弁証法的理性批判
『弁証法的理性批判』とはJ・P・サルトルによって書かれた実存主義的マルクス主義を確立する論文である。
この論文はマルクス主義と実存主義の融合。すなわち、マルクス主義のヒューマニズムの再獲得を目指し、ソ連の硬直したマルクス主義からの脱却を目的とする。
当時のソ連は『経済や物質が歴史を決めるので、人間が歴史の中で出来ることはない』という教義を公にしていた。サルトルは『弁証法的理性批判』を著すことで、ソ連の理論を批判し、反対に「歴史を決定するのは自由な個人の主体性、理性である」と主張した。
タイトルにある『批判』という単語は一般的に使われるネガティブな意味とは違い、「正しく評価する」(独哲学者のカントに由来する)という意味である。つまり、批判とはいってもサルトルが弁証法的理性を批難した訳でなく、逆にマルクス主義がヒューマニズムを再獲得するためには弁証法的理性が必要であるとサルトルは考えていた。
『弁証法的理性批判』の執筆のきっかけになったのは1957年のサルトルのポーランド訪問である。当時のポーランドでは労働党のゴムルカによる改革が進み、硬直したソ連型マルクス主義とは違う道が模索されていた。サルトルはポーランドでの改革派マルクス主義者との議論を踏まえ、ポーランドの雑誌に『マルクス主義と実存主義』という論文を発表し、その後三年間『弁証法的理性批判』執筆に没頭する。サルトルのその熱狂的仕事ぶりは驚異的であり、本書は覚せい剤を大量に服用しながら書かれてという。
弁
証法的
理性批判も例によって難解な著作である。
サルトルの使う専門用
語の定義をしっかり
把握した上で、「
社会の状態と人間の
自由意思がどういう関係にあるか?」ということを踏まえて
読み進めよう。
サルトルはまず、近代科学などに特徴的な、『全体』を『個』の寄せ集めに還元してしまう思考を「ブルジョワ的思考」として批判した。この考え方に基づけば、社会とは個人が単に集まっただけであり、歴史とは個々の出来事を積み木のように重ね合わせただけの存在になる。サルトルはそのようなブルジョワ的思考を分析的理性と呼んで批判し、マルクス主義的な弁証法的理性によって立つことで、真に開放的な人間についての理解を求めようとした。
サルトルは、弁証法を『個』が『全体』に向かって自分自身を乗り越えよう(止揚しよう)と発展する運動として捉え、それを全体化と呼んだ。個々ではなく、それぞれの関係性に着目する思考法はマルクス哲学の特徴の一つである。
ブルジョワ的思考法(分析的理性):個A+個B+個C+……=社会
サルトルの思考法(弁証法的理性):個A⇄全体+個B⇄全体+個C⇄全体+……=社会 (⇄は止揚)
サルトルは、ブルジョワ的思考を越えた、真に革命的な人間を理解するためには、人間を主体とした弁証法的理性による思考が不可欠であると考えていた。しかし、マルクス主義から生まれた筈の弁証法的理性が、当の正当派マルクス主義(ソビエト)では失われてしまっている。その原因の一つがマルクスの第一の後継者であるエンゲルスにある。エンゲルスは、弁証法を人間と乖離した自然の法則「自然弁証法」として、弁証法から人間を排除してしまった。それは19世紀のブルジョワ的科学主義の影響を受けた、非マルクス主義的な考え方だとサルトルは考える。
エンゲルスの科学主義に歪められた弁証法は、スターリン主義において、マルクス主義の「公式ドグマ(教義)」として扱われる。ここでは、個人の行為をそれぞれの歴史という環境の中で理解するマルクス主義は、物質が個人の行為を決定するという誤った決定論に堕落してしまう。このスターリン主義的マルクス思想では、全ての人間は意志を持たない歴史の歯車になってしまう。このよう思想を基にしてスターリン主義は、国家の名の下に個人を抹殺する全体主義へと成り果てた。確かにマルクス主義は、スターリンの主張するように「歴史(時代)が個人を作る」という思想を強調したが、サルトルは「個人もまた歴史(時代)を作る」と述べ、ソ連マルクス主義が失ってしまった『人間』という要素を、マルクス主義に実存主義を取り入れることによって取り戻そうとしたのである。
サルトルは全体から独立した個人の行動を認めない。人間の行動は歴史(時代)に影響を受けざるを得ないことはサルトルも認めるところである。しかし一方で、歴史(時代)を理解するためには個人の行動を捉えることから始めなければいけないことも確かである。サルトルは、個人の行動を個人的実践と呼び、個人的実践は歴史を構成すると考えた。サルトルは個人的実践によって構成された歴史を構成する弁証法と呼んだ。個人は実践によって歴史(物質)を乗り越える(止揚する)。そして一方で歴史(物質)もまた人間を乗り越える。このような関係性を弁証法的循環性と呼ぶ。
