そのために、荀子以降の儒教が帝国の思想になり得た、と思うのです。しかsじ、儒教がすべて国家的になったかというと、そうではない。私は儒教は本来非国家的な思想だと言いましたが、今でもそうですね。中国人が華僑のように世界中に散らばっても平気なのは、儒教があるからです。キリスト教徒になっても、根底に儒教がある。したがって、儒教のそういう面は今も続いています。また孟子的な儒教は、今もユートピア主義の原動力として残っていると思います。同じことが老荘について言えます。漢の時代の老荘思想は、戦国時代のそれとは違って、一種の国家思想となっていた。しかしそれによって消えたわけではなくて、復活した。後漢の後期、黄巾の乱のころです。それ以降、道教が、老子を教祖とすることで、国家思想としての儒教に対抗する思想としてせいりつしたわけです。

(3) そうですね。董仲()の儒教は、官僚養成制度と切り離せないですね

6:39 午前  
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3、二つの中国

(丸川 ; ではこの辺りから、帝国の形成という領域へと話を進めたいと思います。)


(1) 中国における帝国は、秦漢から始まったわけです。それは世界史的な意味があります。私はペルシャ帝国を、厳密な意味で、最初の帝国だと考えているのですが、それはペルシャがエジプトとメソポタミアの文明を統合したからです。エジプトはナイル川、メソポタミアはチグリス・ユーフラテス川という河川を基礎としています。 エジプトの王朝はすでに2000年の歴史をもっていた。それを包摂しなければ、ペルシャ帝国はありえない。アレクサンダー大王もエジプトを征服し、自ら、ファラオと称しています。この二つの文明を繋ぐことによって、初めて帝国だと言える。
それは中国でいえば、黄河と長江ということになります。この二つの川はまったく文明が異なる。農業という面で言えば、畑作と稲作に分かれていますからね。この二つの文明を繋いだのが秦漢帝国であった。今まで、古代の四大文明は、四大河川の河口に始まったといわれてきましたが、本当は、五つですね。そのうちの二つを統合したのがペルシア帝国で、後の二つを統合したのが秦漢帝国です。これは大変なものであったと思います。


(2)漢は帝国をつくりましたが、その外部にいた匈奴に対して手を出すことができなかった。丸川さんの言い方で言えば、「北世界」は漢の時代でも中国の外部にあった、ということです。漢が滅んだあとの三国時代、五胡十六国時代には、外にいた民族が中国のなかに入ってきます。そのなかで、鮮卑と呼ばれた遊牧民族が興した国が北魏です。
先ほどから強調しているように、漢の時代の儒教は荀子に近いものです。逆に孟子は重視されなかった。孟子は、農民の土地を均等に分けるために井田法(正方形の土地を九等分し中央に公田という共有区画をつくる方法) を考案しますが、それを採用し実行したのは漢ではなく、遊牧民国家だった。言うまでもないことですが、隋や唐という王朝も、北魏と同じ拓跋氏の家系に属します。唐の時代になって、本当の帝国が成立したと思います。しかし、唐の律令制が、朝鮮・日本・ベトナムのような周辺国家に行きわたったのは、たんに中央の制度だったからではなく、もともと周辺国で始まったものだからです。唐が秦漢と異質な帝国だというのは、この意味においてです。むしろ、唐に比べれば、秦漢は帝国といえないぐらいです。
唐の時代に発展したのは、仏教や道教であって儒教ではありませんでした。儒教の発展と呼べるものはまったくなかった。なぜならば、多民族国家としての帝国の規模がそれまでとはまったく違ったからです。唐を帝国とした李世民(一説には目が青かったといわれますが) は、中華を統治する皇帝であると同時に、遊牧民社会におけるハーンでもありました。ハーンは王ではなく、部族間の選挙で選ばれる代表者です。ですから元のフビライと同様に、李世民の唐王朝は、国家原理と遊牧民の原理を統合するものであったと言えます。
この唐王朝がもっていた二重性の一つが、宋や明の時代には捨てられ、その代わりに漢文化の回復が図られた。だから、宋の時代に儒教のルネッサンスがあったわけです。朱子に代表される宋学は、唐代に普及した仏教(禅)を超克することを目標としていました。朱子の理気二元論は、仏教における唯識を受け継いでいる。さらに、ヨガ的な要素も含んでいる。森羅万象のすべてを説明しようとするのみならず、身体的修養までやったわけです。そこまでしなければ、唐を超えて儒教を回復することができなかった、ということです。
そのようにして儒教の全体系をつくった朱子は、ヨーロッパで言えば、アリストテレスを導入して神学大系をつくったトマス・アクィナスのようなものです。それは確かに偉業ではありましたが、唐がもっていた帝国のもう一つの可能性は、宋ではなく、契丹へ、さらに、モンゴルへと受け継がれたと思います。それは単なる遊牧民ではなく、遊牧民が農耕民と共にやっていくという形態です。そして、この形態が中国本土に回帰したものが、元だったのです。ですから、元はよく言われるように、外部からの征服者ではなく、里帰りをしたようなものです。元が唐の可能性を完成した、と言えます。内藤湖南は、宋がつくった近世を元が破壊したと考えました。しかしそれは日本的な視点ですね。

