木曜日, 5月 02, 2019

スティーブン・ヘイル「解説:MMT(現代金融理論)とは何か」(2017年1月 31日)



スティーブン・ヘイル「解説:MMT(現代金融理論)とは何か」(2017年1月31日)

MMT提唱者であるビル・ミッチェル教授は、政府が自国通貨を持つ主権国としてその政策スペースの中にJGP(ジョブ・ギャランティ・プログラム)を導入し、失業率を2%かそれ以下にすることを訴えている。オーストラリアでこの失業率を達成していたのは1960年代と1970年代の初頭だ。JGPとは連邦政府の資金とローカル(自治体)で運営された公的職業プログラムで、完全雇用への回帰を行うべきとの提案だ。これがインフレを起こすとはミッチェル教授は考えていない。JGPは経済を安定化させインフレを抑制する枠組みとしてMMTに不可欠なものである。

参考:
https://econ101.jp/category/translation/noah-smith/

ダリオ氏、中央銀行はMMT的新たな仕組みにとって代わられる 2019/5/3

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スティーブン・ヘイル「解説:MMT(現代金融理論)とは何か」(2017年1月31日)

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スティーブン・ヘイル「解説:MMT(現代金融理論)とは何か」(2017年1月31日)

Steven Hail, “Explainer: what is modern monetary theory” (The Conversation, 31 January 2017)1

https://theconversation.com/explainer-what-is-modern-monetary-theory-72095

オーストラリア・アデレード大学経済学部講師
スティーブン・ヘイル

政府支出削減を求めるという困難な選択をするときに、俗に言う『予算ブラックホール』について心配しない経済学の学派がある。バーニー・サンダーズ氏のチーフ経済アドバイザーであったステファニー・ケルトン教授のようなMMT(現代金融理論、現代貨幣理論。以下、MMT)提唱者は、オーストラリア政府は予算を均衡する必要はなく、経済を安定させる必要があると主張する。そして、彼らの主張は(今までの経済学のものとは)まったく違うものだと言う。
MMTとは、1990年代にオーストラリアのビル・ミッチェル教授和訳)とともに米国アカデミアのランドル・レイ教授、ステファニー・ケルトン教授および投資銀行家でファンドマネージャであるウォーレン・モズラー氏により経済運営の手法として開発され、ハイマン・ミンスキー、ワイン・ゴッドリー、アバ・ラーナーといった先駆的経済学者のアイディアをもとに築かれた理論だ。著名経済学者ジョン・M・ケインズの研究についてのミンスキーたちの解釈は、 1980年代には支配的になったものとは非常に異なっている。
1980年代までには、ケインズは高失業率の場合のみ財政赤字を許容することを主張する経済学者と見られるようになっていた。ラーナーは、1943年に『機能的財政と連邦政府』という論文の中で、ケインズ主義経済学者は完全雇用を維持するには必要なだけ財政赤字を発生させなければならず、この赤字は普通のこととして受け止められなければならないと述べている。1943年4月にケインズは友人で経済学者でもあるジェイムス・ミードに宛てた手紙で、ラーナーについて、「彼の議論は非の打ち所がない。しかしこれを達成するには天の助けが必要だ」と綴っている。
MMTは独自の解釈と批判を惹きつけている一方で、経済成長を復活させようとする政策担当者の努力を蔑ろにし続けている国際経済環境の中で、力を増しつつある。
MMTには三つのコアの主張がある。初めのふたつは以下のとおりである。
1)自国通貨を持つ国家の政府は、純粋な財政的予算制約に直面することはない。
2)すべての経済および政府は、生産と消費に関する実物的および環境上の限界がある。
一番目の主張は、広く誤解されている主張だ。自国通貨を持つ国の政府とは、自国通貨と中央銀行を有しており、変動為替制度を採用し、大きな外貨債務がないという意味である。オーストラリアはそのひとつであり、英国、米国、日本も該当する。ユーロ圏の国々は自国通貨を持たないので当てはまらない。
2番目の主張は、政府はその気にさえなれば、消費しすぎたり課税しなさすぎたりして、インフレを起こすことが出来るという明白な事実を確認しているにすぎない。現実的な限界を迎えるとき、消費の総合的な水準が、すべての労働力、スキル、物質的な資本、技術および自然資源を投入して生産できる上限を超えているといえる。間違ったものを大量に生産したり、消費したいものを生産するために間違ったプロセスを使用することで、自然のエコシステムを破壊することも出来る。
オーストラリア政府は、通貨発行権を持つ中央政府である。オーストラリアドルが不足することはない。自らそう望み行動しない限りはオーストラリアドルの借用を強制されることもなく、その債務は金融制度の中で有益な役割を担う。
政府は支出のために国民に税を課す必要もない。税金はインフレを制限するためにある。インフレにならないレベルの公的部門と民間部門の総支出を維持するために、課税する必要がある。
これは政府支出と税収がお互いに同額でなければならないという意味ではない。オーストラリアのような国ではそんなことは実際にはほとんど起こらない。そしてこれはMMTの3番目の主張に続く。
3)政府の赤字はその他全員の黒字である。
すべての貸し手には、必ず借り手が存在する。つまり金融制度の中では黒字と赤字は足せばいつもゼロになるということだ。
これは下のグラフで明らかだ。1994年以降のオーストラリアの民間部門、政府部門、そして海外の収支バランスを表したものだ。
(図表:1994年-2016年 オーストラリア3部門の収支バランス(%GDP))

