月曜日, 7月 06, 2015

孔子・仁

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15-41    

子曰、辭達而已矣、    

子の曰わく、辞は達するのみ。    

先生が言われた、「言葉は[意味が]通じさえすればいいのだ。」    


http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note1541
  

なすこ (@nasukoB)
pic.twitter.com/oHUydXDkJX  bogonatsuko.blog45.fc2.com/blog-entry-145… 名正しからざれば則ち言順わず(戦闘→衝突編)

https://twitter.com/nasukob/status/1250608910752309254?s=21



http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note1303


13-03 

子路曰、衛君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、名不正則言不順、 言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已 矣、 

子路が曰わく、衛の君、子を待ちて政を為さば、子将に奚(なに)をか先にせん。子の曰わく、必ずや名を正さんか。子路が曰わく、是れ有るかな、子の迂 (う)なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん。子の曰わく、野(や)なる かな、由や。君子は其の知らざる所に於ては、蓋闕如(かつけつじょ)たり。名正しからざ れば則ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中(あた)らず、刑罰中らざれば則ち民手足 を措(お)く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於て、苟(いやし)くもする所なきの み。 

子路が言った、「衛の殿様が先生をお迎えして政治をなされることになれば、先生は何から先になさいますか。 」先生は言 われた、「せめては名を正すことだ ね。」子路は言った、「これですからね、先生の回り遠さは。[この急場にそんなものを]どうしてまた正すのですか。」先生は言われた、「がさつだね、由 は。君子は自分の分からないことでは黙っているものだ。名が正しくなければ言葉も順当でなく、言葉が順当でなければ仕事も出来上がらず、仕事が出来上が ら なければ、礼儀や音楽も盛んにならず、儀礼や音楽が盛んでなければ、刑罰もぴったりゆかず、刑罰がぴったりとゆかなければ人民は[不安で]手足の置き所も なくなる。だから君子は名をつけたら、きっと言葉で言えるし、言葉で言ったらきっと実行出来るようにする。君子は自分の言葉については決していいかげんに しないものだよ。」 




_____




対話主義を捨てた儒教は法家的になり、排他的になる危険が歴史的に指摘され得る。
一方、論語にはあらゆるレベルで反証可能性がある。
この場合孔子の理想とするモデルが過去にあろうが未来にあろうが関係ない。
03-15 
子入大廟、毎事問、或曰、孰謂聚*人之知禮乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是禮也、 

子、大廟に入りて、事ごとに問う。或るひとの曰わく、孰(たれ)かスウ人の子(こ)
を礼を知ると謂うや、大廟に入りて、
事ごとに問う。子これを聞きて曰わく、是れ礼なり。 

先生は大廟の中で儀礼を一つ一つ尋ねられた。ある人が「スウの役人の子供が礼を知っ
ているなどと誰がいったんだろう、
大廟の中で一つ一つ尋ねている。」といったが、先生はそれを聞くと「それ[そのように
慎重にすること]が礼なのだ。」といわれた。 

15-30
子曰、過而不改、是謂過矣、    
子の曰わく、過(あやま)ちて改めざる、是れを過ちと謂う。
先生が言われた、「過ちを改めない、これを[本当の]過ちというのだ。」  

虚なれば即ち傾き
中なれば即ち正しく
満なれば即ち覆る

中庸もそうした反省機能により到達維持可能になる。

ーーーー

02-17
子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也、

子の曰わく、由よ、女(なんじ)にこれを知ることを誨(おし)えんか。
これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是れ知るなり。

先生がいわれた、「由よ、お前に知るということを教えようか。
知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」 

04-17
子曰、見賢思齊焉、見不賢而内自省也、 

子の曰わく、賢(けん)を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。

先生がいわれた、「すぐれた人を見れば同じようになろうと思い、
つまらない人を見たときには吾と我が心に反省することだ」 


ーーー

『生きるための論語』164頁、92頁メモ


(知/不知)→知 2:17
(礼/非礼)→礼 3:15(92頁)
(和/不和)→和 13:23(24とする書もある)

/は概念の峻別を意味で、→は両者の境界を書き換えるという意味。これらは動的過程を表現している。
「過」「如何」さらに「仁」4:6にも当てはまるらしい。

著者はカントの名前を出さないが、孔子思想をカント的批判哲学ととらえれば、(礼/非礼)→礼も 3:15が一番いい例示だということがわかりやすくなる。
(A/A_)→A

