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金曜日, 6月 14, 2019

Lerner 1951(経済の平衡輪、あるいは人々の新しい着物の物語)

参考:

中野剛志2021/01/22講演「プラグマティズムとMMT」書き起こし:
(:ラーナーの自動運転の比喩に言及) 

ミッチェルはラーナーの自動運転の比喩を何度か紹介している。
Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762

Hyman Minsky was not a guiding light for MMT
Wednesday, November 9, 2016
http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=34749




ラーナー「機能的財政」『雇用の経済学』における図(後述)
_____

buck rogers destination Saturn épisode1
https://youtu.be/2l-0fkXpnNc
Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF


buck rogers  destination saturn 1939 épisode 3 VOSTF


ラーナー
https://nam-students.blogspot.com/2019/03/abba-p-lerner-1903-1982.html
Lerner 1951

雇用の経済学 (1965年) (現代経済学名著選集〈第12 明治大学経済学研究会編〉)  – 古書, 1965

The Economics of Employment, 1951


1951年ラーナーが著作冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している(1941年の改訂版再録)。
それをフリードマン1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。
不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
(ラーナーは裁定的な機関は必要ないという。#14:258頁)
邦訳書で「平衡輪」というのはハンドルの代わりにスティールホイール状のものがあるはずという設定だろう。機械翻訳ではハンドルと訳されるから日本とはスティールホイールの意味が違うのだろう。邦訳もハンドルとした方がわかりやすかった。
章題の着物は章最後で紹介される裸の王様の寓話。こちらの方がわかりやすいと考えたのだろう。
著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
「火は良き召使であるが悪しき主人である」



Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song

第一部 問題
第一章
経済の平衡輪、あるいは人々の新しい着物の物語(1)

 われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだ
している。バック・ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日と
いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、
その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
で、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
叫ぶ。「おや、平衡輪がないではないか」と。

1 本章はザ・ユニヴァーシティ·レヴィユ(カンサス市立大学)、一九四一年六月号から(少し加筆されたうえで)再録さ
れたものである。

 「もちろん、平衡輪などはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。平衡輪
があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシイを信じ、誰
かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
 「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
 「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
 残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤーのゴムの種類によるもの か、あるいは天候による
ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつ
かるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。
 安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のディレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動し
ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

 不況とインフレーションは支出率を調整することによって防ぎうる。

 現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。戦争やファシズムのような、その他の実際に重要な問題のす
べては、この問題を解決するのに失敗したことにより起こるか、悪化させられるかのいずれかである。何ものに
もまして必要とされるところのことは、経済活動の合理的な度合を維持するために、われわれの経済を調整する


雇用の経済学3~5頁
1965年

19:
19
れら公衆が、道理のない尊敬を抱いているところの)が、公衆のための味方としてでてきてはいないために、か
れらが完全に理解しているところの論議を、受け容れることをおそれるのである。
 一つの重要な相違を認めるならば、この事態は、物語にあるところの、山師 にごまかされて下着だけで、臣下
の前を行進するところの有名な王様の、それに似通っている。山師たちは、つぎきのように主張した。かれらが、
王様のために作った想像上の新しい着物は、何人も感じないほど立派なものであり、自分の職務に対して、愚鈍
であるか、不誠実であるか、不適当であるものは誰しも、その衣服を見ることができないほど立派なものである
といろこと主張した。そして王様も、かれの臣下も、人民も、無邪気な子供によって、着物が見えないといろこ
とを洩らされるまで、そのことを認めようとはしなかった。
 繁栄を組織化することの問題も、それと同じである。それを理解している学者たちは、人びとは理解しないで
あろうという懸念のために、大胆にロを割ることをしない。そのことをきわめて容易に理解している人びとは、
またおそれて口を割ろうとはしない。かれらは、学者がまずロ火を切ることを待っているからである。われわれ
の現在の状態と物語のそれとの間の相違は、それが王様ではなくて、週期的に裸になり、飢え、不安で、不満足
になる人々~文明の破壊のために、不満足なことをとりあげる、いくらか臆病さの少ないオルグたちの格好のえ
じき~である。

#22:412
昔の格言にいう。「火は良き召使であるが悪しき主人である」と。



167:
第9章 倒錯した
経済,または転倒した経済学
が、浪費的な諸活動と非生産的な投資によって、
いっそう豊かになりうるという概念は、あまりにもばかばかし
いものであって、真面目な検討を加えるに値いしないように思われる。その理論全体は、まったく転倒したもの
のように思われ、その表面的にはもっともらしくみえることによって、一時的にさえそそのかされる一種の混乱
だけを多く残している。
転倒した経済学は倒錯した経済に適する。
O
C
実をいえば、機能的財政の経済学は、失業の条件に適用される場合、転倒していることは 否定し えない。だ」
が、
これはまったくの反論というのではない。転倒した経済学は、まさしく、失業に悩む経済に適するものであ
る。
失業に悩む経済は、転倒した経済理論のみが役立つところの倒錯した経済である。
「通常の、
あるいは正しい経済学は、諸資源の経済的な利用に関係する。諸資源は払底している。賭資源が希望
されている目的すべてに、行きわたるほど充分にはない。節約することー仕事がひどい困難なしになされろると一
ころならどこででも、仕事を遂行するために諸
資源をいっそう少なく使用することー、したがって別の用途のた
めに諸資源のいくらかを残しておくことが重要である。
のあるところでは、効率は非経済的である。
このよろなことはもはやありえない。
このような事情のもとでは、諸資源を
167
「しかし、失業のあるところでは、
どのような仕事においても、
いっそう少なく使用することは、重要ではないし有用でさえない。他の用途は、稼


国際的な諸局面
第6部
412
「第二十二章
国際通貨ーあるいは感傷的な国際主蓋
昔の格言にいろ。「火は良き召使であるが悪しき主人である」と。このことは火についてばかりでなく、人間
「がかれの目的を達成するのを助けるために考えられたすべての手段についてもあてはまる。しかし、何か手段を
「用いることが習慣的となった時、人はそれが達成するために作られた目的を忘れる傾向にあり、手段が目的の地
「位にとってかわる。そして、われわれは元来は目的に役立てるために考案された手段のために、目的それ自体を
しばしば犠牲にしてきた。
外国為替の安定化は呪物となってきている。
手段を目的にまで高めることは、狂信あるいは偶像崇拝の悲劇の基礎を形成するであろろ。個人的な領域にお
いて、蓄積は富裕になるための、そしてより良い生活をするためのものであるということを、忘れてしまってい
るけちん坊の無節度には、
人間としての常軌を逸していることがある。かれは蓄積のために生活を犠牲にするも
ので、換言すれば適当な時期に適当な量だけなら、健康と安楽を増すのに役立ちうる酸素とか適温とかを得るた
めに、健康と安楽を犠牲にする野外の魔神かあるいは ヒポコンデリ症の人である。国民経済においても、経済の
健全さのために
一つの役割を果たす手段であった
予算というものを、予算均衡の大原則といろものにまつりあげ
:412


Our economic system is frequently put to shame in being displayed before an imaginary visitor from a strange planet. It is time to reverse the procedure. Imagine yourself instead in a Buck Rogers interplanetary adventure, looking at a highway in a City of Tomorrow. The highway is wide and straight, and its edges are turned up so that it is almost impossible for a car to run off the road. What appears to be a runaway car is speeding along the road and veering off to one side. As it approaches the rising edge of the highway, its front wheels are turned so that it gets back onto the road and goes off at an angle, making for the other side, where the wheels are turned again. This happens many times, the car zigzagging but keeping on the highway until it is out of sight. You are wondering how long it will take for it to crash, when another car appears which behaves in the same fashion. When it comes near you it stops with a jerk. A door is opened, and an occupant asks whether you would like a lift. You look into the car and before you can control yourself you cry out, “Why! There’s no steering wheel!”
“Of course we have no steering wheel!” says one of the occupants rather crossly. “Just think how it would cramp the front seat. It is worse than an old-fashioned gear-shift lever and it is dangerous. Suppose we had a steering wheel and somebody held on to it when we reached a curb! He would prevent the automatic turning of the wheel, and the car would surely be overturned! And besides, we believe in democracy and cannot give anyone the extreme authority of life and death over all the occupants of the care. That would be dictatorship.”
1951年のLernerの著書 『The Economics of Employment』の第1章は、1941年のThe Economic Steering Wheelの記事を書き直したもので、ここで彼はケインズ思想についての彼のバージョンを詳しく述べました。彼はそのように本を始めた(1951:3-5):

私たちの経済システムは、奇妙な惑星からの架空の訪問者の前に表示されることにしばしば恥ずかしい思いをさせます。逆の手順です。代わりにバックロジャーズの惑星間の冒険で、明日の街の高速道路を見ている自分を想像してみてください。高速道路は広くてまっすぐであり、そしてその縁が上がっているので車が道路を走ることはほとんど不可能である。暴走している車のように見えるのは、道路に沿ってスピードを上げて片側に向かって進むことです。高速道路の立ち上がりに近づくと、前輪が回転して道路に戻り、斜めに降りて反対側に向かいます。これは何度も起こりますが、車はジグザグに動いていますが、見えなくなるまで高速道路を走り続けます。あなたはそれがクラッシュするのにどのくらいの時間がかかるのかと疑問に思っています。それがあなたの近くに来るとき、それは急いで止まります。ドアが開き、乗員がエレベーターを希望するかどうかを尋ねます。あなたは車の中を覗き、あなたが自分自身をコントロールする前にあなたは叫びました。ハンドルはありません。」

「もちろんハンドルはありません!」と乗員の一人がややこしく言っています。 「フロントシートを固定する方法を考えてください。それは昔ながらのギアシフトレバーより悪いです、そしてそれは危険です。我々が縁石に達したときに我々がハンドルを持っていて、誰かがそれをつかんだと仮定する!彼は車輪の自動回転を防ぎ、車は確かにひっくり返ったでしょう。そしてそれに加えて、私たちは民主主義を信じており、介護のすべての居住者に対して誰にも生と死の極端な権威を与えることはできません。それは独裁政権でしょう。」

“Down with dictatorship!” chorus the other occupants of the car.
“If you are worried about the way the car goes from side to side,” continues the first speaker, “forget it! We have wonderful brakes so that collisions are prevented nine times out of ten. On our better roads the curb is so effective that one can travel hundreds of miles without going off the road once. We have a very efficient system of carrying survivors of wrecks to nearby hospitals and for rapidly sweeping the remnants from the road to deposit them on nearby fields as a reminder to man of the inevitability.”
You look around to see the piles of wrecks and burned-out automobiles as the man in the car continues. “Impressive, isn’t it. But things are going to improve. See those men marking and photographing the tracks of the car that preceded us? They are going to take those pictures into their laboratories and pictures of our tracks, too, to analyze the cyclical characteristics of the curves, their degree of regularity, the average distance from turn to turn, the amplitude of the swings, and so on. When they have come to an agreement on their true nature we may know whether something can be done about it. At present they are disputing whether this cyclical movement is due to the type of road surface or to its shape or whether it is due to the length of the car or to the kind of rubber in the tires or to the weather. Some of them think that it will be impossible to avoid having cycles unless we go back to the horse and buggy, but we can’t do that because we believe in Progress. Well, want a ride?”
In other words, macroeconomics was all about “steering” the fluctuations in the economy. Fiscal policy was the steering wheel and should be applied for functional purposes. Laissez-faire (free market) was akin to letting the car zigzag all over the road and if you wanted the economy to develop in a stable way you had to control its movement.
This led to the concept of functional finance and the differentiation from what he called sound finance (that proposed by the free market lobby). Sound finance was all about fiscal rules – the type you read about every day even these days. So balance the budget over the course of the business cycle; only increase the money supply in line with the real rate of output growth; etc.
Lerner thought that these rules were based more in conservative morality than being well founded ways to achieve the goals of economic behaviour – full employment and price stability.
He said that once you understood the monetary system you would always employ functional finance – that is, fiscal and monetary policy decisions should be functional – advance public purpose and eschew the moralising concepts that public deficits were profligate and dangerous.
「独裁政権と一緒に!」と車の他の乗員を合唱します。

「あなたが車が左右に動く方法について心配しているならば」、「それを忘れなさい!」私達は衝突が10回のうち9回防止されるように素晴らしいブレーキを持っています。私たちのより良い道路では、縁石は非常に効果的であるので、一度も道を離れずに何百マイルも移動することができます。残骸の生存者を近くの病院に運び、必然性のある人に思い出させるものとして、残骸をすぐに道路から一掃して近くのフィールドに預けるための非常に効率的なシステムがあります。」

