木曜日, 12月 12, 2019

グレタさんが訴える気候変動の正義は「新たな階級闘争」だ 2019.12.13

グレタさんが訴える気候変動の正義は「新たな階級闘争」だ | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン
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グレタさんが訴える気候変動の正義は「新たな階級闘争」だ


グレタさんが訴える気候変動の正義は「新たな階級闘争」だ
Photo:NurPhoto/gettyimages
12月2日にマドリードで始まり、13日に閉幕を迎える第25回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP25)。パリ協定の本格実施を来年に控え、各国が温室効果ガスの削減目標引き上げや新たな排出抑制策をどう打ち出すかが注目されるが、気候変動問題の取り組み強化の機運を一気に盛り上げたのが、スウェーデン人の16歳の少女、グレタ・トゥーンベリさんの“告発”だ。「あなたたちが言うのはおとぎ話。私たちは絶対に許さない」と語る彼女のメッセージの意味を、斎藤幸平・大阪市立大准教授が読み解いた。(大阪市立大学准教授 斎藤幸平)

1人で始めた「学校ストライキ」
若者が共鳴、世界で広がる

 先月、米国・ボストンをヨットで出発した彼女は、約3週間の大西洋の航海を終え、3日、ポルトガルに到着。6日にはマドリードに移動し、公式イベントでスピーチするなど発信を続けている。
 9月23日、ニューヨークでの国連気候行動サミットで大人たちを厳しく糾弾したスピーチの後、米国やカナダの各地で演説を終えたのちに、今度はスペインでのCOP25に参加するため、欧州へ戻ったのだ。

グレタさんが訴える気候変動の正義は「新たな階級闘争」だ

 ノーベル平和賞の受賞を逃したものの、二酸化炭素排出の多い飛行機での移動を避けながら世界中を回り、各地の環境運動を結びつけようとしている彼女の活動に、いま世界中が注目している。 
 彼女をこれほどまでに有名にしたのは、約1年前に1人で勇気を振り絞って始めた学校ストライキの運動だった。
 気候変動対策を求めて学校を欠席、スウェーデン議会の外で座り込みをした彼女の信念はこうだ。
「ひとりでも十分なことができます。ほかの誰かが何かをするのを待つ必要はありません。変化を起こすのに、小さすぎるということはありません」
 彼女の行動とメッセージが、多くの人の心を揺さぶり、他の学生たちも参加した「未来のための金曜日」の運動は、9月20日には世界で400万人が参加するまでになった。
 日本にいると、この環境運動が持つインパクトは実感しにくいかもしれない。10万人規模のデモが行われたドイツなどとは異なり、日本ではデモも数百人から1000人程度の参加者で、彼女のメディアでの扱いも環境「少女」などというものだからだ。
 だが、彼女の主張は科学的知見に基づくものであり、数多くの専門家たちによって支持されている。
 彼女がまずもって訴えているのは、「危機を危機として扱う」こと、そして、そのうえで、「科学者たちの言っていることに耳を傾けること」である。
 彼女を頭ごなしに否定することは、科学を否定することに等しい。
 そして、いまや日本でも毎年のようにスーパー台風や酷暑が大きな被害を生んでいることを考えれば、もはや気候変動の問題は対岸の火事ではない。
 彼女は「自らの家が火事になっているかのように行動してほしい、実際に火事になっているのだから」と述べている。
 アマゾンやカリフォルニア、オーストラリアの火災だけではない。ベネチアを水没させた高潮や北極圏の氷が11月になってもなかなか形成されないことを含め、すべてはこの地球が「燃えている」ことの表れなのである。
 だが、環境運動もまた「燃えている」。
 今世界中で、若者たちが中心となって、石油のパイプラインの建設反対運動(「スタンディング・ロック」)、市民的不服従による占拠活動(「絶滅への反逆」)、さらには「グリーンニューディール」を求める市民運動(「サンライズ・ムーブメント」)など、逮捕されることをいとわないような直接行動を重視する抗議活動が若者の支持を集めるようになっているのだ。


