参考:
互酬性(reciprocity)とは、ものの相互のやりとりのこと、あるいはそれにもとづく制度のことである。レシプロ・エンジンが、ピスト ンを往復するように、ものが相互に〈送り手〉と〈受け手〉の間を対称的に往き来することである。したがって、ある相——時間のみならず社会空間——と別の 相では、送り手と受け手が相互に入れ替わる。結婚、葬式、中元や歳暮など、贈り物や寄付・金銭などが、相互に往き来することを全般を、互酬(ごしゅう)と いう。日本語の互酬は、お互いに報酬を受けると書くがごとくである。
互酬性に基づく社会制度のことを、同じ音であるが互酬制(ごしゅうせい)ないしは互酬制度と呼ぶ。
マルセル・モースやカール・ポランニー(Polányi károly, 1886-1964 [Karl Polanyi])によると、互酬性は、市場経済 が確立する以前からあり、市場経済後も続く制度——痕跡化するが——であ り、人間集団の経済的な基本的関係であるとか、時代的に古くあるという意味で、原始経済あるいは未開経済(ともに primitive economy)を表す代表的なものとして、長く研究されてきた。ポランニーによると、人間の経済活動の3つの類型は、交換(exchange)・互酬(reciprocipy)・市場(market)である。
Polanyi, Karl .1957. The Economy as Instituted Process Pp. 243–70 in Trade and Market in the Early Empires, edited by Polanyi, K., Arensberg, C.
370財の秩序 order of goods
ポランニー経済の文明史
377:
377 第十章 制度化された通程としての経済
を確証した。筆者はこれをおしすすめて、対称
性を、統合を与えるいくつかのパターンの一つにすぎないと考えたのである。筆者
は、さらに統合のほかの形態として再分配と交換を互酬に加えた。そして、同様に
、中心性と市場を制度的支持のほかの例として対称性に加えた。こうして、われわれ
の統合形態とそれを支持する構造のパターンができ上がったのである。
これは、なぜ経済の領域では、多くの場合、特定の制度的な前提条件のないところでは、
個人間の行為が期待された社会的効果を上げないのかという点を説明する助けとなるはず
である。対称的に組織された環境においてのみ、互酬的行為は何らかの重要性をもった経
済制度を生む。配分の中心が確立している場合にのみ、個人の分有行為から再分配的経済
が生じる。そして、価格決定市場というシステムが存在する場合にのみ、個人の交換行為
が経済を統合する変動価格を生じさせる。さもなければ、このような物々交換の行為は有
効性を発揮せず、未発生のままであろう。なおかつ、ばらばらな形で物々交換が起こると
したら、下品な行為や裏切行為に対するのと同様な、激しい感情的な反動がはじまるであ
ろう。なぜなら、交易行為はけっして感情的に中立的な行為ではありえず、したがって
認められている筋道以外では、世論の許容するところとはならないからである。
さて、話をわれわれの統合形態に戻そう。
経済関係を意識的に互酬的基盤の上に組織しようとする集団は、その目的をとげるため
には、下位集団に分かれなければならなかったであろう。そして、その下位集団の呼応す
ポランニーは親族システムの先行性を指摘する
互酬性をシステムと考え、市場がそれに続く、ただし、
《いずれにせよ、統合形態は発展「段階」を示すものではない。》:383
《市場交易(マーケット・トレード)が交易の第三の典型である。そこでは交換が当事者同士を互いにつなぐ統合の形態である。》:396
《市場が存在しないところでは、交換のための貨幣の使用は下位的な文化特性でしかない。》:399
互酬性はトーテムをつくり、市場がピラミッドをつくるということか?
参考:
アグリエッタ、&ルネ・ジラール
以下柄谷世界史の構造より
ポランニーはいう。《古代貨幣は極端な場合には、支払い手段としては一つの種類の貨幣を、価値尺度としてはもう一つの貨幣を、価値の蓄蔵のためには第三の貨幣を、交換手段としては第四の貨幣を使用する(8)》。たとえば、バビロニアでは、価値尺度としては銀、支払い手段としては大麦、交換手段としては油脂、羊毛、なつめやしの実などが使用されていた。このように、彼は「原始貨幣」の多様性を強調する。しかし、ポランニーはこう付け加えている。それらの間には、銀一シクル=大麦一グルというレートが定められて、全体として精緻な物々交換の体系が作られていた、と。これは、すでに銀が世界貨幣であったが、国内ではほとんど使用されなかったということを意味するのである。以上の例は、世界貨幣が存在する一方で、同時に、等価物や一般的等価物が貨幣として使われていたということを示すにすぎない。
貴金属貨幣は国家によって鋳造された。しかし、それが世界的に通用したのは、国家の力によってではない。国家の力が及ぶ範囲ではともかくとして、その外で貨幣が通用する力は、国家によるものではない。国家がなしうるのは、貴金属の量を確定し保証することだけである。もちろん、それはきわめて重要であった。そのつど貴金属の量を測定しなければならないとしたら、交易が事実上不可能になるからだ。一方、国家による裏づけがあれば、決済のとき以外に、実際に貴金属を使わないですむ。にもかかわらず、貴金属貨幣が国際的に通用する「力」は、国家に負うものではない。反対に、国家こそ、それにもとづいて貨幣を鋳造したのである(9)。
このことは中国における貨幣の歴史にも示される。戦国時代から各国の貨幣が濫立していたので、秦の始皇帝は国家強権によって貨幣の統一をはかったが、ついにできなかった。それを果たしたのは、つぎの漢王朝で
(8)ポランニー『経済の文明史』玉野井芳郎・平野健一郎編訳、日本経済新聞社、六四頁。
[文庫版87頁「貨幣使用の意味論」,The Semantics of Moneney-uses 1957]
(9)貨幣を国家による約定として見る考えがまちがいであることは、国家によって貨幣を通用させることはできないということから見ても明瞭である。それは国家の外では通用しない。さらに、国際的に通用しない通貨なら、国内でも通用しない。たとえば、ソ連邦のように強い国家権力をもってしても、その末期には国内で通貨のルーブルが通用しなかった。逆に、タバコ(マールボロ)が通貨として機能したのである。つぎに、貨幣の「商品起源説」に対する今日の批判は、米ドルが一九七一年以降、金との兌換制を停止したのちにも、世界通貨としてありつづけているという「事実」にもとづいてなされている。しかし、国際的決済において、金が必要だという考えは現実に消えていない。確かにアメリカはドルと金の兌換制を停止したが、それはドルが世界通貨であるために金準備が不要であるということにはならない。金が兌換されて流出してしまうからこそ、兌換を停止したわけであって、もし金準備が不要なら、金の流出を阻止する必要はない。要するに、現在でも、金=世界貨幣は、暗黙裏に国際的な決済手段として存在しているということである。
Spoke with the good people at Karl Polanyi Institute Asia about a forthcoming paper. Polanyi taught us that the market mechanism was planned, but the public sector's protective response to its social dislocations was spontaneous.
Many econ students are still taught the opposite.
Pavlina R Tcherneva (@ptcherneva)
ON LABOR, LAND AND MONEY
"...labor, land and money are obviously notcommodities; the postulate that anything that is bought and sold must have been produced for sale is emphatically untrue in regard to them... Labor is only another name for a human activity which goes with life itself... nor can that activity be detached from the rest of life... land is only another name for nature, which is not produced by man; actual money, finally, is merely a token of purchasing power which, as a rule, is not produced at all, but comes into being through the mechanism of banking or state finance."
Karl Polányi, The Great Transformation: The Political and Economic Origins of Our Time
Karl Polányi
Polányi Károly
(1886 – 1964)
カール・ポラニー研究所のアジアの優秀な人たちと、近日中に発表される論文について話した。勉強したことがある人には、「市場の仕組みは計画されていたが、社会的混乱に対する公共部門の保護反応は自然発生的だった」ということを教えてくれました。
多くの経済学の学生はまだ反対のことを教えられています。
パヴリナ・R・チェルネヴァ (@ptcherneva)
労働と土地とお金について
"労働、土地、貨幣は明らかに商品ではない。売買されるものは何でも、販売のために生産されたものでなければならないという仮定は、それらに関しては強調的に真実ではありません... 労働とは、生命そのものに付随する人間の活動のための別の名称にすぎない...また、その活動を生命の残りの部分から切り離すことはできない...土地とは、別の名称にすぎない... 実際の貨幣は、最終的には、人間が生産しない自然のためのものであり、人間が生産したものではない。ルールは、まったく生産されず、銀行や国家財政のメカニズムによって生まれてくる。"
カール・ポラーニ『大転換』。現代の政治経済の起源
カール・ポラニー
Polányi Károly
(1886 – 1964)
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
『大転換 』ポランニー K. Polanyi The Great Transformation 1944
参考:
伝アリストテレス 経済学第2巻
(経済の文明史、人間の経済2等で言及)
笠井論考
『大転換』以後の研究における家政の位置はそれまでと多少様相を異にする.互酬と再分配とが経済的に制度化された原始的・根源的な経済であるとの認識が一貫していることと比べると,ポランニー理論における家政の地位が一層明らかとなろう. 家政とは小規模の自給のための経済であるという大まかな定義は『大転換』と異ならない.しかし,ポランニーは,アリストテレスが家政原理について言及したことをふまえ,そのような経済原理が一般的市場の出現に先立って存在したことを認めつつも,「経済的生活の初期形態ではけっしてない」(Polanyi,1977,p. 41, 邦訳98ページ)と主張する.なぜなら,アリストテレスが家政として言及したオイコノミアは小単位による社会的な物質の移動を示すが,それが「経済的(economic)」であるために人間の初期的経済ではないからである.
問題は「経済的」という語に節約の概念が含意されていることであるという44. 家政はたしかに市場の出現以前に見られたが,それでもこの原理には節約を指向して自身の利益を追求する人間像が必要であって,このような人間像は,互酬と再分配とが想定するものとは別であり,利潤動機を背景に交換原理のもとで活動する人間に比較的近い.そのためポランニーによれば,「経済的事情において自己の個人的便益のために活動する人間」(Polanyi,1977,p. 41, 邦訳98ページ)を見つけることは歴史上きわめて稀であり,このような人間を確認することはある程度農業社会が発展する必要がある.
