火曜日, 8月 31, 2010

ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』参考動画リスト

Cinéma 1: L'image-mouvement (1983)
『シネマ1 運動イメージ』財津理、斎藤範訳 法政大学出版局、2008
 
Cinéma 2: L'image-temps (1985)
『シネマ2 時間イメージ』宇野邦一ほか訳 法政大学出版局、2006
ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』(Gilles Deleuze ,LE BERGSONISME, 1966)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/gilles-deleuze-le-bergsonisme-1966.html

記号と事件
『運動イメージ』について

ドゥルーズ──視線の概念が本当に必要かどうか、疑わしいと思いますね。目ははじめから事物のなかにあるのだし、イメージの一部にもなっている。つまり、目というのはイメージの可視性のことなのです。…

目に相当するのはキャメラではなく、遮蔽幕(スクリーン)のほうです。

NAMs出版プロジェクト: ドゥルーズ体系:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_72.html
 
ドゥルーズ体系:     分子化
      スピノザ 【 分 析 】 プラトンカント
     Hegel\   |   /Heidegger
           千のプラトー
        ライプニッツ| ベルクソン
Bergson
             \|/
 【規定】差異と反復ーーシネマ①ーー意味の論理学【反省】
             /|\     [修辞学]
        フーコー/ | (ヒューム
       (Marxアンチ Freud
          /・オイディプス
      サルトル 【 総 合 】 ニーチェ
Nietzsche 


ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』参考動画リスト(→シネマ2

以下、邦訳シネマ1より

第1章
<エイゼンシュテインは、、、、或るいくつかの突撃と叫びを選択して、それらのシーンを絶頂の状態にまで推し進め、それらを互いに衝突しあうようにさせている。>
(シネマ1邦訳p.11)
具体的な題名はないが、、、、
(以下『メキシコ万歳』より)


http://www.youtube.com/watch?v=5O8wc4VBDj0#t=3m35s

第2章
<ゲアトルーズは、ドライヤーが第5次元あるいは第6次元と呼んでいたもののなかに移って行ったのだ。>(邦訳シネマ1p.53)
Gertrud 1964 Dreyer last scene

http://www.youtube.com/watch?v=kwgQ2mu3M7A

Gertrud
http://www.youtube.com/watch?v=7hxfw1sq5FY
http://www.youtube.com/watch?v=01U65dEHuiw#t=4m

第3章
<弁証法的な合成(モンタージュ)は、『イワン雷帝』に再発見されるだろう。>
(シネマ1邦訳p.63)
Ivan the Terrible - Part Two - 7/9

http://www.youtube.com/watch?v=DfcpFUDYtrY

Ivan The Terrible - Trailer (1945)

http://www.youtube.com/watch?v=JcJkHCihTmE

<それ(影)は、(略)ムルナウの『サンライズ』におけるモンタージュの母体である。、、、、繊細な様々な明-暗、、、、『サンライズ』では溺れた妻をさがすシーン、、、>(シネマ1邦訳p.90-91)
Sunrise: A Song of Two Humans (1927) 9/9

http://www.youtube.com/watch?v=h1PpFELH4O4


第4章
<どうすれば、わたしたち自身を解体することができるだろうか。それが、バスター・キートン主演の映画作品『フィルム』における、ベケットの驚くべき企てである。>
(シネマ1邦訳p.120より)
Samuel Beckett - Film

http://www.youtube.com/watch?v=3ObkLuevz5M


Samuel Beckett- FILM (silent 1965) 1/2

http://www.youtube.com/watch?v=Yws4Rty2kXw



補足:
(以下、ベケット『フィルム』試論 菊池慶子 より)

