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水曜日, 10月 14, 2015

ケインズ『貨幣論』『貨幣改革論』『確率論』:メモ

                  (経済学リンク::::::::::
ケインズ『貨幣論』1929,『貨幣改革論』1923,『確率論』1921:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/1979-john-maynard-keynes-treatise-money.html(本頁)

ソロン

ケインジアンの交差図
http://nam-students.blogspot.jp/2015/03/blog-post_12.html
ラムゼイ「貯蓄の数学的理論」1928年、F.R.Ramsey,”A Mathematical Theory of Saving”
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/1928frramseya-mathematical-theory-of.html


ダンロップ=ターシス批判関連(脇田成『マクロ経済学のパースペクティブ』 等)
http://nam-students.blogspot.com/2017/02/blog-post_42.html
千葉大中村確率論論考
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180523211315.pdf?id=ART0010350014


《ポスト・ケインジアンは、マネタリストとは著しく対照的に、貨幣ストックを本質的に内生的なものであり、貨幣賃金水準の変化に反応し、かつ順応するものとみなす。ケインズは『貨幣論』(1930年)で貨幣が「負債とともに現れる」と主張した。換言すれば、貨幣の供給は生産契約、そしてそれが必要とする任意の負債に結びつけられている。貨幣はマナのように天から、あるいは、フリードマンのヘリコプターによって空から体系に入るのではない。あるいは、貨幣は中央銀行諸政策の単なる創造物でもない。》
バジル・J.ムーア「貨幣的要因」
アイクナー編『ポスト・ケインズ派経済学入門』1980所収131~2頁


ケインズ3部作=『一般理論』1936,『貨幣論』1930(1929),『貨幣改革論』1923
『一般理論』以前の二冊は古典派経済学者ケインズとしての書。さらにそれ以前の『確率論』は哲学者としての書。

ジョン・メイナード・ケインズ  貨幣論|Ⅰ・Ⅱ ケインズ全集第5巻・第6巻 東洋経済新報社 1979
John Maynard Keynes A Treatise Money 1929・1965
 [訳]小泉明・長澤惟恭★


4

A TREATISE ON MONEY

BK. I

of-account is the description or title and the money is

the thing which answers to the description. Now if

the same thing always answered to the same descrip-

tion, the distinction would have no practical interest.

But if the thing can change, whilst the description

remains the same, then the distinction can be highly

significant. The difference is like that between the

King of England (whoever he may be) and King

George. A contract to pay ten years hence a weight

of gold equal to the weight of the King of England

is not the same thing as a contract to pay a weight

of gold equal to the weight of the individual who is

now King George. It is for the State to declare,

when the time comes, who the King of England is.

Now by the mention of contracts and offers, we

have introduced Law or Custom, by which they are

enforceable; that is to say, we have introduced the

State or the Community. Furthermore it is a peculiar

characteristic of money contracts that it is the State

or Community not only which enforces delivery, but

also which decides what it is that must be delivered

as a lawful or customary discharge of a contract

which has been concluded in terms of the money-of-

account. The State, therefore, comes in first of all as the authority of law which enforces the payment of the thing which corresponds to the name or description in the contract. But it comes in doubly when, in addition, it claims the right to determine and declare what thing corresponds to the name, and to vary its declaration from time to time-when, that is to say, it claims the right to re-edit the dictionary.

This right is claimed by all modern States and has been so claimed for some four thousand years at least.

It is when this stage in the evolution of Money has been reached that Knapp's Chartalism-the doctrine that money is peculiarly a creation of the State-is fully realised.

Thus the Age of Money had succeeded to the Age



https://crookedtimber.org/2020/06/01/modern-monetary-theory-neither-modern-nor-monetary-nor-mainly-theoretical/


The State, therefore, comes in first of all as the authority of law which enforces the payment of the thing which corresponds to the name or description in the contracts. But it comes in doubly when, in addition, it claims the right to determine and declare what thing corresponds to the name, and to vary its declaration from time to time – when, that is to say, it claims the right to re-edit the dictionary. This right is claimed by all modern states and has been so claimed for some four thousand years at least. (Keynes 1930, p. 4, emphasis added).



ケインズ『貨幣論』
《 …国家は、まず第一に、契約に含まれている名称もしくは記述に照応する物の支払いを強制する法の権威とし
て現われる。しかし国家が、これに加えていかなる物がその名称に照応するかを定め、これを布告し、そしてその布告を
時どき変更する権利を要求するとき──すなわち辞典を再編修する権利を要求するとき──国家は二役を演ずること
になる。この権利は、すべて近代国家が要求しており、そして少なくとも約四〇〇〇年の間そのように要求し続けてきた。
クナップ(Knapp)の表券主義(chartalism) ──貨幣はとくに国家の創造物であるという学説──が完全に実現される
のは、貨幣の発展がこの段階に到達したときである。
 したがって、人びとが計算貨幣を採用した瞬間から、貨幣の時代が物々交換の時代の後を引き継ぐに至ったのである。
》原著1929邦訳ケインズ全集#5:4~5頁

レイMMT入門6.3
《 ここでは、貨幣の歴史に関する従来の物語の誤りを証明するために、詳細な歴史を説明する余裕はない。そこで、
その代わりとなるものを概観しよう。 まずは、計算貨幣は何千年も前から──少なくとも4000年、おそらくはもっとずっ
と前から──存在することに注目しなければならない(「現代貨幣理論」の「現代」は、「貨幣とは、少なくとも過去4000
年間は国家貨幣であった」というケインズの主張から来ている)。
我々がこれを知っているのは、例えば貨幣的な価値を記録するメソポタミアの粘土板や、その計算貨幣を使った価格表
のおかげである。》原著2015改訂版

貨幣の本源的概念についての覚書
泉正樹 2013[レイが引用される]
https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2013/pdf/no06_03.pdf
次頁のツリー上の系統図部分は,1930年にケインズが,『貨幣論 I  貨幣の純粋理論』第1編「貨幣の性質」第1章「貨幣の分類」の「四 貨幣の形態」と「五 流通貨幣」とで提示した分類を,一つにまとめてみたものである。見られるように,そこには,「本源的概念」とされる計算貨幣から「本来の貨幣」と「債務の承認」が分岐し,それぞれに「国家貨幣」と「銀行貨幣」とが対応する。



「国家貨幣」と「銀行貨幣」とが合流する「代表貨幣」から,一方に「管理貨幣」が,そして他方に「法定不換紙幣」が分岐するかたちとなっていることが確認できる。



貨幣論

 貨幣と計算貨幣との区別は、計算貨幣は記述あるいは称号であり、貨幣はその記述に照応する物であるといえば、
恐らく明らかにしうるであろう。ところで、もし同じ物がつねに同じ記述に照応しているならば、この区別は何の実
際的な興味も引かないであろう。しかし、もし物は変わりうるがこれに対して記述は同一のままであるならば、その
場合にはこの区別はきわめて重要でありうる。この違いは、イギリス国王(それは誰であってもよい)とジョージ国
王との違いのようなものである。一〇年後にイギリス国王の体重に等しい重量の金を支払うという契約は、現在ジョ
ージ国王であるその個人の体重に等しい重量の金を支払うという契約と同じものではない。そのときになって誰がイ

ギリス国王であるかを布告するのは、国家の役目である。
ところで、契約と付け値とに言及することによって、既にわれわれはそれらを履行させることのできる法律あるい
は慣習を導入している。すなわちわれわれは、国家あるいは社会を導入しているのである。さらに貨幣契約の一つの
特殊の性質は、国家または社会が、単に引渡しを強制するだけでなく、計算貨幣をもって締結されている契約の合法
的あるいは慣習的な履行として引き渡されなければならないものは何かということをも決定する点にある。したがっ
て国家は、まず第一に、契約に含まれている名称もしくは記述に照応する物の支払いを強制する法の権威として現わ
れる。しかし国家が、これに加えていかなる物がその名称に照応するかを定め、これを布告し、そしてその布告を時
どき変更する権利を要求するとき--すなわち辞典を再編修する権利を要求するとき--国家は二役を演ずることに
なる。この権利は、すべて近代国家が要求しており、そして少なくとも約四○○○年の間そのように要求し続けてき
た。クナップ(Knapp)の表券主義 (chartalism)--貨幣はとくに国家の創造物であるという学説--が完全に実
現されるのは、貨幣の発展がこの段階に到達したときである。
 したがって、人びとが計算貨幣を採用した瞬間から、貨幣の時代が物々交換の時代の後を引き継ぐに至ったのであ
る。そして表券主義的貨幣すなわち国家貨幣の時代は、国家が、一般に行なわれている計算貨幣に対して、いかなる
ものを貨幣としてこれに照応させるかを布告する権利を要求したときに--国家が辞典の使用を強制するだけでな
く、辞典を作る権利をも要求したときに--達せられた。今日すべての文明社会の貨幣は、議論の余地なく表券主義
的[貨幣〕である。

全集#5:4~5頁
https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.45480/page/n32/mode/2up












ケインズ『貨幣論』の貨幣分類(『貨幣論』9頁参照)

   債務の承認→銀行貨幣     →  銀行貨幣
  /          \     /法定不換貨幣
計算貨幣          代表貨幣      
  \          /     \
   本来の貨幣→国家貨幣       管理貨幣
             \     /
              商品貨幣
                   \商品貨幣


土器に印をつける方が金属鋳造より楽なのは理解出来る
(ケインズが調べた時の)インドで起きたことをみれば
あるいはアメリカの事例からみれば(金を流失させないための兌換停止だから)
商品としての金は無くなるわけではない
あくまで貨幣とは何かという話だ
金を持っていた方が国力は高いが
MMTで供給能力を高めたほうが簡単に国力は上がる


ケインズ全集5巻 貨幣論1 貨幣の純粋理論 | 東洋経済
http://store.toyokeizai.net/books/9784492811450/
ケインズ,J.M.著/小泉 明訳/長澤 惟恭訳  418頁 発行日:1979年08月01日

目次
第一編 貨幣の性質
  第一章 貨幣の分類
  第二章 銀行貨幣
  第三章 銀行貨幣の分析
第二編 貨幣の価値
  第四章 貨幣の購買力
  第五章 第二次的物価水準の複数性
  第六章 通貨標準
  第七章 価格水準の拡散
  第八章 購買力比較の理論
第三編 基本方程式   
  第九章 幾つかの定義
  第一〇章 貨幣の価値に関する基本方程式
  第一一章 均衡の諸条件
  第一二章 貯蓄と投資の区別に関する詳解
  第一三章 銀行利率の「作用様式」
  第一四章 種々の形式の基本方程式
第四編 物価水準の動態
  第一五章 産業的流通と金融的流通
  第一六章 購買力の不均衡の原因の分類
  第一七章 貨幣的要因に基づく変化
  第一八章 投資要因に基づく変化
  第一九章 信用循環の幾つかの特殊相
  第二〇章 信用循環の純粋理論に関する演習
  第二一章 使用されている単位の定義

http://store.toyokeizai.net/books/9784492811467/
ケインズ全集6巻 貨幣論2 貨幣の応用理論 東洋経済 ケインズ,J.M.著/長澤 惟恭訳

第五編 貨幣的要因とその変動
   第二二章 貨幣の応用理論
   第二三章 貯蓄預金の現金預金に対する比率
   第二四章 流通速度
   第二五章 銀行貨幣の準備貨幣に対する比率
   第二六章 産業の活動状況
 第六編 投資率とその変動 1 固定資本
  第二七章 投資の変動 1 固定資本
  第二八章 投資の変動 2 経営資本
  第二九章 投資の変動 3 流動資本
  第三〇章 歴史的例証 ☆
 第七編 貨幣の管理
   第三一章 貨幣の管理の問題
   第三二章 国民的管理の方法 1 加盟銀行の規制
   第三三章 国民的管理の方法 2 中央準備の規定
   第三四章 国際的管理の諸問題 1 中央銀行相互間の関係
   第三五章 国際的管理の諸問題 2 金本位
   第三六章 国際的管理の諸問題 3 国家的自主性の問題
   第三七章 国民的管理の方法 3 投資率の調整
   第三八章 超国家的管理の問題


貨幣論
全集6
163~4ページ
#30:1
第6編 投資率とその変動

《…新しい財宝によって影響されることの最も少なかった国々の商人たちは、その影響をいっそう
強く受けていた諸国に対して、大きな利益をえて販売することができたし、そして、その中でもとくに [地中海およ
びエーゲ海東岸の]レヴァント地方およびアジアとの貿易関係を確立していた諸国は、このようにして受け取った
財宝を、次には、非常に莫大な利潤の得られる条件で、輪出する こと ができた。一七世紀を通じて、自国の富に莫
大な増加をつけ加えつつあったのは、イギリスとフランスの資本家であって、スペインの資本家ではなかったのである。
 実際、ドレークがゴールデン・ハインド号で持ち帰った掠奪品こそは、まさにイギリスの海外投資の源泉であり、
起源であったと考えて差し支えない。 エリザベス[一世〕は、その収入の中から自分の対外債務の全部を支払い、ま
たその残額の一部(約四万二〇〇〇ポンド)をレヴァント会社に投資したし、また主としてレヴァント会社の利潤か
ら東インド会社が設立され、そして一七世紀と一八世紀とを通じて、その利潤はイギリスの対外的事業関係の主要な
基礎をなすものであった、等々。これらのことを考えれば、以下の計算は、好奇心に富む人びとの興味を引くかもし
れない。》

図解雑学ケインズ経済学より
『貨幣論』の貨幣保有動機:


1372夜『貨幣論』ジョン・メイナード・ケインズ|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/1372.html
 一般に、貨幣の流動性は貯蓄においては高く、投資おいては低くなる。しかしここに利子率が加わると、利子率が低ければ流動的な選好度が高まり、高ければ流動的選好度が弱くなる。資本主義社会はその揺動しつづける「流動性選好」の上に成り立っているとみなされる。

 そこでケインズはこの点にさらに分け入って、流動性選好には所得動機、営業動機、予備的動機、投機的動機の4つほどのインセンティブが関与すると考えた。所得や賃金の受取りと支払いのために貨幣を保有しようと思うのが所得動機、取引や売買の支出や支払いを調整するときに一定の貨幣を必要とするのが営業動機、突然の支出を想定して手元に貨幣をおいておきたいのが予備的動機、市場の変化に応じて利益を得ようとして貨幣を動かすのが投機的動機である。

 実は資産とは、そもそもその本質においてはこのような流動性をもっていて、人間社会も市場も、この流動性資産をめぐるインセンティブによってつねに右往左往されているものなのである。いや、貨幣だけでなく、絵画やゴルフ会員権や株式なども、この流動性資産になっていく。いやいや、原則的には何でもが流動性資産になりうるはずなのだ。たとえば、17世紀オランダではチューリップが流動性資産になった。


以下の貨幣改革論は、貨幣論とは別。

お金の改革論A Tract on Monetary Reform 1923
http://genpaku.org/keynes/monetaryreform/monetaryreformj.pdf

貨幣改革論
第一章「お金の価値変動が社会に与える影響」
第二章「公共財政とお金の価値変化」
第三章「お金の理論と為替レートの理論」
第四章「通貨政策の別の狙い」
第五章「将来的なお金の管理についての建設的提言」


第一章「お金の価値変動が社会に与える影響」
第一章は、当時のケインズの問題意識をもとに、きわめて簡単なことを言っている。お金の価値変動というのはつまり、インフレ(お金の価値が下がる場合)かデフレ(お金の価値が上がる場合)だ。この影響は、社会の万人にとって同じというわけではない。お金の価値が上がれば嬉しい(つまりデフレを望む)のは、もちろんお金を持って、その収益で暮らす人(つまり金利生活者)だ。逆にインフレで、お金ではなくモノの価値が上がると嬉しいのはモノを持っていたり作ったりする人々(つまり実業者)だ。そして世の中には、お金もモノもそんなにない雇われ人がいるけれど、その人々はモノを作ったりする人に雇われていることが多い。つまりインフレもデフレも、人々に不均等に作用する。そしてそれは、その人々が実体経済で行う活動に影響するのだ。インフレは生産活動を促進するし、デフレはそれを止めてしまう。社会としてどちらかといえば、実際に生産する実業者が元気なほうがいいので、どっちかといえばデフレよりはインフレのほうがいい。でもなるべくそうした変動なしに、お金の価値――ひいてはその裏返しとしての物価――が安定したほうがいい。
第二章「公共財政とお金の価値変化」
続く章では、政府が大量にお金を刷ることで財政の帳尻をあわせるという現象を採りあげる。これは一見すると、お金を刷るだけだから誰も損をしないように思える。でも実際には、それはお金の価値低下によりいまお金を持っている人たちにとっての損失を招く。その後、資本課税の議論もあるが、これはケインズもあまり現実的に可能とは思っていないようなので割愛する。
5.5.1
第三章「お金の理論と為替レートの理論」
この章では、まずこれまでの章でも暗黙のうちに想定されていた、貨幣数量説を説明する。お金を刷れば、それに比例して名目の物価は上がる、というのが貨幣数量説だ。ケインズは、これを基本的に正しいとしつつも、それが機械的にあてはまるものではないことを指摘する。途中でやたらにたんす預金が増えたり、取引での支払い方式が変わったりすれば、増えたお金がすぐ物価高につながらないこともある。だからこれは常時厳密に当てはまるものではない。さらに、二つのお金同士の相対的な値段である為替レートは、購買力平価で理論的には決まる。この理論もまた単純明快。同じものは、世界どこでも同じ価値を持つはずだ。だから同じものの値段を各国同士で比べると、為替レートが出るはずだ。これはたとえば、英『エコノミスト』誌の半分冗談企画である「ビッグマック指数」の考え方だ。もちろん、これも厳密ではない。貿易されないものもあるからだ。こちらもやはり、原則的には正しいけれど杓子定規にあてはめてはいけない。そしてさらに季節変動への対応と、為替の先物取引が扱われる。為替レートはどうしても季節に応じて変動する。その好例が、実体経済の季節変動からくるお金の需要変化で生じる為替レートの上下動だ。これは銀行が手数料を取ってヘッジしてもいいが、インフレなどで為替レートが変動すると、リスクがあまりに大きくなる。また先物取引でそうした変動をヘッジできるが、これも過度に期待してはいけない。
5.5.2
第四章「通貨政策の別の狙い」
ここからは提言編となる。以上の議論を踏まえて各国が通貨政策として持っている選択肢を比較している。まとめると以下の通り:•インフレで下がったお金の今の価値を認めて、お金の価値を切り下げる(平価切り下げ)か、それを潔しとせず、以前の水準にまでお金の価値を引きあげ、デフレを引き起こすか? ケインズの答は当然、平価切り下げだ。デフレの害はきわめて深刻で経済全体が停滞する。それを無理に引き起こしても喜ぶのは金持ち階級だけだ。•他国との為替レート(たとえば対ドルレート)を安定させるべきだという考え方がある。これは購買力平価から考えて、自国と他国の購買力の関係を一定に保てということになるので、相手の国次第では自国の物価水準が不安定になる。一方で、為替レートなんか無視して自国国内での物価安定を図るべき、という考え方もある。世界的に物価が安定していれば、これは両立する。でも当時は一部の国がすさまじいインフレに曝されていたので、為替レート安定を求めるのは、自国でも大インフレを引き起こす、という変な政策になりかねない。だから基本は自国の物価水準安定を目指すべきでは?•金本位制への復帰は……論外。金本位制の下で物価が安定していたように見えるのはまったくの歴史的偶然。黄金には何ら本質的な価値などないので、それを盲信するのはやめるべき。
第五章「将来的なお金の管理についての建設的提言」
最後の章では、イギリスとアメリカの二カ国に対して通貨政策の提言をしている。基本はどちらに対しても、物価安定を図るためにお金の発行量は銀行の信用創造にあわせて決…


http://store.toyokeizai.net/books/9784492811481/
ケインズ全集8巻 確率論 (A Treatise on Probability) 
1921
ケインズ,J.M.著/佐藤 隆三訳  578頁
発行日:2010年05月28日
若きケインズがムーア、ラッセルの影響のもとに書いた哲学の書。「確率の論理説」の立場にたって、確率概念の定義とその形式的体系化を試み、それを応用した帰納的推論の分析を行う。
エピグラフ「一度ならず私は、新たな種類の論理学、確からしさの程度を扱う論理学が必要になるといってきました。」ライプニッツ(『人間知性新論』1765,みすず書房,pp.480~81)『確率論』邦訳3頁より

第I部 基礎的諸概念

第1章 確率の意味
第2章 確率に関する認識論
第3章 確率の測定
第4章 無差別原理
第5章 確率を決定するその他の方法
第6章 推論の重み
第7章 歴史的回顧
第8章 確率の頻度論
第9章 第I部の建設的理論の要約

