絶対優位と比較優位
クルーグマン『ミクロ経済学』
比較優位の誤解
学生も、賢者といわれる人も、政治家もみんなよくやっている間違い、それは比較
優位を絶対優位と混同する間違いだ。たとえば、いまを去る1980年代のこと、アメ
リカが日本に後れをとっているようにみえたことがあった。その頃よく評論家が口に
したのは、アメリカが生産性を向上させなければ比較優位をもてる産業がなくなって
しまうという警告だった。
評論家諸氏がいいたかったのは、アメリ力が絶対優位をもてる産業がなくなるので
はないかということーー日本がすべての分野でアメリカよりもうまくやれるようにな
る時代が来るかもしれないということだった(実際にはそうはならなかったが、
それは別の話だ)。しかも評論家は、そうなったら日本と貿易しても利益が得られな
くなると考えていたのだ。
しかし、図2.5はアメリカがすべての産業でブラジルより優れていたとしてもブラ
ジルがアメリカとの取引から恩恵を受ける(逆もまた真である)のとちょうど同じよ
うに、どの国々だって、すべての産業で貿易相手国より生産性が低くても取引利益を
得ることができるのだ(訳者注:国と国との取引はしばしば国際取引、あるいは国際
貿易と呼ばれる。国際貿易から得られる取引利益は貿易利益と呼ばれる)。
《…仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。…》アダム・スミス『国富論』4:2下
まず比較優位はスミスの説いた絶対優位とは違う
絶対優位はトランプのような国家間の勝ち負け論になってしまうが比較優位はwin-winを想定し得る
マンキューはソローの「私は理髪店に対して慢性的な赤字だ。彼は私から何も買おうとしないからね」
という言葉を紹介し、《しかし、そのことでソローが収入に応じた暮らしをやめることはないし、必要に
なればいつでも彼は理髪店に行くのである。》と付け加えている
マンキューマクロ入門篇200頁
アダムスミス山岡洋一訳『国富論(下)』2007日本経済新聞出版社[4:2]
賢明な家長なら、買う方が安くつくものは自分の家で作らないようにするのが当然である。仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。農民は靴も服も自分では作らず、それぞれの職人に注文する。みな、近隣の人たちより、多少とも優位に立っている仕事に専念し、生産物の一部かその対価で、必要とするものを買うのが自分の利益になることを知っている。…自国で生産するより安い価格で外国から買える商品があれば、自国の労働は自国が多少とも優位にある産業に投じ、自国の生産物の一部でその商品を外国から買う方がいい。
《…仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。…》アダム・スミス『国富論』4:2下
この説明、「比較優位」に見えますね。靴屋は靴屋、仕立て屋は仕立て屋、農民は農民、それぞれ優位にあるものに特化して交換する。
違います。これは「絶対優位」論です。貿易相手国より安く生産できるものに特化して、互いに交換することが利益をもたらす・・・。
国富論4:2
第二章 国内で生産されうるような、財貨の諸外国からの輸入にたいする、諸抑制について
かうよりもつくる方がたかくつくであろうものを、けっしてうちでつくろうとくわだてないというのが、すべての慎慮ある一家の主人の、原則である。したて屋は、かれ自身の靴をつくろうとくわだてないで、靴つくりからそれをかう。靴つくりは、かれ自身の衣服をつくろうとくわだてないで、したて屋を使用する。農業者はそのどちらをもつくろうとはくわだてないで、それらのちがった手工業者を使用する。かれらのすべては、かれらの勤労の全体を、かれらがその隣人たちにいくらかまさっているやりかたで使用し、それの生産物の一部あるいは、おなじことだがその一部の価格をもって、かれらが必要とする他のものをなんでも購買するのが、かれらの利益になることをしるのである。
もしある外国がわれわれにある商品を、われわれが自分でそれをつくることができるよりもやすく、供給しうるならば、われわれがある利点をもっているやりかたで使用された、われわれ自身の勤労の、生産物のある部分をもって、かれらからそれをかう方がいい。
“By means of glasses, hotbeds, and hot walls, very good grapes can be raised in Scotland, and very good wine too can be made of them at about thirty times the expence for which at least equally good can be brought from foreign countries. Would it be a reasonable law to prohibit the importation of all foreign wines merely to encourage the making of claret and burgundy in Scotland? But if there would be a manifest absurdity in turning towards any employment thirty times more of the capital and industry of the country than would be necessary to purchase from foreign countries an equal quantity of the commodities wanted, there must be an absurdity, though not altogether so glaring, yet exactly of the same kind, in turning towards any such employment a thirtieth, or even a three-hundredth part more of either” (Smith 1776, vol. 1, p.423). 4:2
