http://www.freeassociations.org/
Willie Nelson / On The Road Again
https://youtu.be/Gdlyi5mckg0
ケルトン2020
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完全雇用と低インフレを維持するために 、ラ ーナ ーは政府が常に経済を注視すべきだと言う 。何か経済の均衡が崩れるようなことが起これば 、政府が税制や支出の方法を変えるなど財政政策を通じて対応する 。減税を迅速に 、そして適切な対象に向けて実施すれば 、失業を抑えるのに役立つ可能性がある 。適切な対象とは手元のお金が増えればすぐに支出し 、経済に戻す可能性が高い人々だ 。減税の効果を高めるには 、新たな収入の支出性向が高い人を受益者とする必要がある 。トランプ政権の個人所得税の減税に経済全体を押し上げる効果がほとんどなかったのは 、その恩恵が所得階層の最も上のほうにいる人々にひどく偏っていたからだ 。減税額の八〇 %以上が 、所得上位一 %の手に渡った 。低所得層や中所得層は手元のお金が増えればその大部分を支出にまわすのに対し 、富裕層はお金を渡してもそれほど支出を増やさない 。適切な対象への減税には効果があるかもしれないが 、総支出を維持したければ 、もっと直接的な方法もある 。政府自ら支出を増やすことだ 。減税が適切な層を対象としたほうが不適切な層を対象とするより効果が高いのと同じように 、政府支出も正しい対象を選んだほうが効果は高まる 。経済学者は財政の乗数効果が高い事業に支出すべきだと言う 。財政の乗数効果が高いとは 、最初に政府が支出した資金が誰かの手に渡るたびにより多くの支出となり 、経済に新たな需要が生まれることを意味する 。政府支出の景気刺激効果を最大限引き出すには 、財政支出の増加を 、その 「財源 」となる増税と抱き合わせにしてはならない 、とラ ーナ ーは強く主張した 。ペイゴ ー原則のようなル ールは設けず 、インフレ圧力を抑える必要性が生じるまで増税をすべきではない 、と ( 2 1 ) 。インフレ率が徐々に上昇し始めたら 、議会は増税や支出削減によって対応すればいい 。そして失業率が突然上昇したら 、議会は減税や支出拡大を検討する必要がある 。ラ ーナ ーの洞察は M M Tにおいても必要なものだが 、十分ではない 。 M M Tも経済を均衡させる手段として金利 (金融政策 )より税金や支出の調整 (財政政策 )を重視すべきだと考える 。また財政赤字そのものは良くも悪くもない 、という点についても同意見だ 。重要なのは政府の財政が黒字か赤字かではなく 、政府が経済全体に良い効果をもたらすために財政手段を活用しているかどうかだ 。税金は購買力を抑える重要な手段である 、責任ある財政運営をしているように見せかけるためだけに増税をすべきではない 、という点も一致している 。しかしラ ーナ ーの処方箋では 、まだあまりに多くの人が失業を免れない 。五三五人の議員が明日突然ラ ーナ ーの言うとおりに財政政策を実施することに合意したとしても 、経済から非自発的失業を完全になくすことはできない 。求職者が全員仕事を見つけられるようになるほど 、議会が経済の環境変化に合わせて迅速に政策のハンドルを切ることは不可能だからだ 。せいぜい完全雇用に近い状態は達成できても 、常に相当な数の国民が雇用市場から締め出される 。またインフレが加速し始めたとき 、それを抑制する手段として議会の支出と税制の調整だけに頼るのでは力不足だ 。 M M Tは政府の裁量的財政政策 (ハンドルさばき )を補完するものとして 、政府による就業保証プログラム ( J G P )を推奨する 。いわば完全雇用と物価安定を促す 、非裁量的な自動安定化装置だ 。未舗装の道路を思い浮かべてほしい 。順調に運転していても 、ときどき陥没やコブにも出くわす 。なるべく危険を避けようと運転していても 、ときにははまってしまう 。そうなったら大変だ 。車に高性能な衝撃吸収装置が付いていれば 、衝撃は弱まり 、それほどダメ ージを受けないかもしれない 。しかし衝撃吸収装置が貧弱であれば 、しっかりつかまっていないと危ない 。ラ ーナ ーの言う財政政策というハンドルを 、政府による就業保証という新しい強力な衝撃吸収装置で補強せよ 、というのが M M Tの主張だ 。その仕組みはこうだ 。政府は希望する条件に合った仕事を見つけられないすべての求職者に 、仕事と賃金と福利厚生のパッケ ージを提供する 。複数の M M T派経済学者が 、政府の
