12月新刊
バディウ 推移的存在論
http://www.suiseisha.net/blog/?p=9985
【目次】
プロローグ 神は死んだ
第1章 今日の存在の問題
第2章 数学とは思考である
第3章 超限‐存在としての出来事
第4章 ドゥルーズの生気論的存在論
第5章 スピノザの閉じた存在論
第6章 プラトン主義と数学的存在論
第7章 アリストテレス的方向づけと論理学
第8章 論理学、哲学、「言語論的転回」
第9章 トポス概念についての初等的注解
第10章 論理学についての初等的な暫定的テーゼ
第11章 数の存在
第12章 カントの減算的存在論
第13章 群、カテゴリー、主体
第14章 存在と現れ
原著
Court traité d’ontologie transitoire, Paris, 1998
I'm reading 1998. Badiou, A. Court traité d'ontologie... on Scribd.
Check it out:
Table
Prologue : Dieu est mort
1. La question de l'être auiourd'hui
2. La mathématique est une pensée
3. L'événement comme trans-être
4. L'ontologie vitaliste de Deleuze
5. L'ontologie fermée de Spinoza
6. Platonisme et ontologie mathématique.
7. L'orientation aristotélicienne et la logique
8. Logique, philosophie, 《tournant langagier 》
9. Premières remarques sur le concept de topos
10. Premières thèses provisoires sur la logique
11. L'être du nombre
12. L'ontologie soustractive de Kant
13. Groupe, catégorie, sujet
14. L'être et l'apparaître
Annexe
Textes publiés utilisés-comme matériau dans
la composition de ce livre
Table
Prologue : Dieu est mort
1. La question de l'etre auiourd'hui
2. La mathematique est une pensee
3. L'evenement comme trans-etre
4. L'ontologie vitaliste de Deleuze
5. L'ontologie fermee de Spinoza
6. Platonisme et ontologie mathematique.
7. L'orientation aristotelicienne et la logique
8. Logique, philosophie, 《tournant langagier 》
9. Premieres remarques sur le concept de topos
10. Premieres theses provisoires sur la logique
11. L'etre du nombre
12. L'ontologie soustractive de Kant
13. Groupe, categorie, sujet
14. L'etre et l'apparaitre
L'ˆEtre et l'apparaˆıtre
Annexe
Textes publies utilises-comme materiau dans
la composition de ce livre
Briefings on Existence: A Short Treatise on Transitory Ontology (Suny Series, Intersections: Politics And Critical Theory) (英語) 2006/3/1
Alain Badiou (著)
#5
スピノザ論
2:21,1:公理6のカップリング(couplage 99頁)に着目していてさすが
ただし#12カント論の方がバディウの本質だろう
ハイデガーの第一批判初版称揚を批判している
訳者解説によると減算なる用語(存在ではなく出来事の属性)はメイヤスーに引き継がれた
バディウの存在と出来事(#3-p.69に要約あり)の不在は
構造主義なきポスト構造主義という日本の状況を象徴している
バディウは集合論を導入することで風通しのいい存在論、推移的存在論が可能となり
そこで捉えられない減算的な出来事が政治となるという
(バディウはドゥルーズと違い1=多の等価性、つまり政治的集合論を楽観視する)
バディウの論理はそうした枠組みでいいと思うが
日本人の感覚としては論理学は国語で数学は算数だから
ゲーデルを導入しない限り両者はまったく別々で
バディウ以上に存在と出来事の間の壁は大きい
むしろ壁は大き過ぎて無意識化もしくは麻痺している
バディウの文脈なら先述したカップリングをヒュームの原理とを同一とみなして
論理と存在の基礎に据えることが
結局遠回りに見えるが案外近道だろう
「真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。」スピノザ『エチカ』第一部公理六
定理二ー 精神のこの観念は、精神自身が身体と合一しているのと同様の仕方で精神と合一している。
証明 精神が身体と合一していることを我々は身体が精神の対象であることから明らかにした(この部の定理一二および一三を見よ)。したがってこれと同じ理由により、精神の観念も、精神自身が身体と合一しているのと同様の仕方でその対象と、言いかえれば精神自身と、合一していなければならぬ。Q・E・D・
2018年12月の新刊:推移的存在論
#5スピノザ論
エチカ2:21,1:公理6☆のカップリング(couplage 99頁)に着目していてさすが
ただし#12カント論の方がバディウの本質だろう
ハイデガーの第一批判初版称揚を批判している
訳者解説によると減算なる用語はメイヤスーに引き継がれた
バディウの存在と出来事の邦訳不在が惜しまれる
☆
スピノザ『エチカ』第一部公理六
「真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。」
第二部
定理二ー 精神のこの観念は、精神自身が身体と合一しているのと同様の仕方で精神と合一している。
証明 精神が身体と合一していることを我々は身体が精神の対象であることから明らかにした
(この部の定理一二および一三を見よ)。したがってこれと同じ理由により、精神の観念も、
精神自身が身体と合一しているのと同様の仕方でその対象と、言いかえれば精神自身と、
合一していなければならぬ。Q・E・D・
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