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veritas norma sui et falsi est.
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/ethpars2.htm
マルクス独自のラテン語訳か?
Thank you so much for the detailed article.Thanks again.
上記の論理は、
マルクスがスピノザから引用したVerum index sui et falsi(1.6頁)の
「真理は真理自身と虚偽との規範である」を想起させる。
ヘーゲルが引用した「あらゆる規定は否定である(Omnis determinatio est negatio)」
『スピノザ往復書簡』よりもスピノザらしい
前者は光学モデルを想定しているからだ
《実に、光が光自身と闇とを顕(あら)わすように、真理は真理自身と虚偽との規範である。》
…エチカ2:43備考より
ただしそれを引用するマルクスは排中律にこだわりすぎ、法学モデルに囚われている。
経済学モデルに目覚めるのはプルードンとの往復書簡以降である。
排中律を濫用すると切り裂かれる中産階級の動学的課題(プカレリアート)
にうまく対応できない。
マルクスはカントの法学に限界を感じたらしいが(40.7~8頁父への手紙1837年)、それはアンチノミーを
放棄させる方向へ向かった。
むしろ経済学モデルはより高い倫理性を呼び込むという点でカントの再考でなければならなかった。
スピノザから排中律のみを取り出し、カントからアンチノミーを捨て去ったのがマルクスの限界だった。
柄谷行人はマルクスが間違えた地点からやり直しているのだ。
上記の論理は、
マルクスがスピノザから引用したVerum index sui et falsi(1.6頁)の
「真理は真理自身と虚偽との規範である」を想起させる。
(veritas norma sui et falsi estが正確)
ヘーゲルが引用した「あらゆる規定は否定である(Omnis determinatio est negatio)」
『スピノザ往復書簡』よりもスピノザらしい
前者は光学モデルを想定しているからだ
《実に、光が光自身と闇とを顕(あら)わすように、真理は真理自身と虚偽との規範である。》
…エチカ2:43備考より
ただしそれを引用するマルクスは排中律にこだわりすぎ、法学モデルに囚われている。
経済学モデルに目覚めるのはプルードンとの往復書簡以降である。
排中律を濫用すると切り裂かれる中産階級の動学的課題(プカレリアート)
にうまく対応できない。
マルクスはカントの法学に限界を感じたらしいが(40.7~8頁父への手紙1837年)、それはアンチノミーを
放棄させる方向へ向かった。
むしろ経済学モデルはより高い倫理性を呼び込むという点でカントの再考でなければならなかった。
スピノザから排中律のみを取り出し、カントからアンチノミーを捨て去ったのがマルクスの限界だった。
柄谷行人はマルクスが間違えた地点からやり直しているのだ。
上記の論理は、
マルクスがスピノザから引用したVerum index sui et falsi(1.6頁)
「真理は真理自身と虚偽との規範である」を想起させる。
(veritas norma sui et falsi estが正確)
ヘーゲルが引用した「あらゆる規定は否定である(Omnis determinatio est negatio)」
『スピノザ往復書簡』(238~9頁)よりもスピノザらしい
前者は光学モデルを想定しているからだ
《実に、光が光自身と闇とを顕(あら)わすように、真理は真理自身と虚偽との規範である。》
…エチカ2:43備考より
ただしそれを引用するマルクスは排中律にこだわりすぎ、依然法学モデルに囚われている。
経済学モデルに目覚めるのはプルードンとの往復書簡以降である。
排中律を濫用すると切り裂かれる中産階級の動学的課題(プカレリアート)
にうまく対応できない。
