日曜日, 9月 08, 2019

レイ:ラーナーとミンスキーを比較する


レイ:ラーナーとミンスキーを比較する

https://youtube.com/watch?v=FLi2wdSA66A&t=2895s


41:~
部分



 Minsky 1992. “Reconstituting the United States’ Financial Structure:  Some  Fundamental Issues.” Levy Institute Working Paper No. 69. Annandale-on-Hudson, NY: Levy Economics Institute of Bard College. 

望月慎(望月夜) (@motidukinoyoru)
機能的財政論 ミンスキーとラーナーの変化の比較検討 Part 2 blog.goo.ne.jp/wankonyankoric…

これも物凄く重要!
スタグフレーションの体験による、盟友であったはずのラーナーとミンスキーの乖離、というより、ラーナーの迷走とミンスキーの慧眼を見て取ることができる。



望月慎(望月夜) (@motidukinoyoru)
私なりにこれを大雑把にまとめると、ミンスキーはポストケインジアン的な経済の(しかもミクロ経済学的な)理解に基づいて、素朴な機能的財政論による単純なケインジアン的財政ファインチューニングを棄却しており、その必然的帰結としてJGPが"導出"される。
twitter.com/motidukinoyoru…



ラーナーとミンスキーを比較する Part 1




19/09/01 12:06
Functional Finance:
A Comparison of the Evolution of the Positions of Hyman Minsky and Abba Lerner
機能的財政論:
ハイマン・ミンスキーとアバ・ラーナーのスタンスの変化を比較する
http://www.levyinstitute.org/pubs/wp_900.pdf 2018/1 40p ]
20~1
THE VIDEO: DID MINSKY REPUDIATE  HIS EARLY POSITIONS ON DEFICITS? As mentioned earlier, a video of a talk by Minsky  in 1991 recently surfaced  that appears to show he had reversed his earlier support for the functional finance position, and seems to adopt a deficit dove—or even hawk—position. There are two particular points in the video that bear scrutiny.  
The first comes at approximately the 45-minute mark, where he is discussing New Deal programs that created productive capacity and contrasting those to the (then-current) situation in which most government spending was on transfer  payments, military, and  interest on debt— items  that are largely not resource creating. With spending in excess of tax revenues, chronic government deficits had increased government debt (even as private sector debt had grown on trend).  
This had generated a problem, according to Minsky: American debt (public and private) was higher than ever before, so we needed the government’s steering wheel to ensure that aggregate demand and income  remain high enough to service it. Until 1980, the government’s debt was declining as a percent of GDP; however, Reagan’s  deficit of 5 percent of GDP, as well as the creation of a bias toward continuing deficit  spending even with recovery, has caused a deterioration of the  quality  of government debt in international markets. While this would seem to indicate rising risk of default by government, Minsky says there  is no question of affording the required payments to service the debt. 
The second relevant part of the talk comes  at approximately the 65-minute mark where he discusses taxes. While government can always make payments on the debt, he worries that we lack the will to raise taxes to  validate  it. He asserts that government must validate its debt  with taxes, and goes on to repeat the common joke that:  “Taxes are the price you pay for civilization.” But he frets that we were not in the position  we were in in the 1960s—now  we had competitors: the yen and the mark. Further, we increased  the proportion of national income  coming from interest, but in large part  assets were held abroad, by higher-income  people, and by the finance, insurance, and real estate (FIRE) sector. In  other words, interest payments were going to sinkholes of leakages, where they would not fuel demand for (or supply of) domestic output. He warns that the US was in danger of becoming Argentina: spending  without taxes, which means printing money, which could lead to inflation. The alternative to taxation is the inflation tax. 

THE VIDEO: DID MINSKY REPUDIATE HIS EARLY POSITIONS ON DEFICITS?
ビデオ:ミンズキーは財政赤字に対する初期の立場を変更したのか?



先に述べたとおり、今では1991年のミンスキーの講演ビデオを見ていると、彼が
初期の機能的財政を支持する立場を変更したことを示しているように、さらには
財政ハト派的――あるいはタカ派的――立場をとったかのように思われてしまう。
このビデオには特に注意を要する点が二つある。

第一は、45分ごろに出てくるニューディールを論じている箇所で、ニューディールでは
新しい生産力が創造されたのに対し、当時(そして現在も)、ほとんどの政府支出が移転所得、軍事費、債務への
利払い――大部分、資源創出的ではない項目――となっている状況を論じている。支出が税収を上回り、
慢性的に政府赤字によって政府債務は増加してきた(民間部門の債務も増加傾向であった)。

ミンスキーによるなら、これは問題を引き起こす。アメリカの債務(公共部門・民間部門)は
かつてないほど大きく、それ故、必要なことは、政府というステアリング・ホイールを使って
集計的需要と所得を十分な高さに維持し、確実に債務を償還できるよう保つことである。1980年代まで、
政府債務は対GDP比では低下していたが、レーガンのGDP比で5%の赤字および、
成長下においても赤字支出が続くバイアスが生まれたことも相まって、国際的な市場での
政府債務の質の劣化が引き起こされた。これにより政府債のデフォルトリスクが高まったことが
示されているように見えるかもしれないが、ミンスキーは債務を償還するのに必要な支出を
行う能力について疑問はない、と述べている。

関連する第二の部分が現れるのは65分ごろの、租税について論じている箇所である。政府は
いつでも債務の支払いを行うことができるが、それを妥当にするvalidateため租税の引上げを行う意思を
欠いていることを懸念している。彼は、債務を税金によって妥当にしなければならない、と主張し、
続けてよくある冗談を繰り返す。「税金はあなたが文明に支払う代金だ」。しかし彼は、
1960年代には我々は以前と同じ立場ではないことにいらだっていたのである――今では我々には
競争相手がいる。円とマルクだ。さらに、我々は国民所得のうち金利に由来する部分の比率を高めているが、
資産の大きな部分は海外の、高所得層、金融、保険、不動産(FIRE)部門に保有されている。言い換えると、
金利支払いはそのまま排出口へと向かってしまい、国内生産の需要(あるいは供給)に
火をつけることにはならないだろう。

彼は、米国はアルゼンチンになる危険性があると警告している。租税なしに支出すること、つまり
札を刷ることはインフレーションにつながりうる。課税の代替はインフレ税である。

google.tr:
ビデオ:ミンスキーは赤字の初期位置に赤字を補充しましたか?先に述べたように、1991年にミンスキーが行った講演のビデオは最近表面化したが、それは彼が以前の機能的財政ポジションへの支持を覆し、赤字の鳩、さらにはタカのポジションを採用しているようだ。ビデオには、精査を要する2つの特定のポイントがあります。

1つ目は、約45分の時点で、生産能力を創出するニューディールプログラムについて議論し、ほとんどの政府支出が振替支払い、軍隊、借金に対する利子であった(当時の)状況と対照的です。ほとんどがリソース作成ではないアイテム。税収を超える支出により、慢性的な政府赤字は政府債務を増加させた(民間部門の債務が増加傾向にあったとしても)。

ミンスキーによると、これにより問題が発生しました。アメリカの債務(公的および私的)はかつてないほど高かったため、総需要と収入が十分に高い状態を維持するために政府のハンドルが必要でした。 1980年まで、政府の債務はGDPのパーセントとして減少していました。ただし、レーガンのGDPの5%の赤字と、回復しても赤字支出の継続へのバイアスが生じたことにより、国際市場の政府債務の質が低下しました。これは政府による債務不履行のリスクが高まっていることを示しているように思えますが、ミンスキーは債務返済のために必要な支払いをすることに問題はないと述べています。

講演の2番目の関連する部分は、約65分のマークであり、そこで彼は税金について議論します。政府はいつでも債務の支払いを行うことができますが、彼はそれを検証するために増税する意志に欠けることを心配しています。彼は政府が税金で借金を検証しなければならないと主張し、「税金は文明に支払う代価です」という一般的なジョークを繰り返します。円とマークという競争相手がいました。さらに、利子からの国民所得の割合を増やしましたが、大部分の資産は海外、高所得者、および金融、保険、不動産(FIRE)セクターによって保有されていました。言い換えれば、利子の支払いは、国内生産の需要(または供給)に燃料を供給しない漏出の陥没穴に向かっていた。彼は、米国がアルゼンチンになる危険にさらされていると警告している。税金なしで支出することは、お金を印刷することを意味し、インフレにつながる可能性がある。課税に代わるものはインフレ税です。]



これから数回のエントリーで、去年、レイが公表したミンスキーとラーナーの比較についてのWPを
粗訳したものを載せる。あくまでも個人的に学習したものを似た志を持つ方の学習の便に
共有しようという目的なので、その範囲での利用にとどめていただきたい。

 このWPが書かれたきっかけは、どうやら直接にはミッチェルのミンスキー評価に関わるものらしい。
つまり、ミッチェルがミンスキーの、特にレーガン期以降の論文についてMMTの先行者として
積極的に評価していないことに対してレイが反論した形になっている。

これはMMTが決して一枚岩ではないことを示すものだという点で興味深い。ただし、
レイとミッチェルの間の意見の相違は、ミンスキーの評価をめぐるものである。
両者の一致したMMTの考え方を前提として、ミンスキーを、その枠組みについての先行者として
評価できるか否か、ということであり、MMTの内容についての理解という点では両者に(ここで扱われている
内容については)差はない。

これは、まあ、MMTマニアの人にとっては、いろんな関心の対象になるかもしれないけれど、
そうでない人にとってはどうでもいいことである。おいらが今回訳出する目的も、
そんな好事家趣味を満たしたかったわけではない。そんなことより、このワーキングペーパーが
現在日本でおかしな形で受け入れられつつあるMMT理解について、批判的な入門になり得ると
判断したのである。
不幸なことに――と、言っていいと思うが――MMTは現在、日本ではややおかしな形で
導入されてしまった。簡単に言えば、MMTは大規模財政支出を中核とする景気刺激策を提唱する理論だ、
という風に勘違いされてしまっているようなのである。先日来日したケルトン氏の講演も、
財政赤字を恐れることはなく、大規模な財政支出をするべきである、というメッセージが、
なぜか財政政策により景気刺激を行い、インフレになったら引き締めをする、という
裁量的景気政策の勧めへと変換されてしまった。これはMMT推進派も否定派も同じようなものであった。
だがこれだと、何のため、クルグマン氏とMMT(レイ、ケルトン、ガルブレイス)が論争したのか、
さっぱりわからなくなってしまう。

今回訳出するWPは、戦後の成長期の後、インフレーション、そしてスダグフレーションと
呼ばれる現象が生じた時、ラーナーとミンスキーがそれぞれどのように議論を修正したのかが素描される。
両者とも、「ファンクショナル・ファイナンス」の立場そのものは変えていない。しかし
スダグフレーションの発生は、この議論には何か深刻な矛盾ないし不備があったことを
伺わせるものであった。政府の政策により、資本制経済をほどほどうまく管理してゆくことが
可能である、といった楽観的な資本制経済観は、ラーナーにあってはミクロ経済を重視する
ファンクショナル・ファイナンスの「マネタリスト・バージョン」へと移行するところまで後退する。
ミンスキーは、修正「ファンクショナル・ファイナンス」の立場を崩さなかったにもかかわらず、
つまり、合衆国が財政破綻することはあり得ない、との主張を習性崩さなかったにもかかわらず、
最終的には、不況期にさえ、均衡財政を守らなければならない(スダグフレーションを回避するため)、
とする立場にまで追い込まれた。

ミンスキーも同様に、楽観を放棄することになりそしてミクロ的要因を重視することになるが、
その展開はラーナーより曖昧で分かりにくいものであった。それはミンスキーの資本制経済そのものに対する
見方に由来する。安定それ自体を不安定化の最大要因とみなすミンスキーの立場からは、
むしろ財政支出が「的を絞った」ものになることを通じて資本制経済の変動を縮小しようということに
なる。そのために提唱されたのが、「最後の雇用者」政策、金融規制・監督強化、投資の社会科といった、
現在MMTが主張しているものに近いものであった。ミンスキーにとっては、
資本制経済の制度に由来する矛盾を、制度をいじることなしに、財政政策や金融政策だけで
糊塗しようとすることは、それ自体が無意味であった。

今日では、インフレーションは、少なくとも「先進国」といわれる地域では収束して
かなりの年月が経っている。MMTはこれを、中央銀行の功績に帰すことなどせず、
単純に、経済社会環境の変化の結果としてとらえている(だから、中央銀行の努力でインフレを
起こそうとしても、無理である)が、恐らく今日であれば、両者ともファンクショナル・ファイナンスの
考え方を再び変更したであろう。

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Functional Finance:
A Comparison of the Evolution of the Positions of Hyman Minsky and Abba Lerner
機能的財政論:
ハイマン・ミンスキーとアバ・ラーナーのスタンスの変化を比較する


*本稿の執筆に当たりエリック・ティモワーニュEric Tymoigne、およびイタリアの
ピアチェンツァで 2017年6月に開催されたSTOREPカンファレンスの参加者に感謝の意を表す。


要旨

本稿では、ハイマン・ミンスキーとアバ・ラーナーの、財政政策に対する機能的財政アプローチを
比較する。本稿では機能的金融の主要原則は終戦直後の時期にはそれなりに
広く受け入れられていたことを論じる。しかしながら、フィリップスカーブの登場、
数量説への回帰、政府予算制約の認識の広まり、そして1960年代終盤のインフレの加速に伴い、
機能的財政は好まれなくなった。本稿ではミンスキーとラーナーの戦後期の立場の進化を比較対照し、
ラーナーの変化はミンスキーよりさらに先へ進み、財政政策より貨幣政策の利用を強調するタイプの
マネタリズムを受け入れるに至ったことを論じる。機能的財政に対するミンスキーの立場はもっと微妙で、
経済に対するいつもの制度的アプローチの線に沿ったものであった。しかし、
ミンスキーは彼の初期の考え方、つまり、経済を安定化させるためには政府の反循環的な予算が
重要な役割を果たさなければならない、という考え方を翻したことはなかった。というわけで、
ミンスキーは現代貨幣理論(MMT)の「先祖」の一人として数え上げられるべきではない、とする
主張に反して、本稿では、ラーナーよりミンスキーの業績こそ、MMTのさらなる発展の
基礎であり続けたものだ、と主張する。



