木曜日, 7月 30, 2015

グレマス詩論


2・6 詩的同位系と言述の面


 コミュニケーションの同位系概念は、内容面で、単に比喩論のみならず、閉じた語り構造の規則を基礎づける
ために不可欠であるようにわれわれには思える。人は、この同位系(意味素範疇の重複的な束として考えられ
る)を、個々の言述的表出から分け隔てる距離に価値を与え、この距離によって比喩の構造的身分を定義し、次
いで言述の連辞的表出においてすでに認められた詩的関係(提喩、換喩、反語法等々)の位相論を使って、その
完全な目録を構成することができる。他方レヴィ=ストロースがオイディプス神話の分析をしっかりとなしえた
のは、物語の同位系レベルの決定によってなのである。そしてルイーズ・ラベのあるソネは、「あなたを愛してい
ます」というただひとつの言表の同位系的変容の一連鎖で構成されたものとして現れうる(リュヴェ)。
 記述の同じ手法はさらに一層簡単に表現面に適用されうる。そうすれば、音素によってではなく、弁別特徴に
よって分節された音韻的同位系から出発して、詩的対象の「一般的調性(トナリテ)」の構造と同時に、表現の「比喩論」を
確立しうるのである。


グレマス「構造言語学と詩論」『意味について』327頁より


5 詩の快感
5・1 快感と不快感の共示
 詩的コミュニケーションが、全体として、快感を産み出すものであるのが明白であるとしても、このコミュニ
ケーションの対象である音韻論的、意味論的実質が、そのあらゆる分節のレベルで、ときにその快を表す項を、
ときにその不快を表す項を表示する自己受容的範疇によって共示されることは疑いの余地がない。もしわれわれ
が提案した通り、実質の意味作用とは区別された、詩の形相の意味作用の存在を認めるなら、見かけ上の矛盾は
取り除かれるかもしれない。実質は快をもたらすと同時に不快をもたらす同位系の変異によって共示されるのに
対して、詩の形相(重複性と、表現と内容の一致によって基本的に表出された)は、恒久不変性と真理という
「意味効果」を引き起こすために、純粋な快感となるだろうからである。


同334頁



ルイーズ・ラベ - Wikipedia


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%99


Ô beaux yeux bruns, ô regards détournés,
Ô chauds soupirs, ô larmes épandues,
Ô noires nuits vainement attendues,
Ô jours luisants vainement retournée !

Ô tristes plaints, ô désirs obstinés,
Ô temps perdu, ô peines dépendues,
Ô milles morts en mille rets tendues,
Ô pires maux contre moi destiné !

Ô ris, ô front, cheveux bras mains et doigts !
Ô luth plaintif, viole, archet et voix !
Tant de flambeaux pour ardre une femelle !

De toi me plains, que tant de feux portant,
En tant d'endroits d'iceux mon cœur tâtant,
N'en ait sur toi volé quelque étincelle.

Louise Lab (1524-1566)


ANALYSE STRUCTURALE D’UN POÈME FRANÇAIS: UN SONNET DE LOUISE LABÉ : Linguistics







初心者のための記号論:範列分析

     人々は、少なくとも古典時代から2項対立の基本的な特性を信じていた。例えば、アリストテレスは形而上学(Metaphysics)の中で、主要な対立を挙げている:形式/物体自然/非自然能動的/受動的全体/部分統一/多様前/後、そして実在/不在。しかし、そのような対立の修辞的な力はそれ単独であるのではなく他の対立と関連した分節にある。アリストテレスの物理学の中では、空気が対で対立していると言われている。2000年以上にわたって、これら4つの要素に基づく対立のパターンは表面的な実在の下に横たわる基礎的な構造として受け入れられてきた。

     そのような枠組みの要素はいろいろな組み合わせで現れ、部分的には体系に内在する緊張に駆動され、形を変えてきた。その要素の理論は、ロバート・ボイル(1627-91)のような科学者たちの時代が来るまで影響力を発揮し続けた。

    要素特性気質体内の分泌物器官季節方位星座惑星
    空気熱く、湿った楽観的(活動的で情熱的)血液心臓双子座、天秤座、水瓶座木星
    熱く、乾燥している怒りっぽい(短気で気が変わりやすい)黄疸肝臓牡羊座、しし座、射手座火星
    冷たくかつ乾燥しているゆううつ(要領が悪く、思い込む)黒疸脾臓牡牛座、乙女座、山羊座<土星
    冷たく、湿っている冷静(冷淡で不精)西かに座、さそり座、うお座金星

