ページ

金曜日, 10月 30, 2015

プルースト:メモ(タルコフスキーとドゥルーズ)

                       ( 文学映画リンク:::::::::
プルースト:メモ(下書き)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_30.html(本頁)
NAMs出版プロジェクト: タルコフスキー『映像のポエジア』:書評
http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/blog-post_5454.html 
NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ体系:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_72.html
『カフカ マイナー文学のために』ドゥルーズ/ガタリ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/deleuze-guattari-kafka-pour-une.html
 
 ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』**(「『失われた時を求めて』は、(注:記憶についての物語ではなく)文学者のシーニュの習得の物語である」)は、以下のタルコフスキー(『映像のポエジア』「第五章 映像について」邦訳189~191頁)の指摘と呼応する。
《以前私は、監督用シナリオの作製プロセスにおいて、ミザンセーヌまで含めて、かなり正確な映画のモデルを思い描こうとしていた。しかし、今では、未来の場面、未来のショットが撮影の過程において直接発生してくるように、それらをより一般的な輪郭において想像するようにしようと考えている。出来事の起こっている場所の生きた状況、撮影現場の雰囲気、俳優の気分などが影響して、まったく新たな、鮮かな、思いもかけない結果が生まれるからである。生は空想力よりも豊かである。それゆえ今日、私は、撮影に取り掛かるとき、もちろん準備はするけれども、その場の雰囲気に身をまかせ、ミザンセーヌに関してより自由になるために先入観にとらわれないようにしなければならないと、ますますしばしば考えるようになった。以前私は、エピソードに関する概念をあらかじめ考えておかなければ撮影台に乗ることができなかった。しかし今はしばしば、こうした概念はつねに視野を狭めるものであるし、想像力を萎縮させるものだと考えている。おそらく概念について考えることをしばらくのあいだやめることだけでも意味があるのではないだろうか。
 プルーストの文章を思い出してほしい。

「それらの鐘塔はずっと遠くにあるように見え、私たちはほとんどそれらに近づいていないように見えたので、やがてすぐに馬車がマルタンヴィルの教会まえにとまったとき、私はびっくりした。はじめ地平に鐘塔を認めて私がおぼえた快感の理由は私にはわからなかったし、またその理由を発見しようとつとめる義務もずいぶん骨が折れることのように思われた。私は鐘塔が太陽を浴びて動いていく線を頭のなかにたいせつにしまっておきたかった、そしていまそれを考えずにいたかった。‥―マルタンヴィルの鐘塔の背後にかくされていたものは、言葉という形で私にあらわれ、その言葉が私に快感を起こさせたのだから、それは美しい文句に似た何物かであるにちがいない、とはっきりそう思ったわけではないけれども、私は医師から鉛筆と紙とを借りて、自分の気持を休めるために、また自分に燃えあがった熱狂に素直にしたがうために、馬車がゆれるのもかまわず、つぎのような短文をつくった、……この短文のことは、それっきり一度も考えたことはなかった、しかしそのとき、つまり、医師の馭者がマルタンヴィルの市場で買ってきた鶏をいつもかどに入れてのせておくあの馭者台の片すみでこれを書きおわったとたんに、私は非常にうれしくなった、それはこの短文が、鐘塔と、鐘塔が背後にかくしていたものとを、私から完全に一掃してくれたという
気持が強かったからで、私はまるで私自身が雌鶏であり、いまたまごを生みおとしたばかりのように、声を張りあげてうたいはじめた。」(井上究一郎訳)

 これとまったく同じようなことを、長い年月にわたって私を責めさいなんできた幼年時代の記憶に関して、私もまた体験したことがある。私に安らぎを許さなかったものが、突然どこかに沈んでしまい、あたかも消えてしまったかのようなのであるが、その後私は、長いあいだ住んでいた、そして長い年月にわたって規則的に夢に見てきた家を、夢で見なくなったのだ。私はこのことについて先回りするように語っているが、そうすることで『鏡』を撮り終わったあとで起こったことについての物語をはじめたいのだ。》

無論ドゥルーズとタルコフスキーは立場が逆だが、ドゥルーズの懐の深さは特筆すべきだ。
ケルアックが『路上』でプルーストを聖人扱いしていたのを思い出す。もっとも自分がプルーストを侮れないと思ったのはプルーストが食べていたデザートのレシピを再現して食べてからだ(マドレーヌではない*)。

http://www.amazon.co.jp/dp/4873760305
映像のポエジア―刻印された時間 単行本 – 1988/1
アンドレイ・タルコフスキー (著), 鴻 英良 (翻訳)


http://www.amazon.co.jp/dp/4893095552
芸術家が愛したスイーツ 単行本 – 2012/11
山本 ゆりこ
プルーストが食したのはヨーグルト&生クリーム&苺のお菓子…。
本書には出ていないが森鴎外の愛したスイーツも合理的(即席ぜんざい?)で侮れないと思ったことがある。

ドゥルーズ体系:     分子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトンカント ベーコン
     Hegel\   |   /Heidegger
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
             \|/
 【規定】差異と反復ーーーシネーーー意味の論理学【反省】カフカ
             /|\     [修辞学]
        フーコー/ | (ヒューム
       (Marxアンチ Freud      フロイト 
          /・オイディプス
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ     プルースト

             潜在的 
           実在的+可能的  
             現働的 

0 件のコメント:

コメントを投稿