あなたは車の中の人が続けている間にあなたが周りに残骸と燃え尽きた自動車の山を見るのを見ます。 「感動的なことではありません。しかし、物事は改善しようとしています。私たちに先行していた車のトラックをマーキングして写真を撮っている人たちを見てください。カーブの周期的な特性、それらの規則性の度合い、ターン間の平均距離、スイングの振幅などを分析するために、彼らは彼らの実験室や私たちのトラックの写真にそれらの写真を取り込むつもりです。彼らが彼らの本当の性質について合意に達したとき、我々はそれについて何かができるかどうかを知るかもしれません。現在、彼らは、この周期的な動きが路面のタイプやその形状によるものなのか、それとも車の長さによるものなのか、タイヤ内のゴムの種類によるものなのか、あるいは天候によるのかについては論争している。私たちが馬に戻ってバギーにならない限り、サイクルを回避することは不可能であろうと彼らの中には考えていますが、私たちはProgressを信じているのでそうすることはできません。まあ、乗車したいですか?」
言い換えれば、マクロ経済学はすべて経済の変動を「操作する」ことでした。財政政策はステアリングホイールであり、機能目的のために適用されるべきです。 Laissez-faire(自由市場)は車を道路の至る所でジグザグにさせるようなもので、安定した方法で経済を発展させたいのならその動きを制御しなければなりませんでした。

これは機能的な金融の概念と彼が健全な金融(自由市場のロビーによって提案されたもの)と呼んだものとの区別へと導いた。健全な資金調達はすべて財政規則に関するものでした - あなたが最近でさえ毎日読むタイプ。そのため、景気循環の過程で予算のバランスを取ります。実際の生産高の伸びに応じてマネーサプライを増やすだけです。等

ラーナー氏は、これらのルールは、完全な雇用と物価の安定という経済的行動の目標を達成するための十分に根拠のある方法ではなく、保守的な道徳に基づいていると考えました。

彼が言ったのは、一旦あなたが常に機能的な財政を採用するという金融システムを理解するならば - すなわち財政と金融政策決定は機能的であるべきです - 公的目的を進め、公的赤字が裕福で危険であるという道徳的概念を避けます。


改訳:
反独裁の設定はバック・ロジャース譲り
3~5頁 平衡輪→ハンドル 他改訳
循環にぶつかる→周期運動


 われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだす。反対に、バック·ロジャース(Buck Rogers)のような遊星間の冒険のなかで「明日と
いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみてください。その大通りは幅広く真直ぐであって、
その道の端は[弓形に]そり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
で、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
 「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドル
があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するだろう。それはそれとして、われわれはデモクラシーを信じ、誰
かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
 「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちは口をそろえていう。
 「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
 残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の集積なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候による
ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、周期運動を避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

 安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動し
ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。
 現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…


#8機能的財政:161

機能的財政の基本的な諸関係:
              /\
             /  \   
            /    \
           /      \
          /        \  
         /   E雇用    \ 
        /            \
       /              \  
      /                \
     /                  \ 
    /____________________\
    |         Y所得        |
    |____________________|
    |      I投資     | |   |
    |______________| |C(Y)
    | i利子率  |  |I(i) |消費 |
    |_______|  |投資 | |性向 |
    |M | |i |  |機会 | |   |
    |貨幣| (M,Y) |___| |___|
         流動性選好


162:
  第八章の附録
 基本的な諸関係は第十五図に要約される。Mは貨幣を、iは利子率を、Iは投資を、Cは消費を、Yは所得
を、Eは雇用を、i(M, Y)は流動性選好(数々の所得水準において与えられる貨幣額を、公衆に保有させよう
とするに必要な利子率で測定される現金保有の意思)
を、I(i)は投資機会(投資決意が利子率に依存するところの
方法)
を、そしてC(Y)は消費性向(消費決意が所得水準に依存するところの方法)を表わす。
 図の最上部には、所得水準に依存する(あるいは、所得水準によって決定される)雇用量がある。所得水準は
「消費性向と投資とに依存する。投資は投資機会と利子率とに依存する。最後に、利子率は流動性選好と貨幣額と
に依存する。
 地面に接する四つの煉瓦の部分があるこの家で、唯一つのものが単一の文字で表わされていることが、注意さ
れるべきである。その一つのものとは、ここでは、外部から幣当局によって決定されると考えられる貨幣額M
である。地面に接する他の三つの支柱~i(M, Y) I(i)およびC(Y)~は、何か外部当局によって与えられる
独立した額ではなくて、その構築物内のその他の要素の間の関数あるいは諸関係を表わしている。そして、その
すべてはお互いに密接に依存しあうのである。



第2部 解決
162
ーションをひき起こすことから防止する。
  第八章の附録
基本的な諸関係は第十五図に要約される。以は貨幣を、iは利子率を、Iは投資を、Cは消費を、yは所得
を、Eは雇用を、i(M, Y)は流動性選好(数々の所得水準において与えられる貨幣額を、公衆に保有させよう
とするに必要な利子率で測定される現金保有の意思)を、I(i)は投資機会(投資決意が利子率に依存するところの
方法)を、そしてC(Y)は消費性向(消費決意が所得水準に依存するところの方法)を表わす。
 図の最上部には、所得水準に依存する(あるいは、所得水準によって決定される)雇用量がある。所得水準は
消費性向と投資とに依存する。投資は投資機会と利子率とに依存する。最後に、利子率は流動性選好と貨幣額と
に依存する。
 地面に接する四つの煉瓦の部分があるこの家で、唯一つのものが単一の文字で表わされていることが、注意さ
れるべきである。その一つのものとは、ここでは、外部から幣当局によって決定されると考えられる貨幣額M
である。地面に接する他の三つの支柱~i(M, Y) I(i)およびC(Y)~は、何か外部当局によって与えられる
独立した額ではなくて、その構築物内のその他の要素の間の関数あるいは諸関係を表わしている。そして、その
すべてはお互いに密接に依存しあうのである。


ラーナー雇用の経済学
#8機能的財政:161

機能的財政の基本的な諸関係:
              /\
             /  \   
            /    \
           /      \
          /        \  
         /   E雇用    \ 
        /            \
       /              \  
      /                \
     /                  \ 
    /____________________\
    |         Y所得        |
    |____________________|
    |      I投資     | |   |
    |______________| |C(Y)
    | i利子率  |  |I(i) |消費 |
    |_______|  |投資 | |性向 |
    |M | |i |  |機会 | |   |
    |貨幣| (M,Y) |___| |___|
         流動性選好

#5:97:

#7:141 :


参考:


断章33 機能財政論の真実、もしくはラーナー1951、もしくは中野剛志のアレ | 不自由な思考をめぐって

断章33 機能財政論の真実、もしくはラーナー1951、もしくは中野剛志のアレ

 ミスター機能財政ことアバ・ラーナーの Economics of Employment(1951年)の印象的な冒頭の一説を nyun 訳で紹介します。

 ラーナーの導入はなかなかカッコよくて、経済運営を「未来の運転席にハンドルがない車」になぞらえているのです。ビル・ミッチェルのブログによれば、ラーナーは1941年に書いたエッセイのネタをバージョンアップして書き直したのだそうです。ここでは、このミッチェルによる引用をそのまま翻訳します。

 …

 

 私たちの経済システムは、見知らぬ惑星の宇宙人に見せるのは恥かしくなるような代物です。やり方を逆にしなければいけません。バック・ロジャースの惑星冒険物語の調子で想像してみてください。あなたは未来のハイウェイを眺めているとして。ハイウエイは広くてまっすぐで、車が道路から飛び出さないように両側の縁が切り立った造りになっています。まるで逃走中かのような車が見えてきました。スピードの出しすぎで今にも道路を飛び出しそうに見えます。 しかし道路の端に近づくと、前輪がターンしてセンター方向に向き直り、そのまま反対側の端に近づくと同じようにまたセンターへとターンするのです。この繰り返しでそのままずっとジグザグに走りながら視界から消えていきました。あれではいつかはクラッシュするのではないかと心配していると、別の車が同じような走り方で現れて、あなたの近くで急停止します。ドアが開き、「乗りますか?」と声をかけてきました。車の中を覗き込んで、思わず大声を上げてしまいます。 「えええ! ハンドルがない!」。

 「ハンドルなんてないのが当たり前だろう!」男は少し怒った様子。「だって前の座席が窮屈になる。昔はギアシフトレバーがあって危険だったけどハンドルなんてもっと危ないじゃないか。車が端に寄ったときに誰かがハンドルにしがみついていたらどうなる?前輪の自動回転をダメにしてひっくりかえっちゃうだろうが。それに、われわれは民主主義を信じている。生死を決めるような権限を一人だけに与えることはできない。それでは独裁だ。」

 「独裁反対!」同乗の人たちが声をそろえる。

「車を左右に動かす方法が気になるなら、忘れてちまいな。」と男は続けます。「ブレーキが素晴らしくて十回中九回は衝突を防げるんだ。われわれの道路の縁の構造は高機能だから道路から逸れずに何百マイルも移動できる。それに事故の生存者を近くの迅速に病院に運んだり車の残骸を道路から一掃して野原に積み上げて、避けられないこともあるということを思い出させる効率的なシステムがある。」

 そう言われて周囲を見渡すと、廃車や燃え尽きた車の山が見える。男が続ける。「感動的だろう?物事は改善されていくんだ。向こうには前に走った車のタイヤ痕に印をつけて写真を撮っている人たちがいるだろう?彼らはこの車の走行痕の写真も撮るんだ。そして写真を研究室に持ち込んで、カーブの周期的な特性や規則性の度合い、ターンからターンまでの平均距離、左右の振幅とかを分析するんだよ。もしいつか彼らの意見が一致を見たら、我々にできることとはいったい何かがわかるかもしれないね。今のところ彼らは、それが車の周期的なジグザグ運動が路面の種類や形状によるものなのか、それとも車の長さによるものなのか、あるいはタイヤのゴムの種類によるものなのか、天候によるものなのか、いろいろ論争している。馬とバギーの時代に戻らない限り周期運動をなくすのは無理だという意見もあるけれど、進歩を信じているからそれはできないね。で、乗ってみたい?」



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93 件のコメント:

  1. ラーナー1975
    ドイツやロシアのことは言うまでもなく、米国では現在のところ提出が必要である、規制のgprnplexkyは、それぞれの時間を念頭に置いた比較的小さな問題を伴う細分化された法律の結果である。 しかし、規制の複雑さを最小限に抑えることは、統制原則の確立の原則の1つであり、規制を合理化することが可能である。 運転手のいない自動車に似ていますが^多くの乗客がステアリングホイールに手を伸ばしてねじれを与えながら、複雑な規制により彼らが互いに闘わないようにハンドルを回す順序と程度が規定されています。 統制経済には推進力があるので、これらの規制は不要です。



    Selected economic writings of Abba P. Lerner
    https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000003142619-00
    The economic steering wheel
    p.271~
    1941年ラーナーは経済を車の運転に譬え↑
    1962年フリードマンはそれをまぜっ返した↓


    マコーネル18th
    https://studyroombd.files.wordpress.com/2014/08/economics-principles-problems-and-policies-18th-mcconnell-brue-flynn.pdf
    p.734にフリードマン経由lernerの自動車の比喩
    ラーナー氏によると、社会は経済にスティールホイールを装備しなければならない
    フリードマンは裁量及び優秀な運転手は必要ないと言う



    運転手の裁量は要らないというのだ
    2003年ケルトンはラーナーを再評価する
    ただ現代では自動運転ならどうかという疑問も浮かぶ
    費用をかけて自動運転を選択するか?
    ただしその選択はひとつ上のレベルの裁量だ
    実はラーナーのSF仕立ての指摘はそれを扱っている
    フリードマンはラーナーの自動運転の描写を理解しようとしない
    自由主義から帝国主義の時代へ、思考の切り替えが必要だ
    MMTは帝国主義の時代のサバイバルツールだ

    以下でケルトン教授が引用


    Have member states forsaken their economic steering wheels?
    Stephanie Bell

    Dollarization: Lessons from Europe for the Americas

    前表紙
    Louis-Phillipe Rochon, Mario Seccareccia

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  2. テレビ化は1970年代


    レトロSci-Fi美女、ウィルマ・ディアリング待望のフィギュア化
    Buck Rogers Wilma Deering 1:6 Scale Action Figure

    あの25世紀のヒーロー、バック・ロジャースの --- つまり1929年のフィリップ・フランシス・ノーランの小説を1930年代はじめにディック・コーキンズが新聞連載コミックにした時のバック・ロジャースの --- 恋人ウィルマ・ディアリングが、ポルノ・クィーンのセカと同じファイセン・シームレス・ボディを採用して登場なのだ。
    ただしセカよりも小ぶりなMサイズ・バストで上品さもひとしおなら、1939年の映画化『原子未来戦』でウィルマを熱演したコンスタンス・ムーアにも似た切れ長美女に仕上がって、じつに申し分ない。
    a0077842_214118.jpg
    さらにバックとともに土星探険に出かけた時のコスチュームを着ているから、6年前にあのGo Hero製バックの精巧な1/6アクションフィギュアを買った人なら絶対並べて飾りたくなるに決まっているのだ。
    そのバックに付属のアトミック・ピストルや、各種ダイキャスト製アクセサリー・パーツが真鍮色だったのに対し、ウィルマはガンメタっていうのも、オサレなペアルックではないか。
    バブル・ヘルメット、バイザー可動のパイロット・キャップ、4種のハンドパーツ、いろんなポージングで遊ぶのに必須のフィギュアスタンドも付属する。
    完成は10月末ごろになる予定。

    ご予約はこちらから→http://tomesyoten.exblog.jp/22957017/
    a0077842_2127776.jpg
    A highly detailed action figure of Wilma Deering can now be yours! This Buck Rogers Wilma Deering 1:6 Scale Action Figure features a Phicen jointed body, accurate likeness, "rocket pistol," belt, buckle, and holster, four sets of hands / gloves, leather boots, an anti-gravity leather "jump belt" with disc, a bubble helmet, pilot cap with movie visor, classic outfit, and an action figure stand! 1:6 scale action figure measures 12-inches tall.