温室、温床、温壁によれば、きわめてすぐれたぶどうを、スコットランドで栽培することができるし、またきわめてすぐれたぶどう酒も、すくなくともおなじくすぐれたものを諸外国からもってくることができる費用の、約三十倍をかければ、そのぶどうからつくることができる。スコットランドでクラレット〔ボルドー赤ぶどう酒〕やブルゴーニュをつくるのを奨励するためだけに、あらゆる外国のぶどう酒の輸入を禁止するのは、妥当な法律であろうか。だが、もとめられている諸商品のひとしい量を、諸外国から購買するのに必要であるだろうよりも、三十倍おおくのその国の資本と勤労を、なにかの業務にふりむけることに、明白なばからしさが存在するならば、どちらかを三十分の一おおく、あるいは三百分の一おおくでさえ、なにかそういう業務にふりむけることには、それほどまったくひどいものではないが正確におなじ種類の、ばからしさが存在するにちがいない。
「グラス、温床、そして熱い壁を使って、スコットランドでは非常に良いブドウを育てることができます。そして、少なくとも30倍の費用で、非常に良いワインも作ることができます。 単にスコットランドでクラレットとバーガンディを作ることを奨励するためだけにすべての外国のワインの輸入を禁止することは合理的な法律でしょうか? しかし、同じ量の商品を海外から購入するのに必要な量の30倍以上の資本と産業を雇用に向けることに明らかに不条理があるとすれば、まったく不合理であるに違いありません。 そのような雇用に向かって30分の1、さらには300分の1以上の収益を上げることに、まぶしいが、それと全く同じ種類のものである」(Smith 1776、vol。1、p.423)。
参考:
NAMs出版プロジェクト: マンキュー マクロ経済学 第4版 9th ed
Columnコラム
二国間の貿易収支は重要ではない
…
二国間貿易収支は政治の分野では過大に注目されている。これは1つには国
際関係が国対国で結ばれており、政治家や外交官は国対国の経済取引を測定す
る統計に自然と眼が行くからである。しかし、ほとんどの経済学者は二国間の
貿易収支にそれほど大きな意味があるとは考えていない。マクロ経済の観点か
らは,ある国とそれ以外の諸外国全体を合計した貿易収支が問題なのである。
国と同じことは,個人についても当てはまる。あなたの個人としての貿易収
支は、あなたの所得とあなたの支出の差額であり, この2つが見合っているか
どうかは気になることだろう。しかし、特定の個人や特定の企業との所得と支
出の差額はあまり気にすべきではない。かつて経済学者ロバート ・ソローは、
二国間の貿易収支が重要でないことを次のように説明したことがある。「私は
理髪店に対して慢性的な赤字だ。彼は私から何も買おうとしないからね」。し
かし、そのことでソローが収入に応じた暮らしをやめることはないし、必要に
なればいつでも彼は理髪店に行くのである。
以上、マンキューマクロ経済学入門篇200頁より
国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究 (下) 単行本 – 2007/3/24
下巻も上巻に引き続き書いてある記述が歴史的にも貴重な資料と言えますが経済学に精通する人以外には「退屈」かも知れません。
そういう人にはP.549の解説から読む方がいいし理解も早いでしょう。
国富論はあまりにも書いてある内容が広範囲なために読む章によってでも焦点がボケてしまいがちだが
解説から知れば
第1編は「ミクロ経済学」
第2編は「マクロ経済学」
第3編は「経済史」
第4編は「経済政策論」
第5編は「財政学」と要約されていてわかりやすい。
はじめに下巻末の解説から読み、次に上巻から読み進める
読み方としては問題集ドリルの答えから先にみるようで正しくはないかもしれないが
こっちのほうが挫折しないで読み終えられるかもしれません。
絶対優位と比較優位
(1)誤解
絶対優位を比較優位と勘違いしている
誤解とは「絶対優位なものに特化し、交換(輸出)する」です。
アダムスミス山岡洋一訳『国富論(下)』2007日本経済新聞出版社[4:2]
賢明な家長なら、買う方が安くつくものは自分の家で作らないようにするのが当然である。仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。農民は靴も服も自分では作らず、それぞれの職人に注文する。みな、近隣の人たちより、多少とも優位に立っている仕事に専念し、生産物の一部かその対価で、必要とするものを買うのが自分の利益になることを知っている。…自国で生産するより安い価格で外国から買える商品があれば、自国の労働は自国が多少とも優位にある産業に投じ、自国の生産物の一部でその商品を外国から買う方がいい。
《…仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。…》アダム・スミス『国富論』下
この説明、「比較優位」に見えますね。靴屋は靴屋、仕立て屋は仕立て屋、農民は農民、それぞれ優位にあるものに特化して交換する。
