なぜいま量的緩和は制限されているのか
11月には安倍晋三自民党総裁がインフレ目標2%を達成するまで無制限な金融緩和をすべきと繰り返し発言することで,金融政策が総選挙の大きな争点となった。「無制限」には批判があって「大胆な」に言い換えられたが,目標に達成するまで大胆な金融緩和を続けるのであれば,事実上無制限である(目標に到達しても大胆な金融緩和を継続するとインフレが過熱するから,そこで金融緩和が制限されることを今の文脈で言及する必要もない)。そうすると,無制限の金融緩和の是非を考えておく必要がある。
そのためには,どうしていま金融緩和は制限されているのか,を理解することが大きな助けになる。「日銀は実はデフレのままにしたいから」,「これまで日銀は金融緩和でインフレにはできないと言っていたので,本当に実行してインフレになったら間違いがばれてしまうから」とか,愚にもつかないことを言う人もいるが,当然に別のしっかりとした理由がある。
今回の記事では,最もよく語られる手段である長期国債の大量購入について考えてみよう。実際,「資産買入等の基金」での他の資産の一層の購入では購入規模が大きくなりすぎて市場が崩壊しかねないので,選択肢は国債に絞られる。
国債購入の副作用としては,市場で財政ファイナンスと受け取られかねないことがよく取り上げられる。しかし,細心の注意を払って財政ファイナンスと受け取られないように国債購入を進めたとしても,その先に大きなリスクが待っている。これは技術的な説明が必要で,簡単な説明でないと通用しないメディアでは取り上げられにくい。しかし,なぜ制限がかけられるのかの本質的な焦点は,ここにある。最近では,齊藤誠一橋大教授が「なぜ、無制限の金融緩和が私たちの経済社会にとって有害なのか?」(http://www.econ.hit-u.ac.jp/~makoto/essays/monetary_uselessness_20121118.pdf )でくわしく説明されていた論点であり,私も「通貨発行益」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33222258.html )でこのことを説明している。この論点は10年以上前の金融政策をめぐる論争でも提示されていたものであり,例えば翁・白塚・藤木(2000)が詳細な分析をしている。
日銀が長期国債を買い入れていくと,民間の保有する資産が長期国債から日銀の準備預金に切り替えられる。日銀は政府の子会社とみなせるから,政府と日銀を合わせた「統合政府」の負債が,長期負債である国債から短期負債である準備預金に切り替わっていることになる。
さて,無制限の国債購入を議論したいので,インフレが起こるときには日銀が国債のほとんどを買ってしまっている状況を考えよう(注)。インフレ率が目標に到達するまでには,ゼロ金利政策も解除され,金利が正常化しているだろう。金利が上昇すれば,統合政府が支払わなければいけない利払費は急騰する。それを払い切れないときには財政破綻につながる。債務が短期債務でなく長期国債であれば,長期国債は固定利子であるから,利払費の増加は少し緩やかになる。つまり,利払費をすぐに工面できる当てがなければ,債務を短期化させると,統合政府は金利の上昇に対して脆弱になる。
国債の期間構成を操作するのは「国債管理政策」と呼ばれる。付利された準備預金は短期国債と同等であり,日銀による長期国債の購入は事実上の国債管理政策である。国債管理政策は国の仕事であり,かつ安定化政策とは見なされていない。どこかで裁定取引に限界があって,国債の期間構成を変えることに実体的な意味があるなら,それは民間の行動にも影響を与えるのだが,マクロ経済に大きな影響を与えるほどのものではないと考えられているからだ(さらに言えば,裁定取引の機会が完全であれば,国債の期間構成の変化は実体経済への影響をもたなくなる)。金融緩和として事実上の国債管理政策を使うということは,日銀は国債を途方もない量か無制限に買っていくような無茶をしなければいけず,国債管理政策の本来の目的であるリスク管理の面では無茶苦茶をしていることになる。
統合政府の利払費が急増するとのべたが,政府と日銀を分けて考えると,財務状況が悪化するのは日銀の方である。これは,日銀の資産である長期国債からの利子収入は増えず,負債側の超過準備に支払う利子が増えるからである。このことは無制限の金融緩和の当然の帰結であるのだが,財務状況が悪化して債務超過にまでなったりすれば,冒頭にのべたような日銀をとにかく批判したがる人だけでなく,政治家から日銀に関心のない人までも,日銀の経営責任を糾弾する事態になることが想像される。子会社から見れば,親会社の方針に従って経営が悪化しているのに,親会社から批判されて経営責任をとらされるのではたまったものではない。したがって,こうした事態になっても日銀に非はないと判断される保証がないと,日銀は無制限の長期国債購入を躊躇する。そして,一般の人まで含めて日銀を責めないことを保証するのは無理である。
日銀の損失が政府によって補填される仕組みがあれば,日銀が自身の財務状況を心配して躊躇する理由はなくなる。そのような仕組みとして有力なのが,米連邦準備制度理事会理事(当時)のバーナンキ氏が2003年の日本金融学会での講演で提案した,日銀が保有する長期国債の固定金利と変動金利を日銀と政府の間でスワップする「ボンド・コンバージョン」である(ボンド・コンバージョンについては,「日銀の債務超過懸念へのバーナンキからの“回答”」(http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20100531/Some_Thoughts_on_Monetary_Policy_in_Japan3 )に詳しい解説がある)。ボンド・コンバージョンが導入されていれば,金利が上がれば,保有する国債の金利も上がるので,利上げによって日銀の収益が悪化することはない。日銀が無制限の国債購入に踏み切る際の最大の障害はなくなる。