    MORE PICS and INFO
    タグ:
    ウィルマ・ディアリング バック・ロジャース 1/6アクションフィギュア
    みんなの【ウィルマ・ディアリング】をまとめ読み


    世界大百科事典内の《バック・ロジャース》の言及

    【SF映画】より


    … そうした本格SF不振の反面,当時〈怪奇映画〉で当てたユニバーサルが,1936年に,いわゆる〈スペース・オペラ〉(宇宙を舞台に善と悪が闘うヒロイックな冒険小説や劇画)を〈連続活劇〉として映画化したバクター・クラブ主演の《フラッシュ・ゴードン》(当時のメジャー作品1本の半分の予算で,シリーズ全26本を6週間で撮り上げたという)を大ヒットさせ,その総集編が《超人対火星人》と題して日本でも公開された。続いて,そのシリーズの続編(1938,40)や,同じ主演者による《バック・ロジャース》シリーズ(1939。日本では総集編を《原子未来戦》のタイトルで公開)が作られた。…
    ※「《バック・ロジャース》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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  3. 原子未来戦(1939)
    DESTINATION SATURN
    BUCK ROGERS
    バック・ロジャース/原子未来戦(新ソフト題)
    メディア 映画
    上映時間 90分
    製作国 アメリカ
    公開情報 劇場公開(昭映)
    初公開年月 1955/07/12
    ジャンル SF
    IMDBで検索[IMDB Search]原子未来戦をYahoo!で検索Yahoo!で検索
    バック・ロジャース/原子未来戦(完全版)2枚組 [DVD]
    価格:¥ 4,860円
    amazon.co.jpへ
    作品情報
    コメント(0)
    ソフト(2)

    【クレジット】
    監督: フォード・ビーブ
    ソウル・A・グッドカインド
    原作: フィル・ノーラン
    脚本: ノーマン・S・ホール
    レイ・トランペ
    撮影: ジェローム・アッシュ
    出演: ラリー・バスター・クラブ バック・ロジャース
    コンスタンス・ムーア ウィルマ・ディアリング
    C・モンターギュ・ショウ ヒューア博士
    ジャッキー・モラン
    アンソニー・ワード キラー・カーン
    ヘンリー・ブランドン
    【解説】
     コミック・ヒーロー、バック・ロジャースの連続活劇全12編を90分に短縮編集したものだが、意外につながりよくまとまっている。助手の少年バディと共に、1938年に飛行船旅行に出たバックは遭難するが、モーガン博士考案の仮死ガスで生命を保ち、2444年キラー・キング独裁下の地球の秘密都市パトロール隊に発見救助される。そして、都市のレジスタンス活動に参加。土星人の協力を取りつけに出かけ、敵に拘束されたりもするが、バディも大活躍して、見事、地球をキングの支配から解放する。重力ベルトで垂直移動するシーンがケッ作(ワイヤーがよく見える)で、キングが駆使する洗脳ヘルメットはなんだか既視感ありありだ。土星のいいモンの王族がモンゴロイドというのも、当時としてはフェアな設定で嬉しい。セットのちゃちさは「フレッシュ・ゴードン」を越えているけれど、元祖スペース・オペラとしてファン必見の珍作だ。バック・ロジャースものとしてはアフター「スター・ウォーズ」時代に、TVシリーズ「キャプテン・ロジャース」(パイロット版が「25世紀の宇宙戦士キャプテン・ロジャース」)が製作されている。
    <allcinema>
    評価

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  4. 戦前映画
    Buck Rogers: Destination Saturn 2440
    https://youtu.be/_XWTr2BKfi8

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  5. Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg

    タイトルロール等スターウォーズに近い

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  6. buck rogers destination Saturn épisode1
    https://youtu.be/2l-0fkXpnNc

    buck rogers destination saturn 1939 épisode 3 VOSTF
    https://youtu.be/m5jGmzUvdnQ

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  7. 消費と投資加筆

    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

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  8. 1951年ラーナーが著作冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している(1941年の改訂版再録)。
    それをフリードマン1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。
    邦訳書で「平衡輪」といのはハンドルの代わりにスティールホイール状のものがあるはずという設定だろう。機械翻訳ではハンドルと訳されるから日本とはスティールホイールの意味が違うのだろう。邦訳もハンドルとした方がわかりやすかった。
    章題の着物は章最後で紹介される裸の王様の寓話。こちらの方がわかりやすいと考えたのだろう。
    著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

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  9. 雇用の経済学 (1965年) (現代経済学名著選集〈第12 明治大学経済学研究会編〉) - – 古書, 1965
    The Economics of Employment, 1951
    明治大学経済学研究会 (著), A.P.ラーナー (著), 高川 清明 (翻訳)
    https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAE34A
    https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001066000-00

    Lerner 1951(第一章 経済の平衡輪、あるいは人々の新しい着物の物語)
    https://nam-students.blogspot.com/2019/06/lerner-1951.html@
    (第一章は、Lerner, A. 1941. The economic steering wheel. University Review, June, 2-8.の改訂版再録)

    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だが。

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  10. 雇用の経済学 (1965年) (現代経済学名著選集〈第12 明治大学経済学研究会編〉) - – 古書, 1965
    The Economics of Employment, 1951
    明治大学経済学研究会 (著), A.P.ラーナー (著), 高川 清明 (翻訳)
    https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAE34A
    https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001066000-00

    Lerner 1951(第一章 経済の平衡輪、あるいは人々の新しい着物の物語)
    https://nam-students.blogspot.com/2019/06/lerner-1951.html@
    (第一章は、Lerner, A. 1941. The economic steering wheel. University Review, June, 2-8.の改訂版再録)


    1951年ラーナーが著作冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している(1941年の改訂版再録)。
    それをフリードマン1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。
    邦訳書で「平衡輪」といのはハンドルの代わりにスティールホイール状のものがあるはずという設定だろう。機械翻訳ではハンドルと訳されるから日本とはスティールホイールの意味が違うのだろう。邦訳もハンドルとした方がわかりやすかった。
    章題の着物は章最後で紹介される裸の王様の寓話。こちらの方がわかりやすいと考えたのだろう。
    著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。

    消費と投資が加筆されたバージョン

    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だが。

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  11. 1951年ラーナーが著作冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している(1941年の改訂版再録)。
    それをフリードマン1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。
    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    邦訳書で「平衡輪」というのはハンドルの代わりにスティールホイール状のものがあるはずという設定だろう。機械翻訳ではハンドルと訳されるから日本とはスティールホイールの意味が違うのだろう。邦訳もハンドルとした方がわかりやすかった。
    章題の着物は章最後で紹介される裸の王様の寓話。こちらの方がわかりやすいと考えたのだろう。
    著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

    テレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を見たのだろう。スターウォーズに似ている。

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  12. 1951年ラーナーが著作冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している(1941年の改訂版再録)。
    それをフリードマン1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。
    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    邦訳書で「平衡輪」というのはハンドルの代わりにスティールホイール状のものがあるはずという設定だろう。機械翻訳ではハンドルと訳されるから日本とはスティールホイールの意味が違うのだろう。邦訳もハンドルとした方がわかりやすかった。
    章題の着物は章最後で紹介される裸の王様の寓話。こちらの方がわかりやすいと考えたのだろう。
    著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

    言及されるバックロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を見たのだろう。スターウォーズに似ている。

    9:

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  13. ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。

    消費と投資が加筆されたバージョン

    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だが。

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  14. 1951年ラーナーが著作冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している
    (1941年の改訂版再録)。
    それをフリードマン1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。
    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要という
    メッセージだ。
    邦訳書で「平衡輪」というのはハンドルの代わりにスティールホイール状のものがある
    はずという設定だろう。機械翻訳ではハンドルと訳されるから日本とはスティールホイール
    の意味が違うのだろう。邦訳もハンドルとした方がわかりやすかった。
    章題の着物は章最後で紹介される裸の王様の寓話。こちらの方がわかりやすいと考えたのだろう。
    著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

    言及されるバックロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。スターウォーズに似ている。
    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。

    消費と投資が加筆されたバージョン

    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。健全財政ではなく
    機能的財政をという主張は明確だが。

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  15. 1951年ラーナーが著作(邦訳『雇用の経済学』1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している
    (1941年の改訂版再録)。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。



    ケルトン
    Have member states forsaken their economic steering wheels?
    Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収

    ミッチェル

    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1

    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762

    フリードマン(マコーネル マクロより)

    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG


    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要という
    メッセージだ。
    邦訳書で「平衡輪」というのはハンドルの代わりにスティールホイール状のものがある
    はずという設定だろう。機械翻訳ではハンドルと訳されるから日本とはスティールホイール
    の意味が違うのだろう。邦訳もハンドルとした方がわかりやすかった。
    章題の着物は章最後で紹介される裸の王様の寓話。こちらの方がわかりやすいと考えたのだろう。
    著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

    言及されるバックロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。スターウォーズに似ている。
    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。

    消費と投資が加筆されたバージョン

    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。健全財政ではなく
    機能的財政をという主張は明確だが。

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  16. 1951年ラーナーが著作(邦訳『雇用の経済学』1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン
    Have member states forsaken their economic steering wheels?
    Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル
    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG


    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要という
    メッセージだ。
    邦訳書で「平衡輪」というのはハンドルの代わりにスティールホイール状のものがある
    はずという設定だろう。機械翻訳ではハンドルと訳されるから日本とはスティールホイール
    の意味が違うのだろう。邦訳もハンドルとした方がわかりやすかった。
    章題の着物は章最後で紹介される裸の王様の寓話。こちらの方がわかりやすいと考えたのだろう。
    著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

    言及されるバックロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版をのすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。
    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。

    消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。健全財政ではなく
    機能的財政をという主張は明確だが。

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  17. 1951年ラーナーが著作(邦訳『雇用の経済学』1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン
    Have member states forsaken their economic steering wheels?
    Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル
    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG


    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要という
    メッセージだ。
    邦訳書で「平衡輪」というのはハンドルの代わりにスティールホイール状のものがある
    はずという設定だろう。機械翻訳ではハンドルと訳されるから日本とはスティールホイール
    の意味が違うのだろう。邦訳もハンドルとした方がわかりやすかった。
    著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

    言及されるバックロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版をのすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。
    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。

    消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。
    健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。

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  18. ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。水タンクの発想自体はフィッシャーの模型が源流だろうが、ラーナーはそれを教育的モデルに変えたところに貢献がある。サミュエルソンより早いのではないか?