<シナリオ冒頭には「存在するとは知覚されることである。」Esse est percipi.というアイルランドの観念論者ジョージ・バークリの命題が引用され、「知覚する者」O と「知覚されるもの」Œ に分かたれた主人公は、この命題に抗うかのような逃亡と追跡を繰り広げるのだ。スクリーンに映し出される光景はキートン演ずる対象 O を追うカメラアイ Œ が見ているそれであり、Oは Œ を含む全ての「他者」の視線がもたらす苦痛を避けるために逃げ続ける。彼の「知覚されること」からの逃亡は「非−存在」への探求である。しかし最終的に彼は、決して打ち消すことの出来ない自らの知覚 Œ に遭遇してしまう。
この奇妙な宙吊り状態の知覚と(非−)存在とが、この作品の主題とされる。しかし実際の映画『フィルム』には、シナリオにはない、この主題をひっくり返すようなシーンが差し挟まれている。だが、その他の撮影時の変更点とは違い、このシーンについては、今まで殆ど言及されてこなかった。
その問題のシーンとは、まるで脈を計っているかのように見える O の両手のクローズ・アップである。ただし、本来脈は心臓に近い左手首の血管の上の皮膚に右手の指を当てることで計られるが、映画の中で三回繰り返されるこのシーンでは手の左右が全て逆になっているのだ。手の左右さえ正しければそのポーズはまさしく脈を計る行為であり、主題とは明らかに矛盾する。つまり、『フィルム』における「存在」のための要件が「(他者によって)知覚されること」であるのに対し、「脈を計る」行為は分裂し他者となった Œ を必要としない O の自己知覚の行為であると言える。
だが、左右の逆転により、このシーンは上述の行為を想起させるものにとどまり、その意味もまた宙吊りにされる。>

第5章

<ランドウの映画作品『バードウ・フォーリーズ(Bardo Follies)』[という実験映画]の中で、プロセスの総体と、液体の状態から気体の状態への移行とが概括的に表現されている。>
(シネマ1邦訳p.152)

youtubeに該当作品なし
(以下の動画に3秒ほど引用されていた。)
http://www.youtube.com/watch?v=SPtBbSls4fU#t=2m

参考サイト:
http://hcl.harvard.edu/hfa/films/2007spring/land.html
http://blogs.dion.ne.jp/wuemme/archives/551318.html

同作家の他作品

http://www.youtube.com/watch?v=oRd3727lwXs

http://www.youtube.com/watch?v=OZqLnNWEtos


第6章
<グリフィスの作品には、とりわけ強度的セリーがすでにいくつか存在している、、、(、、、『散りゆく花』)、、、>
Broken Blossoms 9/10

http://www.youtube.com/watch?v=D9853ozGcsY#t=4m20m

<、、兵士たちのクロースアップ、、、(『国民の創世』)>(シネマ1邦訳p.163)
THE BIRTH OF A NATION PART 2

http://www.youtube.com/watch?v=8TWWPhBvJJo#t=13m30s



第7章
<ドライヤーの作品においては「パッション」は「法悦」の様態で現れていた、、、>(邦訳シネマ1p193)
The Passion of Joan of Arc (1928) 8/8

http://www.youtube.com/watch?v=a-VvDjRg4nA

<、、、ブレッソンの作品においては、「パッション」はそれ自体裁判であり、、、、>(邦訳シネマ1p193)
Procès de Jeanne d'Arc: Stake, but no steak
http://www.youtube.com/watch?v=6eN3TvxkuMA

The Trial of Joan of Arc Trailer, 1962

http://www.youtube.com/watch?v=hr0anFEyP2U

第8章
<『皆殺しの天使』では、悪しき反復の法則が、、、、部屋の中に招待客をとどめるのに対し、良き反復は、それらの限界を消滅させて招待客を世界に開く、、、、>(邦訳シネマ1p233)
The Exterminating Angel Trailer

http://www.youtube.com/watch?v=ERHL5nzEMmM


第9章
<、、、闘争=二元性、、、このタイプの行動イメージは、、、いくつかの主要なジャンルを通じて展開してゆく、、、第一のジャンルはドキュメンタリーである。、、、『極北の怪異』は、ひとりのイヌイットであるナヌークがその家族とともに着岸するときの環境の提示から始まる。>(邦訳シネマ1p251-2)

http://www.youtube.com/watch?v=bVbQVWkdcFk#t=5m5s


<ある短篇傑作(『致命的な一杯のビール』)でフィールズは、「犬を外に出せない天気だ」と声を張り上げ、(略)すぐに誰が投げたかわからない雪の玉を顔いっぱいに食らう。>
(シネマ1邦訳p.269)

http://www.youtube.com/watch?v=RgpHfQpYxl4#t=4m57s
http://www.youtube.com/watch?v=DOXhjf5JYVY#t=1m2s
http://www.youtube.com/watch?v=WAKCwXkDl74#t=2m30s