人間の経済
| 長谷川羽衣子🍀反緊縮グリーン・ニューディール (@uikohasegawa) |
救貧法(スピーナムランド制度)を非難するポランニーの記述は誤解だとブレグマン『隷属なき道』で明らかにされています。救貧法は成功でした。
1832年の救貧法の報告書は禁欲・勤労主義的偏見に満ちたものでした。これを、ポランニー、マルクスなど著名な学者が丸呑みしたことは歴史的な過ちです。 twitter.com/togura04/statu…
|
https://twitter.com/uikohasegawa/status/1266161755442429952?s=21
以下は若森レジュメより
http://www.student.e.u-tokyo.ac.jp/grad/siryo/Wakamori.pdf
経済的自由主義への対抗命題 『大転換』の大きな意図の一つは、一九三〇年代の大変動と第二次世界大戦に結果する悲劇的展開への自らの責任を回避した経済的自由主義者(市場経済支持者)を批判することであった。ポランニーは『大転換』において、大陸ヨーロッパの政治的・経済的大変動と政治的緊張の累積は、自己調整的市場を実現しようとする経済的自由主義のユートピア的試みとその挫折から生じた、と何度も指摘している。経済的自由主義のユートピア的な試みは、一八世紀から一九世紀前半にかけての市場経済の形成期にも二〇世紀の市場経済の退行期にも、人間と自然と多様な住民階層の「社会的利害」にとってつねに破壊的に作用した。経済的自由主義は強力な政府による自由経済の構築を求め、介入してきた。これに対して社会の自己防衛は、自生的で多様に展開した。これはポランニーの代表作『大転換』を貫通する基本的主張であり、経済的自由主義への対抗命題である。
1.『大転換』の全体像
市場社会の制度転換 『大転換』は主として、①第一次世界大戦後の市場社会の崩壊と大転換という二〇世紀の進行中の歴史、②市場社会の形成期(イギリス産業革命と救貧法論争)、③一九世紀の自由主義的資本主義の発展と世紀末における市場社会の変調、――これら三つの時代を扱っている。市場社会の制度転換(制度の形成・危機・解体)のそれぞれの画期を経済的自由主義のユートピア的試みとの関連において研究していることが、『大転換』の構成上の特徴である。『大転換』は、「自己調整的市場という考えはユートピアであった」という経済的自由主義への批判的な命題を横軸に、そして市場社会の制度転換を縦軸として描いている。
『大転換』の構成と主要命題 『大転換』は複雑に入り組んで構成されており、叙述の内容も経済、政治、社会学、歴史、国際関係、思想史、人類学と未開社会の研究、聖書の解釈とキリスト教史にまたがっていて多様であるために、その主題と全体像がつかみにくい著作である。筆者の理解によれば、『大転換』全三部は表4-1のように、二度の急激な制度転換をともなう一九世紀文明としての市場社会の興隆と崩壊を主題としており、それが、「自己調整的市場という考えはユートピアであった」という命題と織り成される形で展開されている。
公助・相互扶助から自助へ 第II部前半の諸章でポランニーは、一七世紀初頭に体系化されたエリザベス救貧法から二〇世紀初頭までのイギリス救貧法史のなかでもっとも悪名の高いスピーナムランド法に照明を当てている。フランス革命と天災の影響に対処するために一七九五年に導入されたスピーナムランド法は、そうした救貧法の見直しの一環として実施されたものであるが、実施の直後から非難罵倒を浴びせられた。その評判の悪さは後世にも語り継がれ、現代の社会保障政策をめぐる議論においても悪名高い法律として言及されることがある。オーストリア経済学派のミーゼスは第一次世界大戦後のウィーンで、スピーナムランド法を引き合いに出しながら社会民主主義的な「赤いウィーン」の市政を批判した。それを知ったポランニーは、スピーナムランド法をめぐるさまざまな罵声や非難が経済的自由主義の核心を表現していることを確信した。
福祉依存からの脱却という論理 市場社会以前の秩序――スピーナムランド法も含めた伝統的な救貧法――のもとでは、孤児も病人も未亡人も老人もキリスト教共同体のメンバーであり、教区の社会構成員は貧者の生存に対して責任を引き受けなければならない、という道徳的・社会的規範が機能していた。産業革命の進行によってイギリスの工業都市が勃興し普通の人びとの生活様式が急激な変容を余儀なくされた時期に、救貧税が増大し貧民への対応の仕方が混乱をきわめた多くの教区において、旧来の道徳的・社会的規範は機能不全に陥った。こうした「キリスト教精神に基づく相互扶助の原則」が解体されるという社会の壊滅的な事態を経験してはじめて、「施しは慈善にあらず、貧民の世話は市場に任せよ」といった経済的自由主義の原型が新たな規範としての地位を獲得し、「自助の原則」に基づく市場社会に転換することになった、とポランニーは論じている。
貧民への新しい説法 『大転換』第II部の第一〇章「政治経済学と社会の発見」および第一四章「市場と人間」のなかでポランニーは、モアやマーティノー、タウンゼンド、マルサス、リカード、オーウェンなど、当時のさまざまな知識人やキリスト教徒が有していた救貧法批判や貧民についての理解、とりわけ「貧民の救済と自分が深く信仰する市場社会の円滑な進行の拠り所を、ひたすら神の慰めにのみ求めた」キリスト教徒の見解を紹介している。モアやタウンゼンドが貧しい人びとに示した態度は、貧困の責任を個人に負わせることを神学的に肯定するものであり、貧困観をめぐる経済自由主義的な「宗教改革」であった。 古典派経済学者の役割 マルサスやリカードによる貧困のメカニズムの説明は、救貧税の増大に不満を募らせていた当時の人びとの知的欲求を満たした。市場社会への転換を救貧法史において決定づける社会政策上の大転換となった改正救貧法の制定に、マルサスやリカードの議論は貢献した。貧困を怠惰な個人の責任として説明し、貧困問題の解決の処方箋は競争的な労働市場の確立であるとする古典派経済学者の議論は、スピーナムランドへの罵声や非難に対して社会科学的な形式を付与し、一八三四年の改正救貧法を支持する世論を後押しした。
オーウェンの役割 ポランニーによれば、オーウェンは市場社会への転換に抗した例外的な人物であった。社会が抱える諸問題を、救貧受給に群がる貧民や飲酒・賭博・犯罪に手を染めるスピーナムランド時代の荒廃した人びとの性格のなかに見出したオーウェンは、貧困や犯罪の起源を追跡し、それが社会にあることを発見した。オーウェンによれば、産業化と新しい制度として出現した市場経済によって伝統的な人間関係やコミュニティーが破壊されてしまったことが、大量の貧民を生み出しており、労働者を貧民に変えてしまった原因を社会から取り除く必要がある。利得と利潤の原理に基づく市場経済の発展を放任せず、犯罪や貧困が国民全体に蔓延するのを、①協同の原理と②立法による介入の双方から抑制しなければならないのである。
オーウェンの社会主義 オーウェンは、キリスト教の倫理が貧しい人びとに対して無力となった空白を埋めるべく、社会的存在としての人間の自由と責任を回復しようとする努力としての「社会主義」的実践を担ったのだった。
救貧法 Poor Low
https://freeassociations2020.blogspot.com/2020/05/httpswww.html
https://www.y-history.net/appendix/wh0904-065_1.html
ウェーバー体系
http://nam-students.blogspot.com/2013/02/blog-post_26.html
(Weber Wirtschaftsgeschichte [1923],1927 一般社会経済史要論 1954 岩波)
…
ポランニーにとってウェーバーは,メンガーやミーゼスの「経済主義的分析」を「社会学的分析に回帰」させる快挙を行った経済史家であった.彼は,ウェーバーの「社会学的な分析と経済主義的な分析の妥協」を批判的に継承する必要があることに注意を促している(123/訳533―34).ウェーバーの「総合」=「経済社会学」を批判的に乗り越えなければならない一例として,「経済的」行為に関するウェーバーの説明を挙げる.ウェーバーは,「物質的な欲求・充足を用意し提供する」という「実質」的な意味での「経済的(economic)」という用語を確定しないうちに,「処分する希少手段の諸用途の間でひとつの選択を行う」という「形式的」な「合理性の基準」を説明していた15).(『 人間の経済2』)
若森みどり『ポランニー…』NTT5~6頁にはポランニーとドラッカーについての記述がある。
若森学士論考
ポランニー(カール・).Polanyi,Karl,❸T.46,316,319,458/◉W.49(『人間の経済』),50,68(『人間の経済学』),83(『人間の経済』),84,148/◎N.30,
『大転換』,❸T.316
ポランニー(カール・).Polanyi,Karl,『人間の経済』10^468,136,148^483
『経済と文明』(11)^469,
『経済の文明史』137@^481,139@,295@(自己調整的システム「自己調整的市場と擬制商品」)
《第二部 世界=帝国
第二章 世界貨幣
4 世界貨幣
…
ポランニーはいう。《古代貨幣は極端な場合には、支払い手段としては一つの種類の貨幣を、価値尺度としてはもう一つの貨幣を、価値の蓄蔵のためには第三の貨幣を、交換手段としては第四の貨幣を使用する(8)》。たとえば、バビロニアでは、価値尺度としては銀、支払い手段としては大麦、交換手段としては油脂、羊毛、なつめやしの実などが使用されていた。このように、彼は「原始貨幣」の多様性を強調する。しかし、ポランニーはこう付け加えている。それらの間には、銀一シクル=大麦一グルというレートが定められて、全体として精緻な物々交換の体系が作られていた、と。これは、すでに銀が世界貨幣であったが、国内ではほとんど使用されなかったということを意味するのである。以上の例は、世界貨幣が存在する一方で、同時に、等価物や一般的等価物が貨幣として使われていたということを示すにすぎない。
(8) ポランニー『経済の文明史』玉野井芳郎・平野健一郎編訳、日本経済新聞社、六四頁。
…
ポランニーはつぎのように付け加える。《本物の奴隷が外国の君主への貢納の支払い手段であるのに対し、子安貝は国内の支払い手段として、時には交換手段として機能する場合もある》。奴隷は、商品(使用価値)であり、また羊と同様に移動できる商品であるから、対外貨幣として通用する。しかるに、子安貝は等価物の章票(トークン)のようなものであり、対内的にしか通用しない(12)。