マルクスはカントの法学に限界を感じたらしいが(40.7~8頁父への手紙1837年)、それはアンチノミーを
放棄させる方向へ向かった。
むしろ経済学モデルはより高い倫理性を呼び込むという点でカントの再考でなければならなかった。
スピノザから排中律のみを取り出し、カントからアンチノミーを捨て去ったのがマルクスの限界だった。
柄谷行人はマルクスが間違えた地点からやり直しているのだ。
《 実質的な私権の終りのところで私は全体がまちがっていることを知ったのです。それは基本図式においてはカント
のそれに近く、論述においてはまったくそれからはずれたもので、またしても私には哲学なしにはやっていけないこ
とがはっきりしてきていたのです。そんなわけで私は意を安んじて今一度、哲学に身を投じることができ、一つの新
しい形而上学的根本体系を書き、その終りのところで私はまたしてもその体系と私のこれまでの努力のことごとくが
ちがっていたことを否応なしに知らされるはめになったのです。》マルクス、父への手紙1837.11.10
40.7~8
無論マルクスのヘーゲルへの接近は批判的なものであった。
上記の論理は、
マルクスがスピノザから引用したVerum index sui et falsi(1.6頁)
「真理は真理自身と虚偽との規範である」を想起させる。
(veritas norma sui et falsi estが正確)
ヘーゲルが引用した「あらゆる規定は否定である(Omnis determinatio est negatio)」
『スピノザ往復書簡』(238~9頁)よりもスピノザらしい
前者は光学モデルを想定しているからだ
《実に、光が光自身と闇とを顕(あら)わすように、真理は真理自身と虚偽との規範である。》
…エチカ2:43備考より
ただしそれを引用するマルクスは排中律にこだわりすぎ、依然法学モデルに囚われている。
経済学モデルに目覚めるのはプルードンとの往復書簡以降である。
排中律を濫用すると切り裂かれる中産階級の動学的課題(プカレリアート)にうまく対応できない。
マルクスはカントの法学に限界を感じたらしいが(40.7~8頁父への手紙1837年)、それはアンチノミーを
放棄させる方向へ向かった。
むしろ経済学モデルはより高い倫理性を呼び込むという点でカントの再考でなければならなかった。
スピノザから排中律のみを取り出し、カントからアンチノミーを捨て去ったのがマルクスの限界だった。
柄谷行人はマルクスが間違えた地点からやり直しているのだ。
《 実質的な私権の終りのところで私は全体がまちがっていることを知ったのです。それは基本図式においてはカント
のそれに近く、論述においてはまったくそれからはずれたもので、またしても私には哲学なしにはやっていけないこ
とがはっきりしてきていたのです。そんなわけで私は意を安んじて今一度、哲学に身を投じることができ、一つの新
しい形而上学的根本体系を書き、その終りのところで私はまたしてもその体系と私のこれまでの努力のことごとくが
ちがっていたことを否応なしに知らされるはめになったのです。》マルクス、父への手紙1837.11.10
40.7~8
無論マルクスのヘーゲルへの接近は批判的なものであった。
上記の論理は、
マルクスがスピノザから引用したVerum index sui et falsi(1.6頁)
「真理は真理自身と虚偽との規範である」を想起させる。
(veritas norma sui et falsi estが正確)
ヘーゲルが引用した「あらゆる規定は否定である(Omnis determinatio est negatio)」
『スピノザ往復書簡』(238~9頁)よりもスピノザらしい
前者は光学モデルを想定しているからだ
《実に、光が光自身と闇とを顕(あら)わすように、真理は真理自身と虚偽との規範である。》
…エチカ2:43備考より
ただしそれを引用するマルクスは排中律にこだわりすぎ、依然法学モデルに囚われている。
経済学モデルに目覚めるのはプルードンとの往復書簡以降である。
排中律を濫用すると切り裂かれる中産階級の動学的課題(プカレリアートのそれ)にうまく対応できない。