生きるための論語40頁
同書は仁を、東洋医学的にうまく働いていることと解している。再帰性も指摘される。

ーーー
ーーー

>虚なれば即ち傾き
>中なれば即ち正しく
>満なれば即ち覆る
上における中庸の状態をソロー成長モデルの定常状態、フェルプスの黄金律と対応させて
みたい誘惑にかられるが、、、
こうした三段階をr<g,r=g,r>gと解釈するのは間違っている。ルイスの2部門モデルに適応
すべきだ。
r<gは歴史的にあり得たが、戦争と恐慌をどうしても必要としてしまうからだ。
どのような成長がありえるかが内在的に問われるのだ。
資本財産業K1と消費財産業K2の成長バランスと捉えるべきだ(参照『マルサスと現代』
177頁小野旭論考参照)。

ーーー
(ケネーは農本主義だし)老子の自由主義は拡大主義を意味しない。ハイエクの個人主義とも違う。
経済学全体が帝国主義寄りになっているから誤解が出てくる。

80.小国寡民

小國寡民、使有什伯之器而不用。使民重死而不遠徙。
雖有舟轝、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。
使民復結繩而用之、甘其食、美其服、安其居、樂其俗。
鄰國相望、雞犬之聲相聞、民至老死不相往來。

小さくて人口の少ない国がある。
数多くの道具があったとしても、誰れもそれを使わない。
人々は生命を大事にし、誰れも遠くに移住することを望まない。
船や車は役に立つが、誰れもそれらに乗らない。
すばらしい武器を所有していても、誰れもそれを使わない。
人々にもう一度、縄を結んで約束のしるしとしたような時代に戻らせ、
すばらしいごちそうで楽しませ、立派な服装を着させる。
自分の住居でおちつかせ、習慣を楽しませる。
隣の国はすぐ見えるところにあり、鶏の鳴き声や犬の吠えるのがきこえるけれど、
人々は互いに往き来することもなく、その人生を送るのである。
ーーー


『現代思想』2014.03で柄谷行人も言及していたが、フランスの資本主義哲学の創始者とされる重農主義者ケネーが熱烈な儒教の信奉者であり,またその自由(放任)主義の表現であるレッセ・フェール“laissez faire”という語自体が,中国語の“wu-wei”(無為)の仏訳であるらしい。
西欧自由主義者にとって前漢の自由経済と後漢の緊縮財政(ケネーらには自由主義の枠内とみなされる)が、その理論的根拠だった。

こういう図式になるだろう。

法家  秦  帝国主義的 毛沢東
道家  前漢 自由主義的 ケネー、鄧小平
儒家  後漢 帝国主義的 康有為?

法家|儒家
--+--
道家|X

歴史はXを飛び越え循環する。Xは多くの場合民衆の反乱という形を取る。
柄谷行人及びウォーラーステインによれば、帝国主義と自由主義は交互に続く。
ただし、
「一派だけでは帝国を形成する原理にはなれません」(柄谷行人『現代思想』2014.3,p.35)

帝国主義期はストックが、自由主義期はフローが重視される。儒教は全体としては帝国主義的ストック重視の思想と言える。
ピケティはこうした循環を重視しないが、ピケティの唱える政策はこうした循環を意識的にコントロールする方法だ。

漢代の社会経済と漢朝の滅亡・新 : 東洋史
 武帝は董仲舒の意見を採用して儒学を漢の統治理念とし、法家主義と官僚制に基づく支配体制を作り上げた。しかし、長期にわたる対外戦争や王室の奢侈などによって財政難に陥ったため、塩・鉄・酒の専売や、政府が物資の買い上げ・転売をおこなう均輸、物価調節のための平準、貨幣の改鋳、営業税の課税などの政策をとったが成功せず、重税・徭役・兵役は商工業者や農民の生活を苦しめた。
 武帝に続く照帝、宣帝も緊縮財政をとったが、武帝の死後、外戚や宦官が権力を奪って、外戚の王氏が実権を握るようになり、紀元8年王莽が帝位を奪って新を建てた。王莽は儒学を信奉し、周の社会を理想として、奴婢の売買の禁止、国営商業の強化、土地の国有化など実情に合わない改革を進めたため社会の混乱をまねき、各地で豪族らの反乱がおこりまもなく滅んだ。

後漢帝国の政治 : 東洋史
 新朝に対する反乱の中で勢力をのばした漢の一族の劉秀(光武帝)は、25年漢を復興した。光武帝は都を洛陽に移し、子の明帝、孫の章帝の3代にわたって漢王朝の再興につとめたが、帝権は弱く、王莽の復古主義にも農民の蜂起にも対立する立場にある豪族らの支持によって成り立つ政権であった。章帝以後は幼少の皇帝が多く、外戚と宦官が権力をめぐって対立し、専権をふるう宦官を非難した官僚や学者が弾圧される事件(党錮の禁)も起こった。
 このような政界の混乱に加え、飢饉・水害が起こり社会不安が強まる中で、農民を中心に黄巾の乱が起こった。これは太平道という宗教団体の主唱者であった張角によって指導された反乱である。その後、五斗米道の反乱もあり、後漢は治安維持のため地方長官に権限を与えて鎮定にあたらせたが、長官が公然と軍隊をもつようになり、農民・流民を支配下に入れた豪族と結びつくなどして、かえって群雄割拠の傾向が強まり、220年後漢は崩壊した。

