井上智洋氏×島倉原氏 対談会 『MMT (現代貨幣理論)とは何か』 をレビュー
こんにちは、望月慎(望月夜)@motidukinoyoruと申します。
(拙著『図解入門ビジネス 最新 MMT[現代貨幣理論]がよくわかる本』(秀和システム)(2020/3/24 発売予定))
この度、2020/3/8に開催された、井上智洋氏と島倉原氏の対談会 『MMT (現代貨幣理論)とは何か』(Facebookページ)を拝聴いたしましたので、その内容に関して、散発的かつ細かい論点についてばかりですが、レビューしようと思います。
①井上智洋氏講演
内容については事細かに論じず、どのような話をなさっていたかを掻い摘んで説明しながら、気になるテーマに絞って議論したいと思います。
……複雑怪奇な経済学派対立とその”宗教”性
井上氏はまず、MMTを含めた複雑怪奇な学派対立について論じていました。
井上氏が講演中に論じていた図式とは大きく異なりますが、私自身も個人的に(特にラヴォアの学派理解を参考にしつつ)以下のようにまとめています。
このような系譜理解は、私個人が簡易にまとめたものに過ぎず、あくまで一例に過ぎませんが、重要なことは、奇しくも井上氏も同講演で論じていた通り、経済学派とその論争というのは、おおよそ宗教&宗教論争じみてくるところがある(数学的で実証主義的な”印象”がある主流派系統の経済学派でさえ)ということです。井上氏は(主流派経済学も”宗教的”であるとはいえ)MMT支持者の中にも、いささか教条的な人々が居るということを懸念されていました。私もそういった人物には心当たりがないでもありませんが、極々一部の人を除くと、MMTに教条的などころか、MMTに対する半端な理解があまりにも横行していることの方がずっと問題であるように見え、井上氏の問題意識は、ややマイナーなもののように私には思われました。
……MMTの主張の整理 ー 事実、仮説、提言 ー
また、井上氏は、MMTの議論について、その主張を事実、仮説、提言に分類し、”仮説”については少なからず懐疑的(特にMMTの金利政策懐疑論や、内生的貨幣供給理論などに対して)であると述べています。
以下に示すのは、あくまで私なりのMMTの理論体系のおおまかな整理です。
こうした中で、事実描写的(descriptive)な部分と、理論的(theoritical)な部分があり、特に理論的な部分がdebatable(議論の余地あり)だという井上氏の見解は概ね妥当なところとは思います。私の個人的見解としては、MMTは理論的な部分でも現実妥当性が高い(しかも、主流派の一部もほとんど似通った話をしはじめている)という認識ですが、井上氏の見解が今後どのように展開していくかは注目したいところです。
その後、井上氏は租税貨幣論(モズラーの名刺の話など)、統合政府レベルの金融財政システムについて論じ、それからジョブ・ギャランティへと議論を進めました。
(”モズラーの名刺”の話については、ビル・ミッチェル「シンプルな”名刺”経済」(2009年3月31日)を勧めます。)
(統合政府レベルの金融財政システムについては、私のまとめた以下図が参考になると思います。拙著にも似た図を掲載し詳しく解説する予定です)
……"Bullshit"なジョブ・ギャランティ?
