金曜日, 6月 26, 2015

法身説法(空海『十住心』)、無尽蔵(『華厳経』)

法身説法

www.mikkyo21f.gr.jp>トップページ>八葉蓮台

空海は、「真如」「法界」をその体とし、存在するだけで自ら(「真如」)を説かない「果分 不可説」の「法仏」(法身、毘盧遮那)に代り、密教が起てた「法仏」(大毘盧遮那、大日 如来)に自ら(「自内証」)を自ら説法するペルソナを付与し、「法仏の談話」を可能(「果分 可 ...

法身説法(ホッシンセッポウ)とは - コトバンク

kotobank.jp/word/法身説法-630641

デジタル大辞泉 - 法身説法の用語解説 - 仏語。真理としての法そのものが説法している ということ。密教で、大日如来が法身のままで説法すること。また、その説法。

辞書別に見る:大辞林 第三版




こころの時代 日本仏教のあゆみ~信と行~第三回「密教の曼荼羅(まんだら)世界」[再] ウェブ検索
6/27 (土) 13:00 ~ 14:00 (60分) この時間帯の番組表
NHKEテレ1・東京(Ch.2)
ドキュメンタリー/教養 - カルチャー・伝統文化 , 趣味/教育 - 生涯教育・資格 , 福祉 - 社会福祉

番組概要

日本仏教のあゆみを、「信」と「行」の観点からたどっていく6回シリーズ(毎月1回、第3週放送)。第3回は密教の曼荼羅(まんだら)世界。空海の思想を中心に見ていく。

番組詳細

平安時代、大乗仏教の修行のあり方を超える道として登場した密教。密教とは、大日如来が真理そのものを直接語った教えを指す。日本に真言密教を広めた空海は、それまで説くことが不可能とされた仏のさとりの世界も、独特の言語観や修行法によって明らかにできるとした。自己の心の中に大日如来を中心としたコスモロジーがあることを示す両界曼荼羅(まんだら)やこの身このままで仏と一体となることを目指す即身成仏の思想を見る。

【出演】仏教学者…竹村牧男,【きき手】草柳隆三

HD 16:9 コピー可



無尽蔵(むじんぞう)とは、中国・唐代の三階教の中心寺院、長安の化度寺にあった無尽蔵院
に代表される、三階教特有の寺院内の施設の名称である。

三階教の説く「普法」に基づいた「普施」を実行するための道場として位置づけられていた。三
階教徒より集められた財貨によって、広く天下の寺院の修築に供したという。

化度寺の無尽蔵院は、武則天の時代に、洛陽の福先寺に移されたが、後に化度寺に戻った。
713年(開元元年)、玄宗の勅命によって破壊された。

設備は破壊されたものの、しかし、無尽の考え方はその他の仏教宗派に広まって、お布施等
で集められた財産を広く民間に貸し出して利潤を得るシステムが、唐末の仏教寺院では、無
尽財、寺庫、質庫、庫などと称されて、広く見られるようになった。宋代には長生庫、元代では
解庫、解典庫と呼ばれるようになった。やがて民間にもシステムが普及し、大勢で小額の
金銭を出し合い、必要な時やくじ引き順で一定量の金銭を構成員各員が受け取る無尽、
無尽講が、日本において確立された。

参考文献:
  • 早川道雄「三階教と無尽蔵院」(『鴨台史論』1、1987年)
  • (1973年)

    1973復刊
    矢吹 慶輝
    華厳経に基づくとされる。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

頼母子講
たのもしこう

無尽ともいい,の組織による民間の金融組合の一種。講員が掛金を定期間に出し合い,入札または抽籤で毎回そのなかの1人が交代で所定の金額を受取る。全員に渡し終えた時点で講は解散する。出し合った金で家畜や家財道具などを買入れ,交代に分与する方法などがある。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。


イスラーム圏では一般的な保険は運用によって得た利子を利用して運営を行う事と、いつ起きるか分からない事故や疾病に対してお金を払う事をギャンブルと見做す為にシャリーアに反するとされ、そのままでは販売できない。その為、イスラームの五行にあるサダカに合致させる為、共済頼母子講に似た方法で資金調達と運用を行う。顧客は一定期間にわたって保険料に相当する金額を支払う契約を締結する。保険契約者の支払う保険料は、保険契約者名義の一般口座と特別口座の2つに分けられる。特に事故や病気などがなく支払いが発生しなかった場合は一般口座からプールされた資金とその運用益が分配されて、事故や病気などが発生した場合には特別口座からザカートとして保険金に相当するお金が支払われる。

公認会計士 飯田律氏のイスラム探訪 | 週刊 イスラム市場

www.shukanislam.com/#.../c23du/7EB4E3D6-1C74-4391...