厳密には、

 法家|儒家 |
---+-- |  老子1
道家=|   |
老子2|   |
-------+------
       |
 老子3   |
       |

となるだろう。さらに、

帝国主義
帝国

という区分を再考するならば以下が正しい。

       |
   老子2 |  老子1
       |
       |
-------+------ 
 法家|儒家 |
---+---|  
道家=|   |
老子3|   |
     
歴史的に老子1に遡行することはあり得る。

礼=ストック
徳=ストック+フロー
学=ストック+フロー
仁=フロー 

訂正、

礼=ストック
徳=ストック+フロー
仁=ストック+フロー
学=フロー 
政=ストックでもフローでもない

 ______ストック_
|     |     |
|  政  |  礼  |
|     |     |
|_____徳_____|
|     |     |フ
|  学  |  仁  |ロ
|     |     ||
|_____|_____|

《…資本/所得比率の歴史的変遷を示して、国民経済計算におけるストックとフローを有効利用することが、
いかに有用かにも注目。これを使えば、いずれ明らかな過大評価を検出し、賢明な政策や金融規制を導入して、
関係諸国の金融機関の投機熱を和らげることが可能になるかもしれない(27)。》
(ピケティ『21世紀の資本』第五章)

陰陽でもいいがここで重要なのは、
ストックとフローの歴史的推移が民衆の生活史を明らかにするということだ。
さらに取るべき政策が明確になる。

「われわれみんなが求めている<多元論>=<一元論>という魔術的等式に、
敵であるすべての二元論を経由して到達すること。」(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』MP邦訳単行本34頁)

 ちなみにピケティ生誕の地はドゥルーズ終焉の地と同じくパリのクリシー。
彼らは映画館ですれ違っていただろう。

《…女性のエネルギーと男性のエネルギーのあいだに、強度の回路が形成されているのが見られる。
女性は、本能的生得的な力(陰)の役を演じる。この力は男性に盗まれ、あるいは男性に伝達され、
この伝達された力(陽)の方はなおいっそう生得的なものとなる。力能の増大があるわけだ。」》
(ドゥルーズ&ガタリ『千プラトー』MP)

この場合、陰はストック、陽はフローということになる。


われわれみんなが求めている〈多元論〉=〈一元論〉という魔術的等式に、敵であるすべての二元論を経由して到達すること。しかし敵といっても、これはまったく必要な敵、われわれがたえず移動させる調度なのだ。
(ドゥルーズ&ガタリMP邦訳単行本34頁)


13-03
子路曰、衛君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、名不正則言不順、 言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣、

子路が曰わく、衛の君、子を待ちて政を為さば、子将に奚(なに)をか先にせん。子の曰わく、必ずや名を正さんか。子路が曰わく、是れ有るかな、子の迂 (う)なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん。子の曰わく、野(や)なるかな、由や。君子は其の知らざる所に於ては、蓋闕如(かつけつじょ)たり。名正しからざ れば則ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中(あた)らず、刑罰中らざれば則ち民手足 を措(お)く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於て、苟(いやし)くもする所なきの み。

子路が言った、「衛の殿様が先生をお迎えして政治をなされることになれば、先生は何から先になさいますか。」先生は言われた、「せめては名を正すことだ ね。」子路は言った、「これですからね、先生の回り遠さは。[この急場にそんなものを]どうしてまた正すのですか。」先生は言われた、「がさつだね、由 は。君子は自分の分からないことでは黙っているものだ。名が正しくなければ言葉も順当でなく、言葉が順当でなければ仕事も出来上がらず、仕事が出来上がら なければ、礼儀や音楽も盛んにならず、儀礼や音楽が盛んでなければ、刑罰もぴったりゆかず、刑罰がぴったりとゆかなければ人民は[不安で]手足の置き所も なくなる。だから君子は名をつけたら、きっと言葉で言えるし、言葉で言ったらきっと実行出来るようにする。君子は自分の言葉については決していいかげんに しないものだよ。」 


13-03
 子路曰、衛君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、…

 子路が曰わく、衛の君、子を待ちて政を為さば、子将に奚(なに)をか先にせん。
子の曰わく、必ずや名を正さんか。…

 子路が言った、「衛の殿様が先生をお迎えして政治をなされることになれば、
先生は何から先になさいますか。」先生は言われた、「せめては名を正すことだ ね。」…

上記が言語と事物の類似的対応を信じていたヴィトゲンシュタイン前期に対応するとするなら、
以下は言語ゲームに着目した後期に対応するだろう。

15-41
 子曰、辭達而已矣、
 子の曰わく、辞は達するのみ。 

 先生が言われた、「言葉は[意味が]通じさえすればいいのだ。」 

孔子のこうした「中庸」は機能主義的に評価されうる。ただしそれはあくまで対話主義的なものだ。

06-29  子曰、中庸之爲徳也、其至矣乎、民鮮久矣、 

 子の曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。

 先生が言われた、「中庸の道徳としての価値は、いかにも最上だね。
だが人民の間にとぼし
くなって久しいことだ。」
ちなみに、孔子の中庸を説明するものとして一番いいのは宥坐の器(ゆうざのき)だ。


