水曜日, 7月 10, 2019

ビル・ミッチェル:「公債を発行する必要はない」Bill Mitchell There is noneed to issue public debt 2015/9/3


The Economics of Employment, 1951
雇用の経済学

参考:
#21:335,347(#17:258)
転載: ビル・ミッチェル「国債の発行は必要ない」(2015年9月3日)


ビル・ミッチェル:「公債を発行する必要はない」Bill Mitchell There is no need to issue public debt 2015/9/3

ビル・ミッチェル:「公債を発行する必要はない」There is no need to issue public debt

(まあ、あれです。 
日本でいえば経済学者とか金融系のほんらい優秀な人材は(これからの人を含めて)、グリーンニューディールとまではいかなくとも、たとえば高齢化対策に向けたさまざまな課題に取り組んでいただいた方が?っていう。)


http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=31715
2015/9/3



先週催されたロンドンでのイベントでは、政府は公債を発行するべきではないという話をした。公債発行の機会費用は利益を上回るからだ。現代金融理論(MMT)の目で見れば、財政赤字を政府債務と一致させる特段の必要性はなく、財政赤字は、Overt Monetary Financing(OMF)と呼ぶ金融オペレーションで運営されるべきなのだ。驚いたのだが、聴衆から政府債務を発行し続けるべきではないかという声も出た。私の理解が正しければ、それは労働者が将来のために貯蓄するため安全な避難所を政府が提供するためという理由からの発言だ。つまり、労働者が苦労して得た貯蓄を保持しておくのに使用できる無リスク資産を提供するためだけのために、公債の発行にまつわる複雑な仕組みを維持するというご意見だ。その目的のためであるならば政府はその通貨発行能力を、公的に運営する国民貯蓄基金に行使するとした方がはるかにシンプルになる。債務は一切不要なのだ。
アバ・ラーナーの機能的財政論が出発点になる。この論はMMTの発展に大きな影響を与えたものの一つだ。ラーナーは、政府が債務を発行するのはどのようなときであるべきかの指針を提示した。
ラーナーは、通貨発行政府の責任とは、経済における総支出が完全雇用と確実に一致する水準に維持されるようにすることにあると説明している。
政府は、支出と徴税の方針を変化させることにより、各時点の生産性水準において、仕事をしたいすべての人に仕事を提供するのに十分な売上を生み出すようにすることでその責任を果たす。
ラーナーはまた、政府が責任を果たさない場合よりも責任を果たした場合の方が財政赤字が多くなりがちだが、それは「別に悪いこと」ではないとの理解をしていた。
1943年の論文、機能的財政と連邦債務の中でラーナーは次のように書いている。
…中心となる考えはこうだ。政府の財政政策、支出と徴税、債務の借入と返済、新貨幣の発行と回収、これらの行動はみな経済に及ぼす影響のみを見据えて行われるべきだ。健全であるか否かという、根強い伝統的な教義に拠ってはならない。この、ただ効果のみによって判断するという原則は、人間活動に関する他の多くの分野でも適用されてきたものだが、スコラ哲学に異議を申し立てた科学の方法として知られているものだ。ある財政措置を判断するときは、それが経済の中でどのように機能するのかによるべし。この原則を機能的財政と呼ぶ… 

政府は、経済における総支出が、現在の価格で完全雇用水準の生産高を購入するのに十分であるものより多くも少なくもならないように支出と課税の割合を調整するべきである。それが、赤字、借入の増加、「貨幣の印刷」などを意味するとしても、そのこと自体は良くも悪くもなく、単に完全雇用と物価安定の望ましい目的を達成するための手段に過ぎない。
[Lerner, A. (1943) ‘Functional Finance and the Federal Debt’, Social Research, 10(1), 38–51].
政府が焦点を当てるべきは赤字の額ではなく、完全雇用によってもたらされる繁栄と抱合だ。
彼はまた、世に新しいアイデアが発表されると人々は「ひどい結果になるというおとぎ話に容易に恐怖する」ことを理解していた。
この恐怖は、教育の欠如、つまり実際に経済がどのように機能しているかを人々が理解できないようにしておくことによって増幅される。
新自由主義者は、本来は賢明であり実行可能でもある経済問題の説明を悪魔呼ばわりすることでこの恐怖を拡大させる。
彼らは、正しい考えを恐怖やタブーの領域に棚上げしておけばそれらが政治的に受け入れられなくなる可能性が高まると知っている。
この戦略が彼らのイデオロギーアジェンダを前進させる。政府の財政政策を導くための、あるべき基本的な規範はラーナーの言では「極端なまでに単純」であり「その単純さこそが、うますぎる話では?と国民に疑わせてしまう原因だ」)。
新自由主義者は、通貨を発行する政府に実行できる本当の選択肢を国民が理解しないようにしておくことに強い関心を払っており、こうした疑いを煽る。
新自由主義者は、これら単純な真理の替えて神話や比喩を使う。そうした比喩は公衆と共鳴することで「現実」というものになると彼らは知っているのだ。
ではラーナーは債務の発行についてどう言っていたのだろう?
政府が「常に妥当な水準の需要」を維持し「最適な投資額を誘導する」金利を維持するという文脈だ。
In this Biography of Lerner you read the following (pages 218-19): このラーナーの伝記には次のようにある(218-19)
1943年、ラーナーは財政政策への新しいアプローチを発表した論文「機能的財政と連邦債務」を発表した。 彼は、従来の財政学の知恵は優れた家計管理の原則と道徳に基づいていると指摘した。まだ持っていないものは使わない - 「経済」という単語の語源はギリシャ語で家庭を表す言葉oikosだ。