6:40 午前  
Blogger yoji said...

4、帝国の原理

(1) 元をどのように考えるかという問題だと思います。朱子学というのは、明で栄えたのであって、朱子(南宋)ではまったく認められておらず、朱子は命も危なかったようです。朱子学が栄えるようになったのは、科挙のテキストに用いられたからですが、それは元の時代なのです。元王朝は科挙に興味をもっていなかったのですが、官僚を養成する必要に迫られて、一時は廃止していた科挙を復活させ、朱子学をテクストに用いた。だから、朱子学を宋学と呼称するのはおかしい。宋代では迫害されたのだから、それに対して、元は帝国だから、思想的に寛容なのです。その意味で、宋や明の時代の中国は、帝国ではありませんでした。

(2) しかし排他的でした。その点で、国民国家に似ている。攘夷という言葉は朱子から来ています。幕末の日本ではそれを唱えたのですが、自らが夷であるにもかかわらず、攘夷を叫んだわけです(笑)

(3) そうです。とにかく、絶えず北方からの脅威を感じていた宋は、とても遊牧民を取り込むような帝国の思想をもち得なかった。また、元のあとの明も同じように閉鎖的な国家でした。それに対して、攘夷を唱えた朱子を受け入れたのが、夷と見なされていた元なのです。したがって、近世というのは元から始まると考えたほうがいい。
このことは中国だけではなく、世界史にかかわるものです。なぜなら、元はヨーロッパまで繋がったモンゴル帝国の一部であったからです。中国に起こったのは、世界的な同時代性のなかの一つの現象であって、中国のなかだけを見ていたのではわからない。元という帝国は、陸の帝国であるだけでなく、海の帝国でもあった。歴史上、唯一の例外です。
モンゴル帝国はイスラムにも影響を与えています。イスラム教には帝国の原理がなかったのですが、モンゴル帝国に占領され、そこで宗教改革が起きた。そして各地のモンゴル帝国の支配者がそのイスラム教に改宗したことで、イスラム国家は拡大していったのです。ヨーロッパの十字軍からは何のショックを受けなかったのに、モンゴルに一発で占領されたことは大変な衝撃で、それがイスラム教を変えた。その一つは、スーフィズム(神秘主義)の出現ですね。各人と神が直結するので、祭司=国家は要らない。これは当然、社会思想に転化します。そうした変化は、他の宗教を信じていた人間にもイスラムへの改宗を容易にさせた。インドを占領したムガール帝国がまったく強制しなかったにもかかわらず、イスラム教が人々の間に広まったことはその一例です。
ここで重要なのは、帝国の領域であって、イスラム教ではありません。イスラム教が優れていたから各地に広がったのではなく、帝国が存在していたから、そのなかでイスラム教も拡大できたのです。この順序を間違えないことです。オスマン帝国が素晴らしいのは、そのなかでイスラム教だけでなく、キリスト教やユダヤ教も迫害を受けることがなかった点です。これはイスラム教が寛大であったからではなく、オスマン帝国が帝国の原理に即して統治をしたからです。中国の場合も同様です。儒教あるいは道教や仏教によって国家が維持されているわけではない。それらは帝国の下でこそ存続しえたし、また、そのなかで変貌した。だから、帝国の原理がむしろ重要なのです。多民族をどのように統治してきたかという経緯がもっとも重要であり、それなしに宗教や思想を考えることはできない。