第II部 基本定理

第10章 序説
第11章 とくに論理的整合性、推理、および論理的先在性に関する群論
第12章 推理および確率の諸定義と諸公理
第13章 必然的推理の基本定理 
第14章 蓋然的推理の基本定理
第15章 確率の数値の測定と近似
第16章 第14章の諸定理に関する覚書、ならびにそれらの諸展開および証言への適用
第17章 逆確率ならびに平均に関する若干の問題

第III部 帰納と類比

第18章 序説 ☆
第19章 類比による推論の本姓
第20章 事例の増量の価値、すなわち純粋帰納
第21章 続・帰納的推論の本性
第22章 帰納の歴史に関する若干の覚書 ☆☆

第IV部 確率の若干の哲学的適用

第24章 客観的偶然すなわち偶然性の意味
第25章 偶然に関する検討から生じる若干の問題
第26章 確率の行為への適用

第V部 統計的推理の基礎

第27章 統計的推理の本性
第28章 大数の法則
第29章 統計的頻度を予測するための事前確率の利用
     :ベルヌイ、ポアソンおよびチェビシェフの諸定理
第30章 事後確率を算定するための統計的頻度の数学的利用:ラプラスの方法
第31章 ベルヌイの定理の逆定理
第32章 事後確率を算定するための統計的頻度の帰納的利用
第33章 建設的理論の概略

原著が電子書籍(無料)で読める。
A Treatise on Probability by John Maynard Keynes - Free Ebook
The Project Gutenberg eBook #32625: A treatise on probability
http://www.gutenberg.org/files/32625/32625-pdf.pdf?session_id=da082801a6ddc47c44b51d3bd9929110a839653a

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51467631.html



ケインズの確率論

ケインズ全集 第8巻「確率論」ケインズの処女作、『確率論』の訳本が出た。私は学生時代にケインズ全集の1巻の下訳をしたことがあるが、まだ刊行されているとは驚きだ。価格は12600円なので、訳本を買うのはおすすめできないが、原著が電子書籍(無料)で読める。

本書が出版されたのは1921年。これはフランク・ナイトの"Risk, Uncertainty and Profit"と同じ年で、両方とも似たテーマを扱っている。それは社会における不確実性の扱いである。それまでの確率論は、統計力学などの物理現象を扱うもので、サイコロの目の出る確率は1/6というように客観的に決まっていた。しかし社会現象にはそういう物理的な規則性があるとは限らないので、これをどう扱うかがむずかしい問題だった。

ナイトは不確実性を客観的なリスクと区別されるものと考えたが、ケインズは両者を総合した「論理的確率」を考えた。これはラムゼーに批判され、彼の公理論的確率論がのちのベイズ理論の元祖になった。ケインズの確率論は、その「前史」として忘れられたが、いま読むとそこには別の現代的意義もある。

従来の自然科学的な確率論が演繹的な論理だけを扱っているのに対して、ケインズは不確実な現実に対処するために経験から学ぶ帰納の論理を樹立しようとした。これは哲学史上の難問であるヒュームの問題を解決しようという試みだった。

ケインズは、ヒュームのいうように帰納が論理的に成立しないことを認めつつ、蓋然的な推理の論理として確率を考えた。きょうまで太陽が昇ったことは、あす も昇ることを論理的には保証しないが、その確率が1に近いことは推論できる。確率とは、不確実な現実の中から経験にもとづいて行動するための指針なのであ る。これはケインズの信念であり、『一般理論』でも不確実性の問題を中心にすえている。

ナイトが不確実性に対処するシステムとして企業の経営者を考えたのに対して、ケインズは、将来が不確実なときは今までどおり行動し、投資収益が不確実なときはリスクのない貨幣をもつ流動性選好を考えた。このような金利生活者の現状維持的な行動が投資を抑制し、不況を長期化するというのが『一般理論』のコアである。

これは1930年代の大恐慌の説明としては間違っていたが、むしろ現代の日本の長期停滞に当てはまるかもしれない。個人金融資産の半分以上が預貯金で、銀行が融資しないで国債を買う現状は、日本人が不確実性に対処する方法を知らないことを示している。
 CHAPTER XVIII 
 introduction 
Nothing so like as eggs ; yet no one, on account of this apparent similarity, expects the same taste and relish in all of them. ’ Tis only after a long course of uniform experiments in any kind, that we attain a firm reliance and security with regard to a particular event. Now where is that process of reasoning, which from one instance draws a conclusion, so different from that which it infers from a hundred instances, that are no way different from that single instance? This question I propose as much for the sake of information, as with any intention of raising difficulties. I cannot find, I cannot imagine any such reasoning. But I keep my mind still open to instruction, if any one will vouchsafe to bestow it on me .—Hume.∗ 

*Philosophical Essays concerning HumanUnderstanding 4:2:31

卵ほど互いに似ているものはない。しかしこの外見上の相似性のために、
それらのすべてに同一の味や風味を期待するものは誰もいない。われわれが
個別的な出来事に関して確固たる信頼と安心とを得るのは、いかなる種類で
あれ、ただ斉一的な経験の長い過程を経た後のことである。一体、一つ事例
から、それと少しも変わらぬ100個の事例から推理した結論とは大いに異な
る結論を引き出すような推論の方法が、どこに存在するであろうか。私はこ
の質問を、異議を述べる意図からと同時に、参考のために提起するのである.
私はこのような推論を、見いだすことも、想像することもできない。しかし何
入かが私にそれを与えて下さるというのであれば、私は何時らその教えにた
いして心を開いておくであろう。             ヒューム
『人間知性の研究』哲書房55頁(法政大学版では4.2.31:33頁,4.1.24~5:25~6頁に有名なビリヤードの比喩がある。)哲書房版解説によるとカントが読んだのは『人性論』(独語訳は1790~2年)ではなくこちらのドイツ語訳(1755年)らしい。

https://opac.lib.city.yokohama.lg.jp/opac/OPP1500?ID=1&SELDATA=TOSHO&SEARCHID=0&START=1&ORDER=DESC&ORDER_ITEM=SORT4-F&LISTCNT=10&MAXCNT=1000&SEARCHMETHOD=SP_SEARCH&MENUNO=0
『人間知性研究 』1748
デイヴィッド・ヒューム/著  斎藤繁雄/訳  一ノ瀬正樹/訳  
出版者 法政大学出版局 出版年 2004.5  285,7p  付・人間本性論摘要

目次:
哲学の異なった種類について
観念の起源について
観念の連合について
知性の作用に関する懐疑的疑念 ☆
これらの疑念の懐疑論的解決
蓋然性について
必然的結合の観念について
自由と必然性について
動物の理性について
奇蹟について
特 殊的摂理と未来(来世)の状態について
アカデミー的あるいは懐疑的哲学について)
付・人間本性論摘要
An Enquiry Concerning Human Understanding - Wikiquote
https://en.wikiquote.org/wiki/An_Enquiry_Concerning_Human_Understanding
Contents
I: Of the Different Species of Philosophy
II: Of the Origin of Ideas
III: Of the Association of Ideas
IV: Skeptical Doubts Concerning the Operations of the Understanding Part I Part II ☆
V: Skeptical Solution of these Doubts Part I Part II
VI: Of Probability
VII: The Idea of Necessary Connexion Part I Part II
VIII: Of Liberty and Necessity Part I Part II
IX: Of the Reason of Animals
X: Of Miracles Part I Part II
XI: Of a Particular Providence and of a Future State
XII: Of the Academical or Sceptical Philosophy Part I Part II Part III
ヒューム:メモ
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_07.html
NAMs出版プロジェクト: ヒューム再考*
 http://nam-students.blogspot.jp/2014/11/blog-post_23.html
NAMs出版プロジェクト: 経済学者ヒューム
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/09/blog-post_28.html
Hume: An Enquiry Concerning Human Understanding
https://www.marxists.org/reference/subject/philosophy/works/en/hume.htm
part2
Nothing so like as eggs; yet no one, on account of this appearing similarity, expects the same taste and relish in all of them. It is only after a long course of uniform experiments in any kind, and we attain a firm reliance and security with regard to a particular event. Now where is that process of reasoning which, from one instance, draws a conclusion so different from that which it infers from a hundred instances that are nowise different from that single one? This question I propose as much for the sake of information, as with an intention of raising difficulties. I cannot find, I cannot imagine any such reasoning. But I keep my mind still open to instruction, if any one will vouchsafe to bestow it on me.

ライプニッツ(1646~1716)
ヒューム(1711~ 1776)
ベンサム(1748~1832年)
ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873年)
ダーウィン(1809 ~1882)
スペンサー(1820~1903)

☆☆
ライプニッツ、ヒューム、ミルが擁護される。ライプニッツも帰納的側面があるということか。#14付録ではライプニッツの法論が言及される。後年ケインズはニュートンに心酔したが。

ケインズ『確率論』の経済学的意義 清水徹朗
http://anaito.web.fc2.com/Paper_Shimizu_1.doc
ケインズ『確率論』に大きな影響を与えたものとして、イギリス経験論、ムーア『倫理学原理』、ホワイトヘッド&ラッセル『プリンキピア・マテマティカ』の三つがあった。

http://anaito.web.fc2.com/Paper_Shimizu_1.doc 
(注)
サミュエルソンはエルゴード性を彼の経済学の基礎に据えたが、ポール・デヴィッドソンはケインズ経済学は非エルゴード的(non-ergodic)な体系であると主張した。なお、杉本栄一は『近代経済学の解明』(1950年)で微視的分析と巨視的分析の関係を考える上で統計力学が参考になると書いており、根岸隆も貨幣数量説の交換方程式と気体の状態方程式の類似性を指摘している(『ミクロ経済学講義』第10章「マクロ経済学のミクロ的基礎」1989年)。
   
哲 学 自然科学 確率論・数学
1620ベーコン「ノブム・オルガヌム」
1637デカルト「方法序説」
1690ロック「人間悟性論」
1703 ライプニッツ「人間知性新論」
1739ヒューム「人間本性論」
1781カント「純粋理性批判」
1789 ベンサム「道徳および立法の諸原理序説」
1795 コンドルセ「人間精神進歩史」
1807 ヘーゲル「精神現象学」
1841 フォイエルバッハ「キリスト教の本質」
1843 マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」
1843ミル「論理学体系」
1844コント「実証的精神論」
1869 ケトレー「社会物理学」
1874 ジェボンズ「科学の原理」
1886 エンゲルス「自然の弁証法」
1899 リッケルト「文化科学と自然科学」

1903ムーア「倫理学原理」
1903ラッセル「数学の原理」
1907 ベルクソン「創造的進化」
1909 レーニン「唯物論と経験批判論」
1921 ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」
1925 ホワイトヘッド「科学と近代世界」
1927 ハイデッガー「存在と時間」
1929ウィーン学団結成
1609ケプラー「新天文学」
1638ガリレオ「新科学対話」
1687 ニュートン「プリンキピア」
1788 ラグランジュ 「解析力学」
1789 ラボアジェ「化学原論」
1794 エコール・ポリテクニック創設
1799 ラプラス「天体力学」
1822 フーリエ「熱の解析的理論」
1859 ダーウィン「種の起源」
1860 マックスウェル 気体分子の速度分布則
1865 クラジウス エントロピー概念
1887 マイケルソン・モーレーの実験
1895 レントゲン X線を発見

1900 ケルヴィン「熱と光の動力学理論をおおう19世紀の暗雲」
1900 メンデルの遺伝法則再発見
1902 ギブス「統計力学の基本原理」
1905 アインシュタイン 特殊相対性理論
1911 ラザフォード 原子模型
1916 アインシュタイン 一般相対性理論
1919 エディントン 重力による光の歪曲の観測
1926 シュレジンガー 波動力学
1927 ハイゼンベルク 不確定性原理
1953 ワトソン&クリック DNA構造解析
1654 パスカル&フェルマー 往復書簡
1671 ニュートン 微積分法発見
1713 ベルヌーイ「推測法」
1718 ド・モワブル「偶然の原理」
1763 ベイズの定理
1768 コンドルセ「解析学試論」
1785オイラー「解析小論」
1812 ラプラス「確率の解析理論」
1847ブール「論理の数学的分析」
1884フレーゲ「算術の基礎」

1900 ヒルベルト 「数学の問題」
1910-13 ホワイトヘッド&ラッセル「プリンキピア・マテマティカ」
1914ボレル「偶然論」
1921ケインズ「確率論」
1926 ラムジー「真理と確率」
1928 ミーゼス「確率・統計・真理」
1931ゲーデル 不完全性定理
1931 ジェフリーズ「確率の理論」
1933 コルモゴロフ「確率の基礎概念」
1934 ライヘンバッハ「確率の理論」
1944 フォン・ノイマン&モルゲンシュタイン「ゲーム理論と経済行動」
1950 カルナップ「確率の論理学的基礎」
1954 サヴェジ「統計学の基礎」
1956 ハロッド「帰納論理学の基礎」
企業と生産
家計と消費
市場均衡
市場と競争
資源の最適配分
市場の失敗
最適所得分配
マクロ経済学のミクロ的基礎☆☆☆

☆☆☆
貨幣数量説=流体力学
ヘッジファンド=熱力学(非平衡系)
初期経済学=生物学(血液循環)
 経済学は生物学に還るべきだろう。エコノミーからエコロジーへ。二つの中心。ゲゼルの思想。

http://agora-web.jp/archives/527741.html
…新古典派の「均衡」概念は間違っています。経済のような開放系では均衡は永遠に成立しないので、古典力学をモデルにするのはナンセンスです。むしろ経済を剰余の蕩尽と考えたバタイユのほうが、自然科学的には正しい。

そもそも経済成長を熱的な平衡と考えるのが間違っているからです。むしろ経済学は、本来は非平衡系の熱力学に近いのでしょう。

ケインズ『確率論』の経済学的意義 清水徹朗
http://anaito.web.fc2.com/Paper_Shimizu_1.doc
ケインズ『確率論』に大きな影響を与えたものとして、イギリス経験論、ムーア『倫理学原理』、ホワイトヘッド&ラッセル『プリンキピア・マテマティカ』の三つがあった。
(注)

サミュエルソンはエルゴード性を彼の経済学の基礎に据えたが、ポール・デヴィッドソンはケインズ経済学は非エルゴード的(non-ergodic)な体系であると主張した。なお、杉本栄一は『近代経済学の解明』(1950)で微視的分析と巨視的分析の関係を考える上で統計力学が参考になると書いており、根岸隆も貨幣数量説の交換方程式と気体の状態方程式の類似性を指摘している(『ミクロ経済学講義』第10章「マクロ経済学のミクロ的基礎」1989年)。
(エルゴード的:時間平均=集合平均が成り立つという性質)


NAMs出版プロジェクト: マルコフ連鎖:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_54.html(エルゴード性関連)


ケインズの哲学: 伊藤 邦武: 本
http://www.amazon.co.jp/372/dp/4000227033/

商品の説明

メディア掲載レビューほか

20世紀を代表する経済学者ケインズ。彼の哲学者としての側面に光を当てた異色の書
20世紀を代表する経済学者のケインズ。彼には外交官,芸術活動のパトロン,会社経営者などの顔があった。本書は,その中で哲学者としてのケインズに焦点を当てた。経済学の大家へと変貌する過程には,純然たる「分析哲学」の徒であったケインズの哲学上の問題意識が深く投影されていた。分析哲学の発展に重要な役割を果たした,若き日の著作『確率論』を考察の中心におき,そこから経済大家としての代表作である『一般理論』の意味を考えてみようという野心的な書である。しかし,本書の別の醍醐味は,英国ケンブリッジにおいてウィトゲンシュタイン,ムーア,ラッセルら分析哲学の友人らとの交流を描いた記述である。その相互の触発と葛藤のドラマの中でケインズの哲学的な思考基盤は固まっていく。それゆえにこそ,『確率論』にはムーア,ラッセルという偉大な哲学者たちの思想を総合して,一つの包括的な認識論,科学論を完成しようという意図が込められていた,と著者は描く。ケインズの思想的背景,経済学の大家のバックボーンがどこにあったかを描く異色の書である。 (ブックレビュー社)
(Copyright©2000 ブックレビュー社.All rights reserved.)
-- ブックレビュー社

内容(「BOOK」データベースより)

ケインズの知的背景には、一九三〇年代ケンブリッジにおけるラッセル、ホワイトヘッド、ウィトゲンシュタイン、ラムジーら思想家たちとの交流があった。『確率論』から『一般理論』に至る思想的変貌の意味を探り、経済学者としてのケインズではなく、哲学者としての側面に焦点を当てる。 
アインシュタイン、ゲーデル。ウィトゲンシュタイン、ケインズ、ゲゼルらの交流は興味深い。
「無味乾燥な骨組みか、神がかりのナンセンスか」ケインズの言葉(伊藤91頁より)。
『確率論』における確率と帰納という並列した主題(並行論?)は、統合されておらず、特にラムゼーはケインズにおける前者を承認し後者に批判的だったという。そして、確率と帰納が個人と社会の分裂と考えられるなら、ケインズは後に貨幣論や一般理論で帰納という社会の側を選択したのだ。伊藤の論を要約するならこうなる(伊藤の見たてと違い、ケインズのライプニッツからニュートンへの鞍替えは変節と言えるもののような気がするが)。
ケインズは前者から後者へ移行したために、後者から前者へ移行したマルクス及びカレツキを理解しようとしなかった。スラッファに示唆されたヴィトゲンシュタインの前期後期の分裂はケインズにおいて内在した課題であり続けている。需要中心のケインズは生産中心のスラッファに間接的に引き寄せられている…
ミクロ経済学的基礎という言葉を使うことで、大雑把に言って個人の問題は偶然性から時間性に姿を変えて経済学におけるその後のケインズ批判の論点となった。ケインズはかつて自分が切り捨てたものに批判されているのだ。それは功利主義内部の闘争だ… 
『確率論』に影響を与えたとされる3要素、つまりイギリス経験論、ムーア『倫理学原理』、ホワイトヘッド&ラッセル『プリンキピア・マテマティカ』の三つのうち、最後はゲーデルに批判され、前2者は功利主義に吸収されたように見える。
ムーアの倫理学は神の見えざる手のようなもので、功利主義と論理学を繋いだように見えて、経験論を活かし切ることはなかった。

________

『確率論』と『一般理論』におけるKeynes流「不確実性 」観の類別 : 部分連続説の立場から: 高籔,学; 新井,一成
http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/132470/1/18804322_64_14.pdf
2.「ケインズ問題」と部分連続説
 Keynes( 1921) と Keynes( 1936) が連続した発想のもとにあるか,独立した発想のものなのか,見解の一致
に至りにくい大きな要因として,両著の間に,F.P.Ramsey の「真理と確率」(1926)による Keynes「 確率」 へ
の批判が行われたことが挙げられる。この批判は,確率論の学説史の面でも,Keynes への影響の面でも複数
の解釈が成り立つ。
2-1 学説史的側面
 確率の分類の議論は,古くは Carnap( 1950) などがあるが,近年の代表的な分類としてD.Gillies( 2000) と
T.L.Fine( 1973) が挙がる。Gillies は現代の学説の潮流を,P.S.Laplace( 1814) の古典確率を基礎として,論理
説・主観説・頻度説・傾向説等に分類した。この分類において,Keynes( 1921) は論理説の代表的著書として,
またRamsey( 1926) は主観説の代表的論文として扱われる。さらに Fine は現代の理論として11の理論を挙げ
ており,以下のとおりである。「公理的比較論( Aximatic comparative)」「Kolmogorov の計算法(Kolmogorov’s
caluculus)」「ふつうの相対頻度説」「Von Mises の相対頻度説」「Reichenbach-Salmonの相対頻度説」
「Solomonoff の複雑基盤説(Solomonoff’s complexity-based theory)」「Laprace の古典理論」「Jaynes の古典理論」
「Koopman の比較論理説」「Carnap の論理説」「De Finetti-Savage の個別的主観説」。このうち Keynes( 1921) は
「Koopman の比較論理説」「Carnap の論理説」へと,Ramsey( 1926) は「De Finetti-Savage の個別的主観説」へ
とそれぞれ発展的に継承された。特に「De Finetti-Savage の個別的主観説」は Bayes 統計学と相性が良く,そ
の文脈で Ramsey( 1926) が取り上げられることが多い。
 したがって,研究者が論理説の妥当性を認める立場から検討するか,主観説の妥当性を認める立場から検討
するかによって,Keynes( 1921) と Ramsey( 1926) の評価は大きく変わってくる。Ramsey( 1926) の批判を妥
当なものとして Keynes( 1921) の独自解釈を試みた代表的研究に Kybrug( 1998-2000) が,Ramsey( 1926) の批
判の妥当性を懐疑する形で Keynes( 1921) を検討する研究に Brady( 2004) が,どちらの主張でもそれぞれ捉え
きれない論点があることを示した研究に伊藤邦武(1995)が挙げられる。