5 貨幣の商品化 カール・ポランニーは、市場経済が「自己調整的システム」として自立するためには、労働力、土地および貨幣が「擬制商品化」することが不可欠で、それが歴史的に具体化したのは一八世紀末以降でしかない、といっている。》柄谷行人『世界史の構造』
The Great Transformation: The Political and Economic Origins of Our Time Karl Polanyi
目次
- 第1部 国際システム
第1章 平和の100年 / 第2章 保守の20年代、革命の30年代
- 第2部 市場経済の興亡
第3章 「居住か進歩か」 / 第4章 社会と経済システム / 第5章 市場パターンの進化 / 第6章 自己調整的市場と擬制商品-労働、土地、貨幣 / 第7章 スピーナムランド-1795年 / 第8章 スピーナムランド法以前と以後 / 第9章 貧民とユートピア / 第10章 社会の発見と政治経済学
第11章 人間、自然、生産組織 / 第12章 自由主義的教義の誕生 / 第13章 自由主義的教義の誕生(続)-階級利害と社会変化 / 第14章 市場と人間 / 第15章 市場と自然 / 第16章 市場と生産組織 / 第17章 そこなわれた自己調整機能 / 第18章 崩壊への緊張
- 第3部 トランスフォーメーションの進行
第19章 大衆政治と市場経済 / 第20章 社会変化の始動 / 第21章 複合社会における自由
ハンガリーからイギリス、アメリカへと渡ったポランニーが、研究成果として第2次世界大戦中に執筆した。人間の経済は社会関係の中に沈み込んでおり、市場経済は人類史において特別な制度であるとした。そして、市場経済の世界規模の拡大により社会は破局的混乱にさらされ、やがて市場経済自体のメカニズムが引き起こした緊張によって崩壊したと論じた。
市場経済が世界規模で進む様子をウィリアム・ブレイクの言葉を借りて「悪魔のひき臼」と呼び、市場社会の崩壊と複合社会への揺り戻しを、書名にも用いられている「大転換」(Great Transformation) という言葉で表現した[1]。
- 第1部 国際システム
第1章 平和の100年 / 第2章 保守の20年代、革命の30年代
- 第2部 市場経済の興亡
第3章 「居住か進歩か」 / 第4章 社会と経済システム / 第5章 市場パターンの進化 / 第6章 自己調整的市場と擬制商品-労働、土地、貨幣 / 第7章 スピーナムランド-1795年 / 第8章 スピーナムランド法以前と以後 / 第9章 貧民とユートピア / 第10章 社会の発見と政治経済学
第11章 人間、自然、生産組織 / 第12章 自由主義的教義の誕生 / 第13章 自由主義的教義の誕生(続)-階級利害と社会変化 / 第14章 市場と人間 / 第15章 市場と自然 / 第16章 市場と生産組織 / 第17章 そこなわれた自己調整機能 / 第18章 崩壊への緊張
- 第3部 トランスフォーメーションの進行
第19章 大衆政治と市場経済 / 第20章 社会変化の始動 / 第21章 複合社会における自由
19世紀は世界規模での市場経済化がすすみ、それまでに存在しなかった「市場社会」(Market Society)が成立したと述べる。市場社会の原因となった国際システムとして、ポランニーは勢力均衡、国際金本位制、自己調節的市場、自由主義的国家の4つをあげる。市場経済は、市場価格によってのみ統制される自己調節機能に基づいて社会を作り替えようとしたが、それはユートピア的な擬制であると指摘した。
社会統合のパターン編集
社会の存続のために不可欠な前提は不変だと主張し、人間は社会的地位、社会的権利、社会的資産を守るために行動するのであり、個人的利益や財貨の所有は結果に過ぎないとした。市場社会以前に社会を統合してきたパターンとして、互酬、再配分、家政の3つをあげる。ポランニーは、人類学者のブロニスワフ・マリノフスキやリヒャルト・トゥルンヴァルト、社会学者のマックス・ウェーバーらの研究を援用した。なお、のちの著作『人間の経済』では、家政は再配分の中に包含され、社会統合のパターンは互酬、再配分、交換の3つとする。
これらのパターンに対して市場経済は、本来は商品ではない労働(人間)、土地(自然)、貨幣を商品化し、人間の生活を破壊すると述べた(擬制商品論)。そして、経済人に代表される市場経済的な人間像は、特殊な例であると主張した。
市場経済の歴史編集
市場が重要な役割を持つようになったのは重商主義以後であるとし、主に産業革命以後の歴史を通して、国家の保護のもとで市場経済が肥大化していく様子を述べる。
また、ポランニーは二重の運動があったことを指摘する。市場経済が拡大する一方で、市場を規制する政策や運動も起こった。これを市場経済の自己調整システムに対する社会の自己防衛と位置づける[2]。
市場社会の崩壊編集
市場社会が、19世紀から20世紀にかけての社会の防衛によって崩壊する様子を分析する。まず、労働と土地が、社会立法と穀物関税とを獲得した。穀物法により生活費が上昇した製造業者は保護関税を主張し、労働組合は賃上げを要求した。そして、社会立法が関税により規定された賃金水準に基づくようになると、雇用主は保護の継続を求めるようになる。このような保護主義などにより自己調節機能が阻害され、国家は自己調節機能を補完するための政治的干渉を行ない、市場の緊張が金本位制や勢力均衡にも伝播し、最終的に市場社会が崩壊へ至ったとする[3]。
1920年代に市場社会が崩壊したのちに隆盛した、ファシズム、社会主義、ニュー・ディールについては、別個の性質に見えるものの、すべて市場経済から社会を防衛するための活動とする。そして市場社会の崩壊後には複合社会が到来すると論じる。
本書の評価編集
本書をポランニーの代表作とみなすか、のちに書かれた『経済と文明』や『人間の経済』を重要視するかは、研究者の間で評価が分かれている[4]。本書では、市場社会は複合社会へ移るとされているが、複合社会の具体的な経済体制については詳細に述べられていない[5]。
出典・脚注編集
- ^ 『大転換』 305頁
- ^ 『大転換』 101頁
- ^ 『大転換』 第17章、第18章
- ^ 栗本慎一郎『経済人類学』 1975年。59頁、79頁
- ^ 『大転換』訳者あとがき 423頁
- 若森みどり 『カール・ポランニー-市場社会・民主主義・人間の自由』 NTT出版、2011年。
- 栗本慎一郎 『経済人類学』 講談社〈講談社学術文庫〉、2014年。
外部リンク編集
カール・ポランニー (Karl Polanyi), 1886-1964
カール・ポランニーの一生は、実質的な流浪生活だった――居心地のいい教授職を得たこともない――この放浪経済史家は、それでも象牙の塔の同時代人たちに対して強い影響を与えた。ポランニーはウィーン生まれのブダペスト育ちで、学生時代にはジェルジ・ルカーチやカール・マンハイムといった天才過激派たちの集団に参加。第一次世界大戦中にロシア戦線で捕虜となり、釈放されるとジャーナリストとしてウィーンに帰還した。1933 年にイギリスに移住し、英語教師としてその日暮らし。1940 年に、アメリカの講演旅行中に、ポランニーはベニントン大学からの招きを受けることにした。ここでかれはその大力作『大転換』(1944) を書き上げた。
ポランニーの中心的な理論は、社会学者や経済史家の間では有名だ。つまり、資本主義は歴史的に見て異常な存在だ、ということ。それまでの経済的な仕組みは、社会関係に「埋め込まれ」ていたけれど、資本主義では、その状況が逆転している――社会関係のほうが経済関係によって規定されている。ポランニーの見方では、人間の歴史の中では市場関係なんかよりも相互関係、再分配、共同体の義務なんかのほうがずっと頻繁だった。でも、資本主義はそうした様子を見せないどころか、その台頭によってこうした関係は後戻りできないほどに破壊された。産業革命の「大転換」は、あらゆる相互関係のあり方を市場で置き換えてしまうことだった。
この「台頭」の詳細も、ポランニーのもう一つの主要業績となる。ポランニーの議論によれば、資本主義は「自然」でも「必然的」でもなくて、新興商人や当時のブルジョワ階級が国に対して、自分たちの弱々しい事業や不安定な社会的地位を保護しろと求めた要求から生じたものなのだった。こうして政府は資本主義の産婆となり、必要な法制度と、実質的な軍によるその施行によって資本主義の成長を助けたわけだ。
ある意味で、ポランニーの理論はマルクスの理論と共通性を持っていたけれど、でもそれはドイツ歴史学派の烙印のほうが明確だとも言える――特に後期ヴェーバーやジンメルとの類似が大きい。もちろんかなりの部分は、社会学者や経済人類学者、たとえばデュルケム、マリノウスキー、テュルンヴァルト らにも負っている。ポランニーの業績はいまでもこの分野の古典とされる。一方、ノースやフォーゲルらの新経済史一派は、ポランニーとまさに正反対の主張をしている――つまり、市場理論は経済史のあらゆる時代に普遍的に適用できる、と主張しているわけだ。
1947 年に、コロンビア大学の社会学部が、1944 年の『大転換』を理由にかれを教授陣に招いた。でもその過激派の妻 Ilon Duczynska が、1920 年代初期に失敗したハンガリー革命で大きな役割を果たしていたために、アメリカの入国査証がおりなかった。結局ポランニーはカナダに引っ越して、トロントからニューヨークにその後ずっと通勤し続けた。コロンビアでの学際的な仕事は、ずいぶんとかれのためになった――第二の優れた著書 Trade and Markets in the Early Empires (1957) をまとめたのもこの時期だった――けれど、ポランニーはその後一生にわたり、補助教授としての客員でしかなかった。その驚異的な大陸を横切る通勤や、その政治的・知的独自性は、かれをコロンビアのアカデミック環境からも孤立させることとなる。もっと地位の確立した弟、化学者兼哲学者マイケル・ポランニーとちがって、カール・ポランニーは決して根を下ろすことがなかった。かれは永遠の追放者のままだった――ハンガリーから、オーストリアから、アメリカから、そして最後には学会すべてから。
カール・ポランニーの主要著作
- The Great Transformation, 1944.