イントロダクション


近年、現代貨幣理論(MMT)と呼ばれるマクロ経済学へのアプローチが展開されている。
筆者の見解では、これはいくつかの異端派経済学思想――その多くはポストケインズ派――の流れを
撚り集めたものである。大きくはゲオルグ・フレデリック・クナップ、アルフレッド・ミッチェル・イネス、
ジョン・メイナード・ケインズ、アバ・ラーナー、ハイマン・ミンスキー、ウィン・ゴドリーらの
業績を国家貨幣論、内生的貨幣論、機能的財政論、金融不安定性仮説、部門バランスアプローチに
統合したものだ。筆者はこれを、ミンスキー(1977)が自身の方針を一つのジンテーゼとして特徴づけた時と同じように
特徴づけたい。つまり「巨人たちの方の上に立つ」というわけだ。

本稿において、筆者はジンテーゼの命題について詳述するつもりはない。主要な結論だけは
繰り返しておくほうがいいだろう。自分自身で通貨を発行している通貨主権政府は
「貨幣不足」に陥ることはできない――自分自身の意図に反してデフォルトに追い込まれることはあり得ないし、
期限が到来した支払いはすべて常に支払うことができる。というわけで、
そうした政府はラーナーが「機能的財政論」と呼んだアプローチを採用して予算編成することができる。
ラーナーが意味していたのは、為政者は、予算上の影響より政策上の「機能的」結果に焦点を合わせるべきだ、
ということである。筆者の記憶する限り、 ラーナーの機能的財政論をMMTに持ち込んだのは
マッシュ―・フォーステーターだった。 [1] 偶然ではあるが、ラーナーは、
そのアプローチを開発していた1940年代に、ミズーリー・カンサスシティー大学(UMKC)に
所属していた。 [2] ラーナーの業績は機能的財政論の二つの原理を含んでいる。第一に、
ステアリング・ホイールとして経済を導く政府というメタファー、そして、
クナップの「国家貨幣」論のラーナー版で、これをラーナー(1941)は「国家の創造物としての貨幣」と呼んだ。

筆者たちが、のちにMMTと呼ばれるようになるものを作り出し始めていたころ、
ラーナーの業績は、われわれ異端派の間ですら驚きであり、論争の的となった。但し、のちに論じるが、
こうした知見は終戦直後の時期には珍しかったわけではない。ニューヨーク連銀の理事長であった
ベアスリー・ラウム(1946)は、彼が「収入のための租税は時代遅れである」と論じたとき、
ラーナーと同じ立場にいた。そしてミルトン・フリードマン(1948)でさえ、「経済安定のための金融と
財政の枠組み」においては、ラーナーと全く同じ結論を提起している――そこで彼が論じているのは、
あらゆる政府支出は貨幣を発行することによって資金調達されるべきであり、租税とは
貨幣を流通から取り除くことだ、というものであった。[3]

ところが戦後の二つの発展が国民政府予算についてのディスクールと思想を変えてしまったように
思える。第1は、消費者の予算制約の発想を政府に拡大することだった。家計同様、政府の支出も
財政的手段によって制約される、と言われている。家計の場合、支出は所得と信用へのアクセスに
依存している。だが、政府の支出は、租税収入、「借入」(国債販売)、そして金を刷ることに依存している、
と言われている。このうち最後の資金調達源は当然家計には利用不可能で、だから
政府にとっても何か回避すべきものであるかに思われるようになった。主な問題は、未制約の
貨幣印刷によってインフレーションが引き起こされるであろう、ということである。驚くことに、
フリードマンはこの恐怖をあおるのに大きな役割を果たした。1948年の論文における政策提言にもかかわらず、
である。しかし1960年代には、フリードマンは貨幣とインフレーションの間の数量説的関係を
復活させた――今や「貨幣発行により資金調達された」政府支出およびその本質的なインフレバイアスに反対に
転じる体制が整ったわけだ。

第2の展開は、1960年代半ば以降の現実世界の経済におけるインフレ圧力の上昇であるが、これは
一見すると総需要を高く維持するための "ケインズ"政策の採用と同時であるように思われた。もちろん、
それは経済理論と政策立案の展開にとって多くの含意を持っていた。1940年代にラーナー、 ラウム、
およびフリードマン によって書かれた重要な論文へと導いた洞察を放棄する必要はないものの、
事実上、完全雇用を追求する手段として財政政策を利用することは信用を失ったように思われた。

以下で見ていくように、ラーナーは1940年代には「ケインズ的」総需要管理を使用して、
完全雇用と低インフレを同時に追求することができると考えてた。これは既に1960年代初めには
問題を呼び起こした。というのもフィリップス曲線のトレードオフの理論が受け入れられたからである。
フリードマンが1968年にうまい具合に説明したとおり、事態は単純なトレードオフを超えて
さらに悪くなる。というのは失業率を引き下げようとすると、インフレーションが加速するからである。
1960年代後半ごろには、ラーナーもまたインフレに懸念を持つようになり、彼自身の
機能的財務理論について再考を始めた 。 以下では、ある種のマネタリズムに沿う形で、彼が
機能的財政論を放棄したことを検討する――政府の支払い能力について懸念したからではなく、
財政政策に依存することによってスダグフレーションが生じるかもしれない、という理由であった。

というわけで、政府予算制約理論の発展と、現実世界におけるインフレーションの発生によって
機能的財政論は完全に放逐され、異端派の間でさえ完全に見失われることとなった。
1990年代後半に入ってMMTが展開するにいたり(Wray 1998)、ようやっと復活した。

以下では、この問題に対する1960年から1990年代半ばまでのミンスキーの立場を検討する。彼もまた、
当初は主権政府は購入問題に直面していないという議論を明白に採用していたのに、
レーガノミクスによって合衆国連邦政府の予算は危険な状態にまで赤字が膨れ上がったとする見解へと、
立場を変えたように見えるからである。1980年代半ばから1996年の死に至るまで、ミンスキーは、
財政政策を引き締めて、政府債務が「適正化される validated」ようにするべきだ、と
警告していた。ミンスキーはしばしば「適正validate」という言葉を用いたが、これは
一経済主体が債務を償還する(金利と元本を支払う)ために外部資金を獲得する必要性という意味で
語られていたので、ラーナーの機能的財政の原則に反しているように見える。彼は、政府は税収を
もっと増やし、あるいは債務を償還するためもっと資金を借り入れることが必要だ、ということを
主張していたのだろうか。仮にそうだとすると、それは、主権通貨の発行者は自分自身の
資金切れになることはあり得ない、とする彼の(そしてラーナーの)初期の考え方を否定するものと見えるだろう。

2016年11月、 ミンスキーが1991年10月30日にウェストミンスター大学でおこなった講演のビデオ [4] が
利用可能になった。バード・カレッジのレヴィ―経済研究所はミンスキーによるプレゼンテーションの
音声記録をいくつか持っているが、講義のビデオはこれだけしかないことがはっきりしている。
状態はあまり芳しいものではないものの、彼のスタイルの雰囲気はある程度伝わる。実際、いつものことだが、
彼のプレゼンテーションを追うのは少々大変だ。というのは、センテンスの終わりに近づくと
声が低くなり口ごもることがよくあるからだ。こうした時、彼の意識はすでに先のポイントに
先走ってしまっているのである。 彼は通常、講義内容のメモを作成していなかった(彼は、
多くの場合、大学の講義に際してウォールストリートジャーナルのコピー以上のものを
持ち込まなかった )。しかし時には自分の論文から短いセクションを――いつもの講義の合間に
while riffing the rest[※ジャズがお好きな人ならなんて言葉を入れるか?]――読みあげることも
あった。そしてこれがビデオに残されれた1991年の秋の夕刻に彼が行っていたことである。1991年から
93年にかけて、ミンスキーは新しい本の原稿を準備していた。1990年にレヴィ経済研究所に着任にした後、
彼は1986年の本『不安定な経済を安定化する』の大幅改訂に着手したが、ギアを入れ替え、代わりに
より最近書かれたレヴィ―研究所のワーキングペーパーに手を加えて、それを各章とする
全く新しい著作を作ろうとしていた。筆者の考えでは、この講義はこうしたペーパーの一つまたは
複数のものをベースにしている。 [5] ミンスキーの講義を見た後、人によっては、ミンスキーの意見は
MMTと整合しておらず、ミンスキーはMMTの先行者ではないとまで主張することもある。 [6]

筆者としては、そうした主張は以下の(疑う余地がないように思われる)理由により
正しくはありえないと考える。UMKCはMMTを創造し普及するにあたって大きな役割を果たした。
ミンスキーのUMKC全体に対する影響力は大きなもので、実際決定的であった。筆者はミンスキーの下での
研究に進む前から、ケインズを読んではいた(そして大きく影響された)が、実際にはおそらく、
もし彼の下で研究をしていなかったら政治経済学および労働経済学を研究していたことであろう。
そしてミンスキーこそが筆者に、のちにMMTとなる主要な構成要素をもたらしたのである。政府は
自分自身の通貨で破綻することはできない、租税は政府通貨に対する需要を生み出す、
部門間バランスアプローチ、カレツキーの利潤方程式、最後の雇用者提案、変動相場制のメリット、
政府赤字・債務から得られる民間部門の利益、そして ―― そうまさに ―― 金融不安定性仮説。ミンスキーが
こうした素材をMMTがやったのと同じように組み立てなかったことは事実であるが、しかし
ミンスキーと会わなかったら、のちにウォーレン・モズラーやビル・ミッチェルと出会ったときに
筆者がこうした基本的なビルディング・ブロックをすぐ受け入れることができたとは、とても思われない。
ここではその他の、いわゆる「カンサス・シティー・アプローチ」にかかわっている人たちについて
言及することは避けるが、しかしその多くは、公式非公式に、筆者の生徒であった。ミンスキーを否定することは、
MMTの展開におけるUMKCが果たした役割を否定することになる。

さて、ミンスキーはここで機能的財政を放棄し、そして財政ハト派(あるいはタカ派とさえいう人がいるが)
アプローチ[7]を採用したという異論に対して、このビデオの中でミンスキーが確かに
ある不可解なことを言っているという点は認める。実際、レーガノミクス以後に書かれたものの
いくつかについては、筆者も、筆者がミンスキーに関するコースで指導していた学生たちも、筆者が
ミンスキーのコースで指導するたびに困惑していた(最初は1980年代にデンヴァー・ユニバーシティーで、
ついで、UMKC、そしてレヴィ研究所およびバード・カレッジで)もみな困惑した。彼の見解は変化し、
大きな赤字に対してより厳しいラインを引くようになったように見えるのである。こうしたのちの文章と
初期の文章とを調和させることは難しい――この点ははっきりしている。筆者としては、
こうした新しい立場を、ポスト・レーガン時代における議論だ、というコンテキストのもとで
検討したい。筆者としては、時代とともにいくつかの変化はあったものの、根本的な変化はなく、
政府財政に関する彼の初期の観点との間に重大な断絶もなかった、と結論付けたい。ミンスキーは
機能的財政の原則を破ってはいなかった。ただしその解釈は変更されたが、
それはすでに1960年代には行われていたのである。

筆者はミンスキーが機能的財政についてクラスルームの中でも外でも論じたことを思い出せない。
ただ一か所だけ、彼の論文にその言葉が使われているのを見つけた ― 以下で論じる
1960年の論文がそれである。一方で、これは奇妙に思える ― 財政赤字と政府債務に対する
ミンスキーの見方、およびラーナーとの近しい関係(ミンスキーは常にラーナーを最も影響された人物の
一人に挙げていた)[8]を考えると。他方で――これが議論したい点だが、―― ミンスキーは
機能的財政アプローチと、ラーナーの「ステアリング・ホイール」論(ビデオで言及されている)の
双方について、あまりにも機械的すぎると考えていたに違いない。筆者の考えでは、
彼はこれら両者の単純化されたバージョンを拒絶していたのである。それはちょうど、
ケインズに対するアルバン・ハンセンの解釈――現実の制度的側面を無視している――を拒絶したのと
同じである。(ミンスキーはハンセンのティーチング・アシスタントであったが、ミンスキーによれば、
彼は、ハンセンのケインズに対する「機械的」アプローチが嫌でハンセンのコースへ進むことは
選ばなかった―― というわけで、ミンスキーはシュンペーターを選んだ。)1960年代初めから、
ミンスキーは機能的財政のより微妙なバージョンを持っており、それが理由となって(だと思う)、
彼はこの言葉を使わなかった(Papadimitriou and Wray 1988)。

最後に、後で注記するつもりだが、ラーナーもまた初期の単純な機能的財政アプローチを後期の業績では
放棄している ― 筆者の考えでは、大体ミンスキーが10年前に考えたのと同じ理由であろう。ラーナーは
単純なバージョンが制度的な現実を無視していることに気が付くに至った。これは排他的にマクロレベルの
目標だけを追った政策形成であり、彼がミクロあるいは市場分析とみなしたものを無視していたのである。
ミンスキーはシカゴ大学流の制度学派でトレーニングを受けていた ― それだけに機能的財政および
「ステアリング・ホイール」を文字通りに受け止めることの問題点を早い段階で理解していた。


初期のミンスキーの考え方


政府が果たすべき適切な役割について、初期のミンスキーの立場は戦後のケインズ主義の展開に
影響されたものであった。これは需要ギャップと反循環的予算の必要性を強調するものである。さらに、
おそらくより一層重要だったであろうが、「戦争財政」によって、財政のキャパシティーは
租税収入に制約されないことが明確にされた。ラムルRuml(1946)のタイトルにある通りである。
「歳入のための租税は時代遅れである」。彼は続けて、国民政府の予算と、州および地方政府の予算の間の
峻別へ進んだ。

政府がその独立性を保ち支払い能力を維持するために課税することが必要だというのは、
州や地方政府にとっては正しいが、国民政府には当てはまらない。この25年間、世界史上最大の戦争の結果、
二つの変化が起こった。それは必要な通貨を賄うという面に関して、国民国家の地位を全く変えてしまったのである。

こうした変化のうち第一のものは、中央銀行のマネジメントにおいて、新しい膨大な経験が得られたことである。

第二の変化は、国内目的に関して、通貨の金との兌換が廃止されたことである。

現代的な中央銀行の様式で機能する制度の下で、国内貨幣市場からの完全な自由は存在するのであり、
そしてその通貨は金あるいはその他の何らかの商品との兌換があってはならない。

合衆国は中央銀行つまり連邦準備システムを有し、そしてその通貨は、国内目的に関しては、
いかなる商品に対する兌換性もない国民国家である。つまり合衆国の連邦政府はその
財政的必要を満たすことについて貨幣市場から完全に自由なのである。