観周敧器

出典 (明治書院)新釈漢文大系53『孔子家語』宇野精一著 118頁
巻第二 三恕 第九

孔子觀於魯桓公之廟、有敧器焉。夫子問於守廟者曰、此謂何器。對曰、此蓋爲宥坐之器。孔子曰、吾聞、宥坐之器、虡則敧、中則正、滿則覆。明君以爲至誡。故常置之於坐側。顧謂弟子曰、試注水焉。乃注之水、中則正、滿則覆。夫子喟然歎曰、嗚呼夫物惡有滿而不覆哉。

孔子、魯の桓公の廟(べう)を觀(み)るに、敧器(きき、傾いた器)有り。
夫子(ふうし)、廟を守る者に問ひて曰く、此れ何の器と謂ふ、と。
對へて曰く、此れ蓋(けだ)し宥坐(いうざ)の器(き)爲(た)り。
孔子曰く、吾聞く、宥坐の器は、虡(むな)しきときは則ち敧(かたむ)き、中なるときは則ち正しく、滿(み)つるときは則ち覆(くつがへ)る。
明君、以て至誡(しかい)と爲(な)す。故に常に之を坐の側(かたはら)に置く、と
顧みて弟子(ていし)に謂ひて曰く、試みに水を注げ、と。乃(すなは)ち之に水を注ぐに、中なれば則ち正しく、滿つれば則ち覆(くつがへ)る。
夫子(ふうし)、喟然(きぜん)として歎じて曰く、嗚呼(ああ)、夫(そ)れ物は惡(いづ)くんぞ滿ちて覆(くつがへ)らざるもの有らんや、と。

(ほぼ同じ内容が、『荀子』宥坐篇、『淮南子』道應訓、『説苑』敬愼篇、『韓詩外伝』巻三にある)


http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
以下上記ブログより引用。
http://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/86/01/19988601/69.jpg
これは「宥座の器(ゆうざのき)」というものです。

中国の孔子という人が桓公の廟(おたまや)に参拝したところ、そこに傾いてつるしてある「器」がありました。


孔子は廟守(びょうもり)に
「この器は何というものでしょうか」と尋ねると、廟守は「これはたぶん『宥座の器』というものでございましょう」と答えました。

それを聞いた孔子は、
「宥座の器ならば、中が空ならば傾き、程ほどならば正常になり、一杯に充満すれば転覆すると聞いています」と言って、傍らのお弟子さんに向って、「器に水をついでごらん」と言った。

御弟子さんが水を器に注ぎました。
中ほどのところでは正常の位置になり、
水が一杯になるとガクリと転覆し、
水がこぼれて空になると、またもとの傾いた状態になりました。

そこで孔子は言いました。
「世の中の万事、すべてこれと同じだ。結局満ちて覆らないものはない」

虚なれば即ち傾き
中なれば即ち正しく
満なれば即ち覆る



参考1:
『論語』より

雍也06-29

子曰、中庸之爲徳也、其至矣乎、民鮮久矣、

子の曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。

先生が言われた、「中庸の道徳としての価値は、いかにも最上だね。だが人民の間にとぼしくなって久しいことだ。」

////////


古代中国でレッセフェールが上手く行っていたというのが、近世西欧自由主義者の根拠らしい。
ケネーは農本主義なのでそこに循環を条件につけるべきだが。
ケネーは孔子主義者と言われたらしいし、ライプニッツも孔子を褒めている。
こちらはモナド的帝国主義だ。
ただ論語は自由主義といっても緊縮財政だ。レッセフェールは無為の訳語だから
孔子と老子が西欧では混同されている。
過度の自由主義が老子、緊縮財政自由主義が孔子に対応する。
ストックを持たない老子。ストックを大事にする孔子。…


下の図でわかるように、礼と仁は対応する次元が違う。学もそうだが、これらは実は再帰性、フィードバックを共通の特徴とする。
次元によって「汝自身を知れ」ということにもなるし、カント的な批判哲学(反省)ということにもなるし、
フロイト的な「抑圧されたものの回帰」ということにも、国家に頼らない自己救済(社倉等)とい
うことにもなる。日本では礼はその形式面が極端に固定的なものとして強調される傾向があるが、
その再帰性は 03-15 参照。