消費より収入のほうが多い預金者には、儲けより支出が多い個人か法人か誰かが必ずいる。もし民間部門全体としてもっと借金するよりも貯蓄をしてほしいとすれば、政府はおそらく課税するよりもっと多くを支出しなければならないだろう(他の国の経済がどうであるかによりけりであるが)。
逆もしかりだ。オーストラリアのハワード政府が、財政黒字を出し続けられたのは民間部門の負債額がとても大きかったからだ。
家計負債はハワード政権時代に3倍になった。それ以降、他の2国とともに、対所得家計負債比率で世界最高となっている。
(図表:オーストラリア民間部門(家計負債含む)、家計負債、および一般財政赤字(%GDP))
政府はオーストラリアドル不足になることはないが、だからといって『酔っ払いの水夫』のように浪費していいとか、税金を払わなくていいという意味ではない。予算均衡は必要ないという意味だ。また、民間部門が貯蓄を増やすのを財政赤字は助ける役割も担う。
オーストラリア政府は、ほとんど常に財政赤字を出し続けている。これは何もショックを受けるようなものではない。連邦制になってから平均して右派政権も左派政権もともに財政赤字を出している。(もしあなたがショックをうけたのなら)国家会計を家計に例える比喩に惑わされてしまっている可能性がある。
遊休労働力が約15%あり(若年層で30%以上)、民間部門のバランスシートは貧弱で、グリーンおよびその他インフラ投資の必要性の増大している国では、財政再建とはひとびとの注意を逸らすものだ。政府は、完全雇用、ソーシャルインクルージョン、自然環境の回復、健全な民間部門のバランスシートを促進するために、通貨発行機関としての役割を果たすことができるし、そうするべきである。
(図表:オーストラリアの15−24歳における不完全雇用、不完全雇用および遊休労働率(オリジナルデータ))
MMTによれば、政治家は、必要のないこと(予算均衡)にとらわれており、国の未来にとって重要なことの多くを無視している。
これがMMTというレンズを通して見たオーストラリアと世界である。MMTは、現在の金融制度が実際にどのように機能しているかを理解するためのものであり、その点において物議を醸し出すようなものではまったくない。
MMT提唱者であるビル・ミッチェル教授は、政府が自国通貨を持つ主権国としてその政策スペースの中にJGP(ジョブ・ギャランティ・プログラム)を導入し、失業率を2%かそれ以下にすることを訴えている。オーストラリアでこの失業率を達成していたのは1960年代と1970年代の初頭だ。JGPとは連邦政府の資金とローカル(自治体)で運営された公的職業プログラムで、完全雇用への回帰を行うべきとの提案だ。これがインフレを起こすとはミッチェル教授は考えていない。JGPは経済を安定化させインフレを抑制する枠組みとしてMMTに不可欠なものである。
オーストラリアでは、主要3政党はMMTにほとんど注目していない。しかし、米国ではMMT提唱者は政府に近いところに位置しており(上院議員バーニー・サンダース氏とともに)、経済問題を理解するためにMMTの採用を推奨することを目的としたふたつの小さな政党が去年設立された。なので、MMT提唱者と批判者の両方の弁を今後はもっとたくさん耳にすることになるだろう。
  1. 本稿は著者に特別許可を得て投稿しています。 [↩]
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ビル・ミッチェルによるマンキュー批判