これに対しラーナーは、ケインズの立場から赤字支出の概要を要約した上で、政府は従来のような道徳に依るのではなく、行為の結果だけを考慮すべきだと主張した。

政府の支出および課税の目的は、現在の物価水準で完全雇用と両立できる水準になるように経済全体の支出を維持すること、つまり、失業もインフレもないようにすることことだと彼は述べている。 

その際政府は財政赤字や債務を気にするべきではない。第二に、借金や返済をするのは、国民が保有する有価証券と貨幣の割合を変更したい場合に限るべきだ。

この割合を変更すると金利が上昇または低下するため、信用による購入や投資が抑制または促進される。財政赤字をどう賄うかだけの問題ならば紙幣を印刷せよとラーナーは提唱した。

第三に、第一、第二の原則の成果を実現するために、政府は必要に応じて貨幣を循環に加えるか、撤退させる(破壊する)べきであると。
このように、政府が債務を発行すべき唯一の理由は「国民が保有する有価証券と貨幣の割合」を変更したい場合に限っている。政府には歳入を増やす必要がないことを明らかに認識している。
ラーナーは1943年の記事で(355ページ)、政府が負債を発行するのは「そうしないと金利が低すぎてしまう」場合のみであるべきと述べている。皆さんも、資金調達に必要だから「借りる」のではなく、それは金融行為なのだとわかり始めて来ただろう。
彼は1951年の著書(10~11ページ)でこのテーマをさらに進めている。
赤字のために…貨幣を支出し…通貨(および銀行の準備金)のストックを増やし続けると、金利が下がり続ける。 政府は何とかして自身の支出による資金ストックの増加によって金利が押し下げられるのを防がなければならない...。そのためには明らかな方法がある。政府は支出した貨幣を借り戻せばよい。(強調は原文)

[しかし子供の養育費についての貨幣を赤字支出することは、になり、これは利子率を低くおさえておくことになる。政府は、伝統主義、貨幣のストックを増加したままにしておくこと利子率が、子供の養育費に支出することから生ずる賃幣ストックの追加分によって、押し下げられるのをどうにかして防がねばならない。このことをなす明白な方法がある。政府は、その支出する貨幣を借りもどすことができるということである。]( 邦訳12頁)

これはMMTの基本的な洞察の一つだ。すなわち、債務の発行は、純支出(財政赤字)によって生じた過剰な銀行の準備預金を中央銀行が排出するために有効な手段である。
それが昨日のエントリの話題だった。
政府が自ら支出したものをただ借り戻す、あるいは中央銀行が夜間の準備預金に利息を支払う。これらをしなければ金利はゼロ(あるいは中央銀行が支払うサポートレート)になる。
そして、進歩主義者(財政ハト派)―「組織的繁栄の支持者」―に対しラーナーは1951年の著書(15ページ)の中でこう言っている。
彼らは臆病心から、伝統的な教義の偉い支持者に衝撃を与えかねないことを言うことをためらい、新しい学説を、あたかもそれが古い学説に見えるよう偽装したい誘惑に駆られる。しかしこれはほとんど役に立たない。新しい学説が伝統の支持者の目に無害に見えるようにしようとすると、自分たちの主張が損害を被るからだ。国家債務の規模はそれほど大きな問題ではないと彼らは言わず… [そして] …予算は不均衡でなければならないとも言わず、繁栄の達成と比較すれば債務が微々たる問題でしかないという主張をしない。彼らは年次予算だの循環対応予算だの資本予算だの、特別な予算という入念なシステムを入れることによって不均衡予算(従って債務規模)を偽装する提案をする。

