商品貨幣論とは (ショウヒンカヘイロンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
商品貨幣論とは、貨幣(いわゆるお金)の成り立ちに関する誤った通説である。近年ではこの説を信じている専門家はほとんどいないが、理解しやすいので商品貨幣論から得られる推論に基づいた経済理論を無意識のうちに主張しちゃったりする。しかも多くの場合経済に有害な影響を生むのでなかなか業の深い説である。
国定信用貨幣論とはあらゆる面で正反対の主張をしている。商品貨幣論と国定信用貨幣論の論争は1000年以上も続いてきた。
商品貨幣論は金属主義(Metallism)とも呼ばれる。それに対して、国定信用貨幣論は表券主義(Chartalism)と呼ばれる。
概要
商品貨幣論は、貨幣が物々交換から発達したと説明する。以下は有名な経済学の教科書の一文。
原始的な社会では、物々交換が行われていたが、そのうちに、何らかの価値をもった「商品」が、便利な交換手段(つまり貨幣)として使われるようになった。その代表的な「商品」が貴金属、とくに金である。これが、貨幣の起源である。
しかし、金そのものを貨幣とすると、純度や重量など貨幣の価値の確認に手間がかかるので、政府が一定の純度と重量をもった金貨を鋳造するようになる。次の段階では、金との交換を義務付けた兌換(だかん)紙幣を発行するようになる。
こうして、政府発行の紙幣が標準的な貨幣となる。 最終的には、金との交換による価値の保証も不要になり、紙幣は、不換紙幣となる。それでも、交換の際に皆が受け取り続ける限り、紙幣には価値があり、貨幣としての役割を果たす(N・グレゴリー・マンキュー『マンキューマクロ経済学I入門篇【第3版】』110~112ページ)。
「大麦なら保存も効くしいつでもだれでも欲しがるし一定の価値があるから基軸商品として使える」と、主食穀物が金貨誕生前の貨幣(物々交換用の基軸商品)として使用されてきたと説明することもある。
以上の説は歴史的にも正しそうに思える。実際、金貨、銀貨、銭貨→兌換紙幣(だかんしへい、同額の金貨と交換できる紙幣)→不換紙幣(金貨と交換できない紙幣、信用紙幣)、と主に流通する貨幣は変化している。しかし、人類が誕生して以来、以上のような過程で貨幣が発達したとする物的、状況的、歴史的証拠は一度も発見されていないという。
商品貨幣論のほころび
商品貨幣論の最も疑わしい点は、不換紙幣を上手に説明できないところである。1971年のニクソンショックで金とドルの交換が停止されてからは世界中から兌換紙幣が姿を消して不換紙幣ばかりになった。どこの国の紙幣も製造原価が24円程度の紙切れで、金塊との交換など一切不可能である。そんなものに1万円とか100ドルといった価値が宿っている。
商品貨幣論は「貨幣は商品であり、それ自体に価値がある」という学説である。紙切れは価値がない。
さらに、人類学者たちが「いろんな原始的共同体を調査したが、共同体の中で物々交換(barter)が行われている例を発見できなかった」と発表したことも大きかった。そのうちの1人がキャロライン・ハンフリーという英国の学者であり、彼女は1985年の論文でそう論じている。フランスのマルセル・モースもそう述べている。
「原始社会は物々交換が行われていた」というのが商品貨幣論の大前提なのだが、それを人類学者が否定したことで、商品貨幣論が大きく揺らぐことになった。
お金の本当の成り立ち
これは現在の信用貨幣に通じる貨幣の成り立ちを説明したものである。
原始社会の経済
原始社会では物々交換は殆ど行われていなかったとするのが定説である。ではほしいものが手元に無い場合どうしていたか?というと、借りパクしていたのである。また、借りパクされる側もどうせ後で必要になれば勝手にもって行けばいいので気にしなかった。また、贈り物を頻繁にするという光景も良く見られた。お互いあまったモノや必要なモノをシェアしていたということである。
開拓初期のインディアンの風習の記録でも、りっぱなものを気前良くくれたが、それを大事に飾っていると独り占めするなと怒られた、というものがある。日本でも隣のおばちゃんが余った野菜や料理を気前良くくれたり、近所のおじさんが他人の家に上がって風呂に入りつつ(大量のお湯を沸かすのは重労働かつ貴重な資材が多く必要だった)帰り際におやつを失敬する、といったような昔話を聞いたことがあるだろう。