●『論語』の君子と脳機能              

        左      /\      右
 四次元       不踰矩/  \
  Where      / 君子 \
           耳順_    _\
 三次元       /  |  |  \
  What  (直、天命)義  信(行、権)
         /__  |  |  __\
 二次元    (明、不惑)智  仁(労、孝、道徳)
  How  /    | |  | |    \
      /___ 立| |  | |  ___\
 一次元 /    | | |  | | |    \
  (対象)    | | |ネし| |詩(思)   \
   /______|学|_|__|_|_|______\ 

一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。  例:挨拶 
二次元右「仁」=相手を思いやる心。 例:表情を読む 
二次元左「智」=知識。 例:名前を付けて覚える 
三次元右「信」=信用。 例:サッカーのパス 
三次元左「義」=正義。 例:本の執筆 
四次元 「君子」 =脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。 

                 (篠浦伸禎『脳は論語が好きだった』127頁 改) 

『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳のあらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した四次元的な存在として位置づけられそうだ。
また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働きよりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視していることが分かってくる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)

次元が上がるというのは変数が増えるということだ。メタレベルの座標軸、3DCGでいえば操作可能な回転軸が一つ増える、
と考えてもいい。
脳を横断した座標は、左右の脳機能が二進法的に考慮される。
上昇過程も二進法が考慮されている。        

ただし、
一次元(対象)、
二次元How、
三次元What、
四次元Where     
        
これらは
量、
質、
関係、
様相
というカントのカテゴリー(次元というより象限)に似ている。著者の脳外科医、篠浦伸禎
(しの うら・のぶさだ)氏は無意識だろうが。
       
    
       
03-15 

子入大廟、毎事問、或曰、孰謂聚*人之知禮乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是禮也、 

子、大廟に入りて、事ごとに問う。或るひとの曰わく、孰(たれ)かスウ人の子(こ)を礼を知ると謂うや、大廟に入りて、
事ごとに問う。子これを聞きて曰わく、是れ礼なり。 

先生は大廟の中で儀礼を一つ一つ尋ねられた。ある人が「スウの役人の子供が礼を知っているなどと誰がいったんだろう、
大廟の中で一つ一つ尋ねている。」といったが、先生はそれを聞くと「それ[そのように慎重にすること]が礼なのだ。」といわれた。 


仁。ゲーム理論では解の範囲の代わりを意味する。
「仁とは、交換様式でいえば、無償の贈与である。」(柄谷行人『世界史の構造』231頁)


06-22

樊遅問知、子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣、問仁、子曰、仁者先難而後獲、
可謂仁矣

樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、
知と謂うべし。仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。

樊遅が智のことをお訊ねすると、先生は言われた、「人としての正しい道を励み、神霊
には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」
仁のことをお訊ねすると、言われた、「仁の人は難事を先にして利益は後のことにする、
それが仁といえることだ」

15-09 

子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁、 

子の曰わく、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有り。 

先生が言われた、「志のある人や仁の人は、命惜しさに仁徳を害するようなことはしない。時には命を捨てても仁徳を成し遂げる。」 


07-29
子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣、
子の曰わく、仁遠からんや。我れ仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る。
先生がいわれた、「仁は遠いものだろうか。私たちが仁を求めると、仁はすぐにやってくるよ」
 

01-01
 子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎
 子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。
先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。[そのた びに理解が深まって向上していくのだから。]だれか友達が遠 い所からからも尋ねて来る、いかにも楽しいことだね。[同じ道について語り合えるから。]人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君主だね[凡人 にはできないことだから。]」 

「不満をできるだけ小さくする」ためにどのような方法で行うか?
提携の数は有限なので、(できるだけ不満の小さい)ただ一つの配分ができる。
ゲーム理論ではこれを「仁(nucleolus)」と言う。

『超訳論語』で安冨歩は学習回路の開いている状態を仁と呼び、
学習回路の開いている人たり得る人物を君子と呼ぶとしている。

『東洋の合理思想』228頁メモ

正名(方法)13:3 
知命(内容、実践)2:4、20:5
知の限界2:17 

(カントではなく)ソクラテスと対比。孔子の正名にはソクラテス〜アリストテレスのような知的検討が欠けている。
________

『生きるための論語』164頁、92頁メモ


(知/不知)→知 2:17
(礼/非礼)→礼 3:15(92頁)
(和/不和)→和 13:23(24とする書もある)

/は概念の峻別を意味で、→は両者の境界を書き換えるという意味。これらは動的過程を表現している。
「過」「如何」さらに「仁」4:6にも当てはまるらしい。

著者はカントの名前を出さないが、孔子思想をカント的批判哲学ととらえれば、(礼/非礼)→礼も 3:15が一番いい例示だということがわかりやすくなる。
(A/A_)→A