人間の活動(個人的実践)⇄歴史=構成する弁証法
左辺の関係を弁証法的循環性と呼ぶ。
人間の主体性を重視するサルトルにとって、人が最も避けるべき状況は疎外であった。弁証法的理性批判の中でサルトルは、疎外とは『人間が、自分自身にとって他者になってしまうことによって、自分自身に敵対する状況』と捉えた。疎外状態の人間の実践は主体性を失い、人間は物質に堕し、その行動は惰性的になる。人間の実践が惰性的性格を帯びる状況をサルトルは実践的-惰性態(反弁証法)と呼んだ。サルトルは「人間関係の根本はお互いを人間と認め合う関係であるが、稀少性という環境の中では疎外を生み出してしまう」と考えた。稀少性とは、人間にとって有用なものが有限であるということである。少ない物質が人間同士を対立させ、お互いをモノにしてしまうという疎外が起きるのだ。
世の中の物は数が限られている(稀少性がある)ので、人々は争い、お互いをモノにする(疎外)。
これにより個人的実践は惰性的になる。これを実践的-惰性態(反弁証法)と呼ぶ。
サルトルは個人的実践が生み出した構成する弁証法が、実践的-惰性態によって止揚され、それをさらに人間が乗り越えると述べる。個人的実践を乗り越えた実践的-惰性態を更に乗り越えるのは、個人的実践によって構成された集団的実践である。個人的実践により構成された歴史を『構成"する"弁証法』と先に述べたが、集団的実践によって生まれる歴史を『構成"される"弁証法』とサルトルは呼んだ。しかし、疎外から逃れる為に発生した集団的実践は(ソ連国のように)いつしかそれ自体も人間を疎外するようになる。サルトルはその論理を追うとともに、真に人間解放ができる集団について膨大な記述を持って考察を進めた。
個人的実践による歴史=構成する弁証法 ➡ やがて惰性的になる。
それを乗り越える為に個人が集まった集団で歴史を作る。
集団的実践による歴史=構成される弁証法。 ➡ しかし、こちらもやがて疎外が起きる。
サルトルはまず、人間が『他人』や『モノ』に支配された実践的-惰性態における人間の集合を描く。サルトルはそうした集合を集列、または集合態と呼んだ。これを説明するためにサルトルが例にあげたのはバスを待つ人々の行列である。バスを待って列を作っている人はバスに乗るという共通の目的を持っているものの、お互いには関係性を持たないバラバラの存在である。バスを待つ行為は実践ではなく単なる習慣(これをヘクシスと呼ぶ)である。彼らの目的は数に限りのあるバスの席に座ることである。席の稀少性が彼らをバラバラにしてしまうのである。彼らに主体性はなくモノによって結びつけられた集合である。サルトルは『世論』や『差別意識』といった一見目的を持った集合も、所詮は他者に流された集列に過ぎないと述べた。
この集列の状態を乗り越える集団的実践の最初の契機を、サルトルは溶融集団と呼んだ。サルトルは、今度はフランス革命のバスティーユ牢獄襲撃事件を例にあげる。バスティーユ牢獄を襲ったパリ市民は、年齢職業性別思想信条はバラバラであるが、革命前夜の状況下で牢獄襲撃という目的の下に、一つに解け合った。集列の場合と違って、彼らを結びつけているのは惰性的なモノではなく実践である。彼らは国家権力の暴力に対抗するために暴力を形成するが、メンバー同士は暴力ではなく友愛によって結びつけられる。この時、彼らはお互いに「他人」ではなく「私」になる。集列においてはお互いを他人と見なすのに対して、溶融集団ではお互いが「私」になるのである。しかも単なる「私」の集まりである単一者ではなく、お互いが同等者として形成される。溶融集団では構成員が第三者によって関係させられるのではなく、お互いが第三者となり主体的に関係し合うのである。
バスを待つ人は「バスに乗りたい」という共通の目的を持っているがお互いには他人=集列、集合態
フランス革命で決起した人達は「牢獄襲撃」という共通の目的を持ち、なおかつ一つの集団として解け合う=溶融集団
バスを待つ人は惰性的に行動しているだけであるが、革命に立った人々は実践的な行動をしている。