第10章
<工夫を凝らした機械の発明、、、『ピラミッド』における大発明、、、、ホークスにおいて、包括者の構造に取って代わる傾向をもっているのは、まさに純然たる機能主義である。>(邦訳シネマ1p289-290)
Land of the Pharaohs (1955)


http://www.youtube.com/watch?v=OihFMMgJSU0#t=2m

<、、、小形式、、、戦争でチャーリーは、銃を撃つたびに[木の板に]印をつけていくのだが、ひとたび敵の銃弾が応じるやその印を消す。>(邦訳シネマ1p295)
charlie chaplin shoulders arms


http://www.youtube.com/watch?v=N4jaxohUGIc#t=4m


第11章
<時間は全面的に肯定されるのだが、ただしその空間のもろもろの[独立]変数のひとつの関数[従属関数]という形式で肯定されるのである。たとえば『雨月物語』では、わたしたちは、まず主人公が妖女と風呂に入るのを見て、、、、、最後に、二人が「数ヶ月後に」食事をしているとされる庭を見る。>
(シネマ1邦訳p.337)
Ugεtsυ Μοnοgαtαri (1953) 7/12(溝口健二)

http://www.youtube.com/watch?v=paDMVyXsTp4#t=6m55s

雨月物語 6/9

http://www.nicovideo.jp/watch/sm5030120

<黒澤は、彼自身の側で、行動イメージの別のアスペクトの限界に立ち向かっていた、、(『どですかでん』、そこにはスラム街があり、それを統一するものはただひとつ、自分を路面電車[あるいはその運転手]だと思い込んでスラム街を横断する白痴の水平運動。)>(シネマ1邦訳p.340)
Akira Kurosawa tribute with George Lucas, Steven Spielberg

http://www.youtube.com/watch?v=HRiBBehTnZU#t=5m10s


第12章
<チコがハーポに或る言葉[flash-light]を投げかけると、ハーポはそれに対応するものを差し出していかなければならず、こうして絶えず変質してゆくセリーができあがる(たとえば、『けだもの組合』のなかでのセリー、、flash-fish-flesh-flask-flush、、、)>
(シネマ1邦訳p.346)
Animal Crackers part 6(マルクス兄弟)

http://www.youtube.com/watch?v=cpSYKKbMBOc#t=45s

Animal Crackers (6/9) Movie CLIP - Where's The Flesh? (1930) HD

http://www.youtube.com/watch?v=cvmcGY_VwvU


<『めまい』(ヒッチコック)から本当のめまいがわたしたちに伝わってくる。そして、めまいを起こさせるものはたしかに、ヒロインの心のなかにある、「同じ」女と「同じ」女との関係である。>
(シネマ1邦訳p.355)
Alfred Hitchcock - Vertigo (1:11:24-1:15:00)


http://www.youtube.com/watch?v=GnpZN2HQ3OQ#t=1m20s

シネマ2は以下、
http://nam-students.blogspot.com/2011/07/blog-post.html

20 Comments:

Blogger yoji said...

どうやったらYouTubeを見せたい所から
ブログに貼り付けられるのか?途中再生のやり方(・∀・)

通常の埋め込みコード
hl=ja_JP&rel=0" type="application/x-shockwave-flash"

埋め込みコードの後半あたりにあるrel=0の横に
&start=を記入して下さい。
そして=の後に動画を始めたい秒数を書き込んで下さい。
5分後から見せたい場合は5分は300秒なので&start=300"と書き込みます。
すると下の参考例動画のように途中から再生できます。

10:32 午後  
Blogger yoji said...

スノッブ化と動物化とが同時に起ったのだ
コジェーヴの予測に反して

構造と力で紹介されたクラインの壺におけるメタレベルとオブジェクトレベルの交差が
それを予見していた

5:31 午前  
Blogger yoji said...


音楽建築原発政治中国歴史分類図像学

文学東洋思想プラトンアリストテレスリンク:::::

11:30 午後  
Blogger yoji said...