違います。これは「絶対優位」論です。貿易相手国より安く生産できるものに特化して、互いに交換することが利益をもたらす・・・。
この考え方にたつと、以下の思想にまっしぐらです。
日本は中国に安さでかなわない・・・。日本と中国は、競争をしている・・・。日本は負ける・・・。
あらゆる分野で生産技術の劣っている国(絶対劣位国)が、優れている国(絶対優位)と貿易をしても、経済的に損害をこうむるのだ。貧しい発展途上国は、日本のような先進国と交換しても、利益はない。
TPPを巡る論など、典型的ですよね。
この、「絶対優位」に基づく誤解は、「相手国」と「自国」を比べて「優位だ、劣位だ」と言っていることにあります。
…
(2)比較優位は、「国内の問題」
リカードは、アダム・スミスの「絶対優位」論にたいして、「いいえ、そうではありません、『あらゆる産業において絶対劣位国でも、利益が出ますよ』」と言ったのです。
「リカード・モデル」では,各国の労働生産性の絶対的な違いは,貿易利益とは関係ないのです。ということは,ものすごく効率の悪い国が商品を作っても,貿易すれば,利益が上がるということです。本当でしょうか。 .…
「比較優位」は、「国内で比較」するのです。あらゆる分野で劣っている「絶対劣位国内での、比較」、あらゆる分野で優れている「絶対優位国内での、比較」なのです。
どんな小国、アフリカの国でも、「国内で比較優位」なものはありますし、日本のような大国でも、「国内で比較劣位」な産業は存在します。
「相手国」と比較・競争しているのではありません。国内産業で、「生産性」競争をしているのです。
中北徹 『入門・国際経済』ダイヤモンド社2005
P7
…一国経済における生産性上昇率の相対的な順位が重要なのです。したがって比較優位にもとづく産業・貿易論の本質はランキング競争であるといえます。ここに比較優位であって絶対優位ではないと強調する意味があるのです。
…こうした意味では、ある輸出産業や企業にとってのライバルが存在するとすれば、それはむしろ日本国内において台頭する、すぐれた商品分野であり、あるいは成長産業そのものであって、本当は海外の製品ではないのです。
<哲学的領域>
だから、手のない人も、目の見えない人も、勉強が苦手な人も、理系科目より文系科目が得意な人も、音楽が得意な人も、宿題より人を笑わせるのが得意な人も、サッカー選手にでも野球選手にでもなれる人も、背の高い人も、医者にでも弁護士にでもなれる人も・・・・、皆「幸せ」になれる理論なのです。
この世に自分と同じ人は2人といません(唯一1回性)。その人の存在は、人類の歴史上、たった1回です。「なぜ、生まれてきたのか」に答えられる理論です。
自分のなかで「比較優位なものに特化し生産すること=他人の消費財を増やすこと」です。「何かに打ち込むこと=即それが他者の『豊かさ』を生み出すこと」なのです。
自分のために働くこと→=他者のためになっている。
「経済学上の最大の発見」なのです。
______
<比較優位>
本当に、「簡単そうで、難解」であり、「知っている」と思っている人でも実は「分かっていない」例の典型です。
P・R・クルーグマン『国際経済学』ピアソン2010
p35
…比較優位そのものは単純な概念だが、多くの人々にとっては、理解するのが(あるいは受け入れるのが)驚くほど困難な概念であることはこれまでの経験が示している。
…国際貿易のモデルの構築に多大な貢献をしたノーベル賞経済学者のポール・サミュエルソンもこう述べている。「比較優位は、経済原則として否定しようのない事実であるにもかかわらず、賢明なる諸氏でさえ完全に納得しているわけではないものとして、自分が承知しているなかで、最も典型的な例である」
中北徹 『入門・国際経済』ダイヤモンド社2005
P2
…第一線のエコノミスト、あるいは、経済学者でさえ、しばしばこの比較優位の原理の意味を、絶対優位と取り違えて議論しがちです。あえていえば、この理論を正しく理解することが国際経済学の全ての出発点になります。
P7
…一国経済における生産性上昇率の相対的な順位が重要なのです。したがって比較優位にもとづく産業・貿易論の本質はランキング競争であるといえます。ここに比較優位であって絶対優位ではないと強調する意味があるのです。
…こうした意味では、ある輸出産業や企業にとってのライバルが存在するとすれば、それはむしろ日本国内において台頭する、すぐれた商品分野であり、あるいは成長産業そのものであって、本当は海外の製品ではないのです。
P10『比較優位はどんどん変わる』
応用物理の専門家である北澤宏一氏…「輸出における真のライバルは、日本国内に台頭する輸出競争力により優れる他製品であり、海外の低労働コストではない」と強調しておられます。著者はこれを読んで驚嘆しました。比較優位の原理の神髄を看破する、日本の技術者の鋭い観察眼が示されていたからです。
櫨浩一『日本経済が何をやってもだめな本当の理由』2011年 日本経済新聞出版社
p109
…比較優位の理論ほど実社会では誤解されたり無視されたりしているものも少ない。高名な経済人が、比較優位についてとんでもない間違いをいうのを何度も聞いたことがあるし、貿易の話になると、国際分業という発想はすっかりどこかに飛んでいってしまい、何でも国内で生産して海外に売った方がよいと考える人が多いのだ。
これほど、重要なのに、これほど誤解されている理論もありません。
そうですね。例えるとすれば、「北極はN極、南極はS極」という、常識論ですかねえ。
違いますよね。本当は「北極はS極、南極はN極」ですよね。・・・だから、北極はNの針を引きつけ、南極はSの針をひきつけるのでしょう?