     構造主義記号学者のA.J. グレマスは、対となった概念を充分に説明する手法として、記号論的四角形を導入した(かれは、スコラ哲学の‘論理的四角形’から考案した)(Greimas 1987, xiv, 49)。記号論的四角形は、テクストの主要な意味論的特徴を関連付ける論理的連結と断続をマッピングしようとするものである。Fredric Jamesonは‘全体の機構は‥‥、基本の2項対立から少なくとも10個の位置を作り出すことができる’と記している(in Greimas 1987, xiv)。一方、これは記号システムにおける意味の可能性は、二値論理の何々かあるいは何々か(either/or)よりも豊かであることを示唆しているが、それでもやはり‘記号論的制約’を受ける -それは意味の基本軸を実現する‘深層構造’である-。

     シンボルS1S2NotS1NotS2は、システム内での具体的なものや抽象的な概念が占める位置を表現する。両端の矢印は双方向の関係を表す。グレマス流の四角形の上部のコーナーは、S1S2の対立(たとえば白と黒)を表す。下部のコーナーは、単純な2項対立では考慮されていない位置を表す:NotS2NotS1(たとえば、黒でないと白でない)。NotS1は単純なS2以上のものから構成される(たとえば、白でないことは必ずしも黒でない)。水平的な関係は、左側の項(S1NotS2)のそれぞれと対になった右側の項(とS2NotS1)との対立を表す。上の項(S1S2)は‘存在’を表し、一方それらの片方(NotS1NotS2)は‘不在’を表す。縦の‘包含’関係は、S1NotS2とのまたS2NotS1との代わりとなる概念的な合成を提示する(たとえば、白いものと黒くないもの、黒いものと白でないもの)。グレマスは、4つの位置の関係について次のように言及している:矛盾または対立S1/S2);補足または(意味の)包含S1/NotS2S2/NotS1);そして矛盾(S1/NotS1S2/NotS2)。Varda Langholz Leymoreは、説明するための例として、関連した言葉である‘美しい’と‘醜い’を挙げている。記号論的四角形では、四つの関連した言葉は(時計回りに)‘美しい’、‘醜い’、‘美しくない’、‘醜くない’となる。最初の対は単純には2項対立ではない。というのは‘美しくないものは必ずしも醜くはなく、反対に醜くないものは必ずしも美しいわけではない’からである(Langholz Leymore 1975, 29)。同じ枠組みが多くのほかの言葉に建設的に適用できる、たとえば‘やせている’と‘太っている’である。


     そのような枠組みの中で、ある位置を占めることは記号に意味を授ける。記号論的四角形はテクストや行為の‘隠された’土台となるテーマを明らかにする。ここに示された四角形のすこし変更されたバージョンを用いて、Fredric Jamesonはそれがどのようにチャールズ・ディケンズの小説、ハード・タイムズに適用できるか、その概要を示している。


       ハード・タイムズでは、二つの敵対する知的なシステムにあたるものの対決を目撃している:グラッドグリンド氏の事実尊重精神(‘事実!事実!’)と、シシー・ジューペとサーカスにより象徴される反事実または言葉を変えれば空想の世界。その小説は、主に教育者の教育であり、グラッドグリンド氏の、かれの非人間的なシステムからのその反対のものへの転換である。それはグラッドグリンド氏に執行された一連の授業であり、これらの授業を二つのグループに分類し、それらを二種類の質問に対する象徴的回答と解するかもしれない。あたかも小説の筋のように項NotS1NotS2を生成することは、これらの謎の解を視覚化する一連の試みと同然である:想像力を打ち消し、否定すればなにがおこるか?反対に事実を否定すればなにがおこるか?少しずつ、グラッドグリンド氏のシステムの産物が、我々に否定の否定、想像の否定がとるさまざまな形式を示してくれる:彼の息子のトム(盗み)、かれの娘ルイーサ(姦通、または少なくとももくろまれた姦通)、彼の理想的生徒のブリッツアー(告発、一般的には魂の死)。このように、ここにない4番目の項が舞台の中央に出てくる;筋書きはそれに想像上の実在を与え、虚偽の解と受け入れ難い仮定を介して、適切な具体的表現が話の中の用語で実現されるまで作用する。これを見つけることで(グラッドグリンド氏の教育、ルイーサの遅くなった家族愛の経験)、意味の四角形は完成され小説は終わりを迎える。(Jameson 1972, 167-168)