    返信削除

  19. 1951年ラーナーが著作(邦訳『雇用の経済学』1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン
    Have member states forsaken their economic steering wheels?
    Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル
    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG


    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要という
    メッセージだ。
    著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

    言及されるバックロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版をのすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。
    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。水タンクのモデルは交換方程式のフィッシャーが源流だろう。

    消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。
    健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。

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  20. 1951年ラーナーが著作(邦訳『雇用の経済学』1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン
    Have member states forsaken their economic steering wheels?
    Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル
    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG


    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要という
    メッセージだ。
    著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

    言及されるバックロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版をのすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw


    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。水タンクのモデルは交換方程式のフィッシャーが源流だろう。

    消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。
    健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。

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  21. 価値と価格の理論の数学的研究(1892,訳1981)

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  22. 1951年ラーナーが著作(邦訳『雇用の経済学』1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン
    Have member states forsaken their economic steering wheels?
    Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル
    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG


    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要という
    メッセージだ。
    著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

    言及されるバックロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版をのすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw


    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。
    水タンクのモデル自体は交換方程式のフィッシャー(『価値と価格の理論の数学的研究』1892,邦訳1981)が源流だろう。

    消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。
    健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。

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  23. 1951年ラーナーが著作(邦訳『雇用の経済学』1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン
    Have member states forsaken their economic steering wheels?
    Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル
    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。

    言及されるバックロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版をのすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。
    水タンクのモデル自体は交換方程式のフィッシャー(『価値と価格の理論の数学的研究』1892,邦訳1981)が源流だろう。

    消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。
    健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。

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  24. 1951年ラーナーが著作(邦訳『雇用の経済学』1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版をのすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。
    水タンクのモデル自体は交換方程式のフィッシャー(『価値と価格の理論の数学的研究』1892,邦訳1981)が源流だろう。

    消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。


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  25. 1951年ラーナーが著作(邦訳『雇用の経済学』1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版をのすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。サミュエルソンより早いかも知れない。
    ただし「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。
    水タンクのモデル自体は交換方程式のフィッシャー(『価値と価格の理論の数学的研究』1892,邦訳1981)が源流だろう。

    消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。

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  26. ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版をのすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。サミュエルソンより早いかも知れない。「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。
    水タンクのモデル自体は交換方程式のフィッシャー(『価値と価格の理論の数学的研究』1892,邦訳1981)が源流だろう。

    消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    インフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。

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  27. ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版をのすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。サミュエルソンより早いかも知れない。「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。
    水タンクのモデル自体は交換方程式のフィッシャー(『価値と価格の理論の数学的研究』1892,邦訳1981)が源流だろう。

    ラーナー1965の消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    インフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしている。健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。

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  28. ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。サミュエルソンより早いかも知れない。「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。
    水タンクのモデル自体は交換方程式のフィッシャー(『価値と価格の理論の数学的研究』1892,邦訳1981)が源流だろう。

    ラーナー1965の消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはーインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしているが、健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。

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  29. 裁量ではなく理論
    啓蒙が主眼

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  30.  われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだ
    している。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日と
    いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、
    その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
    ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
    の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
    では、車輪は再び曲るのである。
     このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
    を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
    間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
    開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
    叫ぶ。「おや、平衡輪がないではないか」と。
     「もちろん、平衡輪などはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
    定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。平衡輪
    があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
    妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシイを信じ、誰
    かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
    ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
    は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
    出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
    び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
    するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
    いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
    るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
    の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
    る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
    れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
    よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤーのゴムの種類によるもの か、あるいは天候による
    ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつ
    かるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
    れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。
     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のディレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
    によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
    ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
    理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまきしく同じように、かれらは行動し
    ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
    大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…

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  31.  われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだ
    している。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日と
    いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、
    その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
    ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
    の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
    で、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
    を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
    間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
    開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
    叫ぶ。「おや、平衡輪がないではないか」と。
     「もちろん、平衡輪などはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
    定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。平衡輪
    があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
    妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシイを信じ、誰
    かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
    ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
    は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
    出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
    び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
    するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
    いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
    るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
    の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
    る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
    れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
    よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤーのゴムの種類によるもの か、あるいは天候による
    ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつ
    かるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
    れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。
     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のディレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
    によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
    ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
    理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまきしく同じように、かれらは行動し
    ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
    大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…

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  32.  われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだ
    している。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日と
    いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、
    その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
    ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
    の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
    で、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
    を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
    間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
    開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
    叫ぶ。「おや、平衡輪がないではないか」と。
     「もちろん、平衡輪などはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
    定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。平衡輪
    があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
    妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシイを信じ、誰
    かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
    ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
    は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
    出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
    び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
    するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
    いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
    るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
    の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
    る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
    れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
    よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤーのゴムの種類によるもの か、あるいは天候による
    ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつ
    かるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
    れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。
     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のディレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
    によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
    ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
    理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動し
    ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
    大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…

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  33. SF慣れした人に訳して欲しかった

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  34. 3~5頁 平衡輪→ハンドル 改訳


     われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだ
    している。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日と
    いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、
    その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
    ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
    の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
    で、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
    を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
    間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
    開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
    叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
    定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドル
    があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
    妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシイを信じ、誰
    かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
    ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
    は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
    出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
    び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
    するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
    いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
    るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
    の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
    る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
    れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
    よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤーのゴムの種類によるもの か、あるいは天候による
    ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつ
    かるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
    れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。
     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のディレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
    によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
    ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
    理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動し
    ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
    大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…

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  35. 反独裁の設定はバックロジャース譲り
    3~5頁 平衡輪→ハンドル 他改訳


     われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだ
    している。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日と
    いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、
    その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
    ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
    の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
    で、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
    を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
    間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
    開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
    叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
    定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドル
    があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
    妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシイを信じ、誰
    かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
    ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
    は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
    出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
    び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
    するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
    いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
    るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
    の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
    る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
    れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
    よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候による
    ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつ
    かるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
    れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。
     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
    によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
    ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
    理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動し
    ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
    大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…

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  36. 反独裁の設定はバックロジャース譲り
    3~5頁 平衡輪→ハンドル 他改訳


     われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだ
    している。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日と
    いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、
    その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
    ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
    の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
    で、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
    を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
    間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
    開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
    叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
    定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドル
    があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
    妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシイを信じ、誰
    かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
    ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
    は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
    出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
    び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
    するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
    いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
    るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
    の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
    る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
    れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
    よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候による
    ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつ
    かるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
    れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。
     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
    によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
    ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
    理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動し
    ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
    大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…

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  37. ラーナー雇用の経済学
    #8機能的財政:161

    機能的財政の基本的な諸関係:
                  /\
                 /  \   
                /    \
               /      \
              /        \  
             /   E雇用    \ 
            /            \
           /              \  
          /                \
         /                  \ 
        /____________________\
        |         Y所得        |
        |____________________|
        |      I投資     | |   |
        |______________| |C(Y)
        | i利子率  |  |I(i) |消費 |
        |_______|  |投資 | |性向 |
        |M | |i |  |機会 | |   |
        |貨幣| (M,Y) |___| |___|
             流動性選好

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  38. 機能的財政は不況期限定の経済学ではないとラーナーは言うがわかりにくい

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  39. 機能的財政は不況期限定の経済学ではないとラーナーは言うがわかりにくい
    #13:227

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  40. 反独裁の設定はバックロジャース譲り
    3~5頁 平衡輪→ハンドル 他改訳


     われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだ
    している。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日と
    いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、
    その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
    ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
    の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
    で、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
    を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
    間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
    開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
    叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
    定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドル
    があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
    妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシーを信じ、誰
    かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
    ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
    は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
    出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
    び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
    するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
    いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
    るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
    の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
    る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
    れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
    よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候による
    ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつ
    かるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
    れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
    によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
    ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
    理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動し
    ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
    大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…

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  41. 258
    UNEMPLO YMENT AND INFLATION: THEORY AND POLICY
    harder to find labour, and the costs of an industrial dispute in terms of lost sales and profits are high. Workers also
    At low levels of economic activity, falling sales and rising unemployment militate against both profit push
    and wage demands. Also loan delinquency rates tend to be higher and banks become more conservative in their
    have more bargaining power due to the buoyant conditions.
    lending practices.
    Another example of cost push pressure might come from an increase in the price of a significant imported raw
    material, such as oil. We will examine this dvnamic in the next section.
    Keynes also suggested that inflation could arise due
    the Keynesian tradition, Abba Lerner's Economics of Employment (1951) has a coherent discussion of how dis-
    tributional struggle may lead to a wage-price spiral and generalised inflation as each party seeks to defend their
    o cost push factors (also called sellers' inflation). Within
    income.
    Lerner showed that the dynamic for this wage-price spiral could also result from capital seeking to expand
    its share of income by pushing up the mark-up on unit costs. Such a strategy could only be successful if workers
    conceded the real wage cut implied by the higher prices. Firms would be more likely to attempt this strategy when
    they perceived the bargaining power of workers to be weak, that is, when the unemployment
    this way, Lerner recognised that high inflation and high unemployment could co-exist, and thus identified the
    phenomenon that subsequently became known as stagflation.
    rate was higher. In
    Raw material price increases
    Until now we have been concentrating on workers pursuing nominal wage increases in order to gain higher real
    wages and/or firms pushing profit margins up to gain a greater profit share of income as the main drivers of an
    inflationary process.
    However, raw material price shocks can also trigger cost push inflation. These cost shocks may be imported
    (for example, an oil-dependent nation might face higher energy prices if world oil prices rise) or domestically
    sourced (for example, a nation may experience a drought which increases the costs of food crops and impacts on
    all food processing industries).
    TRY IT YOURSELF
    Let us consider the example of a situation where there is a price rise for an essential imported
    resource. The imported resource price shock amounts to a loss of real income for the nation in
    question. Thus, there is less real income to distribute to domestic claimants.
    The question then is who will bear this loss? With less real income being available for distri-
    bution domestically, the reactions of the claimants are crucial to the way in which the economy
    responds to the higher cost of the imports. The loss has to be shared or borne by one of the
    claimants or the other. What do you think are the strategies available to the various contestant
    claimants? Which do you think are most likely to be effective?
    If, in response to the fall in their profit margins (mark-ups), domestic firms pass on the raw material cost increases
    in the form of higher prices, then workers would endure a cut in their real wages
    If workers resist this erosion of their real wages and push for higher nominal wage growth, then firms can either
    accept the squeeze on their profit margins or resist.
    The government can employa number of strategies when faced with this dynamic. It can maintain the existing
    nominal demand growth, which would be very likely to reinforce the spiral
    Alternatively, it can use a combination of strategies to discipline the inflation process including the tighten-
    ing of fiscal and monetary policy to create unemployment (the NAIRU strategy), the development of consensual
    incomes policies and/or the imposition of wage price guidelines (without consensus) (see below).

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  42. 258
    未遂とインフレーション:理論と政策
    労働力を見つけるのが難しく、売上と利益の損失という点で産業紛争のコストが高い。労働者も
    低水準の経済活動では、売上高の減少と失業率の上昇が両方の利益プッシュに対抗する
    そして賃金要求。また、ローンの延滞率は高くなる傾向があり、銀行は銀行の保守性が低下しています。
    浮力のある条件のためにもっと交渉力があります。
    貸付慣行
    コストプッシュ圧力のもう一つの例は、重要な輸入原材料の価格の上昇から来るかもしれません
    油などの材料。次のセクションでこのdvnamicを調べます。
    ケインズはまた、インフレが原因で生じる可能性があることを示唆した
    ケインズの伝統、Abba Lernerの雇用経済学(1951)は、どのようにして
    各政党が彼らの擁護を求めているので、闘争闘争は賃金 - 価格のスパイラルと一般化されたインフレにつながるかもしれない
    oコストプッシュ要因(売り手のインフレとも呼ばれる)。内に
    所得。
    ラーナー氏は、この賃金 - 価格スパイラルのダイナミックスは、資本拡大のための資金調達の結果でもある可能性があることを示した。
    単価の上昇を押し上げることで、収入のシェアを伸ばすことができます。そのような戦略は、労働者がいる場合にのみ成功する可能性があります。
    物価上昇によって暗示される実質賃金カットを認めた。会社はこの戦略を試みる可能性が高いでしょう。
    彼らは、労働者の交渉力が弱い、つまり失業率が低いとき
    このように、ラーナーは、高いインフレ率と高い失業率が共存する可能性があることを認識し、その結果、
    その後スタグフレーションとして知られるようになった現象。
    率は高かった。に
    原材料価格の上昇
    今まで私たちはより高い実質を得るために名目賃金の上昇を追求する労働者に集中していました
    賃金および/または企業が利益を押し上げて、より大きな利益を得ることができます。
    インフレプロセス。
    しかし、原材料価格のショックもコストプッシュのインフレを引き起こす可能性があります。これらのコストショックは輸入されるかもしれません
    (例えば、世界の石油価格が上昇すると、石油依存国はより高いエネルギー価格に直面する可能性があります)または国内で
    供給(例えば、ある国は干ばつを経験するかもしれず、それは食料作物のコストを増加させ、
    すべての食品加工産業)
    自分で試してみる
    重要な輸入品の価格が上昇している状況の例を考えてみましょう。
    リソース。輸入された資源価格のショックはその国の実質所得の損失になります。
    質問。したがって、国内の請求者に分配する実質収入が少なくなります。
    問題は、誰がこの損失を負うのでしょうか。実際の収入が減っているために、
    国内的に見れば、請求者の反応は、経済が
    より高い輸入コストに対応します。損失は​​次のいずれかによって共有または負担される必要があります。
    請求者またはその他。あなたは様々な競技者に利用可能な戦略は何だと思いますか
    申立人?どれが最も効果的であると思いますか?
    もし、利益率の低下(値上げ)に対応して、国内企業が原材料コストの増加を転嫁した場合
    より高い価格の形で、それから労働者は彼らの実質賃金の削減に耐えるだろう
    労働者がこの実質賃金の低下に抵抗し、名目賃金のより高い成長を推進するのであれば、企業は以下のいずれかを行うことができます。
    彼らの利益率の圧迫を受け入れるか、または抵抗しなさい。
    政府はこの動きに直面したときにいくつかの戦略を採用することができます。それは既存を維持できます
    名目上の需要成長、これはスパイラルを強化する可能性が非常に高い
    あるいは、それは引き締めを含むインフレプロセスを規律するために戦略の組み合わせを使用することができます。
    失業を生み出すための財政および金融政策の策定(NAIRU戦略)、合意形成
    所得政策および/または賃金価格ガイドラインの強制(合意なし)(下記参照)。