...
 前提が任意の命題の集合 h からなり,結論が任意の命題の集合 a からなるとする。そのとき,もし h の
「知識」が a に対して度合 α の合理的信念をもつことを正当化するならば, a と h の間に度合 α の確率-関
係があるという。(Keynes( 1921),p. 4 ,邦訳p. 5 )
上記を縮めて a / h = α と表せる。 α を現代的に解釈するならば写像の一種である。
 Keynes は確率関係について,『確率論』において唯一図を用いた説明を行っている。


図 1 は『確率論』第 3 章で提示されており,「順序系列およびストランド」と名付けられている 1 。
点 OAI と U ~ Z は確率を表す。確実性 I に近づくほど確率は大きく,不可能性 O に近づくほど確率は小さい
という。O と I の間の数本の線が確率のシリーズであり,同一シリーズにない確率は比較不可能である。数値
表現可能な「確率」はシリーズ OAI 上に位置する 2 。
例を示す。W の確率は Z・V より大きく X・Y より小さいことが上の図から判断できるが,X と Y のどちらが
大きいかは判断できない。またUの確率は他のどの確率とも比較不可能である。ここから,Keynes「確率」の
発想は根本的に,「確率」間の順序に不確実さが内在していると解釈できる。たとえば図における X の確率と
Yの確率の順序は不確実である。より一般化していえば,Keynes「確率」の順序の決め方は,以下の規則に
則っている。
(iv) ABC が順序系列を形成し,B が A と C の間に位置し,ならびに BCD が順序系列を形成し,C が
BD 間に位置するならば,ABCD は順序系列を形成し,B は A と D の間に位置する。
(Keynes( 1921),p.41,邦訳p.44)
一般的に確率の順序はふたつの確率の間で決まるが,Keynes は 3 つの間で決まると主張する 3 。Pattanaik
(2000) は三項間の順序が不確実な場合の意思決定について扱っているが,二項間の順序が不確実な場合と比
べて非常に複雑なモデルとなっているため,3 つの間での順序の定義をもつ Keynes「確率」は,確率関係の定
義において順序「不確実性」をもつ。
3-2 推論「不確実性」
 次に Keynes は,推論過程そのものに内在する「不確実性」に触れている。推論は類比によって行われる。
類比は推論者の「知識」によって弱い類比と強い類比に区分され,前提条件や「知識」間の関係により「総肯
定的類比」「帰納的相関」「部分類比」「純粋帰納」等に分類されるが,これら類比のうちもっとも一般的な定
式化は以下のものであろう。
 あるいくつかの場合において,Φ と f が真であることが知られた。そこで,Φ のみが観察されているそ
の他の場合において,f も真であると断言したいのである。
(Keynes( 1921),p.249,邦訳p.259)
Keynes はこれら類比に基づく帰納的推論一般をさして「慣行(common practice)」と呼んだ。この「慣行」の
中で最も多く登場する概念に「推論の重み」がある。
 第 3 章において論じた意味における推論の確率の大きさは,有利な証拠と称せられるものと不利な証拠
と称せられるものとの間のバランスによって決まる。そのバランスを崩さない新しい証拠は,また推論の
確率も変化させない。しかし,推論の間では,ある種の量的比較が可能であるというもう一つの関係があ
るのではないかと思われる。この比較は,有利な証拠と不利な証拠とのバランスによって決まるのではな
く,それぞれ関連のある知識の絶対・・量と関連のある無知の絶対・・量とのバランスによって決まるのである。
(Keynes( 1921),p.77,邦訳p.82)
Keynes によると「推論の大きさ」は推論の初めに「事前確率」を得て以降,「有利な証拠」と「不利な証拠」
のバランスによって上下するが,「推論の重み」は常に増え続けるという。O’Donnell (1989) では「推論の重
み」のモデルとして図 2 が用いられている。



図 2 で波をうち上下する曲線が「確率」で,単調増加する曲線が「推論の重み」である。「推論の重み」が最
小の状態において,推論者が抱く「確率」と実際の「確率」が異なっているか,どれくらい誤差があるか,い
ずれも全くわからず,不確実である。一方で,考えられる全ての証拠を揃えた場合,「推論の重み」は最大と
なり,このとき推論者の「確率」と実際の「確率」は一致する。図 2 においては最も極端な 2 つの場合が示さ
れている。もし得られた証拠が全て「有利な証拠(*relevant evidence 関連性のある証拠?)」であるなら「確率」は確実性 I に至り,証拠が全て「不利
な証拠」であるなら「確率」は不可能性 O に至る。このことから,「推論の重み」の重さと「不確実性」の間
には密接な関係があり,証拠が全くない状態で「不確実性」は最大で,重みが増すほど「不確実性」は減少す
ると考えられる。


*9
適用「不確実性」にあたる現代的論点の例を挙げれば,等確率性(Keynes)の用語では「無差別原理」
)が成立しない事例と成立する事例がある場合に, どちらにも等確率の原理を適用することが「 合理的」とされるために起こるパラドクスなどがこれにあたる。プロスペクト理論等によってこれらパラドクスの解消が試みられてきた。


http://plato.stanford.edu/entries/rationality-normative-utility/
__________

『確率論』と「若き日の信条」  平井俊顕
.『確率論』の後 ラムゼーによる批判の影響
 ラムゼーは『確率論』にたいし,論文「確率と真理」(Ramsey,1926)で根底的批判を展開した。16そして,それをケインズは受容している。公の紙面を割いて,こうした表明を行うのは,ケ インズにあって異例である。既述のように、ケインズの哲学的論文はその後発表されてはいないこともあり、そしてケンブリッジの哲学にあって重要な位置を占 めるラムゼーの批判であることもあり、このできごとはこれまで多くの注目を集めてきた。以下、ラムゼーの批判のポイント、ならびにそれにたいするケインズ の反応をみることにしよう。
 1.ラムゼーによる批判
 ラムゼーによるケインズ『確率論』批判は、主として3点で構成されている。
 第1,命題間の確率関係といったものは存在しない,という批判が来る。ケインズの「確率」の定義そのものの否定である。
もし誰かが一方の命題が他方の命題にどのような確率を与えるのかと尋ねた場合,私はそれに答えるために[ケインズ氏のように]これら命題を注視し,それらの論理的関係を見分けようと試みるかわりに,むしろ,私が知っているのが一方だけと想定して,その場合もう一方の命題にどれだけの度合の信頼をおくべきかを推量しようとするであろう (Ramsey,1996,  83-84ページ)
  つまり,ラムゼーは命題間の確率ではなく,個人がもう一方の命題に寄せる主観確率について語っている。そこには,確率とは個人による判断をめぐる問題との主張がみられる。17
 第2,その主要な諸原理の論述においても整合性が保たれていない,という批判が来る。『確率論』にみられる確率の客観性・主観性をめぐる曖昧性を突くものである。18
 第3, 帰納法の世界を演繹法の世界に包摂しようとする試みにたいする批判が来る。
…推論を正当化する論理的関係とは,帰結の意味…が,その前提の意味に含まれているということである。だが,帰納的論証の場合には,このようなことは少しも生じていない。これを[ケインズ氏のように]演繹的論証に類似していて,ただその度合が弱いものとするのは不可能である。そこでは帰結の意味が前提の意味に部分的に含まれているというのはばかげている(Ramsey, 1996, 115-116ページ。下線は引用者)
 命題Aと命題Bの間に確率を設定するというのは,命題Bが命題Aから演繹的に(しかも部分的に)導出されるということを意味しない。それをあたかもそうであるかのようにみせるのはおかしい,というのである。
 ラムゼーの批判は,私にとり非常に明快で理解しやすいものである。
 2. ケインズの反応
 ケインズがラムゼーのこの批判に応じたのは,ラムゼーにたいする追悼文「哲学者ラムゼー」(Keynes, 1931b)においてである。これは, 193110月時点での「哲学者ケインズ」のスタンスを知るうえできわめて重要な証言であり,「人間論理」(human logic)へのラムゼーの着目にたいする高い評価と,「形式論理」(formal logic)に基づく『確率論』にたいする自己批判とが混在するかたちで語られている。
…彼[ラムゼー],「形式論理」とは識別される「人間論理」を考えるに至った。形式論理は整合的な思考ルール以外には何ら関心をもたない。だがこれに加えて, われわれは,われわれの感性や記憶,およびその他の方法で供給される素材を処理するための, そしてそうして真理に達する…ための,ある「有益な精神的慣習」をもっている。…そのような慣習についての分析もまた一種の論理である。こうしたアイデアの確率論理への適用はきわめて有益である。…ここまでのところ,私はラムゼーに譲る 私は彼が正しいと思う(JMK.10, pp. 338-339)
  ここには、「形式論理」を中核にした,命題間の客観的関係としての確率よりも,ラムゼー的な「人間論理」に着目した確率論への賛意がみられる。「私は彼が正しいと思う」という発言は,『確率論』が哲学者ケインズの長期間に及ぶ思考の産物であったことを考慮すると, 非常な重みをもっている。



以下は300頁を超える大部なので入門書とは言い難いが、この手の本に珍しく貨幣論論争についても言及している(第3章)。

ケインズとハイエク―貨幣と市場への問い (講談社現代新書) 
松原 隆一郎; 新書 2011


102:

Hayek, Freidrich August. von. 1931a. Reflections on the Pure Theory of Money of Mr. J.M.Keynes, Economica,11(33), August, 270-295.
――1931b. The Pure Theory of Money : II.ARejoinder, Economica, 11(34), November, 398-403.
――1932. Reflections on the Pure Theory of Money of Mr. J.M.Keynes Part II, Economica,12(35), February, 22-44.

Keynes, John Maynard. 1931. The Pure Theory of Money : I.AReply to Dr. Hayek, Economica,11 (34), November, 387-397.




Reflections on the Pure Theory of Money of Mr. J.M. Keynes | Mises Institute
Reflections on the Pure Theory of Money of Mr. J.M. Keynes
 Reflections on the Pure Theory of Money of Mr JM Keynes_4.pdf
From Economica, No. 33 (August 1931) and No. 35 (February 1932).

ミュルダールとハイエク
https://ncu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=847&item_no=1&attribute_id=25&file_no=1
ヴィクセルとの比較において,ミュルダールのケインズ(とりわけ『貨幣論』)に対する批判的態度は顕著である.J.M.ケインズの新しくすばらしい,しかし必ずしも明晰とはいえない研究貨幣論には,まったくもってヴィクセルからの影響が行き渡っている.それにもかかわらず,ケインズの研究もまた,魅力的なアングロ・サクソン流の不必要な独創性にいくぶん害されており,それはイギリスの経済学者の大半の側におけるドイツ語圏の知識のある程度体系的な欠落に端を発しているのである(Myrdal 1939, 8-9).また,1970 年代にスタグフレーションという問題に直面して,ミュルダールはこう述べた.次第に経済学として主流になったケインズ的アプローチは,あらゆる経済がデフレーションと失業を特徴とする不況に落ち込む傾向を正常と考える明らかに非常に偏ったものであった.ケインズ自身の理論は,彼の本の表題が意味しているような,一般的なものではけっしてなかった.その点に関しては,ヴィクセルの初期の理論のほうが,理論的にすぐれていた(Myrdal1973,17,訳20).

Myrdal, Gunnar. 
――1939. Monetary Equilibrium, translated from German by R. B. Bryce and N. Stolper, New York : Augustus M. Kelly. (貨幣的均衡論傍島省三訳,実業之日本社,1943年.)
――1973. Against the Stream: Critical Essays on Economics, NewYork : Pantheon Books. (反主流の経済学加藤寛・丸尾直美訳,ダイヤモンド社,1975年.)

67 件のコメント:

  1. https://opac.lib.city.yokohama.lg.jp/opac/OPP1500?ID=1&SELDATA=TOSHO&SEARCHID=0&START=1&ORDER=DESC&ORDER_ITEM=SORT4-F&LISTCNT=10&MAXCNT=1000&SEARCHMETHOD=SP_SEARCH&MENUNO=0
    人間知性研究
    デイヴィッド・ヒューム/著  斎藤繁雄/訳  一ノ瀬正樹/訳  
    出版者 法政大学出版局 出版年 2004.5  285,7p  付・人間本性論摘要
    目次   
    人間知性研究
    哲学の異なった種類について
    観念の起源について
    観念の連合について
    知性の作用に関する懐疑的疑念
    これらの疑念の懐疑論的解決
    蓋然性について
    必然 的結合の観念について
    自由と必然性について
    動物の理性について
    奇蹟について
    特 殊的摂理と未来(来世)の状態について
    アカデミー的あるいは懐疑的哲学について)
    付・人間本性論摘要

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  2. ベンサム(ベンタムとも発音する 1748-1832年)
    ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873年)
    ダーウィン(1809 ~1882)
    スペンサー(1820~1903)


    功利主義
    note.masm.jp/功利主義/
    イギリス功利主義を確立したベンサムは,抽象的な思弁の世界に閉じこもるだけでなく, 議会制度改革や民主主義的な政治 .... スペンサー(1820~1903)は,ダーウィン(1809 ~1882)によって提唱された進化論をあらゆる現象に適用し、功利 ...
    功利主義(こうりしゅぎ)とは - コトバンク
    kotobank.jp/word/功利主義-63351
    さらに、ベンサムは外的制裁を重んじたが、ミルは内面的な動機、良心、自己陶冶( とうや)の重要性も認めて、心情道徳、完成説への傾斜を示した。彼らと同時代の急進 主義者たちにも功利主義の傾向がみられるが、以後もスペンサーやスティーブンらの 進化論 ...
    辞書別に見る:日本大百科全書(ニッポニカ)-大辞林 第三版-世界大百科事典 第2版
    ハーバート・スペンサー - Wikipedia
    ja.wikipedia.org/wiki/ハーバート・スペンサー
    略歴[編集]. 1820年、イングランド、ダービーの非英国国教会(非国教徒)の家庭に 生まれる。教師であった父の方針で学校教育を受けず、父と叔父を教師として、家庭で 教育を受けた。16歳でロンドン・バーミンガム鉄道の鉄道技師として働き始め、空いた 時間に ...
    略歴-思想・研究-社会進化論-スペンサーの社会学
    国立国会図書館デジタルコレクション - ベンサム,ミル,スペンサー邦訳書 ...
    dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3050969
    詳細レコード表示にする. 永続的識別子: info:ndljp/pid/3050965; タイトル: 参考書誌 研究. (10); 著者: 国立国会図書館参考書誌部; 出版者: 国立国会図書館; 出版年月日: 1974-11-30. タイトル (title): 参考書誌研究; 著者 (creator): 国立国会図書館参考書誌 部
    第十五章 功利主義・実証主義・進化論
    www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/kindai/kouri.htm
    ベンサム(1748~1832) は『道徳と立法の諸原理序説』で,次のように「功利の原理」を 展開しました。人間は「快」 .... スペンサー(1820~1903) は『綜合哲学体系』を著して, 進化論を生物体だけでなく,一般の自然法則として諸科学の綜合を試みました。全ての

    ...文藝散歩 「ミル自伝」 - FC2
    sendatakayuki.web.fc2.com/bungei2/bungei56.html
    ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873年)は自他ともにベンサム(ベンタムとも発音する 1748-1832年)の功利主義者をもって任じている。 ...... 社会学」という名称を創始し、 英国のハーバート・スペンサーと並んで社会学の祖として知られる。
    功利主義の誤謬(後) : 森田浩之の政治コラム(アーカイブ) - livedoor Blog
    blog.livedoor.jp/hiroyukimo2/archives/14274463.html
    このように当時は「哲学者」と見られていたが、その後は社会科学者として認知されて いる人としては、ヒューム、スミス、コント、ベンサム、スペンサー、ミルなどがいる。 この うちヒューム、スミス、ベンサム、ミルに共通するのが「功利主義」である。

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  3. バンコールを誤解しているような


    ヤニス・ バルファキス: 資本主義が民主主義を食い尽くす―今こそ立ち上がろう (TED) - Yahoo!ニュース
    http://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20160310-00002413-ted&utm_source=taboola&utm_medium=exchange

    世界政治経済のレベルでは 我々の国の通貨が 自由に変動する相場を持ち IMFやG-20が 人類を代表して発行する―
    世界共通のデジタル通貨に なったとしたら 世界共通のデジタル通貨に なったとしたら どうでしょうか さらに発展さ
    せて この共通通貨― 仮に「コズモス」とします― 国際貿易はすべて コズモス建てで行います どの国の政府も 共通の
    通貨基金に 貿易赤字 または 貿易黒字に比例する額を コズモス建てで 払い入れる協定を結びます この基金を 環境の
    ための技術への投資に活用し 特に 世界の中でも 投資が不足している地域に投入します

    これは何も新しい考えではなく ジョン・メイナード・ケインズが 事実上 1944年のブレトンウッズ会議で 提案したもの
    です 問題は 当時 この考えを実践するための 技術がなかったことです でも 今はあります 政治と経済を融合すれば もっと確実です

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  4. 【サッカー】くじ「BIG」で宇宙誕生レベルの奇跡が起こる 運営側「全くの偶然」その確率は0.0000000000000000000000000000001%以下 [無断転載禁止]©2ch.net

    1 : Marine look ★@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:09:00.28 ID:CAP_USER9
    25溝0316穣0000杼0000垓0000京0000兆0000億0000万0000分の1の奇跡
    http://image.itmedia.co.jp/nl/articles/1702/20/l_ikko_BIG001.jpg

    ランダムで試合結果を予想するスポーツくじ「BIG」で、14試合×5口分の予想結果が一致したという画像が投稿され物議を醸した件で、日本スポーツ振興センターが見解を発表しました。
    システムの不具合や不正操作によるものではなく、全くの偶然によるものと結論づけられています。
    その確率は約2,503,160,000,000,000,000,000,000,000,000,000分の1。単位を追加すると約25溝0316穣0000杼0000垓0000京0000兆0000億0000万0000分の1となります。

     「BIG」は、1口分14試合に“ホームチームの90分勝ち”“ホームチームの90分負け”“その他”の3パターンの予想結果を3分の1ずつランダムに割り当て、実際の試合結果に応じて当せん金が当たるというサッカーくじ。
    ネット掲示板で5口分が完全一致した画像が投稿されたことをきっかけに「不正操作ではないか」などの臆測を呼んでいました。

     発表では「このくじの販売元である『楽天totoサイト』を運営する楽天に実際に販売されていたことを確認した」としていますが、「重複する投票内容の出現はあり得る」「システム不具合や不正な操作によるものではない」と偶然によるものとされています。

     日本スポーツ振興センターに「現実的に起こり得ない確率で不正を疑う声もある。返金するなどの対応はしないのか」と問い合わせたところ、「返金の予定はない」と回答しました。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170220-00000060-it_nlab-sci

    関連
    【サッカー】toto・BIG運営が発表「不具合や不正な操作等によるものではない。」 5口分の投票内容が一致していた事例について★2 [無断転載禁止](c)2ch.net
    http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1487591566/
    2 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:09:14.45 ID:4pXt8cD40
    1/300 ←パチンコで当たる確率
    1/330,000 ←麻雀で天和を上がる確率
    1/4,800,000 ←totoBIGの一等当選確率
    1/6,000,000 ←LOTO6の一等当選確率
    1/10,300,000 ←LOTO7の一等当選確率
    1/100,000,000 ←1つの精子が受精する確率

    1/77,000,000,000,000 ←他人とDNAが一致する確率

    1/1,000,000,000,000,000,000,000,000 ←ビッグバンが起こったり、人が壁をすり抜ける確率


    1/2,500,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000 ←サッカーくじBIGで起こった確率
    3 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:09:38.57 ID:IeTNOBwQ0
    そうなんだ
    4 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:10:09.04 ID:IF4Y+sYP0
    宇宙ヤバイ
    5 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:10:09.46 ID:VAnzPNAO0
    つまりどういうことだってばよ
    6 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:10:13.46 ID:Mcudbkgw0
    これ楽天が客には絶対当たらない番号渡して、実際はクジを買わずに呑んでたんじゃないか
    7 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:11:13.15 ID:XRd+3zNi0
    画像が捏造なんじゃないの?
    8 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:11:15.16 ID:yC/rY2Ji0
    人が壁をすり抜ける確率よりも低いw
    9 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:11:22.31 ID:wHPD80O+0
    楽天が悪いの?
    totoBIGのシステムが悪いの?

    totoBIGのシステム自体が悪いなら
    もうtotoBIG買えないやん
    10 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:11:31.09 ID:Lz80/vfP0
    まぁ当然嘘だけど認めるわけにはいかないよな
    過去の販売実績全部返金しないといけなくなるもんな(笑)
    11 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:11:51.99 ID:ZullE4w90
    はじめに5口買っててその翌日に10口買うってのもなんか不自然だな
    12 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:12:00.02 ID:vxAVIi/k0
    これイカサマあるよって認めたようなもんじゃねーか
    13 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:12:00.71 ID:OVRf4opU0
    アブダクションだよスカリー
    14 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:12:04.93 ID:b61bOx890
    溝って単位があるのを初めて知った
    15 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:12:06.24 ID:UCqyMuj70
    >全くの偶然
     
    この言い分は厳しいわ。誠実さにかけるわ。
    「起こり得ないことがおきた」ことは認めないと。
     
    16 : 名無しさん@恐縮です@無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:12:13.07 ID:8mQ0Ng890
    ある人が5週連続で1等をあてる確率
    17 : @無断転載は禁止2017/02/20(月) 21:12:12.96
    確率論分かってないアホが多すぎだろw
    中学か高校で習うことだぞw


    BIG(ランダムの3択抽選)で70回連続で前回と同じ数字がでる確率 1/(3^70)=1/(2.5*10^33)

    どのくらいかというと
    サイコロで1が連続43回出る確率 1/(6^43)=1/(2.8*10^33)

    麻雀で天和(テンホウ)が6局連続でる確率 1/(330000^6)=1/(1.3*10^33)


    このくらいなら、まれによくあるレベル
    イカサマでもなんでもない
    はい論破

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  5. 前提とされる命題の集合をh、hから推論され結論となる命題の集合をaとし、hの知識がaに対して度合いαの合理的信念を持つことが正当化されたとき、「aとhとの間に度合いαの確率─関係がある」と言い、a/h=αと書く。

    たとえばある仮説hの一定の証拠eに関し、ラッセルの形式論理学ならば演繹的推論を用い、は0(否)か1(是)かである。けれども我々の日常生活は、そのように確実ではない判断に満ちている。ケインズの帰納的推論は、日常の推論に相当する0<a/h<1の合理的信念を扱うのである*10。

    松原
    ケインズとハイエクより

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  6. 、一九三一年にR・カーンが著し「乗数理論」を唱えた論文「国内投資と失業の関係」が転機となったと言われている。

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  7. ケインズ『確率論』bot (@keynestpbot)
    2017/12/08 21:01
    一般化という用語は,命題のある定義可能なクラスのすべてが真である,という言明を意味する.