個人限定の財産を明確には持たず、贈り物や借りパクで共同体中のモノが循環するのが原始的な経済(の一つの形態)だったのだ。この文化においてお金は当然存在しない。
初期の社会の経済
農業などで人口が安定に増え始めると共同体が大きくなりすぎて誰が誰にどれくらいの貸し借りをしたかわからなくなってくるので、借りパクで済ますというわけには行かなくなる。そこで、「後でこれを私に渡せばうちの品物と交換しますよ」というモノ、いわゆる「トークン」を渡して品物を受け取るというシステムが現れた。たとえば麦農家のAさんが収穫のための鎌が新しく必要なとき、A家収穫の麦30kgと交換できるトークンを渡して鍛冶屋から鎌をもらい、収穫後に鍛冶屋がトークンとA家の麦30kgを交換する、という具合である。
他人の発行したトークンは交換の媒介となりうる。鍛冶屋が鍛造のための薪を必要とした時、薪業者にA家の麦トークンを渡せば麦30kgと見合う分の薪を融通してくれるし、薪業者がそのトークンで麦をA家からもらう権利を得ることができる。つまり、トークンはA家の発行した債券であり、持ち込んだ人にA家が麦30kgで所有者に返済するという債務の記録なのである。
重要なポイントとして、「誰に対する」「誰の」債務か、という情報の内、トークンには「誰に対する」という情報が無い点である。このトークンを持ち込めば誰でも一定量の対象商品をもらえるので交換の媒体に使えるのだ。また、麦30kgと鎌一個が同価値のとき、物々交換では「収穫できなければ鎌を得ることができない」という矛盾が起こるが、先にトークンを作れば鎌を融通してもらえる。言ってみれば信用創造と同じようなことができるのである。トークンの価値の裏付けはA家の麦の生産能力、及び持ち込めば必ず交換できるという信用である。トークンの発行上限は無制限ではなく自ずと返済能力で決まってくることがわかるだろう。これも現代の銀行の融資と似ている。
メソポタミアでは、最初期は品物を模したトークンのやり取り→トークンを象形文字化して石板や粘土板などに記録→文章や数字による借用の記録、と変化していった。つまり、お金は金属や穀物のような特定の商品から発達したのではなく、品物のやり取り、債務と債権の記録、という「データ」から発達したのである。データがお金の正体なので、データを乗せた媒体を偽造できないことが重要になってくる。古代エジプトのように通貨も個人の財産もないけどモノの債務と債権を記録し、それで会計していた、という文化や、貿易の内容を巨大な石に記録し、その記録がそのまま財産として機能した、という文化がある。ただし貝貨のようにどのような原理で流通していたか未解明の貨幣もある。
貨幣が発達した文化は飛躍的に進歩するため、やがて文明と呼ばれるようになる。
政府が発行するトークン
巨大な共同体は王や選挙で選ばれた指導者が運営することとなる。現代ではこれを政府と呼ぶが、政府もトークンを利用することがあった(古代日本など利用しない政府もあった)。政府は公共事業の従事者や公務員、兵士に対し、労働や供物の対価として政府公認トークン(ほとんどの場合鋳貨)を渡した。また、共同体の構成員、いわゆる国民に対し、鋳貨での納税を強制した。そうすることで政府がモノやサービスのだいだいの価値を鋳貨と結びつけることができ、市民はその相場にしたがって鋳貨で商売をするようになる。市民は納税のために鋳貨の貯蓄に励むようになり、ただの金属の塊を欲しがるようになる。
ようするに、金貨は金でできているから価値があるのではない。政府の発行した政府債務を表すトークンだから(同時に政府発行のトークンでの納税を義務付けたから)価値があるのだ。お金は納税義務の解消という強力かつ定量的な価値を持つようになるため、人はお金を集めるようになり、商品がお金を共通の基準として価値を測ることができるようになるのである。
貴金属、特に金が選ばれた理由は錆びない、腐ったり劣化したりしない、鋳造する技術が必要で埋蔵量が少ないから偽造がしにくい、材料さえあれば均質なものを量産できる、宝飾品以外の実用的な使い道がなかった、などが考えられる。
さらに、政府は支出を先に行い、市場に鋳貨を残すため支出より少ない額を後から徴税しているということになる。十分な量のトークンさえ作っておけば本来徴税に無関係に支出できるのだ。
これは現代でもそのままコイン、硬貨として流通している。硬貨の発行が銀行ではなく造幣局でおこなわれ、硬貨の発行が会計上政府の利益となるのもこのシステムの名残である。
銀行の発行する貨幣