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まさに言い得て妙だった 。ボクサ ー議員はシンプルに 、わが国の法案の起草 、評価 、承認の仕組みはおかしい 、と言ったのだ 。政府が家計と同じように予算管理をする必要があるふりをする 。税金の本来の目的は 、政府の支出によって経済が完全雇用上限を超えないように 、企業や個人の支出能力を抑えることなのに 、まるで税金 (歳入 )なしには政府が立ち行かないかのように考えている 。増税をしなくても経済が十分に支出増加を吸収できるにもかかわらず 、新たな支出には 「財源確保 」を求めることで 、議会の手足を縛っている 。これらすべての前提にあるのは 、家計のような予算管理が国民の利益につながるという考えだ 。それは間違っている 。政府が財政赤字の神話を克服し 、企業や個人とは違う 、通貨発行者ならではの予算管理を始めたら 、どうなるだろう 。神話が存在するのは 、政治家が好き勝手に支出を増やし 、税金を減らしすぎるのを防ぐためのように思える 。そうしたリスクはたしかにあるかもしれないが 、それより十分な政府支出がなされないことのほうが問題だ 。過剰な政府支出と過剰な緊縮財政の間のどこかに 、あらゆる人にとってより望ましい経済の姿があるはずだ 。そのような経済を実現するためには 、新たな構想が必要だ 。それに対する M M Tの処方箋は何か 。支出を増やしすぎることなく 、国民の福祉を増進する方法はあるのか 。財政政策に経済運営の主導権を委ねることは 、本当に妥当なのか 。その場合 、金融政策の役割とは何か 。経済運営の主導権を財政当局に移すというのは 、民主的に選ばれた議員に 、財政赤字を増やすことで経済を支えられるときには財布の紐を緩め 、反対に経済が完全雇用という制限速度に到達したときには財布の紐を締める役割を委ねるということだ 。それがアバ ・ P ・ラ ーナ ーが一九四〇年代に提唱した 「機能的財政論 」の本質だった 。ラ ーナ ーは政治家に 、財政赤字だけに気をとられ 、財政を均衡させることに躍起になるのではなく 、完全雇用と経済の均衡を維持するような予算の策定を求めた 。 M M Tはラ ーナ ーの研究に着想を得てはいるものの 、 F R Bから議会に主導権を移すだけでは不十分だという注釈をつける 。政治家が与えられた権限を責任をもって国民全体の利益に資するように行使するように 、指針を示す必要がある 。新しいガ ードレ ールを設置しなければならない 。さらに政治家には明確な制限速度を示し 、必要な計器をそろえたダッシュボ ードと 、ハンドルさばきの大部分が自動で行われるような自動運転機能を用意する必要がある 。そうすればたとえ政治がとんでもない機能不全に陥っても 、財政政策は強力な安定化機能を果たすことができる 。自動的に行われる義務的支出今日 、積極的に金利を上下させ 、経済を安定させる 「インフレ非加速的失業率 ( N A I R U ) 」を達成する任務は 「金融政策 」 、すなわち F R Bに委ねられている 。一方 M M Tは 「財政政策 」のほうが安定化装置として優れており 、さらに幅広い国民の利益を実現するのに有効だと考えている 。ラ ーナ ーも同じように運転席に座るべきは財政政策という立場だったが 、議会に車のキ ーを与え 、ハンドルさばきを任せれば事足りると考えていた 。ただ M M Tは 、責任ある財政運営という道路を走り続けるには 、車にも運転手にも相応の装備が必要だと主張する 。議会に裁量的支出をする権限を持たせるのは良いが 、政治が次第に両極化していく今日 、運転手がいなくても走行できる機能は備えておくべきだ 。それによってたとえ議会が迅速に動けなくても 、財政政策は経済環境の変化に対応することができる 。いわば保険をかけるようなものだ 。
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インフレと失業 ─ ─ M M Tのアプロ ーチ M M Tを支持する経済学者も 、政府支出には現実的制約が存在すること 、そうした制約を超えて経済を拡大しようとすれば過度なインフレを招くことは認めている 。しかし M M Tはインフレ圧力をコントロ ールするにはもっと優れた方法があり 、数百万人を恒常的に失業状態に置く必要はないと考える 。むしろ 「真の 」完全雇用を通じて 、物価安定を図ることが可能だと見ている 。経済が生産能力の限界に近づいているかを N A I R Uの概念を使って判断するのではなく 、 M M Tは経済の 「余剰 」をもっと広い視点でとらえようとする 。