[ある種の臆病は、伝統的な教義の尊敬すべき支持者にショックを与えるようなことをあえて言わしめず、新しい教義を隠そうとさせる。したがって、それは容易に古い教義と間違えられるのである。これはあまり役立たない。なぜなら、それらが間違えられていることが、間もなくわかってくるからである。それでも、臆病はそれらを妨げる。なぜなら、伝統を支持する人びとの目には、新しい教義を無害にみえるように仕向ける際には、それはしばしば、その立場を損傷するからである。かくして、国債の大きさは大きな関心一事でないということの代りに、国民所得の増大は国債の利子を課税の引上げなしに、引き上げられることに至らしめるであろうということが論議されてきた。予算は不均衡でなければならないし、このことは繁栄の達成に比較すると、意義の深いものでないという代りに、スエーデンにおけるように、年次予算、景気循環予算、資本予算そして特別予算の精巧な制度を持つことによって不均衡予算を隠すことが提案される。](邦訳17~8頁)
MMTは、政策金利はゼロに維持されるべきであると提言している。それは公債を非政府部門の手に委ね蓄積させる必要がないからだ。
そもそも公債を発行する理由は何か?
たとえ完全な「市場志向」アプローチを採ったとしても公債の発行を説得的に擁護できる理屈はない。
労働市場を始めとしたいくつかの市場は周期の対称性がなく負のショックが持続するため、いったん失われた進出と雇用を取り戻すコストが高く、政府の介入が不可欠である。
対して一般に金融市場は、適切な規制の枠組みの中で初めて運営が認められており、競争理論で論じられるパラメータにかなり該当し、政府の直接的な介入が無くとも合理的に効率的な成果を生み出すことができる。
政府による民間市場への介入は重大な問題なのであるから、適切な費用便益分析によって正当化されるものでなければならない。

金融の安定は公共財である

現代の金融システムは信用供与を通じて実体経済と結びついている。家計も企業も信用への安定的なアクセスの恩恵を受けている。
金融の安定を達成するためには:(a)主要な金融機関は安定していなければならず、業務の中断や外部からの支援を受けることなく契約上の義務を履行できるという確信があり、(b)主要な市場が安定していて、ファンダメンタルズを反映した価格での取引がサポートされていなければならない。
ファンダメンタルズに変化がない場合は、短期に大きな変動があるべきではない。
金融の安定には、広範な経済的損害を引き起こさない水準で価格が変動している必要がある。物価は経済のファンダメンタルズの変化を反映して動くし、動くべきものである。 金融の不安定は、資産価格が経済のファンダメンタルズの水準から大きく乖離し、実体経済にダメージを与えることで生じる。
金融市場において、思慮を欠いた投機から実態部門には影響を与えないような破綻、あるいは適切な流動性供給によって実態部門から切り離すことができる破綻が発生したとしても、それは問題ではない。
安定した金融システムの基本的な要件は以下のごとくだろう。
1.明確に定義された所有権; 
2.中央銀行による決済システムの監督; 
3.金融機関の自己資本比率規制; 
4.銀行預金者の保護; 
5.流動性危機において、民間金融機関が支払能力のある借り手への融資を拒否した場合の最後の貸し手; 
6.民間の投資家・債権者間の協調の失敗を改善するための機関; 
7.破綻した機関への出口戦略の提供。
以上の要件の一部は民間機関によっても提供され得るが、すべて政府あるいはその指定代理人に属す。
そして、これらの要件はいずれも国債市場の有無とは関係がない。
私有財は売り手と買い手がそれぞれの利ざやを反映した価格で取引する市場において交換される。
商品やサービスの所有権は合意された価格で売り手から買い手に移転する。
私有財は、排他的(つまり取引の当事者以外はその消費を楽しむことができない)かつ競合的(つまり他の潜在的な消費者がその商品やサービスを利用することを否定している)である。
対して公共財は排他的でも競合的でもない。民間市場には公共財を生産したり購入したりするインセンティブがないため、民間市場だけで社会的に最適な量の公共財を供給することは不可能だ(フリーライダー問題)。
社会的に最適な供給が確保されるためには、集合行為または政府によって公共財が生産または調整されていなければならない。
我々は、安定な金融システムは公共財の定義を満たしており、政府の正当な責任であると結論する。

公債発行の利点はいったい何か?