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  8. 不可能性に0,確実性に1という記号を用いることがはじめて導入されたのは,1665年に刊行されたライプニッツによる「法律における確実な証拠あるいは証明,条件論覚書」と題する,ごく初期の論文においてであった(クーチュラ『ライプニッツの倫理学』,p.553参照).
    午後3:01 · 2017年12月12日

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  9. イギリスは一九二五年、蔵相チャーチルのもと旧平価での金本位制への復帰を決定する。これに対しケインズはさっそく『チャーチル氏の経済的帰結』を著し、批判を加えた。この時点でのケインズの関心は、物価の安定にあった。

    松原
    ケインズとハイエク

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  10. The Economic Consequences of Mr. Churchill(1925)

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  11. 25)ケインズ『確率論』第3章。ここでの「美人コンテスト」の例は,各ブロック選出の候補者が最終的に若  き貴族の伴侶になれるという約定が,途中まで進行したところで,破棄されたことに対する逸失利益の賠  償を求めた裁判の事例であるが,周知のように,後の『一般理論』第12章では,「玄人筋の行う投資」の例で,  少し条件を変え,新しい文脈の中ではあるが,再登場している。(ケインズ『一般理論』全集版第7巻,邦  訳154頁)

    千葉大中村確率論論考
    https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180523211315.pdf?id=ART0010350014



    25)ケインズ『確率論』第3章。ここでの「美人コンテスト」の例は,各ブロック選出の候補者が最終的に若  き貴族の伴侶になれるという約定が,途中まで進行したところで,破棄されたことに対する逸失利益の賠  償を求めた裁判の事例であるが,周知のように,後の『一般理論』第12章では,「玄人筋の行う投資」の例で,  少し条件を変え,新しい文脈の中ではあるが,再登場している。(ケインズ『一般理論』全集版第7巻,邦  訳154頁)(26)ケインズ『確率論』第8章。何回目かの試行でコインの表が出るか,裏が出るかという確率や,何回目の  試行でサイコロの何の目が出るかというような,数学的統計的とも見える問題でも,もしも,コインやサ  イコロに「歪み」や細工があれば,話が変わってくる。これらは,彼が後の第V部で詳しく論じている通  りである。(27)ケインズ『確率論」第10章で,ケインズ自身による詳しい「断り」がある。(28) cf. Bertramd RusseU, Review, The Mathematical Gazette, Vol.XI,110.159(Jnly 1922), pp.119−125.(C. R.  Maccan, Jr. ed., John MaOrnaiTl Keynes’ critiCal responses, VoL 1,1998, pp.395−403.に再録)但し,この点と,  自分の主著(lb・incipia Mathematica)カS Dr. Whiteheadとの共著である旨の修正を求めていることを除け  ば,ラッセルの批判は,大体において,好意的である。

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  12. ケインズ『確率論』bot
    @keynestpbot
    その事件は,『デイリー・エクスプレス』紙主催の美人コンクールの賞の提供に起因するものであった.

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  13. ライプニッツ(1665年『条件論2(Disputatio juridica posterior de conditionibus)』、1669年『法の諸例(Specimina juris)』として刊行)
    は、無効・不確実・絶対的ということを0・1/2・1と表記している。

    ラッセルの形式論理学ならば演繹的推論を用い、は0(否)か1(是)かである。
    けれども我々の日常生活は、そのように確実ではない判断に満ちている。

    ライプニッツを受け継いだケインズ『確率論』(1921)の帰納的推論は、日常の推論に相当する0<a/h<1の合理的信念を扱う。

    ケインズは(ニュートンを支持していたが)ライプニッツを意識していたと思う。

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  14. http://store.toyokeizai.net/books/9784492811481/
    ケインズ全集8巻 確率論 (A Treatise on Probability) 1921
    ケインズ,J.M.著/佐藤 隆三訳 578頁
    発行日:2010年05月28日
    若きケインズがムーア、ラッセルの影響のもとに書いた哲学の書。「確率の論理説」の立場にたって、確率概念の定義と
    その形式的体系化を試み、それを応用した帰納的推論の分析を行う。
    エピグラフ「一度ならず私は、新たな種類の論理学、確からしさの程度を扱う論理学が必要になるといってきました。」
    ライプニッツ(『人間知性新論』1765,みすず書房,pp.480~81)『確率論』邦訳3頁より

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  15. 『確率論』と「若き日の信条」 平井俊顕
    http://olympass.blogspot.jp/2014_05_01_archive.html
    Ⅱ.『確率論』の後 ― ラムゼーによる批判の影響
     ラムゼーは『確率論』にたいし,論文「確率と真理」(Ramsey,1926)で根底的批判を展開した。16そして,それをケインズは受容している。公の紙面を割いて,こうした表明を行うのは,ケ インズにあって異例である。既述のように、ケインズの哲学的論文はその後発表されてはいないこともあり、そしてケンブリッジの哲学にあって重要な位置を占 めるラムゼーの批判であることもあり、このできごとはこれまで多くの注目を集めてきた。以下、ラムゼーの批判のポイント、ならびにそれにたいするケインズ の反応をみることにしよう。
     1.ラムゼーによる批判
     ラムゼーによるケインズ『確率論』批判は、主として3点で構成されている。
     第1に,命題間の確率関係といったものは存在しない,という批判が来る。ケインズの「確率」の定義そのものの否定である。
    もし誰かが一方の命題が他方の命題にどのような確率を与えるのかと尋ねた場合,私はそれに答えるために[ケインズ氏のように]これら命題を注視し,それらの論理的関係を見分けようと試みるかわりに,むしろ,私が知っているのが一方だけと想定して,その場合もう一方の命題にどれだけの度合の信頼をおくべきかを推量しようとするであろう (Ramsey,1996, 83-84ページ)。
    つまり,ラムゼーは命題間の確率ではなく,個人がもう一方の命題に寄せる主観確率について語っている。そこには,確率とは個人による判断をめぐる問題との主張がみられる。17
     第2に,その主要な諸原理の論述においても整合性が保たれていない,という批判が来る。『確率論』にみられる確率の客観性・主観性をめぐる曖昧性を突くものである。18
     第3に, 帰納法の世界を演繹法の世界に包摂しようとする試みにたいする批判が来る。
    …推論を正当化する論理的関係とは,帰結の意味…が,その前提の意味に含まれているということである。だが,帰納的論証の場合には,このようなことは少しも生じていない。これを[ケインズ氏のように]演繹的論証に類似していて,ただその度合が弱いものとするのは不可能である。そこでは帰結の意味が前提の意味に部分的に含まれているというのはばかげている(Ramsey, 1996, 115-116ページ。下線は引用者)。
     命題Aと命題Bの間に確率を設定するというのは,命題Bが命題Aから演繹的に(しかも部分的に)導出されるということを意味しない。それをあたかもそうであるかのようにみせるのはおかしい,というのである。
     ラムゼーの批判は,私にとり非常に明快で理解しやすいものである。
     2. ケインズの反応
     ケインズがラムゼーのこの批判に応じたのは,ラムゼーにたいする追悼文「哲学者ラムゼー」(Keynes, 1931b)においてである。これは, 1931年10月時点での「哲学者ケインズ」のスタンスを知るうえできわめて重要な証言であり,「人間論理」(human logic)へのラムゼーの着目にたいする高い評価と,「形式論理」(formal logic)に基づく『確率論』にたいする自己批判とが混在するかたちで語られている。
    …彼[ラムゼー]は,「形式論理」とは識別される「人間論理」を考えるに至った。形式論理は整合的な思考ルール以外には何ら関心をもたない。だがこれに加えて, われわれは,われわれの感性や記憶,およびその他の方法で供給される素材を処理するための, そしてそうして真理に達する…ための,ある「有益な精神的慣習」をもっている。…そのような慣習についての分析もまた一種の論理である。こうしたアイデアの確率論理への適用はきわめて有益である。…ここまでのところ,私はラムゼーに譲る ― 私は彼が正しいと思う(JMK.10, pp. 338-339)。☆
    ここには、「形式論理」を中核にした,命題間の客観的関係としての確率よりも,ラムゼー的な「人間論理」に着目した確率論への賛意がみられる。「私は彼が正しいと思う」という発言は,『確率論』が哲学者ケインズの長期間に及ぶ思考の産物であったことを考慮すると, 非常な重みをもっている。


    《けれども、「合理的な」信念の度合と信念一般とを区別しようとした点では、彼はいまだ完全には成功していなかったと思う》
    と続く。
    『ケインズの闘い』157頁




    以下は300頁を超える大部なので入門書とは言い難いが、この手の本に珍しく貨幣論論争についても言及している(第3章)。

    ケインズとハイエク―貨幣と市場への問い (講談社現代新書)
    松原 隆一郎; 新書 2011

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  16. ラムゼイは、ケインズが確率関係の存在とその知覚を混同していると非難した。

    ケインズがラムゼイの批判に対して公に返答し、確率の主観的性格に関して、彼の批判が部分的に正しいことを認め
    たのは、ようやくラムゼイの死後においてであった。

    《われわれの確信の度合の基礎は…形式論理学よりもむしろわれわれの知覚や記憶に類似した装備にほかならない。
    ここまでは私はラムゼイに承服する…けれども、「合理的な」信念の度合と信念一般とを区別しようとした点では、
    彼はいまだ完全には成功していなかったと思う》

    『ケインズの闘い』151,157頁

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  17. ラムゼイは、ケインズが確率関係の存在とその知覚を混同していると非難した。

    ケインズがラムゼイの批判に対して公に返答し、確率の主観的性格に関して、彼の批判が部分的に正しいことを認め
    たのは、ようやくラムゼイの死後においてであった。

    《…われわれの確信の度合の基礎は…形式論理学よりもむしろわれわれの知覚や記憶に類似した装備にほかならない。
    ここまでは私はラムゼイに承服する…けれども、「合理的な」信念の度合と信念一般とを区別しようとした点では、
    彼はいまだ完全には成功していなかったと思う》

    『ケインズの闘い』151,157頁

    後年合理的期待仮説が再度その論点の穴をつくことになったが、むしろ今日では合理的なる概念が揺らぐ結果となって今日に至っている。
    少なくとも行動経済学の先駆けがここにあったと思う。

    返信削除
  18. ラムゼイは、ケインズが確率関係の存在とその知覚を混同していると非難した。

    ケインズがラムゼイの批判に対して公に返答し、確率の主観的性格に関して、彼の批判が部分的に正しいことを認め
    たのは、ようやくラムゼイの死後においてであった。

    《…われわれの確信の度合の基礎は…形式論理学よりもむしろわれわれの知覚や記憶に類似した装備にほかならない。
    ここまでは私はラムゼイに承服する…けれども、「合理的な」信念の度合と信念一般とを区別しようとした点では、
    彼はいまだ完全には成功していなかったと思う》

    『ケインズの闘い』151,157頁

    後年合理的期待仮説が再度その論点の穴をつくことになったが、むしろ今日では合理的なる概念自体が揺らぐ結果とな
    って今日に至っている。
    少なくとも行動経済学の先駆けがここにあったと思う。

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  19. 松原
    ケインズとハイエク
     国際金本位制は、D・ヒュームの唱えた「正金配分の自動調節理論」の原理に従うものとして正当化されていた。ヒュームによれば、金本位制のもと、ある国が貿易黒字になると輸出超過で得た金が流入して国内物価が上昇、輸出品の価格も上がり、輸出量が減る。そして輸入が増え輸出を上回り貿易が赤字に転じるなら、支払いで金は流出してゆき、国内物価は下落に向かい、輸出は容易になってゆく。国内物価や貿易収支は、金の流出入を通じて自動調節されるというのである。
     ところがケインズの目には、二〇世紀初頭において金本位制はそうした機能を持たなくなったと見えていた。まずイギリス国内において、すでに流通する貨幣量は金によって拘束されていなかった。銀行制度の発達により当座預金と小切手も通貨とみなされていたからで、第一次大戦前にはすでに貨幣の九割が銀行預金であった。したがってイギリスには、金本位制であるにもかかわらず莫大な金を保有する必要がなくなっていた。

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  20. ケインズ21,341:
    産出と所得の増大は、もし貨幣数量が厳格に固定されているなら、遅かれ早かれ頓挫を来すだろう。このことから類推して、産出と所得は貨幣数量の増加により増大させうると考えているらしい人もいる。しかし、これはより長いベルトを買うことによつて太ろうとするようなものである。今の合衆国では、ベルトはお腹にとって十分長い。貨幣数量を強調するのは大変な誤解を招く。それは単なる制限的要因であり、支出規模、これこそが効果を発揮する要因である。

    タイムズ1934年1月2日
    ルーズベルト氏の実験

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  21. ケインズ『確率論』bot
    @keynestpbot
    Aが結果として起こるかもしれぬ善の量であり,pがその確率であって(ここにp+q=1),Eが「数学的期待値」,したがってE=pAならば,「危険」RはR=p(A-E)=p(1-p)A=pqA=qEで表される.
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    8:01 PM · Nov 24, 2018 · keynestpbot

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  22. 古川顕イネスとケインズの貨幣論より
    ケインズの 「古代通貨論」 は, ケインズ全集全28巻の最後の巻 (第28巻)に掲載されたもので, 彼の数多くの著作の中ではほとんど注目されず, 読まれることのなかった一編ではあるまいか。 しかしこれは, 貨幣の起源や貨幣の歴史について数多くの示唆を与えてくれる貴重な小編であることは確かであるように思われる。 ケインズは次のように述べている。 「記録された歴史のほとんど全期間を通じて, 貨幣価値の低下は, 簡単な議論に値する。 それは, 貨幣が造られる金属の大量の増加, ないしは貨幣単位の金属の含有量の減少による失敗という2つの方法によってもたらされた。 前者を貨幣価値の下落 (Depreciation), 後者を貨幣価値の切り下げ (Debasement)と呼ぶのが便利である。 もし歴史の推移と本質が前者を生じさせないならば, 人間は一般に後者を頼みとするものである」 (Keynes [(19201926) 1982] p.226)。ケインズはこの記述に続いてこう指摘する。 「最初に貨幣の使用が物々交換に取って代わるとき, 鋳貨は金塊にほかならず, それに捺された刻印が品質と数量を証明するものの, その金塊の価値を除いては流通しない。 この初歩的な段階では, 貨幣価値切り下げという方法は利用できない。 契約の発達につれて計算貨幣 (money of account) の概念が現れ, 国家によって発行された鋳貨が法貨 (legal tender) の性格を獲得し, この計算貨幣で測られた債務の法的履行を経験する。 われわれが理解する意味で, 貨幣が人類の制度に登場するようになるのはこの段階である」 (Ibid., p.226)」。 ケインズはこうして貨幣制度が実現する初期の段階として, ①物々交換に代わる貨幣の生成,

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  23. Modern Money Theory: How I Came to MMT and What I Include in MMT « Multiplier Effect
    http://multiplier-effect.org/modern-money-theory-how-i-came-to-mmt-and-what-i-include-in-mmt/
    Wray

    My second book, in 1998, provided a different view of sovereign spending. I also revisited the origins of money. By this time I had discovered the two best articles ever written on the nature of money—by Mitchell Innes. Like Warren, Innes insisted that the dollar’s value is derived from the tax that drives it. And he argued this has always been the case. This was also consistent with what Keynes claimed in the Treatise, where he said that money has been a state money for the past 4,000 years, at least. I called this “modern money” with intentional irony—and titled my 1998 book Understanding Modern Money as an inside joke. It only applies to the past 4,000 years.

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  24. https://books.google.co.jp › books
    Economics for Sustainable Prosperity
    Steven Hail · 2018 · Business & Economics
    According to randall Wray, the name 'modern money theory' itself is derived from these words in Keynes' A ... by all modern states and has been so claimed for some four thousand years at least' (Keynes 1930, 4).