(4) マルクス主義の話がありましたが、マルクスやエンゲルスは、本当の意味で民族問題を考えたことがなかった。西ヨーロッパにいたからです。


マルクス主義のなかでその問題にぶつかったのは、オーストリア帝国、そしてロシア帝国のマルクス主義者です。中国の場合、もっと古い帝国の伝統があります。
たとえば、毛沢東は農民・農村革命を主張した。しかし、どこでもマルクス主義者は、農民を革命の主体と見なすことはなかったのです。中国でも、陳独秀はプロレタリアート中心を唱えた。だから、毛は一貫して共産党指導部から排除されました。毛沢東が農民による革命を考えたのは、たんに現実に貧農が圧倒的多数の存在だったからではありません。その点なら、ロシアでも同じです。毛沢東が考えたのは、中国の社会的政治的構造と歴史に通じていたからだと思います。王朝の交代期には、必ず農民・流民の反乱があった。それらに支持され、また、土地改革(均田制)を掲げることによって、新たな皇帝が出てきた。毛沢東の政権も同様です.孫文や陳独秀らが西洋モデルで考えていたのに対して、毛沢東は帝国の経験に立脚したと言えます。
それだけでなく、帝国は、諸国家がいかに連合していくかという問題に対して、歴史的な教訓を与えるものです。ホッブス以来の近代国家論を超える道は、帝国から出発して国家間の関係を考えた思想にあると思います。
西洋でも、それはライプニッツやカントにあります。イギリス、オランダ、フランスといった西ヨーロッパからは、近代国家を超える発想は生まれてこなかった。つまり、西ヨーロッパ・モデルで考えているとわからない問題なのです。だから帝国の経験は、マルクス主義であろうとなかろうと、けっして見逃すことができないものです。
中国でそのような思想をもっていたのは、清朝末期の康有為でしょうね。中国で、私の「世界史の構造」を読んだ人から、康有為の「大同世界」と似ていると言われました。実は、それで急に興味を持ったのです。(笑)。康有為は将来的に国家や民族が消滅するという理念をもっていた。孔子から引き出した理念ですね。これはカント的な意味で「統整的理念」であり、現実には、漸進主義的であった。まず清朝を立憲君主制にして、そののちに君主を排していくという道筋を描いたわけですね。そこから、漸進的に大同世界へ向かう、という。これは清朝という帝国を生かそうという考えだったと思います。

(5) 近年の中国で、清朝末期の思想家に対する注目の大きさには、私も驚かされました。たくさんの思想家がいましたが、そのなかでも康有為と章()とは対照的で興味深いですね。儒学においても近文と古文という違いがありますし、中国思想史全体をアレンジしながら対立していたと思います。それがまた、一つの儒教史をかたちづくっている。

6:41 午前  
Blogger yoji said...

5、現代における儒教と帝国

(1) 中国人は、客家がそうですが、世界中に散らばりながらも、中国人として繋がっている。ある意味ではユダヤ人と似ていますね。それは儒教による宗教の概念があるからだと思うのです。国家に対して、別の形のネットワークをつくろうという動きは、中国の場合は古代から存在しますね。その担い手は儒教や道教です。世界中に散らばっても、先祖は同じだということで、繋がっていく。この点は、現代中国の社会的特徴としても無視できないと思うのです。
(2) (丸川; 改革開放の時代にも、華僑のネットワークを通じて多大な資本が入りましたね。) それがなければ近年の経済発展はありません。この華僑のネットワークが、儒教があったためできあがったのか、あるいは宗族があるために儒教が存続するのかはわかりません。その両方が相まっているのでしょうし、あるいは道教の影響も入っているでしょう。とにかく、国家空間を超えて人が繋がっていくようになっているわけです。そのネットワークは、国民国家の概念では理解できないものです。
(2)モンゴル帝国が短期間にグローバルに拡大したのは、それが地域に平和をもたらし、またそのことを全員が支持したからです。帝国の範囲のなかで交易が自由にできるようになったことが歓迎された。それ以外の目的をもって自国の勢力を広げようとすれば、帝国主義にしかなりません。現在、帝国を言うとすれば、それは徹底的に平和主義的なものになります。カントが言う諸国家連邦も、実際は、帝国の原理にもとづいています。それを遡ると、ライプニッツになるでしょう。彼はカソリックとプロテスタントを統合しようとした。これはヨーロッパに「帝国」を実現することです。彼のモナドロジーも、政治的には、帝国論です。
実は、モナドロジーを政治的に解釈した哲学者が一人います。西田幾多郎です。彼は大東亜共栄圏をモナドロジーで解釈しようとした。アジアの諸国は、それぞれがモナドであって、自律的である。それらのモナドを統治するような上位の権力はない、ただ、それらは絶対無を通して繋がっている、というのです。しかし西田は、その絶対無の場所に、天皇をもって来たので、結局は日本の帝国主義支配を美化するイデオロギーにしかならなかった。とはいえ、ライプニッツの考えを政治的に読むことは、重要だと思います。興味深いことに、ライプニッツはその発想を中国から得ているのです。その一つが、華厳経からくるものですね。小さな世界に、三千世界が映っている、という発想。それがモナドロジーです。華厳経はインドの大乗仏教ですが、唐帝国の時代に広まったのは、偶然ではないと思います。つまり、それは帝国の思想だったのです。それぞれの国は独立しているが、同時に、すべてが繋がってあるというあり方を示している。中国のなかにそうした思想の根がもともと存在していた、ということですね。ですから現在の中国も、民族国家主義=帝国主義に向かうことなく、中国に本来あった帝国の概念に戻るべきなのです。