映画音楽について――無声映画の伴奏音楽―― - Puis Sang-soo's Red Notebook
https://sites.google.com/site/puissangsoo/home/report/about_cinema_music-1

1910年頃から劇場が巨大化するにつれて音楽への予算も増え、一流劇場はそれぞれ専任のオーケストラを置くようになり、作曲家にもスポットライトがあたるようになる。そして1913年にはJ.S.ザメニックが「キュー・シート」を一般化して、『サム・フォックス活動写真音楽集』を編纂して刊行し、これは1923年までに4巻が刊行されている。そのほかにもいろいろ刊行されているが、その中でももっとも著名なのがエルノ・ラペエが編纂した『ピアニストとオルガニストのための映画ムード』(Motion Picture Moods for Pianists and Organists)であり、それは370 pieces が含まれその多くは難しく、53項目にわたる索引がつけられていた。「これを活用するために楽長諸氏の適切な判断とアレンジの能力をもたなければならない」そうだ。あと特筆すべきはジュゼッペ・ベッチェ(Giuseppe Becce)の2巻もの『Allgemeines Handbuch der Film-Musik』(1927)であろう。このように映画音楽譜面集も年を追うごとに数を増やしていっている。

6:17 午前  
Blogger yoji said...


即興で演奏するピアニストは種切れになりやすく、オーケストラのほうも、スコアを完全に再現することができないところもあり、1911年頃にはアメリカのマックス・ヴィンクラーが「キュー・シート」という方式(「見出しと時間(30秒から3分)別に伴奏にふさわしい既成の旋律を分類した楽譜集」)を考案するが、最初のうちは、それは粗雑であまり当てにならなかったようだ。それと一線を画す「1908(明治41)年に、映画音楽史上にエポック・メーキングな出来事がフランスで生じた。」フィルム・ダールの映画の『ギーズ公の暗殺』に一流の作曲家であるカミーユ・サン-サーンスが映画のためにオリジナルに作曲したのである。その概観については言及されたが、ほとんど研究されることもなく、当時はその仕事を芸術的に評価するといったわけでなく、出来のよい「キュー・シート」がまたひとつ出来たくらいの認識にとどまっていたのであろう。しかし、伴奏音楽の洗練にいち早くとりかかったのは間違いない。

6:18 午前  
Blogger yoji said...

Motion Picture Moods for Pianists and Organists

6:20 午前  
Blogger yoji said...

http://theatreorgans.com/southerncross/Music.htm

6:30 午前  
Blogger yoji said...

坂本龍一がスコラで紹介していたサイレント映画用音楽の種本。


Motion Picture Moods for Pianists and Organists

Ernö Rapée

1924年

band, battle, birds, dances, doll, festival, firefighting, grotesqueなどがインデックス化されている。

9:42 午前  
Blogger yoji said...


坂本龍一がスコラで紹介していたサイレント映画用音楽の種本。
Motion Picture Moods for Pianists and Organists
Ernö Rapée
1924年
http://www.tagg.org/udem/musimgmot/RapeeCats2.jpg
band, battle, birds, dances, doll, festival, firefighting, grotesqueなどがインデックス化されている。

9:54 午前  
Blogger yoji said...


映像の修辞学/ロラン・バルト著(蓮實重彦・杉本紀子訳) [本]

「映画について」はルイス・ブニュエル監督の「皆殺しの天使」を例に引き、
映画冒頭の『私ブニュエルはこの作品には何の意味もないと申し上げておきます』
という通告がまさにこの映画の定義であるとしながら、映画における「意味の宙吊
り」技法について考察を加えていく。

The Exterminating Angel Trailer
http://www.youtube.com/watch?v=ERHL5nzEMmM

参考:
<『皆殺しの天使』では、悪しき反復の法則が、、、、部屋の中に招待客をとどめる
のに対し、良き反復は、それらの限界を消滅させて招待客を世界に開く、、、、>(ドゥルーズ邦訳シネマ1、233頁)

1:43 午後  
Blogger yoji said...


映像の修辞学/ロラン・バルト著(蓮實重彦・杉本紀子訳) [本]

「映画について」ではルイス・ブニュエル監督の「皆殺しの天使」を例に引き、
映画冒頭の『私ブニュエルはこの作品には何の意味もないと申し上げておきます』
という通告がまさにこの映画の定義であるとしながら、映画における「意味の宙吊
り」技法について考察を加えていく。

The Exterminating Angel Trailer
http://www.youtube.com/watch?v=ERHL5nzEMmM

参考:
<『皆殺しの天使』では、悪しき反復の法則が、、、、部屋の中に招待客をとどめる
のに対し、良き反復は、それらの限界を消滅させて招待客を世界に開く、、、、>
(ドゥルーズ邦訳シネマ1、233頁)

1:44 午後  
Blogger yoji said...