現在 、政策当局は 「 U 3失業率 」と呼ばれる公式な失業率を基準に 、それがどこまで N A I R Uに近いか探り当てようとしている 。ただ F R B自身も認めるとおり 、雇用市場の余剰を過小評価して 、経済が生産能力を最大限発揮する前に引き締めようとする傾向がある 。賭け金をテ ーブルに残すのに等しい 。仕事に就き 、社会のために有益な仕事をできたはずの労働力が 、永遠に活用されないことになるのだから 。フリ ーランチに手を出さないようなものだ 。経済が生産能力を下回る状態で活動しているのは 、社会全体として必要以上に貧しい暮らしをしていることにほかならない 。財政収支が赤字でも 、利用されていない資源があるのは 「支出不足 」であることを意味する 。高性能の車を造ったのに 、ゴルフカ ートのような使い方をしているのと同じだ 。非効率である 。大量失業を許容するのは 、働きたいのに就業機会を奪われている人々の時間とエネルギ ーを使って生産できたはずの財やサ ービスを犠牲にすることだ 。このような非自発的失業をなくすことこそ 、数十年にわたるケインズ派経済学者の関心事だった 。
一九四〇年代 、独創性あふれるひとりの経済学者が 、産出ギャップ (ある時点の経済の生産能力と実際の生産量の差 )を未来永劫完全に消し去る方法を考えた 。その経済学者の名をアバ ・ P ・ラ ーナ ーという 。ラ ーナ ーは民間部門に自力でできるだけ完全雇用に近い状態を達成させたうえで 、主に財政政策によって総支出の不足を補えばいい 、と考えた 。恒常的に財政政策を実施して十分な総支出を生み出せば 、経済の潜在能力をフルに発揮させ 、繁栄を維持できる 。金融政策も役には立つが 、財政政策 (税制や政府支出の調整 )こそが経済のハンドルさばきを引き受けるべきだ ( 2 0 ) 。ラ ーナ ーはケインズよりも強硬に 、政府が財政を調整して 、完全雇用との乖離をすべて埋めるべきだと訴えた 。財政収支などどうでもいい 。重要なのは実体経済の成果だけだ 。
ラ ーナ ーは自らの理論を機能的財政論と名づけた 。議会は政策が財政に及ぼす影響ではなく 、実体経済でどのように機能するかをもとに判断を下すべきだと考えたからだ 。目的は雇用が潤沢にありインフレ率が低いという 、バランスの良い経済の実現である 。これを達成するために 、財政が赤字 、均衡 、あるいは黒
2 0 . A b b a P t a c h y a L e r n e r , T h e E c o n o m i c S t e e r i n g W h e e l : T h e S t o r y o f t h e P e o p l e s N e w C l o t h e s ( N e w Y o r k : N e w Y o r k U n i v e r s i t y P r e s s , 1 9 8 3 ) . 2 1 .ラ ーナ ーは政府が財政政策の一環として 、恒常的に借り入れを行う (米国債を売り出す )ことも避けるべきだと考えていた 。政府は通貨の発行者なので 、経済にお金を支出し 、そのまま市中に残せばよい 。 「支出 → (税金 +借金 ) 」モデルのとおり 、ラ ーナ ーは政府が単に支出をすべきだと考えた 。支出後 、必ずしも課税や借金をする必要もない 。増税はインフレ圧力を回避するためだけに 、また国債売り出しは金利を高水準にとどめるためだけに実施すべきだという考えだ 。 2 2 .マシュ ー ・フォ ーステイタ ー 、 L ・ランダル ・レイ 、パヴリ ーナ ・チャ ーネバら M M T派経済学者は 、ケアエコノミ ー関連の雇用の創出を推奨している 。就業保証プログラムについては最終章で詳しく見ていく 。プログラムをどのように管理すべきか 、賃金水準はどうあるべきか 、どのような雇用を支援すべきか 、それが経済全体にどのような影響を及ぼすかといった点については 、以下を参照 。 L . R a n d a l l W r a y , F l a v i a D a n t a s , S c o t t F u l l w i l e r , P a v l i n a R . T c h e r n e v a , a n d S t e p h a n i e A . K e l t o n , P u b l i c S e r v i c e E m p l o y m e n t : A P a t h t o F u l l E m p l o y m e n t , L e v y E c o n o m i c s I n s t i t u t e o f B a r d C o l l e g e , A p r i l 2 0 1 8 , w w w . l e v y i n s t i t u t e . o r g / p u b s / r p r _ 4 _ 1 8 . p d f . 