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  43. ラーナー
    雇用および低度の完全
    第13章 高度の完全
    雇用
    243
    が、機能的財政の適用によってのみ、到達されるのを妨げる賃金の硬直性は、団体交渉と労働組合が現在におい
    て達成している大きな力に依存するのではない。弱小の労働組合でさえもが、賃金を切り下げようとする雇用主」
    に対して、大きなトラブルをひき起こすことができる。そして、
    このことが雇用主をして賃金を切り下げること
    をためらわせるであろう。
    たとえ労働組合がまったくないとしても、ある一定の賃金率が合理的であるか、ある
    いは正しいか、または適正であるか、
    または公正であるーすなわち、賃金を減少させることが反社会的であるー
    といろ単なる考えは、低度の水準の完全雇用を安定的な状態にすることのできる程度の賃金の、下方硬直性を樹
    立するのに充分である。雇用主はかれら自身、賃金を減少させることは適当でないということ、あるいはもしか
    れらがそうすれば、かれらは良くは思われないだろうということを感じている。賃金が下落しえないとすれば、
    賃金は、労働が相対的に稀少である領域においては上昇するであろう。もし、六百万人以上の失業者がいるとす
    れば、ほとんどすべての労働市場において労働は豊富である。だが、失業者が六百万人よりも少ないとすれば、
    経済のどこかの部分において労働は稀少であろう。賃金はこれらの部分においては上昇するであろうが、その他
    の所では下落しないであろろ。したがって、賃金の一般的な水準の上昇があり、そして、もしその上昇が生産性
    の全般的な上昇よりも大きいとすれば物価は上昇する。そして、これがインフレーション的な悪循環の始まりと
    なる。
    それゆえ、機能的財政を通じて高度の完全雇用を自動的に達成することは、
    つぎのこ とに依 存する。
    すなわ
    ち、公正な賃金などは考えぬこと、いかなる労働市場においても労働の供給が需要をごくわずかに超過するや否
    や、雇用主が直ちに貨幣賃金を減ずる用意があること、そして勤労者のこのような貨幣賃金の減少を直ちに受け

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  44. 統制の経済学 厚生経済学原理
    叢書名  
    現代経済学名著選集  ≪再検索≫
    著者名等 
    A.P.ラーナー/著  
    著者名等 
    桜井一郎/訳  
    出版者  
    文雅堂書店
    出版年  
    1961.8
    大きさ等 
    22cm 607p
    注記   
    The economics of control./の翻訳 著者の肖像あり
    NDC分類
    333.1
    件名   
    統制経済  
    件名   
    厚生経済学  
    書誌番号 
    3-0190339733

    現在の予約数0人

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  45.  貿易、福祉、社会主義、ケインズ理論に関する研究の集大成として、大作 The Economics of Control (1944) が生まれた。古い主題が統合されて、刷新された――特に
    P
    =
    M
    C
    P
    =
    M
    C
    効率性ルールと、機能的金融の原理がそうだ。この本で、新しいアイデアも導入された。外国為替市場における政策と変動為替レートによる投機対抗の考え方、貿易安定の「マーシャル=ラーナー条件」、「最適通貨圏」の発想、そして最も有名かもしれないのが「所得の最適分配」だ。これは所得の平等な分配が最適だと論じるため、「平等な無知」の想定を活用した議論だ。これはミルトン・フリードマンとの論争につながった。

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  46. ラーナー『雇用の経済学』162頁
      
      第八章の附録
     
     基本的な諸関係は第十五図に要約される。Mは貨幣を、iは利子率を、Tは投資を、Cは消費を、Yは所得
    を、Eは雇用を、i(M, Y)は流動性選好(数々の所得水準において与えられる貨幣額を、公衆に保有させよう
    とするに必要な利子率で測定される現金保有の意思)を、I(i)は投資機会(投資決意が利子率に依存するところの
    方法)を、そしてC(Y) は消費性向(消費決意が所得水準に依存するところの方法)を表わす。
     図の最上部には、所得水準に依存する(あるいは、所得水準によって決定される)雇用量がある。所得水準は
    消費性向と投資とに依存する。投資は投資機会と利子率とに依存する。最後に、利子率は流動性選好と貨幣額と
    に依存する。
     地面に接する四つの煉瓦の部分があるこの家で、唯一つのものが単一の文字で表わされていることが、注意さ
    れるべきである。その一つのものとは、ここでは、外部から貨幣当局によって決定されると考えられる貨幣額M
    である。地面に接する他の三つの支柱~i(M, Y)I(i)およびC(Y)~は、何か外部当 局によって与えられる
    独立した額ではなくて、その構築物内のその他の要素の間の関数あるいは諸関係を表わしている。そして、その
    すべてはお互いに密接に依存しあうのである。

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  47. https://1.bp.blogspot.com/--w6UF7DXMqE/XQ1BO4mT99I/AAAAAAABkuI/C8SCAnntFyAccHA8JkYqQJhFSuGBU_lSgCLcBGAs/s1600/IMG_1452.JPG

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  48. ミッチェル2019#25もドライバーを使うが
    原動力という意味だろう

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  49. ミッチェル2019#25-p418もドライバーを使うが
    原動力という意味だろう

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  50. 雇用の経済学冒頭の自動運転自動車の寓話をミッチェルは以下で引用している

    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory
    2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762


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  51. ミッチェルが以下ブログで引用しているが、

    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory
    2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762



    ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ちなみにストックとフローを説明する水タンクの図解は本書(The Economics of Employment, 1951)
    にすでにある。邦訳1965#4:68~9。サミュエルソンより早いかも知れない。「漏れ」に対してMMT的な意味は持たされていない。
    水タンクのモデル自体は交換方程式のフィッシャー(『価値と価格の理論の数学的研究』1892,邦訳1981)が源流だろう。

    ラーナー1965の消費と投資が加筆されたバージョン
    https://1.bp.blogspot.com/-xEhl6j0YCcY/XQULJWiLYuI/AAAAAAABkis/r4tBDcsHWWYER5zsrNeEuq-0pQT3YGZlgCLcBGAs/s1600/IMG_0862.PNG

    ラーナーはーインフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしているが、健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。

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  52. ただし著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

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  53. ミッチェルが以下ブログで引用しているが、

    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory
    2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762



    ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ラーナー(The Economics of Employment, 1951)は、インフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしているが、
    健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。
    ただし著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

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  54. ミッチェルが以下ブログで引用しているが、

    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory
    2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762

    ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003と上記ミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収

    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ラーナー(The Economics of Employment, 1951)は、インフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしているが、
    健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。
    ただし著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

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  55. ミッチェルが以下ブログで引用しているが、

    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory
    2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762

    ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003と上記ミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収

    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。
    ラーナーの寓話にある民衆の反独裁制の設定はバック・ロジャース譲りだ

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ラーナー(The Economics of Employment, 1951)は、インフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしているが、
    健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。
    ただし著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

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  56. ミッチェルが以下ブログで引用しているが、

    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory
    2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762

    ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003と上記ミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収

    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版(冒頭テロップ)はスターウォーズに似ている。
    ラーナーの寓話にある民衆の反独裁制の設定はバック・ロジャース譲りだ

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ラーナー(The Economics of Employment, 1951)は、インフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしているが、
    健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。
    ただし著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

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  57. ミッチェルが以下ブログで引用しているが、

    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory
    2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762

    ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003と上記ミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収

    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を見たのだろう。
    ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版(冒頭テロップ)はスターウォーズに似ている。
    ラーナーの寓話にある民衆の反独裁制の設定はバック・ロジャース譲りだ

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

    ラーナー(The Economics of Employment, 1951)は、インフレを危惧し、政治的左右のバランスを気にしているが、
    健全財政ではなく機能的財政をという主張は明確だ。
    ただし著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
    「火は良き召使であるが悪しき主人である」

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  58. https://twitter.com/tiikituukahana/status/1303264379090079745?s=21

    JGPはEの雇用に
    BIはYの所得に
    それぞれ直接働きかける。
    ラーナーは家ではなく自動運転車の比喩も用いたが、
    こちらはフリードマンに混ぜっ返された。
    それでもラーナーの比喩は交通整理、議論の整理に有効だ。
    地域通貨花子1 (@TiikituukaHana) September 8, 2020

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  59. ラーナー雇用の経済学1951より
     /________E雇用____\
    |_______Y所得_______|
    |_____I投資____| C(Y)
    |_i利子率_| |I(i) |消費|
    |M ||i | |投資機会 |性向|
    貨幣_|(M,Y)|___| |__|
        流動性選好

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  60. https://twitter.com/tiikituukahana/status/1303264379090079745?s=21

    JGPはEの雇用に
    BIはYの所得に
    それぞれ直接働きかける。
    場所が違うのだ。
    ラーナーは家ではなく自動運転車の比喩も用いたが、
    こちらはフリードマンに混ぜっ返された。
    それでもラーナーの比喩は交通整理、議論の整理に有効だ。
    地域通貨花子1 (@TiikituukaHana) September 8, 2020

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  61. https://twitter.com/tiikituukahana/status/1303264379090079745?s=21

    JGPはEの雇用に
    BIはYの所得に
    それぞれ直接働きかける。
    場所が違うのだ。
    ゲゼルの減価マネー、地域再投資法CRA、ケインズのバンコールの入る余地もある。
    ラーナーは家ではなく自動運転車の比喩も用いたが、
    こちらはフリードマンに混ぜっ返された。
    それでもラーナーの比喩は交通整理、議論の整理に有効だ。
    地域通貨花子1 (@TiikituukaHana) September 8, 2020

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  62. https://twitter.com/tiikituukahana/status/1303264379090079745?s=21

    ラーナーは『雇用の経済学』1951で家の比喩を用いた。
    JGPはEの雇用に
    BIはYの所得に
    それぞれ直接働きかける。
    場所が違うのだ。
    ゲゼルの減価マネー、地域再投資法CRA、ケインズのバンコールの入る余地もある。
    ラーナーは自動運転車の比喩も用いたが、こちらはフリードマンに混ぜっ返された。
    それでもラーナーの比喩は交通整理、議論の整理に有効だ。
    https://twitter.com/TiikituukaHana/status/1303263421371092992?s=20

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  63. https://twitter.com/tiikituukahana/status/1303264379090079745?s=21

    ラーナーは『雇用の経済学』1951で家の比喩を用いた。
    JGPはEの雇用に
    BIはYの所得に
    それぞれ直接働きかける。
    場所が違うのだ。
    ゲゼルの減価マネー、地域再投資法CRA、ケインズのバンコールの入る余地もある。
    ラーナーは機能的財政の説明に自動運転車の比喩も用いたが、こちらはフリードマンに混ぜっ返された。
    それでもラーナーの比喩は交通整理、議論の整理に有効だ。
    https://twitter.com/TiikituukaHana/status/1303263421371092992?s=20

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  64. https://twitter.com/tiikituukahana/status/1303264379090079745?s=21

    ラーナーは『雇用の経済学』1951で家の比喩を用いた。
    JGPはEの雇用に
    BIはYの所得に
    それぞれ直接働きかける。
    場所が違うのだ。
    ゲゼルの減価マネー、地域再投資法CRA、ケインズのバンコールの入る余地もある。
    ラーナーは機能的財政の説明に自動運転車の比喩も用いたが、こちらはフリードマンに混ぜっ返された。
    それでもラーナーの比喩は交通整理、議論の確認に有効だ。
    https://twitter.com/TiikituukaHana/status/1303263421371092992?s=20

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  65. ラーナーは『雇用の経済学』1951で自動車の比喩を用いた。

