火曜日, 11月 19, 2019

バルトーク

バルトークの作品は無調音楽でしょうか。それとも調性音楽でしょうか... - Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14203455484?fr=sc_scdd&__ysp=44OQ44Or44OI44O844KvIOiqv%2BaApw%3D%3D

ベストアンサーに選ばれた回答

おそらく「完全な調性音楽」と「完全な無調音楽」の間には広大な中間領域があり、そのどこかにバルトークもドビュッシーもいる、ということになると思います。

バルトークは不協和音の多用、複雑な転調、復調(多調)などによって「調性音楽」の枠組みを壊していますが、「調性感を徹底的に排除する」ことを目指す「完全な無調音楽」とは一線を画しています。

以下、ご参考に…

宮下誠『20世紀の音楽 クラシックの運命』(光文社新書)では、バルトークについて次のように述べています。

<西欧音楽の論理的な帰結としての十二音技法とは異なった基盤に立って自由な調性の音楽を生み出していった。特に1930年代、調性から完全に自由ではないものの五音音階や十二音の緩やかな「平等主義」の採用によって西欧前衛からは一定の距離を取った独自の音楽を多数作曲してゆく。>

伊福部昭『音楽入門』(全音楽譜出版社、のち角川文庫)では、「多調主義」について次のように述べています。

<…このように調性を変えることを私たちは転調という言葉で呼んできたのですが、ここにいう多調というのは、いわば、従来は、時間的経過、ないしは進行の中でしか考えることのできなかった二つの別個の調性を、同時に結合せしめることによって、音楽をより立体化しようとするにあるのです。絵でいう立体派と同格物なのです。>

<この主導的な作家は、ダリウス・ミヨーとベラ・バルトークでありましょうが、音楽にあっては絵画におけるもののように他の主調と截然と区別されるものではなく、現代の作曲家の中で、多少ともこの手法を用いないものは絶無といっても過言ではないほどに、一般化された志向、手法となっているのです。>

さらに伊福部昭『音楽入門』では、「無調主義」について次のように述べています。

<前述した多調は、従来の調性を覆したものには違いないのですが、それでもまだ、各個の調性は独立したものとして認めていますが、ここにいう無調主義というのは、この調性というものを根本的に否定しようとする主張です。>

<前述した多調を絵画の立体派と見ることができるとすれば、この無調は、更に次元を増したブラックの主張する四次元的立体派と見ることも可能であり、また、旋律と和音の妥当な安定、および妥当な関連を否定する点では、超現実派ということも可能であるかもしれません。>