邦訳 ポラニー『大転換:市場社会の形成と崩壊』(野口 建彦、 栖原 学 訳, 東洋経済新報社, 2009)
- Trade and Markets in Early Empires, with K. Conrad, K. Arensburg and H.W. Pearson, 1957.
- Dahomey and the Slave Trade, with A. Rotstein, 1966.
邦訳 ポランニー『経済と文明』(栗本慎一郎, 端信行訳, 筑摩文庫, 2004. ただし翻訳はきわめて劣悪.)
- Primitive, Archaic and Modern Economics: Essays of Karl Polanyi, 1968.
- The Livelihood of Man, with H.W. Pearson, 1977.
- ポランニー『経済の文明史』(玉野井芳郎他編訳, 筑摩文庫, 2003.)
カール・ポランニーに関するリソース
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カール・ポランニー(ハンガリー語: Polányi károly [ˈpolɑ̈ːɲi ˈkɑ̈ːroj] ポラーニ・カーロイ、英: Karl Polanyi、1886年10月21日 - 1964年4月23日)は、ウィーン出身の経済学者。経済史の研究を基礎として、経済人類学の理論を構築した。日本語での表記には、カール・ポラニーなどがある。ハンガリー人は姓を先に表記するのでハンガリー語の表記はポラーニ・カーロイである。出生時の名前は Pollacsek Károly[ˈpolːlɒt͡ʃɛk ˈkɑ̈ːroj] ポッラチェク・カーロイ。
学生時代からハンガリーの解放運動に関わっていたが、政治状況の変化により亡命を余儀なくされ、イギリスへと渡った。この時に、イギリスの資本主義を体験し、オックスフォード大学とロンドン大学の依頼で成人教育を担当したことが、『大転換』の執筆につながる[2]。1940年から1943年にかけてアメリカのベニントン大学に滞在して『大転換』を著し、1944年にニューヨークで出版された。
その後、モーリス・クラークの招聘を受けて1947年からアメリカのコロンビア大学で客員教授となり、一般経済史を教えた。しかし、妻のイロナが共産主義運動に関わっていたためにアメリカ合衆国のビザが許可されず、ポランニーはカナダのピカリングの住まいから12時間をかけてコロンビア大学へ通った[3]。
晩年は産業社会と人間の自由についての研究に取り組み、『大転換』後の思想展開として『人間の経済』や『自由と技術』などの著作を構想していたが、未完のままカナダで死去した。『人間の経済』はハリー・ピアスン編集で遺著として出版されたが、『自由と技術』は、コロンビア大学の大学院生だったアブラハム・ロートシュタインがポランニーとの会話を記録した「ウィークエンド・ノート」に構想が残るのみである[4]。カナダのコンコルディア大学には、カール・ポランニー政治経済研究所が設立され、未発表原稿を含めた文献を管理している。
ポランニーの父ポッラチェク・ミハーイ (Pollacsek Mihály [ˈpolːlɒt͡ʃɛk ˈmihɑ̈ːj]) は、鉄道建設業を営む事業家、母はヴォール・ツェツィーリア (Wohl Cecília [ˈvoːl ˈt͡set͡siːliɒ])。弟のマイケル・ポランニーは物理化学者、科学哲学者、社会学者。甥のジョン・ポランニーは化学者でノーベル化学賞の受賞者。妻のドゥチンスカ・イロナはハンガリー解放運動家。娘のカリ・ポランニー・レヴィットは経済学者でマギル大学教授。姉のポッラチェク(ポラーニ)・ラウラ (Pollacsek (Polányi) Laura [ˈpolːlɒt͡ʃɛk ˈpolɑ̈ːɲi ˈlɒurɒ]) はブダペストのハンガリー王立大学(現在のエトヴェシュ・ロラーンド大学)で初めて博士号を得た女性であり、イギリスの冒険家ジョン・スミスのトランシルヴァニアにおける逸話が事実であると証明した歴史研究で知られ、前衛的な幼稚園経営者でもあり、ケストレル・アルトゥール(アーサー・ケストラー)(Kösztler Artúr[ˈkøstlɛr ˈɒrtuːr]) がそこに入園した。ラウラの娘エヴァ・ザイゼル、ことシュトリケル・エーヴァ・アマーリア (Striker Éva Amália [ʃtrikɛr ˈe̝ːvɒ ˈɒmɑ̈ːliɒ])(ハンス・ゼイゼルと結婚して Eva Striker Zeisel と表記)は陶器のデザインで知られるインダストリアル・デザイナーであり、ケストラーの恋人でもあった。妹のポッラチェク(ポラーニ)・ジョーフィア (Pollacsek (Polányi) Zsófia [ˈpolːlɒt͡ʃɛk ˈpolɑ̈ːɲi ˈʒoːfiɒ]) はナチス・ドイツのダッハウ強制収容所で死亡した。
父ミハーイの下で働いていた主任技師は、物理学者レオ・シラードの父だった。シラードは、ポランニーの弟マイケルの友人であった。
オーストリアン・エコノミスト副編集長時代に、のちの経営学者ピーター・ドラッカーと出会い、以後長い交友関係を結ぶ。ドラッカーは、アメリカのベニントン大学の教授職をポランニーに紹介し、『大転換』執筆のきっかけともなったというが、ドラッカーによるエピソードには誇張や誤りが多いとされ、親族が訂正を求めている[7]。[7^若森みどり 『カール・ポランニー-市場社会・民主主義・人間の自由』 NTT出版、2011年。
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経済の定義編集
人間は自分と自然との間の制度化された相互作用により生活し、自然環境と仲間たちに依存する。この過程が経済だとした。また、経済は社会の中に埋め込まれており(Embeddedness)、経済的機能として意識されないことがあると主張した。ポランニーは、「経済的」という言葉の定義について2つをあげる。
1. 実在的な定義。欲求・充足の物質的な手段の提供についての意味。人間とその環境の間の相互作用と、その過程の制度化のふたつのレベルから成る。
2. 形式的な定義。稀少性、あるいは最大化による合理性についての意味。
前者の経済過程の制度化は、場所の移動、専有の移動という2種類の移動から説明できる。従来の経済学では後者が重視されているが、それは狭い定義であると指摘した[8]。
自らの研究姿勢について「実在的」(substantive)と定義した。実在的という言葉の意味は、人間が自然や社会との間で行なう交換(interchange)を指す。実在とは諸関係のなかで相対的に存在するのであり、社会制度や行為がどのように経済的であるかも相対的に決まるとした。そのため、必ずしも合理的な行為のみが経済的であるとは限らず、ポランニーは機能や形式を重視する分析を批判している。このような姿勢から、ポランニー派の経済人類学はサブスタンティビスム(実在主義)とも呼ばれている。
社会統合のパターン編集
経済過程に秩序を与え、社会を統合するパターンとして、互酬、再配分、交換の3つをあげる。互酬は義務としての贈与関係や相互扶助関係。再配分は権力の中心に対する義務的支払いと中心からの払い戻し。交換は市場における財の移動である。ポランニーは、この3つを運動の方向で表しており、互酬は対称的な2つの配置における財やサービスの運動。再配分は物理的なものや所有権が、中心へ向けて動いたあと、再び中心から社会のメンバーへ向けて運動すること。交換は、システム内の分散した任意の2点間の運動とする[9]。
交易、貨幣、市場の定義編集
市場経済において不可分と考えられる交易、貨幣、市場の3つは、それぞれ別個の起源と発展過程があると指摘した。また、その3つは共同体の内部と外部では異なる発展をとげていたと論じた。沈黙交易や交易港の分析を通して、共同体同士のコミュニケーションについて考察した。
交易は、共同体の外部との関係で発生したとし、従事する者も対外交易者(いわゆるストレンジャーが含まれる)と対内交易者とにわかれる。そして貨幣には対内貨幣と対外貨幣があり、市場にも対内市場と対外市場があるとしている。
等価の概念編集
非市場経済においては、等価は市場メカニズムでなく慣習、または法によって決められると論じた。そこで多様な財は、代替的等価物の比率に基づいて置き換えられる。利得、利潤、賃金、レント、その他収入と呼ばれるものは、非市場経済において等価に含まれていたとし、この等価性が公正価格制度の基礎であるとした。近代的な等価の概念との相違点として、私益のための利用を含まないこと、及び等価を維持する公正さを挙げる[11]。
貨幣は、言語、筆記、度量衡と同じく意味論的なシステムである。貨幣の機能には支払、価値尺度、計算、富の蓄蔵、交換などがあるが、それらは別々の起源と目的をもち、いずれかの機能が貨幣の本質だとするのは目的論的であるとする。全てを含む全目的な貨幣が現れたのは、文字をもつ社会が誕生したのちであると論じた[12]。
市場社会論編集
人間の経済原理の一部が肥大化したものが市場経済だとする。市場経済の世界規模での拡大は、人類史において普遍的な状況ではなく、複合的な経済へ戻ると考えた。
19世紀は、世界規模の市場経済化が進み、それまで人類史上に存在しなかった市場社会を生んだとする。市場社会は、市場価格以外には統制されない経済を目的としたが、それ自体のメカニズムが原因で20世紀に崩壊し、市場経済から社会を防衛するための活動(ファシズム、社会主義、ニュー・ディール)も隆盛したとする。この分析は『大転換』に詳しく、ポランニーはウィリアム・ブレイクの言葉を借りて市場経済化を「悪魔のひき臼」に例え、癌という表現も用いている。
自らの行為が他人に与える影響やその社会的結果に責任を負う「責任を担うことを通しての自由」や、社会生活の透明性を高めることで他者や自然に対する社会的責任を負担する「見通し問題」を論じ、客観的に見える社会関連や制度は、意図された行為による非意図的な副産物として発生するとした。こうした問題を「ビヒモス」や「複雑な社会における自由」などの草稿や、未完に終わった『自由と技術』などで繰り返しテーマにしている。ルソーの『社会契約論』からは社会の存続と個人の自由のジレンマや、「普通の人々」の文化の概念を引き出した。自由と平等の関係をルソー・パラドックスと呼び、2つを両立させる自由の制度化を考察した[13]。
評価・影響編集
- 単著
- 共著
- Trade and Markets in the Early Empires (1957) 『初期帝国の交易と市場』 - 共著。ポランニーの論文「制度化された過程としての経済」、「アリストテレスによる経済の発見」を収録。
出典・脚注編集
- 栗本慎一郎 『ブダペスト物語』 晶文社、1982年 ISBN 4-7949-3777-6 - ブダペスト時代のポランニー、およびポランニー一族について述べている。ドラッカーの記述に関する訂正あり。
- 栗本慎一郎 『経済人類学』 講談社〈講談社学術文庫〉、2013年。
- 佐藤光 『カール・ポランニーの社会哲学-『大転換』以降』 ミネルヴァ書房、2006年。
- ピーター・ドラッカー 『傍観者の時代』 ダイヤモンド社〈ドラッカー名著集 12〉、2008年。
- 若森みどり 『カール・ポランニー-市場社会・民主主義・人間の自由』 NTT出版、2011年。
外部リンク編集
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若森みどり論考より
返信削除パーソンズは,以上のロビンズの経済学方法論に対して,ウェーバー経済社会学の観点から,2 つの問題を提示している.第1にロビンズは,「経済行為の理論から目的を排除する急進的実証主義に陥る傾向を持っている」.第2にロビンズは,「目的を理解可能な行為の傾向として定義するが,行為の傾向と目的とは同じではない」(Parsons 1934, 512―13).なぜならパーソンズの立脚する経済社会学においては,(1)目的は,政治的・宗教的・文化的な非経済領域を含む社会システム全体によって決定され,(2)社会システムのサブシステムである経済システムの機能は,そうした目的への貢献として評価されるものだからである.その時期のパーソンズは,ヴェブレンを名指しで批判するなどアメリカ制度主義とは距離をとっていた10).しかし,ウェーバーの価値自由の名のもとに経済学と社会学を含む他の学問領域との溝を深めるロビンズの経済学方法論は,ウェーバー経済社会学が志した方向とは著しく異なっているように思われた. パーソンズの英訳も含めて,ポランニーがコロンビア大学に着任した1940年代は,英語圏でのウェーバー受容の画期的な時代であった11).