持続的に公債を発行することを支持する議論の多くは、結局のところ、企業部門が公的な事業をするためにはその投資家にリスクフリーな国債が要請されるとの議論に還元される。取引からの収益、手数料、管理料、コンサルティング・サービスおよび調査手数料だけではなくそれも必要なのだという。
皮肉なことに、この議論は金融セクターの同じ利害関係者がふだん一口にするレトリックと矛盾している。彼らは常に、政府の介入を減らし、民営化を進め、福祉の削減を進め、様々な公益事業や労働市場を含む市場全般の規制緩和を緊急に行う必要があると言っている。
特に政府による民間市場の価格への介入は、効率性の観点から経済学者の批判を浴びる。
ところが公債の発行は、金利市場における政府の価格介入の一形態である。
立証責任があるのは公債発行の支持者の側だ。国債市場は政府の介入なしには運営することが不可能だが、その政府支援がないと、上述したマクロ的な優先事項(失業その他)に有害な結果がもたらされるとの主張を維持しなくてはならない。
プライシングの基準として
公債の発行を支持する一つの議論としては、国債のイールドカーブが金融市場におけるリスクフリー資産のベンチマークとして他の債務証券の価格の基準になる、というものがある。
明らかに別の複数の選択肢が存在する。
1. 市場は、類似した性質を持つ他の証券の価格を参考に相対的な価格付けをすることができる。
2. 市場参加者は、金利スワップ曲線を基準に証券の価格付けをすることができる。
現に市場参加者は金利スワップ・カーブを使って証券価格を決定している。金利の構造は需要と供給で決まる。債券の買い手と売り手が価格を提示し合って決めるのだ。
公債の発行論者は、政府が市場に介入しない限り、債券の持ち主と買い手が価格をマッチングさせることができないと本気で主張するのだろうか。
政府の介入なしに価格を適切に決定できるほどの参加者、情報、競争力が金利市場には備わっていないとおっしゃる?
どちらの主張も、その正当性の立証は疑わしい。後に記すような、公債発行に起因すマクロ的な高コストを打ち消しうるものではない。
金融リスクの管理
民間のトレーダーが金融リスク、特に金利リスクの管理のために普及しているデリバティブ市場が既発国債に支えられているという議論もある。
ではそこでの金利リスクとは実際どのくらいのものなのか。懸念される変化がどれだけの経済的コストをもたらすというのか。
対しては詳細には立ち入らず、公債がどのようなビジネスで使用される 「必要」 があるかをただ挙げるのがポイントだ。公債の発行は、実際には投資行動を奨励しているのではなく、投機行動を支援奨励しているのだ。
金融市場の投機にも健全なものはある(例えば、メーカーの為替リスク軽減をサポ―トするような)。しかしそれは毎日の金融市場での取引のごく一部に過ぎない。
ではこうした、国民の幸福に特に資するものではない特定のビジネスを支援することは適切な公共政策なのだろうか。
以上の文脈から、私は公債の発行は企業福祉だと言っている。
またMMTは金融市場を簡素化し、国民に実質的な利益をもたらさない投機行動は段階的に廃止していくいことを提唱していることも理解されたい。
長期投資のための資産として
木曜日のロンドンでなされた議論だ。この議論は大ざっぱに言えば、労働者はその貯蓄をリスクのない資産として保持されると期待する権利があり、公債の発行はそのための資産を提供するというものだ。
私は労働者が安全な方法で貯蓄(将来のリスク管理)できるようにすべきであるという原則を支持するものだ。しかしそれは公債の発行による巨額の企業福祉を正当化できるものではない。
この議論をより正確に言えば、老齢退職年金や生命保険会社は公債を購入できないと、適切な資産償還と長期負債とのマッチングが困難になるという論だ。
さらに、ドル建て資産を保有する労働者にとっては公債が廃止されると貯蓄の投資先がなくなるという主張だ。退職後のプランが不確実かつ高リスクになるという話になる。
理解されていないのは、公債が政府にとって年金になっていることだ。
民間部門における投資が、民間主体が発行する負債ではなく、政府年金によってなされることを、公債発行の支持者は本当に望んでいるのだろうか?
この論点は、国債がポートフォリオ分散化を促進するという主張にも当てはまる。私たちは民間で利潤を追求している投資家に政府年金を提供したいだろうか?
政府の直接的な支払いによって市場の投資機能の阻害し、民間部門の主体を助成するこうした行為が為されるのは、民間市場が失敗し実体部門の産出(雇用)や価格の安定が脅かされた場合のみに限定されるべきだ。
そして退職者助成の方法としては、年金サポートをも包含するような、より豊かな公衆福祉制度を政府が直接提供する方法との比較をするべきだ。
それはともかく、労働者にリスクフリーの貯蓄手段を提供するためのより効果的な方法もある。政府が通貨発行能力を行使して、完全な保証付きの国民貯蓄基金を創設することだ。ファンドに貯蓄を委ねるよりも有利な収益を提供することができる。
公債の発行(および、それに伴う企業福祉や政府債務の管理機関)は必要がないのだ。
政府はいつでも名目債務を返済することができる。
安全な避難先として
国債はまた、金融不安のときに投資家に「安全な避難所」を提供するとされている。
「質への逃避」という議論だが、投資家が他の資産の資本損失を回避する手段として無リスクの国内資産を利用できることがマクロ経済にとって有益であるという論だ。
しかし国債とは、上述の通り政府の年金を通した助成金であることとは別に、他資産と直接競合するものでもある。国債の存在によって他の資産の価格は安くなっており、さらに「質への逃避」が可能であることが、問題を悪化させる効果につながっている。
貨幣経済においては投資家は、現金または銀行預金を持つことによって、常にマネーのバランスを維持することができる。
預金保険の利用が普及しているため、銀行預金は実質的に国債と同等である。
資産を預金に移すことは「リスク」を銀行に委ねたことであり、中央銀行の規制下にある資産を選んだことに他ならない。
利益最大化を目指す民間主体はこうしてリスク-リターンを勘案して預金を選ぶ意思決定ができることになるが、政府の年金を歪める市場という避難場所を設けることで「さらに保護される」べきであるという議論を正当化するマクロ経済的な理由は存在しない。
さらに言えば、「質への逃避」をしたときに、投資家が持つ様々な固定金利債券の相対価格は変化し得るものの、その総量は変わらない。何しろ投資家達は既存の公債をめぐって競争するだけなのだから。
マクロレベルで見て、このプロセスで総リスクが軽減したりはしないのだ。
金融政策のツール
以前のエントリで、中央銀行は超過準備金に金利を支払うことによってえ金利政策目標を維持できることを説明した。
中央銀行はこの目的のために公債の存在を必要としてはいない。
公債の発行を正当化する議論はための議論は他にもいろいろある。それは皆、煎じ詰めれば、投機家がリスクフリー資産を求めているからということになる。
では公債発行にかかる経済的なコストはどのくらいなのだろう?