2 3 .就業保証の起源は 、それを万人の経済的権利として保証したいと考えたフランクリン ・ D ・ル ーズベルト大統領にある 。これはマ ーチン ・ル ーサ ー ・キング ・ジュニア博士と妻のコレッタ ・スコット ・キング 、 A ・フィリップ ・ランドルフ牧師が率いた公民権運動の柱でもあった 。有力な経済学者であるハイマン ・ミンスキ ーは反貧困を訴える著作のなかで 、このような制度の必要性を訴えた 。就業保証では 、政策立案者が N A I R Uのような数字を使って雇用市場の余剰を調整する必要がない 、という点が重要だ 。政府は単に賃金水準を設定し 、仕事を望む人を全員採用するだけだ 。誰も制度を利用しなければ 、経済はすでに完全雇用の状態にある 。しかし 1 5 0 0万人が制度を利用すれば 、相当な余剰があることになる 。現実的に 、経済が入手可能な資源をどれほど活用できていないかを正確に把握する方法はこれしかない 。 2 4 .政府による就業保証は 、社会保障やメディケアのような義務的支出となる 。インフラ 、防衛 、教育などへの裁量的支出と異なり 、政治家が支出を制約しないという意味で 、就業保証は非裁量的支出である 。 2 5 . P a v l i n a R . T c h e r n e v a , T h e C a s e f o r a J o b G u a r a n t e e ( C a m b r i d g e , U K : P o l i t y P r e s s , 2 0 2 0 ) . 2 6 . V i c k r e y , F i f t e e n F a t a l F a l l a c i e s . 2 7 .大不況のピ ーク時には 、毎月 8 0万人の失業者が出ていた 。 2 8 .現実には民間企業が政府の就業保証より低い賃金で労働者を雇うことは可能だ 。たとえば有給休暇
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まさに言い得て妙だった 。ボクサ ー議員はシンプルに 、わが国の法案の起草 、評価 、承認の仕組みはおかしい 、と言ったのだ 。政府が家計と同じように予算管理をする必要があるふりをする 。税金の本来の目的は 、政府の支出によって経済が完全雇用上限を超えないように 、企業や個人の支出能力を抑えることなのに 、まるで税金 (歳入 )なしには政府が立ち行かないかのように考えている 。増税をしなくても経済が十分に支出増加を吸収できるにもかかわらず 、新たな支出には 「財源確保 」を求めることで 、議会の手足を縛っている 。これらすべての前提にあるのは 、家計のような予算管理が国民の利益につながるという考えだ 。それは間違っている 。政府が財政赤字の神話を克服し 、企業や個人とは違う 、通貨発行者ならではの予算管理を始めたら 、どうなるだろう 。神話が存在するのは 、政治家が好き勝手に支出を増やし 、税金を減らしすぎるのを防ぐためのように思える 。そうしたリスクはたしかにあるかもしれないが 、それより十分な政府支出がなされないことのほうが問題だ 。過剰な政府支出と過剰な緊縮財政の間のどこかに 、あらゆる人にとってより望ましい経済の姿があるはずだ 。そのような経済を実現するためには 、新たな構想が必要だ 。それに対する M M Tの処方箋は何か 。支出を増やしすぎることなく 、国民の福祉を増進する方法はあるのか 。財政政策に経済運営の主導権を委ねることは 、本当に妥当なのか 。その場合 、金融政策の役割とは何か 。経済運営の主導権を財政当局に移すというのは 、民主的に選ばれた議員に 、財政赤字を増やすことで経済を支えられるときには財布の紐を緩め 、反対に経済が完全雇用という制限速度に到達したときには財布の紐を締める役割を委ねるということだ 。それがアバ ・ P ・ラ ーナ ーが一九四〇年代に提唱した 「機能的財政論 」の本質だった 。ラ ーナ ーは政治家に 、財政赤字だけに気をとられ 、財政を均衡させることに躍起になるのではなく 、完全雇用と経済の均衡を維持するような予算の策定を求めた 。 M M Tはラ ーナ ーの研究に着想を得てはいるものの 、 F R Bから議会に主導権を移すだけでは不十分だという注釈をつける 。