しかし、このような集団の溶融状態は長くは続かない。緊迫した状況が過ぎ去った後は、集団は存在理由を失い、解体され、再び集列に戻ってしまいかねない。もしその集団を存続させるならば、そこには誓約が必要である。誓約において構成員は「私は他者に堕落しない」と誓わされるが、これは当然自由意志の侵害であり、集団が惰性態となるのは避けられない。この様に誓約によって生まれた惰性を人工的惰性態と呼ぶ。また誓約集団では誓約を破った者に対して罰が与えられる。それがテロル(恐怖政治)である。そこから更に集団の存続を維持するためには『組織』『制度』が現れてくるので、集団はますます実践的-惰性態へと近づかざるを得ない。つまり、集団とは元々は人間を実践的-惰性態(反弁証法)から解放する『構成された弁証法』として生まれたはずが、集団を維持するために自ら実践的-惰性態へと戻ってしまう傾向があるとサルトルは指摘する。実際に、ソ連をはじめとした革命集団がテロや官僚主義に陥ることは歴史の中で多く見られた。サルトルはこのような革命集団の硬直を強く問題視した。
何もしなければ溶融状態はやがて集列に戻ってしまいので誓約を使って溶解状態を継続させる→しかし誓約があっても結局は惰性態に陥る=人工的惰性態
誓約集団では人間を誓約によって抑圧するのでますます実践的-惰性態へと近づく。例えばソ連とか。
サルトルの
目指したのは
ソ連の非人間的
マルクス主義からの脱却である。それは
サルトルだけでなく、
サルトル以前から続く
西欧マルクス主義全体の潮流である、疎外論を中心とした人間的
マルクス主義であった。このヒューマニズ
ムマルキ
シズムは
世界中の
運動家の間で流行することになるが、
1960年代に入り、この
サルトルの実存
主義を論敵とした
レヴィ=
ストロースとや
マルクスのヒューマニズムを
批判した
アルチュセ
ールを代表とする構造
主義の登場によってまた
マルクス主義の歴史は揺り動かされていく。
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『プルードン研究』(岩波書店)でも引用されていましたが、サルトルのプルードンへの言及をあらためて引用したいと思います。
ドゥルーズが晩年、サルトルを再評価していたのもうなづけます。
以下引用です。
「マルキシスムもまた競争相手の理論を吸収し、消化して、開かれたままでいなければならなかったにちがいない。ところが人も知るように実際につくり出されたのは、百の理論の代りに二つの革命的イデオロジーにすぎなかった。ブルードン主
義者は、一八七〇年以前の労働者インターナショナルでは多数を占めていたが、パリ・コンミューンの失敗によっておしつぶされた。マルキシスムは敵対者に打
勝ったが、その勝利は、マルキシスムがのり越えながらそのなかに含んでいたヘーゲル的否定の力によるものではなく、純粋に単純に二律背反の一方の項を押え
た外力によるものであった。その光栄のない勝利がマルキシスムにとってどういう代価を意味したかは、何度いってもいい過ぎない。すなわち矛盾する相手が欠
けたときに、マルキシスムは生命を失った。もしマルキシスムが最もよい状態にあり、絶えず戦い、征服するために自己を変革し、敵の武器を奪って己れのもの
にしていたとすれば、それは精神そのものとなっていたであろう。しかし、作家貴族がマルキシスムから千里もはなれたところで抽象的な精神性の番人になって
いる間に、マルキシスムは教会になったのである。」
サルトル『文学とは何か』(1947)第三章「誰のために書くか」(『シチュアシオン2』人文書院p141.加藤周一訳)より
- 『シチュアシオン』 Situations(1947–65年)
- 『文学とは何か』 Qu' est-ce que la littérature?(1948年)
上記の問題意識は『弁証法的理性批判 』(1960)の組織論、集団論につながる。
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『弁証法的理性批判 』(1960)におけるサルトルの集団論:
図解雑学サルトル より
実践的総体 Ensembles pratiques or集団的実践>
集列、集合態 溶解集団
「階級とは一つの実践的な連帯性ではなくて、かえって逆に連帯性の欠如による諸運命の絶対的統一である」『弁証法的理性批判 Ⅰ 』人文書院 370頁
「集団はいかなるものであれ、群集の惰性的存在の中に再転落する理由を自らのうちに含んでいる」『弁証法的理性批判 Ⅱ 』人文書院 13頁
…
例えばフットボールチームという一種の組織集団において、各人のプレーというのはすでに定められた職務によって規定されているのであるが、各人は共同の目標(試合で勝利を得ること)を目指して自らの「果たさねばならない職務を自由に引き受け、それを実現する」のである。サルトルによれば、ここでは「必然性としての自由と、自由としての必然性との等価性」が成立する