これくらい、比較優位は180度誤解されています。
簡単に言えば、「比較優位」を理解しているか否かが、「貿易(交換)」を語れる資格があるかどうか(運転するための免許を持っているか否か)の分かれ目です。
TPPに関する、素人意見だろうがなんだろうが、それを言う人がいるのは、仕方のないことかもしれません。ですが、「免許を持たないで運転している」ことは、「免許」を持っている人から見たら、一目瞭然です。危なっかしくて、見ていられませんし、そばに近寄ったら、ぶつけられるかもしれません。
あるいは、免許は持っているものの、「30キロ」しか出すことができず、周りに渋滞を作っているのに「本人は気づいていない」人とか。
それほど、比較優位は、カンタン(自動車学校で免許は比較的誰でも取れる)なのに、「理解困難」という、理論の筆頭です。
でも、今リカードがいたら、間違いなくノーベル賞です。日常(実践)の本質(理論)を見事に抽出したからです。「経済学上の最大の発見」なのです。
中島隆信 慶大 「社会的弱者に雇用の場を」H22.5.10日経
…能力の劣る人は働く場所から排除されても当たり前と考える人がいるなら、それはとんでもない誤りである。経済学上最大の発見ともいわれる、比較優位の考え方は、弱者を社会から排除することの非合理性を見事に説明する。
あらゆる面ですぐれた能力を持つ超人だとしても、全ての仕事をその人に任せることは合理的ではない。超人にせよ、弱者にせよ、全ての人がそのもっている能力のうちの相対的にすぐれた部分を最大限に生かして社会参加をし、後からその成果を配分した方が全ての人の利益を増やせるのである。
改めて、比較優位を検証してみましょう。
詳しくは、カテゴリ リカード 比較優位 比較生産費 参照
特化する前の,両国の生産量は次のようになります。
。
では特化する前の状態を,グラフで表してみましょう。
この三角形で示された①②部分は,両国の生産可能領域(生産フロンティア)を示し,これが両国の最大生産量(斜辺部分)です。
両国が特化した場合は,図24/25において,ポルトガルなら,ワインの生産量が3㍑のA点,イギリスならウールの生産量が,2.25㍍のB点となります。ポルトガルは,3㍑のワインを,イギリスのウール2.25㍍と交換(売買)します。これが貿易です。同じように,イギリスもウール2.25㍍と,3㍑のワインを交換(売買)します。それぞれの,貿易のパターン(どのような割合で交換するか)は,A点と,B点を結ぶ線で示すことができます。
貿易する = 交換する
ポルトガルのワイン3㍑ ⇔ イギリスのウール2.25㍍
A点 結ぶ B点
両国は,貿易により,線AB上のあらゆる点を,選ぶことができます。三角形が大きくなっていることは,一目瞭然ですね。<リカード比較生産費説6 ミクロ経済学 予算線>で説明したように,三角形が大きくなるということは,実質所得が増え,商品購入の選択肢が拡大したことを示すのです。
しかも,生産量はそれぞれ三角形①・②で示した部分です。貿易前は,生産量≧消費量で,三角形①・②が両国の,最大の消費量でした。それが③・④部分まで消費量が広がった・・・
「特化前は,生産量≧消費量だったものが,特化後は生産量<消費量となり,消費者効用が増大する」ということなのです。そして,これが,「自由貿易によって,全ての国が利益を得ることができる」
端折って説明すると、こうでした。
(1)誤解
絶対優位を比較優位と勘違いしている
誤解とは「絶対優位なものに特化し、交換(輸出)する」です。
アダムスミス山岡洋一訳『国富論(下)』2007日本経済新聞出版社
賢明な家長なら、買う方が安くつくものは自分の家で作らないようにするのが当然である。仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。農民は靴も服も自分では作らず、それぞれの職人に注文する。みな、近隣の人たちより、多少とも優位に立っている仕事に専念し、生産物の一部かその対価で、必要とするものを買うのが自分の利益になることを知っている。…自国で生産するより安い価格で外国から買える商品があれば、自国の労働は自国が多少とも優位にある産業に投じ、自国の生産物の一部でその商品を外国から買う方がいい。
この説明、「比較優位」に見えますね。靴屋は靴屋、仕立て屋は仕立て屋、農民は農民、それぞれ優位にあるものに特化して交換する。