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次の10年が「未来への大分岐」
「無限の成長はおとぎ話」

 直接行動を重視する「過激な」運動が生まれるのは、民主主義が機能していないからである。
 彼女は言う。「いますぐ行動を起こすべきだと政治家に言うと、一番よく返ってくる答えは、劇的なことはできない、有権者に不評だから、というものです」。
 年金や少子化からもわかるように、既存の議会制民主主義では、政治家たちは自分たちの任期を超えるような長期的な問題を扱うことを避けようとする。
 なぜなら気候変動のような大きな問題に取り組むなかで、経済が落ち込んだり、増税が必要になったりした場合に、自分たちが責任を取ることを迫られるからである。
 他方で、目先の当選を優先し、何十年もたってから問題が深刻化したとしても、もう自分は政界から引退していて責任を取らなくてよい。
 若者たちが怒り、早急な対策を取ることを求めているのは当然だろう。
 気候変動の不可逆的な変化を防ごうとするなら、次の10年間こそが未来への大分岐であり、浪費する瞬間などない。2100年までの気温上昇を1.5℃以内に収めようとするなら、2030年までに二酸化炭素排出量を半分にし、2050年までに実質ゼロにしなくてはならないのだから。
 ところが、このような野心的な目標を達成しようとするなら、先進国はすぐにでも毎年10%のペースで二酸化炭素排出を削減しなくてはならない。
 もちろん、そのようなペースでの削減は、資本主義の根本原理である経済成長と相いれない。
 だから、彼女は「無限の経済成長というおとぎ話」を信じるのをやめるべきだと繰り返し訴えているのである。
 つまり彼女の主張は、米国のジャーナリスト、トーマス・フリードマンが掲げる脱炭素社会への移行による経済成長を追求する 「グリーン革命」さえも不可能に近いと言っているのだ。
 なぜなら経済規模が大きくなり続けるならば、当然のことながら、排出量を削減することがより一層困難になるからである。
 そもそも経済成長は、人間が豊かになるはずのためではなかったか。だが、盲目的に経済成長を求めるだけであれば、長期的には「豊かな」生活そのものを不可能にしてしまう。
 気温の2.0℃の上昇でさえ、熱波や洪水のリスクが飛躍的に増大し、農業は甚大なダメージを受ける。また、サンゴの99%が死滅し、漁業にも大きな影響が出る。世界的に壊滅的な被害が出ることで、私たちの食生活、環境、文化は大きく変わってしまう。
 つまり、今、私たちが「普通」と思っている生活さえも、成り立たなくなってしまうのだ。

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 2050年までに二酸化炭素排出量の実質ゼロを実現することが非現実的な理想論のように言われるが、むしろ、現在のような対策を取り続けることで、これからも豊かな生活が続くと思うほうが、彼女に言わせれば非現実的なのである。