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  25. https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.45480/page/n23

    ケインズ全集5

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  26. p.4

      Now by the mention of contracts and offers, wehave introduced Law or Custom, by which they areenforceable; that is to say, we have introduced theState or the Community. JHirthermore it is a peculiarcharacteristic of money contracts that it is the Stateor Community not only which enforces delivery, butalso which decides what it is that must be deliveredas a lawful or customary discharge of a contractwhich has been concluded in terms of the money-of-account. The State, therefore, comes in first of allas the authority of law which enforces the paymentof the thing which corresponds to the name or de-scription in the contract. But it comes in doublywhen, in addition, it claims the right to determine anddeclare what thing corresponds to the name, and tovary its declaration from time to time—when, thatis to say, it claims the right to re-edit the dictionary.This light is claimed by all modem States and hasbeen so claimed for some four thousand years at least.It is when this stage in the evolution of Money hasbeen reached that Knapp’s Chartalism—the doctrinethat money is peculiarly a creation of tte State—^isfully realised. «
       Thus the Age of Money had succeeded to the Age

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  27. 貨幣論



     ところで、契約と付け値とに言及することによって、既にわれわれはそれらを履行させることのできる法律あるい
    は慣習を導入している。すなわちわれわれは、国家あるいは社会を導入しているのである。さらに貨幣契約の一つの
    特殊の性質は、国家または社会が、単に引渡しを強制するだけでなく、計算貨幣をもって締結されている契約の合法
    的あるいは慣習的な履行として引き渡されなければならないものは何かということをも決定する点にある。したがっ
    て国家は、まず第一に、契約に含まれている名称もしくは記述に照応する物の支払いを強制する法の権威として現わ
    れる。しかし国家が、これに加えていかなる物がその名称に照応するかを定め、これを布告し、そしてその布告を時
    どき変更する権利を要求するとき--すなわち辞典を再編修する権利を要求するとき--国家は二役を演ずることに
    なる。この権利は、すべて近代国家が要求しており、そして少なくとも約四○○○年の間そのように要求し続けてき
    た。クナップ(Knapp)の表券主義 (chartalism)--貨幣はとくに国家の創造物であるという学説--が完全に実
    現されるのは、貨幣の発展がこの段階に到達したときである。
     したがって、人びとが計算貨幣を採用した瞬間から、貨幣の時代がか物々交換の時代の後を引き継ぐに至ったのであ
    る。そして表券主義的貨幣すなわち国家貨幣の時代は、国家が、一般に行なわれている計算貨幣に対して、いかなる
    ものを貨幣としてこれに照応させるかを布告する権利を要求したときに--国家が辞典の使用を強制するだけでな
    く、辞典を作る権利をも要求したときに--達せられた。今日すべての文明社会の貨幣は、議論の余地なく表券主義
    的[貨幣〕である。

    全集#5:4~5頁

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  28. ケインズ『貨幣論』の貨幣分類(ケインズ『貨幣論』冒頭参照)

       債務の承認→銀行貨幣     →    銀行貨幣
      /          \     /法定不換貨幣
    計算貨幣          代表貨幣      
      \          /     \
       本来の貨幣→国家貨幣       管理貨幣
                 \     /
                  商品貨幣
                       \商品貨幣


    土器に印をつける方が金属鋳造より楽なのは理解出来る
    (ケインズが調べた時の)インドで起きたことをみれば
    あるいはアメリカの事例からみれば(金を流失させないための兌換停止だから)
    商品としての金は無くなるわけではない
    あくまで貨幣とは何かという話だ
    金を持っていた方が国力は高いが
    MMTで供給能力を高めたほうが簡単に国力は上がる

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  30. いわば貨幣は価値の媒介者であり、価値の媒介者として市場に流通することのただ一点において意義があるということです。 ... 国家が貨幣を発行すること によってではなく 国家が貨幣を受領すること によって裏付けられているのが肝です。 これを国定信用貨幣論といい、現代の貨幣論のなかでは主流派と言える理論です。2018/06/15

    現代貨幣理論(MMT)を学べば分かる「財政健全化」という言葉の不健全さ ...
    http://cobaltic.hatenablog.com/entry/2018/06/15/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E7%90%86%E
    8%AB%96%E3%82%92%E5%AD%A6%E3%81%B9%E3%81%B0%E5%88%86%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%80%8C
    %E8%B2%A1%E6%94%BF%E5%81%A5%E5%85%A8%E5%8C%96%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84
    ホー トリーの信用貨幣論 内 藤 敦 之 - J-Stage (Adobe PDF)
    www.jstage.jst.go.jp/article/jshet1963/46/46/.../en
    ホー トリーの信用貨幣論. 貨幣的循環と銀行. 内 藤 敦 之. I. は. じ. め. に. ホー ト リー( R. G. Hawtrey, 1879-1971)は. ケインズ と ...
    信用貨幣論と表券貨幣論に関する断章 - SUCRA (Adobe PDF) -htmlで見る
    sucra.repo.nii.ac.jp/?action...action...
    兌換銀行券を導出する貨幣・信用論の組み立てか. らすれば,不換銀行券を信用貨幣と捉えることは. 論理の一貫性を欠くこと ...
    現代貨幣理論(MMT)を学べば分かる「財政健全化」という言葉の不健全さ ...
    cobaltic.hatenablog.com/.../ ...
    貨幣の定義; 2.貨幣の起源; 3.貨幣の発展と本質. 3-1 商品貨幣論(金属主義); 3-2 信用 貨幣論. 4.日本の現状 ...
    1.貨幣の定義-2.貨幣の起源-3.貨幣の発展と本質-4.日本の現状
    現代貨幣論(MMT)はどこが間違っているのか<ゼロから始める経済学 ...
    hbol.jp>ハーバービジネスオンライン>政治・経済
    2019年7月1日 ... MMTの貨幣論は、中野氏が「国定信用貨幣論」と呼ぶように、国定貨幣論と信用貨幣論 の合成です。これらは ...
    商品貨幣論とは (ショウヒンカヘイロンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
    dic.nicovideo.jp/a/商品貨幣論
    2019年5月17日 ... 国定信用貨幣論とはあらゆる面で正反対の主張をしている。商品貨幣論と国定信用 貨幣論の論争は1000年 ...

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  31. 第1編 貨幣の性質
    脱してはいない。本来の貨幣は、この言葉の完全な意味内容からいって、ただ計算貨幣とのかかわりでしか存在する
    ことはできない。
     貨幣と計算貨幣との区別は、計算貨幣は記述あるいは称号であり、貨幣はその記述に照応する物であるといえば、
    恐らく明らかにしうるであろう。ところで、もし同じ物がつねに同じ記述に照応しているならば、この区別は何の実
    際的な興味も引かないであろう。しかし、もし物は変わりうるがこれに対して記述は同一のままであるならば、その
    場合にはこの区別はきわめて重要でありうる。この違いは、イギリス国王(それは誰であってもよい)とジョージ国
    第王との違いのようなものである。一〇年後にィギリス国王の体重に等しい重量の金を支払うという契約は、現在ジョ
    ージ国王であるその個人の体重に等しい重量の金を支払うという契約と同じものではない。そのときになって誰がイ
    ギリス国王であるかを布告するのは、国家の役目である。
     ところで、契約と付け値とに言及することによって、既にわれわれはそれらを履行させることのできる法律あるい
    は慣習を導入している。すなわちわれわれは、国家あるいは社会を導入しているのである。さらに貨幣契約の一つの
    特殊の性質は、国家または社会が、単に引渡しを強制するだけでなく、計算貨幣をもって締結されている契約の合法
    的あるいは慣習的な履行として引き渡されなければならないものは何かということをも決定する点にある。したがっ
    て国家は、まず第一に、契約に含まれている名称もしくは記述に照応する物の支払いを
    強制する法の権威として現わ
    れる。しかし国家が、これに加えていかなる物がその名称に照応するかを定め、これを布告し、そしてその布告を時
    どき変更する権利を要求するとき
    すなわち辞典を再編修する権利を要求するとき||国家は役を演ずることに
    なる。この権利は、すべて近代国家が要求しており、そして少なくとも約四○〇〇年の間そのように要求し続けてき
    2° ある (Knapp
    添主義 (chartalism)
    ー貨幣はとくに国家の創造物であるという学説||が 完全に実
    )

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  32. ISHIZUKA Ryouji (@ISHIZUKA_R)
    2019/09/30 16:13
    このサイトでケインズのA Treatise on Money も読める。
    邦訳書で「この計算貨幣で表示される契約の付け値、契約、および債務の承認」のとりわけ「債務の承認」が意味不明だったが、Acknowledgement-of-Debt で「債務証書」だとわかった。債務証書が貨幣になる、という意味だろう。

    Twitterアプリをダウンロード

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  33. 経済的可能性」(1930 年), ケインズはこのように貨幣動機のタームで ...
    Imagewww.tohoku-gakuin.ac.jp › p...PDF
    ケインズの経済思想 - 東北学院大学

    動機ないし貨幣愛(love of money)が経済機構の推進力となっているという点に,資本 ... ケインズは,1930年代の大不況における膨大な失業.
    23 ページ·937 KB
    Imagekhosokawa.sakura.ne.jp › ...
    オピニオン ケインズ
    ケインズは、この投資家階級の「貨幣愛」に不況の原因を見出した。投資家の ... ケインズは1930年に「孫の世代の経済的可能性」を書いた。
    Imagejshet.net › uploads › 2019/02PDF
    ケインズと精神医学 - 経済学史学会

    ケインズは 1930 年に出版した『貨幣論』のなかで,フロイトの議論に言及している.ここで. ケインズは根深い金本位制への執着の理由を考える ...
    5 ページ·645 KB

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  34. 大銀山から産出した銀は、何に使われたか?/野口悠紀雄|文藝春秋digital
    https://bungeishunju.com/n/n235d68df1218

    … ポトシで採掘された銀は、パナマまで船で運ばれ、ラバに背負われてパナマ地峡を超えます。そして、カリブ海の港からスペインに輸送されます。それをイングランドの海賊たちが襲ったのです。

     なかでも有名なのが、サー・フランシス・ドレーク( 1543年頃 - 1596年)。彼は、ウェールズ人の航海者で、海賊(私掠船船長)です(後に海軍提督)。

     ドレークは、初めて世界一周を達成しました。マゼランは生還できなかったので、艦隊指揮者として世界を周航したのは、ドレークが初めてです。

     彼はマゼラン海峡を通り抜けて太平洋に出たあと、嵐に流されて、マゼラン海峡より南の海峡を偶然通り抜けて大西洋に押し戻されました。南極半島との間のこの海峡は、「ドレーク海峡」と呼ばれるようになりました。

     もっとも、ドレークにとってもエリザベスにとっても、世界周航や海峡発見は重要なことではありませんでした。彼らの関心は、「何を持ち帰れるか」にあったからです。

     マゼランの艦隊は胡椒を持ち帰っただけですが、ドレークは、海賊行為によって多大の財宝を持ち帰りました。

    ◆海賊ビジネスで大英帝国の基礎を築く
     その額は、60万ポンドと言われます。当時のイングランド王室の年収が20万ポンド程度だと言われますから、いかに巨額かが分かります。出資者は4700パーセントの収益を得たのですが、その一人である女王は30万ポンドを得ました。

     イングランド王室は負債をすべて返済し、残りの一部である4.2万ポンドを「レヴァント会社」に投資しました。これは、オスマン帝国から商業活動を認められたエリザベスが、イギリス商人に特許状を与えて1581年に作った会社です。毛織物の輸出などで利益をあげ、またオスマン帝国との外交にもあたりました。

     この会社の収益から、後に東インド会社が設立されたのです。経済学者J.M.ケインズは、『貨幣論』(A Treatise on Money )の中で、ドレークの捕獲金がイギリス対外投資の源泉となったと指摘しています。

     大英帝国の基礎は、このときに作られたのです。スペインが新大陸の富を浪費したのに対して、「海賊ビジネス」と企業家精神を持つイングランドは、近代資本主義に向かう道を歩んでいました。

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  35. 11月29日21:00~ #D2021 企画 Vol.5 Dialogue 「さよなら資本主義 # 1歴史篇 」
    https://youtu.be/P6khqkKXJ6U

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  36. 奴隷と賃労働者は似ているが、
    賃労働者は消費者として選択出来る
    フェアトレードに参加する可能性がある
    情報さえあれば

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  37. 奴隷と賃労働者は似ているが、
    賃労働者は消費者として選択出来る
    フェアトレードに参加する余地がある
    情報さえあれば

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  38. ケインズ『貨幣論』
    《 ところで、契約と付け値とに言及することによって、既にわれわれはそれらを履行させることのできる法律あるいは慣習を導入している。すなわちわれわれは、国家あるいは社会を導入しているのである。さらに貨幣契約の一つの特殊の性質は、国家または社会が、単に引渡しを強制するだけでなく、計算貨幣をもって締結されている契約の合法的あるいは慣習的な履行として引き渡されなければならないものは何かということをも決定する点にある。したがって国家は、まず第一に、契約に含まれている名称もしくは記述に照応する物の支払いを強制する法の権威として現われる。しかし国家が、これに加えていかなる物がその名称に照応するかを定め、これを布告し、そしてその布告を時どき変更する権利を要求するとき--すなわち辞典を再編修する権利を要求するとき--国家は二役を演ずることになる。この権利は、すべて近代国家が要求しており、そして少なくとも約四○○○年の間そのように要求し続けてきた。クナップ(Knapp)の表券主(chartalism)--貨幣はとくに国家の創造物であるという学説--が完全に実現されるのは、貨幣の発展がこの段階に到達したときである。
     したがって、人びとが計算貨幣を採用した瞬間から、貨幣の時代が物々交換の時代の後を引き継ぐに至ったのである。そして表券主義的貨幣すなわち国家貨幣の時代は、国家が、一般に行なわれている計算貨幣に対して、いかなるものを貨幣としてこれに照応させるかを布告する権利を要求したときに--国家が辞典の使用を強制するだけでなく、辞典を作る権利をも要求したときに--達せられた。今日すべての文明社会の貨幣は、議論の余地なく表券主義的[貨幣〕である。》原著1929

    邦訳ケインズ全集#5:4~5頁


    レイMMT入門6.3
    《 ここでは、貨幣の歴史に関する従来の物語の誤りを証明するために、詳細な歴史を説明する余裕はない。そこで、その代わりとなるものを概観しよう。  
     まずは、計算貨幣は何千年も前から──少なくとも4000年、おそらくはもっとずっと前から──存在することに注目しなければならない(「現代貨幣理論」の「現代」は、「貨幣とは、少なくとも過去4000年間は国家貨幣であった」というケインズの主張から来ている)。我々がこれを知っているのは、例えば貨幣的な価値を記録するメソポタミアの粘土板や、その計算貨幣を使った価格表のおかげである。》原著2015改訂版

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  39. ケインズ『貨幣論』
    《 ところで、契約と付け値とに言及することによって、既にわれわれはそれらを履行させることのできる法律あるいは慣習を導入している。すなわちわれわれは、国家あるいは社会を導入しているのである。さらに貨幣契約の一つの特殊の性質は、国家または社会が、単に引渡しを強制するだけでなく、計算貨幣をもって締結されている契約の合法的あるいは慣習的な履行として引き渡されなければならないものは何かということをも決定する点にある。したがって国家は、まず第一に、契約に含まれている名称もしくは記述に照応する物の支払いを強制する法の権威として現われる。しかし国家が、これに加えていかなる物がその名称に照応するかを定め、これを布告し、そしてその布告を時どき変更する権利を要求するとき--すなわち辞典を再編修する権利を要求するとき--国家は二役を演ずることになる。この権利は、すべて近代国家が要求しており、そして少なくとも約四○○○年の間そのように要求し続けてきた。クナップ(Knapp)の表券主義(chartalism)--貨幣はとくに国家の創造物であるという学説--が完全に実現されるのは、貨幣の発展がこの段階に到達したときである。
     したがって、人びとが計算貨幣を採用した瞬間から、貨幣の時代が物々交換の時代の後を引き継ぐに至ったのである。そして表券主義的貨幣すなわち国家貨幣の時代は、国家が、一般に行なわれている計算貨幣に対して、いかなるものを貨幣としてこれに照応させるかを布告する権利を要求したときに--国家が辞典の使用を強制するだけでなく、辞典を作る権利をも要求したときに--達せられた。今日すべての文明社会の貨幣は、議論の余地なく表券主義的[貨幣〕である。》原著1929

    邦訳ケインズ全集#5:4~5頁


    レイMMT入門6.3
    《 ここでは、貨幣の歴史に関する従来の物語の誤りを証明するために、詳細な歴史を説明する余裕はない。そこで、その代わりとなるものを概観しよう。  
     まずは、計算貨幣は何千年も前から──少なくとも4000年、おそらくはもっとずっと前から──存在することに注目しなければならない(「現代貨幣理論」の「現代」は、「貨幣とは、少なくとも過去4000年間は国家貨幣であった」というケインズの主張から来ている)。我々がこれを知っているのは、例えば貨幣的な価値を記録するメソポタミアの粘土板や、その計算貨幣を使った価格表のおかげである。》原著2015改訂版

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  40. ケインズ『貨幣論』
    《 ところで、契約と付け値とに言及することによって、既にわれわれはそれらを履行させることのできる法律あるいは慣習を導入している。すなわちわれわれは、国家あるいは社会を導入しているのである。さらに貨幣契約の一つの特殊の性質は、国家または社会が、単に引渡しを強制するだけでなく、計算貨幣をもって締結されている契約の合法的あるいは慣習的な履行として引き渡されなければならないものは何かということをも決定する点にある。したがって国家は、まず第一に、契約に含まれている名称もしくは記述に照応する物の支払いを強制する法の権威として現われる。しかし国家が、これに加えていかなる物がその名称に照応するかを定め、これを布告し、そしてその布告を時どき変更する権利を要求するとき--すなわち辞典を再編修する権利を要求するとき--国家は二役を演ずることになる。この権利は、すべて近代国家が要求しており、そして少なくとも約四○○○年の間そのように要求し続けてきた。クナップ(Knapp)の表券主義(chartalism)--貨幣はとくに国家の創造物であるという学説--が完全に実現されるのは、貨幣の発展がこの段階に到達したときである。
     したがって、人びとが計算貨幣を採用した瞬間から、貨幣の時代が物々交換の時代の後を引き継ぐに至ったのである。そして表券主義的貨幣すなわち国家貨幣の時代は、国家が、一般に行なわれている計算貨幣に対して、いかなるものを貨幣としてこれに照応させるかを布告する権利を要求したときに--国家が辞典の使用を強制するだけでなく、辞典を作る権利をも要求したときに--達せられた。今日すべての文明社会の貨幣は、議論の余地なく表券主義的[貨幣〕である。》原著1929

    邦訳ケインズ全集#5:4~5頁


    レイMMT入門6.3
    《 ここでは、貨幣の歴史に関する従来の物語の誤りを証明するために、詳細な歴史を説明する余裕はない。そこで、その代わりとなるものを概観しよう。  
     まずは、計算貨幣は何千年も前から──少なくとも4000年、おそらくはもっとずっと前から──存在することに注目しなければならない(「現代貨幣理論」の「現代」は、「貨幣とは、少なくとも過去4000年間は国家貨幣であった」というケインズの主張から来ている)。我々がこれを知っているのは、例えば貨幣的な価値を記録するメソポタミアの粘土板や、その計算貨幣を使った価格表のおかげである。》原著2015改訂版

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  41. 8 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 37c9-VdWF)[] 2021/02/07(日) 17:53:22.71 ID:dFacvjrJ0
    MMTは、自国通貨を発行することができる政府について主に以下のように説明する。(Wikipedia)

    1.徴税や国債の発行による財源を確保する必要なしに、支出することができる。
    2.自国通貨建ての債務で債務不履行(デフォルト)を強制されることはない。
    3.経済の実物的な資源(労働、資本、資源)の利用が限界に達した場合に発生する、インフレ率の上昇が財政の制約である。
    4.徴税で貨幣を経済から取り除くことで、ディマンドプルインフレーション(需要インフレ)の抑制が可能である
      (ただし、それを実行する政治的意思が常にあるとは限らない)。
    5.国債の発行が民間部門の資金を締め出すことはない(クラウディングアウトは起こらない)。


    ケインズ『貨幣論』
    《 …国家は、まず第一に、契約に含まれている名称もしくは記述に照応する物の支払いを強制する法の権威とし
    て現われる。しかし国家が、これに加えていかなる物がその名称に照応するかを定め、これを布告し、そしてその布告を
    時どき変更する権利を要求するとき──すなわち辞典を再編修する権利を要求するとき──国家は二役を演ずること
    になる。この権利は、すべて近代国家が要求しており、そして少なくとも約四〇〇〇年の間そのように要求し続けてきた。
    クナップ(Knapp)の表券主義(chartalism) ──貨幣はとくに国家の創造物であるという学説──が完全に実現される
    のは、貨幣の発展がこの段階に到達したときである。
     したがって、人びとが計算貨幣を採用した瞬間から、貨幣の時代が物々交換の時代の後を引き継ぐに至ったのである。
    》原著1929邦訳ケインズ全集#5:4~5頁

    レイMMT入門6.3
    《 ここでは、貨幣の歴史に関する従来の物語の誤りを証明するために、詳細な歴史を説明する余裕はない。そこで、
    その代わりとなるものを概観しよう。 まずは、計算貨幣は何千年も前から──少なくとも4000年、おそらくはもっとずっ
    と前から──存在することに注目しなければならない(「現代貨幣理論」の「現代」は、「貨幣とは、少なくとも過去4000
    年間は国家貨幣であった」というケインズの主張から来ている)。
    我々がこれを知っているのは、例えば貨幣的な価値を記録するメソポタミアの粘土板や、その計算貨幣を使った価格表
    のおかげである。》原著2015改訂版

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  42. 246 あ[sage] 2021/02/17(水) 09:28:07.60 ID:Rhru65wk
    参考
    貨幣の本源的概念についての覚書
    泉正樹 2013[レイが引用される]
    https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2013/pdf/no06_03.pdf
    次頁のツリー上の系統図部分は,1930年にケインズが,『貨幣論 I  貨幣の純粋理論』第1編「貨幣の性質」
    第1章「貨幣の分類」の「四 貨幣の形態」と「五 流通貨幣」とで提示した分類を,一つにまとめてみた
    ものである。見られるように,そこには,「本源的概念」とされる計算貨幣から「本来の貨幣」と「債務の承認」が
    分岐し,それぞれに「国家貨幣」と「銀行貨幣」とが対応する。
    https://1.bp.blogspot.com/-LOdJ6po3IDs/Xe0HlUr5dnI/AAAAAAABpgI/BPCl1Th17h0EErETM11DJWqAlMdUoD6hQCLcBGAsYHQ/s1600/IMG_6322.PNG

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  43. https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.227329/mode/2up?q=drake
    vol.2

    ドレーク 

    * 
Page -153-
4 The expedition of Mr. Phipps (afterwards Sir W. Phipps) to recover a Spanish treasure ship which was believed to have sunk some fifty years before off the coast of Hispaniola, is one of the most extraordinary records of improbable success. He returned to London in 1688, having fished up out of the sea a sum estimated at between £250,000 and £300,000 and paid a dividend to his shareholders of 10,000 per cent (even Drake had only distributed a dividend of 4700 per cent). The excitement and stimulus occasioned by this event was the proximate cause of the remarkable Stock Exchange boom which reached its climax in 1692-95 and ended with the foundation of the Bank of England, a Stock Exchange list (with 137 securities quoted) on modern lines, and the reform of the currency by Locke and Newton. The stimulus which this gave to home investment offset the loss of foreign trade due to William’s French war, and created an atmosphere of optimism and prosperity which must have been invaluable for the stability of the new regime. This investment boom is of particular historical interest in that it was the first of the public utility booms so typical of later periods {e.g. the railway booms of the nineteenth century), being characterised by a number of water-works flotations. (For these particulars, as well as for many others mentioned in this section, vide W. R. Scott, Joint-Stock Companies to 1720, passim.)
    * 
Page -156-
1 Prior to the exploits of Drake and others, referred to below, the new treasure could only affect English prices by dribbling in vid the Antwerp money market.
    * 
Page -158-
Indeed, the booty brought back by Drake in the Golden Hind may fairly be considered the fountain and origin of British Foreign Investment. Elizabeth
    * 
Page -407-
Drake and Spanish treasure, ii. 151 n.t 156-7, 156 n.


