火曜日, 4月 02, 2019

倫理的=くじ引き?(NAMプログラムをめぐって)


倫理的=くじ引き?(NAMプログラムをめぐって)

「倫理的」であるとはどういうことでしょうか?
他者をめぐる考察に関しては、カントが他者の人格を手段としてだけでなく同時に目的として扱えとのべているのが有名ですが、『人倫の形而上学』ではさらに人間の至上義務は「他者の幸福、自己の完全性」であり、その逆はありえないと言っています。
これは変革を求める際、自ら変革せずに他者に変革を求めることの傲慢さを述べたものでしょう。
ガンジーはそのことを理解して、自ら糸を紡いだ(=チャルカを廻した)のだと思います。

NAMという社会運動団体の原理にもこのあたりは明確に書かれています。
引用すると、NAMのプログラムの(四)に以下のようにあります。 

「NAMは、その組織形態自体において、この運動が実現すべきものを体現する。すなわち、それは、選挙のみならず、くじ引きを導入することによって、代表制の官僚的固定化を阻み、参加的民主主義を保証する。」

NAMのプログラムは大ざっぱにいって倫理を述べた部分と経済を述べた部分の二つに分けられますが、僕はこれを左右に振り当てて図解↓したことがあります。


  (注:プログラム(四)は図では④になります。)

右の倫理の部分は、自らのうちにフィードバック装置をもち、自らの権力を絶えず検証しうることを示しており、組織構造の中にチェック機能を具体的なシステムとして持つことを意味します。一個人では「良心」ということになりますがNAMという組織ではそのシステムは「くじ引き」でした。

その主体が団体である場合、倫理的とは運動が目指すその理想を自らが体現していなければならないということであって、具体的には「選挙」プラス「くじ引き」を導入するということになります。

また、選挙は民主主義の基本だから解説不要ですが、くじ引きもまた民主主義の根幹にあったことが歴史を調べるとわかります。
くじ引きは、同一の時間をスリリングにすごすので楽しいですし、決選投票の心理的軋轢を避けることで対人関係も良好になります。

(20002年のNAMくじ引き選挙模様はいずでどこかに動画をアップしたいと思っています。)

追記:
NAMのプログラムは以下のmixiコミュニティを参照していただけると幸いです。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=17417
プログラム(三)の「非暴力」は政治革命から経済革命への転換を説明するものですから、むしろ経済の説明ということになるでしょう。