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システム料理学 ちくま文庫版
141-143頁
次ページの図を見ていただきたい。われわれにとって必須の栄養素の量を黒点だとすると、それを高度に含有している食品(A)ならば少量の食事で満足感が得られる。しかし、Bではその数倍食べても満足感は得られないだろう。ただ腹がいっぱいになるだけでしばらくすると空腹感に襲われる。そこでCを追加して食べたとしたらどういうことになるか。栄養は欠乏してカロリーが甚だしく過剰になることは説明の要もないだろう。
カロリーだけがあって必須栄養素をまったく含んでいない食品がCで、砂糖、澱粉、アルコール、動物性脂肪がこれに当る。菓子のほとんどは砂糖と澱粉でつくられたものであるからCである。
そういう食事をしながら美容体操をやっている人の図を想像していただきたい。これもまた全動物史上に例を見ない光景である。ライオンに走り勝たなくてはならないしま馬にとつては、わずかな体重の増加が即、死を意味する。ハンターの前の兎も同様だろう。例外なく彼らは自身のもつ食欲調整機能が狂ったとき、確実に死に直面するのである。
先頃、私はアリゾナのインデアン居住地を訪ねて、異常に肥満したインデアンの数に驚かされた。肥満したインデアンというのはどうもインデアンに思えないのだけれども、スーパーに入ってみると肥満の原因ははっきりしていた。加工食品と加工飲料で埋まっていたのだ。インデアンを滅ぼすにはいまや銃はいらない。加工食品で十分な時代なのである。
動物のなかで人間だけが食欲調整機能を狂わせているのは、食欲をそそってしかも栄養のないCタイプの食品や料理を発明した結果である。野生の動物が餌を食べるときには、それは即ち栄養の摂取を意味している。人間の場合も何百万年のあいだ、食事の欲求は必要とする栄養素の不足を警告するものであり、欲求に従った食事は不足していた栄養素の充足をもたらしたはずである。
例えば甘味の欲求はビタミンCの欠乏の警告であって、その場合には果物を食べた。ビタミンCに甘味はないけれども、それを豊富に含んでいる果物は甘いという記憶が蓄積されているからだ。現代人がかりに腹いっぱい鰻丼を食べたとして、げっぷを吐きながら鰻屋を出てしばらく歩いているうちにどら焼きが食べたくなる。満腹の程度も限界に近いというのに、われながらおかしな欲求と思われるかもしれない。だが、鰻丼から完全に欠落しているのはビタミンCである。そこで身体は甘味を欲求する。砂糖の普及する以前の三百年前の人間ならばどら焼きではなく柿を食いたくなっただろうが、そこが現代人の狂いかたなのだ。その欲求に従ってどら焼きを食べる人は、ビタミンCが補われるはずはないのだから、甘味の欲求はさらにつのって、一個で止らず二個までどら焼きを平らげてしまうだろう。
一方、どら焼きに向わずレモンを半個でいいから絞って飲めば、うそのように甘味の欲求が消えるはずである。
天婦羅からも欠落しているのはビタミンCであるが、良心的な天婦羅屋はデザートに果物を出す。たとえわずかな量であっても、食事の欠陥を補う重要な後菜である。食欲の調整機能が健全に働いている人であれば、その貴重な後莱を残すことは考えられないのだが、見ていると口をつけようともしない人が少なくない。この狂いかたは
中の黒丸が必須栄養素
A
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B
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C
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