井上氏は、ジョブ・ギャランティ(Job Guarantee: JG)について概説した後、『Bullshit Jobを増やすのではないか?』との懸念を表明されました。Bullshit Jobは「意味のないクソ仕事」という意味で、この問題を大きく取り上げたデビッド・グレーバーは主にコンサル業や広告業、ロビイングなどを念頭に議論を展開しています。この講演で井上氏は、公共事業による無駄な道路建設を”BullshitなJG”の可能性として挙げました。
この点について少々検討しておきましょう。
そもそも、Bullshit Jobsとされている仕事が、本当に社会運営(会社運営)上で不要なのかという問題がありますし、井上氏がBullshitの例として挙げた道路建設が、本当にあらゆる観点から無意味なのか(冗長性の問題、土木建築技術の維持の問題etc……)という問題もあります。
とりあえずこうした前提の問題は置いておいて、『JGのリソースが丸っ切り無駄な事業に割かれていくのではないか?』というのが井上氏の問題意識なのだと捉え直して、検討してみます。
まず、ジョブ・ギャランティでは、どのような業務が割り当てられるのでしょうか。あっさり言えば、地方自治体などによって(Community Jobs Bankなどの設立・運営などを通じて)地域に需要されるプロジェクトが集約され、優先順位がつけられて割り当てられる、というのが大まかな構造です。
この意味で、丸っ切りコミュニティから需要されない無意味な仕事にJGのリソースが割かれ得るとする井上氏の想定は、はっきりいって奇妙なものと思われます。
もちろん、JGによる労働力確保が、作業効率の改善インセンティブを却って阻害する、という可能性はなくはありません。こうした傾向は、特に不況によってJG雇用が増加するときに強まりやすいでしょう。
しかし、好況によってJG雇用が減少すると、今度は一転して効率化インセンティブは強まります。プロジェクト間でのJGリソースの獲得競争圧力も強まると思われます。もし仮に、効率改善インセンティブが通時的に著しく低いと想定するとしたら、これはいささかならずアンフェアではないでしょうか。
また、井上氏は、公共工事などが事実上のJG的に機能し、いわゆる”無駄な公共事業”が行われてきた、と主張しています。本当に無駄かという問題は先述のようにさておくとして、万が一仮に無駄な事業が行われたと仮定した場合も、それは『何かしらの名目がなければ雇うことができない』(この場合は公共工事)という”非JG”的雇用政策の自縄自縛によって、無駄な事業が必然的に生み出されてしまったのではないか、と考えるべきでしょう。
となると、”非JG”的雇用政策の負の産物(”お題目”を必要とするが故の無駄なリソース配分)を、JG批判の論拠としようとするのは、やや倒錯的であるように私には思われるのです。
ジョブ・ギャランティに関して、少しだけ補足しておきます。
つい先日、ジョブ・ギャランティ vs ベーシック・インカムというテーマで長々と議論したのですが、そこで重要なポイントと思われた点が二つあります。第一に、JGは労働供給の最低価格を設定し、労働者”層”の分配過少を是正する構造がありますが、BIはむしろ、”労働ダンピング”構造を強化して、そうした分配是正に対して逆効果に働き得る側面があります。第二に、JGには「働ける人」の条件を緩め、範囲を広げるという効果がありますが、BIは逆に、人々への”戦力外通告”として機能してしまう側面があります。こうした点は、特にJGとBIを比較検討するにあたって、踏まえられるべきところであると考えています。
……COVID-19不況とベーシック・インカム?
井上氏は講演中、COVID-19対策によって派生的に発生する(と予想される)不況について、「ベーシック・インカムさえあれば、と思うのですが」と主張されていました。しかし、この見解はやや失当のように思われます。
というのは、不況前後でベーシック・インカムの受給額は基本的に変化せず、したがって不況による所得減少は、BI下では甘受されなくてはならなくなるからです。
むしろ、こうしたショックに対して効果を発揮するのはJGの方でしょう。JGは、失業による所得減少を、反循環的に補填する構造を持っているからです。(労働力リソース保全というサプライサイドの点でも当然優れる)
『ベーシック・インカムの給付枠組みさえ確保しておけば、状況に応じて給付額を増減させることで対応できるのでは?』とまで主張するなら一理あるのですが、そうした恣意的な給付調整は、政治的プロセスが絡み、結局ジョブ・ギャランティに比して即応性に欠くのではないかという懸念があります。また、給付増額の場合はまだいいとして、インフレ局面において、「インフレになっているのに給付まで下げられる」という構造は、失業者・低所得者にとって踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂になってしまうので、あまり望ましいとは言い難いように思います。