ミンスキーがラムルの議論に精通していたかどうかはわからないが、この時代、これが一般的知見として
世の中に流布していたことは、ラーナーやフリードマンが同様の政策方針で先行していたことからも
明らかである。フリードマン(1948年)の政策提案は「経済安定のための金融と財政の枠組み」という
記事で表明された。この記事で彼は、政府は完全雇用の時のみ均衡財政を守るべきで、景気後退期には赤字、
景気過熱期には黒字とすることを提案していた。興味深いことに、彼の提案では、あらゆる政府支出は
「貨幣創造で賄われる」ことになっており、他方、租税納付によってマネーサプライは減少するわけだから、
財政赤字はネットで貨幣創造になる。というわけで彼は貨幣政策と財政政策を結びつけることを提案しており、
そのために財政を使って反循環的なやり方で貨幣発行量を管理しようと提案していたのである。 [9]

Lerner(1943年、1947年)版は「機能的財政」および「国家の創造物としての貨幣」アプローチと
呼ばれている――最初のものは予算政策に関するものであり、二つ目はその政策の理論的ベースを
提供するものである。。彼は機能的財政論の二つの原理を定式化した。失業があるときには政府は
支出を増やすべきであり、金利が高すぎるときには政府は貨幣(準備)を供給するべきである。この通り
ラーナーは財政政策と貨幣政策の間の通常の区分を守ったが、予算に関する勧告はフリードマンのものと
類似していた。さらに財政とは(「均衡」を達成するために定式化された)「健全」であるよりは、
(公共目的を達成するため)「機能的」であるべきだ、とする勧告はまさにラムルが押し出した
ポイントであった。ラーナー(1941)はまた、政策に対する「ステアリング・ホイール」アプローチを採用したが、
これがのちに「ケインジアン」ファイン・チューニングアプローチとなったものである。

ミンスキーは初期の研究で、ラーナーの機能的財政アプローチを引用したが、その中で
サミュエルソンの乗数加速度モデルを拡張するため、「巨大銀行」(中央銀行)と「巨大政府」
(財政政策)という制度的天井と床を付け加えて、内生的安定性を強化した。数年後、ミンスキーは
政府支出主導の拡張は、民間部門支出に主導された契機拡張より金融的に強固である、と論じているが、
これは暗黙裡にゴドリーの部門バランスアプローチを予見していたことになる(Minsky、1963)。

面白い原稿(イルマ・アデルマンIrma Adelmanと共著、1960)があり、そこでミンスキーは
経済安定のための予算編成を検討するモデルを展開した。 [10] この論文は、
「以下に示す問題のほとんどが機能的財政原理と関係している」との認識から始まり、まさにラーナーの
『制御の経済学』および『雇用の経済学』からの引用があるわけだが、同時に「本稿を基礎づけている昔ながらの
想定がある。つまり、完全雇用と物価安定は両立する」と認めている。同稿では「国債は独特であり、、、、
債務不履行リスクはない。…[唯一のリスクは]金利と物価水準の変化だ」と主張している。さらに、
国債は、民間部門の純金融資産に追加される。「民間部門の総資産は、経済における実物の価値と
国債の価値に等しい」。同稿の結論では、政策の組み合わせとして最善なのは、低金利、民間債務と
同じ率で国債残高を成長させること、両者の成長率を生産性の成長率と合わせることとされている。注意して
ほしいが、これは、恒常的に政府予算赤字を発生させ、国債残高を生産性の成長に合わせるという意味だ。
これはどう見ても財政ハト派の主張ではない(財政ハト派は景気循環全体を通じて予算を均衡させることを
狙っている)――これは民間部門に対して安全な金融資産を提供する、という意味で、
機能的なのだ。そして民間部門では、経済と民間債務が成長するに合わせてこの安全資産にレバレッジを
架けるであろう。[11]

しかし、1968年に出版された論文では、Minsky(2013)はより微妙な立場をとった。そこで彼は、政府は
タイトな完全雇用を追求すべきである、と論じている。それは3%と見積もられていた。のちに彼は、
以前はこれを総需要の全般的な増加で達成可能だと考えていた(呼び水政策、あるいはステアリング
ホイールアプローチ)が、今は考えを変えた、と述べている。「「間接的」総需要政策に頼っても、
かつて私ができるであろうと主張したことを達成するのは無理だ」(Minsky 2013, 329)。そんな政策をとれば
金融不安定性が増すだろうし、そして民間部門の支出を刺激すれば、そのうちいくつかは
債務を通じて外部から資金調達されることであろうから、クレジットクランチの引き金を
引くことになるだろう。また、高度化した部門で賃金・製品価格が上昇し全般的インフレーションが
発生するほうが、停滞部門で雇用に対する供給が十分に生み出されるより早いであろう。この政策は
平等を改善しはしないし、格差を悪化させることになりかねない(先と同じことで、高度化した部門に
おける所得の方がより改善されることで)。

こうした理由すべてにより、彼は目標を定めた支出、そして特に、失業者に対する直接的雇用創出に
好意的であった。「集計的需要の構造により大きな関心が払われることが、望ましい相対賃金の変化を
引き起こすには必要だということだろう。問題は、「直接的」需要がより平等という目標を達成できるのか、
あるいは、直接的需要があるときとないときと、それぞれの場合において直接管理というシステムが必要なのか」
(Minsky 2013, 329)。[12]「ここで示唆されている真のメリットとは、政府が最後の雇手になる、ということだ」
(Minsky 2013,338)。これは「ボトム・アップ」政策[※実は原文では"bubble up" policy なのだが、
ちょっと変なので書き換えた。。。確認が必要。](「トリクル・ダウン」ではなく)を通じてタイトな
完全雇用を達成し維持できる。これは格差を減らし、タイトな完全雇用を達成し、そして物価と金融双方の安定性を強化する。

確かなことは、彼は機能的財政を放棄したわけではなく、むしろ政府は何に支出するかを問題として
論じていたのである。問題は、一般的需要増加を通じて完全雇用を達成しようとするとその前に政府は
資金切れを起こしてしまうだろう、といったことではなく、むしろそのような政策は望ましくない
結果(インフレーションと格差)を引き起こしてしまうだろう、という点である。彼の主張では、経済への予算の
影響は、支出と課税がどこに向けられているかによって決まる。 例えば、軍事支出や移転支出は生産性が低く、
したがって消費財生産を強化する支出よりもインフレ的である。

同じ論文で、彼は予算のスタンスが通貨 [13] および金融の安定性にとって重要だ、とも論じた。
強い反循環的な変動が予算に組み込まれ、そうすることで多幸症的ブームを封じ込めるのに
十分なだけの大きさを持つ余剰が生産されなければならない。 [14] 彼はこう論じた。

1960年代には、ケインズの政策の勝利が明らかだった。ところがこのケインズ政策の採用の成功それ自体の結果、
経済は必然的に不安定化するであろう。この不安定性は不況あるいは深刻な停滞への性向の結果ではない。
むしろ、爆発への傾向のためだ...。家計および企業の、今年よりも来年のほうがよくなるという期待が
ますます大きくなってゆく。こうした期待をめぐる雰囲気の傾向が、1960年代中葉の民間投資需要の
爆発的増加という結果に行きついたのである。(Minsky 2013、 331) [15]

1960年代全体にわたる問題の一つは、この時期、政府予算は均衡さらには赤字へと傾いていったことである。
「1960年代、『現代的』財政政策の考え方と偶発的な戦争とが結びついた結果、民間投資が
「爆発した」時でも政府の収入は政府支出に比べ増加しなかった。つまり民間投資の爆発を相殺した
貯蓄は民間に由来する物であったことは間違いない。」(Minsky 2013,331)。これは奇妙な説明に
見えるかもしれない(そして、文脈から切り離してみると、貸付基金説に基づいていると解釈されるかも
しれない)が、ミンスキーは分配理論で展開されたポストケインズ派の業績のことを言っているのである。
注入/漏出の言葉で言い直すと、拡張期に政府予算が急激に黒字に転換しなければ、投資によって
民間部門の所得は引き上げれ、貯蓄による漏出が注入を埋め合わせるまで上昇する。これは望ましからざる
分配効果をもつ。

「カルドア型」関係においては利潤からの貯蓄性向の方が家計の可処分所得からの貯蓄性向より
大きいのであるが、その場合、民間部門で貯蓄が生み出されているときには常に、
所得分配は利潤に向かってシフトしている。所得分配にこうした変化起こるパターンの一つは、
インフレーションを通じたものである。貨幣賃金の上昇を上回る物価上昇が生じている場合、
実質賃金が低下する。この古典的なインフレパターンは1966年の間見られたもので、明らかに
物価上昇による強制貯蓄があったのだが、これが1967年の物価上昇継続の要因の一つである。というわけで、
投資ブームの間、「古典的」所得分配(賃金と利潤)が「悪化する」ばかりでなく、
この悪化は政治的に不適切なインフレーションとも結びついているのである。(Minsky 2013、 331)

同時期の他の「ケインズ主義者」と異なり、ミンスキーはフリップスカーブのトレードオフを
1960年の論文のとおり、常に拒絶していた。賃金上昇は緩慢なままで、それゆえ「インフレーションの
メカニズムはフィリップスカーブのそれではない」 (Minsky 2013, 331) と論じていた。むしろそれは
投資によって引き起こされた。というのは所得分配が利潤に向かってシフトするように
スーパーチャージされたからである。これはまた「金融市場に深刻な圧力をかける」ので、
「長期的な完全雇用がこうした投資需要の爆発的増加によって引き起こされることはありうるとしても、
その投資需要は完全雇用を継続するために必要な需要の持続的成長を達成することは不可能になる。
というのは、投資ブームは期待を取り巻く「多幸症的」な雰囲気によるものであり、そして投資ブームが
腰折れすれば、期待を取り巻く雰囲気も必然的に変わるからである」(Minsky 2013, 332)。それはFedが
金融引き締め政策を課すことで生じる。これにより金融市場では混乱と、そして時には「ミニ・パニック」が発生する。

従って、政府の拡張的財政スタンスを「安定化させる」ことは「不安定化」なのである。というのは、
それによって多幸症によって自己強化的な投資・利潤ブームが作り出される条件が生み出されるからである。
ここからインフレーション圧力が発生し、それが所得分配の利潤へのシフトを増幅させ、金融部門の
脆弱性を高めさえするのである。 [16] 救済は金融引き締めとクレジット・クランチという形態で現れる――
それが期待を引き下げる。「ひとたび期待をめぐる雰囲気が変化してしまえば、すべての民間部門は収縮する…。
当然、深刻な不況によって期待の変化がみなに知られるところとなれば、確信が再構築されるまでには
時間が必要になるであろう。」(Minsky 2013,332)。このサイクルを崩すために、彼は、
"潜在的な投資ブーム"を抑制し、代わりに雇用に対する直接的な需要によって完全雇用を追求する必要が
あると主張したのである。

要するに、この1968年の論文は、単に「ケインズ主義的」呼び水政策に対する暗黙の批判の中に
驚くべき先見の明を示しているばかりでなく(確かに、フリードマンによる1968年のアメリカ経済学会会長演説より
適切なものだ。というのは、単純なフィリップスカーブのトレードオフを拒絶している点では、これも
重要ではあるけれど、あり得なさそうな「ばかげた」メカニズムを必要としているのだから)、
「非効率」支出によるインフレーション率の上昇、不安定性、そして経済格差が過熱することを
警告しているのである。

ミンスキーはまた、政府債務に対してもより微妙な立場をとりはじめた。終戦直後の時期は、経済は政府債務を、
成長をレバレッジするための安全資産として必要とした(つまり、民間借り入れの担保として使われた)。
ところが、あまりにも多くの政府債務が経済に流れ込んだため、貨幣政策オペレーションは
割引窓口貸出を通じたものから、公開市場操作へと移っていった。 [17] 公開市場操作では、市場へ準備を供給することに
なるため 、中央銀行は、個々の銀行を 指導するdisciplineことができなかった。連邦準備制度が
割引窓口で準備を供給していれば、準備を必要とする銀行の帳簿を見ることができる――良い担保を
持っていない銀行に罰を与え、良い行動をとっている銀行にはご褒美を与えることができた。最後に、
巨大な政府債務の未償還残高のせいで、ブーム期に必要とされる反循環的な財政余剰を生み出すことが
一層困難になる。というのは国債の金利を支払わなくてはならないからだ。これがのちに彼が
立ち戻ることになるテーマである。


1 例えば Forstater (1998) 参照
2 実際、ラーナーは後にUMKC(1999年以降、MMT発展の主要なな役割を果たすことになる)となる私学にいた。
3 従って純赤字は、経済に貨幣を追加する。黒字は排出する。財政赤字を問題視するよりは、
 反循環的な赤字は強力な安定化装置である――財政(支出)と金融(貨幣発行)政策によって――とみなされていた。
4 https://www.youtube.com/watch?v=FLi2wdSA66A&t=2895sで入手可能
5 レヴィ―・インスティテュートでは未完成の草稿を編集しており、(私の希望としては)最終的には出版したい。
6 例えば、Mitchell(2016)を参照。
7 財政タカ派は均衡予算(あるいは黒字予算でさえ)求めている。財政ハト派は景気後退時には
 財政赤字を許容するが、景気回復期には黒字には反対するが均衡を求める(これらの言葉は
 ステファニー・ケルトンによるもの)。対照的に財政フクロウ派は機能的財政アプローチをとる。
8 ミンスキーは、しばしばミンスキーに帰せられている有名な言葉を引用することでラーナーを
 称賛した。「安定とは不安定化のことである」。
9 この提案は経済の安定化の助けになる強力な反循環的力となる。ただし、フリードマンは依然として
 善き数量理論家だったのかもしれない。というのは経済を安定化させるのは、政府の支出ではなく貨
 幣の変動だ、と論じることもできたからである。さらに、彼の反循環的刺激策のプランはルールベースの
 ものであり、裁量政策によるものではなかった。彼はまた、100%所要準備によって民間の銀行による
 貨幣創造を排除しようとしていたが、このアイディアはアーヴィング・フィッシャー及びヘンリー・サイモンズから
 とられたものであり、その場合民間銀行による「純」貨幣創造はないこととなっている――銀行が
 銀行貨幣の供給を拡張するのは、政府発行による準備を蓄積した場合だけになる。
10 Minsky and Adelman (1960)参照。
11  後にミンスキーは、第二次世界大戦によって発行された安全な連邦債務をレバレッジすることで
 戦後の成長は促進された、と論じることになる。
12ここでもそれ以外のところでも、ミンスキーはユニバーサル就業保障プログラムの創設を推進している。
 これは連邦政府が最後の雇用者として行動するものである。’Ending Poverty : Jobs, Not Welfare'
  (Minsky 2013) 参照。
13 ミンスキーはしばしば、ブレトン・ウッズ性の下での固定為替相場制のせいで実行可能な財政政策に
 制約が課せられていると論じていた。
14 多くの人が、ミンスキーの理論は大部分危機局面に関するものだ、と考えているのだが、実際には、
 彼は巨大政府と巨大中央銀行によって有効需要と資産価格にそれぞれ床が与えられている(反循環的財政赤字と
 最後の貸手政策)戦後経済においてはむしろ多幸症という推力の危険性の方を懸念していた。
15 この点は彼が『金融不安定性の経済学』で書いていることと全く一貫している。「政策的問題は、
 厳しい景気悪化の可能性を高めることなく、インフレーションと失業を弱め、かつ生活水準改善の速度を
 遅らせることのない制度的構造及び方策を工夫することである。」(Minsky 1986b, 295)そして、同じ本の中で
 こう記している。「現在の戦略では、需要に補助金を出すことで完全雇用を達成しようとしているように
 思われる。そのための手段は投資のための金融調整、財政投資、政府契約、移転支出、租税である。
 この政策的戦略によって、長期的インフレーションや、累積して金融危機となる短期的投資ブームと
 深刻な不安定性が先導されている。政策的課題は、経済不安定性、インフレーション、失業を先導することなく
 完全雇用を達成する戦略の展開である」(Minsky 1986b、308)。
16 ミンスキー(2013, 335)は次のことも示した。戦後期全体で、賃金には格差が生じた。というのは
 賃金上昇は賃金の元々の水準と正相関している――格差は拡大する。「したがって、1948-1966にわたって、
 調査された産業部門では、富裕層はより富裕になり、困窮層はさらに困窮し、そして、中間層はそれを維持した。」
17 これはミンスキーがFedの割引窓口オペレーションの研究に参加した時以来の関心事であった.
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The rise and fall of money manager capitalism: a Minskian approach 2009 の話(3)