ムダラバ. 営業者(資金運用者)が、出資者から資金を集め、投資・運用結果の利益を 配当するという取引形態。出資者は、事業は ... が買い手との間に入って、転売という形 を取り、買い手は、金融手数料を加えた金額を分割支払する方法( 自動車ローン).


ムシャラカとは?ムシャラカの意味 イスラム金融用語辞典

islamicfinance.jp/words/musyaraka.html

ムシャラカとは何か. このページでは、ムシャラカの意味を説明しています。 ムシャラカ はムダラバと同様に事業への投資や配当によるスキームであるが、共同出資であること が違いである。 ムダラバでは資金の出し手は事業投資から生み出された配当を ...


 <参考:イスラム金融の主なスキーム>

ムラバハ:売買取引。売値と買値の差額が利息相当となる。

イジャラ:リース取引。

ムダラバ:信託取引。

ムシャラカ:共同出資。

イスティスナ:製造する商品を銀行が顧客に代わって製造者に発注、代金を支払う取引。

 製造されたものは顧客に引き渡され、銀行は顧客から代金をリース料などとして回収する。

サラム:売主が対象物を後日引き渡す約束で、買主が代金を一括先払いする先渡し取引。

ワカラ:代理人を指名し、代理人に業務遂行を任せ、手数料を支払う取引。

タカフル:頼母子講に似た保険システム。


International Economic Review




最近『リトル・ライオン』というフランス資本の映画でアフリカイスラム版の頼母子講の実例を見た。

それは近所の人との頼母子講を孫のサッカー留学に使うというものだった。


 <参考:イスラム金融の主なスキーム>

ムラバハ:売買取引。売値と買値の差額が利息相当となる。

イジャラ:リース取引。

ムダラバ:信託取引。

ムシャラカ:共同出資。

イスティスナ:製造する商品を銀行が顧客に代わって製造者に発注、代金を支払う取引。

 製造されたものは顧客に引き渡され、銀行は顧客から代金をリース料などとして回収する。

サラム:売主が対象物を後日引き渡す約束で、買主が代金を一括先払いする先渡し取引。

ワカラ:代理人を指名し、代理人に業務遂行を任せ、手数料を支払う取引。


イスラーム圏では一般的な保険は運用によって得た利子を利用して運営を行う事と、いつ起きるか分からない事故や疾病に対してお金を払う事をギャンブルと見做す為にシャリーアに反するとされ、そのままでは販売できない。その為、イスラームの五行にあるサダカに合致させる為、共済頼母子講に似た方法で資金調達と運用を行う。


頼母子講(たのもしこう)ブリタニカ国際大百科事典より

無尽ともいい,の組織による民間の金融組合の一種。講員が掛金を定期間に出し合い,入札または抽籤で毎回そのなかの1人が交代で所定の金額を受取る。全員に渡し終えた時点で講は解散する。出し合った金で家畜や家財道具などを買入れ,交代に分与する方法などがある。
/////
最近『リトル・ライオン』というフランス資本のアフリカ映画でイスラム版の頼母子講
(タカフル?)の実例を見た。それは劇中、近所の人との頼母子講を孫のサッカー留学に
使うというものだった。

International Economic Review

 <参考:イスラム金融の主なスキーム>

ムラバハ:売買取引。売値と買値の差額が利息相当となる。

イジャラ:リース取引。

ムダラバ:信託取引。

ムシャラカ:共同出資。

イスティスナ:製造する商品を銀行が顧客に代わって製造者に発注、代金を支払う取引。

 製造されたものは顧客に引き渡され、銀行は顧客から代金をリース料などとして回収する。

サラム:売主が対象物を後日引き渡す約束で、買主が代金を一括先払いする先渡し取引。

ワカラ:代理人を指名し、代理人に業務遂行を任せ、手数料を支払う取引。


イスラーム圏では一般的な保険は運用によって得た利子を利用して運営を行う事と、
いつ起きるか分からない事故や疾病に対してお金を払う事をギャンブルと見做す為に
シャリーアに反するとされ、そのままでは販売できない。その為、イスラームの五行
にあるサダカに合致させる為、共済頼母子講に似た方法で資金調達と運用を行う。
 