マルクスはカントの法学に限界を感じたらしいが(40.7~8頁父への手紙1837年)、それはアンチノミーを
放棄させる方向へ向かった。
むしろ経済学モデルはより高い倫理性を呼び込むという点でカントの再考でなければならなかった。
スピノザから排中律のみを取り出し、カントからアンチノミーを捨て去ったのがマルクスの限界だった。
柄谷行人はマルクスが間違えた地点からやり直しているのだ。
《 実質的な私権の終りのところで私は全体がまちがっていることを知ったのです。それは基本図式においてはカント
のそれに近く、論述においてはまったくそれからはずれたもので、またしても私には哲学なしにはやっていけないこ
とがはっきりしてきていたのです。そんなわけで私は意を安んじて今一度、哲学に身を投じることができ、一つの新
しい形而上学的根本体系を書き、その終りのところで私はまたしてもその体系と私のこれまでの努力のことごとくが
ちがっていたことを否応なしに知らされるはめになったのです。》マルクス、父への手紙1837.11.10
40.7~8
無論マルクスのヘーゲルへの接近は批判的なものであった。
フリーメイソンのアイコンは石職人をモデルにしている
そこには資本主義に対抗した手作業の奨励が背景にある
柄谷行人はプログラマーを現代の手作業の代表と考えている
イギリスはある階級が社会のどん底にあればあるほど、無教養であればあるほど、ますます多くの未来をもつという奇妙な事実を示している。これはあらゆる革命期の特徴である。特にこれはキリスト教を生み出した宗教革命の際に示された通りだ。幸いなるかな、貧しき者よ。-エンゲルス1.510
thanks,too
結論はこれであった。法関係も国家形態も、それ自体で理解することはできず、またいわゆる人間精神の発展ということからも理解できず、むしろ物質的生活関係-ヘーゲルが市民社会と名づけているもの-に根底をもっており、市民社会の解剖は経済学にもとめなければならない。-マルクス1.ⅹⅹⅲ
人間を人間として、また世の中にたいする彼のあり方を人間的なあり方として前提するならば、きみは愛をただ愛
とのみ、信頼をただ信頼とのみ、等々、交換することができる。きみが芸術を楽しみたいならば、きみは芸術的な教
養のある人間でなければならない。きみが他の人々に影響力を及ぼしたいならば、きみは実際に他の人々を活気づけ
鼓舞するようなはたらきをもつ人間でなければならない。きみの人間にたいするーーおよび自然にたいするーーどん
なあり方でも、それはきみの現実的個人的な生き方のある特定の、きみの意志の対象に見合った表現でなければなら
ない。きみが愛することがあっても、それにこたえる愛をよび起こすことがないならば、換言すればきみの愛が愛と
して、それにこたえる愛を生み出すことがないならば、きみが愛する人間としてのきみの生活表現によって、きみ自
身を、愛された人間たらしめることがないならば、きみの愛は無力であり、一つの不幸なのである。
マルクス
大月全集40巻489頁 1844年の経済学・哲学手稿
《 実質的な私権の終りのところで私は全体がまちがっていることを知ったのです。
それは基本図式においてはカントのそれに近く、論述においてはまったくそれから
はずれたもので、またしても私には哲学なしにはやっていけないことがはっきりして
きていたのです。そんなわけで私は意を安んじて今一度、哲学に身を投じることができ、
一つの新しい形而上学的根本体系を書き、その終りのところで私はまたしてもその
体系と私のこれまでの努力のことごとくがちがっていたことを否応なしに知らされる
はめになったのです。》マルクス、父への手紙1837.11.10
大月40.7~8頁
730 考える名無しさん[] 2019/04/20(土) 15:16:43.75 ID:0
>>717, >>719の論理は、
マルクスがスピノザから引用したVerum index sui et falsi(1.6頁)
「真理は真理自身と虚偽との規範である」を想起させる(veritas norma sui et falsi estが正確)。