違います。これは「絶対優位」論です。貿易相手国より安く生産できるものに特化して、互いに交換することが利益をもたらす・・・。
この考え方にたつと、以下の思想にまっしぐらです。
日本は中国に安さでかなわない・・・。日本と中国は、競争をしている・・・。日本は負ける・・・。
あらゆる分野で生産技術の劣っている国(絶対劣位国)が、優れている国(絶対優位)と貿易をしても、経済的に損害をこうむるのだ。貧しい発展途上国は、日本のような先進国と交換しても、利益はない。
TPPを巡る論など、典型的ですよね。
この、「絶対優位」に基づく誤解は、「相手国」と「自国」を比べて「優位だ、劣位だ」と言っていることにあります。
農民のAさんは土地を持っている。服屋のBさんは、美的センスがある。靴屋のCさんは、繊細な仕事ができる。
だから、Aさん、Bさん、Cさんは、それぞれ「靴・服・食糧」を自給せず、「近隣の人たちより、多少とも優位に立っている仕事に専念し、生産物の一部かその対価で、必要とするものを買うのが自分の利益になる」と理解して、交換するのですよね。
比較対象は、AさんはBさんに比べて・・・、CさんはBさんに比べて・・・・ですね。つまり「相手に対して自分は・・・・」となっています。Aさんは、「土地」について、Bさんに比べて「絶対優位」です。
でも、このように「絶対優位」比較すると、「相手国」との比較になってしまいます。
日本と中国です。中国のGDPは、2009年に日本を抜き、世界第2位の経済大国になりました。比較対象としては十分です。
両国は、「絶対優位」なモノに特化します。
この緑色部分が、「利益」でしたね。
この場合、日本と中国は、「相手と比較して」絶対優位なものに特化しています。そうすると、「中国はライバル国」「勝つか負けるか、貿易戦争だ」「比較優位なものを見つけろ!(←これは誤解です)そうしないと負けてしまう」と、なってしまいます。
違いましたよね。貿易(交換)は勝ち負けではなく、WIN-WINでしたよね。
(2)比較優位は、「国内の問題」
リカードは、アダム・スミスの「絶対優位」論にたいして、「いいえ、そうではありません、『あらゆる産業において絶対劣位国でも、利益が出ますよ』」と言ったのです。
「リカード・モデル」では,各国の労働生産性の絶対的な違いは,貿易利益とは関係ないのです。ということは,ものすごく効率の悪い国が商品を作っても,貿易すれば,利益が上がるということです。本当でしょうか。
数値を変えてみます。信じられないくらい,効率の悪い=むだな仕事をしている国を想定してみましょう。
この場合,イギリスの労働生産性の低さは致命的です。「どうしてこの国は,こんなに生産性が低いのでしょう!」誰もが怒りだしそうです。しかし,これでも,イギリスには「利益がもたらされる」のです。では,特化してみましょう。
これをグラフにしてみます。
どうでしょうか。三角形が大きくなっています。生産量はそれぞれ三角形①・②で示した部分です。それに加え,③・④部分の面積が大きくなっています。生産量<消費量が成立しています。消費の無差別曲線も右上にシフトしています(U1<U3,U2<U4)。
労働生産性が極端に低いイギリスでも,貿易の利益を得ることができるのです。
この、三角形の面積が同じなので、「誤解」してしまうかも知れません。
前述の、中国と日本、1980年当時は、GDPは、日本の1/5です。
中国からすると、日本は、体重5倍の大人です。日本の産業と比較するも何も、あらゆる産業で負けています(絶対劣位)。
でも、リカードは、「中国にも利益が生じる」と言ったのです。
国力で三角形を作ると、上記の図になります。中国からすれば、「日本と比較」云々以前の問題です。
日本はなにせ「絶対優位」です。繊維産業だろうが、車産業だろうが、圧倒的に中国よりでかいです。
でも、実際に、1980年当時、中国は上記のような、労働集約的産業(人海戦術)に特化しましたね。それは、「日本と比較して」ではないですね。
中国が特化しているのは、「中国国内で比較優位な産業」に特化しているのです。そして、特化し、交換する事によって、利益を得ていたのです。
貿易(交換)は、どんな小さな国でも、利益を得ているのです。
「勝ち負け」論が、アホなことが分かりますよね。1980年当時、中国は「負けてます」か?どこの国に負けたのですか?