金貨が流通するようになると大商人が大量の金貨を保有するようになる。金細工職人(金匠)は堅牢な金庫を持っていたので、商人が金貨を盗まれないよう彼らに預け、代わりに預り証を受け取る、ということをするようになった。預り証を持ち込めば額面通りの金貨を受け取ることができ、必要に応じて金貨の引き出しと預かりをすることができる。そうやって大量の金貨を持っている金匠は他の商人に金貨を又貸しするようになり、金融の中心になった。
あるとき、金匠は不思議な光景を目にするようになる。商人たちが預り証を金貨代わりにして商売していたのだ。そこで金匠は「金貨を貸し出さなくても預り証を貸し出せばいいんじゃね?」と思いついた。金貨は重く保管がめんどくさいので頻繁には引き出されず、一気に引き出されて金貨が枯渇することもめったに無かった。金匠は保管量をはるかに上回る額の預り証を発行しても破産することは無かったし商人も気にすることなく商売を続けていた。政府も金貨ではなく預り証での納税を認めるようになった。いつしか金匠は金貨を一枚も保有することなく金貨の預り証を発行するようになったが、発行しすぎで経済が破綻することは無かったという。
以上が銀行の成り立ちに関する昔話である。この話の預り証は現在、銀行券や現金、お金などと呼ばれている。
この話からわかるように、お金は人や企業が銀行から借りるときに生まれている。そして、意外なことであるが、原理上銀行の保有する資産と無関係にお金を作ることができるのだ。これを信用創造という。
銀行は対象の銀行口座の預金残高の数字を書き足すことで融資する。預金は現金引き出しや決済代行に対応するという性質上、銀行の負債となる。対象は預金残高を減らし、減った分と同額の紙幣を引き出すことができる。紙幣は銀行が発行する負債の証明書である。手形や小切手の発行には別に同額の資金を用意する必要は無い。
つまり、預金は決算や現金発行を約束する「手形」の一種であり、紙幣は中央銀行の発行する「借用証書」の一種なのである。
現代の不換紙幣は特殊な形態をした借用証書であり、現金の10倍近くの量が貨幣として流通しているという銀行預金はまさに銀行の負債を記録した数字そのものである(数字を書くだけでお金が創造されるので万年筆マネーと呼ばれる)。1万円札は1万円の価値がある立派な紙なのではなく政府に対する1万円分の債権を表すトークンであり、電子マネーは債務のやり取りを記録したデータだから単なるデータなのに額面通りの価値を持つのである。
無から通貨を創造して市中に回し、財やサービスを成す経済活動の後通貨を回収するという点で、政府と銀行の発行するお金はよく似たサイクルを持つことがわかる。中央銀行は民間銀行と政府の発行する通貨の橋渡しをする役目を担っている。
商品貨幣論の問題点
なんとなく直感に合う発想なので正しそうに見えるが、実際の経済では有史以前から現代まで一貫して商品貨幣論に従って動いたことは一度もない。しかしお金の仕組みを想像しやすいため、商品貨幣論に基づいた誤った認識や政策、主張が広まることが多い。以下は一例である。
お金の価値の源泉を勘違いしてしまう
「貨幣は市場にいる誰もが欲しがるから貨幣として流通している」というのが商品貨幣論の説明だが、一種の循環論法になっている。「欲しい人がいるから自分も欲しいし他人も欲しがる」という説明ではなぜ「誰もが一律に欲しがる」のかの説明になっていない。兌換紙幣の時代は紙幣を欲しがるのは金貨と交換できるから、という説明ができたが現在では銀行などで金貨と交換することはできない。そもそもなぜ金貨を欲しがるのかを説明できていない。金に価値があると言っても、現代なら工業的価値があるが、大昔は錆びない以外に実務上の利用価値のほとんどない、柔らかく重いキレイなだけの金属の価値が基軸となる理由が不明瞭である。政府の信用力が通貨の価値の保証になっているという説明もある。しかし「信用って何よ?円よりドルのほうがいいね」と言ってある日から急に円が使われなくなることが起こりそうな脆弱な保証である。
信用貨幣の価値が上記の循環論法以外に何に裏付けされているか説明ができないと、
- お金の価値が何に基づいているかよくわからない→価値があるから価値があるという幻想がぶち壊れるような条件がよくわからない→ある日突然お金を欲しがる人が少なくなる→ほしい人が少なくなるのでお金の価値暴落→ハイパ〜インフレ〜ション
