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火曜日, 3月 26, 2019

キルケゴールとスピノザ


ヤコービ
第三版序文より
《…思弁は自らでは精神のない必然性へ、実体へとしか至ることはできないので、私がサルト・モルターレ(Salto mortale)と呼んだ「死の跳躍」によってのみ思弁を克服することができるのである。…》
後述書2018年20頁(32,33頁訳者注にカント、ヘーゲルのヤコービへの反応が紹介される)



《…私[ヤコービ] …私は死の跳躍(Salto mortale)でこの事態から自分を救い出したいのです。…

…神と自分自身を認める魂の目を閉じるのです。そうすればいっそう注意深く身体の目だけで
観察することができるのです。
レッシング 結構です、とても結構です! 私はそのすべてを利用することができます。しかし私は同じことを
それでもってすることはできません。全体としてはあなたの「死の跳躍」(Salto mortale)を嫌いでは
ありません。そして私は、頭を持っている人間が前に進むためには、こうして頭で宙返りをすること
ができるということもわかります。可能であれば私をあなたと一緒につれて行って下さい。
私[ヤコービ] あなたが私を進ませる弾力のある場所を踏みさえすれば、それは自ずから可能でしょう。
レッシング そのためには跳躍が必要ですが、私の年老いた足と重たい頭ではもはやそのことは許されていない
のです。》 了

『スピノザの学説に関する書簡』スピノザの学説に関して 二,レッシングとヤコービ
田中光訳2018年76,85頁(原書初版1785年刊行)
http://nam-students.blogspot.com/2018/04/blog-post_23.html
FRIEDRICH HEINRICH JACOBI Über die Lehre des Spinoza in Briefen an den Herrn Moses Mendelssohn
http://www.zeno.org/Literatur/M/Jacobi,+Friedrich+Heinrich/Schriften/%C3%9Cber+die+Lehre+des+Spinoza+in+Briefen+an+den+Herrn+Moses+Mendelssohn 独語 対話部分
[68]…
Ich. Freuen Sie sich nicht zu sehr darauf. Ich helfe mir durch einen Salto mortale aus der Sache; und Sie pflegen am Kopfunten eben keine sonderliche Lust zu finden. 


Jacobi, Friedrich Heinrich, Schriften, Über die Lehre des Spinoza in Briefen an den Herrn Moses Mendelssohn - Zeno.org
http://www.zeno.org/Literatur/M/Jacobi,+Friedrich+Heinrich/Schriften/Über+die+Lehre+des+Spinoza+in+Briefen+an+den+Herrn+Moses+Mendelssohn#fn17ref

... Ungemessene Erklärungssucht lässt uns so hitzig das Gemeinschaftliche suchen, dass wir darüber des Verschiedenen nicht achten; wir wollen immer nur verknüpfen, da wir doch oft mit ungleich grösserem Vorteile trennten... Es entstehet auch, indem wir nur, was erklärlich an den Dingen ist, zusammenstellen und zusammenhängen, ein gewisser Schein in der Seele, der sie mehr verblendet als erleuchtet. Wir opfern dann, was Spinoza – tiefsinnig und erhaben – die Erkenntnis der obersten Gattung nennt, der Erkenntnis der untern Gattungen auf: wir verschliessen das Auge der Seele, womit sie Gott und sich selbst ersiehet, um desto unzerstreuter mit den Augen nur des Leibes zu betrachten...17
Lessing. Gut, sehr gut! Ich kann das alles auch gebrauchen; aber ich kann nicht dasselbe damit machen. Überhaupt gefällt Ihr Salto mortale mir nicht übel; und ich begreife, wie ein Mann von Kopf auf diese Art Kopfunten machen kann, um von der Stelle zu kommen. Nehmen Sie mich mit, wenn es angeht. 
Ich.[79] Wenn sie nur auf die elastische Stelle treten wollen, die mich fortschwingt, so geht es von selbst. 
Lessing. Auch dazu gehörte schon ein Sprung, den ich meinen alten Beinen und meinem schweren Kopf nicht mehr zumuten darf.


https://meiner-elibrary.de/media/upload/leseprobe/9783787317066.pdf 独語 対話以外
https://archive.org/details/ueberdielehrede00mendgoog/page/n14 書影

https://translate.google.com/translate?sl=de&tl=ja&u=http%3A%2F%2Fwww.zeno.org%2
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キルケゴールとスピノザ
https://nam-students.blogspot.com/2019/03/blog-post_26.htm@
キルケゴール:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_28.html
マルクス・インデックス
 http://nam-students.blogspot.com/2013/04/blog-post_0.html
NAMs出版プロジェクト: 価値形態論(逃走論 1984,1986) 

ニーチェ:インデックス
http://nam-students.blogspot.com/2013/04/blog-post_1686.html
スピノザ:インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_6805.html
定本柄谷行人集索引
けの飛躍,❷M.160,225/❸T.293,295,325,443
キルケゴール.Kierkegaard,Soren,❷M.163,207,225@/❸T.27,113(カント=-,:ウィーン),157,162,193@,293,295,485,486,491@/❺H.81,
 『愛のわざ』(キルケゴール),❸T.193@,
 『あれかこれか』,❸T.486, 
 『キリスト教の修練』,❷M.225@/❸T.491@,
 「死に至る病」,❸T.26,162@,295,
 『哲学的断片』,❸T.485,
 『日記』?,❷M.207

《…ヘーゲルの観念論的な哲学は、精神による「生産」活動をとらえたものですが、
ここには他者との「交換」という契機が欠落しています。それは、マルクスのようにヘーゲル
哲学を単に“唯物論的に転倒”しても出てこない。せいぜい弁証法的唯物論と称する観念論に
なるだけです。ヘーゲル哲学を真に「転倒」するためには、生産ではなく、交換という観点が
必要なのです。その意味で、ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、
『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。彼はいわば「交換」を重視したのです。例
えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえない状態を「絶望
--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交
換に失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキ
ルケゴールは、同じ問題を考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》
世界史の実験6~7頁(定本②隠喩としての建築225頁#21信用、参照。そこではキリストと貨幣が重ねられる。)

         [個人の内面]
          キルケゴール
         (主体的実存)
           /|
          / | 
         /  |   
  [現代思想]/   |     [近代主観主義]
   ニーチェ↙︎←___|_____ ヘーゲル
  (神の死)↖︎    |     (絶対精神)
        \   |   
         \  | 
          \ | 
           \|
          [社会の現実]
           マルクス
          (共産主義社会)
上記はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
小川はカール・バルトの翻訳で知られる。

現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
思考が表れるというのが興味深い。

キルケゴール:
《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ]は、
どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
と踏みきるように勧めるのである。》
キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

マルクス:
《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
カントを解体すればスピノザしか残らない。

《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より。知泉書館2018年74頁。

ただし図はこうした方がいい
マルクス物体、キルケゴール観念と捉えるなら。デカルト的精神の優位を誤解させないためにもhttps://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi5tcq7M7gRA6eisvOq2pxWfIfCIKPF7_h55kNgHCRWUhlyxL1HkOCA2HU9Zvlf_J1AmB0x3w02rx8m6qfHFhZWOu3K4MeOxCviPiLNupfyd94-5S6ctTltmYC7e8vwGhYdCZ88/s1600/IMG_1552.JPG

「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『世界史の実験』97頁参照)

         [現代思想]
          ニーチェ
         (神の死)
           /|\
          / | \↑
         /  |  \
 [社会の現実]/   |   \ [個人の内面]
   マルクス/____|____\キルケゴール
(共産主義社会)    |    (主体的実存)
            |
            |
            |  ↑
            |
         [近代主観主義]
          ヘーゲル
         (絶対精神)

『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32の図を90度回転させた。


参考:

小川圭治による図解(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より(後述)
スピノザ:インデックスhttp://nam-students.blogspot.com/2013/05/blog-post_6805.html
スピノザ『エチカ』
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/

              1実体
               /\
              /無限\
             /_無限定)\
    ________/_2a属性__\________
    \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
     \   悪/___2b様態\____\善   /  
      \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
       \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
       /\対象/ /_\/_\ \認識/\
     所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
     /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
   神/______\___\/_第三種認識____\自然
            \ 4理性  /   
             \    /
              \_徳./
               \/
              5自由 

《われわれは意識しないが、そう行なうのだ》定本②207頁#19売ること
マルクス資本論1:4の主語を変えている。厳密には、

資本論1:4
彼らはそれを意識していないが、そう行うのだ。
(柄谷行人、内省と遡行でも引用)




命懸けの飛躍の系譜:
アリストテレス(別領域への転移(メタバシス・エイス・アロ・ゲノス)『分析論後篇』#7:177,179)、
スピノザ、
ライプニッツ(対話におけるレッシングの主題の一つはスピノザとライプニッツの共通性である)、
ヘーゲル、(「F・H・ヤコービ著作集第三巻の書評」1817、邦訳『初期ヘーゲル哲学の軌跡』所収)、
シェリング、
レッシング(生命がけの~(エルンスト~Ernstrich? Sprung??真面目な飛躍)#7:178)、
ほら吹き男爵?#7:179、
ヤコービ、
フォイエルバッハ☆☆☆☆、
キルケゴール後書き以前(哲学的断片,体系的宙返り#6:14,#7:177)
(「人間が必然的に罪を犯すと言ったりするのは、飛躍という円環を直線に引き延ぼすことなのである」不安の概念)、
キルケゴール後書き以後、
マルクス(経済学批判、資本論)、
柄谷行人

キルケゴールは宙返りという喜劇的ニュアンスを含意している

☆☆☆
また20歳の学生だったヘーゲルはヘルダーリンとともに『スピノザ書簡』を読み、1791年2月12日のノートには汎神論論争のスローガンでもあった「ヘン・カイ・パーン(一にして全)」と書き付けている[1]
笹澤豊「ヘーゲルとヤコービ:スピノザ主義の問題を巡って」『講座 ドイツ観念論』5巻(弘文堂、1990年)所収

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling、1775年1月27日 - 1854年8月20日)は、ドイツ哲学者である。カントフィヒテヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者のひとり。

Friedrich Heinrich Jacobi, ‎Moses Mendelssohn - 1988 - ‎プレビュー - ‎他の版
"I extricate myself from the affair by a salto mortale. "[S8]79 It might be surprising to hear Lessing say later in the conversation: "All in all, I find your salto mortals not bad.... Take me with you if that is possible." [96] But Lessing knows too well that he is not going to try the salto mortale. When invited by Jacobi to side with him and ...




Following Milbank, Clare Carlisle suggests a similar link between Aristotelian virtue ethics, repetition, and ressourcement in 'The Self and the Good Life': see ... The notion of a 'leap' is often attributed to Kierkegaard but actually comes from Lessing's salto mortale; see Lessing and Nisbet, Philosophical and Theological ...

81 For a parallel reading of Climacus and Lessing, see Cornelio Fabro, La Fenomenologia della Fede:
Ambiguità della Fede in Søren Kierkegaard', Archivio di Filosofia, 1-2 (1957), 188-97. The notion of a ‘leap’ is
often attributed to Kierkegaard but actually comes from Lessing's salto mortale, see Lessing and Nisbet
Philosophical and Theological Writings, 246, 251. For more on Kierkegaard's notion of the ‘leap’, see Ronald
R. Johnson, ‘The Logic of Leaping: Kierkegaard's Use of Hegelian Sublatio’, History of Philosophy Quarterly
14, no. 1 (1997), 155-70. For Lessing's influence on Johannes de Silentio's Fear and Trembling, see Lasse
Horne Kjaeldgaard, ‘“The Peak on Which Abraham Stands”: The Pregnant Moment of Søren Kierkegaards
Fear and Trembling”’, Journal of the History of Ideas 63, no. 2 (2002), 303-21

Lessing: Philosophical and Theological Writings (Cambridge Texts in the History of Philosophy) (English Edition) Kindle版

_______

レッシング:
「おっしゃるようにするだけでも、すでに飛躍が必要でしょう。しかし私のこの老いぼれた足とこの重い頭では、もう無理なのです」#7:184


飛躍という言葉は汎神論論争の対象となったヤコービの手記におけるレッシングの最後の言葉に含まれる
これは『後書き』著作集7でキルケゴールが詳細に論じている(#7:168~192)2:1:2:3
つまり飛躍とはヤコービの使った意味とは逆に汎神論=無神論への飛躍なのだ


《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231ページでの引用より

歴史的真理と理性的真理の溝を飛び越えることは、汎神論から見ればキリスト個人(崇拝)から離れることを意味する
同時にヘーゲル体系からの離脱でもある
(「人間が必然的に罪を犯すと言ったりするのは、飛躍という円環を直線に引き延ぼすことなのである」不安の概念)

スピノザとキルケゴールの関係、キルケゴールのスピノザへの同化こそが命がけの飛躍だ
レッシングはあくまで経験論なのだからそこに飛躍=論理の逸脱は意味を持たない

 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。片や感激のことば
にかけては尽きるところを知らぬ名スポークスマンが観察者としてひかえ、対するに教義上の試験を
される老獪なるレッシング。ヤコービは、レッシングの信仰がそもそもいかなる状態にあるかを、精
査すべき役割を負っているのだ。その結果は? 審査官は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ
主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札
をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。ここで小
生は一瞬立ちどまらねばならぬ。やはりヤコービが《飛躍》の発明者であるようにも思えるのだが
はたしてそうなのだろうか? いや、まずヤコービは、ほんとうに《飛躍》の出る幕がどこであるの 
かを、そもそも自覚していないのだという点が指摘されねばならぬ。彼のいう《死の飛躍》とは, ス
ピノザの客観的神観に対して主体化の行為をば主張したにすぎないといってよいもので,永遠者が歴
史の世界に入ってくるときのあの凄絶な《移行》のことではない。さらに彼は、《飛躍》が直接的に
教授も伝達もされえない消息であるという弁証法的認識を欠いている。思考をばまさに受けつけぬ問
題に関して、不条理なるがゆえにこれを信じて受けるという決断に踏み切るか、否か、この絶対的
の断崖に立たされた単独者の行為こそ、《飛躍》と呼ばるべきものであることを彼は解しないのだ。
ヤコービは雄弁の力をかりて、他人にこの飛躍をさせようとする。だがこれは矛盾である。そしてす
べて直接的にあと押ししようとすることは、ほんとうの飛躍を妨げる行為以外のなにものでもない。
またその場合、ほんとうの飛躍をすることと,それをしたと自分で言い張ることとは、厳に区別され
なければならないのだ。》著作集7,181頁

キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき (1968年)  

  • 出版社: 白水社 (1968)


ヤコービの書簡は雑誌「モルフォロギア」で邦訳連載されていたが、近年一冊にまとめられた。

なかでもヤコービとレッシングとの会話(1780年7月6日)が再現されている24号(2002年)所収のそれがハイライトだ。

スピノザの学説に関する書簡  – 2018/4/15



以下はレッシングとアリストテレスについて論じているが、スピノザに言及していない
『後書き』以前がメインである。

レッシングとキルケゴール : 飛躍概念を巡って
レツシング ト キルケゴール : ヒヤク ガイネン オ メグツテ

(5)  , pp.29 - 40 , 1987-01-30 , 筑波大学哲学・思想学会
NII書誌ID(NCID):AN10438253
本文を読む
















Salto Mortale - Polanyi Society

 
(Adobe PDF)
 

polanyisociety.org/.../TAD35.../TAD35-2-fnl-pg31-38-pdf.pd...
to Lessing—that he perform the acrobatic feat of a salto mortale in order to somersault from an inverted to an.