パーソンズの「紹介」によれば,ウェーバー経済社会学には,「伝統的」で「支配的な経済思想」とは対照的な2つの基本的主張がある(Parsons 1947, 27).すなわち,ウェーバーは第1 に,近代西欧世界の制度的システムを自然的な発展段階の産物として説明することを拒絶した.ウェーバーは,貨幣の使用,市場構造,経済単位の市場に対する関係,原材料・設備・労働・法的権利・私的権利の占有関係など,経済の社会的構造の分析枠組みを探究した.彼は,近代の市場経済だけでなく,(社会化などの計画経済を含む)非市場経済の分析も可能にした. 第 2 に,ウェーバーにとって近代経済は,所得配分の歪み―近代的な占有の形態―から生じる,「経済の形式的合理性と実質的合理性の対立」という不安定な緊張的要素を孕んでいる(31)12).なぜなら,「形式的合理性」が高度に実現されている近代経済では,購買力の所与の分配が実質的合理性の基準と一致する保証はないからである.可能な限りに高度な「市場の自由」を要請する競争的市場経済のプロセスは,所与の実質的基準に対立する所得分配を作り出し,不平等を拡大する.したがって,不平等の拡大や飢餓の恐怖を望まないような「所与の価値体系」(規範体系の倫理的要請)=「実質的合理性」に一致しない状況が生じる(31―32). 以上のように,ウェーバーが提起した経済社会学の基礎概念―経済的行為の定義,形式的合理性と実質的合理性の関係,経済的動機と非経済的動機の関係―や,それを踏まえた上での経済史の核心となる課題設定―様々な経済の社会的構造の解明―は,パーソンズによって英語圏で広く知られることになった.このような経緯と遭遇した1947年のポランニーは,この英訳本を何度も読みながらコロンビア大学での経済史の講義を担当し,「社会における経済の位置」という研究プロジェクトを立ち上げることになる.III ウェーバー的問題と「社会における 経済の位置」(1947)『大転換』後の「ポランニーの第2の大きな研究テーマ」は,初期的・古代的・中世的・近代的諸経済の社会構造を読み解く枠組みを構築
返信削除することであった.ポランニーはこの研究をコロンビア大学での一般経済史の講義を中心に1950 年代に進展させ,学際的なコロンビア大学でのプロジェクトの研究成果であるアーレンスヴァークとピアソンとの共著『初期帝国』の刊行によって一応の到達点に達した(Maucourant 2005, 14―15).ポランニーはコロンビア大学赴任初年度の1947 年から1953年にかけて,ウェーバーの『経済と社会』第1部第2章「経済行為の社会学的基礎範疇」を題材にして講義を組み立てた(Swedberg 1998, 214).1947 年の講義資料(Polanyi 1947 c)は,ポランニーの死後,ドルトンによって公刊された.ここでポランニーは,「衣食の道を失う危険を恐れることから労働を強制される」ことが「市場経済的条件」下での「経済的行為を決定的に動機づけている」(Weber [1922] 1947, 197 / 富永訳 361―62)13),というウェーバー『経済と社会』第1部第2章第14節「市場経済と計画経済」の議論を,「社会における経済システムの位置」という自らの課題設定のなかに組み替えた.前掲「経済行為の社会学的基礎範疇」第14節においてウェーバーは,計画経済によって「供給が実質的に合理的に行われる場合」には,(1)「労働者に対する支払いが減少するからといって扶養家族がその損害を被るようにはなり難い」こと,したがって「動機づけという点では少なくとも働く意欲を弱めること」,(2)生産経営の管理における自律性が排除され,「利他的」性格の動機が要求されること,(3)「購買における形式的計算合理性の減少を甘受しなければならないこと」を指摘した.ここでウェーバーは,実質的な合理性と形式的合理性との対立という「経済の非合理性」の問題が,「あらゆる『社会』問題の,とりわけ社会主義の問題の根底に位置している」,と述べたのであった(197―98 / 富永訳362―63).1947 年の講義でポランニーは学生に対して次のように問いかけている.すなわち,(1)いつどのようにして,労働者の飢餓の恐怖と生産者の獲得欲が「経済的動機」として出現することになったのか? (2)市場社会を健全に維持するには,経済的動機を鈍らせないことが重要なので,政府は非経済的動機の経済への干渉を慎重に排除しなければならない,という見解がどのように正当化されるに至ったのか? (3)あるいは逆に,むき出しの経済的動機を非経済的動機のなかに「埋め込む」必要性を主張した思想にはどのようなものがあるのか?ポランニーによれば,「社会において,制度的に切り離された異質な領域としての経済システム」が機能するには,それを肯定する思想―経済主義的分析―が存在する.あるいは逆に,社会において独立した経済システムが存在しないのであれば,社会から経済の切り離しを阻止するような思想―社会学的分析―が存在する.ポランニーは,モンテスキュー,ケアリー,リスト,マルクス,シュモラー,ヴェブレンを社会学的分析の代表者に,ケネーとスミスは過渡的な位置に,そしてタウンゼンド,マルサス,リカード,メンガー,ミーゼスを経済主義的分析に分類している.そしてウェーバーを,社会学的分析と経済主義的分析の最初の「総合」者に分類している. 経済主義的分析は,身分や伝統的感情など「非経済的動機」から解放されて経済的領域が自立することを主張したが,その際,「衣食の道を失う危険を恐れること」を生産関係に結びつけて「経済的動機」を立ち上げた.他方,社会学的分析は,経済的動機を抑制するような非経済的動機の機能や役割に注視し,独立した経済領域の出現を否定した.経済思想の歴史は,経済主義的分析と社会学的分析との間で大きく揺れてきたが,「経済的動機」の取り扱いこそ「社会における経済システムの位置」の思想的な問題圏を構成している(Polanyi 1947 c, 123―35 / 訳533―55)14).これに関して,ポランニーは次の
返信削除ように問いを発している.若森 カール・ポランニーの「経済社会学」の誕生 37われわれは2つの点に注意を向けるべきである.(1)社会における経済システムが離床しているという仮定をどの程度,〔分析の;引用者〕基礎としているか.あるいは逆に,経済システムをひとつの側面として位置づける全体としての社会学的な分析を,どの程度,提示しているか.(2)現実の心理的動機に関して思想家たちの基礎となっているのはどんな諸仮定であるか.彼らは固有な意味での経済的動機の存在をどこまで仮定しているのか.(122―23 / 訳532) ポランニーにとってウェーバーは,メンガーやミーゼスの「経済主義的分析」を「社会学的分析に回帰」させる快挙を行った経済史家であった.彼は,ウェーバーの「社会学的な分析と経済主義的な分析の妥協」を批判的に継承する必要があることに注意を促している(123/訳533―34).ウェーバーの「総合」=「経済社会学」を批判的に乗り越えなければならない一例として,「経済的」行為に関するウェーバーの説明を挙げる.ウェーバーは,「物質的な欲求・充足を用意し提供する」という「実質」的な意味での「経済的(economic)」という用語を確定しないうちに,「処分する希少手段の諸用途の間でひとつの選択を行う」という「形式的」な「合理性の基準」を説明していた15). またポランニーは,ウェーバーの「効用給付」(utility)概念が,諸財の機能と人間によるサーヴィスとを区別しない性質を持つことに対して大変不満であった(Swedberg 1998, 215).こうした留保を置きつつもポランニーは,「社会における経済システムの位置」という自らの研究課題が,「一般経済史の諸問題を明晰にする」ウェーバーの意図を継承するものだ,と自覚している(Polanyi 1947 c, 138 / 訳 555).ただ,ポランニーのみたところ,ウェーバー自身は,「経済固有の合理主義的な面を強調」しすぎたために,彼が構築した「経済行為の社会学的基礎範疇」は人間の経済史の全範囲に適用できるようには活用されず,「資本主義経済分析の道具」として経済学者らに評価される結果を導いた.したがってポランニーによれば,「十分な方法論的基盤に基づいて一般経済史の研究を確立するには,経済分析の分野で展開された諸定義の無意識の影響から身を守る必要がある」(121/訳531).ポランニーが危惧している「無意識な影響」には次のものがある.第1に,「経済的という言葉にカタラクティックな定義を与えると,経済的行為のすべて4 4 4はバーターおよび交換とされる結果を導く」(120―21/訳529).第2に,「経済的」という言葉が「利潤を生む(gainful)」という意味としてのみ用いられるならば,「経済的諸制度は,この定義からして利潤動機によって運営されていることになる」(122/訳530).そうすると,「諸個人が様々な時代や場所で経済的諸制度に参加する現実の心理的諸動機」についての「問いは意味がなくなる」(121― 22 / 訳530).第3は,歴史における経済諸制度の発展の考察を妨げる,「経済進歩の法則」の悪影響である(121―22/訳530).1947 年の講義でポランニーは,次のように問題を設定している.すなわち,「社会における経済システムの位置に関する問題は,いくつかの重要な問いを含んでいる.たとえば,経済的諸制度の離床(separateness)あるいは埋め込み(embeddedness)の度合い,個々人がそれらの諸制度の運営に参加する現実の心理的動機,あるいは経済的諸制度の進化に関するありうるべき発展法則という問題である.これら重要な諸論点は,『経済的』という言葉が『欲求・充足の物質的な手段の提供に関連するもの』として理解されない場合には,見失われる危険性がある」(122/訳531).このようにポランニーは,ウェーバーの経済社会学的方向づけが,経済学