- 政府が市場に介入すると市場は我儘なので要求が際限なく増える→なんらかの操作が原因でインフレが始まる→インフレで貨幣の価値が下がると貨幣を欲しがる人が少なくなりさらに貨幣価値が下がる→際限なく価値が下がり止めることができない→ハイパ〜インフレ〜ション
などの誤った推論に至ってしまう。現在主流の経済学がデフレを容認しインフレを極端に恐れる理由はここにある。商品貨幣論に基づく誤った認識が捨てきれていないのだ。
ちなみにハイパーインフレーションは極端な供給不足(または需要過多)によって引き起こされる。つまり、戦争でコテンパンに負ける、国土全体に及ぶ大災害に見舞われる、石油のような生命線となる商品の輸入規制を受ける、致命的な経済制裁をうける(これらはコストプッシュ型インフレという)、油田も巨大鉱山もないのに無税化してしまう、など、政府機能の壊滅や主要な生産設備ほぼ全てが損壊もしくはマヒする異常事態にならないと起こらない(同時にそのような状況で政府が生産コスト上昇の製品価格転嫁を禁止すると激烈に加速する)ものなので「なんかお金要らないかもなぁ」と皆が思った程度ではハイパーインフレにはならない。逆にハイパーインフレでお金が無価値になる→だれもお金を欲しがらなくなる、ということは起こる。しかし、山積みの札束を見て途方に暮れる人の写真があるように、そのような状況でも通貨として一応は流通するのでなんか要らない気分になったから流通しなくなる、というものでもない(ドル化といって安定な外国の通貨を導入して自国通貨を廃止してしまうことは稀によくある)。
日本はww2で激甚な被害を被ったがそれでも45-47年のインフレ率は最大年500%ほどであり、ハイパーインフレーションの定義である年13000%には遠く及ばない。それも数年で2桁に収束した。ふつうの国家ならそれだけ起こりにくい現象なのだ。何もなかったのにハイパーインフレを起こしたジンバブエは逆にすごい。
お金の成り立ちの項にもあるが、実際の貨幣の価値は政府の徴税権に裏打ちされている。税が重ければお金の価値が上がり(デフレ)税が軽ければお金の価値が下がる(インフレ)。なので徴税を放棄したり徴税権が機能しないくらい破綻した政府の発行した貨幣は納税に使えないので誰も欲しがらなくなり、お金の価値がどんどん下がってガンガンインフレしていくことになる。また、日本政府は日本円でしか納税を認めていないので、日本国内で納税に使えない米ドルが主な通貨として流通することはないし同じ理由でアメリカで日本円が流通することもない(取引自体はある)。便利だったとしても政府が認めない限りビットコインが基軸通貨になることもない。
お金の総量は有限という誤解
金の埋蔵量は有限かつ一定、だから金貨の発行数も有限かつ上限がある、したがって市場に回る貨幣の総量も有限かつ一定(将来的に増えることはない)、つまり固定された枠(お金のプール)を一定量のお金が移動するという推論に基づく誤った認識。この誤認に基づく考えには、
- 裕福層から非裕福層へお金がしたたり落ちるように回るという「トリクルダウン」
- 政府予算は家計と同じ構造をしている、収入(税収)を上回る予算を執行できない、という誤認
- 貨幣の総量を増やせばいいんでしょ?なら金融政策でベースマネーを増やせば市場がお金を借り易くなりインフレを喚起できるよね、という誤認
- 国の借金は少ない方がよく政府の黒字経営は健全である、という誤認を招く「プライマリーバランス黒字化目標」
- ○○の予算には○○税を増税して充てる、のような税収は財源であるという誤認
- ○○の予算を増やすために○○の予算を減らす、といった判断基準を上記の黒字化目標に合わせてしまい必要なことが十分できない
- 国民一人あたり○○万円の借金があるので借金を減らさなければならないという「国の借金問題」
- 「国の借金」が膨れ将来的に財政破綻するという「財政破綻論」
などがある。
いずれも現実には起こっていない、実態にそぐわない、問題にする意味が無い、誰の誰に対する債務か明らかにしないから起こる疑似的な問題、問題だと心配し過ぎて必要なことが十分できなくなる、といった問題が起こる。ケルトン教授は「お金のプール論」と総称してこれらの俗説を批判している。
銀行は市場から資金を集め、それを原資として貸し出しをしているという誤解
かつては大商人などが商品を売り上げて得た大量の金貨を金庫に蓄え、それを元手に金の貸し出しをしていたこともある。サラ金などの金貸し屋は同じようにある程度の資金を元手に貸し出しをしているが、イングランド銀行が強調しているように、銀行は事実上原資を必要とせず無からお金を生み出し貸し出している。というか銀行がお金を貸し出すことで通貨が「元手と無関係に」無から新しく創造されている。