[ 一応留保しておきますが、今回のCOVID-19不況にあたって、BIかJGか、という議論はどちらかというとマイナーな議論だとは思います。上述のように、BIよりもJGの方が、反循環的性質のためショック緩和的に機能しやすいとは思いますが、それ以上に重要なのは、ダメージを受けている事業への選択的な援助(資金繰り融資と損失補填支出の2軸)や、金融安定性確保のためのモニタリングや適宜介入などになってくるでしょう。 ]
②島倉原氏講演
続いて、島倉氏の講演へのコメントに移ります。
全体的な話の流れは(失礼ながら)失念してしまったので、気になった個別の論点について、コメントすることにします。
……景気循環とMMT
島倉氏の主な関心は景気循環(クズネッツとか、コンドラチェフとか)にあり、MMTについては、”景気循環的な議論がないのが不満”という認識のようです。
しかし、MMTはミンスキーの金融不安定性仮説の議論をベースにしており、そうしたマネー・マネージャー資本主義的なサイクルについてはむしろ中心的に扱っている印象です。
島倉氏にとって、そういうミンスキアン的な運動は”景気循環”の議論には入ってこないのでしょうか? 些細な疑問かもしれませんが、かなり気になりはしました。
……マルクスは商品貨幣論であり、MMTとは関連しないのでは? という指摘について
島倉氏は講演中、「MMTerはマルクス経済学を好意的に引用するが、マルクス経済学は商品貨幣論を採用しているのだから、合致しないのではないか」との旨を言明されました。
この指摘は、”一面的には”正しいです。しかし、(奇しくも私が修正NKのMMT的再解釈を目論んでいるのと類似的に)MMT的貨幣金融観の中にマルクス経済学の知見を取り込んでいくというのは、不可能ではないどころか、むしろ自然であるように思われます。(実際、ミッチェルも、MMTの初中級教科書であるMacroeconomicsにて、危機の理論としてマルクス経済学を引用するなどしています)
特に、マルクス経済学のM-C-P-C'-M'の議論、つまり、利潤稼得のために生産を行おうとするが、(低賃金傾向による安定消費の抑制から)利潤の源を失って、バブルか不況かの二択を迫られるようになる、という議論は、MMTの貨幣性生産理論、Monetary Circuit Theoryに包摂して理解した方が、見通しが良くなるのではないかと考えています。
資本家(等)の利潤蓄積を労働分配抑制で求めた結果、利潤稼得が却って困難となり、それでも利潤蓄積の源泉を不動産バブルやサブプライムローン・バブルなどに求めたのが世界金融危機以前であり、そのスキームが崩壊して長期停滞の不況局面に没入したのが現在である、という理解が、MMTとマルクス経済学的知見の複合で得られるわけです。(こうした長期停滞におけるバブルと不況の交互状態については、拙note:バブルと長期停滞の関係と対策 / "北欧モデル"の落とし穴や、齊藤誠論文レビューなどで取り上げています。)
そういうわけで、信用貨幣論的枠組みにおいても、マルクス経済学を有効に援用することに特に矛盾はないというのが、私なりの理解です。
(また、ビル・ミッチェルに言わせれば、”セーの法則の破れ”を扱うという意味で、ケインズも、カレツキも、マルクスの追随であると考えられているようです)
……『量的緩和はむしろ銀行収益の圧縮を通じて緊縮的に働き得る』という話
島倉氏は講演中、量的緩和の批判として、量的緩和(特に長期国債購入)による有利子資産の”召し上げ”を通じて、銀行収益が圧縮され、銀行の投融資行動をむしろ抑制する方向に働いてしまうのではないか、という旨を論じていました。
拙note:『ニューケインジアンの金融政策無効論、MMTの金融政策無効論』で取り上げたフルワイラー&レイの"Quantitative Easing and Proposals for Reform of Monetary Policy Operations" [Scott Fullwiler, L. Randall Wray, 2010] の議論が元になったものと思われます。
この議論は、いわゆるリバーサル・レートの議論にも通じ、日本のマイナス金利導入時の円高株安反応も、そうした状況を反映したものと思われます。
非伝統的金融政策(量的緩和やマイナス金利)の”緊縮的”効果には、(島倉氏の指摘通り)最大限注意しておく必要があると言えるでしょう。
また、収益圧縮圧力を受けた金融機関が、よりリスキーな投融資行動を取ってしまう可能性も島倉氏から指摘されていました。これも重要な懸念と思われます。(国債廃止論に対するステファニー・ケルトンの懸念論にも通ずるかと存じます。)
……不況持続による生産力低下の議論について
島倉氏は他にも、長期不況による生産力低下が既に深刻化していることを指摘し、供給力がネックになるタイプの、悪性のインフレの危険性が高まっていると指摘していました。
ここらへんの観点は、サイモン・レン=ルイス「景気後退後の緊縮が永続的な影響を残す理由」に共通するものがあるように思います。