    反独裁の設定はバックロジャース譲り
    3~5頁 平衡輪→ハンドル 他改訳
    中野剛志20210122は操舵輪と訳した


     われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだ
    している。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日と
    いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、
    その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
    ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
    の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
    で、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
    を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
    間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
    開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
    叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
    定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドル
    があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
    妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシーを信じ、誰
    かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
    ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
    は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
    出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
    び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
    するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
    いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
    るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
    の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
    る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
    れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
    よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候による
    ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつ
    かるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
    れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
    によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
    ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
    理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動し
    ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
    大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…

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  66. ラーナーは『雇用の経済学』原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用いた。

    反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲り
    3~5頁 平衡輪(The economic steering wheel )→ハンドル 他改訳
    中野剛志20210122講演では操舵輪と訳していた


    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしきものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、その前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこで、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通りを走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドルがあって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシーを信じ、誰
    かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのである。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなされうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態によるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
    れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めることによって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動しないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーションへとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》

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  67. ラーナーのSF

    ラーナーは『雇用の経済学』原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用いた。

    反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲り
    邦訳3~5頁 平衡輪(The economic steering wheel )→ハンドル 他改訳
    中野剛志20210122講演では操舵輪と訳していた


    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしきものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、その前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこで、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通りを走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドルがあって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシーを信じ、誰
    かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのである。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなされうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態によるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
    れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めることによって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動しないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーションへとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》

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  68. ラーナーのSF

    ラーナーは『雇用の経済学』原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用いた。

    反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲り
    邦訳3~5頁 平衡輪(The economic steering wheel )→ハンドル 他改訳
    中野剛志20210122講演では操舵輪と訳していた


    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしきものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、その前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこで、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通りを走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドルがあって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシーを信じ、誰かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのである。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなされうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態によるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
    れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めることによって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動しないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーションへとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》

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  69. ラーナーのSF

    ラーナーは『雇用の経済学』原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用いた。
    後にフリードマンに揶揄された

    反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲り
    邦訳3~5頁 平衡輪(The economic steering wheel )→ハンドル 他改訳
    中野剛志20210122講演では操舵輪と訳していた


    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしきものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、その前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこで、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通りを走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドルがあって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシーを信じ、誰かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのである。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなされうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態によるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわれは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めることによって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動しないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーションへとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》

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  70. ラーナーは『雇用の経済学』初出1941原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用いた。
    後にフリードマンに揶揄された

    反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲り
    邦訳3~5頁 平衡輪(The economic steering wheel )→ハンドル 他改訳
    中野剛志20210122講演では操舵輪と訳していた


    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしきものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、その前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこで、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通りを走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドルがあって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシーを信じ、誰かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのである。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなされうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態によるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわれは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めることによって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動しないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーションへとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》

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  71. ラーナーのSF

    ラーナーは『雇用の経済学』初出1941原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用いた。
    後にフリードマンに揶揄された
    裁量=運転手による運転、マネタリズム=自動運転とされたのだ

    反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲り
    邦訳3~5頁 平衡輪(The economic steering wheel )→ハンドル 他改訳
    中野剛志20210122講演では操舵輪と訳していた


    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしきものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、その前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこで、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通りを走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドルがあって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシーを信じ、誰かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのである。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなされうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態によるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわれは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

     安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めることによって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動しないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーションへとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》

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  72. 改訂版

    993 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ササクッテロラ Sp79-fIq/)[sage] 2020/03/31(火) 20:25:29.66 ID:rdHC82Oip

    以下、ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)第12章邦訳217頁より

    《 自由主義者による反論は、経済的なものではなく政治的なものである。かれらは、つぎのような恐怖に置かれ
    ている。すなわち、機能的財政による政府活動の拡張、あるいは単に政府の責任の拡張さえが、個人の自由の維
    持にとって危険であるということである。それらの反論は、主として、機能的財政と健全財政との間の想像上の
    行政的な、あるいは政治的な差異にもとづいている。その反論を唱える自由主義者は、つぎのような概念をもっ
    ているように思われる。すなわち、健全財政は政府に一定の原則、すなわち予算を均衡させるという原則を与え
    るのに対し、機能的財政は、政府に自由な裁量を行使させるということである。恐れられているのは、この政府
    の裁量あるいは力である。
     実際のところ、健全財政と機能的財政との間には、このような行政的な、あるいは政治的な対照はない。機能
    的財政がなすところのことは、一原則を政治の裁量に置き換えることではなく、むしろ一つの原則を別の原則に
    置き換えることである。機能的財政は、当局に対して、収入に等しい経費を維持することのかわりに、別の原則
    にしたがって、しかも完全雇用をもたらしインフレーションを避ける水準に、総支出率を維持することを告げる
    のである。…》

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  73. ラーナーのSF

    ラーナーは『雇用の経済学』初出1941原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用いた。
    後にフリードマンに揶揄された
    裁量=運転手による運転、マネタリズム=自動運転とされたのだ

    反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲り
    邦訳3~5頁 平衡輪(The economic steering wheel )→ハンドル 他改訳
    中野剛志20210122講演では操舵輪と訳していた


    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。…あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「…われわれはデモクラシーを信じ、誰かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのである。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなされうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態によるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわれは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

     …かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動しないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーションへとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》
    ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)第1章邦訳3~5頁より


    《 自由主義者による反論は、経済的なものではなく政治的なものである。…機能的財政がなすところのことは、
    一原則を政治の裁量に置き換えることではなく、むしろ一つの原則を別の原則に置き換えることである。》
    ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)第12章邦訳217頁より

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  74. ラーナーのSF

    ラーナーは『雇用の経済学』初出1941原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用いた。
    後にフリードマンに揶揄された
    裁量=運転手による運転、マネタリズム=自動運転とされたのだ

    反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲り
    邦訳3~5頁 平衡輪(The economic steering wheel )→ハンドル 他改訳
    中野剛志20210122講演では操舵輪と訳していた


    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。…あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「…われわれはデモクラシーを信じ、誰かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのである。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなされうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態によるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわれは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

     …かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても理性的なのか。…かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーションへとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

     現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》
    ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)第1章邦訳3~5頁より


    《 自由主義者による反論は、経済的なものではなく政治的なものである。…機能的財政がなすところのことは、
    一原則を政治の裁量に置き換えることではなく、むしろ一つの原則を別の原則に置き換えることである。》
    ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)第12章邦訳217頁より

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  75. ラーナーのSF

    中野剛志が講演でラーナーの操舵輪の比喩について言及していた。
    ラーナーは『雇用の経済学』初出1941原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用い、
    後にフリードマンに揶揄された。
    裁量=運転手による運転、マネタリズム=自動運転とされたのだ。

    以下の寓話の反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲りで、
    邦訳3~5頁の平衡輪(The economic steering wheel )をハンドル 他に改訳した。
    中野剛志20210122講演では操舵輪と訳していた。

    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。…あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
     「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「…われわれはデモクラシーを信じ、誰かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。…現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態によるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、サーキットにぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわれは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

     …かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても理性的なのか。…かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーションへとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。…現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》
    ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)第1章邦訳3~5頁より改訳


    《 自由主義者による反論は、経済的なものではなく政治的なものである。…機能的財政がなすところのことは、一原則を政治の裁量に置き換えることではなく、むしろ一つの原則を別の原則に置き換えることである。》
    同第12章邦訳217頁より

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  76. ラーナーのSF

    中野剛志が講演でラーナーの操舵輪の比喩について言及していた。
    ラーナーは『雇用の経済学』初出1941原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用い、
    後にフリードマンに揶揄された。
    裁量=運転手による運転、マネタリズム=自動運転とされたのだ。

    以下の寓話の反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲りで、
    邦訳3~5頁の平衡輪(The economic steering wheel )を操舵輪(中野採用の訳語)他に改訳した。

    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい
    行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の
    冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像して
    みなさい。…あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、操舵輪がないではないか」と。
     「もちろん、操舵輪などはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「…われわれ
    はデモクラシーを信じ、誰かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることは
    できない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているの
    だとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしい
    ブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効
    なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることが
    できる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、
    人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常
    に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。
    そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、
    写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというので
    ある。…現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態による
    ものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは
    天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らない
    とするならば、サーキットにぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、
    われわれはそうは思わない。なぜなら、われわれは進歩を信奉するからである。どうだね、
    乗らないかね」。

     …かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについて
    も理性的なのか。…かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、
    かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。…
    現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》
    ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)第1章邦訳3~5頁より改訳


    《 自由主義者による反論は、経済的なものではなく政治的なものである。…機能的財政がなす
    ところのことは、一原則を政治の裁量に置き換えることではなく、むしろ一つの原則を別の原則
    に置き換えることである。》
    同第12章邦訳217頁より

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  77. ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    それをフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

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  78. ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    ラーナーの自動運転の比喩はフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というラーナーのメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版はスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

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  79. ラーナーは『雇用の経済学』(1951邦訳1965)冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している。
    ラーナーの自動運転の比喩はフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というラーナーのメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版はSF的設定というよりも
    タイトルロールがスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

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  80. ラーナーのSF

    中野剛志が2021年1月22日講演でラーナーの操舵輪の比喩について言及していた。(動画19:00頃)
    ラーナーは『雇用の経済学』初出1941原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用い、
    後にフリードマンに揶揄された。
    裁量=運転手による運転、マネタリズム=自動運転とされたのだ。

    以下の寓話の反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲りで、
    邦訳3~5頁の平衡輪(The economic steering wheel )を操舵輪(中野採用の訳語)他に改訳した。

    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい
    行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の
    冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像して
    みなさい。…あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、操舵輪がないではないか」と。
     「もちろん、操舵輪などはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「…われわれ
    はデモクラシーを信じ、誰かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることは
    できない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているの
    だとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしい
    ブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効
    なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることが
    できる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、
    人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常
    に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。
    そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、
    写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというので
    ある。…現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態による
    ものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは
    天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らない
    とするならば、サーキットにぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、
    われわれはそうは思わない。なぜなら、われわれは進歩を信奉するからである。どうだね、
    乗らないかね」。

     …かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについて
    も理性的なのか。…かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、
    かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。…
    現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》
    ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)第1章邦訳3~5頁より改訳

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  81. 《 自由主義者による反論は、経済的なものではなく政治的なものである。…機能的財政がなす
    ところのことは、一原則を政治の裁量に置き換えることではなく、むしろ一つの原則を別の原則
    に置き換えることである。》
    同第12章邦訳217頁より

    ラーナーの自動運転の比喩はフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というラーナーのメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版はSF的設定というよりも
    タイトルロールがスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

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  82. 《 自由主義者による反論は、経済的なものではなく政治的なものである。…機能的財政がなす
    ところのことは、一原則を政治の裁量に置き換えることではなく、むしろ一つの原則を別の原則
    に置き換えることである。》
    ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)第12章邦訳217頁より

    ラーナーの自動運転の比喩はフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というラーナーのメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版はSF的設定というよりも
    タイトルロールがスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

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  83. 87 名無しさん@お腹いっぱい。[] 2021/01/27(水) 00:37:17.04 ID:6gWbG5XA
    ラーナーのSF

    中野剛志が2021年1月22日講演でラーナーの操舵輪の比喩について言及していた。(動画18:50頃)
    ラーナーは『雇用の経済学』初出1941原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用い、
    後にフリードマンに揶揄された。
    裁量=運転手による運転、マネタリズム=自動運転とされたのだ。

    以下の寓話の反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲りで、
    邦訳3~5頁の平衡輪(The economic steering wheel )を操舵輪(中野採用の訳語)他に改訳した。

    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい
    行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の
    冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像して
    みなさい。…あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、操舵輪がないではないか」と。
     「もちろん、操舵輪などはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「…われわれ
    はデモクラシーを信じ、誰かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることは
    できない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているの
    だとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしい
    ブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効
    なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることが
    できる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、
    人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常
    に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。
    そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、
    写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというので
    ある。…現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態による
    ものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは
    天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らない
    とするならば、サーキットにぶつかるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、
    われわれはそうは思わない。なぜなら、われわれは進歩を信奉するからである。どうだね、
    乗らないかね」。

     …かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについて
    も理性的なのか。…かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、
    かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。…
    現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》
    ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)邦訳3~5頁より改訳

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  84. 88 名無しさん@お腹いっぱい。[] 2021/01/27(水) 00:38:35.49 ID:6gWbG5XA
    《自由主義者による反論は、経済的なものではなく政治的なものである。…機能的財政がなす
    ところのことは、一原則を政治の裁量に置き換えることではなく、むしろ一つの原則を別の原則
    に置き換えることである。》
    ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)第12章邦訳217頁より