5. Retrospect

The first volume of Jacobi’s collected works was published in 1812; the second, in 1815. This last is especially important because it contains, added to the text of the David Hume, a long new Preface intended by Jacobi, as the title indicates, also as Introduction to his life long philosophical production (‘Preface and also Introduction to the Author’s Philosophical Collected Works’, Jacobi, 1812–25, vol. 2). In the piece, Jacobi tried to sum up his intellectual odyssey by articulating the interest that had motivated it from beginning to end, and thereby also to bring some systematic unity to what might otherwise have appeared a scattered philosophical production. Jacobi was obviously sensitive to the charge of irrationalism that had repeatedly been brought against him over the years, and anxious to disarm it. He appealed to the distinction between ‘reason’ and ‘understanding’ that he had adopted from around 1800 to argue, as he had already done in Of Divine Things, that the kind of knowledge he had earlier presented under the rubric of ‘faith’ should be understood rather as a product of ‘reason’ — a ‘reason’ properly understood, of course, as an intuitive faculty for the immediate apprehension of such eternal verities as the Good, the True, and the Beautiful (Jacobi, 1812–1825, vol. 2, 1815: 59–63 and passim). He accordingly edited the 1787 text of the David Hume, attributing what he thought was the inconclusiveness of the dialogue to his yet unclarified concept of ‘reason’ at the time of the first edition. He added long footnotes to it, and even modified some crucial passages of the text itself — a circumstance, incidentally, for the most part ignored by later commentators — in an obvious effort to dispel the naturalism otherwise clearly implied in the original text.[13]While thus distancing himself from any possible evidence of naturalism, Jacobi however also tried to deflect the accusation, sometimes brought against him even by friends,[14] that he was against science. He tried to compensate for his past repeatedly made remark that science is but a game of abstractions (Jacobi, 1799: 22–27) by reasserting now, as he had already done in Of Divine Things, that, without the understanding’s power to synthesize in the medium of abstract representations the content of sensations, reason, just like the senses, would have no form and hence no cognition of itself (Jacobi, 1812–25: vol. 2, 58, 110). Jacobi also stressed that, however necessary the functions of the understanding, the latter is none the less still naturally prone to naturalism and to the atheism consequent upon it.
A measure of the great influence that Jacobi had in his own lifetime, and continued to have in the rest of the nineteenth century, is that he was the first to put in circulation the term ‘nihilism’, and to inaugurate the discourse associated with it.
Because of Jacobi’s insistence on the primacy of immediate existence over reflective conceptualization, and of the rights of the ‘exception’, the possibility is there to interpret his position as case of proto-existentialism, and to treat him, just as Kierkegaard, as an essentially religious thinker (Beiser, 1987). Indeed, some of the language Jacobi uses, and the themes he explores, are to be found in Kierkegaard again. (Whether the latter was himself an existentialist is, of course, itself an open question.) One must however keep in mind that the language of the ‘leap of faith’ does not belong to Jacobi. The salto mortalehe had proposed to Lessing was no leap into the unknown but, according to his explicit testimony, a jump that would have brought Lessing, who had been walking on his head in the manner of philosophers, back to his feet (Jacobi, 1787: 62; 1789: 353).
In sum, Jacobi’s figure, including its place within the Enlightenment, is much more complex than usually assumed, and still in need of discussion. In our own times, Leo Strauss did his PhD on Jacobi. Perhaps this is still another way in which Jacobi is working his influence on us and still bringing Spinoza centre stage, exactly where he did not want him to be. It might well be that the secret of this complexity is that Jacobi, just like Kierkegaard after him, was motivated by deeply conservative beliefs which he saw threatened by the culture of the day; but, again like Kierkegaard, in trying to reassert them, developed a language that was later to be used, contrary to anything he would have ever imagined, to undermine them instead.

5.回顧
ヤコビの集めた作品の最初の巻は1812年に出版された。この最後の記事は、David Humeのテキストに、Jacobiが意図した長い新しい序文を、その題名が示すように、彼の生涯にわたる哲学的制作の序論としても含んでいるので、特に重要です。また、著者の哲学的に集められた作品への紹介」、Jacobi、1812年-25、vol。2)。この作品の中で、Jacobiは最初から最後までそれを動機づけた興味を明確にすることによって彼の知的オデッセイを要約することを試み、それによってそうでなければ散在する哲学的生産に現れるかもしれないものにいくらかの体系的な統一をもたらすようにした。 Jacobiは明らかに何年にも渡って繰り返し彼にもたらされてきた非合理主義の容疑に敏感であり、それを武装解除することを切望していた。彼は1800年ごろからすでに採用してきた「理由」と「理解」の区別を主張した。彼はすでに「神のもの」の中で行ったように、「信仰」のルービックの下で以前提示した種類の知識はむしろ、「理性」の産物として理解されるべきである - 当然のことながら、善、真、美などの永遠の真実を即座に理解するための直観的な教員として理解される「理性」(Jacobi、1812-1825、第2巻、1815年:59–63、そしてパッシブ)彼はそれに応じて彼が最初の版の時の「理由」の彼のまだ明確にされていない概念に彼が考えたことが対話の決定的なものであると考えて、David Humeの1787年のテキストを編集しました。彼はそれに長い脚注を付け加え、原文ではっきりと暗示されていた自然主義を払拭するための明らかな努力で、文章自体のいくつかの重要な一節 - 偶然にも後のコメンテーターによって無視される状況 - を修正しさえした。 ]このように自然主義のあり得ない証拠から身を引き離している間、Jacobiは告発をそらそうとしました、時には友人によってさえ彼に対してもたらされました、彼が科学に対してであったということ。彼は過去を補って、科学は抽象的概念の単なるゲームであることを繰り返し主張しました(Jacobi、1799:22–27)。抽象的表現の媒体感覚の内容、理由は、感覚と同じように、形式を持たず、それゆえそれ自体の認識を持たないであろう(Jacobi、1812–25:vol。2、58、110)。 Jacobiはまた、理解の機能は必要だが、後者は自然主義とそれに起因する無神論になりがちなものではないことを強調した。

ヤコビが一九世紀の残りの間に、そしてそれを継続して持っていた大きな影響の尺度は、彼が循環「ニヒリズム」という用語を流布に入れ、そしてそれに関連した談話を始めた最初の人だったということです。 。

反射的概念化よりも即時存在の優位性、そして「例外」の権利を優先するというヤコビの主張のために、彼の立場を原存主義の場合として解釈し、そして彼をキルケゴールのように扱うことが可能である。本質的に宗教的思想家である(Beiser、1987)。実際、Jacobiが使用している言語のいくつか、および彼が探求しているテーマは、再びKierkegaardにあります。 (後者が実存主義者であったかどうかは、もちろんそれ自体が未解決の問題である。)しかし、「信仰の飛躍」の言葉はヤコビに属していないことを心に留めておかなければならない。彼がLessingに提案したサルトモルタルは未知のものへの跳躍ではなかったが、彼の明白な証言によれば、哲学者のように頭の上を歩いていたLessingを彼の足に戻したジャンプ1787:62; 1789:353)。

要するに、悟りの中での位置を含むJacobiの図は、通常想定されるよりはるかに複雑であり、それでも議論が必要です。私たち自身の時代には、Leo StraussはJacobiで博士号を取得しました。おそらくこれは、Jacobiが私たちに影響を及ぼし、Spinozaの中心的ステージをもたらしているもう1つの方法です。この複雑さの秘訣は、Jacobiが彼の後のKierkegaardと同じように、その日の文化に脅かされていると彼が見た非常に保守的な信念によって動機づけられたことであるかもしれません。しかし、やはりKierkegaardのように、それらを再表明しようとする際に、彼が今まで想像していたこととは反対に、代わりにそれらを損なうために使用されることになった言語を開発しました。

近代から現代へ至る思想の見取り図(図式*)小川圭治作成

         [個人の内面]
          キルケゴール
         (主体的実存)
           /|
          / | 
         /  |   
  [現代思想]/   |     [近代主観主義]
   ニーチェ↙︎←___|_____ ヘーゲル
  (神の死)↖︎    |     (絶対精神)
        \   |   
         \  | 
          \ | 
           \|
          [社会の現実]
           マルクス
          (共産主義社会)

小川はカール・バルトの翻訳で知られる。

上記はK・レーヴィットの論考の小川圭治による図解(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32)。
近代はへーゲルの絶対精神に発し、現代のニーチェの神の死へ至る。
その際、観念と物体、内面と社会のバランスが大切だとレーヴィットは言う(『ヘーゲルからニーチェへ』)。
柄谷行人ならキルケゴールではなくカントを導入するだろう。


追記:図式について

カントによれば、図式とは概念と直観の媒介者であり、時間規定である(図式によって全体を見渡せるとはカントは考えていない)。
そして、図式は時間規定(量→質→関係→様相というカテゴリー内、つまり系列→内容→秩序→総括のうちのどれか)であるというカントの主張を、ハイデガーは『カントと形而上学の問題』で「対象つまり存在とは時間である」と読み替える。
さらに、カントが第一批判の第二版で図式を機能させる構想力の地位を悟性以下に格下げしたことを非難するのだ。

ハイデガーによる、図式という媒介を称揚しつつ構想力つまり存在了解を擁護する戦略は巧みだが、それがヘーゲルの場合、媒介そのものを拒絶する戦略が採用される。しかもこの場合はトリアーデというヘーゲルによって採用された図式**が実体化及び象徴化、さらにはカントの言葉でいえば形象と化しているのである。

**参考:
ヘーゲルのメモ
神的三角形及び(マラブー『ヘーゲルの未来』の表紙に採用された)自然哲学草稿への落書き
http://pds.exblog.jp/pds/1/200707/04/41/a0024841_1514745.jpg

http://pds.exblog.jp/pds/1/200711/19/41/a0024841_13504597.jpg
http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/18/41/a0024841_17322374.jpg

[現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い]

《 この十九世紀思想史の叙述に当たってレヴィットが用いた基本的図式は、上図のようなものである。すなわち、すでに述べたように、近代主観主義思想の原理的立場は、ヘーゲルの「絶対精神」に求められる。生前ヘーゲルに対して批判的であったゲーテも、思想の原理的立場においてはヘーゲルと同じであることが論証される。
 それに対して、この近代主観主義における人間精神の自己絶対化の崩壊を、ニーチェは、その絶対化の根幹となっている神に関して、「神は死んだ」というテーゼを立てることによって示そうとした。したがって「神は死んだ」というのは、現代の思想的状況を表す原理的テーゼなのである。
 このような基本的図式を立てることによって、忘却の中に沈んでしまったエピソードの画期的意義を明らかにするというのが、レヴィットの書物の主要な内容である。とくにD・F・シュトラウスの『イエスの生涯』(一八四八年)が提起した「魂の永遠性」の問題をめぐって、ヘーゲル派が左・右両派に分裂し、はじめは存在した中間派がたちまち右派に吸収され、右派は保守的講壇哲学として哲学史研究に逃げ込むが、左派からはフォイエルバッハをへてマルクスが現れるという経過がみごとに描き出されている。この近代から現代への経過の中間的エピソードとしてレヴィットがもっとも重視するのが、キルケゴールとマルクスである。キルケゴールは、この崩壊過程を人間の個人の内面においてとらえて、新しい人間理解の視点として「主体的実存」くいう考え方を提示した。それに対してマルクスは、この崩壊過程を社会の歴史的現実においてとらえ、その克服のための目標として共産主義社会の実現をかかげた。レヴィットによれば、この二つの視点が、どちらか一つに片寄ってしまうと、それぞれ一種の抽象化に逢着してしまう。たがいに矛盾する視点でありながら、この両者が切り結ぶ点を見つめるならば、そこにニーチェのいう「神は死んだ」という現代の思想的状況の真相が姿を現すというのである。
 このレヴィットの図式は、やはり図式としての一面性をもつので、これだけで割り切ってしまえない局面も出てくることを忘れてはならない。しかしわれわれの当面する問題である「ヨーロッパ思想史におけるキルケゴールの位置づけ」にとっては、さしあたり便利な見取図だといえるであろう。》

週刊読書人 20170303の柄谷行人との対談で渡部直己が「マルクス的柄谷」と「キルケゴール的柄谷」とに柄谷の影響を分けている。




         (肯定面)↓
 (否定面)
         宗教性B
 宗教性A ↗︎…→宗教性A
 倫理的段階↗︎…→倫理的段階
 美的段階 ↗︎…→美的段階
↑観念論哲学↗︎

   実存の三段階

(『哲学的断片へのあとがき』1845年.参照)

彼の遺著『わが著作活動の視点』(1859年出版。執筆は1848年)によるとおよそ三つのグループに分けられるという…

宗教性Reigieusitetenは宗教心とも訳される。
_______________



キルケゴール(1813-1855)の世界:試作
http://yojiseki.exblog.jp/8875247/
       <キルケゴール(1813-1855)の世界>
左手=倫理的、              右手=宗教的
   この世的
『現代の批評』     _______  『建徳的講話』
 ↑ 『後書き』    |宗教的世界  |         ↓
『人生行路の諸段階』 |(キリスト) |    
『不安の概念』  二階|______『死に至る病』『野の百合・  
『哲学的断片』    |倫理的世界  |      空の鳥』
『反復』     一階|(ソクラテス)|
『おそれとおののき』_|_______|___
『あれか、これか』//|審美的世界  |///
         //|(ドン・   |///
         //|_ジュアン)_|///
         地下////////////
      『あれか、これか(第一部:誘惑者の日記)』

キルケゴール内部は、
2階=宗教的(キリスト) 、
1階=倫理的(ソクラテス)、
地下=審美的(ドン・ジュアン) という構造になっている。

参考:
http://homepage.mac.com/berdyaev/kierkegaard/kierkegaard_1/kierkegaard2.html
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/cat_50027458.html


セーレン・キェルケゴール - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/セーレン・キェルケゴール#.E4.B8.80.E8.A6.A7
  • あれか、これか(1843年、第二版1849年) 未知谷より完訳5分冊(飯島宗享訳 /『美しき人生観』『初恋』『誘惑者の日記』『結婚の美的権利』『美と倫理』) 第一部のみ:『誘惑者の日記』(浅井真男訳、白水社
  • おそれとおののき(1843年)- 三土興三が論文『酔歌』で取り上げている。
  • 反復(『受け取り直し』とも)(1843年) ISBN 4003363515、岩波文庫
  • 不安の概念(1844年) ISBN 978-4003363522、岩波文庫 
  • 哲学(的)断片(1844年)
  • 哲学(的)断片への完結的、非学問的な後書き、演技的、情熱的、弁証法的雑集、実存的陳述(1845年)
  • 人生における諸段階 (1845年) (『人生行路の諸段階』の訳名もある) 
  • 愛の業(わざ)(1847年)
  • 死に至る病(1849年)ISBN 978-4-560-72099-8 白水社
  • 現代の批判 ISBN 400336354X(上記の白水社版では『死に至る病』と併収) 岩波文庫
  • キリスト教の修練(1850年)- 当初は『死に至る病』に連なる論文(『死に至る病』と合わせて一冊となる書籍の後半部分)として書かれたが、結局、別々に出版された。
  • 野の百合、空の鳥(1849年)
  • わが著作活動の視点(1859年)
  • 瞬間(1855年)
  • セーレン・キェルケゴールの日誌(橋本淳編訳、未來社)- 一巻のみ刊行。


マルクス・インデックス
 http://nam-students.blogspot.com/2013/04/blog-post_0.html
NAMs出版プロジェクト: 価値形態論(逃走論 1984,1986) 

☆☆
 ここで注意しなければならないのは、商品から資本への移行が本来なんの保証もないパラドキシカル・ジャンプーー「命がけの飛躍」(salto mortale)だということである。《クラインの壺》の運動は、パラドックスをそのつど一定の仕方で飛びこえながら進行するプロセスなのである。しかし、それはパラドックスに対するなしくずしの解決なのであって最終的な解決ではない。まさにそのことこそが恐慌論の出発点である。
資本論1:3:2

第3章 第2節 流通手段 a 商品の変態

第九段落
 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。社会的分業は彼の労働を一面的にするとともに、彼の欲望を多面的にしている。それだからこそ、彼にとって彼の生産物はただ交換価値としてのみ役だつのである。しかし、彼の生産物はただ貨幣においてのみ一般的な社会的に認められた等価形態を受け取るのであり、しかもその貨幣は他人のポケットにある。それを引き出すためには、商品はなによりもまず貨幣所有者にとっての使用価値でなければならず、したがって、商品に支出された労働は社会的に有用な形態で支出されなければならない。言いかえれば、その労働は社会的総労働の一環として実証されなければならない。しかし、分業は一つの自然発生的な生産有機体であって、その繊維は商品生産者達の背後で織られたものであり、また絶えず織られているのである。













商品から金への「命がけの飛躍」とは? - 日本共産党


www.jcp.or.jp/akahata/.../2008092012_01faq_0.html

商品から金への「命がけの飛躍」とは?