公債発行に関わる実際の経済的コスト

ある資源を使用する活動の実際のコストを測定するためには、その資源を使用しない場合の機会費用を求めることになる。
公債市場の運営は、他の場所で利用可能な実物資源が充てられている。
仮に公債市場が存在しないような経済状況を評価するのは困難ではあるが、われわれの考え方の構造を示すため、いくつか指摘できることがある。
公債の「産業」において直接的または間接的に雇用されている労働力の機会費用は、現実のものであり、大きいものでもある。
公債産業にかかわる「家内産業企業」は 、公債の発行、トレード、金融工学、販売、管理、システム技術、会計、法律、および他の関連する支援機能のために資源を投入している。
こうした活動には、我々の教育システムが輩出する優秀な卒業生の一部が参加していて、高額の給料が支払われ、彼らは科学や社会研究、医学、工学などの他分野に行かないということになっている。
この労働力が別の活動に投入されていれば国民全体の利益にもっと貢献できるだろうとの議論があるだろう。
この本質的には分配(富のシャッフリング)活動であるものを政府が支援することにより、公債産業は魅力的な給料を提供することができ、しかも分配システムをゆがめる機能を働かせる。
公債の発行を止めた場合、この労働力は金融部門の内部で移動する動きもあろうが、政府が教育機関での研究のための資金水準に再び適切にコミットするようになればそこに魅力ある機会が生み出されよう。
結局のところ、公債市場が果たしている機能はごくわずかでしかなく、中央銀行の金利維持政策は、現在のサポートレート政策を維持することによってマイナスの影響を引き起こすことなく継続できるということになる。
国の繁栄のために公債市場がもたらす価値は機会費用以下である。正しく費用便益分析すれば、この市場は打ち切られるべきであると結論されよう。
結び
このエントリは、私が2001年にウォーレン・モズラーとともに英連邦債務調査局に提出した報告書を編集したものを部分的に引用している。その報告書は、政府が実際には黒字が増えているのに、なぜ債務を発行し続けるべきかを正当化しようとするものだった。 今日はこのへんで!