「責任を負うべき人はいる」
富裕層や石油企業、政治家

 とはいえ、いったい誰のせいでこのような事態になったというのだろうか。
 彼女は次のように述べる。
「責任を負うべき人はいます。一部の人々――とりわけ一部の企業や決定権を握る人々――は莫大なお金をもうけ続けるために、どれほど貴重なものを犠牲にしているか正確に知っているのです」
 対策を先延ばしし、既存の構造を守ることで得をする人もいるからこそ、市場でのイノベーションに任せっぱなしにしておくことはできない。
 それは、石油関連企業がそうであるし、プライベートジェットを乗り回すスーパー富裕層、そして、経済成長の成果を誇ることで人気を得る政治家たちだ。
 石油メジャーは気候変動の危険性を知りながら、多くの資金を使って気候変動懐疑論を広め、規制反対のロビイングを行ってきたのであり、多額の寄付金を受け取った政治家たちもそれを黙認してきたのである。
 無限の経済成長があらゆる人々の生活を豊かにするというトリクルダウンの神話を信じ続けた結果、この30年、気候変動対策のための貴重な時間を無駄にしてきてしまった。
 本来であれば、この間に、もっと段階的な脱炭素社会への移行を実現することができただろう。だが、そのような時代は過去のものになっている。
「あなたたちが科学に耳を傾けないのは、これまでの暮らし方を続けられる解決策しか興味がないからです。そんな答えはもうありません。まだ間に合うときに行動しなかったから」と、彼女は糾弾するのだ。
 メディアにも責任はある。
「人類が直面している最大の危機より、サッカーの試合や映画祭のほうがメディアに注目される世界」を作り出してきたのだから。
「パニックになってほしい」という彼女の歯に衣を着せぬメッセージのおかげで、ようやく多くの人々が気候危機の深刻さを知り、行動するようになっているのだ。
 日本でまだ声が十分に上がっていないとすれば、メディアはこれまで以上に気候危機の深刻さを伝える必要があるだろう。台風や地震の警報を流すときのように。

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将来世代が犠牲になる
気候変動の「不正義」

 いずれにせよ、脱炭素社会に向けての大転換をすぐにでも実施しなければ、将来の子どもたちの世代は、自分たちの排出していない二酸化炭素の影響によって、自分たちの生活が脅かされることになる。
 つまり、「この危機を引き起こした原因にもっとも加担していない人々が、最も影響を受けることになる世界」が生まれつつあるのだ。
 実際に今、二酸化炭素の半分を排出しているトップ10%は、先進国の富裕層であり、彼らは気候変動がもたらす否定的な帰結に直面することなくこの世を去るだろう。
 ところが、みずからは二酸化炭素をほとんど排出していない下から数えて半分の人々は、より大きな影響を受けるし、その影響は干ばつや洪水、山火事の多発など、さまざまな形ですでに表れ始めている。
 こうした構造的な不平等さを正すことを「気候正義」の考えは求めている。
 例えば、トップ10%による二酸化炭素排出量をヨーロッパ人の平均的な量にまで削減するだけで、すぐに全体の二酸化炭素排出量を3分の1ほど削減することが可能だという。
 より極端な例でいえば、ビル・ゲイツやパリス・ヒルトンのようなスーパー富裕層はプライベートジェットに乗ることで、一般の人の1万倍の二酸化炭素を排出しているという。彼らの生活を変える必要があるのは一目瞭然ではないか。

技術・資本を持つ者と
被害を被る持たざる者

 そのビル・ゲイツは地球工学(ジオエンジニアリング)と呼ばれる気候変動対策に多額の資金を援助していることが知られている。
 大気中に硫黄の小さな粒子を散布することで、太陽光を反射し、地球を冷却する技術が有名だが、地球工学を用いれば、私たちは今のライフスタイルを変えずに、気候変動の最悪の帰結を避けることができるというわけだ。
 だが、地球工学は未知の技術であり、その目的を達成できるかは見えていない。ましてや複雑な地球システムへの人為的な介入がもたらす影響は予測不可能である。
 ビル・ゲイツのような一部の人々を救うために、途上国を中心に大勢の人々の生活が犠牲になるような結果にもなりかねない。
 ここでの矛盾は、気候変動がもたらす災害に対して責任を負っている富裕層ほど、その否定的帰結から逃れるための技術や資本を持っており、責任がないその他大勢の人ほどその被害にさらされやすいということである。
 だから、気候正義の問題は、再びマルクス的な「階級闘争」の問題としてとらえ返されなくてはならない。
 このことは、いわば当然の帰結である。この気候危機を引き起こしているのは、無限の成長を追い求める資本主義なのだ。
「大人は、お金もうけのことと無限の経済成長というおとぎ話ばかり」「いまのシステムでは解決できないならシステム自体を変えるべきだ」という彼女の発言は、経済成長が必須の資本主義を変えないと「気候変動の正義」は実現できないというメッセージと受け止めるべきだろう。