     グレマスの本の英語訳の序文で、Jamesonはその手法を用いている。彼は次のように示唆している。分析家は、暫定的に全ての要素を並べ上げ統合することから始め、そして明らかに少し外れていることをこの最初のリストに加えていくべきである。彼は次のようにも記している。主要な対立語の順序が決定的である:既に、そのような対では、最初の用語が大体、優先されることを見てきた。また、彼は次のように、加えている。‘(グレマスの四角形の)4個の主要な用語は...多義的に捉えられるべきであり、夫々は、それ固有の同義語の範囲内で、四個の主要語はそれら自身の四重のシステムへの口を開かせることを意味している’(Greimas 1987, xv-xviの中で)。Jamesonは次のようにも示唆している。Not S2つまり否定の否定は、‘常にもっともきわどい位置であり、もっとも長期間、オープンで空にとどまっている、というのはそれを明確にすることは、過程を完成させまたその意味では、構築というもっとも創造的な行為を構成するからである’(同上, xvi)。前に検討した、美学の流れとそれらの主たる焦点の例を使えば、読者が記号論的四角形をこれらに適用することにより、興味深いことを見出せるだろう。要点を繰り返すと、実在主義は主に世界を指向する傾向にあり、新古典主義はテクストローマン主義は作者を指向する。世界、テクストおよび作者を、記号論的四角形の3つの角に割り当てることができるかもしれない -4番目の項はないので、かえって目立ってくる。Jamesonの項の順序と定式化に関する但し書きは、ここで役に立つかもしれない。

     他の文脈になるが子供のおもちゃに関連して、Dan Flemingは記号論的四角形のとっつきやすい応用例を提示している(Fleming 1996, 147ff)。Gilles Marionは、グレマス流の四角形を用いて、服装を介したコミュニケーションの4つの目的を示唆している:見られることを望む;見られることを望まない;見られないことを望む;見られないことを望まない(David Mickの草稿出版物で述べられている)。もっと最近では、Jean-Marie Flochがその格子を、Habitat and Ikea furnitureによって表現された‘消費価値’の面白い調査に使っている(Floch 2000, 116-144)。しかし、記号論的四角形の用語を用いたテクストのグレマス流の分析は、安易に還元主義的でプログラム的な記号解読に導くと批判されている。もっと悪いことに、何人かの研究者はその四角形を客観的に見える枠組みと同じように使い、それにより首尾一貫性と統一理論の外見を与え、議論と高度に主観的な意見を失ってしまっている。

     構造主義的分析の批判者たちは、2項対立を互いに関係付けて理解する必要があるだけでなく、テクストに浮かび上がってくる社会システムの用語で文脈化する必要があると記している((Buxton 1990, 12)。この構造主義的接近法を使う人たちは、テクストの‘隠れた意味’を分析していると主張する:隠れた意味とは、‘真に’語っていること。不幸にも、そのような接近法は、解釈者の枠組みに関する主体性を典型的に過小評価している。それらに光をあて調べてみると、明確になったこれまで隠されていた対立はテクストそれ自体に含まれるよりも、解釈者の心の中にあることが多い(Culler 1975Adams 1989, 139)。また、他にも次のような反対もある。‘神聖な/冒涜的そして幸福/不幸のような範疇が深い意味で心理的に実在しているかどうかという疑問は提示されず、構造主義の内部論理はそのようなこと持ち出す必要がないことを示唆するだろう’((Young 1990, 184)


    • Jameson, Fredric (1972): The Prison-House of Language. Princeton, NJ: Princeton University Press

詩というのは推敲を重ねて音韻体系に則った構造を取る

だから詩とは言葉の数学的展開なのだ

無論それに意味内容が並行する

グレマスの言っているのはそういうことだ


ブッダも教えを偈にして展開した

人々に覚えやすいように

忘れられないように

わかりやすく比喩を使いつつ


自戒を込めて書くのだがネット掲示板、しかも若い女優さんの情報交換の場を

関係ない言説で荒らす行為は詩的ではない


インターネットやスマホなど社会的インフラに頼らないで

記憶に残るようにするのが詩だ



poeticという言葉を衒学的に使っているのはわかります

しかし、周りの人たちのせいにしないで自分の書き込みを読み返していただきたい


ここは貴重な公共空間なのだ

過去スレは情報源として後世の役に立つ

例えば後世の歴史家は比嘉愛未がinstagramを始めたのをこの掲示板で知るだろう


2015年7月30日比嘉愛未、個人として写真投稿SNSを始める…


今後は一度だけ自分のブログのリンク先を張っていただくだけでいい

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/28836/1437822894/l50 


マルクス:


弁証法は論理学ではなく修辞学(レトリック)だ

弁証法を蘇らせたければ、フレドリック・ジェイムソンのように

グレマスの四角形を弁証法に当てはめる必要がある


アンチノミーは解消しない、

プルードンがこう喝破してからだいぶ経つが、マルクス主義者が時計の針を

戻し続けている

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マルクスの『哲学の貧困』はプルードンの『貧困の哲学』からの剽窃

それも一部分だけを要約したにすぎない

マルクスはプルードンの文化人類学的部分は理解出来なかった


プルードンを理解するには当時の交換銀行の定款を読む必要がある

マルクスのプルードン解釈が間違っていることがわかる