ちゃんと「生産量<消費量」になっていますよね。GDPは日本の1/5ですが。
「比較優位」は、「国内で比較」するのです。あらゆる分野で劣っている「絶対劣位国内での、比較」、あらゆる分野で優れている「絶対優位国内での、比較」なのです。
どんな小国、アフリカの国でも、「国内で比較優位」なものはありますし、日本のような大国でも、「国内で比較劣位」な産業は存在します。
「相手国」と比較・競争しているのではありません。国内産業で、「生産性」競争をしているのです。
中北徹 『入門・国際経済』ダイヤモンド社2005
P7
…一国経済における生産性上昇率の相対的な順位が重要なのです。したがって比較優位にもとづく産業・貿易論の本質はランキング競争であるといえます。ここに比較優位であって絶対優位ではないと強調する意味があるのです。
…こうした意味では、ある輸出産業や企業にとってのライバルが存在するとすれば、それはむしろ日本国内において台頭する、すぐれた商品分野であり、あるいは成長産業そのものであって、本当は海外の製品ではないのです。
同p6
ライバル(競争相手)は、国内間での「生産性」競争相手です。だから、どんどん変わります。
P10『比較優位はどんどん変わる-日本産業の発展図式』
応用物理の専門家である北澤宏一氏(東京大学工学部教授)…「輸出における真のライバルは、日本国内に台頭する輸出競争力により優れる他製品であり、海外の低労働コストではない」と強調しておられます。著者はこれを読んで驚嘆しました。比較優位の原理の神髄を看破する、日本の技術者の鋭い観察眼が示されていたからです。
比較優位論の本質をつかんでいることが分かります。
P11
初めは「タイプライター」「電卓」だったのが、2000年にはコピー機に変わっています。
東学 資料『政・経 2011』p322
外国と「勝ち負け」を競っているのではありません。
この「比較優位・比較生産費」説が「分かる」と、下記の言葉が「分かる」ようになります。
N・グレゴリー・マンキュー『マンキュー経済学』東洋経済新報社 2008 p18
第8原理:生活水準は財サービスの生産能力に依存している
世界全体を見渡した時、生活水準の格差には圧倒されるものがある。2000年のアメリカ人の平均所得は約34100ドルであった。…ナイジェリア人の平均所得は800ドルであった。平均所得に現れた、この大きな格差が、生活の質を測るさまざまな尺度にされているといっても驚くには当たらないだろう。
…国や時代の違いによって生活水準に大きな格差が変化があるのはなぜだろうか。その答えは驚くほど簡単である。生活水準の格差や変化のほとんどは、各国の生産性によって説明できる。生産性とは1人の労働者が1時間あたりに生産する財・サービスの量である。労働者の1時間当たりの生産量が多い国ではほとんどの人々が高い生活水準を享受している。労働者の生産性が低い国ほとんどの人が、最も低い生活水準を甘受しなければならない。同様に、一国の生産性の成長率は平均所得の成長率を決定する。
…アメリカの所得が1970年代と1980年代に低成長だったのは、日本をはじめとする外国との競争のせいであると主張する評論家たちがいる。しかし、本当の悪者は海外との競争ではなく、アメリカ国内における生産性の成長率の低下なのである。
貿易(交換)は競争ではないのです。中国は、日本と競争して、この30年をかけて、世界第2位の経済大国になったのではありません。
ポール・クルーグマン 山形浩生訳 『クルーグマン教授の経済学入門』主婦の友社1999 p41
「みんなが,『アメリカの競争力』とか言ってるのは,ありゃいったい何のことかって?答えはだねえ,残念ながら要するにそいつら,たいがいは自分が何言ってんだか,まるっきりわかっちゃいないってことよ」
拙著『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』2009 p65
<哲学的領域>
だから、手のない人も、目の見えない人も、勉強が苦手な人も、理系科目より文系科目が得意な人も、音楽が得意な人も、宿題より人を笑わせるのが得意な人も、サッカー選手にでも野球選手にでもなれる人も、背の高い人も、医者にでも弁護士にでもなれる人も・・・・、皆「幸せ」になれる理論なのです。
この世に自分と同じ人は2人といません(唯一1回性)。その人の存在は、人類の歴史上、たった1回です。「なぜ、生まれてきたのか」に答えられる理論です。
自分のなかで「比較優位なものに特化し生産すること=他人の消費財を増やすこと」です。「何かに打ち込むこと=即それが他者の『豊かさ』を生み出すこと」なのです。
自分のために働くこと→=他者のためになっている。
「経済学上の最大の発見」なのです。
<追記 日中韓FTA>
日経H23.12.11