 〈問い〉 先日のNHKTVで爆笑問題の「爆問学問」でマルクスの言葉として、「商品から金(きん)への飛躍は命がけの飛躍である」という言葉が紹介されていました。これはどういう意味ですか?(大阪・一読者)
 〈答え〉 商品の「命がけの飛躍」という言葉は、『経済学批判』(1859年)や『資本論』(1867年)に登場します。マルクスは、市場経済のなかで商品がどのように販売され、流通していくかを、「W(商品)―G(貨幣)―W(商品)」という図式で表しました。
 この第一の転化(W―G、商品の販売)について、マルクスは、次のように述べました。
 「商品価値が商品のからだから金(きん)のからだに飛び移ることは……商品の“命がけの飛躍”である。この飛躍に失敗すれば、なるほど商品は打撃を受けないかもしれないが、商品所有者は確かに打撃を受ける」(新日本新書『資本論』(1)180~181ページ)
 つまり、商品を生産するときには、だれもが自分のつくった商品は売れると思って生産します。しかし、その商品が本当に売れるかどうかは、それを市場に出して、実際に売れるまで、分かりません。ひょっとしたら、その商品は売れ残るかもしれず、そうなれば、その生産者はお金(かね)を手に入れることができません。
 とくに資本主義経済のもとでは、資本家・企業は、もっと大きなもうけを手にしようとして、どんどん生産を拡大してゆきます。その結果、商品が過剰に生産され、景気の過熱、バブルが発生します。そして、なにかのきっかけでバブルがはじけると、突然商品が売れなくなり、恐慌を迎えます。このとき、自分の商品が売れるかどうかは、資本家・企業にとって文字どおり死活にかかわる大問題になります。このことを、マルクスは「命がけの飛躍」という言葉で表しました。
 なお、マルクスの時代は、貨幣=金(きん)だったので、先ほどの引用でも、マルクスは、商品から貨幣への転化という意味で、「金(きん)のからだに飛び移る」と書いています。(学)

W-Gすなわち販売。商品Wは、単に特定の使用価値…だけではなく、一定の価格をもつ…使用価値として流通過程にはいるのである。この価格は、一方では鉄(引用者註:Wは鉄として議論されている)にふくまれている労働時間の量、つまり鉄の価値の大きさの指数であるが、同時にまた金になりたいという鉄の謙虚な願望、すなわち鉄そのもののなかにふくまれている労働時間に、一般的社会的労働時間という姿をあたえたいという願望をも表現している。もしもこの化体(訳者注:金との交換)が失敗におわると、一トンの鉄は商品でなくなるだけでなく、生産物でもなくなってしまう、というのは、鉄はその所有者にとって非使用価値であるからこそ商品なのだからである、あるいはまたかれの労働は、他人にたいする有用労働としてのみ現実的労働なのであり、またそれは、抽象的一般的労働としてのみ、彼にとって有用なのだからである。だから、鉄が金をひきつける点を商品世界のなかにみつけることは、鉄または鉄の所有者の任務なのである。
マルクス『経済学批判』武田、遠藤、大内、加藤訳、岩波文庫、110ページ(以下『経済学批判』と省略)
簡単にいえば、鉄は売れなければ単なる鉄くずであり、ツールは売れなければ単なるディスク容量を圧迫するゴミなのである。そして、価値があると思っていた商品は、価値がなかったということがわかるだけである。企業あるいは商品所有者あるいは資本が抱いていた、貨幣を獲得するという期待が虚しく終わる。
商品が売れること、これをマルクスは「salto mortale《命がけの飛躍》」(『経済学批判』110ページ、『資本論』第一巻188ページ)と呼んでいる。
この飛躍が失敗すれば、商品は別に困ることもないが、商品所有者は恐らく苦しむ。社会的分業は、彼の労働を一方的に偏せしめると同時に、彼の欲望を多方面にする。まさにこのゆえに、彼の生産物が彼にとって用をなすのは、交換価値としてだけであることになる。しかしその生産物が一般的な社会的に通用する等価形態を得るのは、貨幣としてだけである。そして貨幣は、他人のポケットの中にあるのである。これを引出すためには、商品は、とくに貨幣所有者にたいして使用価値でなければならない。
資本論』第一巻188〜189ページ
大月全集13
サルトモルターレ=salto mortale、イタリア語で「とんぼ返り」を意味する。
英語では deeply jump=命がけの跳躍、という意味も。かつてマルクスは、「どのようにしてドイツは、salto mortale によって自分固有の拘束を乗り越えるだけでなく、近代的諸国民の拘束をも乗り越えることが出来るだろうか」ということを語ったが、このsalto mortaleをダンスに置き換えて、「今日の、特に 3.11 以降の私たちにとっての生きる意味を、salto mortale=踊ることによって何かを乗り越え、見いだせるのではないか」という仮説を立ててみたい。その解を見いだすべく私は、かつて避難所生活の場となった名取市文化会館に通い、そこで過ごされた人々を取材しながら、そこでの生活に思いを馳せては、生きること、また踊ることの可能性を、儀式的、祝祭的、また寓話的に考察してみようと思う。
砂連尾理


参考:

汎神論論争

スピノザ=無神論者だというレッテルが蔓延し、キリスト教の力が絶大だった1785年、『賢者ナータン』で知られる故レッシングが実はスピノザ主義者であったというヤーコビの証言が発表当時スキャンダルになった。これは、歴史的に言えばゲーテやカントなども巻き込み、汎神論論争というスピノザ評価のきっかけとなった事件である。

肝心のテクストは邦訳が入手困難だが、現在、日本のゲーテ研究者による年会誌『モルフォロギア』にヤコービによるメンデルスゾーン宛の手紙が連載されておりその一部を読むことができる。

なかでもヤコービとレッシングとの会話(1780年7月6日)が再現されている24号(2002年)所収のそれがハイライトだ。

この両者の会話はゲーテの「プロメテウス」という詩*をヤコービが見せるところから始まる。
「死んだ犬」「スピノザ以外の哲学はない」など、有名なフレーズが目をひくが、レッシングが自らをルター派の決定論者として規定している点が見のがせない。
そもそも当たり前のことだが、ヤーコビとスピノザ理解でズレがあるのだ。保守的なメンデルスゾーンとの間での齟齬はなおさらとも言えよう。

メンデルスゾーンによる反論を含め、多くの疑問はあるが、この会話をヤコービによる完全な作り話とは考えにくいし、作り話たとすればそれはそれで逆にヤーコビは凄い才能の持ち主だということになる(A・タルコフスキーがカスタネダのドンファンシリーズに関して、ペヨトル工房が出した本のなかで同じことを言っていた)。

ゲーテは『詩と真実』(第三部-第四部、章で言えば14-15章)でスピノザを称揚しているが、政治的に宗教上の隠れ蓑として利用しているような気もする。反キリスト教的な側面をスピノザのせいにしてゲーテ自身の責任にはならないようにして予防線を張っている節があるのだ。ドゥルーズはゲーテを批判しクライストを称揚したが、連結するテクスト(批判哲学的、ここでは表象論的な予防線を破壊するテクスト?)を称揚した彼らしい態度であり、一理あると思う。

さて、ゲーテを震撼させた「神を愛するものは神から愛されることを期待してはならない」(エチカ5:19より)というスピノザの言葉などは、自己と他者とが非対称的に存在する批判哲学を想起させて興味深い。他者の幸福と自己の完全性とが絶対の義務となるべきでありその逆はないとカントが『人倫の形而上学』で述べるとき、それはスピノザを別の形、別の側から補強していると考えれ得るのだ。

一般に感情的だと看做されがちなヤーコビは、メンデルスゾーンとの論争の後に出したヒューム論(1787)の中で、「物自体を仮定しなければカントの体系の中に入ることはできないし、しかも物自体によればカントの体系の中に留まれない」という有名な言葉を述べ、スピノザの側からカントの弱点を的確に指摘した。これなどは実はカント哲学にスピノザが含まれるというよりスピノザ哲学にカントが含まれることの証明でもあると思う。

というのはヤコービは自らアンチノミーとなることによってカントにとっての他者となりえたと言えなくもないからだ。ヤコービ本人、というよりもスピノザの哲学は批判哲学にとって物自体なのだ。そして、カント側から言えば、ヤコービの言葉通りカントは自らの哲学体系を三批判書はもとより遺稿に至るまで更新し続けたのだから、カントはヤコービの言葉通り(スピノザのエチカの通り?)にアンチノミーを体現し、そのアンチノミーを生きたとも言えるのではないか?

ともかく、カント(思考の方向を定める問題で言及)、ヘーゲル(小論理学で言及)を巻き込んだスピノザ問題は、今日的な課題を含んでいるように思える。

追記:
汎神論論争に関しては理想社版カント全集第12巻所収の「思考の方向を定める問題」とその解説が日本語文献のなかでは一番詳しいだろう。
関連文献は英訳されているので、岩波文庫で復刊された『賢者ナータン』とともに重要だ。
スピノザと批判哲学の相性は悪く、カントにとってスピノザは常に仮想敵だが、『オプス・ポストゥムム』ではスピノザへの接近が見られる(福谷茂の論考以外にこの遺稿の重要性を理解できている論文は見当たらない)。
岩波版新全集に所収されなかったのは本当に残念だ(監修の坂部恵氏の方針なのか?、経済的な問題なのか?)。
スピノザへの言及が多く含まれるカントの『オプス・ポストゥムム(遺稿集)』が邦訳されていない現在の日本はまだカントの批判哲学の文脈が支配的だが、これは哲学の実生活への影響力のなさを同時に意味する。日本ではカント研究が盛んで世界レベルにあると言う人もいるがこの現状を見る限りそうは言えないと思う。
物自体と超越論的仮象との混同を避けるためにも精査するべき遺稿なのだが、、、
さらにヤコービ及び汎神論論争に関してはヘーゲルが『ヘーゲル哲学史講義』(河出書房新社版だと下巻)でも少し触れている。


「プロメテウス」の詩の邦訳は以下で読める。
http://masatobariton.blog85.fc2.com/blog-entry-119.html
原詩↓
http://www.freeinquiry.com/prometheus.html


音声↓は、ヴォルフ作曲、ハンス・ホッター歌唱の「プロメテウス」。
13 Prometheus.mp3


Prometheus プロメテウス   詩:ゲーテ  日本語訳:井上雅人

Bedecke deinen Himmel, Zeus,
Mit Wolkendunst
Und übe, dem Knaben gleich,
Der Disteln köpft,
An Eichen dich und Bergeshöhn;
Mußt mir meine Erde
Doch lassen stehn
Und meine Hütte, die du nicht gebaut,
Und meinen Herd,
Um dessen Glut
Du mich beneidest.

おまえの空を覆うがいい、ゼウスよ 
そしておまえの力を試してみろ
薊の花の首をちぎる子供のように 
おまえの樫の木のそばで、山の頂で!
だが おれの大地はそのままにしておくのだ
おまえが建てたのではない 俺の小屋も
そして その炎のためにおまえが妬んでいる このおれの竃も

(略)

Hier sitz ich, forme Menschen
Nach meinem Bilde,
Ein Geschlecht, das mir gleich sei,
Zu leiden, zu weinen,
Zu genießen und zu freuen sich,
Und dein nich zu achten,
Wie ich!

おれはここに座り おれの姿をかたどり 人間をつくる
おれと同じような種族を
悩み、泣き、楽しみ、喜び、
そして おまえを敬ったりしない者を
おれと同じように!

Johann Wolfgang von Goethe, 1773


追記:
プルードンやシェリーなどの使用例をみると、西欧ではプロメテウスは反抗のシンボルなのだろうか?それはそれでかまわないがゲーテの詩はスピノザ理解には適当でないかもしれない。 

参考:

http://ntaki.net/di/In/goya_8.htm
ヤコービ『スピノザ書簡』からの引用


http://ntaki.net/di/In/goya_8.htm
a) 伊坂青司氏「有限と無限――あるいはヤコービとヘーゲル」の第2節「ヤコービと『汎神論論争』」(『叢書ドイツ観念論との対話 第5巻』所収、ミネルヴァ書房、1994年)
b) 栗原隆氏「IV ヤコービ/ヘルダー」(『哲学の歴史 第7巻 理性の劇場』所収、中央公論新社、2007年)

  拙訳(LS, S. 54/* 22-23)

 [以下は、ヤコービのメンデルスゾーン宛の手紙(1783年9月4日)からの抜粋です。レッシングと私(ヤコービ)の会話を、メンデルスゾーンに報告しています。] 
レッシング:神性についての正統派的な考えは、もう私には関係ないものです。そうした考えには、満足できないのです。「ヘン・カイ・パン [一にして全。一即全]」、これしか私は知りません。この [ヤコービが持ってきた] 詩も、またそこへと向かっていますね。この詩は大変気に入ったと、白状せざるをえません。
私:では、あなたはスピノザに、かなり同意できるのかもしれませんね。
レッシング:私が誰かの信奉者ということでしたら、彼以外にいません。
私:私もスピノザは、素晴らしいと思います。しかし、私たちは彼に無い物ねだりをしがちです。
レッシング:ええ、もしそう言いたいのであれば・・・だが・・・よりいいものがあるでしょうか? [省略は原文]

● 『哲学の歴史 第7巻』230-231ページでの引用
  拙訳(LS, S. 55-57/* 23-25)

 [以下は、ヤコービのメンデルスゾーン宛の手紙(1783年9月4日)からの抜粋です。レッシングとヤコービ(私)のやりとりを報告しています。] 
 翌朝、私は朝食をとった後、服を着るために自室へ戻りました。しばらくして、レッシングがやって来たのです。私がすわって髪を整えさせていたので、その間レッシングは、部屋の片隅の机に静かに体をもたせていました。私たち2人だけになり、レッシングが体をもたせている机の別の側に私がすわると、彼は語りだしました:
「私が来たのは、あなたに私の信じる『ヘン・カイ・パン』について、お話ししたいためです。昨日は、あなたは驚かれたことでしょう」。