There is no need to issue public debt

At the London event last week, I indicated that governments should not issue any public debt as the benefits of doing so are small relative to the large opportunity costs. The Modern Monetary Theory (MMT) position is that there is no particular necessity to match public deficits with debt-issuance for a currency-issuing government and deficits should be accompanied by monetary operations which we now call Overt Monetary Financing (OMF). Surprisingly there was some arguments by audience members that governments should continue to issue debt, largely, as I understand them, to provide a safe haven for workers to save for the future. So the idea is that we maintain the elaborate machinery that is associated with the public debt issuance just to provide a risk free asset that workers can use to park their hard-earned savings in. It is a strange argument given the massive opportunity costs associated with debt issuance. A far simpler solution is to exploit the currency-issuing capacity of the government to guarantee a publicly-owned National Saving Fund. No debt would be required.
We start with Abba Lerner’s Functional Finance, which represents a major influence on the development of what we call MMT. He provided guidance on when governments should issue debt.
Lerner sought to explain that it is the responsibility of the currency-issuing government to ensure that total spending in the economy is maintained at a level consistent with full employment.
It does that by altering its spending and taxation policies to generate enough sales that with current productivity levels would provide jobs for all those who want to work.
He also knew that more often than not fulfilling those responsibilities will result in fiscal deficits and that there was nothing “bad about this”.
In his 1943 article – Functional Finance and Federal Debt – Abba Lerner said:
The central idea is that government fiscal policy, its spending and taxing, its borrowing and repayment of loans, its issue of new money and its withdrawal of money, shall all be undertaken with an eye only to the results of these actions on the economy and not to any established traditional doctrine about what is sound or unsound. This principle of judging only by effects has been applied in many other fields of human activity, where it is known as the method of science opposed to scholasticism. The principle of judging fiscal measures by the way they work or function in the economy we may call Functional Finance …
Government should adjust its rates of expenditure and taxation such that total spending in the economy is neither more nor less than that which is sufficient to purchase the full employment level of output at current prices. If this means there is a deficit, greater borrowing, “printing money,” etc., then these things in themselves are neither good nor bad, they are simply the means to the desired ends of full employment and price stability …
[Reference: Lerner, A. (1943) ‘Functional Finance and the Federal Debt’, Social Research, 10(1), 38–51].
The focus on government should not be on the deficits but on the prosperity and inclusion that full employment delivers.
He also understood that people are “easily frightened by fairy tales of terrible consequences” when new ideas are presented.
The sense of fright is driven by a lack of education that leaves people unable to comprehend how the economy actually operates.
Neo-liberals magnify that sense of fright, by demonising what are otherwise sensible and viable explanations of economic matters.
They know that by elevating these ideas into the domain of fear and taboo, they increase the probability that political acceptance of the ideas will not be forthcoming.
That strategy advances their ideological agenda. The basic rules that should guide government fiscal policy are, as Lerner noted, “extremely simple” and “it is this simplicity which makes the public suspect it as too slick).
Neo-liberals who have vested interests in ensuring that the public does not understand the true options available to a government that issues its own currency manipulate that suspicion.
In the place of these simple truths, neo-liberals advance a sequence of myths and metaphors that they know will resonate with the public and become the ‘reality’.
So what did Lerner say about debt issuance?
In the context of governments maintaining “a reasonable level of demand at all times” and maintain interest rates that “induces the optimum amount of investment”.
In this Biography of Lerner you read the following (pages 218-19):
In 1943 Lerner published an article, “Functional Finance and the Federal Debt,” that announced a new approach to fiscal policy. (The subject was further developed in his Economics of Control and the Economics of Employment.) He noted that conventional fiscal wisdom was based on the principles and morals of good household management: don’t spend what you don’t have – a tacit reminder that the words “economy” and “economics” are etymologically derived from oikos, the Greek word for household.
Lerner, however, picking up on the summary Keynesian prescription of deficit spending, argued that governments should not be concerned with conventional morality but rather should consider only the results of their actions. The aim of government spending and taxing, he said, should be to hold the economy’s total spending at a level compatible with and conducive to full employment at current prices – in other words, no unemployment and no inflation. In doing this the government should not be concerned with deficits or debt. Second, the government should borrow or repay only insofar as it wants to change the proportions in which the public holds securities or money. Changing this proportion will raise or lower interest rates and hence discourage or promote investment and credit purchasing. If the only question, then, was how to finance a deficit, Lerner advocated printing money. Third, the government should put money into circulation or withdraw (and destroy) it as needed to effect the results called for by the first two principles.
So the only reason a government should issue debt is if it wanted to alter the “proportions in which the public holds securities or money”. It is clearly recognised that the government does not need to raise revenue.
In his 1943 article Lerner says (page 355) that the government would only issue debt “if otherwise the rate of interest would be too low”. So you start to understand that the “borrowing” is a monetary operation not a funding necessity.
He went further on this theme in his 1951 book when he says (pages 10-11) that the:
… spending of money … out of deficits keeps on increasing the stock of money (and bank reserves) and this keeps on pushing down the rate of interest. Somehow the government must prevent the rate of interest from being pushed down by the additions to the stock of money coming from its own expenditures … There is an obvious way of doing this. The government can borrow back the money it is spending (emphasis in original).
This is one of the fundamental insights of MMT – that debt issuance can assist the central bank to drain excess bank reserves that were generated by the net spending (deficits) in the first place.
That was the topic of yesterday’s blog.
The government just borrows its own spending back. If it didn’t do that and if the central bank didn’t pay a return on overnight reserves then the interest rate would fall to zero (or some support rate that the central bank did pay).
And for those progressives (the deficit-doves) – the “proponents of organized prosperity”, Lerner had this to say in his 1951 book (page 15).
A kind of timidity makes them shrink from saying anything that might shock the respectable upholders of traditional doctrine and tempts them to disguise the new doctrine so that it might be easily mistaken for the old. This does not help much, for they are soon found out, and it hinders them because, in endeavoring to make the new doctrine appear harmless in the eyes of the upholders of tradition, they often damage their case. Thus instead of saying that the size of the national debt is of no great concern … [and] … that the budget may have to be unbalanced and that this is insignificant when compared with the attainment of prosperity, it is proposed to disguise an unbalanced budget (and therefore the size of the national debt) by having an elaborate system of annual, cyclical, capital, and other special budgets.
MMT suggests that the policy interest rate should be maintained at zero, which means there is no need to have stocks of public debt in the hands of the non-government sector.
So why issue public debt at all?
Even if one adopts a fundamentally ‘market oriented’ approach there is no compelling case to issue public debt. 
Some markets, including the labour market, exhibit cyclical asymmetries and high degrees of persistence following negative shocks that are so costly in terms of foregone output and employment that government intervention is compelling.
However, financial markets in general, allowed to operate within appropriate regulatory frameworks, are much closer to the parameters outlined in competitive theory and can generate reasonably efficient outcomes without direct government interference.
Government intervention into private markets is a serious matter and must be justified with a proper cost-benefit analysis.