返信削除Parsons, T. 1934. Some Reflections on the Nature and Significance of Economics. Quarterly Journal of Economics 48:511-45.-. 1940. Reply to Professor Knight. Canadian Journal of Economics and Political Science 6:466-73.-. 1947. Introduction. In Weber [1922] 1947:1-77. Parsons, T. and N. J. Smelser. 1956. Economy and Society. London: Kegan Paul. 富永健一訳『経済と社会』I/II巻,岩波書店,1958. Polanyi, K. [1944] 2001. The Great Transformation. Boston: Beacon Press. 野口建彦・栖原学訳,『[新訳]大転換』,東洋経済新報社,2009.-. 1945. Universal Capitalism or Regional Planning? London Quarterly of World Affairs 10 (3): 81-91.-. 1947 a. On Belief in Economic Determinism. Sociological Review xxxix: 96-112.-. 1947 b. Our Obsolete Market Mentality. Commentary 3-Feb. In Polanyi 1968:59-77(ポランニー,K. [1975] 2003:49-79).-. 1947 c. Polanyi’s Mimeographed Notes. In Polanyi 1968:120-38. 玉野井芳郎ほか訳『人間の経済』II 巻,岩波書店,1980:528-55.-. 1957 a. The Economy as Instituted Process. In Arensberg, Polanyi, and Pearson 1957 ( ポ ラ ンニー,K. [1975] 2003:361-413).-. 1957 b. Aristotle Discovers Economy. In Arensberg, Polanyi, and Pearson 1957 (ポランニー,K. [1975] 2003:261-328).-. [1958-60] 1971. The Two Meanings of ‘economic.’ Studies in Economic Anthropology (Anthropological Studies) 7:16-24. 玉野井芳郎訳,メンガーにおける『経済的』の二つの意味『現代思想』5(11), 1977:96-107.-. 1962. Biographical Notes. Karl Polanyi Archive. Container 30-1, Karl Polanyi Institute of Political Economy. Montreal: Concordia University.-. 1968. Primitive, Archaic, and Modern Economies, edited by G. Dalton. Boston: Beacon Press.-. 1977. The Livelihood of Man, edited by H. Pearson. New York: Academic Press. 玉野井芳郎ほか訳『人間の経済』I/II巻,岩波書店,1980. Robbins, L. [1932] 1952. An Essay on the Nature and Significance of Economics. London: Macmillan. 中山伊知郎監修,辻六兵衛訳『経済学の意義と本質(第2版)』東洋経済新報社,1960. Shionoya, Y. 2005. Getting Back to Max Weber from Sociology to Economics. The Soul of the German Historical School. New York: Springer: 31-50. Swedberg, R. 1998. Max Weber and the Idea of Economic Sociology. Princeton: Princeton Univ. Press. Weber, M. [1922] 1947. The Theory of Social and Economic Organization. Translated from the German by A. R. Henderson and Talcott Parsons, Revised and Edited, with an Introduction by T. Parsons. London: William Hodge and Company. 第 1 部第1 章:阿閉吉男・内藤莞爾訳『社会学の基礎概念』恒星社厚生閣,1987. 第1部第2章:富永健一訳「経済行為の社会学的基礎範疇」,尾高邦雄編『マックス・ウェーバー』世界の名著,中央公論社,1975. 第1部第3―4章:世良晃志訳『支配の諸類型』第3―4章,創文社,1974.-. [1923] 1927. The General Economic History. Translated by F. Knight. London: George Allen & Unwin. 青山秀夫ほか訳『一般社会経済史要論』上/下巻,岩波書店,1955.木村雄一.2004.「ライオネル・ロビンズの効用と個人間比較」『経済論叢』(京都大学経済学会)173 (2): 50-72.小林 純.2001.「マックス・ヴェーバー研究の現在」『経済学史学会年報』40:1-12.-. 2006.「M.ヴェーバー」八木紀一郎編『経済思想7 経済思想のドイツ的伝統』日本経済評論社: 199-262.権上康男.2006.「新自由主義の誕生(1938~47)」権上康男編『新自由主義と戦後資本主義』日本経済評論社: 3-58.佐藤 光.2006.『カール・ポランニーの社会哲学』みすず書房.塩野谷祐一.1995.『シュンペーター的思考』東洋経済新報社.シュムペーター,J. [1908] 1986. 大野忠男ほか訳『理論経済学の本質と主要内容』下巻,岩波書店.高城和義.2003.『パーソンズとウェーバー』岩波書店.フーコー,M. [1978-79/2004] 2008. 慎改康之訳『生政治の誕生』筑摩書房.ホジソン,J. [1999] 2004. 若森章孝ほか訳『経済学とユートピア』ミネルヴァ書房.ポランニー,K. [1975] 2003. 玉野井芳郎ほか編訳
返信削除『経済の文明史』筑摩書房.若森 カール・ポランニーの「経済社会学」の誕生 49-. [1975] 2004.栗本慎一郎ほか訳『経済と文明』筑摩書房.馬渡尚憲.1990.『経済学のメソドロジー』日本評論社.八木紀一郎.2004.『ウィーンの経済思想』ミネルヴァ書房.-. 2006.「C.メンガー」八木紀一郎編『経済思想7 経済思想のドイツ的伝統』日本経済評論社: 113―65.-. 2009.「オーストリア学派」田村信一・原田哲史編『ドイツ経済思想史』八千代出版: 179217.若森みどり.2008.「カール・ポランニーにおける『経済と社会』」『経済学史学会大会報告集』第72回全国大会,経済学史学会: 84―89.-. 2009.「カール・ポランニーと社会に埋め込まれた経済」『創文』9, 創文社: 19―22.渡辺 深.2002.『経済社会学のすすめ』八千代出版.
ブダペスト物語―現代思想の源流をたずねて 単行本 – 1996/11^1982
返信削除栗本慎一郎 (著)
5つ星のうち 3.5 2件のカスタマーレビュー
1918年の革命をひかえたハンガリー帝国の首都ブタペストには、数多くの天才が生まれた。すなわちカールとマイクル両ポランニー兄弟。ルカーチ。マンハイム。ローハイム。シラード。ノイマン、バルトークである。
登録情報
単行本: 300ページ
出版社: 晶文社 (1996/11)
言語: 日本語
ISBN-10: 4794937776
モンスーン
返信削除5つ星のうち4.0ここにもドラッカーが・・・
2006年4月29日
形式: 単行本
経営学者ピーター・ドラッカーと、栗本氏の出会いが生んだ本です。
20世紀の文化(学問と芸術)のかなりの部分の源流が東欧にあったということが分かります。
栗本氏と作家・笠井潔氏との対談本「闇の都市、血と交換」も、この本の続編として読めるかな。
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5つ星のうち3.0現代文化の源流
2003年5月30日
形式: 単行本
同じブダペスト大学の学生が、同じカフェに集い、後にノーベル賞受賞者を輩出することになる。著者はその秘密を探ろうとしてハンガリーへと向かう。これが主要なテーマだ。読めばわかる。
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返信削除ポランニー・コレクション 経済と自由 ─文明の転換
カール・ポランニー 著 , 福田 邦夫 翻訳 , 池田 昭光 翻訳 , 東風谷 太一 翻訳 , 佐久間 寛 翻訳
『大転換』から『経済の文明史』まで、ポランニーのすべてがわかる!