政治家が与えられた権限を責任をもって国民全体の利益に資するように行使するように 、指針を示す必要がある 。新しいガ ードレ ールを設置しなければならない 。さらに政治家には明確な制限速度を示し 、必要な計器をそろえたダッシュボ ードと 、ハンドルさばきの大部分が自動で行われるような自動運転機能を用意する必要がある 。そうすればたとえ政治がとんでもない機能不全に陥っても 、財政政策は強力な安定化機能を果たすことができる 。自動的に行われる義務的支出今日 、積極的に金利を上下させ 、経済を安定させる 「インフレ非加速的失業率 ( N A I R U ) 」を達成する任務は 「金融政策 」 、すなわち F R Bに委ねられている 。一方 M M Tは 「財政政策 」のほうが安定化装置として優れており 、さらに幅広い国民の利益を実現するのに有効だと考えている 。ラ ーナ ーも同じように運転席に座るべきは財政政策という立場だったが 、議会に車のキ ーを与え 、ハンドルさばきを任せれば事足りると考えていた 。ただ M M Tは 、責任ある財政運営という道路を走り続けるには 、車にも運転手にも相応の装備が必要だと主張する 。議会に裁量的支出をする権限を持たせるのは良いが 、政治が次第に両極化していく今日 、運転手がいなくても走行できる機能は備えておくべきだ 。それによってたとえ議会が迅速に動けなくても 、財政政策は経済環境の変化に対応することができる 。いわば保険をかけるようなものだ 。
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予算の一部が道路状況の変化に自動的に対応するようにしておくことは 、とても重要だ 。金融危機後の大不況が第二の大恐慌に陥るのを免れたのは 、そのおかげだ 。たしかに裁量的支出もあった 。議会は二〇〇九年二月 、七八七〇億ドルの景気刺激策を含むアメリカ復興 ・再投資法を可決している 。しかし本当にアメリカを救ったのは 、法的措置を一切必要とせず 、自動的に行われた財政対応だ 。それは政府予算に組み込まれた 「自動安定化装置 」と呼ばれる仕組みによって起こる 。たとえるなら車の衝撃吸収装置のようなものだ 。順調に運転している間はその存在にすら気づかないが 、でこぼこ道ではそれがあるとないとでは大違いだ 。二〇〇八年に景気が一気に悪化したとき 、自動安定化装置は 「運転手の介在なしに 」財政対応を発動し 、衝撃を和らげた 。数百万人が失業し 、企業が必死に存続を目指すなか 、税収は大幅に落ち込んだ 。それと同時に政府支出は大幅に増加した 。数百万人が失業給付 、フ ードスタンプ 、メディケイドなどの社会的セ ーフティネットを通じて支援を受け取ったからだ 。財政赤字は一気に膨らみ 、そのおかげで二〇〇九年には非政府部門のバケツには一 ・四兆ドル以上が注ぎ込まれた 。政府のバケツから流れ出た赤字は 、苦境にあえぐ数百万の世帯や企業のバケツの黒字となった 。経済学者のポ ール ・クル ーグマンはこう振り返っている 。
実際に起きたことを 、このような視点で見るのは非常に興味深い 。ここからは驚くべき結論が引き出せる 。アメリカが再び大恐慌に陥らずに済んだのは裁量的政策ではなく 、ひとえに自動安定化装置が引き起こした財政赤字のおかげである 、と ( 2 0 ) 。
自動安定化装置はアメリカがさらに悲惨な状況に陥るのを防いだものの 、非常に大きな痛みをともなう景気後退を食い止めるには力不足だった 。金融危機の余波で失われた雇用が回復するまでには 、七年もの歳月を要した 。数百万人が自宅を失った 。長期失業の直接的影響で命まで落とした人もいる 。ジャ ーナリストのジェフ ・スプロスは 「心身の健康へのダメ ージという点で 、長期失業に匹敵するのは配偶者の死ぐらいだ 」と書いている ( 2 1 ) 。わが国の経済を 、そしてそれ以上に大切な国民 、家族 、コミュニティを守るため 、 M M Tが提案するのは 「政府による就業保証プログ
a / . 2 0 . P a u l K r u g m a n , D e f i c i t s S a v e d t h e W o r l d , N e w Y o r k T i m e s , J u l y 1 5 , 2 0 0 9 , k r u g m a n . b l o g s . n y t i m e s . c o m / 2 0 0 9 / 0 7 / 1 5 / d e f i c i t s s a v e d t h e w o r l d / .
