Philosophy and the Matrix - Baudrillard
ボードリヤール
http://nam-students.blogspot.com/2019/03/2015827-jean-baudrillard-httpsja.html
経済学名著50冊より
参考:
NAMs出版プロジェクト: 逃走論 1984,1986(価値形態論)
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/19841986.html
ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857 - 1913)
https://nam-students.blogspot.com/2019/03/ferdinand-de-saussure1857-1913.html
NAMs出版プロジェクト: L'antinomie ne se resout pas(アンチノミーは解消されない)
http://nam-students.blogspot.jp/2014/05/l-ne-se-resout-pas.html
(ベンヤミン関連)
http://nam-students.blogspot.com/2019/03/2015827-jean-baudrillard-httpsja.html
経済学名著50冊より
参考:
NAMs出版プロジェクト: 逃走論 1984,1986(価値形態論)
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/19841986.html
ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857 - 1913)
https://nam-students.blogspot.com/2019/03/ferdinand-de-saussure1857-1913.html
NAMs出版プロジェクト: L'antinomie ne se resout pas(アンチノミーは解消されない)
http://nam-students.blogspot.jp/2014/05/l-ne-se-resout-pas.html
(ベンヤミン関連)
消費社会の神話と構造 新装版 単行本 – 2015/8/27
…
これをいいかえれば、社会のシステムはもはや余剰を生まないということである。新たな富なんてつくれないということだ。なぜなら欲望の動向は福祉の動向に吸いこまれ、商品の市場民主主義は貨幣の国際民主主義に取りこまれ、何かの均衡はどこかの不均衡のために消費されざるをえないからである。
つまり、あらゆる国のあらゆる社会システムが、ついに「類似の療法」だけを生み出すしかなくなってきていて、むしろ「構造的な窮乏感」を演出することだけが、システムの活性化を促すための唯一の手段になっているということなのである。
本書ではそこのところを、こう書いている、「事態はもっと深刻である。システムは自分が生き残るための条件しか認識しようとせず、社会と個人の内容については何も知らないのだ」「ということは、どこにも消費システムの安定化は不可能だということなのである」というふうに。
これは恐ろしいことだが、ホワイトヘッドが次のように言ったことがもはや成立しないということである。ホワイトヘッドはこう書いた、「ホモ・エコノミクスの美しさがあるとしたら、彼が求めるものをわれわれが正確に知っているという点にある」。
本書はガルブレイスの『新しい産業国家』や『豊かな社会』の反響に抗して綴られた。どのようにボードリヤールがガルブレイスの幻想を瓦解させたかということは、もう説明するまでもない。その後の現実の進行そのものがガルブレイスを打倒した。
それよりもいまなお本書を読んで残るのは、より充実した消費社会をつくろうとすればするほど、その消費社会を学習し、それに伴う手続きを普及させるためのコストが、その消費構造を破ってしまうだろうと見ているところなのだ。
このコストがどういうものかをボードリヤールは指摘できていないものの、それが最小共通文化(PPCC)と最小限界差異(PPDM)のために払われて、結局はシステムを根こそぎ割りのあわないものにするだろうことについて、あれこれの事例をあげて説明しようと試みていた。
さらにボードリヤールは本書を書いた1970年の段階で、このように断言してみせた。「今日では純粋に消費されるもの、つまり一定の目的のためだけに購入され、利用されるものはひとつもない。あなたのまわりにあるモノは何かの役に立つというよりも、まずあなたに奉仕するために生まれたのだ」。
だから、多くの企業や消費者がありがたがっている「個性化の戦略」こそが消費構造のダイナミズムをことごとく消し去ってしまうのだ、気をつけなさいねというふうに。
読み方によっては、ただアナーキーな発言を繰り返しているか、本当はジョルジュ・バタイユの「蕩尽」を持ち出したいのを我慢しているとしか見えないこともない。
しかし、ボードリヤール自身はそういうつもりがないようだ(そう思ってあげたい)。彼は、これからの消費社会は言語活動(ランガージュ)の価値を変えるところまで進まないかぎり、きっと何もおこらないだろうと言っているからである。
この言語活動の価値を変えるには、かなりの作業が必要である。ボードリヤールは一例として、広告が本来の経済合理性を台なしにしていることを指摘しているが(つまり商品とメッセージを相殺しあっていることが気になるらしいが)、そんな程度の指摘や改変では間にあうまい。