私:あなたにはビックリさせられました。さぞかし青ざめたり赤くなったりしたことでしょう。困惑してしまったものですから。でも恐慌をきたしたわけではないのです(注1)。まさかあなたがスピノザ主義者、つまり汎神論者だったとは、思いもよりませんでした。しかも、あっさりとそう打ち明けられたものですから。私がここにやって来たのは、およそあなたからスピノザに抗するための援助を、得るためだったの
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_6805.html


http://ntaki.net/di/In/goya_8.htm
ヤコービ『スピノザ書簡』からの引用


http://ntaki.net/di/In/goya_8.htm
a) 伊坂青司氏「有限と無限――あるいはヤコービとヘーゲル」の第2節「ヤコービと『汎神論論争』」(『叢書ドイツ観念論との対話 第5巻』所収、ミネルヴァ書房、1994年)
b) 栗原隆氏「IV ヤコービ/ヘルダー」(『哲学の歴史 第7巻 理性の劇場』所収、中央公論新社、2007年)

  拙訳(LS, S. 54/* 22-23)

 [以下は、ヤコービのメンデルスゾーン宛の手紙(1783年9月4日)からの抜粋です。レッシングと私(ヤコービ)の会話を、メンデルスゾーンに報告しています。] 
レッシング:神性についての正統派的な考えは、もう私には関係ないものです。そうした考えには、満足できないのです。「ヘン・カイ・パン [一にして全。一即全]」、これしか私は知りません。この [ヤコービが持ってきた] 詩も、またそこへと向かっていますね。この詩は大変気に入ったと、白状せざるをえません。
私:では、あなたはスピノザに、かなり同意できるのかもしれませんね。
レッシング:私が誰かの信奉者ということでしたら、彼以外にいません。
私:私もスピノザは、素晴らしいと思います。しかし、私たちは彼に無い物ねだりをしがちです。
レッシング:ええ、もしそう言いたいのであれば・・・だが・・・よりいいものがあるでしょうか? [省略は原文]

● 『哲学の歴史 第7巻』230-231ページでの引用
  拙訳(LS, S. 55-57/* 23-25)

 [以下は、ヤコービのメンデルスゾーン宛の手紙(1783年9月4日)からの抜粋です。レッシングとヤコービ(私)のやりとりを報告しています。] 
 翌朝、私は朝食をとった後、服を着るために自室へ戻りました。しばらくして、レッシングがやって来たのです。私がすわって髪を整えさせていたので、その間レッシングは、部屋の片隅の机に静かに体をもたせていました。私たち2人だけになり、レッシングが体をもたせている机の別の側に私がすわると、彼は語りだしました:
「私が来たのは、あなたに私の信じる『ヘン・カイ・パン』について、お話ししたいためです。昨日は、あなたは驚かれたことでしょう」。

私:あなたにはビックリさせられました。さぞかし青ざめたり赤くなったりしたことでしょう。困惑してしまったものですから。でも恐慌をきたしたわけではないのです(注1)。まさかあなたがスピノザ主義者、つまり汎神論者だったとは、思いもよりませんでした。しかも、あっさりとそう打ち明けられたものですから。私がここにやって来たのは、およそあなたからスピノザに抗するための援助を、得るためだったのです。

レッシング:では、あなたはスピノザのことを知っているのですね?

私:彼をよく知る数少い一人だと、思っています。

レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。

私:そうかも知れません。決定論者は、自説を貫こうとすれば、宿命論者にならざるをえないのですからね。その後は、自余の問題もおのづと片付こうというものです。(注2)

レッシング:私たちは分かり合えるようですね。あなたがスピノザ主義の根本思想と考えているものを、ますますお聞きしたくなりました。ここでスピノザ主義というのは、スピノザ自身が考えていたもののことですが。

私:彼の根本思想は、おそらく古語にいう「無からは何も生ぜず(a nihilo nihil fit)」だと思います。スピノザは、カバラ哲学者達や彼以前の哲学者達よりも、より抽象的な考え方でもって [nach abgezogenern Begriffen] この古語を考察したのです。この考え方によって、彼が見出したのは、「無限なもののうちに何かが生じるときには、その何かをいかように表現したところで、何かが無から措定されてしまう。また、無限なもののうちに何らかの変化が起きるときも、同様である」ということでした。
 したがってスピノザは、無限なものから有限なものへのいかなる移行も退けたのです。一般的にすべての移行原因 [Causas transitorias] を、それが2次的なもの [secundarias] であろうと遠隔的なもの [remotas] であろうと、退けました。そして彼は、ただ内在的な「神」 [Ensoph, エンソーフ。カバラ主義における無窮の神(英和辞典『リーダーズプラス』)] を、流出するものの代わりに措定したのでした。つまり世界の、内在的にして自らのうちで永遠に変わることなき1つの原因を、措定したのです。この原因は、そのすべての結果ともどもに――、一つの同じものなのでしょう。・・・ [省略記号は原文]
 この内在的で無限な原因そのものは、明らかなことですが、悟性をも意思をも持っていません。なぜならこの原因は、その超越論的一性 [Einheit] と一様な絶対的無限性によって、思考と意欲のいかなる対象も持ちえないからです。それにまた、
・概念 [の存在] 以前の概念を生みだす能力とか、あるいは、
・その概念が対象とするもの以前に存する概念、つまり、自ら自身だけが原因となって [対象が原因となったのではなく] 生じたような概念――こうした概念を生みだす能力とかは、
・意欲に働きかけて、全く自らを規定する意思同様、
まったく馬鹿げたことだからです。
ゴットホルト・エフライム・レッシングGotthold Ephraim Lessing1729年1月22日 - 1781年 2月15日)は、ドイツ詩人劇作家思想家批評家。ドイツ啓蒙思想の代表的な人物であり、フランス古典主義からの解放を目指し、ドイツ文学のその後のあり方を決めた人物である。その活動は、ゲーテシラーカントヤコービハーマンヘルダーメンデルスゾーンなど当時のドイツ文学・思想に多大な影響を及ぼした。西洋近代の転生説を最初に明記した人物と言われており[1]、この転生思想は現代日本への影響も大きい。
ゴットホルト・エフライム・レッシング
Gotthold Ephraim Lessing.PNG
レッシングの肖像
誕生1729年1月22日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国カメンツドイツ語版
死没1781年2月15日(52歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国ブラウンシュヴァイク
職業詩人劇作家思想家批評家
言語ドイツ語
国籍神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
代表作賢者ナータン』、『ラオコオン』、『ハンブルク演劇論
デビュー作『若い学者』
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また彼の死後、文学・哲学界でいわゆる「スピノザ論争」がおきた。
  • 「ユダヤ人」(Die Juden)(1749)
  • 「フライガイスト」(Der Freigeist)(1749)
  • 「フィロータス」(Philotas)(1759)
  • 「ミス=サラ=サンプソン」(Miß Sara Sampson」(1755)
  • 「寓話集」(Fabeln)(1759)
  • ラオコオン」(Laokoon)(1766)
  • 「ミンナ・フォン・バルンヘルム」(Minna von Barnhelm)(1767)
  • 「ハンブルク演劇論」(Hamburgische Dramaturgie)(1767-1769)著作。
  • 「エミリア・ガロッティ」(Emilia Galotti)(1772)
  • 「反ゲーツェ」(Anti-Goeze)(1778)
  • 賢者ナータン」(Nathan der Weise)(1779)
  • 「エルンストとファルク」(Ernst und Falk)(1778)著作。
  • 「人類の教育」(Die Erziehung des Menschengeschlechts)(1780)著作。西洋近代の転生思想について書かれている。

日本語訳編集

  • 賢者ナータン 附・人類の教育 大庭米治郎訳.岩波書店,1920
    • 賢者ナータン 大庭米治郎訳.岩波文庫,1927
    • 賢人ナータン 浅井真男訳.日本評論社,1948.世界古典文庫
    • 賢人ナータン 篠田英雄訳.岩波文庫,1958.復刊1978
  • ラオコオン 柳田泉訳.杜翁全集刊行会,1922
    • ラオコオン 高橋義孝,呉茂一訳.筑摩書房,1942
    • ラオコオン 絵画と詩歌の限界について 桜井和市訳.生活社,1948
    • ラオコオン 絵画と文学との限界について 斎藤栄治訳.岩波文庫,1970.復刊1991
  • エミーリア・ガロツテイ 悲劇 野村行一訳.岩波書店,1924
    • エミリア・ガロッティ 他2篇 野島正城 等訳.日本評論社,1949.世界古典文庫
  • ミス サラ・サムプソン 悲劇 野村行一訳.岩波書店,1924
    • エミーリア・ガロッティ、ミス・サラ・サンプソン 田邊玲子訳.岩波文庫,2006.12
  • レッシング名作集 白水社,1972
    • ミス・サーラー・サンプソン(有川貫太郎訳) ミンナ・フォン・バルンヘルム/賢者ナータン(浜川祥枝訳)エミーリア・ガロッティ(南大路振一訳)
  • ミンナ・フォン・バルンヘルム 喜劇 野村行一訳.岩波書店,1926.独逸文学叢書
    • ミンナ・フォン・バルンヘルム、エミリア・ガロッティ 関口存男訳 近代社,1928.(世界戯曲全集 第12巻独墺篇 2)
    • ミンナ・フオン・バルンヘルム 井上正蔵訳.日本評論社,1949.世界古典文庫
    • ミンナ・フォン・バルンヘルム 小宮曠三訳.岩波文庫,1962.復刊1994
  • 教育と啓示 人類の教育 清水清訳.玉川学園出版部,1932.玉川文庫
  • 寓話と寓話論 中川良夫訳.八雲書店,1947
  • 寓話 山下肇訳.日本評論社,1949.世界古典文庫
  • 人類の教育 西村貞二訳.創元社,1949.哲学叢書
  • ハンブルク演劇論 奥住綱男訳.玄海出版社,1953/現代思潮社,1972.古典文庫(上下)
    • ハンブルク演劇論 南大路振一訳.鳥影社・ロゴス企画部,2003.10
  • エルンストとファルク 人類の教育 ヨハネのテスタメント(有川貫太郎訳) 講談社,1976(世界文学全集 17)
  • 理性とキリスト教 レッシング哲学・神学論文集 谷口郁夫訳.新地書房,1987.1

日本語研究書編集

  • レッシング 仁科武光 弘文堂書房,1940.教養文庫
  • レッシング伝説 第1-2部 F.メーリング 小森潔,富田弘,戸谷修共訳.風媒社,1968-71
  • 啓蒙時代のドイツ演劇 レッシングとその時代 永野藤夫 東洋出版,1978.6
  • 市民悲劇「エミーリア・ガロッティ」の周辺 奥住綱男 近代文芸社 1993.3.
  • 安酸敏真『レッシングとドイツ啓蒙 : レッシング宗教哲学の研究』(創文社、1998)
  • 渡邉直樹『レッシング 啓蒙精神の文芸と批評』(同学社、2002)
  • 南大路振一ほか『ドイツ市民劇研究』(三修社)

脚注編集

  1. ^ フレデリック・ルノワール 著 『仏教と西洋の出会い』 今枝由郎・富樫瓔子 訳、トランスビュー、2010年。
  2. ^ なお混同しやすいがドイツ屈指の文豪ヨハン・ヴォルフガンク・フォン・ゲーテとはまったくの別人である。

汎神論論争(はんしんろんろんそう、Pantheismusstreit)とは、18世紀後半にドイツで起きたスピノザの哲学をどう受け入れるかという一連の論争のことを言う。したがって、この出来事をスピノザ論争ともいう。
この論争には、劇作家のレッシング・哲学者モーゼス・メンデルスゾーン、哲学者ヤコービといった当時のドイツを代表する学者のほか、カントゲーテヘルダーも言及するなど当時の知識人も注目した論争であった。

経緯編集

スピノザの「神即自然」(deus sive natura)という思想は、当時のキリスト教から無神論のレッテルを貼られ、主著『エチカ』(Ethica)は、長い間人々の目に触れることはなかった。そして、長らく「スピノザ的」という表現をした場合、それは無神論であり、一種のタブーとされてきた。これらにより、長らくスピノザの哲学は忘れられていた。したがって、当時のドイツにおいてのスピノザ研究の水準はかなり低く、ほとんど知られていない。また、研究するにしても無神論と危険視されていたため、「果敢」に取り組む必要があった(なかでも、ゲーテやカントは「果敢」に挑もうとした人物である)。
そのような中で、ドイツの劇作家レッシングが、彼の作品である『賢者ナータン』や著『人類の教育』において、個々の宗教の教義を超越し、普遍の地平に到達すべきである、というこの論争の火種になるような考えを示し、また晩年には「自分はスピノザ主義者かもしれない」と述べたことに、この論争は端を発する(厳密に言えば、ゲーテの「プロメテウス」の詩をヤコービとの対談の中で、「これは私の立場と同じです」と述べたことである)。
レッシングは1781年に死去したが、2年後の1783年に、ヤコービは、レッシングの親友であり哲学者のメンデルスゾーンがレッシングについての著述をする事を知る。そしてメンデルスゾーンに、「レッシングが晩年スピノザ主義であったことを知っているか」という質問を、知人であるエリーゼ・ライマールスを介して書簡において質問する。メンデルスゾーンは、レッシングとはしばらく音信不通であったので、この事は知らなかった。逆に、メンデルスゾーンがヤコービに、なぜレッシングはこのような見解に至ったのかと問い合わせをして来たのである。
メンデルスゾーンは、当時の一般のスピノザの哲学に対する考え方とは異なり、スピノザの『エチカ』に対し、さほど非合理なものでもなく、優れている部分もあると考えていた。また、レッシングだけひとりスピノザ主義者と呼ぶことにも疑問を持っていた。これらに答えるべく、ヤコービはメンデルスゾーンに対して書簡を送り、スピノザ主義に対する見解やレッシングとの対話の内容を明らかにした。これを明らかにしたことにより、ヤコービとメンデルスゾーンとの間でスピノザ哲学のあり方について論争(主に書簡でのやり取り。このころの書簡は、現在のようなメディアが発達していない情勢の中のものなので、その内容は公開されることも多かったし、著作や大学での講義と同等の影響力を持っていた)となるのであった。
その翌年(1784年)、メンデルスゾーンはヤコービのスピノザ主義に対しての批判として"Erinnerungen"(回想録)というタイトルの論文を送った。そこには、スピノザ主義に対する批判、およびヤコービのスピノザに対する理解の批判が記されてあった。だがヤコービによれば、メンデルスゾーンはこの論文において、スピノザへの理解が原典を通じてではない間接的なものであり(当時の研究事情からすれば、それは仕方がないことでもある)、また、レッシングとの対話の内容も理解できておらず、誤解だらけであったとしている。メンデルスゾーンがスピノザ主義の何たるかを十分理解できていない以上、水掛け論になるとして、かつてヤコービがハーグ在住の親友、ヘンムスターホイス宛てに送った論文(フランス語)をメンデルスゾーンにも送った。
1785年になり、メンデルスゾーンはヤコービに対して、先の『回想録』の返答を得られていないと手紙で言う。ヤコービは、その返答としてヘンムスターホイス宛ての論文を見てもらうことが、現段階でのメンデルスゾーンのスピノザ理解を考慮すれば最善と思っていた。そこで改めて、「私にとってはただ傍観する回想録」という名前の手紙をメンデルスゾーンに送った。そこで、ヤコービとメンデルスゾーンのスピノザ主義に対する理解が一致しないのは、メンデルスゾーンの理解不足が原因だと主張した。
しかし、その後しばらくメンデルスゾーンから連絡はなかった。何ヶ月か経って書簡が届き、何ヶ月も回答をしなかった非礼と、最近まで無関係な論文を執筆していた旨を語る。しかし、ヤコービにその論文を読むことを期待していないし、送ってもこなかった(ただし、ヤコービは友人のハーマンを通じてすでにその論文の存在は知っていた)。さらに、かつての自身の「回想録」を紛失してしまったので、悪いがヤコービがまだ持っているならそれを私に送ってくれまいか、という申し入れもしてきた。加えて、ここでメンデルスゾーンは、ヤコービのスピノザに対する論文ですら理解できなかった、と吐露している。次の機会にはヤコービの評価を得られるような著作をするから、今回の件はその時期から始めようとさえ言ってきた。
このような身勝手な振る舞いはヤコービの怒りを買い、ヤコービはメンデルスゾーンの許可なくして往復書簡を公開するに至った。これには「スピノザの教説について」というタイトルが付された。1785年1月28日であった。この公開を機に、カントやハーマン、ヘルダーやゲーテが目をつけ、一大論争となった。メンデルスゾーンはさらに反論として「レッシングの友人たちへ」という内容の著作を書き、ヤコービも「メンデルスゾーンの告発に抗して」と互いに反論しあったが、メンデルスゾーンの『レッシングの友人たちへ』という内容の著の公刊を前に、メンデルスゾーンが死去したため、この論争は終わる形となった。