2 1 . J e f f S p r o s s , Y o u r e H i r e d ! , D e m o c r a c y : A J o u r n a l o f I d e
https://krugman.blogs.nytimes.com/2009/07/15/deficits-saved-the-world/
Deficits saved the world
July 15, 2009 8:54 am
Jan Hatzius of Goldman Sachs has a new note (no link) responding to claims that government support for the economy is postponing the necessary adjustment. He doesn’t think much of that argument; neither do I. But one passage in particular caught my eye:
The private sector financial balance—defined as the difference between private saving and private
investment, or equivalently between private income and private spending—has risen from -3.6% of GDP in the 2006Q3 to +5.6% in 2009Q1. This 8.2% of GDP adjustment is already by far the biggest in postwar history and is in fact bigger than the increase seen in the early 1930s.
That’s an interesting way to think about what has happened — and it also suggests a startling conclusion: namely, government deficits, mainly the result of automatic stabilizers rather than discretionary policy, are the only thing that has saved us from a second Great Depression.
The following figure makes the argument:
https://www.princeton.edu/~pkrugman/deficitsave.png
DESCRIPTION
Here I show the private sector surplus and the public sector deficit, both as functions of GDP; the private sector line is upward-sloping because higher GDP means higher income and more savings, the public-sector line is downward-sloping because higher GDP means higher revenues. In equilibrium the private surplus equals the government deficit (not strictly true for any one country if you add in international capital flows, but think of this as a picture for the world economy). To make the figure cleaner I’ve shown an initial position of balance in both sectors, but this isn’t important.
What we’ve had is a sharp increase in the desired private surplus at any given level of GDP, due to a combination of higher personal saving and reduced investment demand. This is shown as an upward shift in the private-surplus curve.
In the 1930s the public sector was very small. As a result, GDP basically had to shrink enough to keep the private-sector surplus equal to zero; hence the fall in GDP labeled “Great Depression”.
This time around, the fall in GDP didn’t have to be as large, because falling GDP led to rising deficits, which absorbed some of the rise in the private surplus. Hence the smaller fall in GDP labeled “Great Recession.”