    ラーナーの自動運転の比喩はフリードマン『資本主義と自由』1962が茶化し、ケルトン2003と
    ミッチェル2009が再評価している。

    ケルトン Have member states forsaken their economic steering wheels? Stephanie Bell
    Dollarization:Lessons from Europe for the Americas 2003所収
    ミッチェル Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762
    フリードマン(マコーネル マクロより)
    https://1.bp.blogspot.com/-CfzJEAWbQKI/XQM6rCvRoCI/AAAAAAABkeA/1ym2Vb_yjPQjuopCPEibf1UdoGVpzs2UwCLcBGAs/s1600/IMG_0500.PNG

    不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というラーナーのメッセージだ。
    言及されるバック・ロジャースは1970年代のテレビ版が有名だがラーナーは戦前映画版を
    見たのだろう。ラーナーの初稿は1941年発表だから1939年映画版のすぐあとだ。この映画版はSF的設定というよりも
    タイトルロールがスターウォーズに似ている。

    Buck Rogers Destination Saturn 1939 épisode 2 VOSTF
    https://youtu.be/6uYSXyqGsxg
    Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song 1979
    https://youtu.be/3uEVDdFLBDw

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  85. 断章33 機能財政論の真実、もしくはラーナー1951、もしくは中野剛志のアレ | 不自由な思考をめぐって
    https://gamp.ameblo.jp/erickqchan/entry-12652815253.html?__twitter_impression=true

    断章33 機能財政論の真実、もしくはラーナー1951、もしくは中野剛志のアレ
    2021-01-27 07:45.00
     ミスター機能財政ことアバ・ラーナーの Economics of Employment(1951年)の印象的な冒頭の一説を nyun 訳で紹介します。

     ラーナーの導入はなかなかカッコよくて、経済運営を「未来の運転席にハンドルがない車」になぞらえているのです。ビル・ミッチェルのブログによれば、ラーナーは1941年に書いたエッセイのネタをバージョンアップして書き直したのだそうです。ここでは、このミッチェルによる引用をそのまま翻訳します。

     なぜこれを紹介する気になったかと言えば、中野剛志が言うところの「ラーナーが提唱した操舵輪アプローチ」の話が、当のラーナーの言っていることと噛み合っていないからなんです。

     中野はラーナーらのこの議論を長期的対応か短期的対応かの対比だと捉えているように見受けられます。でも、真実はそうではなく、「事後的な対応」はよくないから「事前の対応」でないとダメ!という話なんですね。

     JGPだって、失業者が出てから対応するのではなく、失業者なんてありえない状態にしておくという発想なわけですよ。

     さらに中野は「総需要管理政策であればインフレ率や失業率のようなマクロ経済パフォーマンスの定量的指標のいくつかで判断すればいいだけだからです」とかいうんですけれど、んだから、そういう事後的な裁量はやめろっていう話です。はじめっから。

     …

     気を取り直して、行ってみましょう!せめてここに来る皆さんにだけはラーナーの真実を。中野よりはるかに面白いと思いますよ。

     私たちの経済システムは、見知らぬ惑星の宇宙人に見せるのは恥かしくなるような代物です。やり方を逆にしなければいけません。バック・ロジャースの惑星冒険物語の調子で想像してみてください。あなたは未来のハイウェイを眺めているとして。ハイウエイは広くてまっすぐで、車が道路から飛び出さないように両側の縁が切り立った造りになっています。まるで逃走中かのような車が見えてきました。スピードの出しすぎで今にも道路を飛び出しそうに見えます。 しかし道路の端に近づくと、前輪がターンしてセンター方向に向き直り、そのまま反対側の端に近づくと同じようにまたセンターへとターンするのです。この繰り返しでそのままずっとジグザグに走りながら視界から消えていきました。あれではいつかはクラッシュするのではないかと心配していると、別の車が同じような走り方で現れて、あなたの近くで急停止します。ドアが開き、「乗りますか?」と声をかけてきました。車の中を覗き込んで、思わず大声を上げてしまいます。 「えええ! ハンドルがない!」。

     「ハンドルなんてないのが当たり前だろう!」男は少し怒った様子。「だって前の座席が窮屈になる。昔はギアシフトレバーがあって危険だったけどハンドルなんてもっと危ないじゃないか。車が端に寄ったときに誰かがハンドルにしがみついていたらどうなる?前輪の自動回転をダメにしてひっくりかえっちゃうだろうが。それに、われわれは民主主義を信じている。生死を決めるような権限を一人だけに与えることはできない。それでは独裁だ。」

     「独裁反対!」同乗の人たちが声をそろえる。

    「車を左右に動かす方法が気になるなら、忘れてちまいな。」と男は続けます。「ブレーキが素晴らしくて十回中九回は衝突を防げるんだ。われわれの道路の縁の構造は高機能だから道路から逸れずに何百マイルも移動できる。それに事故の生存者を近くの迅速に病院に運んだり車の残骸を道路から一掃して野原に積み上げて、避けられないこともあるということを思い出させる効率的なシステムがある。」
     そう言われて周囲を見渡すと、廃車や燃え尽きた車の山が見える。男が続ける。「感動的だろう?物事は改善されていくんだ。向こうには前に走った車のタイヤ痕に印をつけて写真を撮っている人たちがいるだろう?彼らはこの車の走行痕の写真も撮るんだ。そして写真を研究室に持ち込んで、カーブの周期的な特性や規則性の度合い、ターンからターンまでの平均距離、左右の振幅とかを分析するんだよ。もしいつか彼らの意見が一致を見たら、我々にできることとはいったい何かがわかるかもしれないね。今のところ彼らは、それが車の周期的なジグザグ運動が路面の種類や形状によるものなのか、それとも車の長さによるものなのか、あるいはタイヤのゴムの種類によるものなのか、天候によるものなのか、いろいろ論争している。馬とバギーの時代に戻らない限り周期運動をなくすのは無理だという意見もあるけれど、進歩を信じているからそれはできないね。で、乗ってみたい?」


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  86. > 馬とバギーの時代に戻らない限り周期運動をなくすのは無理だという意見もあるけれど、進歩を信じているからそれはできないね。で、乗ってみたい?

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  87. 改訂
    ラーナーのSF

    中野剛志が2021年1月22日講演でラーナーの操舵輪の比喩について言及していた。(動画18:50頃)
    ラーナーは『雇用の経済学』初出1941原著1951邦訳1965で自動車の比喩を用い、
    後にフリードマンに揶揄された。
    裁量=運転手による運転、マネタリズム=自動運転とされたのだ。

    以下の寓話の反独裁の設定はバックロジャース(スターウォーズに影響を与えたSF)譲りで、
    邦訳3~5頁の平衡輪(The economic steering wheel )を操舵輪(中野採用の訳語)他に改訳した。

    《われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい
    行動をさらけだしている。バック·ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の
    冒険を試みるかわりに、「明日という都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像して
    みなさい。…あなたは車の中を見て、運転する前にこう叫ぶ。「おや、操舵輪がないではないか」と。
     「もちろん、操舵輪などはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「…われわれ
    はデモクラシーを信じ、誰かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることは
    できない。それは独裁制であろう」。
     「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちは口をそろえていう。
     「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているの
    だとしたら、そんなことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしい
    ブレーキがあるのだから、衝突は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効
    なものであって、われわれは道から一度もはみ出すことなしに、数百マイルも旅をすることが
    できる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運び、残り物を素早く一掃して、
    人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末するための非常
    に有効な制度を持っているのだ」。
     残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。
    そうではないかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、
    写真をとったりしているのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというので
    ある。…現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態による
    ものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは
    天候によるものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らない
    とするならば、周期運動を避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、
    われわれはそうは思わない。なぜなら、われわれは進歩を信奉するからである。どうだね、
    乗らないかね」。

     …かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについて
    も理性的なのか。…かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
    へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、
    かれらは大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。…
    現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…》
    ラーナー『雇用の経済学』(1965年,原著1951年)邦訳3~5頁より改訳

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  88. ミッチェル はラーナーの自動運転の比喩を何度か紹介している。

    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762

    Hyman Minsky was not a guiding light for MMT
    Wednesday, November 9, 2016
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=34749

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  89. ケルトン

    2020#2

    完全雇用と低インフレを維持するために、ラーナーは政府が常に経済を注視すべきだと言う。何か経済の均衡が崩れるようなことが起これば、政府が税制や支出の方法を変えるなど財政政策を通じて対応する。減税を迅速に、そして適切な対象に向けて実施すれば、失業を抑えるのに役立つ可能性がある。適切な対象とは手元のお金が増えればすぐに支出し、経済に戻す可能性が高い人々だ。減税の効果を高めるには、新たな収入の支出性向が高い人を受益者とする必要がある。トランプ政権の個人所得税の減税に経済全体を押し上げる効果がほとんどなかったのは、その恩恵が所得階層の最も上のほうにいる人々にひどく偏っていたからだ。減税額の八〇%以上が、所得上位一%の手に渡った。低所得層や中所得層は手元のお金が増えればその大部分を支出にまわすのに対し、富裕層はお金を渡してもそれほど支出を増やさない。
     適切な対象への減税には効果があるかもしれないが、総支出を維持したければ、もっと直接的な方法もある。政府自ら支出を増やすことだ。減税が適切な層を対象としたほうが不適切な層を対象とするより効果が高いのと同じように、政府支出も正しい対象を選んだほうが効果は高まる。経済学者は財政の乗数効果が高い事業に支出すべきだと言う。財政の乗数効果が高いとは、最初に政府が支出した資金が誰かの手に渡るたびにより多くの支出となり、経済に新たな需要が生まれることを意味する。政府支出の景気刺激効果を最大限引き出すには、財政支出の増加を、その「財源」となる増税と抱き合わせにしてはならない、とラーナーは強く主張した。ペイゴー原則のようなルールは設けず、インフレ圧力を抑える必要性が生じるまで増税をすべきではない、と(21)。インフレ率が徐々に上昇し始めたら、議会は増税や支出削減によって対応すればいい。そして失業率が突然上昇したら、議会は減税や支出拡大を検討する必要がある。
     ラーナーの洞察はMMTにおいても必要なものだが、十分ではない。MMTも経済を均衡させる手段として金利(金融政策)より税金や支出の調整(財政政策)を重視すべきだと考える。また財政赤字そのものは良くも悪くもない、という点についても同意見だ。重要なのは政府の財政が黒字か赤字かではなく、政府が経済全体に良い効果をもたらすために財政手段を活用しているかどうかだ。税金は購買力を抑える重要な手段である、責任ある財政運営をしているように見せかけるためだけに増税をすべきではない、という点も一致している。しかしラーナーの処方箋では、まだあまりに多くの人が失業を免れない。
     五三五人の議員が明日突然ラーナーの言うとおりに財政政策を実施することに合意したとしても、経済から非自発的失業を完全になくすことはできない。求職者が全員仕事を見つけられるようになるほど、議会が経済の環境変化に合わせて迅速に政策のハンドルを切ることは不可能だからだ。せいぜい完全雇用に近い状態は達成できても、常に相当な数の国民が雇用市場から締め出される。またインフレが加速し始めたとき、それを抑制する手段として議会の支出と税制の調整だけに頼るのでは力不足だ。MMTは政府の裁量的財政政策(ハンドルさばき)を補完するものとして、政府による就業保証プログラム(JGP)を推奨する。いわば完全雇用と物価安定を促す、非裁量的な自動安定化装置だ。
     未舗装の道路を思い浮かべてほしい。順調に運転していても、ときどき陥没やコブにも出くわす。なるべく危険を避けようと運転していても、ときにははまってしまう。そうなったら大変だ。車に高性能な衝撃吸収装置が付いていれば、衝撃は弱まり、それほどダメージを受けないかもしれない。しかし衝撃吸収装置が貧弱であれば、しっかりつかまっていないと危ない。ラーナーの言う財政政策というハンドルを、政府による就業保証という新しい強力な衝撃吸収装置で補強せよ、というのがMMTの主張だ。
     その仕組みはこうだ。
     政府は希望する条件に合った仕事を見つけられないすべての求職者に、仕事と賃金と福利厚生のパッケージを提供する。複数のMMT派経済学者が、政府の提供する仕事はケアエコノミー関連が好ましいと主張している(22)。簡単に言えば政府が求職者に、人と地域社会、地球を大切に(ケア)するような仕事を必ず見つけると保証するわけだ。これは雇用市場にパブリック・オプション(公的雇用という選択肢)を設けることにほかならない。政府はこの制度の下で働く労働者の賃金を決定し、実際に就労する人の数は自由に変動させる(23)。失業者の市場価格はゼロである(現時点では買い手がいない)ため、政府が買い値を提示し、彼らのために市場を創るのだ。それが実現すれば、非自発的失業は消滅する。有給雇用を求める人は誰でも、政府の設定した賃金水準で就業機会を与えられる。
     就業保証の起源は、雇用をすべての国民の経済的権利として政府が保証すべきと考えたフランクリン・D・ルーズベルト大統領にさかのぼる。それはマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師、その妻であるコレッタ・スコット・キング、そしてフィリップ・ランドルフ牧師の公民権運動の柱でもあった。有力な経済学者であったハイマン・ミンスキーは反貧困に関する研究で、就業保証プログラムをその中核に位置づけた。重要なのは、就業保証を導入すれば、政策当局はNAIRUのような概念を使って雇用市場の余剰を推測する必要がなくなるという点だ。政府は単に賃金を設定し、仕事を求めてきた人を全員採用すればいいだけだ。パブリック・オプションを求める人がいなければ、経済はすでに完全雇用の状態にある。一方、一五〇〇万人が就業保証を求めれば、労働市場に相当な余剰があることになる。経済が活用できていない資源がどれだけあるかを正確に把握する方法は、これしかない。