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The rise and fall of money manager capitalism: a Minskian approach 2009 の話(2)

The rise and fall of money manager capitalism: a Minskian approach 2009 の話(1)



機能的財政論 ミンスキーとラーナーの変化の比較検討 Part 2




19/09/07 22:59
ラーナーの「機能的財政論」を、まるで昔からずっとあった思想であるかのように
考えている人がいるようである。しかしそうした人に尋ねてみたいのは、
あなた自身は、こうしてMMTに接する前に、どこかでそんな言葉、
聴いたことがありますか?ということである。

この思想自体は、確かに目新しいものではない。レイがしばしば言及する
サミュエルソンのビデオで、サミュエルソンでさえ、政府は国債の発行しすぎによって
破綻する可能性がないことを、事実として指摘している――が、
それを認めてしまえば、大げさに言えば民主主義の危機につながるので、
大っぴらに認めるわけにはいかないけれども、、、というわけで、実際には
破綻などしない。これは確かに、80年代に入るまでは
多くのエコノミストに共通してとられていたスタンスだったように思われる。
しかしながら、80年代にはこうした考え方は時代遅れとみなされるようになった。
日本では、「革新市政」が赤字を振りまきすぎた(保守市政に
そうしたことがなかったかどうかはともかく)ことが
非難され、国政では自民党が国債を累積させたことが、財政破綻を
引き起こすこと、として非難されるようになった。
なぜか。

実際、ラーナーの思想の変化を負うなら、なぜ「機能的財政論」の思想が、
MMTによって、再発見されるまで、捨てられ、忘れ去られていたのかがわかることだろう。
ラーナー自身は終生機能的財政論者であった。しかしながら、実際に行き着いた先は、
失業者がいる場合でも均衡財政を主張する機能的財政論である。そして
総需要を動かすのは中央銀行に委ねられることとなった。
これは実質的に、フリードマン流のマネタリズムへの移行であり、
そして機能的財政論は、誰からも言及されることがなくなった。

MMTが機能的財政論を、いわば「再発見」したのは、
中央銀行と中央政府(財務省)と民間金融機関の間の
オペレーションの描写・分析を通じてのことである。
中央銀行のオペレーションは、何よりまず民間金融機関間の決済を安定化させることを
中心に設計されている。なぜなら民間銀行の決済が
日々の国内経済の貨幣を媒介にした取引の場になっているのであり、
ここを混乱させることは貨幣を媒介とする取引そのものを
破壊することにつながりかねないからだ。それゆえ、中央銀行は
どれほど財務省から独立しようと、この決済の安定だけは
最優先事項として日々の日常業務の中で行われている。
中央銀行がどれほど独立して政策を決定できるとしても
それはこの民間金融機関間の決済を守るという枠組みの中でのことである。
(勿論、これに失敗して経済破たんに追い込まれる国々もないわけではない。)
それ故、中央銀行のベースマネー供給オペレーションは「受け身」に
ならざるを得ない。金利や、様々な融資条件を決定することは出来るが
最終的にベースマネーの供給量は民間金融機関の決済の必要性によって
決まってしまい、中央銀行に決定できるものではない。
ベースマネーに金利をつければその量をコントロールできるかもしれないが、
それが可能なのは、民間金融機関にとって
ベースマネーを保有していても国債を保有していても、同じだからである。
従って、こうしてベースマネーをいくら供給したところで
経済的に実質的な意味は何もない。(ただし、経済的な実体に沿った形で
取引を実行できるようにするという意味では、むしろ国債を廃止して
中央銀行が有利子負債を発行する方が好ましい。)ベースマネーは
銀行融資の原資になっているわけではなく、融資実行とは
関係ないが、決済においては重要な意味を持つ。
政府と中央銀行が常に協力関係を保ち、
共同歩調を取らざるを得ない、という事実によって、
政府と中央銀行を会計的に連結することで経済の見通しをよくすることが適切と
考えられるようになった。
ファンクショナルファイナンスが再発見されるに至るのは
こうした文脈の延長上にあるのであって、
ただ昔の経済学者が、調子のいい、気の利いた言葉を発しているのでそれを
拝借してきた、というわけではない。
アバ・ラーナー自身による定式化をそのまま受け入れることは出来ない。
ラーナー自身のファンクショナル・ファイナンスは
60年代から70年代の高インフレ・スダグフレーションの時代に
力を失っていった。いったい何がいけなかったのか。

ファンクショナル・ファイナンスの言葉と考え方自体は
ラーナーに由来するものである。その意味で
ラーナーはMMTの先行者として、依然として最重要な参照系であり続ける。
しかしながら、何故それが打ち捨てられ、忘れ去られたのかを
検討しなければ、ただの時代遅れの概念を
引っ張り出してきたに過ぎないことになる。クナップにしろケインズにしろ同じことだ。

今回の論文では、ラーナーの理論の限界や
なぜ打ち捨てられることになったのか、突っ込んだ展開は行われていない。
というのは、ミンスキーとの比較が主題だからであるり、
また、レイ自身が、現在のアメリカの状況を前提とした場合、
60年代や70年代にみられたインフレーションに再び襲われる可能性を
ほとんど重視していないからでもあろう。
しかしながら、ラーナーの「機能的財政論」という言葉を、
言葉だけ(MMTを通じて)知った人たちに対しては、
一つの警告になるだろう。機能的財政も、決してバラ色の未来を
約束しているものではない。いつも言っている通りで、
結局、貨幣的財政の上限がない、ということによって
解決できる問題は、貨幣的財政の上限の問題だけである。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++


ラーナーの思想の変化



では、ミンスキーは機能的財務論を放棄したのだろうか?否、かつ、然り!彼が採用したのは
より繊細なバージョンであり、政府が何に支出するのかを認識し、インフレーション圧力を認識し、
そして彼の金融不安定性理論を統合したものであった。しかし、彼は機能的金融論に対する単純な
「ステアリングホイール」アプローチを拒否した。

そしてラーナーもそうだった!それどころかラーナーは、インフレーションと、全般的な「呼び水政策」が
ストップアンドゴー政策へと進み、最終的にスタグフレーション――高失業率とインフレーションの結合
――へとつながる可能性まで、懸念するようになっていた。彼の議論によれば、そんなことは
(「ケインズ主義」フィリップスカーブトレードオフ派が考えているような)パラドクスではなく、
ずっと前から予想されてしかるべきだった。彼は1977年にこう書いた。

スタグフレーションとは、我々が今苦しめられているインフレーションと不況の
同時発生のことであるが、多くの人によって経済科学の破産を示す「逆説」とされているらしい。私にはむしろ、
ここ半世紀の間発展したより深い経済への洞察を確証するもののように思える。この発展は
プレ・ケインズ主義によるミクロ経済学(これは自律的市場メカニズムを扱う)への過剰集中から、
ケインズ主義によるマクロ経済学(これは政府の政策を扱う)への過剰集中を経て、マクロ経済学と
ミクロ経済学の統合であるポスト・ケインズ主義(不況とインフレの結合を扱う)へ進んだのである。
(Lerner 1977、399;句読点は著者による)

ラーナーによると、ケインズは、賃金下落は雇用の増加よりもむしろ物価を低下させることを示すことによって、
古典派理論を完成させた。従って、完全雇用への唯一の経路は、ミクロ経済的に賃金と物価が十分に低下し、
実質貨幣供給量が増加することで(「ケインズ」及び「ピグー」効果を通じて)マクロ経済的に十分な
需要増加を産み出し完全雇用水準が達成されるのを待つことである。しかし、ラーナー(1977、402)によるなら、
ケインズは「ドルの数を増やすことによって、マネー・ストックの実質的価値を同じように
高めること」を好む。選択は貨幣に物価を合わせるか、物価に貨幣を合わせるかである。」言い換えれば、
ケインズは、物価が下がって「実質」貨幣供給量を増やすより、政府に既存より多くの貨幣を
貸出しあるいは支出させようとした。「原理的なケインズ主義革命とは基本的には政策革命であった。これは
第二の方法を選び、政府に追加的貨幣を供給することを求めることで成り立っていた」(Lerner 1977、402)。

というわけで、ケインズ革命とは、ミクロ経済学からマクロ経済学へと
議論を押し出すことであり、不況に対して(ミクロ)市場の自動治癒を待つ政策から、貨幣の総量を
規制する(緊急時には財政手法による助力も得て)政府の(マクロ)政策行使へと
変わったことであったわけだ(Lerner 1977,402)。

貨幣政策は、準備を貸し出すか、公開市場での買いオペによってまず準備、そしてその後、
民間マネーサプライを増加させるであろう。あるいは財政政策によって政府貨幣が生み出されるだろう。 [18]


この節の興味深い脚注(1977、402)で、ラーナーは続ける:

「ケインズ主義」と「マネタリズム」の間の対立が極端に目立つ形で取り上げられるようになったのは
「ケインジアン」という言葉が誤って使われたためである。この言葉は
ケインズ(だけでは全くないが)によって記述された、投資家が投資を恐れているような深刻な不況期における
特定の財政手法 measures を指す意味になってしまった。政府が支出 spending を増加させようと
減税によって受益者の支出を増加させようとしても、投資家の確信が回復しない限り支出や雇用の増加を
実際に引き起こせないような確信の崩壊があった。そこで財政性的手法 measuresが求められる。

後に見る通り、ラーナーはケインズ主義とマネタリズムの間の「偽の」二分法を排除することを提案する。

ラーナーによるなら、ケインズはミクロレベルの調整に依存した議論から離れて、
マクロ調整を制御する政策の利用に向けて舵を切った。これはまた、ラーナーがケインズ革命を、
借入と貸付、購入と売却、そして課税と補助金という三つの政策手段の組み合わせを備えた機能的財政理論として
彼流に定式化したことの意味である。 [19]

古典派の物価理論の誤りは、対称性の仮定であった。つまり超過需要は物価上昇を引き起こし、
超過供給は物価下落を引き起こす、というものだ。しかし、それが当てはまるのは、
賃金と物価が安定している場合のみである。価格が10パーセントで上昇すれば、超過供給が上昇することで、
増加率は引き下げられるだろうが、しかし物価や賃金を引き下げはしない。賃金を設定するのは市場ではなく、
管理者――労働者の代表と雇用者の代表との賃金交渉――であり、そして彼らは市場が賃金は低下すべきだ、と
告げているときでもそれに抵抗できる。このため、名目賃金は非対称的に移動し、労働力不足時には上昇するが、
超過労働があっても上昇速度が遅くなるだけである。そこで政策立案者たちが学んだことはというと、
景気悪化時に賃金を下落させる市場の機能がマヒさせられているのはなぜか、ということ、そして
これを政策に振り向け景気悪化時にも賃金を上昇させることであった。ラーナーによるなら、
スタグフレーションはこうして生まれたのである。

ラーナーはスタグフレーションに対する三つの反応を区別した。第一に「古典的」であり、
これによるならケインズ政策が誤りであり、これは放棄されなければならない。第二にケインズ派であるが、
こちらはフリップスカーブの枠内では説明できないパラドクスとみていた。最後に政府は、
これを超過需要の結果とみており、そして政府支出を減らそうと考えた――といっても、
失業率が2桁になれば結局コースを元に戻すことになるだろう。これはストップ・ゴー・ストップ政策へと
行きつくことになり、望ましい水準を上回る失業を伴うインフレーションを定着させることとなった。
ラーナー(1977、406)は、「自分もそうしたケインジアンの一人であった」と告白する。彼は、
所得政策を通じてマクロ経済的な賃金規制がとられればそのいくつかは機能しうるだろうと考えていたが、
しかしLernar(1977, 407)によると、実際の政策は想像を絶する形で実行され、矛盾しており、失敗し、最終的には
放棄された。それが機能できなかったのは、ミクロ経済あるいは市場の諸力を無視していたからであった。

これは、ミンスキーが1968年に採用した立場に似ていた。 集計的需要のみに依存して完全雇用を
達成しようとしてもうまくいかないと考えられる理由は、インフレーション効果のせいであり、
これはその後ストップ・ゴー・ストップ政策へとつながるからである。ラーナー同様、ミンスキーもまた
この種のケインズ理論は有効需要を維持することを目的として実行されるこの政策のミクロ経済的効果を
無視している 、と論じた。[20] ところが、こうした展開を見て、ミンスキーは直接支出へと転じる
――とりわけ、ニューディール型の最後の雇用主プログラム提案である。

彼の1977年の記事では、ラーナーは今度はマネタリズムのバージョンに乗っかった。彼は、
彼の機能的財政アプローチがあまりにもマクロレベルを強調しすぎており、ミクロあるいは市場分析と、
スタグフレーションの可能性とを無視していたことを認めた。 [21] というわけで、彼はケインズ派と
マネタリスト、健全財政と機能的財政の間の「平和的和解 peace settlement」を提案した。それは
上記三つの政策の主要要素からなるものだった。