汎神論論争がもたらしたもの編集

汎神論論争の帰結は、それまで無神論としてタブー視されてきたスピノザ哲学が一気に花開いたこと、つまりスピノザの哲学が、無神論ではなく汎神論的であったとして、一つの哲学として認められたことであろう。そしてこれは、自然を生命に充ちた統一として崇めるドイツロマン主義の成立を促した。ドイツロマン主義の哲学者、シェリングヘーゲル(彼らはドイツ観念論の代表でもあったが)といった人物にも大きな影響を及ぼしたのである。
なお、この論争の14年後にフィヒテのイェナ追放をめぐる無神論論争が勃発するが、これもフィヒテの汎神論的な発想に端を発しており、汎神論論争と同様、スピノザ的汎神論の考えが伏線にあるものといわれている。

関連項目編集



☆☆☆

フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービの肖像
フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ(Friedrich Heinrich Jacobi, 1743年1月25日 - 1819年3月19日)は、ドイツ思想家著作家。自らは「非哲学(Nichtphilosophie)」の立場を唱道し、人間の活動すべての基礎を、悟性的な論証によっては到達できない、私とともに神的人格が「ある!」ということの直接的な確信、すなわち「信(der Glaube)」のうちに求めた(したがって彼の立場はまた「信仰哲学(Glaubensphilosohie)」とも称される)。近年の研究によって、いわゆる「ゲーテ時代」におけるヤコービの主導性が認識されはじめている。

目次

生涯編集

1743年に、デュッセルドルフの裕福なドイツ系ユダヤ人の商人の次男として生まれた。1770年までは商人として生計を立てていた。1771年にベルク公国の宮廷メンバーとして迎えられた。そこでは、財政への知識と社会改革への熱意からしだいに著名になっていった。
ヤーコビは、常に哲学文学への関心を持ち続けていた。兄で詩人のヨハン・ゲオルク・ヤコービを介して、ドイツの詩人ヴィーラントとともに文学雑誌を刊行し、名を轟かす。当時の学者層とも知り合いが多く、レッシングハーマンヘルダーゲーテなどとは親交が深かった。
ヤーコビは文才があることでも知られ、彼の美文に惹かれた者が多かった。1785年のスピノザ論争を契機に哲学の論壇に登場する。1794年にはフランス革命軍がデュッセルドルフに襲来したため、同地を去り、その後はハンブルクなどに在住した。1804年にミュンヘン学士院に哲学教授として招聘される。1807年から1812年まではバイエルン学士院の長を務めた。

思想編集

ヤコービの哲学的業績は、カント哲学に対する論駁と、フィヒテシェリングドイツ観念論の哲学に対する論争にある。ヤコービの手法は自らの哲学的な体系をポジティブに主張するのではなく、「非哲学」として、論争相手となる哲学体系の内部に沈潜し、その根柢に潜む非理性的なもの、合理的根拠の不在を指摘する、というものであった(『スピノザ書簡』第三版「序文」参照)。しばしば彼の用いる術語について、それらの厳密さの欠如が指摘されるが、そのことはヤコービの思想の根本に論証的な合理性への不信がある、ということにも起因しているわけである。
ヤコービによると「信仰(Glauben)こそがあらゆる認識のエレメント」であるという。悟性による「論証」では、超感性的な対象(とりわけ神)を把握することはできない。しかし人間の精神、人間の理性は、論弁的な部分と並んで、超感性的、超自然的なものを直接的に受容する能力を備えている。それによって、人間はなにかしらが「ある!」という事実を感情的に感得することができる。スピノザに代表されるすべての思弁的論証(それがヤコービの言う「哲学」である)は、論理の「媒介[要曖昧さ回避](Vermittlung)」の体系的な網目を循環しているだけであり、その体系を根底において支え保持している超感性的なものを捉えることができない。それは第一次的な「存在」の直接的把握である「信仰」の契機を忘却しているからである。したがってヤコービによればそれは、すなわち「スピノザ主義」としての「哲学」は、「無神論」に等しい。
「信仰」としての、「存在」の根源的受容は、ヤコービによれば受動的なものではなく、同時に「精神」の自発的な活動によってなされる「取り入れ」である。この「精神」の活動こそ、理論的論証も含めたすべての人間の活動を基礎づけるべきものである。したがってヤコービの「非哲学」は、単なるロマン主義的な非合理性を主張するだけでのものではなく、「悟性」および「理性」の根源を徹底して志向するものであったと言える。
ただ、その根源はそれ自体理性的なものではない。それゆえ、理性的な仕方でその存在と根拠とが説得的に説明されうるものではない。このことから、ヤコービは論証に依らない「信仰」の立場へと立ち還ることが、一種の「飛躍(Sprung)」ないし「死の跳躍(salto mortale)」によってのみ可能であることを認めている。
以上は『スピノザ書簡』およびその第2版に付された第7付録参照。

汎神論論争(スピノザ論争)編集

ヤコービが直接与えた影響としては、モーゼス・メンデルスゾーンなどとによるスピノザ論争がある。1785年『スピノザの学説に関するモーゼス・メンデルスゾーン氏宛書簡』を出版してからは、カント、ハーマン、ヘルダー、ゲーテらが論争に加わった。

カントに対する批判編集

有名な「物自体」批判については『ヒューム論』(1787年)の末尾に付された「超越論的観念論について」参照。

無神論論争編集

汎神論論争ののち、14年後の1799年にはヨハン・ゴットリープ・フィヒテのイェナ追放を巡り、無神論論争が起こった。このときヤコービはフィヒテと思想を異にしつつも、不当な追放を非難し、フィヒテを弁護した。なお、このやり取りの中でフィヒテの考えがニヒリズム(Nihilismus)であるということを指摘した。ドイツ語でのこれが、ニヒリズムという用語の哲学的な使用としての起源である、というのが通説である。因みに、1733年にFriedrich Lebrecht Goetzがこの語をラテン語で原子論批判の文脈で既に用いている。
ヤコービによれば、絶対的な自我からすべてを導出しようと試みるフィヒテの一元論的体系は、自我のほかに実在性の根拠を持たない。ヤコービはここから自我の無根拠性を見てとり、無の上に自我の有を接合するフィヒテの思想を「キメラ主義」ないしは、「無を意志する無」のみを根源とする「ニヒリズム」であると規定した。
ヤコービにとって、それはまた、絶対的実体の一元論を主張するスピノザ主義と変わるところがない。スピノザ主義もまたその意味で「ニヒリズム」であり、フィヒテ主義は「転倒したスピノザ主義」にほかならない(ヤコービの思考法によればそれは「無神論」と同じ意味である)。これらの論理的体系が帰結するところの空虚さを克服するためには、ヤコービ曰く、「飛躍」によって「信仰の立場」に立つよりほかはないのである。
1799年「フィヒテ宛書簡」参照。

神の事柄をめぐる論争編集

1811年『神の事柄とその啓示について』におけるヤコービのシェリング同一哲学批判と、翌年1812年におけるシェリングの『ヤコービ氏の著作神の事柄についての記念碑』における反論を直接的には指示する。この論争は先行する汎神論論争、無神論論争とも密接に関連し、19世紀前半を支配した宗教哲学をめぐる問題点を表立たせるとともに、それらを総括する意味合いをも持っている。
論争の間接的な火種は、シェリングの影響下でヘーゲルが1802年に発表した論文「信仰と知」にある。それに対して、ヤコービは『ケッペン宛三書簡』で応答してはいたが、1803年それまでシェリング側に立っていたエッシェンマイアーが『哲学の非哲学への移行』を書いてヤコービ側にシフト、「無限者から有限者への移行」の不可能性という論点のもとで、シェリングの同一哲学を批判した。それに応戦する形でシェリングは1804年に『哲学と宗教』を執筆、1809年の『人間的自由の本質』にまでつながる見解(悪の問題や堕落)を用意した。
この展開を1811年のヤコービがどの程度ふまえていたかは問題である。というのもヤコービのシェリング批判は『自由論』で展開された哲学というよりも、おもに彼の同一哲学に向けられていたからである。

影響編集

ヤコービの文筆活動は論争的でまた時局あるいは状況に即した領域で行われ、1800年前後のドイツの思想界・論壇に影響を与えた。ヤコービの思想は、体系付けられたものではなく、主に手紙でのやり取りや、講義などによるものが多く、哲学的というよりは、むしろ文学的な体裁でまとめられているのが特徴である。この時代に活躍した哲学・文学者の著作によって、ヤコービについて言及されている箇所は幾度も散見できる。ちなみに、著作集は全部で6巻であり、生前自身の手によって編集されたものである。
また20歳の学生だったヘーゲルはヘルダーリンとともに『スピノザ書簡』を読み、1791年2月12日のノートには汎神論論争のスローガンでもあった「ヘン・カイ・パーン(一にして全)」と書き付けている[1]
19、20世紀の間の世紀転換期においてヤコービ研究が多く出版されるが、社会学、人類学の研究に移る前のレヴィ=ブリュルによる『ヤコービの哲学』(1894年)もその中のひとつである。
1933年、ディルタイの弟子であるボルノウが『F.H.ヤコービの生の哲学』を書き、ヤコービが「生の哲学」の先駆として再発見された。ボルノウの研究は20世紀ヤコービ研究の原動力となった。

主な作品編集

哲学的著作、書簡:
  • 『スピノザの教説について』(Über die Lehre des Spinoza, in Briefen an Mendelssohn, 1785, 1789, 1819。田中光による翻訳が雑誌『モルフォロギア』(ゲーテ自然科学の集い編)に掲載されている。目下継続中)
  • 『デビット・ヒュームの信について』(David Hume über den Glauben, oder Idealismus und Realismus, 1787。栗原隆・阿部ふく子・福島健太による一部翻訳が新潟大学人文学部哲学・人間学研究会編『世界の視点――知のトポス』、第六号、2010年に掲載されている)
  • 『フィヒテへの手紙』(Sendschreiben an Fichte, 1799)
  • 『理性を悟性へともたらそうとする批判哲学の企てについて』(Über das Unternehmen des Kritizismus, die Vernunft zu Verstand zu bringen, 1801)
  • 『ケッペン宛三書簡』(drei Briefen an Köppen, 1803)
  • 『学者社会とその精神、目的について』(Über gelehrte Gesellschaften, ihren Geist und Zweck, 1807)
  • 『神の事柄とその啓示について』(Von den göttlichen Dingen und ihrer Offenbarung, 1811)
小説:
  • 『アルヴィル』(Eduard Allwills Briefsammelung, 1781)
  • 『ヴォルデマール』(Woldemar, 1779)
なお、1998年以降、新しい全集がマイナー社から刊行中である。

脚注編集

  1. ^ 笹澤豊「ヘーゲルとヤコービ:スピノザ主義の問題を巡って」『講座 ドイツ観念論』5巻(弘文堂、1990年)所収

外部リンク編集






96 件のコメント:

  1. スピノザの学説に関する書簡
    著者名等 
    F.H.ヤコービ/著  ≪再検索≫
    著者名等 
    田中光/訳  ≪再検索≫
    著者等紹介
    【田中光】1948年長野県生まれ。東京都立大学人文学部卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科独文学専攻修士課程修了。現在日本大学文理学部非常勤講師。研究領域:ゲーテとその時代の思想。〔論文〕「ゲーテの「タウリスのイフィゲーニエ」についての一考察」など。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
    出版者  
    知泉書館
    出版年  
    2018.4
    大きさ等 
    22cm 431,49p
    NDC分類
    135.2
    件名   
    スピノザ,バルーフ・ド
    内容   
    1785年に刊行され、ヘーゲルなどに大きな影響を与え、カント、ゲーテをはじめドイツ思想界を巻き込んだ「汎神論論争(スピノザ論争)」発端の書。巻末には訳者によるヤコービの紹介と年譜、『スピノザ書簡』各版の異同情報を付す。
    ISBN等
    4-86285-273-4
    ISBN等
    978-4-86285-273-1
    書誌番号 
    3-0500597247

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  2. 近代から現代へ至る思想の見取り図:


             [個人の内面]
              キルケゴール
             (主体的実存)
               /|
              / | 
             /  |   
      [現代思想]/   |     [近代主観主義]
       ニーチェ↙︎←___|_____ ヘーゲル
      (神の死)↖︎    |     (絶対精神)
            \   |   
             \  | 
              \ | 
               \|
              [社会の現実]
               マルクス
              (共産主義社会)

    上記はK・レーヴィットの論考の小川圭治による図解(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    小川はカール・バルトの翻訳で知られる。
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
    [現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い]

    返信削除
  3. 《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。片や感激のことば
    にかけては尽きるところを知らぬ名スポークスマンが観察者としてひかえ、対するに教義上の試験を
    される老獪なるレッシング。ヤコービは、レッシングの信仰がそもそもいかなる状態にあるかを、精
    査すべき役割を負っているのだ。その結果は? 審査官は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ
    主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札
    をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集7,181頁

    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき (1968年)
    出版社: 白水社 (1968)

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  4. 資本論1:3:2
    第3章 第2節 流通手段 A 商品の変態
    第九段落
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで言ったように、
    商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。社会的分業は彼の労働を一面的にするとともに、彼の欲望を多面的にして
    いる。それだからこそ、彼にとって彼の生産物はただ交換価値としてのみ役だつのである。しかし、彼の生産物はただ
    貨幣においてのみ一般的な社会的に認められた等価形態を受け取るのであり、しかもその貨幣は他人のポケットにある。
    それを引き出すためには、商品はなによりもまず貨幣所有者にとっての使用価値でなければならず、したがって、
    商品に支出された労働は社会的に有用な形態で支出されなければならない。言いかえれば、その労働は社会的総
    労働の一環として実証されなければならない。しかし、分業は一つの自然発生的な生産有機体であって、その繊維
    は商品生産者達の背後で織られたものであり、また絶えず織られているのである。》

    返信削除
  5. 実験という言葉を地域通貨に使うのは不遜だが
    川越などの実験経済学は被験者を尊重するものだ
    そこで画期的な成果が上がっている

    それはジャレドなどが使う比喩としての実験ではない

    返信削除
  6. 世界史の実験冒頭で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが


    近代から現代へ至る思想の見取り図:


             [個人の内面]
              キルケゴール
             (主体的実存)
               /|
              / | 
             /  |   
      [現代思想]/   |     [近代主観主義]
       ニーチェ↙︎←___|_____ ヘーゲル
      (神の死)↖︎    |     (絶対精神)
            \   |   
             \  | 
              \ | 
               \|
              [社会の現実]
               マルクス
              (共産主義社会)

    上記はK・レーヴィットの論考の小川圭治による図解(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    小川はカール・バルトの翻訳で知られる。
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
    [現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い]

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  7. キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる

    柄谷行人は言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている
    ヘーゲルに関しては言わずもがな

    カントを解体すればスピノザしか残らない

    返信削除

  8. 世界史の実験冒頭で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、


    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg


    上記はK・レーヴィットの論考の小川圭治による図解(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    小川はカール・バルトの翻訳で知られる。


    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する

    思考が表れるというのが興味深い。



    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交

    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。

    …審査官[ヤコービ[は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ
    主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札
    をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき
    出版社: 白水社 (1968)181頁


    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで言ったように、
    商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論1:3:2

    第3章 第2節 流通手段 A 商品の変態 第九段落

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる
    柄谷行人は言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている
    ヘーゲルに関しては言わずもがな
    カントを解体すればスピノザしか残らない

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。
    スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231ページでの引用より

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  9. 世界史の実験冒頭で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg

    上記はK・レーヴィットの論考の小川圭治による図解(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    小川はカール・バルトの翻訳で知られる。

    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。
    …審査官[ヤコービ[は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ
    主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札
    をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで言ったように、
    商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論1:3:2 第3章 第2節 流通手段 A 商品の変態 第九段落

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる
    柄谷行人は言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている
    ヘーゲルに関しては言わずもがな
    カントを解体すればスピノザしか残らない

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。
    スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より

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  10. 世界史の実験冒頭で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg

    上記はK・レーヴィットの論考の小川圭治による図解(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    小川はカール・バルトの翻訳で知られる。

    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。
    スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より


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  11. 世界史の実験冒頭で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
    上記はK・レーヴィットの論考の小川圭治による図解(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    小川はカール・バルトの翻訳で知られる。

    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    キルケゴール:
    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    マルクス:
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より

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  12. 世界史の実験冒頭(6~7頁)で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
    上記はK・レーヴィットの論考の小川圭治による図解(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    小川はカール・バルトの翻訳で知られる。

    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    キルケゴール:
    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    マルクス:
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より

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  13. ただし図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    マルクス物体、キルケゴール身体と捉えるなら
    デカルト的精神の優位を誤解させないためにも


    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『世界史の実験』97頁参照)

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  14. 世界史の実験冒頭(6~7頁)で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
    上記はK・レーヴィットの論考の小川圭治による図解(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    小川はカール・バルトの翻訳で知られる。

    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    キルケゴール:
    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    マルクス:
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より

    ただし図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    マルクス物体、キルケゴール身体と捉えるなら。デカルト的精神の優位を誤解させないためにも

    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『世界史の実験』97頁参照)

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  15. カない
    のみならず、
    廃棄されてしまいます
     ちなみに、ヘーゲルの観念論的な哲学は、精神による「生産」活動をとらえたものですが
    ここには他者との「交換」という契機が欠落しています。それは、マルクスのようにヘーゲル
    哲学を単に"唯物論的に転倒しても出てこない。せいぜい弁証法的唯物論と称する観念論に
    なるだけです。ヘーゲル哲学を真に「転倒」するためには、生産ではなく、交換という観点が
    必要なのです。その意味で、ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは
    『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。彼はいわば「交換」を重視したのです。例
    えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえない状態を「絶望
    --死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交
    換に失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキ
    ルケゴールは、同じ問題を考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。
     このような視点は、哲学にも経済学にも見出せなかった。だから、私はそれを文学評論とし
    て書いたのです。現在私は「生産様式から交換様式へ 世界史の構造』ということを唱えてい
    ますが、そのような考えの始まりはこの時期にあったといえます。要するに、私はマルクスに
    関して、人が見ようとしない何かを見ようとした。それが私のいう「マルクスその可能性の中
    心」です。
     一方、私は柳田国男についても、同じようなことをやったといえます。柳田国男の学問は、
    雑多な領域,文学、農政学、民俗学、人類学、宗教学、言語学などの多領域に及ぶ。それは体
    系的ではないし、体系化することも難しい。ゆえに、当時それは「柳田学」と呼ばれていまし
    た。そう名づけるほかなかったからです。それに対して、吉本隆明は、こう批判しました。
    《柳田国男の方法を、どこまでたどっても「抽象」というものの本質的な意味は、けっして生


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  16. 《…ヘーゲルの観念論的な哲学は、精神による「生産」活動をとらえたものですが
    ここには他者との「交換」という契機が欠落しています。それは、マルクスのようにヘーゲル
    哲学を単に"唯物論的に転倒しても出てこない。せいぜい弁証法的唯物論と称する観念論に
    なるだけです。ヘーゲル哲学を真に「転倒」するためには、生産ではなく、交換という観点が
    必要なのです。その意味で、ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、
    『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。彼はいわば「交換」を重視したのです。例
    えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえない状態を「絶望
    --死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交
    換に失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキ
    ルケゴールは、同じ問題を考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》
    世界史の実験6~7頁

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  17. 世界史の実験冒頭(6~7頁)で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
             [個人の内面]
              キルケゴール
             (主体的実存)
               /|
              / | 
             /  |   
      [現代思想]/   |     [近代主観主義]
       ニーチェ↙︎←___|_____ ヘーゲル
      (神の死)↖︎    |     (絶対精神)
            \   |   
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              [社会の現実]
               マルクス
              (共産主義社会)
    上記はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    キルケゴール:
    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    マルクス:
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より

    ただし図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『世界史の実験』97頁参照)

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  18. 世界史の実験冒頭(6~7頁)で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より

    ただし図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『世界史の実験』97頁参照)

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  19. 世界史の実験冒頭(6~7頁)で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より
    だから図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『世界史の実験』97頁参照)

    返信削除
  20. 《…ヘーゲルの観念論的な哲学は、精神による「生産」活動をとらえたものですが、ここには他者との「交換」と
    いう契機が欠落しています。それは、マルクスのようにヘーゲル哲学を単に“唯物論的に転倒”しても出てこない。
    せいぜい弁証法的唯物論と称する観念論になるだけです。ヘーゲル哲学を真に「転倒」するためには、生産では
    なく、交換という観点が必要なのです。その意味で、ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、
    『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰
    を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的
    にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにも
    かかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》
    世界史の実験6~7頁

    世界史の実験冒頭(6~7頁)で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より
    だから図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『世界史の実験』97頁参照)

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  21. 《…ヘーゲル哲学を真に「転倒」するためには、生産ではなく、交換という観点が必要なのです。その意味で、ヘーゲル
    哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。彼はいわば
    「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえない状態を
    「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に失敗した商品
    のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を考えていたといえる
    のです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁

    世界史の実験冒頭(6~7頁)で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より
    だから図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『世界史の実験』97頁参照)

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  22. 《…ヘーゲル哲学を真に「転倒」するためには、生産ではなく、交換という観点が必要なのです。その意味で、ヘーゲル
    哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。彼はいわば
    「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえない状態を
    「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に失敗した商品
    のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を考えていたといえる
    のです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁

    世界史の実験冒頭(6~7頁)で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より
    だから図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『世界史の実験』97頁参照)

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  23. 《…ヘーゲル哲学を真に「転倒」するためには、生産ではなく、交換という観点が必要なのです。その意味で、ヘーゲル
    哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。彼はいわば
    「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえない状態を
    「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に失敗した商品
    のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を考えていたといえる
    のです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁

    実験冒頭(6~7頁)で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s640/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より
    だから図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)

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  24. 《…ヘーゲル哲学を真に「転倒」するためには、生産ではなく、交換という観点が必要なのです。その意味で、
    ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁

    実験冒頭(6~7頁)で柄谷行人も似たような枠組みを提示しているが、
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する
    思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より
    だから図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)

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  25. 《…ヘーゲル哲学を真に「転倒」するためには、生産ではなく、交換という観点が必要なのです。その意味で、
    ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁

    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より
    だから図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)

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  26. マルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも

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  27. 《…ヘーゲル哲学を真に「転倒」するためには、生産ではなく、交換という観点が必要なのです。その意味で、
    ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁

    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より
    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)

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  28. 《…ヘーゲル哲学を真に「転倒」するためには、生産ではなく、交換という観点が必要なのです。その意味で、
    ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁(定本版隠喩としての建築225頁参照)

    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。

    《 レッシングとヤコービといったそれぞれに明確な個性の持主である二人の人物が、たがいに膝を交
    えて語り合っているその情景全体には、なにかきわめて詩的なものが感じられる。…審査官[ヤコービ[は、
    どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。そこで彼は感激家たる
    本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍(サルト・モルターレ)》 へ
    と踏みきるように勧めるのである。》
    キルケゴール著作集〈第7巻〉哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき 白水社 (1968)181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    マルクスもスピノザを抜き書きしていることが知られる。
    柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。ヘーゲルに関しては言わずもがな。
    カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。
    むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁より
    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)

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  29. 《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁(定本版隠喩としての建築225頁参照)

    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。

    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。マルクスもスピノザを
    抜き書きしていることが知られる。柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。
    ヘーゲルに関しては言わずもがな。カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁

    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)

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  30. 資本論1:4
    彼らはそれを意識していないが、そう行うのだ。
    (柄谷行人『内省と遡行』等で引用)


    新約ルカ
    …人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。
    23:34そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるの
    です」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。
    http://bible.salterrae.net/kougo/html/luke.html

    返信削除


  31. 資本論1:4
    彼らはそれを意識していないが、そう行うのだ。
    (柄谷行人『内省と遡行』等で引用)


    新約ルカ
    …人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。
    23:34そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるの
    です」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。
    http://bible.salterrae.net/kougo/html/luke.html


    キルケゴール17:93頁参照

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  32. アンチノミーを維持する事前の立場
    交換の立場は
    ヘーゲル体系の事後的立場と対立する


    柄谷行人はマルクスにそれを見たが
    厳密にはプルードンにそれはある

    キルケゴールは違う立場のレッシングにそれを見た

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  33. 経済学的には新古典派に柄谷行人はヘーゲル体系を「隠喩」として当てはめた
    新古典派なる言葉はケインズがマルクスの言葉を流用して当てはめて使ったものだ

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  34. ソクラテス的想起も逆の立場から資本主義への武器になる

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  35. アンチノミーを維持する事前の立場
    交換の立場は
    ヘーゲル体系の事後的立場と対立する


    柄谷行人はマルクスにそれを見たが
    厳密にはプルードンにそれはある

    キルケゴールは違う立場のレッシングにそれを見た


    経済学的には新古典派に柄谷行人はヘーゲル体系を「隠喩」として当てはめた
    新古典派なる言葉はケインズがマルクスの言葉を流用して当てはめて使ったものだ

    資本論1:4
    彼らはそれを意識していないが、そう行うのだ。
    (柄谷行人『内省と遡行』等で引用)

    新約ルカ
    …人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。
    23:34そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるの
    です」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。
    http://bible.salterrae.net/kougo/html/luke.html
    キルケゴール17:93頁参照

    ソクラテス的想起も逆の立場から資本主義への武器になる

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  36. 一般理論日本語版序文
    http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/27837/1/keieikeizai51_02_07.pdf
    川田論考
    いわば,ケインズにあっては,その表現と体裁にこそ差はあれリカアドとマーシャノレとの聞には一つの述綿たる文字通りの:i3i続があった,と考えられるのであるo斯くて,彼の有名な「古典派」なる定義が成立つ。日く,r U"古典派経済学者Jとは,リカアド及びジェームス・ミノレ並ひ、にその先行者達,リカアド経済学においてその頂点、に達した理論の建設者達を包括するために,マルクスによって発明された名称であるo私は,おそらく語法違反ではあろうが,たとえばJ・S・ミノレ,マーシャノレ,エッジワース及びピグー教授をも合めたリカアドの追随者達,即ちリカアド経済学の理論を採用し完成した人達をもU"古典学派』の中へ包摂することを,習慣としているoJ ( r前掲書』訳3""'4頁)

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  37. 古典派の使用例最古は
    哲学の貧困2:1:7
    ?


    宿命論派経済学者があり、ブルジュワ自身が実践において、かれらが富を獲得することをたすけるプロレタリアの苦悩に無関心であるのとおなじく、かれらの理論においてかれらがブルジュワ的生産のふつごうとよぶところのものに対して無関心である。この宿命論学派のなかには古典派とロマン派とがある。古典派はアダム・スミスやリカードのように、なお封建社会の遺物とたたかいつつ、ただ経済関係から封建的汚点をふきとり、生産力を増大し、産業や商業に新しい飛躍をあたえることのみをつとめているブルジュワジーを代表する。この闘争にあずかるプロレタリアートは、この熱狂的な仕事に夢中になって、ただ一時的偶然的苦悩をもつにすぎず、み

    …ロマン派は、ブルジェワジーがプロレタリアートに直接対立し、貧困が富とおなじほど大量に産出される、現代に属する。



    ロマン派はシスモンディあたりを考えているのだろう

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  38. ケインズ一般理論
    序章
    1一般理論

    (1)「古典派経済学者」とは、リカード、ジェームズ・ミル、および彼らの先行者たち、すなわち、リカードの経済学において最高潮に達する理論の創設者たちをひっくるめて言うために、マルクスがひねり出した呼称である。通常の用法には外れるかもしれないが、私は私なりに、リカードの追随者、すなわちリカードの経済理論を採用し完成させた人たち、(たとえば)J・S・ミル、マーシャル、エッジワース、それにピグー教授も一緒に「古典派」に含めることにしている。

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  39. ___スピノザ
    マルクスーキルケゴール
    _アソシエーション

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  40. 第1部二
    レッシングとヤコービ
    85
    て魂が、神と自分自身を認める魂の目を閉じるのです。
    観察することができるのです。
    そうすればいっそう注意深く身体の目だけで
    16

    レッシング 結構です、とても結構です!私はそのすべてを利用することができます。しかし私は同じことを
    それでもってすることはできません。全体としてはあなたの「死の跳躍」(Salto mortale)を嫌いでは
    ありません。そして私は、頭を持っている人間が前に進むためには、こうして頭で宙返りをすること
    ができるということもわかります。可能であれば私をあなたと一緒につれて行って下さい。
    私[ヤコービ] あなたが私を進ませる弾力のある場所を踏みさえすれば、それは自ずから可能でしょう。
    レッシング そのためには跳躍が必要ですが、私の年老いた足と重たい頭ではもはやそのことは許されていない
    のです。


    田中光訳2018年85頁


    原註
    (I)
    「プロメテウス」
    (ゲーテ
    r詩と真実」
    第三巻、
    四七七頁)
    おまえの空をおおえ
    雲霧でもって、ゼウスよ
    あざみの花をとる少年のように
    樫の木に、山の頂きに
    おまえの力をふるえ
    しかしわが大地には
    手をふれてはならぬ
    おまえが作ったのではない

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  41. 私[ヤコービ] …神と自分自身を認める魂の目を閉じるのです。そうすればいっそう注意深く身体の目だけで
    観察することができるのです。
    レッシング 結構です、とても結構です! 私はそのすべてを利用することができます。しかし私は同じことを
    それでもってすることはできません。全体としてはあなたの「死の跳躍」(Salto mortale)を嫌いでは
    ありません。そして私は、頭を持っている人間が前に進むためには、こうして頭で宙返りをすること
    ができるということもわかります。可能であれば私をあなたと一緒につれて行って下さい。
    私[ヤコービ] あなたが私を進ませる弾力のある場所を踏みさえすれば、それは自ずから可能でしょう。
    レッシング そのためには跳躍が必要ですが、私の年老いた足と重たい頭ではもはやそのことは許されていない
    のです。

    『スピノザの学説に関する書簡』スピノザの学説に関して 二レッシングとヤコービ
    田中光訳2018年85頁

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  42. 『知のトポス』全目次 (人間学ブログ NINGENGAKU Blog)
    http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~mt/ningen/2014/04/topos.php