長期停滞型の不況による総需要不足は、循環的に解消されずに、供給力毀損(失業の履歴効果による労働力陳腐化、労働集約シフト、イノベーション利用の停滞など)を続発するという問題意識です。
ただ、供給力毀損が”素直”にインフレへと展開していくかというと、私はむしろそれはまだまだ”楽観的”すぎると理解しています。
というのは、いわゆる長期停滞は、将来の生産力低下予想によって、さらに加速する構造を持っているからです。
この点について詳しくは、拙note『なぜ異次元緩和は失敗に終わったのか』、『アベノミクス(ないしリフレ派)の理論、及びその欠陥(マニアック)』をお勧めします。また、齊藤誠論文のレビューでも軽く扱っています。
詳細は上記を参照いただくとして、掻い摘んで説明しますと、原因が少子高齢化(人口動態)であれ、技術進歩それ自体の減速であれ、格差拡大であれ、将来の生産力低下が予想されると、将来消費(=貯蓄)の限界効用の相対的上昇から、むしろ貯蓄性向が強まって、総需要不足型の不況が深まってしまう……というのが、現代版流動性の罠理論から、長期停滞理論に到るまで、共通する構造となっているのです。
この点は、拙記事『低成長経済における金融財政政策のトリレンマ (及び 成長批判のトリレンマ再訪)』でも詳しく論じています。低成長化し、将来の生産力が毀損していく経済ほど、(極めて逆説的ですが)”現時点での”総需要不足が顕在化し、財政政策による補填が求められるようになっていくのです。もしインフレに転じていくとしたら、成長低下・成長抑制傾向が反転するタイミングであり、この意味で島倉氏の見解を”楽観的”と評したわけです。
私個人の見解としては、このまま政府の無策が続く限り、長期停滞型不況によるディスインフレ傾向はまだまだ続くのではないかと予想しています。もしディスインフレが解消したかのように見えても、自国ないし他国のバブルに基礎付けられた非持続的なものに終わる可能性が高いと見ています。
③井上氏×島倉氏対談
続いて、お二方同士での対談が行われました。
出てきた論点のうち、気になったものをピックアップしてコメントしていきます。
……プラセボ効果としての量的緩和?
井上氏は冒頭で、アベノミクス下での量的緩和について、「理論的には効果がないはずだが、プラセボ(偽薬)的な効果があったのではないか」とコメントされていました。
しかしながら、この認識はあまり支持できません。
拙記事『日本銀行の「量的緩和・質的緩和」検証への突っ込み』でも総括したところですが、異次元緩和の”効果”と呼ばれるものは、安倍政権初期を最後に剥落しており、量的緩和に用量反応的な効果はなかったと考えるべきでしょう。錯誤による効果それ自体を完全否定するわけではありませんが、そうした効果は極めて一時的な、一過性のものであると思われます。
私は当初、「拙速な利上げはしない」というアナウンスが限定的な効果を持っていたのではないか、という風に考えていましたが、リバーサル・レートの議論などを鑑み、現在では、「当初安倍政権は積極財政色を打ち出しており、どちらかというと、財政政策を含めた総需要拡張的なアナウンスが全般的に反映されていたのではないか」という方向性で考えています。
そして、安倍政権が財政拡張的でないと知れるや否や、異次元緩和による効果だと思われていた(今でも思われている)ものが、消失していったと考えるのが自然であるように思われます。
(また、島倉氏は安倍政権下での円安ドル高を、”国際資本のサイクル的な動きによるもの”と評しておられ、これは確かに妥当と感じました。実際、2014年以降の円安は、アメリカの相対的な景況改善と利上げ志向がもたらしたもの [参考拙記事:現代日本経済の時系列分析] と考えるべきでしょう)
……MMTerの法人税批判に関する議論
島倉氏は対談中、MMTerの法人税批判に対して懐疑的である旨を主張されていました。
その詳しい理路については(失礼ながら)失念してしまいましたが、少なくとも、法人税にポストケインジアン的な価格メカニズム(マークアップ原理とフルコスト原則)による転嫁が発生してしまう問題があることについては、言及漏れがあったように思います。
法人税は、一見して利潤を上げた法人に税が課されているように見えて、実はそうではなく、バーゲニングポジションが相対的に強い大企業の場合は、価格転嫁、低賃金による代償、あるいは取引先の中小零細の利潤圧縮という形で補填されがちというのが実態となっています。
法人税批判に対する懐疑論を展開するとしても、こうした構造については十分に言及しておくべきなのでは? という点で少し残念に感じられました。
(ただ、MMTerが代案として挙げる累進資本所得税が、政治的ないし制度的にそこまで上手くいくものなのか? と懸念するのであれば、それはまだ妥当かなとは思います)
(しかし、島倉氏は累進資本所得税が直接金融を萎縮させ、企業の債務依存度を高めるのではないかと主張していましたが、法人税増税も [利払いの損金算入のため] 債務依存度を高めるため、この主張はアンフェアではないかと思います)
……ジョブ・ギャランティはインフレ抑制的ではない?