    ページ -153
    4 フィップス氏(後のW.フィップス卿)が、50年ほど前にヒスパニオラ島沖で沈没したとされるスペインの宝船を回収するために行った探検は、あり得ない成功を収めた最も素晴らしい記録の一つである。彼は、25万ポンドから30万ポンドと推定される金額を海から釣り上げ、1688年にロンドンに戻り、株主に1万パーセントの配当を支払った(ドレイクでさえ4700パーセントの配当しかなかった)。この出来事がもたらした興奮と刺激は、1692年から95年にかけて最高潮に達した証券取引所の目覚ましいブームの近因となり、イングランド銀行の設立、近代的な証券取引所のリスト(137の証券が引用されている)、ロックとニュートンによる通貨の改革で幕を閉じた。このように国内の投資が活発になったことで、ウィリアムのフランス戦争による外国貿易の損失が相殺され、楽観的で繁栄した雰囲気が生まれ、新体制の安定に大きく貢献したに違いない。この投資ブームは、後の時代に典型的に見られる公共事業ブーム(19世紀の鉄道ブームなど)の最初のものであり、多くの水道事業の浮揚を特徴とするという点で、特に歴史的に興味深いものである。これらの点については、W. R. Scott, Joint-Stock Companies to 1720, passim.を参照のこと。
    ページ -156
    1 後述するドレークらの活躍以前は、新しい財宝はアントワープの貨幣市場に流れ込むことでしかイギリスの価格に影響を与えなかった。
    158ページ
    実際、ドレークがゴールデン・ハインド号で持ち帰った戦利品は、イギリスの海外投資の源泉であり、原点であると言っても過言ではありません。エリザベス
    ページ -407
    ドレークとスペインの財宝、II. 151 n.t. 156-7, 156 n.

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  44. 貨幣論
    全集6
    164ページ
    #30-1
    第6編 投資率とその変動
    おり、少なくともそれは、六〇万ポンドを超えていたに逮いないということを示す証拠を提出している。このような大量の貨
    幣の流入の効果は、一五七五年から一五八七年までの「素晴らしき繁栄の一一年」を築き上げる上で、最も有力なものであっ
    たに違いない。エリザベスの時代を作り上げ、またその偉大さを可能にしたものとして、これらの経済的藩要因に言及するこ
    とを全くしょうとしないのは、わが国の歴史家の特徴であり、『ケンプリッジ近代史』(Cambridge Modern History)は、そ
    の一例である。

     実際、ドレークがゴールデン ·ハインド号で持ち帰った掠奪品こそは、まさにイギリスの海外投資の源泉であり、
    起源であったと考えて差し支えない。 エリザベス[一世〕は、その収入の中から自分の対外債務の全部を支払い、ま
    たその残額の一部(約四万二O○○ボンド)をレヴァント会社に投資したし、また主としてレヴァント会社の利潤か
    ら東インド会社が設立され、そして一七世紀と一八世紀とを通じて、その利潤はイギリスの対外的事業関係の主要な
    基礎をなすものであった、等々。これらのことを考えれば、以下の計算は、好奇心に富む人びとの興味を引くかもし
    れない。現在の時点で(概数を使えば)われわれの対外投賓は、種々の損失を差し引いて、恐らく正味六易バーセン
    ト程度の収益をもたらすであろうが、そのうち約半分||たとえば三Nバーセン ト||を海外に再投資するとする。
    もしこれが、平均的に見て、一五八〇年以来行なわれてきたことのかなり良い見本であるとすれば、一五八〇年に、
    エリザベスがドレークの掠奪品の中から投資した四万二〇○○ポンドは、一九三〇年までには、ほぼわれわれの現在」
    の海外投資の実際の総額、すなわち四二億ボンドーいいかえれば、最初の投資よりもおよそ一○万倍も大きなもの
    |にまで増大していたであろう。実際われわれは、この仮定した蓋積率の正確さを、約一二〇年の経過をおいて照
    合することができるのである。なぜならば、一七世紀の末にわが国の海外投資の大部分を構成していた三大貿易会社一
    東イソド会社、勅許アフリカ会社およびハドソン湾会社||は、約二一五万ポンドの資本をもっていたのである
    が、もしわれわれが、当時のわが国の総海外投資額を二五○万ボンドとするならば、これは四万二○○○ポンドが一

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  45. 163
    第30章 歴 史的 例証
    る。明らかにスペインでは、新しい購買力は、直接に貴族階級および支配階級の手に入ってきて、そして直ちに彼ら
    によって使用され、用役の費用を競り上げることになったーァメリカ大陸からの新しい富は、一六世紀の中葉以
    後、まもなく賃金水準の高騰の中に(すなわち所得インフレーションの中に)、全面的に反映されっつあったの で あ
    り、遂に一度も資本蓄積の中に(すなわち、もはや利潤インフレーションの中に) 反映されることはなかったのであ
    る。しかし、ヨ1ロッパのその他の諸国では、新しい購買力は、異なる道筋を通って、すなわち私的な商業という道
    (-)
    筋を通って到来した。新しい財宝によって影響されることの最も少なかった国々の商人たちは、その影響をいっそう
    強く受けていた諸国に対して、大きな利益をえて販売することができたし、そして、その中でもとくに [地中海およ
    びエーゲ海東岸の〕レヴァント地方およびアジアとの貿易関係を確立していた諸国は、このようにして受け取った
    財宝を、次には、非常に莫大な利潤の得られる条件で、輪出する こと ができた。一七世紀を通じて、自国の富に莫
    大な増加をつけ加えつつあったのは、イギリスとフランスの資本家であって、スペインの資本家ではなかったのであ
    る。



    (1) (政府の許可のもとに、武装の民有船で敵船を攻撃捕慶するいわゆる〕私掌捕船の行動も、この中に含まれる。 なぜなら
    ば、イギリスの場合には、地金の輸入の大きな部分が、ドレークによるスペインの財宝船の傘捕、および他の人びとによる多
    くの同様な目ざましい活躍によっていたからである。これらの違征は、資本家の出資団体や会社によって金融され、商業上の一
    投機を意味するものであったが、それらの成功と成果とは、あらゆる種類の企業的活動に刺激を与えた。イギリスでの景気過
    熱の時期は、一五七三年のドレ1クの最初の重要な遠征(彼の三度目の航海)からの帰還と共に、明確な形で始まり、そして
    1五八〇年に帰還したその第二回目の遠征の莫大な収穫によって、いっそう破かなものになったのであるが、また一方、一五
    八六年のその第 三回目の遠征も、まったく無視されてよいわけのものではなかった。ゴールデン.ハインド(Golden Hind)
    号で持ち帰った金および銀の価値は、当時は進意深く秘密にされていたが、歴史家によって非常にまちまちに見積もられ、三
    O万ポンドから一五〇万ポンドまでの間のどれかであるとされてきた。W.R.ス=ット教授は、高い方の数字に強く傾いて

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  46. 第6 投資率とその変動
    162
    ることができ、特にその初めの四○年の間はそうであった。スペインで富の非常に急速な蓄積に対する諸条件がそろ
    っていたのは、一五二〇年から一五六○年までの間であった。しかし一五八八年以後は、二つないし三つの景気過熱
    の年を除いて、スペインでは、利潤が得られる機会はまったくなかったし、また一七世紀の最初の三○年間、スペィ
    ンの賃金は(ハミルトン教授の数字によれば)、物価を超える状態を統け、したがって、利潤デフレーションを引き
    起こしていたばかりでなく、ョ1eッパのその他の諸国での賃金に比べて、驚くべき高水準に達していた。スペイン
    の政治的失墜の時代を通じて、その貨幣賃金のフランスおよびイギリスの賃金に対する関係は、今日のイギリスの貨
    店幣貨金のフランスのそれに対する関係と、ほとんど同様であった。


    (1) 『ニコノwカ』一九二九年、一1月、三五四ページに発表されているハミルトン教授の アンダルシアの物価と賃金とに関
    する図表を見よ
    (2) スペインでの一五四○年から一六○○年に至る板端な賃金の上昇は、ョーeッパのその他の国で起こりつつあったことと
    は全く調和しないものであったが、それは明らかに、住民を軍隊に取られ、またアメリカ〔大陸]へ向けて喪失したことによ
    って(そしてそれほど重要な理由ではないが、独身主義の住民が多かった こと と、ムーア人の追放とによって)、また農民
    が、海外冒険者の団体に加わるためとか、あるいは人的な用役に対して得られる高賃金を得るために都市へ流入してきたこと
    によって、非常に激化させられたのである。これらのことのすべてと、そして後にその結果として生じた耕作地の維持の困難
    とは、すでに長いあいだ歴史家には周知の論題であった。しかし私は、ハミルトン教授の調査以前に、統計資料が利用可能で
    あったという事実を知らないし、また歴史家は例によって、これらの事柄を、惰、迷信および客修といったような道徳的お
    よび政治的諸原因に帰してきており、多くの場合、貨幣的蓄影響を顕りみることはしていないーそれはちょうど、今日のイ
    ギリスの困難が、労働者の怠償、労働組合の反啓蒙主義および雇用者の無能に帰せられている のと同様であるが、これらのイ
    ギリスについての諸要因も、もしそれが現代に特有なものであることを示すことができるのであれば、説明として、もう少し
    価値のあるものにはなるであろう。
    なぜならば、フランスとイギリスでの賃金のたどった経過は、スペインの場合とは、非常に違っていたからであ

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  47. 第6 投資率とその変動
    162
    ることができ、特にその初めの四○年の間はそうであった。スペインで富の非常に急速な蓄積に対する諸条件がそろ
    っていたのは、一五二〇年から一五六○年までの間であった。しかし一五八八年以後は、二つないし三つの景気過熱
    の年を除いて、スペインでは、利潤が得られる機会はまったくなかったし、また一七世紀の最初の三○年間、スペイ
    ンの賃金は(ハミルトン教授の数字によれば)、物価を超える状態を統け、したがって、利潤デフレーションを引き
    起こしていたばかりでなく、ヨーロッパのその他の諸国での賃金に比べて、驚くべき高水準に達していた。スペイン
    の政治的失墜の時代を通じて、その貨幣賃金のフランスおよびイギリスの賃金に対する関係は、今日のイギリスの貨
    店幣貨金のフランスのそれに対する関係と、ほとんど同様であった。


    (1) 『ニコノミカ』一九二九年、一1月、三五四ページに発表されているハミルトン教授の アンダルシアの物価と賃金とに関
    する図表を見よ
    (2) スペインでの一五四○年から一六○○年に至る板端な賃金の上昇は、ヨーロッパのその他の国で起こりつつあったことと
    は全く調和しないものであったが、それは明らかに、住民を軍隊に取られ、またアメリカ[大陸]へ向けて喪失したことによ
    って(そしてそれほど重要な理由ではないが、独身主義の住民が多かった こと と、ムーア人の追放とによって)、また農民
    が、海外冒険者の団体に加わるためとか、あるいは人的な用役に対して得られる高賃金を得るために都市へ流入してきたこと
    によって、非常に激化させられたのである。これらのことのすべてと、そして後にその結果として生じた耕作地の維持の困難
    とは、すでに長いあいだ歴史家には周知の論題であった。しかし私は、ハミルトン教授の調査以前に、統計資料が利用可能で
    あったという事実を知らないし、また歴史家は例によって、これらの事柄を、怠惰、迷信および奢侈といったような道徳的お
    よび政治的諸原因に帰してきており、多くの場合、貨幣的諸影響を顕りみることはしていないーそれはちょうど、今日のイ
    ギリスの困難が、労働者の怠償、労働組合の反啓蒙主義および雇用者の無能に帰せられている のと同様であるが、これらのイ
    ギリスについての諸要因も、もしそれが現代に特有なものであることを示すことができるのであれば、説明として、もう少し
    価値のあるものにはなるであろう。


    163
    第30章 歴 史的 例証

     なぜならば、フランスとイギリスでの賃金のたどった経過は、スペインの場合とは、非常に違っていたからであ
    る。明らかにスペインでは、新しい購買力は、直接に貴族階級および支配階級の手に入ってきて、そして直ちに彼ら
    によって使用され、用役の費用を競り上げることになったーァメリカ大陸からの新しい富は、一六世紀の中葉以
    後、まもなく賃金水準の高騰の中に(すなわち所得インフレーションの中に)、全面的に反映されっつあったの で あ
    り、遂に一度も資本蓄積の中に(すなわち、もはや利潤インフレーションの中に) 反映されることはなかったのであ
    る。しかし、ヨーロッパのその他の諸国では、新しい購買力は、異なる道筋を通って、すなわち私的な商業という道
    筋を通って到来した(1)。新しい財宝によって影響されることの最も少なかった国々の商人たちは、その影響をいっそう
    強く受けていた諸国に対して、大きな利益をえて販売することができたし、そして、その中でもとくに [地中海およ
    びエーゲ海東岸の]レヴァント地方およびアジアとの貿易関係を確立していた諸国は、このようにして受け取った
    財宝を、次には、非常に莫大な利潤の得られる条件で、輪出する こと ができた。一七世紀を通じて、自国の富に莫
    大な増加をつけ加えつつあったのは、イギリスとフランスの資本家であって、スペインの資本家ではなかったのであ
    る。



    (1) 〔政府の許可のもとに、武装の民有船で敵船を攻撃捕獲するいわゆる〕私掌捕船の行動も、この中に含まれる。 なぜなら
    ば、イギリスの場合には、地金の輸入の大きな部分が、ドレークによるスペインの財宝船の傘捕、および他の人びとによる多
    くの同様な目ざましい活躍によっていたからである。これらの違征は、資本家の出資団体や会社によって金融され、商業上の
    投機を意味するものであったが、それらの成功と成果とは、あらゆる種類の企業的活動に刺激を与えた。イギリスでの景気過
    熱の時期は、一五七三年のドレークの最初の重要な遠征(彼の三度目の航海)からの帰還と共に、明確な形で始まり、そして
    一五八〇年に帰還したその第二回目の遠征の莫大な収穫によって、いっそう確かなものになったのであるが、また一方、一五
    八六年のその第 三回目の遠征も、まったく無視されてよいわけのものではなかった。ゴールデン・ハインド(Golden Hind)
    号で持ち帰った金および銀の価値は、当時は進意深く秘密にされていたが、歴史家によって非常にまちまちに見積もられ、三
    O万ポンドから一五〇万ポンドまでの間のどれかであるとされてきた。W.R.スコット教授は、高い方の数字に強く傾いて
    おり、少なくともそれは、六〇万ポンドを超えていたに逮いないということを示す証拠を提出している。このような大量の貨
    幣の流入の効果は、一五七五年から一五八七年までの「素晴らしき繁栄の一一年」を築き上げる上で、最も有力なものであっ
    たに違いない。エリザベスの時代を作り上げ、またその偉大さを可能にしたものとして、これらの経済的藩要因に言及するこ
    とを全くしょうとしないのは、わが国の歴史家の特徴であり、『ケンプリッジ近代史』(Cambridge Modern History)は、そ
    の一例である。


    貨幣論
    全集6
    164ページ
    #30-1
    第6編 投資率とその変動


     実際、ドレークがゴールデン・ハインド号で持ち帰った掠奪品こそは、まさにイギリスの海外投資の源泉であり、
    起源であったと考えて差し支えない。 エリザベス[一世〕は、その収入の中から自分の対外債務の全部を支払い、ま
    たその残額の一部(約四万二O○○ボンド)をレヴァント会社に投資したし、また主としてレヴァント会社の利潤か
    ら東インド会社が設立され、そして一七世紀と一八世紀とを通じて、その利潤はイギリスの対外的事業関係の主要な
    基礎をなすものであった、等々。これらのことを考えれば、以下の計算は、好奇心に富む人びとの興味を引くかもし
    れない。現在の時点で(概数を使えば)われわれの対外投賓は、種々の損失を差し引いて、恐らく正味六1/2パーセン
    ト程度の収益をもたらすであろうが、そのうち約半分ーーたとえば三1/4パーセン トーーを海外に再投資するとする。
    もしこれが、平均的に見て、一五八〇年以来行なわれてきたことのかなり良い見本であるとすれば、一五八〇年に、
    エリザベスがドレークの掠奪品の中から投資した四万二〇○○ポンドは、一九三〇年までには、ほぼわれわれの現在
    の海外投資の実際の総額、すなわち四二億ボンドーーいいかえれば、最初の投資よりもおよそ一○万倍も大きなもの
    ーーにまで増大していたであろう。実際われわれは、この仮定した蓋積率の正確さを、約一二〇年の経過をおいて照
    合することができるのである。なぜならば、一七世紀の末にわが国の海外投資の大部分を構成していた三大貿易会社
    ーー東インド会社、勅許アフリカ会社およびハドソン湾会社ーーは、約二一五万ポンドの資本をもっていたのである
    が、もしわれわれが、当時のわが国の総海外投資額を二五○万ボンドとするならば、これは四万二○○○ポンドが一

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  48. 第6 投資率とその変動
    162
    ることができ、特にその初めの四○年の間はそうであった。スペインで富の非常に急速な蓄積に対する諸条件がそろ
    っていたのは、一五二〇年から一五六○年までの間であった。しかし一五八八年以後は、二つないし三つの景気過熱
    の年を除いて、スペインでは、利潤が得られる機会はまったくなかったし、また一七世紀の最初の三○年間、スペイ
    ンの賃金は(ハミルトン教授の数字によれば)、物価を超える状態を統け、したがって、利潤デフレーションを引き
    起こしていたばかりでなく、ヨーロッパのその他の諸国での賃金に比べて、驚くべき高水準に達していた。スペイン
    の政治的失墜の時代を通じて、その貨幣賃金のフランスおよびイギリスの賃金に対する関係は、今日のイギリスの貨
    店幣貨金のフランスのそれに対する関係と、ほとんど同様であった。


    (1) 『ニコノミカ』一九二九年、一1月、三五四ページに発表されているハミルトン教授の アンダルシアの物価と賃金とに関
    する図表を見よ
    (2) スペインでの一五四○年から一六○○年に至る板端な賃金の上昇は、ヨーロッパのその他の国で起こりつつあったことと
    は全く調和しないものであったが、それは明らかに、住民を軍隊に取られ、またアメリカ[大陸]へ向けて喪失したことによ
    って(そしてそれほど重要な理由ではないが、独身主義の住民が多かった こと と、ムーア人の追放とによって)、また農民
    が、海外冒険者の団体に加わるためとか、あるいは人的な用役に対して得られる高賃金を得るために都市へ流入してきたこと
    によって、非常に激化させられたのである。これらのことのすべてと、そして後にその結果として生じた耕作地の維持の困難
    とは、すでに長いあいだ歴史家には周知の論題であった。しかし私は、ハミルトン教授の調査以前に、統計資料が利用可能で
    あったという事実を知らないし、また歴史家は例によって、これらの事柄を、怠惰、迷信および奢侈といったような道徳的お
    よび政治的諸原因に帰してきており、多くの場合、貨幣的諸影響を顕りみることはしていないーそれはちょうど、今日のイ
    ギリスの困難が、労働者の怠償、労働組合の反啓蒙主義および雇用者の無能に帰せられている のと同様であるが、これらのイ
    ギリスについての諸要因も、もしそれが現代に特有なものであることを示すことができるのであれば、説明として、もう少し
    価値のあるものにはなるであろう。