    ■『知のトポス──世界の視点』第6号(2010年11月刊、全182頁)

    イマヌエル・カント「観念論をめぐって──一七八〇年代の遺稿から(R5642,5653‐5655)」城戸淳訳 ⇒[PDF]

    F・H・ヤコービ「信念をめぐるデヴィッド・ヒュームもしくは観念論と実在論」栗原隆・阿部ふく子・福島健太訳

    G・W・F・ヘーゲル「アルプス徒歩紀行についての報告「加藤尚武・田中純夫・阿部ふく子訳

    ニール・ハーツ「ロンギノス読解」宮﨑裕助・星野太訳 ⇒[PDF]

      ────────────────────

    ■『知のトポス──世界の視点』第7号(2012年3月刊、全316頁)

    ピストリウス「シュルツェ著『カント『純粋理性批判』解説』書評(上)」城戸淳訳 ⇒[PDF]

    F・H・ヤコービ「信念をめぐるデヴィッド・ヒュームもしくは観念論と実在論(承前)」栗原隆・阿部ふく子訳

    J・G・フィヒテ「ラインホルト教授宛てのフィヒテの返書」栗原隆訳

    ロドルフ・ガシェ「ヒュポテュポーシス──カントにおける感性的描出(hypotyposis)の概念についてのいくつかの考察」宮﨑裕助・福島健太訳 ⇒[PDF]

    マルティン・ハイデッガー「時間と存在」田中純夫訳

    マルティン・ハイデッガー「W・J・リチャードソン著『ハイデッガー──現象学を通って思索へ』への序文」田中純夫訳

         *   *   *   *

    深澤助雄「L・クラーゲスの性格概念について」

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  43. 『知のトポス』郵送申し込み方法 (人間学ブログ NINGENGAKU Blog)
    http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~mt/ningen/2014/04/post_60.php
    『知のトポス』郵送申し込み方法 【お知らせ】
    『知のトポス』の既刊分を、ご希望の方にお分けいたします。「全目次」のページで残部の状況をご確認のうえ、希望する冊数に応じて、以下の要領で返信送付用の封筒をお送りください。

    ・1冊の場合
     送付希望先の宛名を記入した角5サイズの封筒(窓付き)に、「ゆうメール」(冊子小包)の送料300円分の切手を貼って返信用封筒を作成し、下記の「郵送申し込み先」宛にお送りください。

    ・1冊~2冊の場合
     郵便局などにて「レターパック350」をお求めいただき、送付希望先の宛名を記入したうえで、下記の「郵送申し込み先」宛にお送りください。

    ・3冊~4冊の場合
     郵便局などにて「レターパック500」をお求めいただき、送付希望先の宛名を記入したうえで、下記の「郵送申し込み先」宛にお送りください。

    ※「レターパック350」には1枚につき2冊まで、「レターパック500」には1枚につき4冊まで、同封できます。5冊以上送付希望の場合は、複数枚お送りください。
    ※ お一人につき、各号1冊までとさせていただきます。
    ※ 郵送を希望されても、申し込み多数につき、お分けすることができない場合もございますので、あらかじめご了承ください。

    ■返送用封筒送付先
    〒950-2181
    新潟市 西区 五十嵐2の町 8050番地
    新潟大学 人文学部 人間学講座 宮﨑裕助研究室内
    『知のトポス』●号郵送希望係

    ※●には郵送を希望する号数を記入ください(『変革期の思想』は『知のトポス』0号とします)。

    投稿者: admin | 日時: 2014年4月 2日(水) 11:40 | パーマリンク

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  44. 2018年
    20頁
    第三版序文

    いう意味でレッシングがスピノザ主義者であったか、そしてどういう意味で私はそうでなかったか、という事実
    である。この点に関して論争が始まった。人々は非スピノザ主義者であるという私の在りようを認めようとしな
    かった。そして私の在りようについて、明らかに盲目の無条件的信仰(binder Kohlerglaube)であり、哲学では
    ないと、それゆえ、私の哲学はスピノザ主義であるか、さもなければ私はいかなる哲学ももっておらず、従って
    すべての学説の中で最も崇高なこの学説について口をはさむことは許されない、と主張したのであった。私の哲
    学が基づいているかの直接的な精神の意識と神の意識は、単なる自然科学や悟性の学問以上の何か、また単なる
    物理学や論理学以上の何かであろうとしているそれぞれの哲学に礎石や柱石として役に立つに違いない、という
    私の内的な確信に照らして、このことは私にはどうしてもわからないことであった。のちに私のすべての哲学的
    な著作において次のことが明らかにされた。すなわち自らの研究において、予感された神を失う哲学者は必然的
    に無を見出すということが。この無は本来誰も求めず、また求めることができないものであり、いくらそれが最
    終的に純粋な真理として判明するとしても、誰もが、どうしても愛することのできないものである。私は自分の
    確信を十分に展開することに成功しさえすれば、ことにカントやマルブランシュという他の哲学者たちも全く同
    じことを主張したのだから、偏見のない思想家たちの賛成を得ることを確信していたのである。
    10
    もちろんその際には、神を理解するにはいかなる思弁的な道も全く存在しないという感情と直観が根底に置か
    れていなければならない。ともすれば思弁は進み出てきて、思弁自体はかの啓示なしでは、空虚であること、ま
    た啓示を確信できても、それを根拠づけることはできないことを証明するかも知れない。思弁は自らでは精神の
    ない必然性へ、実体へとしか至ることはできないので、私がサルト・モルターレ(Salto mortale)と呼んだ「死
    の跳躍」によってのみ思弁を克服することができるのである。精神なき必然性と実体は、しっかりと力強く(そ

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  45. 第三版序文
    思弁は自らでは精神のない必然性へ、実体へとしか至ることはできないので、私がサルト·モルターレ(Salto mortale)と呼んだ「死
    の跳躍」によってのみ思弁を克服することができるのである。
    20頁

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  46. 初期ヘーゲル哲学の軌跡 断片・講義・書評
    著者名等 
    〔ヘーゲル〕/〔著〕  ≪再検索≫
    著者名等 
    寄川条路/編訳  ≪再検索≫
    著者等紹介
    【寄川】1961年福岡生まれ。95年ボーフム大学大学院修了。現在、愛知大学教員。
    出版者  
    ナカニシヤ出版
    出版年  
    2006.1
    大きさ等 
    22cm 164p
    NDC分類
    134.4
    要旨   
    ドイツ観念論へと結晶する、青年期ヘーゲルの思索。フランクフルト期からハイデルベルク期までの、ヘーゲルの断片集・講義録・書評の本邦初訳を含む。
    目次   
    第1章 ヘーゲル「初期断片集」(一七九七‐一八〇〇年)(ドイツ観念論の最初の体系プログラム;ユダヤ精神 ほか);第2章 ヘーゲル「論理学・形而上学講義」(一八〇一/〇二年)(論理学;反省による分析 ほか);第3章 ヘーゲル「F.H.ヤコービ著作集第三巻の書評」(一八一七年)(スピノザ主義との出会いとヤコービの「実体」解釈;形而上学の衰退とヤコービの登場 ほか);第4章 ラインホルト「シェリング『超越論的観念論の体系』の批評」(一八〇〇年)(哲学の目指す知;自然と知性 ほか)
    内容   
    フランクフルト期からハイデルベルク期までのヘーゲルの萌芽的作品群を収録。ドイツ古典哲学がどのようなものであったかを解き明かし、ドイツ観念論の新たな地平を切り開く。本邦初訳を含む。
    ISBN等
    4-88848-986-6
    書誌番号 
    3-0206002946

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  47. http://www.nakanishiya.co.jp/book/b134351.html
    初期ヘーゲル哲学の軌跡
    断片・講義・書評
    初期ヘーゲル哲学の軌跡
    フランクフルト期からハイデルベルク期までのヘーゲルの萌芽的作品群を収録。

    著者 寄川 条路 編訳
    ジャンル 哲学・倫理
    出版年月日 2006/01/01
    ISBN 9784888489867
    判型・ページ数 A5・184ページ
    定価 本体2,600円+税
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    この本に関するお問い合わせ、感想

    目次
    凡  例
    まえがき  
    第一章 ヘーゲル「初期断片集」(一七九七‐一八〇〇年)
    第一節 ドイツ観念論の最初の体系プログラム
    第二節 ユダヤ精神
    第三節 道徳性・宗教・愛
    第四節 愛と宗教
    第五節 愛
    第六節 信仰と存在
    第七節 一八〇〇年の体系断片

    第二章 ヘーゲル「論理学・形而上学講義」(一八〇一/〇二年)
    第一節 論理学
    第二節 反省による分析
    第三節 悟性による総合
    第四節 理性の弁証法
    第五節 形而上学

    第三章 ヘーゲル「F・H・ヤコービ著作集第三巻の書評」(一八一七年)
    第一節 スピノザ主義との出会いとヤコービの「実体」解釈
    第二節 形而上学の衰退とヤコービの登場
    第三節 実態的な実体から絶対的な精神へ
    第四節 ヤコービ著作集第三巻収録の論文について
    第五節 カント哲学とヤコービ
    第六節 フィヒテ哲学とヤコービ
    第七節 論文「神について」
    第八節 付録書簡に見られるヤコービの人格

    第四章 ラインホルト「シェリング『超越論的観念論の体系』の批評」(一八〇〇年)
    第一節 哲学の目指す知
    第二節 自然と知性
    第三節 客観的なものと主観的なもの
    第四節 自然哲学の課題
    第五節 超越論哲学の課題
    第六節 絶対的な主観あるいは純粋な自我
    第七節 真実の哲学
    第八節 シェリングの哲学

    訳  注  / 解  説  / 文献案内  / あとがき 
    このページのトップへ
    内容説明
    フランクフルト期からハイデルベルク期までのヘーゲルの萌芽的作品群を収録。ドイツ古典哲学がどのようなものであったかを解き明かし,ドイツ観念論の新たな地平を切り開く。本邦初訳を含む。

    ■ナカニシヤ出版のヘーゲル関連書籍

    【著者紹介】
    編訳:
    寄川条路(よりかわ・じょうじ)
    ドイツ・ボーフム大学大学院修了,文学博士。現在,愛知大学教授。

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  48. ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている
    カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
    スピノザ関連にせよヒュームにせよ
    重要な証言者だ

    返信削除
  49. キルケゴール後書きは
    美学、宗教に挟まれた転回点とされる

    7解説
    18参照

    返信削除

  50.         /\   
           /  \
          /    \  
         /      \
        /        \
       /__________\
           

    返信削除
  51.        ヘーゲル体系
            /\   
           /  \
          /    \  
         /      \
        /        \
       /__________\
    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

    返信削除
  52.       × ヘーゲル体系
            /\   
    _______/__\______
          /    \  
         /      \
        /        \
       /__________\
    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

    返信削除
  53.       × ヘーゲル体系
            /\   
    _______/__\______
          /    \  
         /      \
        /        \
       /__________\
    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

    返信削除
  54. ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている
    カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
    スピノザ関連にせよヒュームにせよ
    重要な証言者だ

    キルケゴール後書きは
    美学、宗教に挟まれた転回点とされる

    7解説
    18参照

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  55. キルケゴール(1813-1855)の世界:試作
    http://yojiseki.exblog.jp/8875247/
           <キルケゴール(1813-1855)の世界>
    左手=倫理的、              右手=宗教的
       この世的
    『現代の批評』     _______  『建徳的講話』
     ↑☆ 『後書き』転回点|宗教的世界  |         ↓
    『人生行路の諸段階』 |(キリスト) |    
    『不安の概念』  二階|______『死に至る病』『野の百合・  
    『哲学的断片』   ☆|倫理的世界  |      空の鳥』
    『反復』     一階|(ソクラテス)|
    『おそれとおののき』_|_______|___
    『あれか、これか』//|審美的世界  |///
             //|(ドン・   |///
             //|_ジュアン)_|///
             地下////////////
          『あれか、これか(第一部:誘惑者の日記)』

    キルケゴール内部は、
    2階=宗教的(キリスト) 、
    1階=倫理的(ソクラテス)、
    地下=審美的(ドン・ジュアン) という構造になっている。

    参考:
    http://homepage.mac.com/berdyaev/kierkegaard/kierkegaard_1/kierkegaard2.html
    http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/cat_50027458.html

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  56. キルケゴール(1813-1855)の世界:試作
    http://yojiseki.exblog.jp/8875247/
           <キルケゴール(1813-1855)の世界>
    左手=倫理的、              右手=宗教的
       この世的
    『現代の批評』     _______  『建徳的講話』
     ↑         |宗教的世界  |         ↓
    『人生行路の諸段階』 |(キリスト) |    
    『不安の概念』  二階|______『死に至る病』『野の百合・  
    『哲学的断片』   ☆|倫理的世界  |      空の鳥』
    『反復』     一階|(ソクラテス)|
    『おそれとおののき』_|_______|___
    『あれか、これか』//|審美的世界  |///
             //|(ドン・   |///
             //|_ジュアン)_|///
             地下////////////
          『あれか、これか(第一部:誘惑者の日記)』

    キルケゴール内部は、
    2階=宗教的(キリスト) 、
    1階=倫理的(ソクラテス)、
    地下=審美的(ドン・ジュアン) という構造になっている。

    ☆『後書き』=転回点

    参考:
    http://homepage.mac.com/berdyaev/kierkegaard/kierkegaard_1/kierkegaard2.html
    http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/cat_50027458.html

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  57. キルケゴール(1813-1855)の世界:試作
    http://yojiseki.exblog.jp/8875247/
           <キルケゴール(1813-1855)の世界>
    左手=倫理的、              右手=宗教的
       この世的
    『現代の批評』     _______  『建徳的講話』
     ↑         |宗教的世界  |         ↓
    『人生行路の諸段階』 |(キリスト) |    
    『不安の概念』  二階|______『死に至る病』『野の百合・  
    『哲学的断片』   ☆|倫理的世界  |      空の鳥』
    『反復』     一階|(ソクラテス)|
    『おそれとおののき』_|_______|___
    『あれか、これか』//|審美的世界  |///
             //|(ドン・   |///
             //|_ジュアン)_|///
             地下////////////
          『あれか、これか(第一部:誘惑者の日記)』

    キルケゴール内部は、
    2階=宗教的(キリスト) 、
    1階=倫理的(ソクラテス)、
    地下=審美的(ドン・ジュアン) という構造になっている。

    ☆『後書き』=転回点、邦訳著作集7,8,9

    参考:
    http://homepage.mac.com/berdyaev/kierkegaard/kierkegaard_1/kierkegaard2.html
    http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/cat_50027458.html

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  58.       × ヘーゲル体系
            /\   
    _______/__\______
          /    \  
         /      \
        /        \
       /__________\
    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

    ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている
    カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
    スピノザ関連にせよヒュームにせよ
    重要な証言者だ