1. 政府は賃金上昇を許可制とすることで、賃金インフレーションを望ましい水準にするだろう。
2.中央銀行は貨幣の伸び率を実物産出量の伸びに合わせる(これは総需要の管理を中央銀行の手に
任せることになるだろう)。 [22]
3.政府予算を、集計的需要の総水準から切り離し(言い換えると、反循環的やり方で財政政策を
利用しようという考えを排除する)、そして財政政策は、社会的効率性、外部経済の内部化、貧困の軽減に絞る。

彼の新たな戦略に従うと、何であれ政府支出の増加があるときには租税も増加させ総需要に対する効果を
相殺することで、財政が中央銀行の職責(貨幣発行を通じて総需要を規制すること)に干渉することを
避けなければならない。これは彼の機能的財政の第一原則を完全に否定するものであり、そして、
第二原理(貨幣政策を通じて利子率を設定すると解釈される)も修正し、集計的需要管理を完全に
中央銀行の管理下に置こうというものである。これはフリードマンタイプの貨幣成長率を通じて完成され、
同時に、財政政策は完全に「貨幣創造」から切り離される。注意してほしいが、彼の提案する健全財政との
「平和」は政府の債務超過あるいは債務不履行を恐れてのことではなく、むしろ、赤字支出の
インフレ的インパクトに対する恐怖のためだったのである。それでもラーナーは、中央銀行の手に
すべての力があるというのにもかかわらず、一回りして結局フリードマンの提案に戻った。

ラーナーとミンスキーの間には、ケインズの革命に対する見方の両者の違い及び、
この機能的財政についての考え方の進化に関連して、非常に興味深いやり取りがある。
ミンスキーは1975年に彼の最初の主著、『ジョン・メイナード・ケインズ』を出版した。ここでは
一般理論の重要性についてのミンスキーの見方が詳細に説明されている。本書はミンスキーの有名な
投資決定モデルと金融不安定性仮説とによってよく知られているのであるが、同時に、主流派による
新古典派総合に基づくケインズ解釈と、「原理主義的」ポスト・ケインジアンバージョン
(ミンスキーによって受け入れられた)として知られるようになったものとが対照されている。
1976年3月4日、ラーナーは『ジョン・メイナード・ケインズ』書評の原稿をミンスキーに手紙とともに
郵送し、それに対してミンスキーは3月9日に返答した。[23]

ラーナーの手紙は「あなたの気に入るかどうかわかりませんが」という言葉で始まっている。
それに対してミンスキーは「あなたは、これが私の気に入らないだろう、と記していらっしゃいますが、
その通りです」と応じている。「あなたはこの原稿の重要な論点を見落としているように思います。」
書評自体もそうだが、この二つの手紙は二人の友人の間にある深刻な理論的分裂を示している。ラーナーは
ケインズの一般理論を(先に述べた通り)政策的議論としてみていたが、ミンスキーはそれが
「主として、資本制金融システム内部の投資の理論なのであり、そして投資の投機的性格により、
我々のタイプの金融制度を持つ経済は不可避的に循環的になる」。彼は続けてこう論じる。
「戦後の「ケインズ主義」政策は経済を、一定期間の加速するインフレ、金融危機、そして
深刻な不況の脅威へと進むことを防ぐことができていません。ここ10年間で変動の振幅が増加し続けた
理由の一つは、政策が依拠している理論では、不安定化を引き起こす要因は外生的とみなされ、それゆえ
財政政策さえ正しければ(Heller)、あるいは貨幣供給の伸びさえ適切であれば(Friedman)経済は微調整できる、と
考えられたことです。私の見解では、基本的な不安定化要因というものは、私たちの生きている金融関係を伴う経済に
内生的なのです。改善するには、政策は内在的な不安定化要因に対する理解をベースにしなければ
なりません。私は同書において、基本的な不安定化要因が資本制経済を特徴づけている金融関係の中にある、と
論じました。以前にあなたが私におっしゃったことの繰り返しになりますが、資本制金融制度の下では、
安定とは不安定化のことなのです。」

もちろんこれはごく標準的なミンスキー理論であるが、だがラーナーが
『ジョン・メイナード・ケインズ』の書評において、あるいは先に論じた1976年の
彼の政策提案にて示したケインズに対する見方と著しい対照をなしている。実際、ミンスキーの
『ジョン・メイナード・ケインズ』に対する書評では、ラーナーの1976年の記事の議論が
繰り返されている。それによればケインズの「古典派」(新古典派モデル)との論争は、
実践的な問題だったのであり、理論的なものではない、とされている。賃金と物価が十分に伸縮的でさえあれば、
「古典派」モデルの結論は成立するだろう。ラーナーによれば、「理想的な伸縮性」があれば、
「ケインズとケインジアンは、古典派(あるいは新古典派)モデルが機能すると認めるであろう。
両者はただ市場が十分に伸縮的であった試しがない、と否定しているだけだ。」[24] ラーナーは続けて
ミンスキーの著書の欠点を指摘する。ミンスキーは「ケインズの基本的な貢献は、資本制経済『には、
本質的欠陥がある。というのは循環的性格だからである』」というが、「不幸なことに、ミンスキーのいう、
新古典派の自動完全雇用を無効にする『内部的なintractable 不確実性』というものが本当あるとすれば、
同様にケインズの完全雇用政策手段に対しても不都合であろう。」つまり問題は、新古典派の自動完全雇用だけでなく、
ラーナーの政策提案も無効にされてしまう、ということだ。ラーナーは主張を続ける。

ミンスキーの経済不安定性を事細かに説明する名人芸には脱帽するが、しかし
そうしたものの多くは彼が「循環論的視点」から出発していることに由来している、という印象を
避けることができない。これは古典的な経済学者の「完全雇用的視点」あるいはケインズの
「経済政策的視点」に劣らず、自分の得たいものを誇張することにつながる。評者としては、
十分検討された貨幣財政政策は、称賛に値する社会的目標はないとしても、経済全体にわたり
普通に存在する無数のかく乱要因が全面的な景気拡大へと発展し、あるいは急激に収縮して、
ミンスキーの言う手に負えない変動へと進むのを防ぐ能力がない、というのは納得できない。

このように、ラーナーは機能的財政の初期の原則を拒否したが、経済を軌道に保つために
ステアリング・ホイールを用いるという考えまで否定したわけではなかった。たとえ
「安定とは不安定化のことである」としても、ラーナーにとっては政策が適切なら不安定性を制限し
克服することができる。問題は、彼が、「理想的な」伸縮性を欠いたまま、集計的需要の呼び水に対する
「ミクロ」あるいは市場レベルの効果を無視したことである。そこで彼は政策提言を
インフレーションダイナミクスを取り扱えるように調整したのだ。

手紙には他にも興味深いいくつかの章句があるが、さほど重要ではない。この手紙の第二パラグラフで
ラーナーは「あなたもご承知の通り、私は「ポスト・ケインジアン」にはかなり批判的です」と書いている。
彼は続けてカレツキーの利潤方程式とポスト・ケインジアンの分配理論を「妥当性を失うことなしに
遡及」しうるものよりは、恒等式に基づいた「自明の理」として批判している。ミンスキーはこれに反して、
自分は「カレツキーの枠組み」を『ジョン・メイナード・ケインズ』の中では用いていない
(彼はカレツキーの利潤方程式を、同書を書き終えた後、「2~3年前」に引用しただけである)と記したが、
しかし、続けて「現在の私のポストケインズ系の著作」では「重要な行動関係を抽出するためにのみ
重要性を持つ一連の恒等式と定義」としてその利用を正統化した。
[※この「恒等式」は、原文では’ identififies [sic] ‘となっている。]

ミンスキーはこの枠組みを用いて集計レベルでの物価理論として自分自身の
「マクロ・マークアップ」アプローチを展開することになる。さらに先に論じたとおり、
ミンスキーはカルドアの分配理論をもちいて、過熱局面におけるユーフォーリアプロセスの説明した。
ミンスキーの著作では経済のインフレバイアスをマークアップの成長に起因させることになる。
手紙の中でカレツキーの枠組みを用いて「いかにして融資による投資が「余剰」を経済から取り上げるかを
説明する」ことに言及している。「それに対する貨幣賃金の反応は、
『あまりにも大きすぎる』余剰が収奪されることで消費水準が低下することをどの程度
受け入れるかを示すもの、と解釈できる。」言い換えると、生産物に占める投資のシェアが上昇するとき、
所得は資本へとシフトしている。労務者が賃金シェアを守ろうと戦うなら、貨幣賃金は上昇し、
インフレを促進することになる。これもまた、完全雇用でなければならないわけでなく
(労働力の少なくとも一部の交渉力があれば十分である)、必ずしもフィリップス曲線の問題ではない。

ここ四半世紀にわたって我々がすごしてきた低インフレ率の環境という文脈では、
ミンスキー及びラーナーは集計的需要、財政赤字とインフレーションとの結びつきを過度に
強調していたように見えてしまう。今では世界中に大きなデフレ圧力が存在している。その圧力には、
中国インドが世界経済に対する大きな供給地として登場してきたことやヨーロッパ通貨同盟圏で
強いられている緊縮政策、政界金融危機(GFC)の影響がいつまでも続いていること、そして
安いエネルギー価格を含むことができるだろう。従って、今日では集計的需要を全般的に後押しすることで
物価スパイラルが発生するとは考えにくい。とはいえ、それでラーナーやミンスキーが
主流ケインジアンのケインズ解釈の矛盾を指摘したことが誤りであったことにはならない。
財政赤字は大きくなり過ぎ得るし、実際の政府支出の構成も問題だ。失業があるときには政府はより
多くの支出を必要とする、という機能的財政の主張は、行われる支出のタイプごとにインフレへの
インパクトを分析することで緩められなくてはならない。

問題は、ラーナーとミンスキーのいずれがこの課題に対するよりよい分析を提供したのか、そして
誰がより良い解決を提案したのかである。異端派ケインジアンはラーナーのステアリング・ホイールと
一種のマネタリズムを受け入れるべきか、それともミンスキーに従うべきか。

(以下次回以降)




18 ここではラーナーは従来の預金乗数を思い描いているように見える。注意してほしいが、
ミンスキーは最初期に書かれたものから一貫してこれを拒絶しており、代わりに今日われわれが
「内生的貨幣アプローチ」と呼んでいるものを採用している。
19 注意してほしいが、ラーナーはそこかしこで、ケインズの『一般理論』を、理論的革命ではなく、
政策的革命と結びつけている。
20 これはまたケインズが『一般理論』21章で示した、価格設定、供給の弾力性およびインフレーショの議論も無視している。
21 繰り替えすが、ケインズはこの点で罪はない――これは完全に21章で論じられているのだ。
22 驚くことに、現代の「ポジティブ・マネー」運動は同じことを提案している。Nersisyan and Wray(2010)参照。
23 書簡及び草稿レヴューは the Levy Institute のミンスキー・アーカイブにて。レヴューは
Challenge 誌 (Lerner 1976)にて公開された。
24 これはラーナーの草稿レヴューから取った。彼はケインズを支持しながら引用する。『一般理論』からの
よく知られた小節であるが、そこでケインズは問題は「論理的矛盾」にあるのではなく、
「暗黙の前提」にあるのであり、それは「ほとんど、あるいはまったく満たされたことがない」といっている。
ラーナーはこの言葉を、修辞的戦略としてではなく、額面通りに受け取っている。
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The rise and fall of money manager capitalism: a Minskian approach 2009 の話(3)

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The rise and fall of money manager capitalism: a Minskian approach 2009 の話(2)

The rise and fall of money manager capitalism: a Minskian approach 2009 の話(1)


機能的財政論 ミンスキーとラーナーの変化の比較検討 Part 3




19/09/15 10:53
んまあ、ラーナーとミンスキーの比較の第三回目である。今回は
ラーナーは全く出てこない。ミンスキーが、スダグフレーションに対して、
そしてその後、ボルガーの実験を経て続くレーガン・サッチャー時代の政策について
どのようなスタンスをとっていたかを説明するものである。
ミンスキーもまた、70年代の高インフレーションに対して財政引き締めを
要請しているかのような発言がみられる。つまり、ミンスキーも
増税を求めていたのである。しかしミンスキーもラーナー同様、
機能的財政の立場を崩したわけではない。つまり、税収不足による「カネ不足」に
陥ることを懸念しているわけではなかった。ラーナーとの違いは、支出の在り方が
軍事支出や移転支出、中でも金利支払に偏っていることを問題にした点である。
中でも金利は厄介である。政府は、確かに「札を刷る」ことで
国債償還・利払いは可能である。だがそれはインフレーションを推し進めることになる。
インフレーションによる国債保有者の損失を埋めるためには
国債金利を引上げざるを得ない。しかし国債金利を引上げれば
これは国内金利の最低線なので、全ての民間の金利も
引上げられることになる。おそらく、カレツキー的関係を想定し、
国内市場が寡占的で、価格支配力が企業側にある場合、消費者物価はますます高くなり
インフレをさらに促進することになるだろう。インフレ過程の中で
しばしば見過ごされてきたものに、賃金と利潤の対抗関係があるわけだけれど、
ここではさらに加えて利子と利潤の対抗関係も俎上に上げられる。そしてこれは
当然のことながら、持てる者と持たざる者との格差を広げることになる――ちょっと
説明が先走ってしまって、今回のエントリではそこまで
議論が膨らんでいないのだが、
スダグフレーションという流れの中で、ラーナー同様、頭を抱えている
ミンスキーの姿と、そして、ミンスキーの直弟子として薫陶を受けた
ラーナーが、普段これこそミンスキーとして説いているイメージからは、一見すると
全く矛盾した内容を語ってるミンスキーの講義ビデオを統合させようと苦労している様とが
思い浮かんで面白い節である。当然のことながら、
この時期は、ミンスキーには後のMMTの思想など思いつくはずもなく、今日の
観点から見れば、様々な矛盾が感じられる一方で、後にMMTとして
洗練されることになるいくつかの問題意識も垣間見られる。



++++++++++++++++++++++++++++++++++


THE VIDEO: DID MINSKY REPUDIATE HIS EARLY POSITIONS ON DEFICITS?
ビデオ:ミンズキーは財政赤字に対する初期の立場を変更したのか?