    . 20. Abba Ptachya Lerner, The Economic Steering Wheel: The Story of the People s New Clothes (New York: New York University Press, 1983).
    21. ラーナーは政府が財政政策の一環として、恒常的に借り入れを行う(米国債を売り出す)ことも避けるべきだと考えていた。政府は通貨の発行者なので、経済にお金を支出し、そのまま市中に残せばよい。「支出→(税金+借金)」モデルのとおり、ラーナーは政府が単に支出をすべきだと考えた。支出後、必ずしも課税や借金をする必要もない。増税はインインフレ圧力を回避するためだけに、また国債売り出しは金利を高水準にとどめるためだけに実施すべきだという考えだ。
    22. マシュー・フォーステイター、L・ランダル・レイ、パヴリーナ・チャーネバらMMT派経済学者は、ケアエコノミー関連の雇用の創出を推奨している。就業保証プログラムについては最終章で詳しく見ていく。プログラムをどのように管理すべきか、賃金水準はどうあるべきか、どのような雇用を支援すべきか、それが経済全体にどのような影響を及ぼすかといった点については、以下を参照。L. Randall Wray, Flavia Dantas, Scott Fullwiler, Pavlina R. Tcherneva, and Stephanie A. Kelton, Public Service Employment: A Path to Full Employment, Levy Economics Institute of Bard College, April 2018, www.levyinstitute.org/pubs/rpr_4_18.pdf.
    23. 就業保証の起源は、それを万人の経済的権利として保証したいと考えたフランクリン・D・ルーズベルト大統領にある。これはマーチン・ルーサー・キング・ジュニア博士と妻のコレッタ・スコット・キング、A・フィリップ・ランドルフ牧師が率いた公民権運動の柱でもあった。有力な経済学者であるハイマン・ミンスキーは反貧困を訴える著作のなかで、このような制度の必要性を訴えた。就業保証では、政策立案者がNAIRUのような数字を使って雇用市場の余剰を調整する必要がない、という点が重要だ。政府は単に賃金水準を設定し、仕事を望む人を全員採用するだけだ。誰も制度を利用しなければ、経済はすでに完全雇用の状態にある。しかし1500万人が制度を利用すれば、相当な余剰があることになる。現実的に、経済が入手可能な資源をどれほど活用できていないかを正確に把握する方法はこれしかない。

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  90.  一九四〇年代、独創性あふれるひとりの経済学者が、産出ギャップ(ある時点の経済の生産能力と実際の生産量の差)を未来永劫完全に消し去る方法を考えた。その経済学者の名をアバ・P・ラーナーという。ラーナーは民間部門に自力でできるだけ完全雇用に近い状態を達成させたうえで、主に財政政策によって総支出の不足を補えばいい、と考えた。恒常的に財政政策を実施して十分な総支出を生み出せば、経済の潜在能力をフルに発揮させ、繁栄を維持できる。金融政策も役には立つが、財政政策(税制や政府支出の調整)こそが経済のハンドルさばきを引き受けるべきだ(20)。ラーナーはケインズよりも強硬に、政府が財政を調整して、完全雇用との乖離をすべて埋めるべきだと訴えた。財政収支などどうでもいい。重要なのは実体経済の成果だけだ。
     ラーナーは自らの理論を機能的財政論と名づけた。議会は政策が財政に及ぼす影響ではなく、実体経済でどのように機能するかをもとに判断を下すべきだと考えたからだ。目的は雇用が潤沢にありインフレ率が低いという、バランスの良い経済の実現である。これを達成するために、財政が赤字、均衡、あるいは黒字になることもあるだろう。経済全体のバランスがとれていれば、そのうちのどれになろうと問題はない。
     機能的財政論はそれまでの常識をひっくり返した。政策当局は経済から政府支出に見合うだけの税金を集めようと苦労するのではなく、発想を逆転しなければならない。税金や支出は、経済全体のバランスをよくするために利用するものだ。政府は資金の回収(税金)を上回る供給(支出)をしなければならないこともあるし、その状態を継続する必要があるかもしれない。何年も、場合によっては何十年も財政赤字を続けるべきときもある。ラーナーはこれをどこまでも責任ある財政運営と考えた。財政赤字が結果的にインフレ率を押し上げないかぎり、それを過剰支出と見なすべきではない。  責任ある財政運営とは何を意味するのか。それまでの常識は根本から覆された。私たちは政府が税収に合わせて支出を抑えられないことを責めるのではなく、経済をバランスのとれた状況に導くものであればどのような財政収支も受け入れるべきだ。つまり図2の左側に示した予算によって、右側に示したバランスのとれた経済状況が実現できるなら、財政政策を修正する必要はまったくなく、財政は均衡しているとみなすべきである。

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  91. 断章33 機能財政論の真実、もしくはラーナー1951、もしくは中野剛志のアレ | 不自由な思考をめぐって
    https://gamp.ameblo.jp/erickqchan/entry-12652815253.html
    2021-01-27
     ミスター機能財政ことアバ・ラーナーの Economics of Employment(1951年)の印象的な冒頭の一説を nyun 訳で紹介します。

     私たちの経済システムは、見知らぬ惑星の宇宙人に見せるのは恥かしくなるような
    代物です。やり方を逆にしなければいけません。バック・ロジャースの惑星冒険物語の
    調子で想像してみてください。あなたは未来のハイウェイを眺めているとして。
    ハイウエイは広くてまっすぐで、車が道路から飛び出さないように両側の縁が切り立っ
    た造りになっています。まるで逃走中かのような車が見えてきました。スピードの出し
    すぎで今にも道路を飛び出しそうに見え
    ます。 しかし道路の端に近づくと、前輪がターンしてセンター方向に向き直り、
    そのまま反対側の端に近づくと同じようにまたセンターへとターンするのです。この
    繰り返しでそのままずっとジグザグに走りながら視界から消えていきました。あれで
    はいつかはクラッシュするのではないかと心配していると、別の車が同じような走り
    方で現れて、あなたの近くで急停止します。ドアが開き、「乗りますか?」と声を
    かけてきました。車の中を覗き込んで、思わず大声を上げてしまいます。 「えええ!
    ハンドルがない!」。
     「ハンドルなんてないのが当たり前だろう!」男は少し怒った様子。「だって
    前の座席が窮屈になる。昔はギアシフトレバーがあって危険だったけどハンドルなんて
    もっと危ないじゃないか。車が端に寄ったときに誰かがハンドルにしがみついていたら
    どうなる?前輪の自動回転をダメにしてひっくりかえっちゃうだろうが。それに、
    われわれは民主主義を信じている。生死を決めるような権限を一人だけに与えることは
    できない。それでは独裁だ。」
     「独裁反対!」同乗の人たちが声をそろえる。
    「車を左右に動かす方法が気になるなら、忘れてちまいな。」と男は続けます。「ブレ
    ーキが素晴らしくて十回中九回は衝突を防げるんだ。われわれの道路の縁の構造は高
    機能だから道路から逸れずに何百マイルも移動できる。それに事故の生存者を近くの
    迅速に病院に運んだり車の残骸を道路から一掃して野原に積み上げて、避けられない
    こともあるということを思い出させる効率的なシステムがある。」
     そう言われて周囲を見渡すと、廃車や燃え尽きた車の山が見える。男が続ける。「感
    動的だろう?物事は改善されていくんだ。向こうには前に走った車のタイヤ痕に印を
    つけて写真を撮っている人たちがいるだろう?彼らはこの車の走行痕の写真も撮る
    んだ。そして写真を研究室に持ち込んで、カーブの周期的な特性や規則性の度合い、
    ターンからターンまでの平均距離、左右の振幅とかを分析するんだよ。もしいつか彼ら
    の意見が一致を見たら、我々にできることとはいったい何かがわかるかもしれないね。
    今のところ彼らは、それが車の周期的なジグザグ運動が路面の種類や形状によるもの
    なのか、それとも車の長さによるものなのか、あるいはタイヤのゴムの種類による
    ものなのか、天候によるものなのか、いろいろ論争している。馬とバギーの時代に
    戻らない限り周期運動をなくすのは無理だという意見もあるけれど、進歩を信じて
    いるからそれはできないね。で、乗ってみたい?」

    Functional finance and modern monetary theory – Bill Mitchell – 2009/11/1
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=5762

    Hyman Minsky was not a guiding light for MMT
    Wednesday, November 9, 2016
    http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=34749

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  92.  私たちの経済システムは、しばしば見知らぬ惑星の宇宙人に見られて恥かしくなるような代物として表現されます。やり方を逆にしてみましょう。バック・ロジャースの惑星冒険物語の調子で想像してみてください。あなたは未来のハイウェイを眺めているとして。ハイウエイは広くてまっすぐで、車が道路から飛び出さないように両側の縁が切り立った造りになっています。まるで逃走中かのような車が見えてきました。スピードの出しすぎで今にも道路を飛び出しそうに見えます。 しかし道路の端に近づくと、前輪がターンしてセンター方向に向き直り、そのまま反対側の端に近づくと同じようにまたセンターへとターンするのです。この繰り返しでそのままずっとジグザグに走りながら視界から消えていきました。あれではいつかはクラッシュするのではないかと心配していると、別の車が同じような走り方で現れて、あなたの近くで急停止します。ドアが開き、
    乗るかい?
    と声をかけてきました。車の中を覗き込んで、思わず大声を上げてしまいます。
    えええ! ハンドルがない!
    男が言う。
    ハンドルなんてないのが当たり前だろう!
    少しキレ気味だ。
    だって前の座席が窮屈になる。昔はギアシフトレバーがあって危険だったけどハンドルなんてもっと危ないじゃないか。車が端に寄ったときに誰かがハンドルにしがみついていたらどうなる?前輪の自動回転をダメにしてひっくりかえっちゃうだろうが。それに、われわれは民主主義を信じている。生死を決めるような権限を一人だけに与えることはできない。それでは独裁だ。
    同乗の人たちが声をそろえる。 
    独裁反対!
    男は続ける
    車を左右に動かす方法が気になるなら、忘れてちまいな。ブレーキが素晴らしくて十回中九回は衝突を防げるんだ。われわれの道路の縁の構造は高機能だから道路から逸れずに何百マイルも移動できる。それに事故の生存者を近くの迅速に病院に運んだり車の残骸を道路から一掃して野原に積み上げて、避けられないこともあるということを思い出させる効率的なシステムがある。
     こう言われて周囲を見渡すと、廃車や人を乗せたまま燃え尽きた車の山が見える。
    感動的だろう?物事は改善されていくんだ。向こうには前に走った車のタイヤ痕に印をつけて写真を撮っている人たちがいるだろう?彼らはこの車の走行痕の写真も撮るんだ。そして写真を研究室に持ち込んで、カーブの周期的な特性や規則性の度合い、ターンからターンまでの平均距離、左右の振幅とかを分析するんだよ。もしいつか彼らの意見が一致を見たら、我々にできることとはいったい何かがわかるかもしれないね。今のところ彼らは、それが車の周期的なジグザグ運動が路面の種類や形状によるものなのか、それとも車の長さによるものなのか、あるいはタイヤのゴムの種類によるものなのか、天候によるものなのか、いろいろ論争している。馬とバギーの時代に戻らない限り周期運動をなくすのは無理だという意見もあるけれど、進歩を信じているからそれはできないね。で、乗ってみたい?

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  93. 地域通貨花子1
    ⁦‪@TiikituukaHana‬⁩


    ⁦‪@_luminous_woman‬⁩ 中野剛志、ラーナーとデューイを語る。
    ラーナーの操舵輪(Steering Wheel)の比喩。
    2021/01/22 pic.twitter.com/AMUuEA3xsm

    2022/09/15 12:22


    https://twitter.com/tiikituukahana/status/1570251792797282306?s=21

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