    キルケゴール後書きは
    美学、宗教に挟まれた転回点とされる

    7解説
    18参照

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  59. 講座ドイツ観念論 第5巻 ヘーゲル―時代との対話
    著者名等 
    広松渉/〔ほか〕編  ≪再検索≫
    出版者  
    弘文堂
    出版年  
    1990.11
    大きさ等 
    22cm 328p
    NDC分類
    134.3
    件名   
    ドイツ哲学  ≪再検索≫ ヘーゲル G.
    件名   
    観念論  ≪再検索≫ Hegel Georg Wilhelm.
    要旨   
    ヘーゲルの哲学体系は“永遠の未完成”に彩られた魅力ある思想の宝庫である。ヤコービ、シュルツェ、クルーク、ヘルダーリン、ラインホルト、スピノザ…。最新の研究状況をふまえてヘーゲル哲学の形成史を解き明かす試みは現代がなお「ヘーゲルの時代」であることを告げる。
    目次   
    総説 生という存在の原型(加藤尚武);ヘーゲルとヤコービ―スピノザ主義の問題をめぐって(笹沢豊);事実から事行へ―ヘーゲルによるシュルツェ批判、クルーク批判の前哨(栗原隆);ヘーゲル社会哲学の視野―労働‐外化論を軸として(滝口清栄);ヘーゲルとヘルダーリーン(藤田正勝);哲学史概念の成立(柴田隆行);ヘーゲルの形而上学と道徳性批判(久保陽一);精神と国家―主観性と自由の哲学(座小田豊)
    ISBN等
    4-335-10035-3
    書誌番号 
    3-0190348570

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  60. NAMに参加することは命がけの飛躍だろう
    命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味を含む
    キルケゴールだけがそれを見抜いていた

    ヤコービの決断主義ともレッシングの達観とも違う

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  61. NAMに参加することは命がけの飛躍だろう
    命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味を含まれる
    キルケゴールだけがそれを見抜いていた

    ヤコービの決断主義ともレッシングの達観とも違う


    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁(定本版隠喩としての建築225頁参照)

    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。

    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。マルクスもスピノザを
    抜き書きしていることが知られる。柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。
    ヘーゲルに関しては言わずもがな。カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁、『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照

    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)

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  62. NAMに参加することは命がけの飛躍だろう
    命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味を含まれる
    ヤコービの決断主義ともレッシングの達観とも違う。『後書き』のキルケゴールだけがそれを見抜いていた

    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁(定本版隠喩としての建築225頁参照)

    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。

    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。マルクスもスピノザを
    抜き書きしていることが知られる。柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。
    ヘーゲルに関しては言わずもがな。カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁、『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照

    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)

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  63. NAMに参加することは命がけの飛躍だろう
    命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味を含まれる
    ヤコービの決断主義ともレッシングの達観とも違う。『死にいたる病』『後書き』のキルケゴールだけがそれを見抜いていた

    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁(定本版隠喩としての建築225頁参照)

    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。

    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。マルクスもスピノザを
    抜き書きしていることが知られる。柄谷行人は『実験』では言及しないがニーチェもスピノザから刺激を受けている。
    ヘーゲルに関しては言わずもがな。カントを解体すればスピノザしか残らない。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『哲学の歴史 第7巻』中央公論社230-231頁、『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照

    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)

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  64. 逆から見れば汎神論への飛躍だ
    両側からの視点が交換ということだ


          × ヘーゲル体系
            /\   
    _______/__\______
          /    \  
         /      \
        /        \
       /__________\
    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

    ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている
    カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
    スピノザ関連にせよヒュームにせよ
    重要な証言者だ

    キルケゴール後書きは
    美学、宗教に挟まれた転回点とされる

    7解説
    18参照

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  65. 今NAMに参加することは命がけの飛躍だろう。命がけの飛躍Salto mortaleには、

    宙返りという喜劇的意味を含まれる。キルケゴールだけがそれを見抜いていた。

    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁(定本版隠喩としての建築225頁参照)

    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。

    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]で
    言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照

    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)



    ヤコービとキルケゴールが含意したのはキリスト者への飛躍だが逆から見れば汎神論への飛躍だ
    両側からの視点が交換ということだ


          × ヘーゲル体系
            /\   
    _______/__\______
          /    \  
         /      \
        /        \
       /__________\
    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

    ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている。カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
    スピノザ関連にせよヒュームにせよ、重要な証言者だ。
    キルケゴール『後書き』は美学、宗教に挟まれた転回点とされる(邦訳著作集7解説及び18参照)。

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  66. 今NAMに参加することは命がけの飛躍だろう。命がけの飛躍Salto mortaleには、
    宙返りという喜劇的意味を含まれる。キルケゴールだけがそれを見抜いていた。

    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁(定本版隠喩としての建築225頁参照)

    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。

    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照

    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)



    ヤコービとキルケゴールが含意したのはキリスト者への飛躍だが逆から見れば汎神論への飛躍だ
    両側からの視点が交換ということだ


          × ヘーゲル体系
            /\   
    _______/__\______
          /    \  
         /      \
        /        \
       /__________\
    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

    ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている。カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
    スピノザ関連にせよヒュームにせよ、重要な証言者だ。
    キルケゴール『後書き』は美学、宗教に挟まれた転回点とされる(邦訳著作集7解説及び18参照)。

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  67. 今NAMに参加することは命がけの飛躍だろう。命がけの飛躍Salto mortaleには、
    宙返りという喜劇的意味を含まれる。キルケゴールだけがそれを見抜いていた。

    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁(定本版隠喩としての建築225頁参照)

    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両ウィング、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。

    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照

    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)



    ヤコービとキルケゴールが含意したのはキリスト者への飛躍だが逆から見れば汎神論への飛躍だ
    両側からの視点を保持することが交換ということだ


          × ヘーゲル体系
            /\   
    _______/__\______
          /    \  
         /      \
        /        \
       /__________\
    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

    ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている。カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
    スピノザ関連にせよヒュームにせよ、重要な証言者だ。
    キルケゴール『後書き』は美学、宗教に挟まれた転回点とされる(邦訳著作集7解説及び18参照)。

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  68. 今NAMに参加することは命がけの飛躍だろう。命がけの飛躍Salto mortaleには、
    宙返りという喜劇的意味を含まれる。キルケゴールだけがそれを見抜いていた。

    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁(定本版隠喩としての建築225頁参照)

    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。

    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁

    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態

    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。

    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照

    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)



    ヤコービとキルケゴールが含意したのはキリスト者への飛躍だが逆から見れば汎神論への飛躍だ
    両側からの視点を保持することが交換ということだ


          × ヘーゲル体系
            /\   
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

    ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている。カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
    スピノザ関連にせよヒュームにせよ、重要な証言者だ。
    キルケゴール『後書き』は美学、宗教に挟まれた転回点とされる(邦訳著作集7解説及び

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  69. 今NAMに参加することは命がけの飛躍だろう。命がけの飛躍Salto mortaleには、宙返りという喜劇的意味が含まれるが。

    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁(定本版隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
    上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
    現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態
    キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》
    『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
    キルケゴールが含意したのはキリスト者への飛躍だが逆から見れば汎神論への飛躍だ。両側からの視点を保持することが交換だ。

          × ヘーゲル体系
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    レッシング           ヤコービ

    ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている。カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
    キルケゴール『後書き』は美学、宗教に挟まれた転回点とされる(邦訳著作集7解説及び18参照)。

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  70.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには、宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験6~7頁(定本版隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるというのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうした方がいい
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールが含意したのはキリスト者への飛躍だが逆から見れば汎神論への飛躍だ。両側からの視点を保持することが交換だ。

          × ヘーゲル体系
            /\   
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    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

      ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている。カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
      キルケゴール『後書き』は美学、宗教に挟まれた転回点とされる(邦訳著作集7解説及び18参照)。

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  71.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうするべき
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールが含意したのはキリスト者への飛躍だが逆から見れば汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系
            /\   
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

      ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている。カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
      キルケゴール『後書き』は美学、宗教に挟まれた転回点とされる(邦訳著作集7解説及び18参照)。

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  72.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうするべき
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールが意図したのはキリスト者への飛躍だが逆から見れば汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系
            /\   
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

      ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている。カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
      キルケゴール『後書き』は美学、宗教に挟まれた転回点とされる(邦訳著作集7解説及び18参照)。

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  73.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうするべき
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが逆から見れば汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系
            /\   
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

      ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている。カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
      キルケゴール『後書き』は美学、宗教に挟まれた転回点とされる(邦訳著作集7解説及び18参照)。

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  74.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうするべき
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系
            /\   
    _______/__\______
          /    \  
         /      \
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       /__________\
    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

      ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている。カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした
      キルケゴール『後書き』は美学、宗教に挟まれた転回点とされる(邦訳著作集7解説及び18参照)。

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  75.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうするべき
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系
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    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)
    レッシング           ヤコービ

      ヤコービの決断主義はユダヤ的で政治主義を免れている。カント批判哲学が主流ではまだなかったのが幸いした。
      キルケゴール『後書き』は美学、宗教に挟まれた転回点とされる(邦訳著作集7解説及び18参照)。

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  76.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうするべき
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系
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    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

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  77.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうするべき
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

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  78.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうするべき
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系
            /\   
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    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

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  79. ___スピノザ
    マルクスーキルケゴール
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  80.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうするべき
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系
            /\   
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
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    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

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    マルクスーキルケゴール
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  81.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位と誤解させないためにも図はこうするべきだ。
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系
            /\   
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

    ___スピノザ
    マルクスーキルケゴール
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  82.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系
            /\   
    _______/__\______
          /    \  
         /      \
        /        \
       /__________\
    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

    ___スピノザ
    マルクスーキルケゴール
    _アソシエーション

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  83.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《…ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系(スピノザがここに位置する。カントでもなく)
            /\   
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

    ___スピノザ
    マルクスーキルケゴール
    _アソシエーション

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  84.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》世界史の実験7頁(定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系(スピノザがここに位置する。カントでもなく)
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

    ___スピノザ
    マルクスーキルケゴール
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  85.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》(世界史の実験7頁,定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》(キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁)
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》(マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より)
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》(『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照)
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系(スピノザがここに位置する。カントでもなく)
            /\   
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

    ___スピノザ
    マルクスーキルケゴール
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  86.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》(世界史の実験7頁,定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》(キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁)
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》(マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より)
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》(『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照)
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系(唯心論唯物論併せ持つスピノザがここに位置する。カントでもなく)
            /\   
    _______/__\______
          /    \  
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

    ___スピノザ
    マルクスーキルケゴール
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  87. https://i.gyazo.com/9a9a12669debd89031739868198f019d.jpg

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  88. https://i.gyazo.com/90fd04e8943742430ef50b252f7909c8.jpg

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  89.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》(世界史の実験7頁,定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://i.gyazo.com/9a9a12669debd89031739868198f019d.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》(キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁)
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》(マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より)
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》(『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照)
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://i.gyazo.com/90fd04e8943742430ef50b252f7909c8.jpg
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

          × ヘーゲル体系(唯心論唯物論併せ持つスピノザがここに位置する。カントでもなく)
            /\   
    _______/__\______
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    非キリスト           キリスト、キリスト者
    →              ←
    命がけの飛躍         (命がけの飛躍?)

    ___スピノザ
    マルクス_キルケゴール
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  90.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》(世界史の実験7頁,定本隠喩としての建築225頁参照)
    https://i.gyazo.com/9a9a12669debd89031739868198f019d.jpg
      上図はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》(キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁)
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》(マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より)
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》(『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照)
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://i.gyazo.com/90fd04e8943742430ef50b252f7909c8.jpg
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

        

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  91.   1条と9条はセットだから天皇制存続を願う柳田は平和憲法を志向するしかない…
      ところで、
      NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》(世界史の実験7頁,定本隠喩としての建築225頁参照)
      以下はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
    https://i.gyazo.com/9a9a12669debd89031739868198f019d.jpg
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》(キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁)
      さらに、
    《 W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[『経済学批判』]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》(マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 より)
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》(『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照)
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://i.gyazo.com/90fd04e8943742430ef50b252f7909c8.jpg
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
      キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

        

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  92.   1条と9条はセットだから天皇制存続を願う柳田は平和憲法を志向するしかない…
      ところで、
      NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》(世界史の実験7頁,定本隠喩としての建築225頁参照)
      以下はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
    https://i.gyazo.com/9a9a12669debd89031739868198f019d.jpg
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》(キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁)
      さらに、
    《W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[経済学批判]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》(マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 )
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》(『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照)
    ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://i.gyazo.com/90fd04e8943742430ef50b252f7909c8.jpg
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
     キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

        

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  93.   1条と9条はセットだから天皇制存続を願う柳田は平和憲法を志向するしかない…
      ところで、
      NAMに参加することは命がけの飛躍だ。命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》(世界史の実験7頁,定本隠喩としての建築225頁参照)
      以下はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
    https://i.gyazo.com/9a9a12669debd89031739868198f019d.jpg
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》(キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁)
      さらに、
    《W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[経済学批判]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》(マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 )
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》(『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照)
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://i.gyazo.com/90fd04e8943742430ef50b252f7909c8.jpg
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
     キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

        

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  94.   NAMに参加することは命がけの飛躍だ。無論命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです。この点で、対象が異なるにもかかわらず、マルクスとキルケゴールは、同じ問題を
    考えていたといえるのです。二人は同時代人でもありました。》(世界史の実験7頁,定本隠喩としての建築225頁参照)
      以下はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》(キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁)
      さらに、
    《W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[経済学批判]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》(マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 )
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》(『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照)
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
     キルケゴールの意図はキリスト者への飛躍だが、逆からは汎神論への飛躍だ。交換は両側からの視点を保持する。

        

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  95. 631 考える名無しさん[] 2019/03/31(日) 22:11:21.71 ID:0
    NAMに参加することは命がけの飛躍だ。無論命がけの飛躍Salto mortaleには宙返りという喜劇的意味が含まれるが。
    《ヘーゲル哲学を「転倒」した思想家として注目すべきなのは、『死にいたる病』を書いたキルケゴールでしょう。
    彼はいわば「交換」を重視したのです。例えば、彼は神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、さらに、それをなしえ
    ない状態を「絶望--死にいたる病」と呼びました。マルクス的にいえば、それは売れなかった商品、つまり交換に
    失敗した商品のようなものです…》(世界史の実験7頁,定本隠喩としての建築225頁参照)
      以下はレーヴィットの論考を小川圭治氏が図解したもの(『キルケゴール 人類の知的遺産』32頁より)
    https://lh3.googleusercontent.com/-cSVUn3o3UYc/WLackfgt60I/AAAAAAABLew/wN07rx6hpPk/s1600/blogger-image-1872318053.jpg
      現代思想に至る両翼、キルケゴールとマルクスにsalto mortale命がけの飛躍に関する思考が表れるのが興味深い。
    《…審査官[ヤコービ]は、どう考えてもレッシングが根はスピノザ主義者であることを発見して、愕然とする。
    そこで彼は感激家たる本領を発揮して相手に最後の切札をつきつけ,唯一の救いの道であるかの《死の飛躍
    (サルト・モルターレ)》 へと踏みきるように勧めるのである。》(キルケゴール著作集7…非学問的あとがき 181頁) さらに、
    《W―G、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところ[経済学批判]
    で言ったように、商品の命がけの飛躍[Salto mortale]である。》(マルクス資本論 第3章第2節流通手段A商品の変態 )
      キルケゴールの飛躍概念変遷にスピノザ、正確に言えば汎神論論争が大きく関わるのは重要だ。
    《レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの
    友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。》(『スピノザ書簡』ヤコービ知泉書館2018年74頁参照)
      ただしマルクス物体、キルケゴール身体と捉え、デカルト的精神の優位という誤解を避ける為に図は以下がいい。
    https://2.bp.blogspot.com/-M83FZVLQ9gE/XJxrXRdPcYI/AAAAAAABhSI/IgKpWAjJM2cFQQfU_GhsaGd_xzCRvXtWQCLcBGAs/s1600/IMG_1552.JPG
    「われは疑いつつ、あり」スピノザ(柄谷行人『…実験』97頁参照)
     

        

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  96.   1条と9条はセットだから天皇制存続を願う柳田は平和憲法を志向するしかない…

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