ヘーゲルが引用した「あらゆる規定は否定である(Omnis determinatio est negatio)」
『スピノザ往復書簡』(238~9頁)よりもスピノザらしい
前者は光学モデルを想定しているからだ
《実に、光が光自身と闇とを顕(あら)わすように、真理は真理自身と虚偽との規範である。》
…エチカ2:43備考より
ただしそれを引用するマルクスは排中律にこだわりすぎ、依然法学モデルに囚われている。
経済学モデルに目覚めるのはプルードンとの往復書簡以降である。
排中律を濫用すると切り裂かれる中産階級の動学的課題(プカレリアートのそれ)にうまく対応できない。
マルクスはカントの法学に限界を感じたらしいが(>>729)、それはアンチノミーを放棄させる方向へ向かった。
むしろ経済学モデルはより高い倫理性を呼び込むという点でカントの再考でなければならなかった。
スピノザから排中律のみを取り出し、カントからアンチノミーを捨て去ったのがマルクスの限界だった。
(ただし資本論はヘーゲルではなくカントの思考パターンを踏襲している)
柄谷行人はマルクスが間違えた地点からやり直しているのだ。
資本論でマルクスは国家を分析から外したから
後世の読者はその空白を補完しなければならなくなった
社会心理学的な補完もあり得る
その際党派的な闘争とカテゴリーミステイクが混同される
それは唯物論基礎にスピノザが位置付けられていないからだ
カント、マルクスはスピノザの土台の上に初めてあり得る
それをマルクスのラッサール宛書簡で述べられたような転覆を無批判に前提とすると
政治的党派性でしか自己の位置付けが出来なくなる
具体的に言うと弁証法の影響をマルクスは受けすぎた
スピノザは唯一弁証法を必要としない哲学者
プルードンが誰よりも早くそれに気づいた
マルクスの法学から経済学への移行もプルードン(往復書簡)からの影響だ
具体的に言うと弁証法の影響をマルクスは受けすぎた
スピノザは唯一弁証法を必要としない哲学者
プルードンが誰よりも早くそれに気づいた
マルクスの法学から経済学への移行もプルードン(往復書簡)からの影響だが
弁証法からの脱却には時間がかかった
スピノザは唯物論だが唯心論と並行的に記述される
マルクス主義の唯心論は対外的な唯心論を反措定として必要とする
空想社会主義が愚かな事例として規定される
それなしには自己の唯物論の優位性が規定され得ない
これは唯心論に自己規定を頼っているのと同じだ
否定は規定なのだから
唯物論
第一三章 機械と大工業
第一節 機械の発達
(注89)
…技術学は、自然にたいする人間の能動的態度を、彼の生活の・したがって彼の社会的生活諸関係およびそれからわきだす精神的諸表象の・直接的生産過程を、あらわにする。およそ宗教史でも、この物質的基礎を捨象したものは、──無批判的である。事実上、分析によって宗教的幻像の地上的核心を見いだすことは、その逆に、その時々の現実的生活諸関係からその天上的諸形態を展開することよりも、はるかに容易である。後者は、唯一の唯物論的な、したがって科学的な方法である。歴史的過程を排除する抽象的・自然科学的な唯物論の欠陥は、その代弁者たちが彼らの専門からとび出すや否や、彼らの抽象的で観念論的な諸表象からも看取される。
河出
第一三章 機械装置と大工業
第一節 機械装置の発達
(八九)
すでに彼[ジョン・ワイアット]より前に、非常に不完全なものではあったが、剪紡機が、おそらく最初はイタリアで、使用された。批判的な技術史があれば、一八世紀のいかなる発明も、一個人に属することのいかに少ないかを、一様に証明するであろう。このような著作はまだ存在しない。ダーウィンは、自然的技術の歴史に、すなわち、動植物の生活のための生産用具としての動植物器官の形成に、関心を向けさせた。社会的人間の生産的器官の形成史も、同じ注意に値するのではないか? しかも、それはより容易に提供されるものではないか? ヴィコも言っているように、人類史が自然史と区別されるのは、前者はわれわれが作ったのであり、後者はそうではない、ということによるのだからである。