原資を必要とするならば「あなたの預金をOO社に又貸しするから回収するまでお金を使わないでね」と銀行からお達しが来る可能性がある。同じように、原資を必要とするならば「お金が十分集まるまで融資できませんわ、1ヶ月くらい待ってね」といわれる可能性があるはずである。しかし、そんな理由で融資を断られたという人はいないであろう。
銀行が資金を調達しようとするのは貸し出し原資を集めるためではない。企業がA銀行の預金をB銀行の口座に移したとき、B銀行は企業に融資していないにもかかわらず負債を抱えることになる。銀行間での負債の清算のためにある程度の資金(日銀当座預金、ベースマネーと呼ばれるもの)が必要となるため、銀行は円滑な業務のために資金を集めようとするのだ。それが又貸しのための資金集めに見えるのである。
しかし、銀行が市中からお金を預かり、それを原資として又貸しする、又貸しの連鎖でお金が回る、という過程を信用創造であると勘違いする人も少なくない。wikipediaの説明もそのようになっている。
政府の借金が増えると市場の貨幣流通量が減るという誤解
「政府が借金するとき、市場からお金を吸い上げるので市場の総貨幣量が減り市民が困窮する」というもの。銀行の項の勘違いと同じような原因で起こる勘違い。銀行は別に紙幣を集めて又貸ししているわけではないので借金を増やしても通貨の総量が減ることは無い。
繰り返しになるが、信用創造の構造から、市場に回る貨幣は政府が借金し、市場に向けて使用することで供給される。政府が国債発行などを通して借金し商品やサービスを発注することで市場にお金が回り、市場のお金を税として徴収して政府が借金を返済することでお金が消える。したがって、市場に残るお金を確保するために政府はある程度の赤字を常に計上し続けなければならない。借金はいずれ返す必要があるように感じるが、政府が維持され続ける限り、自国通貨建ての債務を返済をする必要はない。むしろ政府が借金を完済したとき、市場から貨幣が枯渇し市場経済は崩壊する。ならばといって無税国家にすると貨幣に納税に使えるという価値がなくなるので普通の国家ではハイパーインフレが起こり紙幣は紙切れとなる。
また、税は(少なくとも現代では)予算のための財源ではなく目的の経済活動を抑制する方向でコントロールするものなので、社会の実情に合わせ適切に税率を増減する必要がある。「○○税は○○に対する罰金」と表現されることがあるが、実際に罰金としての抑制効果を期待するものなのである。
「借金しすぎて財政破綻した国」は全て外貨建てまたはユーロなどの共通通貨建ての債務を増やし過ぎたために起こっている。自国通貨建ての債務を増やし過ぎたことが原因で破綻した国は存在しないし、これからも現れることはない。
商品貨幣論の信奉者たち
古くはアリストテレスが商品貨幣論を提唱した。
17世紀になって、イギリスのジョン・ロックが商品貨幣論を提唱した。「貨幣の価値は金属の価値によって決まる」「貴金属の量だけしか貨幣を発行できない」と論じた。ジョン・ロックの時代は重金主義(重商主義)の全盛期で、「国家の国力は、所有する金属の量によって決まる」と多くの人に論じられていたが、ジョン・ロックもそのうちの一人であった。また、ジョン・ロックは銀貨を改鋳して銀貨の質を高め通貨量を大幅に減らす政策を提唱して、大規模なデフレ不況を引き起こしている。
18世紀イギリスにはアダム・スミスが登場し、『国富論』で「原始社会は物々交換があり、そこから基軸となるべき商品が貨幣となっていった」と論じた。アダム・スミスの商品貨幣論は現在の経済学者たちによって引き継がれていくことになる。
日本の商品貨幣論(金属主義)の信奉者というと、新井白石である。当時、勘定奉行の荻原重秀が貨幣の改鋳を行い、金貨の質を落として通貨量を増やしてインフレに導いていた。新井白石はこれに猛反発し、「金貨の質を落とすのは、国家の威信を落とす」と発言し、荻原重秀を追放して貨幣の再改鋳をして、金貨の質を高めて通貨量を減らしている。新井白石の時代は庶民がデフレ不況に苦しんだ。
ジョン・ロックも新井白石も「貨幣の質を高めるべき」と言い、通貨価値を高めるため通貨量を減らして、デフレ不況を引き起こしている。
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