1の隠れたテーマは狂気
2のテーマは系列
世界自体が狂った後、系列的認識(ヒューム、ニーチェ、スピノザ)によって生き残ろうとしているような気がしてならない

4:45 午前  
Blogger yoji said...

ぐわぁーーーー。こんばんは。

nyanko_tokidoki_lionさん 2012/04/09 21:13:00
ぐわぁーーーー。こんばんは。長い灰色の線、観させて頂きました。駄目男でも何か一つ貫けば良い人生になるって事か・・・・?と思いました。若い知事相手に喧嘩した所なんか、最初と随分違いますね。なんとか真面目に生きていれば、いい人生を歩めるのかな、と思いました。彼の生き方は地味ですが真の仕合せなんじゃないかな、っと思いました。真の制約は自由なのか!としみじみ感じました。小学生の作文みたいな文ですいません・・・。

良い映画を紹介して下さり、有難うございました。


(しかしショックです。なんで消えちゃったんでしょう。ショックすぎてカレー残しちゃいました・・・笑)
補足
あ、この映画が一番言いたかった事は自分なんてくだらなくていいんだって事ですね!!ありがたや・・・・。長い灰色の線ってどういう意味ですか?点が集まれば線になるって奴ですか!?長い=歴史って事ですか!?灰色・・・黒でもなく白でもなく・・・善悪の見分けなんかつかないって事ですか!?

怒涛の質問すみません・・・(笑)
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nur_wer_die_sehnsuchtさん
リクエストマッチ!
2012/04/10 01:36:16
小学生だったのか・・・・
あの映画は人生というものの本質を描いている名作なんだよ。
ああ、タイトルもわからんかったか。あれは陸軍士官学校というものが舞台だけど、要は陸軍の指揮官となる士官を養成する学校だ。非常に優秀な人間しか入れないのな。
そこでは必ず分隊行進をさせられるんだ。規律を覚えさせるには絶好の訓練だから。それでみんなグレーのズボンを履いてるんだよ。それが訓練によって一直線に並ぶ。それが「長い灰色の線」ということだな。人間が規律によって美しくなる、という比喩だよ。
主人公はもう、どうしようもないクズだったじゃない。辛いことは一切嫌で、なまけてばかりで。辞めちゃおうかと何度も思うよな。
しかしあの偉大な親父や、素晴らしい奥さんとか。優れた教官や頑張ってる士官候補生達、校長もいいよな。そういう仲間達に囲まれているうちに、段々とわかってくるんだよ。彼らを貫いている陸軍士官学校というものの規律、誇りというものが彼にも貫通していくんだな。
その成長と言うか、彼が本物の男となっていく様が非常に美しく描かれているわけ。
そして父親が死に、世話になった教官も死に、愛して已まない生徒達が死に、ついには最愛の奥さんまでもが死んでいく。それもまた人生なんだな。
しかしどうだよ。彼らは死んでないんだ。ちゃんとマーティを見て、彼が真面目に、懸命に生きている姿を見て喜んでくれているじゃないか。
人間は死者と共に生きねばならん、ということも見事に描かれているんだな。まあまだわからんとは思うよ。しかし本当にそうなんだ。
私なんて、友達は死者の方が圧倒的に多いよな。だから真面目に生きざるを得ないんだよ。私のようないい加減でダメダメな人間が、何とか世間の片隅に置いて貰えるのは死者のお蔭だよな。
違反報告
質問した人からのコメント2012/04/10 04:58:14
(涙)そういう意味か!いえ、実は、幼稚園せいです・・・・
にゃー。
回答有難う御座いました!!