6:43 午前  
Blogger yoji said...

華厳経とライプニッツの類似は
東洋の合理思想の末木剛博や
思想の中の数学的構造の山下正男も指摘している

6:56 午前  
Blogger yoji said...

資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
_________________________________________
      |1750~ |1810~ |1870~ |1930~ |1990~ 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
______|______|______|______|______|______
世界資本主義|後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
______|______|______|______|______|______
覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     次の覇権国家はインド
______|______|_____________|_____________
経済政策  |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
______|______|_______\_____|_______\_____
資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
______|______|______|______|______|______
世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム)
______|______|______|______|______|______
国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
______|______|______|______|______|______
対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
______|______|__1848_\_____|__1968_\_____
                          

4:45 午後  
Blogger yoji said...

資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
______|______|______|______|______|_______
覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
______|______|_____________|_____________循
世界資本主義|帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
______|______|_______\_____|_______\_____環
対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
______|______|__1848_\_____|__1968_\______
経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
______|______|______|______|______|______リ
資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
______|______|______|______|______|______
世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
______|______|______|______|______|______ア
国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
______|______|______|______|______|______
宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命
                          国際連盟

9:26 午後  
Blogger yoji said...

http://nam-students.blogspot.jp/2014/11/blog-post_11.html
世界資本主義の諸段階(資本主義の世界史的諸段階:改):メモ

資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
__________________________________________
      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
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世界資本主義|後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
______|______|_____________|_____________環
経済政策  |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
______|______|_______\_____|_______\______
資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
______|______|______|______|______|______リ
世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) ニ
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
______|______|______|______|______|______ア
対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
______|______|__1848_\_____|__1968_\______
宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命
                          国際連盟
商業資本、商人資本(G―W―G') 
           高利貸資本、金融資本(G…G')
    生産資本、産業資本(G - W ... P ... W' - G')

資本主義の循環的、反復的交互性を示す。対抗運動及び宇野弘蔵関連を補足及び改変。



William Godwin(1756-1836)"Enquiry concerning Political Justice"(1793)

ウィリアム・ゴドウヰン『政治的正義』:目次 
          (春秋社版、1930年=昭和五年) より

プルードン『革命と教会とにおける正義』(1858)


9:33 午後  
Blogger yoji said...

aリニアな様相
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      |1750〜 |1810〜|1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870 |1930  |1990  |      
______|______|_____|____ _|______|______
経済政策  |重商主義  |自由主義 |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
______|______|_____|______|______|______
資本    |商人資本  |産業資本 |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
______|______|_____|______|______|______
国家    |絶対主義王権|国民国家 |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義 
______|______|_____|______|______|______
世界商品  |繊維産業  |軽工業  |重工業   |耐久消費財 |情報 
生産形態  |(マニュファ|(機械  |      |(フォーディ|(ポスト・フォ
      | クチャー)| 生産) |      | ズム   |ーディズム)
______|______|_____|______|______|______

b循環的な様相  
__________________________________________
     |~1750|1750〜|1810〜|1870〜|1930〜|1990〜 
     |     |1810 |1870 |1930 |1990 |  
_____|_____|_____|_____|_____|_____|______
ヘゲモニー|オランダ |     |英国   |     |米国   | 
国家   |     |     |     |     |     |
_____|_____|_____|_____|_____|_____|______
世界資本 |自由主義的|帝国主義的|自由主義的|帝国主義的|自由主義的|帝国主義的
主義   |     |     |     |     |     |
_____|_____|_____|_____|_____|_____|______

      世界資本主義の諸段階(『帝国の構造』181頁より)

ネットワーク型対抗運動も循環する。

世界資本主義と経済政策の位置付けが変わった?