https://econ101.jp/#more-35781

いったい誰がこれらが「原則」だと言っているのか? それはどうやって決めたのか?いつ? 現実との対応関係はあるのか? 要するにかの言明群は、「これは最も洗練された車です」というような言明と似ている。そうである可能性はあるが、他社のセールスマンは違った見方をしているだろう。

ギッティンズは言う。

経済学とは、人々(そして社会)が織りなすトレードオフについて、また直面するトレードオフを人々が解決する時の手助けについてものだ。社会が直面する典型的なトレードオフは、効率性と公平性の対立だ。 資源配分の効率性とは、限られた資源から社会が最大限の利益を得ることを目指すものだ。 一方、公平性は、資源から得られる利益が社会の構成員の間で公平に分配されることを目指す。 しばしば、ケーキを大きくする(効率の向上)ためにできることが、ケーキのスライスを不均等にする(不公平にする)してしまったり、そのちょうど逆のことが起こる。

このナンセンスを無知なわれわれが聞き流していると、次はこう言われる。経済学とは、競争的主体の間における限られた資源の分配についてのもので、私たちはいつも公平と効率の間の厳しい選択に迫られているのだが、合理的個人である我々はどうすれば最善の選択ができるかがわかるという。

これらの概念そのものは常も漠然としている – いつも上の引用のような感じだ。ところがこれらのメッセージはすぐに政治的になものに進化し、公共的な討論に登場するようになる(それを推すのはこの教義を教える経済学者たちだろう)。



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ダリオ氏、中央銀行はMMT的新たな仕組みにとって代わられる 2019/5/3

ダリオ氏、中央銀行はMMT的新たな仕組みにとって代わられる

レイ・ダリオ氏
レイ・ダリオ氏 Photographer: David Paul Morris/Bloomberg

現在の形での中央銀行はいずれ時代遅れになり、現代金融論(MMT)のような別の仕組みに取って代わられるのは「不可避」だと、世界最大のヘッジファンド、ブリッジウォーター・アソシエーツを創立したレイ・ダリオ氏が論じた。


  MMTとは、独立機関としての中央銀行が政策金利の調整を通じて経済を誘導するのではなく、政府が歳出と税制によって経済を運営するという考え方。米国のような基軸通貨を発行する国の破綻はあり得ず、一般に思われている以上に歳出の余地があると論じており、財政赤字や国家債務に対する懸念を和らげる。ただしこれはインフレが抑制されているという条件付きだが、今はその状態にある。

  MMTを巡る議論はここ最近で活発になってきた。資産家ウォーレン・バフェット氏やパウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長など、金融経済界の有力者から批判の声が相次いでいるが、ダリオ氏はMMTを受け入れる以外、政策当局に選択肢はないも同然だという。

  ダリオ氏はソーシャルネットワーキングサイトのリンクトインに投稿し、政策当局の課題は「金融政策が機能しない状況で、大半の国民が経済的恩恵を享受できるようにすること」だと指摘した。

  同氏によると、政策金利の引き下げや量的緩和として知られる資産購入といった措置は、景気刺激策として能力をほぼ出し尽くしてしまった。同氏が「MP3」と命名した第3世代の金融政策がこれに取って代わり、その特徴はMMTの論点に大筋同調する「財政と金融の政策協調」だが、必ずしもMMTの理論を厳格に実践するものではないという。

  このシフトはすでにかなり進行しているとダリオ氏は指摘。日本や欧州はゼロ金利付近から脱却できない。米国も経済が崩れればその状態に戻る可能は高く、財政政策による主導権奪取はすでに、「概して現実に起きている」と述べた。

原題:Dalio Says Something Like MMT Is ‘Inevitable’, Like It Or Not