本書では議論が拡散してしまってまとまりがないのだが、のちにボードリヤールが『生産の鏡』や『象徴交換と死』で持ち出したように、ここには「意味するもの」と「意味されるもの」の根本変動が、「シミュラークル」と「シミュレーション」の根本変動が要望される。
なぜなら、ボードリヤールによると、現代社会は総体としてのシステムの中に意味と根拠を次々に喪失させていっているからで、それでは社会は「模造と分身」の流動化が驀進する以外のなにものでもなくなっていくからである。
…
________
シミュラークル(英語表記)〈フランス〉simulacre
返信削除デジタル大辞泉の解説
シミュラークル(〈フランス〉simulacre)
1 影。面影。
2 にせもの。まがいもの。模造品。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
大辞林 第三版の解説
シミュラークル【simulacre】
〔模擬・模造・幻影の意〕
フランスの思想家ボードリヤールの用語。複製としてのみ存在し、実体をもたない記号のこと。記号がひとり歩きして現実を喪失する状態をいう。
出典 三省堂大辞林 第三版について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
シミュラークル
しみゅらーくる
simulacreフランス語
現実との対応関係から解放され、もはや現実を反映する必要のない純粋な記号としての「もの」やイメージまたはそれらのシステムを意味する(原語はフランス語だが、特定の訳語はない)。
語源的には「表象、イメージ」を意味するラテン語シミュラークルムsimulacrumに由来し、歴史的には主にキリスト教からみた「異教の偶像」を指して用いられたが、この語にまったく新しい現代的な意味作用を与えたのはフランスの社会学者ジャン・ボードリヤールである。彼は『象徴交換と死』L'change symbolique et la mort(1975)で、シミュラークルの展開を、(1)ルネサンスから産業革命までの「模造」(オリジナルの価値に依存するコピー)、(2)産業革命と機械制大工業時代の「生産」(機械によって大量生産されるオリジナルと等価な複製)、(3)生産が差異のコードによって支配される現段階の「シミュレーション」(差異の変調を指示するコードにしたがって生み出されるオリジナル不在の記号)に分類した。近代以降の世界では、(2)はワルター・ベンヤミンが1930年代に提唱した複製技術時代の複製概念であり、(3)が現代的な意味のシミュラークルである。
ボードリヤールはさらに進んで、『シミュラークルとシミュレーション』Simulacres et simulation(1981)では、現実とそのイメージの関係を、(1)現実の忠実な反映としてのイメージ、(2)現実を歪めるイメージ、(3)現実の不在を隠すイメージ、(4)いかなる現実とも無関係なイメージに区別し、(4)をオリジナルとコピーの二項対立を超越した純粋なシミュラークルと呼んでいる。そして、現実と記号の等価性の原則から出発する表象(リプレゼンテーション)とは異なり、もはや客観的現実を必要としないこのシミュラークルの産出過程をシミュレーションと名づけるのである。このような思想の前提には、あらゆる財とサービスが情報メディアのネットワーク上で差異表示記号として機能する現代消費社会では、現実と記号の関係が逆転し、現実世界自体が記号化されてしまったという認識がある。ボードリヤールのシミュレーション論がスーパーリアリズム(ハイパーリアリズム)など現代美術に大きな影響を与えたのはそのためである。
シミュラークルの実例は、コンピュータ・グラフィクスやホログラム(三次元写真)などからディズニーランド型のテーマパークまでじつに多様であり、20世紀末以降は高度消費社会そのものがシミュラークル化しつつある。[塚原 史]
『ジャン・ボードリヤール著、今村仁司・塚原史訳『象徴交換と死』(1982・筑摩書房) ▽ジャン・ボードリヤール著、竹原あき子訳『シミュラークルとシミュレーション』(1984・法政大学出版局) ▽ジャン・ボードリヤール著、塚原史訳『不可能な交換』(2002・紀伊國屋書店) ▽Hal Foster Return of the Real(1996, MIT Press, Cambridge)』
[参照項目] | スーパーリアリズム | ベンヤミン | ボードリヤール
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
返信削除ベンヤミン
べんやみん
Walter Benjamin
(1892―1940)
ドイツの文芸批評家、思想家。ユダヤ系実業家の子としてベルリンに生まれる。青年期にヘブライ思想とドイツ観念論の影響を受け、のちにマルクス主義思想にも接近した。G・ショーレム、E・ブロッホ、ブレヒト、アドルノらと交友。1933年パリに亡命、やがてフランクフルト社会学研究所(当時、在ジュネーブ、ついでニューヨークに移る)の研究員となる。パリ陥落の後、ナチスの手を逃れる旅の途上、ピレネー山中の小村にて服毒自殺。その作品は、特異な言語哲学と歴史哲学に根ざしつつ精緻(せいち)な文体をもって書かれ、対象の細部に対する鋭敏な感性をみなぎらせている。主著『ドイツ悲劇の根源』(1928)のほか、『一方通行路』(1928)などドイツ批評文学を代表する多数の著作がある。[浅井健二郎]