  頼母子講(たのもしこう)ブリタニカ国際大百科事典より  

無尽ともいい,講の組織による民間の金融組合の一種。講員が掛金を定期間に出し合い, 入札または抽籤で毎回その

なかの1人が交代で所定の金額を受取る。全員に渡し終えた 時点で講は解散する。出し合った金で家畜や家財道具など

を買入れ,交代に分与する 方法などがある。


要するに資本ストック(=β)は必ずしも悪ではない。

問題は、ストックに現勢的な利益を与え、ストックへの欲求可能性を与える新しいアレンジメントとは
何かということだ。ストックはある必然的な相関物をもつように思われる。同時に耕作されている領土が
共存すること、または、唯一の同じ領土において継起的な耕作が行なわれること。諸領土が一つの〈土地〉
を形成し、〈土地〉が領土にとって代わる。このようなアレンジメントは必然的にストックを持ち、第一
の場合には拡大耕作となる。》
(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』13)

《…ストックを産出することを余儀なくされているかぎり──たとえ外的な事情による場合でも、どんな
国家がストックなしでいられようか──ギリシア世界、ローマ世界、封建世界において見出されるのは、
常に帝国の発達した形態を新たに活性化したものであった。地平線のかなたにはいつも一つの帝国が見え
隠れし、その帝国は主体的な国家に対し、意味を与えるもの包括するものという役割を果たす。
国家装置が発明されるのは、アフリカ・アジア地方、オリエント、つまり中近東、エジプトやメソポタ
ミア、さらにまたインダス(そして極東)である。農業ストック、その相伴物である官僚機構、軍隊機構、
さらには冶金業、商業が形成されるのは、これらの地域においてである。ただし、こうした帝国的、東方
的「解決」は、一つの袋小路によって脅かされる。国家による超コード化は、強力な官僚機構の管理のも
とで、冶金業者や、職人や、商人を狭い範囲に押し止め、指導階級に奉仕させ、外部との交易を独占的に
所有し、農民たちはほとんど国家の創設による利益にあずかることがない。
こうしてエーゲ海民族は、みずからストックを形成しないまま、東方のストックを利用できる状況に置
かれる。可能なときには東方のストックを略奪し、より定期的には中央ヨーロッパや西ヨーロッパから来
る一次産品(特に木材と金属)と東方のストックの一部を交換する。東方が休みなくストックを再生しな
ければならないのは確かだが、論理的には東方は「一度で決定的に」ストックに成功し、西方はそれを再
生する必要なしにその恩恵に浴する。この結果、現地の国家装置の蓄積した余剰に依存しないことから、
西方における冶金職人や商人の身分は東方におけるものとは異なってくる。農民はしばしば東方世界と同
じか、またはもっと厳しい搾取をこうむるが、職人や商人はより自由な身分と、より多様な市場を享受し、
後の中産階級を先取りするものとなる。東方世界の多くの冶金職人や商人がエーゲ世界に渡り、より自由
で、より多様で、より安定した条件を見出すだろう。
(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』13)

世界古典文学全集〈第7巻〉仏典2 (1965年) 筑摩書房 にも、華厳経21/28の現代語訳が所収されている。





 

華厳経 

http://www.geocities.co.jp/suzakicojp/kegon1.html

 

第十八章 十無尽蔵品

菩薩が、このような信心を完成すれば、たとい、諸仏、衆生、法界、涅槃界などの、不可思議であることを聞いても、心におどろきをおぼえない。
 この信蔵は、決して退くことのない信、乱れることのない信、こわれることのない信、執著することのない信、如来本性の信である。
 菩薩は、いかなる世界の戒にも執著しない。菩薩は、つねに涅槃に向う戒にしたがい、この戒のために、衆生を悩ますことはしない。菩薩が戒をたもつのは、ただ衆生の利益をおもい、衆生をよろこばせるためである。菩薩は、かたよった見解をはなれ、ただ因縁を観察して、清浄の戒をたもつ。菩薩は、ただ清浄の戒をたもって、ひたすら仏法をもとめ、一切の智慧を成就しようとおもうだけである。戒を犯すひとを見ても、これをいやしみ、ののしって、なやますことはしない。ただ、一心に戒をたもつだけである。
 