さて、日中韓でFTA(TPPもこの一種)交渉を行うようです。
TPPに反対の論陣を張った方は当然、この交渉にも反対することでしょう。
いわく
(1)農産物の自給率が低下し、安全が脅かされる。
(毒入り餃子事件に代表される安全性の問題)
(2)輸出が増える中国に有利、輸入する日本に不利。
(低価格商品に席巻され、日本の産業の空洞化が促進される)
(3)中国の法制度が不備、ISD 条項と同じだ。
(WTOのセーフガードに基づいて日本はネギ・畳表の緊急輸入停止を行ったが、中国は自動車関税を上げて対抗した・レアアースの輸出規制を行った・・・etc)
(4)デフレが加速する
(2)と同じ理由
(5)中国から、単純労働者が流入し、日本の雇用が奪われる
もし、TPP反対者が、TPP反対時の、上記論陣(論理)を張らないなら、TPP反対論者は完全に「ダブル・スタンダード」(主張を使い分け、一貫性がまったくない)であることになります。
予想です。反対論者(山田元農水副大臣など政治家含む)は、日中韓FTAには声を上げないでしょう。結局彼らの主張なんてそんな程度のものです。
10 Comments:
《…仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。…》アダム・スミス『国富論』4:2下
まず比較優位はスミスの説いた絶対優位とは違う
絶対優位はトランプのような国家間の勝ち負け論になってしまうが比較優位はwin-winを想定し得る
マンキューはソローの「私は理髪店に対して慢性的な赤字だ。彼は私から何も買おうとしないからね」
という言葉を紹介し、《しかし、そのことでソローが収入に応じた暮らしをやめることはないし、必要に
なればいつでも彼は理髪店に行くのである。》と付け加えている
マンキューマクロ入門篇200頁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%84%AA%E4%BD%8D
絶対優位と比較優位の比較
絶対優位 比較優位
提唱者 アダム・スミス デヴィッド・リカード
生産要素 労働量・資本力 労働生産性
生産要素を
誰と比較するか 他者 自分自身
他の経済主体と
何を比較するか 労働生産性(最大化) 労働投入係数の積(最小化)
何に特化するか 他の経済主体より得意な分野 自身の得意分野
クルーグマン『ミクロ経済学』51頁
比較優位の誤解
学生も、賢者といわれる人も、政治家もみんなよくやっている間違い、それは比較
優位を絶対優位と混同する間違いだ。たとえば、いまを去る1980年代のこと、アメ
リカが日本に後れをとっているようにみえたことがあった。その頃よく評論家が口に
したのは、アメリカが生産性を向上させなければ比較優位をもてる産業がなくなって
しまうという警告だった。
評論家諸氏がいいたかったのは、アメリ力が絶対優位をもてる産業がなくなるので
はないかということーー日本がすべての分野でアメリカよりもうまくやれるようにな
る時代が来るかもしれないということだった(実際にはそうはならなかったが、
それは別の話だ)。しかも評論家は、そうなったら日本と貿易しても利益が得られな
くなると考えていたのだ。
しかし、図2.5はアメリカがすべての産業でブラジルより優れていたとしてもブラ
ジルがアメリカとの取引から恩恵を受ける(逆もまた真である)のとちょうど同じよ
うに、どの国々だって、すべての産業で貿易相手国より生産性が低くても取引利益を
得ることができるのだ(訳者注:国と国との取引はしばしば国際取引、あるいは国際
貿易と呼ばれる。国際貿易から得られる取引利益は貿易利益と呼ばれる)。
もしある国Aが他国Bに比べて効率的に(小さいコストで)財 x を生産できるのであれば、ある国Aは財 x の生産に関して絶対優位(ぜったいゆうい、英: absolute advantage)を持っていると言う[1]。絶対優位はアダム・スミスによって発見された概念であり、国際貿易において、各国が他国に比べて絶対優位にある分野(生産に必要な投下労働量が他国に比べて小さい)に集中して生産し、その生産された財の一部をお互いに交換(貿易)することで、貿易を行った国それぞれが利益を得ることができるとされる[2][3]。
目次
比較優位(ひかくゆうい、英: comparative advantage)とは、経済学者であったデヴィッド・リカードが提唱した概念で、比較生産費説やリカード理論と呼ばれる学説・理論の柱となる、貿易理論における最も基本的な概念である。アダム・スミスが提唱した絶対優位(absolute advantage)の概念を柱とする学説・理論を修正する形で提唱された。
