「いや 、そんなことだめさ 。自分の力で 、のびさせてやるのがいいんだよ 。この芽も 、すこしはくるしいことにあうほうが 、しっかりすると 、ぼくは思うな 」
こう 、ムーミントロ ールはいいましたが 、そのとききゅうに 、とてもうれしくなって 、なんだか 、ひとりになりたくなりました 。そこで彼は 、ぶらっと 、たきぎ小屋のほうへいきました 。》
■作品に投影された、トーベ・ヤンソンの生き方
孤独を愛するスナフキンには、アーティストの魂が見える――。こう指摘するのは、日本各地を巡回中の「ムーミン展」(朝日新聞社など主催)の展示監修も手がけたライター・編集者の内山さつきさんだ。
「スナフキンがムーミンたちと違うところは、自分ひとりになることを恐れていないところだと思います。ハーモニカで作曲をしているとき、メロディーが降りてくる瞬間をなによりも大切にしている。創作って独りにならないと、できないものですよね。人間関係がイヤなのではなく、霊感、インスピレーションを自然から受け取りたいから、あえて独りになる。スナフキンはそんな芸術家なんじゃないかな、と思います」
原作者のトーベ・ヤンソンも自由と孤独に向き合い続けた芸術家だった。代表的な伝記のひとつ、『トーベ・ヤンソン―仕事、愛、ムーミン―』(ボエル・ウェスティン著、畑中麻紀、森下圭子・共訳、講談社刊)によれば、1914年、彫刻家の父と挿絵画家の母のもとに生まれたトーベは、第1次世界大戦の渦中で幼少期を過ごす。若干14歳で雑誌のイラスト掲載でデビューし、第2次大戦と戦後の困難をくぐり抜け、「ムーミン」シリーズの最初の物語『小さなトロールと大きな洪水』を1945年に発表した。
当時はまったく注目されず、書評はたったひとつしか掲載されなかったが、それに続く『ムーミン谷の彗星』(1946年)、『たのしいムーミン一家』(1948年)を経て、有名作家の仲間入りを果たす。以降、フィンランドを代表する女性芸術家となり、86年間の生涯を閉じるまで画家・作家として幅広く活動を続けた。
ファンには周知かもしれないが、トーベのバックグラウンドにも考えさせられる。彼女は母国フィンランドでも少数派のスウェーデン語系フィンランド人。後半生は同性のパートナーと過ごした。そんなトーベの心情を、内山さんはこう読み解く。「彼女はアーティストとしても、女性としても、現代より自立して生きるのが難しい時代に生きたといえます。そして、けっして社会の多数派ではありませんでした。そんな中で自分らしく生きて行くには他人からどう思われてもいいという覚悟をすること、つまり、孤独になるかもしれないことを引き受けることが必要でした」
その生き方はムーミン作品にも投影されている、と内山さんは言う。「ムーミン一家はトーベ自身の家族をモデルにしています。ムーミンやしきを訪れるキャラクターたちにはいろいろな個性の人がいて、それでいて、みんながいつも仲良くしているわけじゃないんです。風変わりな人、偏屈な人、頑固な人などが、それぞれに悩みを抱えている。でも、みんなが自分らしく生きられるようになるには、ある程度は互いを認め合わなければいけません。そんな多様性や寛容さを、トーベは作品中で重要なテーマにしていたのではないでしょうか」
なるほど、個性の強いメンバーに囲まれて、一見クールなスナフキンが異彩を放つ理由がなんとなく見えてきた。トーベは物語の中でスナフキンにどんな役割を担わせていたのだろう?