生きるための論語40頁
同書は仁を、東洋医学的にうまく働いていることと解している。再帰性も指摘される。


●『論語』の君子と脳機能                 

        左      /\      右
 四次元       不踰矩/  \
  Where      / 君子 \
           耳順_    _\
 三次元       /  |  |  \
  What  (直、天命)義  信(行、権)
         /__  |  |  __\
 二次元    (明、不惑)智  仁(労、孝、道徳)
  How  /    | |  | |    \
      /___ 立| |  | |  ___\
 一次元 /    | | |  | | |    \
  (対象)    | | |ネし| |詩(思)   \
   /______|学|_|__|_|_|______\ 
              (恭,泰,
               荘,威)

一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。
       礼15-18 (恭07-37、威07-37、泰13-26、荘02-20)
       例:挨拶
二次元右「仁」=相手を思いやる心。仁06-22(労13-01、孝02-21) 
       例:表情を読む
二次元左「智」=知識。智(明12-06、学02-15)知06-23
       例:名前を付けて覚える
三次元右「信」=信用。 信02-22(行04-24,07-24) 
       例:サッカーのパス
三次元左「義」=正義。 義15-18(道06-17、命16-08)04-08 道は別次元かも?
       例:本の執筆
四次元 「君子」君子16-10
       =脳の全機能をバランスよく発揮する生き方を求めること。
                 (『脳は論語が好きだった』127頁) 

02-04 http://nam21.sakura.ne.jp/koushi/#note0204
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩


「父爲子隱、子爲父隱」(『論語』子路13-18)

 <中国や韓国のように、儒教が国家の制度思想として採用された国では、孝が忠に優先する
ことは、国としては少々困った問題でもあった。たとえば『論語』に、羊を盗んだ父親の罪を
正直に役人に訴えた息子について、どう思うかと問われた孔子が「父は子のためにその罪を隠
し、子は父のためにその罪を隠す」ことが正直なことなのだと言った、という有名な話がある。
儒教はこのように、血縁共同体を超えた規範になるためには最初から限界を抱えていた。その
ために『孝経』がつくられて、孝と忠の調整がはかられたとも言われるが、この問題は結局は
根本的には解決されなかったように思う。>
http://www.amazon.co.jp/dp/B00E60ARNA/
(新 スカートの風 角川文庫 呉善花=お・そんふぁ著) 