これは、自由貿易において各経済主体が(複数あり得る自身の優位分野の中から)自身の最も優位な分野(より機会費用の少ない、自身の利益・収益性を最大化できる財の生産)に特化・集中することで、それぞれの労働生産性が増大され、互いにより高品質の財やサービスと高い利益・収益を享受・獲得できるようになることを説明する概念である。
アダム・スミスの絶対優位は、各分野における経済主体間の単純な優劣を表現するに留まるため、自由貿易と分業の利点や実態が限定的にしか表現できていないのに対し、リカードの比較優位は、各経済主体内において複数あり得る優位分野間の時間的な収益性・効率性の比較とその選択・集中にまで踏み込むため、より精度の高い自由貿易・分業の説明・擁護に成功している。
比較優位における労働生産性とは一人当たりの実質付加価値高を意味する。
比較優位の解説に際しては、国家による統制を核としている重商主義に対する批判から始まった歴史的な経緯もあって、国家間の貿易が好く引き合いにされるが、地方公共団体及び企業や個人などのあらゆる経済主体においても同様である。
スラッファの生産要素主体の分析がないと塩沢の仕事はわからないだろう
スラッファのように標準商品を措定するならば限界効用は必要なくなる
(さらに標準商品が転形問題を解決する)
さらに前提としてスミスの絶対優位とリカードの比較優位の違いが大事になる
ただし
n国m財と変数を増やすより
ミルが歴史的に最初に指摘した複数均衡が重視されるべきだ
スラッファの生産理論は情報の対称性が前提で
複数均衡は情報の非対称性が前提で
後者の方が現代的だ
無論スラッファの可能性はデジタル民主主義の今後にかかっているので軽視出来ない
比較優位(ひかくゆうい、英: comparative advantage)とは、経済学者であったデヴィッド・リカードが提唱した概念で、比較生産費説やリカード理論と呼ばれる学説・理論の柱となる、貿易理論における最も基本的な概念である。アダム・スミスが提唱した絶対優位(absolute advantage)の概念を柱とする学説・理論を修正する形で提唱された。
生産関数は一財でも立体的であるべき
労働力の位置付けが曖昧
アラブは石油だけのモノカルチャーだし
集合力から搾取されているというの本質
クルーグマン ミクロ 51
https://2.bp.blogspot.com/-rxscvjrj2DM/XLxm10cc04I/AAAAAAABh-o/EjvOd_q556sgtEi7Q9B52GlnA2JVRS4nQCLcBGAs/s1600/IMG_3653.PNG
クルーグマン『ミクロ経済学』
比較優位の誤解
学生も、賢者といわれる人も、政治家もみんなよくやっている間違い、それは比較
優位を絶対優位と混同する間違いだ。たとえば、いまを去る1980年代のこと、アメ
リカが日本に後れをとっているようにみえたことがあった。その頃よく評論家が口に
したのは、アメリカが生産性を向上させなければ比較優位をもてる産業がなくなって
しまうという警告だった。
評論家諸氏がいいたかったのは、アメリ力が絶対優位をもてる産業がなくなるので
はないかということーー日本がすべての分野でアメリカよりもうまくやれるようにな
る時代が来るかもしれないということだった(実際にはそうはならなかったが、
それは別の話だ)。しかも評論家は、そうなったら日本と貿易しても利益が得られな
くなると考えていたのだ。
https://2.bp.blogspot.com/-rxscvjrj2DM/XLxm10cc04I/AAAAAAABh-o/EjvOd_q556sgtEi7Q9B52GlnA2JVRS4nQCLcBGAs/s1600/IMG_3653.PNG
しかし、図2.5はアメリカがすべての産業でブラジルより優れていたとしてもブラ
ジルがアメリカとの取引から恩恵を受ける(逆もまた真である)のとちょうど同じよ
うに、どの国々だって、すべての産業で貿易相手国より生産性が低くても取引利益を
得ることができるのだ(訳者注:国と国との取引はしばしば国際取引、あるいは国際
貿易と呼ばれる。国際貿易から得られる取引利益は貿易利益と呼ばれる)。
スラッファの生産要素主体の分析を前提にしないと塩沢の仕事の意義は理解出来ないだろう
スラッファのように標準商品を措定するならば限界効用は必要なくなる
(さらに標準商品が転形問題を解決する)
さらなる前提としてスミスの絶対優位とリカードの比較優位の違いが大事になる
ただし
n国m財と変数を増やすより
ミルが歴史的に最初に指摘した複数均衡が重視されるべきだ
スラッファの生産理論は情報の対称性が前提だが
複数均衡は情報の非対称性が前提となる
後者の方が現代的だ
無論スラッファの可能性はデジタル民主主義の今後にかかっているので軽視出来ない
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