しかし,ボンド・コンバージョンの導入によって,金利が上昇したときには,利払費の上昇は政府を直撃する。したがって,財務大臣がまともな神経の持ち主なら,日銀が無制限の国債購入を始めると聞けば止めに入るはずである。
そのように考えてくれば,そもそも政府が日銀に無制限の長期国債の購入を求めること自体がおかしいはずである。子会社の財務状況の悪化は,企業グループ全体の財務状況の悪化であるから,親会社はわが身のこととして考えるべきである。上の議論では日銀は自身の財務状況のみを心配する形で説明したが,統合政府全体のことに目配りしていれば,親会社から企業グループ全体を危機にさらす要請が来ることに戸惑うはずである。
長期国債の購入がどこで制限されているのか,についてのまとめ。
現状では,日銀が制限をかけている。(その理由は,金融緩和からの出口での財務状況の悪化を懸念しているからである。さらに,現在の買入額は慎重に判断して増額している)。日銀が制限をかける理由を除去すると,今度は政府が(十分に賢ければ)制限をかけるだろう。
(注)
無制限の金融緩和によってインフレが起こるという因果関係を前提にしているわけではない。欧州の財政危機が落ち着くことによるユーロ高・円安や原発停止に起因するエネルギー価格の上昇等の金融政策以外の要因で,金融緩和とは独立にインフレになる可能性もある。
(参考文献)
翁邦雄・白塚重典・藤木裕(2000),「ゼロ金利下の量的緩和政策:その効果およびリスク・副作用」,岩田規久男編『金融政策の論点』,東洋経済新報社,143-182頁
(参考)
「なぜ、無制限の金融緩和が私たちの経済社会にとって有害なのか?」(齊藤誠)
http://www.econ.hit-u.ac.jp/~makoto/essays/monetary_uselessness_20121118.pdf
「日銀の債務超過懸念へのバーナンキからの“回答”」(himaginaryの日記)
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20100531/Some_Thoughts_on_Monetary_Policy_in_Japan3
「Some Thoughts on Monetary Policy in Japan」(Remarks by Governor Ben S. Bernanke)
http://www.federalreserve.gov/BoardDocs/Speeches/2003/20030531/default.htm
(関係する過去記事)
「通貨発行益」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33222258.html
「自己資本制約による将来の金融緩和へのコミットメント」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33237678.html
そのためには,どうしていま金融緩和は制限されているのか,を理解することが大きな助けになる。「日銀は実はデフレのままにしたいから」,「これまで日銀は金融緩和でインフレにはできないと言っていたので,本当に実行してインフレになったら間違いがばれてしまうから」とか,愚にもつかないことを言う人もいるが,当然に別のしっかりとした理由がある。
今回の記事では,最もよく語られる手段である長期国債の大量購入について考えてみよう。実際,「資産買入等の基金」での他の資産の一層の購入では購入規模が大きくなりすぎて市場が崩壊しかねないので,選択肢は国債に絞られる。
国債購入の副作用としては,市場で財政ファイナンスと受け取られかねないことがよく取り上げられる。しかし,細心の注意を払って財政ファイナンスと受け取られないように国債購入を進めたとしても,その先に大きなリスクが待っている。これは技術的な説明が必要で,簡単な説明でないと通用しないメディアでは取り上げられにくい。しかし,なぜ制限がかけられるのかの本質的な焦点は,ここにある。最近では,齊藤誠一橋大教授が「なぜ、無制限の金融緩和が私たちの経済社会にとって有害なのか?」(http://www.econ.hit-u.ac.jp/~makoto/essays/monetary_uselessness_20121118.pdf )でくわしく説明されていた論点であり,私も「通貨発行益」(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33222258.html )でこのことを説明している。この論点は10年以上前の金融政策をめぐる論争でも提示されていたものであり,例えば翁・白塚・藤木(2000)が詳細な分析をしている。
日銀が長期国債を買い入れていくと,民間の保有する資産が長期国債から日銀の準備預金に切り替えられる。日銀は政府の子会社とみなせるから,政府と日銀を合わせた「統合政府」の負債が,長期負債である国債から短期負債である準備預金に切り替わっていることになる。
さて,無制限の国債購入を議論したいので,インフレが起こるときには日銀が国債のほとんどを買ってしまっている状況を考えよう(注)。インフレ率が目標に到達するまでには,ゼロ金利政策も解除され,金利が正常化しているだろう。金利が上昇すれば,統合政府が支払わなければいけない利払費は急騰する。それを払い切れないときには財政破綻につながる。債務が短期債務でなく長期国債であれば,長期国債は固定利子であるから,利払費の増加は少し緩やかになる。つまり,利払費をすぐに工面できる当てがなければ,債務を短期化させると,統合政府は金利の上昇に対して脆弱になる。