本邦初訳 未発表論考集
二度の大戦を引き起こした近代市場社会の問題点をえぐり出し、真の平和に寄与する社会科学の構築を目指す。ポランニー思想の全てが分かる論考集。
ポランニー・コレクション 経済と自由 ─文明の転換
シリーズ:ちくま学芸文庫
定価:本体1,600円+税
Cコード:0133
整理番号:ホ-9-3
刊行日: 2015/07/08
※発売日は地域・書店によって
前後する場合があります
判型:文庫判
ページ数:560
ISBN:978-4-480-09666-1
JANコード:9784480096661
カール・ポランニー
ポランニー,カール
1886−1964年。ハンガリーに生まれ、第2次大戦後は主にアメリカで活躍した経済思想家。歴史学、経済学、人類学等の浩瀚な知識をもとに、近代市場経済の特殊性を明らかにし、注目を集めた。主著に『大転換』『人間の経済』などがある。
著者に関する情報
経済の文明史 経済の文明史
経済と文明 ─ダホメの経済人類学的分析 経済と文明 ─ダホメの経済人類学的分析
この著作者の本の一覧をみる
この本の内容
本書は、ながく公刊が待たれていた近代ヨーロッパ批判「新しい西洋のために」を冒頭に収めるカール・ポランニーの未発表論考集である。初期のファシズム研究から、中期『大転換』の市場社会批判を経て、後期「経済人類学」構想へと至る、ポランニー思想のすべてが網羅されている。ポランニーによれば、本来「商品」とはなりえない労働力や土地を商品化したことが、大恐慌をはじめとする市場社会の崩壊を引き起こし、その対処策としてとられた政策がファシズムの擡頭と二度の世界大戦を招いた。歴史学、経済学、人類学の浩瀚な知識をもとに、近代社会の病巣に迫った偉大な思想家の仕事を読む。
この本の目次
第1部 経済、技術そして自由の問題(新しい西洋のために
経済学とわれわれの社会的運命を形成する自由 ほか)
第2部 制度について(制度分析は、いかに社会科学に貢献するか
国際理解の本質 ほか)
第3部 社会科学をいかに用いるのか(社会科学をいかに用いるのか
政治理論について ほか)
第4部 危機と転換(今、何が求められているのか―ひとつの応答
近代社会における哲学の衝突 ほか)
ポランニー・コレクション経済と自由 文明の転換
返信削除叢書名
ちくま学芸文庫 ≪再検索≫
著者名等
カール・ポランニー/著 ≪再検索≫
著者名等
福田邦夫/訳 ≪再検索≫
著者名等
池田昭光/訳 ≪再検索≫
著者名等
東風谷太一/訳 ≪再検索≫
著者名等
佐久間寛/訳 ≪再検索≫
出版者
筑摩書房
出版年
2015.7
大きさ等
15cm 557p
注記
For a new West.の翻訳
NDC分類
332.06
件名
経済‐歴史‐近代 ≪再検索≫
要旨
本書は、ながく公刊が待たれていた近代ヨーロッパ批判「新しい西洋のために」を冒頭に収めるカール・ポランニーの未発表論考集である。初期のファシズム研究から、中期『大転換』の市場社会批判を経て、後期「経済人類学」構想へと至る、ポランニー思想のすべてが網羅されている。ポランニーによれば、本来「商品」とはなりえない労働力や土地を商品化したことが、大恐慌をはじめとする市場社会の崩壊を引き起こし、その対処策としてとられた政策がファシズムの擡頭と二度の世界大戦を招いた。歴史学、経済学、人類学の浩瀚な知識をもとに、近代社会の病巣に迫った偉大な思想家の仕事を読む。
目次
第1部 経済、技術そして自由の問題(新しい西洋のために;経済学とわれわれの社会的運命を形成する自由 ほか);第2部 制度について(制度分析は、いかに社会科学に貢献するか;国際理解の本質 ほか);第3部 社会科学をいかに用いるのか(社会科学をいかに用いるのか;政治理論について ほか);第4部 危機と転換(今、何が求められているのか―ひとつの応答;近代社会における哲学の衝突 ほか)
内容
二度の大戦を引き起こした近代市場社会の問題点をえぐり出し、真の平和に寄与する社会科学の構築を目指す。ポランニー思想の全てが分かる論考集。
内容
内容: 経済、技術そして自由の問題 新しい西洋のために
内容
経済学とわれわれの社会的運命を形成する自由
内容
経済史と自由の問題
内容
経済思想の新たな地平
内容
制度について 制度分析は、いかに社会科学に貢献するか
内容
国際理解の本質
内容
平和の意味
内容
平和主義のルーツ
内容
未来の民主的なイギリスにおける文化
内容
ウィーンとアメリカ合衆国での経験
内容
社会科学をいかに用いるのか 社会科学をいかに用いるのか
内容
政治理論について
内容
世論と政治手腕
内容
一般経済史
内容
古代における市場的要素と経済計画
内容
危機と転換 今、何が求められているのか
内容
近代社会における哲学の衝突
内容
混乱の暗い影と社会主義の見通し
内容
転換期の現代に関する五回の講義-十九世紀文明の終焉
内容
転換期の現代に関する五回の講義-統合された社会への動向
内容
編者解説1 / ジョルジオ・レスタ著
内容
編者解説2 / マリアヴィットリア・カタンザリティ著
内容
訳者解説 ポランニー思想のアクチュアリティー / 福田邦夫著
ISBN等
4-480-09666-3
ISBN等
978-4-480-09666-1
書誌番号
3-0500286526
経済の文明史
返信削除カール・ポランニー 著 , 玉野井 芳郎 翻訳 , 平野 健一郎 翻訳 , 石井 ひろし 翻訳 , 木畑 洋一 翻訳 , 長尾 史郎 翻訳 , 吉沢 英成 翻訳
市場経済社会は人類史上極めて特殊な制度的所産である――非市場社会の考察を通じて経済人類学に大転換をもたらした古典的名著。
【解説: 佐藤光 】
経済の文明史
シリーズ:ちくま学芸文庫
定価:本体1,400円+税
Cコード:0110
整理番号:ホ-9-1
刊行日: 2003/06/10
※発売日は地域・書店によって
前後する場合があります
判型:文庫判
ページ数:448
ISBN:4-480-08759-1
JANコード:9784480087591
購入
著者について1
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著者について7
カール・ポランニー
カール・ポランニー
ポランニー,カール
1886−1964年。ハンガリーに生まれ、第2次大戦後は主にアメリカで活躍した経済思想家。歴史学、経済学、人類学等の浩瀚な知識をもとに、近代市場経済の特殊性を明らかにし、注目を集めた。主著に『大転換』『人間の経済』などがある。
著者に関する情報
経済の文明史 経済の文明史
経済と文明 ─ダホメの経済人類学的分析 経済と文明 ─ダホメの経済人類学的分析
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この本の内容
労働、土地、貨幣がすべて市場メカニズムの中に組み込まれて、いわば社会の実体が市場の諸法則に従属させられるにいたった“市場経済”社会は、人類史上きわめて特殊な制度的所産である―ポランニーは古代社会・非市場社会を、現在の市場経済と社会を映す鏡にして、経済人類学に大転換をもたらした。「経済が社会に埋め込まれている」非市場社会の考察を通じて彼が見出した、市場経済社会の特殊性と病理とは。20世紀中盤、高度資本主義社会の入り口において、鬼才が発した現代社会への警告であり、壮大なスケールで展開する経済人類学の古典的名著。
この本の目次
この本の目次
第1部 市場社会とは何か(自己調整的市場と擬制商品―労働、土地、貨幣
時代遅れの市場志向
貨幣使用の意味論)
第2部 現代社会の病理(世界経済恐慌のメカニズム
機能的社会理論と社会主義の計算問題
ファシズムの本質)
第3部 非市場社会をふりかえる(ハムラビ時代の非市場交易
アリストテレスによる経済の発見
西アフリカの奴隷貿易における取り合わせと「貿易オンス」
制度化された過程としての経済)
経済と文明 ─ダホメの経済人類学的分析
返信削除カール・ポランニー 著 , 栗本 慎一郎 翻訳 , 端 信行 翻訳
文明にとって経済とは何か。18世紀西アフリカ・ダホメを舞台に、非市場社会の制度的運営とその原理を明らかにした人類学の記念碑的名著。
経済と文明 ─ダホメの経済人類学的分析
シリーズ:ちくま学芸文庫
定価:本体1,300円+税
Cコード:0139
整理番号:ホ-9-2
刊行日: 2004/11/10
※発売日は地域・書店によって
前後する場合があります
判型:文庫判
ページ数:336
ISBN:4-480-08870-9
JANコード:9784480088703
購入
この本の内容
経済史と経済人類学に認識の革命をもたらした巨人カール・ポランニー。彼の名声を不動のものにしたのが、遺著となった本書である。彼によれば、人類史において資本主義社会はむしろたいへん特殊な歴史的構造体であり、その病理と閉塞を乗り越えるためには、より根本的・普遍的社会である非市場社会の原理を摂取する必要があるという。本書では18世紀西アフリカのダホメ王国を舞台に、非市場社会の制度的運営とその原理を実証的に明らかにしている。彼の分析から示される非市場社会の文化と経済の原理は、現在の私たちの世界をどのように照らし出すのか。人類学の記念碑的名著。改訳版。
この本の目次
プロローグ ダホメ王国の経済人類学的意味
第1部 ダホメ王国―その歴史的背景(内陸王朝とベニン分離帯―王国の成立
奴隷貿易の挑戦―王国の展開)
第2部 経済の諸形態―社会における経済的要素の原理(再配分―経済の国家的領域
互酬―相互扶助と協同
家族経済―土地と宗教
交換―孤立していた諸市場)
第3部 奴隷貿易―非市場経済の安定性(ウィダ―貿易港の制度的起源
サヴィ王国―ウィダの君主権と条約
ダホメの貿易港―ヨーロッパとの窓口
虚構のヨーロッパ貨幣―商品取揃え単位の発明)
第4部 古代的経済―結論・非市場経済の普遍的諸制度(古代的貨幣制度―子安貝と非市場経済)
この本への感想投稿
Trade and Markets in the Early Empires (1957) 『初期帝国の交易と市場』 - 共著。ポランニーの論文「制度化された過程としての経済」、「アリストテレスによる経済の発見」を収録。
返信削除邦訳
経済の文明史
論文題目 カール・ポランニー : 市場社会・民主主義・人間の自由 研究課題 (Adobe PDF) -htmlで見る
返信削除www.student.e.u-tokyo.ac.jp/grad/siryo/Wakamori.pdf
社会科学者ポランニーは、一九二〇年代に、人間の自由 .... ウィークエンド・ノート」のルソー・パラドックス. 5. ...... 大転換』との比較 『大転換』では、自由と平等のジレンマが問題にされることはな.
カールポランニー批判 (Adobe PDF) -htmlで見る
www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/Ronso/373/echigo.pdf
自由な市場経済とその思想的支柱であるリバタリアニズムは,近年内外の学. 界や論壇 .... ロスバードのいうには,ポランニーの基本的誤謬はルソー(Jean-Jacques Rous- seau)と .... ところでこのような極端な平等主義を,ポランニーは「安全」を提供すると.