技術学は、自然にたいする人間の能動的な態度を、彼の生活の直接的生産過程を、それとともに、また彼の社会的生活諸関係およびそれから生ずる精神的諸表象の直接的生産過程を明らかにする。宗教史といえども、この物質的基礎から抽象されたものは批判的とはいえない。実際に、分析によって、宗教的幻像の地上的核心を見出すことは、その逆に、その時々の現実的生活諸関係から、その天上化された諸形態を展開することよりも、はるかに容易である。後者が、唯一の唯物論的な、したがってまた、科学的な方法である。歴史的過程を排除する抽象的自然科学的唯物論の欠陥は、その主唱者たちが、自己の専門外に出たときに示す、抽象的で観念論的な諸観念からも、すでに看取される。
岩波文庫
最後の一行はマルクスの自己批判に聞こえる
唯物論
https://nam-students.blogspot.com/2019/10/blog-post_27.html
カントを踏まえたマルクス理解は正しくて
ヘーゲルをひっくり返しただけだと新たな無謬性に固着するだけになる
マルクスはカント(の法学)の影響を受けていたが主体化が困難だからそこから脱却しようとした
今となってはマルクスにおけるカントからの影響が重要だし資本論も
よく読めばヘーゲル的というよりカント的だ
マルクスは主義者はカントを読まないからすぐ党派的になる
《 実質的な私権の終りのところで私は全体がまちがっていることを知ったのです。
それは基本図式においてはカントのそれに近く、論述においてはまったくそれから
はずれたもので、またしても私には哲学なしにはやっていけないことがはっきりして
きていたのです。そんなわけで私は意を安んじて今一度、哲学に身を投じることができ、
一つの新しい形而上学的根本体系を書き、その終りのところで私はまたしてもその
体系と私のこれまでの努力のことごとくがちがっていたことを否応なしに知らされる
はめになったのです。》マルクス、父への手紙1837.11.10
大月40.7~8頁
カントを踏まえたマルクス理解は正しくて
ヘーゲルをひっくり返しただけだと新たな無謬性に固着するだけになる
マルクスはカント(の法学)の影響を受けていたが主体化が困難だからそこから脱却しようとした
今となってはマルクスにおけるカントからの影響が重要だし資本論も
よく読めばヘーゲル的というよりカント的だ
マルクス主義者はカントを読まないからすぐ党派的になる
アンチノミーを安易に解消させてしまう
《 実質的な私権の終りのところで私は全体がまちがっていることを知ったのです。
それは基本図式においてはカントのそれに近く、論述においてはまったくそれから
はずれたもので、またしても私には哲学なしにはやっていけないことがはっきりして
きていたのです。そんなわけで私は意を安んじて今一度、哲学に身を投じることができ、
一つの新しい形而上学的根本体系を書き、その終りのところで私はまたしてもその
体系と私のこれまでの努力のことごとくがちがっていたことを否応なしに知らされる
はめになったのです。》マルクス、父への手紙1837.11.10
大月40.7~8頁
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マルクスはスピノザに学びつつスピノザの体系に異議を唱えた。
「たとえばスピノザの場合でさえ、彼の体系の本当の内的構造は、彼によって体系が意識的に
叙述された形式 とはまったく違っている」
(マルクス、ラサール宛書簡1858年5月31日 大月全集29巻、438頁)
しかし、マルクスの体系こそスピノザに従属する(べきな)のである。
(例えば、マルクスが前提とした複利を伴った貨幣体系はその実体経済と一致しない。
スピノザの言葉で言えば、観念とその対象が一致しないのだ。〜エチカ1:a6〜)
マルクスは『神学政治論』の抜き書きをしているが、参照するべきは『エチカ』だ。
ヘーゲル、マルクスを読む際にもスピノザに立ち返る必要がある。そこからやり直すしかない。
ドゥルーズもスピノザ、ライプニッツ研究者であり続けた(この三者はともに並行論者だが、
ヘーゲル、マルクスは彼らとは違って弁証法信奉者だった)。