(『弁証法的理性批判 Ⅱ 』人文書院 9頁)
しかしながら、規模の大きな組織集団になってくると、フットボールチームのように絶えず全員で共通の目標を確認していくということはできなくなる。…
大
規模な集団の統合力をさらに強化するために制度というものが形成されると、そのことによって制度集団が成立する。ここにおいて組織(職務の分担等)は制度
として固定され、成員間の分化・差異化は位階制(ヒエラルヒー)へと転じる。この位階制というのは単に個々の成員の間に形成される差異化・序列だけでな
く、複数の集団の間に形成される(上位集団・下位集団という)階層化という形で実現されるのである。
そして、このような制度集団において、「“共同的個人”はそれ自身が“制度的個人”に変貌する」
(『弁証法的理性批判 Ⅲ 』人文書院 39頁)
…
制度集団の一種である主権集団(=国家)および官僚制についてみておこう。
国家とははっきりした主権を備えた制度集団である。国家においては主宰権(主権)というものが中央の国家機関に集中させられ、その中心をなす少数者(さらには一個人)が公権力を独占的に握るようになる。
そして、この国家権力(公権力を握った少数者)は、集合態(集列体)としての大衆に働きかけ、その操作・操縦を行うようになる。サルトルの言うように、国家権力とは「惰性的集列体の操作を要求する集団」なのである。
(『弁証法的理性批判 Ⅲ 』人文書院 94頁)
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『弁証法的理性批判』 Critique de la raison dialectique(1960年) wikiより
『批判』においてサルトルが行おうとしたことは、実践弁証法によって史的唯物論を再構成し、「発見学」<euristique>としての本来のマルクス主義を基礎づけなおすことだったのである。
『弁証法的理性批判』は、
- 構成する弁証法(個人的実践)
- 反弁証法(実践的惰性態)
- 構成された弁証法(集団的実践)
の3つの段階を進んでいく。その内容を大まかに見ると次のようになる。
人間の主体的実践が疎外され客体化・固定化することによって実践的惰性態<pratico-
inerte>「=生産物、生産様式、諸制度、政治機構など、人間によってつくられた“存在”」が形成される。それは、人間によって形成されたもの
であるが、「すでに形成されたもの」として諸個人を規定・支配する社会的・歴史的現実である。それらの分野に埋没し、受動的に支配される人間は、真の活動
性を持たない集合態<collectif>にすぎないが、共通の目標を目指す集団<groupe>を形成し「共同の実践」をつくりだすことによって、実践的惰性態をのりこえ、真の活動性をとりもどす。
実
践的惰性態(=生産物、生産様式、政治制度等)は、いわば歴史の「受動的原動力」であり、社会・歴史の客観的構造や運動法則というのはこの分野において成
立する。それに対して集団的実践(特に階級闘争)は歴史をつくる人間の主体的活動であり、歴史の「能動的原動力」というべきものである。
このような『弁証法的理性批判』における理論形成の意図をサルトルは『方法の問題』の中で繰り返し述べている。
例
えば『方法の問題』の第2章、「媒体と補助諸科学の問題」でサルトルは「生産関係及び社会的政治的構造の水準では、個々の人間はその人間関係によって条件
づけられている(76頁)」として、生産関係(経済的土台)と個人との間に家族、居住集団、生産集団など現実に数多くの「媒体」が存在すること、「発見学」としてのマルクス主義はそれをも含めて解明していくことが必要であると主張した。
そして、個人の意識の縦の方向に関わるものとして精神分析学の成果を、また、社会的な横の総合に関わるものとしてアメリカ社会学の成果を、マルクス主義の中に「方法」として取り入れることを主張したのである。
以上のように、実践的惰性態<pratico-inerte>、集合態<collectif>、集団<groupe>等の概念を駆使して史的唯物論の再構成を目指した『弁証法的理性批判』の意図は、マルクス主義の中に精神分析学やアメリカ社会学の成果を包摂し、20世紀の知の集大成を行うことで「構造的、歴史的人間学」を基礎づけることであった。
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