    163
    第30章 歴史的例証

     なぜならば、フランスとイギリスでの賃金のたどった経過は、スペインの場合とは、非常に違っていたからであ
    る。明らかにスペインでは、新しい購買力は、直接に貴族階級および支配階級の手に入ってきて、そして直ちに彼ら
    によって使用され、用役の費用を競り上げることになったーァメリカ大陸からの新しい富は、一六世紀の中葉以
    後、まもなく賃金水準の高騰の中に(すなわち所得インフレーションの中に)、全面的に反映されっつあったの で あ
    り、遂に一度も資本蓄積の中に(すなわち、もはや利潤インフレーションの中に) 反映されることはなかったのであ
    る。しかし、ヨーロッパのその他の諸国では、新しい購買力は、異なる道筋を通って、すなわち私的な商業という道
    筋を通って到来した(1)。新しい財宝によって影響されることの最も少なかった国々の商人たちは、その影響をいっそう
    強く受けていた諸国に対して、大きな利益をえて販売することができたし、そして、その中でもとくに [地中海およ
    びエーゲ海東岸の]レヴァント地方およびアジアとの貿易関係を確立していた諸国は、このようにして受け取った
    財宝を、次には、非常に莫大な利潤の得られる条件で、輪出する こと ができた。一七世紀を通じて、自国の富に莫
    大な増加をつけ加えつつあったのは、イギリスとフランスの資本家であって、スペインの資本家ではなかったのであ
    る。



    (1) 〔政府の許可のもとに、武装の民有船で敵船を攻撃捕獲するいわゆる〕私掌捕船の行動も、この中に含まれる。 なぜなら
    ば、イギリスの場合には、地金の輸入の大きな部分が、ドレークによるスペインの財宝船の傘捕、および他の人びとによる多
    くの同様な目ざましい活躍によっていたからである。これらの違征は、資本家の出資団体や会社によって金融され、商業上の
    投機を意味するものであったが、それらの成功と成果とは、あらゆる種類の企業的活動に刺激を与えた。イギリスでの景気過
    熱の時期は、一五七三年のドレークの最初の重要な遠征(彼の三度目の航海)からの帰還と共に、明確な形で始まり、そして
    一五八〇年に帰還したその第二回目の遠征の莫大な収穫によって、いっそう確かなものになったのであるが、また一方、一五
    八六年のその第 三回目の遠征も、まったく無視されてよいわけのものではなかった。ゴールデン・ハインド(Golden Hind)
    号で持ち帰った金および銀の価値は、当時は進意深く秘密にされていたが、歴史家によって非常にまちまちに見積もられ、三
    O万ポンドから一五〇万ポンドまでの間のどれかであるとされてきた。W.R.スコット教授は、高い方の数字に強く傾いて
    おり、少なくともそれは、六〇万ポンドを超えていたに逮いないということを示す証拠を提出している。このような大量の貨
    幣の流入の効果は、一五七五年から一五八七年までの「素晴らしき繁栄の一一年」を築き上げる上で、最も有力なものであっ
    たに違いない。エリザベスの時代を作り上げ、またその偉大さを可能にしたものとして、これらの経済的藩要因に言及するこ
    とを全くしょうとしないのは、わが国の歴史家の特徴であり、『ケンプリッジ近代史』(Cambridge Modern History)は、そ
    の一例である。


    貨幣論
    全集6
    164ページ
    #30-1
    第6編 投資率とその変動


     実際、ドレークがゴールデン・ハインド号で持ち帰った掠奪品こそは、まさにイギリスの海外投資の源泉であり、
    起源であったと考えて差し支えない。 エリザベス[一世〕は、その収入の中から自分の対外債務の全部を支払い、ま
    たその残額の一部(約四万二〇〇〇ポンド)をレヴァント会社に投資したし、また主としてレヴァント会社の利潤か
    ら東インド会社が設立され、そして一七世紀と一八世紀とを通じて、その利潤はイギリスの対外的事業関係の主要な
    基礎をなすものであった、等々。これらのことを考えれば、以下の計算は、好奇心に富む人びとの興味を引くかもし
    れない。現在の時点で(概数を使えば)われわれの対外投賓は、種々の損失を差し引いて、恐らく正味六1/2パーセン
    ト程度の収益をもたらすであろうが、そのうち約半分ーーたとえば三1/4パーセン トーーを海外に再投資するとする。
    もしこれが、平均的に見て、一五八〇年以来行なわれてきたことのかなり良い見本であるとすれば、一五八〇年に、
    エリザベスがドレークの掠奪品の中から投資した四万二〇〇〇ポンドは、一九三〇年までには、ほぼわれわれの現在
    の海外投資の実際の総額、すなわち四二億ボンドーーいいかえれば、最初の投資よりもおよそ一○万倍も大きなもの
    ーーにまで増大していたであろう。実際われわれは、この仮定した蓋積率の正確さを、約一二〇年の経過をおいて照
    合することができるのである。なぜならば、一七世紀の末にわが国の海外投資の大部分を構成していた三大貿易会社
    ーー東インド会社、勅許アフリカ会社およびハドソン湾会社ーーは、約二一五万ポンドの資本をもっていたのである
    が、もしわれわれが、当時のわが国の総海外投資額を二五○万ボンドとするならば、これは四万二〇〇〇ポンドが一

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  49. 第6 投資率とその変動
    162
    ることができ、特にその初めの四〇年の間はそうであった。スペインで富の非常に急速な蓄積に対する諸条件がそろ
    っていたのは、一五二〇年から一五六〇年までの間であった。しかし一五八八年以後は、二つないし三つの景気過熱
    の年を除いて、スペインでは、利潤が得られる機会はまったくなかったし、また一七世紀の最初の三〇年間、スペイ
    ンの賃金は(ハミルトン教授の数字によれば)、物価を超える状態を統け、したがって、利潤デフレーションを引き
    起こしていたばかりでなく、ヨーロッパのその他の諸国での賃金に比べて、驚くべき高水準に達していた。スペイン
    の政治的失墜の時代を通じて、その貨幣賃金のフランスおよびイギリスの賃金に対する関係は、今日のイギリスの貨
    店幣貨金のフランスのそれに対する関係と、ほとんど同様であった。


    (1) 『ニコノミカ』一九二九年、一一月、三五四ページに発表されているハミルトン教授の アンダルシアの物価と賃金とに関
    する図表を見よ。
    (2) スペインでの一五四○年から一六○○年に至る板端な賃金の上昇は、ヨーロッパのその他の国で起こりつつあったことと
    は全く調和しないものであったが、それは明らかに、住民を軍隊に取られ、またアメリカ[大陸]へ向けて喪失したことによ
    って(そしてそれほど重要な理由ではないが、独身主義の住民が多かった こと と、ムーア人の追放とによって)、また農民
    が、海外冒険者の団体に加わるためとか、あるいは人的な用役に対して得られる高賃金を得るために都市へ流入してきたこと
    によって、非常に激化させられたのである。これらのことのすべてと、そして後にその結果として生じた耕作地の維持の困難
    とは、すでに長いあいだ歴史家には周知の論題であった。しかし私は、ハミルトン教授の調査以前に、統計資料が利用可能で
    あったという事実を知らないし、また歴史家は例によって、これらの事柄を、怠惰、迷信および奢侈といったような道徳的お
    よび政治的諸原因に帰してきており、多くの場合、貨幣的諸影響を顕りみることはしていないーそれはちょうど、今日のイ
    ギリスの困難が、労働者の怠償、労働組合の反啓蒙主義および雇用者の無能に帰せられている のと同様であるが、これらのイ
    ギリスについての諸要因も、もしそれが現代に特有なものであることを示すことができるのであれば、説明として、もう少し
    価値のあるものにはなるであろう。


    163
    第30章 歴史的例証

     なぜならば、フランスとイギリスでの賃金のたどった経過は、スペインの場合とは、非常に違っていたからであ
    る。明らかにスペインでは、新しい購買力は、直接に貴族階級および支配階級の手に入ってきて、そして直ちに彼ら
    によって使用され、用役の費用を競り上げることになったーァメリカ大陸からの新しい富は、一六世紀の中葉以
    後、まもなく賃金水準の高騰の中に(すなわち所得インフレーションの中に)、全面的に反映されっつあったの で あ
    り、遂に一度も資本蓄積の中に(すなわち、もはや利潤インフレーションの中に) 反映されることはなかったのであ
    る。しかし、ヨーロッパのその他の諸国では、新しい購買力は、異なる道筋を通って、すなわち私的な商業という道
    筋を通って到来した(1)。新しい財宝によって影響されることの最も少なかった国々の商人たちは、その影響をいっそう
    強く受けていた諸国に対して、大きな利益をえて販売することができたし、そして、その中でもとくに [地中海およ
    びエーゲ海東岸の]レヴァント地方およびアジアとの貿易関係を確立していた諸国は、このようにして受け取った
    財宝を、次には、非常に莫大な利潤の得られる条件で、輪出する こと ができた。一七世紀を通じて、自国の富に莫
    大な増加をつけ加えつつあったのは、イギリスとフランスの資本家であって、スペインの資本家ではなかったのであ
    る。



    (1) 〔政府の許可のもとに、武装の民有船で敵船を攻撃捕獲するいわゆる〕私掌捕船の行動も、この中に含まれる。 なぜなら
    ば、イギリスの場合には、地金の輸入の大きな部分が、ドレークによるスペインの財宝船の傘捕、および他の人びとによる多
    くの同様な目ざましい活躍によっていたからである。これらの違征は、資本家の出資団体や会社によって金融され、商業上の
    投機を意味するものであったが、それらの成功と成果とは、あらゆる種類の企業的活動に刺激を与えた。イギリスでの景気過
    熱の時期は、一五七三年のドレークの最初の重要な遠征(彼の三度目の航海)からの帰還と共に、明確な形で始まり、そして
    一五八〇年に帰還したその第二回目の遠征の莫大な収穫によって、いっそう確かなものになったのであるが、また一方、一五
    八六年のその第 三回目の遠征も、まったく無視されてよいわけのものではなかった。ゴールデン・ハインド(Golden Hind)
    号で持ち帰った金および銀の価値は、当時は進意深く秘密にされていたが、歴史家によって非常にまちまちに見積もられ、三
    〇万ポンドから一五〇万ポンドまでの間のどれかであるとされてきた。W.R.スコット教授は、高い方の数字に強く傾いて
    おり、少なくともそれは、六〇万ポンドを超えていたに逮いないということを示す証拠を提出している。このような大量の貨
    幣の流入の効果は、一五七五年から一五八七年までの「素晴らしき繁栄の一一年」を築き上げる上で、最も有力なものであっ
    たに違いない。エリザベスの時代を作り上げ、またその偉大さを可能にしたものとして、これらの経済的藩要因に言及するこ
    とを全くしょうとしないのは、わが国の歴史家の特徴であり、『ケンプリッジ近代史』(Cambridge Modern History)は、そ
    の一例である。


    貨幣論
    全集6
    164ページ
    #30-1
    第6編 投資率とその変動


     実際、ドレークがゴールデン・ハインド号で持ち帰った掠奪品こそは、まさにイギリスの海外投資の源泉であり、
    起源であったと考えて差し支えない。 エリザベス[一世〕は、その収入の中から自分の対外債務の全部を支払い、ま
    たその残額の一部(約四万二〇〇〇ポンド)をレヴァント会社に投資したし、また主としてレヴァント会社の利潤か
    ら東インド会社が設立され、そして一七世紀と一八世紀とを通じて、その利潤はイギリスの対外的事業関係の主要な
    基礎をなすものであった、等々。これらのことを考えれば、以下の計算は、好奇心に富む人びとの興味を引くかもし
    れない。現在の時点で(概数を使えば)われわれの対外投賓は、種々の損失を差し引いて、恐らく正味六1/2パーセン
    ト程度の収益をもたらすであろうが、そのうち約半分ーーたとえば三1/4パーセン トーーを海外に再投資するとする。
    もしこれが、平均的に見て、一五八〇年以来行なわれてきたことのかなり良い見本であるとすれば、一五八〇年に、
    エリザベスがドレークの掠奪品の中から投資した四万二〇〇〇ポンドは、一九三〇年までには、ほぼわれわれの現在
    の海外投資の実際の総額、すなわち四二億ボンドーーいいかえれば、最初の投資よりもおよそ一〇万倍も大きなもの
    ーーにまで増大していたであろう。実際われわれは、この仮定した蓋積率の正確さを、約一二〇年の経過をおいて照
    合することができるのである。なぜならば、一七世紀の末にわが国の海外投資の大部分を構成していた三大貿易会社
    ーー東インド会社、勅許アフリカ会社およびハドソン湾会社ーーは、約二一五万ポンドの資本をもっていたのである
    が、もしわれわれが、当時のわが国の総海外投資額を二五○万ボンドとするならば、これは四万二〇〇〇ポンドが一

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  50. 第6 投資率とその変動
    162
    ることができ、特にその初めの四〇年の間はそうであった。スペインで富の非常に急速な蓄積に対する諸条件がそろ
    っていたのは、一五二〇年から一五六〇年までの間であった。しかし一五八八年以後は、二つないし三つの景気過熱
    の年を除いて、スペインでは、利潤が得られる機会はまったくなかったし、また一七世紀の最初の三〇年間、スペイ
    ンの賃金は(ハミルトン教授の数字によれば)、物価を超える状態を統け、したがって、利潤デフレーションを引き
    起こしていたばかりでなく、ヨーロッパのその他の諸国での賃金に比べて、驚くべき高水準に達していた。スペイン
    の政治的失墜の時代を通じて、その貨幣賃金のフランスおよびイギリスの賃金に対する関係は、今日のイギリスの貨
    店幣貨金のフランスのそれに対する関係と、ほとんど同様であった(2)。


    {(1) 『ニコノミカ』一九二九年、一一月、三五四ページに発表されているハミルトン教授の アンダルシアの物価と賃金とに関
    する図表を見よ。
    (2) スペインでの一五四○年から一六○○年に至る板端な賃金の上昇は、ヨーロッパのその他の国で起こりつつあったことと
    は全く調和しないものであったが、それは明らかに、住民を軍隊に取られ、またアメリカ[大陸]へ向けて喪失したことによ
    って(そしてそれほど重要な理由ではないが、独身主義の住民が多かった こと と、ムーア人の追放とによって)、また農民
    が、海外冒険者の団体に加わるためとか、あるいは人的な用役に対して得られる高賃金を得るために都市へ流入してきたこと
    によって、非常に激化させられたのである。これらのことのすべてと、そして後にその結果として生じた耕作地の維持の困難
    とは、すでに長いあいだ歴史家には周知の論題であった。しかし私は、ハミルトン教授の調査以前に、統計資料が利用可能で
    あったという事実を知らないし、また歴史家は例によって、これらの事柄を、怠惰、迷信および奢侈といったような道徳的お
    よび政治的諸原因に帰してきており、多くの場合、貨幣的諸影響を顕りみることはしていないーそれはちょうど、今日のイ
    ギリスの困難が、労働者の怠償、労働組合の反啓蒙主義および雇用者の無能に帰せられている のと同様であるが、これらのイ
    ギリスについての諸要因も、もしそれが現代に特有なものであることを示すことができるのであれば、説明として、もう少し
    価値のあるものにはなるであろう。}


    163
    第30章 歴史的例証

     なぜならば、フランスとイギリスでの賃金のたどった経過は、スペインの場合とは、非常に違っていたからであ
    る。明らかにスペインでは、新しい購買力は、直接に貴族階級および支配階級の手に入ってきて、そして直ちに彼ら
    によって使用され、用役の費用を競り上げることになったーァメリカ大陸からの新しい富は、一六世紀の中葉以
    後、まもなく賃金水準の高騰の中に(すなわち所得インフレーションの中に)、全面的に反映されっつあったの で あ
    り、遂に一度も資本蓄積の中に(すなわち、もはや利潤インフレーションの中に) 反映されることはなかったのであ
    る。しかし、ヨーロッパのその他の諸国では、新しい購買力は、異なる道筋を通って、すなわち私的な商業という道
    筋を通って到来した(1)。新しい財宝によって影響されることの最も少なかった国々の商人たちは、その影響をいっそう
    強く受けていた諸国に対して、大きな利益をえて販売することができたし、そして、その中でもとくに [地中海およ
    びエーゲ海東岸の]レヴァント地方およびアジアとの貿易関係を確立していた諸国は、このようにして受け取った
    財宝を、次には、非常に莫大な利潤の得られる条件で、輪出する こと ができた。一七世紀を通じて、自国の富に莫
    大な増加をつけ加えつつあったのは、イギリスとフランスの資本家であって、スペインの資本家ではなかったのであ
    る。



    {(1) 〔政府の許可のもとに、武装の民有船で敵船を攻撃捕獲するいわゆる〕私掌捕船の行動も、この中に含まれる。 なぜなら
    ば、イギリスの場合には、地金の輸入の大きな部分が、ドレークによるスペインの財宝船の傘捕、および他の人びとによる多
    くの同様な目ざましい活躍によっていたからである。これらの違征は、資本家の出資団体や会社によって金融され、商業上の
    投機を意味するものであったが、それらの成功と成果とは、あらゆる種類の企業的活動に刺激を与えた。イギリスでの景気過
    熱の時期は、一五七三年のドレークの最初の重要な遠征(彼の三度目の航海)からの帰還と共に、明確な形で始まり、そして
    一五八〇年に帰還したその第二回目の遠征の莫大な収穫によって、いっそう確かなものになったのであるが、また一方、一五
    八六年のその第 三回目の遠征も、まったく無視されてよいわけのものではなかった。ゴールデン・ハインド(Golden Hind)
    号で持ち帰った金および銀の価値は、当時は進意深く秘密にされていたが、歴史家によって非常にまちまちに見積もられ、三
    〇万ポンドから一五〇万ポンドまでの間のどれかであるとされてきた。W.R.スコット教授は、高い方の数字に強く傾いて
    おり、少なくともそれは、六〇万ポンドを超えていたに逮いないということを示す証拠を提出している。このような大量の貨
    幣の流入の効果は、一五七五年から一五八七年までの「素晴らしき繁栄の11年」を築き上げる上で、最も有力なものであっ
    たに違いない。エリザベスの時代を作り上げ、またその偉大さを可能にしたものとして、これらの経済的藩要因に言及するこ
    とを全くしょうとしないのは、わが国の歴史家の特徴であり、『ケンブリッジ近代史』(Cambridge Modern History)は、そ
    の一例である。}


    貨幣論
    全集6
    164ページ
    #30-1
    第6編 投資率とその変動


     実際、ドレークがゴールデン・ハインド号で持ち帰った掠奪品こそは、まさにイギリスの海外投資の源泉であり、
    起源であったと考えて差し支えない。 エリザベス[一世〕は、その収入の中から自分の対外債務の全部を支払い、ま
    たその残額の一部(約四万二〇〇〇ポンド)をレヴァント会社に投資したし、また主としてレヴァント会社の利潤か
    ら東インド会社が設立され、そして一七世紀と一八世紀とを通じて、その利潤はイギリスの対外的事業関係の主要な
    基礎をなすものであった、等々。これらのことを考えれば、以下の計算は、好奇心に富む人びとの興味を引くかもし
    れない。現在の時点で(概数を使えば)われわれの対外投賓は、種々の損失を差し引いて、恐らく正味六1/2パーセン
    ト程度の収益をもたらすであろうが、そのうち約半分~~たとえば三1/4パーセン ト~~を海外に再投資するとする。
    もしこれが、平均的に見て、一五八〇年以来行なわれてきたことのかなり良い見本であるとすれば、一五八〇年に、
    エリザベスがドレークの掠奪品の中から投資した四万二〇〇〇ポンドは、一九三〇年までには、ほぼわれわれの現在
    の海外投資の実際の総額、すなわち四二億ボンド~~いいかえれば、最初の投資よりもおよそ一〇万倍も大きなもの
    ~~にまで増大していたであろう。実際われわれは、この仮定した蓋積率の正確さを、約一二〇年の経過をおいて照
    合することができるのである。なぜならば、一七世紀の末にわが国の海外投資の大部分を構成していた三大貿易会社
    ~~東インド会社、勅許アフリカ会社およびハドソン湾会社~~は、約二一五万ポンドの資本をもっていたのである
    が、もしわれわれが、当時のわが国の総海外投資額を二五〇万ボンドとするならば、これは四万二〇〇〇ポンドが一

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  51. 貨幣論
    全集6
    163~4ページ
    #30-1
    第6編 投資率とその変動