ライプニッツの孔子擁護などは文化史的事件だ
著作集10:60頁
中庸が訳されていたらしいが、
●研究書
武内義雄「論語の研究」(岩波版・角川版全集)津田左右吉「論語と孔子の思想」(全集十四巻所収)の二著作は論語研究の画期的な業績として高く評価されている。昭和十四年まず武内義雄の論稿が世に出る。そこでは精緻な文献批判の下に、論語の各篇を一のまとまりと考え、それを古伝承と結びつけ解釈することによって成立事情を明らかにし、さらには孔子の思想へも迫ろうとする意図を持った。内容分析の結果、現在の論語は河間七
篇本・斉魯二篇本・斉人の伝えた七篇本・季子以下の三篇というふうにぱらぱらに分解され、無批判て論語の内容を受けとることができないことを論証した。
  それから七年後、日本敗戦の一年目の昭和二十一年、「論語と孔子の思想」が出る。津田は武内の方法に反対して、論語をさらに一章毎に分解する。そして孔子なり弟子なりの語録を、後代の文献「孟子」とか「筍子」に見えることばと、ひとつひとつ対応させ比較検討する。その結果、論語は孔子のことばをそのまゝ記録したものでなく、後代の文献から拾われ再編集されたものが中心であると、結論する。永く聖典扱いを受けてきた書物だけに賛否の大変な反響を呼んだが、賛否を問わずこの二人の業績は論語本文研究の出発点として動かぬ地歩を築いた。こんな簡単な紹介の仕方をすることすら、この二巨人の仕事への冒涜と思えてならない。ぜひ原著作に直接当って見てほしい。学問とはこんなものなのかと改めて教えてくれるだろう。
  この二著作は日本漢学の側よりも、むしろ西欧的な思弁を持つ思想家、西田幾太郎・和辻哲郎らに絶賛を浴びる。特に和辻は武内義雄の研究に触発されて「孔子」(大教育家文庫・全集六巻所収)を書くことになる。西欧的教養に育てられた著者か、そのフィロロジーの方法を駆使して書き上げたのが「孔子」で、武内の文献学的研究の成果をたくみに採り入れている。畑違いの場からのこの発言ほ吉川・貝塚等のシナ学者からも孔子研究の白眉として高い評価を受けている。
  木村英一「孔子と論語」も師説(武内義雄)を享け発展させた労作である。論語各篇がどのような脈絡を持つかを明らかにしつゝ、各篇の構造と性格を実証的に追求しようとしている。
  津田左右吉の学問に傾倒し、その影響を強く受け、さらに、第二次大戦中、中国に長期に亘って滞在し、直接民衆の風俗習慣にふれるという貴重な体験の上に立って渡辺卓「中国古代思想の研究」は成る。この大冊には副題が「孔子伝の形成と儒墨集団の思想と行動」とつき、題名が示すように孔子やその弟子たちにまつわる説話がどのように形成されていったかを追ったもので、著者の死後、木村英一の尽力によって刊行された。この二著は、今日の学界の論語あるいは孔子伝に関する研究の到達点を示すもの、と理解してよいかと思う。
  孔子の唯一の伝記的史料とされるのが、司馬遷の「史記」中の「孔子生家」であるが、むしろ第一級の史料は論語そのものであること、これはいうまでもない。したがって論語を研究することは即孔子や弟子達について研究することにつながり、両者は不可分の関係にある。たゞ研究の主眼をどちらに置くかぐらいの差はあるので、こゝではもう少し孔子伝に主体を置いたものを並べて見る。
  内野熊一郎他著「孔子」は清水書院の「人と思想」シリーズのために書かれたもので、高校生を対象としているので判り易く解説されている。「孔子伝」というより論語入門書と言った方が性格に近い。たゞそういう性格の本だけに、近代の西洋思想が論語をどのような受けとり方をしたかとか、現代中国でどのような評価を受けているか、といった記載があって便利である。
  西洋思想と論語享受というテーマについては大変な学術的労作がある。比較文学の大著「中国思想のフランス西漸」(後藤末雄・東洋文庫所収全二巻)がそれで、日本文化の西欧への紹介者かヤソ会士であったように、中国文化の西漸もヤソ会士の手引による、とする。そのヤソ会士の通信を、何年もかかって読み解くことからこの労作は始まり、やかてモンテスキユー、ヴォルテール、ディドロ等十八世紀のフランス思想に、シナ思想がどのような影響を与えたかが明らかにされていく。孔子の思想がその根幹に据えられていることは附言するまでもなかろう。
  現代中国の孔子評価については、文化大革命の嵐をくぐり抜け再評価されている現在であるが、その渦中、論語は焚書坑儒の時代と同様な受難の日々を送る。当時孔子批判の論拠となった二著をあげておく。郭沫若「十批判書」(邦訳名「中国古代の思想家たち一二巻) 馮友蘭「新編中国哲学史」(二巻)がその二冊である。
  大漢和に全精力、全生涯を投じた諸橋轍次が八十才を超えてから、さらに八年間に亘って孔子伝を書き続けた。「如是我聞孔子伝」(著作集六巻)では、孔子を敬し、孔子その人になりきり、その生涯と人間像を語っている。いわば儒学に身を投じ生涯を捧げ尽した人間の信仰録と言ってよいかと思う。「孔子伝」に続いて「同拾遺」が書かれ、前者が年代順に、後者が内容別にまとめられて編まれている。
  金文・甲骨文の研究者白川静にも「孔子伝」がある。孔子の人間像は固定されたものでなく、時代とともに書き換えられているが、論者の史観によって歪曲させてよいということでなく、孔子を歴史的な人格として捉え歴史性を明らかにすることが、孔子の生命の息吹きを現代によみがえらせる唯一の道だ、と説く。
  H.G.クリール「孔子  その人とその伝説」はアメリカ人学者による孔子伝である。広く史料を渉猟し、デモクラティックな進歩的思想家として孔子をとらえ、人間像を描くことに成功している。外国人の書いたものの中では一番多く各書に引用されている。
  吉川・貝塚の両大家にも、当然、孔子伝あるいは孔子研究に類する仕事はある。吉川幸次郎「中国の知恵  孔子について」は雑誌「新潮」に連載されたものを、同社一時間文庫の一つとしてまとめられたもので、全集の五巻にも再録されている。素朴よりも文明を、神よりも人間を、独断よりも実証を重んずる中国文明に深い敬意を表しつゝ、その源を孔子の思想に求めている。貝塚茂樹「孔子」(岩波新書)「古代中国の精神」は、訳注の仕事(世界の名著・孔子)もそうであったように孔子をその生きた時代に置き、孔子とともにものを思い問題を解決しようとする所に、この学者の仕事の一貫した特徴がある。



礼(楽)=音楽
孔子の理想

マルサスの人口原理(まるさすのじんこうげんり)とは - コトバンク

https://kotobank.jp/word/マルサスの人口原理-1420871
世界大百科事典 第2版 - マルサスの人口原理の用語解説 - 1760年代に重農主義者のチュルゴによって初めて主張され,ウェストEdward ... すなわち人口原理によれば,時間とともに人口は等比級数的に成長するが,食糧生産は等差級数的にしか増加しない。