国債の期間構成を操作するのは「国債管理政策」と呼ばれる。付利された準備預金は短期国債と同等であり,日銀による長期国債の購入は事実上の国債管理政策である。国債管理政策は国の仕事であり,かつ安定化政策とは見なされていない。どこかで裁定取引に限界があって,国債の期間構成を変えることに実体的な意味があるなら,それは民間の行動にも影響を与えるのだが,マクロ経済に大きな影響を与えるほどのものではないと考えられているからだ(さらに言えば,裁定取引の機会が完全であれば,国債の期間構成の変化は実体経済への影響をもたなくなる)。金融緩和として事実上の国債管理政策を使うということは,日銀は国債を途方もない量か無制限に買っていくような無茶をしなければいけず,国債管理政策の本来の目的であるリスク管理の面では無茶苦茶をしていることになる。
統合政府の利払費が急増するとのべたが,政府と日銀を分けて考えると,財務状況が悪化するのは日銀の方である。これは,日銀の資産である長期国債からの利子収入は増えず,負債側の超過準備に支払う利子が増えるからである。このことは無制限の金融緩和の当然の帰結であるのだが,財務状況が悪化して債務超過にまでなったりすれば,冒頭にのべたような日銀をとにかく批判したがる人だけでなく,政治家から日銀に関心のない人までも,日銀の経営責任を糾弾する事態になることが想像される。子会社から見れば,親会社の方針に従って経営が悪化しているのに,親会社から批判されて経営責任をとらされるのではたまったものではない。したがって,こうした事態になっても日銀に非はないと判断される保証がないと,日銀は無制限の長期国債購入を躊躇する。そして,一般の人まで含めて日銀を責めないことを保証するのは無理である。
日銀の損失が政府によって補填される仕組みがあれば,日銀が自身の財務状況を心配して躊躇する理由はなくなる。そのような仕組みとして有力なのが,米連邦準備制度理事会理事(当時)のバーナンキ氏が2003年の日本金融学会での講演で提案した,日銀が保有する長期国債の固定金利と変動金利を日銀と政府の間でスワップする「ボンド・コンバージョン」である(ボンド・コンバージョンについては,「日銀の債務超過懸念へのバーナンキからの“回答”」(http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20100531/Some_Thoughts_on_Monetary_Policy_in_Japan3 )に詳しい解説がある)。ボンド・コンバージョンが導入されていれば,金利が上がれば,保有する国債の金利も上がるので,利上げによって日銀の収益が悪化することはない。日銀が無制限の国債購入に踏み切る際の最大の障害はなくなる。
しかし,ボンド・コンバージョンの導入によって,金利が上昇したときには,利払費の上昇は政府を直撃する。したがって,財務大臣がまともな神経の持ち主なら,日銀が無制限の国債購入を始めると聞けば止めに入るはずである。
そのように考えてくれば,そもそも政府が日銀に無制限の長期国債の購入を求めること自体がおかしいはずである。子会社の財務状況の悪化は,企業グループ全体の財務状況の悪化であるから,親会社はわが身のこととして考えるべきである。上の議論では日銀は自身の財務状況のみを心配する形で説明したが,統合政府全体のことに目配りしていれば,親会社から企業グループ全体を危機にさらす要請が来ることに戸惑うはずである。
長期国債の購入がどこで制限されているのか,についてのまとめ。
現状では,日銀が制限をかけている。(その理由は,金融緩和からの出口での財務状況の悪化を懸念しているからである。さらに,現在の買入額は慎重に判断して増額している)。日銀が制限をかける理由を除去すると,今度は政府が(十分に賢ければ)制限をかけるだろう。
(注)
無制限の金融緩和によってインフレが起こるという因果関係を前提にしているわけではない。欧州の財政危機が落ち着くことによるユーロ高・円安や原発停止に起因するエネルギー価格の上昇等の金融政策以外の要因で,金融緩和とは独立にインフレになる可能性もある。
(参考文献)
翁邦雄・白塚重典・藤木裕(2000),「ゼロ金利下の量的緩和政策:その効果およびリスク・副作用」,岩田規久男編『金融政策の論点』,東洋経済新報社,143-182頁
(参考)
「なぜ、無制限の金融緩和が私たちの経済社会にとって有害なのか?」(齊藤誠)
http://www.econ.hit-u.ac.jp/~makoto/essays/monetary_uselessness_20121118.pdf
「日銀の債務超過懸念へのバーナンキからの“回答”」(himaginaryの日記)
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20100531/Some_Thoughts_on_Monetary_Policy_in_Japan3
「Some Thoughts on Monetary Policy in Japan」(Remarks by Governor Ben S. Bernanke)
http://www.federalreserve.gov/BoardDocs/Speeches/2003/20030531/default.htm
(関係する過去記事)
「通貨発行益」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33222258.html
「自己資本制約による将来の金融緩和へのコミットメント」
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33237678.html
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