    新しい財宝によって影響されることの最も少なかった国々の商人たちは、その影響をいっそう
    強く受けていた諸国に対して、大きな利益をえて販売することができたし、そして、その中でもとくに [地中海およ
    びエーゲ海東岸の]レヴァント地方およびアジアとの貿易関係を確立していた諸国は、このようにして受け取った
    財宝を、次には、非常に莫大な利潤の得られる条件で、輪出する こと ができた。一七世紀を通じて、自国の富に莫
    大な増加をつけ加えつつあったのは、イギリスとフランスの資本家であって、スペインの資本家ではなかったのである。
     実際、ドレークがゴールデン・ハインド号で持ち帰った掠奪品こそは、まさにイギリスの海外投資の源泉であり、
    起源であったと考えて差し支えない。 エリザベス[一世〕は、その収入の中から自分の対外債務の全部を支払い、ま
    たその残額の一部(約四万二〇〇〇ポンド)をレヴァント会社に投資したし、また主としてレヴァント会社の利潤か
    ら東インド会社が設立され、そして一七世紀と一八世紀とを通じて、その利潤はイギリスの対外的事業関係の主要な
    基礎をなすものであった、等々。これらのことを考えれば、以下の計算は、好奇心に富む人びとの興味を引くかもし
    れない。

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  52. yoji2021年8月5日 21:19

    ケインズはソロンを評価していた。


     

    貨幣論1
    14頁

     紀元前六世紀のアテネの通貨に関するソロン(Solon)の改革は、表券主義的大権の 行使であって、それは鋳造貨
    幣の存在と同時代ではあったが、しかしいかなる点でも、それに依存するものではなかった。それはまさに、標準の
    変更であった。


    それにもかかわらずこのような標準の変更は、貨幣の形態にかかわるかぎりでは、商品貨幣の段階を超えるもので
    はない。


    第1編 貨幣の性質
    12
    真中にある小麦の粒三二」の重さと定めていたときのように

    -やはり国家あるいは社会であったであろう。今日の
    ウガンダでは山羊がその土地の慣習的な標準物となっているが、その一地方長官が私に語るところによれば、彼の公
    的な任務の一部は、特定の山羊があまり年をとりすぎていて、あるいはあまりやせすぎていて、債務の弁済のための
    標準物の山羊になるかどうかについて争いがある場合に、それを裁決することであるということである。
     貨幣は文明にとって不可欠な他の幾つかの要素と同様に、われわれが数年ばかり前までそのように教えられて信じ
    ていたものよりも、はるかに古い制度である。その起源は、氷河の氷が溶けつつあった時代の霧の中へ没しており
    そしてそれは、気候は快く、心は自由で、新しい考えを豊かに培っていた||ヘスペリデス姉妹たちの島、あるいは
    アトランティス、あるいはどこか中央アジアのエデンの園でー|間氷期 (interglacial) の人類の歴史に おける 楽園
    の合い間にまで及ぶとみてよいであろう。
     紀元前六世紀のアテネの通貨に関するソロン(Solon)の改革は、表券主義的大権の 行使であって、それは鋳造貨
    幣の存在と同時代ではあったが、しかしいかなる点でも、それに依存するものではなかった。それはまさに、標準の
    変更であった。さらにまた、第二ボエニ戦役以前には、表券主義的な変更が、公衆の犠牲によって国家の利益を得ると
    いう明確な意図のもとに企画された〜〜ローマはこの方法を国政の武器につけ加えた最初の創案者である〜〜例を、
    私は一つも知らない。その時代以降、標準の表券主義的な変更は一般に質の劣悪化という形で、時にはある目的のた
    めに、また時には他の目的のために行なわれてきたが、それは歴史家にはよく知られている論題である。
     それにもかかわらずこのような標準の変更は、貨幣の形態にかかわるかぎりでは、商品貨幣の段階を超えるもので
    はない。標準物の質的劣悪化、すなわち計算貨幣の価値を突然に低下させるような標準の変更は、それ自体ではわれわ
    れを一歩も代表貨幣の方へ導くものではない。商品貨幣は、単に商品の単位が質的に変化し、あるいは量的に減少し

    返信削除


  53. ケインズはソロンを評価していた。


     

    貨幣論1
    14頁

     紀元前六世紀のアテネの通貨に関するソロン(Solon)の改革は、表券主義的大権の 行使であって、それは鋳造貨
    幣の存在と同時代ではあったが、しかしいかなる点でも、それに依存するものではなかった。それはまさに、標準の
    変更であった。


    それにもかかわらずこのような標準の変更は、貨幣の形態にかかわるかぎりでは、商品貨幣の段階を超えるもので
    はない。


    第1編 貨幣の性質
    12
    真中にある小麦の粒三二」の重さと定めていたときのように〜〜やはり国家あるいは社会であったであろう。今日の
    ウガンダでは山羊がその土地の慣習的な標準物となっているが、その一地方長官が私に語るところによれば、彼の公
    的な任務の一部は、特定の山羊があまり年をとりすぎていて、あるいはあまりやせすぎていて、債務の弁済のための
    標準物の山羊になるかどうかについて争いがある場合に、それを裁決することであるということである。
     貨幣は文明にとって不可欠な他の幾つかの要素と同様に、われわれが数年ばかり前までそのように教えられて信じ
    ていたものよりも、はるかに古い制度である。その起源は、氷河の氷が溶けつつあった時代の霧の中へ没しており
    そしてそれは、気候は快く、心は自由で、新しい考えを豊かに培っていた〜〜ヘスペリデス姉妹たちの島、あるいは
    アトランティス、あるいはどこか中央アジアのエデンの園で〜〜間氷期 (interglacial) の人類の歴史に おける 楽園
    の合い間にまで及ぶとみてよいであろう。
     紀元前六世紀のアテネの通貨に関するソロン(Solon)の改革は、表券主義的大権の行使であって、それは鋳造貨
    幣の存在と同時代ではあったが、しかしいかなる点でも、それに依存するものではなかった。それはまさに、標準の
    変更であった。さらにまた、第二ボエニ戦役以前には、表券主義的な変更が、公衆の犠牲によって国家の利益を得ると
    いう明確な意図のもとに企画された〜〜ローマはこの方法を国政の武器につけ加えた最初の創案者である〜〜例を、
    私は一つも知らない。その時代以降、標準の表券主義的な変更は一般に質の劣悪化という形で、時にはある目的のた
    めに、また時には他の目的のために行なわれてきたが、それは歴史家にはよく知られている論題である。
     それにもかかわらずこのような標準の変更は、貨幣の形態にかかわるかぎりでは、商品貨幣の段階を超えるもので
    はない。標準物の質的劣悪化、すなわち計算貨幣の価値を突然に低下させるような標準の変更は、それ自体ではわれわ
    れを一歩も代表貨幣の方へ導くものではない。商品貨幣は、単に商品の単位が質的に変化し、あるいは量的に減少し

    返信削除


  54. ケインズはソロンを評価していた。


     

    貨幣論1
    14頁

     紀元前六世紀のアテネの通貨に関するソロン(Solon)の改革は、表券主義的大権の 行使であって、それは鋳造貨
    幣の存在と同時代ではあったが、しかしいかなる点でも、それに依存するものではなかった。それはまさに、標準の
    変更であった。


    それにもかかわらずこのような標準の変更は、貨幣の形態にかかわるかぎりでは、商品貨幣の段階を超えるもので
    はない。

    13頁
     国家による重量の標準の最初の改革は、はっきりした記録のあるところでは、紀元前3000年代終り頃のバビロニアの改革であった。


    第1編 貨幣の性質
    12
    後に13世紀にもなってイングランドの政府が英貨1ペンスを「穂の
    真中にある小麦の粒三二」の重さと定めていたときのように〜〜やはり国家あるいは社会であったであろう。今日の
    ウガンダでは山羊がその土地の慣習的な標準物となっているが、その一地方長官が私に語るところによれば、彼の公
    的な任務の一部は、特定の山羊があまり年をとりすぎていて、あるいはあまりやせすぎていて、債務の弁済のための
    標準物の山羊になるかどうかについて争いがある場合に、それを裁決することであるということである。
     貨幣は文明にとって不可欠な他の幾つかの要素と同様に、われわれが数年ばかり前までそのように教えられて信じ
    ていたものよりも、はるかに古い制度である。その起源は、氷河の氷が溶けつつあった時代の霧の中へ没しており
    そしてそれは、気候は快く、心は自由で、新しい考えを豊かに培っていた〜〜ヘスペリデス姉妹たちの島、あるいは
    アトランティス、あるいはどこか中央アジアのエデンの園で〜〜間氷期 (interglacial) の人類の歴史に おける 楽園
    の合い間にまで及ぶとみてよいであろう。
     紀元前六世紀のアテネの通貨に関するソロン(Solon)の改革は、表券主義的大権の行使であって、それは鋳造貨
    幣の存在と同時代ではあったが、しかしいかなる点でも、それに依存するものではなかった。それはまさに、標準の
    変更であった。さらにまた、第二ボエニ戦役以前には、表券主義的な変更が、公衆の犠牲によって国家の利益を得ると
    いう明確な意図のもとに企画された〜〜ローマはこの方法を国政の武器につけ加えた最初の創案者である〜〜例を、
    私は一つも知らない。その時代以降、標準の表券主義的な変更は一般に質の劣悪化という形で、時にはある目的のた
    めに、また時には他の目的のために行なわれてきたが、それは歴史家にはよく知られている論題である。
     それにもかかわらずこのような標準の変更は、貨幣の形態にかかわるかぎりでは、商品貨幣の段階を超えるもので
    はない。標準物の質的劣悪化、すなわち計算貨幣の価値を突然に低下させるような標準の変更は、それ自体ではわれわ
    れを一歩も代表貨幣の方へ導くものではない。商品貨幣は、単に商品の単位が質的に変化し、あるいは量的に減少し

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  55. R Ishizuka
    ⁦‪@ISHIZUKA_R‬⁩


    ケインズはこんなこと言っています。金の量が変動したら、準備率を調整してしまう、という。だから金にリンクしていなかったから金本位制は安定したと。
    経済学の先生は、学生に嘘を教えてこなかったか。 pic.twitter.com/QATob2v8bE

    2021/09/08 11:53


    ケインズの証言
    「世界の多くの発券銀行における金準備率の任意性と変わりやすい性格は、推測不可能な要因を導入するというよりも、むしろ安定要因であったのである。なぜなら、金が比較的多量に流入する場合は、金準備率を多少引き上げれば吸収されてしまうし、また、金が比較的希少であるときは、金準備を実用に供する意図がないという事実が、準備率を多少引き下げても、へいせいを保たせることができたのである。」
    (『ケインズ全集』第4巻、邦訳、p.138)
    50



    貨幣改革論

    お金の改革論

    https://genpaku.org/keynes/monetaryreform/monetaryreformj.pdf

    4.3
    69
     だが、安定化をこれまで支援してきた別種の影響があった。黄金の価値は、ある一つの人間集団の政策や意志決定に依存するものではない。そして供給のそこそこの割合は、市場を氾濫させることなく、芸術やアジアにおける抱え込みへと向かった。だから黄金の限界価値は、その金属が他のモノに対して持つ安定した心理的推定に左右されることになったのだった。黄金には「内在的価値」があり、「管理」通貨の危険から逃れているというのはこういう意味だ。黄金の価値を決める•独•立•し•た•各•種•の影響は、それ自体として安定化をもたらす影響となった。黄金の備蓄量が、世界の多くの紙幣発行銀行が維持する負債に対して持つ割合は、恣意的で変わりやすいものだが、これも計算不能な要素を導入するどころか、安定性の一要因となった。黄金が豊富で中央銀行のほうに流れてくると、黄金準備高の比率が少し上がるのを容認することで吸収できたし、それが比較的希少になると、中央銀行が自分たちの黄金準備高を実用的な目的に使う意図はまったくなかったという事実のため、そうした銀行のほとんどは黄金準備高比率が減るのを平然と見守れたのだ。南アフリカの黄金がボーア戦争終わりから1914年までに示した流れの大半は、ヨーロッパなどの国々の中央黄金準備高に流れ込んで、物価には最小限の影響しか与えなかった。


    ヒックスは貨幣の現状の機能をストックとしたが金本位制が念頭にあったのだろう。

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  56. ケインズ#5貨幣論5頁
    《今日全ての文明社会の貨幣は、議論の余地なく表券主義的[貨幣]である。》

    Today all civilised money is, beyond the possibility of dispute, chartalist.

     CH. I
    THE CLASSIFICATION OF MONEY
    of Barter as soon as men had adopted a money-of-
    account. And the Age of Chartalist or State Money
    was reached when the State claimed the right to
    declare what thing should answer as money to the
    current money-of-account-when it claimed the right
    not only to enforce the dictionary but also to write
    the dictionary. To-day all civilised money is, beyond
    the possibility of dispute, chartalist.
    It will be noticed that the money-of-account must
    be continuous. When the name is changed-which
    may or may not be coincident with
    money which answers to it-the new unit must bear
    a definite relation to the old. The State will, as a
    rule, promulgate a formula which defines the new
    money-of-account in terms of the old. If, however,
    failing a decree by the State, all contracts prior to a
    certain date are worked out in the old currency, and
    all contracts subsequent to that date are made in the
    new, even so the market cannot help establishing for
    itself a parity between the two. Thus there can be
    no real breach in the continuity of descent in the
    pedigree of the money-of-account, except by a cata-
    strophe in which all existing contracts are simul-
    taneously wiped out.
    change in the
    (ii.) MONEY-PROPER AND BANK-MONEY
    We have seen that the introduction of a Money-
    of-Account gives rise to two derived categories-
    Offers of Contracts, Contracts and Acknowledg-
    ments-of-Debt, which are in terms of it, and Money-
    Proper, answering to it, delivery of which will
    discharge the Contract or the Debt. The first of
    these prepares the way for the next development,
    namely the discovery that for many purposes the
    acknowledgments of debt are themselves a service-
    able substitute for Money-Proper in the settlement of
    transactions. When acknowledgments of debt are

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  57. ケインズは貨幣論でホートレーを引く形で信用貨幣を使用している

    #5
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    credit money
    信用貨幣

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  58. 第3編 基本方 程式
    の恐れなしにかなり広い範囲で変化させることができる。利子率が上昇するときには、彼は重大な不便を蒙ることなしにできる
    かぎりその債務を減少させようと望むであろう。彼がその財貨の在庫を減少させることができれば、彼はその債務を減少させる
    ことができる。そして彼は、単に財貨が売却されるときに補充を遅らすだけで、その財貨の在庫を減少させることができる。し
    かし製造業者の受け取る注文は、在庫を補充しようとする商人から出てくる。それ故に製造業者たちは、直ちに自分たちの受け
    取る注文が前よりも少なくなり、また少額のものになってきていることを知るであろう。商人たちは、さもなければ財貨の購入
    のために製造築者への支払いに用いていたはずの貨幣を、いまやその銀行業者への債務の返済のために使用しつつある。 す
    なわち彼(製造業者)は需要の減退を経験し、そして彼はその結果生ずる産出量の制限を和らげるために、価格を現行の生産経費 4
    が許すかぎり引き下げる。この価格の引下げは、商人に対して、小売価格の引下げという普通ならば需要を刺激するはずの方策
    をとることができるようにするであろう。しかしその間に、商人による在庫の減少と生産者による産出の制限とは、生産者およ
    び商人との両者の銀行に対する債務の減少をともない、そしてこの銀行業者の資産のこの減少は、彼らの償務、すなわち信用貨」
    幣の供給の減少をともなっているであろう。したがって公衆の手許にある貨幣の残高は減少しており、そしてその上に構築され
    ている所得の上部構造は、それと同時に縮小しつつあるのである。」


    ところで私は、これは銀行利率の上昇の正常な作用様式に関するきわめて不完全な説明だと思う。読者は、それが
    もっぱら高金利から生ずる営業費用の増加によっていることに注意してほしい。ホートレー氏は、この追加的費用が
    あまりにも僅少で、製造業者に著しい影響を与えることはないだろうということを認めてはいるけれども、商人には
    それが著しい影響を与えているということを、吟味もせずに仮定している。彼の議論は、商人の心に物価水準の下落
    の予想を起こさせるということに基っいているのではないのであって、信用貨幣の供給の減少を、彼の考える因果的
    連鎖での最終の出来事としているのである。しかし商人がその銀行業者から獲得する融通に対して、五パーセントを
    支払っているか六バーセントを支払っているかという問題は、彼が取引する財貨の現在および将来の売上率(すなわ

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  59. #5
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    credit money
    信用貨幣

    A TREATISE ON MONEY BK. m keep wiU be based on experience, but can, of course, be varied- mthin fairly wide limits without much risk of inconvenience. When t^ rate of interest goes up he will be anxious to reduce his indebtedness, so far as he can, without incurring serious inconvenience. He can reduce his indebtedness if he can reduce his stocks of goods, and he can reduce his stocks of goods by merely delaying replenishment when they are sold. But the orders received by manufacturers come from the dealers who want to replenish their stocks. Consequently the manufacturers will at once find that they are receiving fewer and smaller orders. The money which the dealers would otherwise have been using to pay the manufacturer for goods, they are using to extinguish their indebtedness to their bankers. . . . That is to say, he (the manufacturer) experiences a slackening of demand, and in order to relieve the resulting restriction of output he lowers prices so far as the existing expenses of production will permit. This lowering of prices will enable the dealers to lower retail prices, a measure which would ordinarily stimulate demand. But in the meanwhile the reduction of stocks by the dealers and the restriction of output by the producers will have been accompanied by a diminution of indebtedness'of both producers and dealers to the banks, and this diminution of the bankers’ assets will have been accompanied by a diminution in their liabilities, i.e. in the supply of credit money. The balances of money in the hands of the public ate therefore decreasing, and the superstructure of incomes erected thereon is simultaneously shrinking.”

    Now, I believe this to be a very incomplete account ^of the normal modus operandi of a Mgber bankrate. It rebes, let the reader observe, exclusively on the increased costs of business res^ting fromjh^rer monej^ Mr. Hawtrey admits that these additional caste be too small materially to affect the manu. facturer, but assumes without investigation that they do materially affect the trader. He does not base his arguptent on the arousing of an expectation of ,fallmg price-levels in the minds of the dealers, and he n^kes the diminution of the supply of credit money the tost event in hi% causal train. Yet probably the qu^on

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  60. ホートレー 好況と不況


    PDF
    hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/.../1/ronso1090601030.pdf
    ホートレーにおける商人 - ・消費財と投資財
    拡大とともに,ホートレーの見解(在庫投資の重視や公共支出への反対等)は旧. 式として,いつしかその名も完全に ... CBT Good and Bad Trade Constable & Co. 1913.

    PDF
    hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/.../kenkyu0180300850.pdf
    ホートレーとケインズ -共通点を主眼として
    命題 ホートレー・ケインズともに貨幣が本質的な役割を演じる経済学を19. 30年代までに構築し, ... 1913 'Review of Good and Bad Trade Economic Journal 23 1913.

    PDF
    repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/.../kronso_178_5-6_525....
    Title R.G.ホートレーの金融・財政政策論(1) Author(s) 古川, 顕 ...

    R.G.ホートレーの金融・ 1ぽ政政策論(1 ). (527) 3. は最初の書物 f好況と不況J以来,. して不況時の公共事業支出の増加に反. 対する立場を賞き,いわゆる「大蔵省 ...
    未指定:goodbadtrade

    www.amazon.co.jp/Good-Trade-Ralph.../1140157396
    Good and Bad Trade. ペーパーバック – 2010/4/6 - アマゾン

    AmazonでHawtrey, Ralph George, London Constable and Company Limited 1913., .のGood and Bad Trade.。アマゾンならポイント還元本が多数。Hawtrey, Ralph George ...
    未指定:ホートレー公共不況

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  61. Good and Bad Trade. ペーパーバック – 2010/4/6
    英語版 Ralph George Hawtrey (著), . London Constable and Company Limited 1913. (著)

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  62. 「45度線モデル」について松谷 泰樹*中央大学経済学部一般の経済学の教科書に掲載されている,有効需要の論理に基づ

    ホートレー1913に言及
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmr/31/2/31_36/_pdf/-char/ja

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  63. Good and Bad Trade: An Inquiry Into the Causes of Trade Fluctuations

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  64. https://library.um.edu.mo/ebooks/b32733574.pdf

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  65. ホートレー言う信用貨幣はケインズの銀行貨幣でケインズもホートレーの文脈で信用貨幣を使用している。
    ケインズはホートレー、ドゥークに批判的なので立場が違うと思われやすいがむしろ同じである。
    物価の捉え方が違うだけである。

    今日の信用貨幣は
    ケインズの言う計算貨幣、代表貨幣、銀行貨幣、管理貨幣を総合したものである。

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  66. ケインズは流動性選考を強調し
    集計的需要を見ている

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