先に述べたとおり、今では1991年のミンスキーの講演ビデオを見ていると、彼が
初期の機能的財政を支持する立場を変更したことを示しているように、さらには
財政ハト派的――あるいはタカ派的――立場をとったかのように思われてしまう。
このビデオには特に注意を要する点が二つある。

第一は、45分ごろに出てくるニューディールを論じている箇所で、ニューディールでは
新しい生産力が創造されたのに対し、当時(そして現在も)、ほとんどの政府支出が移転所得、軍事費、債務への
利払い――大部分、資源創出的ではない項目――となっている状況を論じている。支出が税収を上回り、
慢性的に政府赤字によって政府債務は増加してきた(民間部門の債務も増加傾向であった)。

ミンスキーによるなら、これは問題を引き起こす。アメリカの債務(公共部門・民間部門)は
かつてないほど大きく、それ故、必要なことは、政府というステアリング・ホイールを使って
集計的需要と所得を十分な高さに維持し、確実に債務を償還できるよう保つことである。1980年代まで、
政府債務は対GDP比では低下していたが、レーガンのGDP比で5%の赤字および、
成長下においても赤字支出が続くバイアスが生まれたことも相まって、国際的な市場での
政府債務の質の劣化が引き起こされた。これにより政府債のデフォルトリスクが高まったことが
示されているように見えるかもしれないが、ミンスキーは債務を償還するのに必要な支出を
行う能力について疑問はない、と述べている。

関連する第二の部分が現れるのは65分ごろの、租税について論じている箇所である。政府は
いつでも債務の支払いを行うことができるが、それを妥当にするvalidateため租税の引上げを行う意思を
欠いていることを懸念している。彼は、債務を税金によって妥当にしなければならない、と主張し、
続けてよくある冗談を繰り返す。「税金はあなたが文明に支払う代金だ」。しかし彼は、
1960年代には我々は以前と同じ立場ではないことにいらだっていたのである――今では我々には
競争相手がいる。円とマルクだ。さらに、我々は国民所得のうち金利に由来する部分の比率を高めているが、
資産の大きな部分は海外の、高所得層、金融、保険、不動産(FIRE)部門に保有されている。言い換えると、
金利支払いはそのまま排出口へと向かってしまい、国内生産の需要(あるいは供給)に
火をつけることにはならないだろう。

彼は、米国はアルゼンチンになる危険性があると警告している。租税なしに支出すること、つまり
札を刷ることはインフレーションにつながりうる。課税の代替はインフレ税である。

これは彼の初期の仕事を考えるといささか驚くべきことである。しかし、レーガンノミックスでの
実験の後に書かれたものをよく調べてみると、彼が同じようなことを言い始めたのは1986年である。[25]
1986年の論文(Minsky 1986a)の論文において彼が警告しているのは、1981年の減税が「収入システム」との
妥協であった点である。計画的減税の結果、拡張が続いているときでさえ、控えめな水準ではあっても
財政赤字は維持された。」1981年から85年の財政赤字の結果、総国民債務は約1兆ドル増加した。「つまり、
あらゆる所定の支出プログラムおよびあらゆる所与の望ましい赤字に必要な収入は、レーガンが政権に
就任した時よりも、1000億ドルほど余計に必要となったのである」(1986a)。

こういうことで彼は何を意味したのであろうか?彼が言っていたのはこうである。仮に予算を
引き締めることで必要になる(例えば資本逃避ブームと戦うため)としたら、レーガン時代の赤字を通じて
積みあがった累積債務の利払いによる刺激を取り除くためには、財政をおよそ100億ドル引き締めなくては
ならない。ちょっと見ただけではミンスキーは税収が少なくなり支出のための「資金を調達」できなくなるかも
しれないと心配していたように思えるかもしれないが、注意深く調べてみると、彼が懸念していたのは、
必要な時に十分に予算を引き締めることが難しいということであった。

同様の議論は、1986年の彼の著作『金融不安定性の経済学』でも見つけ出すことができる。そこで彼は
こう論じている。「政府は赤字財政を続けても信用力の毀損により苦しむことはないだろうが、ただし、
課税と支出によって、好ましいキャッシュフロー(余剰)を合理的かつ実行可能な環境下で確保できる体制であれば、
である」(Minsky 1986b, 302 [※日本語訳376ただしこの訳はおいら])。この文章の最後の部分が
カギである。重要なことは 、均衡財政あるいは余剰財政の達成で はなく 、 必要な ときにそうできること
である 。本書においては、彼は失業率が約6%に低下すればそうせざるを得ない、と考えていた。
(Minsky 1986b、304 [398])。

但し、彼が次のような予言で議論を結論付けていることを認識することが重要である。
「ドルからの逃避あるいはインフレーションを通じての実質的な債務不履行」(Minsky 1986b, 303 [373])。
言い換えると、問題は、通常の意味で政府が資金不足に陥るあるいはデフォルトに陥るということではなく、
インフレーションによってドルの為替レートに圧力がかかるかもしれない、そして/あるいは
Fedに金利引き上げの圧力がかかるかもしれない、という点なのである。ドルへの圧力によって
ドルからの逃避が生じうるし、他方で金利が上昇すれば、長期債にキャピタル・ロスが引き起こされたり、
インフレーションによって債券の「実質」価値が低下するかもしれない。こうした結果のどれかが生じれば
契約上の債務不履行ではないとはいえ、保有者の立場からは政府債務の「質」の低下ということになる
だろう。彼が政府の「信用力」(先に引用した通り)について懸念する場合、
それは通常の意味で支払い約束の不履行の見込みがある、ということではない。

政府は契約上の支払いをおこなえるし、行なうつもりでもいる。問題は、インフレーション、
為替レートの減価、あるいは高金利がこうした支払の購買力を減らすことであろうことだ。



MINSKY’S VIEWS FROM THE 1990s 
1990年代のミンキーの立場




ミンスキーは1990年にワシントン大学を退職し、レヴィー経済研究所 Levy Economics Instituteに
移った。先にも記した通り、彼は1986年の著書の改訂を始めたが、その後、レヴィー研究所で
1991年から93年の間に書いたワーキング・ペーパーをもとに新しい著作の原稿を執筆し始めた。
彼は、半ダースほどの章を書いたものを残したが、目次も序章もなかった。原稿に取り組んでいたのは
1994年までのようであるが、ワーキングペーパーは1996年に亡くなるまで書き続けていた
(晩年は病気に悩まされ、論文を纏めることが難しかった)。彼はこの時期、原稿の諸章および
ワーキングペーパーで再び政府の予算バランスをめぐる問題に立ち戻った。

これらの論文の多くに通底しているテーマは、レーガンおよびサッチャーの
政策の長期的影響である。両者は彼らが受け継いだ巨大政府介入主義資本制を捨て去ろうとしていた。
ミンスキー(2013、165)の1994年の論文によると、レーガノミクスを原因として、以下のことが生じる。

(a) 収入システムの破壊;
(b) 構造的に政府の赤字支出に依存する経済の登場。この場合政府支出は主として
移転支出(政府債務に対する利払いも含む)および軍事支出に充てられる。
(c) 所得分配の格差と社会保障給付の増加に由来する高度消費経済
(d) 大部分の労働者の実質賃金低下
(e) 脆弱な金融システム
(f) 失業・半失業増加傾向

ミンスキー(2013, 165-66)は、当時の経済を大部分、a) 非生産的政府赤字、b) 金融サービス産業の
巨大な拡張、c) 国内に事務所ビルの超過供給、極端に過大な債務を抱えた企業、実態のない資産を残した
金融シェーマに基づくものである(1990年代初頭のブッシュ政権下のいわゆる「ジョブレス・リカバリー」)として、
「偽りの繁栄」とラベル貼りをしたが、その後、合衆国経済は5年ほど実質的に停滞した。さらに政府の支出は
資源を作り出す手段としてはますます非効率になっていった。それは高金利のためであるが、この高金利自体が、
ボルカー時代の実務ベースでのマネタリズム実験と、政府債務の極端な拡張の長く続く遺産であり、
この政府債務自体、「国債利払い」と呼ばれる予算上の巨大な項目の結果なのである。

ここで注目すべき点は、ミンスキーが高金利をボルカーのインフレとの戦いという意図と明示的に
結びつけた点である。これによる巨額の赤字が債務残高を成長させ、その為、経済的に非効率な債務償還が
巨額化した。ミンスキー(2013, 166)は「レーガン―サッチャー―ブッシュの経験は、レッセ・フェールモデルの
第二の失敗である」と結論付けた。「レッセ・フェール型資本制経済モデルでは1950年代から
1960年代にかけて達成された基準を満たせないことが示された。」

別の論文では、ミンスキー(Minsky、1992,28)はレーガンの時代によって、
合衆国の国際的立場がどのように影響受けたかを俎上に上げた。

レーガン時代には政府債務残高が巨大に膨れ上がったが、同時に合衆国の国際債務関係も根本的に変化した。
その結果、合衆国は1990年代になると財政の独立性を急激に弱めることとなった。こうした状況の下、
貨幣的および財政的介入によって合衆国の利潤フローを不況期あるいは金融的トラウマの直後に
下支えしようとしても、それが効果を発揮するには貿易相手国側が国際的姿勢を調整することが
必要だっただろう。

ここでもまたミンスキーは次のように警告した。政府債務の発行の結果にはたとえば
金利支払の履行もあるが、ここで焦点にしているのは、国内の成長促進という点からは、
金利支払の非効率性である。というのもこれは経済からの利潤の漏出だからである(カレツキー方程式に
従うと、純輸出が負であれば、国内利潤は減少する)。 [26] これは部分的には、米国経済から
流出した債務利払いの多くを外国が保有していることに起因している。同じ論文(Minsky 1992、43)で
彼はこう主張している。政府は、経常的支出と債務の金利を支払うに十分なだけ租税を引き上げることが
できないのであれば、ポンツイポジションにある。ただし、家計や企業とは異なり、政府はポンツイ金融を
利用したからといってデフォルトリスクに直面することはない(つまり金利を支払うため「札を刷る」ことが
できる)。危険性はインフレーション、通貨価値下落、高金利にある。政府の債務にはデフォルトリスクは
ないので、経済内部で最も低い金利を払えばいいだろう――その金利が上昇するときには民間部門の金利も
また高くなる。というわけで彼は、改革のカギとなる要素は、「国債が政府の租税受領によって、
validate される財政体制」(1992, 43)の確立であり、それが絶対必要だと論じている。ここでもまた、
彼は「validation」という言葉を、租税が政府支出(利払を含む)を「支払う」ために必要だ、
という意味にではなく、「インフレーション税」になってしまう危険性を回避するために必要なのだ、
という意味に解釈されるべき形で用いている。

彼はこの時期インフレーションのことを懸念し続けてはいたが、同時により長期的な経済停滞にも
関心を寄せていた。彼の著作の原稿(並びにLevy Instituteで始めた一連のカンファレンス)の主なテーマは、
「経済の資本的発展 capital development of the economy」を促進する政策に関するものであり、
そして彼は、所得移転や利払いへと向けられる予算に傾注することはこの目標と矛盾する、と主張した。
草稿原稿に手を加えられた様々なワーキングペーパーで、ミンスキーは資本的発展を促進する改革の論点を
まとめた。それには以下の勧告が含まれていた。[27]

• 「支出側は大きな見直しを必要とする。ケインズの「投資の社会化」という言葉は、政府支出プログラムが
一国経済における資源創出の重要な部分に資金供給する必要がある、という意味である。」

• 「仕事の必要性が政府によって与えられるなら、仕事からの所得が、今日の移転所得スキームの
多くに取って替わることであろう。」

• 「こうした改革パッケージでは、政府債務は、経済成長を通じて、原則として、つまり経済がほぼ
完全雇用に近い状態である時でも、常に税収によって有効性を維持される being validated。」

• 「政府によるポンツイ金融は停止させなければならない。たとえ政府が、民間機関とは異なり、
そのバランスシートの純資産を使い尽くすことはないとしても、政府によるポンツイ金融は、
早晩インフレ税によって政府債務の実質的な規模を抑え込むことになることを意味する。インフレ税の脅威とは、
民間の長期債金融が、将来、満期に予想される元本の購買力低下を補てんするだけの率を必要になる、という
意味である。金利におけるこのインフレプレミアムは事実上元本の償却である。」

これらの議論は機能的金融に対するミンスキーの代替的構築物を明らかにする。第一に、問題は、
政府が何に支出するかであり、そして彼は予算は投資及び職業を作り出すことに焦点を合わせることが必要で、
所得移転(利払を含む)は減らされるべきだとした。第二に、財政的スタンスが問題になる。経済が
完全雇用に向かうにつれ、予算も黒字に向かうことになる。問題は政府が破産することではなく、もし政府が
完全雇用に近づいた後でも赤字のままでいると、インフレが過熱する恐れが高まり、同時に金融不安定性も高まる、
ということであった。債券保有者の購買力を維持するため、長期金利は否応なく上昇することになる。[28]それが
より大きな赤字、より高いインフレ率の悪循環を作り出し、そして「インフレーション税」[※によって発生する
債権保有者の利益]を補てんしなければならなくなる。

(以下、次回以降)

脚注

25 ただし、1981年には、ミンスキー(1981)はこう書く。合衆国では州および地方政府が
債務を自分たちの信用ベースで発行している。そしてそしてその償還義務を果たす能力というのは
租税を集める能力および連邦政府または連邦政府機関からの移転収入に依存している」――これを見ると、
彼は通貨の「利用者」(州および地方政府と通貨の発行者(国民政府)の違いを認識していたようだ。
26 ミンスキーは1990年代初頭に準備していた書籍の原稿のある章の草稿で、合衆国の国際的な立場が債権国から
債務国へ変容したことが財政政策にどのような含意をもたらすかをテーマとして議論を展開している。
(この章にはいくつかのバージョンがある。これらの引用およびページ番号はミンスキーによって
「ile name Turkey 1 disc book Reconstituting The Financial Structure: The United States 
worked over for book. Hyman P. Minsky Prospective Chapter # restructuring May 13, 1992,」と
指定された原稿から取ったものである。http://digitalcommons.bard.edu/hm_archive/18.で、入手可)
27 以下の部分的引用は書籍原稿のある章に由来する。「金融構造の再構築:合衆国(May13, 1992)、165-66ページ。
これは、「金融構造の再構築」原稿(すべてが現時点で入手可能というわけではない)のいくつかの
バージョンに基づいている。これらはレヴィーインスティテュートによりまとめられ、編集されており、
そう遠くない将来に書籍として発行される予定である。
28 筆者としてはもう少し違う言い方をしたい。インフレーションのせいで、中央銀行は目標利率を引き上げざるを
得なくなることが多い。そしてそのせいで長期金利も高くなるだろう。
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機能的財政論 ミンスキーとラーナーの変化の比較検討 Part 4