儒教は農本主義ではない。
ただし以下は老荘思想を反映していると言われる。
論語は反対意見を組み込んでいる点で優れている。
中井正一が指摘するように、感嘆符が常にあることからそれがわかる。

18-07
子路從而後、遇丈人以杖荷簣*、子路問曰、子見夫子乎、丈人曰、四體不勤、五穀不分、
孰爲夫子、植其杖而芸、子路拱而立、止子路宿、殺鷄*爲黍而食之、見 其二子焉、
明日子路行以告、子曰、隠者也、使子路反見之、至則行矣、子路曰、不仕無義、長幼之節、
不可廢也、君臣之義、如之何其可廢也、欲潔其身而亂大 倫、君子之仕也、行其義也、
道之不行也、已知之矣、

子路従いて後(おく)れたり。丈人(じょうじん)の杖を以て簣*(あじか)を荷なうに
遇う。子路問いて曰わく、子、夫子を見るか。丈人の曰わく、四体勤 (つと)めず、
五穀分かたず、孰(たれ)をか夫子と為さん。其の杖を植(た)てて芸(くさぎ)る。
子路拱(きょう)して立つ。子路を止(とど)めて宿 (しゅく)せしめ、鶏を殺し黍
(きび)を為(つく)りてこれに食らわしめ、其の二子を見(まみ)えしむ。明日
(めいじつ)、子路行きて以て告(もう)す。 子の曰わく、隠者なり。子路をして反
(かえ)りてこれを見しむ。至れば則ち行(さ)る。子路が曰わく、仕えざれば義なし。
長幼の節は廃すべからざるなり。 君臣の義はこれを如何ぞ其れ廃すべけんや。其の身を
潔(きよ)くせんと欲して大倫を乱る。君子の仕うるや、其の義を行わんとなり。
道の行なわざるや、已 (すで)にこれを知れり。

子路がお共をしていて遅れたとき、杖で竹籠を担った老人に出会った。子路が訊ねて
「あなた、うちの先生を見ましたか。」と言うと、老人は「手足も働かさ ず、五穀も
作らないでいて、誰のことを先生と言うのだ。」と言って、その杖を突き立てると草を
刈り始めた。氏路が[ただ者でないと悟って敬意を表し]両手 を胸に組合せて立って
いると、[やがて]子路を引き止めて泊まらせ、鶏を殺し、黍飯をこしらえて食べさせ、
その二人の子供をひきあわせた。翌日、子路が [先生に]追付いてそのことを申し上げる
と、先生は「隠者だ。」と言われて、子路に引き返してもう一度会わせようとされたが、
行って見ると立ち去ってい た。子路は[留守の子供に向かって]言った、「仕えなけれ
ば[君臣の]大義は無いが、長幼の折り目は捨てられない。[昨日、あなた方を引き
あわせて下さっ たことでも分かる。してみると、]君臣の大義もどうしてまあ捨てられ
よう。[それを捨てているのは]我が身を清くしようとして人としての大切な道を乱して
 いるのだ。君子が仕えるというのは、その大義を行うのである。[今の世の中に]
道が行なわれないというのは、とっくに分かっている。」 


儒教は農本主義ではない。
ただし以下は老荘思想を反映していると言われる。
論語は反対意見を組み込んでいる点で優れている。
中井正一が指摘するように、論語には感嘆符が常にあることからそれがわかる。

18-07    
子路がお共をしていて遅れたとき、杖で竹籠を担った老人に出会った。子路が訊ねて
「あなた、うちの先生を見ましたか。」と言うと、老人は「手足も働かさ ず、五穀も
作らないでいて、誰のことを先生と言うのだ。」と言って、その杖を突き立てると草を
刈り始めた。氏路が[ただ者でないと悟って敬意を表し]両手 を胸に組合せて立って
いると、[やがて]子路を引き止めて泊まらせ、鶏を殺し、黍飯をこしらえて食べさせ、
その二人の子供をひきあわせた。翌日、子路が [先生に]追付いてそのことを申し上げる
と、先生は「隠者だ。」と言われて、子路に引き返してもう一度会わせようとされたが、
行って見ると立ち去ってい た。子路は[留守の子供に向かって]言った、「仕えなけれ
ば[君臣の]大義は無いが、長幼の折り目は捨てられない。[昨日、あなた方を引き
あわせて下さっ たことでも分かる。してみると、]君臣の大義もどうしてまあ捨てられ
よう。[それを捨てているのは]我が身を清くしようとして人としての大切な道を乱して
 いるのだ。君子が仕えるというのは、その大義を行うのである。[今の世の中に]
道が行なわれないというのは、とっくに分かっている。」 


礼(楽)=音楽
孔子の理想

仏陀 大いなる旅路 仏教本来の姿

仏教 キサーゴータミー