島倉氏は対談中、JGのインフレ抑制能を疑問視する発言をなされました。
その際、支出面でのJGの反循環性については言及されていましたが、供給面でのJGの反循環性(労働力バッファーストックとしての機能)については言及しておられなかったので、簡単な図解を以下に示しておきます。
また、JGの賃金が一定であるなら、JG自体がインフレを際限なく加速させていくという構造は生じ得ません。(仮に賃金が過大としても、一回の物価シフトでバランスする)
仮にインフレが加速するとしても、JG以外の要因で(例えば、国際金融不安による通貨安であったり、国際緊張などによるコモディティー物価の高騰であったり)、そこには別途違う形で介入する必要があるというだけのことのように思います。
……借金を悪とする風潮自体の打破?
井上氏は、一般国民の緊縮財政志向の源泉として、借金(あるいは負債全般)への恐怖心それ自体があると指摘し、これを”打破”していくしかないのでは、と主張されています。
拙記事:『「財政再建は終わりました」をMMT系財政出動派として批判する』で私も似た趣旨のことを主張したことがあるため、概ね同意ではあるのですが、同時にかなり難しいだろうとも思っています。
というのは、国民が債務それ自体を警戒するという性向は、人間のリスク回避志向として、生得的な感情であるからです。個人レベルではその通りでも、国家レベルではソルベンシーリスクはない、と理性的に理解するには、かなり高いリテラシーが必要となってしまいます。
この意味で、ビル・ミッチェルが、政治的な意味での国債廃止を主張するのには、一理も二理もあると言わざるを得ない、というのが現在の私の見解です。(たとえ政府発行通貨が厳密な意味では政府負債以外の何者でもないとしても……)
……ジョブ・ギャランティでは教育水準の高い失業者を保護できない?
対談中か、各人の講演中か、どこで出た話題だったか(恐縮ながら)失念してしまいましたが、井上氏か島倉氏のいずれかから、上記の指摘がありました。
ジョブ・ギャランティでは、一定賃金での雇用しか提供されないので、希望者のそれまでの経歴が何であれ、賃金に差はありません。そのため、確かに教育水準や技術水準が高くても、高賃金が支払われるということはありません。
しかし、それが補われるべき”欠点”かどうかは考えものです。例えば、元の職業が高賃金なら、JGに従事するよりも、失業給付を受けて求職活動をした方が良いという場合もあり、それは各人の選択の範疇でしょう。
むしろ、各教育水準に合わせて、それに合わせた職業と待遇を常に用意する、などというのは、それこそ高度な(過激な)社会主義国家でないと成立しないでしょう。
高度な教育水準ないし技能水準を必要とする公的プロジェクトと公的雇用は、ジョブ・ギャランティとは無関係に用意されるべきなのであって、労働力バッファーストックとしてのジョブ・ギャランティと無理やり結びつけようとするのは無為に終わるでしょう。
④全体の所感
お二人の講演や対談の内容について網羅的に論じた記事ではないので、あくまで散発的な論点に基づく印象を述べるだけなのですが、欲を言えば、もう少しMMTに造詣の深い人がパネリストとして混じっていれば、議論もフェアになったのではないか……というのが偽らざる本音でした。(まあ、そんな人、そもそも日本では数える程にしか居ないわけですが……)
(以上)
※ここまで通読いただきありがとうございました。ご質問、ご指摘、いつでも募集しております。適宜対応させていただきます。
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望月慎の経済学・経済論 第一巻…2017年6月~2017年9月の11記事のまとめ。財政破綻論批判、自由貿易批判、アベノミクス批判から通貨論(金融システム論)、ケインジアンモデル概説など、様々な経済トピックを論じました。
マニアック経済学論…各種経済トピックをテクニカルに解説。
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MMT的にはマルクス(再生産表式)、カレツキ、ゴドリーの系譜が重要でこれが部門別会計分析に結実する…
(マルクスとケインズをつなぐと言う意味で)カレツキの理解が鍵だろう。レイ本はカレツキに触れていないがミッチェル2019はカレツキを多く引用している。
《新教が旧教の基礎から解放されていないように、信用主義は重金主義の基礎から解放され
ていない。》マルクス『資本論』3-35-2