19/09/22 11:41
レイによるミンスキーとラーナーの機能的財政に関する比較、および
MMTに対する影響ということだが、今回は最終回。

ラーナーもミンスキーも、スダグフレーションを前にして
単純な機能的財政論は放棄せざるを得なくなったことは
前回までに記した通り。その結果、ラーナーは結局、財政均衡路線へと
進み、そしてマクロ的な経済刺激は中央銀行の手に委ね、
財政というより、賃上げの許可証を発行し、それを市場での取引に委ねることで
賃上げを抑制する、マーケット・メカニズムの働きによるインフレ対策を
講じる方向へ向かった。これはフリードマン流のマネタリズムの流れに
竿を指すものであった。対してミンスキーもまたミクロ的な対策を
模索することになるが、それは移転支出を抑え、失業者を政府が
直接雇用することで生産性の引上げと底辺層の賃上げとを同時に実現し、
そして寡占大企業の賃金上昇率を抑制するという方向性であった――おいらとしては
生産性上昇率格差インフレーション論などを懐かしく思い出したりもしたわけだが――
が、しかし言うことはしばしば変わっており、
充分説得力のある形に実を結ばなかったのも事実である。
とはいえ、こうしたラーナーとミンスキーの立場の違いは
マーケット・メカニズムをどの程度信頼しているか、という立場の違いによるところも
あるだろう。

レイ自身は、今日のデフレバイアスのかかった経済では、こうした
論争が古臭いものに映ることを認めたうえで、なおその重要性を強調する。
それは、あるいは今後「地球温暖化との戦い」が本格化するにあたって
実際に稼働可能な経済資源を必要な経済資源が上回ってしまう、という
可能性があるからである、といった問題を
具体的に視野に入れているのかもしれない。

なお、ラーナーといえば、おいらの世代なんかだと
国際取引のモデルなんかもそうだが、同時に「ラーナーの独占度」などが有名であるが
ここで触れられている範囲では、ラーナー自身がこうした独占に対して
制度的な対応を目指そうとした話は出てこない。おいらはその点、
ラーナーのことは、全く何にも知らないのだが、ホンマかいな、という気もする。

あと、最後までミンスキーの"validity""validation"という言葉は、
すっきり訳せなかったな。。。。。


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MINSKY’S INSTITUTIONALIST INTERPRETATION OF KEYNES AND IMPLICATIONS FOR FUNCTIONAL FINANCE 
ミンスキーの制度学派的ケインズ解釈と、機能的財政の含意


シカゴ大学においてサイモンおよびポール・ダグラスの下で学んだことで、ミンスキーにとっては
ケインズの経済学と制度学派経済学とを統合することは比較的簡単であった。第二次世界大戦後に
ハーバード大学に移った時、彼はハンセン流のケインズ解釈を拒絶した――それは
多くの制度学派の人々と同じ理由で、まずは機械的・数学的ケインズ経済学博覧会から立ち去った。
彼は1996年にヴェブレン-コモンズ賞――アメリカの制度学派グループである進化経済学会 (AFEE) によって
授与される最高の栄誉――を受賞し、そしてその年の年次総会で彼の最後のプレゼンテーション(および論文発表)を
行った。彼の講演は「不確実性と資本制経済の制度構造」と題された(Minsky 1996a)。彼は
ジョン・R・コモンズ(制度経済学派の創設者の一人)宛のケインズの手紙からの引用で講演を始めた。
ミンスキーはこう語る。「ケインズの経済学とアメリカ制度学派の結びつきの説明、この結びつきは、
今も、ケインズがコモンズに宛てて手紙を書いた時と同じように適切である。つまり、
現在の富裕な資本制経済諸国におけるパフォーマンスと確信の危機によって、再び資本制経済成功にとって
制度的前提条件を再考することが必要になったのである。」

しかし、制度学派の J. Fagg Foster(同様にDudley Dillard)と同じく、ミンスキーはケインズと
ケインジアンとを区別することができた(Wray 2016参照)。ケインズもミンスキーも学部生としては
数学を専攻したのであるが、皮肉なことに両者とも数理経済学を拒否した。『一般理論』では数学の言葉が
使われている(例えば関数や独立・従属変数で語られている)が、ケインズは議論において関数関係を
特定することを拒否した。それは彼の目標――一般理論を提供するという――とは整合しなかったことで
あろう。特殊な数学的関数は一般ではありえ無い(Backhouse 2010 参照)。

制度学派であるフォスター(1981a)が述べる通り、一般性によってケインズの理論は「質が
科学的な理論に関連付けされているというような意味でオープンエンド」なのである。[29]ケインズの理論は
「証拠による検証vertificationと修正を受けることがある…。その結論は、その想定の単純な検証ではない。」
「分析のシステム内の独立変数は、実際に独立して変化しうる…。理論は…無限の発展に従う。」
フォースターによると、新古典派理論はこれとは対照的に「同義反復」――閉じられており、
そして非科学的である。単純な数理モデル――仮定によってあらかじめ結論が検証されている
――に対する脅迫観念によって、科学的方法という外観がすべて無効にされてしまう。

これらはまさにミンスキー(1991)のビデオと同様、AFEEのプレゼンテーションでも強調した点である。

「ケインズは理論構築を成功させるための「慎重な観察」の
重要性を常に強調していた。この立場では理論とはその時点の支配的な傾向を定式化して
表現する以上のことではない。そしてこうした傾向は、顕著な事実の反照から
導き出されるのである」[Skidelsky 1992, 221]。この立場では、適切な理論とは
普遍的真理と想定されている公理から導き出される命題の概要ではない。経済理論とは
数学の下位体系ではない。


適切な理論とは、経験に基づく観察に対する想像力と
論理的思考力の行使の結果である。それは実際の経済のオペレーションについての
命題を導き出す。昨今流行の方法論では、人工的に想像された経済を特定し、次いで
それがシミュレーションされ、最後に、シミュレーションの一般的特性が、観測
(例えばGNPなどの)に基づいた時系列の構築物の一般的特性と類似している(あるいは
類似していない)場合には、満足(不満足)とみなされることになっているのだが、これは
ケインズや彼の同時代の制度学派双方にとっては全くのところ呪わしいもので
あったことだろう。(Minsky 1996a)

ミンスキーはケインズの『一般理論』を受け入れはしたが、しかしその理論を我々の時代の関連する
制度的諸事実と結びつけることで発展させる方向へ進んだ。彼は現代の金融資本制の理論を発展させた。
それはこの資本制の欠点を理解し改革の試みの手助けになり得るものである。彼が常に論じていた通り、
理論は制度面を特定化しなければならない。そして彼の理論は現代の、発展した資本制経済、耐用期間が
長く高価な資本設備を伴う資本制経済を対象としていた。その経済は複雑で、非線形で、時間依存的で
ある。そこで生じる不安定性の期間はそれ自身の内的ダイナミクスから生まれるものであり、
外的なショックによるものではない。制度が適切であれば不安定性は抑制しうるだろうが、
なくすことは出来ない。安定とは不安定化のことである。

戦後の「ケインジアン」は成長を生み出すための呼び水という認識を推し進めた。ミンスキー(1971)が
指摘しているように、国防費は別として、「財政拡張を行うための望ましい方法はある種の減税あるいは
税に抜け道を作ることだ[とされた]。つまり租税から民間の消費や投資へシフトさせることである。」
こうした「ケインズ主義」政策によって完全雇用を促進しようとする場合、投資が刺激される
ビジネス環境が重要で、投資が刺激されると支出乗数を通じて消費が誘発されることになっていた。
様々な租税インセンティブ、例えば加速減価償却や投資税額控除などは、戦後の投資戦略に共通の
特徴だった。政策立案者もまた、資本所得の確実性を高めようとして、防衛や交通、住宅産業などでは
利益が保証されるような政府契約を行った。

しかしミンスキー(1973)は、早くから、高投資戦略には4つの問題があると論じていた。第一に、
資本所得にシフトさせる課税インセンティブは通常の労務者と、所得を投資し政策が投資を促進することで
報酬を高めることができる人たちとの間の格差を悪化させる。第二に、資本所得が高くなると富裕層による
奢侈的消費と、そこまで富裕では無い層の対抗的消費も引き起こし(さらに所得が低い層による
「世間に後れを取るまい」とする who try to "keep up with the Joneses" 債務によって資金調達された
消費は言うまでもない)、そこからディマンド・プルインフレーションの可能性が生み出される。 第三に、
洗練されたハイ・テク産業との政府契約は熟練の、高賃金労働に対する需要を産み出し、労働部門内部での
所得格差を悪化させる。最後に、資本所得の規模と確実性を目標とすることで、減税プログラムは事業の
確信を高め、そしてそれが債務発行による資金調達と借り手側の安全余地率の低下を引き起こすだろう。
こうして民間投資戦略は債務によって資金調達された投資ブームへ進み、金融システムの安定性を傷つける
可能性がある。

先に述べたとおり、ミンスキー(1963)の当初の議論では、民間部門主導の拡張は民間の債務増加と
金融不安定性を高める傾向がある。見込み営業利益に対して債務償還比率を引き上げるからである。それとは
対照的に、公共部門の支出によってもたらされた拡大は、安全な資産(予算が赤字に転じたときに発行される
国債)を提供することによって、実際に安定性を高めることになるだろう。

要するに、戦後期を特徴づけるものは民間投資戦略の重視で、民間投資によって民間支出と経済成長を
促そうとしていた。「貧困に対する戦争 the War on Poverty」が始まった時でさえ、ジョンソン政権は
民間部門支出戦略を選好し、1964年、次いで1965年、さらには1966年と減税案を通過させた。民間部門支出
(とりわけ投資)を奨励することで、政策立案者たちは総所得を刺激することを目指した。ケネディ政権と
ジョンソン政権が戦後、経済成長に成功し、1960年代半ばには一時的には失業率を引き下げることにも成功した
(これはしばしば合衆国経済の「黄金時代」と呼ばれる)にもかかわらず、政策立案者たちは「経済を
スラック状態から持続的な完全雇用へと動かすのに十分な政治的手段では、完全雇用を持続するためには
十分ではない」“policy weapons which are sufficient to move an economy from slack to sustained 
full employment are not sufficient to sustain full employment”(Minsky 1971, 28)ことを
理解できなかったのである。需要刺激策によって経済を完全雇用近傍にまで持ってゆくことができるとしても、
そのポジションは持続不可能であろう。なぜならそれが金融不安定性とインフレーションを導くリスキーな
行為を奨励することになるだろうからである。

ミンスキーによれば、この「ケインジアン」アプローチは投資を刺激し、そしてインフレーションが
発生するまで成長させると、次にはインフレーションと闘うために成長率を引き下げる政策を用いることになる。
というわけで、たとえ過熱期に失業率が低下したとしても、停滞期には元に戻るだろう。他方、金融脆弱性は
傾向的に悪化し、金融危機が繰り返されシステムにはストレスがかかるだろう。政府が危機を
改善しようとして介入すれば、ただ、よりリスクテイキングな行動を奨励するだけである。言い換えれば、
こうした政策戦略はインフレーションばかりでなく金融脆弱性も促進する方向へ寄って行ってしまうだろう。

ミンスキー自身のインフレーション理論は1986年の著作および、新しい著作のため、手を加え続けていた
一連のワーキング・ペーパーで展開された。簡単に言うと、ミンスキーはケインズの、需要増加の
インパクトはそれが向けられる場所に依存する、という『一般理論』の議論を受け入れていた。
ケインズは、需要の増加に対する産出の弾力性は部門ごとに様々であり、一方の端のゼロ
(価格が上昇するだけ)から1(産出量が増加するだけ)まである。ここに、ミンスキーは
変形カレツキー利潤方程式を付け加える。すなわち、集計的レベルでは、物価は消費財部門の賃金額に
マークアップを上乗せしたものでなければならず、それによって総利潤をもたらす余剰が
保証されなければならない。

従って、他のすべてを同一とすると、投資、政府支出から租税を差引したもの、純輸出、ある
いは利潤からの消費支出が高くなると、マークアップ価格は必ず高くなる。賃金からの貯蓄が
高くなれば、マークアップは減少する。投資、政府赤字、対外経常収支黒字、あるいは利潤からの
消費支出が時とともに上昇するようだと、これによってインフレーション圧力が高まる
(賃金からの貯蓄が増加すればこの圧力は弱まる)。インフレ圧力は、労働生産性の上昇によって
軽減される。ミンスキーの見解では、60年代後半から70年代全般にわたるインフレーションの高騰は
これらの要素の結びつきに起因するものであった。高い投資を促進する政策、同様に非生産部門
(軍事、福祉、社会保障)へのより大きな政府支出、この両者は集計的マークアップを引き上げ、
同時に、生産の弾力性が低い部門(組合の組織率が高く、価格支配力の強い先進部門)における
需要の増加を引き起こすこととなる。[30]というわけで、政府支出のインフレ的インパクトは、
どこに支出が向けられるか、あるいは大きな需要を享受できる部門の制度的構造といった様々な
要素に依存するのである。これはケインズのアプローチでもあり、同時に制度学派のアプローチでも
あった。そして時間とともにそして経済的な位置づけによってもこうした関係性は変化するだろう。

ミンスキーは機能的金融に対する初期の考え方を変化させたが、それは経済が進化したからである。
政府予算の立ち位置が変わるとき、そのインパクトは経済の、複雑で非線形的なダイナミクスに
依存するだろう。60年代後半までは、こうしたダイナミクスは金融脆弱性の進展とともに、巨大企業と
労働組合による大きな市場支配力を含んでいた。大規模な赤字によって高い利益がもたらされると、
経済は急激な拡張の影響を受けやすくなる。同時に政府支出のパターン――多くはより先進的な部門と
移転支出とに向けられる――もインフレーション的バイアスを産み出すだろう「巨大政府」と
「巨大銀行」によって収縮リスクからも守られ、こうした先進部門における賃金と価格は上昇する
だけであろう(ラーナーもまた理解していた)。

ミンスキーが好んだ解決方法とは修正マネタリズム政策へ向かうことではなく、
政府支出の構成を、インフレーション圧力に責任のあるこうした先進部門の賃金と価格についての
制約と、結び付けて調整を図ることであった。彼の政策提案の重要な構成要素は、政府支出の
方向を変え、目標を定めた就業プログラムに向けなおすことで、低賃金層の賃金を引き上げ
(この場合、平均生産性より急速に賃金は上昇するだろう)、高賃金層の賃金を抑制する
(平均生産性の伸びよりゆっくり引き上げる)ことを唱えた。もちろん彼は、脆弱性を高めることを
抑制するための様々な改革も唱えていたし、同時に常に、金融改革には終わりがあり得ないと
警告していた――金融構造が進化するなら、規制と監督も進化しなければならない。