What Hatzius is saying is that the initial shock — the surge in desired private surplus — was if anything larger this time than it was in the 1930s. This says that absent the absorbing role of budget deficits, we would have had a full Great Depression experience. What we’re actually having is awful, but not that awful — and it’s all because of the rise in deficits. Deficits, in other words, saved the world.
https://krugman.blogs.nytimes.com/2009/07/15/deficits-saved-the-world/
赤字が世界を救う
2009年7月15日 8時54分
ゴールドマン・サックスのヤン・ハッツィウス氏は、政府の経済支援が必要な調整を先延ばしにしているという主張に反応して、新しいメモを残している(リンクはない)。彼はその議論についてはあまり考えていないが、私もそうだ。
民間部門の財政収支とは、民間貯蓄と民間貯蓄の差額と定義されている。
投資、すなわち民間所得と民間支出の間の調整は、2006年第3四半期のGDP比-3.6%から2009年第1四半期には+5.6%に上昇した。このGDPの8.2%の調整は、すでに戦後史上最大のものであり、実際には1930年代初頭に見られた増加よりも大きい。
これは何が起こったのかを考える上で興味深い方法であり、また、驚くべき結論を示唆している。
次の図は、この議論を示している。
https://www.princeton.edu/~pkrugman/deficitsave.png
説明
ここでは、民間部門の黒字と公的部門の赤字をGDPの関数として示しています。民間部門のラインは、GDPが高いほど所得が増え、貯蓄が増えるため、上向きに傾斜しており、公的部門のラインは、GDPが高いほど収入が増えるため、下向きに傾斜しています。平衡状態では、民間の黒字は政府の赤字に等しい(国際的な資本の流れを加えれば、どの国でも厳密には正しくないが、これは世界経済のイメージと考えてほしい)。図をすっきりさせるために、両セクターのバランスの初期位置を示しましたが、これは重要ではありません。
個人貯蓄の増加と投資需要の減少の組み合わせにより、GDPのどのレベルにおいても望ましい民間黒字が急激に増加しています。これは、民間剰余金曲線の上昇シフトとして示されています。
1930年代には、公共部門は非常に小さかった。その結果、民間部門の黒字をゼロにするためには、基本的にGDPが縮小しなければならなかったため、「大恐慌」と呼ばれるGDPの落ち込みが発生した。
今回は、GDPの低下が赤字の増加をもたらし、民間黒字の増加分を吸収したため、GDPの落ち込みはそれほど大きくならなかった。それゆえに、GDPの落ち込みが小さくなり、「大不況」と呼ばれるようになったのだ。
ハッツィウスが言っているのは、最初のショック、つまり希望する民間黒字の急増は、どちらかと言えば1930年代よりも今回の方が大きかったということである。これは、財政赤字の吸収的役割がなければ、完全な大恐慌の経験をしていただろうと言うことである。私たちが実際に経験しているのは、ひどいものですが、それほどひどいものではありません。言い換えれば、赤字は世界を救ったのです。
google.tr
https://krugman.blogs.nytimes.com/2009/07/15/deficits-saved-the-world/
赤字は世界を救った
2009年7月15日午前8時54分
GoldmanSachsのJanHatziusは、経済に対する政府の支援が必要な調整を延期しているという主張に応えて、新しいメモ(リンクなし)を持っています。彼はその議論をあまり考えていません。私もそうは思いません。しかし、特に1つの節が私の目に留まりました。 :
民間部門の財務収支—民間貯蓄と民間の差として定義される
投資、または同等に私的収入と私的支出の間の投資は、2006年第3四半期のGDPの-3.6%から2009年第1四半期の+ 5.6%に上昇しました。このGDP調整の8.2%は、戦後史上最大であり、実際には1930年代初頭に見られた増加。
これは、何が起こったのかを考える興味深い方法です。また、驚くべき結論を示唆しています。つまり、裁量的政策ではなく、主に自動安定装置の結果である政府の赤字だけが、2度目の大恐慌から私たちを救ったのです。
ケルトン2020が#8:312で引用
赤字が世界を救う
https://krugman.blogs.nytimes.com/2009/07/15/deficits-saved-the-world/
2009年7月15日 8時54分
ゴールドマン・サックスのヤン・ハッツィウス氏は、政府の経済支援が必要な調整を先延ばしにしているという主張に反応して、新しいメモを残している(リンクはない)。彼はその議論についてはあまり考えていないが、私もそうだ。
民間部門の財政収支とは、民間貯蓄と民間貯蓄の差額と定義されている。
投資、すなわち民間所得と民間支出の間の調整は、2006年第3四半期のGDP比-3.6%から2009年第1四半期には+5.6%に上昇した。このGDPの8.2%の調整は、すでに戦後史上最大のものであり、実際には1930年代初頭に見られた増加よりも大きい。
これは何が起こったのかを考える上で興味深い方法であり、また、驚くべき結論を示唆している。
次の図はこの議論を示している。
https://www.princeton.edu/~pkrugman/deficitsave.png
説明