10:44 午後  
Blogger yoji said...


http://www.yebizo.com/jp/forum/roundtable/roundtable_03_02.html
複数の持続に関連してまず参照しておきたいのは、やはりベルクソンの『持続と同時性』(1922)です。そのなかでベルクソンは、川の流れ、船の動き、鳥の飛翔、それを川岸で見ている知覚者の意識という複数の持続が統合されたり、分割され直したりする場面を描写しています。こうした多様な持続をわれわれはひとつの知覚に包括することもあるし、その全体を分割してひとつの流れは知覚の注意の外に出しておくこともできるというのです。統合や分割をすれば持続の質は変化してしまう。しかし、統合されたもの、分割されたものもまた、単純なものになってしまうのではなく、ライプニッツの「機械」のように、やはり多様な密度を保持した持続の群れです。なお、この一節はダーウィンの『生きるための闘いにおいて恵まれた品種の保存、すなわち自然淘汰による種の起源について』(1859)の終章を彷彿させます。川岸に茂る無数の異なる植物や動物が、相互にどれだけ異質でありながら、同時に相互にどれだけ複雑に依存し合っているか、それを驚きとともに川岸から眺めている知覚者をダーウィンは描写しているからです。こうした密度のある環境を、ダーウィンにしてもベルクソンにしても捉えようとしている。そして、ベルクソンはこうした密度のある環境を、統合したり分割したりする知覚の働きを強調したのだと思います。さらに辿れば、ドゥルーズは『シネマ1』(1983)のなかで、ベルクソンの『持続と同時性』をヒッチコック監督の《鳥》(1963)に繋げています。鳥たちの場所から統合された環境を分割してきた人間たち、逆に、人間たちの位置から統合された環境を分割しに襲来する鳥たち。そして、ドゥルーズは鳥的世界と人間的世界が未決定の関係に入る「休戦」状態のときに、どちらの位置から統合されたとも言えないような、持続の全体が再形成されると論じるのですが、人間的持続と鳥的持続を共存させた密度のある環境が実在するからこそ、こうした持続の分割・統合の変転を生むことができる、僕はそう言い換えておきたいと思います。

8:54 午後  
Blogger yoji said...


http://www.yebizo.com/jp/forum/roundtable/roundtable_03_02.html
もうひとつ追加しておけば、《鳥》の3年後に刊行されたJ・J・ギブソンの『The Senses Considered as Perceptual Systems(知覚システムとしての感官)』(1966)にも、空中を飛翔する鳥の図が登場します[fig.3]。大気の流れ、空中を飛ぶ鳥の運動、そして大地の肌理とともに形成される光の流れ──鳥の視覚システムは光の流れを捉えます──が統合されて、鳥は飛翔することができる。

8:55 午後  
Blogger yoji said...

アリストテレス
運動と時間

自然学
4

5:13 午前  
Blogger yoji said...


1988
英語版序文

スミス夫妻

Mr. & Mrs. Smith (Alfred Hitchcock, 1941) - Trailer
https://youtu.be/bZ4ie3xm1cE

9:26 午後  
Blogger yoji said...

http://www.tagg.org/udem/musimgmot/RapeeCats2.jpg




http://www.google.co.jp/search?q=Motion+Picture+Moods+for+Pianists+and+Organists+Ernö+Rapée&hl=ja&tbo=d&tbm=isch&tbas=0&source=lnt&sa
=X&ei=jErwUOOUIoW4kgWggYGIDA&ved=0CB4QpwUoAA&biw=1024&bih=672#biv=i|86;d|VforlATX3p-lJM:
http://2.bp.blogspot.com/_ih16YeSiQ-0/SSCcPo5tf0I/AAAAAAAAA24/tCYxr2_Vzcg/s1600-h/erno+rapee.jpg

8:21 午前  
Blogger yoji said...


追記:
2017年2月
【1時間目】クロニクル、クロニクル!展 関連イベント  福尾匠講義「5時間でわかるドゥルーズ『シネマ』」 【1時間目】
https://www.youtube.com/watch?v=yDPV9vtvoNA
資料
http://www.chronicle-chronicle.jp/wp-content/uploads/2016/12/d46dd50bdccd3ea1de10d79dcf29d252.pdf

8:30 午前  
Blogger yoji said...

記号と事件
『運動イメージ』について

ドゥルーズ──視線の概念が本当に必要かどうか、疑わしいと思いますね。目ははじめから事物のなかにあるのだし、イメージの一部にもなっている。つまり、目というのはイメージの可視性のことなのです。…

目に相当するのはキャメラではなく、遮蔽幕(スクリーン)のほうです。

4:34 午前  

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