ラーナーは機能的財政の単純化バージョンではミクロレベルのインフレ圧力が無視されていることを
知ってはいたが、カレツキー方程式のマクロ経済的含意は拒否した(彼にはこの方程式は、
どちらからでも読める思われた)。その点は金融不安定性の含意についても同じである(彼は
マクロ政策が適切であれば否定的結果に対処できると考えた)。ラーナーであればインフレーションを
縛るために、貨幣創造に対するコントロール(Fedの手によって)と市場で売買できる
インフレベース賃金引上げの許可証の発行(発行数を限定する)とのコンビネーションを使うであろう。
これは基本的にマクロレベル政策アプローチに留まっている。


CONCLUSION 
結論




ラーナーは自分自身の初期の見方を棄却したが、その結果、需要管理は貨幣政策に
ゆだねられるべく、中央銀行の下に置かれるべきだと論じることになった。彼は、
政府支出の増加はどこかほかの支出の削減によって相殺されることが必要だと論じた
――ほかの政府支出を減らすということもあり得るが、それよりは彼が推奨したのは増税によって
民間支出を減らすことであった。皮肉なことだが、ラーナーは機能的財政を、均衡予算の
健全財政アプローチに置き換えたのである――彼が懸念したのは政府の資金不足ではなく、
インフレーションへの影響であった。彼は財政赤字ハト派の立場さえ超えて、不況期においてすら
もはや財政拡張を主張しなくなっていた――貨幣政策だけで経済のステアリングは回せると論じたのだ。

ミンスキーもある程度同じラインに沿って議論を展開した――彼もまた移転支出や金利支払いは
「非効率」であるため、財政政策が赤字に偏りすぎれば、その債務がインフレーションを
加速するかもしれないことの恐れを抱いていた――、ただし、ミンスキーは制度的現実により
根拠を持っていたし、そしてFedが貨幣供給コントロールを通じて「需要管理」に責任を
持つべきだなどと主張したことは一度もなかった。

彼らは両者ともなぜ単純なバージョンの機能的財政論を放棄したのか?筆者は理由の一つは
1960年代から1980年代の加速するインフレ時代を生きた人々には経験によるトラウマが
あったことだと思う。ラーナーは機能的財政をある種の賃金物価統制(売買可能な、賃金・
価格引上げ「許可証」)とマネタリズムのコンビネーションに置き換えた。どちらも
「マクロ的」に適正になる(物価や賃金上昇の適正な額、新規貨幣注入の適正な額)を
得ることに依存しているのであるが、しかしそれが「ミクロ的」適正であるためには市場の力に
依存するのである。

ミンスキーは政府の支出全般よりは、目標を絞ることを重視しており、特に、
インフレーション抜きに完全雇用を達成し、賃金を引き上げ所得平等化を促進するため、
エンプロイヤー・オブ・ラストリゾート・プログラムの利用を提唱した。彼が推奨したのは、
追加的な政府主導政策(金融規制・監督強化、投資の社会化)であり、見えざる手を
信頼することではなかった。ミンスキーにとって、経済の制度的構造とは個人が機能する
場面設定を決定するものであった。ミンスキーは常に、政策が効率的であるには、行動の変化
――これにはこうした場面設定への効果的な調整が必要になる――を引き起こすことが必要だと
論じていた。経済的結果を変化させることが目標なら、マクロ経済構造をそのまま経済システムの
制度的構造を変化させることなしに数字だけを引き上げようとするのはナンセンスである。
ラーナーの提案(従来のケインジアンやマネタリストも同じだが)は矛盾した制度的構造に
手を付けず放置したまま、結果が変わるのを期待している。それは、しばしば(明らかに
間違いなんだけれど)アインシュタインに帰せられている狂気の定義と一致する。「狂気とは
同じことを何べんも繰り返しながら違う結果が出ることを期待することである。」ミンスキー(1996b)の
論じるとおり、

筆者はヘンリー・サイモンの立場を受け入れている。
経済政策の目的とは狭い意味で経済的なものではない。政策の目的は、
開かれた自由な社会の文化、そして文化的基準を維持するための
経済的前提条件の存在を確実なものにすることである。不確実性や
極端な所得の不適切な分配、そして社会的格差が増幅され、民主主義を
支える経済が衰弱するのであれば、そのような状況を作り出す市場の行動には
制限がかけられなければならない。民主主義を脅かす不確実性を封じ込めるため、
市場の効率性や集計的所得がごく一部断念せねばならないのであれば、
そうすべきだ。とりわけ、民間の所得を社会的に給付される所得で補い、
文化的態度と文化的責任を促進することが必要である。

ラーナーとは異なり、ミンスキーはどのような政府支出を増やすためにであっても、
租税を引き上げることは推奨しなかった。実際、彼が推奨し続けていたのは、予算を
反循環的に変動させることで、集計的需要の変動を封じ込める一助にしようということで
あった。したがって、彼は財政政策の安定化の役割を放棄しなかった。ただし、
キーワードは「安定化」である――彼は、予算が安定化の役割を果たすためにあまりにも
赤字に偏りすぎるようになることを懸念していた。他にも彼が懸念していたことは、
予算が移転所得(金利支払いなど)に偏よることで、安定化を果たす能力が減じられて
しまうばかりか、非効率的な支出にばかりに偏ってしまうのではないか、ということであった。

特にレーガン時代の後、彼は経済の資本発展を懸念していた――政府支出も民間金融部門の
急速な成長も生産能力を増加させるための長期的投資を促進していない。彼の懸念は、
合衆国の対外収支が赤字に転じ、そしてそれが慢性化し増加する一方になったことで
複雑化された。この様に彼はインフレだけでなく、ドル減価の可能性も恐れていた。
こうした懸念も(アジア通貨危機の後のドル準備に対するほぼ無限とも言いたくなるような
需要があったことを考えれば)大げさに思われるかもしれないが、国内経済の資本発展及び、
長期停滞の可能性に関するミンスキーの懸念は、依然として重要性を持っている。

ミンスキー(1965、183)は「財政支出、財政赤字、簡易な資金調達…に対する不合理な偏見」は
無視されなければならない、と、長々と警告する一方で、法律的な障壁は考慮しなければ
ならないことも認識していた。「経済的諸勢力は、政策目的がこうした諸勢力と矛盾していたり、
たとえ原理的には達成可能であっても、プログラムに説得力がなく不必要な障害と衝突しながら
進めなければならないとしたら、プログラムをダメにしてしまうかもしれない(Minsky 2013)。
そのようなプログラムを無力化しうる経済力の1つはインフレである。彼はこう論じる。
「政策的問題とは、タイトな完全雇用を」を「物価や賃金のインフレーション的上昇なしに」
達成し、持続することである(Minsky、1972)。だがミンスキー(1965)の反貧困キャンペーンでは
「貧困ライン近傍の、あるいはそれを下回る人たちの賃金を急速に引き上げる」ことが
求められていた。彼は、この種の政策にはインフレーション的バイアスがるかもしれない、
ということを認識していた。特に低賃金労務者層の生産性(時間当たり産出高)の上昇が賃金と
歩調を合わせるのに失敗すればそうなるであろう。

全般的物価水準をそれなりに安定させるためには、ほかの財サービスの価格上昇を封じ込めなければ
ならないだろう。ミンスキー(1965,186)で示唆されているのは、高賃金産業においては
賃金上昇率は「その労務者の生産性の上昇率より低くなければならないだろう」。企業が
ただ自分たちの利潤を引き上げるだけで終わらせるのを防ぐために必要なのは、「しばしば
寡占的でもあるこうした産業のマネージャーたちが、単位費用の低下を顧客に知らせざるを
得ないようにする」確実な状態を作り出すことである(Minsky 1965, 183)。このように彼は
「効果的な利潤・物価制約はタイトな完全雇用を達成するためには必要になるだろう」
(Minsky 1972)と論じた。ミンスキーが恐れていたのは、インフレーション圧力を封じ込めることが
できなければ、「完全雇用の政治的人気」が損なわれるであろう、ということだった
(Minsky, nd 55 [※“nd”とあるが、”ib”(前出)か何かの間違い?])。

とはいえ、インフレーション封じ込めは今日のグローバル経済ではそれほど懸念されていない。実際、
ミンスキー及びラーナーのインフレーションに対する懸念は古臭く見える。第一に、数多くの国が
国内需要を抑制して貿易黒字にしようとしているため、世界中でデフレーション圧力が大きく
なっている。合衆国は世界中の「超過」生産物に対する需要を提供するように求められているようだ。
最も重要なのは多くの世界的輸出国はかなりの低賃金国でもあり、これによって世界的に物価低下が
継続している。これが意味しているのは、合衆国の企業は大きな価格競争に直面している、ということで
あり、それゆえ相対的に急速な成長でさえ――クリントン時代そしてGFCに先立つ数年間に
経験されたとおり――、大きなインフレーション圧力を産み出すことはないのである。

第二に、技術進歩および貿易制限の撤廃によって海外との賃金競争が高まり、低失業率が
賃金物価スパイラルを生み出す可能性が減じた。実際、1970年代中葉以来、合衆国の問題は、
平均賃金の上昇が労働生産性の伸びより大幅に低かったことであった――その理由の一つが
生産のグローバル化である。こうした競争圧力のため賃金上昇率が生産性の上昇率の範囲に
とどまって限り、物価圧力は緩慢なままであろう。ミンスキーとラーナーは1960年代後半に
始まった高インフレーションに強く影響されているが、今日であれば、その見方を和らげようと
思ったかもしれない。我々は機能的財政の強いバージョンに対する拒絶については、ある程度、
当時の高インフレーション時代の文脈で考えなくてはならない。

ミンスキーが論じた最後の制度的障害は、為替レート体制に関わっている。ミンスキーの貧困政策に
関わる論文の多くは1960年代から1970年代初頭に書かれている。合衆国の政策が固定為替レート制の
国際貨幣システムによって制約されていた時代である。ブレトン・ウッズシステムの整合性はドルの
金との交換性に依存していたため、政策立案者は財政・貨幣オペレーションを国際収支に悪影響を
及ぼさないように制限しなければならなかった。ミンスキーの言葉(1965、192-93)によると、

1958年以降については、かなりの程度、ドル本位の必要性によって
国内所得が制約されていた。私たちがタイトな労働市場を持てないのは、ドルに対する
独特の拘束が国際的に存在しているからである。ここでウィリアム・
ジェニングス・ブライアンを思い出しながら、こう語るのがいいだろう。アメリカの貧者に背負わされた
十字架は金でできている、、、。金本位制の障害を解決するのは簡単だ。金本位制をやめればいい。

今日ではドルは変動通貨であり、したがって外貨準備と金準備を守る必要性によって制約されることは
ない。従って、タイトな完全雇用を実現し維持するにあたって第一義的な障害は政治的な意思である。
外国為替体制ではない。そう言ったからといって、アメリカの経常収支が政治的な問題を
引き起こさないということにはならない――大部分の政策立案者は多くのエコノミスト同様、
経常収支赤字を減らす政策の支持者であるといっている。ミンスキーはこの問題についてそう多く
書き残してはいないが、彼が書いたものでは微妙なアプローチが取られている――もし合衆国ドルが
国際的な準備通貨であり続けるなら、ドルは世界中に供給されなければならない。ここに大きな
選択肢が三つある。ドルを供給するため、合衆国が国際融資を行うか、外国資産を購入するか、
経常収支赤字になるという手段である。

金融安定性の立場からは、合衆国の支出のほうが融資よりよい。しかし経常収支赤字は、
合衆国消費者がその消費の資金調達のため、債務に依存するとなると、問題である。確かに、
彼らは国内的であろうと対外的であろうと債務の重荷を負う。1960年代初頭にミンスキーが
論じたとおり、民間主導の拡張は危険であり、そして我々が(GFCの準備段階で)学んだ通り、
それは企業によってであろうと家計によってであろうと真実である。思うにミンスキーなら、
さらにこう論じたのではないか。つまり、財政拡大、それも最低所得層の雇用創造と底辺層の
賃金引き上げに目標を絞った政府支出によるものによって担われた方がよい、と。

いずれにせよ、ラーナーおよびミンスキー両者とも単純な機能的財政の解釈を放棄したことがわかる。
ラーナーの拒絶はミンスキーより先へ向かい、マクロ経済政策を中央銀行の手に任せるマネタリズム的
バージョンを受け入れている。ミンスキーはそれとは異なり、財政政策の責任は十分な集計的需要と
完全雇用の達成にあるとする考えかたにとどまり続けた。ただし、彼は、物価を制約し
金融を安定化させる政策とともに、目標を絞った支出を推奨した。彼の推奨する政策がラーナーのものより
曖昧であり、しばしば言うことが変わっているというのは事実である。思うにこれは、
現代資本制システムが著しく複雑、非線形、そして動的なものであり、政策立案者はそれを
コントロールする可能性についてそれほどはっきりした確信を持てるはずがない、とする彼の考え方を
反映している。彼が常に認めていた通り、彼の金融不安定性の立場は最終的には悲観的なものだ。
ラーナーの手紙、そしてジョン・メイナード・ケインズについてのレビューを見ると、ラーナーは
こうした立場を共有していないことは明らかだ。ただし、彼らのやり取りに続く40年間によって、
ミンスキーの資本制経済が基本的に矛盾したものだという見解の妥当性が示されたと思われる。


脚注

29 フォースターは、特に、三つの独立した行動を数学的に関係を特定することをケインズが拒絶した点を
指摘した。ケインズの説明は、動的で、一般的で、そして「オープン」であった――「一般性を達成するには、
所得を三つの独立変数の間のありうる関係の全領域のの一時で偶発的な結びつきとして特定することである。
この理論はあらゆる状況に等しく適用可能なので、あらゆる消費性向、資本の限界効率、利率の間の関係の
あらゆるパターンに適用できる。Foster(1981b)として出版された関連する1966年の論文も参照のこと。

30 これらのことはすべて、Minsky(1982)で詳細に論じられている。



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2 Comments:

Blogger yoji said...

ヨットの比喩はどうか

金融政策は風がない日にマストを調整することに似ている

自分で漕ぐ時は邪魔だ

10:14 午後  
Blogger yoji said...

医者の比喩が的確か


makuma_x (@XMakuma)
2019/09/22 8:52
飢餓状態の人間に健康体になるまで栄養を与えましょうと言ったら、「栄養の与え過ぎは肥満になる!」とか言い出す阿呆。国民経済が人間だとしたら、政府は国民経済(人間)が病気になったときに治療する医者と同じなので。 twitter.com/shiratori07031…

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10:19 午後  

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