Financial stability is a public good

The current financial system is linked to the real economy via its credit provision role. Both households and business firms benefit from stable access to credit.
To achieve financial stability: (a) the key financial institutions must be stable and engender confidence that they can meet their contractual obligations without interruption or external assistance; and (b) the key markets are stable and support transactions at prices that reflect fundamental forces.
There should be no major short-term fluctuations when there have been no change in fundamentals.
Financial stability requires levels of price movement volatility that do not cause widespread economic damage. Prices can and should move to reflect changes in economic fundamentals.
Financial instability arises when asset prices significantly depart from levels dictated by economic fundamentals and damage the real sector.
Collapses brought on by injudicious speculation that do not affect the real sector or that can be insulated from the real sector by appropriate liquidity provisions are not problematic.
The essential requirements of a stable financial system are:
1. Clearly defined property rights;
2. Central bank oversight of the payments system;
3. Capital adequacy standards for financial institutions;
4. Bank depositor protection;
5. An institutional lender-of-last resort when private institutions refuse to lend to solvent borrowers in times of liquidity crisis;
6. An institution to ameliorate coordination failure among private investors/creditors;
7. The provision of exit strategies to insolvent institutions.
While some of these requirements can be provided by private institutions, all fall in the domain of government and its designated agents.
However, none of these requirements rely on the existence of a viable government bonds market.
Private goods are traded in markets where buyers and sellers exchange at prices that reflect the margin of their respective interests.
At the agreed price, ownership of the good or service transfers from the seller to the buyer.
A private good is ‘excludable’ (others cannot enjoy the consumption of it without being party to the transaction) and ‘rival’ (consuming the good or service specific to the transaction, denies other potential consumers its use).
Alternatively, a public good is non-excludable and non-rival in consumption. Private markets fail to provide socially optimal quantities of public goods because there is no private incentive to produce or to purchase them (the free rider problem).
To ensure socially optimal provision, public goods must be produced or arranged by collective action or by government. 
We conclude that financial system stability meets the definition of a public good and is the legitimate responsibility of government.