一切の諸仏は、衆生は顛倒によって戒をおかす、ということを知っておられる。そこで、わたしは、ひたすら仏道を求め、無上のさとりを完成し、ひろく衆生のために、真実の法を説き、顛倒をはなれ、清浄の戒をたもたしめ、ことごとく無上のさとりを成就せしめよう。』
 菩薩は、みずから、自分の過去世をおもうのに、
『わたしは、限りない昔から、親、兄弟のなかで、罪をおかしてきた。あるいは、相手をあなどって、みずからたかぶったり、あるいは、心が乱れて、節義を失ったり、あるいは、腹をたてて、親しみがなくなったり、このように、迷いまどうて、いろいろな悪をつくってきた。一切衆生もまた、そのとおりで、もろもろの罪をおかしている。どうして、これでよいことがあろう。
 そこでわたしは、みずから罪をはじ、さとりを完成し、また、衆生のために真実の法を説き、衆生をして罪をはじさせ、さとりを完成させよう。』と。
 これが、菩薩の無尽の慚蔵である。

菩薩は、みずから恥じておもうに、
『わたしは、昔から、感覚の対象や、妻子兄弟や、財産や宝物などを、むさぼりもとめて、満足することがなかった。こうしたことは、やめなくてはならない。』

 菩薩は、そのとき、こころにおもうよう、
『わたしは、これまで、命をおとしてきたことは、測り知れないが、ひとを救うために、自分の命を捨てたことは、まだ一度もなかった。幸いに、御馳走や衣服を得たことは、この上もないよろこびである。このさい、わたしは、命をすて、一切をささげて、衆生のためにつくし、大いなる施しを完成しよう。』と。
 これが、菩薩の最後の行じがたい施しである。

菩薩は、過去の諸仏、菩薩のおこないや功徳をきいても、それに執著せず、妄想もおこさない。
 ただ、ひとびとを、教えみちびくために、身をあらわして、ひろく道を説き、衆生をして、仏法を完成せしめようとおもうだけである。
  菩薩は、未来の諸仏、菩薩のおこないや、功徳をきいても、そのすがたをえがかず、こころに執著せず、その仏国に往生しようともおもわず、味わうこともなく、厭うこともなく、心をおさめて、散乱することがない。 菩薩は、ただつぎのようにおもう、『すべての現象は、ことごとく夢のごとくであり、すべてのおこないは、みな真実でない。衆生は、そのことを知らないから、まよいの世界に流転するのである。』菩薩は、みずから、自分の身を観察してみるに、すでに、受胎のときから、不浄で、悪臭をはなち、一片の真実もなく、骨節たがいに組みあって、血肉によっておおわれ、もろもろの孔からは、つねに不浄がながれ、かくして、ついには、しかばねとなる。 菩薩は、このように、わが身を観察して、一念の愛著をも、おこさない。

ありとあらゆるものは、みずから生じたものでもなく、他によってつくられたものでもない、それは、不生であり、不滅であり、施すこともなく、受けることもなく、ことばによって、表しようがないからである。
 
 菩薩のおもいには、十種ある。
 すなわち、 寂かなおもい、 清らかなおもい、 にごりのないおもい、 澄みとおるおもい、 ちりを離れたおもい、 種々のちりを離れたおもい、 あかを離れたおもい、 ひかりかがやくおもい、 たのしむおもい、 さわりやへだてのないおもい、である。
 菩薩が、このおもいをなすとき、いかなる世間も、菩薩のこころを、みだすことはできず、いかなる悪魔も、そのこころを、うごかすことはできない。

以上が華厳経1-21章からの抜粋です。

参考元はこちらです:

http://members13.tsukaeru.net/qookaku/index.html

http://members13.tsukaeru.net/qookaku/mahayana_sutra/mahayana_sutra.html 



原田霊道訳著『現代意訳 華厳経』(書肆心水)
http://www.shoshi-shinsui.com/SPL079.pdf 冒頭50頁分のサンプル 2/28

     ②無一物中無尽蔵

  『華厳経』に、一つの塵の中に全宇宙が宿っていると説かれてあり、天台では「南無の

一念に三千世界を見る」という意味のことが説かれ、禅に「無一物の中に無尽のもの(全

宇宙)がある」といいます。浄土教では「南無の一声にみ佛の兆歳永劫の修行の功徳が込

められている」と、言います。



経典散策・大方広仏華厳経

http://heartland.geocities.jp/nyoimani/

無一物中無尽蔵/並榎山常仙寺 今月の言葉

members3.jcom.home.ne.jp/jousenji/jousenji0726_06.html

無一物中無尽蔵 この「無一物中無尽蔵」という言葉は、中国宋代の詩人蘇東坡(そとう ば)の、 素紈(がん)画かざれば意高き哉 儻(も)し丹青を着ければ二に落ち来る 無一物 中無尽蔵花有り月有り楼臺(ろうだい)有り という詩から引用された句です。 詩の大意は  ...

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