孤独が重要なテーマの一つだったとされる『ムーミン谷の十一月』(講談社刊、鈴木徹郎訳)という作品で、トーベはムーミン一家が不在のムーミンやしきで、騒々しく世話のやける仲間たちに囲まれたスナフキンに、こんな自問自答をさせている。
『はっと、きゅうにスナフキンは、ムーミン一家がこいしくて、たまらなくなりました。ムーミンたちだって、うるさいことはうるさいんです。(中略)でも、ムーミンたちといっしょのときは、自分ひとりになれるんです』
『ムーミン谷の十一月』(講談社、トーベ・ヤンソン作、鈴木徹郎訳) スナフキンの挿絵から ©Moomin Characters™
この一節を内山さんはこう読み解く。「孤独にもプラスとマイナスの二種類がある、と私は思います。誰にも束縛されず、自由でいられる豊かな『独り』の時間と、誰からも理解してもらえない悲しみ。後者はむしろ『孤立』に近いものです。スナフキンは、自分が自分であることを邪魔されたくない。そして、ムーミンたちは、そんなスナフキンを理解し、一緒にいても、彼が彼であることを邪魔しません。だから、スナフキンは、ありのままの自分でいることができるんじゃないかと思います」
ムーミンたちもうるさいけれど、ムーミンたちと一緒にいるときは自分ひとりになれる――。その心は、スナフキンが「孤独」に浸りたいと思えば、それを受け入れてくれるムーミンたちの側の寛容さにあるのではないのか。そんなほどよい距離感で共存する世界を、原作者のトーベは描きたかったのかもしれない。
それでも、と内山さんは言う。「ムーミントロールはスナフキンが旅立つのを引き留めませんが、親友ですから本当は寂しいし、彼は彼の孤独を感じているんです。『ムーミン谷の仲間たち』の中には、『ムーミントロールの目は、かなしみでまっくらになり、だれがどうなぐさめてもだめなんです』という一文さえあります。すごくつらいけど、受け入れないと、スナフキンはスナフキンでいられなくなってしまう。誰かを心から受け入れようとするならば、そういう自分とは相いれない側面も、等しく引き受けなければならないことをトーベは描いています。2人の関係をより良いものにしていくためには、ムーミントロール自身も変化することが必要になってきますね」
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「ムーミン展」開催! 遡ることで分かる、ムーミンの体の変遷
2019年4月15日 15:13J-WAVE NEWS
六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催中の展覧会「日本フィンランド外交関係樹立100周年記念 ムーミン展 THE ART AND THE STORY」に注目した、J-WAVEで放送中の番組『GOOD NEIGHBORS』(ナビゲーター:クリス智子)のワンコーナー「MORI BUILDING TOKYO PASSPORT」。4月8日(月)のオンエアです。
■ムーミンの形の変遷
展覧会では、ムーミンをてがけたトーベ・ヤンソンの多彩なアートの世界と、奥深い物語の魅力が約500点の展示品で体感できます。
現在、ムーミンにまつわる小説、原画、スケッチの多くは、ヘルシンキから電車でおよそ2時間のタンペレにあるムーミン美術館と、ムーミンキャラクターズ社が所蔵しています。会場では両者に所蔵されている貴重なコレクションが展示されています。
展覧会の魅力を、ムーミン展の展示、構成、図録の編集を手がけた内山さつきさんに伺いました。
内山:ムーミンは誕生した頃から形が変わっています。政治雑誌の挿絵に登場した始めの頃は鼻が長くてヒョロヒョロとして、どちらかというと怒ったような顔をしていました。その後、小説に描かれるようになって、ふっくらと丸みを帯びてきて、コミックスの連載が始まると、もっとイキイキと多彩な表情を見せるようになっていきました。こうしたムーミンの形の変遷も楽しめます。
たくさんの作品の中から、内山さんが特に好きな作品の話も。
内山:私は『ムーミン谷の冬』の話が大好きです。ムーミンの形もその頃が一番丸くて、愛らしい顔つきです。日本の皆さんも、アニメのムーミンがこの頃のムーミンとよく似ているので、親近感を持ってもらえると思います。お話は、ムーミンが初めて冬眠から目覚めて、冬のムーミン谷で一人ぼっちでいます。だんだん、自分とは違う存在を受け入れて成長していく様子が、とても丁寧に描かれています。
原画は小さなものが多く、それぞれが細かく描かれています。どのようにすれば愛らしいムーミンになるのか、どのように形を変化させるのがいいのか、原画にはそういったことを探りながら描いている様子も残されています。
■図録にはこだわりも
会期中はさまざまなグッズも販売。なかでも図録は開催する前から話題になっています。
内山:デザイナーと相談して、ムーミンの小説と並べて本棚に置いてもらえるように、小さめにしてあります。布張りで、洋書のようなイメージ。箔も押してあり、デザイン的にもこだわっています。図録は、展覧会に出品しているイラストのシーンを抜粋しています。トーベ・ヤンソンは自身で本のデザインも手掛けていて、どのようにイラストを配置すれば、物語が面白く伝わるか、ということをすごく考えて本作りをしていました。
デザインは大島依提亜さんが担当。ムーミンの誕生に至るまでの経緯、これまでに世界で発表された貴重なポスター、グッズ、トーベ・ヤンソンと日本とのつながりなども紹介されています。ぜひ、会場で図録を手にとってみてください。会期は6月16日(日)までです。
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