What are the alleged benefits of public debt issuance

Most of the arguments made in favour of sustaining public debt issuance can be reduced to special pleading by an industry sector for public assistance in the form of risk-free government bonds for investors as well as opportunities for trading profits, commissions, management fees, and consulting service and research fees.
It is ironic that these arguments are inconsistent with rhetoric forthcoming from the same financial sector interests in general about the urgency for less government intervention, more privatisation, more general welfare cutbacks, and the deregulation of markets in general, including various utilities and labour markets.
Specifically, government price level intervention into private markets is typically challenged by economists on efficiency grounds.
Public debt issuance is a form of government price level intervention in interest rate markets.
The burden of proof falls on those arguing in favour of such issuance to show that the market in question is incapable of viable operation without government intervention and will, unassisted, produce outcomes detrimental to the macro priorities we discussed earlier – full employment etc.
Pricing other products
One argument mounted to support public debt issuance is that it supports the yield curve and is used by financial markets as the benchmark risk free asset, which provides a benchmark for pricing any other debt security.
There are clearly alternatives:
1. The market could price securities against other securities with similar characteristics.
2. Market participants could price securities with respect to the interest rate swap curve.
Market participants already use the interest rate swap curve to price securities. Regardless, the term interest rate structure remains a meeting of supply and demand. Buyers and sellers of bonds desire to attract each other and meet at a price.
Are the proponents of retaining public debt issuance really claiming that without government intervention in the credit markets via such issuance borrowers and investors cannot sufficiently come together at a price?
Are they saying that the interest rate market does not have sufficient levels participation, information and competition to adequately determine price without government intervention?
It is doubtful that either position can be substantiated, and certainly not to the degree needed to support the issuance of public debt with their high real macro costs which I will outline below.
Managing financial risk
Another argument is that on-going public debt issuance supports a number of derivative markets that help private traders manage financial risk, particularly in relation to interest rate risk.
What are their real interest rate risks of these businesses? What are the real economic costs of these feared changes?
Without going into detail, it is important to ask which businesses ‘need’ to use public debt to manage risk. The reality is that it on-going public debt issuance supports and encourages speculation, rather than real investment behaviour. 
Some financial market speculation (which is tied to helping real output producing firms off-load exchange rate risk, for example) is sound. But that is a tiny proportion of the financial market transactions that occur each day.
So can the support of particular businesses in this manner which add nothing to the well-being of the population be an appropriate use of public policy?
It is in this context that I use the term corporate welfare in association with the issuance of public debt.
It should also be understood that MMT advocates the simplification of financial markets and the phased elimination of speculative behaviour that provides no real benefits to the population.
Providing a long term investment vehicle
This argument was raised on Thursday night in London. The crude argument is that workers have a right to expect their savings will be held in risk-free assets and that public debt issuance provides those assets.
It is a simplistic argument and while I am supportive of workers being able to save (risk manage their futures) in a safe way, that doesn’t justify the massive corporate welfare that accompanies the issuance of public debt.
More specifically, it is argued if superannuation and life companies were unable to purchase government debt then they would struggle to match their long-dated liabilities with appropriate returning assets.
Further, the claim is that eliminating the government bonds market would deny workers of a risk free, $A denominated asset to invest there savings in. Retirement planning would become highly uncertain and risky.
What is not often understood is that government bonds are in fact government annuities.
Do the proponents of on-going government bonds really want the private sector to have access to government annuities rather than be directing real investment via privately-issued corporate debt, as an example?
This point is also applicable to claims that government bonds facilitate portfolio diversification. Why would we want to provide government annuities to private profit-seeking investors?
This interferes with the investment function of markets, and that direct government payments be limited to the support of private sector agents when failures in private markets jeopardise real sector output (employment) and price stability.
We would also require a comparison of this method of retirement subsidy against more direct methods involving more generous public health and welfare provision and pension support.
But there is a much more effective way to provide a risk-free savings vehicle for workers. The government could create a National Savings Fund, fully guaranteed by the currency-issuing capacity of the government, which could provide competitive returns on savings lodged with the fund.
There would be no public debt issuance (and the associated corporate welfare and government debt management machinery) required.
The government could meet any nominal liabilities at any time.
Providing a safe haven
Government securities are alleged to provide a ‘safe haven’ for investors when there is financial instability.
The ‘flight to quality’ argument suggests that it is beneficial to the macro economy for investors to have a risk free domestic asset available to avoid capital losses on other assets.
However, in addition to the previous point regarding subsidy through government annuities, government bonds compete directly with these other assets, thereby driving down their prices and exacerbating matters during ‘flights to quality’.
In a monetary economy, investors can always hold money balances by increasing actual cash holdings or banking system deposits.
Widespread use of deposit insurance would mean that bank deposits would be equivalent to holding government bonds anyway for all practical purposes.
That also passes the ‘risk’ to private banks when they select their assets and selection of assets is regulated by the central bank. 
There is no compelling real macroeconomic reason why risk and return decisions by private maximising agents should be ‘further protected’ by retreat to a market distorting government annuity.
Further, during a ‘flight to quality’ only the relative prices of various fixed income securities can change, not the quantity, as investors compete for the existing stock of outstanding government debt.
At the macro level, this process does not reduce risk.
Implementing monetary policy
We have already learned from yesterday’s blog that the central bank can maintain any interest rate policy target it desires through the use of a support rate on excess reserves.
It requires no public debt in this regard.
There are many other arguments that are put forward to justify the ongoing issuance of public debt. All of them can be reduced to special pleading by speculators for risk free assets.
What are the real economic costs involved in issuing government debt?

The real economic costs involved in issuing government debt

The real costs of any resource-using activity are measured by the opportunity costs of not using these resources in alternative activities.
The operation of public debt markets absorb a diversity of real resources deployable elsewhere. 
While this is difficult to assess in the context of an economy without public debt markets, some points can be made to structure our thinking.
The opportunity costs in terms of the labour employed directly and indirectly in the public debt ‘industry’ are both real and large.
The ‘cottage industry firms’ that characterise the public debt industry use resources for public debt issuance, trading, financial engineering, sales, management, systems technology, accounting, legal, and other related support functions. 
These activities engage some of the brightest graduates from our educational system and the high salaries on offer lure them away from other areas such as scientific and social research, medicine, and engineering.
It could be argued that the national benefit would be better served if this labour was involved in these alternative activities.
Government support of what are essentially distributional (wealth shuffling) activities allows the public debt market to offer attractive salaries and distorts the allocation system.
While this labour may move within the finance sector if public debt issuance terminated, the Government could generate attractive opportunities by restoring its commitment to adequate funding levels for research in our educational institutions.
On balance, public debt markets appear to serve minor functions at best and the interest rate support can be achieved simply via the central bank maintainng current support rate policy without negative financial consequences.
The public debt markets add less value to national prosperity than their opportunity costs. A proper cost-benefit analysis would conclude that the market should be terminated.
Conclusion
This blog was drawn, in part, from an edited version of a submission that I made with Warren Mosler in 2001 to the Commonwealth Debt Inquiry, which sought to justify why the government should continue to issue debt when it was in fact running increasing surpluses.
That is enough for today!
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