資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
__________________________________________
      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
______|______|______|______|______|_______
世界資本主義|後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
______|______|______|______|______|______循
覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
______|______|_____________|_____________環
経済政策  |帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
______|______|_______\_____|_______\_____的
対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
______|______|__1848_\_____|__1968_\______
資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
______|______|______|______|______|______リ
世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) ニ
______|______|______|______|______|______
国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
______|______|______|______|______|______ア
宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命
                          国際連盟


資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
__________________________________________
      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
______|______|______|______|______|_______
覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
______|______|_____________|_____________循
世界資本主義|帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
______|______|_______\_____|_______\_____環
対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
______|______|__1848_\_____|__1968_\______
経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
______|______|______|______|______|______リ
資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命
                          国際連盟
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9:33 午後  
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資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
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覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
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世界資本主義|帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
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対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
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経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命

9:34 午後  
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資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
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覇権国家  |      |    イギリス     |    アメリカ     
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世界資本主義|帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
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対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
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経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命

      世界資本主義の諸段階(『帝国の構造』181頁より)

ネットワーク型対抗運動も循環する。

世界資本主義と経済政策の位置付けが訂正され、図の名称も変わった。


9:35 午後  
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資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
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対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
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経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
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(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命

      世界資本主義の諸段階(『帝国の構造』181頁より)

ネットワーク型対抗運動も循環する。

世界資本主義と経済政策の位置付けが訂正され、図の名称も変わった。


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資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメより)
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
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経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
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(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命

      世界資本主義の諸段階(『帝国の構造』181頁より)

ネットワーク型対抗運動も循環する。

世界資本主義と経済政策の位置付けが訂正され、図の名称も変わった。


9:37 午後  
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      世界資本主義の諸段階(『帝国の構造』181頁より)
参照:
資本主義の世界史的諸段階(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメ)
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
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(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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                          ロシア革命


ネットワーク型対抗運動も循環する。

世界資本主義と経済政策の位置付けが訂正され、図の名称も変わった。

9:39 午後  
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
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経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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                          ロシア革命

世界資本主義の諸段階(『帝国の構造』181頁より)
参照:資本主義の世界史的諸段階
(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメ)

ネットワーク型対抗運動も循環する。
世界資本主義と経済政策の位置付けが訂正され、図の名称も変わった。

9:40 午後  
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世界資本主義の諸段階(『帝国の構造』181頁より)
参照:資本主義の世界史的諸段階
(柄谷行人『世界史の構造』412頁、2013年11月23日講演レジュメ)
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
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対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
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経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命

ネットワーク型対抗運動も循環する。
世界資本主義と経済政策の位置付けが訂正され、図の名称も変わった。

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世界資本主義の諸段階(柄谷行人『帝国の構造』181頁より)
参照:資本主義の世界史的諸段階(『世界史の構造』412頁、『知の現在と未来』97頁)
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
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経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命

ネットワーク型対抗運動も循環する。
世界資本主義と経済政策の位置付けが訂正され、図の名称も変わった。

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9:45 午後  
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世界資本主義の諸段階(柄谷行人『帝国の構造』181頁より)
参照:資本主義の世界史的諸段階(『世界史の構造』412頁、『知の現在と未来』97頁)
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
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覇権国家  |オランダ  |    イギリス     |    アメリカ      インド?
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経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命

ネットワーク型対抗運動も循環する。
世界資本主義と経済政策の位置付けが訂正され、図の名称も変わった。

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9:47 午後  
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世界資本主義の諸段階(柄谷行人『帝国の構造』181頁より)
参照:資本主義の世界史的諸段階(『世界史の構造』412頁、『知の現在と未来』97頁)
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
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覇権国家  オランダ   |    イギリス     |    アメリカ      インド?
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世界資本主義|帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
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対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
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経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
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資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
______|______|______|______|______|______ア
国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命

ネットワーク型対抗運動も循環する。
世界資本主義と経済政策の位置付けが訂正され、図の名称も変わった。

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9:48 午後  
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世界資本主義の諸段階(柄谷行人『帝国の構造』181頁より)
参照:資本主義の世界史的諸段階(『世界史の構造』412頁、『知の現在と未来』97頁)
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      |1750〜 |1810〜 |1870〜 |1930〜 |1990〜 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
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覇権国家  オランダ   |    イギリス     |    アメリカ      インド?
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世界資本主義|帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
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対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
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経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
______|______|______|______|______|______リ
資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
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世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
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国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
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宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命

ネットワーク型対抗運動も循環する。
世界資本主義と経済政策の位置付けが訂正され、図の名称も変わった。

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