カール・ポランニー - So-net
www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/sekai32.html
さらにポランニーはルソーにならって、ふつうの人びとを中心として、自由と平等の対立を調整する制度改革のあり方をさぐろう ...
カール・ポランニー著 - 関西大学学術リポジトリ (Adobe PDF)
kuir.jm.kansai-u.ac.jp/.../KU-1100-20120910-06.pdf
第13章 ジャン・ジャック・ルソー、または自由な社会は可能か. (1950年代央). 第14章 自由と技術. (1955年).
カール・ポランニー - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/カール・ポランニー
... 引き出した。自由と平等の関係をルソー・パラドックスと呼び、2つを両立させる自由の制度化を考察した。
ルソーにおける憲法思想 : 主権と自由の関係につい て - 九大コレクション (Adobe PDF) -htmlで見る
catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/.../KJ00000695173-00001.p...
序︶支配一1服従契約説とルソーの批判. ︵一︶社会契約と自由. ︵二︶生命・自由・ 平等・所有権. ︵=一︶人民主権と自由.
マルクスと功利主義 - 経済学史学会
jshet.net/old/conference/63rd/63summaryj.html
昨年の報告においては,マルクスの「自由,平等,所有そしてベンサム」論をとりあげた。 .... 若森 みどり「『大転換』以降のポランニーと遺稿『自由とテクノロジー』の構想」 .... (1) 「ルソー問題によって示される問題」:複雑な産業社会における価値体系の分極化。
太田論考
返信削除https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/9725/1/KU-1100-20120910-06.pdf
カール・ポランニー著『市場社会と人間の自由-社会哲学論選』(若森みどり・植村邦彦・若森章孝編訳)(大月書店、2012年5月)
本訳書に収録された論考は以下のとおりである(括弧内に公表年あるいは執筆年を付す)。
第Ⅰ部 市場経済と社会主義
第 1 章 われわれの理論と実践についての新たな検討
第 2 章 自由について
付録 1
付録 2 マルクスにおける「ある」と「あるべき」
個々人に対する疎外の作用
第Ⅱ部 市場社会の危機、ファシズム、民主主義
第 3 章 経済と民主主義
第 4 章 ファシズムの精神的前提(1932年)(1933年)
第 5 章 ファシズムとマルクス主義用語――マルクス主義を言い換える(1934年)
第 6 章 共同体と社会――われわれの社会秩序のキリスト教的批判
第 7 章 ヨーロッパにおける哲学の対立
第 8 章 ファシズムのウィルス
第Ⅲ部 市場社会を超えて――産業文明と人間の自由
第 9 章 複雑な社会における自由
第10章 普遍的資本主義か地域的計画か?
第11章 議会制民主主義の意味
第12章 経済決定論の信仰(1937年)(1937年)(1940年代初頭)(1944年)(1945年)(1945年)(1947年)
第13章 ジャン・ジャック・ルソー、または自由な社会は可能か(1950年代央)
第14章 自由と技術
第15章 アリストテレスの豊かな社会論(1955年)(1959年)
【古代文明】イスラエルの古代のインゴットからコーンウォール人の痕跡が発見される
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1猪木いっぱい ★2019/09/20(金) 22:30:34.28ID:TRanUsJe9>>9>>15
イスラエルの難破船から回収された錫インゴットは、英国南西部のコーンウォールという、ありそうもない起源を持つことが発見されました。
ハイデルベルク大学と考古学のためのカートエンゲルホルンセンターの研究者であるマンハイムは、イスラエル、トルコ、ギリシャのサイトから、27個の錫インゴット-バー、プレート、またはシートに鋳造された金属-を研究しました。
インゴットの多くは、イスラエルとトルコの海岸沖の難破船から発見されました。
考古学者は、鉛とスズの同位体データと微量元素分析を使用して、紀元前13世紀と12世紀の金属インゴットが、以前考えられていた中央アジアからではなく、ヨーロッパの錫鉱床に由来することを発見しました。
おそらく最も驚いたことに、チームは、イスラエルの錫の遺物が、おそらくイングランド南西部のコーンウォールとデボンから来ていることを発見しました。
調査結果によると、青銅器時代にはヨーロッパと地中海東部の間に「複雑で広範囲にわたる」貿易ルートが存在していました。
「錫のオブジェクトと堆積物はヨーロッパとアジアではまれです。調査したオブジェクトの一部が起源である東地中海地域には、実質的に独自の堆積物がありませんでした」と研究に関与したDr. Ernst Pernickaは言いました。
「したがって、この地域の原材料は輸入されていなければならない」と彼は付け加えた。
「イスラエルの錫インゴットは、北西ヨーロッパと地中海東部地域の間の新たな錫ネットワークの例である可能性があります-おそらくミケーネの摂政下のギリシャ本土を経由して-それは数百年持続した可能性があります」 PLOSサイエンスジャーナルに掲載されました。
「この研究の結果は、当時の錫金属が遠い土地で獲得され、おそらくイギリスから東地中海まで数千キロ以上運ばれたことを示しています」と研究を行った古冶金学者のダニエル・バーガーはCNNに語った。
ベルガーはCNNに、錫は銅と錫の合金である青銅の重要な成分であるため、錫は古代の人々にとって貴重な材料であると語った。
注:青銅器時代は地域によって年代が変動します。
google翻訳一部割愛
https://edition.cnn.com/2019/09/19/uk/cornwall-tin-israel-intl-scli-gbr/index.html
https://cdn.cnn.com/cnnnext/dam/assets/190919093557-cornwall-tin-israel-intl-scli-gbr-exlarge-169.jpg
C H A P T E R S I X The Self-Regulating Market and the Fictitious Commodities: Labor, Land, and Money This cursory outline of the economic system and
返信削除The crucial point is this: labor, land, and money are essential elements of industry; they also must be organized in markets; in fact, these markets form an absolutely vital part of the economic system. But labor, land, and money are obviously not commodities; the postulate that anything that is bought and sold must have been produced for sale is emphatically untrue in regard to them. In other words, according to the empirical definition of a commodity they are not commodities. Labor is only another name for a human activity which goes with life itself, which in its turn is not produced for sale but for entirely different reasons, nor can that activity be detached from the rest of life, be stored or mobilized; land is only another name for nature, which is not produced by man; actual money, finally, is merely a token of purchasing power which, as a rule, is not produced at all, but comes into being through the mechanism of banking or state finance. None of them is produced for sale. The commodity description of labor, land, and money is entirely fictitious. Nevertheless, it is with the help of this fiction that the actual markets for labor, land, and money are organized*; these are being actually bought and sold on the market; their demand and supply are real magnitudes; and any measures or policies that would inhibit the formation of such markets would ipso facto endanger the self-regulation of the system. The commodity fiction, therefore, supplies a vital organizing principle in regard to the whole of society affecting almost all its institutions in the most varied way, namely, the principle according to which no arrangement or behavior should be allowed to exist that might prevent the actual functioning of the market mechanism on the lines of the commodity fiction. Now, in regard to labor, land, and money such a postulate cannot be upheld. To allow the market mechanism to be sole director of the fate of human beings and their natural environment indeed, even of the amount and use of purchasing power, would result in the demolition of society. For the alleged commodity “labor power” cannot be shoved about, used indiscriminately, or even left unused, without affecting also the human individual who happens to be the bearer of this peculiar commodity. In disposing of a man’s labor power the system would, incidentally, dispose of the physical, psychological, and moral entity “man” attached to that tag. Robbed of the protective covering of cultural institutions, human beings would perish from the effects of social exposure; they would die as the victims of acute social dislocation through vice, perversion, crime, and starvation. Nature would be reduced to its elements, neighborhoods and landscapes defiled, rivers polluted, military safety jeopardized, the power to produce food and raw materials destroyed. Finally, the market administration of purchasing power would periodically liquidate business enterprise, for shortages
返信削除労働力、土地、貨幣は、産業の不可欠な要素であり、市場で組織されていなければならない。しかし、労働力、土地、貨幣は明らかに商品ではなく、売買されるものは、販売のために生産されたものでなければならないという仮定は、それらに関しては、決定的に真実ではない。言い換えれば、経験的な商品の定義によれば、それらは商品ではないのである。労働は、生命そのものに付随する人間の活動の別称にすぎず、その活動は、販売のために生産されるのではな く、まったく別の理由で生産される。それらのいずれも、販売のために生産されるものではない。労働、土地、貨幣の商品的記述は、完全に架空のものである。それにもかかわらず、労働力、土地、貨幣のための実際の市場が組織されているのは、この虚構の助けを借りている。したがって、商品フィクションは、ほとんどすべての制度に最も多様な形で影響を与える社会全体に関して、重要な組織化原理を提供している。さて、労働、土地、貨幣に関しては、このような仮定は支持されない。人間の運命や自然環境、購買力の量や使い方さえも、市場メカニズムが唯一の支配者となることは、社会の解体を意味する。なぜなら、「労働力」という名の商品が、その特殊な商品の担い手である人間個人にも影響を与えずに、振り回されたり、無差別に使われたり、使われずに放置されたりすることはありえないからである。人間の労働力を処分することで、システムはそのタグに付けられた物理的、心理的、道徳的な実体である「人間」を処分することになる。文化的制度の保護カバーを奪われた人間は、社会的露出の影響を受けて滅び、悪徳、倒錯、犯罪、飢餓による急性の社会的混乱の犠牲者として死ぬことになる。自然はその要素に還元され、近隣や景観は汚され、河川は汚染され、軍事的安全は危険にさらされ、食料や原材料を生産する力は破壊されるだろう。最後に、購買力の市場管理は、不足している企業を定期的に清算します。
返信削除www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
文明史370:
返信削除財の順位オーダー
国家権力に頼らず市場に秩序がある
返信削除The Global Economy as Instituted Process: The Case of Central and ...
返信削除著者: N Bandelj · 2009 · 引用先: 117 件 · 関連記事
Polanyi, Karl .1957. The Economy as Instituted Process Pp. 243–70 in Trade and Market in the Early Empires, edited by Polanyi, K., Arensberg, C.