ここでは、民間部門の黒字と公的部門の赤字をGDPの関数として示しています。民間部門のラインは、GDPが高いほど所得が増え、貯蓄が増えるため、上向きに傾斜しており、公的部門のラインは、GDPが高いほど収入が増えるため、下向きに傾斜しています。平衡状態では、民間の黒字は政府の赤字に等しい(国際的な資本の流れを加えれば、どの国でも厳密には正しくないが、これは世界経済のイメージと考えてほしい)。図をすっきりさせるために、両セクターのバランスの初期位置を示しましたが、これは重要ではありません。
個人貯蓄の増加と投資需要の減少が重なって、GDPのどのレベルにおいても望ましい民間黒字が急激に増加しています。これは、民間剰余金曲線の上昇シフトとして示されています。
1930年代には、公共部門は非常に小さかった。その結果、民間部門の黒字をゼロにするためには、基本的にGDPが縮小しなければならなかったため、「大恐慌」と呼ばれるGDPの落ち込みが発生した。
今回は、GDPの低下が赤字の増加をもたらし、民間黒字の増加分を吸収したため、GDPの落ち込みはそれほど大きくならなかった。それゆえに、GDPの落ち込みが小さくなり、「大不況」と呼ばれるようになったのだ。
ハッツィウスが言っているのは、最初のショック、つまり希望する民間黒字の急増は、どちらかと言えば1930年代よりも今回の方が大きかったということである。これは、財政赤字の吸収的役割がなければ、完全な大恐慌の経験をしていただろうと言うことである。私たちが実際に経験しているのは、ひどいものですが、それほどひどいものではありません。言い換えれば、赤字は世界を救ったのです。
ケルトン2020が#8:312で引用
赤字が世界を救う
https://krugman.blogs.nytimes.com/2009/07/15/deficits-saved-the-world/
赤字は世界を救った
2009年7月15日午前8時54分
GoldmanSachsのJanHatziusは、経済に対する政府の支援が必要な調整を延期しているという主張に応えて、新しいメモ(リンクなし)を持っています。彼はその議論をあまり考えていません。私もそうは思いません。しかし、特に1つの節が私の目に留まりました。 :
民間部門の財務収支—民間貯蓄と民間の差として定義される
投資、または同等に私的収入と私的支出の間の投資は、2006年第3四半期のGDPの-3.6%から2009年第1四半期の+ 5.6%に上昇しました。このGDP調整の8.2%は、戦後史上最大であり、実際には1930年代初頭に見られた増加。
これは、何が起こったのかを考える興味深い方法です。また、驚くべき結論を示唆しています。つまり、裁量的政策ではなく、主に自動安定装置の結果である政府の赤字だけが、2度目の大恐慌から私たちを救ったのです。
次の図は議論をします:
https://www.princeton.edu/~pkrugman/deficitsave.png
説明
ここでは、GDPの関数として、民間部門の黒字と公的部門の赤字を示します。GDPが高いほど収入と貯蓄が増えるため、民間部門の線は上向きに傾斜し、GDPが高いほど、公共部門の線は下向きに傾斜します。より高い収入。平衡状態では、私的黒字は政府の赤字に等しい(国際資本フローを追加した場合、どの国にも厳密には当てはまらないが、これを世界経済の図と考えてください)。両方のセクターのバランスの初期位置ですが、これは重要ではありません。
私たちが経験したのは、個人貯蓄の増加と投資需要の減少の組み合わせにより、GDPの任意のレベルで望ましい民間余剰が急激に増加したことです。これは、民間余剰曲線の上方シフトとして示されています。
1930年代には、公的部門は非常に小さかったため、GDPは基本的に、民間部門の黒字をゼロに保つのに十分なほど縮小する必要がありました。したがって、GDPの低下は「大恐慌」とラベル付けされました。
今回は、GDPの低下が赤字の増加につながり、それが私的黒字の増加の一部を吸収したため、GDPの低下はそれほど大きくなくてもかまいませんでした。したがって、GDPの小さな低下は「大不況」とラベル付けされました。
ハッツィウスが言っているのは、最初のショック、つまり望ましい私的黒字の急増は、今回は1930年代よりも大きかったということです。これは、予算不足の吸収的な役割がなければ、完全な大恐慌の経験があったであろうことを示しています。 。私たちが実際に抱えているのはひどいことですが、それほどひどいことではありません—そしてそれはすべて赤字の増加によるものです。つまり、赤字は世界を救ったのです。
ケルトン 2020
#8
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自動的に行われる義務的支出
今日、積極的に金利を上下させ、経済を安定させる「インフレ非加速的失業率(NAIRU)」を達成する任務は「金融政策」、すなわちFRBに委ねられている。一方MMTは「財政政策」のほうが安定化装置として優れており、さらに幅広い国民の利益を実現するのに有効だと考えている。ラーナーも同じように運転席に座るべきは財政政策という立場だったが、議会に車のキーを与え、ハンドルさばきを任せれば事足りると考えていた。ただMMTは、責任ある財政運営という道路を走り続けるには、車にも運転手にも相応の装備が必要だと主張する。議会に裁量的支出をする権限を持たせるのは良いが、政治が次第に両極化していく今日、運転手がいなくても走行できる機能は備えておくべきだ。それによってたとえ議会が迅速に動けなくても、財政政策は経済環境の変化に対応することができる。いわば保険をかけるようなものだ。
https://studyroombd.files.wordpress.com/2014/08/economics-principles-problems-and-policies-18th-mcconnell-brue-flynn.pdf