『野村修編訳『ヴァルター・ベンヤミン著作集』全15巻(1969~1981・晶文社) ▽川村二郎・三城満禧訳『ドイツ悲劇の根源』(1975・法政大学出版局/浅井健二郎訳・上下・ちくま学芸文庫) ▽ヴァルター・ベンヤミン著、丘沢静也訳『ドイツの人びと』(1984・晶文社) ▽浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション』全7巻(1995~2014・ちくま学芸文庫)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典の解説
ベンヤミン
(Walter Benjamin ワルター━) ドイツの思想家、評論家。文芸評論を始めとし、フランクフルト学派との交流の中で、ユダヤ神秘主義とマルクスの思想を生かした独自の思考をエッセイの形で展開した。一九三三年ナチスに追われてフランスに亡命、さらにアメリカ亡命を企ててスペインに入国したがピレネー山中で自殺した。主な著に「ドイツ悲劇の根源」「暴力批判論」「複製技術時代の芸術」など。(一八九二‐一九四〇)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
世界大百科事典内のベンヤミンの言及
【アウラ】より
…本来は,微風,香り,光輝などを意味するラテン語。精神医学では前兆と訳され,かつては癲癇(てんかん)発作の前ぶれを表す言葉として用いられた。現在では,脳の一部分に局在する癲癇発作(部分発作)そのものと考えられている。その症状は,癲癇の原焦点,すなわち発作の初発部位を表す場合が多いので,診断上重要な徴候である。他人には気づかれず,患者のみが体験する主観的な発作で,頭痛,めまい,上腹部からこみあげてくるいやな感じ(自律神経性前兆),きらきらする点が見える(感覚性前兆),既視感・未視感(側頭葉性前兆)などがある。…
【アッジェ】より
…だが,マン・レイなどシュルレアリストたちからは評価を得たものの,そのプリントをユトリロや藤田嗣治らの画家や美術館に安く売るだけで,極貧のうちに生涯を終えた。しかし,死の直後,W.ベンヤミンはその画期的な写真論《写真小史》で,時代の転換を鋭くとらえたアッジェの作品の重要性に注目している。彼の晩年に知り合った,アメリカの女流写真家でマン・レイの助手であったアボットBerenice Abottの努力により,多くのプリントと原板がニューヨーク近代美術館に収蔵されている。…
【映画】より
…他の諸芸術との対比とアナロジーにおいてやっと〈芸術〉への昇格を許された映画は,こうして,一部の選ばれた映画のみが芸術として遇される代わりに,大部分の映画は〈産業の奴隷〉として切り捨てられるという運命を受け入れざるをえなかった。初期の映画理論が〈いわゆる“芸術”のなかに映画を組み込むために,うかつにも映画を礼拝的要素から解釈しようともがいている姿〉をW.ベンヤミンもその著《複製技術時代における芸術作品》(1934)の中で指摘している。映画を〈芸術〉に高めようとすればするほどこれらの映画理論や映画批評は,結局は,すべての映画を芸術に高めることではなく,逆に一部の〈優れた〉作家や作品だけを特別扱いすることで,映画そのものを〈差別〉せざるをえないという必然性を背負っていたのである。…
【叙事演劇】より
…それは叙事演劇が,究極的には,形式の問題ではなく,社会の変革をめざすものだからであった。ブレヒトと親交のあったW.ベンヤミンは,この叙事演劇について,〈この舞台はもはや“世界の象徴としてのステージ”(つまり魔力の場)ではなく,有効に配列された世界の展示場である。その舞台にとって観客は,もはや催眠術をほどこされた被験者の群れではなく,局外者ではない人々の集団(彼らは舞台を通してみずからの要求をみたす)を意味する〉と語っている。…
【フランクフルト学派】より
…1930年代以降,ドイツのフランクフルトの社会研究所,その機関誌《社会研究Zeitschrift für Sozialforschung》によって活躍した一群の思想家たちの総称。M.ホルクハイマー,T.W.アドルノ,W.ベンヤミン,H.マルクーゼ,のちに袂(たもと)を分かったE.フロム,ノイマンFranz Leopold Neumann(1900‐54)たちと,戦後再建された同研究所から輩出したJ.ハーバーマス,シュミットAlfred Schmidt(1931‐ )らの若い世代が含まれる。彼らはいわゆる〈西欧的マルクス主義〉の影響の下に,正統派の教条主義に反対しつつ,批判的左翼の立場に立って,マルクスをS.フロイトやアメリカ社会学等と結合させ,現代の経験に即した独自の〈批判理論〉を展開した。…
【ブレヒト】より
…そこでは異化という手法が有効な手段として追求されるようになる。亡命の地,デンマークのスベンボルでのW.ベンヤミン,K.コルシュらとの交流はよく知られているが,そこで彼は反ファシズム運動の活動を続け,《第三帝国の恐怖と貧困》や《カラールおばさんの鉄砲》を書いた。代表作の《肝っ玉おっ母とその子供たちMutter Courage und ihre Kinder》(1939。…
【遊民】より
…もともとは,一定の職業につかず遊んで暮らしている者の意であるが,ドイツ・フランクフルト学派の批評家W.ベンヤミンが19世紀の都市を考察するにあたって,重要なキーワードの一つとしてフラヌールflâneur(遊歩者)に注目したことをきっかけに,現代の都市論に欠かせぬ基本的な概念となった。ベンヤミンによれば,都市の遊民を描いたもっともはやい文学作品は,ポーの《群集の人》(1840)で,カフェのテラスからガス灯に照らしだされた街路を行き交うロンドンの群集を観察しつづける孤独な語り手の境位は,やがてポーの翻訳者でもあったボードレールの散文詩《群集》(1861)にうけつがれているという。…
※「ベンヤミン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報